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Archive for 2014年9月

福島第一原発事故以後、停止されていた「次世代型原子炉」の研究開発が2015年度に再開させる方針を政府は固めたという。次の読売新聞のネット配信記事をみてほしい。

次世代型原子炉、研究開発を再開へ…政府
読売新聞 9月17日(水)7時32分配信

 政府は、次世代型原子炉として期待される高温ガス炉の試験研究炉(茨城県大洗町)の運転を2015年度に再開し、研究開発を本格化させる方針を固めた。

 東日本大震災を受けて停止中だが、早ければ10月にも原子力規制委員会に安全審査を申請する。産官学による協議会を年内に設置して研究開発の工程表を作成し、実用化に向けた取り組みを後押しする考えだ。

 高温ガス炉は軽水炉と違い、冷却に水ではなく、化学的に安定しているヘリウムガスを使う。このため、水素爆発などが起きず、安全性が高いとされる。

 日本は1990年代から、日本原子力研究所(現在の日本原子力研究開発機構)を中心に高温ガス炉の研究開発を行っており、世界有数の技術の蓄積がある。試験研究炉では98年、核分裂を連続して発生させる「臨界」に初めて成功した。ただ、震災を受けて2011年3月に運転を停止して以降、研究は進んでいない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00050009-yom-sci

「新世代型原子炉」研究開発を再開するというのである。この原子炉は、減速材・冷却材にともに軽水を使う軽水炉と異なり、減速材に黒鉛、冷却材にヘリウムを使い、そのヘリウムガスでタービンを回して発電させる「高温ガス炉」というものである。産經新聞のネット配信記事(8月25日配信)によると、次のように安全性が説明されている。

自然に停止

 ヘリウムガスを冷却材に使う高温ガス炉は、基本的な仕組みは既存の原発と同じだ。ウラン燃料の核分裂反応で生じた熱でタービンを動かし、電力を生み出す。だが過酷事故の発生リスクは極めて低いという。

 茨城県大洗町にある日本原子力研究開発機構の高温ガス炉の試験研究炉「HTTR」。ここで4年前、運転中に炉心冷却装置を停止する実験が行われた。福島第1原発事故と同じ状況だ。原子炉は、いったいどうなったか。

 「何も起こらず自然に停止した。何もしなくても安全だった」。同機構原子力水素・熱利用研究センターの国富一彦センター長はこう話す。

 炉心冷却を停止すると、通常の原発は温度上昇で危険な状態に陥る。しかし、HTTRは停止とほぼ同時に原子炉の出力がゼロになり、温度は一瞬上昇しただけで安定していた。放射能漏れや炉心溶融は、もちろん起きなかった。

炉心溶融せず

高温ガス炉の安全性が高いのは、燃料の保護方法、炉心の構造材や冷却方式が従来と全く異なるためだ。

 既存の原発では、運転時の炉心温度は約300度。燃料の被覆材や、燃料を収める炉心構造材は耐熱温度が千数百度の金属製で、冷却材には水を使う。福島第1原発事故は冷却手段が失われ、炉心は2千度前後の高温になり溶融して燃料が露出。溶けた金属と冷却水の水蒸気が反応して水素爆発を起こし、放射性物質の飛散に至った。

 これに対しHTTRの炉心温度は950度と高いが、球状(直径0・9ミリ)の燃料は耐熱温度1600度のセラミックスで覆われており、これを2500度の超高温に耐える黒鉛製の炉心構造材に収めている。冷却材のヘリウムガスは化学的に安定で燃焼しない。これが炉心の高い熱エネルギーを運ぶため、高温ガス炉と呼ばれる。

 冷却手段が失われても炉心は理論上、1600度を超えないため、燃料の被覆が熱で壊れて放射能が漏れることはない。黒鉛製の構造材も溶融しない上、放熱効果が高いため自然に熱が逃げて冷える。

 水を使わないため水素爆発や水蒸気爆発の懸念もない。核分裂反応も、冷却停止で炉心温度がわずかに上がると、ウランは分裂しない形で中性子を吸収するため自然に停止するそうだ(後略)。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/140825/scn14082511170004-n2.htm

