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Archive for 2014年4月

安倍晋三首相が、4月29日、欧州歴訪に出発した。そのことを伝える朝日新聞のネット配信記事を下記に掲載しておく。

安倍首相、ドイツに到着 欧州歴訪、EPAなど協議
小野甲太郎 小野甲太郎2014年4月29日17時36分

 安倍晋三首相は29日午後、ドイツ、英国、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギーの欧州6カ国訪問のため、政府専用機で羽田空港を出発し、同日夕(日本時間30日未明)、最初の訪問地ドイツ・ベルリンに到着した。30日昼(日本時間同日夜)にメルケル独首相と会談する。

 首相は出発に先立ち羽田空港で記者団に、「日本と価値観を共有する欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化していきたい」と語った。

 首相は訪問先の各国首脳や、経済連携協定(EPA)交渉を進める欧州連合(EU)首脳と会談する。ロンドンの金融街シティーのギルドホールで演説するほか、経済協力開発機構(OECD)閣僚理事会では議長国として基調講演。北大西洋条約機構(NATO)理事会でも演説する。主要7カ国(G7)メンバーの各国首脳とはウクライナ情勢への対応も話し合う予定だ。(小野甲太郎)
http://www.asahi.com/articles/ASG4Y4J60G4YUTFK003.html?iref=com_alist_6_03

このニュースを聞いて気になったのは、出発直前に安倍首相が語った「日本と価値観を共有する欧州との関係を強化し、日本の発信力を強化していきたい」というフレーズである。さてはて、日本と欧州は、価値観を共有しているのだろうか。

例えば、2012年4月、まだ野党であった自由民主党が出した日本国憲法改正案を説明した「日本国憲法改正案Q&A」増補版において、自由民主党は基本的人権における改正の意味について、次のように説明している。

また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。
例えば、憲法 11 条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました。
https://www.jimin.jp/policy/pamphlet/pdf/kenpou_qa.pdf

つまり、改憲案では、明確に「西欧の天賦人権説」を排除しているのである。憲法における基本的人権という最も根幹に存在する「価値観」において、自民党は「欧州」とはあえて異なった見解をもっている。そして、この自民党が中心になって組織されたのが、安倍政権にほかならないのである。

このように考えてみると、自民党ー安倍政権は、欧州との関係において、重大なアポリアをかかえているといえる。安倍首相としては、「日本の発信力を強化」するという一点で、欧州諸国との間では「価値観の共通」を強調しなくてはならない。しかし、「欧州との価値観の共通」を強調することは、憲法改正案で表出された自身の「価値観」を否定することにつながってくる。ある意味で、必然的に「自虐」が必要となってくるのである。他方で、すでに憲法改正案は公表されているのであって、欧州諸国の観察者においても、よく注視するならば、安倍政権の「価値観」における二重基準をみてとることができよう。それゆえ、どのように価値観の共通を安倍首相が強調しても、心からの信頼を得ることは難しくなるだろう。

しかし、安倍政権としては、アジアの隣国である中国・韓国に対抗している以上、欧米との連携を強めることにつとめざるをえない。結局、現代における「脱亜入欧」をはからなくてはならないのである。そして、このように「脱亜入欧」の立場をとることが、経済的な優越性を喪失した日本が、アジアにおける「大国」としての立場を保ちつづけるために必要とされていると、安倍政権はみているだろう。このように、「脱亜入欧」しているという意識があるがゆえに、中国・韓国などのアジア地域の人々に対する優越感を維持していけると認識していると考えられる。

だが、この戦略は、現在でも長期的に適用できるものなのだろうか。例えば、安倍晋三の祖父岸信介が首相をつとめていた冷戦期ならば、核戦争の恐怖の下、「社会主義圏」に対抗するという名目で、どれほど自由のない独裁国家でも価値観を共通する「自由主義圏」の一員として遇されることはありえただろう。しかし、「社会主義圏」が崩壊したポスト冷戦期の現在、いくら、中国の台頭に多くの諸国が警戒感をもつといっても、それだけで「価値観」を共通するというわけにはいかないのである。

「天賦人権」を西欧起源であるとして否定する価値観をもつ自由民主党が基盤となって成立している安倍政権が、「欧州と共通の価値観」を有していると強弁し、自身の価値観について「自虐」しつつ、欧州諸国を外遊するという不条理。近代初頭に「脱亜論」を提唱した福沢諭吉は、「天賦人権論」を主張した一人でもあった。もちろん、「脱亜論」自体を批判すべきであるが、福沢は「欧州の価値観」を積極的に日本社会において啓蒙していたことも忘れてならないだろう。安倍首相は、欧州から何を学んでくるのだろうか。安倍は全く自覚していないと思うが、彼の「脱亜入欧」論は、もはや、福沢諭吉の時代の「脱亜入欧」論の戯画としてしかみることができないのである。そして、この「戯画」こそが、現代日本の真の鏡像といえよう。さらにいえば、「脱亜入欧」それ自体の終わりを予兆しているとも考えられるのである。

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福島第一原発の汚染水問題は、どうなるのだろうか。テレビ朝日は、4月19日に次のような記事をネット配信した。それによると、地下水を海に流したり凍土壁を作るなど、汚染水を増やさない対策が実施できない「最悪」のケースになった場合、2年後、建設した全てのタンクに汚染水が入りきらなくなるとされている。

2年後の福島原発は?…“最悪のケース”初試算(04/19 17:42)

