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Archive for 2012年7月

3.11以後、いつも頭から離れない話がある。それが、トルストイの創作民話「人にはどれほどの土地がいるか」(1886年発表。『トルストイ民話集 イワンのばか 他八編』<岩波文庫>所収)である。

    <「人にはどれほどの土地がいるか」のあらまし>

この話は、ロシアの農民の話である。主人公のパホームは、小作農民であり、商人などより安定した生活をしていることに満足していた。しかし、パホームは「ただひとつ弱るのは、地面の足りないことだ! これで、地面さえ自由になったら、わしにはだれだってこわいものはないー悪魔だってこわかないよ!」と呟いた。それに対して、悪魔は、「ひとつおまえと勝負してやろう。おれがおまえに地面をどっさりやろう。ー地面でおまえをとりこにしてやろう」と考えたのである。この物語は、小作農民パホームが、土地を獲得することによって破滅したことをテーマにしている。

といっても、パホームは、少なくとも最初は、土地に対して過大な欲望を抱いてわけではない。最初は、近隣の地主が商人に土地を売却するという話を聞きつけて、それに対抗するために一部の土地(15デシャティーナ。1デシャティーナは1092ヘクタール)を買っただけであった。しかし、土地を購入した以降、家畜などの無断立ち入りなどで、近隣住民と際限のない争いを惹起してしまった。トルストイは「こうしてパホームは、土地は広く持ったけれども、世間を狭く暮らすようになってしまった」と叙述している。

そのうち、ある百姓が「ヴォルガのむこう」では移住すればより広く豊穣な土地を分け与えられると話しており、その話をききつけて、パホームは移住した。パホームはそれまでからみると一人当たり3倍の土地(50デシャティーナ)を獲得した。しかし、パホームは「だんだん住み馴れるにつれて、この土地でもまた狭苦しいような気がしてきた」という。パホームは、小麦生産の拡大をはかったが、そのためには、自分の土地だけでは足りず、他人の土地を借りざるを得なかった。そのような土地の借用をめぐって、またも近隣住民と競争しあうことになった。

そこで、パホームは、より広い土地を購入するように物色をはじめた。500デシャティーナの土地を1500ルーブリで買い取ることになったのだが、その折、ある商人が1000ルーブリで5000デシャティーナの土地をパシキール人から買い取ったという話をパホームにした。

この話を聞いて、パホームは、パシキール人の土地に旅立ち、同地に到着した。パシキール人は遊牧民であり、土地を耕作してはいなかった。パホームは、贈物をおくるなどして、彼らに気に入られることにつとめた。パシキール人はパホームを気に入り、パホームの贈物に返礼したいと言い出した。そこで、パホームは、土地が欲しいと言い出したのである。

パシキール人の村長は、欲しいだけ土地をやるといい、その価格は均一で「一日分千ルーブル」としていると述べた。一人が一日歩き回ったところを1000ルーブルで売るというのである。ただし、条件が一つある。それは、日没までに出発点に戻らなければならないというのである。

こういう条件を出されれば、ロシア農民どころか現代日本人でも有頂天となるだろう。トルストイは、このように書いている。

<どうでもひとつ、できるだけ大きなパレスタイン(約束の土地)をとらなくちゃ>と彼は考えるのだった。一日かかったら、五十露里はまわるだろう。それに今は一ばん日の長い時だ。そこで、まわり五十露里の地面といえば、いったいどれくらいになるだろう! そのうち悪いところは売るか、百姓たちに貸すかすればいい。そしていいところだけとって、そこにすわりこむこととしよう。二頭の牝牛にひかせる犂をつくり、作男をふたりやとって、五十デシャティーナくらいを耕し、残りの地面で牧畜をやることにしよう。

ところが、その夜、パホームは夢をみた。パシキール人の村長、パシキール人の話をしていた商人、「ヴォルガの向こう」の話をしていた百姓が次々と夢の中に出てきた。

が、さらに見ると、それは例の百姓でもなく、角と蹄のある悪魔自身で、そいつがすわったまま腹を抱えて笑っているのだった。そしてその前には、シャツとずぼん下だけのはだしの男がひとりころがっている。パホームはなおそばへ寄って、じっと見たーその男はいったい何者だろう? ところが、男はもう死んでいて、しかも彼自身である。パホームはぎょっとして、はっと目をさました。目がさめるとー<何だ、夢か、つまらない!>こう考えた。

夢から覚めると、もう朝で、パホームは、一日分の土地を計るために出発した。丘の上にある出発地点には、村長の帽子が置かれ、日没までにそこに戻ってこなければならなかった。「いかにも地面がいいので、思いきるのは惜しいわい。おまけに、行けば行くほどよくなんだからたまらない。」ということで、とにかく大きな地面をとろうと必死にパホームは歩いた。途中で疲労し、眠気が襲ってきても、パホームは「一時間の辛抱が一生のとくになるんだ」といって歩き続けた。

しかし、さすがに日没が近づいてくるとパホームはあせり、出発地点に戻るために走り出した。

<ああ>と彼は考えた。<おれはあんまり欲をかきすぎた、ーもう万事おしまいだー日の入りまでには行き着けそうもない>…すると、なお悪いことに、こう思う恐れから、いっそう呼吸がきれてきた。パホームはただ走った。(中略)パホームは無気味になっては考えたー<あんまり夢中になって、死んでしまいはしないだろうか>
 死ぬのはこわいけれども、立ちどまることはできなかった。
 <あんなに駈けまわりながら、いまになって立ちどまったら、ーそれこそばか呼ばわりされるだろう>こんなことを考えた。

ほぼ日没直前に、パホームは、出発地点にようやく近づいた。出発地点ではパシキール人たちが彼をせきたて、村長が両手で腹を抱えていた。それをみて、パホームは、このように考えた。

と、パホームには夢が思いだされた。<土地はたくさんとったが>こう彼は考えた。<神さまがその上に住ませて下さるだろうか? おお、おれは自分を滅ぼした! とても走れまい>…

一度はあきらめかけたパホームであるが、なんとか、日没時までには出発地点まで戻ってきた。しかし、結末は、こういうありさまであった。

パホームは、勇を鼓して丘へ駆けあがった。丘の上はまだ明るかった。パホームは駈けつけると同時に帽子を見た。帽子の前には村長がすわり、両手で腹を抱えて、あはあはと笑っている。パホームは夢を思いだし、あっと叫んだ。足がすくんでしまったので、彼は前のめりに倒れたが、倒れながらも両手で帽子をつかんだ。
 「やあ、えらい!」と村長は叫んだ。「土地をしっかりおとんなすった!」
 パホームの下男が駈けつけて、彼を抱き起こそうとしたが、彼の口からはたらたらと血が流れた。彼は死んで倒れていたのだった。
 下男は土掘りをとりあげて、ー頭から足まではいるようにーきかっり三アルシンだけ、パホームのために墓穴を掘った。そして、彼をそこに埋めた。

最終的に、パホームは、土地のために破滅したのだった。彼に最後に残された土地は、彼の身長分しかない墓穴だけだったのである。

    <3.11以後、「人にはどれほどの土地がいるか」を読み返して>

この話のテーマは、人の生存手段である土地を追い求めた結果、逆にその生存自身を失ってしまったというところにある。「<土地はたくさんとったが>こう彼は考えた。<神さまがその上に住ませて下さるだろうか? おお、おれは自分を滅ぼした! とても走れまい>」ーこれがこの話の眼目といえるだろう。

そして、人の生存手段というのは、何も土地だけにかぎらない。経済成長・雇用・補助金・税源・購買力・資本ー、ここには、一般的な「富」全体が入るだろう。この話は、ロシアの小作農民の話となっているが、むしろ、無制限な資本蓄積を行っている現代資本主義のほうが、より該当する話である。といっても、複雑な現代資本主義においては、寓話としてもこのように明瞭な話は成立しないだろう。この話では、ときどき「村組合」という言葉が出てくる。パホームは「村組合」に代表される村落共同体から出発し、互いに対抗、競争しあう資本主義の世界に入っていったといえる。逆に、それゆえに、等身大の共同体的世界観(トルストイの立場からいえば宗教的という観点も入るだろう)から資本主義の構造を読み解いているといえるのである。

そして、パホームが最後に土地を獲得しようとしたところは「パシキール人の土地」であった。この話においても、パシキール人は土地を耕作しない遊牧民として描かれている。パシキール人は、ロシアの東方に居住しており、その土地に侵攻することで、当時のロシア帝国は発展したのだ。その土地を、いわば法外の値段で買い取ろうとしたのであった。パシキール人からの土地収奪といえるだろう。当時のロシア帝国主義の発展を戯画的に描いているということができる。まさに、無制限な資本蓄積の源流は、資本主義的な意味での「中心」と「周縁」との不等価交換に基づいているのだ。

しかし、この話の中心は、土地を収奪されたパシキール人ではなく、ロシア帝国主義による土地収奪の尖兵ともいうべきロシア農民であるパホームに何が起こったかを中心に書かれている。パホームは最終的に5000デシャティーナ以上の地主になることを望んだが、実際に彼自身の経営可能な農地は50デシャティーナ程度であった。それ以上の土地は、売るか貸すかしかなかった。生存に必要な範囲をはるかにこえた土地を獲得しようとしたがゆえに、彼は命を落とすことになった。無制限な資本蓄積が身を滅ぼしたのである。

しかし、無制限な資本蓄積が肯定されている現代資本主義にとっては、このような話は、単なる倫理的・宗教的空想にしか聞こえないだろう。ケインズ以来の修正資本主義すらかなぐり捨てて、無制限な資本蓄積をより一層推進する新自由主義の下では、とりわけそうだ。そして、このような無制限な資本蓄積を肯定するメンタリティは、その枠組みの中で生きる人びとすべてに影響を与えている。例え、資本主義的蓄積を批判的にみたとしても、生活自体がその枠組みを前提として成立している以上、現実には、資本主義的蓄積のみが現実的なもので、それを否定するものは空想的にしかみえないといえる。私自身、「人にはどれほどの土地がいるか」は、前から知っていた。しかし、無気味ではあるものの、自分たちとは無関係なものと思っていた。

