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Archive for 2012年2月

さて、前回、2012年2月21日の福島市の状況について伝えた。ここでは、そこでとりあげた除染情報プラザがどうなったかみておこう。

まず、除染情報プラザとはどういうところかみておこう。このプラザは、福島県と環境省が共同してたちあげたものである。そのサイトには、次のように示されている。

除染情報プラザは、放射性物質に汚染された地域の除染に際して、除染専門家の派遣や除染情報に関する発信を行う拠点です。
除染に関する専門家と必要とされる市町村やコミュニティなどのニーズに応じて専門家を派遣する体制を整えております。
http://www.env.go.jp/jishin/josen-plaza.html

これだけ読むと、除染専門家の斡旋や除染情報の広報をするところにみえるだろう。しかし、より限定した目標がある。よりサイトをみていこう。

放射性物質に汚染された地域の除染は、すでに市町村による先行的な取り組みによって実施されています。
このような除染活動を生活エリアに一刻も早く広めていくためには、除染活動のアドバイスを行う専門家や、除染活動を手伝うボランティアの参加が重要となります。
そこで、福島県と環境省が協同で、市町村などのコミュニティ向けに、除染の専門家やボランティアの方の紹介窓口となる「除染情報プラザ」を立ち上げました。
除染情報プラザでは、地域のニーズに応じて最適な専門家を選び、地域で行う除染説明会や除染活動の現場に派遣します。派遣された専門家は、効果的な除染の実施方法や作業する方の安全管理方法などについて、適切なアドバイスを行います。

いわば、除染ボランティアの斡旋所なのだ。環境省としては、除染活動の主体としてボランティアを中心としているといえる。

そして、「除染の専門家」というのもボランティアなのだ。サイトの次の部分をみてほしい。

「除染情報プラザ」では、放射性物質の除染に関する高い専門性や豊富な経験を持つ
学会や関連団体などの協力のもと、有志の専門家たちにボランティアとしてお集まりいただきました。
除染活動において、地域の特性に応じた除染の方法や作業する方の安全を確保するための
放射線被ばくの観点からのアドバイス等、ニーズに応じて専門家を紹介します。

ゆえに「除染の専門家」の支援といっても限られる。「モニタリングのアドバイス」、「放射線に関する講習」、「除染関連に関する講習」、「除染現場でのアドバイス」の四つに限定されている。つまり、除染の実務は無償のボランティアが行うのであり、「除染の専門家」もボランティアであって、その活動は講習・アドバイスに限定しているのである。

そして、除染情報プラザの全体については、このような図面がサイトに掲載されている。

除染情報プラザ

除染情報プラザ

Aの部分が「総合受付」になっている。

Bの部分は「展示スペース」とされ、「除染作業を行うにあたって必要な用具や装備を展示しています。また、除染の関連情報もパネルとして展示しています。」となっている。

そして、Cの部分は、「ミーティングスペース」とされ、「除染情報プラザご来場の皆さまのご休憩や待ち合いのスペースとして、また簡単なミーティングにもご利用いただけます。除染に関する映像をテレビでご利用いただくこともできます。」となっている。

Dの部分は「資料閲覧スペース」とされ、各市町村の除染の実施状況や関連する新聞記事などを除染に関する資料が閲覧できます。また、検索用パソコンで市町村や関係機関のホームページをご覧いただけます。さらに、除染に関するアドバイザーに相談できる相談カウンターも利用できます。」となっている。

Eの部分は「ミニ会議/セミナールーム」となっている。

2月21日の夕方みかけた時は、中はまったくがらんどうの状態であったと記憶している。そして、近くにある環境省の福島環境再生事務所の明かりは、夜中までこうこうと灯っていた。写真は19時30分頃のものだが、22時過ぎでも明かりは灯っていた。プラザ開所4日前なのに、何も内装されていないならば、環境省の役人でなくても残業するだろう。役人には残業代が出るが、つき合わされた民間の展示業者の労働者には残業代が出るのだろうか。やや心配である。

環境省福島環境再生事務所(2012年2月21日19時24分)

環境省福島環境再生事務所(2012年2月21日19時24分)

そして、開所を迎えた。それを伝えるTBSのテレビ画像をみてほしい。やや面倒だが、下記URLをクリックして移動すれば、画像をみることができる。

http://say-move.org/comeplay.php?comeid=357691

まあ、予想図通り、開所したようである。ただ、みていると、展示スペースには、鎌や植木鋏、さらにのこぎりなどが、ホームセンターよろしく展示されている。そのほか、あまり大きな機材などは展示されていない。このような、例えば、草刈りでも使うようなものが仰々しく展示されている。専門知識のないボランティアが使うのだから、当然といえば当然であるが。

赤城修司という人が、ツイッターで写真付きでこのようにつたえている。これも、下記URLをクリックしてみてほしい。

福島市。除染情報プラザ。室内。感想を添えずにつぶやこうと思っていたが、無理だ。「バカにされている」と感じるのは僕だけだろうか? http://pic.twitter.com/jj4kONI2

私がみたときは、環境省のお役人のお役所仕事だと思っていた。それはそうなのであるが、そればかりではない。福島県もかんでの話である。県立図書館のコピーリース代すらけちる福島県は、こんなことも共同して行っていたのだ。

そして、これは、単に無駄遣いというのではない。ある意味で、責任もなく経験もなく放射線防御の手段もない一般の市民を、無償で除染に動員させるという話なのだ。このことについては、以前、本ブログで、町内会を中心として行われる郡山市の除染活動を事例に、批判的に伝えたことがある。本来、除染は責任のある東電が行うべきもので、東電が実務ができないというならば、それ相応の対価を払い、放射線防護手段を適切に行っている専門業者に行わせ、その費用負担を東電に行わせるべきなのだ。

そもそも除染は、一般市民の健康に支障があることが予想されるから行うものである。それを一般市民に無償でさせ、放射線被曝を拡大させるということはどうなのだろうか。もちろん、専門業者の労働者でも望ましいわけではない。しかし、健康保険を含む適切な放射線防護手段と適切な賃金(この二つもかなり怪しいが)において、しかたなくしてもらうことが許容される程度のものだ。

国も県も、一般市民を動員しての除染活動を推進していた。その方針に基づき郡山市は一般市民に除染をさせた。このような除染活動を広げようとするのが、この「除染情報プラザ」の目的ということがいえる。「除染情報プラザ」自体が、「無駄遣い」というよりも、一般市民に対する、国や県の「暴力」といえるだろう。

