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Archive for 2012年8月

前回のブログで、東京圏においては、環境省の除染基準にのっとり、おおむね年間1mSv、1時間0.23μSvの放射線量程度が除染基準になっていることを述べた。

福島県では、その数倍が暫定的な除染基準になっていることがある。まず、福島市の除染基準をみておこう。2012年5月に出された『福島市ふるさと除染計画』第2版では、次のように規定されている。

(4) 目 標
① 平成 23 年 10 月からの 2 年間で、市民の日常生活環境における空間線量率を市内全域で 1μSv/時以下にすることを目指します。
② 現在空間線量率が 1μSv/時以下の地域においては、平成 23 年 10 月からの 2年間で、現在の空間線量率を 60%7低減させることを目指します。
③ 将来的には、推定年間追加被ばく線量を、法の基本方針に基づき、年間 1mSv(0.23μSv/時)以下にすることを目標とします。

(5) 除染実施区域
除染は、空間線量率が 0.23μSv/時(1mSv/年)以上の地域を対象に実施します。具体的には、文部科学省の航空機モニタリング結果や市の全市一斉放射線量測定結果に基づき、3「優先度の考え方」に示した地域とします。
また、除染の実施に当たっては、実施前に空間線量率を測定しますが、0.23μSv/時を下回っている施設等でも、たとえば、側溝や雤どい下等の局所的に 0.23μSv/時を上回っている箇所については、除染を実施します。
また、除染作業にあたっては、0.99μSv/時(約 5mSv/年)以上の地域は面的に除染し、それ以下の地域は、空間線量率の程度に応じ必要な措置を選択し除染します。
http://www.city.fukushima.fukushima.jp/uploaded/attachment/10812.pdf

福島市の場合、将来的には、「0.23μSv/時(1mSv/年)」にすることをめざすとしながら、現状では1時間あたり1μSvにすることにしている。結局、現状では、東京圏の約4〜5倍の放射線量が許容されているといえよう。

郡山市ではどうであろうか。「郡山市ふるさと再生除染実施計画」(第2版 2012年2月)では、市内全域の追加被ばく線量を年間1ミリシーベルト(高さ1メートル)において毎時0.23マイクロシーベルト)未満とすることを目指します。」とされている。しかし、「追加被ばく線量が年間5ミリシーベルト(毎時 0.99μSv)を超える区域 」が「住宅(家屋・庭)、道路、側溝、公共施設等の面的な除染を進めます。 」とされ、追加被ばく線量が年間1ミリシーベルト(毎時 0.23μSv)以上で年間5ミリシーベルト(毎時0.99μSv)以下の区域 」は住宅の雨どいや道路、側溝等の局所的に高線量を示す箇所の除染を進めます。」とされている。結局、面的な除染活動を実施するのは、1時間あたり約1μSv以上の地域なのである。

以前、本ブログで「市民に不必要な被曝をさせる郡山市の除染マニュアル」として市民ボランティアに準備不足で除染作業を郡山市が行っていたことをとりあげたことがある。もう一度郡山市の除染マニュアルを読み直したが、その時点では除染基準は示されていなかった。ただ、結局、毎時1μSv以上の場所を優先しているところからみて、このような場所も対象に入っていたのではないかと思う。実際、予定プランでは、高さ1mで 毎時1.5μSv以上の放射線量を示す場所が候補に入っていた。前回とりあげた小金井市の場合は、市独自で行う除染作業は毎時1μSv未満の場所で、それ以上は国・都の指導を仰ぐとしていた。小金井市では、毎時1μSv以上の場所は、市独自で除染するのは危険と判断していたのである。そのような場所の除染を、郡山市では市民のボランティアで除染させていたのである。ダブルスタンダートである。

さて、ほぼ全域が計画的避難区域に指定され、ほとんどの住民が村外に避難しなくてはならなかった飯館村ではどうだろうか。飯館村では、村長を中心に、早期の村民の帰還をめざして、除染作業が進められている。なお、飯館村で除染アドバイザーをしているのが、次期原子力規制委員長としてあげられ、批判の的になっている田中俊一である。2011年9月に定められた飯館村除染計画書では2014年度中に「国は村と連携し、住民の安全性を十分に確保した上で家屋、事業所、公共施設等を対象に年間1mSv以下を目標に実施する。」となっている。しかし、2011年12月にだされた「いいたてまでいな復興計画」(第一版)では、現在もしくは2年後までの「短期」に実施することとして、

○村内全域にわたる除染を進めます
◆除染目標は、追加被ばく線量の長期的な目標でなる年間積算線量1ミリシーベルトを目指します。当面の目標としては、年間積算線量5ミリシーベルト(毎時1マイクロシーベルト)以下を目指し、徹底した除染を進めます・
http://www.vill.iitate.fukushima.jp/saigai/wp-content/uploads/2011/12/5bbd68d3c1ec69c22c664b48805fcce4.pdf

結局、福島市や郡山市と同じである。将来的には年間1mSv以下にすることをめざすとしながらも、現状の除染目標は年間5mSv(毎時1μSv)にするしかないのである。そして、除染作業の結果もかなりシビアである。『広報いいたて』2012年8月号に昨年度の除染作業の結果が掲載されているが、除染作業の結果として、年間1mSvに該当する0.23μSv/hになったところはどこにもない。5ヶ所があげられている内、1ヶ所のみが0.53μSv/hに下がったが、他は2.08、2.37、1.70、3.04μSv/hと、1μSv/hを上回っているのである。

基本的に、除染が課題となっている福島県の各市町村では、将来的には年間1mSv(毎時0.23μSv)にするとしながらも、現実的には年間5mSv(毎時1μSv)を除染対象の基準にするしかないのである。もちろん、これは、それぞれの市町村の怠慢というわけではない。前、このブログでも述べたが、放射線管理区域以上(毎時0.6μSv)の放射線量を示す場所が広範囲に広がっている地域では、このようにしか、現時点で実行可能な目標を設定できないということでもあるのだ。しかし、このような除染基準は、東京圏と福島県の原発問題における最も見えやすい格差ということができる。東京圏の4〜5倍の放射線量を福島県の人びとは現状において甘受せざるをえないのである。それは、人びとの生存の問題であるが、生業の問題でもある。4〜5倍の放射線量を甘受しなくてならないというのは、人びとだけでなく、そこで生産される農産物、水産物、林産物、工業製品の問題でもあるからだ。

ここで問題になっている低線量放射線がどれほど人体に影響があるか、今の所は「わからない」ということしかない。ただ、それでも、東京圏と福島県の除染基準の格差は、社会的なものである。社会的にリスクといわれるものを、福島県の人びとは多く背負わされているのだ。つまり、放射線量において、現状では、東京圏と福島県には、明白なダブルスタンダートがあるということになる。

