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Archive for 2012年3月

科学史家であり、現在、政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」委員を勤めている吉岡斉が『新版 原子力の社会史』(2011年、朝日新聞出版)を出版した。吉岡は、本書旧版を1999年に出版している。新版と旧版との最大の違いは、新版においては、2011年の福島第一原発事故に至る過程まで執筆していることである。

ここで、吉岡が本書で提起している原子力開発利用の時代区分をみていこう。吉岡は、次のように原子力開発を時期区分している。

第Ⅰ期  戦時研究から禁止・休眠の時代(1939〜53)
第Ⅱ期  制度化と試行錯誤の時代(1954〜65)
第Ⅲ期 テイクオフと諸問題の噴出の時代(1966〜79)
第Ⅳ期 安定成長と民営化の時代(1980〜94)
第Ⅴ期  事故・事件の続発と開発利用低迷の時代(1995〜2010)
第Ⅵ期 原子力開発利用斜陽化の時代(2011〜)
(本書p29)

第Ⅰ期(1939〜53)は、いうまでもなく、戦時期から占領期にあたる。アメリカなどと同様に、日本においても戦時期には核兵器開発をめざして原子力開発が開始された。しかし、1945年の敗戦により、日本は占領され、原子力開発は基本的に禁止された。1952年に発効したサンフランシスコ講和条約は原子力開発を禁止していなかったが、科学界の大勢は慎重論が強く、しばらく原子力開発は休眠されていた。

第Ⅱ期(1954〜65)は、高度経済成長期の前半にあたる。1954年に改進党の中曽根康弘らによって原子力開発予算が提案され、可決された。このことは、原子力開発開始の契機となった。この時期には、一方で、原子力委員会、科学技術庁、日本原子力研究所、原子燃料公社(後に動力炉・核燃料開発事業団となる)などが設立された。他方で、電力業界ー通産省を中心とした原子力利用の推進体制が形作られた。吉岡は、日本の原子力開発利用体制を「二元体制的国策共同体」とよび、一方の極を高速増殖炉・核燃料再処理工場などを独自技術で開発する科学技術庁グループ、もう一方の極を、アメリカなどの技術導入により商業用原子炉建設などの原子力利用を推進する電力ー通産連合とし、その二つの極の関係で、日本の原子力開発利用体制を分析している。吉岡によると、第Ⅱ期において、このような二元体制が確立したとしている。最初の商業炉である東海第一原発は1960年に建設されたが、営業運転が開始されたのは1966年である。福島第一原発については、この時期の1960年に立地が決定され、1963年に用地買収が始まった。しかし、実際の着工は、次の第Ⅲ期である1967年であり、営業運転は1971年からである。この時期だけでいえば、いまだ実験的な段階にとどまっていたといえる。

第Ⅲ期(1965〜79)は、高度経済成長期の後半から石油ショック以後の景気後退期にあたる。この時期、電力・通産連合は、アメリカの軽水炉技術を導入し、さかんに商業炉建設を進めた。福島第一原発の立地や用地買収は第Ⅱ期から開始されているが、実際の建設や営業運転の開始はこの時期であり、この軽水炉技術の導入によるものである。現存する商業炉はこの時期以降のものであることにも注目されたい。福島第二原発や浪江・小高原発(建設予定)の立地計画も1969年である。この時期は、毎年2機のベースで商業炉は増設を続けられた。他方、科学技術庁グループも、動力炉・核燃料開発事業団を中心に、新型転換炉、高速増殖炉、核燃料再処理などの諸事業を本格的に推進するようになった。

しかし、第Ⅲ期は、さまざまな問題を抱えていた。各地で建設された原発は、故障・事故を続発し、設備利用率が低迷する一方で、反対運動を惹起し、新規立地は困難になっていた。1974年の電源交付金制度創設は、その状況に対処するものであったといえる。他方で、科学技術庁グループが開発していた核燃料サイクル事業は、核兵器拡散防止のためプルトニウムの国際管理を進めようとしていたアメリカとの外交的摩擦を招いた。また、科学技術庁グループの開発していた諸事業を商業的に実用化することについても壁にぶちあたっていた。

第Ⅳ期(1980〜94)は、1990年前後のバブル期を中心とする時代である。第Ⅲ期に噴出した諸問題をとりあえず克服して、原子力開発・利用は、安定成長を続けた。商業炉は毎年1.5基のベースで増設されていった。廃棄物処理なども着手された。科学技術庁グループの諸事業も高速増殖炉を除いて民営化され、電力ー通産連合によって、経済的採算がとれないまま、実用化が企画されるようになった。

しかし、この時期、欧米においては、スリーマイル島原発事故(1979)、チェルノブイリ原発事故(1986)などを契機として、原発建設が停滞状況にはいった時期であった。日本が推進していた高速増殖炉事業についても、欧米諸国は撤退するようになった。吉岡は、この時期を「国際的孤高」と表現している。

第Ⅴ期(1995〜2010)は、ポストバブル期といえる時期である。この時期には、もんじゅ事故(1995)、東海村再処理工場事故(1997)、東海村JCO臨界事故(1999)、美浜原発事故(2004)、柏崎刈谷原発地震被災(2007)など、原発関連の事故が相次ぎ、事故を隠蔽しようとする電力会社の姿勢もあいまって、世論の批判を招いた。原発建設はスローダウンし、設備利用率も落ち込んだ。そして、もんじゅ事故などの責任をとらされる形で科学技術庁が解体され、いわば、電力ー経産(通産省の後身)連合に一元化することになった。他方で、電力の自由化論が提起され、電力会社の独占が脅かされた。電力会社は、国策としての原子力推進を人質にとる形で、電力の自由化を克服しようとしたと吉岡はいう。そして、福島第一原発事故直前において、原発は地球温暖化に対応する経済的でクリーンなエネルギー源という宣伝がなされ、成長戦略として開発途上国などへの原発輸出が推進されようとしていた。

第Ⅵ期(2011〜)は、原子力開発利用の見直しの時期であると吉岡は述べている。福島第一原発事故の直接の影響で、十数基の原発は廃炉せざるをえず、原発開発に偏重したエネルギー対策は見直されざるをえないだろうとしている。特に核燃料サイクル事業の継続は困難になるであろうとしているのである。

この時代区分をみていてまず感じたのは、アメリカの資源・技術導入による軽水炉などの原子力利用と、自前で独自技術を確立しようとする原子力開発の矛盾である。前者が電力ー通産連合、後者が科学技術庁グループで表現されていると思う。戦後日本においては、アメリカへの従属と、日本の主体性の確立がせめぎ合いながらも、混在して存在している。1954年、そもそも、アメリカへの従属姿勢が強い吉田政権に反発し、本格的再軍備を主張した改進党の中曽根らのグループが、ある意味で、新たなアメリカへの従属を意味する原子力開発・利用を主張するということに、まずそのことが表明されていると思う。

さらに、当たり前だが、原子力開発・利用が強く推進された時期は、高度経済成長期・バブル期などの成長を指向した時期に重なっているということである。この時期は、経済成長ー電力需要増大ー新規原発建設というサイクルがまわっていたといえる。反対運動を硬軟ともにおさえこんで、原発建設が進められたといえる。

