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Archive for 2012年1月

以前、本ブログにおいて『加藤哲郎氏の報告「日本マルクス主義はなぜ『原子力』にあこがれたのか」を聞いてー東日本大震災の歴史的位置』(2011年12月10日)と題して、同日に加藤氏が行った講演につき、戦後の日本共産党が綱領などの政策文書の上では原発を容認していたとするという内容の紹介を行った。

ただ、綱領などの政策文書だけで、日本共産党の総体の原子力政策を論じることは、たぶんに一面的であるとも思う。実際に原発事故に直面した際の状況によって、日本共産党の人びとの行動もまた変わっていったと思われる。その揺れも含めて考えなくてはならないのではないか。

そして、このような共産党の対応は、私自身の意識の問題とも結びついていると思う。私自身は共産党員ではなかったが、ある意味で、私が育ってきた空間は、共産党の人たちと無縁なものではなかった。もしかすると、共産党の人たちを傷つける記述になっているかもしれない。その場合はお詫びしなくてはならない。ただ、私は、こういいたいのだ。私もまた、こういう問題を一部共有していると。私は、なぜ、自分が原発問題を意識しなかったのか、そのことを強く意識している。そのために、ここで、共産党の人たちのことをみてみるのは、その一環である。早い話、3.11以前ならば、このようなことを考えもしなかったのだ。

今回は、1986年のチェルノブイリ事故をうけて『文化評論』1988年7月号(新日本出版社)に掲載された「座談会・自民党政府の原発政策批判」をみておこう。この座談会には、中島篤之助(中央大学教授)、矢島恒夫(日本共産党衆議院議員)、柳町秀一(日本共産党科学技術局)、松橋隆司(「赤旗」科学部長)が参加した。中島は、原子力などを専攻しており、日本原子力研究所に勤務した経験をもち、共産党系の科学者が結成した日本科学者会議で原子力問題研究委員会委員長を当時勤めていた。座談会に出席したのはそのためであるといえる。もとより、この座談会はなんらの強制力もなく、共産党が正式に表明した方針ではない。しかし、逆に、共産党の人びとが、チェルノブイリ事故をめぐって、具体的にどのように認識し、行動しようとしていたのかを考える一つの材料となるだろう。

まず、中島篤之助は、「われわれがかねて言ってきたことですが、原子力発電の技術が決して成熟した技術ではないということを印象づけました」(p59)と指摘した。そして、日本の原子力安全委員会のチェルノブイリ事故調査特別委員会の最終報告書を批判して、次のように述べた。

 

要するに日本ではこういう事故が起きないということを強調することに終始していて、しかもその根拠が、たとえば、炉形が違いますから起きませんとか、あるいは検討はしました、しかしだいじょうぶです、というような調子で一貫している。繰り返し安全性を強調しているのですが、それをまた国民が全然うけつけていないという現実がある、両者の間のギャップが非常に大きい。(p59)

そして、衆議院議員の矢島恒夫も、チェルノブイリ事故については、国会でも取り上げられているが、政府側は「非常に非科学的な答弁しか行っていない」と述べ、「日本政府は、原子力発電を基軸エネルギーとしてやっていくという方針に固執しています」(p60)と指摘した。その他、チェルノブイリ事故における食品汚染問題、国内外での原発事故の続出、莫大な広告料を使っての原発安全PR、苛酷な炉心損傷事故を想定しないがための防災対策の遅れなどが、当時の原発をめぐる問題としてとりあげられた。基本的に、現在の原発においても、同様なことが指摘されているといえよう。

中島篤之助は、原子力発電は未成熟な技術ということについて、軽水炉は炉心溶融事故が起こりやすい不安定な原子炉であり、より安全な「固有安全炉」というものが必要であると指摘している。そして、中島は、「これ以上は軽水炉を増やしていくことはやっぱりよくない。それから既存の原発の古くなっているものは危ない。」(p73)と主張した。

また、原発は、産油国の資源主権論に対抗する先進工業国による「一種の新植民地主義的十字軍」であり、「日本の場合には、アメリカのビッグビジネスの商売の道具になって原発をつくったわけです」(p74)と中島篤之助は発言した。

このように、実際に建設された原発について、日本共産党の人びとは賛成していたわけではなく、むしろ問題点を指摘していたのである。そして、赤旗記者の松橋隆司は、このように指摘している。

日本共産党の不破(哲三…後に議長となる)副議長が、十数年前から、国会で原子力問題について先見的な警告を発しつづけてきたことは、振り返ってみると、いま問題になっているほとんどのことの根本を追及しており、非常に重要な意味をもっていることがわかります。」(p71)

つまりは、すでに共産党は、原発の個々の問題点を国会で追及していたというのである。現実の原発に直面した際、共産党においても、原発批判を行うようになったということができる。

しかしながら、この座談会では、反原発を反核運動の中心とすることに対する警戒感も強く表出されている。日本社会党系の人びとが組織していた原水爆禁止運動の機関である原水禁(原水爆禁止日本国民会議)は、1969年頃より反原発を運動の中にとりいれてきた。そして、共産党と共産党系の人びとが原水爆禁止運動の機関として結成していた原水協(原水爆禁止日本協議会)は、社会党ー原水禁と対抗関係にあった。

この対抗関係を前提にして、この座談会における発言をみていこう。共産党科学技術局の柳町秀一は「いま核兵器廃絶に「原発廃絶」を意識的に対置しようというグループは、その歴史的経過を無視して原発だけを大きく出そうとしているわけですね」(p75)と批判した。その上で、共産党の立場をこのように説明した。