 東京電力は、福島第一原発で汚染水が増え続け、2年後にも敷地内のタンクに入りきらなくなる“最悪のケース”を初めて試算し、その結果を原子力規制委員会に報告しました。

 東京電力は、タンクに汚染水を最大90万tまで入れられるよう計画し、タンクを海上輸送するなど建設を急いでいます。しかし、規制委員会から、地下水を海に流したり原子炉建屋の周りの地面を凍らせる「凍土壁」など、汚染水を増やさない対策が実施できない最悪のケースも試算するよう求められました。試算の結果、建設したすべてのタンクに汚染水を入れても、2年後に入りきらなくなるということです。規制委員会は、これまでに打ち出した汚染水対策で期待する効果が出るか確認するよう指示しました。http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000025403.html

もちろん、このことは由々しき事態である。しかし、連日、汚染水漏れやALPS(多核種除去設備)の作動停止などの報道がなされ(あまりに多くて不感症になってしまうほどである)、汚染水処理のコントロールが不全になっている有様を目にすると、この「最悪」のケースが一番現実的なのではないかと考えてしまう。多少うまくいったとしても、せいぜい2年という期限が伸びるだけなのではなかろうか。

そして、さらに指摘しなくてはならないことは、これが「最悪」とすら言い切れないことである。現在、原子炉内部に入った高濃度汚染水については、放射性セシウムや放射性ストロンチウムなどの放射性物質をALPSなどで除染することになっている。しかし、ALPSは、放射性のトリチウムは除染できない。結局、現在の計画では、トリチウムが残存したままで除染処理後の汚染水を放出することになっている。

現在、原子炉建屋に流れ込む前の地下水をくみあげ、それを海に直接流すことで、原子炉建屋で発生する汚染水を量的に減少させる事業を行おうとしている。しかし、福島第一原発事故やその後の汚染水漏れで、対象の地下水自体がトリチウムなどによって汚染されてしまっている。それでも、トリチウムで放出基準値1リットルあたり1500ベクレル以下の場合は放出することにされている。この事業が軌道にのり、ALPSが本格稼働(現状では、いつになるか、神のみぞ知るということなのだが)すれば、原子炉内部で発生した高濃度汚染水についても、トリチウムが残存した形で、海などに放出することになろう。結局、福島第一原発周辺の環境は、これからも放射性物質で汚染され続けることになるのである。

そして、このトリチウムの全体量が半端なものではないのである。4月24日、毎日新聞がネット配信した次の記事をみてほしい。

福島第1原発:放射性トリチウムは推計3400兆ベクレル
毎日新聞 2014年04月24日 20時43分

 東京電力は24日、福島第1原発1〜4号機にある放射性トリチウム(三重水素)の総量は、推計で約3400兆ベクレルに上ると発表した。国が定める1基当たりの年間放出基準(3.7兆ベクレル)の900倍以上に相当する。

 政府のトリチウム対策を考える部会で試算を報告した。内訳は、溶けた核燃料などに約2500兆ベクレル▽敷地内に貯蔵されている汚染水に834兆ベクレル▽原子炉建屋やタービン建屋内の滞留水に約50兆ベクレル▽建屋地下から護岸につながるトレンチ(配管などが通る地下トンネル)の水に約46兆ベクレル−−が含まれる。

 汚染水に含まれるトリチウムの量は1月の報告より約17兆ベクレル増加した。溶けた核燃料を冷却する水にトリチウムが溶け出ていることが懸念される。この点について、東電は部会で「事故直後に比べて濃度は下がっており、核燃料から大量に溶け出ている状況ではない」と説明した。

 トリチウムは62種類の放射性物質を取り除ける多核種除去装置「ALPS(アルプス)」でも汚染水から取り除くことができず、海洋放出や水蒸気化、地下埋設などの対策が検討されている。【鳥井真平】
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20140425k0000m040085000c.html

すでに、福島第一原発には3400兆ベクレルのトリチウムが存在しており、1基あたりの年間放出基準3.7兆ベクレルの900倍ーつまり900年分あるということになる。そして、1月から4月までの間だけで17兆ベクレル増えたというのである。この分だけで、4.5年分にあたることになるだろう。かなり緩いと考えられるトリチウムの年間放出基準をもとにかんがえても、トリチウムの放出に900年かかることになる。

つまり、トリチウム除去をせずに汚染水の放流を続けると、大規模な環境汚染を惹起するか、ほぼ1000年近くかけて放流するかという二つの選択肢しかなくなるのである。その上、現在でもトリチウム汚染は拡大している。結局、東電などがいう「最悪」のケースを回避したとしても、「最悪」という状態は変わらないのである。これを「危機」とよばずして、何を「危機」とよべばいいのだろうか。

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たぶん、2011年は、二つの意味で日本社会のターニングポイントになったと評されることであろう。一つは、2011年3月11日の東日本大震災とそれによる福島第一原発事故である。そして、もう一つは、中国のGDPが日本のそれを追い越し、中国が世界第二の経済大国となったということがあきらかにされたことである。

ここでは、後者のことをみておこう。次に日本経済新聞が2011年1月20日にネット配信した記事を掲載する。

中国GDP、世界2位確実に 日本、42年ぶり転落
10年2ケタ成長
2011/1/20 11:00 (2011/1/20 13:32更新)

 【北京=高橋哲史】中国国家統計局は20日、2010年の国内総生産(GDP)が実質で前年比10.3%増えたと発表した。年間の成長率が2桁になったのは07年以来、3年ぶり。公共投資や輸出がけん引し、世界的な金融危機の後遺症から抜け出せない日米欧とは対照的な高成長を実現した。名目GDPが日本を抜いたのは確実で、日本は42年間にわたり保ってきた世界第2位の経済大国の地位を中国に譲る。

