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Archive for 2013年10月

さて、前回のブログで、主に小田原琳の「闘うことの豊穣」(『歴史評論』2013年7月号)の中で紹介されている2013年3月15日の金曜官邸前抗議におけるシュプレヒコールをもとに、3.11によって「反核」が「反核兵器」から「反原発」を意味するようになったことを論じた。

その要因として、私は「『原子力の平和利用』とされてきた原発が反核意識の中心におかれるということは、反核意識が『平和』『日常』そのものを問い直さなくてはならないものとなったということを意味しているといえる。翻って考えてみれば、福島第一原発事故とそれによる放射性物質の汚染という問題が、今まで『平和な日常』とみなしてきた自分自身の眼前に及んできたということを意味してもいるだろう。」と指摘した。

それでは、「福島第一原発事故とそれによる放射性物質の汚染という問題が、今まで『平和な日常』とみなしてきた自分自身の眼前に及んできた」ということは、どういうことを意味するのだろう。改めて、自問自答してみた。

もう一度、小田原の主張をみてみよう。小田原は、3.11以後学んだこととして、次のことをあげている。

福島第一原発事故を機に、多くのひとびとが、原子力=核利用の非合理性と非道徳性を学んだ。都市生活を支える電力を供給するための原発が、経済的自立を奪われた地方に建設されていたこと。運転中にも、廃炉作業が必要であること。事故以前より確実に高くなった線量下で生活するという経験は人類史上まれに見ることであり、したがってその危険性について、信頼できる科学的知見は歴史的に存在しえないこと。地震と津波によって多くの命が失われ、大切なものを失ったたくさんのひとびとがいること。そのうえ、原発事故から強制的に、あるいは自主的に避難して、不安な生活を送らなければならない多くのひとびとがいること。安全か、安心か、確信のもてぬままに、不安と葛藤のなか被災地で生きつづけるひとびとのこと。それらのひとびとの声に、ほとんど応答することのない政治と、それを支えるメディアや経済界を実体として感知し、それに対する怒りの表現として、官邸前抗議行動がある(小田原前掲書p68) 。

前回のブログでとりあげたシュプレヒコール同様、一見耳慣れたことのように思える。しかし、実は、極めて新たな感性に基づいたものでもある。この中では、まず、「生活」ということが主題となっている。「都市生活」を支える「電力」。「高線量下の生活」。そして、被災地における「避難生活」。このように、まず「核」とは3.11以後の「生活」の中に存在しているものとして意識されている。いうなれば、戦争/平和という「将来」の危機ではなく(なお、冷戦下では、全面核戦争の危機は眼前のものと認識されており、また今でも原子力の軍事転用は大きな問題であるが)、すでに「生活」の中に「核」の危機は存在しているのである。そして、それは、「都市生活」という言葉で表現されているように、自らの外部ではなく、内部にも存在しているものである。

このような危機感は、たぶん、福島第一原発が廃炉処理されるという数十年間続くものであろう。地震があっても、台風が来ても、常に自分のところだけではなく、福島第一原発のありようが懸念される。食物についても、居住地についても、つねに「危機」の中で生活をしなくてはならないことが実感されてしまう。東京オリンピックが開催されようが、消費税が増税されようが、核に対する危機感は生活の中で厳然として存在し続ける。考えまい、忘れようとすることもなされるが、そのような危機感の抑圧は、歪んだ形でそのエネルギーが噴出されていくことになると考えられる。

このように、常に核の「危機」を意識して「生活」をするということ、これが3.11が私たちに与えた一つの「条件」であるといえるのである。そして、その中で、すべてが変わっていかざるをえないと私は思う。

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3.11以前、仕事などで福島第一・第二原発を間近に見ながらも、私は原発に対する危機意識を十分もつことはなかった。このことは、私にとって重い問題である。しかし、たぶん、一般的にもそうだったであろう。

3.11以前、「反核」といえば、「反核兵器」のことを意識するほうが多かったのではないかと思う。チェルノブイリ事故(1986年)後の1987年、広瀬隆はチェルノブイリ事故の危険性を警告した『危険な話』(八月書院)の中で、次のように指摘している。

多くの人が反核運動に情熱を燃やし、しかもこの人たちは大部分が原子力発電を放任している。奇妙ですね。核兵器のボタンを押すか押さないか、これについては今後、人類に選択の希望が残されている。ところが原子炉のなかでは、すでに数十年前にボタンを押していたことに、私たちは気づかなかったわけです。原子炉のなかで静かに核戦争が行われてきた。いまやその容れ物が地球の全土でこわれはじめ、爆発の時代に突入しました。爆発して出てくるものが深刻です。(p54~55)