ちなみに、2月21日付の『福島民報』によると、20日の福島市の放射線量は約0.8マイクロシーベルト(毎時)で、計画的避難区域である飯館村が約0.77、川俣町山木屋地区が約0.8前後であるのと比べると同等もしくはそれ以上の放射線量を示している。平常値は0.04とされているので、40倍となろう。「除染情報プラザ」のサイトによると、0.23マイクロシーベルト(毎時)で、一年間には1ミリシーベルトの被曝とされているので、その4倍弱ということになる。福島市の現況は、計画的避難区域なみなのである。ボランティアによる除染で、どれだけのことが可能なのだろうか。

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本日(2012年2月21日)、福島市に来た。福島県の公文書や歴史資料を所蔵している福島県歴史資料館が、東日本大震災に被災し、その修繕のため2月27日から秋まで長期閉館するというので、急遽原発関連の資料の所在確認をするための訪問である。

昨年は、相馬市・南相馬市に行ったり、仙台以北の宮城県の太平洋沿岸地域を訪れたりする際、福島市を通過したことはあった。しかし、福島市自体を訪れたことは、しばらくぶりのことだ。福島市が今、どうなっているのか、そのことも関心があった。

福島市には新幹線で9時前に着いた。そして、バスにて福島県歴史資料館に向かった。

歴史資料館は福島県文化センターに併設されている。福島県文化センターも、震災のため改築らしい。正面扉は閉鎖されていた。とりあえず開いている扉があったので入ってみたら、職員の方が歴史資料館に案内してくれた。歴史資料館に通ずる渡り廊下も震災で破壊されたとのことである。

福島県文化センター

福島県文化センター

そして、歴史資料館に入った。ところどころガラスなどが割れていた。

福島県歴史資料館

福島県歴史資料館

しかし、結果からいうと、歴史資料館での原発関連資料調査は空振りだった。公開されている公文書は明治・大正期までであり、原発関連資料などは公開されていないのである。といっても、このことは、インターネットでの事前調査で予想済みであった。

歴史資料館では、写真展「災害から歴史資料を守る」が開催されていた。キャビネットなどが倒壊した本資料館の被害状況や、各地での歴史資料保存活動が展示されていた。その中で、飯館村の歴史資料の保存活動がなされていることが目を引いた。なるほどと思った。

写真展「災害から歴史資料を守る」

写真展「災害から歴史資料を守る」

その後、出版されている行政資料などを求めて、バスで福島県立図書館にむかった。福島県立図書館は福島県立美術館に併設されている。煉瓦のような壁面でおおわれている奇麗な建物で、芝生に囲まれていた。しかし、美術館も、震災によって修繕を余儀なくされ、2月から閉館となった。また、芝生も、除染作業のため、ところどころはがされていた。

福島県立美術館と福島県立図書館(右が図書館)

福島県立美術館と福島県立図書館(右が図書館)

除染作業中の芝生

除染作業中の芝生

図書館自体もかなり壊れていた。かなり天井板などが落ちたらしい。写真は外側だが、内側もかなり破壊されているようだ。そのため、開架書庫やメインの閲覧室が立ち入り禁止となり、実際使っているところは、いわゆるエントランス・ロビー、児童室、そして、元来は会議室と思われる臨時閲覧室だけだった。そして、職員が手作業で書籍を出納していた。

修理中の福島県立図書館

修理中の福島県立図書館

コピー機も一台しかなく、それも性能が悪くて、しょっちゅうフリーズしている。しばらく閉鎖したため、コピーリース契約を解除したのだが、開館して再度コピー機をいれようとしたら、品薄で1台しか確保できなかったとのこと。いわゆる「復興」の遅れを、こんなことで体験することになった。「よくそれですみますね」と聞いたら、来館者も少ないので間に合うとのこと。文化どころではないという福島県庁の姿勢もわかるが…それでも、これでよいのかという気になった。

しかし、職員の方々は熱心に対応してくれた。かなり多くの資料の出納をお願いしたのだが、いやな顔一つせず、さらに、参考のために請求外の資料をもってきてくれた。その一つに『福島県における電源立地地域対策交付金に関する資料』(平成23年1月)というのがあった。これは、おもに平成21年度(2009年)の電源交付金の交付状況を調査したものであり、現況を知るには極めて重要な資料である。例えば、平成21年度の電源交付金総額は約144.8億円であり、その内、県事業分は約52.5億円である。それ以外は市町村に配分される。興味深いことに、分配された電源交付金額のトップ市町村はいわき市で、約21.5億円である。それに続くのが双葉町の19.5億円、大熊町の16.9億円、富岡町の11億円、楢葉町の9.6億円である。南相馬市などは1.4億円しかもらっていないのである。このことは、より分析してみたいと思う。

それ以外にも、特に1970年代の反原発運動の資料が図書館には多々あった。この時期は、日本科学者会議がさかんに運動を支援しており、その関係の資料が多かった。チェルノブイリ事故の際も、日本科学者会議の各地会員は、各地で原発反対運動を支援していた。それが、どうして、一面的な広瀬隆批判を行うようになっていくのか、あらためて疑問に思った。

17時頃、図書館を出て、福島駅前にもどった。福島駅東口の駅ビルにはめだって外傷はなく、人も多かった。何よりも、ここには、コピーがあった。県立図書館では一つしか確保できないのに、ここにはあるのだ。これはなぜなのだろうか。利益になりそうなことは、復興も早いということなのだろうか。ただ、これは福島県だけのことではないだろう。宮城県でもそんな印象をもった。

福島駅東口駅ビル

福島駅東口駅ビル

駅ビル内部のコピー機

駅ビル内部のコピー機

それ以外でも問題がないわけではない。中の飲食店で、「深刻化する風評被害に対する払拭対策」として、福島中央卸売市場で「市場パネル展」を開催するというビラをみた。

「市場パネル展」のビラ

「市場パネル展」のビラ

宿舎のあるホテルの前に、環境省の福島衛生環境再生事務所があった。官庁ではなく、普通のビルの七階にあるようだ。その近くに「除染情報プラザ」というものを開く予定のようである。一般的なビルの1階部分、全面ガラス張りのような施設があり、ポスターがはってあった。中にはなにもないようだったが、2月25日から開くとのことだ。

環境省福島環境再生事務所

環境省福島環境再生事務所

除染情報プラザ

除染情報プラザ

お役所のやることはわからない。まるで、原子力推進広報施設をもうけるように、除染広報施設をもうける。そのような広報で、何が役立つのか。そもそも広報できる除染情報を有しているのか。むしろ、除染を研究する施設をつくって、それを公開したほうがよいように思われる。

整備が行き届き、コピー機もある駅ビルと、もう1年もたつのに本格的な復旧とはいえず、コピー機も不十分な図書館などの文化施設が一方で存在する。他方で、放射能汚染による買い控えで苦労する商工業者と、除染を自己の広報システム拡充に使ってしまう環境省の役人たちがいる。「ちぐはぐ」という言葉が思い浮かぶのだ。