 10年10~12月期のGDPは実質で前年同期比9.8%増だった。

 10年のGDPは国際比較に用いられる名目ベースで39兆7983億元。1~9月はドル換算で中国が日本をわずかに下回ったが、10~12月期を加えた通年では逆転したとみられる。

 大和総研の試算によると、中国の10年の名目GDPはドル換算で5兆8895億ドル。日本が中国と肩を並べるには内閣府が2月14日に発表する10年10~12月期の名目GDPが前期比27%増になる必要があり、「10年の日中逆転は確実」(熊谷亮丸チーフエコノミスト)になった。同社の推計では日本の10年の名目GDPは5兆4778億ドルで、中国を約4000億ドル下回る。

 中国の高成長の原動力となったのは、公共事業を柱とする投資だ。10年の都市部の固定資産投資(設備投資や建設投資の合計)は前年比24.5%増。伸び率は09年の30.4%を下回ったが、引き続き高水準を保った。景気刺激策に伴う公共事業の拡大が生産を刺激し、経済全体を押し上げた。

 10年3月までは成長を押し下げる要因だった外需も、年央から急速に回復している。10年の輸出額は31.3%増の1兆5779億ドルに達し、09年に続きドイツを抜いて世界一になったもよう。低めに抑えられた人民元相場が輸出を後押しし、経済成長を支える構図は大きく変わっていない。

 10年の社会消費品小売総額(小売売上高)は18.4%増。新車販売台数が32.4%増の1806万台と2年連続で世界一になるなど、個人消費は堅調に推移した。ただGDPに占める消費の割合は4割弱にとどまり、7割の米国、5割強の日本に比べなお小さい。中国政府は「投資、外需、消費のバランスの取れた成長」をスローガンに掲げ、消費の拡大を最重要課題と位置付けている。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1905R_Q1A120C1000000/

すでに、2010年のGDPにおいて、中国は日本を追い越した。そして、それがあきらかになったのは、2011年1月であり、3.11の直前のことであった。3.11の衝撃によって、一時あまり意識されなくなったが、その時の衝撃は大きかったといえる。

なぜなら、日本が世界第二ーアジアでは第一の経済大国であるということは、東アジアにおける日本の威信の源泉であったからである。すでに、中国史研究者の溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』の中で、「中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な『脅威論』から抜け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に『知』的に対処していかねばならない」と指摘し、近代化過程における西洋中心主義的な先進ー後進図式からの脱却と、中華文明圏ー環中国圏という関係構造の持続に注目しながら、「とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激しつづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである」と主張した。溝口によれば、近代以降、日本は中国に優越していると意識してきたが、経済面での優位の喪失は、そのような意識の現実的基盤が失われることを意味するだろうとしているのである。これは、まったく、予言的な発言であったといわざるをえない。

今、翻って、第二次安倍政権の政策展開を回想してみると、中国の台頭による東アジアでの日本の優位性の喪失への「対抗」としての側面が非常に強いと感じられる。経済的優位の喪失は、経済ではなく政治的・軍事的優位によって代替えしようという志向につながった。尖閣諸島・竹島などの国境線における強硬姿勢、戦前の侵略問題や靖国神社参拝さらに従軍慰安婦問題などの歴史問題における緊張関係の醸成は、中国・韓国などの「介入」を許さないという形で、象徴的に日本の優位性を確保しようという試みにほかならない。そして、日米同盟を強調しつつ(ただ、このこと自体が日米摩擦の原因になっているが)、解釈改憲・明文改憲によって、「平和主義」を放棄し、「積極的平和主義」の名のもとに、自衛隊による軍事介入を進めようとしていることは、まさに軍事的な優位を確保しようという動きといえよう。もちろん、このような動きは、戦後一貫して自由民主党などに存在していた。しかし、この動きが、自由民主党内部ですら戸惑いの声があがるほど加速しているのは、アジアにおいて、経済的優位に変わる政治的・軍事的優位を確保しようする、いわば換言すれば、政治的・軍事的な手段によってアジアにおける「大国」としての地位を維持しようという焦燥感に根ざしているのではなかろうか。

他方で、アベノミクスの名の下に、再び「高度経済成長」が可能であるという「幻想」をふりまきつつ、実際には、生活保護費・年金の削減や消費増税などを行い、資本蓄積の最適化をめざしている。安倍政権や経団連にとって、今や「世界の工場」となっている中国と比較すると、労働者賃金においても、社会福祉を中心とした税負担においても、環境保護対策においても、資本蓄積における日本のコストは高すぎると感じられているのだろう。そして、彼らからすれば、現状においては、日本企業においてもコストの低い中国に生産拠点を移転することが合理的なのであり、もし、日本の「空洞化」を阻止するのであれば、中国なみにコストを下げることが必要なのだと思っているに違いない。もちろん、これも、グローバリゼーション化において、「新自由主義」という形で、日本だけではなく、全世界でみられることである。先進資本主義国から、コストの安い新興国に生産拠点が移され、空洞化した先進資本主義国において、国内における「コスト」削減ー賃金・社会保障・教育など広範囲の分野でーをはかる新自由主義は世界のどころでもみることができる。ただ、この動きが、3.11以降、日本国内で加速していることも事実である。この動きのなかでは、かなり高い経済成長を続けて世界第二位の経済大国となった中国への「対抗」が強く意識されているとみることができる。