さっきの「核絶対否定」の問題ですが、私たちのところに寄せられる意見や質問にもこの立場からのものが少なくない。共産党も見切りが悪すぎやしないか、いいかげんあきらめたらどうだ、廃棄物を考えたら研究だってだめじゃないかという言い方です。確かに、軍事の落とし子ということでの経済性の無視・安全性の無視を背負った原発が未成熟なまま実用化されている。これへの批判は当然ですが、だからといって、原子力のいっさいの平和利用を否定する見地はとらない。現在の原子力の平和利用の研究開発は、国際的には、核兵器開発にほとんど動員されていて、平和利用の道は、まだ端緒を開いたにすぎない。核兵器を廃絶して国際的英知を集めるのはこれからです。共産党の政策では「構造的に安全な原子炉」の開発をすすめることを強調しています(p76~77)

ある意味では、加藤氏の指摘したように、共産党の全体の政策文書によっていると思われるが、核兵器を廃絶することが原子力の平和利用につながるというロジックなのである。

他方、「反原発運動」は「ラッダイト運動」と同一視されていく。中島篤之助は、IMF条約(中距離核戦力全廃条約、1987年)で廃棄される核兵器からでるプルトニウムは、平和利用・原子力発電で使わないと、他の核兵器に転用される可能性があると指摘した。その上で、中島はこのように主張した。

だから日本の反核運動のなかには、実はプルトニウムをなくすことが核兵器をなくすことだみたいな誤解があるわけですね。プルトニウムがこわい、原発がこわい。だからいわば現代の「反原発運動」は、一種のラッダイト運動みたいなものです。機械ぶちこわしでは何事も変わらない。(p78)

その上で、中島は「ほんとの原子力の平和利用の展望は、核兵器がなくならなければ出てこない」(p78)と宣言したのである。

そして、松橋隆司は、チェルノブイリ事故後の総評・「原水禁」の「被爆四十一周年大会基調」について、このように言及した。

この「基調」には、その具体的な活動のなかには、どこにも核兵器廃絶を正面から要求するものがはいっていないかわりに、冒頭からソ連のチェルノブイリ原発事故を取り上げ、「核戦争の被害に匹敵する」などとのべ、核兵器も原子力発電も「核」ということでひとくくりにし、「核絶対否定」の立場を強く押し出しているのが特徴でした。
 「核絶対否定」論にもとづいた「原発反対」などを原水禁運動の目標に潜り込ませるなら、「原発反対」の立場以外の人は運動から離れざるをえず、運動は著しく切りちぢめたものにならざるをえないのは明らかです。結局、「核絶対否定」論は、核兵器固執勢力を助ける結果になり、客観的には反動的な役割を果たすことになりますね。(p80~81)

そして、その関連で、『東京に原発!』(1981年)、『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(1982年)、『危険な話』(1987年)で、原発や放射性物質の危険性を強く主張していた広瀬隆もまた批判された。松橋隆司は、このように述べた。

また「原発の危険性」という重大な問題を取り上げながら、原子力の平和利用をいっさい否定する立場から、「核兵器より原発が危険」とか、「すでに原発のなかで核戦争が始まっている」といった誇張した議論で、核兵器廃絶闘争の重大性から目をそむけさせる傾向もみられます。(p80)

これは、言及はされていないが、広瀬隆の『危険な話』の一節を批判したものである。その部分をあげておこう。

多くの人が反核運動に情熱を燃やし、しかもこの人たちは大部分が原子力発電を放任している。奇妙ですね。核兵器のボタンを押すか押さないか、これについては今後、人類に選択の希望が残されている。ところが原子炉のなかでは、すでに数十年前にボタンを押していたことに、私たちは気づかなかったわけです。原子炉のなかで静かに核戦争が行われてきた。いまやその容れ物が地球の全土でこわれはじめ、爆発の時代に突入しました。爆発して出てくるものが深刻です。(広瀬『危険な話』p54~55)

広瀬も『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』は、核実験の話を中心としており、広い意味で核兵器廃絶を主張していたといえる。しかしながら、松橋は、広瀬の議論を核兵器廃絶よりも原発廃絶を優先したものとして把握し、その観点から批判したのである。

このように、この当時の共産党は、原発問題について微妙なスタンスをとっていた。共産党は、既存の原発の問題点について確かに厳しく追及していたといえる。実際、日本科学者会議の機関誌である『日本の科学者』には、各地の反原発運動がかなり紹介されている。他方で、「反原発」を反核運動の中心におくということについては、社会党ー原水禁との対抗関係から強く警戒し、まさしく、原子力の平和利用が可能であるという共産党の立場を堅持した。そして、その意味で、原発廃絶を強く訴えていた広瀬隆などの論調を批判するようになったといえる。

そして、『文化評論』の同号には、野口邦和「広瀬隆『危険な話』の危険なウソ」が掲載された。これは、まさしく、「反原発」を反核運動の中心に置くことに対する共産党の人びとの警戒感に端を発しつつ、「学知」の立場で広瀬隆ーひいては「反原発運動」の真偽を「判定」するというものである。このことについては、次回以降検討していきたい。

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経産省前テント撤去命令緊急抗議集会(2012年1月27日)

経産省前テント撤去命令緊急抗議集会(2012年1月27日)

昨日(2012年1月27日)、経産省前テント撤去命令緊急抗議集会にいってみた。私も、それほどよく知らなかったのであるが、2011年9月11日、「再稼動を阻止する首都圏独特の脱原発、再稼動反対の1つの砦」となることをめざして、東京霞ヶ関の経産省前の「広場」(といってもかなり狭いのであるが)に、テントが数棟建てられ、現在にいたっている。9月11日に建てられた経過や意味については、テントを建てた人たちのサイト「経産省前テントひろば」(9月27日付)を長文ではあるが引用しておこう。