しかし、1995年以降のポストバブル期には、すでに原発建設は曲がり角であった。原発事故は続出するとともに、低成長により電力需要は伸び悩んだ。また、電力の自由化論が台頭し、原子力発電の優位性は脅かされていた。こうなってみると、福島第一原発事故は、ポストバブル期の原発建設にからんだ問題を今一度表現したものといえる。

以上、とりあえず、私見も多少交えながら、吉岡の時代区分を総体としてみてきた。自分自身としては、より細かく、原子力開発・利用の歴史的経過を今後みていきたい。

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ここで、1970年代に目を移しておこう。1970年代初めは、全国的に高度経済成長の負の面が露呈し、反公害闘争が闘われ、さらに都市部においては革新自治体が数多く成立する時代であった。高度経済成長最優先という姿勢からの脱却が求められた時代であったといえる。

そのような中、高度経済成長を支えた池田内閣、佐藤内閣で保守政治家として成長を続けてきたのが、田中角栄であった。田中は、自民党総裁選直前の1972年6月に出版した著書『日本列島改造論』において、成長のみを過去の政治家は追求してきたとしつつ、経済成長を前提におきながら、過密ー過疎の格差是正や福祉向上を提唱した。田中は『日本列島改造論』出版時には通産相であったが、翌月の自民党総裁選で勝利し、首相に就任した。いわば、田中のマニュフェストといえるであろう。この『日本列島改造論』について、財政・地域開発を専攻した宮本憲一氏は、次のように指摘している。

 

列島改造論は、過密になやむ住民には、経済の集中にかえて分散をうたい、過疎になやむ住民には、悪名たかいコンビナート都市にかえて内陸工業基地=25万都市構想をしめし、一見、従来の地域開発とちがう新鮮な感じをあたえている。だが、開発の思想は全く従来の地域開発の思想にもとづいている。すなわち、「新全総」(1969年策定の新全国総合開発計画。二全総ともよばれる)にもとづく巨大開発をすてるのではなく、そのプロジェクトは一層規模を大きくして実現する。そして、そのプロジェクトと結びつけて地域格差是正の拠点として工場再配置によって中小規模の産業基地をつくり、そこに25万都市を建設しようというのである。このあとの考え方は旧全総(1962年策定の全国総合開発計画。一全総ともよばれる)の拠点開発方式である。(宮本憲一『地域開発はこれでよいか』、1973年、p208)

『日本列島改造論』については、別の機会に、より詳細に検討したい。ただ、ここでは、『日本列島改造論』に明記された開発計画が地価高騰を招いたこと、しかしながら、高速道路・新幹線など、その後の国土開発の原型をなしたことを指摘しておく。

さて、今まであまり指摘されてこなかったが、『日本列島改造論』では、原発についても言及している。田中は、すでに「一寸先はやみ、停電のピンチ」(『日本列島改造論』p38)と述べ、電力需給が楽観を許さないとしている。田中によれば、1971年には工場などの電力の大口需要家に対して休日振替を実施させたが、不満が続出し、長期にわたって実施できる対策ではないとしている。そして、「電力需要をまかなうためには、電力会社が希望する電源開発が計画どおりに推進できることが前提になる。」(同上p39)と指摘している。しかし、電源開発は計画通り実現できていないとし、その理由を次のように説明している。

こうした計画の実施がおくれているのは、火力発電所の立地の場合は、重油の使用による硫黄酸化物の発生で大気が汚染したり、温排水で漁民の生活が脅かされるなど地域住民の反対によるものである。原子力発電所の場合も、放射能の安全性にたいする疑問や自然環境が壊されるという心配、さらに温排水で魚でとれなくなるという漁民の反対などから立地が困難になっている。このような問題を解決しない限り、電力需給のひっ迫を解消することは困難である。(同上p40)

つまりは、火発や原発の公害や安全性への危惧から発生する住民の反対が、電源開発が進まない原因であることを、田中は認めているのである。

このような反対をおさえて、火発や原発の建設を如何に進めていくか。まず、田中は次のように主張している。

これからの電源立地の方向としては、大規模工業基地などに大容量発電所を集中的につくり、大規模エネルギー基地の性格を合わせて持たせるようにしたい。電源開発株式会社を中心にいくつかの電力会社が参加し、火力発電所や原子力発電所を共同で建設し、そこで生みだされる電力を大規模工業基地で使う。同時に、基幹的な超高圧送電網をつくって消費地に広く配分し、融通する方向も考えたい。(『日本列島改造論』p101)

いわば、『日本列島改造論』の電力版である。地域開発においては、火発や原発をあわせて建設し、発生する電力を工業基地で使うとともに、送電網を通じて消費地へ送られることになっているのである。

と、いいつつも、田中は「こうした大規模エネルギー基地を含めて、地元の抵抗がなく電源立地を円滑にすすめるにはどうしたらいいだろうか」(『日本列島改造論』p102)と疑問を発する。田中は、次のように指摘している。

 

新しい火力発電所や原子力発電所の建設に地元の反対が強いのは、まず、大気汚染や放射能の危険を心配するからである。…もともと発電所は従業員がすくなくてもすむので、地元の雇用をふやすにはあまり役に立たない。そのうえ発電した電力は、ほとんど大都市へ送電される。結局、地元はうるものがすくなくて、公害だけが残るというのが地域住民のいい分である。(同上p102)

つまり、田中角栄という、当時次期首相になる人物も、原発を含んだ発電所全体が、公害や安全性が危惧されるだけでなく、雇用もあまり生みださず、電力も地元に還元されないなど、地元にメリットが少ないという意見があることを認めているのである。

このような反対について、田中は「ここで、まず、第一に考えたいのは、公害の徹底的な除去と安全の確保である」(同上p102)としている。公害除去については、集塵装置・脱硫装置の開発・利用や冷却水規制など、具体的にあげている。ただ、原発の放射能問題については、「海外の実例や安全審査委員会の審査結果にもとづいて危険がないことを住民に理解し、なっとくしてもらう努力をしなくてはならない」(同上p102)として、原発の安全性を向上させるというよりも、安全性を住民に納得させることをあげていることには注目しなくてはならない。田中の考える原発の「安全対策」とは、結局のところ、「安全神話」の普及だったようである。

田中はさらに、次のように主張している。

しかし、公害をなくすというだけでは消極的である。
 地域社会の福祉に貢献し、地域住民から喜んで受け入れられるような福祉型発電所づくりを考えなければならない。たとえば、温排水を逆に利用して地域の集中冷暖房に使ったり、農作物や草花の温室栽培、または養殖漁業に役立てる。豪雪地帯では道路につもった雪をとかすのに活用する。
 さらに発電所をつくる場合は、住民も利用できる道路や港、集会所などを整備する。地域社会の所得の機会をふやすために発電所と工場団地をセットにして立地するなどの方法もあろう。次項で述べるインダストリアル・パークと同様の立地手法でエネルギー・パークづくりも考えたい。急がばまわれである。

実際に、このようなことは実現していっている。養殖業で原発の温排水は実際に使われている。特に、田中内閣期の1974年に成立した電源交付金制度は、電力料金に付随して電源開発促進税を徴収し、原発周辺自治体の施設整備を中心に支出するものである。この電源交付金制度の原型は、すでに1972年の田中角栄『日本列島改造論』に表明されているのである。原発のリスクを交付金というリターンとバーターで糊塗するという発想を田中角栄がすでにもっていたことを、ここでは確認しておきたい。