水を使わないから、水素爆発も水蒸気爆発もないというのは本当であろう。また、炉心冷却装置が停止しても支障がないともされている。しかし、それだから、安全というわけにもいかない。減速材に使われている黒鉛は「炭素」であり、高温で酸素や水に接触すると燃えるのだ。一般財団法人 高度情報科学技術研究機構(RIST)が運営しているインターネットの原子力百科事典『ATOMICA』では、最終的に対応できるとするものの、黒鉛が燃焼する可能性を指摘している。チェルノブイリ原発は、黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉というもので、冷却材に軽水を使っており、その点では違うのだが、減速材に黒鉛を使うという点は同じである。チェルノブイリ事故では、この黒鉛が燃えたのである。

通常運転時および事故時の黒鉛構造物の酸化損傷 (06-01-04-03)
<概要>
 高温ガス炉は減速材として黒鉛材料を使用しているので、黒鉛が燃焼したり、燃焼で生じた水素または一酸化炭素の爆発等により、黒鉛が酸化損傷する可能性を含んでいる。この酸化損傷は、通常運転時では冷却材中に含まれる反応性ガスによって、また万一炉心内に水または空気が侵入する事故時では水蒸気と空気によって引き起こされる可能性がある。通常運転時では、冷却材中に含まれる反応性ガスの量はわずかであるので酸化損傷が問題になることはない。事故時においては、空気侵入事故が酸化損傷の観点から最も厳しいので、高温ガス炉においては想定される最も厳しい空気侵入事故条件下でも原子炉の安全性が損なわれないように設計されている。
<更新年月>
2006年01月   
<本文>
 高温ガス炉では高温のガスを得るため、耐熱性と耐腐食性に優れた黒鉛材料が炉内に使用されている。したがって、原子炉の通常運転時においても、万一炉心内に水または空気が侵入する事故時においても、水蒸気、酸素等のガスと高温の黒鉛との間に酸化反応が生じる可能性がある。黒鉛の酸化現象が生じれば、炉心(燃料)を保護している黒鉛構造物が腐食されてもろくなり、最悪の場合には、チェルノブイル炉事故時にみられたように、炉心崩壊に至る可能性を秘めている。さらに、この黒鉛の酸化反応で生じた水素及び一酸化炭素がある量を超えて存在する場合には、燃焼あるいは爆発する恐れがある。このようなことを防ぐため、高温ガス炉においては、この酸化損傷対策を十分考慮し、炉心崩壊に至る事なく、かつ爆発が生じないように設計している。
 一般に、黒鉛と酸素との反応は500 ℃ 程度から、水蒸気との反応は 700 ℃以上から有意になることが知られている。通常運転時では、一次系ヘリウム純化系が計画的に一次系冷却材中の不純物を除去しているので、一次冷却材中に存在する反応性ガスは微量である。したがって、黒鉛構造物の温度がこれらの温度以上であっても、黒鉛酸化損傷が有意になることはない。
 また、事故時においても、黒鉛酸化反応が有意になる温度以下に冷却されれば黒鉛構造物の酸化損傷の問題はなくなるので、事故初期時の高温状態からこれらの温度に冷却されるまでに反応した酸化量が問題となる。黒鉛と水蒸気の反応は吸熱反応であり、一方空気(酸素)との反応は発熱反応であるので、厳しいのは空気侵入事故である。この空気侵入事故では、一次系の圧力バンダリーが技術的には壊れそうもないが万一壊れた場合を想定して原子炉安全性を評価している。なお、大口径配管(ダクト)は、原子炉圧力容器並みの信頼性があるとして、燃料取り出し管などの小口径配管ギロチン破断のみ想定する設計例もある。
 さらに、この高温ガス炉では市販されている電池の電極用黒鉛に比べ高純度で耐食性に優れた黒鉛を使用している。この原子炉級黒鉛は炭とは別の材料であって、燃えにくいものである。なお、炭は以下に示すような理由により黒鉛に比べて燃えやすい。
(1) 炭は黒鉛に比べポーラス(炭のかさ密度は黒鉛の約半分程度)であるので、より多くの酸素が炭素と反応する。
(2) 黒鉛の結晶構造は規則的である。一方、炭の結晶は黒鉛に比べて乱れているため、酸素と反応しやすい。
(3) 炭には多くの不純物が存在するので、酸素と炭素との反応が促進される(不純物は触媒作用するとともに、炭に含まれる有機物等(H2 、CH4 等)がそれ自体で反応する)。
 上記(1)~(3)に示したように、黒鉛との反応に比べ、炭との反応は激しくまた発熱量も多い。また練炭のように下側から空気を吸い込み上側から吐き出すという煙突効果等が加わり十分酸素が供給され続ければ、燃焼範囲に入り燃え続ける。大口径配管ギロチン破断を想定している高温工学試験研究炉(HTTR)では、酸素の量も格納容器内で制限されており、また侵入してくるガスの流れも緩やかであるなどの理由により、黒鉛が燃え続けることはない。
 図1に、HTTRの減圧事故時において発生した一酸化炭素濃度と燃焼範囲との関係を示す。黒鉛の酸化反応で発生したこの可燃性ガスが、仮に黒鉛が格納容器内のすべての酸素と反応して一酸化炭素になったとしても、爆発の可能性のある可燃性ガス濃度にならない。したがって、旧ソ連で起きた大規模チェルノブイル炉(高温ガス炉とその炉の構造が異なっているが、減速材として黒鉛を使用している。)事故のような惨事に至ることはない。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=06-01-04-03