経産省前のテントとは何か!
私たちは9.11経産省包囲行動の直後から、同省の敷地一角にテントを張って、連続の座り込みに入っている。このテントを巡って経産省や丸の内署との攻防が続いている。
同時に若者たちが同省の正門前の路上で独自のハンガーストライキに入った(11日17時から10日間)。われわれは彼らとの連帯はもちろんだが、9.11から9.19の脱原発ウィークをいかに盛り上げていくか、「休止中の原発の再稼動」をいかに止めさせるかという問題意識から始まったが、開始以来10日を経過した今日、この「テント」は脱原発の全体的運動の中で一定の役割を果たし始めている。
「テントを直ちに撤去せよ」という経産省の言い分は、ただ単に自分たちの固有の敷地だかから撤去せよというだけだが、もとより経産省もその管理する土地も民のものである。われわれは正論として、この場所を「原発問題の市民的議論」の場所として提供せよと主張している。
福島第一原発の大事故は、原発の安全神話を崩壊させ、原発の根本的な見直し、再検討の世論のもりあがりを作り出した。にもかかわらず経産省、原子力安全・保安院は安全宣言を出し(6月18日)、休止中の原発に対して「緊急対策もシビアアクシデント対策も適切に行われている」と断定して、ストレステストもそこそこにして、再稼動させることを至上命令としている。再稼動しなければ来年の4月には全国54の原発は全て停止してしまうという政治的危機を招くことになるからだ。
福島の事故は依然として継続中であり、各原発は福島事故の以前と何も変わってはおらず、危険はそのままである、事故の原因・経過についてさえ、ほとんど解明されてはいない。事故の伴う放射能汚染に対する対応、賠償問題等についても、まったく不十分な対応しかとられていない。そういう状況における再稼動は福島の人々を初めとする「原発を無くしてほしい!」という切実な要求を完全に無視する暴挙である。
9月11日に打ち立てた「テント」は再稼動を阻止する首都圏独特の脱原発、再稼動反対の1つの砦になりえるものと思う。確かにわれわれが建てたものではあるが、今日までわれわれ以外の多くの人々の力によって支えられてきている。脱原発、反原発の運動を担う全ての皆さんの戦いの拠点として、皆さんのものとして引き続き支え、さまざまな活動、交流、そして幅広い市民的議論の場として活用して頂きたいと思う。
民の怒り、脱原発の運動は、9月19日には全国6万人の大集会として政府や経済産業省を追い詰めている。彼らが狙う再稼動も決して容易ではないはずだ。原発立地の住民はかつてないほど大きく脱原発の声を上げている。再稼動についても枝野経産相は微妙な発言をせざるをえない状況にもある。
われわれはこのテントを撤去しない。しかし多くの皆さんのご協力は絶対必要だ。ともに連帯して、経産省の一角に突き刺さった脱原発の小さな棘を皆さんと共に太い楔、砦として発展させていただきたいと思う。
http://tentohiroba.tumblr.com/post/10760742394

その後、経産省前テント広場は、脱原発運動を行っている人の交流の場として機能してきたようである。その記録は、サイト「経産省前テントひろば」に綴られている。これ自身、非常に興味深いが、ここで紹介する余裕はない。ただ、単に首都圏だけではなく、福島から来た人たちや、外国から来た人たちにとっても交流の場となったようである。

ところが、経産省は、2011年1月24日、テントの撤去を求める命令を出した。この経過を、サイト「経産省前テントひろば」(1月25日付)でみておこう。

<テント日誌 緊急特別版 1/24(火)>
★経産省のテント撤去命令に心底からの怒りをもって抗議し、
  再稼働阻止・脱原発のためにテントひろばを守り抜こう!
★1月27日(金) 午後4時~6時の抗議行動に全ての人々の参加を!
テントひろばに心を寄せ、思いを共にする全ての人々に、経産省前テントは今重大な事態に立ち至っていることを告げ知らせねばならない。
そして経産省の不当な退去・撤去命令に心底からの怒りをもって抗議し、テントひろばを守り抜くための行動に共に結集されるよう呼びかける。
今日1月24日(火)、枝野経産相は定例の記者会見において自ら経産省前テントを話題にし、テントの自主撤去を強く求めると言明した。テントは不法占拠
である、火気に関して管理上の危険が存在する、というのがその理由であった。
 
それを受けて、経産省大臣官房情報システム厚生課厚生企画室長は、「1月27日(金)17時までに当省敷地からの退去及びテント・持ち込み物等の撤去」命令
を文書でもって通告してきた。その理由として火気についての細々としたことを書き連ねられている。
この経産省の一連の行動は、とみに強まっている再稼働策動の重大な一歩である。とりわけ、先日のスレステスト意見聴取会での傍聴人排除、利益相反委員に
よる審査という不法行為、密室での少数委員によるお墨付きというなりふり構わぬ姿勢と共通のものである。
テントひろばが4ヶ月半にわたって存在しているのは、福島の女たちをはじめ、全国津々浦々の、さらには全世界の人々の脱原発を求める心と思いに支えられて
であり、反原発の象徴として、それらを一つに結び合わせ、交流・表現する公共空間となっているからである。
 枝野経産相もそれは充分承知の上であろう。彼が9月に言明した「国民的議論が必要」という考えをなお保持しているのであれば、テントひろばと向き合い、話し
合いや公開議論の場をこそつくるべきであろう。
テントは24時間の泊まり込み、「とつきとおかの座り込み」に表されるように生活の場でもある。そして雪が降り積もるような厳冬下、暖房の確保は生存権・生活権に
関わることである。
一切の暖房を認めないとする経産省は、凍死者が出ることを願っているのであろうか。原発を推進してきた経産省にとって、人命とはかくも軽視すべきものなのだろうか。
 テント広場では防火責任者をおき自主管理で運営し、消防法上も「危険な行為」など一切ない。経産省とテント防火責任者が何度も話し合っており、これからも共同で防火に努めれば「危険」などないはずだ。経産省は姑息な口実はやめるべきである。
今必要なことは、テントの撤去ではなく、再稼働をやめ、原発をなくすための努力をすることである。そのためにテントを守り抜かねばならない。
テント運営会議は、1月27日には、記者会見・声明の発表、枝野経産相への会見申し入れ、そして午後4時~6時の抗議行動を決定した。
ともかく、本当に大規模な抗議行動が必要であり、どれだけ多くの人々がテントを必要とし、テントと結び付いているかを、経産省に思い知らせねばならない。
テントに心と思いを寄せる全ての人々の結集を呼びかける。
そして明日から週明けまでの1週間は、右翼の襲来も予測される。(本日すでに街宣車4台で登場。)様々な事態がありうる。是非テントひろばに駆けつけて、朝~夕の座 り込み・夜の泊まり込みに参加して下さい。
土・日にはテントひろばで様々なイベントを繰り広げよう。
再度、1月27日午後4時~6時の抗議行動への結集を!
                                      ( Y・T )
1月 2012 25th 水曜日 1:03 に投稿されました
http://tentohiroba.tumblr.com/post/16410139811/1-24.