原発というものは、無制限な資本蓄積の象徴といえる。高速増殖炉もんじゅなどは、「燃やせば燃やすほど燃料が増える」ということをキャッチフレーズにしていた。一般的な原発も、その経済性を売り物にしていた。今思えば、この経済性とは、一方で政府が立地対策や使用済み核燃料再処理サイクル確立などを行うことで補助し、他方ではウラン採掘現場から放射性廃棄物処理まで全ての段階で惹起される被曝を無視し、そのリスクを労働者や地域社会に押しつけて成立したものだったといえる。しかし、無制限な資本蓄積が前提で私たちの生活が成り立っている限り、原発に対しても一般的には否定できない雰囲気があったといえる。原発に無関心であるということは、意識的ではないにせよ、その存在を否定できなかったということができるのだ。そして、原発に多少問題があるにせよ、技術的制御によりカタストロフィーまでにはならず、私たちの生存・生活を侵すことはないだろうと信じられていたのである。そして、原発を廃絶することは、「空想的」と考えられていたといえる。

3.11における福島第一原発事故は、この状況を覆し、原発事故は人びとの生存・生活を根本的に脅かすものであるということを示すことになった。本来は原発というものは、人びとの生存・生活を発展させるために存立する手段だったはずのものだった。しかし、福島第一原発事故は、生存・生活の手段だった原発が、事故を契機として、人びとの生存・生活自体を脅かし、さらには覆すものになったことを明示したものとなった。多くの人が放射能汚染によって避難を余儀なくされた福島県の状況がこのことをよく物語っている。

福島県の地域社会は、全体としては、地域住民の生存のために原発を受け入れていたといえる。しかし、今度は、その原発によって、生存それ自体が脅かされ、生活していた地域から避難をせざるをえなくなったのである。生存の手段が、逆に生存自体を脅かすものになったのである。

こういう状況を目にして、私は「人にはどれほどの土地がいるか」を想起したのである。「<土地はたくさんとったが>こう彼は考えた。<神さまがその上に住ませて下さるだろうか? おお、おれは自分を滅ぼした! とても走れまい>」。土地とは、生存・生活の手段である。しかし、それが人の破滅の種になった。福島の話で考えれば、地域住民としては生存・生活の手段として原発は受け入れたのだが、逆にそれが地域における住民生活を不可能にしたといえる。もちろん、福島の人びとがパホームほど欲望の虜になったとは思えない。しかし、パホームだって、最初は安定した生活を望んだにすぎない。そして、福島の人びとについていえば、より安定した生活を望んだだけで、その土地から追い出されたことになる。原発とは無制限な資本蓄積の具であるが、それこそ「安全性」すら「無制限」に資本蓄積を行ったあげく、この状況となったのである。

この状況が「反原発」の機運を生んだことは周知のことであろう。放射能汚染への恐怖は、原発が立地する福島だけの問題ではなく、日本全国やさらに近隣諸国ー世界全体の問題になった。

これに対して、関電などの電力会社(社員を含めて)、経団連などの財界、野田政権は、むしろ態度を硬化させ、原発の安全性を実質的に無視した上で、原発は日本の経済成長と雇用を維持し「国民生活」のために必要だと主張したのである。ここにおいて、「人にはどれほどの土地がいるか」のたとえは、より正鵠を射るようになったといえる。福島の状況は、私たちみなの抱えている問題になった。最早、原発だけでなく、それが象徴している経済成長ー無制限な資本蓄積総体が疑問とされるようになった。人びとの生存・生活の手段だったはずのものが、今やそれ自体が目的として追求され、人びとの生存・生活が犠牲に供されるようになった。パホームは、無制限な資本蓄積の枠組みの中で生きる私たち自身であり、その結末は、パホームと同じになるのではなかろうか。もはや、「空想」のほうが、より「現実的」になったのである。「人にはどれほどの土地がいるか」は、3.11以後、ますます、私たちの状況を照射するものになっていっていると考えられるのである。

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2012年7月21日付朝日新聞朝刊で、福島第一原発事故の復旧工事において、下請け会社役員が作業員に線量計に鉛のカバーをかぶせ、被曝線量を少なく見せかける偽装工作を行ったことが報道された。まず、その記事の最初の部分をみてほしい。

線量計に鉛板、東電下請けが指示 原発作業で被曝偽装

 東京電力が発注した福島第一原発の復旧工事で、下請け会社の役員が昨年12月、厚さ数ミリの鉛のカバーで放射線の線量計を覆うよう作業員に指示していたことがわかった。法令で上限が決まっている作業員の被曝(ひばく)線量を少なく見せかける偽装工作とみられる。朝日新聞の取材に、複数の作業員が鉛カバーを装着して作業したことを認めた。役員は指示したことも装着したことも否定している。厚生労働省は、労働安全衛生法に違反する疑いがあるとして調査を始めた。 

このことは、作業員の安全を侵害するもので、法令違反であることは間違いがない。しかし、私が関心をもったのは、どのような論理で、作業員に、このことを強制したかといことであった。朝日新聞の報道をさらに紹介したい。

 

朝日新聞は、福島県の中堅建設会社である下請け会社「ビルドアップ」(同社本社は浪江町に所在…引用者注)の役員(54)が偽装工作したことを示す録音記録を入手した。昨年12月2日夜、作業員の宿舎だった福島県いわき市の旅館で、役員とのやりとりを作業員が携帯電話で録音していた。

 役員はその前日、作業チーム約10人に対し、胸ポケットに入るほどの大きさの線量計「APD」を鉛カバーで覆うよう指示した。だが3人が拒んだため、2日夜に会社側3人と話し合いがもたれた。役員は録音内容を否定するが、この場にいた複数の作業員が事実関係を認めている。

 役員が口火を切った。

 「年間50ミリシーベルトまでいいというのは、原発(で仕事を)やっている人はみんな知っている。いっぱい線量浴びちゃうと、年間なんてもたない。3カ月、4カ月でなくなる。自分で自分の線量守んないと1年間原発で生活していけない。原発の仕事ができなかったらどっかで働くというわけにはいかねえ」

 作業員の被曝限度は「年間50ミリシーベルト」などと法令で定められている。被曝限度を超えれば、原発では当面働けない。

 役員は続けた。

 「線量がなくなったら生活していけるわけがねえんだ。わかる? 50ミリがどんどん目減りしていくわけがだから」

 今回も工事は、東電がグループ会社「東京エネシス」に発注し、ビルド社が一部を下請けした。ビルド社員や、業者の紹介で各地から集まった人ら約10人の混成チームで、汚染水処理システムのホースを保温材で巻く。現場は、福島第一原発1〜4号機の間近だ。

 鉛カバーで記録上の線量が下がることは、放射線にかかわる人には常識だ。作業員の一人が「俺はやっていけないことを……」と言うと、役員は遮った。

 「やってはいけないってのは百も承知。やりたくない人は無理にやらなくたっていいんだよ。」

 別の作業員が「これって犯罪に近いと思う」と言うと、役員はこう反論した。

 「私、無理押しした? 自分のために納得してやってもらえるだったらやってください、ということなの。俺は、自分の線量を守りたいからやるよ」

 この役員は、実質的な現場責任者も兼ねていた。各地の原発で工事を仕切るため、「あそこ(福島第一)で全部(線量を)使い果たすわけにはいかねえ」とも語った。

 同じ現場で鉛カバーを着ける人と着けない人がいたら、線量の記録がばらついて不正が見つかる。役員は自分の線量を少なく見せるため、全員に鉛カバーの装着を求めているのだろうー。作業員たちは納得できず、「なぜ鉛で隠すのか」と重ねて反論した。

 「鉛で隠さないと、線量なくなったら仕事にならないんだ」

 この論理は、驚くべきことである。労働者においては、自身が生命を維持して生活することを目的として、雇用契約を結び、賃金を得ることが通常のあり方といえる。しかし、この役員の論理が逆転している。長期雇用を確保するために、いわば、自らの身の安全を犠牲に供することを求めている。生命・生活は、雇用によって賃金を得るための目的であり、雇用以前に守るべきものであるはずだが、ここでは、雇用を確保するために、犠牲にされていくのである。

さらに、この対話の続きを、朝日新聞の記事からみていこう。

 

現場を下見した際に「被曝隠し」を決断したー。作業員らがビルド社役員の発言をそう受け止めた場面がある。

 鉛カバーの装着を拒んだ作業員らとの話し合いが行われた12月2日夜のことだ。やりとりの録音によると、いわき市の旅館の一室で、役員はビルド社のチームが1〜4号機付近の作業現場を下見した11月下旬の出来事を話し出した。爆発で飛び散ったがれきがまだ残る中、APD(線量計…引用者注)の警報が「ピピピ」と鳴った。

 「こりゃあ(線量が)高いなっていうのは、すぐわかった。あのエリアやるときはこうしようと、私なりの判断で決めた」。役員の発言を聞いた作業員らは、「こうしよう」が被曝隠しのことを指すと確信したという。

 さらに、役員は「自分の線量は自分で守るため、今までそうやったことがある」とも語り、それ以前にも「被曝隠し」をした経験があることをほのめかした。

 作業員たちは納得しなかった。役員は次第に説得をあきらめ、口調を強めた。

 「原発は向いていないかもしんない。地元に帰って別な仕事やりな」

 「線量の高いときはそれなりにいろいろやってきてんの。それがさ、あんたの生き方間違っているって、俺は言われたくねえんだ」

 1時間に及んだ話し合いは折り合わなかった。作業員らは仕事を離れ、翌日にはそれぞれの地元へ帰った。

放射線量が高く、より危険であることを承知しながら、安全対策を講じず、むしろ、偽装被曝しか考えていない。そして、このようなことは、以前からなされていたことがここで示されている。さらに、法令に即した線量計の扱いを主張した労働者を結局解雇した。不当労働行為としかいえないであろう。