そして、これは、原発が大都市立地をさけて、過疎地に立地したことから起因している。このブログでも紹介したように、原発事故の危険性は暗黙のうちに前提とされ、そのことが原発の大都市立地をさけて過疎地に立地する一因となっている。事故が起きてしまえば、それは明白に示される。比較的遠方の大都市では影響が少なく、立地している地域社会には影響が大きい。しかし、大都市に立地していれば、より深刻な影響が生じたであろう。立地条件自身が孕んでいた大都市/過疎地の矛盾がここに露呈したのである。

しかし、他方で、放射線のリスクは短期的には影響を感知することはできず、また、十分な除染作業をスピーディーに行うことは現時点では困難であるということから、結局、地域復興のためには放射線量の高いところでも、避難などせずに住まなくてはならないという論理が形成されていくことは考えられる。福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一が推進していることは、所詮そういうことなのだと思う。そして、そういう見地からいえば、放射線の害を主張する人びとは地域復興の阻害者であり、早期に住民を帰還させることが財政負担や賠償負担を軽減するになるという利害を有する国や東電は、地域復興を支援しているというようにうつることになる。しかし、この論理は、そもそもの責任者の責任を看過し、放射線量についての、東京圏と福島県の明白なダブルスタンダートを前提にしてしまっているものといえる。

早く帰還すべきだという地域住民の声も理解できるので、この問題には簡単に解決がみつかる問題ではない。しかし、より高い放射線量を示す地域に異議もなく住むということは、東京圏と福島県とのダブルスタンダートを固定してしまうことになるだろう。もう一度、過去にさかのぼって、どのようにやり直さなくてはならないか、それを考えなくてはならないと思う。

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最近、東京圏ではあまり議論されなくなってきたが、福島第一原発事故により放出された放射性物質をいかに除染していくかということが、東北・関東圏では大きな問題となった。もちろん、福島県では、今でも大きな問題である。

たまたま、自分が仕事をしている東京都小金井市の昨年度の新聞記事をみて、もう一度、除染という問題を想起した。小金井市の場合、昨年はこんな形で、除染を行った。

プレスリリース)市立小・中学校の空間放射線量の測定と除染作業について(平成23年12月15日報道発表)

【 2011年12月15日 更新】

小金井市教育委員会では、平成23年7月から市内小中学校校庭等の空間放射線量の定点測定を行ってきましたが、現在まで問題のある線量は測定されていません。
 今般、保護者の皆さんからご心配の声がある小・中学校の雨どいやU字溝、雨水桝についても順次測定し、安全基準を超える0.25マイクロシーベルト毎時以上の放射線量が測定された場所については除染を行うこととしました。
12月13日に南小学校を測定した結果、敷地内で市の基準とする0.25マイクロシーベルト毎時を超える数値が測定されたので、下記により14日に一部の場所の除染作業を実施し、基準値を下回ることを確認しています。今後、残った場所の除染作業を実施します。その間、当該区域への一定の立ち入り制限などを行います。
今後も引き続き測定を実施し、安心できる教育環境の確保に努めてまいります。

1 測定結果(南小学校)

 南小測定結果
場   所        除染作業前測定値  除染作業後測定値  備   考
外トイレ(校庭南東)  0.26        0.11        土の除去
体育館南面(西側雨樋下) 0.37        0.15        堆積物除去・清掃
体育館南面(東側雨樋下) 0.36        0.12        堆積物除去・清掃
給食ごみ置き場(校舎西面)0.29                15日に作業実施
東校舎東面(雨樋下)  0.38                15日に作業実施
東校舎東面(雨樋下)  0.48                15日に作業実施
測定機:日立アロカメディカル社製 TCS-172B
測定値:いずれも地表から5cmの高さで測定した数値(単位:マイクロシーベルト毎時)

2 汚染物質の取扱い  
汚染物質は、土嚢袋又はビニール袋に収容し、学校敷地内(児童の立ち入らない場所)に埋設し、周辺の空間放射線量を測定することにより安全を確認します。

3 除染に係る市の基準等(参考)
(1) 地表5cm付近の高さの空間放射線量が0.25マイクロシーベルト毎時以上1マイクロシーベルト毎時未満の場合は、除染作業等を実施します。
(2) 地表100cm付近の高さの空間放射線量が1マイクロシーベルト毎時以上の場合は、文部科学省及び東京都に報告し、除染作業の実施について検討することとします。
(3) (2)の状況が確認された場合は、当該区域への人の立ち入りを制限するなど、必要な措置を執ることとします。
http://www.city.koganei.lg.jp/kakuka/kikakuzaiseibu/kouhoukouchouka/pressrelease/shochu_sokutei_josen.html

単純化すれば、市施設(市立学校など)で0.25μSv/h以上1μSv/h未満の場所が発見された場合は、市独自で除染を行うとし、1μSv/h以上の場所があった場合は、文科省及び東京都に報告し検討するとしている。後者の場合は、市独自では除染は行わず、上級官庁の指示をまつというのである。

0.25μSv/h以上が、小金井市においては除染対象となるといえる。ただ、この除染基準は、2012年に改定され、0.23μSv/h以上となった。これは、後述する環境省の「除染関係ガイドライン」にそって、一般の人の被曝許容値として定められている年間1mSvにあわせたものである。

2 目標とする線量
国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を受け、原子力安全委員会が定めた「環境放射線モニタリング指針」に基づき、年間の追加被曝量を1mSv以下にすることを目指し、下記にあげる式により、0.23μSv/h以下を目標とする数値とする。
追加被曝線量=(空間放射線量-自然放射線量)×(16/24×0.4+8/24×1)×24 時間×365 日
※自然放射線量は、全国の平均的な値の 0.04μSv/h を採用。
※1日の生活パターンを屋外に8時間、木造家屋内に16時間いると仮定した場合。
※木造家屋内での空間放射線量は、屋外の40%に低減するものと考える。
(小金井市除染実施ガイドライン )
http://www.city.koganei.lg.jp/kakuka/kankyoubu/kankyouseisakuka/info/sokuteikekka.files/zyosennzissigaidorainn.pdf#search=’%E9%99%A4%E6%9F%93

さて、私の住んでいる練馬区ではどうか。一応、昨年では、0.24μSv/h以上が区施設の除染対象となったようである。

遊び場における空間放射線量の測定結果と対応について
更新日:2011年11月11日

 練馬区内の民間遊び場、民有地一時開放遊び場、公有地一時開放遊び場の全遊び場(39か所)について、11月4日(金)~11月10日(木)で、区職員による簡易測定を実施しました。
 測定方法は1か所3ポイント、各ポイント高さ5cmで測定。30秒測定を5回実施し、平均値を得ました。
 簡易測定の結果、区の対応基準値(0.24μsv/h)を超えた1か所の遊び場については、下記のとおり対応しました。