このことを、フェイスブックを通じて、私も、1月27日の集会に出てみた。経産省への抗議ということもあるが、しばらく前から、このテントの存在に興味をもったということもある。「福島の女たちをはじめ、全国津々浦々の、さらには全世界の人々の脱原発を求める心と思いに支えられてであり、反原発の象徴として、それらを一つに結び合わせ、交流・表現する公共空間」ということが「経産省前テントひろば」ではうたわれている。私自身も、自分の専門の研究では、「公共圏」という概念を使って、日本の近代都市の自治を検討してきた。まさしく、言論の場こそが、近代社会を運営する上での核であるはずでなければならない。そして、議会・マスコミ・大学などは、本来そのような場である。しかし、今や、形骸化し、ただ地位と力をもつものの交渉の場でしかなくなっている。どのような形で、言論の場としての公共圏・公共空間が再生されるのだろうか。そのような意味で、このテント広場自体に対する関心を有していたのである。

出てみると、経産省前の小さな空間に、テントが数棟(3棟だったか)が建てられており、その前の歩道で集会が行われていた。この場所は、交差点の真ん前にあたり、一般の歩道よりは広いのだが、それでも、普通の歩道である。そして、テント前の歩道で、集会が行われていた。

私がいった時は集会が始まる午後4時よりは少し前で、バンドの演奏が行われていた。

普通の集会とは違うのは、「受付」があったことである。受付では、氏名・住所などを書くことになっていた。これは、経産省に提出するそうである。受付用紙に「カンパ」の欄があり、たまたま持っていた500円玉を出したのだが、「受付」で「お釣りは」と言われてしまった。うーん、微妙である。そんなに貧しそうにみえるのかな。

経産省テント前広場の「受付」

経産省テント前広場の「受付」

とにかく、狭い歩道であり、結局、歩道の道並びに人びとはいたらしい。しかも、多くの警官が配置され、「通路を確保してください」「そこにいないでください」とうるさい。私自身は、少しでも動くと、どこにいくことになるのかわからないので、「受付」のそばにいることになってしまった。そこは、テント前で、テントに出入りする人たちの通り道となっており、迷惑だろうなと思ったが、しかたなかった。

テントは、このようなものである。当然ではあるが、あまり大きなものではない。お見舞いにもってきたのであろう、プリムラの鉢物が置かれていた。

経産省前テント

経産省前テント

テントに置かれていたプリムラ

テントに置かれていたプリムラ

そして、16時から集会が始まった。私のいたところは、前述したように人の出入りが激しいところであった。また、警官の声がうるさかった。また、マイクの調子などで聞き取れないこともあり、あまり集中しては聞いていない。ざっと聞いたところ、主催者側の人がこの間の経緯などを説明していた。ただ、よく聞き取れなかったものの、福岡の人たちの発言が多かったように思う。女性が多かったが、彼女たちは、避難せざるをえなくなった状況、これからの不安を口々に話していた。

また、中学生も集会の場で発言していた。その中学生は「選挙権をもったみなさん、よろしくお願いします」などといっていた。耳が痛かった。

始まったときは、まだ明るかったのであるが、だんだん暗くなってきた。冒頭の写真は、ちょうど夕暮れの時にとったものである。

18時が終了時間である。「原発いらない」「テントを守れ」などとというシュプレヒコールを経産省にむけた。集まった数は七百数十名。受付の位置がわからない人もいたたと思うので、実際の参加者はもっと多かっただろう。

経産省前のシュプレヒコール

経産省前のシュプレヒコール

後で気づいたのだが、17時が退去期限だったとのことである。しかし、経産省からは、だれも退去を命じる人はこなかった。主催者側の人がいっていたが、一応の「勝利」といえよう。珍しく、翌日(1月28日)の朝日新聞朝刊が比較的大きくとりあげていたが、「経産省は『管理規定上、問題がある』と訴えるが、今のところ強制撤去する法的根拠はないという」といっている。実際、そんなものではなかろうか。

集会が解散した時、何人かの女性が、自然に歌っている声が聞こえてきた。次の歌である。

兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷
(「故郷」)

たぶん、福島県からきた女性たちが歌っていたのだろうと思う。聞いた時は、なぜ歌っているのか、よくわからなかった。こうして、今、ブログを書いていて、このことを思い返し、歌集で歌詞を確認してみて、その意味をさとった。感無量である。今は何もいえない。