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さて、再度、ウルリヒ・ベックの『危険社会』についての紹介を続けよう。本書においては、環境破壊における科学批判の部分が、非常によく分析されているといえる。このことは前回までに紹介してきたが、ここでもまず、みていこう。ベックは、危険ーリスクについて、このように指摘している。

近代化に伴う危険は、科学の合理性の抵抗を押し切って意識されるようになってきた。この危険意識に人々を導いたのは、科学が明らかに犯してきた数々の危険についての誤り、見込み違い、過小評価である。危険が意識されるようになった歴史あるいは社会による危険の認知の歴史は、そのまま科学の神秘性を剥奪する歴史である。(本書p92)

その上で、ベックは、このように述べている。

危険を生産しておきながら、それを正しく認識できない大きな理由は、科学技術の合理性が「経済しか見ない単眼構造」にあるからである。この目は生産向上に視線を向けている。同時に、構造的に見て危険には盲目なのである。経済的に見合うかどうかという可能性については、明確な予測が試みられ、よりよい案が追求され、試験が行われ、徹底的に各種の技術的検討が行われる。ところが危険については、いつも暗中模索の状態で「予期しない」危険や「全く予期し得ない」危険が出現して初めて、心底怯え、仰天するのである。(本書p94)

これは、まさに福島第一原発事故の経過でこの1年間いやというほど見せつけられてきたことである。地震や津波、また全電源喪失などの「危険」は科学者・技術者の間ではないものにされ、根本的な安全対策がとられることがなかった。これは、何も日本だけのことではないことに注目しておきたい。

そして、大気中の汚染物資による気管支ぜんそくに罹患した児童の親たちの戦いをについて述べておく。親たちは、自分の子どもたちの病気の原因について、さまざまな主張を行うのであるが、「科学的に証明されない限り」問題にもされないことを認識するのである。

危険を否認する科学者たちの対応について、ベックは、次のように論じている。

 

科学者たちは自分たちの仕事に「質」を大事にし理論と方法の水準を尊重して、転職経歴と生活の糧を確保しようとする。まさにここから、危険と取り組む際の科学者に独特な非論理性が生まれる。関連性不明を主張することは、科学者にふさわしいし、また一般的に見て誉められるべきことであろう。しかし、危険と取り組む場合にこのような態度をとることは、被害者にはまさに正反対の態度と映るのである。この態度は危険を大きくするばかりだからである…科学性を厳密に言えば言うほど、危険だと判定されて科学の対象となる危険はほんのわずかになってしまう。そして結果的にこの科学は暗に危険増大の許可証を与えることになる。強いて言うならば、科学的分析の「純粋性」にこだわることは、大気、食品、土壌、さらに食物、動物、人間の汚染につながる。つまり、科学性を厳密にすることで、生命の危険は容認され、あるいは助長される。厳密な科学性と危険とは密かな連帯関係にあるのである。(本書p97)

そして、このような科学者たちの姿勢から生み出されてくる「許容値」について、ベックは「科学者はわからないということが絶対にないので…危険と取り組む際、自分たちもまたわからないのだ、ということを表す主要な言葉は『許容値』という言葉である」(本書p101)と説明している。そして、ベック自身は、次のように許容値を定義している。

 

許容値とはつまり大気、水、食品の中にあることを「許容される」有害かつ有毒な残留物の値である。これは危険の分配にとって重要な意味をもつ。それはちょうど富の不公平な分配にとって能力主義の原理が許され公に認められる。汚染を制限する者は、結局汚染に対して許可を与えたことになる。これは現在許可されたものは、例えどんなに有害であったとしても社会的に下された定義では「無害」ということを意味する。なるほど許容値によっては最悪の事態は避けられるかもしれない。しかし、これは自然と人間を少しなら汚染してもいい、という「お墨つき」ともなる。(本書p101)

この許容値という問題は、倫理上の問題を惹起する。

この倫理では、人間は互いに毒物を与えてはならないといのは自明の理であった。もっと正確に、毒物は絶対に与えてはならない、とすべきであったかもしれない。なぜなら許容値規定によって、皮肉にも悪名高いそして議論の多い「少し」であれば、毒は許されることになったのである。したがって、この「規定」は汚染防止にはつながらない。むしろ汚染がどこまで許されるかを問題にしているのである。明らかなことであるが、汚染は容認されるというのが、この規定のよって立つ根拠である。今や文明社会には有毒物質や有害物資があふれているが、その文明の退却路が許容値である。この許容値という概念は、汚染があってはならないという当然の要求を、ユートピアの発想だといって拒んでいるのである。(本書p102)

さらに、ベックは、次のように主張している。

「許容値規定」の根底にあるのは、技術官僚が下した非常にうさん臭い危険な誤った推論である。すなわち、(まだ)把握されていないもの、あるいは把握不可能なものには毒性がない、という推論である。また別の言い方をすれば、疑わしきは罰せずで、毒性の有無がわからない場合には、毒の方をして人間の危険な手から守ってやってくれ、ということである。(本書p104)

このような、ウルリヒ・ベックの主張は、放射線に対する「科学的」な見解のもつ問題点を的確に指摘している。空間における低線量被ばく、食品に含まれる微量の放射性物質の有害性については、いまだ定説がなく、放射性ヨウ素と甲状腺がんとの関係など以外では、立証されたと言いがたい状況である。そこから、許容値が一人歩きするようになる。立証されていないだけなのに、空間線量、食品中の放射性物質含有量、廃棄物(がれき・焼却灰・下水汚泥など)が、許容量以下ならば許されてしまう。そして、このような許容量を設定する科学者と、政府・企業・自治体とが密やかに結びついてしまうことになる。

これは、単に科学者が「御用学者」ということからのみ発生するのではない。科学的に立証できなければ因果関係を認めないという態度からも発生している。例えば、広瀬隆批判を行った野口邦和は、共産党系の日本科学者会議所属であり、主観的には政府・企業と結びついていたわけではない。読んでいる限りは、広瀬隆の論理展開に内在する「非科学性」が問題なのである。しかし、広瀬の主張が、一部根拠にかける部分があったとしても、全体を「ウソ」とまでは断じることはできないであろう。広瀬隆は、チェルノブイリ事故後甲状腺がんなどが多発すると「推測」しているのだが、それはその通りであった。現時点で立証できないとしても、リスクがなくなるわけではないのだ。そのように自問することが科学には求められているといえよう。

結局、科学者にせよ、政府にせよ、企業にせよ、自治体にせよ、まさに「人間は互いに毒を与えてはいけない」という倫理の上にたつべきである。許容値はせいぜい目安にすぎない。立証の問題とは別に「毒」は可能な限りゼロに近づけていくべきだと思う。

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ウルリヒ・ベックの『危険社会』の紹介を続けようと思ったのだが、見過ごしえない問題が発生した。東日本大震災において発生したがれきを、他地域に運び処理しようとするがれきの広域処理が、多くの自治体の難色を押し切って野田首相が受け入れることを要請するようになったのだ。

この問題は、もちろん、震災当初からあった問題である。ある意味では、人道上受け入れるべきと考えられるのかもしれない。しかし、この問題の本質はそこにはない。放射性物質を無用に拡散させるということなのである。