本ブログでは、あまり原発労働について取り上げてこなかった。この出来事は、原発労働の本質をついているといえる。放射線量の高いところでは、労働者は長期間作業することはできない。しかしながら、下請け企業においては熟練労働力を確保するという点から、労働者においては少しでも安定雇用を維持するという点から、被爆線量を偽装によって少なくさせることによって、長期間の作業を可能にしようとする。その論理構造が全く分からないというわけではない。だが、その帰結は、雇用のために、労働者一人一人の生命・生活が犠牲にされるということなのである。

これは、単に、原発労働だけではない。福島原発が立地している地域社会総体にみられることである。雇用にせよ、補助金にせよ、税収にせよ、購買力にせよ、原発によって得られる金銭とは、地域社会にとって、地域住民が生命を維持し、生活を発展させていくために使われるべきものであった。福島原発近傍で、一般住民は生存しえなくなった。その際、例えば、雇用が、どのような意味をもつのか。そして、このようなことは、他の原発が立地する地域社会でも出現する可能性を有しているのだ。

このことは、原発労働や原発立地の地域社会だけのことではない。私は、このようなことを「驚くべき」ことといったが、「驚いてはいない」。このような、労働者の生命や生活を犠牲にする労働状況は、いまや一般に蔓延している。このようなことは、今や、国家の方針でもある。大飯原発再稼働を主張した2012年6月8日の野田演説では、事実上原発の安全性向上を無視した上で、

夏場の短期的な電力需給の問題だけではありません。化石燃料への依存を増やして、電力価格が高騰すれば、ぎりぎりの経営を行っている小売店や中小企業、そして、家庭にも影響が及びます。空洞化を加速して雇用の場が失われてしまいます。そのため、夏場限定の再稼働では、国民の生活は守れません。

と述べた。野田は「雇用」を強調して、事実上「安全性向上」を無視したということになるが、これは、いわば、人びとの「生命」「生活」を「雇用」のために犠牲にしたということができる。その意味で、今回の線量偽装事件の論理に相通じているといえよう。

 

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本ブログでも紹介したが、福島第一原発の地元である双葉町の中心部には、「原子力明るい未来のエネルギー」という標語がかかれた門が存在している。この門につき、最近、東京新聞は、次の記事をネット配信した。

26年目の訂正 「原発はいらない」 双葉町の標語考えた少年後悔
2012年7月18日 07時14分

 「原子力明るい未来のエネルギー」。福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。
 大沼さんは東京電力福島第一原発の事故後、身重の妻せりなさん(37)と地元を離れ、現在は愛知県安城市で避難生活を送る。町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。
 大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。
 しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。
 夫婦が一時帰宅した今月十五日、記者も同行した。防護服姿の大沼さんはまず、標語にレッドカードを突き付け「退場」と叫んだ。その後、看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。「原子力破滅未来のエネルギー」。二十六年目の訂正の瞬間だった。
 大沼さんは「原発事故で故郷を奪われることが二度とあってはならない。日本に原発はいらない」と話した。 (野呂法夫、写真も)
(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071890071406.html

たぶん、著作権が問題になると考えて、写真そのものは、ここでは紹介しなかった。ネットでみてほしい。簡単に写真を説明すると、「原子力明るい未来のエネルギー」の「明るい」という部分にかかるように「破滅」と書かれた画用紙を大沼氏がかかげ、全体では「原子力破滅未来のエネルギー」とよめるようになっている。

この報道の中身について、詳細な説明は要しないだろう。この出来事は、3.11がこの地域にとってなんであったかを、雄弁に物語っている。

3.11以前であったら、大沼氏は、こんなことは思いつきもしなかったであろう。報道には、「町が原子力標語を公募したのは一九八七年。原発が町の未来をつくると信じた言葉が入選。第一原発から約四キロの自宅近くに鉄製の看板が電源立地交付金で建てられ、誇らしかった。大学を出て就職などし、二十九歳で帰郷。不動産会社に勤める傍ら、看板の横にある土地にオール電化のアパートを建てて、東電社員にも貸していた。ずっと町の発展が原発とともにある「安全神話」を疑わなかった。」とある。大沼氏は、彼自身も東電が福島第一原発をこの地に立地することによって、利益を得ていたのである。

このような、「3.11」以前の世界を、独自な視点で紹介しているのが、本ブログでも紹介した、開沼博氏の『「フクシマ」論』(2011年)である。開沼氏は、この門を掲載写真でとりあげながら、同書でこのように物語っている。

直接的に原発・関連施設がイメージされるか否かという点に関わらず、原子力ムラ(開沼氏の用法では原発が立地している地域社会をさす…引用者注)には、これらのように原子力を身近なものとし、原子力自体やそれに媒介された文化が成立する。これらの例からは、原子力を持つことと引き換えに、あるいは原子力を通して、原子力ムラが自らを肯定する文化を歴史的に作り上げてきているということが言えるだろう。本節の冒頭で示した「原子力ムラは何を包摂するか」という問いに答えるならば、原子力ムラは原子力によってムラにもたらされたアイデンティティや中央の文化を、決して他者によって設計され無理やり押し付けられたというわけではなく、自ら取り込みながら包摂していったということができるだろう。
(中略)
この見方は、原子力ムラにとっても重要なものとなるだろう。原子力ムラは、例え、外部の者がそこにスティグマ(ネガティブなイメージ)を与えていたとしても、原子力は自ら「包摂」するなかでその日常を営んでいるのだ。
(同書p116〜118)

3.11以後は、「原子力」があるがゆえに営むべき「日常」が奪われたといえる。東京新聞の報道では「しかし事故後、町は警戒区域となり、全町民が避難。「平穏な暮らしが町ごと奪われた現実」にさいなまれ、テレビで標語が紹介されるたびに胸を痛めた。自らを責め悔いる日々から「原発の現実を話す権利はある」と考えた。脱原発を行動で示し、その姿を長男勇誠ちゃん(1つ)に将来伝えたいと思った。」とされている。これが、3.11とは何であったということを雄弁に物語っているといえるのだ。3.11以前、原子力を積極的に受け入れる意識が地域社会でヘゲモニーをもっていたとはいえる。しかし、それは、地域社会の「日常生活」が保たれていればこそのことであった。福島第一原発事故以後、この地域社会の「日常生活」は根こそぎ失われた。まさしく双葉町の「門」において、標語の作者自身が「原子力明るい未来のエネルギー」から「原子力破滅未来のエネルギー」へ言い換えたことは、そのことを象徴的に示しているといえるのである。そして、これが、この地域における「東日本大震災の歴史的位置」を示す出来事なのである。

加えていえば、単に福島第一原発が立地する地域社会だけではなく、他の原発が所在する地域社会を含めた日本全体、さらに世界全体にとっても「原子力明るい未来のエネルギー」から「原子力破滅未来のエネルギー」と意識転換していかねばならないだろう。これは、すでに、1986年のチェルノブイリ事故で示されていたことであった。東日本大震災を契機とした福島第一原発事故は、再度、このことを示したものでもあったのだ。

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2012年7月18日、中日新聞は「関電、大飯再稼働なくても電力供給に余力」という記事をネット配信した。まず、ここで紹介したい。

関電、大飯再稼働なくても電力供給に余力 
2012年7月18日 09時49分

 政府の節電要請から16日までの2週間の関西電力管内の電力需給で、最大需要は2301万キロワットにとどまり、出力118万キロワットの大飯原発3号機(福井県おおい町)が再稼働しなくても、供給力を9%下回っていたことが分かった。猛暑となり17日の最大需要はこの夏一番の2540万キロワットに達したが、10%以上の供給余力があった。政府は夏場の電力不足を理由に強引に大飯原発の再稼働に踏み切ったが、節電効果など需要の見通しの甘さが浮き彫りになった。
 関電は5月にまとめた試算で、原発ゼロのままなら7月前半は8・2%の供給力不足が生じるとし、再稼働の必要性を強調した。政府は大飯の再稼働を決めた上で、関電管内に猛暑だった2010年夏比で15%の節電を求め、3号機のフル稼働後も節電目標を10%に設定している。
 政府は2日に節電要請を開始。関電の資料などによると、16日までの2週間の最大需要は10年同時期と比べて平均で12%低下。最大需要の2301万キロワットを記録した瞬間は供給力を344万キロワット下回り、大飯3号機の118万キロワットを差し引いても余裕があった。需給が最も逼迫(ひっぱく)した時間帯でもさらに209万キロワットの供給が可能だった。
 一方、関電に平均36万キロワットを融通している中部電力も2週間の最大需要は2139万キロワットで、供給力を9%下回った。中電管内の節電目標は当初は5%で、現在、4%に設定されているが、安定した供給体制を確保している。
 関電広報室の担当者は「雨や曇りの日が多く供給が安定したが、今後は気温が平年より高くなるとの予報がある。大飯原発4号機が稼働しても需給の見通しは厳しい」とコメント。中電広報部の担当者も「火力発電所のトラブルリスクなどがあり、電力供給は厳しい」と話した。
 千葉商科大の三橋規宏名誉教授(環境経済学)は「政府や電力会社が、原発を再稼働させるため、電力需要を恣意(しい)的に過大に見積もった結果だ。今後、猛暑になっても電力は足りると思うが、脱原発の機運を高めるため、引き続き企業と家庭で節電の努力が必要」と話した。
(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2012071890094758.html

以前、本ブログでも、原発再稼働がなくても関西電力の需要をまかなえたのではないかと指摘した。個人的に、根拠が薄いのではないかと意見がよせられたこともあるのだが、中日新聞の報道が本ブログの記事を裏打ちした格好となった。一日の需要のピークが2540万kwであり、10%の供給能力があったというのである。