そして、広瀬隆自身が「核兵器廃絶闘争の重大性から目をそむけさせる」として批判されてもいた。共産党系の雑誌『文化評論』1988年7月号(新日本出版社)に掲載された「座談会・自民党政府の原発政策批判」において、「赤旗」科学部長であった松橋隆司は、チェルノブイリ事故後に原発を含めた「核絶対反対」という方針を打ち出した総評ー原水禁を批判しつつ、明示的ではないが広瀬隆の言説について次のように指摘した。

また「原発の危険性」という重大な問題を取り上げながら、原子力の平和利用をいっさい否定する立場から、「核兵器より原発が危険」とか、「すでに原発のなかで核戦争が始まっている」といった誇張した議論で、核兵器廃絶闘争の重大性から目をそむけさせる傾向もみられます。(p80)

直接的には私個人は関係してはいなかったが、このような志向が私においても無意識の中で存在していたと考えられる。1980年代の「反核運動」については参加した記憶はあるが、「反原発運動」については、存在は知りながらも、参加した記憶がない。このことについては、社会党ー原水禁が原発反対、共産党ー原水協が原発容認(既存の原発の危険性は認めているが)という路線対立があったことなど、さまざまな要因が作用している。しかし、翻って考えてみると、「将来の危機」としての戦争/ 平和などの対抗基軸で世界を認識していた戦後の認識枠組みにそった形で原子力開発一般が把握されていたと考えられる。もちろん、これは当時の文脈が何であったを指摘するもので、現在の立場から一面的に批判するという意図を持っていないことを付記しておく。

さて、3.11は、このような原子力開発への認識を大きく変えた。核戦争という「将来の危機」ではなく、原発事故と放射性物質による汚染という「いまここにある危機」が意識されるようになった。「反核」とは、まずは「反原発」を意味するようになったのである。

このことは反原発運動におけるシュプレヒコールにおいても表現されている。下記は、小田原淋によって書き留められた2013年3月15日の金曜官邸前抗議におけるシュプレヒコールの一部である。

原発いらない 原発やめろ 
大飯を止めろ 伊方はやめろ 
再稼働反対 大間はやめろ 
上関やめろ 再処理やめろ 
子どもを守れ 
大飯を止めろ さっさと止めろ 
原発反対 命を守れ 
原発やめろ 今すぐやめろ 
伊方はやめろ 刈羽もやめろ 
大飯原発今すぐ止めろ 
ふるさと守れ 海を汚すな 
すべてを廃炉 
もんじゅもいらない 大間建てるな 
原発いらない 日本にいらない 
世界にいらない どこにもいらない 
今すぐ廃炉 命を守れ 農業守れ 
漁業も守れ だから原発いらない
(小田原琳「闘うことの豊穣」、『歴史評論』2013年7月号、p66)

小田原は、この中に大飯原発再稼働や建設中もしくは再稼働間近と予想される原発への抗議、原発を止めない理由の一つとされた再処理政策への批判、放射性物質による環境汚染や健康被害への不安、原発輸出に対する異議申し立てがあると要約し、「きわめて短いフレーズのなかにひとびとが原発事故後に学んだ知識が凝縮されている」(同上)と評価している。このようなシュプレヒコールは、金曜官邸前抗議に足を運んだ人にとっては目新しいものではない。しかし、もう一度テクストの形で読んでみると、このシュプレヒコールの主題は、「反核兵器」ではなく、「反原発」であることがわかる。つまり「反核」の中心は、平和時に存在している原発への反対になったのである。

ただ、それは、それまでの「反核兵器」という意識が薄れたということを意味してはいない。金曜官邸前抗議においては、もちろん、広島・長崎への原爆投下については議論されており、使用済み核燃料再処理問題についても原爆の材料となるプルトニウム生産能力を確保しようとする意向があることもスピーチにおいて指摘されている。「反原発」という課題の中に「反核兵器」という課題が包含されたといえるだろう。

いずれにせよ、このような反核意識における「反核兵器」から「反原発」への重点の移動は、あまりにも日常的でふだん意識しないものではあるが、3.11によって引き起こされた大きな変化の一つであったといえる。それまでの「反核」は、戦争/平和という認識枠組みの中で把握されていた。すでに、原発立地地域における反原発運動において、「原子力の平和利用」の名目で行われてきた原発建設のはらむ問題性は指摘されていたが、反核全体においては「従」の立場に置かれていたといえる。結局、自らの日常が存在していた「平和」の中に存在していた諸問題は「反核」の中ではあまり意識されてこなかったのである。

しかし、「原子力の平和利用」とされてきた原発が反核意識の中心におかれるということは、反核意識が「平和」「日常」そのものを問い直さなくてはならないものとなったということを意味しているといえる。翻って考えてみれば、福島第一原発事故とそれによる放射性物質の汚染という問題が、今まで「平和な日常」とみなしてきた自分自身の眼前に及んできたということを意味してもいるだろう。そして、そのような「日常的」な次元での意識変化が、反核意識の中での「反核兵器」から「反原発」への重点の変化につながっていったと考えられるのである。