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今や、佐藤栄佐久前福島県知事が福島県知事に就任していた時期(1988〜2006年)において、政府の押し進める原子力推進政策に対抗的な姿勢をとったこと、そしてその後疑獄事件で失脚させられたことは、かなりの人びとが知っていることと思う。

佐藤栄佐久の回想録である『知事抹殺ーつくられた福島県汚職事件』(平凡社、2009年)、『福島原発の真実』(平凡社、2011年)によると、福島県知事時代の佐藤は、原発稼働自体に反対していたわけではなかった。政府の中央集権的な地方自治体への統制への反発を前提にとしつつ、事故を隠蔽してまで原発の安全性を主張する政府・東京電力への対処と、高速増殖炉もんじゅやプルサーマル計画に代表されるプルトニウム中心の核燃料サイクル計画の将来性への不信が、政府の押し進める原子力推進政策への対抗的な姿勢につながっていったということができる。

しかし、佐藤自身も、原発立地自治体における原発に依拠した地方振興のあり方には疑問をもっていた。『知事抹殺』の中で、佐藤は次のように語っている。

 

部品脱落事故を起こした福島第二原発3号機が、ようやく運転再開にこぎつけて一年も経たない一九九一(平成三)年九月二五日、福島第一原発の地元である双葉町議会が、原発増設要望を議決した。
 かりに原発を一基作って、一兆円ほどの規模になったとする。国や電力会社は、一%程度の地元への見返りを考えるという。それが二基ある双葉町は財政的に恵まれているはずで、なぜ、というのが率直な感想だった。
 「原発が本当に地域振興の役に立っているのだろうか」という問題意識から、原発に代わる浜通り地方の新たな地域振興策を考えていた矢先だった私は、ショックを受けた。
 「原発の後の地域振興は原発で」という要望が地元から出てきたということは、運転を始めて約二〇年、原発が根本的な地域振興のためになっていなかったことの証明だった。
 地元にとって、原子炉が増えるメリットは、建設中の経済効果と雇用が増えること、自由には使えないが、国から予算が下りてくることだ。しかし、三〇〜四〇年単位で考えると、また新しく原発を作らないとやっていけなくなるということなのか。これでは、麻薬中毒者が「もっとクスリをくれ」と言っているのと同じではないか。自治体の「自立」にはほど遠い。
(『知事抹殺』p53〜54)

佐藤は、自治体の自立という観点から、原発に半永久的に依存しつづけなくてはならないような状況は、「原発が根本的な地域振興のためになっていなかったことの証明だった」というのである。

なお、1991年の双葉町議会において原発増設要請決議がなされた時の双葉町長は、このブログで何回もとりあげた、岩本忠夫である。県議であった時の岩本は、原発反対派として、原発建設を推進した木村守江と対峙した。皮肉なことに、ここでは、原発推進政策見直し(必ずしも反原発ではないが)を指向することになる福島県知事佐藤栄佐久に、岩本は原発推進の立場で対峙することになる。

佐藤は、結局、双葉町は財政危機から逃げ出せず、2008年には福島県内一財政状況の悪い自治体となり、町長は税金分以外無報酬になるしかないところまで追い込まれたとのべている。この無報酬で勤め得ざるをえなかった町長が、現町長の井戸川克隆である。

そして、佐藤は、このように指摘している

福島県でも、只見川流域の水力発電地帯が、発電の中心が火力、原子力と変化していく中で時代に取り残された過疎地域になり、医師がひとりもいなくなってしまった。その窮状を、全国知事会でときの小泉首相に訴えたこともあった。「ポスト原発は原発」しかないのか。二〇年後の双葉町は、浜通りは、どうなってしまうのだろうか。
(『知事抹殺』p55)

この言葉は、2009年の時点で書かれたものだ。もちろん、知事は退任し、疑獄事件の法廷闘争を行っている時期なのだが…。過去から見ても、2012年という2009年時点からすると未来からみても、意味深長なものに思える。

福島では、佐藤のいうように、奥只見電源開発が行われた。地域振興が目的であったが、結局、地域振興にはならなかった。1950〜1960年代の福島県議会会議録には、知事や議員たちの、ある意味では無念の思いが多く記されている。

原発についてはどうか。佐藤栄佐久知事に対峙することになる双葉町長岩本忠夫は、1971年7月8日、福島県議会で、議員として次のような発言をしている。

次に地域開発について質問いたします。
 山と水と森、それは、すべての生物を生存させる自然の条件であります。地域開発は、まさにこの偉大な自然の中で、これを活用し人間の生命と生活が保護されるという状態で進められてことが大切であります。いままで現実に進められてきた開発行政は、一般住民の生活基盤の整備が放置されたままに大企業の立地条件をすべてバラ色に装飾された図式のもとで、至るところ企業の誘致合戦が展開されてきたのであります。人間が生きていくことに望ましい環境をつくり、それを保持することが今日最大の必須条件でありますが、現実にこれが尊重されず、企業本位の開発進行がなされてきたところに、人間の命が軽視される公害発生となったのであります。このことを確認する上に立って、特に後進地帯といわれる双葉方部にスポットをあてながら、さまざまな分野でお尋ねをするわけであります。
(『福島県議会会議録』)

佐藤栄佐久は、ここで、彼個人の見地をこえた福島の「過去」からの声に依拠して発話しているといえよう。

他方、「『ポスト原発は原発』しかないのか。二〇年後の双葉町は、浜通りは、どうなってしまうのだろうか。」という言葉は、まるで、予言のように聞こえる。いや、事態はもっとひどい。「ポスト原発は原発」ですらない。20年もたたない約2年後、双葉町は、少なくとも中期的には人の住めない地になってしまった。

『知事抹殺』『福島原発の真実』には、佐藤栄佐久の政治家としての営為が詳しく叙述されている。それから学ばなくてはならないものもたくさんある。ただ、その前に、「過去」と「未来」の間にある佐藤栄佐久自身のありようをまずみてみなくてはならないと思う。それは、私たちのありようを考えることでもある。

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前回のブログでは、ディズニーが原子力プロパガンダ番組「わが友原子力」を制作したこと、そして、そのことが、アナハイムのディズニーランド遊園地にも影響を及ぼしたことを、主に有馬哲夫『原発・正力・CIA』(新潮新書 2008年)に依拠して述べてきた。

ここでは、同じく有馬前掲書によりながら、この「わが友原子力」が、日本でどのように受容されたか、そして、その結果としてどのようなことがおきたのかをみていこう。

このブログでは、読売新聞・日本テレビを傘下にもっていた正力松太郎が、CIAの慫慂により、1955年初めにアメリカの原子力平和利用使節団を招くなど、原子力推進キャンペーンに乗り出したことを述べた。このキャンペーンは、1955年に「保守合同」と「原子力推進」を二大公約として衆議院選挙に出馬した正力の選挙運動でもあった。