そして、核燃料廃棄物の問題は軽水炉と同様に残っている。使用済み核燃料を再処理したところで、核燃料廃棄物自体がなくなるわけではない。事故が起こりにくいとしても、運転時などの労働者の被曝問題も解決されないだろう。

さらに、冷却材に使うヘリウム自体が供給不足ということもある。2014年3月22日、日本経済新聞は次のような記事を配信した。

ヘリウムが世界的な供給不足に陥っている。超電導磁石や半導体製造などに使われるヘリウムは天然ガスから採取される貴重な資源。しかし、最大の供給元の米国でシェールガスの採掘が増加、製造プラントの老朽化と相まって供給悪化が近年続いている。アジアなどの新興国需要も追い打ちをかけ、このままでは枯渇するともいわれている。
(後略)
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO68601000Q4A320C1000000/

「次世代型原子炉」研究開発再開について、東京新聞は、9月19日のネット配信記事で、次のように批判している。

 

(前略)原子力への国民の不安が払拭(ふっしょく)されないまま実用化のめどが立たない研究に多額の税金を費やすのは一兆円以上をつぎ込んで頓挫している高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の二の舞いになりかねない。
(中略)
安倍政権は四月に閣議決定したエネルギー基本計画に、高温ガス炉の研究開発推進をもぐり込ませた。原子力機構はもんじゅの運営主体であり、自民党の河野太郎衆院議員は「もんじゅがだめだから高温ガス炉を突然入れてきた。予算確保が見え見えだ」と批判していた。
 九州大の吉岡斉(ひとし)教授(原子力政策)は「今やる理由が分からない。原子力機構は他に動かせそうなものがないから、研究機関としての稼働度を上げるために高温ガス炉に目を付けたのでは」と指摘した。
 政府は三〇年に高温ガス炉の実用化を目指しているが、成功しても「核のごみ」は発生する。最終処分場が見つかる見通しはなく、行き場のない核のごみは増え続ける。安倍政権は一二年の衆院選公約に脱原発依存を掲げ、原発依存度を下げると繰り返し表明しているが、逆行する動きとなる(後略)。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014091902000154.html

 ここで、河野太郎や吉岡斉は挫折している「もんじゅ」などの代替として「高温ガス炉」開発が浮上してきたと指摘している。大体、日本の核技術というものは、軽水炉のようなアメリカが開発した技術をもとにしたものは「実用化」できたが、「もんじゅ」のような「自主開発」したものは、ことごとく挫折して終っている。たぶん、同じことが繰り返されるのだろう。福島第一原発事故を克服するということこそ、今一番求められていると思うのだが。