まず、2012年3月11日、野田首相が述べたがれき処理についての方針をみてみよう。朝日新聞朝刊(3月12日付け)で確認してみよう。

がれきの広域処理 法に基づき要請へ

 野田佳彦首相は11日、首相官邸で記者会見し、被災がれきの広域処理を進めるため、法律を根拠に自治体に受け入れを求める考えを明らかにした。基準や処理方法も政権が明確に示す。13日に関係閣僚による会議を立ち上げ、処理を加速させる方針だ。
   ▼4面=発言要旨
 被災がれきの広域処理は各地で強い反発を受け、3月11日までに全体の6%程度しか進んでいない。野田首相は「国が一歩も二歩も前に出ないといけない」と強調。「がれきの種類、量を明示した上で、協力をお願いする」と述べた。
 被災地以外の都道府県には、災害廃棄物処理特別措置法に基づき文書で正式に協力を要請。基準や処理方法もこの法律を根拠に定める。すでに表明している財政支援と併せ、自治体の理解を求める考えだ。
 がれき処理後の焼却灰の埋め立て可能な基準は、1キロ当たり8千ベクレル以下とすることも政権が近く告示。セメントや製紙業界など民間企業に協力を求めることも表明した。

「法律に基づいた要請」、「財政支援」という硬軟とりまぜて、被災がれきを受け入れさせようということだが…問題は、8000ベクレル以下の焼却灰は通常通り埋め立てさせる、さらに、そのリサイクルも考えるということなのだ。

そして、3月13日には、このようなことが関係閣僚会議で議論された模様である。

東日本大震災で発生したがれき処理を進めるため、野田政権は13日、第1回の関係閣僚会合を開いた。野田佳彦首相は「今までの発想を超えて大胆に活用してほしい」と要請。関東大震災のがれきで横浜市に山下公園を整備したエピソードを引き、将来の津波から住民を守る防潮林の盛り土や避難のための高台の整備、道路などの材料として、被災地のがれきを再利用していく考えを示した。

 細野豪志環境相は会合後、「鎮魂の気持ちとともにがれきを処理していく」と述べ、まず防潮林としてがれきを利用する準備に取りかかる方針を示した。環境省は、復興のシンボルとして三陸地方の自然公園を再編する「三陸復興国立公園」(仮称)の整備にも活用する方針だ。

 このほか、セメントや製紙業など、焼却設備を持つ民間企業にも協力を求める方針を確認。経済産業省はこの日、関係する業界団体に要請文書を送った。同省によると、汚泥をセメントの原料にしたり、木くずなどを製紙業のボイラー燃料にしたりして、2月20日現在、企業が約10万トンのがれきを処理したという。
(朝日新聞3月13日ネット配信)
http://www.asahi.com/politics/update/0313/TKY201203130197.html

どうやら、ただ埋め立てるだけではないのである。被災がれきやその焼却灰は、公園や避難所さらに防災林などの整備や、さらにセメントなどにも混ぜられ、「有効利用」されることが話し合われた模様である。

さらに、本日(3月16日)、野田首相は、実際に文書によって「要請」を行った。

東日本大震災で発生したがれきの広域処理を拡大するため、政府は、東北の被災3県とすでにがれきを受け入れている東京都などを除いた45の県や政令指定都市に、野田総理大臣の名前で受け入れを正式に要請する文書を一斉に送付しました。
被災地のがれきの広域処理を巡っては、15日に静岡県島田市が正式に受け入れを表明するなど、徐々に前向きに検討する自治体が増えてきていますが、こうした自治体からは国の積極的な関わりを求める声が相次いでいます。
これを受けて、政府は特別措置法に基づいて、東北の被災3県と、すでに受け入れを始めたり、受け入れを表明していたりする東京や山形、静岡、神奈川など9つの都府県を除く35の道府県と横浜市や大阪市などを除く10の政令指定都市に、がれきの受け入れを正式に要請する文書を一斉に送付しました。
文書は、野田総理大臣名で「災害廃棄物の処理は復旧復興の大前提であることから、現地では全力を挙げて処理を進めていますが、処理能力が大幅に不足しています」としたうえで「広域処理の緊要性を踏まえ、私としても積極的な協力を要請します」と記されています。
政府はすでに受け入れを表明している自治体には、処理を要請するがれきの具体的な量や種類を記した文書を来週以降に送り、具体的な協力を求めることにしています。
(3月16日NHKネット配信)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120316/t10013778441000.html

一方、受け入れを拒否している自治体側はどうみているのか。ここで、徳島県の例をみておこう。徳島県のホームページに以上のようなやりとりが掲載されている。

ご意見
登録・更新日:2012-03-15
60歳 男性
タイトル:放射線が怖い? いいえ本当に怖いのは無知から来る恐怖
 東北がんばれ!!それってただ言葉だけだったのか?東北の瓦礫は今だ5%しか処理されていない。東京、山形県を除く日本全国の道府県そして市民が瓦礫搬入を拒んで
いるからだ。ただ放射能が怖いと言う無知から来る身勝手な言い分で、マスコミの垂れ流した風評を真に受けて、自分から勉強もせず大きな声で醜い感情を露わにして反対している人々よ、恥を知れ!!
 徳島県の市民は、自分だけ良ければいいって言う人間ばっかりなのか。声を大にして正義を叫ぶ人間はいないのか? 情け無い君たち東京を見習え。

回答
 【環境整備課からの回答】
 貴重なご意見ありがとうございます。せっかくの機会でございますので、徳島県としての見解を述べさせていただきます。
 このたびの東日本大震災では,想定をはるかに超える大津波により膨大な量の災害廃棄物が発生しており,被災自治体だけでは処理しきれない量と考えられます。
 こうしたことから,徳島県や県内のいくつかの市町村は,協力できる部分は協力したいという思いで,国に対し協力する姿勢を表明しておりました。
 しかしながら,現行の法体制で想定していなかった放射能を帯びた震災がれきも発生していることから,その処理について,国においては1kgあたり8000ベクレルまでは全国において埋立処分できるといたしました。
(なお,徳島県においては,放射能を帯びた震災がれきは,国の責任で,国において処理すべきであると政策提言しております。)
 放射性物質については、封じ込め、拡散させないことが原則であり、その観点から、東日本大震災前は、IAEAの国際的な基準に基づき、放射性セシウム濃度が1kgあたり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきました。(クリアランス制度)
 ところが、国においては、東日本大震災後、当初、福島県内限定の基準として出された8,000ベクレル(従来の基準の80倍)を、その十分な説明も根拠の明示もないまま、広域処理の基準にも転用いたしました。
(したがって、現在、原子力発電所の事業所内から出た廃棄物は、100ベクレルを超えれば、低レベル放射性廃棄物処分場で厳格に管理されているのに、事業所の外では、8000ベクレルまで、東京都をはじめとする東日本では埋立処分されております。)
 ひとつ、お考えいただきたいのは、この8000ベクレルという水準は国際的には低レベル放射性廃棄物として、厳格に管理されているということです。
 例えばフランスやドイツでは、低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1カ所だけであり、しかも鉱山の跡地など、放射性セシウム等が水に溶出して外部にでないように、地下水と接触しないように、注意深く保管されています。
 また、群馬県伊勢崎市の処分場では1キロ当たり1800ベクレルという国の基準より、大幅に低い焼却灰を埋め立てていたにもかかわらず、大雨により放射性セシウムが水に溶け出し、排水基準を超えたという報道がございました。
 徳島県としては、県民の安心・安全を何より重視しなければならないことから、一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しいと考えております。
 もちろん、放射能に汚染されていない廃棄物など、安全性が確認された廃棄物まで受け入れないということではありません。安全な瓦礫については協力したいという思いはございます。
 ただ、瓦礫を処理する施設を県は保有していないため、受け入れについては、施設を有する各市町村及び県民の理解と同意が不可欠です。
 われわれとしては国に対し、上記のような事柄に対する丁寧で明確な説明を求めているところであり、県民の理解が進めば、協力できる部分は協力していきたいと考えております。
 (※3/13に公表しておりました回答文に、配慮に欠ける表現がありましたので、一部訂正して掲載いたします。)
http://www.pref.tokushima.jp/governor/opinion/form/652