第二次安倍政権は、第一次安倍政権も含めた歴代保守政権の政策志向を受け継いでいる。改憲論、平和主義の放棄、歴史修正主義、経済成長推進、社会保障切り捨て、等々。しかし、これらの志向が、既存の国際秩序への軋みも考慮せず、国内での社会的反発も等閑視して進められていくことは、これまでなかったことである。そのような「加速」の背景として、中国が世界第二の経済大国となり、日本がアジアにおける優位性を主張できなくなったことへの焦燥感があると考えられるのである。そして、これは、政権内部だけでなく、日本社会の多くの人びとが意識的もしくは無意識的に共有していることなのではなかろうか。むしろ、このような共通感覚にささえられて、大国主義的な第二次安倍政権が存在しているともいえよう。

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4月11日、「原発ゼロ」を転換するものとされるエネルギー基本計画が閣議決定された。

このことについて、朝日新聞・毎日新聞・東京新聞は、社説にて批判の意を表明した。また、地方新聞においても批判的に受け止めている社説が多々見られる。

それでは、原発推進派の人びとはどのようにこのエネルギー基本計画をみているのだろうか。原発推進をあからさまにかかげるメディアはそれほど多くはない。中央の新聞では、読売新聞・産經新聞・日本経済新聞くらいである。

ここでは、読売新聞が4月12日にアップした社説を事例にして、原発推進派の人びとの論理を批判的に検討していきたい。

まずは、読売の社説をかかげておこう。

エネルギー計画 「原発活用」は現実的な戦略だ

◆最適な電源構成の設定を急げ◆

 迷走した日本のエネルギー政策を、正常化する大きな一歩である。電力の安定供給体制の立て直しが求められよう。

 政府がエネルギー政策の指針となるエネルギー基本計画を閣議決定した。

 最大の焦点だった原子力発電所については、昼夜を問わずに発電する「重要なベースロード電源」と位置付けた。安全性を確認した原発の再稼働も明記した。

 民主党政権が掲げた「脱原発路線」に、正式に決別する妥当な内容と言える。

◆公明党の同意がカギに◆

 東京電力福島第一原発の事故を受け、全原発48基の停止という異常事態が続いている。

 政府は当初、今年初めにもエネルギー基本計画を閣議決定する方向だったが、自民、公明両党との調整が長引いた。

 速やかな「原発ゼロ」を選挙公約に掲げた公明党も、最終的に、原発を活用する基本方針に同意した。厳しい電力事情を考えたうえでの現実的な判断だった。

 事故前に全発電量の3割だった原発を火力発電が代替し、比率は9割近くに達している。

 輸入燃料に頼る火力発電への過度な依存は、エネルギー安全保障の観点から極めて危うい。

 火力発電の追加燃料費は年3・6兆円に上り、資源国への巨額な国富流出が続く。家庭の電気料金は事故前より東電で4割、関西電力も3割近く上がり、このままでは追加値上げも不可避だろう。

 問題は、いまだに原発再稼働への道筋が見えないことである。政府は立地自治体の説得を含め、再稼働の実現に向けた取り組みを加速させるべきだ。

◆再生エネ2割は疑問◆

 基本計画のもう一つの焦点は、太陽光など再生可能エネルギーの普及をどう見込むかだった。政府は、2012年度に約1割だった再生エネの比率を、30年度に2割以上にすることを盛り込んだ。

 再生エネを重視する公明党などの主張を受け入れたものだ。再生エネの拡充は必要だが、目指すべき最適な電源構成の全体像をまとめる前に、再生エネだけに数値目標を掲げたのは疑問である。

 2割に引き上げるには、原発10基をフル稼働して作る電力を、再生エネで新たに確保する計算になる。太陽光だけなら東京の山手線内の10倍の用地が、風力では約2万基の風車が要る。現時点では実現性に乏しい目標ではないか。

 日照や風の状況による発電量の急変動など、克服すべき課題も多い。官民が連携して技術開発を加速しないと、活路は開けまい。

 大切なのは、原発を含む電源構成の目標設定と、その達成への工程表を速やかに示すことだ。

 エネルギー政策の方向が不透明なままでは、企業が中長期の経営戦略を立てにくい。安倍政権の経済政策「アベノミクス」の足かせとなる恐れもある。

 経済性や供給安定性、環境負荷など、それぞれ長所と短所のある火力、原子力、再生エネにバランスよく分散させることが肝心だ。温室効果ガスの排出量を抑えた火力発電所の開発・新設など、多角的な対応も求められよう。

 基本計画は原発依存度を「可能な限り低減させる」とする一方、「確保していく規模を見極める」としている。原発の新増設に含みを残しているが、踏み込み不足は否めない。

 原子力技術の維持と人材育成のためにも、原発を新増設する方針を明示すべきだろう。

 原発の安全性に対する国民の不安が根強いのは、福島第一原発の事故収束の遅れも一因だ。政府と東電が緊密に連携し、早急に収束を図ることが重要である。

 原発を活用するうえで、放射性廃棄物の最終処分に道筋をつけることも欠かせない。「国が前面に立って取り組む」としたのは当然だ。処分地選定などで具体的な進展を図ることが急務となる。

◆最終処分に道筋つけよ◆

 核燃料サイクルについて「対応の柔軟性を持たせる」との表現が維持されたのは、懸念が残る。

 一方、高速増殖炉「もんじゅ」が新たに、核廃棄物の減量や有害度低減などの国際的な研究拠点と位置付けられたのは評価できる。核燃サイクルの着実な推進への追い風としたい。

 中国には15基の原発があり、55基の建設が計画されている。重大な原発事故が起きれば、放射性物質は日本にも飛来する。

 安全性能の高い日本の原発を新興国などに輸出することは、国際貢献になると同時に、日本の安全確保にもつながる。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20140411-OYT1T50161.html?from=yartcl_blist