ただ、これでも、多少わかりにくいので、関西電力の「でんき予報」に掲載されている7月18日の使用電力状況から、もう一度検討しておきたい。7月18日の最高気温は33.4度で、かなり高い。ピーク時供給力は2902万kwで、実際の最大使用電力は2555万kw(16時台)、347万kwの余力があり、使用率は88%である。関西電力管内では10%の節電目標がかかげられており、もし、全く節電されないならば、電力最大需要は約2810万kwとなることになる。大飯原発3号機の発生電力は118万kw。原発による揚水発電増加分が不明なので概算にとどまるが、大飯原発3号機発生電力118万kwをさしひくならば、原発がない場合のピーク時供給力は2784万kwとなる。原発がない場合。全く節電しなかったら不足することになるが、余裕をみて10%の余剰電力を見込むならば、需要電力は2529万kwに節電すればいいのである。これは、実際の電力需要とほぼ一致しているといえよう。

5月19日に関電が発表した電力需給予想によると、7月後半から8月中の最大電力需要は2987万kwであり、実際の需要とは432万kwも多いのである。この最大電力需要は、猛暑といわれた2010年を基準にしており、ある意味では過大になるようになっているといえる。他方、8月の想定供給力は2542万kwとされており、現在のピーク時供給力とは360万kwも少なく見積もられている。そのうち大飯原発3号機118万kwを除外しても242万kwも少ないのである。現実の需給とはほぼ逆転していたといえよう

このように、関西電力の電力需給予想においては、電力需要は過大に、電力供給は過小にみつもられていたといえよう。そして、大飯原発3号機の再稼働がなくても、節電努力があれば電力は賄えたと考えられる。まして、大飯原発4号機の再稼働は必要ないといえよう。結局は、コストの高い火力発電所の稼働をおさえたいととする関電の経営問題でしかなかったといえるだろう。そのことを、繰り返して確認していかねばならないと思う。

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今、現在、政府は、「エネルギー・環境会議」を設置して、その審議より、2030年の電力における原子力発電の比率を0%、15%、20〜25%の三つの選択肢が選ぶこととし、この三つのシナリオについて、意見聴取をする意見聴取会を全国11都市で開催している。この意見聴取会は、この三つのシナリオを支持する人をそれぞれ3人づつ、都合9人を公募・抽選によって選出し、意見を述べさせるというものである。

7月18日現在、さいたま市(14日)、仙台市(15日)、名古屋市(16日)と開催されてきた。その内、仙台市では東北電力幹部が、名古屋市では中部電力社員が出席して、原発推進の議論を展開し、批判をあびている。

ここでは、16日の中部電力社員が意見聴取会で述べた内容を紹介しておきたい。これは、電力会社など、いわゆる原発建設を推進してきた原子力ムラの人びとが、どのように福島第一原発事故をみたうえで、原発推進の正当性を求めているのかを示す、一つのケーススタディになるといえる。なお、典拠はhttp://www.ustream.tv/recorded/24030483の動画であり、この動画から、私自身が聞き取ったものである。聞き間違いもあるかもしれないし、また、ある程度、要約してしまったところもある。さらに、表現も、現物は「です、ます」調だが、ここでは、簡潔にするために「だ、である」調に直した。気になる方は、典拠の動画をみてほしい。中部電力社員は3番目で、話す時間も10分しかない。

まず、彼は、自身が「中部電力に勤める会社員」であると自己紹介しつつ、個人として20〜25%シナリオを選択する意見を申し述べると述べた。そして、このようにいう。

今回のように、原子力発電の必要性の議論になると、大抵、安全か経済かの二項対立になることが多い。具体的には経済成長よりも安全、命のほうが大事だという論調になる。しかし、私はこの二つを全く別のものとは考えていない。世界では貧困でなくなっている方が多数いる。薬や医療技術があってもお金がないから救えないということがたくさんある。以前、おにぎりが食べたいといって、なくなった方がいらしゃった。これも経済が回っていて福祉にお金が行き届いていれば、救えた命ではないかと私は思う。

まあ、安全や命も経済次第であるということになる。そして、経済が回っていたら、貧困によって命が失われることがなくなるということになるだろう。

そして、これは、福島第一原発事故以後の福島県にもあてはまることだと、彼はいう。

昨年の福島事故でもそうだったと私は思う。放射能の直接影響でなくなった方は一人もいらっしゃらない。それは、5年10年たっても、この状況は変わらないと私は考えている。…疫学のデータからみたら、これは紛れもない事実だ。それは、5年10年たてばわかる。
…実質的な福島事故の被害とは何だろうか。これは、警戒区域等を設置することによって家とか仕事をうしなってしまったり、あるいは風評被害とか過剰な食品規制値の設置によって、せっかく作り出した作物が売れなくなってしまうことによって、先行きを悲観した人が自ら命をたたれたりするとか、体調をくずしてしまったりするとか、生活がたちゆかないということが発生している。これは、まさに、経済的な影響が安全や命をおかしてしまった例と私は考えている。

彼は、福島第一原発事故がもたらした福島県ーいや、少なくとも東日本全域におよんでいるがーの窮境は、放射能汚染によって生み出されたものとしてはみていない。放射能汚染ではだれも死んでいないし、長期的にみてもそうだという。むしろ、この窮境は、警戒区域等設置、風評被害、食品規制値設定など、いわば放射能汚染対策によって引き起こされた経済的な影響によるものだといっている。この論理でいうならば、福島第一原発事故において経済的に悪影響を及ぼす放射能汚染対策はすべきではなかったし、そのことが安全や命をおかすことになったということになる。

そして、彼は、このように主張する。

私は経済的なリスクが、命や環境の安全リスクにつながることとしてとらえられていないということを懸念している。経済が冷え込んで、消費が衰退して、企業の国際競争力が低下してしまえば、福島事故と同じこと、あるいはそれ以上のことが日本全体でおこると考えている。そういう視点で私たちは各シナリオがどれだけ共有されているかということを問いたいと思う。放射能の影響に対する過剰反応で、脱原発の論調が席捲している。しかしながら、報道されている内容にかたよりがないか。私は各シナリオのリスクを理解・覚悟した上で、国民がそのシナリオを選択するならば、それはしかたがないと考えている。でも、それで、本当にやっていけるか。私は無理だと思う。

経済的衰退は、彼にとって、福島第一原発事故以上のカタストロフィーなのである。彼にとって、脱原発の論調は「放射能の影響に対する過剰反応」によって引き起こされたものとしてみている。そして、原発を減らすような選択は「無理」なのである。

ここから、原子力の代替エネルギーが、どれほどリスクをおっているかを、事細かに彼は主張している。先にみた議論よりは常識的でわかりやすいが、その主張の是非云々を議論する気はないので、ここで簡単に概括しておこう。太陽光・風力・地熱発電などの再生可能なエネルギーは、設置費用もかかるし、耐用年数も短く、設置場所にも限界がある。水力発電も拡張の余地はない。ゆえに、再生可能なエネルギーによって電力供給を35%賄おうとすることは、最初から破綻している。結局、火力発電に頼らざるをえないのだが、火力発電の場合は、多額の燃料費が海外に流出するということになる。火力発電コストの大半は燃料費であり、人件費を削っても限界がある。さらに、お金では解決できないこととして、火力発電の燃料は中東に多く依存しており、その政情不安(例えばイランとアメリカの紛争によりホルムズ海峡が封鎖されるなど)によって、エネルギー供給がたたれることになりかねないことをあげている。

最後に、彼は、このように概括している。

最後に、公平のために、私は20から25%シナリオにもリスクがあることを申し述べて話を終わりたい。ただし、それは原子力のリスクではない。再生可能エネルギーを20から25%シナリオでも引き上げるという前提が入っているというリスクがある。これは15%シナリオでもそうだが、程度の差こそあれ、財政負担とか、スケジュールが困難であるとか、用地の買収が不可能であるとか、かかえている問題は0%シナリオと同じである。つまり、このシナリオ(20〜25%シナリオー引用者注)も破綻したシナリオである。結局、最後は、中東の情勢が不安なことにひやひやして、高い電気料金を払い続けるという結末は変わらない。私は35%シナリオがあれば35%、45%シナリオがあれば45%を選択した。その方が安全だろうからである。提示されたシナリオは、原子力のリスクを過大に評価したと思う。このままでは、日本は衰退の一途をたどると思う。国民の皆様の冷静な判断を望む。

まあ、全体は、こういう話なのである。この中部電力社員の発言については、全体が報道されていない。そのため、往々として、避難や放射能汚染規制のためなどで自殺者が出ていることを無視しているなどという批判がされていることがある。彼は無視はしていない。むしろ、たぶん、放射能の影響に対する過剰反応による警戒区域設置や食品規制値設定などの規制によって経済的に悪影響が及んだ結果としてみているといえよう。そして、福島第一原発事故は、このような放射能への過剰反応による経済的悪影響の前例としてとらえられているといえる。

今まで、原子力ムラの人びとが原発廃炉において電力供給上のリスクをもちだしてくる論理は、私なりに理解可能であった。しかし、福島第一原発事故をとらえ、それをどのように認識しているかは私もよくわからなかった。あれほどの事故があっても、実質的な安全対策をなぜとらないか、疑問であった。ようやく氷解した。福島第一原発事故は、放射能汚染で直接人が死んでいない。むしろ、このことで、過剰な対策をとったことが経済的な悪影響となった。今後、原発の安全性を考慮して原発を廃炉していくことは、経済上の悪影響を惹起し、日本全体が福島以上の窮境に落ち込むことになることになる。それを福島は示している。そういう論理なのだろう。

こういうふうに考えているーこの論理は経団連なども同様らしいがー人びとと対峙しているのだということを、この中部電力社員の発言は示してくれているといえる。政府は、さすがに事業者である電力会社社員が意見聴取会で発言することは公平ではないとして、以後、電力会社社員の発言はとりやめるそうである(しかし、前年の九電やらせメール事件で、このような問題が惹起されることは予想できたと思うのだが)。といいつつ、むしろ、このような意見を電力会社社員が公言することによって、彼らの意図とは逆に、社会一般に、その考え方の危険性を理解させていくということになっていっているのだと思う。