 徳島県のいっている「クリアランス基準」とは、それ以下ならば放射性廃棄物として扱わないという基準で、セシウム137なら、1キロあたり100ベクレルということにされている。それ以上ならば、本来放射性廃棄物として扱うべきであるとしたのである。

環境省は、次のようなマニュアルを出している。「災害廃棄物の広域処理の推進について(東日本大震災により生じた災害廃棄物の広域処理の推進に係るガイドライン)」(平 成 2 3 年 8 月 1 1 日付)http://www.env.go.jp/jishin/attach/memo20120111_shori.pdf

これにしたがってみておこう。まず、100ベクレルという基準は何か。このマニュアルでは、次のように説明している。

(1)再生利用におけるクリアランスレベルの考え方
再生利用については、原子力安全委員会の示す考え方を踏まえて整理された処理方針により、「市場に流通する前にクリアランスレベルの設定に用いた基準(0.01mSv/年)以下になるよう、放射性物質の濃度が適切に管理されていれば再生利用が可能」との考え方が示されている。さらに、「クリアランスレベルを超える場合であっても、被ばく線量を 0.01m Sv/年以下に低くするための対策を講じつつ、管理された状態で利用することは可能」との考え方が示されている。
この場合のクリアランスレベルの考え方については、原子力安全委員会の報告書5に基づき、次のように整理できる。
① クリアランスレベルを算出するための線量の目安値 0.01m Sv/年は、「自然界の放射線レベルに比較して十分小さく、また、人の健康に対するリスクが無視できる」線量として定められており、この目安値に相当する放射能濃度をクリアランスレベルとしている。
② クリアランスレベルは、「放射性物質として扱う必要がないもの」として定められるものであり、我が国では、原子炉施設等の解体等に伴って大量に発生する金属、コンクリート等について定められ、放射性セシウム濃度で 100Bq/kg とされている。
③ この数値は、IAEA 安全指針 RS-G-1.7(2004 年 8 月)6の規制免除レベルの数値を採用しており、IAEA 安全指針は、対象物を特に限定しない一般的なものとして設定されているので、これを金属、コンクリート等以外の木質等に適用しても差し支えないものと考えられる。
④ 国際的整合性などの立場から、我が国のクリアランスレベルは、IAEA安全指針の規制免除レベルを採用しているものの、原子力安全委員会における検討に当たっては、原子炉の解体に伴って生じる金属及びコンクリート等について、現実的に起こりうると想定される全ての評価経路(埋設処分、再利用)を考慮した上で、詳細な評価を行っており、その結果算定されたクリアランスレベルは、セシウム 134 で 500 Bq/kg、セシウム 137 で 800 Bq/kg である。
⑤ IAEA 安全指針の規制免除レベルは、それぞれの国が規制免除レベルを決める際の参考値として示されたものであり、この値の 10 倍を超えない範囲であれば、国によって、規制対象行為や線源の特徴に応じてランスレベルを別途定めることができるという性格のものであることから、我が国で実際に採用された 100 Bq/kg という値は相当程度保守的であり、安全側の値であると言える。
⑥ クリアランスレベルは、大量に発生するものを対象としており、上記の詳細な評価においても、少なくとも 10t 程度の物量ごとに平均化された放射能濃度として算出、評価されていることから、少量の部分的な濃度により評価すべきではないことに留意が必要である。

以上の考え方を踏まえ、以下の安全性の検討においては、木質等を含む災害廃 棄 物を 再 生 利 用 し た 製 品の放 射 性 セ シ ウ ム 濃 度 のクリアランスレベルを、100Bq/kg と考えるものとする。ただし、この値は一種の「目安」であり、この値を上回る場合でも桁が同じであれば、放射線防護上の安全性について必ずしも大きく異なることはないと考えられる。7

要するに、「クリアランスレベル」とは、焼却灰などを再生した場合の基準である。このマニュアルでは、セメントなどに焼却灰をまぜて使うことを推奨している。一部でかなり高い汚染度を示した場合でも、それ以外の材料をまぜて使えば、100ベクレル以下になるということになる。「クリアランス」というのは放射性廃棄物扱いをしないということであるから、低レベル放射性廃棄物があっても、特別な処理をせず、他の物にまぜて使えばゼロになるという考え方なのであろう。

では、8000ベクレルとは何か。これは、焼却灰や下水汚泥を含む廃棄物を通常の埋め立て処分する基準なのである。

※1 8,000Bq/kg の設定の考え方
検討会において、原子力安全委員会が6月3日に定めた「東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故の影響を受けた廃棄物の処理処分等に関する安全確保の当面の考え方」に示された次の目安を満足するよう適切な処理方法を検討した結果、埋立処分の際
の目安として示された焼却灰等の濃度。
① 処理に伴って周辺住民の受ける追加被ばく線量が1mSv/年を超えないようにする。
② 処理を行う作業者が受ける追加被ばく線量についても可能な限り1mSv/年を超えないことが望ましい。比較的高い放射能濃度の物を取り扱う工程では、「電離放射線障害防止規則」(昭和 47 年労働省令第 41 号)を遵守する等により、適切に作
業者の受ける放射線の量の管理を行う。
③ 処分施設の管理期間終了以後、周辺住民の受ける追加被ばく線量が 0.01mSv/年5 以下とする。

別添3に示すシナリオ計算等に基づき、安全評価を実施し、廃棄物処理の各工程における追加被ばく線量が 1mSv/年(公衆被ばくの線量限度と同値)となる放射能濃度と、最終処分場の管理期間終了後、一般公衆の追加被ばく線量が 0.01mSv/年(人の健康に対する影響が無視できる線量)となる放射能濃度を確認したところ、表Ⅰ-1に示すように、8,000Bq/kg 以下の廃棄物については、周辺住民、作業員のいずれにとってもこれらの追加被ばく線量を満足し、安全に処理することが可能であることが確認されている。
なお、IAEA のミッションにおいても「放射性セシウム 8,000Bq/kg 以下のものについて、追加的な措置なく管理型処分場で埋立てをすることについて、既存の国際的な方法論と完全に整合性がとれている」と評価されており9、国際的にみても適切な手法であると考えられる。

