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Archive for 2011年11月

本日、2011年11月30日は、福島県にとって歴史的な日となったといえる。この日、佐藤雄平福島県知事が、今後策定する復興計画において、福島第一原発だけでなく福島第二原発を含めた県内全原発廃炉を求めることを明記することにしたと発表したのだ。

今のところ、もっとも詳しく報道しているのがNHKである。19時のニュースで報道し、さらに、次のような記事をネット配信している。

“すべての原発 廃炉を求める”
11月30日 18時27分
福島県の佐藤知事は、年内の策定を目指す県の「復興計画」で「東京電力と国に対して、県内のすべての原発を廃炉にすることを求める」とする文言を盛り込む考えを明らかにしました。原発立地県の知事が廃炉を求める考えを明言するのは初めてです。
これは、30日、福島県の佐藤知事が記者会見して明らかにしました。この中で、佐藤知事は原発との将来の関わり方について「雇用など原発が地域経済に及ぼす影響や自治体の財政に対する影響など、さまざまな観点から議論を重ねてきた」と述べました。そのうえで「若者や子どもたちが安心して暮らせる福島県の復興のために、原発がない福島県を目指し、『東京電力と国に対して、県内のすべての原発を廃炉にすることを求める』と復興計画に明記することにした」と述べました。東京電力は、県内の10基の原発のうち、重大な事故が起きた第一原発の1号機から4号機についてはすでに廃炉を決めていますが、それ以外の第二原発などをどうするかは「地元と相談する」としていました。原発事故のあと原発立地県の知事が廃炉を求める考えを明言するのは初めてです。一方、原発に代わる新たな雇用の創出について、佐藤知事は「全力で取り組んでいく覚悟だ」と述べ、今後、具体化を目指す考えを示しました。福島県は、来月1日に復興計画の案を正式に決定し、県民から意見を募ったうえで年内の計画策定を目指すことにしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111130/t10014312881000.html

このNHKニュースが伝えているように、福島県のような原発立地県で県知事が全原発廃炉を求めるのははじめてのことである。もちろん、福島県知事が表明するのもはじめてである。その意味で、このことは、歴史的なことなのだ。

ただ、意外に時間がかかったともいえる。実は、福島県議会の各派は、すでに6月時点で原発廃炉を方針とすることを決めていた。6月24日、福島民報は、次のような記事をネット配信している。

県議会も「脱原発」 復興ビジョン報告書に反映へ
 県議会の自民、民主両党は23日、それぞれ議員会を開き、今後は原子力発電を推進しない立場を明確にすることを申し合わせた。公明、共産、社民も同様の立場で、復興ビジョンの策定に向け来月、県に提出される県議会の報告書に「脱原発」の考えが盛り込まれる見通しになった。
 自民の会議では、原発を再生可能エネルギーに転換することや、関連産業の育成を県に求めることで一致した。民主は脱原発の方針を盛り込んだ今年の運動方針を、7月16日に開く定期大会に提案することで全員が了承した。公明県議団は、脱原発の方針で所属議員の意見がまとまっており、エネルギー政策の転換を求める。3党はこれまで、原発推進の立場だった。
 原発事故以前から脱原発を打ち出していた社民は、自然エネルギーの利用拡大を訴える。県内の原発の廃炉を求めてきた共産県議団は、脱原発を復興ビジョンに明記するよう要望する。
 県議会の東日本大震災復旧復興対策特別委員会は4日、理事会を開く。原発問題を含めた各会派の意見を集約し、県の復興ビジョン策定に向けた中間報告書案を作る。6日の特別委員会で決定し、同日中に県に提言する。
 県議会が「脱原発」の方向にまとまる見通しになったことで、県の復興ビジョンには原子力に依存しない地域社会づくりの考えが盛り込まれることは、ほぼ確実だ。
 野崎洋一県企画調整部長は「県民を代表する県議会の意思が脱原発の方向となれば、非常に重い」と語った。今後は、原発との「共生」を前提とする総合計画とビジョンの整合性をいかに図るかが課題となる。
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4147&blockId=9859193&newsMode=article
(2011/06/24 09:03)

例えば、6月27日の福島県議会で、自由民主党の斎藤健治議員は、次のように問いかけている。

次に、復興ビジョンについてお尋ねします。

  県議会も東日本大震災の復旧・復興に向けて特別委員会を設置し、議長、副議長を除く全員が委員となって会議を進めています。我々の任期があるうちが特別委員会の任期ですが、はっきりできないのが菅現政権の特徴で、先行きの見えない中でのこととなっています。

  さて、知事の諮問委員会の復興ビジョン検討委員会の基本理念が示され、脱原発で、再生可能エネルギーで復興ビジョンを作成すると方針を発表されました。自民党議員会でも、全議員が委員となっている原子力対策本部会議で話し合い、今まで40年以上原子力発電の安全神話を信じて推進一本で来ましたが、深く反省し、平成23年6月23日をもって原子力発電は今後一切推進をしないと決定しました。1日も早く原子力発電所の事故収束を願うものです。

  そこで、知事の諮問委員会の方針の中にある脱原発は理解できますが、現在ある総合計画との乖離はどうするのかお尋ねします。

  また、市町村が自主的・主体的に復興に取り組めるよう、復興ビジョンには市町村の財源や権限について盛り込むべきと思いますが、県の考えをお尋ねいたします。
http://www.pref.fukushima.jp/gikai/fu_5/02/data/201106/iken/01.html

そして、佐藤知事は、次のように答えている。

次に、脱原発の考え方と総合計画との関係についてであります。

  東京電力福島第一原子力発電所の事故は、いまだに収束の兆しが見えない中、極めて厳しい状況が続いております。また、多くの県民がふるさとを離れて、県内はもとより、全国各地でつらい避難生活を強いられているだけでなく、発電所から遠く離れた地域においても、県民は日々放射線の不安にさいなまれ、子供たちも安心して学校に通うことができないなど、原子力発電の安全神話は根底から覆されたと思っております。

  更に、全町・全村避難に追い込まれた町村は、十分な行政機能を維持することも困難な状況になっているほか、農林水産業、製造業、観光を初めあらゆる分野で想像だにできない危機に直面しており、長い時間を費やして築き上げてきたふるさと福島が大きく傷つけられたことは断腸の思いであります。

  このような中、私は多くの県民が原子力への依存から脱却すべきという意見をお持ちであるものと考えております。私自身も、福島県としては、原子力に依存しない社会を目指すべきであるとの思いを強く持つに至っております。

  今後、復興ビジョン検討委員会から出される提言や県議会からの御意見を踏まえるとともに、市町村、県民の皆さんからの御意見等を伺いながら、原子力発電に依存せず、産業の振興や雇用の確保、地域づくりなどをいかに進めるか十分に検討した上で復興ビジョンを決定いたします。

  復興ビジョンには、このような考え方を盛り込む際には、総合計画との関係を調整する必要が生ずることから、復興ビジョンを踏まえて策定する復興計画にあわせて総合計画を見直し、県議会の議決を経て改定してまいりたいと考えております。
http://www.pref.fukushima.jp/gikai/fu_5/02/data/201106/iken/01.html

しかし、水面下では、かなり全原発廃炉を県議会全体の方針として打ち出すことには問題があったようである。6月の福島県議会に共産党系の新日本婦人の会が県内全原発廃炉を求める請願を提出したが、6月定例会では継続審議となり、9月定例会で審議されたが、10月19日の福島県議会の企画環境委員会では不採択と議決された。しかし、この請願は県議会本会議にかけられ、ようやく10月20日に採択されたのである。しかも、採決には、双葉郡選出議員1名を含む5名が退席したというのである。県知事や県議会各派の公式的な原発廃炉方針とは裏腹に、それに抗する勢力がまだいたのだ。まず、福島民友が、10月20日にネット配信した記事をみておこう。

「全原発廃炉」請願採択へ 県議会、委員会と異なる決着
 県議会は20日の9月定例県議会最終本会議で、東京電力福島第1、第2の全原発10基の廃炉を求める請願を採択する見通しとなった。19日の企画環境委員会は請願を不採択としたが、継続審査が打ち切られたため本会議で議決が行われる。原発事故を受け、県が県政の基本理念に掲げた「脱原発」を見据えて廃炉を容認する議員の賛成多数で採択する公算が大きい。廃炉の是非をめぐり委員会と本会議で判断が分かれる異例の決着となりそうだ。
 請願は、原発事故に伴う放射能漏れで県民生活に多大な不安と影響を及ぼしたとして県内の全原発の廃炉を求めている。共産党系の新日本婦人の会県本部が6月県議会に提出したが、継続審査となっていた。
(2011年10月20日 福島民友ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/news/1020/news1.html

続いて、10月20日に福島民報がネット配信した記事をみておこう。

全原発「廃炉」の請願採択 福島県議会、立地道県で初
 東京電力福島第1原発事故を受け、福島県議会は20日の本会議で、県内にある第1、第2原発計10基全ての廃炉を求める請願を賛成多数で採択した。採択を受け、佐藤雄平知事は「(採択の意義は)本当に重い。第1、第2原発の再稼働はあり得ない」と述べた。

 原発を抱える13道県の議会の中で、廃炉を求める請願が採択されたのは初めて。放射性物質による汚染に苦しむ地元議会の意思表示だけに、政府の政策決定などに影響を与えそうだ。

 採決では、出席した県議53人のうち、両原発を抱える双葉郡選出の1人を含む5人が採決直前に退席、残る48人が賛成。

(2011/10/20 21:19)
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=21096&blockId=9899466&newsMode=article