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たぶん、このブログを読んでいる皆さんはご存じだと思うが、自由民主党所属の衆議院議員河野太郎は、熱心に脱原発を主張している。この前、「現代ビジネス」というサイト(『週刊現代』などの記事が転載されている)に「核心対談 河野太郎(衆議院議員)×小熊英二(慶応大学教授)『この国のかたちを考える』」という記事が6月29日に掲載されており、興味深く読んだ。

この対談の冒頭で、河野は、このように、野田首相による大飯原発再稼働決定を批判している。

河野 大飯原発がとうとう再稼働することになりましたね。福島の過酷事故でこの国の原子力行政がいかにデタラメだったかが明白になり、国民の信頼が地に堕ちたにもかかわらず、野田佳彦総理は一貫して再稼働に前のめりだった。

 では、その安全性を誰が判断したかというと、総理を含めた4大臣だというわけです。科学的知見など持ち合わせていない素人の政治家に原発の安全性などわかるはずがないのに・・・。本来、政治が決めるべきことと政治で決めてはいけないことを完全に混同していますよ。

小熊 おっしゃるとおりだと思います。

河野 車と同じだという理屈を持ち出したりもしますよね。事故も起こすけど、便利だから使っているじゃないか、と。でも、自動車には酔っぱらっているときは運転しちゃいけないというルールがある。それと同じで、原発だって安全基準が確立されていない場合は、稼働しちゃいけないんですよ。

 しかも、関西の電力が足りなくなるから再稼働するという。でも、その理由も怪しいんですよ。だって、関西電力の需給調整契約を見ると、去年3月末には260件あったのに、今年3月末にはわずか24件。需給調整契約とは、企業との間で、電力が不足する場合は節電に協力する代わりに料金を割り引く契約です。

 つまり、今年の夏に電力不足になることは去年からわかっていたんですから、需給調整契約を増やしておくべきだったのに、逆に減っている。これは「再稼働しないと大変な事態になる」とアピールするための瀬戸際作戦じゃないかと思う。

 関西電力も、経産省もわざと手を打たなかったんです。こんなことを許しちゃいけない。これでは原子力行政の信頼性がさらに失墜するだけです。ひょっとしたら、原発から撤退したくてこんなことしてるんですかと皮肉を言いたくなるくらい、酷い仕事ぶりですよ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32875(以下引用同じ)

そして、やはり、脱原発を主張している小熊英二とともに、原発の安全基準、原発輸出、原発のコスト、核燃料サイクルなどについて、批判を加えていっている。これらについては、このサイトを一読することをすすめておきたい。

しかし、私が興味を覚えたのは、どのように脱原発をすすめていくかについて、河野が後半で述べているところである。河野は、このように主張している。

河野 原発事故で多くの国民に政治参加の意識が出てきたのは事実だと思うんです。実際、たくさんの人から「わたしたちは何をすればいいの?」というメールももらいました。そうした人のなかには、確かにデモに参加した人もいる。しかし、彼らの話を聞くと、デモに行っただけで終わっているんですね。脱原発は国政マターですから、政治家に働きかけをしなければいけないのに、そこには思いが至らない。

「デモに行くのもいいけど、地元の政治家事務所に行ってあなたの考えを伝えてください。そうしないと何も変わりませんよ」と言ったんです。ブログにも「日本はシリアとは違うから、乗り込んでいっても銃で撃たれることはありませんよ」と書いたら、「本当にそんなことをしてもいいんですか」というメールが大量に来た。

小熊 それは逆にいえば、日本はシリア並みに政治家が市民から遠い国だ、ということですね。

河野 私にしてみれば、政治家のところに行かないでどうするんだと思うんです。だって、東京電力は事故の後、しかるべき立場の人が議員会館を回って、「東電が潰れれば停電が起きます」とか「東電が破綻したら日本の金融市場が崩壊します」と言って歩いた。そうやって政治を動かし、破綻処理を回避したんです。それに対抗しなきゃいけないのに、「日曜日にデモに行って風船持って歩いてきました」では、なにも変えられない。

それに対して、小熊は、デモの重要性を指摘し、河野も、とりあえず同意した。

小熊 おっしゃることはよくわかります。政治家に圧力をかけなきゃいけないのも確かでしょうし、一方で国民の側に「そんなことをやってもいいのか」という自主規制があって、なかなか行動に移せないのも現実です。ただ、デモに参加することの意味は決して小さくないと思う。

 政治的影響力という点では直接的ではないかもしれませんが、デモを体験することで政治的行動に慣れ、その後の行動を広げていくきっかけになるという効果は馬鹿になりません。そういう人のなかから議員に働きかける行動も起こってくると思う。

 デモは古い、ロビイングしたりNPOを作ったりしなければ意味がない、という意見もあるでしょうが、デモが起きないような国に、ロビイング活動やNPOが生まれるでしょうか?

河野 それは、その通りだ。デモが盛んになれば、その次の段階に進む人も増えるでしょうしね。

小熊 ロビイングも大切でしょうが、デモに行くとそれなりに面白い。参加した人が元気になる。その効果は、侮れないと思いますよ。

しかし、やはり、河野は、脱原発運動の進め方について、やはり、いわゆる狭義の政治活動の枠組みを重視している。河野は、原発住民投票運動の意義を疑問としながら、このように述べている。

河野 私は原発問題が国政マターである以上、やはり総選挙で1票投じることが実質的な住民投票ではないかと思うんですね。そして、次の選挙は、もちろん消費税も重要問題ですけど、まず日本のエネルギーをどうするのかが一番の争点にならないといけない。

このように、河野は、脱原発運動において、公選制議員たちへの陳情や、公選制議員たちを選ぶ選挙を重視している。公選で選ばれた代表である議員たちを選出したり働きかけを行ったりすることが、脱原発を実現する道としての王道なのである。その意味で、議会制民主主義の教科書通りの発言であるといえるであろう。

このような進め方が、ある意味で効力があることは否定できない。特に、今まで原発に全面的に依拠してきた官僚・電力会社・原子炉メーカー・立地地域などに対して、部分的・段階的であってもなんらかの進展を求めていこうとするならば、公選制議会における交渉が必要となるだろう。現状において、すべての人びとが直接に統治を行う直接民主主義ではなく、公選代表を通じて統治が行われる間接民主主義が政治運営の原理となっているのである。

といって、では、公選された代表ー議員たちが真に人びとを「代表」するシステムなのかといえば、大いに疑問を抱かざるをえない。確かに、間接民主主義が、人びとの選挙による審判を前提としている以上、例えば封建制のような、家柄によって統治者になるようなシステムよりは、より「民主的」ではあるだろう。しかし、それでも、やはり少数者による寡頭制的統治であることにはかわらない。いわば、「選挙」によって付託された寡頭制的な政治システムが、間接民主主義といえる。

それは、少なくとも国政の場合、やはり、資金・地盤・組織などを有する有力者が有利になるシステムである。そして、消費増税法案における民主党のマニュフェスト違反問題に象徴的に現れているように、選挙の際の民意は無視されても制度的には問題にならないシステムでもある。いわば、選挙による代表ー議員選出は、彼らに白紙委任状を与える行為なのだ。その意味で、人びとの要求は、本来彼らの代理人であったはずの議員たちに「お願い」しなくてはならないことになる。河野を批判してもしかたがないが、間接民主主義とは、そのような矛盾を抱えているシステムなのである。

その意味で、何らかの形で、議会とは別の形で、人びとの主張を直接あげていく直接行動が必要となるだろう。その手段の一つが、いわゆるデモということになる。デモは、人びとの主張を直接あげていく営為である。それは、基本的には二つの対象に向けられることになるだろう。一つは、今デモに参加している人びとよりも多くの人びとに向けての主張であり、彼らに賛同を求めるものである。もう一つは、首相・国会・経産省・電力会社などにむけてのものであり、彼らの行為に抗議し、翻意を促すものである。いずれにせよ、いわば、間接民主主義にあって、その矛盾を、とりあえず埋めていくものとして、デモを位置づけることができよう。そして、このようなデモがあればこそ、国会内で少数派であった河野などが、より活動しやすくなってきているともいえるのだ。

そして、このようなデモは、遠い将来において、間接民主主義という矛盾のあるシステムを「より民主化」し、直接民主主義へ向かっていく方向性の兆しともいえるのだ。

河野を批判するわけではない。彼は、良心的な政治家であろう。しかし、やはり、まさに「職業的」な見地において、限界を有しているといえる。人びとの声を社会の運営に反映させることが最大の課題であり、選挙も陳情もその手段にすぎないのだと私は思う。

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さてはて、原発が稼働しないと、供給電力が不足するという、関西電力の主張は、本当に真だったのか、大飯原発が再稼働した、今(2012年7月13日)の時点で、検証してみよう。

もう一度、関西電力の当初の主張をみておこう。2012年5月19日に発表した「今夏の需給見通しと節電のお願いについて」によると、関西電力は、7月の前半の最大電力需要を2757万kw、7月後半から8月全体のそれを2987万kw、9月1週目を2902万kw、2週目を2755万kwと想定した。そして、8月の供給予定電力を、水力203万kw、火力1472万kw、他社(自家発電等買取分)・融通(他電力会社分)644万kw、揚水223万kw、計2542万kwとして、445万kw(約14.9%)不足するとしたのである。

さて、大飯原発3号機(118万kw)が本格的に電力供給を開始した7月9日後の状況をみてみよう。関西電力が7月13日に発表した「今週の需給実績と来週以降の需給見通しについて」をみてみると、7月12日の電力供給が2564万kwであるが、最大需要は2234万kwであったとしている。もし、大飯原発が稼働しないとすると、2446万kwの供給にとどまるが、それでも需要に対して212万kw供給が上回っていることになる。もちろん、原発の稼働につれて、その余剰電力を使う揚水発電所の稼働率もあがるので、単純にはいえないが、それでも、電力不足ということはないだろう。