谷原ひばり遊園地における測定と対応について

谷原ひばり遊園地において、0.36μsv/hと対応基準値を超えた地点があったため、下記のとおり対応いたしました。
除染方法
区職員が、対応基準値を超えた箇所の土を掘削し、袋に封入したうえ、地中に埋め、覆土し、除染しました。除染後、放射線測定(TSC-172B)により再測定を実施しました。
測定記録

谷原ひばり遊園地       除染前 除染後
(3059.26 平方メートル)   0.36   0.15
http://www.city.nerima.tokyo.jp/kusei/koho/oshirase/hoshasen/asobibahousyanou.html

小金井市も練馬区も、東京の西部にあって、比較的放射性物質の汚染度が低い地域である。東京圏の東部には、相対的に放射性物質の汚染度が濃い地域が広がっている。その一つである柏市の除染基準はどうか。2012年3月に策定した柏市除染実施計画は、次のように、年間1mSv以下、具体的には0.23μSv/h以下に下げることを目的としている。ただ、面的に放射性物質により汚染された柏市で、この基準で除染作業を行うことには困難が予想される(ほとんど報道されないが、どうなっているのだろうか)。

2.除染の最終目標
特別措置法の方針も踏まえ、次の目標をもって除染を実施します。
除染の最終的な目標として、柏市における追加被ばく線量 (内部被ばく 5)によるものと外部被ばくによるものとを合わせたもの)が年間で 1 ミリシーベルト未満の環境にすることを目指します。
ただし、当面(平成 26 年 3 月末日まで)は、特別措置法の方針に従い、毎時の空間放射線量率 10)が 0.23 マイクロシーベルト 1(追加被ばく線量が年間で 1 ミリシーベルトとなる環境の空間放射線量率の目安)以上となる場所をできる限り少なくすることを目指すこととします。
ここでいう空間放射線量率は、国が示した「除染関係ガイドライン」(平成 23 年 12 月 14 日公表 環境省)に準拠した地表高さ 1 メートルおよび 50 センチメートル(小学生以下の子どもの生活環境を考慮)としますが )、市では地表高さ 5 センチメートルについても測定したうえで、特に子どもの生活環境となる小学校・保育園・幼稚園等については、地表高さ 5 センチメートルにおける空間放射線量率についても毎時 0.23 マイクロシーベルト未満を目標に除染を実施していきます。
これは国際放射線防護委員会 )が放射線による被ばくに対処する際の原則の一つとして提唱している「合理的に達成可能な限り被ばくを低減する(防護の最適化の原則)」を踏まえた市の独自の措置ですが、放射線による被ばくの影響を受けやすい子どものことを考慮すれば、追加被ばく線量が年間で 1 ミリシーベルト未満となることが推測される区域であっても、被ばく線量をできるだけ低減させることは合理的であると市は判断します。
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080800/p011077_d/fil/jissikeikaku03115.pdf

多少、数値にばらつきがあるが、年間1mSv以下、具体的には0.23〜0.25μSv/h以下に抑えることを目標としている。これは、環境省ー国が定めた除染基準におおむねそっている。環境省が2011年12月に出した『除染関係ガイドライン』には、次のように記載されている。

放射性物質汚染対処特措法に基づき、追加被ばく線量が年間 1~20 ミリシーベルトの地域で汚染された土壌等の除染等の措置等を進めるにあたっては、まず放射線量が一時間あたり 0.23 マイクロシーベルト以上の地域を、市町村単位で「汚染状況重点調査地域」として環境大臣が指定することになります。指定を受けた市町村は、環境省令(注)で定める方法により、汚染状況重点調査地域内の事故由来放射性物質による環境の汚染の状況について調査測定をすることができるとされており、この調査測定の結果等によって一時間あたり 0.23 マイクロシーベルト以上と認められた区域が、除染実施計画を定めて除染を実施する区域となります。
http://www.env.go.jp/jishin/rmp/attach/josen-gl01_ver1.pdf

もちろん、年間1mSvや毎時0.23μSvという基準自体がどうかという話がある。しかし、東京圏ではおおむね、これが除染の基準となっている。江戸川区のように、除染に消極的な自治体もあり、この基準が全体として守られているかどうかはわからない。ただ、東京圏では、国の基準に合致するような形で除染事業が行われようとはしているといえよう。

しかし、福島県内は、このほぼ4〜5倍が除染基準となっている。長くなったので、詳しくは次回以降に後述するが、福島市・郡山市・伊達市・飯館村の除染基準は年間5mSv、1時間では1μSv(ばらつきはあるが)である。そして、警戒区域などから再編された避難指示解除準備区域は、居住は禁止されているものの、年間20mSv以下、1時間では3.8μSv以下がその基準となっている。このように、東京圏と福島県では、放射性物質の除染基準からみても、明白な格差が存在しているのである。

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(前略)その他いろいろな統計をみましたが、その一例として夜光時計にも放射能があるし、飛行機に乗って一万米の上に1時間いるのと、原子炉で仕事をしている者が30年かかって吸うのと同じ位だ。又淀川筋の水を30年かかってのんでいる間に0.4人の奇形児が出来る。牛乳の中にもあり、山陰の温泉なんかは放射能があるが、みなそれにつかったり呑んだりしているというお話がございました。
 要するに原子力は文明の利器だから使わなくてはならない。潜在的危険は零とはいわんが0及至0.4で自動車事故や飛行機事故程度である。心理的に嫌がっている人には勝手なことを申し上げるので、しばらく時機を見たい、絶対という言葉を使いたい位の危険性であって、こちらは、皆さんの心配を防ぐため必要以上のことをやる予定であるということでございました。(樫本喜一「リスク論導入の歴史的経緯とその課題」、『人間社会学研究集録』1、2005年、より引用)

上記のような議論は、よく原子力開発の推進者たちから聞かされたことがあると思う。近い例では、この前、本ブログでとりあげた工学者茅陽一氏が日本原子力学会の機関誌『日本原子力学会誌』54号(2012年8月号)の巻頭言に書いた「原子力と自転車の安全性」で展開されている議論がよく似ているといえる。もう一度、ここで紹介しておこう。