朝日新聞が10月21日に配信した記事では、もっとよく背後事情がわかる。自民などは、「県内には様々な意見があり、さらに議論を続ける必要がある」としてこの請願を継続審議にしたのだ。そして、福島県議会の企画環境委員会で、請願採択を不採択にしたのも、自民党・公明党の反対のためであった。しかし、本会議では自民党なども請願採択に賛成し、退席した5名の議員以外は全議員が賛成したというのである。

福島県議会、廃炉求める請願採択 福島第一・第二の全炉

 福島県議会は20日、定例の本会議で、東京電力福島第一、第二原発の原子炉計10基すべての廃炉を求める請願を採択した。議会多数派の自民のほか、民主と社民からなる会派は脱原発の立場を打ち出していたが、約1カ月後に迫った県議選を前に廃炉の立場を明確にすべきだと判断した。これを受け、佐藤雄平知事は廃炉への判断を迫られる。

 請願は、共産党系の団体「新日本婦人の会福島県本部」が6月に提出。当初は「県内には様々な意見があり、さらに議論を続ける必要がある」などとして、自民などは継続審査とする方針だった。

 19日の企画環境委員会の採決では、民主、社民、共産の議員が採択に賛成。不採択とした自民、公明の議員と同数になり、委員長判断で不採択を決めた。

 しかし自民会派の20日の会合で、県民感情を背景に「廃炉方針を示すのは今しかない」といった意見が相次ぎ、賛成を決定。本会議では採決前に退席した5人を除く全議員が賛成した。

 請願採択後、佐藤知事は「私は第一、第二原発の再稼働はあり得ないと言ってきた。今日の議決を重く、真剣に受け止めたい」と述べたが、廃炉については明言を避けた。一方で、今後の県の原子力政策作りに、議決が一定の重みを持つとの考えを示した。

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201110200730.html

この、福島県議会における県内全原発廃炉請願の採択も、原発立地県としては初めてのことである。もちろん、福島県にとってもはじめてのことである。佐藤雄平知事が、本日県内全原発の廃炉を求めるとした発表の直接の前提となったといえるのだ。福島民報は、11月10日に次のような記事をネット配信している。

県復興計画の原発廃炉で意見交換 部長会議 
 県は9日、県庁で原子力関係部長会議を開き、策定中の県復興計画に盛り込む県内の原発の廃炉の考え方について具体的な検討に入った。原発に代わる雇用の創出、立地自治体の意見反映、廃炉に向けた具体的な手続きへの理解などの取り組むべき課題を整理し、今後数回の会議を通して課題の解決策や具体的方向性を決めることを確認した。
 佐藤雄平知事と松本友作、内堀雅雄の両副知事、関係部長が出席。佐藤知事は「復興計画に盛り込む原発の在り方をしっかり議論しなくてはいけない」とあいさつした。原発で働いていた作業員の雇用を創出する再生可能エネルギー産業などの在り方、立地自治体の首長や住民の意見の反映などが課題として挙がった。
 今後、関係部局が復興計画に盛り込む対応策などを決めた後、会議で検討を深める。県復興計画のパブリックコメントを行う12月上旬までに一定の方向性を決める方針。

(2011/11/10 10:10)
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&blockId=9905757&newsMode=article

現在、まだ福島県議会9月定例会の会議録は公開されていないので、なぜ、福島県議会において県内全原発廃炉請願に異論が出たのかは、朝日新聞の記事くらいしかわからない。しかし、ある意味では、全く妥当としかいえない福島県の原発廃炉請願に自民党・公明党などから異論が出ていたこと、そしてそのために、原発廃炉請願採択が遅らされ、一時は不採択の可能性すらあったことを忘れないでおかねばならない。このような対抗に打ち克って、福島県は県内全原発廃炉を求めることになったのだ。その意味でも、このことは歴史的であり、関係資料が公開されれば、すぐにこの経過を検討しなくてはならないと考える。

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レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(2500円 税別)

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(2500円 税別)

つい最近、やっとレベッカ・ソルニットの『災害ユートピアーなぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』を読み終わった。この本については、いろんな人が紹介している。非常に単純にいえば、災害の襲われた人びとの間には、日常の利己的な態度とは全く逆の利他的・相互扶助的な共同体ができるとソルニットはいうのだ。英語の表題のほうが、皮肉がきいていて、より著者の主張がよくわかるー”A PARADAISE BUILT IN HELL”ーつまりは「地獄の中で建設される一つの天国」というのだ。

他方、災害の際、人びとがパニックに陥り、野獣のように(野獣のようにというのは動物に失礼な気がするが)利己的にふるまうというのは、エリートのいだく妄想に過ぎないと、ソルニットはいうのだ。むしろ、そのようなエリートの思い込みが、被災した人びとを「秩序の敵」として攻撃するということにつながるとソルニットはいっている。これを「エリートパニック」

このような、「災害ユートピア」と「エリートパニック」が交錯するものとして、ソルニットは、アメリカを中心としたこの百年間あまりの災害史を分析している。1906年のサンフランシスコ地震、1985年のメキシコシティ地震、9.11のニューヨーク、そして、2005年のカトリーナの襲われたニューオルリンズと。関東大震災における朝鮮人虐殺も記述されているーエリートパニックによって引き起こされた大量殺人の一例として。

大体、この本を紹介する人は、「災害ユートピア」として災害後の相互扶助的な共同体ができあがることを評価しつつ、「現実は、甘いだけではない」というようなコメントを付すことが多い。それはそうだろう。しかし、それは、ソルニットの主張を十分理解していることにはならない。

ソルニットは、むしろエリートたちが秩序を維持している日常こそ問題だとしているのだ。エリートたちは、「万人が万人の敵」として、利己主義的に争っている個人からなると想定される社会を前提として考え、国家というリヴァイサンによって、ようやく秩序が保たれていると想像している。もちろん、これは、利己主義的なふるまいによって競争を勝ち抜いてきたエリートたちの自画像を、人びとに、市民社会全体に押し付けているものにすぎないのだが。それゆえ、いわば、日常的な秩序維持が災害によって無化すると、エリートたちはパニックを起こす。自分たちの利己主義的なあり方を被災者全体のものとし、被災者がパニックに陥ってわれがちに秩序を破壊すると妄想し、被災者を攻撃するようになるとソルニットはいうのだ。

その例が、この本の多くの部分を使って書かれている2005年のニューオルリンズである。政府・市当局・警察は、市内中心部に多く居住している貧困者ー黒人が多いのだがーがパニックに陥って窃盗・レイプ・殺人などの犯罪を起こしていると想定して、市外への移動を差し止め、救援物資や救援ボランティアの移動すら認めず、さらには警察や自警団などによる被災者の殺人すらおかすようになるのだ。

ソルニットは、このようなこととの対比の上で、「災害ユートピア」を描いている。むしろ、問題なのは、エリートによって抑圧されている「日常」なのだ。災害は、そのような「抑圧」からの一時的ではあるが解放でもある。そう、むしろ、「日常」こそ、社会は「利己主義的」に抑圧されているのだ。この本では、かなり多くの革命家たち、無政府主義者たちが扱われているのだが、それは、この本の精神を体現している。その意味で、この本は、「無政府主義」的なのだ。

私は、「日常」というものは、常に隠された秩序維持的暴力が内在していると思ってきた。その意味で、この本を評価したい。

さて、東日本大震災ではどうだろうか。私は被災者でもボランティアでもないので、「特別な共同体」が立ち上がったのかどうかはわからない。それは、これから書かれるであろう、東日本大震災の記録を読みながら考えていくしかないだろう。

ただ、確実に言えるのは、「エリートパニック」は存在したということである。福島第一原発事故をめぐる政府の対応は、ここでいう「エリートパニック」そのものだ。政府は、「パニックを起こす」というスローガンのもとに、事態を隠蔽し、過小評価し、そのような形で発表してきた。そして、マスコミも加担してきた。今思い返すと非常に腹立たしい。その時、東電などの電力会社の利権を守るためにと解釈されてきたが、むしろ、この本でいう「エリートパニック」として考えたほうがよいのではないかと思う。秩序維持ということが優先し、それぞれの人がおのれの利益を考える情報が与えられずにきたのだ。

その意味で、「災害ユートピアなんか夢物語なんだ」というようなのではなく、「エリートパニック」を告発し、そのことによって、エリートが金科玉条としている「日常」を問い直すためにこの本は読まれるべきだと思う。

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1950~1960年代の福島県議会の会議録から、福島第一原発誘致にむけての、知事や県議たちの発言をみてきた。もちろん、今日からみれば、彼らの発言をそのままの形で認めることはできない。しかし、彼らの発言からは、原発立地を契機に、関連産業も誘致し、立地地域である双葉郡の地域工業化をめざそうという意識をみることができる。かなりの程度、「建前」なのだろうが。それでも、原発から生産される電力は、単に首都圏に送るものではなく、地域の工業化にも資するということで、原発立地の正当化を行おうとしていたといえる。それは、地域社会の自立的な発展をめざす動きであった。

しかし、現実は、どうであっただろうか。確かに、ある程度の雇用は生まれた。電源交付金や固定資産税によって、自治体財政も豊かにはなった。しかし、それは、まさに、原発にのみ依存したものでしかない。開沼博の『「フクシマ」論』が描き出しているが、政府・電力会社に従属して、ようやく「豊かさ」が保たれているといえるのだ。ゆえに、「脱原発」の一般的世論に抗して、原発の存続を原発立地自治体を強く主張するようになるといえる。もちろん、このような主張は切実である。だが、これは、まさに、自立した地域社会の発展とはいえないであろう。