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ここで、チェルノブイリ事故(1986年)の衝撃を日本社会はどのようにうけとめたのかをみておこう。チェルノブイリ事故においては、原発所在地周辺は住民の居住を許さないほど高濃度の放射性物質による汚染がみられ、その後、周辺住民の中で放射性物質に起因するとみられるガン・白血病が発生したことは、周知の通りである。他方、これは、あまり意識されていないことであるが、チェルノブイリ事故による放射性物質の汚染は、ソ連だけでなく、ヨーロッパを中心に広範囲にみられ(部分的には日本にも及んだ)、放射性物質による汚染に対する恐怖は、ヨーロッパ各国においてもまきおこった。このことについては、以前、本ブログの中でも、田代ヤネス和温の『チェルノブイリの雲の下で』(1987年)に依拠して紹介した。

日本においても、チェルノブイリ事故を契機として、原発の危険性を警戒する声が高まった。このような動きの中心にいたのが、ジャーナリストであった広瀬隆であった。広瀬隆は、チェルノブイリ事故以前から原発や核実験の危険性を警告していた。『東京に原発!』(1981年)においては、過疎地に建設されていた原発を過密地である東京に建設するという想定をしつつ、原発の危険性を訴えた。『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(1982年)では、アメリカ・ネバタ州の原水爆実験場周辺において、ロケにきたハリウッドの俳優や住民においてガンが多発したことをとりあげ、単に核戦争だけではなく、原水爆実験自体も危険性を有していることを主張した。

チェルノブイリ事故直後、広瀬は日本各地で、チェルノブイリ事故にみられる原発の危険性を訴えた講演会活動を精力的に展開した。当時、広瀬隆の講演は広範囲に聞かれており、そのさまは「ヒロセ・タカシ現象」とよばれたとのことである。そして、この講演会活動で話した内容を『危険な話―チェルノブイリと日本の運命』(1987年4月26日、八月書院)という形でまとめた。

ここでは、本書の内容を紹介しながら、本書のもつ原発の危険性への「警告」の意義と、その「警告」を「実証」することの難しさをみていきたい。

本書の最初は、このような形ではじまっている。

御紹介いただきました広瀬です。司会者の方にお言葉を返すようですが、私は作家でも先生でもありません。これは、チェルノブイリの事故についての報道に関係することでもありますので、最初にお断りしておかねばなりません。
私はただ、自分の身を守る、と言うよりむしろ正直に申しあげれば二人の娘の命を守りたいという、父親としての生物本能から、このような所に立っています。ですから、おそらく今日ここに来られた皆さんは、この世ではかなり意識の高い人が集まり、ある人はジャーナリズムに係わり、ある人は環境問題や消費者問題を心配し、ある人は政治的な活動に関係するなど、さまざまな活動をしているのではないかと想像しますが、そのようなことは一切忘れて、今日はすべて過去の知識をいったん白紙に戻して話を聞いてください。
大切なことは運動ではありません。事実を知ることです。たった一人の自分個人に立ち返っていただきたいのです。日本人はすぐに運動をはじめますが、今は、もう運動だとかジャーナリズムだとか、そのような次元を超えた時代、つまり生きるか死ぬかの断崖に人類が立たされているのです。(p8)

ここで、広瀬は、自分を作家でも先生でもなく、二人の娘の命を守りたい父親の立場にたって、この講演を行っているといっているのである。いわば、作家・学者として、聴衆に啓蒙を行うのではなく、放射性物質による汚染を自分の娘のために防がなくてはならないという「当事者」の立場にたっていると宣言しているといえる。そして、聴衆にも、運動の立場なのではなく、「たった一人の自分個人」にたちかえれとよびかけているのである。つまりは、他者のための「運動」ではなく、当事者としての自分個人を自覚せよというのである。

 まず、チェルノブイリ事故について、いろんな意味で情報隠蔽がされていると、広瀬は述べている。それは、日本において、もっともはなはだしいと指摘している。

…いったいソ連でどのような事故が起こったのかということについて、テレビや新聞ではほとんど報道されていない部分があります。実は、重大な事実が秘密にされています。実は、私たちが今食べている食べ物の中に、チェルノブイリからまきちらされました大量の死の灰が現実に入ってきて、それを私たちが食べなければならないという状況が起きております。そのために食べ物を作っている人たちが全世界的に大打撃を受けております。
 それで、この事故をなんとか小さく見せようということで、ジャーナリズムもほとんどそれを報道しないできました。しかし、現実にはもっと怖いことが進行しています。特にこの日本ではジャーナリズムが原発問題ではひじょうに遅れていまして、…ですから日本人ほどほとんど何も知らされていない国民は世界でも珍しい、完全に世界から取り残されている、という状況に置かれているわけです。(p9)

 特に、広瀬は、1986年にソ連が発表したチェルノブイリ事故の報告書の信憑性に疑問を呈している。例えば、この通りだ。

ソ連はいまだに「炉心溶融は起こらなかった」と言っているが、さきほどのソ連のレポートには、「燃料の一部が下の部屋に溶け落ちている」と自分で書いている。ものは言いようですね。(p25)

この本を、福島第一原発事件以前に読んだことはなかった。しかし、今は…。そう、今にいたってもおこっていることなのである。

ソ連の報告書自体を信用しない広瀬は、むしろ、新聞に出ている情報を、彼なりの分析を行うことで、「事実」を把握しようとする。例えば、北欧で非揮発性のルテニウムなどが検出されたという新聞記事を根拠に、金属であるルテニウムの蒸発温度などを手がかりにして、広瀬は、チェルノブイリ事故で、炉心溶融―メルトダウンが起こっていたと結論づける。