もちろん、事故の危険性が図抜けて大きい、という場合には脱原発という決断は仕方がないかもしれない。 しかし、数字で考えると、どうもそうはならないのではないか。一つの方式として、事故の危険をコストではかってみよう。今回の福島第一の事故の被害は、政府のコスト等検討委員会(正確には、国家戦略室コスト等検証委員会)の報告によると5兆8千億円だという。そして、この委員会はこのような事故は40年に1回程度起こるという前提でこのコストを発電コストに換算している。これは,日本が原発の建設を本格的に始めてからほぼ40年経って今回の事故が起きた、という ことを考慮に入れているからだろう。そこで、このコストは日本人一人あたり年あたりどれだけになるかを求 めてみると、上の被害を1億人×40年で除して1,500円/人・年という答えが出てくる。そこで、比較のために別な例として自動車事故を取り上げよう。日本では、年間ほぼ5,000人が自動車事故で死ぬ。人ひとりの損失をどうとるか、いろいろ考えはあるだろうが、一人5,000万円とすると年間2,500億円となる。これを人口1億 で除すると2,500円/人・年という結果になる。
上記にあげた数字はもちろん幅があっていろいろ変わり得る。だが原子力の損失が自動車利用の損失とさほど違わないものであることはたしかだろう。しかし、交通事故で人が死ぬから自動車の使用を止めろ、といった意見はおよそ聞いたことがない。これは人々が自動車を必要だ、と認識し、この程度の損失はその必要性にくらべて仕方がない、と考えているからだろう。それなら、原子力を人々に受け入れてもらうためには、原子力を自動車と同じように重要だ、と理解してもらうことが必要である。

http://www.aesj.or.jp/atomos/tachiyomi/2012-08mokuji.pdf

さて、最初の文章がいつ発言されたかといえば、1957年なのである。本ブログでも取り上げた関西研究用原子炉宇治設置反対運動のさなかの1957年4月15日、宇治市の市議会議員たちが、研究用原子炉宇治設置を推進していた京都大学側原子炉設置準備委員に聞き取り調査を行った際、京大側の関係者が行った発言が、これなのである(『宇治市市議会定例会会議録』1957年6月28日。なお事実関係は前記樫本論文による)。そして、このような主張は、宇治の市民たちには受け入れられず、関西研究用原子炉宇治設置は挫折したのであった。

前述した樫本氏は、金森修氏の「リスク論の文化政治学」(『情況』2002年1・2月号)を引用しながら、このように述べている。このことには、全く同感である。

 

上記の実例に見られる、自動車事故や飛行機事故の確率と、研究用原子炉が持つ危険性を無造作に比較することに対し、金森氏の論考は次のように述べる。「人間存在の根元的な不確実性と、先端技術が孕む危うさとを巧みに混淆させ、一緒くたの背景に据えてしまう」、「どれほど細心の注意を払って生活していても、不慮の災害に巻き込まれることから100パーセント逃れることはできないという根元的な事実性が、原発のように安全設計をなされたものでも絶対安全とはいえないという論理と連続的につなぎ合わされ」るという指摘である(金森、2002、p54)。これはまさに、導入時点における素朴なリスク論的言説の、限界と問題点を説明しているのではないだろうか。

それにしても、50年以上たって、原子炉の安全性を主張する論理に変化がなかったことに驚くしかないだろう。この関西研究用原子炉は計画時の出力は1000kwであった。しかし、現在の原発は数十万から100万kwである。それに、この時点では、東海村で研究炉の建設が進められていたが、まだ臨界には達していなかった。現時点では、それよりも大出力の原発が50基程度は存在している。危険性は増してきているといえる。それにもかかわらず、冒頭で語られた論理は、脈々と受け継がれていったのだ。それは、まさしく、茅陽一氏が父の茅誠司より原発推進という任務を受け継いだことと酷似しているといえよう。つまり、あまり、科学的根拠があるわけではない。原発は安全という結論があって、自動車事故という日常的な事故と比較するというレトリックが継承されたといえるだろう。

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ここで、最近、関心の的となっている、尖閣諸島問題を、通常とは別の視角からみておこう。2012年8月15日、香港の活動家らが尖閣諸島の魚釣島に強行上陸し、日本警察によって逮捕され、強制送還された。このことを契機に、中国の多くの都市で、デモが行われた。他方、19日、上陸が規制されている魚釣島に、地方議員を含む日本人10人が上陸し、彼らも事情聴取された。

ここでは、日本人の魚釣島上陸について、みていきたい。まず、このことを伝える朝日新聞のネット配信記事をみておこう。

尖閣上陸、5人は地方議員 沖縄県警が10人任意聴取へ

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)の魚釣島沖で戦没者の慰霊に参加した日本人のうち10人が19日午前8時前、船から泳いで魚釣島に上陸した。灯台付近で日の丸を掲げたり、灯台の骨組みに日の丸を張りつけたりした。海上保安庁の呼びかけで、午前10時までに10人全員が島を離れた。慰霊には国会議員も参加したが、上陸しなかったという。
 関係者によると、上陸者のうち5人は東京都と荒川・杉並両区、兵庫県、茨城県取手市の各議員。残る5人は民間人。
 海上保安庁は上陸者が戻った船を立ち入り調査したが、法令違反はなかった。政府は島を借り上げて立ち入り禁止にしており、沖縄県警は許可なく上陸したとして、軽犯罪法違反の疑いで20日に10人から任意で事情を聴く方針。
 今回の慰霊の一行は、18日夜に船で石垣島を出発した自民、民主、きづなの超党派の国会議員8人らと、宮古島や与那国島を出たグループを含む総勢約150人。21隻の船団で尖閣沖を目指した。
 19日午前5時すぎに魚釣島沖に到着。船上で午前6時40分ごろからの慰霊祭を終えた後、メンバーが船から海へ飛び込んで上陸した。
 乗船した自民党の山谷えり子参院議員は19日夕、石垣島に戻って会見し、「上陸は正当化できるものではないが、気持ちは分かる」と述べた。山谷氏らは今月初め、慰霊祭のため上陸許可を政府に求めたが、政府は尖閣諸島の平穏かつ安定的な維持管理の観点から、認めていなかった。(後略)
http://www.asahi.com/politics/update/0819/TKY201208190072.html

この記事内容については、さんざん報道されているので、ここでは言及しない。ただ、気になったことがある。この「上陸」が「戦歿者慰霊」を名目にして行われたということだ。ここでいう「戦歿者」について、朝日新聞(他の多くのマスコミも)は多くを語っていない。

その疑問に答えたのが、沖縄の地方紙琉球新報が8月21日にネット配信した記事である。まず、この記事の最初の部分をみておこう。

「慰霊祭利用された」 遺族会、署名を拒否 尖閣上陸
 2012年8月21日

 【石垣】尖閣列島戦時遭難者遺族会の慶田城用武会長(69)は20日、琉球新報の取材に応じ「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の山谷えり子会長(自民党参院議員)から洋上慰霊祭を目的とした上陸許可申請に署名を求められ、拒否したことを明かした。慶田城会長は「遺族会の気持ちを踏みにじり、慰霊祭を利用して上陸したとしか思えない」と話し、議連の洋上慰霊祭や地方議員らの魚釣島上陸を厳しく批判した。
 慶田城会長によると、約10日前に領土議連の山谷会長から電話があり、政府に提出する上陸許可申請への署名を求められた。慶田城会長は「領土を守るという議連の考えと、み霊を慰めるとの遺族会の考えに違いがある」と、依頼を断った。
 領土議連は尖閣諸島へ出港する前の18日、石垣島にある尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑前で慰霊祭を開催したが、遺族会に案内はなく、参加した遺族は1人だけだった。洋上慰霊祭への参加依頼もなかった。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195921-storytopic-1.html