なお、8000ベクレルというのは、「脱水汚泥埋立処分」の作業者が受ける放射線量が1mSv/年ということから定められている。いずれにせよ、「埋立処分」なのであって、がれき自体の再利用ではない。

焼却灰や不燃物につき8000ベクレル以下であれば、放射性廃棄物の扱いをせずに埋立処分ができるとするものなのである。なお、8000ベクレル以上は、放射性物質として扱われ、国の管理下になるというのである。

まあ、いずれにせよ、放射性廃棄物を放射性廃棄物としてではなく処理しようということなのである。最終製品が100ベクレル以下であれば、焼却灰やがれき自体(コンクリート破片など)をセメントなどにまぜて使えということがある。さらに、そういうことができないものでも、8000ベクレル以下のものは、放射性物質の扱いをせず、埋め立て処分をするということになるのである。

それでは、がれき処理で実際にはどのようになるのだろうか。本マニュアルでいくつか例がのっている。岩手県陸前高田市で104ベクレルのものを焼却した際、飛灰で3456ベクレル検出されたそうである。また宮城県女川町の133ベクレルのがれきを処理した際、飛灰で2300ベクレル、スラグ(鉄屎)に141ベクレルの検出になったそうである。飛灰は、もちろん灰の一部でしかなく、全体量からみれば少ないのであるが、それでもセシウム137が濃縮されたことには違いない。しかし、このマニュアルでは、8000ベクレル以下だから無害だというのである。

環境省では、宮城県・岩手県の無害のがれきを広域処理するとしている。

広域処理をお願いする災害廃棄物は放射性セシウム濃度が不検出又は低く※、岩手県と宮城県の沿岸部の安全性が確認されたものに限ります。可燃物の場合は、対象とする災害廃棄物の放射性セシウム濃度の目安を焼却炉の型式に応じて240ベクレル/kg以下又は480ベクレル/kg以下のものとしています。http://kouikishori.env.go.jp/faq/#anch02

しかし、放射性物質による汚染は、岩手県や宮城県のがれきですら免れてはいないのである。133ベクレル程度のものでも部分的にはかなり高い濃度の焼却灰が生成される。そして、本来は低レベル放射性廃棄物として扱うべきもの(少なくとも焼却灰は)が、放射性廃棄物として扱われていない。しかも、あろうことか、「無害な材料」とまぜて使うことが推奨されている。それを公園などに使うということーこれは、放射性廃棄物が遍在していることを「否認」するということなのである。そして、無用に放射性物質を拡散することにつながるのである。

放射性廃棄物は、放射性廃棄物として取り扱うこと。その原則をまげてはならないと思う。これは、何も東北だけのことではない。関東地方も放射性物質で汚染され、放射性セシウムを含有したごみ焼却灰や下水汚泥は一般的にみられる。そして、福島県はどうなのだろうか。除染ででた廃棄物はどのように扱われているのだろうか。

なお、ここで出した環境省のマニュアルを一読することをおすすめしておく。

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2012年3月11日の夕べ、脱原発を訴えるために「人間の鎖」で国会を包囲するという企てに私は参加していた。その前に日比谷公園を起点にして行われたデモが1万数千人であり、他のデモの参加者も終了後参加したようだから、それよりも多かったのではなかろうか。いずれにせよ、1万人以上の人がそこにはいた。

相も変わらず、警察は、「人間の鎖」を「規制」という名の妨害をかけていた。まず、国会に直接面する側の歩道を封鎖した。反対側の歩道には、周囲の車道が交差しており、さすがに横断歩道では「人間の鎖」はできない。さらに、歩道も二分し、「鎖」の側と通行路を分断していた。私は、大体国会図書館側にいたのであるが、別の側では、警察が「人間の鎖」ができないように妨害したところもあるようだ。

警察は、「音」も規制した。国会周辺では、「旗」などはもってはいけないという規制があることを事前に主催者から告知されていた。しかし、「音」を規制するとは聞いていなかった。ところが、私と同行している友人の一人が持参したタンバリンを叩いていたら、警官が音を鳴らせないことになっていますと、ていねいな口調ではあるが、規制した。

別の友人は、「こんなことで逮捕されてもしかたがない」といって、タンバリンを叩くことを自重するように主張した。私自身もそんな気持ちをもった。しかし、タンバリンを叩いていた友人は、何の根拠もないといって、警官から遠ざかりつつ、叩き続けた。周囲の人びともにっこり笑い合って、タンバリンを叩き続けることを応援した。あまりにも数が多く、それ以上警官も規制することはなかった。

そのうち、反対側から、右翼(在日特権を許さない市民の会であろうか)とおぼしき数名の人たちが、数多い警官に護衛されて歩いてきた。彼らは、口々に「人間の鎖」に参加している人びとを罵っていた。

先ほどの友人は、ここでもタンバリンを鳴らした。そうすると、彼らは「うるせえんだよ」と血相をかえて怒ってきた。右翼も「音」は嫌いのようである。

やや、時間が経って、ドラムを中心とした「楽隊」が、私たちのいたところを通過した。彼らの多くは、喪服をイメージしたものと思われる黒服に身を包んでいた。白い花を付けていた人たちもいた。そして「3.11 追悼と怒り」という旗がついていた。イルコモンズの人びとであった。

イルコモンズのサイト「イルコモンズのふた」では、人間の鎖への参加が呼びかけられていた。

3.11国会議事堂の前に一輪の白い花を」
 「3月11日、東京では東日本大震災の追悼と脱原発の思いを込めたデモ行進と”人間の鎖”による国会議事堂の包囲が行われます。震災で犠牲になった方々への追悼と、福島原発事故および原子力発電に対する国の対応への抗議の気持ちを込めて、国会議事堂の前に白い花を一輪、捧げませんか。」http://illcomm.exblog.jp/

サイトによると、演奏されていた曲もこのような意味を有していたようである。

 

演奏「追悼と怒りのテーマ(仮)」

 「(前略)今回の「3.11追悼と怒り」のデモのために、世界各地のいろんな追悼曲や葬送曲を研究しました。いろいろきいてみた結果、「葬送行進曲」などがそうであるように、たいていの曲は「葬儀」や「葬列」そのものを連想させるもので、そこでは「怒り」がぬけてしまうので、既成の曲は避けようと思いました。そこで発想を変えて、こしらえたのが「追悼と怒りのテーマ(仮)」です。このテーマには手本があります。以前在籍していた国立の楽団「ウラン・ア・ゲル」の「橋の下」という曲のリフです。現在、ウラン・ア・ゲルは、中心メンバーのひとりが家庭の事情で音楽活動を停止し、さらにもうひとりのメンバーが、3.11の原発事故のために、東京から地方に移住したので、活動停止状態です。自分が3.11の原発事故で失くした大事なもののうちのひとつが、ウラン・ア・ゲルだったので、その想いもあって、「橋の下」をもとに「追悼と怒りのテーマ(仮)」のリフをつくりました。(中略) 「橋の下」は、かつて多摩川の橋のたもとで暮していた男性を悼むものとしてつくった曲です。「追悼と怒りのテーマ(仮)」では、「橋の下」で延々と繰り返されるリフからふたつの音をもらいました。B♭とFのくりかえしがそうです。そのリフに、最近、デモでやっているリフの、B♭とDのふたつの音を加えて、デモ用にアレンジしました。なので、基本の音は3つだけです。これなら初心者でも一週間くらい練習すればおぼえられるし、多少楽器ができる人なら、その場ですぐに吹けると思います。(後略)」(T.D.C.メーリングリストより抜粋)http://illcomm.exblog.jp/