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福島第一原発の汚染水問題が議論されていた8月末、福島第一原発・第二原発が所在している立地自治体では、もう一つ大きな動きがあった。まずは、河北新報の次のネット配信記事(2013年8月30日付)をみてほしい。

福島第1・第2の立地4町 全基廃炉方針 東電に要求へ
 福島第1、第2の両原発が立地する福島県双葉、大熊、富岡、楢葉4町は29日、両原発の全10基の廃炉を国と東京電力に求める方針を確認した。全基廃炉は県と県議会が求めているが、立地町の要求は初めて。
 同県広野町であった4町の原発所在町協議会で各町長、町議会議長が確認した。各町議会に議論を促し、同意を取り付ける。
 東電の相沢善吾副社長は4町の意向を受け、「重く受け止める。原発の安定化を最優先に取り組み、エネルギー施策を見極めて国の判断に従う」と話した。
 廃炉が決まっているのは、事故を起こした第1原発の1~4号機。第1原発の5、6号機、第2原発の1~4号機の計6基は方針が定まっていない。
 協議会は第1原発の放射能汚染水漏れの再発防止を求める要望書を相沢副社長に渡した。

2013年08月30日金曜日
http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/2013/08/20130830t61038.htm

この記事の中で述べているように、事故を起こした福島第一原発1〜4号機の廃炉はすでに決定されている。しかし、福島第一原発5〜6号機、福島第二原発1〜4号機は、事故が起きたわけではなく、再稼働可能である。この再稼働可能な原発も含めて、原発が所在している双葉、大熊、富岡、楢葉の4町の原発所在町協議会は、福島にあるすべての原発の廃炉を東電に求めることにしたのである。

なお、この記事にもあるように、すでに福島県知事と福島県議会は、県内すべての原発の廃炉を要求していた。本ブログの「福島県知事による県内全原発廃炉を求める方針の発表ー東日本大震災の歴史的位置」(2011年11月30日)によると、紆余曲折をへながら、福島第一原発・第二原発の廃炉を求める請願を採択する形で、2011年10月20日に福島県議会は県内すべての原発の廃炉要求に同意する旨の意志表示を行った。この廃炉請願採択を受けて、11月30日に県内すべての原発廃炉を求めていくことを正式に表明している。

その点からいえば、これらの原発所在地において県内原発すべての廃炉を求めるというのは、かなり遅かった印象がある。しかし、それも無理からぬところがあるといえる。福島県全体とは相違して、原発立地自治体においては、雇用、購買力、補助金、税収などさまざまな面で原発への依存度は大きい。それゆえ、福島第二原発など再稼働可能な原発を維持すべきという声は、福島県議会以上に大きかったといえる。例えば、楢葉町長であった草野孝は、『SAPIO』(2011年8月3日号)で次のように語っていた。

双葉郡には、もう第二しかないんだ……。
 正確に放射線量を測り、住民が帰れるところから復興しないと、双葉郡はつぶれてしまう。第二が動けば、5000人からの雇用が出てくる。そうすれば、大熊町(第一原発の1~4号機が立地)の支援だってできる。
(本ブログ「「遠くにいて”脱原発”なんて言っている人、おかしいと思う」と語った楢葉町長(当時)草野孝とその蹉跌ー東日本大震災の歴史的位置」、2012年5月22日より転載)

福島第二原発という再稼働可能な原発が所在し、また、比較的放射線量が低い楢葉町と他の三町とは温度差はあるだろう。しかし、いずれにせよ、福島第二原発などの再稼働によって地域経済を存立していこうという考えが、福島第一原発事故により広範囲に放射性物質に汚染され、ほぼ全域から避難することを余儀なくされていた原発立地自治体にあったことは確かである。

そのような声があった原発立地自治体においても、再稼働可能な原発も含めた全ての原発の廃炉を要求することになったということは画期的なことである。しかし、これは、他方で、福島第一原発事故で避難を余儀なくされ、復興もままならず、多くの避難者が帰郷することはできないと意識せざるを得なくなった苦い経験によるものでもあろう。そして、また、この当時さかんに議論されていた汚染水問題が県内全原発廃炉要求を後押しすることになったとも考えられる。

ただ、河北新報の記事にあるように、この要求はいまだ、町長・町議会議長たちだけのものであり、各町議会で同意をとるとされている。このことに関連しているとみられる富岡町議会の状況が9月21日の福島民報ネット配信記事にて報道されている。