まず、第一に確認しておかねばならないことは、この「慰霊祭」を企画した「日本の領土を守るため行動する議員連盟」と、尖閣諸島で戦歿した人びとの遺族会とは考え方が違っているということだ。前記の遺族会長は「領土を守るという議連の考えと、み霊を慰めるとの遺族会の考えに違いがある」と、明確に述べている。ゆえに、議連の企画した「慰霊祭」に、遺族会はほとんど参加しなかったのだ。

その上で、この記事では、「尖閣列島遭難事件」について、このように説明している。

 

尖閣列島遭難事件は沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終了した後の1945年7月、石垣島から台湾に向かった2隻の疎開船が米軍の攻撃を受け、1隻が沈没、もう1隻が尖閣諸島の魚釣島に漂着し、米軍の攻撃や漂着後の餓死などで多くの犠牲者が出た事件。慰霊碑は魚釣島と石垣島の両方にある。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195921-storytopic-1.html

私もこの事件についてほとんど知らなかった。沖縄戦以降、石垣島から台湾に向けた2隻の疎開船が米軍の攻撃を受けてなくなった事件である。戦歿者といっても、ほとんどが石垣島からの避難民なのである。

ウィキペディアには、かなり細かく、この事件が紹介されていた。『沖縄県史』などにも記載があるようである。詳しい経緯は、それらを参照されたい。ただ、この事件の背景について、ウィキペディアからみておこう。

太平洋戦争も後期となった1944年(昭和19年)6月のアメリカ軍サイパン上陸を契機に、大本営は沖縄県民の島外疎開を検討し始めた。そして、同年7月7日の閣議で、女性・子供・高齢者を対象に日本本土へ8万人・台湾へ2万人を疎開させる計画が決定された。一般住民の島外疎開はあくまで勧奨の形式で行われ、県や警察による強い行政指導は伴ったものの法的強制力は無かった。本事件の遭難者の回想でも、台湾疎開は縁故を頼る自由疎開だったと述べるものがある。ただ、この点について、「軍命」であったと主張する者もある。
学童疎開船「対馬丸」や軍隊輸送船「富山丸」の撃沈などがあったため疎開に応募する者はなかなか増えなかったが、1944年10月10日の十・十空襲でようやく機運が高まり、1945年3月上旬までに九州へ約6万人、台湾へ宮古島・石垣島から2万人以上(ほか本島からも2千人)が疎開した。石垣島から台湾への疎開は、4月の沖縄本島へのアメリカ軍上陸後も続けられており、本船団は24回目の石垣島から台湾への疎開船であった。厚生省の調査では沖縄からの疎開船延べ187隻が確認されたが、そのうち「対馬丸」が撃沈された以外には被害がなかった。本船団2隻の遭難は、「対馬丸」以外に沖縄からの疎開船が被災した数少ない例ということになる。なお、鹿児島県徳之島からの疎開では、「武洲丸」が撃沈されている。
本事件遭難者の多くの出身地である石垣島は、沖縄戦において地上戦にはならなかった地域である。守備隊としては陸軍の独立混成第45旅団(旅団長:宮嵜武之少将)が配備され、指揮下に海軍石垣島警備隊などが存在した。地上戦は無かったものの空襲は受けており、十・十空襲の際に4日間で延べ約40機が来襲したのを皮切りに、1945年3月末から6月下旬にかけてイギリス機動部隊を中心とした空襲が頻繁であった。アメリカ海軍のPB4Y-2(B-24爆撃機の海軍仕様)も占領した沖縄の飛行場等から作戦行動を行っていた。ただ、7月に入ってからは沖縄本島での組織的な地上戦が終わり、空襲も減少していた。八重山諸島では、島外疎開を選ばなかった住民に対し6月から山地への島内疎開が命じられており、波照間島などの住民は西表島へ移住させられていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E6%88%A6%E6%99%82%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この尖閣列島遭難事件における直接の加害者はアメリカ軍である。しかし、間接的にいえば、石垣島からの避難を勧奨した日本政府・日本軍の責任もあるといえよう。究極的にいえば、単に「外敵」を措定するのではなく、「戦争」それ自体を否定せざるをえないといえる。先の琉球新報の記事は、このように伝えている。

 

事件で兄を亡くした慶田城会長は「私たちは毎年、尖閣が平和であることを願って慰霊祭を開催し、二度と戦争を起こしてはならないと誓っている。慰霊祭を利用して戦争につながる行動を起こすことに対し、無念のうちに死亡したみ霊は二度目の無念を感じていると思う」と強調した。
 領土議連や上陸した地方議員の行動に「上陸合戦で問題は解決しない。日中の緊張を高める意味で、尖閣に上陸した香港の活動家と同じように映る」と指摘。「日中ともに上陸した後の目的がなくエスカレートするばかりだ」と危惧した。
 また「上陸に異を唱える発言をすると『非国民』と批判が出る空気がある。私もよく『中国寄り』と批判を受けるが、愛国心の出方が違うだけだ。戦争に向かうような行動はしてほしくない」と話した。(稲福政俊)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-195921-storytopic-1.html 

このことを検討して、考えてみた。この問題は、ある意味では、戦争に対する責任という問題につながっていく。その意味で「私たちは毎年、尖閣が平和であることを願って慰霊祭を開催し、二度と戦争を起こしてはならないと誓っている。慰霊祭を利用して戦争につながる行動を起こすことに対し、無念のうちに死亡したみ霊は二度目の無念を感じていると思う」という、慶田城遺族会長の発言は重い。

しかしながら、結局のところ、今回の「慰霊」を目的にした「上陸」は、そもそも、なぜ、この尖閣諸島で「戦歿者」が出たのかという経緯とそれを遺族たちがどのようにとらえたかということを無視し忘却することによって成り立っているといえよう。どのように、議員連盟が考えているのかわからないが、「戦歿者慰霊」ー「遺族会」ー「愛国」というような単純化された図式が、彼らの頭の中にあったのではなかろうか。具体的な差異を無視し、忘却しつつ、外側に敵(この場合は中国)を措定して、「国民の団結」をはかるということが彼らの戦略なのだろうと思う。そして、それは、「上陸に異を唱える発言をすると『非国民』と批判が出る空気がある。私もよく『中国寄り』と批判を受けるが、愛国心の出方が違うだけだ。戦争に向かうような行動はしてほしくない」と遺族会長が語っているように、そのような「遺族」に対する抑圧につながっていくのである。