なお、日比谷公園のデモを写した下記動画の中で、彼らとおぼしき人びとがみられる。

http://www.woopie.jp/video/watch/bdc4fe7882cfcc90

人間の鎖にも下記動画にもイルコモンズの人びととおぼしき人たちが撮影されている。

イルコモンズの人びとは、私たちからやや離れたところで、演奏を続けた。近くまで見に行った。かなりの迫力で、周囲に人びとが集まってきた。彼らのいたところは、国会図書館前で、国会議事堂正門とは反対側にある。たぶんに、人びとを誘導する意味もあったのであろう。

警官もいた。メガフォンをもって何か話していた。たぶん、規制しようとしていたのであろう。しかし、演奏の音で、警官の規制などは、全く聞こえないのである。

そのうち、イルコモンズの人びとは、演奏しながら、人間の鎖の前を行進しはじめた。私たちの前を通過していった。

その後、不思議な出来事が起こった。「人間の鎖」に参加していた人びとが、口々に「原発いらない」などと叫びはじめたのだ。先ほど、警官に規制されて、タンバリンをならすことを自重させようとした人までが。

その後、国会前を警備する警官隊に突っ込んだらどうなるのかという会話になった。もちろん、冗談まじりではあるが。私たちは、やはり日常では、権力の行使に従順だ。国会前で音を出すなという根拠もあまりないとおもわれる警官の規制に従おうとするくらい。しかし、この音をめぐる闘争は、1万人を超える人びとが口々に主張したら、さすがに警察も取り締まりすることはできないということを気づかせてくれた。1万人を超える人びとを逮捕するのはかなり難しい。そして、何の法律が根拠になるだろうか。音を出すということが逮捕に値することなのか。そして、例えば、口々に叫ぶ人びとの前で、イルコモンズの人びとのみを逮捕したら、どうなるのだろうか。

この「音」をめぐる闘争には、はかとない反乱の予感があったように思われるのである。

「イルコモンズのふた」(2011年4月22日)では、オペラ・トゥランドットのアリア「誰も寝てはならぬ」が紹介されている。この歌は、日比谷公園のデモのオープニングでも歌われていた。「そして、私の口づけが、沈黙の終わりとなり、私はあなたを手にいれる。夜よ、去れ。星よ、沈め。星よ、沈め。夜明けとともに、わたしは勝つ」

「沈黙の終わり」こそが、必要なことなのである。

誰も寝てはならぬ」
 作曲:ジャコモ・プッチーニ
 うた:ルチアーノ・パバロッティ

 誰も寝てはならぬ
 誰も寝てはならぬ

 冷たい寝室で
 愛と希望に打ちふるえる
 星たち見るのだ

 私の秘密は
 この胸のうちにあり、
 誰も私の名を知らない

 いや、そんなことにはならない
 夜明けとともに私は
 あなたの唇に告げよう
 そして、私の口づけが
 沈黙の終わりとなり
 私はあなたを手にいれる

 夜よ、去れ
 星よ、沈め
 星よ、沈め
 夜明けとともに
 わたしは勝つ
 わたしは勝つ
 わたしは勝つ
http://illcomm.exblog.jp

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さて、前回のブログで、ドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの『危険社会ー新しい近代への道』について部分的に紹介した。今回は、ベックの「危険」=「リスク」という概念について説明しておこう。

本書の翻訳者の一人である東廉は、本書の原題”RISIKOGESELLSCHAFT”の中の”Risiko”を英語の”Risk”にあたるものとしている。つまりは、『危険社会』とは「リスク社会」ということがいえるであろう。そして、東は、”Risk”を「誰かに何か(損害・不利益)を起こる可能性」としつつ、さらに「近代化と文明の発展に伴う危険」としている。(本書p.p462-463)

ベックによれば、現代社会における「危険」=「リスク」とは、近代化によって生み出された科学と産業の副産物としての環境破壊をさす。この環境破壊は、もちろん放射性物質から始まって、有害な工業廃棄物、農薬、大気汚染、酸性雨などが含まれている。このような科学と産業によって自然が作り替えられることによって、人びとの生活が危機に瀕している社会を「危険社会」とよんでいるのである。

しかしながら、ここから問題が発生する。環境破壊における「危険」=リスクは、少なくとも初期においては、目に見えるものではない。ベックは、このように言っている。

放射線や化学物質による汚染、食物汚染、文明病などといった新しいタイプの危険は多くの場合人間の知覚能力では直接には全く認識できない。それらは、しばしば被害者には見ることもできなければ感じとることもできない危険である。当人の存命中には全く気づかれず、子孫の代になってその弊害が顕著となる場合もある。この種の危険が一段と目立っている。いずれにせよ、危険を危険として、「視覚化」し認識するためには、理論、実験、測定器具などの科学的な「知覚器官」が必要である。(本書p.p35-36)

ある意味で、科学的な測定により、目に見えない放射性物質などを認識することが必要なのである。ベックは、それだけでは「危険」を承認することはできないとしている。まず、ベックは「危険であると言明するためには、事実だけでは十分ではない。それが近代的な工業生産方法の結果として生じた副産物であるという因果関係の確定が必要である」(本書p36)と述べている。さらに、ベックは、次のように主張している。

 

社会的に分離されている個々の現象の因果関係を決定しただけでは、危険であるというには十分ではない。身をもって危険を感じとるためには、安全性や信頼性が失われたという意味での規範的な見方が前提として必要である。危険が数値や数式の形で提示されても、その内容は基本的に個々人の規範的な見方次第で大きく違う。つまり生きるに値する生活への侵害が、数値や数式に圧縮され表現されているのである。そこで、危険の存在自体を信じることが必要となる。危険そのものは数値や数式の形では、身をもって感じることはできないからである。(本書p.p37-38)

そして、ベックは、次のように論じている。

そして、どのように生きたいのか、という古くて新しいテーマが浮上してくる。つまりわれわれが守らなくてはならない人間のうちの人間的なるものとは何か、自然のうちの自然なるものとは何なのかという問題といってよい。「破局的事件」の可能性をいろいろ語るということは、この種の近代化の進展を望まないという規範的な判断を、極端な形で述べることに他ならない。(本書p38)

いわば、危険ーリスクを承認するにあたっては、まずは測定し因果関係を確定するという意味での科学的認識とともに、そのような危険性に脅かされた生活は望まないという規範的価値観が必要であるとしているのである。

このように「危険」の認識には「科学」は不可欠である。しかし、実際に存在している「科学」は、放射性物質その他の有害な副産物を自ら生み出したものである。そこで、「科学的な合理性」と「社会的な合理性」の対立ということが生じてくる。このことをベックは、原子炉の問題を事例にして論じている。

