2011年6月30日、開沼博さんの『「フクシマ」論ー原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)が出版された。開沼さんは、現在東大大学院博士課程に在籍中で、本書は修士論文である。本書の内容を概括すると、開沼さんが、資料の渉猟と、関係者の聞き書きによって、福島第一原子力発電所周辺の地域社会と原発の関係について考察したものである。
まず、青土社のホームページより、本書の目次を示しておこう。
「フクシマ」 を語る前に
第Ⅰ部 前提
序章 原子力ムラを考える前提―― 戦後成長のエネルギーとは
1 はじめに
2 「翻弄される地方・地域の問題」 の複雑さ
3 『田舎と都会』
4 地方の服従と戦後成長という問い第一章 原子力ムラに接近する方法
1 原子力ムラという対象
1・1 戦後成長とエネルギー
1・2 原子力ムラとは何か
1・3 原子力の三つの捉え方
2 これまで原子力はどう捉えられてきたか
マクロアプローチ
メゾアプローチ
ミクロアプローチ
葛藤から調和へ
3 どのように原子力を捉えるのか第Ⅱ部 分析
第二章 原子力ムラの現在
1 原子力の反転
1・1 「クリーン」 な原子力
1・2 「脱原発の兆し」 と原子力ムラ
1・3 原子力ムラの秩序
2 原子力を 「抱擁」 するムラ
2・1 方法の再確認―― 「抑圧」 「変革」 からの脱却のための 「経験」 への注目
2・2 中央からの切り離し
2・3 流動労働者の存在と危険性の認識―― 原子力ムラが排除するもの
2・4 中央を再現するメディアとしての原子力―― 原子力ムラが包摂するもの
3 原子力ムラの政治・経済構造
3・1 反対の極から推進の極への 「転向」―― 二値コミュニケーションの転換
3・2 原子力ムラの経済依存―― 地元雇用と波及効果
4 佐藤栄佐久県政―― 保守本流であるがゆえの反原子力
4・1 「保守本流」 としてのスタート
4・2 「中央」 と 「原子力ムラ」 のはざまでの 「地方」 のゆらぎ
4・3 「中央」 との対峙
4・4 突然の幕切れと 「二つの原子力ムラ」―― なぜ 「地方」 は逆戻りしたのか
4・5 なぜ、佐藤栄佐久県政において原子力はゆらいだのか―― 電力自由化と五五年体制の崩壊第三章 原子力ムラの前史―― 戦時~一九五〇年代半ば
1 戦時体制下のムラ
1・1 戦時下における貧しいムラの動員と変貌
1・2 中央の余剰の引き受けてとしてのムラ―― 起死回生のプロジェクトから
2 戦後改革と混乱するムラ―― 常磐炭田と大熊町
2・1 地方自治政策の変化とエネルギー政策の転換―― 常磐炭田のヤマ
2・2 戦後改革とムラの混乱―― 自律的であるがゆえの国家への取り込み
3 中央とのつながりの重要性
3・1 反中央・反官僚の戦い―― 佐藤善一郎の選挙
3・2 福島県と電力―― 中央‐地方関係の確立
3・3 主体性をもった地方の誕生―― 巨大電源開発プロジェクト
4 変貌するムラと原子力―― 原子力ムラ誕生への準備
4・1 中曽根康弘と正力松太郎―― 中央の政治・メディアにおける原子力と戦後復興
4・2 ムラの変貌―― 「村の女は眠れない」第四章 原子力ムラの成立―― 一九五〇年代半ば~一九九〇年代半ば
1 反中央であるがゆえの原子力
1・1 「地方への」 から 「地方からの」 への転換―― 原発誘致のエージェント
1・2 原子力イメージの連続と断絶・原子力ムラの成立
2 原子力ムラの変貌と完成
2・1 原子力がムラにやってきた―― わらぶき屋根が瓦屋根へ
2・2 東電による雇用拡大と農業の変化・出稼ぎからの解放
2・3 ムラの変貌と成長の夢
2・4 中央から来る 「近代の先端」 に映る自画像
2・5 変貌の影の露呈
3 原子力ムラと 〈原子力ムラ〉―― メディアとしての原子力第Ⅲ部 考察
第五章 戦後成長はいかに達成されたのか―― 服従のメカニズムの高度化
1 中央‐ムラ関係におけるメディエーター(媒介者)としての地方