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もはや、旧聞に属したといえるかもれないが、2012年7月30日、内閣官房に直属している国家戦略室は国家戦略会議を開催し、そこで「日本再生戦略」をまとめた。この「日本再生戦略」は翌日、閣議決定している。しかし、この会議の席上、米倉弘昌経団連会長は、この「日本再生戦略」に「脱原発依存」が盛り込まれていることに反発し、閣僚と論戦したことが報道されている。2012年7月30日、日本経済新聞がネット配信した記事では、このように報道されている。

…米倉氏は「脱原発依存という言葉は戦略会議では議論していない」と詰め寄り、政府の議論の進め方に不快感を示した。

 米倉氏は再生戦略が2%の実質経済成長率を目標に掲げる一方、政府が検討中の2030年時点の原発比率では1%成長を前提としている点を問題視。「(2%の)成長率を実現すれば(電力使用量が増えて)電力不足に陥る」と整合性をとるよう求めた。

 古川元久国家戦略相が「原発に依存しない社会を目指す大きな方向性を示したものだ」と説明しても納得せず、米倉氏は「脱原発のために再生戦略を進めるのは本末転倒だ」と批判を続けた。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGC3000X_Q2A730C1EE8001/

何が争点かをみておこう。「日本再生戦略」では、脱原発依存はこのように規定されている。

(1)原発からグリーンへ
原発への依存をできる限り減らす。これが、東京電力福島第一原子力発電所事故の反省を踏まえた政府の基本方針である。その原発依存度低減を補う主役は、風力、太陽光などの再生可能エネルギーや省エネルギーである。つまり「原発からグリーン」を目指すことになる。このグリーンへのシフトを、いかに我が国の成長につなげるかが極めて重要な課題である。そのための戦略がグリーン成長戦略であり、現在の我が国にとって、最優先で取り組むべき事項といえる。
震災前までは原子力を基幹電源としてきた我が国にとって、原発依存度低減を実現しようとすることは、大きな制約であるが、その制約をバネとして、構造改革に取り組み、成長につなげる戦略を考えなければならない。
国家戦略会議の分科会であるエネルギー・環境会議は、本年6月、エネルギーミックスと環境に関する3つの選択肢を提示した。原発依存度を震災前の 2010 年の実績値 26%から、2030 年までに0%、あるいは 15%、または 20%から25%まで下げていくという3つのシナリオである。いずれも、再生可能エネルギー、水素や蓄電システムなどのクリーンエネルギーや、省エネルギーに重点をシフトし、原発依存度も化石燃料依存度も下げ、今よりもエネルギー安全保障を改善し、温室効果ガスを削減する選択肢となっている。
原子力に代わるエネルギーとして、政策資源を総動員して国民の省エネルギー、再生可能エネルギーの導入を力強く支援していくことが必要である。現在、電源に占める再生可能エネルギーは約 10%(水力を除くと約2%)。これをどのシナリオを選ぼうとも、この 20 年弱の間に 25%から 30%以上(水力を除くと 13%か8ら 19%以上)にまで拡大させる。省エネルギーも、生活水準や産業活動が今から30 年までに2割程度拡大しても、エネルギー消費はむしろ今より2割減らす方針で進める。
http://www.npu.go.jp/policy/pdf/20120731/20120731.pdf

つまり、今問題になっている国家戦略室のエネルギー・環境会議における、2030年時点でのエネルギーミックスと環境についての三つの選択肢ー0%、15%、20〜25%ーのどれかに依拠して「脱原発依存」をすすめるというのである。そして、どの選択肢でも「省エネルギーも、生活水準や産業活動が今から30 年までに2割程度拡大しても、エネルギー消費はむしろ今より2割減らす方針で進める」としている。

また、この三つの選択肢を示した「エネルギー・環境に関する選択肢」を読むと、いずれの選択肢でも、「(注) 自然体とは、2010年の電源構成を固定し、事務局で設定した慎重シナリオ(2010年代は1.1%、2020年代は0.8%の実質GDP成長率)に基づいて2030年まで伸ばした数値。」(http://kokumingiron.jp/giji/5.pdf)と、現状のエネルギーバランスを前提にした将来の経済成長率約1%程度を想定し(それを「自然体」と称している)、それに対し、それぞれのシナリオがどの程度の損失を与えるかという計算がなされている。とりあえず、年1%程度の経済成長率を前提に、脱原発依存の具体的な方策が提起されているということになる。

他方で、「日本再生戦略」では、「平成 23 年度(2011 年度)から平成 32 年度(2020 年度)までの平均で、名目3%程度、実質 2%程度の成長を目指す」と規定している。米倉会長の発言は、「日本再生戦略」で規定されている「脱原発依存」は、それを具体的に示している「エネルギー・環境に関する選択肢」によれば年1%成長を前提とするということになるが、他方で、成長率の目標値として2%をあげていることを批判しているものといってよいだろう。

しかしながら、「脱原発のために再生戦略を進めるのは本末転倒だ」という米倉会長の発言は、別の意味をもっているといえる。この発言は、結局のところ、経済成長率をあげていく以上は、いかなる脱原発依存もできないー20〜25%シナリオでもーと主張していることに等しいのだ。

今の民主党政権ですら、建前としては「脱原発依存」を主張しなくてはならないのはなぜか。まさしく、福島第一原発事故によって、多くの人びとの生存・生活それ自体が危機にさらされるということを目の当たりにしたからである。経済成長自体の是非は、ここでは問わない。しかし、経済成長が肯定されるとするならば、それは人びとの生存・生活を維持し発展することに寄与するかにほかならないといえる。そして、再度の原発事故によって生存・生活自体が脅威に直面するならば、経済成長自体が成り立たない。それは、福島県の状況をみれば理解できることである。

米倉会長の発言は、計らずも、経済成長至上主義の「本末転倒」を示しているといえる。「脱原発」というのは、まず、人びとの生存・生活を保障するという、当たり前のことが起点となっている。しかしながら、米倉会長の議論は、一番当たり前のことを無視して「経済成長」を確保しようということなっているのだ。

そして、このような「本末転倒」は、原発問題だけに限らない。例えば、正規雇用から非正規雇用への転換など、大企業側は、経済成長を確保することを名目に、労働条件の改悪をはかっている。しかし、つきつめて考えれば、経済成長が肯定されるのは、人びとの生存・生活を実際に維持・発展させているからといえる。人びとの生存・生活を破壊する経済成長など本末転倒なのだ。

米倉会長の「脱原発のために再生戦略を進めるのは本末転倒だ」という発言自体が「本末転倒」なのであるといえよう。そして、それは、前述のように、脱原発だけに限られるわけではない。「経済成長」全体の「本末転倒」が批判されなくてはならないのである。