正力は、1955年11月より、CIAなどの援助により「原子力平和利用博覧会」を全国にわたって開催するなど、原子力の平和利用推進のキャンペーンに従事した。他方、正力自身は、1955年11月に国務大臣として入閣し、彼自身としては原子力担当大臣(1956年1月1日に原子力委員長に就任)として活躍した。その後も、正力は入閣するたびに科学技術庁長官など原子力を担当する部署を担った。総理大臣の地位をねらう正力にとって、原子力推進で実績をあげることは、その夢を実現する手段であった。そして、それは、正力の傘下にある読売新聞や日本テレビにとっても同じであった。

そんな中、ウオルト・ディズニーの実兄であるロイが日本テレビを訪問し、「わが友原子力」を「ぜひNTVで放送し、日本の人々にも原子力の実態を理解して欲しい」(有馬前掲書p206)と申し入れた。このことがいつか、有馬は明言していないが、1957年1月23日にアメリカで「わが友原子力」は放映され、1958年1月1日には日本テレビでも放映されているところから、1957年のことだったと思われる。有馬は、ロイ・ディズニーの申し入れについて、合衆国情報局、合衆国大使館、ゼネラル・ダイナミックス社(原潜ノーチラス号の製造会社)の支援を受けたものと推測している。

そして、1957年12月3日、日本テレビ本社で日本テレビとディズニーの間で「わが友原子力」の放映契約が締結された。12月31日には高松宮を招いて試写会を開いた。この試写会の様子を読売新聞が伝えており、翌1958年1月1日の放送と予告した。いわば、メディア・ミックスの企画だったのである。

有馬は、このように伝えている。

皇族も利用したこの宣伝の効果が大きかったためか、元旦という一年で最高の時間枠だったためか、『わが友原子力』の放映は大成功を収めた。…原子力委員長としての正力もこの成功を利用した。一九五八年に発行された科学技術庁原子力局の『原子力委員会月報』には原子力教育に役立った映画として『わが友原子力』が挙げられている。(有馬前掲書p218)

このように、日本テレビも正力松太郎もディズニー制作の「わが友原子力」の放映により利益を得たのである。

ただ、私としては、後日談のほうが興味深い。有馬は、次のように伝えている。

この大成功は連鎖反応を起こした。『わが友原子力』の放映契約は『ディズニーランド』の放映契約につながっていった。同年八月二九日、日本テレビは、金曜日の三菱アワーで、ディズニー・プロダクションズ製作(ABC放送)の『ディズニーランド』の放送を開始した。といっても隔週放送でプロレス中継と交互に放送された。これは戦後テレビの一時代を作り、長く記憶される番組枠になっていった。(有馬前掲書p218〜219)

「わが友原子力」が番組「ディズニーランド」の一コンテンツであったことは前述した。日本では、「わが友原子力」の放映が、番組「ディズニーランド」の放映につながったのである。

といっても、そのすべてが原子力推進プロパガンダ番組というわけではない。ウィキペディアの「ディズニーランド(テレビ番組)」の項から、日本テレビで放映された1958〜1959年の分をみておこう。アニメと啓蒙的ドキュメンタリーが多いと思われる。むしろ、遊園地なども含めてディズニーのコンテンツを紹介する番組であったといえよう。

1958年 [編集]
1. 8月29日:未来の国 「宇宙への挑戦」
2. 9月12日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」
3. 9月26日:冒険の国 「大自然に生きる」
4. 10月10日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」
5. 10月24日:冒険の国 「第一部 カメラの探検旅行 / 第二部 深山のおじか」
6. 11月7日:おとぎの国 「ただいま休憩中」
7. 11月14日:冒険の国 「南極の過去と現在」
8. 12月5日:おとぎの国 「プルートの一日」
9. 12月12日:冒険の国 「大自然に生きる」(第3回の再放送)
10. 12月19日:冒険の国 「大自然のファンタジー」
1959年 [編集]
11. 1月2日:未来の国 「大空への夢」
12. 1月16日:おとぎの国 「グーフィーの冒険物語」
13. 1月30日:冒険の国 「南極便り」
14. 2月13日:おとぎの国 「動画の歴史」
15. 2月27日:おとぎの国 「シリー・シンフォニー・アルバム」
16. 3月13日:冒険の国 「素晴らしい犬達」
17. 3月27日:冒険の国 「カメラのアフリカ探検とビーバーの谷」
18. 4月24日:冒険の国 「おっとせいの島」
19. 5月8日:おとぎの国 「ドナルド・ダックの一日」
20. 5月22日:未来の国 「宇宙への挑戦」(第1回の再放送)
21. 6月5日:おとぎの国 「グーフィーの出世物語」
22. 6月19日:未来の国 「大空への夢」(第11回の再放送)
23. 7月3日:おとぎの国 「魔法のすべて」
24. 7月17日:冒険の国 「カメラのアフリカ探検とビーバーの谷」
25. 7月31日:冒険の国 「ラプランドの旅とアラスカのエスキモー」
26. 8月14日:おとぎの国 「グーフィーの万能選手」(第2回の再放送)
27. 8月28日:未来の国 「月世界探検」
28. 9月11日:冒険の国 「カメラの探検旅行と深山のおじか」(第5回の再放送)
29. 9月25日:おとぎの国 「ドナルドのディズニーランド」
30. 10月9日:冒険の国 「大自然の神秘を訪ねて」
31. 10月23日:おとぎの国 「物語の誕生」
32. 11月6日:冒険の国 「南極便り(冷凍作戦)」
33. 11月20日:冒険の国 「サラブレッドあらし号(あるサラブレッドの生涯)」
34. 12月4日:おとぎの国 「ミッキーマウスの冒険」(第4回の再放送)
35. 12月18日:冒険の国 「冒険の国一周と水鳥の生活」

そして、正力は、東京ディズニーランドの創設にもかかわった。有馬はこのように指摘している。

 

ディズニーと読売グループとの関係はこの後も続く。一九六一年、京成電鉄の川崎千春は浦安沖の埋立地にディズニーランドを建設する構想を抱き、ディズニー・プロダクションズと交渉するためアメリカに渡った。『「夢の王国」の光と影ー東京ディズニーランドを創った男たち』によれば、このとき彼とディズニーの間の仲介の労をとったのは正力だったという。(p219)

ディズニー制作のアニメや映画をみたり、東京ディズニーランドで遊んでいたりした際、原子力のことなど普通考えない。しかし、起源まで遡及すると、原子力推進プロパガンダ番組「わが友原子力」の存在が大きいといえるのである。「原子力ムラ」「原子力文化」という際、信じられない範囲まで及んでいるのだ。