第二原発廃炉議論本格化 富岡町議会 一部に慎重論、審議継続
 富岡町議会は20日、町内に立地する東京電力福島第二原発の廃炉に関する議論を本格化させた。一部町議から「廃炉の判断を現時点で行うのは時期尚早」という意見が出て、継続的に審議することを決めた。
 20日に郡山市で開かれた町議会の原発等に関する特別委員会で塚野芳美町議会議長が「廃炉に関し町議会の考え方をまとめたい」と提案した。
 町議からは「原発に代わる再生可能エネルギーの担保がない」「原発に代わる雇用の場を確保しなければならない」など現時点で廃炉の姿勢を示すことに慎重な意見が出た。
 一方で「県内原発全基廃炉は当然」「廃炉と雇用の問題は別に議論すべきだ」など立地町として廃炉の姿勢を明確にすべきという意見があった。
 特別委員会の渡辺英博委員長は「重要な問題。今後も議論を続けて方向性を定めたい」と述べた。
 富岡の他、楢葉、大熊、双葉の4町でつくる県原子力発電所所在町協議会は8月、国と東電に対し、県内原発の全基廃炉を求める認識で一致している。

( 2013/09/21 08:59 カテゴリー:主要 )
http://www.minpo.jp/news/detail/2013092111011

ここでは富岡町議会のことしか報道されていないが、やはり「全県内原発廃炉」という方針には抵抗のある議員がいることがわかる。つまり、町議会レベルでは、いまだ流動的なのである。

他方、福島原発立地自治体における県内原発全機廃炉の声はそれなりに政府においても考慮せざるを得ない課題となった。9月30日、茂木敏充経済産業相は、東京電力福島第1原発の汚染水問題を巡る衆院経済産業委員会の閉会中審査において、福島第二原発廃炉を考慮せざるをえないと述べた。そのことを伝えている毎日新聞のネット配信記事をあげておこう。

福島第2原発:廃炉検討の考え示す 茂木経産相
毎日新聞 2013年09月30日 20時10分(最終更新 09月30日 22時40分)

 茂木敏充経済産業相は30日、東京電力福島第1原発の汚染水問題を巡る衆院経済産業委員会の閉会中審査で、福島第2原発について「福島県の皆さんの心情を考えると、現状で他の原発と同列に扱うことはできない」と述べ、廃炉を検討すべきだとの考えを示した。福島県は県内全原発の廃炉を求めており、県民感情に配慮した形だ。

 茂木氏は同時に、廃炉にするかどうかの判断について「今後のエネルギー政策全体の検討、新規制基準への対応、地元のさまざまな意見も総合的に勘案して、事業者が判断すべきものだ」と述べ、最終的には東電が判断するとの立場を強調した。

 福島県内には、福島第1、第2で計10基の原発があり、福島第1原発1〜4号機は既に廃炉が決定。同原発5、6号機については、安倍晋三首相が東電に廃炉を要請しており、これを受けて東電が年内に判断する。

 閉会中審査は27日に続いて2日目の開催。茂木氏のほか、原子力規制委員会の田中俊一委員長らが参考人として出席した。

 福島第2原発1〜4号機を全て廃炉にした場合、東電の損失額は計約2700億円。会計制度の見直しで、一度に発生する損失は1000億円程度まで減る見込みだが、福島第1原発5、6号機の廃炉でも数百億円の損失が一度に出る見通し。同時に福島第2の廃炉も行うと決算に与える影響は大きい。

第2原発廃炉については東電内でも「再稼働に必要な地元同意が見込めない以上、いずれ判断をする時期が来る」との意見が多いが、第1原発5、6号機の廃炉は1〜4号機の廃炉作業や汚染水対策に集中する目的があるのに対し、第2の廃炉は「仕事が増えるだけ。将来はともかく、今やれる話ではない」(東電幹部)との声もある。【笈田直樹、浜中慎哉】
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131001k0000m010035000c.html

安倍政権は、原子力規制委員会が安全と判断した原発は再稼働していくというものであった。しかし、茂木経産相としては、「福島県の皆さんの心情を考えると、現状で他の原発と同列に扱うことはできない」として、再稼働可能な福島第二原発も含めて福島県内の全原発の廃炉を考慮せざるをえないと言わざるを得なくなったのである。

もちろん、今後の推移については、まだまだ紆余曲折があるだろう。地元ではいまだに原発による雇用などに依存しようとする声は小さくないと思われる。また、安倍政権は全体として原発再稼働を求めており、福島第二原発も再稼働対象に含めようとすることも今後あるかもしれない。といいつつ、やはり、地元自治体すらもすべての原発の廃炉を求めるようになったということの意義は大きい。やはり「時計の針は元には戻せない」のである。

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2013年10月7日、吉見義明教授の著書『従軍慰安婦』(岩波新書、1995年)を「捏造」と記者会見の場で発言した日本維新の会所属の桜内文城衆議院議員に対する名誉棄損裁判の第一回公判が東京地裁で行われた。ほとんど日本のマスコミがとりあげていないため、ここでは、朝鮮日報が10月8日に日本語で発信したネット記事をあげておく。