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国際経済学、開発政治学を専攻する原民樹さんが「反原発運動のエートスーエジプト革命から受け継いだもの」という論文を『日本の科学者』2012年9月号(日本科学者会議発行)で発表している。非常に面白く読んだ。

原さんが、彼自身も参加した反原発運動を対象とした「反原発運動のエートス」においてキーワードとしていることは、「予示的政治」である。原さんは、このように説明している。

 

革命後の世界を先取りする。近年のアナーキズム思想の文脈では、これを「予示的政治( pre-figurative politics)」と呼ぶ。いつやってくるのかわからない理想社会を待つことを拒否し、いつかすべてが一挙に変革されるという物語を放棄し、小さく不完全でも今ここで解放された社会を立ちあげること、それによって現体制を相対化し、支配の正当性に対して不断に亀裂を走らせること、そうして、漸進的に社会の色を塗り替えていくこと。タハリール広場が世界に示したのは、こうした「予示的政治」の魅力と有効性だったのである(原前掲論文)

つまり、運動の中で、革命後の世界を「予め」「示す」ことーこれを「予示的政治」と原さんは定義しているのである。そして、この「予示的政治」を具体的に示したのは、2011年のエジプト革命において誕生した象徴的空間としてのタハリール広場だと原さんはいう。タハリール広場について、このように述べている。

タハリール広場の運動は、ムバーラク政権を打倒するための単なる「手段」ではなかった。それは同時に、彼/彼女らの自律的な生のあり方を具現した「目的」でもあった。
 換言すれば、タハリール広場という空間にみなぎっていたのは、「解放のためのたたかいは、必ずそれ自体として解放でなければならない」(原文は真木悠介『気流の鳴る音ー交響するコミューン』)という精神なのである。

原さんは、このタハリール広場の経験は、2011年の日本の反原発デモやアメリカの「オキュパイ・ウォールストリート」運動などにも継承されていったと論じている。特に、日本の反原発運動については、2011年4月10日、1万5千人も参加し、大規模な反原発デモの初めとなった、「高円寺・原発やめろデモ!!」を呼びかけた「素人の乱」のメンバーの一人である松本哉の回想を特に引用してこのことを示している。

(松本)「(アラブ革命について)結局、誰が中心かよくわからないという感じになっているんですね。…それが成功したというのに、ぼくらは衝撃を受けていました。『素人の乱』は、実は世の中を率先して変えてやろうとは全然変えていない。そんな面倒くさい権力者の連中のことは放っておいて、勝手に謎の人が集まっている空間を作っていって、既成事実として革命後の世界を作ってしまったほうが手っ取り早い。…エジプトのタハリール広場がそれの完成形みたいに見えたんですよ」(原前掲論文。原文は松本哉、樋口拓朗。木下ちがや、池上善彦「高円寺『素人の乱』とウォール街を結ぶ討論」、『Quadrante』14(3)、2012年)

具体的にどのような状態が現出されたのか。原さんは2011年6月11日、「素人の乱」のよびかけで新宿アルタ前にあつまった2万人の人びとについて、このように記述している。

…新宿アルタ前広場はタハリール広場の再現となった。左派政党の街宣車の上では、学者から一般市民までが自由に自分の意見を述べ、それを真面目に聞いている人もいれば、DJの流す音楽に踊り狂う人たちもいる。その隣では、ドラム隊が心地よいリズムを刻み、またある人たちは、ビールを飲みながらデモで知り合った友人たちと談笑している。老人、若者、子ども、ビジネスマン、主婦、ニート、外国人、障碍者など、多様な人びとが多様な振る舞いをしながらも、不思議な一体感が醸成されていた。
 普段でさえ人通りの多い新宿駅前の多い新宿駅前に2万人が集まっていても、参加者の自律的な配慮によって広場は整然としていた。指導者はいなかった。解放された人間性による連帯だけで十分だった。(原前掲論文)

つまりは、「予示的政治」とは、運動の中で、人間性を「解放」していくことといえよう。それを、原さんは、2011年6月11日の新宿アルタ前の空間にみたのであった。

そして、ある意味では目的と手段が合致する「予示的政治」こそが新自由主義と最も根源的に批判するものであると原さんは論じている。

 

「予示的政治」の内的論理としての手段と目的の合致という発想が近年の社会運動のなかで顕在化してきたことは、当然ながら時代状況と無縁ではない。現代において、もっとも先鋭的に手段と目的を切り離そうとしてきたのは、新自由主義という実践に他ならない。
 新自由主義的社会では、無限の資本蓄積という唯一の明瞭な目的に沿って合理性と効率性が徹底的に追及され、計測可能な価値に従属するかたちで、人間も街も自然も、ありとあらゆるものが手段とされてしまう。人びとは高い流動性と順応性をひたすら求められ、そこで意味や充実感を享受することはきわめて困難である。単なる手段に貶められた人間の苦悩や悲鳴を、私たちはすでに嫌というほど聞いてきた。
 この文脈からすれば、「予示的政治」は、新自由主義に対する根源的な批判であると言える。労働であれ娯楽であれ、人びとは目的から疎外される苦しみを知りすぎてしまっている。手段と目的を合致させる運動は、新自由主義の矛盾に直面した民衆から生み出された対抗的実践なのである。(原前掲論文)

私自身が、本ブログでときおりデモや官邸前抗議行動を拙いながらも取り上げてきたのは、まさに、原さんのいう「予示的政治」といえるものが、そこに現れていると感じたからである。ただ、「予示的政治」という概念を、原さんのように、タハリール広場の実践や近年のアナーキズム思想を検討する中で明示するということはできなかった。反原発運動の実践の中で生まれてきたエートスをこのような形で表現することは、この論文の大きな功績だと思う。

他方、この論文の執筆時期は、2012年6月上旬である。この時期は、いまだ、6月29日の官邸前車道解放や、7月29日の国会前車道解放が行われていないー予見すらされていないのであった。それこそ、これらの出来事を「予示」していたとすらいえるのである。

そして、ここで、強調しておかねばならないだろう。反原発を求める運動は、それ自体が人びとを解放し、新たな世界を創出していく試みといえるのである。

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日本において原子力開発を推進してきた日本原子力学会の機関誌『日本原子力学会誌』54号(2012年8月号)の巻頭言に茅陽一氏の「原子力と自動車の安全性」という文章が掲載された。茅陽一氏は、日本の原子力開発草創期にそれを押し進めた茅誠司の長男で、東京大学を卒業して同大学工学部教授となり、定年退官後、慶応義塾大学大学院教授を経て、現在は地球環境産業技術研究機構理事長となっている。この地球環境産業技術研究機構とは、経済産業省管轄の公益法人で、地球温暖化対策などを研究している。