2 ムラの変貌と欲望
3 戦後成長とエネルギー
4 内へのコロナイゼーション第六章 戦後成長が必要としたもの―― 服従における排除と固定化
1 他者としての原子力ムラからの脱却
2 排除と固定化による隠蔽―― 常磐炭田における朝鮮人労働者の声から
3 成長のエネルギー終章 結論―― 戦後成長のエネルギー
1 原子力ムラから見る服従の歴史
2 統治のメカニズムの高度化
3 成長に不可欠な支配の構図
4 幻想のメディア・原子力と戦後成長補章 福島からフクシマへ
1 「忘却」 への抗い
2 「4・10」
3 忘却の彼方に眠る 「変わらぬもの」―― ポスト3・11を走る線分注
参考文献
あとがき関連年表
索引[著者] 開沼博(かいぬま・ひろし)
1984年福島県いわき市生まれ。2009年東京大学文学部卒。2011年東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。
副題にある「原子力ムラ」という概念が、開沼さんの独自のものであることを忘れてはならない。今、一般的には、「原子力ムラ」といえば、電力会社・原子炉メーカー・大学・経済産業省などの、いわば「原子力業界」をさしている。開沼さんも全くそういう意味で使わないわけではない。しかし、概ね、開沼さんの「原子力ムラ」は、原発を受け入れた地域社会をさしている。
開沼さんの議論は、暴力的に概括すれば、原発を積極的に受け入れている地域社会側の論理を内在的に把握しようとするものであるといえる。開沼さんによれば、すでに戦前期より、ムラー地域社会は、中央(政府・資本)の側の「部品化」を積極的に受け入れることによって、近代化を達成しようとしており、また、それが実現できなければ存立できない状況となっていた。原発の受け入れも、その一つの手段であり、国策としての原発立地をムラー地域社会(やはりムラは変だ)は、近代化を達成しようとした。そして、その論理は、推進/反対という二分法ではなく、愛郷/非愛郷というものであるとしている。そして、反対派すらも「愛郷」という論理で抱擁するとしている。つまりは、原発推進も、原発反対も「愛郷」なのであり、その意味で反対派も「抱擁」されているというのである。そして、原発が実際に建設され、地域社会(ムラは変だから使わない)の住民や自治体財政が原発に依存するようになると、この「愛郷」という論理が、強固な原発推進のバックボーンとなると開沼さんは述べている。
そして、このような地域社会においては、このようなことが一面で起こるとする。
全体に危機感が表面化しない一方で、個別的な危険の情報や、個人的な危機感には「仕方ない」という合理化をする。そして、それが彼らの生きることに安心しながら家族も仲間もいる好きな地元に生きるという安全欲求や所属欲求が満たされた生活を成り立たせる。
そうである以上、もし仮に、「信じなくてもいい。本当は危ないんだ」と原子力ムラの外から言われたとしても、原子力ムラは自らそれを無害なものへと自発的に処理する力さえ持っていると言える。つまり、それは決して、強引な中央の官庁・企業による絶え間ない抑圧によって生まれているわけではなく、むしろ、原子力ムラの側が自らで自らの秩序を持続的に再生産していく作用としてある。
さらに、開沼さんは、Jヴィレッジ(東電が広野町に建設したサッカー施設)や、そこを本拠地とする東電女子サッカー部マリーゼ(なでしこリーグ所属、現在活動停止中)、「原子力最中」、「回転寿しアトム」、原発PR館などにふれながら、このように指摘している。
直接的に原発・関連施設がイメージされるか否かという点に関わらず、原子力ムラには、これらのように原子力を身近なものとし、原子力自体やそれに媒介された文化が成立する。これらの例からは、原子力を持つことと引き換えに、あるいは原子力を通して、原子力ムラが自らを肯定する文化を歴史的に作り上げてきているということが言えるであろう。本節の冒頭で示した「原子力ムラは何を包摂するのか」という問いに答えるならば、原子力ムラは原子力によってムラにもたらされたアイデンティティや中央の文化を、決して他者によって設計され無理やり押し付けられたというわけではなく、自ら取り込みながら包摂していったということができるだろう。