これが、原発を推進している読売新聞の見方である。読売によれば、原発が稼働している状況が「正常」であり、稼働していない現況が「異常事態」なのである。このエネルギー基本計画は「正常」に戻る第一歩として位置づけられている。原発を「ベースロード電源」とするからには、再生可能エネルギーの比率を増やすなどということに拘泥せず、原発再稼働・新増設に邁進すべきというのが読売新聞の主張なのである。その主要な理由としてあげられているのは、火力発電では輸入燃料に依存するということである。現状では、原発も輸入燃料依存ということになるが、その弊害をさけるためには「核燃料サイクル」もまた必要となるということなのであろう。

そして、その前提となっているのは、「日本の原発は安全」ということなのである。原発を輸出することは、日本の安全にもつながるという論理なのである。

さて、このようにみてみると、福島第一原発事故についてほとんど触れていないことに気が付くであろう。福島第一原発事故については「収束の遅れ」ということだけが問題で、その他のことはまったく無視されている。考えてみると、それは当然である。福島第一原発事故は、日本の原発が安全であるという「安全神話」を破綻させた。原発の安全性についての日本社会の不安は、まさに福島第一原発事故の経験に起因している。しかし、読売新聞社説では、原発が稼働している状況こそ「正常」なのであり、原発再稼働・新増設・輸出はどしどし推進すべきとしている。その前提となっているのは「日本の原発は安全」という「安全神話」であろう。それゆえ、福島第一原発事故については、その経験を無視せざるを得なかったのであるといえよう。

この社説の表題は、「エネルギー計画 「原発活用」は現実的な戦略だ」である。しかし、そもそも、福島第一原発事故の経験という歴史的現実を「修正」した上で、もはや非現実的な「安全神話」に依拠せざるをえずには、この社説の論理は成立しないのだ。読売の社説のいう「現実的な選択」は「神話的な非現実性」をおびているのである。そして、これは、自己の思想によって歴史の「事実」を書き換えるという意味で、もう一つの「歴史修正主義」といえると思う。

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昨日(2014年4月3日)、たまたま読売新聞朝刊を見ていると、次の記事が目に飛び込んできた。

次世代原子炉の開発推進…エネ基本計画明記へ
2014年04月03日 04時12分

 政府が中長期的なエネルギー政策の指針となる新たな「エネルギー基本計画」に、次世代型原子炉の有力候補の一つである高温ガス炉の研究開発推進を明記することがわかった。

 高温ガス炉は燃料を耐熱性に優れたセラミックスで覆っているため、炉心溶融を起こしにくいのが特徴だ。国内での原発新増設の見通しは立っていないが、東京電力福島第一原発事故の教訓を踏まえ、安全性の高い技術開発に取り組む姿勢を示す。

 2月に公表した計画案では、原子炉の安全性強化について、「過酷事故対策を含めた軽水炉の安全性向上に資する技術」の開発を進めると明記した。政府・与党内の調整を踏まえ、「固有の安全性を有する高温ガス炉など、安全性の高度化に貢献する原子力技術の研究開発を国際協力の下で推進」との文言を追加することが固まった。国内で主流の軽水炉より安全度の高い原子炉の技術の発展を目指す考えを示したものだ。
http://www.yomiuri.co.jp/science/20140403-OYT1T50005.html

この「エネルギー基本計画」は、原子力発電を「重要なベースロード電源」として位置付け、原発再稼働を押し進めるとともに、核燃料サイクルも維持し、欠陥続きのもんじゅも研究炉として残すというもので、この日の自民・公明の作業チームで基本合意され、両党の党内手続きをへて、近く閣議決定されるとされている。このエネルギー基本計画自体、過半数が原発再稼働に反対している世論動向に反したものである。

この報道によると、エネルギー基本計画に、わざわざ、「次世代型原子炉」としての「高温ガス炉」の技術開発を盛り込むというのである。

まあ、反省がないこととあきれてしまう。琉球新報が4月4日に配信した記事によると、このエネルギー基本計画の案文の「はじめに」書かれていた「「政府および原子力事業者は、いわゆる『安全神話』に陥り」や、過酷事故に対する「深い反省を一時たりとも放念してはならない」」という文言を削除し、自公の作業チームでも一部議員が問題にしたという。反省すら「反省」されて、なくなってしまっているのだ。

一方、「新たな科学技術」の導入を提唱するということは、いかにも安倍政権らしいことだと思っている。福島原発事故をみる通り、現状の原子炉ー軽水炉技術は大きな危険をはらんでおり、そのことが人びとの不安の原因になっている。この不安は、原発の再稼働や新増設ができない理由になっている。この不安に対し、安倍政権は、「未来志向」で「新たな科学技術」への夢を煽ることによって、解消しようとしているのである。

さて、安倍政権は現状の体制の維持を主旨とする保守党の自由民主党を基盤とした政権である。しかし、原発政策については、現状の国土や住民に対するリスクを回避することを第一にしてはいないのだ。むしろ、危険性の有無もはっきりしない新たな科学技術に期待し、それを「未来志向」というのである。保守主義者たちが強調する「未来」とは、こういうものなのであろう。「未来への夢」にはコストがかからない。まるでSFのような非現実的とも思われる「未来への夢」を引き換えに、現状のリスクを承服すべきとしているのである。ここには、たぶんに、石油ショック以前の高度経済成長期への懐古意識があるのだろう。新しい科学技術による産業開発を無条件に崇拝し、公害や環境破壊を考慮することなく、資源やエネルギーを浪費することによって、「鉄腕アトム」の世界のような時代を築きあげることを夢見た時代に回帰したいという志向がそこにはあるといえる。そのような「懐古意識」が、彼らにとっての「未来志向」なのである。