慰安婦:「捏造と言われ名誉傷ついた」 吉見教授が法廷闘争

河野談話を引き出した吉見義明・中央大学教授、維新の会の桜内議員を訴える

 「旧日本軍の従軍慰安婦は、既に国際的に認められている研究結果だ。これを捏造(ねつぞう)だというのは名誉毀損(きそん)だ」(吉見義明教授)。

 7日午後4時、旧日本軍の従軍慰安婦問題をめぐり、良識派の大学教授と歴史的真実を否定する国会議員とが東京地裁の法廷で激しい論争を繰り広げた。東京地裁ではこの日、中央大学の吉見義明教授が日本維新の会の桜内文城衆院議員を名誉毀損で訴えた裁判の第1回口頭弁論が開かれた。

 吉見教授は、第2次世界大戦当時日本軍が慰安婦を強制動員したことを立証する資料を発掘し、慰安婦の存在を認めて謝罪した河野談話(1993年)を引き出した、日本を代表する良識派だ。しかし桜内議員は「慰安婦がいたと主張するのは、日本国民に対する名誉毀損」と強弁した。桜内議員は今年5月の記者会見で、吉見教授の著書について「(内容は)捏造(ねつぞう)であるということが、いろんな証拠によって明らかとされている」と主張した。吉見教授は、桜内議員に発言の撤回を求めたが、受け入れられなかったため、1200万円の損害賠償と謝罪を求める訴えを起こした。

 7日の口頭弁論で桜内議員は「吉見教授は、存在もしていなかった性奴隷についての主張を世界にまき散らし、日本と日本国民の名誉と尊厳を害しており、受け入れられない」という主張を繰り返した。日本の極右勢力は今回の裁判を、慰安婦の存在を否定するチャンスにするため、総力戦を展開する見込みだ。これに対し吉見教授の弁護団は「従軍慰安婦の存在が法廷で認められる、意味ある裁判になるだろう」と語った。吉見教授の弁護団には大林典子弁護士など7人が、桜内議員の弁護団には弁護士6人が参加した。7日の口頭弁論の傍聴人はおよそ100人に達した。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/08/2013100801207.html

朝鮮日報の記事はこの出来事をおおむね伝えているのだが、多少省略しているところがある。まず、桜内議員の発言が、5月27日の日本外国特派員協会における橋下徹の従軍慰安婦問題についての記者会見の場で行われたということである。

また、もう一つは、吉見教授の著書の題名である。前述しているが『従軍慰安婦』である。『Comfort Women:Sexual Slavery in the Japanese Military During World War Ⅱ』(コロンビア大学出版部 2000年)という題名で英訳もされている。

従軍慰安婦問題の専門家として、吉見義明教授は著名である。しかし、特に、吉見氏に反感を持つ人たちは、その著書をほとんど読んでいないのではないかと思う。実際、私も傍聴していたが、吉見氏の本を「捏造」として主張していた桜内代議士からして、まともに『従軍慰安婦』を読んでいないのではないかという印象をもった。

例えば、桜内代議士は、このようにいっている。

第 2 点 「慰安婦=日本軍の性奴隷」は真実か否か
そもそも吉見氏の中心的主張の出発点である「慰安婦=日本軍の性奴隷」という概念は、歴史的事実として真実か否か。ここで、法解釈学における「規範定立」、「事実認定」、「規範への当てはめ」、「結論」という典型的な論理展開を援用する。
まず「規範定立」の段階として、国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件とは、「行為者(国や軍隊)が『文民たる住民を対象とする広範または組織的な攻撃の一部』であることを認識しつつ、対象者(奴隷)が『所有権に伴ういずれか又はすべての権限を行使』されること、具体的には『購入、売却、貸与、仲介、または、これらと同様の自由を剥奪する行為』の対象となること」であると客観的かつ明確に定められている。
次に「事実認定」として、慰安婦の①募集形態及び②生活条件等については、原告及び被告の間に争いは存在しない。慰安婦が一定の自由を得ていたことは、吉見氏も自著に記述している。
本来、「事実認定」に争いがない場合、一般的な「規範定立」が一致していれば、何人であれ同一の「結論」が得られるはずである。従って上記「規範定立」と「事実認定」に照らせば、「慰安婦は、国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件には該当しない」、換言すれば、「慰安婦=日本軍の性奴隷」という概念は歴史的事実として真実ではない、という論理展開の「結論」が得られる。
ところが、吉見氏の主張が悪質なのは、慰安婦が国際法上の「奴隷」または「性奴隷」の定義・要件に該当しないことを熟知しながら、特に「規範への事実の当てはめ」の段階で自らの政治的主張を潜り込ませることにより、「慰安婦=日本軍の性奴隷」という虚構の事実を捏造し、事実と見せかけて自身の政治的主張を世界中にまき散らしたことである。かかる吉見氏の主張と行為は、日本国及び日本国民の名誉と尊厳を故なく毀損するものであり、断じて許す訳にはいかない。
『日本維新の会 NEWS RELEASE』
https://j-ishin.jp/legislator/news/2013/10/08/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9E%E5%8F%A3%E9%A0%AD%E5%BC%81%E8%AB%96%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B9.pdf