このように、一般的な原発立地自治体において、原発存続を打ち出している中で、東海村長村上達也は、立地している東海第二原発の将来的な廃止を主張するようになった。例えば、6月23日、産経新聞は、次のような記事をネット配信している。

原発再稼働、東海村長が反発 「福島の事故究明が先」 茨城
2011.6.23 02:23
 海江田万里経済産業相が18日に「原発再稼働」を記者会見で発表したことに対し、原発を抱える県内の首長から反発の声が相次いでいる。地方の現状を無視した震災対応が続くとして菅直人政権に対し、自治体側のいらだちや不満は頂点に。日本原子力発電の東海第2発電所(東海村白方)は今回の再稼働の対象には含まれていないが、東海村の村上達也村長は今後の対応に厳しい姿勢を示す。

 「住民の命がかかっている。福島第1原発事故の原因究明もなしに、軽々しく再稼働と言ってほしくない」。村上村長は22日の記者会見で声を荒らげた。

 原子力安全・保安院などが行った原発の立ち入り調査が、原発再稼働への「表面的、形式的な調査」としか思えないという。

 村上村長は、福島第1原発事故を踏まえた安全対策がない段階で、「安全を確認した」として原発再稼働にゴーサインを出した政府の姿勢に「現状把握ができていない。こんな国で原発を持つべきではない」と反発を強めた。

 東海第2原発は11月まで定期検査中。今回、海江田経産相が示した「再稼働」の対象には入っていない。地震で停止したため地震の影響を確認する必要があるという。だが、発表段階では県には、対象外であることは伝えられていなかった。海江田経産相会見後、国の関係機関に確認したところ、20日深夜、資源エネルギー庁が回答してきた。

 個別に説明がなかった点は橋本昌知事も指摘。21日の記者会見で「(海江田経産相が)会見で一般論として語り、地方に説明がない。それはおかしい」と述べた。

 また、橋本知事は「なぜ浜岡原発(静岡県御前崎市)だけ停止したのかなど、原発立地県として疑問をぶつけてきたが、まだ答えがない。納得できない」と政府の対応を批判。福島第1原発事故を踏まえた安全指針が示されない限り、県の防災計画の見直しもできないと不満を漏らした。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/110623/ibr11062302230002-n1.htmより

そして、村上は、7~8月には脱原発の主張を各所で話していくようになった。ここでは、8月2日のシンポジウムでの発言を伝えた茨城新聞のネット配信記事を引用しておこう。

2011年8月2日(火)
「原発マネーで未来買えない」東海村長、シンポで訴え

福島第1原発事故を受け、原子力の安全について考えるシンポジウムが2日、東海村舟石川駅東3丁目のテクノ交流館リコッティで開かれ、村上達也村長は「日本で原発を保有するのは危険が大き過ぎる。『脱原発』の思想、理念に市民権を与え、国民全体で真剣に考えるべきだ」と提起した。

村上村長は「東海第2原発で同じ事故が起きたら東海村は全村避難で、30キロ圏内の約100万人がどうしたかと思うとぞっとする」と述べ、「東海村が原子力に支えられてきたのは事実だが、われわれの暮らしや未来と原発マネーとは等価交換できないと思う」と会場の住民らに問い掛けた。

シンポは日本原子力学会が主催し同村が後援。同学会調査専門委員会の委員らが福島第1原発事故の概要や原子力のリスクについて講演。原子炉工学が専門の東京大大学院の岡本孝司教授は事故の最も重要な教訓として▽事故後の対応▽原子力安全の考え方▽津波対策▽全電源喪失対策―の4点が不十分だったと指摘した。

ほかに各分野の専門家3人が講演し、最後に原子力安全について考えるパネル討論が行われた。住民の関心は高く、定員の倍近い約400人が詰め掛けた。
http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13122844679466より

また、茨城新聞は、次のようなインタビューを10月1日にネット配信している。

2011年10月1日(土)
原発を考えるインタビュー 村上東海村長 極めて内省に欠ける国

-2度の原子力事故を目の当たりにして思うことは。その教訓とは何か。

JCO臨界事故も慢心が招いたもので、この国はいつまでも反省しないという印象だ。利益を追求するあまり、原発推進を「国策だ」と言い続け、安全神話を作るなど、極めて内省に欠ける国だということ。JCO臨界事故の時も思ったが、今回も案の定だ。何にも学んでいない。福島第1原発事故の初期対応を見ても、何という国だと思った。

-国の原子力政策、エネルギー政策をどう見るか。震災と福島第1原発事故で見えてきた日本の電力供給の問題点とは。

日本は地震多発地帯で、1900年からの100年間でM8以上の地震回数は世界一という報告がある。そんな国に54基も原発を置いていいのか。正気の沙汰とは思えない。しかし、日本は原子力推進そのものがエネルギー政策で、自然・再生可能エネルギーの発展を封じていた面がある。原発は炭酸ガスを出さないから環境にいいと言い、放射能・放射線の問題にはふたをして、原発の後処理も後世に先送りしてきた。それはまさに、哲学なきエネルギー政策だという気がする。

-「脱原発」は可能か。日本における再生可能エネルギーの可能性は。普及を進める鍵は。

福島第1原発事故を起こした以上、日本は脱原発について真剣に考える義務がある。脱原発を追求しなければならず、できるできないはその次でいい。自然エネルギーについても、ドイツやデンマークなどは既に取り組んでおり、技術開発も進んでいる。日本でも可能性はある。日本人の勤勉さやこれまで蓄積した技術からみても可能だろう。世界最高水準になれると思う。あとは政府のやる気次第だ。

-東海第2原発の再稼働をどのように判断するか。

私は、福島のように全村避難して戻れないとか、東海村が地図上から消えていく、そういう事態にはしたくない。福島の事故で、国は避難した人たちをどう救済するのか。つまり、国がわれわれの安全を保障できるのか。そこが担保されない以上、判断はできない。

津波対策や非常用電源対策の強化だけでは十分ではない。福島第1原発事故の問題も明らかにしてもらわなければならない。ストレステストは、再稼働のための政治的方便ではないか。

それと安全規制体制をどうつくるのか。原子力安全庁の話は出ているが、さっぱり見えない。これも判断の鍵となる。(東海第2原発の再稼働は)今の時点ではまったくの白紙だ。

-最後に、今後の日本のエネルギー政策への提言を。

エネルギー消費を減らして経済のスピードを落とし、思い切って自然エネルギーの導入に向けて政策誘導すればいい。自然エネルギーはこれまで、政府が後押しした電力会社が壁となり入り込めなかった。自然エネルギーに対する助成を、新しい技術開発に向けた投資だと思ってやったらいい。ドイツがやると言っているのに日本でできないわけがない。あとは政治家の決断だ。http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13174534196411より

その上で、村上村長は、細野豪志原発担当相に、立地している東海第二原発の廃炉を10月11日に申し入れた。茨城新聞は、10月12日に次のような記事をネット配信している。

011年10月12日(水)
東海第2原発 村上村長、担当相に廃炉要望 立地や老朽化理由に

運転開始から30年以上たつ日本原子力発電(原電)東海第2原発について、東海村の村上達也村長は11日、細野豪志原発事故担当相らを訪問し、「30キロ圏内に100万人の人口を抱え、原発立地条件として不適切かつ老朽化している」として廃炉を求める要望書を提出した。

村上村長は細野原発事故担当相と約15分間にわたって会談。その後、取材に応じ、「原発政策についてのわれわれの考え、特に東海第2原発について要望した。細野氏からは『具体的で貴重な提言を頂いたので考えさせていただく』との回答があった」と説明した。

要望書ではまた「原子力安全委員会や原子力安全・保安院の信用失墜が著しく、新たな原子力規制体制の確立なしに原発再稼働は受け入れられない」と指摘。原発再稼働受け入れ条件としては福島第1原発事故避難者への十分な対応が不可欠とし、▽国の原発政策の中身、基準を明らかにすべき▽原子力センター構想への速やかな支援-などを求めた。

東海第2原発は東日本大震災の発生直後に自動停止し、以降は一度も運転を再開していない。5月21日に半年間の予定で定期検査に入ったが、地震の揺れによるタービンの損傷などが見つかり、原電は追加の補修が必要となったとして11月中旬の予定だった終了時期を延期すると発表。再稼動の前提となる国のストレステスト実施の見通しも立っていない。

原電は、2013年度までの3年間で地震や津波を想定した中長期的な安全向上対策を順次進める計画。同原発の再稼動について橋本昌知事は、専門家による県原子力安全対策委員会で技術的に安全性を検討した上で、県の原子力審議会、地元、県議会などの意見を聞いて判断するとの考えを示している。

【東海第2原子力発電所(東海村白方)】
日本原子力発電が1978年11月に営業運転を開始した沸騰水型軽水炉。出力110万キロワット。東日本大震災の津波被害で非常用発電機3台中1台が一時、使用不能となるトラブルがあったが、3月15日未明に安定的な冷温停止状態に至った。http://ibarakinews.jp/news/news.php?f_jun=13183441949375より

東海村は、1957年に日本原子力研究所が立地して、実験用原子炉が建設され、さらに日本最初の商業炉である東海発電所が1966年より営業運転を始めるなど、日本の原子力の発祥の地といえる。現在は、日本原子力研究所の後身である日本原子力研究開発機構が立地し、さらに日本原子力発電の東海第二発電所が設置するなど、村内や周辺には原子力関連施設が数多く立地している。その地の村長が、いわば「脱原発」を主張しているのだ。この意味は大きい。

東海村長村上達也は、なぜ、このような脱原発の主張をするようになったのだろうか。2011年10月26日付朝日新聞朝刊に掲載された「耕論 原発と自治体とカネ」の中のインタビュー「繁栄は一炊の夢だったー『東海第二』廃炉を」で、村上は、このように語っている。

