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Archive for the ‘日比谷線築地駅ー地下鉄サリン事件の記憶’ Category

築地駅入口

2010年10月16日撮影

築地駅の入口である。どこにでもありそうな風景だ。実際、築地にきても、全くここが地下鉄サリン事件の現場の一つであることは自分でもわからなかった。むしろ、初めてみた聖路加国際病院のほうに関心があり、この病院から築地駅はすぐ歩いていけると認識しただけだった。
聖路加国際病院のウィクペディアにおける記述を読み、この病院が地下鉄サリン事件被害者の救護にあたったことを知った。そして、築地駅に近接していることを想起した。そのことで築地駅が地下鉄サリン事件の現場であることを再認識した。
それから、また築地駅を再訪した。街路・駅をみていると、被害者が街路に転々と寝かされている光景が喚起されてきた。
そして、撮影した写真には歩道橋が写っている。この写真をみていると、そういえば街路に転々と寝かされている被害者を上から撮影したアングルが多かったことを想起した。そう、ようやく私にとっての地下鉄サリン事件の記憶がよみがえってきた。
かつて浅野内匠頭邸や築地居留地などが所在し、現在も浜離宮や築地市場が所在する築地には、あまり戦災を受けなかったこともあって、さまざまなものが保存・記念・慰霊され、記憶の場に満ちている。しかし、この地で地下鉄サリン事件の記憶を喚起することは容易ではない。記憶の場から排除された記憶ともいえるのか。

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聖路加国際病院(新館)

2010年10月16日撮影

この写真は、近くの明石町にある聖路加国際病院(新館)である。聖路加国際病院は、多くの地下鉄サリン事件被害者を救護した。聖路加国際病院は、当時の院長日野原重明の方針で、緊急時には全館野戦病院になるように設計されていた。この日野原の方針は、東京大空襲の記憶によるものとされている。このことをウィクペディアの本病院に対する記述で読み、築地と地下鉄サリン事件の関係を再認識した。

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築地駅地上の街路

2010年10月16日撮影

築地駅の地上にある街路である。ここに多くの被害者が寝かされていた。画面中央の歩道橋からとった写真・映像が多かったように記憶している。この地下鉄サリン事件では、死者13名、負傷者約6300名であったと言われている。ここ築地駅では小伝馬町の4名に次ぐ3名の死者が出た。この築地駅は、サリンをまかれた列車の最終停車駅であったため、多くの被害者が出た。

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日比谷線築地駅

2010年10月16日撮影

築地駅は東京の地下鉄駅としては小さい駅だ。ここは北千住からくる列車のホームである。日比谷線の実行犯である林泰男は、上野駅で乗車し、秋葉原駅でサリン袋を破り、逃走した。その後、列車は小伝馬町などで被害者を降ろしながら進み、この築地駅で最終的に停車した。まさに、このホームに入ってきたのである。

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