この文章は、桜内代議士の法廷陳述の概略の一部である。いろいろ問題はあるが、ここでは省略しておこう。一番問題なのは、「次に『事実認定』として、慰安婦の①募集形態及び②生活条件等については、原告及び被告の間に争いは存在しない。慰安婦が一定の自由を得ていたことは、吉見氏も自著に記述している。」という文章である。慰安婦について、桜内代議士がどのような見解をもっているのかは、とりあえずおくとしよう。しかし、「慰安婦が一定の自由を得ていた」と吉見氏は『従軍慰安婦』で書いているのだろうか。そして、慰安婦の募集形態と生活条件について、吉見氏と桜内代議士の間について、本当に「争い」はないのだろうか。

そこで、ここでは、吉見氏の『従軍慰安婦』がどんな本かを簡単にみていくことにする。

まず、本書の構成をみておきたい。

Ⅰ 設置の形態と実態ー第一次上海事変から日中戦争まで

Ⅱ 東南アジア・太平洋地域への拡大ーアジア太平洋戦争期

Ⅲ 女性たちはどのように徴集されたかー慰安婦たちの証言と軍人の回想

Ⅳ 慰安婦たちが強いられた生活

Ⅴ 国際法違反と戦犯裁判

Ⅵ 敗戦後の状況

終章

非常に簡単にいえば、「はじめに」では、河野談話その他、1995年までの従軍慰安婦問題の推移について記し、従軍慰安婦について「日本軍の管理下におかれ、無権利状態のまま一定の期間拘束され、将兵の性交の相手をさせられた女性たちのことであり、『軍用性奴隷』とでもいうしかない境遇に追いこまれた人たちである」(本書p11)と定義している。

その上で、ⅠとⅡでは、慰安所が、日本軍の占領地においてひろがっていく過程を、時系列でおっている。慰安所は、占領地での強姦防止や性病予防のためとして日本軍が設置を必要としていたもので、設置や慰安婦の輸送などについては軍や警察が関与していたと述べられている。ⅠとⅡにおいて、「軍用性奴隷」の「軍用」ということが了解されるように論理展開されているのである。

そして、Ⅲでは、慰安婦がどのように集められたということが記載されている。これは、(1)日本内地、(2)植民地(朝鮮・台湾)、(3)占領地(中国・東南アジアなど)で、様相が異なっているとされている。(1)の日本内地の場合は、貸座敷などから集められた売春婦が多いとされている。(2)の植民地の場合、警察などが直接強制するというより、詐欺や身売りなどを通じて集められたことが多いとしている。しかし、警察なども身分証明書の発給などで協力したとしている。(3)の占領地の場合は、軍が直接強制して集めさせる場合が多かったとしている。吉見氏の記述による場合、(1)の日本内地の場合を除けば、直接的強制の有無はあるものの、自由な合意のない形で慰安婦にされていったケースが多いということになるだろう。

Ⅳでは、慰安婦たちの生活について述べられている。慰安婦については性交を強要され、過酷な場合では一日に数十人の相手しなくてはならなかったとされている。休日はとくに決めていないか、あっても月に1〜2回程度だったという。料金は有料だったが、前貸金や日用品などで搾取され、十分慰安婦に渡らなかった場合も少なくなかったとされている。重要なことは、日常的に外出が制限されていたということである。そして、本来兵士の性病予防のためのものであったはずだが、性病に伝染することは多かったとされている。そして、Ⅳの最後で、「事実上の性的奴隷制である日本の国内の公娼制でも、一八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由を認めていたが、この程度の保護規定すらなかった。従軍慰安婦とは、軍のための性的奴隷以外のなにものでもなかったのである」(本書p158)と述べている。よく、慰安婦を集める際の「強制」の有無が問題にされるが、吉見氏の場合、むしろ、慰安所における無権利状態をさして「性的奴隷」といっているのである。

Ⅴでは、そのような慰安制度のあり方は、当時においても国際法違反であったこと、そして、抑留所にたヨーロッパ系民間人を強制的に慰安婦としたジャワ島スマラン慰安所については、戦後、戦犯裁判となったことが記載されている。つまり、第二次世界大戦の当時から慰安婦制度は国際法では認められないものであったのである。

Ⅵでは、戦後の占領軍の慰安所設置や強姦事件の問題が述べられた後、各国の軍隊における慰安所類似施設の問題が検討されている。ナチスドイツの場合は軍用慰安所が設置されたとされているが、英米軍においては慰安所設置は一般的とはいえなかったとされている。このように、各国軍隊を比較した後、慰安婦たちの苦難にみちた「戦後」が語られている。

