前々から述べてきたように、都市計画などを理由とした宮城県の建築制限は、現状では9月11日に期限を迎える。そこで、建築制限について、様々な動きがみられようになった。
宮城県としては、全体として、建築制限を11月まで延長する方針である。2011年9月1日、日本経済新聞は、気仙沼市、名取市、東松島市、女川町、南三陸町、山元町の6市町を対象とした建築制限を二か月延長する方針を宮城県が定めたと報道している。日本経済新聞によると、9月の制限解除までに、この6市町は、補助金などで優遇される「復興推進地域」を定める予定であったが、集団移転などの国の負担額が示されず、市町の街づくり計画策定が遅れているので、建築制限を二か月延長することにしたということである。(http://www.nikkei.com/news/local/article/g=96958A9C93819490E1E2E2E7918DE2E3E2EBE0E2E3E39EE2E3E2E2E2;n=9694E3E4E3E0E0E2E2EBE0E0E4E1より)
事実上の先送りであり、この二か月間においても建設は認められないことになるのだ。
一方、気仙沼市では、建築制限の一部解除を検討していると、河北新報は報じている。
建築制限期間延長へ 解除面積4割に 気仙沼市
宮城県が沿岸市町の都市計画区域内で行っている建築制限期限が11日に切れ、気仙沼市ではさらに2カ月間の延長が見込まれていることについて、菅原茂市長は2日の記者会見で「面的整備を行わない所など相当部分が外れる」との見通しを示した。解除面積は全体の4割程度になる見込みだ。
同市の制限区域は津波の浸水地域をベースにした465ヘクタール。市は土地利用方針を含む震災復興計画を今月末までにまとめる予定で、基本的には制限を2カ月延長。被災市街地復興推進地域の区域設定作業に取り掛かる。
菅原市長は記者会見で「産業の復興を早めるために、区画整理事業などの面的整備を行う必要のない所は極力外していく」と述べ、事業所の再開を促す方針を示した。
制限を継続する地域についても「排水施設などが基準を満たせば、積極的に再開に取り組んでほしい。個別に相談しながら進めたい」と、事業所側の意向に沿った対応を進める方針を示した。2011年09月03日土曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110903t11025.htm
気仙沼市としては、復興推進地域としては、現在の建築制限がかけられている地域を4割縮小した形で指定し、建築制限がかけられる復興推進地域でも個別に相談に応じていく方針を示したといえる。
石巻市の建築制限についても報道されている。朝日新聞は9月2日に次のように報道している。
石巻市 449ヘクタール復興推進地域に
2011年09月02日東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市は1日、被災した市街地のうち、新たに街づくりを進める「復興推進地域」を決めた。この地域では11日まで建築制限がかけられ、12日以降も区画整理事業や再開発を進めるために最長1年半、一定の制限がかかる。
市都市計画審議会で約449ヘクタールを指定することを決めた。期限の2013年3月10日までに復興事業を始める。被災3県の市町村で、復興推進地域の指定は初めて。阪神大震災を受けて制定された被災市街地復興特別措置法に基づくもので、指定地域での事業には国の補助が手厚くなる。
具体的な事業計画をまとめる前に復興推進地域を決められるのも特徴。国の復興方針や財源は示されていないが、市は「復興を急ぐため、議論のたたき台を作った」としている。
復興推進地域では12日以降、一定の要件を満たした建物なら、県の許可を得て新築できるようになる。ただ、区画を整理したり、公営住宅や避難ビルなどを整備したりするため、移転を求められる可能性がある。10月以降、より具体的な図面を示し、市民と意見交換をして事業計画を立てる。
事業計画を作るまでには課題が多い。区画整理には所有者の同意が要るが、大半が避難所や仮設住宅で暮らしたり、県外に移転したりしているため、把握や連絡に手間取りそうだ。市内の死者・行方不明者は計約4千人で、交渉相手の特定も困難を極める。
石巻市の復興基本計画案では、市街地では防潮堤とカサ上げ道路の二重の津波対策を施す。復興推進地域はカサ上げ道路の内陸側と海側に分かれるが、海側を事業用地区とし、住めなくすることも検討している。
事業用地区になりそうな門脇地区に住む主婦阿部利津子さん(64)は「移転するなら早く移転したい」。自宅は津波で浸水し、2部屋の畳を入れ替えた。今のところ不自由はないが、これ以上補修しようにも「移転するなら、あまりお金をかけられない」と言う。
同じ門脇地区に工場を持つ千葉タイヤ商会の千葉隆志社長は「ほっとしている」。事務所は水没したが、ここで事業を続けられるかどうか悩み、大がかりな補修をしていなかった。「内装を奇麗に直し、事業を続けたい」と話した。(吉田拓史、高橋昌宏)
■復興推進地域に指定される地区
【西部地区】
門脇、中屋敷、新館、中浦、三ツ股、築山、大街道南、大街道東、双葉町、重吉町、三河町、中島町、南光町の各一部
【中部地区】
中瀬、湊町、川口町の全域。中央、門脇町、門脇、南浜町、大門町、明神町、湊、住吉町、雲雀野町、日和が丘、不動町、八幡町の各一部
【東部地区】
松原町、長浜町、幸町、渡波町、万石町、塩富町の各一部
(http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001109020001より)
この朝日新聞の報道では、建築制限がただ延長しているような印象を受ける。しかし、河北新報の報道はニュアンスが異なっている。「地域内での建築行為は、復興計画の土地利用に影響を及ぼさない範囲で、簡易な建物(木造もしくは鉄骨2階以下、敷地300平方メートル未満)の建設に限り認める。」ことに重点がある報道である。