実は東海村の日本原子力発電東海第二原発も、東京電力福島第一原発で起きた「全電源喪失」の寸前でした。地震の影響で外部電源がすべてダウン。非常用発電機でポンプを動かして原子炉を冷却しましたが、1時間後に押し寄せた津波があと70センチ高ければ、海水は防波堤を乗り越えて、すべての冷却機能が失われていたかもしれません。

 2週間後にその事実を知り、背筋が凍る思いをしました。東海第二の場合、20キロ圏内に75万人、30キロ圏内には100万人の人が住んでおり、県庁所在地の水戸市も含まれます。細野豪志原発相に「選択肢として東海第二の廃炉ということも考えるべきではないか」と問題提起したのは、こうした事情があったからです。

 そもそも世界有数の地震大国の日本に、54基もの原子炉があること自体が異常です。しかも、東海第二のように人口密集地に原発を立地している国は世界でもあまり例がありません。

 「原発がなくなったら住民の雇用をどうするのか」「村の財政をどう維持するのか」という議論も村内にはあります。しかし、原発マネーは麻薬と同じです。原子炉を1基誘致すると固定資産税や交付金など10年間で数百億円のカネが入る。そのカネがなくなると、また「原子炉を誘致せよ」という話になる。尋常な姿ではありません。

 東海村の人口約3万7千人の3分の1は、日本原子力研究開発機構を中心とする13の原子力事業所と何らかの関わりを持っています。また原子力関連からの財源は一般会計の3分の1に当たる約60億円にのぼり、まさに「原子力の村」です。

 しかし、今後の世界は「脱原発依存」が主流となるでしょう。いつまでも原発マネーに頼ってはいられない。日本最初の「原子の火」がともった東海村は原子力と55年の歴史を共有し、原子力が文化として定着しています。これをどう地域づくりに生かすかが重要です。

 現在、村では原子力に関する科学・技術や人材を総合的に集積する「原子力センター構想」を策定中です。「脱原発」の場合も、廃炉や放射性廃棄物の処理、原発事故後の環境修復など様々な技術や人材が必要になります。そのための基盤研究、人材育成を担う構想です。世界屈指の大強度陽子加速器施設もあり、海外からも多くの研究者や学生が訪れ、欧米の科学研究都市に匹敵する条件がある。持続性の高い発展が期待できます。

 福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。目を覚まして、持続可能な地域経済をつくるべきです。(聞き手・山口栄二)
(引用はブログ「薔薇、または陽だまりの猫」http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/872febe593af0bfce249c57fbe0f1f09より行う)

まず、村上は、東海村で稼働していた東海第二原発も、地震や津波のため「全電源喪失」寸前であったと述べ、原発の危険性を強調した。このことが、第一に「脱原発」を主張する根拠となっている。村上によれば「福島のような事故が起これば何もかも失ってしまう。原発による繁栄は一炊の夢に過ぎません。」と話している。特に、東海村が、県庁所在地である水戸市も近傍にある、住民密集地であることを強く指摘している。

東日本大震災によって、東海第二原発が「全電源喪失」寸前であったことは、朝日新聞が2011年4月2日にネット配信している。

あわや全電源喪失…津波「想定」ぎりぎり 東海第二原発
2011年4月20日

 東海第二原発は震災による津波でどんな被害を受けたのか。日本原電は緊急訓練に合わせ、被害を受けた「海水ポンプエリア」などを報道陣に公開した。海水ポンプエリアは、発熱する原子炉を冷却するためのいわば「生命線」。だが、そこに押し寄せた津波の高さは、「想定」ぎりぎりだった。

 防波壁や海水ポンプに残るおびただしい土砂――。海岸近くにある「海水ポンプエリア」には津波の爪痕が今も残る。

 ここには、原子炉を循環する大量の冷却水を冷やしたり、非常用ディーゼル発電機を冷やしたりするための海水ポンプがある。四方は海面からの高さ6.1メートルの防波壁で囲まれている。

 3月11日午後2時48分。運転中だった原子炉は地震の2分後、自動停止した。外部電源は遮断され、非常用ディーゼル発電機で海水ポンプを動かし、原子炉を冷却し続けた。が、約1時間後、その海水ポンプエリアに津波が押し寄せた。

 午後7時26分。非常用ディーゼル発電機の海水ポンプの異常を示す警報が鳴る。津波の高さは5.4メートル。防波壁より低かったが、工事中のため壁には穴が開いていた。

 その穴から海水が内部に注ぎ込み、海水ポンプ1台が水没。非常用ディーゼル発電機1台も停止した。残り2台の海水ポンプは水につかったが、水深が低かったため稼働。非常用発電機も2台が無事で、原子炉は冷却し続けられたという。

 震災前、日本原電は5.7メートルの津波を想定し、防波壁の高さを6.1メートルに設定していた。

 今回の津波は5.4メートルと想定内だったが、あと70センチ高ければ、海水は防波壁を乗り越えすべてのポンプが水につかったとみられ、「(冷却機能が全て失われた)福島第一の事態になった可能性は否定できない」(日本原電)という。

 震災後に日本原電がまとめた津波対策には防波壁のかさ上げは含まれていないが、「今後検討する」としている。
http://mytown.asahi.com/areanews/ibaraki/TKY201104190562.htmlより

また、この東海村が、1999年に起きた東海村JCO臨界事故の現場であったことも大きい。茨城新聞は、9月30日に次のような記事をネット配信している。

2011年9月30日(金)
「金のため魂売らない」臨界事故12年で東海村長訓示

1999年9月に東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」で起きた国内初の臨界事故から12年となる30日、村上達也村長が村役場の朝礼で「原子力に向き合う姿勢を正し、金のために魂を売ってはならない」と訓示し、脱原発の姿勢を明確にした。

訓示は事故の風化を防ぐため、2009年に始まった。東京電力福島第1原発事故のあった今年は、職員に原子力との向き合い方を再確認させる意味もあるとしている。

朝礼の冒頭、職員約100人が黙とう。村上村長は「政府や東電の事故対応はまったくなっていない」と批判。「原発による経済的繁栄は一炊の夢であり、その結果すべてを失う。人に冷たく、無能な国では原発は持つべきではなく、その資格もない」と述べた。(共同)

つまり、近隣を含めてかなりの人口があり、すでに東海村JCO臨界事故を経験しており、東日本大震災においても全電源喪失になりかねない被災を東海第二原発が受けた東海村にとって、原発の危険性は危機感をもっており、そのことが、村上村長をして、「脱原発」を提起する大きな要因となっているといえる。

ただ、村上村長が脱原発を主張するのは、それだけの要因ではないだろうと思う。まずは、原発依存から脱却しても、経済・財政が維持できるという意識もあると思われる。東京新聞は11月2日に次のような記事をネット配信している。

東海村が最先端の原子力研究や人材育成の場として検討を進めている「原子力センター構想」をめぐり、専門家から意見を聞く有識者会議が一日、村内で福島第一原発事故後、初めて開かれた。年度末にまとめる構想については「東海第二原発の現存を前提としない」とする案も出たことなどから、同原発の扱いは別組織で議論することを決めた。 (井上靖史)
 構想は原発事故前の昨年から同会議で議論され、総合計画にも明記。今年夏に構想をまとめ、二〇一五年の実現を予定していた。
 内容は、村に集約する原子力関連施設を生かし、量子ビームなど原子力の平和利用や効率的な廃炉を研究。世界から人材が集まる場にすること。当初、東海第二原発も構想の中に含まれていた。
 この日は脱原発を明言している村上達也村長が重ねて原発の危険性を指摘。座長で国の原子力委員会前委員長代理の田中俊一氏も「福島の人たちが戻れない限り原発の再生は不可能だ」と述べた。
 六人の委員のうち、出席した五人が「異論を排斥する原子力ムラが今回の原発事故を招いた」などと意見交換。早急に村民を交えて意見を聞き、東海第二原発の扱いは社会学者を加えた別組織で議論する。
 会議後、村上村長は「今の状況では原発はあるべきではない。ただ原子力の医学利用などは伸びる分野だ。交付金などは直接入ってこないが、最先端の研究施設の集約で世界から人が集まり、今後の街づくりにつながる」と脱原発後の村づくりを描いた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20111102/CK2011110202000070.htmlより

つまりは、東海第二原発に依存せず、東海村に集中した原子力関連施設を活用して、新たな自治体運営をめざすとしているのである。もちろん、広義の意味では、これらの施設も原子力施設である。しかし、村上村長は「脱・原発、減・原発でも直ちに原発はなくならない。安全面などの原子力研究は今後も必要だ」(産経新聞ネット配信 http://sankei.jp.msn.com/region/news/111102/ibr11110210540006-n1.htmより)と話しており、彼の論理では、「脱原発」とは矛盾しないのである。

このような村上村長の姿勢は、ある意味では物足りないと感じる向きもあるかもしれない。やはり、原子力関連施設は残るのであるから。ただ、とにかく、最も危険な原発を廃炉にしつつ、原子力関連施設を存続させることで、村経済の維持をはかるということは、村長としてはぎりぎりの選択なのだろうと感じる。

そして、このような選択を村上村長が行えたのは、原発だけではなく、旧日本原子力研究所ー現在の日本原子力研究開発機構などの原子力関連施設が、かなり東海村内外に立地しているということであろう。もちろん、臨界事故をおこしたJCOや、使用済核燃料再処理工場のような、やはり危険といわざるをえないものも中には含まれている。しかし、当面、最も危険性の高い原発ではなく、より東海村の住民にとって、安全な施設を選択ーベストではなくベターとしかいいようがないがーできる可能性が、そこにはあったといえよう。このような選択の余地こそ、「自立」の現れといえるのである。