終章では、公娼制度との比較がなされた後、従軍慰安婦制度の本質について、(1)女性についての人権侵害、(2)人種差別・民族差別、(3)経済的階層差別、(4)国際法違反の戦争犯罪からなる「複合的人権侵害」であると指摘している。

少なくとも、吉見氏の『従軍慰安婦』を読む限り、「慰安婦が一定の自由を得ていた」などと書いてはいない。「事実上の性的奴隷制である日本の国内の公娼制でも、一八歳未満の女性の使役の禁止、外出・通信・面接・廃業などの自由を認めていたが、この程度の保護規定すらなかった。従軍慰安婦とは、軍のための性的奴隷以外のなにものでもなかったのである」と吉見氏は書いているのであり、全く逆のことを強調している。そして、このことは、結論だけをとってつけた形で述べているのではなく、叙述全体から実証されるように論理展開がなされている。

さてはて、桜内代議士の法廷陳述は、そもそも『従軍慰安婦』での記述と全く反することを述べ、それを「吉見氏が書いた」としている。読めばすぐわかるような叙述を無視したのである。彼自身が『従軍慰安婦』を自身で読み通したかどうかわからない。しかし、吉見氏の『従軍慰安婦』を全く読まないで批判している人びとのことしか相手にしていないということにはなるだろう。「従軍慰安婦」制度をどう認識するかということは、それぞれいろんな問題があるだろう。しかし、それ以前に『従軍慰安婦』という本がどのように叙述されているのかということすら不明なのである。

桜内代議士は、東大を卒業して財務省に入省し、政治家になる直前には新潟大学で准教授をしていた人である。引用した箇所をみても、形式論理を駆使する「知性」は感じられる。しかし、それは、『従軍慰安婦』という書物に具体的に書かれた叙述を理解して(批判的であっても)の上のことではないのである。そして、このような営為を許している社会もまた問題なのである。

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さてはて、福島第一原発における汚染水において問題の起きない時はない。例えば、10月2日には、たまった雨水を汚染水貯蔵タンクにためていたところ、雨水を入れすぎて、上部から0.43トンの汚染水が漏れ、一部は排水口をつたわって、港湾外に流失したことが報じられている。まず、下記の毎日新聞の報道をみてほしい。このようなことが報道されている。

福島第1原発:港湾外に汚染水流出「タンクに入れ過ぎた」
毎日新聞 2013年10月03日 13時21分(最終更新 10月03日 16時39分)

 東京電力福島第1原発の汚染水をためる貯蔵タンクから新たな漏れがあった問題で、東電は3日、推計約0.43トンが漏れたと発表した。一部は排水溝を通って港湾外の海に達したとしている。タンクを囲う高さ30センチのせき内にたまった水を、既にほぼ満杯状態だったタンクに移した結果、タンクの天板と側板の間からあふれたとしている。安倍晋三首相は「汚染水の影響は港湾内の0.3平方キロで完全にブロックされている」としているが、汚染水は港湾外に達した。【高橋隆輔、鳥井真平】

 東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は3日の記者会見で「タンク満杯のぎりぎりを狙いすぎた。貯蔵計画にミスがあった」と語った。

 せき内の水からは、ストロンチウム90などベータ線を放出する放射性物質が1リットル当たり20万ベクレル、タンク内の水は、セシウム除去装置などで一旦処理した汚染水で、ベータ線が同58万ベクレル、セシウム134が同24ベクレル、セシウム137が同45ベクレル検出された。汚染水が流れた排水溝からはベータ線が同1万5000ベクレル検出された。タンクから漏れた汚染水の放射性物質濃度と環境への影響は確認中。東電は原子炉等規制法に基づき、国に通報した。

 東電によると、汚染水漏れが発覚したのは「B南」エリアと呼ばれ、8月に300トンの汚染水漏れが見つかったのとは別のタンク群。海から約300メートル離れている。

2日は、せきから雨水があふれ出すのを防ぐため、ポンプで吸い上げ、タンク内に移す作業をしていた。タンクの水量は元々97〜98%まであったが、雨水を移送する緊急対策として98〜99%まで水を入れることにしていた。

 作業は午前中から正午過ぎまで約2時間行い、最大約25トンをタンクに移した。午後8時5分ごろ、作業員がタンクの最上部から水が漏れているのを発見した。水漏れはポンプを起動した約12時間前の午前8時35分ごろから始まったとみられるという。

 漏れた水の一部は、タンクの最上部から2.5メートル下に設置されている作業用の足場の雨水を抜く穴からせきの外側に落ち、さらに側溝から海につながる排水溝へ流れ込んだとみられる。

 漏れが見つかる前の水位は98.6%だったが、水位計を常時確認していたかは分からないという。2日午後2時半の目視確認は、タンク天板から水位を計測しただけだった。

 タンクは傾斜した地面上に設置されていた。東電はタンクの傾斜は基準の範囲内だったとしている。
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20131003k0000e040235000c2.html