茅陽一氏は、「原子力と自動車の安全性」の冒頭で、政府の行っている2030年の電力ミックスの選択肢について言及し、0%、15%、20〜25%の三つの選択肢のうち、15%が有力とみられるが(この文章の書かれた2012年5月30日時点の話である)、15%では原発の新設・更新は一切なしというものなので、このままでは原発が将来なくなってしまうと懸念を示している。茅氏にとって、原子力は化石燃料や再生可能エネルギーしかなかった世界に人類がはじめて導入した新しいエネルギー源であり、化石燃料と違って二酸化炭素の放出がないというメリットもあるので、原子力の危険性とメリットをはかりにかけてバランスになる点を選ぶことが一番妥当な選択だろうと主張している。

その上で、茅氏は、次のように原発事故の危険性を自動車事故のそれと対比していく。

もちろん、事故の危険性が図抜けて大きい、という場合には脱原発という決断は仕方がないかもしれない。 しかし、数字で考えると、どうもそうはならないのではないか。一つの方式として、事故の危険をコストではかってみよう。今回の福島第一の事故の被害は、政府のコスト等検討委員会(正確には、国家戦略室コスト等検証委員会)の報告によると5兆8千億円だという。そして、この委員会はこのような事故は40年に1回程度起こるという前提でこのコストを発電コストに換算している。これは,日本が原発の建設を本格的に始めてからほぼ40年経って今回の事故が起きた、という ことを考慮に入れているからだろう。そこで、このコストは日本人一人あたり年あたりどれだけになるかを求 めてみると、上の被害を1億人×40年で除して1,500円/人・年という答えが出てくる。そこで、比較のために別な例として自動車事故を取り上げよう。日本では、年間ほぼ5,000人が自動車事故で死ぬ。人ひとりの損失をどうとるか、いろいろ考えはあるだろうが、一人5,000万円とすると年間2,500億円となる。これを人口1億 で除すると2,500円/人・年という結果になる。
上記にあげた数字はもちろん幅があっていろいろ変わり得る。だが原子力の損失が自動車利用の損失とさほど違わないものであることはたしかだろう。しかし、交通事故で人が死ぬから自動車の使用を止めろ、といった意見はおよそ聞いたことがない。これは人々が自動車を必要だ、と認識し、この程度の損失はその必要性にくらべて仕方がない、と考えているからだろう。それなら、原子力を人々に受け入れてもらうためには、原子力を自動車と同じように重要だ、と理解してもらうことが必要である。
http://www.aesj.or.jp/atomos/tachiyomi/2012-08mokuji.pdf

あまり、私見をはさまずに、この見解を概括しよう。茅氏は、今後、40年に1度くらいは原発事故がおきるとして、そのコストを5兆8千億円と算出した上で、それは、国民一人当たり年1500円にしかならないとする。それは、毎年の自動車事故によって発生する死亡被害のコスト年2500円よりも小さいとしているのである。

このような比較が妥当かどうか。そもそも、自動車事故の多くは個人的な現象である。前回のブログで紹介した開沼氏の「ふぐ毒」と同様、当事者の問題であり、直接的には社会全体の存立にかかわる問題ではない(もちろん、自動車事故の増加は、間接的には社会全体の問題ともなるであろう)。

チェルノブイリ事故や福島第一原発事故クラスの過酷事故は、単に原子力発電所内部や立地した地域社会だけではなく、広範囲の地域に多大な影響を及ぼすものである。2011年においては、警戒区域や計画的避難区域など、多くの人が強制的に避難されることが余儀なくされた。そして、放射性物質の降下は、これらの区域外にも及び、多数の人びとが、自主的に避難した。福島県を問わず、東北・関東圏の食料品(一時は水道水でも)において放射性物質が規制値をこえて計測されることがたびたびみられるとともに、放射性物質の影響が疑われた商品が買い控えられる(いわゆる風評被害)こともしばしば起きた。まだ、多くの人びとが自宅に帰ることはできず、自宅に帰還した人びとも、放射能や今後の経済的見通しについて不安な日々を送っている。そして、福島第一原発事故の後処理は遅々としてしか進まない。廃炉には少なくとも40年かかるといわれている。

このような形で、地域社会全体の存立が揺るがせられるということは、ある種のカタストロフィーであるといえる。このようなことは周知のことと思っていた。

しかし、茅氏は、そのようなことも含めて原発事故の被害を金銭のみでみつもり、自動車事故と比較して小さいなどいっているのである。ある意味では、社会的な影響を、金銭的な損害に矮小化したものといえる。

さらに、そもそも、5兆8千億円とする原発事故の被害総額自体が、確定している損害賠償額で算出されたものではない。産經新聞は、次のような記事をネット配信している。

原発の発電コストが8・9円へと5割上昇 事故対策で急騰
2011.12.13 18:49 [防犯・防災]
 政府のエネルギー・環境会議は13日、電源別の発電コストを検証する「コスト等検証委員会」を開き、電源別の試算結果を公表した。原発の発電コストは1キロワット時当たり最低8・9円と試算。事故に伴う損害賠償費用などが上乗せされたことで、5・9円としていた平成16年(2004年)時点の試算に比べて5割上昇した。

 一方、再生可能エネルギーは技術革新や量産効果などにより、42年(30年)時点で風力は8・8円、住宅用太陽光は9・9円まで下がる可能性があるとしたが、現時点では原発よりもかなり上回る。

 原発の発電コストには、福島第1原発並みの過酷事故を起こした損害額を盛り込んだ。損害賠償費用を5兆8300億円あまりと見積もり、ここから事故リスクに備える費用を0・5円と試算。ただ、損害賠償額などは現時点で確定しておらず、事故費用が1兆円増加するたびに発電コストは0・1円上昇するとした。

 一方、二酸化炭素(CO2)対策費用や燃料費の増加で石炭火力、液化天然ガス(LNG)火力とも16年(04年)の試算に比べ、大幅に上昇するとした。

 試算結果は、閣僚らで構成するエネルギー・環境会議に報告。来夏に策定する新たなエネルギー政策で、将来の電源構成を決める参考にする。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/111213/trd11121318500018-n1.htm

もし、金銭で原発事故の損害をはかるとしても、実際にはより多くなっていくと考えられるのである。

福島第一原発事故直後、原発を推進してきた理工系の科学者がテレビなどで発言し、そのことで科学者全体の信用を失墜させたことは記憶に新しい。いくら推進派といえども、科学者であるからには、多少は反省したかと思っていた。たぶん、そういう人もいると思う。しかし、茅氏の主張は、やはり全体としては変わらなかったという感を強くするものであった。原発事故は、広範囲の地域社会住民すべての人生に影響を与えるものである。それは自動車事故などとは比較できないものなのだ。ある意味では当たり前なことーしかし、日本原子力学会などでは、そのような当たり前なことも見えていないのだ。そのことが、この茅氏の発言でよくわかったと思う。

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