ひるがえって、福島第一・第二原発が立地している双葉地域などの現状を考えてみよう。少なくとも、福島県が最初に原発誘致に乗り出した時には、建前として原発関連施設などの誘致が意識されていた。しかし、それらが十全に誘致されたとはいえず、結局のところ、原発のみに依拠した地域経済になってしまった。一度、そうなると、東海村ほどの選択の余地もなく、原発に従属しつづけるしかなくなってしまったといえるのである。

今、原発立地自治体の首長たちの多くは、原発存続を訴えている。しかし、彼らの内面にも、東海村長村上達也のような、原発への恐怖感がないとは思えない。その意味で、再び、原発が立地している地域経済の自立もまた問題にしなくてはならないだろう。

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3.11以前、私は、たぶんに、原発問題を軽視してきたと思う。かなり前、核兵器反対の反核運動があった時、そのような運動の集会には出てきたことがある。「平和」を求めることーこれは、私だけではないが、私の周囲にいた人びとの共通した意識であり、運動するかどうかは別だが、そのような取り組みには共感した。しかし、1990年代初め、「冷戦」が終結すると、「反核意識」がしだいに薄れていったといえる。

もちろん、すでに、このブログで述べたように、原発反対運動が展開していたことは知っていた。周囲にも、そのような運動に参加している人もいた。問われれば、私だって「原発反対」といっていただろう。しかし、少なくとも「反核」運動ほど、切迫感のある自分自身の課題として、原発反対運動をとらえてはいなかった。

3.11以降の福島第一原発事故ーこの時、私は過去の不明を恥じた。とりかえしのつかないことが起きることは、私だって予測できたことだ。しかし、私は、それについて、全く何も関与してこなかった。それが、このありさまだ。今まで、何をしてきたのであろう。福島第一原発の周辺には、知人もおり、かなり気に入った場所もあった。それが、今や、国家によって立ち入り禁止だ。その人びと、その場所について、何も具体的には私はできないのだ。

このブログで、福島第一原発のことについて書いているのは、そうした気持ちからだ。せめては、どうして、こうなったのかを、自分のスキルを使って調べてみたいー最終的に、何になるのかわからないのだが…

ここでとりあげる、1960年代の福島県議会における原子力潜水艦寄港反対論と「原子力の平和利用」論との相克は、単に、当時の福島県議会議員たちのことを語っているのではなく、今の自分の心情も重ねている。なぜ、私は「原子力の軍事利用」だけでしかみず「原子力の平和利用」を考えなかったのか。そのことが、どうしても、私の頭から離れない。

ここで、1960年代の福島県議会の叙述に入ろう。

前回までのブログで述べてきたように、1960年代中葉の福島県議会においては、知事や議員たちが、積極的に原発誘致を提起していた。選出時には社会党所属の県議だった山村基も、積極的に県議会において原発誘致を主張していた。

それでは、日本社会党や民主社会党に所属していた県議たちは、原発について、どのように対応していたのであろうか。基本的には、原発問題について沈黙していたといえる。ただ、彼らは、アメリカの核兵器持ち込みには強く反対していた。その一環で、アメリカの原子力潜水艦の寄港にも反対するようになった。その中で、原子炉についての見解も表明されるようになった。この社会党側の意見書提出に、自民党所属らの県議たちは著しく反発した。

その一例として、1963年7月10日の福島県議会に提出された「アメリカ原子力潜水艦日本寄港及びF150D水爆積載機配置反対に関する意見書」案をめぐる議論をみておこう。1963年1月にアメリカ大使ライシャワーは池田内閣の外相大平正芳に原子力潜水艦の日本寄港を申し入れた。5月には、水爆積載可能なF150Dジェット戦闘爆撃機が沖縄から板付(福岡空港)に配属された。この原子力潜水艦の寄港及びF150Dの配属をめぐって、日本社会党を中心として反対運動が展開された。この意見書案の提出は、その一環であるといえる。

まず、意見書案を紹介しておこう。

   

アメリカ原子力潜水艦日本寄港及びF150D水爆積載機配置反対に関する意見書(案)
 アメリカ政府は原子力潜水艦の日本寄港要請に引きつづきF150D水爆積載機の板付基地配備、さらに横田、三沢にもこれを配置準備中である。この現状をもって推移すれば日本本土は沖縄同様核武装基地化し、西ドイツと並んで核武装の拠点となるのではないかと深く憂慮されるものである。
 しかしながら、政府は国民各層の反対にもかかわらず、これを強行しようとしていることは恒久の平和を念願とし、諸国民との協和による安全を確保しようとする我が国にとってまことに遺憾にたえない。
 よって、政府並びに国会においては原子力潜水艦の日本寄港及び水爆積載機配置が極東の国際緊張を一段と高め、国民の信頼に背反することが考慮され、これら一連の圧力に対し強く反対するよう要望する。
 以上、地方自治法第九十九条の規定により意見書を提出する。
 昭和三十八年七月  日

 この意見書案について、「社会党の立場」を強調しながら、佐久間利秋(福島市選出)は提出理由を説明した。佐久間によれば、原子力潜水艦寄港を認めるということは、「日本がアメリカの極東戦略体制の中に入ったということを宣言するも同じような結果になる」と述べている。特に、日本においては「自民党政府といえども核兵器の持ち込みは禁じておるのであります」と付言している。その点から原子力潜水艦寄港などに反対すべきとしている。

さらに、佐久間は、「第二は、科学的立場から見ましても、政府や自民党があれこれ言いわけをしておりますけれども、安全が保証されておらないということであります…この原子力潜水艦そのものの安全性については、決して学者はこれを認めておらないのであります」と、原子力潜水艦自体の危険性を指摘している。佐久間は、

ことにアメリカの原子力委員会の中の学者でさえもが、この原子力潜水艦というものは人口稠密なところには、ほとんど絶対的に必要だという理由がない限りは、寄港せしめるべきものではないということを明言しておるのであります…こうした原子力潜水艦の事故による被害というものは、ほとんど絶対的なものであります。かりに横須賀にこの潜水艦が来まして一たび事故を起こしたならば、東京湾はおそらく永久に使用できない。百回寄港して一回も事故がなかったということは、今後の安全性を保証するものでは絶対にございません。

というのである。福島第一原発事故のことを思うと微妙な気がするのだが…

その上で、佐久間は、原子力開発は否定しないというのだ。

 

われわれ社会党は、決して原子力の開発を否定するものではありません。自民党のパンフレットにはまことに愛すべき表現がされております。原子力の開発をおそれるなどということは時代おくれでありまして、バスに乗りおくれますよ、昔は電信線をおそれて電話線の下を扇を持って通った者がある、こうした状態になりますよと言っておりますが、これはきわめて人を愚弄した議論であると言わなければなりません。商船に原子力につけることに対して反対はいたしません。ただ原子力を軍事的に利用されることについては絶対に容認できないのであります。

佐久間は、原子力の平和利用ならばいいというのである。商船に原子力をつけることですらかまわないというのだ。原子力潜水艦自体の「安全性」を議論してきたにもかかわらず、だ。

この意見書に対し、佐藤中行は自民党を代表して、反対意見を述べた。佐藤は、原発立地が予定されている大熊町・双葉町にほど近い原町市(現南相馬市)選出の議員である。佐藤は、原子力潜水艦寄港の反対意見には、「日米安保体制そのものに反対する安保反対闘争の継続としての反対論」と、「原子力潜水艦は、それ自体の構造上放射能による災害をもたらすおそれのある危険な兵器であり、それの安全性が確認されない」という反対論の二つがあると述べた。その上で、佐藤は、このように言っている。

しかもこの二つの反対論が互いに入り組み合い、補い合って、政治的、心理的反対論を形成しておるところに特異性があるのであります。ことに日本における最高の原子科学者と称せられる人々、また原子力に関する政府機関である原子力委員会よりの慎重論がますます問題を複雑にしておると同時に、原爆の洗礼を受け、原子力と名がつけば、原子炉であろうと原子爆弾であろうと、その区別なしに反対するという日本人の核アレルギーが結びつき、原子力時代にふさわしからぬ騒ぎを引き起こしておるのが現実の姿でないかと考えるものであります。

まず、佐藤は、日米安保体制に対する批判に基づく反対論を、「すなわち、日本の平和維持のための集団防衛体制を切りくずし、日本の安全保障力を弱め、ひいては自由国家間の弱点の傷口を広げんとする謀略にほかならないのであります」と断じる。

その上で、佐藤は、原子力潜水艦の安全性については、このようにまず述べる。

 

原子力潜水艦の安全性については、私はしろうとなるがゆえに、科学的に理論的に万人を納得せしめる理論の開陳などはやりようもないし、毛頭考えておりません。ただ、われわれが社会人として生活に営んでおる場合に、われわれを勇気づけ、あすへのかてとなるものは平凡な経験則であります。

そして、米ソの原子力潜水艦、アメリカの原子力空母エンタープライズ号や商船サバンナ号、ソ連の原子力砕氷船レーニン号が大きな事故もなく活躍しているとしている。その上で、

 

この現実を直視するとき、原子力艦船は危険だと逃避することがはたして許されるでありましょうか。むしろ動力源が原子力であるだけに、万全の注意のもとに操作されることにより、むしろ他から与えられた原子力艦船寄港というチャンスを生かして、日本人の宿命に近い核アレルギーからの脱却のために努力することが、日本をして原子力時代におくれをとらさない根本の問題であり、わが自由民主党に課された重大なる使命と信ずるものであります。