そして、7月第4週(7月23〜27日)の需給見通しによると、需要は2420万kwとされている。5月19日においては2987万kwと算定されており、それより567万kw(約18.9%)も少ない。他方、電力供給は、原子力が118万kw、火力が1470万kw、一般水力が281万kw、揚水が432万kw、他社・融通が633万kwで、総計で2935万kwとされている。5月19日時点では2517万kwと算出されており、417万kwも多い。原子力分をのぞいても、2817万kwも電力供給力はあることになっている。いかに原発稼働が揚水発電の稼働に関連するといっても、原発発生電力以上に寄与するとは思えない。それゆえ、節電をしなくても、電力には不足していないということになる。

つまり、そもそも、需要見込みが過大であったといえる。関西電力では、猛暑であった2010年度の最大需要3095万kwをもとに、節電効果なども考慮にいれて2987万kwとしたというが、結局、7月後半の需要見込みすら2420万kwである。たぶん、供給力も、大飯原発が稼働しない状況でも、揚水発電分は300万kwはあり、それを223万kwしか見込んでいないなど、過小評価しているように思える。

そして、電力余剰が生まれたことで、関西電力は、8基の火力発電所(384万kw)を停止するとした。7月7日に配信した読売新聞のネット記事は次のように伝えている。

関電、来週85~88%…でんき予報
 関西電力は6日、節電要請期間2週目となる、来週の「週間でんき予報」(9~13日)を発表した。大飯原子力発電所3号機(福井県おおい町、出力118万キロ・ワット)の再稼働で供給力が増強されることから、電気使用率は85~88%の「安定」で推移する見通しだ。

 日本気象協会によると、大阪市内の最高気温は30~31度と平年並みの見通し。予想気温や直近の需要を基に、需要は2080万~2170万キロ・ワットにとどまると見込んだ。

 供給力は、大飯原発3号機が9日未明にもフル稼働に達することで、2421万~2466万キロ・ワットを確保できるとし、最大8基の火力発電所(計384万キロ・ワット)の運転を停止する計画だ。

 また、経済産業省が6日発表した9~13日の電力需給見通しによると、各電力会社の最大電力使用率の中で高いのは、北海道電力の91%(10日)、四国電力の85%(11、12日)、九州電力の84%(10日)、北陸電力の83%(9日)。

(2012年7月7日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120707-OYO1T00340.htm?from=main1

384万kwといえば、大飯原発3・4号機がともに稼働して236万kwであり、揚水発電の増加分もそれ以上ということはないだろう。この夏が終わればはっきりするが、関西電力は、現時点でも384万kwの供給をカットしても支障がないと見込んでいることになる。結局、電力不足というのは、ある意味で欺瞞であったことを、関西電力自身が認めてしまっているといえるのだ。

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前回のブログで、6月30日から7月2日にかけて行われた大飯原発前再稼働反対抗議行動の経過をみてきた。抗議行動全体を説明すれば、関西電力大飯発電所敷地を公道から区分するために関電自身が設置していたバリケードを占拠し、その内側と外側において、機動隊と対峙していたといえる。

それでは、どういう形で行われたのか。次の動画をみてほしい。

動画に説明がないが、これは、たぶん、7月1日の夕方、バリケードの内側と外側にかけられた機動隊の攻勢の時期に撮影されたものと推測される。バリケードの外側では、ダイ・インしていた反対派を機動隊が一人一人ごぼう抜きで排除したが、内側では反対派の人びとの壁に盾をもった機動隊の隊列をぶつけて排除しようとした。この動画は、内側での攻防を撮影したものとみることができよう。

動画を説明していけば、反対派人びとの壁に、黒いヘルメットを着け、強化プラスチックの盾をもった機動隊が二列横隊でぶつかっていく。その後ろには、関電関係者とおぼしき作業着姿の人びとがいる。そもそも、ここは、関電の敷地内なので公道ではなく、この排除は、関電が敷地から退去せよと通告し、それにこたえて機動隊が排除を開始している。私は、法律問題には詳しくないが、私営駐車場に不法駐車した際も、警察は直接レッカー移動せず、裁判所に出訴しなければ強制排除は難しいそうである。手続き的にはいろいろ問題があるのではないか。いずれにせよ、警察は、ここでは関電という私企業の警備員もしくは私兵として行動しているといえよう。

人びとは、両手をあげて「非暴力」を誇示し、「暴力反対」などを個々に叫びながら、その場から動かないことで、機動隊に抵抗しているのである。暴力はしないが、その場所に居続けることで抵抗するのである。

そのうち、やや後方にあるドラムが打ち鳴らされ、リズムが刻まれる。人びとは踊りだし、手をあげて拍手し、全体のリズムがあっていく。そして、「再稼働反対」などのかけ声もそろってくる。反対派の集団は、命令ではなく、リズムによって統率され、一体として行動していく。機動隊側も何か命令しているようだが、全く聞こえない。

そして、たぶん男根(もしかして違うのかもしれない。違っていたら訂正したい。ただ、ここでこのように表現したのは、批判するつもりではなく、土俗的なエネルギーを評価することを意図している)を模したと思われる「御神体」を乗せた神輿が登場し、機動隊を威嚇する。しかし、だれが、どういう発想で、このような土俗的なものを持ち出すことを考えたのだろうか。やや後になると、この神輿に拡声器をもった女性(と思しき人物)が乗り、シュプレヒコールを機動隊に向かって叫ぶ。ドラクロアなら「民衆を導く自由の女神」といったであろう。まさに、抗議行動ではあるが、まさに祝祭の場と化してくる。この動画ではないが、別の動画で、参加者たちが、幕末に多くの民衆が踊ることで民衆の力を示した「ええじゃないか」とこの抗議行動を重ね合わす発言をしていた。

このような、ドラムをたたき、「再稼働反対」をシャウトし、踊り狂う人びとの「抵抗」に直面して、機動隊も思ったほど前進できず、あせりの色が濃くなる。警察は、より軽装備の特別部隊を編成し、機動隊の列の内側に送り込み、この部隊は直接に手を使って人びとの排除を始めた。逮捕者や重傷者が今まで報告されていないことに鑑み、電敷地内、独立系メディアの監視などの理由で、警察はおおっぴらな弾圧を抑制していたのではないかと結果的には思うが、この挑発に応戦すれば、より激しい弾圧もありえたと思う。反対派の人びとは混乱し、一時期ドラムもその混乱に巻き込まれた。

しかし、すぐにドラムは再びリズムを刻み始め、人びとは立ち直った。ドラムにあわせて人びとは踊りだし、「暴力反対」と叫び、警官に直接対面する人びとは、両手を上にあげて「非暴力」をアピールしつつ、警官を押し返していく。

たぶん、こういうことが何度も繰り返されたのであろうと推察する。全くの「非暴力」でありながら、人びとは、ドラムのリズムにあわせて「再稼働反対」「暴力反対」と叫びながら踊り狂い、土俗的・祝祭的な熱狂を創出することで、機動隊に抵抗し続けたのである。このような、ドラムなどのリズムによって人びとが高揚していくことは、昨年来の東京を中心にして行われた脱原発デモにおいてもしばしばみられ、本ブログでも2.3紹介した。ドラムのリズムによって人びとが高揚していくことが、非暴力として抵抗のスタイルになることを、この大飯原発前の再稼働反対抗議行動が示したといえるだろう。そして、それは、民衆運動における新たな政治文化の息吹といえるのだ。

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さて、今回は2012年6月30日午後から7月2日未明にかけて大飯原発前で行われた、大飯原発再稼働に対して行われた抗議活動について、みていきたい。もとより、私は、当日、この抗議行動には参与していない。また、NHK他マスコミも、せいぜい抗議行動が行われたことを伝えているだけで、その全体がどのようなものであったかは報じていない。現に、私がアクセスできるのは、USTREAM:IWJが撮影した動画、そして、「田中龍作ジャーナル」サイトに掲載された記事、「原発再稼働反対監視テント オキュパイ大飯」サイトに掲載されたツイートのまとめ、フェイスブックに紹介された写真・動画・ブログなどしかない。全容をつかむことは難しい。そこで、この抗議行動の経過を、今まであげてきた史料を中心に簡単にふりかえってみよう。もとより、私は、現場におらず、ここにあげた諸史料から、復元するしかない。それゆえ、思い違いもあろう。その点はご指摘いただければと思う。

この大飯原発再稼働について、この抗議行動をよびかけた「原発再稼働反対監視テント」は、このように全体を振り返っている。

6.30午後3時半から始まった大飯原発正門封鎖行動は、7.2午前2時に勝利的に貫徹しました。 現場に駆けつけてくれた仲間、カンパで活動を支えてくれた仲間、情報拡散に尽力してくれた仲間のおかげで、大きな行動をとることができました。ありがとうございます。後日、報告をします。
07-02 16:52
http://oi55.blog.fc2.com/blog-entry-77.html

これで、ようやく、この出来事が、6月30日の午後3時半から7月20日午前2時のことであったことがわかる。ちなみに、USTREAM:IWJの撮影した動画は、6月30日の15時31分から、7月2日の2時過ぎまで、断続的に撮影されており、そのことからも裏付けられる。

USTREAM:IWJの映した動画をみると、15時半頃、反対派市民が大飯原発の敷地境界にある道路検問用バリケードを乗り越え、敷地内に入った。敷地内といっても、原発構内の私道である。そして、バリケード周辺やそこにあった警備員詰所にいた大飯原発警備員を、数の圧力で、追い出した。さらに、少数の警官が派遣されてくるのだが、その警官も、まるでサッカーのデイフェンスのような形で押し返した、この時点で、関電・警官側は、より奥にある大飯原発に通じるトンネルの入口に後退し、そこに非常線をはるしかなかった。