石巻市の復興推進地域、12日から
石巻市は1日、市役所であった都市計画審議会で、建築制限区域となっていた同市南浜町や大街道など市内約450ヘクタールについて、被災市街地復興特別措置法に基づき市街地再生に向けて基盤整備が補助金などで優遇される「被災市街地復興推進地域」とすることを決めた。
期間は12日から2013年3月11日まで。建築制限区域を西部、中部、東部の3区域に分け、住民の意見を参考にしながら区画整理や防災拠点施設整備などの各種事業に取り組む。
地域内での建築行為は、復興計画の土地利用に影響を及ぼさない範囲で、簡易な建物(木造もしくは鉄骨2階以下、敷地300平方メートル未満)の建設に限り認める。
同様に建築制限区域となっている同市鮎川、雄勝両地区の約100ヘクタールについては、11月11日まで制限を続ける方針。2011年09月02日金曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110902t11033.htm)
つまり、同じことを報道しても、中央の朝日新聞の視点と地方の河北新報の視点は異なっているのである。朝日新聞においては、国の復興方針が遅れたため、建築制限が継続されているというストーリーで記事は構成されているといえる。一方、河北新報においては、復興推進地域においては、復興計画に支障がでない範囲で、建設が認められるというストーリーとなっているといえる。
もちろん、国の復興方針が明示されないのは問題である。ただ、現状においては、現行法でできる範囲で復興をみとめていくしかないのではないか。その意味で、石巻市や気仙沼市の取り組みは注目できる。ある意味では、仮設でもよいから、早期の建設を認めていくことが重要である。そのためには、気仙沼市のように復興推進地域の縮小も考えられるであろうし、石巻市のように復興推進地域に仮設建築物の建設を認めていくことも考えられるのである。
といっても、現状は、建築制限が解除されても、市内全域で復興がすすむという状況ではない。河北新報は9月1日に次のような報道をしている。
疲弊商店街、津波追い打ち 石巻中心部、再建に踏み出せず
東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の中心商店街に、さらなる空洞化が懸念されている。復興需要で活況を呈す郊外の大型店に対し、中心商店街では既に廃業した店が出ている。震災から6カ月近くたった今も市の具体的な事業計画が見えず、再建に踏み出せない店主は多い。
「店を閉めるという決断しかなかった」。石巻市中央2丁目で履物店を営んでいた藤沼信夫さん(81)は、市内の仮設住宅で寂しそうな表情を見せた。
先代から90年以上続いた店は、1階が天井近くまで浸水した。シャッターはひしゃげて壁紙ははがれ落ち、修理用具や商品はすべて水に漬かって使い物にならなくなった。
藤沼さんに、後継者はいない。「体が動くうちは続けたかった。ほかの商売仲間もつらい立場だと思う。商店街の行く末が心配だ」と話す。
店舗・駐車場賃貸業「本家秋田屋」が中心商店街で貸し出す約20の物件のうち、震災後、半数以上が退去した。浅野仁一郎社長(60)は「行政の青写真も明確に出ていない。高齢の店主らは、再建を諦めざるを得なかったのだろう」と話す。
中心商店街は2000年ごろから閉店が目立ち始めた。09年6月に県が実施した調査では、立町や駅前大通りなど8商店会に所属する266店のうち82店が空き店舗だった。
市商工会議所とタウンマネジメント機関「街づくりまんぼう」などは07年、中心地のにぎわいを取り戻そうと協議会を発足。10年2月には「彩り豊かな食と萬画のまち」を掲げた中心市街地活性化基本計画が、県内で初めて内閣府に認定された。新たな街づくりの胎動が始まった直後に津波が襲い、疲弊する商店街に追い打ちを掛けた。
一方、中心市街地から約3キロ内陸にある同市蛇田地区は津波の被害が小規模にとどまり、今は震災前以上のにぎわいを見せる。来春には、飲食や美容院などのテナント10店を連ねた複合施設がオープンする予定だ。
市内の不動産業者は「復興需要で、大型店などは活況だ。車で行動する若い家族層は、確実に蛇田側に買い物行動の軸足を置いている」とみる。
街づくりまんぼうの西条允敏社長は「中心地は、旧北上川沿いのロケーションなど替え難い魅力がある。市の復興計画とうまく連動して商店の新規参入を促すなどし、何とかにぎわいを取り戻したい」と話している。2011年09月01日木曜日
ここでいう「蛇田」とは、次のような地域である。
市街地からみるとやや郊外よりであり、国道などが通っている地域である。私が訪れた際も、国道沿いにある、駐車場をともなった大型店舗の復興ぶりは目をみはった。しかし、この地図では石巻駅と旧北上川の間にある市街地中心部においては、かなり多くの店舗が原形をとどめているにもかかわらず、閉店となったところが多く、まさにシャッター通りの様相を呈していたといえる。
この問題は、被災地石巻市だけの問題ではない。市街地中心部の商店街が衰退し、道路や駐車場の確保などで車でアクセスしやすい郊外の大型店舗が繁昌するというのは、どこの地方でもみられる。
結局、新築しなくても、リフォームですむ物件が、石巻市街地には存在している。しかし、今まで営業していた人たちも、営業できない現状では、店舗はあまり、賃貸料は低下し、地価も下がっていく。この中で、地価上昇を前提とした区画整理事業で都市計画が進められることになれば、相当な困難が予想されるのである。事業費を整理後の土地の放出ではねん出できず、道路の拡張においても、住民負担が大きくなるといえるのである。
一方的な建築制限を改善していくという一部自治体の努力は評価できよう。しかし、それだけでは問題は解決しないのである。