佐藤は、原子力艦船は経験的に危険ではなく、原子力潜水艦寄港はチャンスなのであり、これをいかして「核アレルギー」からの脱却をはかって「原子力時代」におくれをとらないようにしようというのである。原子力潜水艦寄港という「原子力の軍事利用」を前提として「原子力の平和利用」をはかるということになろうか。

その上で、佐藤は、アジア・アフリカ諸国の後進性からの脱皮のために行われているとする原子力開発を紹介し、さらに、福島第一原発の建設をその世界の動きの中に位置づけた。

 

かつて火に対する適応性を失って文明的進化の停止した原住民がオーストラリアに生き残っておるそうでありますが、石炭、石油エネルギーの利用におくれをとって、長く植民地としての立場を余儀なくされたアジア・アフリカ諸国が、原子力時代にこそその後進性から脱皮すべく、原子力開発の研究を進めており、インドでは第一号原子炉アブサラが運転され、コンゴではアフリカ最初の原子炉が動き出し、アラブ連合はアフリカ第二の原子炉を持つに至っております。近くは、韓国においても原子炉が稼働されておるわけであります。
 本県においても、双葉郡大熊町に東京電力の手によって原子力発電所が建設されんとしておるということを聞いております。この世界の動きに目をとめるとき、いまさら原子力船だからといって寄港反対などとは笑い話にもならないのではないでしょうか。

この意見書案につき、河沼郡選出の社会党県議斎藤実は賛成意見を表明したが、賛成少数で否決された。翌1964年10月6日にも、民主社会党県議越田和文雄(常磐市選出)より同様の意見書案が出され、社会党は賛成したが、賛成少数で否決されたのである。

ここで紹介した、社会党の佐久間利秋の原子力潜水艦寄港反対意見書案の提出理由と、自民党の佐藤中行の反対理由は、それぞれ、今日からみると、大きな問題点をはらんでいるだろう。

まずは、佐久間の意見から考えてみよう。佐久間は、原子力潜水艦の危険性を強調する。もし、横須賀で寄港している原子力潜水艦が事故を起こせば、東京湾は永久に使えないといっている。しかしながら、彼は、原子力の平和利用には賛成し、原子力商船なら反対しないとしている。あくまでも原子力の軍事利用のみ反対するというスタンスをとっている。

今日の福島第一原発事故からいえば、平和利用であろうが、原子炉は危険なものであった。軍事利用のみが危険だったわけではない。ある意味では、原水爆という核兵器への反対から生まれていた原水爆禁止への意識の当時のあり方をものがたっているといえる。日本において「反核」とは、まずは核兵器反対運動なのであったのだ。その意味で「原子力の平和利用」については、非軍事目的ということから批判は及ばなかったのである。

他方、佐藤中行の意見書への反対意見も、奇妙なジレンマをかかえているといえる。佐藤は、原子力潜水艦寄港という、いわば「原子力の軍事利用」を契機にして「核アレルギー」の克服を主張している。しかし、佐藤は、もちろん「原子力の軍事利用」を強く主張しているわけではない。原子力発電という「原子力の平和利用」をすすめようとしているのだ。「原子力の平和利用」が「原子力の軍事利用」を契機に進められようとしているといえる。このことは、実は、「原子力の平和利用」ということが、「原子力の軍事利用」と裏腹の関係であることを暗示しているといえる。それは、先ほどの佐久間が、「原子力の平和利用」に賛成しつつ、原子力潜水艦という「原子力の軍事利用」のみを対象として危険性を主張していることと対をなしているだろう。

そして、佐藤によれば、原子力潜水艦寄港を契機とした核アレルギーからの脱却は、福島第一原発の建設ともかかわる問題なのである。

これは、そもそも、1954年の、原子力開発の開始と原水爆禁止運動の開始にさかのぼる問題であるが、原水爆という核兵器ー「原子力の軍事利用」には反対するが、原発などの「原子力の平和利用」は推進するというメンタリティが形成されていた。しかし、実は、社会党・自民党の両県議がそれぞれ対極的に示しているように、「原子力の軍事利用」「原子力の平和利用」は裏腹の関係であったのである。「原子力の平和利用」も「原子力の軍事利用」も想定される事故の影響は甚大なものである。そして、「原子力の軍事利用」の推進が「原子力の平和利用」の促進にーひいては福島第一原発建設促進につながっていくのである。

このことは、たぶんに、日本における「反核」意識全体について検討すべき問題を提起しているといえる。そして、これは、私自身の問題でもあることを付記しておこう。

ただ、一応、社会党のためにいえば、1968年以降、福島県議会の社会党議員は、原発反対を主張するようになっているのである。

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さて、1960年代において、福島県知事や双葉郡選出の山村基県議らの原発誘致に対する積極的な発言をみてきた。福島県議会において、多数をしめていた自民党の県議たちは、どうであったのであろうか。すでに、このブログで述べたが、1958年3月14日の福島県議会で自民党所属県議である大井川正巳は、常磐地方への原発誘致を提起した。たぶんに、当時の佐藤善一郎知事が原発誘致方針を確立することに、この提起がなにがしかの影響を与えたと思われる。しかし、その後、しばらく、自民党県議たちは、原発問題について目立った発言はしていない。

しかし、1963年4月の県議選で、双葉郡選出議員として山村基にかわって笠原太吉が選出されてから状況が異なってきた。笠原は双葉町出身の自民党県議であった。前のブログでふれた同じく双葉町出身である岩本忠夫の競争相手であった。いや、岩本は1971~1975年の間しか県議をしておらず、岩本が県議だった時期を除いて、笠原は1963~1987年の間県議をつとめているのであり、むしろ、岩本にとって「大きな壁」であったといえる。とりあえずは、「政敵」といってよいだろう。

笠原太吉は、積極的に原発問題をとりあげた。1964年3月17日の福島県議会で、笠原太吉は、原発について、「次に、十五日ですか、新聞紙上に突如として双葉郡下に原子力発電所が設置されたやの用地取得に関する県開発公社の計画が発表になっております」と述べ、この際、原発誘致についての東電との従来の交渉経過や、今後の方針について発表すべきだと主張した。さらに、笠原は、このようにいうのである。

なおあわせて、電源開発そのものより、先ほど申し上げました只見川の電源開発は、いわゆる電気水利使用料だとか資産税というだけにその恩典がある。ここに原子力発電所ができれば、その経済効果、これに関連する産業の誘致が問題でございます。そのためには、どうしても水資源の開発をはからなければならない。百万キロの発電所をただ一ヵ所につくるということになりますと、いま常磐線の電化あるいは国道六号線の完全舗装といった中に、残された双葉の開発は、おそらくこれが中心として展開するものと私は考えます。したがって、この関連産業誘致に対する水資源の確保の構想並びに今後、双葉、大熊を中心とした、少なくとも富岡町、大熊町、双葉町。浪江というものを包含した、いわゆる産業構造というものを描いた都市計画の調査に入るべきだと思うが、県にその用意があるかどうかをお尋ねをいたしておくわけでございます。

笠原は、この発言の前に、奥只見の電源開発は産業誘致を目的としたものであったけれど、結局は使用料・固定資産税が入ってくるにすぎない、このために移転を余儀なくされている人びとの現在の生活状況はどうなっているのかと疑問をなげかけている。笠原は、原発はその轍を踏んではならないとし、産業誘致、水資源開発、鉄道・道路などの交通インフラの整備、都市計画などの計画策定が必要であるとしているのである。笠原にとっても、原発は、ただ電力供給の見返りに金銭が入ってくるものではなく、それを起爆剤とした双葉郡地域の総合開発につながっていくべきものなのであった。

笠原の登場以降、自民党県議たちも、原発誘致に積極的に発言することが増えてくるようになった。例えば、1964年12月12日の福島県議会において、一般質問のトップバッターとして、須賀川市選出の平栗欣一が「自由民主党を代表いたしまして」質問しているが、その中で、短いながらも福島第一原発建設についてふれている。平栗は、原発建設を「本県の開発の上に一大福音がもたらされる」と表現している。その上で、受け入れ態勢は万全を期さなくてならないとし、県もあたう限りの協力をすべきであるのだが、実際の建設計画はどうなっているのかと質問した。この後、1960年代半ばの福島県議会では、定例会の冒頭の自民党議員(双葉郡選出とは限らない)の質問で、県知事に原発建設計画の進捗状況を質問し、知事が答えることで進捗状況を公表するというようなやり取りがかなり続くことになる。

笠原太吉は、原発建設を契機とする双葉郡開発構想を、さらに福島県議会でよく述べている。1965年7月14日の福島県議会において、笠原は、原発問題について、かなり長い間、論じている。笠原によれば、原子力発電所の発生電力は、福島県内の火力・水力発電所を合算したそれに匹敵するものであり、「世紀の大事業」であるとした。また、県開発公社が、町当局・町議会の協力を得て一人の反対者もなく短い期間で用地買収を完了してことにつき、「双葉郡民が県を信頼し、知事の手腕に全幅の信頼をおき、土地買収に協力したたまもの」と評価した。そして、彼は、短期間で土地買収が達成されたことについて、このように言っている。

その根本的理由は、双葉郡民がこの原子力発電所の将来に期待をして、すみやかに双葉郡の後進性を脱却せんとする悲願達成の熱望がこの結果をもたらしたものと私は信じておるわけでございます。したがって、この発電所の完成の暁には、本県の発展はもちろん、わが国経済の発展に偉大なる貢献をするものと信じて疑わないのでございます。したがって、東京電力におきましても、県におきましても、当地方の地域住民の福祉向上のために、最大の努力をいたすべきものと考えておるのでございます。