わずかひとつの記事、「北欧でルテニウムなどが大量に検出された」という事実から、これだけの壮大な現実が透視できることを、知っておいてください。(p25)

その上で、彼は、チェルノブイリ事故におけるソ連やIAEAの情報操作について、このように指摘している。

ソ連が八月にIAEAに提出したレポートは、どこから解析しても嘘また嘘ですね。なぜこれほど嘘をつかねばならないか。ここで私の意見をひとこと述べさせていただきますが、報告書を書いたのはソ連でなく、IAEAが書かせたに違いありません。
(中略)
すべて嘘なのです。実はそれまで正常だった原子炉がいきなり異常になると、わずか四秒で爆発してしまった。一、二、三、四、ドカン。これでは全世界のいかなる緊急安全装置も爆発を防ぐことができない。アメリカだろうと日本だろうと、再びチェルノブイリと同じ大爆発を起こすという現実が暴露されてしまった。これは全世界の原子力産業にとってきわめて具合が悪い。そこでとんでもない“実験のシナリオ”を作り、「お前はこう言え」とソ連にレポートを書かせた。(p37~41)

そして、その情報操作の結果について、広瀬隆は、このように主張している。

学者の多くが、このレポートを中心に論争をたたかわせています。IAEAの思う壺ではないですか。(p43)

科学史家の吉岡斉は『新版 原子力の社会史』(2011年)の中で、広瀬の指摘を先見の明のあふれるものとし、現在まで基本的に反証されていないものとしている。ここでは、あまりふれないが、広瀬隆の指摘について、ある意味では「学術的な」ソ連の報告書に依拠しない非科学的なものであり「嘘」なのだという批判がなされたことがある。たぶん、私自身ならば、ソ連による「情報操作」それ自体を「実証」する史料が提示されていないと批判するかもしれない。

しかし、広瀬の主張は、少なくとも、合理的な推論もしくは仮説であり、「嘘」とはいえない。そして、すべての史料がその時点で手に入らないならば、その時点で入手可能な史料に基づいて結論をだし、その結論によって行動するということが必要であろう。そして、彼の推論もしくは仮説をふまえつつ、いわゆる専門的研究者は事後的に分析すればよいのではないだろうか。

たぶんに「学術的な」体裁をもつ報告書に依拠して議論するしかない、いわゆる科学者たちの「存在根拠」を、広瀬は厳しく追及しているともいえるのである。

さて、広瀬は、原発の放射性物質による汚染の深刻さをこのように指摘している。

 

チェルノブイリの事故は終った、もうソ連やヨーロッパでは正常な生活に戻っている、と皆さんは思っているでしょう。とんでもない。たった今、ヨーロッパ全土で莫大な数の人たちが、この被害に巻きこまれはじめたところです。食べ物のなかに、たとえば牛肉などにぞくぞくと危険なセシウムが入りはじめ、いよいよ逃げられない所まで大汚染が広がってきたのです。さあ、これから何が起こるでしょう。これについて、過去の悲しい人類の体験から、おそろしい未来を推理することができます。(p10)

 彼にとっては、核戦争という「将来の危機」だけでなく、「原発」による放射性物質の汚染という現実的危機に対応しなくてはならないということを「原子炉のなかで静かに核戦争が行われてきた。」という卓抜なレトリックでこのように表現している。

多くの人が反核運動に情熱を燃やし、しかもこの人たちは大部分が原子力発電を放任している。奇妙ですね。核兵器のボタンを押すか押さないか、これについては今後、人類に選択の希望が残されている。ところが原子炉のなかでは、すでに数十年前にボタンを押していたことに、私たちは気づかなかったわけです。原子炉のなかで静かに核戦争が行われてきた。いまやその容れ物が地球の全土でこわれはじめ、爆発の時代に突入しました。爆発して出てくるものが深刻です。(p54~55)

特に、彼は、放射性ヨウ素による甲状腺障害について、ビキニ環礁の事例をあげて説明し、チェルノブイリ事故においても甲状腺がんが多発することを「警告」した。

南太平洋のビキニ海域で核実験がおこなわれ、その一帯に住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている。この住民を追跡してきた写真家の豊崎博光さんと先日会って話を聞いたのですが、この人たちがヨード剤を飲んでいたというのです。危険なヨウ素を体内に取りこむ前に、ヨード剤を飲んで体のなかをヨウ素で一杯にしておけば、危険なものは入りこみにくい、という原理ですね。ところが、それが効かなかった。つまりチェルノブイリやヨーロッパの子どもたちには、間違いなく甲状腺のガンがすさまじい勢いで発生する。もうすでに、兆候は出はじめているでしょう。(p60~61)

これは、いやなことだが、広瀬の「警告」通りとなった。ヨーロッパ全土ではないにせよ、チェルノブイリ周辺で甲状腺ガンが多発したこと、これは、現在は周知のことである。しかし、以前、本ブログで、児玉龍彦『内部被曝の真実』(2011年)において、そのことを実証するのに20年かかり、それから対処していたのでは患者の役に立てないと指摘していたことを紹介した。このように、広瀬のいう「警告」を「実証」するのは、そう簡単なことではないのである。

特に、彼が強調していたことは、放射性物質の摂取による内部被曝の危険性である。

プルトニウムの出す放射線は遠くまで飛びません。ということは逆にいいますと、近くにある細胞だけに全エネルギーを集中し、完全破壊してここに完全なガン細胞をつくる。これがプルトニウムのおそろしさです。そのガン細胞が幾つかできると、それが知らないうちにだんだん増殖してゆき、もちろんすぐに明日にも肺ガンになるわけではありません。何年かたってこのガン細胞が増殖します。そしてある日気がついたときには肺ガンに襲われて息もできない。しかもその因果関係はとうてい実証できないというような形で苦悶するわけです。まさに当局にとっては、何人殺そうが“安全”な基準ではありませんか。(p64~65)