「次世代型原子炉」を開発するということ自体が「旧世代」の発想なのだろう。「安全性」「核廃棄物」「被曝」と、原子力には克服困難な問題が山積しており、よしんば解決可能だとしても、そのためのコストは厖大である。ゆえに、原子力からの脱却こそが、「新しい道」なのだ。しかるに、「次世代型原子炉」を開発するという名目で、福島第一原発事故を抑止はおろか事後管理すらもできない「旧き」原子力開発体制に、いまだに資金・人員を大量に動員することが目論まれている。「次世代」をつくるという「進歩」を名目とした「保守」がそこにはあるのだ。

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福島第一原発事故は、どのように歴史的に語り得るのであろうか。その観点からみて、非常に興味深い実践が、茨城文化財・歴史資料救済・保全ネットワーク(略称:茨城史料ネット)で行われている。

この茨城史料ネットは、東日本大震災で被災した文化財・歴史資料を救済・保全するために、2011年7月に設立されたボランティア組織である。茨城史料ネットが出した『身近な文化財・歴史資料を救う、活かす、甦らせるー茨城史料ネットの活動紹介パンフレットー」(2014年5月23日発行、なお文引用や写真はここから行う)によると、茨城史料ネットは、ひたちなか市、筑西市、鹿嶋市、常陸大宮市、北茨城市、栃木県芳賀郡茂木町、常陸太田市、福島県いわき市で文化財・歴史資料の保全活動に携わった(なお、厳密にいえば、茂木町と常陸太田市での活動は直接には震災の被災資料を対象としていない)。

茨城史料ネットは、原発事故で警戒区域に指定された福島県浜通り地区の個人所蔵資料も保全活動の対象とするようになった。前述のパンフレットによると、三件実施しているということであるが、こここでは、双葉町の泉田家資料が紹介されている。泉田家は地震で家屋が半壊し、津波で床上浸水し、その後警戒区域に指定されたため、資料の管理ができなくなった。そこで、所蔵者の一時帰宅の際に資料を警戒区域外に運び出し、最終的には茨城大学に搬入された。

茨城史料ネットでは「地域コミュニティが崩壊し文化の担い手が地域から消失してしまった警戒区域では、泉田家のような個人所蔵資料の救出・保全し地域の歴史像を明らかにしていくことが今後の歴史・文化の継承の際に重要な意義を持つことになるでしょう」と前述のパンフレットで語っている。私もその通りだと思う。

福島県双葉町泉田家資料

福島県双葉町泉田家資料

さらに、茨城史料ネットでは、福島第一原発事故で埼玉県加須市の旧騎西高校に避難した双葉町役場と避難所の資料保全にも着手した。きっかけは、双葉町教育委員会の依頼をうけ、2012年に双葉町役場つくば連絡所で茨城史料ネットが生涯学習講座を開催したことだったという。2013年3月には、双葉町役場埼玉支所及び旧騎西高校避難所にある震災関係資料の保全を茨城史料ネットで行うことが決まったとされている。

保全された資料は、現在、筑波大学春日エリアに保管され、概要調査と資料整理の準備が進められているとのことである。資料の量は、資料保存箱で約170個に及んでいるという。

茨城史料ネットは、前述のパンフレットにおいて、次のように指摘している。

 

保全された資料は、避難生活の困難を物語る文書や資料、国の内外から双葉町へ寄せられた支援・慰問の品などです。この活動は今後も継続させ、東日本大震災による被災の記録・記憶を後世へ伝える一助にしたいと考えています。

双葉町役場・旧騎西高校避難所資料の保全

双葉町役場・旧騎西高校避難所資料の保全

災害時の避難所の資料が保全されるということは、稀有なことであろう。もちろん、一般的な災害ではなく、「全村避難」という過酷な状況で、役場自体も移さなければならないということが背景にあったといえる。