2011年12月31日、NHKは紅白歌合戦で、ディズニーの「星に願いを」を歌わせていた。そして、この曲は、前述したように、「わが友原子力」のオープニングでも使われていた。「わが友原子力」で「星に願いを」を聞き、もう一度紅白歌合戦を想起した際に感じた違和感、これをどう考えるべきなのだろうか。

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この映像は、1957年1月23日にアメリカABCテレビで放映された、ウオルト・ディズニー制作の「わが友原子力」(原題は、Our Friend the Atom)という原子力推進プロパガンダ番組である。友人の紹介で、You Tubeに投稿されていることを知った。日本語字幕付きのものも投稿されていたようだが、著作権の関係で差し止められたらしい。英語があまりできない私としては残念である。

この番組については、有馬哲夫『原発・正力・CIAー機密文書で読む昭和裏面史』(新潮選書、2008年)において取り上げられている。この有馬の記述に従って書かれたブログもいくつか散見できる。新知識というわけではないのだが、私も有馬の記述に従って、本ブログで内容を紹介しておきたい。

1953年のアメリカ大統領アイゼンハワーによる国連での演説「アトムズ・フォー・ピース」以降、アメリカは全世界的に「原子力の平和利用」つまりは原子力発電所建設を推進した。その一つが、1954年から開始された日本の原子力開発であった。

もちろん、アメリカ政府は、アメリカ国内でも「原子力平和利用」を推進した。そして、アメリカの国内世論向けのPR活動も必要としていた。そのために起用されたのがウオルト・ディズニーであった。アメリカ政府の情報局次長であったウオッシュバーンは、アイゼンハワー大統領に1955年12月20日に宛てた書簡の中で、「アトムズ・フォー・ピース」のアニメーション制作について、海外でもっとも動員数をほこるディズニーと交渉を始めたことを報告している。そして、「わが友原子力」が制作された。ただし、上記の映像をみればわかるように、全部がアニメーションではなく、実写とアニメーションを交えたものであった。スポンサーはアメリカ海軍と世界最初の原子力潜水艦ノーチラス号(1954年進水)を建設したジェネラル・ダイナミックス社であった。なお、有馬は「映画」といっているが、この映像は、冒頭で述べたようにABCテレビの番組であった。ABCでは、1954年からディズニー制作の「ディズニーランド」という番組を放映していた。「わが友原子力」はそのコンテンツの一つである。

テレビ番組「ディズニーランド」について、ウィキペディアにより概略を説明しておこう。

世界初のディズニーパークであるディズニーランドの事業資金を確保し、またウォルト・ディズニー自身が構想する魔法の王国を広く知らせる目的で企画された紀行番組であった。初期はウォルト自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国のうちから、ティンカー・ベルが妖精の粉を振りかけた一つの国をとりあげ、それに関連した内容を紹介するものであった。

実際、冒頭の部分はそうである。「星に願い」が流れる中、ティンカー・ベルが登場し、4つの国を紹介し、その後で「わが友原子力」のタイトルが流されている。

ここからは、有馬の記述から「わが友原子力」の内容を紹介しておこう。有馬は、冒頭について、このように述べている。

 

 

映画では、冒頭の場面のあとにディズニーの大ヒット映画『海底二万哩』からとった映像が続いていく。この映画に登場する潜水艦もノーチラス号というが、これは偶然ではなく、ジェネラル・ダイナミックス社がこの映画の原作になったジュール・ベルヌの同名の小説にでてくる無敵の潜水艦にちなんで名づけたのだ。(有馬前掲書p145)

続いて、ディズニー自身が登場し、映画『海底二万哩』の潜水艦ノーチラス号の模型と、原子力潜水艦ノーチラス号の模型を比較してみせる。あまり私は英語をききとれないのであるが、ディズニーは、ディズニーランド(遊園地)の「未来の国」のプログラムとして潜水艦を取り上げることを予定していたようで、デザイナーにアトラクションのデザインを何枚か提示させている。

そして、次に、原子力を専攻している科学者ハインツ・ハーバー博士が登場し、以後、原子力について解説していく。有馬はその内容を次のようにまとめている。

このなかでホストを務めるウオルトは(なお、実際に解説しているのはハーバー博士であるー引用者注)、原子力をアラジンの魔法のランプの精になぞらえ(なお、この精は千一夜物語に出てくるものであるが、アラジンの魔法のランプの精ではないー引用者注)、その力を発見した古代ギリシア人、キュリー夫人、アインシュタインなどを紹介しながら、それがどんな力を秘めているかをわかりやすく解説していく。そして、核兵器のほかに、潜水艦、飛行機、発電所の動力、また放射線治療や農作物の成長促進などにも使われている例をあげていく。最後に、この力は賢明に用いれば人類に幸福をもたらすが、使い方を誤れば破滅をもたらすと結んでいる。(有馬前掲書p144)

有馬は、別の箇所で、「わが友原子力」の結びの言葉をより正確に紹介している。

使用目的によっては、原爆ー死の灰という恐るべき原子力も、平和利用の開発により原子力の三つの願いである力と有益な放射能と生産力を人類にもたらす我々のすばらしき友人である。(有馬前掲書p207)

全体的には、この結びの言葉を、千一夜物語の一つのエピソードから説明している。この物語のなかには、漁師が海中から封印された壷を引き上げ、蓋をあけたところ、なかに封じられた巨大な霊が出現し、漁師を殺すと宣言したが、漁師が機転をきかして、霊が小さい壷に入るところをみたいといって、霊がそれに応じ、漁師が蓋を閉めてしまうことで、霊を従わせるというエピソードがある。ディズニーは、このエピソードをアニメーションにして、「小さい壷」=物質、「巨大な霊」=解放されたエネルギーという隠喩で、原子力のエネルギーを説明していく。ディズニーは、「巨大な霊」を、原爆のキノコ雲に重ね合わせて映像化している。原子力の脅威的な側面は人を殺すそうとしている霊として表現し、有益な側面は人に従順になった霊として表現している。

プロパガンダには違いないのであるが、非常によくできているといえる。

そして、このプロパガンダは、アナハイムのディズニーランド遊園地自体にも影響を及ぼした。有馬によると、1959年にディズニーランドの「未来の国」に登場したアトラクション「潜水艦の旅」は、ディズニー自身が「原子力潜水艦隊」と表現するようなものであった。このスポンサーもアメリカ海軍とジェネラル・ダイナミックス社である。そして、潜水艦も原潜ノーチラス号と同じく船体は灰色と赤で塗られていたのである。特に、潜水艦の名前が傑作で「ノーチラス、トライトン、シーウルフ、スケート、スキップジャック、ジョージ・ワシントン、パトリック・ヘンリー、イーサン・アレンと実際の原潜と同じものになっていた。」(有馬前掲書p234)だったのである。