この内部被曝は、現在、日本にいる多くの人たちが懸念していることである。しかし、ここで、広瀬がいっているように、その多くは「実証」されていない。ある意味では、かなり明確にみえた放射性ヨウ素と甲状腺がんの因果関係ですらも、「実証」するのに20年かかったのである。そして「実証」のないことは、それそのものが存在しないことになってしまうのである。結局、「実証」の欠如は対策の欠如を「正当化」する根拠になっていく。

その上で、広瀬隆は、日本の原発の危険性を強く主張する。「メルトダウンが起こってから、すべての事実に気づき、泣き叫ぶでしょう。」-私たちがいま経験していることである。

日本の技術は世界一、という話が通り相場になっていますが、これは壮大なトリックです。…メルトダウンが起こってから、すべての事実に気づき、泣き叫ぶでしょう。最初に申し上げておきます。日本の原発は、この数年以内に大惨事を起こします。いま最高の技術によって運転されているのではなく、いよいよ部品が寿命に近づき、危険な時代に突入しているのです。私たちが、たまたま生きているにすぎないことを、具体的に証明してみます。(p10~11)

 

彼は、茨城県にある東海原発が爆発したことを想定して、このように書いている。

 

レポートに書かれている“最も平均的な風速―毎秒七メートル”で計算すると、この絵で示したように放射能の雲はわずか五時間で都心の上空に姿を現わし、ガンマ線がすべての物を射抜いて私たちに襲いかかります。
 こうなると、四百万人どころではない。首都圏だけで三千万人。この人たちが全滅です。全滅と言ってもすぐコロリと死ぬわけではありませんよ。(p182)

その時の死の状況も、想像力豊かな筆致で、このように描き出している。

 

こうして私たちは、大事故のときにはどこへも逃げられず、政府の出してくれる安全宣言を耳にし、それを内心で疑いながら、食料は全滅と知りながらそれを口に入れます。腹が減れば、人間は何でも食べます。子どもを飢え死にさせるわけにゆかない。目の前には食べ物がある。危険と知りつつ食卓に並べる。ひと口食べてみる。すると意外なことに、体には何の異状も起こらない。大丈夫ではないか。なんだ、危ないという話は嘘だったのではないか。こうして食べ、やがて壮絶な未来が待ち受け、病室のなかでもがき苦しみながらバタバタと倒れてゆく。
 皆さんは今、これを空想の物語として聞いていらしゃいます。違うのです。これこそ今、ソ連とヨーロッパで実際に起こりつつある出来事なのです。(p184~185)

本書の最後の部分では、原子力開発をすすめた、世界や日本の財閥について分析している。

最後に、そう、これだけ大変な事実がなぜ隠され、誰がマスコミの口封じをしているのか、その裏の世界を暴露します。これがエネルギー問題や平和利用でないことは、人間と金の流れを追えばすぐに分ります。おそるべき無知な人間が、しかも旧軍閥に直結する人間たちが、われわれを地獄に招こうとしている、そのために欺かれてきた現実が見えてくるでしょう。(p11)

広瀬隆の『危険な話』をどのように評価すべきであろうか。私は、いわば自分自身の問題ではない専門家―非当事者たちの言説ではなく、自身も原発の危険性にさらされているという聴衆―いわば民衆一般と同じ運命をもつ当事者の立場に意識的にたつことを前提にした言説として本書を位置づけておきたい。そして、その観点から、合理的な推論によってソ連の報告書などの欺瞞をあばき、被曝の危険性を「警告」したものといえるだろう。

3.11以降、マスコミの論調でも脱原発の集会・デモにおいても個人的な会話でも、かなり広瀬隆と共通した主張がなされたといえる。政府・東電の情報隠蔽、内部被曝の危険性など、これはすでに広瀬が主張していたものだ。

しかしながら、広瀬の「警告」は、合理的ではあっても、推論・仮説であるといえるのである。ソ連・IAEAの情報隠蔽についても、内部被曝についても、現象的には承知できるのであるが、それを資料的に本書で「実証」しているかといえば、まだ、そうとはいえないように思われる。放射性ヨウ素と甲状腺がんの因果関係についても「実証」するのには20年かかった。広瀬に批判的な人びとからは、単なる不安感の醸成というかもしれない。

しかし、それでは、現実の課題には対処しえないともいえるのである。その意味で、直近の課題に対処するための推論・仮説の重要性を自覚しなくてはならない。現実の民衆がかかえている課題―不安を含めてーを聞き取り、そして、今入手できる資料で推論・仮説をたてながら、とりあえず対処方法を考えていくことの重要性を理解すべきなのだ。その点において、広瀬隆の『危険な話』を評価していかねばならないと思う。

そして、これは、広瀬隆だけの問題ではなく、現に、私たちがかかえている課題なのであることを痛切に自覚していかねばならないだろう。

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昨日(2012年1月16日)、NHKの「クローズアップ現代」において「子どもが語る大震災(1) 高校生が伝える福島」という番組を視聴した。まずは、内容についての紹介分を紹介しておこう。