この地点について、グーグルの地図で大体の様子を確認しておこう。

黄色い線で表示されているのが県道241号線で、一般道である。この道は、おおい町中心部方面(西側)からきて、この地点で右に曲がり、海側の大島集落につながっている。そして、その北側が大飯原発構内であり、関電の私有地なのである。そして、この道は二つにわかれ、左に行けばトンネルを経て大飯原発に直行し、右にいけばエルパークおおいという原発PR施設をへて、やはり原発前に出ることになる。私道ではあるが、PR施設があることからみて、常時は立ち入り可能だったと思う。

はっきりその地点がわからないのが残念だが、反対派市民は、本来、敷地内の立ち入りを制限するバリケードを転用し、大飯原発を封鎖した。それ以降は、「田中龍作ジャーナル」の「【福井発】 あす大飯原発再起動  反対派、チェーンで体巻き機動隊阻止」という記事がよく伝えている。

再起動を翌日に控えた30日、大飯原発入口で再稼働を阻止しようとする反対派と福井県警の機動隊の間で激しい攻防が繰り広げられた。

 反対派50人は町道との境に関電が設けた鉄柵の内と外を固め、原発従業員を乗せたバスを入れさせまいとした。鉄柵と体をチェーンでつないでいる。身を盾にするつもりだ。車5~6台もチェーンでつないだ。何としてでも、原発の入り口を封鎖する構えだ。

 30分もしないうち機動隊が駆けつけた。拡声器で「道路交通法違反です。ただちに退去しなさい」と繰り返した。反対派は「帰れコール」で応戦した。

間断なく降り続く雨のなか、機動隊と反対派のニラミ合いは、4時頃始まり暗くなっても続いた。雨で体温が奪われる。幼な子を抱いた母親は警察官に詰め寄った。「あなたたちに人間の心はないのですか?」「子供たちの未来がなくなるのですよ」……

 警察官は「道路の占拠は法律違反ですから」としか言えなかった。それも遠慮がちに。警察官自身も母親のお腹から生まれてきたのだ。警察官も官舎に帰れば、小さな子供がいるのかもしれない。
http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004599

まず、バリケードにチェーンで人や車をつないで固めたのである。そのうちに、西側の道から機動隊がやってきて、バリケードの南側でにらみ合いとなったのである。たぶん、大体、こういえるのだと思う。バリケードをはさんで、北側の大飯原発本体方面と、南側のおおい町中心部方面の、二つの側面が反対派市民と警官隊がぶつかりあう地点であった。道路が封鎖されているため、初期には南側が主な対決の地点となったが、その後、機動隊が山側を迂回して北側に進出し、そこに戦線を作ることになったのである。

この状況について、「この道を歩いている」というブログの「大飯原発再稼働について、現場で起きていた本当のこと」では、このように記述されている。

大飯原発に向かう一本道にバリケード封鎖が出来たのが6月30日(土)の午後3時。

7月1日(日)午後9時から始まるとされる原子炉の制御棒の引き抜き。

再稼働に向けた作業を進める作業員の通行を止め、バリケードを作り大飯原発の再稼働を直接的に阻止しようというのが狙い。

僕が駆け付けたのは午後6時。

すでにそこで活動している仲間たちの助けを借りて、力ずくで無理やり警官の列を突破。

ここで頑張ってる仲間たちにとっては、そんなことお茶の子さいさいな様子だったけど

僕は恥ずかしいけど、警官のガードをこじ開けてバリケードの中にいる仲間の所に行く、ただそれだけのことがめちゃめちゃ怖かった。

警察に逆らっていいいの?おれ。
これ捕まっちゃわない?

そんな思いが立ち込めた。だけど仲間たちの励ましもあったし、こんな所でいきなり二の足踏んでるわけにもいかないので 列をこじ開けて正面突破をした。

警察は突破中こそ体を掴んだりしてきたけど、こちらも警察に手を出さなかったし、中に入ってしまえば彼らもそれ以上は追ってこなかった。

やっぱり警察にもここを守る決定的な根拠はないんだ。

バリケードの中に入ったら、そこは音楽と笑いに満ちつつも、緊張感と使命感に満ちた何ともウェットな空間だった。
http://blog.goo.ne.jp/suzuki_juju/e/50e69beb6749d32bb760f2f21af30ba0

単純にいえば、警官は、南側にもいて、新たな参加者が合流することを防いでいたのである。なお、どこまでの範囲かはわからないが、バリケード周辺は関電の私道であり、私有地なのであって、道路交通法がただちに適用できるかどうか不明であることにここでは言及しておこう。

その後、基本的には、バリケードの北側と南側に、機動隊と反対派市民のぶつかり合う地点ができて、機動隊側が両側から除々に押し返すということが、大飯原発前抗議行動のパターンとなったといえる。ただ、南側については、いつも包囲していたわけではないようである。さきの「この道を歩いている」では、「夜8時45分前後、アピールを続けていたら、警官の列がいなくなった。バリケードの中と外に分かれていた仲間が一つになる。その数、300人程度。」と書かれている。そして、機動隊は時折前進してきて反対派市民に圧力をかけ、反対派市民は両手をあげて非暴力をアピールしながらも、その場所にとどまろうとすることで抵抗した。

そして、翌7月1日になると、各地から応援者が駆けつけてきた。「田中龍作ジャーナル」の「【福井発】 攻防2日目 応援の市民500人が駆け付け「再稼働反対」」は、その状況を活写している。

昨夕から始まった反対派市民と機動隊との小競り合いを、IWJライブなどで知った人々が全国から応援に駆け付けてきた。大飯原発につながる町道や県道は県外ナンバーの車が500m余りも連なる。「鹿児島ナンバー」「なごやナンバー」…

 大粒の雨が降り続く悪天候にもかかわらず、原発入口前は約500人の市民で膨れ上がった(午前9時現在)。パーカッションのリズムに乗って「再稼働反対」のシュプレヒコールが響く。カーニバルを思わせる雰囲気だ。

 
「大飯が再稼働したら全国の原発が再稼働する。居ても立ってもいられなかった」。昨夜、京都から駆け付けてきたという主婦は興奮した面持ちで話した。

 機動隊は表向き遠巻きにしているが、山道を回って裏手から反対派市民を押さえ込む格好になっている。野田官邸はメンツにかけて牧野副大臣を入構させようと警察の尻を叩くだろう。緊迫した状況はきょう午後、山場を迎えそうだ。
http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004606

小競り合いはなんどもあったようだが、最大の山場は、7月1日の夕方頃のようである。「田中龍作ジャーナル」の「【福井発】 大飯原発が再起動した日、機動隊が攻め込んできた」では、次のように述べられている。

雨と機動隊とのニラミ合いで体力を消耗した反対派の面々に、京都や東京などから駆け付けた女性たちが炊き出しのサービスを始めたのが午後4時過ぎだった。

 ピザ特有のチーズが焦げたような香り、味噌汁の匂いが食欲を刺激する。

 皆ひとしきりパクついた頃、異変が起きた。機動隊が増強されたのである。海側と山側の両方から反対派を挟撃する形になった。大飯原発は山の向こう側にある。

 機動隊はさらに増強された。海側と山側の両方合わせれば総勢で200人はいるだろうか。黒いヘルメットが不気味に光る。午後5時を回った頃だった。強化プラスチックの盾を持った山側の機動隊が前進を始めた。

 反対派は両手をあげて非暴力で対抗するが、柔剣道の猛者が揃う機動隊のパワーにジワジワと押し込まれた。それでも両手をあげたまま抵抗を続けた。膠着状態が暫く続いた。

 一方、海側の機動隊はダイインの市民たちを次々とゴボウ抜きにしていった。ピザをふるまっていた母親も手足をつかまれ引きずり出された。

パーカッションのリズムと「再稼働反対」のシュプレヒコールが夕空に響く。夜のとばりがすっかり降りた午後9時、再起動のスイッチが入った。ほぼ同時に山側の機動隊がなだれ込んだ。反対派の市民たちは次々となぎ倒されていった。

http://tanakaryusaku.jp/2012/07/0004612

基本的には、北側(田中のいう山側)と南側(田中のいう海側)から、反対派を挟み撃ちにしたのである。北側からは、強化プラスチックの盾をもった機動隊が圧力をかけて、反対派を押し返した。南側からは、バリケードの外側に座り込んでいた反対派をごぼう抜きにして排除した。反対派の占拠している地点は狭められたのである。

ただ、田中の言い方であると、機動隊によってすべて排除されたようにみえる。そういうことではない。USTREAM:IWJの映像をみると、7月2日0時の時点でも、反対派はパリケードの内側を確保し、機動隊の列の前で、パーカッションや踊りによる抗議活動を続けていた。「原発再稼働反対監視テント」は、このように伝えている。

入口を封鎖していた機動隊が撤退しました。大飯原発正門付近は解放区の雰囲気です。
07-02 00:10
http://oi55.blog.fc2.com/blog-entry-77.html

動画でみると、大飯原発のある北側は相変わらず機動隊の列で封鎖されているので、南側の機動隊のことだと思われる。南側の機動隊が撤退し、南側の機動隊によって排除された反対派が、バリケード北側の人びとと合流し、「解放区」となったのである。

そして、反対派は、機動隊に排除されるのではなく、自主的に撤退した。USTREAM:IWJの動画によると、7月2日の1時半頃、俳優の山本太郎から、「あなた方の体が心配だ、もう休んで下さい」などというメッセージが伝えられ、直後、最後のパーカッションなどによる抗議行動が行われ、2時頃、撤退していったのである。ゆえに「「原発再稼働反対監視テント」は「6.30午後3時半から始まった大飯原発正門封鎖行動は、7.2午前2時に勝利的に貫徹しました。」と評価したのである。

その後、逮捕者や重傷者が出ているとは聞いていない。再稼働阻止は叶わなかったが、機動隊の暴力による排除をおしのけて、最後まで大飯原発門前を反対派は確保し続けたのである。その点をここでは確認しておきたい。