このようなことは、現状の体制自体をかえるべきだとしている日本共産党や社会民主党などが、かえって、現状の国土や住民を保全することを第一義として、反原発を主張していることと大きな対照をなしている。歴史的前提としては、高度経済成長期において、日本共産党や日本社会党など「革新政党」が、公害や環境破壊をまねいた当時の開発政策を批判し、革新自治体を誕生させて、公害対策や環境保護を当時の政府よりも先行して実施したということがある。前回のブログで紹介した、東京都練馬区のカタクリ群生地の環境保護も、革新都政の産物なのだ。ここには、「革新」側が、むしろ、現状を保全する側に立つという逆説が現出しているといえよう。

そして、高温ガス炉などの新世代の原子炉が、現状の日本の科学技術で作ることができるか、ということにも大きな疑問符がつく。アメリカからの技術移転を契機に作られた軽水炉は、とにもかくにも、商業ベースになる程度には日本の科学技術でも運転できてきた。他方、日本が独自に技術開発した核技術は、高速増殖炉もんじゅにせよ、核燃料再処理工場にせよ、ALPS(多核種除去設備)にせよ、どれもが安定的に運転されているとはいいがたい。これは、軍事技術として成立してきた核技術の本来のあり方が反映していると思われる。アメリカにせよ、イギリスにせよ、ロシアにせよ、フランスにせよ、核技術は、核兵器その他の軍事技術であった。その際、資金・物資・人員などのコストについては、商業上では考えられないほどかけられたと思われる。軽水炉(元々は原子力潜水艦の動力源だった)などは、軍事技術を転用して作られたものである。その技術をコピーして商業ベースにのせて運用することは、日本の科学技術でもできた。しかし、独自の技術開発については、他国の軍事技術ほどのコストはかけられない。それゆえ、日本独自の核技術開発は質的に劣っているのではないかと考えられる。

さらに、理化学研究所のSTAP細胞問題が象徴的に示しているように、政府・企業の考える「成果」をあげることを求めて過度に競争を強いている日本の科学技術政策によって、日本全体の科学技術のレベル自体が後退しているように思われる。この中で、どうして、新たな科学技術開発が可能なのだろうか。

このように、日本で次世代原子炉の開発をするということは、なんというか、すべてが「非現実的」に思えるのである。現実的とされる保守主義者たちが、現実を見ないでSF的な未来への夢を語り、現状を変えると主張する(保守主義者たちからいえば「空想的」な)共産党や社会民主党などが、「現実」のリスクを前提に反原発を提唱するという、一種のジレンマが、ここに現れているように思われる。

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東京都練馬区大泉町1-6に清水山憩いの森というところがある。ここは、白子川という小さな川に面した傾斜地であり、クヌギ・コナラ・イヌシデ・エゴノキなどの落葉樹の雑木林が保存されている。その林床には多くの野草が自生し、特にカタクリが約30万株も群生している。このカタクリ群生地の環境が歴史的にどのような経過をたどって保護されてきたのかということをみていくことで、私たちは歴史を通じて未来を展望していくことにしたい。

清水山憩いの森の景況

まず、3月下旬の同地の景況を紹介しておこう。まず、全体は、下記の写真のようなところである。傾斜地上に雑木林が生えている。

清水山憩いの森の雑木林(2014年3月31日撮影)

清水山憩いの森の雑木林(2014年3月31日撮影)

この雑木林の中には湧水がある。この湧水は、東京の名湧水57選にも選ばれた。また、地名の「清水山」も、この湧水から名付けられたのであろう。

清水山憩いの森の湧水(2014年3月31日撮影)

清水山憩いの森の湧水(2014年3月31日撮影)

そして、雑木林は白子川に面している。訪れた日は、川岸のサクラが満開であった。

白子川(2014年3月31日撮影)

白子川(2014年3月31日撮影)

前述したように、この林床にカタクリが群生している。この写真ではたまたま、白い花のキクザキイチゲも写っている。この雑木林のすべての部分というわけではないが、かなり広い範囲でカタクリが咲いている。これでも五分咲きということである。

林床のカタクリとキクザキイチゲ(2014年3月31日撮影)

林床のカタクリとキクザキイチゲ(2014年3月31日撮影)

カタクリの花のアップの写真をあげておこう。カタクリは暖かな晴天の朝に開花し、夕方には閉じてしまう。曇天や雨天には開花しない。花びらの中の模様は、ハチなどに蜜の在処を知らせているそうである。

カタクリ(2014年3月31日撮影)

カタクリ(2014年3月31日撮影)

革新都政によるカタクリ群生地保護の開始

続いて、カタクリ群生地がなぜ保護されるにいたったかをみていこう。練馬区発行のパンフレット『清水山憩いの森 カタクリ』では、この地について次のように説明している。

 

憩いの森は、武蔵野の面影をとどめる樹木を残そうと、練馬区が土地所有者から樹林を借り受け、区民に開放しているものです。清水山憩いの森は昭和51年3月に憩いの森の第1号として指定されました。そのきっかけとなったのがカタクリの自生地が確認されたことでした。
 昭和49年6月、区民の方から、白子川流域の斜面林にカタクリが自生しているという情報が練馬区に寄せられ、翌年3月にカタクリがたくさん残っていることが確認されました。この貴重な自然を永く保存するため、この樹林は昭和51年に「清水山憩いの森」として整備され、その後練馬区で管理しています。
 また、その後、区内各地の雑木林・屋敷林などが「憩いの森」として整備され保全されています。

要約すれば、1974年(昭和49)に区民からカタクリが自生しているという情報が寄せられ、翌年確認し、1976年(昭和51)に憩いの森として指定したということである。私有地を区が借り上げて管理しているということになっている。