現在、日本社会全体にせよ、福島県にせよ、東日本大震災・福島第一原発事故を忘れさせようという志向が強まっている。3.11の衝撃をなかったものとして、なるべく以前のやり方を踏襲して社会を運営していこうというのである。原発は再稼働されるのかもしれないし、福島第一原発は「コントロール」されていると強弁して東京オリンピックは開催されるのかもしれない。しかし、東日本大震災にせよ福島第一原発にせよ、確かに被災し打撃を受けた地域社会は存在していたのだ。そして、そのことが明らかにするのが、茨城史料ネットなどが保全しようとしている資料なのである。このような営為は、他でも行われている。今後は、保全された資料の中で明らかになるであろう被災した地域社会のあり方をふまえて、社会全体が運営されていかねばならない。このような、資料を保全しようという人びとの思いも、歴史を動かす力の一つであると私は信ずる。

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さて、福島第一原発事故で全村避難した飯舘村は、「子育て世帯」限定の災害公営住宅「飯野団地」を福島市の南西部に位置する福島市飯野町に建設した。その竣工式が8月31日にあった。その景況を、まず、福島民報のネット配信記事でみてみよう。

飯舘村の災害公営住宅が完成 原発事故の避難者に初

 東京電力福島第一原発事故の影響で全村避難した飯舘村は31日、村営の災害公営住宅「飯野団地」の竣工(しゅんこう)式を福島市飯野町の現地で行った。原発事故の避難者を対象にした災害公営住宅が完成したのは初めて。1日から入居を開始する。
 村の担当職員と村民ら合わせて約40人が出席した。菅野典雄村長があいさつで「今後も前を向いて復興を進めたい」と意欲を語った。根本匠復興相(衆院本県2区)が「復興の加速化に努める」と祝辞を述べた。
 菅野村長と根本復興相らがテープカットした。菅野村長は家族4人と引っ越す佐藤隆一さん(39)に鍵を引き渡した。佐藤さんは村の仮設小中学校に通っている子ども3人を育てている。妻明美さん(38)と木造2階建ての新たな住宅を眺め、「借り上げ住宅より広そう。暮らすのが楽しみ」と期待していた。
 村は総事業費約9億3000万円を投じ、子育て世帯対象の災害公営住宅23戸を建築した。住民は収入に応じて1~8万円ほどの家賃を支払うが、東電が賠償する。7戸が空いており、村が入居希望者を募っている。

( 2014/09/01 09:11 カテゴリー:主要 )http://www.minpo.jp/news/detail/2014090117805

報道全体は、非常に「前を向いて復興を進めたい」という趣旨に見える。夫婦と子ども3人で入居する人などは「借り上げ住宅より広そう。暮らすのが楽しみ」といっている。家賃は「東電が賠償する」ことになっている。全額かどうかはわからないが、かなり有利な条件である。

それでも、23戸のうち、7戸が空いているのである。それは、なぜだろうか。福島民友は、6月14日に、次の記事をネット配信している。この記事の中で、飯舘村は、希望者が少ない原因を「引っ越しなどの環境変化による子どもたちのリスクや賠償問題、除染の先行きが不透明なことなどで悩んでいるのではないか」と述べている。

福島民友

入居希望は7割止まり 福島の飯舘村復興公営住宅

飯舘村が福島市飯野町に23戸を建設中の復興公営住宅に、入居を希望している村民は16世帯と約7割にとどまっていることが13日、分かった。復興公営住宅は8月に完成し、9月の入居開始を見込んでいる。

入居希望者の募集は5月末で締め切った。希望者が7割にとどまった理由について村は「引っ越しなどの環境変化による子どもたちのリスクや賠償問題、除染の先行きが不透明なことなどで悩んでいるのではないか」と分析している。

村は現在、仮設校舎を川俣町に小学校、福島市飯野町に中学校を設置。避難している子育て世代は、福島市の借り上げ住宅に住んでいる家族が多いことから、村は通学など利便の高い福島市飯野町に復興公営住宅の建設を計画した。

飯舘村が福島市飯野町に造る復興公営住宅は、原発避難住民が入居する最初のケースとなる見通し。県が建設する4890戸の復興公営住宅のうち、飯舘村民に限定した福島市の復興公営住宅でも募集定員を下回るケースが目立っている。

minyu_main

(2014年6月14日福島民友ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/news/0614/news10.html
(福島民友が上記記事のネット配信をやめたため、http://blog.livedoor.jp/home_make-toaru/archives/7726902.htmlより転載。