私のように「俄か」に原発のことに関心をもった人間からいえば、非常によく調べられており、多少嫉ましい思いもする。全体でいえば、従来反対運動側から、「敵対者」として外在的にしか捉えられてこなかった地域社会における原発推進派の論理を、内在的に把握しているといえる。私も、原発推進側の論理においては、「愛郷」意識に基づいた主体的な選択という側面があることは感じていた。しかし、このような形で言語化できなかった。また、「原子力安全神話」「原子力文化」についての指摘も的確だと思う。
ただ、逆に、地域社会における原発推進の論理をあまりにも内在的かつ精密に理解したがゆえに、その相対化が十分はかれないこともあるように思える。これは、研究対象に肉薄したためともいえるのであるが…。
まずは、「原子力ムラ」-地域社会の内実をみてみよう。「ムラ」という概念に、さっきから違和感を感じていた。開沼さんの「原子力ムラ」は、いわば立地自治体レベルの話なのではないか。例えば、福島第一原発でいえば大熊町・双葉町、福島第二原発でいえば富岡町・楢葉町、浪江・小高原発(東北電力)でいえば浪江町・旧小高町のレベルについて語っているように思われる。そして、その首長たち、議員たち、そして彼らに密接に結びついている住民たちについては、確かにそのような「ムラ」意識をもつだろう。しかし、普通「ムラ」といえば、藩制村にさかのぼるより共同体的な部落をさすのではなかろうか。そのレベルでの「愛郷」という意識は、自治体レベルの「愛郷」とは違うだろう。そして、このような共同体的な部落において、福島第二原発における富岡町毛萱、浪江・小高原発における浪江町棚塩のように、反対運動が生まれたのである。いわば、「ムラ」とは、階層性を有している。反対運動を抑圧していく過程は、自治体レベルの「ムラ」が、部落レベルの「ムラ」を抑圧し、さらには「愛郷」という旗印を独占していく過程でもあるだろう。推進派の側は、それを「忘却」しており、逆に彼らからいえば、そのようなことは見えないのである。ある意味では、内在的にみることにつとめた結果、開沼さん自身も視野狭窄に陥っているような印象を受ける。もちろん、すべてを論じることはできないので、ある種の限定は必要である。ただ、なんというか「原子力ムラ」としてしまうと、内部が一枚岩の印象を受けるのだ。確かに推進派からいえば反対派は抱擁されている存在なんだろう。しかし、反対派からいえば、とても「抱擁されている」とは感じないであろう。
次いで、まあ、これは無い物ねだりなのだが……。「原子力ムラ」の論理を、やや性急に戦後社会の地域開発全般に結びつけているような気がする。確かに、戦後社会の地域開発全般の論理は「原子力ムラ」の論理と通底しているといえる。しかし、原発開発は、放射線被害以外でも、地域開発一般からみれば、特異な開発でもある。製鉄所・石油コンビナート・港湾整備などと比べれば、原発開発は雇用や副次的な開発などの波及効果が少ない。それゆえに電源交付金という制度ができたといえる。全般的な地域開発への展望については、原発以外のものもみるべきであると思う。
さて、一番の問題は、3.11以後、開沼さんのいう「原子力ムラ」がどうなるのかということである。開沼さんは、このように言っている。
福島において、3.11以後も、その根底にあるものは変わってはいない。私たちはその現実を理解するための前提を身につけ、フクシマに向き合わなければならない。さもなくば、希望に近づこうとすればするほど希望から遠ざかっていってしまう隘路に、今そうである以上に、ますます嵌りこむことになるだろう。
