さて、東日本大震災は、どのように歴史的に捉えたらよいのであろうか。もちろん、東日本大震災の復興は緒に就いたばかりであり、福島第一原子力発電所の事故については、終息の途もみえない。ここで、評価することは、適当でないかもしれない。しかし、この段階で、ある程度の展望をすることは、実践的な活動を構想する一つの前提になるだろう。もし、事態の展開がかわれば、修正していけばよいのだ。
本ブログで「東日本大震災の歴史的位置」をとりあげた際、最初に①通常の地震・津波災害の面、②原発事故の面、③電力・水道などのインフラ災害の面という、三つの側面があるとした。現時点でみると、②・③は関連しあった問題であるといえる。しかし、①の側面とは相違した様相をみせているといえる。ゆえに、現在では、(1)地震・津波災害の側面、(2)原発事故の側面、という二面があると考察している。
この二つの側面は、共通した要素を有している。(1)地震・津波災害の側面は、天災の要素が強いのであるが、人災の要素もなくはない。宮城県平野部沿岸はともかく、岩手県・宮城県北部の三陸地方沿岸は、近代になり、明治三陸津波(1896年)、昭和三陸津波(1933年)、チリ津波(1960年)におそわれている。津波対策はまったくなされていないわけではないが、規模の比較的小さい昭和三陸津波をもとになされており、実施されていた場合も今回の津波被害にそなえるには不十分であった。しかし、言うまでもないことであるが、天災の側面がはるかに大きいのである。
他方、(2)の原発事故の側面は、地震・津波という天災が契機になっているともいえる。現在、原発事故発生の契機について、地震による配管破断なのか、津波による全電源喪失なのかという論争がなされているようにみえる。ここでは即断しないが、いずれにせよ、天災が契機とされている。しかし、はるかに人災の側面が強いだろう。そもそも、東京電力管轄外の福島県に原発を立地し、「安全神話」によりかかって安全対策を怠り、このような事故に対してのシミュレーションや訓練を怠ってきた政府・東電の責任は大きい。さらに、事故対応についても、そもそも状況把握すらあやしい状態で、責任回避のための情報統制に終始し、まともに必要な情報を公開しないーいや公開できないー状態であり、いまだ、責任主体すら不明である。
(1)の地震・津波災害では、青森から千葉という広汎な地域において、多くの生命・財産を失った。前述したように、多少は人災の面もあるのだが、天災の側面がはるかに大きい。その中では、だれかに責任をとらすということではなく、生き残った人々によって、生活を再建し、地域社会の復興を営々と行うことがめざされていく。そして、政府は、責任追及される対象ではなく、復興支援を求めていく対象となるであろう。もちろん、政府による支援の遅れ、不十分さは批判されていくであろうが、それも支援を求めるというスタンスが前提となっている。震災直後、「ニッポンは一つのチームなんです。ニッポン・ニッポン」という公共広告機構のCMが流れたが、先のような心性の立ち上りを期待してのことであろう。
(2)の原発事故の側面は、人災であり、加害者である政府・東電の責任を追及し、補償を求めていくことがまずなされていく。特に、放射線の問題は、単に原発が立地している福島だけでなく、東京を含めた東日本圏全体の脅威となった。さらに、関東圏においては、放射線の問題だけではなく、原発事故に起因する計画停電のため、ある種のパニックが引き起こされた。私も覚えているが、計画停電が実施される直前の3月12・13日は、スーパーでの商品不足はなく、鉄道も正常に動いていた。計画停電が開始された3月14日以後、しばらくはパニック状態であった。買い占めのため米・水・肉などの商品はなく、鉄道もどこまで行くかわからず、きても乗れない状態であった。テレビ・新聞では、刻々と原発の事故の深刻さが報じられていた。後で聞くと、かなり多くの人が西日本や外国に東京から避難したとのことである。政府・東電発の大パニックといってよい。もちろん、被災地に比べれば、なんということはないのだが、東京がパニックとなっても別に被災地がよくなるわけでもない。その中で、東京を中心とする関東圏内における政府・東電への批判意識は強くなったといえる。政府には支援ではなく、責任の所在をあきらかにし、直接被害を蒙った人々に補償し、つじつま合わせではない放射線対策を求めるということである。
そして、原発事故の側面は、放射線の問題として、直接東日本大震災の影響を蒙らなかった西日本の人々や外国でも共有可能な恐怖を引き起こした。国内外での反原発デモの発生は、まさに、そのことに起因している。原発が立地しているのは、何も福島ばかりではない。日本中いや世界中に存在している。ある意味で「恐怖を共有している人々の共同体」が、グローバルに出現してきたのである。
そして、実は(1)と(2)の側面には微妙な相克が生まれてきている。宮城のほうでは、停電によるテレビ報道を共有していないことも手伝って、福島原発が中心となる東京発の報道のありかたに対して、微妙な違和感があるといわれている。生活再建のために必死な宮城県などの被災地では、福島原発に対する責任追及などより、むしろ被災地復興を支援するような報道をしてほしいということなのかもしれない。
一方、東京のほうでは、まず放射線への恐怖が先に立っている。それが、政府・東電への批判につながり、反原発運動の契機となっている。それ自身は評価すべきだろう。しかし、一方で、福島県・茨城県産のものを忌避するという風評被害につながっていくことも否定できない。
福島や茨城では、より微妙な問題がある。福島第一原発にほど近いこの地域では、東京などよりも放射線量は高く、より強い恐怖感があると思われる。一方で、地域社会に根付いた生活を捨てることができないということもある。そして、宮城県以北のように、とにかく地域社会の復興にむけて努力したいという気持ちも強いといえる。しかしながら、放射線により、原発近接地には立ち入ることすら禁じられた。そして、周囲の地域でも、農産物・海産物はおろか工業生産物はては瓦礫まで風評被害にあい、生活再建をより困難にしている。
東日本大震災には、(1)地震・津波被害という面と、(2)原発事故という側面があり、両者は相克していると述べた。この相克がぶつかりあっている地が福島であり、東日本大震災のかかえている問題点をある種単独で体現しているといえるのではないか。
復興にいそしむ宮城県以北の人々は、放射線のため復興に十分着手できない福島県の人々をみて愕然とするであろう。一方、東京をはじめとした「放射線の恐怖を共有している人々の共同体」は、高放射線と地域社会の復興に悩む福島県の人々に接することで、ようやく被災地における「復興」への意欲を実感できるのではないか。今、私は、そう感じている。