そして、双葉郡の発展のため、町村合併を促進させ、双葉地方の地域開発計画構想を樹立し、水資源確保ー端的にいえばダム建設ーをはかるべきと主張したのである。自治体統合も含んだ、総合的な双葉郡の開発を原発建設を契機に行うべきというのが笠原の考えであったといえる。これは、同時期に県議会で表明していた、佐藤善一郎、木村守江の原発誘致に向けた見解と相通ずるところがあったいいえよう。笠原の考えは、全体として双葉郡地域総体の開発を期待しており、原発マネーのみをあてにしていなかったことについて、ここでも指摘しておくことにする。

このような笠原の質問に対し、当時の知事であった木村守江は、1959年頃から佐藤前知事をはじめとして熱心に誘致運動をしてきた成果として原発が建設されるのであると評価し、原発建設計画が遅れたのは原発から発生する電力が採算がとれるかいなかの問題があったためだが、明年(1966年)から建設に着手するのは喜びにたえないと述べた。その上で、笠原の提起した町村合併や水資源確保に賛意を示したのであった。

その後の県議会でも、笠原は熱心に原発建設問題をとりあげていく。ある意味では、知事の原発誘致運動を県議会内部で下支えしたものということができるのである。

原発反対派の県議岩本忠夫が県議会に登場するためには、同じ双葉町出身で熱心に原発誘致を求めていた笠原太吉に打ち克っていかねばならなかったのである。

さて、同時期の社会党県議たちは、どのように行動していたのであろうか。それについては、今後みていきたい。

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さて、また、1960年代の福島県議会における原発立地をめぐる議論をみていくことにしたい。原発立地における1960年代の地域開発構想と、今の地域開発構想。同じような言葉を使いながら、実は微妙にことなるのである。今や、大都市圏に電力を供給することとひきかえに、固定資産税・電源交付金などの財源と、何がしかの雇用ーこの状態では、原発に縛り付けられているともいえるのであるがーをもたらすことと意識されているが、1960年代は、良くも悪くも違うのである。ここでは、1960年代の福島県知事たちの発言に注目してみたい。

選出時は日本社会党所属であった双葉郡選出の福島県議会議員山村基の、原発立地を歓迎する発言はすでにみた。原発誘致の当事者であった佐藤善一郎知事も、当然ながら、原発誘致を積極的に推進する姿勢をみせていた。1963年10月3日の福島県議会で、相馬郡選出の自由民主党所属県議会議員鈴木重治郎の質問に答えて、佐藤善一郎は、このように発言している。

それから本日、東京電力の用地部長がまいりました。これは双葉郡にできまする原子力発電所の用地の問題でございます。県の方にひとつあっせんを頼みたいとこういうわけでございまして、東京の方の持っておる土地もございますので、それとにらみ合わせをいたしまして開発部の方で大いに努力していきたい、こういうことになっております。申し上げるならば。ところが、東北電力で私の方でもそっちのほうの地方につくりたい、こういうわけです。私は二つ、一つにしておつくりになったらどうかと、こう勧告しました。ところがなかなか当時そうもいかなったのであります。その後日にちがたちまして東北電力の首脳陣の更迭がございました。今度出てまいりましたのは過般申し上げましたように、電発、東京電力、東北電力三社において協定が成り立ちました。広域運営をするということになりました。非常に緊密な間柄になってまいりました。県としてもいろいろ仕事をしてまいりますので、慶賀にたえない次第であります。したがってこの原子力発電所、おそらく東京電力と東北電力と手を組みまして、そしてこれが完成を急ぐことであろうと考えております。そういうような関係から関連産業というものが当地方に私は相当これは起きてくるのではなかろうか。一時心配しましたのは、東北電力の供給区域でありますので、ここに東京電力が発電所をつくって、この関連産業に一苦労するのであろうと思いましてこれを回収をいたした次第であります。この点は御安心を願ってしかるべきと思っております。

まず、この佐藤知事の発言の前段をみておこう。この中で、佐藤は、「本日」-1963年10月3日、東京電力の用地部長から原発用地取得のあっせんが依頼されたとしている。12月1日から開発公社による用地買収が開始されたが、いつ東京電力から県が依頼があったことはわからなかった。知事の発言で10月3日であるということが判明するのである。なお、ここでいわれている「東京の方」とは、たぶん堤康次郎のことだろう。

発言の後段をみていこう。ここで、佐藤は、そもそも、東京電力と東北電力が共同して原発開発をすすめるべきと福島県側では考えていたと述べている。そのことはなかなかうまくいかなかったが、この発言の時点で、電発(電源開発株式会社)・東京電力・東北電力の三社により広域運営がされるようになったとし、そのことを「慶賀にたえない次第」と表現しているのである。佐藤の見通しでは、東京電力・東北電力は協力して原発を完成させていくだろうと話しているのである。つまりは、前々からふれてきたように、東北電力も原発建設に関与することを佐藤は期待しているのである。

なぜ、佐藤知事は、このことにこだわるのだろうか。佐藤によれば、原発ができれば関連産業が展開されるであろうが、東北電力の供給区域であるため、東京電力では電力を供給できないのではないかと考えていたためである。つまりは、首都圏に電力を供給するだけではなく、原発立地地域に関連産業を誘致すること、これが眼目なのである。そのためには、東北電力も原発建設に関与すべきなのであった。このことは、結局のところ、東北電力による小高・浪江原発建設計画にいきつくことになろう。

そして、佐藤は、この答弁の最後にこういっている。

相馬港ができまして、これはずっと先でございますけれども、工場が来なければ、企業が来なければ低開発(地域指定)の効果も出っこないわけでございます。この相馬港の早期実現とさらには原子力発電所の早期実現等によりまして、ひとつ相双地区の発展というものを一生懸命当たってまいりたい。さように考えております。

ある意味では、この言葉は、佐藤知事の開発イメージを示しているといえる。相馬港整備をめぐる発言であらわれているように、単に施設を作るだけではなく、工場誘致・企業誘致が地域発展の鍵であると、佐藤は述べているのである。

1960年代の発想は、今日の原発をめぐる状況からみて、やや奇妙に思える。東海村を別にすれば、結局、原発はどれほど地域産業の振興に役立ったのだろうかと思う。そして、現在、原発立地市町村は、財政においても雇用の面においても、原発そのものに全面的に依拠せざるをえない状況にあるといえる。しかし、この段階では、少なくとも建前では、そのようなことは主張されていなかった。佐藤知事は、原発の供給する電力を使って、地域工業化を促進するということを想定したといえる。それは、少なくとも建前では、地域工業化による地域の自立が目指されていたといえるのである。もちろん、原発を使ってということになり、それがいいかどうかは疑問であるのだが。

1964年、佐藤善一郎は知事在職中に急逝する。その跡をついだのが、木村守江であった。木村は、佐藤とちがって、自民党色の強い知事であった。しかし、少なくとも、就任当初の木村守江もまた、地域への工場誘致の努力を行うことを表明している。例えば、1965年3月8日の福島県議会で、木村はこのように述べている。

次に、原子力発電所の問題でございまするが…予定どおり四十一年から原子力発電所の建設に着手されることにもうほぼ決定と申し上げても差しつかえないと思われます…これと関連いたしまして、福島県の低開発地域の代表といわれました双葉地区が大きく伸びてまいることは疑いもありませんが、この原子力発電所の建設に伴いまして、これに関連した工業誘致のために万全の策を講じてまいりまして、双葉地区の開発をはかってまいりたいと考える次第であります。

少なくとも、就任当初の木村においても、佐藤前知事の地域工業化と関連した原発立地という方向性は受け継いでいたといえるのである。この状況がどのように変わって、今日の原発立地市町村の状況になっていくのであろうか。

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現在、福島県議会会議録を分析している途中であり、追々他の議員の原発関連の発言とともに岩本忠夫の原発立地反対意見については紹介したいと考えている。ここでは、やや先走って、原発を推進した双葉町長としての岩本忠夫の発言を瞥見したい。とりあげるのは、社団法人原子力燃料政策研究会が発行している機関誌『プルトニウム』2003年夏号(42号、2003年8月8日)に掲載されたに岩本忠夫へのインタビュー「発電所は運命共同体」(インタビュー6月20日)である。

まず、このインタビューが行われた時点の状況を確認しておこう。開沼博『「フクシマ」論ー原子力ムラはなぜ生まれたのか』によると、2001年頃より、当時の佐藤栄佐久福島県知事は原発推進政策の見直しを打ち出していた。そして、2002年8月には、東京電力のデータ改ざんが発覚した。このデータ改ざんについては、国も原子力安全保安庁も内部告発を受けながら、2年間も放置してきた。2003年4月には、東京電力の原発がすべて停止し、電力不足で首都圏が大停電することがさかんに新聞などで議論されていた。

そのような状況におけるインタビューである。元原発反対の急先鋒であった岩本忠夫は、やはり、

故障とかトラブルは、あれだけの施設ですから何かにつけて全くないということは有り得ないということです。いろいろな故障があっても、特に気をつけなければならないのは、ある箇所の些細な故障が思わぬ事故につながる場合で、ですからそのような肝心な箇所だけは常にきちんと押さえてもらわないといけません。
http://www.cnfc.or.jp/pdf/Plutonium42J.pdfより

と懸念を表明した。そして、過去の重大事故などの問題点を具体的にあげている。

その上で、岩本は、このようにいう。

 