危険についての科学的研究がこのように他分野の研究とかかわっている。この事実は、科学が合理性を独占しようとしている領域でいずれ明るみに出されよう。そしてそれは対立を引き起こすだろう。例えば、原子炉の安全性に関する研究は、事故を想定してはいるが、その研究対象を、数量化し表現することが可能なある特定の危険を推定することだけに限定している。そしてそこでは、推定された危険の規模は研究を開始した時点から既に技術的な処理能力に制約されてしまっている。これに対し、住民の大半や原発反対者が問題にするのは、大災害をもたらすかもしれない核エネルギーの潜在能力そのものである。目下事故の確率が極めて低いと考えられていても、一つの事故がすなわち破滅を意味すると考えられる場合には、その危険性は高すぎる。さらに、科学者が研究の対象としなかった危険の性質が大衆にとっては問題なのである。例えば、核兵器の拡散、人的なミスと安全性との矛盾、事故の影響の持続性、技術的決定の不可逆性などであり、これらはわれわれの子孫の生命をもてあそぶものである。言い換えるならばこうである。危険をめぐる討論のなかで浮き彫りにされるのは、文明に伴う危険に潜在する、科学的な合理性と社会的な合理性との対立なのである。(本書p.p40-41)

このように、「危険」=「リスク」を承認することは、複雑な問題を抱えている。「危険」=リスクは、近代の科学技術が生み出したものであるが、それを承認するためには「科学技術」によるしかない。しかし、そのことは、近代の科学技術の根本的基礎を疑うことになるのである。

なお、ベックの『危険社会』で環境破壊を扱った部分においては、科学技術が全面におかれて批判されているが、ベックは「危険を生産しておきながら、それを正しく認識できない大きな理由は、科学技術の合理性が『経済しか見ない単眼構造』にあるからである」(本書p94)としており、科学の背後にある経済もまた批判すべきものとしているといえるだろう。

この「科学的な合理性」と「社会的な合理性」の対立の諸相については、次回以降言及していきたい。

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ドイツの社会学者ウルリヒ・ベックは、チェルノブイリ事故直後の1986年5月、『危険社会ー新しい近代への道』(法政大学出版局、1998年、原著は1986年)の中でこのように言っている。

このように、原子力時代の危険が有する原動力は境界を消滅させる。それは、汚染の程度にも、またその汚染の影響がどのようなものかということとも関係ない。むしろその逆である。原子力時代の危険は全面的かつ致命的なものである。いわば、あらゆる関係者が必ず死刑執行台へと送りこまれるのである。原子力汚染の危険性を告白することは、地域、国家、あるいは大陸の全域において逃げ道が断たれたという告白に他ならない。こうした危険のもつ宿命的特質は衝撃的である。(本書p.p1-2)

ベックは、放射性物質を含む有毒物質による汚染が当局の基準からみても進行したとしても、当局は呼吸したり飲食したりすることを禁止できないし、大陸全体を封鎖することはできないと指摘する。ベックは、このようなことを「『他者』の終焉」と表現する。ベックは「この危険の有する影響力は、現代における保護区や人間同士の間の区別を一切解消してしまう」(本書p1)と述べている。

ベックは、いわば「貧困」によって、放射性物質を含む有毒物質などによる近代化によって作り出された危険を蒙る程度が変わってくることは認めている。ベックは、住居、職種、飲食物、教育を選択する余地のない下層階級のほうが、より危険を蒙るであろうと指摘している。しかし、ベックは、このように述べている。

…一目瞭然なのは、誰もが吸っている空気の中の有毒成分の前では、階層を隔てていた障壁など霧散してしまうという事実である。このような状況下で実際に効果があるのは、食わざる、飲まざる、吸わざるだけだろう…近代化に伴う危険性の拡大によって、自然、健康、食生活などが脅かされることで、社会的な格差や区別は相対的なものになる。このことから、さらに、さまざまな結論が導き出される。とはいえ、客観的に見て、危険は、それが及ぶ範囲内で平等に作用し、その影響を受ける人々が平等化する。危険のもつ新しいタイプの政治的な力は、まさにここにある。(本書p51)

このような関係は、国際的な規模でも生じているとベックはいう。ベックは、まず、このように指摘している。

危険な産業は労働力の安価な国々へ疎開している。これは単なる偶然の成り行きではない。極度の貧困と極度の危険との間には構造的な「引力」が働いているのである。…このことは、働き口のない地方の人々が、職場を生み出す「新しい」テクノロジーに対して、「かなり許容度が高い」ことを証明している。(本書p59)

しかし、ベックは、このように主張している。

貧困の場合と異なって、危険がもたらす悲惨さは、第三世界のみならず豊かな諸国にも波及する。危険の増大は世界と小さくし、世界をして危険を共有する一つの社会に変えてしまう。ブーメラン効果が富める国々にも影響を及ぼすのである。これらの先進工業国は、危険性の高い工業を発展途上国に移転させることで危険を遠ざけたが、一方食料品をこれらの諸国から安く輸入している。輸出された農薬は、果物、カカオ豆、飼料、紅茶などに含まれて、輸出した先進工業国へ戻ってくる。ここに見られるように周辺諸国の貧しく悲惨な地域が、豊かな工場地帯の入り口まで押し寄せてきているのである。(本書p.p65-66)

ベックは、このような、いわば、階級・地域をこえた近代化によって生じた危険の共有は、最終的には「世界社会というユートピア」に行き着くことを必要とすると論じている。

…危険社会の発展の原動力は多くの境界を無にするものである。そして同時に底辺民主主義的なものでもある。このようなスケールの大きさから人類は皆同一の文明の危機に曝されるのである。
 この限りで、危険社会には対立やコンセンサスの新しい源泉があると見ることができる。危険社会の課題は、困窮の克服にあるのではなく、危険の克服に置かれる。…危険社会では客観的にみて「危険が共有されている」ので、最終的には世界社会というカテゴリーでしか危険状況に対処しえない。文明自体に潜在する危険が近代化の過程で増大することによって、世界社会というユートピアが一段と現実的になっている。少なくとも、そのようなユートピアを実現することが急を要する事態となっている。(本書p.p71-72)

本書全体は、チェルノブイリ事故前に書かれたものであるが、まるで、福島第一原発事故後の状況を予言しているかのようにみえる。福島第一原発事故の最も大きな被害は、原発が立地している福島県浜通りが蒙ったといえる。そして、原発事故後の対応により大量の被ばくを蒙らなくてはならないのは、原発労働者たちである。しかし、被害者は、地元地域だけではない。直接原発とは関わらない飯館村なども避難を余儀なくされた。そして、また、福島市や郡山市などの福島県中通りも放射性物質による多大な汚染を蒙った。そればかりではなく、首都圏などにも放射性物質の汚染は及んだ。さらに、食品などについては、日本全体から日本製品が輸出される世界各地域に汚染は及んでいる。加えて、福島第一原発事故において放射性物質は大気中・海中にも放出され、少なくとも東アジアもしくは環太平洋地域が汚染されたといえる。

つまりは、福島第一原発事故は、福島もしくは日本一国の問題ではない。この問題においては、「他者」はおらず、すべてが「当事者」であるといえるのである。例えば、2011年の脱原発デモがさかんに行われる契機となったのは、首都東京の人びとの運動であるといえるのであるが、それは、このようなことを背景にしているといえる。

といっても、いまだに、福島第一原発事故について、私たちは「分断状況」にある。このことを、まず、ベックの「危険」=リスクという概念を使って、今後検討していきたいと考えている。

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