東京新聞の報道によると、より情けないことが判明する。

汚染水漏れ 満水に気付かず注水

2013年10月3日 夕刊

 福島第一原発の雨水を移送していたタンクから高濃度の放射性ストロンチウムなどを含む処理水が漏れた問題で、東京電力は三日、四百三十リットルが堰(せき)外へ出て、一部が排水溝を通じて外洋に流出した可能性があると発表した。タンクが傾いていたため、低い所から漏れ出した。
 水漏れしたタンクは、八月に漏れが見つかったのとは別のタンク群にある。敷地東の海に向かって緩やかに傾斜した土地に五基連結し、傾いて建てられていた。タンク一基の大きさは直径九メートル、高さ八メートルの円筒状。
 最も高い位置にあるタンクより約五十センチ低い海側のタンクに雨水を入れていたが、水位計は一番高い陸側にあるだけ。水位計で98%になるまで雨水を入れる予定で作業し、海側のタンクが先に満水になったことに気づかなかった。東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は三日、「タンク運用が厳しく、ぎりぎりを狙いすぎてアウトになった」と話した。
 漏れた水の一部は、近くの排水溝から外洋などに流れたらしい。一リットル当たり五八万ベクレルのストロンチウムなどを含んでおり、外部への放出が許される濃度の約一万倍。ただ、ベータ線のため直接、触れなければ人体に大きな影響はない。東電は国に通報するとともに、排水溝に土のうを積むなどの対策を取った。
 二日は台風の影響で、処理水タンク周りの堰内の水位が上がり、雨水を移送した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013100302000240.html

この漏れたタンクは、傾斜地に五基連結して建設されており、その内の最も下部に海側に所在していた。しかし、それぞれのタンクには水位計が設置されておらず、最も上部の陸側のタンクにしか水位計が設置されていなかった。そのため、最も下部の海側にある当該タンクが満水になったことを承知できず、上部から汚染水が漏れることになったという。小学生の理科でもわかるようなことが、福島第一原発の現場では検討されなかったらしい。

この状態について、さすがに、菅義偉官房長官は対応策が十分ではなかったことを認めた。しかし、福島第一原発については「全体としてはコントロールできていると思っていると述べている。次のロイター発信の記事をみてほしい。

福島第1原発の新たな汚染水漏出、東電と連携し対策=官房長官
2013年 10月 3日 11:52 JST
[東京 3日 ロイター] – 菅義偉官房長官は3日午前の会見で、東京電力(9501.T: 株価, ニュース, レポート) 福島第1原子力発電所のタンクから新たな汚染水が漏出し、その一部が海に流出した可能性があることについて、東電の対応を確認するとともに、汚染水問題解決に向けてしっかり対策を講じていきたいと語った。

菅官房長官は、汚染水問題の抜本的な改革は政府が責任をもって対応し、個々の問題は東電が対応するとしたうえで、今回のような漏れもあってはならないことだと指摘。「実際に漏れているのだから対応策が十分だったとは思わない」と語った。そのうえで「政府と東電が連携し、一切こういうことがないよう、これからもしっかり取り組んでいきたい。最善の努力をしていく」とした。

安倍晋三首相が国際オリンピック委員会(IOC)総会などで汚染水問題はコントロールできていると発言したこととの関連については「全体としてはコントロールできていると思っている」と答えた。

(石田仁志)
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE99201R20131003

福島第一原発が「コントロールされている」という状況ではないのは、首相官邸とIOC委員以外は周知の事実である。ただ、今回の問題は、福島第一原発建屋に流れ込んできている地下水などの問題とは、やや次元が異なる問題である。地下水については、まさに、自然の力をコントロールできないということである。しかし、今回の汚染水漏れについては、そもそも、タンクの状況を把握して作業していれば防げたことである。作業員も別に無用の被ばくは避けたいのであるから、タンクの状況を把握していれば、タンクが満水して汚染水が漏出するということはしなかったであろう。傾斜地にタンクを建設し、さらにそれぞれのタンクに水位計を設置しないということ自体が無茶苦茶な話であるが、そういう構造であるということすら東電首脳部は十分把握しておらず、それゆえに雨水でタンクを満水にして汚染水を漏出させたと推測できる。

ということは、東電首脳部は、福島第一原発の作業現場を十分コントロールできていないということを意味するだろう。これは、非常に重大なことである。そもそも、汚染水の貯蔵タンク自体が不備なものなのであるが、それが不備であることすら、東電首脳部は承知していないのである。単に、自然の地下水や、メルトダウンした原子炉だけでなく、貯蔵タンクの管理という人間の手で作業しうる範囲ですら、東電はコントロールできなくなっているのではなかろうかと思えるのである。

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