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現在(2012年6月26日〜7月9日)、「中国に残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の女性たちー安世鴻写真展」が新宿駅西口の「新宿ニコンサロン」で開かれている。

この写真展開催にあたっては曲折があった。まず、次の毎日新聞配信記事をみてほしい。

写真展:「慰安婦」巡る展覧会、ニコンが中止決定 作家は「理由の説明を」
毎日新聞 2012年06月04日 東京夕刊

 名古屋市在住の韓国人写真家、安世鴻さん(41)が新宿ニコンサロン(東京都新宿区)で26日〜7月9日に予定していた写真展「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」が、会場を運営するニコンの判断で中止されることになった。ニコンは「中止の理由は『諸般の事情』以上でも以下でもない」とし、安さんらは経緯の説明と展覧会の開催を求めて法的措置も検討している。

 新宿や銀座、大阪にあるニコンサロンの展覧会は、ドキュメンタリー写真を中心にした質の高い展示で知られる。応募作の中から運営委員が選抜し、ニコンが決定する方式だ。運営委員は写真家や評論家ら5人。委員会を隔月で開催し、展示予定の写真50枚程度を見て多数決で選んでおり、競争率は10倍を超えるという。委員会では安さんの作品について、疑問の声は上がらなかった。委員によると、開催が決定した展覧会の中止は異例という。

 安さんには5月22日にニコンから電話で中止の連絡があった。「理由の説明もない中止決定は納得できない」として翌日、説明を求める書面を送付したが、電話と同じ内容の回答しか得られなかった。安さんとともに展覧会を準備してきた市民グループ「重重プロジェクト」のメンバーは「国内で考え方の分かれる『慰安婦』というテーマについて、表現の機会が奪われた。ニコンからは説明もなく、理解できない」と話す。
http://mainichi.jp/feature/news/20120604dde018040036000c.html/

なぜ、ニコンサロンは中止を通告したのか。その背景を、「週刊金曜日」のネット配信記事は、次のように分析した。

カメラのニコンは世界中の写真家、写真愛好家の間で愛されているメーカーだ。それゆえ、五月末に各メディアを駆けめぐった名古屋在住の韓国人、写真ドキュメンタリー作家、安世鴻さん(四一歳)の写真展を一方的に中止したニュースは言論・表現の自由に対する裏切り行為そのものと受け止めた人が多かったに違いない。

 報道の自由を擁護する国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」のアジア太平洋局長、ベンジャミン・イシュマル氏は五月三一日、「展示会中止に対しての情報統制を非難する」との正式なコメントを出し、「ニコンという民間企業がナショナリスト的扇動の外圧を受け入れ、検閲に加担したということは大変遺憾である」と述べた。

 六月に予定されていた新宿ニコンサロンでの写真展「重重―中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」。中止の理由としてニコン側は「諸般の事情を総合的に考慮」(五月二四日付文書)とし、今回の写真展だけでなく九月の大阪ニコンサロンでの展示のキャンセルまでも一方的に告げた。安さんはその後、ニコン側と文書でやりとりする。筆者が三〇日にニコン広報に電話で聞くと、最後になってようやく「個々の中身は言えないが、抗議の電話、メールがかなりあった」とし、右翼側からの働きかけによって中止を決定したことを事実上認めた。

 実際、五月二五日には東京・有楽町のニコン本社前で、「主権回復を目指す会」が、「祝! 安世鴻写真展中止! 写真展中止は国益に適った判断」との横断幕を掲げ集合。ネットの掲示板でも写真展に関して、「売国行為をやめよう」「ニコンに不買運動すべき」「抗議電話して売国行為やめさせよう」などと非難する声明や誹謗中傷する声が掲載された。

 問題はさらに続いた。写真展中止に関するニュースが流れ始めて二日後の五月二六日、安さんの個人情報がネット上に漏洩。安さんとその家族の身の安全にまでも深い影を落とし始めた。

 今回の展示作品は、戦後中国に置き去りにされた旧日本軍の韓国人元従軍「慰安婦」らを被写体としたもの。九〇歳以上の一二人の元慰安婦らが写真に収まっている。「忘れ去られた女性らを覚えていてほしい」との思いが撮影の動機で、「これのどこが政治的プロパガンダなのだ!」と安さんは怒りに身体を震わせて言う。

「外圧によって写真展を中止したニコンの対応は将来、写真家に『この写真ならニコンには展示できるかできないか』と考えさせる余地を与え、結果として表現の自由が消えていくことが懸念される」

 表現の自由だけでなく、この国には品位も見識もないのか。

(瀬川牧子・ジャーナリスト、6月8日号)
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=2127

いわゆる「右翼」側の抗議で、ニコンサロンは中止を通告したというのである。

しかし、安氏側は、法的処置をとり、東京地裁に訴えた。そして、東京地裁は、開催実施の仮処分命令をニコンサロンに出した。そのことを、産經新聞のネット記事は、次のように伝えている。

「元従軍慰安婦写真展」の会場使用を認める 東京地裁
2012.6.22 18:54
 「元従軍慰安婦」を題材にした写真展について、会場の使用中止を通告されたのは不当として、韓国人写真家が会場運営元のニコンに施設使用を求めた仮処分について、東京地裁は22日、申し立てを認める決定をした。ニコン側は同日、異議を申し立てた。

 仮処分を申し立てたのは、名古屋市在住の安世鴻(アン・セホン)さん(41)。安さん側によると、朝鮮人の「元従軍慰安婦」を撮影した38点を展示した写真展を今月26日~7月9日に東京都新宿区の「新宿ニコンサロン」で開催予定だったが、先月22日、ニコン側から中止を通告された。

 ニコン側は「写真展を政治活動の場にしようとしており、応募条件に違反する」と主張していた。

 伊丹恭裁判長は、「ニコンサロンは写真文化の向上を目的とする写真展に貸与するための施設」とした上で、「写真展が政治活動としての意味を有していたとしても、写真文化の向上という目的と併存し得る」と判断。安さんが申込書に写真展の内容を記載し、展示写真も提出した上で使用承諾を受けていることからも「施設使用の趣旨に反するとはいえない」とした。

 ニコンは「弊社の法的な主張が認められなかったことは、誠に遺憾」とコメントしている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120622/trl12062218560005-n1.htm

そして、この仮処分命令通り、写真展は開催されることになった。しかし、先の記事にあるように、ニコンサロン側は納得せず、即日異議を申し立てた。さらに、さまざまな制約をこの写真展に課したといわれている。

6月29日午後、私も写真展を見学した。全く写真展開催は掲示されないまま、ビルの中では、やたら警備員が多く配置され、会場入口には金属探知機が置かれ、手荷物検査が実施されていた。中には、かなり多くの人がいたが、それをニコンの社員が監視していた。知人に聞くと、この場所の会話を録音していたそうである。そして、写真展を撮影することを禁じる掲示が出されていた。

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

写真展開催を無視したニコンサロン掲示板(2012年6月29日)

そして、さほど広くはない場所で、中国で年輪を重ねて生活している元従軍慰安婦の30数枚の写真が展示され、「主催者挨拶」もパネルになっていた。写真については下記の主催者サイトでみてほしい。しかし、それ以外は、何も展示されていなかった。「写真」しか展示されていないのである。キャプションがないのである。

http://juju-project.net/

そして、写真展を説明し、写真に写っている元慰安婦たちを紹介するパンフレットがあったが、それはサンプル版しかない。知人によると、その販売もニコンによって差し止められたとのことである。結局、希望者は、連絡先を書いて、後日郵送してもらうことになっていた。

これらが、開催について、ニコンサロン側のつけた「制約」であると考えられる。字義通りに「写真」の展示しか認めておらず、その他、表現は差し止められていた。これが、日本を代表するカメラメーカーであるニコンの営為なのである。

7月1日、新宿に用があるので、もう一度、写真展を再訪してみた。入場制限がかけられ、20分くらい待たされた。中に入ってみると、声高に、写真を批判する人びとが居座っていた。写真家の安氏もいたが、キャプションでもパンフレットでも表現の手段が制約され、たぶん、ニコン社員の監視下では口論することも難しかったと考えられる。29日の時は、さかんにお話している姿がみられたが、この日は沈黙していた。

そして、東京地裁は、本処分でも、安氏を支持し、ニコン側の異議申し立てを却下した。このことを7月3日、朝日新聞はネット配信した。

ニコンの異議申し立て認めず 元慰安婦写真展で東京地裁
 元朝鮮人従軍慰安婦に関する写真展をめぐり、東京地裁(福島政幸裁判長)は、いったん中止を決めたニコンに会場を使用させるよう命じた6月22日の仮処分決定を支持し、ニコンの異議を退ける決定を出した。写真展は予定通り6月26日から東京・新宿のニコンサロンで開かれており、継続される見込み。

 写真展を開いている韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)さんによると、決定は6月29日付。会場の使用契約は成立していたと認定し、「ニコンは会場を使用させる義務がある」と判断。ニコン側の「『写真文化の向上』という会場使用の目的に反する」との主張も退けた。

写真展をめぐっては、ネット上で「売国的な展示で国益に反する」といった批判が広がり、開催決定後の5月22日、ニコンが安さんに中止を通告。だが会場を使用させるよう命じる仮処分決定が出ていた。

http://www.asahi.com/national/update/0703/TKY201207030111.html

とりあえず、写真展は開催されるようである。しかし、ニコン側の「制約」はそのままではないかと思われる。こういうことが、現代の日本の首都で行われていることから、私たちは目を背けてはならないだろう。

付記:写真キャプションは「写真キャプションは、作家本人の意図によりあえてつけておりません。写真のすぐ下に貼られた文字を読んで、見る人と写真の間に余計な先入観が生まれないように。直接写真と向き合えるようにという意図のもとです。」とのことである。ここで訂正しておきたい。なお、キャプションの代わりに説明はパンフレットで行う予定であったが、その配布をニコン側がさしとめたとのことである。

 

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