そして、何も変わらない証左として、高円寺の原発反対反対デモがあった4月10日の統一地方選において原発立地自治体ではおおむね原発推進派が勝利したこと、そして、福島第一原発事故で離郷した人々が柏崎刈谷原発などに再雇用されていくことなどをあげている。単純化すれば、「原子力ムラ」は原発を必要としているというのである。
そして、開沼さんの攻撃対象は、「原子力ムラ」をかえりみない知識人に向けられる。
原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めることを叫び、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない。そして、その圧倒的なジレンマのなかに原子力ムラの現実があることが「中央」の推進にせよ反対にせよ「知的」で「良心的」なアクターたちによって見過ごされていることこそ最大の問題がある。とりあえずリアリストぶって原発を擁護してみる(ものの事態とともに引っ込みがつかなくなり泥沼にはまる)か、恐怖から逃げ出すことに必死で苦し紛れに「ニワカ脱原発派」になるか、3.11以前には福島にも何の興味もなかった「知識人」の虚妄と醜態こそあぶり出さなければならない。それが、40年も動き続ける「他の原発に比べて明らかにボロくてびっくりした」(前出、30代の作業員)福島原発を今日まで生きながらえさせ、そして3.11を引き起こしたのは確かなのだから。
確かに、3,11以前の福島第一原発の地元の人たちなら、こういったかもしれない。今でも佐賀県玄海町やその他の原発立地自治体では、こういう声が聞けるかもしれない。開沼さんの話は、まさに原発を維持し続ける強固な構造が「原子力ムラ」-地域社会にはあるということなのである。そして、そんなことを無視し続けた知識人こそ「最大の問題」なのである。
確かに無視していたと思う。「知識人」がどうかはわからないが私も反省する。
しかし、これは、3.11以後の「フクシマ」の現実なのだろうか。福島第一原発事故で、期間は不明ながら、離郷せざるをえない人々は、どこに住んでいるのか。いまだに「原子力ムラ」に住んでいるのか。確かに、「原子力ムラ」に戻りたいという意識はあるだろう。しかし、そんなことは可能か。それこそ、福島第一原発で事故処理を扱うことくらいしかできないのではなかろうか。それで、住んでいるといえるのか。
「愛郷」は、確かに開沼さんのいうように、原発推進の論理であっただろう。3.11以前には。しかし、離郷せざるをえない人々の「愛郷」は、離郷せざるをえない原因となった「原発」に向かうのだろうか。推進派の人々も含めて、「原子力ムラ」自体が根扱ぎにされてしまった。福島に限定していうなら、それが、3.11以後の「原子力ムラ」の現実である。
福島で、原発反対運動をしていた人々の意識には、このようなことになることへの恐れがあった。彼らには、それが「愛郷」であったのだ。
今の状況において問題なのは、「変われるかいなか」ではない。「変わらされてしまった」のであり、それを前提にどのように行動するかなのだ。
それは、一方で、「原子力ムラ」の外部の人間にもいえるのだ。確かに「外部者」は無関心であったといえる。しかし、結局、放射線汚染は拡大し、それへの恐怖は一般化してしまった。そのような恐怖を抱いているのは東京の人間だけではない。福島県の近隣住民も恐怖を抱えている。そして、それは、他の原発自治体の近隣にもひろまっていく。受益もないのに、恐怖だけが蔓延することになる。原発は、もはや、中央と「原子力ムラ」だけの問題ではないのである。
その意味で、開沼さんの結論には、異論がある。よく調べており、対象地域の人々の意識に内在するがゆえにとは思うのであるが、そのために、基本的な事実、福島第一原発事故をどうとらえるかということがよくわからない。そして、それが、学問的には素晴らしい成果を、より深めて考えていくことの一助になると……。いやはや「俄か」がなに偉そうにと言われるだろうが。
興味深いとともに、違和感をもつ論考であった。機会があれば、もっと論じてみたいと思う。