さて、この中で「除染」をあげていることに注目しておきたい。飯舘村が仮役場や仮中学を置いている福島市飯野地区は、3.11直後では、福島市内でも高線量地域のホットスポットとして知られていたのである。福島民報が2011年6月25日にネット配信した記事をみてみよう。

福島民報

「ホットスポット」点在 福島市一斉線量測定 3マイクロシーベルト以上15地点 住民、除染求める

 福島県福島市は24日、全市1118地点の一斉放射線量測定結果を発表した。渡利地区の市営住宅1号棟・2号棟間公園で毎時3.83マイクロシーベルトだったのをはじめ飯野地区などの計15カ所で、政府が避難の目安とする年間積算線量20ミリシーベルトに達する恐れのある毎時3.0マイクロシーベルト以上となった。市は高い線量の地点を立ち入り禁止とした。局地的に放射線量が高い「ホットスポット」が明らかになり、付近の住民は1日も早い除染を求めた。
 市の調査は17、20日に町内会から要望があった場所で実施。地上1メートルの測定結果は毎時3.0マイクロシーベルト以上が15地点、2.0マイクロシーベルト以上3.0マイクロシーベルト未満が167地点、1.0マイクロシーベルト以上2.0マイクロシーベルト未満が629地点、1.0マイクロシーベルト未満は307地点だった。
 県が学校、公園の放射線量の再調査基準にしている毎時3.4マイクロシーベルト以上を計測した6地点には住宅地も含まれる。渡利地区は平ケ森の市営住宅間の公園が毎時3.83マイクロシーベルトとなったほか、大豆塚のゴミ集積所が毎時3.56マイクロシーベルト、三本木のゴミ集積所が毎時3.52マイクロシーベルトを記録した。
 市内飯野町の飯野地区体育館脇の側溝上では市内で最も高い毎時6.65マイクロシーベルトを記録した。飯野地区体育館は敷地内の別の測定地点が毎時1.2マイクロシーベルトだったことから、市は側溝上で測定したため数字が上がったとしている。市は24日までに側溝の周囲を立ち入り禁止としている。
 市は6地点について数日間調査を継続し、文部科学省の暫定基準値である毎時3.8マイクロシーベルト以上が続く場合は県に詳細なモニタリング調査を要請する。今回の結果を分かりやすく市民に広報するため線量マップの作成も急ぐ。
 毎時3.0マイクロシーベルト以上の地点は渡利地区が6地点(調査60地点)だった。大波地区は2地点(同22地点)、小倉寺地区は2地点(同6地点)、飯野地区は2地点(同127地点)、腰浜町が1地点(同7地点)、南向台が1地点(同5地点)、山口が1地点(同15地点)で上回った。飯野地区の2地点は同一の場所だった。
 市は測定結果に基づき対応を急ぐ。結果が報告された24日の市災害対策本部会議では、高い線量を計測した地域から通学路の放射線量を下げるため除染計画を策定することを決めた。今後、高圧洗浄機を利用した除染に向け準備を進める。
 鴫原和彦市環境課長は「今回の数値は簡易放射線測定器を使っているため、一割ほど高い数値が出る傾向にある」としている。
 市は地上1メートルの市内全ての測定結果を24日からホームページに掲載している。町内会の回覧板でも広報する。各地点の地上50センチ、1センチの結果については30日にホームページに掲載する方針。

■「やっぱり高かった」渡利地区住民
 「やっぱり高かったのか」。福島市渡利字平ケ森の市営住宅に住む主婦菅野博江さん(44)は、毎時3.83マイクロシーベルトの放射線量が測定された団地内の公園を不安そうに見つめた。
 菅野さんは近隣の渡利小に通う4人の子どもがいる。原発事故直後から子どもに外遊びを禁止してきたが、ストレスが心配で、今回の調査対象となった市営住宅の団地の公園で2カ月程度の間、遊ばせていたことがあったという。「もう絶対に公園内に子どもを入らせない。学校のように表土除去をしてほしい」と切実に訴えた。
 「家にいるとつまんない。でも外で遊ぶのも心配」。長女の夏純さん(10)は思わずうつむいた。
 24日夜になって市は公園に立ち入り禁止のバリケードを設置した。渡利平ケ森町内会長の小松富士夫さん(75)は「避難を求められたとしても、住み慣れた土地を今更離れられない」と表情を暗くした。