まず、このカタクリ群生地が保護されることが決定した時期に着目したい。この時期は、美濃部亮吉が東京都知事に就任していた時期である(1967〜1979年)。1950〜1960年代の高度経済成長期、公害や乱開発などの社会問題は激化していた。東京などの大都市周辺では、田畑や山林はスプロール的に住宅地や工場に乱開発され、河川や空気は著しく汚染されていた。このような状況を前提にして誕生した美濃部革新都政は、同時期に多く出現したその他の革新自治体と同様に、環境問題にも積極的に取り組んだ。また、この当時の練馬区長田畑健介は、もともと東京都職員であり、1973年に美濃部知事によって練馬区長に選任された人で、1974年に区長公選制となって翌1975年に区長選が行われた際には、社会党、共産党、民社党、公明党の4党の推薦、支持を受け、自民党推薦の無所属候補を破って公選区長となり、1986年まで勤めた。この時期においては、広い意味で革新陣営の側にいた人といえよう。このような、革新自治体の気運を前提として、カタクリ群生地の環境保護がなされるようになったといえよう。

*田畑健介については、Wikipediaの記述とともに、次のサイトにある、井田正道「1987年練馬区長選挙」(『明治大学大学院紀要 政治経済学篇』 25、1988年)の抄録を参考にした。
http://altmetrics.ceek.jp/article/jtitle/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2%E7%B4%80%E8%A6%81%20%E6%94%BF%E6%B2%BB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E7%AF%87

その後の保護状況については、たまたま毎日新聞朝刊1986年8月24日付の連載記事「がんばれ生きもの36」に植物写真家安原修次が「練馬に自生 ”女王”カタクリ」という文章を寄せ、次のように伝えている。

 

しかし、住宅地に囲まれた都内で毎年カタクリの花が見られるのは、保存するために努力する人がいるからだ。ここは民有地だが、昭和五十年に無償で借り上げた練馬区が管理しており、二月から五月まで常時二人の臨時職員が現地に派遣されている。そのひとり七十五歳の郷土史家、森田和好さん(七五)はもう十一年間もカタクリを守っている。参観者がサクから入って写真を撮ったり掘り採ろうとすると、
「そこに入ってはだめ」と、だれかれかまわず大声でどなりつける。でも見に来た人へは親切に接し、カタクリについて丁寧に説明してくれる。また周りの住民によって「カタクリを保存する会」(沢開茂宣会長)という団体も作られ、花の時期は夜中も交代で巡視しているそうである。

現在は、「清水山憩いの森を管理する区民ボランティアを中心に、カタクリ群生を守り育てるなどさらに見事なものにつくりあげていく」(練馬区サイト)と、ボランティアが中心として管理しているようである。私が行った時は、管理するための小屋が設置され、「カタクリガイド」といわれる人が二、三人いて、参観者に説明などを行っていた。すでにあげた写真をみればわかるように、林床では笹などの背の高い下草は除去され、カタクリなどの低い野草に日の光りがあたるようになっている。また、説明パネルによると、定期的に高木類を交代して伐採し、雑木林の更新がはかられているということである。革新都政の時代に始まったカタクリ群生地の環境保護が、今の時代にも受け継がれているのである。

「即身入仏」が行われた「聖なる土地」としての清水山

清水山憩いの森には、もう一つの顔がある。伝説によれば、禅海法師という僧侶がこの地で即身入仏したとされている。次の2つの写真は、禅海法師の入定塚とその説明パネルである。

禅海法師の入定塚(2014年3月31日撮影)

禅海法師の入定塚(2014年3月31日撮影)

禅海法師の入定塚説明パネル(2014年3月31日撮影)

禅海法師の入定塚説明パネル(2014年3月31日撮影)

説明パネルの内容を紹介しておこう。

   

禅海法師の入定塚
 別荘橋の南側、清水山憩いの森一帯は旧小榑村の飛び地で、東の稲荷山までの北斜面はカタクリの群生地と湧水地帯であった。
 毎年3月下旬から四月上旬を中心にたくさんの可憐なカタクリの花が咲き乱れ、区内外から訪れる見学者も多い。
 この一隅に小さな祠がある。明暦三年(一六五七)八月、禅海という一人の僧が洞窟の中で、念仏の鐘の音が消えた時が今生の別れであると言い残して入定したという伝説の行人塚である。供養の碑が一基建っている。
                      (「練馬の伝説)所収」)。

  禅海法師と入定塚
 明暦年間、村の樋沼家に旅装を解いた禅海法師は、背負仏の薬師如来像を開帳して村人の信仰を集めた。約一年を過ぎた後、即身入仏という一大悲願を達成の為、清水ほとりの洞窟で入定、成仏された禅海法師を村人は、ねんごろに葬りその冥福を祈った。自らが用意した墓石と後に淀橋柏木施主 栗原ぎん(昭和七年十二月八日と刻された)花立石が据えられている。因みに禅海法師の過去帳は大泉の教学院に保存されているという。

 禅海法師が見守ってくれていたお陰で今年も又、たくさんの早春の妖精たちの美しい花が見られると感謝しています。カタクリ はかな草たちよ。
                            合掌

即身入仏とは、仏教の修行の一環として、僧侶が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命しミイラ化することをさしている。この説明パネルでは、ここで即身入仏した禅海法師が見守っているからカタクリなどが見られると述べているのである。

これは、あまりにも、文学的もしくは宗教的すぎる表現と思われるかもしれない。私も最初、そう考えた。しかし、ある意味では一理あるとも思うようになった。

なぜならば、ここが禅海法師の即身入仏した地として伝承される(そのことの真偽は問わない)ことで、この地の「聖性」が強められ、結果的に開発を抑止する一因になったのではないかと考えられるからである。