今回の不祥事の中でも、格納容器の気密性の検査データ不正問題、この問題が一番劣悪ではないでしょうか。しかし、この問題もどうやら克服できそうと思っているのですけれども…繰り返すようですが、一連の不正の問題はありましたが、安全の面ではまあ何とか確保されています。しかし長い間培ってきた信頼関係、それは正に安心につながる問題なのですけれども、それが大きく損なわれたと思うのです。私は長い間、東京電力との関係において、発電所での「多少のトラブルはありましても、極度に安全性に影響するものはなかった」と実は思っています。今回の問題で、一時は確かに一部からはいろいろな感情も出てきましたが、10年とか20年とかのスパンで考えれば、お互いに信頼関係で結ばれてきたものは、そう簡単に無くなるはずはないのです。

この発言は、よく読んでみると、かなり奇妙である。東電などへの不信感が表明されているが、他方で東電に対する長い間の信頼関係が強調されている。ある意味では対立した二つの主題が交互に表明されているのである。まさに「揺れる想い」なのである。

しかし、岩本は、その後で、このようにいうのである。

ですから私は前向きにとらえているつもりなのです。いつまでもダラダラと問題点を突いていたのでは、自分自身が後ろ向きになってしまうものですから、極力前向きに考えているのです。それはそれとして、私は、原子力についてもっと正常な姿を構築するために、どのような面で協力が出来るかを、むしろ本気になって考えていく必要があると実は思っているのです。
 現在の原子炉の構造の中で、最悪の事故が放射能漏れの事故ですが、わが国の原子力発電所はそれを完全に封じ込める機能を十分持っていると私は思っています。アメリカのスリーマイル島の原子力発電所の事故とか、ソ連のチェルノブイリ発電所の事故とか、あのような事故につながっていくことは日本の原発ではまず無いと思っているのです。今は声高らかにそのようなことを言う時期ではないでしょうが、そのように信じて対応していかないと、これからの原子力行政に自ら携わっていくことができ難くなります。常に疑心暗鬼で原子力とお付き合いしていくような想いは、私としてはしたくないという感じがするものですから、これまでのことはそれはそれとして、国も東京電力もいたく反省をして、力一杯頑張っているわけだし、とにかく前向きに取り組んでいることを評価しているのです。

日本では、スリーマイル島やチェルノブイリのような事故は起きない、「そのように信じて対応していかないと、これからの原子力行政に自ら携わっていくことができ難くなります」と主張するのである。原発を推進するためには、東電・政府を信頼するしかない。ある意味で、強弁といえるようなものである。安全性が保証されているから、原発建設を推進するのではない。原発建設を推進するためには、安全性を信用しなくてはならない。これは、原子力を推進する立場からみた安全性とは何かを端的に語っているものといえる。双葉町長時代の岩本とて、原発への不安感、東電などへの不信感はあった。しかし、原発を推進していくためには、それらを押し隠して、「信頼関係」を強調していくしかなかったのである。

その上で、岩本は、町の財政問題をこえて、日本全体の核燃料サイクルの確立を提唱する。

つまり町の財政をどうするかは大事なことではありますが、同時にそれ以上に大事なのは、現在の日本の核燃料サイクル、核燃料政策、原子力政策を本当に実行させていくためにはどういうことが必要か、とりわけ再処理、高レベル放射性廃棄物の最終処分も思うようにいかなくなると、つまるところ、いずれは原発も止まってしまうということにつながっていくわけです。ここのところを私たちは国に対してもきちっと注文しなければなりませんし、かなり厳しく対応していく必要があるのではないかと、その役員会(全国原子力発電所所在市町村協議会)の場で話をしたのです…日本の原発ではそういう核燃料サイクルの体制の準備が出来ていないのに、前々から判っているのに、東海村のちっぽけな再処理施設一つで間に合うはずもないのに進めてきたわけです。結局は海外の処理に頼ってきました。今になって六ヶ所村で集中的に、精力的に進めていますが、本来の準備不足で見切り発車的なものでした。そういうツケが今、回ってきているのでしょう。例えば、当地の原発増設の問題なども、佐藤知事は、最終処分とか再処理問題の遅れなどから、「だから駄目だ」と原子力政策の見直しを理由づけられているわけです。そこはやはり払拭しなければならないと私は思うのです。

この発言は、もちろん、佐藤栄佐久知事の打ち出した原発推進体制の見直しにどのように対処するかということを念頭においたものである。さすがに、元原発建設反対派であった岩本は、日本の核燃料サイクルの危うさをよく気づいていた。しかし、彼は、福島原発の立地地域をこえて、日本全国の問題として原発推進を主張したといえる。つまり、原発は、単に立地地域だけの問題ではない。そのようにしないと、原発自身がとまってしまうのである。

そして、原発停止により、首都圏で大停電が予想された事態について、岩本はこのように述べた。

私はもっと積極的にその首都圏の電力不足・エネルギー不足について、素直に見てとる必要があると思います。例えば、東京の30階建てのビルが電力不足で15階建てしか灯りが点らない、残り15階は全部真っ暗だというようなことを私たちはじっとして見ておれる心境ではありません。自分たちの兄弟や親戚や知り合いが双葉町や福島県からも大分、東京に働きに行っているわけですから、そういう人たちだって「何とかしてくれないのか」という思いは多分にあるはずです。そういう期待に応える必要があります。
これまで私たちは電力の供給基地として、原発の所在町として、首都圏に原子力エネルギー、電力を送ることを、むしろ誇りにしてきたのです。この誇りは変わることが無いわけです。これからも電力供給を今までと同様に、何ら不自由させること無く送り続け、首都圏、ひいてはわが国のお役に立ちたいという気持ちを持っているわけです。その点からも今回は非常に残念なわけです。

これも、考えてみれば、奇妙な発言である。1960年代中葉までの福島県議会における原発立地推進の論理として、原発によって供給される豊富な電力をもとに、地域社会において工業化をはかろうということが知事や議員は主張していた。しかし、現実の原発は、首都圏に電力を供給するだけの存在である。岩本は、そのことをふまえて、福島県から首都圏に働きに出ている人びとのためにも原発を再開すべきと主張したといえる。そして、そのことが、首都圏・国のお役にたつといっているのである。翻っていえば、福島原発の電力は、そんなことしか立地地域に役立っていないともいえるのである。地域住民のためにならなくてはならないという意識は多少なりとも残してはいるが、立地地域の誇りとは、他者である首都圏に電力を送り続け、そのことで首都圏ひいては国の「お役に立つ」ことが中心となるのである。

さらに、岩本は、このように述べている。

―当地の町民の皆さんも、東京電力とは長い付き合いですから、原子力発電についてはかなり理解があると思いますが、今まで、東海村のJOC事故などいろいろな事故があり、また今回の東京電力の不祥事もあり、町民の皆さん自身は原子力発電について考えが変わるようなことはあったのでしょうか。
【岩本町長】具体的には表面に出てきていません。なかには一、二、そのようなことを言われる方もおられるようです。でも、私のところには電話一本も入りません。町民の方々に直接的にお会いしても、そういう話にはなりません。町民の方々の理解の深さが出ていると思います。

これは、当たり前のことだ。元原発反対派の岩本が今や双葉町長に選挙されて推進の立場にいるのだから、少々の不満があっても、彼の前で表明する人はおるまい。それは、岩本という人物のステータスなのであって、「町民方々の理解の深さ」とは全く別個の問題であろう。その意味で、選挙によって特定の人物を代表として選出することが「民意の表明」であるという、代表制民主主義のはらんでいる問題がそこにあるといえる。

そして、最後に、岩本は「原発は運命共同体」と主張した。

―東京電力とは長い間のつき合いで、普段からいろいろなことがあっても、培われた信頼関係があるので、と町長も前述されましたが…
【岩本町長】それが基礎になっています。少し口幅ったい言い方をしますと、やはりそういう長い付き合いをしてきたということで、原子力発電所それ自体についても、その中で自分も生きてきたと思っているのです。ですから単に原子力発電所との共生をしてきた、共生をしていくということだけではなくて、運命共同体という姿になっていると実は思っています。ですから、いかなる時にも原子力には期待もし、そこには「大きな賭け」をしている、「間違ってはならない賭け」をこれからも続けていきたいと思っております…私はどのようなことがあっても原子力発電の推進だけは信じていきたい。それだけは崩してはいけないと思っています。それを私自身の誇りにしています。そこは東京電力も国も分かってくれよと申し上げているのです。決して私どもの泣き言ではなく、原子力にかける想い、それが私の70才半ばになった人生の全てみたいな感じをしているものですから。

岩本は、原子力発電所とは、信頼関係の上にたった「共生」であり、「運命共同体」なのだというのである。しかし、岩本は、原発との「共生」を「大きな賭け」とも表現している。元反対派の岩本は、原発の問題性を知っていたに違いない。しかし、それでも、原発を推進するためには、そのことを押し隠して、原発の安全性を信用するしかなかったのである。

賭けには、いつも危険性がともなっており、「間違ってはならない賭け」なぞ存在しない。それにも関わらず、岩本は「間違ってはならない賭け」を信じた。、原子力発電所の推進を信じた。それを「70才半ばになった人生の全て」としてしまった。3.11後、東電に怒り、町民を気遣って死を迎えた彼の悲劇の核心はここにあると思う。

私だって、自分の人生に悔みもある。たぶん、「間違ってはならない賭け」を信じたこともあろう。しかし、今のところ、岩本ほどひどいしっぺ返しを受けてはいない。岩本の「間違ってはならない賭け」は、彼個人だけではなく、近隣に住む人びとすべてを巻き込んだ。これは、岩本を批判するのではない。「ただ悲しい」のだ。そして、いまだ、原発を推進する首長たちは、同様の「間違ってはならない賭け」を信じているように、私にはみえるのだ。

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