そして、有馬は、このように述べている。

 

このアトラクションは来園者が知らず知らずのうちにジェネラル・ダイナミックス社と海軍に対して良好なイメージを抱くように意図して作られていたといたとも言えるだろう。「潜水艦の旅」は『わが友原子力』など科学映画の一部や『ディズニーランド』などのテレビ番組の一部と同じく冷戦プロパガンダのメディアでもあったのだ。(有馬前掲書p234)

これについては有馬のいう通りであろう。ディズニーランドの潜水艦が非軍事用(深海調査船用)の黄色い塗装に塗り替えられたのは、冷戦最末期の1987年である。そして、1998年に「潜水艦の旅」は廃止された。そして、2007年には、映画「ファインディング・ニモ」にちなんだ形でリニューアルオープンした。

そして、この「わが友原子力」は、1958年に日本テレビから放映され、日本でもプロパガンダの役割をはたしたのである。そのことについては、別に論じてみたい。

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以前、本ブログで、チェルノブイリ事故(1986年)に直面した共産党の人びとが、政府の進める原発建設政策に個別の問題では反対しつつ、原発自体は認める姿勢をもっていたこと、そして、反原発の立場をとっていた日本社会党系の原水禁の人びとの対抗から、原発批判を強めていた広瀬隆に批判的になっていったことを述べた。

日本共産党の影響力の強かった科学者の団体である日本科学者会議も、共産党同様微妙な位置にあった。日本科学者会議の会員たちの一部は、日本各地の反原発運動を担っており、その機関誌である『日本の科学者』には、反原発運動への参加が語られている。他方で、日本科学者会議もまた、広瀬隆批判を行うようになった。

1988年5月22日、日本科学者会議は、東京の学士会分館で、「原子力をめぐる最近の諸問題」というシンポジウムを開催した。このシンポジウムでは、①広瀬隆『危険な話』は危険な本、②「非核」と「反原発」の違いは……、③新日米原子力協定をめぐる諸問題という三つがテーマとなった。①については、原沢進(立教大学)と野口邦和(日本大学)が報告した。このシンポジウムで、原沢は、広瀬隆の『東京に原発を』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』などを分析し、「きわめて恣意的な引用などに基づく推定や結論でちりばめられており、科学的な検討に値するものは一つもない」(「科学者つうしん」、『日本の科学者』第23号第8号、1988年8月、p57)と結論づけた。また、野口は、「原発推進者を事実上免罪する『危険な話』の危険な結論、自然科学的な間違い、広瀬隆氏の用いている手法の矛盾点などを詳細に分析し、きわめてデタラメかつ危険な書物であると指摘」(同上)した。

このシンポジウムの野口報告は、『文化評論』1988年7月号(新日本出版社)に「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」と題されて掲載された。『文化評論』の本号には、本ブログで前述した、共産党の人びとによる「座談会・自民党政府の原発政策批判」もまた掲載されている。この座談会とあいまって、野口のこの報告は、共産党系の人びとによる広瀬隆への批判的な姿勢を強く印象づけるものとなったといえよう。

他方、野口の報告は、反共産党系な論調をもつ『文藝春秋』1988年8月号にも「デタラメだらけの広瀬隆『危険な話』」と題して掲載されている。『文化評論』掲載ヴァージョンと『文藝春秋』ヴァージョンは全く同じものではない。多くの文章が使い回されているが、構成は異なる。『文藝春秋』ヴァージョンのほうは、省略された部分が多い。そして、どの部分が省略されたのかということが問題なのだが、それは後述しよう。

ここでは『文化評論』ヴァージョン(文化評論版と略述する)をまずみていこう。ここで、野口邦和が日本大学の助手であったこと、専門が放射化学であったことがわかる。つまりは、専門家なのである。野口は、広瀬隆の「真の問題は、愚かな原子力関係者にあるのではなく、その先兵をつとめるジャーナリズムと知識人にあるのです」(広瀬隆『危険な話』p284)と述べているところをひいて、「つまり、ここには無謀な原発の大規模開発計画を推進する原発推進者を事実上免罪し、国民の批判の目をジャーナリズムと知識人に集中させることに躍起になっている広瀬隆氏の姿が見えるのではないか。これを危険と呼ばないで何と呼ぼうか」(文化評論版p115)と批判している。たぶん、広瀬の真意とかみ合っていないのであるが、それはそれとしておくとして、野口の広瀬に対する批判の眼目は、たぶんに「ジャーナリズムと知識人」を広瀬が攻撃していることにあるといえる。

ある意味で、野口が、共産党の人びとと同じ立場にたっていたといえる。野口は、自分自身の原発に対する姿勢について、原子力の平和利用に反対しないが、現状の原発の安全性には問題があるので、原発増設はやめるべきであり、既存の原発の運転も最低限にすべきと思っていると述べている。大きくいえば、「座談会・自民党政府の原発政策批判」で表明された、共産党の原発政策の枠内にあるといえる。そして、また、「多くの人が反核運動に情熱を燃やし、しかもこの人たちは大部分が原子力発電を放任している」(『危険な話』p137)という部分を引用して、「私の周囲にいる決して多くはないが、『反核運動に情熱を燃やし』ている人々は、『大部分が原子力発電を放任してい』ない。核兵器の廃絶と原発反対の課題とを対立させることはなく、非常に熱心に活動している」(文化評論版p138)と述べ、広瀬の先の主張は全然間違っていると断言した。この論理も、先の「座談会・自民党政府の原発政策批判」に出てきたものである。

しかし、野口の批判は、共産党の人びとの「座談会・自民党政府の原発政策批判」における批判よりも過激なものになっている。座談会では、広瀬への名指しの批判はさけている。また「座談会」での広瀬らへの批判の中心は、核兵器廃絶よりも原発撤廃を優先させているようにみえることにあり、広瀬の主張の妥当性については、端々で批判的な言辞がちらつくものの、正面から批判していたわけではない。野口の批判は、広瀬隆の主張を「ウソ」と判定することが中心であり、ある意味では政策的な違いに還元できる共産党の人びとの批判より辛辣なものであるといえる。

『文化評論』に掲載された野口の論考は、最初から最後まで、広瀬隆の『危険な話』の各部分を「ウソ」と断じることから成り立っている。正直いって、よくあきもせず批判できるものだなと思う。その中で、特に、重要なことは、チェルノブイリ事故後に出されたソ連の事故報告書を信頼して、チェルノブイリ事故を語ることができるかどうかということである。広瀬は、徹頭徹尾、ソ連の報告書は全世界的に原発を推進しているIAEAによって書かされたものであり、それに依拠して事故を論じることこそIAEAの思うつぼであるとして、断片的に伝えられた新聞報道から、事故の実態を推測するという手法をとっている。しかし、野口は、その問いには答えようとせず、「私が『ソ連の報告書』によって基づいてお教えしよう」(文化評論版p121)と、ソ連の報告書に全面的に依拠して広瀬に反駁している。あまつさえ、「もう少し『ソ連の報告書』をちゃんと読みなさい、広瀬さん」(同上p122)と説教までするのだ。