まず、たぶん、この清水山は、東京57選にも数えられる湧水があることで、もともと「聖なる土地」だったのではなかろうか。柳田国男監修・民俗学研究所編『民俗学辞典』(東京堂、1951年)の「泉」の項目においては、次のようにいわれている。

清い泉のかたわらには例外なしに、神の社または仏堂が建っている。水の恩徳を仰ぐことの深かった素朴な住民は、泉の出現を神仏の御利益に結びつけて考えようとした。霊泉発見の功績を弘法台紙に帰する伝説は国の隅々に行き渡っている〔弘法清水〕。

つまり、民俗では、そもそも泉ー湧水の出現自体が神仏に関連したものとして認識されているのである。特に、弘法大師=空海に結び付けられていることが多々みられる。そして、ここの引用にある「弘法清水」について、『民俗学辞典』は、次のように指摘している。

旅の高僧に対して親切にもてなした結果、望ましいところに湧泉を得、逆に不親切にしたもののところの泉がとめられてしまったという類型の伝説をいう。ほとんど全国的にみられ、その旅僧は大体弘法大師というように伝えられている。

『民俗学辞典』では、「弘法清水」伝説の類型を紹介しながら、「弘法清水」の泉は神聖なもので日常の使用を忌むこと、とめられてしまった場合は掘り返すと罰があたると伝えてその地がタブー視されることも付記している。つまり、「弘法清水」の地は、タブー視される「聖なる土地」になるということになる。

さて、今度は、即身入仏についてみておこう。弘法大師ー空海は、死去の際、即身仏になったと伝承されている。そうなると、禅海法師の即身入仏は、弘法大師のそれを模倣し、その生き方を再現しようとした行為としても認識されていたと考えられる。この清水山の地は、もともと「泉」として「聖なる土地」であったと考えられる(もしかすると、すでに「弘法清水」の伝説もあったかもしれない)。この地で禅海法師が即身入仏したと伝承されることは、ある意味で弘法大師の修行をこの地で再現したことになるだろう。そして、この地にも「弘法大師」の聖性が付加されていくことになったと思われる。

弘法大師の聖性をもった「弘法清水」の地は、日常的使用が避けられたり、掘り返すこともできないタブーの地であったりするような「聖なる土地」なのである。この地が、近世から現代にかけて、どのような変遷をたどったか、今は不明である。ただ、仮説的にいえば、「泉」があること、そして弘法大師の修行を再現した「即身入仏」がなされたと伝承されることによって、この地は「聖なる土地」となり、開発がタブー視され、その結果、開発されずにカタクリが群生する雑木林が残されたとみることができるのではなかろうか。その意味で、この地で即身入仏したとされている禅海法師が見守ることで、カタクリなどの花が咲いているということは一ついえると思うのである。

おわりに
さて、ここでまとめておこう。カタクリが群生する環境が保護される前提には、前近代において「泉」であり「即身入仏」が行われた「聖なる土地」として地域住民に認識されることが必要であったといえる。そのように「聖なる土地」として認識されることで、タブー視され、開発が抑止されたといえるのではなかろうか。
そして、環境保護が強く意識された革新都政の時代になって、この地は、公共的に保護されるようになった。いわば、前近代の「聖なる土地」が、現代の環境保護の前提となっているのである。そのことの意味を私たちは問わなくてはならない。前近代と現代、この二つの時代の論理はもちろん違う。しかし、いわば人間を越えたものを尊重しなくてはならないと考えたところに両者の共通点があるのではなかろうか。そして、前近代からの課題を現代において再検討するという営為によって、私たちは多少なりともオルタナティブな未来を展望できるのだと思う。

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本日、2014年4月1日は、エイプリルフールである。その日にふさわしい話題が報道された。

NHK会長「1人の行為で信頼全て崩壊」 入局式で訓示
2014年4月1日20時23分

 就任会見での政治的中立性を疑われる発言が問題になっているNHKの籾井勝人会長は1日、新入局員の入局式での講話で、「(就任)初日に記者会見を行った際、質問に答えて個人的な意見を言い、大きく報道されました。入局前の皆さんには、ご心配をかけたことと思います。たいへん申し訳ありません」と話し、謝罪した。

 その後、NHKが受信料によって成り立っていることに触れ、「職員全員が信頼や期待を積み重ねていったとしても、たった1人の行為がNHKに対する信頼のすべてを崩壊させることもあります。自らの行為の、NHKや日本の社会に与える影響や責任の重さは、昨日までとは全く違うことを、しっかりと自覚していただきたいと思います」と話した。
(朝日新聞)
http://www.asahi.com/articles/ASG416FF4G41UCVL034.html

これは、残念ながら実話である。朝日新聞以外の多くの新聞や通信社も同様の報道を行っている(NHK自体は報道していないようだが)。

入社式や入庁式などで、そのトップが「1人の行為で信頼全て崩壊」することを警告する訓示を行うことは、よく見られることである。しかし、籾井の発言自体が「1人の行為で信頼全て崩壊」させるものではなかっただろうか。入局式でこのような訓示を行っても、「よくできたエイプリルフール」としか受け取ることができないのである。

籾井については、もはや「笑う」しかない。しかし、この「笑い」は、籾井が組織の代表として発言する資格を失ったことを示している。これ以上、籾井は嘲笑される立場にしがみつづけるつもりなのだろうか。安倍晋三は、新入局員にも劣る会長を今後とも擁護しつづけるのであろうか。そして、そんなことを許せば、NHK受信料を払っている私たちが「四月馬鹿」にされたということになろう。

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