■腰浜緑地など3以上3.4マイクロシーベルト未満
 市の調査で毎時3.0マイクロシーベルト以上3.4マイクロシーベルト未満が測定された場所は次の通り。
 腰浜緑地(腰浜町)渡利山際集会所(渡利字平ケ森)公務員アパート1号棟・2号棟間公園(同)公務員アパート2号棟前(同)前野グラウンド(小倉寺字前野)3号公園(南向台三丁目)字五本松地内市道(山口字五本松)水雲神社境内(大波字上屋敷)
(2011/06/25 10:59カテゴリー:福島第一原発事故)http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2011/06/post_1437.html

2011年の際、福島市渡利地区には毎時3.83μSvが記録される地点があり、その他にも年間積算線量で20mSvをこえる毎時3μSvをこえる地点が数か所所在し、全国的にも福島市におけるホットスポットとして知られるようになった。飯野地区では、渡利地区よりもはるかに高い毎時6.65μSvが記録され、その他にも毎時3μSvをこえる線量が記録されていたのである。あまり注目されてこなかったが、ここも福島市内におけるホットスポットであったといえるだろう。

2011年4月の航空機モニタリング測定による空間線量率マップでは、飯野地区を含む福島市南東部の放射線量は、ホットスポットは別にしても、毎時1−1.9μSvとされている。伊達市近傍やもちろん飯舘村本体ほどではないにせよ、線量は高かったのである。

80km圏内における線量測定マップ(2011年4月)

80km圏内における線量測定マップ(2011年4月)


http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/contents/4000/3710/24/1305820_20110506.pdf

現在のところ、原子力規制委員会の放射線モニタリング情報によると、福島市飯野支所(飯舘村仮役場がある)で毎時0.162μSv(2014年9月2日)となっている。福島市立飯野中学校で毎時0.261μSvと多少高いが、その他の小中学校などの公共機関はおおむね飯野支所程度の線量である。しかし、これは集中的に除染した結果とみるべきだろう。2013年11月の空間線量率マップでは、この地域の線量はおおむね毎時0.5-1.0μSvとされている。やっと半減したにすぎない。やはり、年間1mSvはこえざるをえないのである。山林などを面的に除染することは困難であり、相対的にはやはり高線量地域ということになるだろう。

80km圏内における空間線量率マップ(2013年11月)

80km圏内における空間線量率マップ(2013年11月)


http://radioactivity.nsr.go.jp/ja/contents/9000/8909/24/362_20140307.pdf

こうやってみると、飯舘村の災害公営団地「飯野町団地」が、好条件にもかかわらず、空き家が出る理由がおぼろげながらもわかるだろう。3.11直後はホットスポットであり、確かに公共機関などの除染は進められたものの、面的には除染は難しく、まだ線量は半減という状態であり、そういうところで、わざわざ「子育て」を希望する人びとはそれほど多くなかったということである。

国・福島県・飯舘村は、年間20mSvという基準で、避難住民の「帰還」を促進しようとしている。この公営住宅の建設は、そのさきがけであろう。わざわざ、根本復興相が出席しているのは、その目的のためと見られる。公営住宅に住むということは、単に個人の生活というだけではなく、「公的な責務」となっている。そこに、善意がないとはいえない。「郷里のため」という善意は、軽くみることはできない。「飯舘村復興のため」ならば、「子育て」中の家族からもどってほしいと思うのも自然である。

しかし、考えてみよう。日本は「お国のため」といって戦争を遂行し、浜通りの各町は「町の発展のため」として原発を受け入れた。その結果は、かくの通りである。一人一人の「生」を安全で充実したものになることが「〇〇のため」になるのではないか。飯舘村が「村の復興」をスローガンにした。そこには「善意」ももちろんあるだろう。しかし、それが村民一人一人の「生」を安全で充実なものにさせるとは限らない。飯舘村公営住宅に「入居」しない人びとがいるということは、そういう思惟が存在するようになったことを示しているように思われるのである。

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