本ブログで、広瀬隆について述べたが、その際「科学史家の吉岡斉は『新版 原子力の社会史』(2011年)の中で、広瀬の指摘を先見の明のあふれるものとし、現在まで基本的に反証されていないものとしている。」と指摘した。吉岡は、さらに、野口邦和の批判について、次のように述べている。

そこには広瀬の文章のなかに少なからず含まれる単純化のための不正確な記述に対する執拗な攻撃がくり返されている。しかし野口の最も基本的な主張は、ソ連報告書をフィクションと断定する広瀬の主張は、広瀬自身がソ連報告書を反証するだけの解析結果を示さない限り、説得力がないという主張であった。つまり野口は事実上、ソ連報告書の内容の全面的な擁護をおこなったのである。ソ連政府による事故情報独占体制のもとで、広瀬がソ連政府の公式見解を反証する解析結果を示すことが不可能であることを承知のうえで、野口はソ連政府を全面的に擁護したのである。(『新版 原子力の社会史』p227〜228)

吉岡の主張は、野口への批判として、極めて要を得たものといえる。今の時点で付け加えさせてもらえば、今回の福島第一原発事故に関して、いかに政府の「公式見解」は、事態の隠蔽に奔走するものであることが了解できた。その意味で、吉岡の発言はより重く感じさせられたのである。

野口の批判は多岐にわたるが、ここでは、放射性ヨウ素と甲状腺障害との因果関係についての広瀬の文章を、野口が批判している部分をここではみておこう。野口は「 」において広瀬の文章を引用した上で、その何倍にもわたる量の批判を書いている。

③「㋐南太平洋のビキニ海域で核実験がおこなわれ、その一帯に住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている。㋑この住民を追跡してきた写真家の豊崎博光さんと先日会って話を聞いたのですが、この人たちがヨード剤を飲んでいたというのです。㋒危険な(放射性)ヨウ素を体内に取りこむ前に、ヨード剤を飲んで体のなかをヨウ素で一杯にしておけば、危険なものは入りこみにくい、という原理ですね。㋓ところが、それが効かなかった。㋔つまりチェルノブイリやヨーロッパの子どもたちには、間違いなく甲状腺のガンがすさまじい勢いで発生す(ママ)。㋕もうすでに、兆候は出はじめているでしょう」(六〇~六一頁、㋐~㋕に記号と括弧内の挿入は私)
先ず、㋐の文章であるが、ウソである。甲状腺被曝により発生し得る疾病は甲状腺ガンおよび甲状腺結節である。一九七七年国連科学委員会報告書『放射線の線源と影響』(アイ・エス・ユー社)によると、被曝したマーシャル諸島の住民(ビキニ海域一帯の島の住民のこと)二百四十三人のうち七人から甲状腺ガンが発生している。甲状腺結節のデータはここには掲載されていないが、この数倍はあると思う。つまり大雑把に見積って、合計すると二百四十三人中三十~四十人から甲状腺ガンまたは甲状腺結節が発生していることになる。被曝したマーシャル諸島の住民の何と八分の一~六分の一が甲状腺ガンまたは甲状腺結節を患っているのである。これだけでも実は大変な状況なのである。しかし、一九七七年以降の甲状腺ガンまたは甲状腺結節の発生数について私は知らないが、それらを加えても「住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている」と言えないことは確かである。広瀬隆さん、それなのになぜあなたは「住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている」などと、すぐに分かるウソをつくのか。あなたのようなウソなど全然つかなくとも、被曝したマーシャル諸島の住民が大変深刻な状況にあることは容易に想像できることなのである。すぐに分かるウソではなく、被曝したマーシャル諸島の住民の状況をあるがままに伝えることのほうがずっとずっと大切なことであると思う。
(中略)
 ㋔の文章、「つまりチェルノブイリやヨーロッパの子どもたちには、間違いなく甲状腺のガンがすさまじい勢いで発生する」中の「甲状腺ガンがすさまじい勢いで発生する」は、文学的表現であろうか。文学的表現であるならば、私としてはノーコメントである。何も言うことはない。しかし「稀にみる真実」であると主張するのであれば、このように情緒的な表現だけを用いるのは間違いの元で、避けるべきであると思う。チェルノブイリやヨーロッパの子どもたちの甲状腺の推定被曝線量はどのくらいか、将来発生し得る甲状腺ガン患者数(または死亡者数)はどの程度かを明記すべきである。さらに、自然発生甲状腺ガンの発生者数(または死亡者数)が分かるのであれば、それも付け加えるとなお一層よい。その上で、「甲状腺ガンがすさまじい勢いで発生する」と言いたければ、そう言えばよいと思う。私は常にそうするようにしている。
 ㋕の「もうすでに、兆候が出はじめているでしょう」も間違いである。ロザリー・バーテル女史の「放射能毒性事典」(技術と人間社)によると、甲状腺ガンおよび甲状腺結節の潜伏期はともに十年である。ただしバーテル女史によると、良性の腫瘍の場合には十年の潜伏期を経ずに発生することもあり得るという。いずれにしても、『危険な話』の第一刷が発行されたのはチェルノブイリ原発事故から一年しか経過していない一九八七年四月のことであり、それ以前から広瀬さんは「(甲状腺ガン)の兆候は出はじめている」(括弧内の挿入は私)とあっちこっちで講演して回っているわけだから、完全なウソ、作り話である。なお、先程の㋐のところに触れたことに関係するが、甲状腺結節は甲状腺ガンより三倍発生率が高いとバーテル女史は評価していることを、参考までに指摘しておく(文化評論』版、p142~144)

最初のほうは、大気中核実験が行われたマーシャル諸島の住民における甲状腺障害の問題である。広瀬はビキニ海域の住民に限定して「住民のほとんどが甲状腺障害をもっている」と語り、野口はより広範囲のマーシャル諸島全体を対象にした報告書から引用している。まずは、たぶん両者は同一のデータからみていないのではないかと推測される。その上、野口も、マーシャル諸島全体の統計でも甲状腺障害が平常よりかなり多いことは認めている。確かに、広瀬が「住民のほとんどに甲状腺障害がある」と主張しているのは誇張といえるかもしれない。ただ、広瀬としては、たぶんに核実験の死の灰による影響をアピールするためのレトリックだったとも思える。核実験の死の灰に起因する甲状腺障害の深刻さは決して「ウソ」とはいえないのだ。野口の批判では、広瀬の主張全体が「ウソ」となる。そして、それは、核実験の死の灰におけるマーシャル諸島の住民の苦しみを見過ごしていくことにつながってしまいかねないのだ。

後段のほうは、チェルノブイリ事故後、ヨーロッパやソ連で甲状腺ガンが子どもたちの間で多く発生するだろうと広瀬が予測している部分についてである。野口は、そのような推定データを広瀬はつけていないし、甲状腺ガンが発生するのは時間がかかるから、広瀬がそのように主張していることは「ウソ」であると断じている。

確かに、広瀬の主張に根拠があるのかといえば、形式的には野口のいう通りともいえる。しかし、現在、私たちは、チェルノブイリ事故後、実際にチェルノブイリ周辺の子どもたちに甲状腺ガンが発生したことを知っている。その意味では、専門家である野口よりも、野口によれば科学的とはいえない広瀬のほうが現実の事態を予見していたともいえる。いずれにしても「ウソ」とはいえないであろう。そして、このことを主張する広瀬を「ウソツキ」と断ずる以前に、とりあえず広瀬の主張を「仮説」としてとらえ、その真偽を自ら実証してみるべきではなかったかと思えるのである。

野口の批判は、これ以外も枚挙の暇がないほど続くのであるが、このあたりでやめておく。野口の広瀬隆批判は、確かに共産党の人びとの広瀬批判に触発されたものであろうと思えるのだが、実は、それとは別個の問題が提起されていると思う。野口の批判は、広瀬隆のジャーナリズムと知識人批判に対して、広瀬の主張総体を「ウソ」と断ずることによってなされる、「学知」の側からの反撃ともいえるのである。『文藝春秋』に掲載された版では、共産党や原水協などの原発政策に関わる部分は削除されているのだが、全体の印象は文化評論版とそれほど変わらない。そのことは、この野口の広瀬批判の眼目が「学知」の側からの反撃というところにあったからだと思われる。

この野口の広瀬批判をどうとらえるか。重要な問題なので、項をあらためて検討することにしたい。

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本日(2011年2月5日)、TBSの「サンデーモーニング」を視聴していたら、埼玉県加須市で国会の原発事故調査委員会が1月30日に開かれ、そこで双葉町長他、双葉町民が意見陳述したニュースをみた。「えっ」と思って朝日新聞を見直した。朝日新聞のネット配信記事は発見したが、紙面では発見できなかった。ネットで各マスコミのニュースをみたが、あまりにも断片的で、それぞれによって報道している内容がまちまちである。ここでは、やや長めに報道している河北新報のネット配信記事をあげておこう。

「保管30年」疑念 中間施設で国会事故調、双葉町聞き取り

 除染に伴う放射性物質などの中間貯蔵施設を福島県双葉郡に設置することについて、井戸川克隆双葉町長は30日、「なぜ(保管期間が)30年と言い切るのか。最終処分先も明記されていない」と指摘し、設置を計画している政府にあらためて強い疑念を表明した。福島第1原発事故調査を目的に、国会が埼玉県加須市で開いた調査委員会で参考人として語った。
 井戸川町長は「(法的に所有者がいないとも考えられる)無主物を引き受けたら、子孫の迷惑にならないか。持ってきた物を全部搬出するという約束や、東京電力の責任も明記すべきだ」と訴えた。
 3月末をめどに政府が予定している避難区域の見直し案では「一般人の年間被ばく線量限度は1ミリシーベルトだというのに、年間20ミリシーベルト以下は住めるという。双葉郡の住民を国民と思っていない線引きだ」と批判した。
 一方、原発建設に伴う財政支援に対し「確かにいろんなものを整備したが、先祖伝来の土地を全て失い、残ったのは借金だけ。トータルすると負の部分が多くなる」と原発推進を悔やんだ。
 さらに、賠償能力をめぐり「東電は大きいが、地方の電力会社は自前ではできない。立地地域の皆さんには、よく判断いただきたい」と語り、今後の原発増設計画などを疑問視した。
 政府の中間貯蔵施設立地要請に対し、双葉郡の8町村は町村長による意見交換を始めているが、政府の説明不足を指摘する声が強く、協議は進展していない。
 委員会は国会が国政調査権に基づいて設置した。黒川清委員長(東京大名誉教授)ら10人の委員全員が民間人。昨年12月に発足し、半年程度で結果をまとめる。

◎「原発は絶対安全妄信なぜ生まれた」/徹底的調査、町民が要求
 福島第1原発事故の原因などを究明する国会の事故調査委員会は30日、福島県双葉町の住民が多く避難している埼玉県加須市で、町民から意見を聞く初めてのタウンミーティングを開いた。
 町民からは「原発は絶対安全だという妄信がなぜ生まれたのか、徹底的に調べてほしい」などの声が上がった。
 井戸川克隆双葉町長から参考人として意見聴取した委員会の会合に合わせて開催。町民ら約70人が参加した。
 町民の男性は「絶対安全が何を根拠にしていたか分からない。徹底的に調べ、後世に残してほしい」と求めた。別の男性は「双葉は東京電力の企業城下町で、原発に否定的な意見は黙殺された。そういう点も検証してほしい」と発言した。
 「生命に関わるのに不十分だった」など、政府や東電の情報公開にも厳しい意見が相次いだ。また、「東電は復興について何の話もしてこない。謝罪もない」と東電の対応を非難する声もあった。
 委員会は、避難している他の町村住民からも順次意見を聞き、報告書に反映させる方針。

2012年01月31日火曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120131t61002.htm

しかし、この河北新報のニュースでも十分な報道とはいえない。TBSのニュースでは、井戸川町長が「双葉町は原発によっていろいろ恩恵があったのにと全国よりお叱りを受けた」と述べた後、「確かにいろんなものを整備したが、先祖伝来の土地を全て失い、残ったのは借金だけ。トータルすると負の部分が多くなる」(河北新報)と主張し、さらに「全国の原発立地自治体の人にもみてもらいたい」といっていた。真ん中の部分しか報道していないのだ。

他にも、双葉町長・双葉町民がいろいろと語っているのだが、あまりにも断片的報道であり、真意がみえない。双葉町長のいうように、原発立地自治体は、電源交付金などで恩恵を受けてきた面がある。しかし、福島第一原発事故を受けて、それではどうかということが問われている。原発の利益を享受していたのは、原発からの電力が供給されていた私たちも同じだ。それこそが焦眉の課題なのだと思う。それを十分報道しないマスコミのあり方はどうかと思う。

この調査会の議事録はいずれネット上で公開されるので、それから分析する必要があろう。それは、このことをどのように扱っているのかという点で、マスコミのあり方もまた検証されなくてはならない。

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