東日本大震災で被災した状況を自ら記録し続けている高校生たちがいる。福島県立原町高校放送部の生徒たちだ。原町高校は福島第一原発から30キロ圏内の南相馬市にあり、震災直後から学校は閉鎖。5月に2か所の「サテライト校」に分かれ授業は再開したが、転校を余儀なくされた生徒も全校の半数に及ぶ。放送部の2年生7人は震災と原発事故に翻弄される自分や家族の姿を記録。ドキュメンタリー作品にまとめ、6月のNHK杯放送コンテストで発表した。今も、刻々と変化する暮らしや学校生活を記録し続けている。作品作りのために互いの本心をぶつけあい、困難を乗り越え、心の成長も見せる生徒たち。彼らの姿を通じて「見過ごされてきた等身大の被災地の姿」「子供たち自身が記録し伝える意味」を探る。
(中略)
出演者
江川 紹子さん(ジャーナリスト)
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3141

この番組のサイトで、原町高校放送部ーつまり高校生が実際に撮影・編集された映像「原発30km圏内からの報告」と「原町高校紹介2011」が紹介されている。この二つの映像、特に前者は、NHKの番組よりも興味深いものだった。「原発30km圏内からの報告」は、NHK杯全国高校放送コンテストでテレビドキュメント部門制作奨励賞となったものである(http://www.haramachi-h.fks.ed.jp/bukatudo/bukatudo.htm)。NHKが、この映像を知ったのは、たぶん、この経緯からのであろう。
 

「原発30km圏内からの報告」は、このようなナレーションから開始されている。

5月9日、原発30km圏内にあるわが原町高校のサテライト校での授業が始まった。
http://www9.nhk.or.jp/gendai/material/img/movie/video_480.html?flv=Genpatu_kurogen_001.flv&autostart=1

このナレーションは男子生徒が行っているが、とにかく淡々として、感情を交えず、事実経過を伝えていくことに徹している。震災・原発報道で、よくセンセーショナルな口ぶりで伝える職業的アナウンサーがいたが、それとは正反対である。しかし、このような感情を押し殺したアナウンスは、逆に、事態の深刻さ、その底にうごめく恐怖を伝えているといえる。

そして、それから、映像は、3.11に遡って、原町高校にどのような運命がふりかかったのかを回想していく。ナレーションでは「東日本大震災2日目、日曜日から混乱が始まった。」と語り、20km圏内が強制避難地域になり、30km圏内が屋内退避という「どうしたらよいのかはっきりわからない地域」に指定されてしまったと述べる。

学校は閉鎖され、そのこと自体がテレビでしか発表されなかった。情報はテレビでしか入手できない状況になった。放送部員たちもばらばらになっていく。30km圏内の原町地区の農家出身の部員は、すぐもどってくるつもりで避難した。50kmは原発から離れている部員の生活には大きな変化はなかった。一方、まさに20km圏内の浪江町に住んでいた二人の部員については「最悪」だと語られている。そして、「おじいちゃんやお父さんなどの上の世代の人たちは、大丈夫だ、爆発なんかしないといっていたけれど、そんなことなかったね」と語る回想などが挿入されている。

結局、しばらく学校は閉鎖された。先生や生徒も学校にこれない状態になった。常に情報不足の状態であったようである。そして、5月に、ようやく、「30km」外の相馬高校と福島西高校にサテライト(仮校舎)を設置して、そこで授業を行うことになった。

それは、高校が二つに分断されたことを意味する。南相馬市などから避難しなかったり、また近隣に避難した高校生たちは、北隣の相馬高校(確か相双サテライトといったと思う)で授業を受けることになった。他方、原発20km圏内に住んでいて、福島などの福島県中通りに避難した高校生たちは、福島西サテライトで授業を受けることになった。特に、飯館村に住んでいる生徒は、計画的避難区域に編入されてしまったため、自身も避難することになってしまったのである。

「原発30km圏内からの報告」の終局部には、このような高校生の分断を前提にして、次のようなフレーズがある。

原発は私たちをばらばらにした。原発はなくなればいいと思った。でも

しかし、このナレーションで「でも」と発言した直後、この発言を覆い隠すように、原町高校の教師が、このように諭している。

東電に直接関連のない会社や個人経営の商店でも、東電関連の人たちがお買いものをするわけですから、東電と全く縁がないということはなかなか難しいかもしれませんね。

これは、たぶん、原町高校放送部が、「両論併記」という形ではあるが、原発問題に対する主張としてみることができる。これは、別に、原町高校の生徒だけの問題ではない。日本のいや世界の課題ということができる。

しかし、NHKの「クローズアップ現代」では、この部分をカットしている。この高校生の映像を紹介したNHKの努力は了とする。NHKがなければ、この高校生たちの映像に接することはできなかった。しかし、このことは黙視しがたい。情報隠蔽である。高校生たちに、「自分の意見は公共番組では伝えるべきものではない」と教え諭しているようなものではなかろうか。

もちろん、「クローズアップ現代」自身の取材を総否定するつもりはない。10月になり、相双サテライトから原町高校に生徒たちが移り、他方で福島西サテライトは今年度限りで廃止することなった。「クローズアップ現代」では、互いの状況がかわり、今後の身の振り方に迷う高校生たちの葛藤を繊細に描いている。そして、「スタッフの部屋」というブログでは、このように語られている。

プレビュー(試写)をのぞいてきました。

取材VTRは高校生の日常のリアルが伝わってくるものでした。
もちろん、原町高校を離れてサテライト校での授業をうけることになってしまう生徒や、
学校を離れていく生徒、
今後の不安など、厳しい状況はいくつも出てきます。
ただ、それでも、高校生らしさを失わないというか、
VTRを見ながら、
自分の高校時代を思い出してしまうような感じもいくつも出てきます。

先にご紹介した原町高校のホームページには、
校内の放射線の線量まで記載されています。
生徒はきっと、不安も心配もいろいろとあって、
「震災さえなければ…、原発事故さえなければ…」という思いは本当に強いと思います。
それでも、原町高校放送部のメンバーは今後も”みずから記録”することを続けていくそうです。
わたしたちマスコミによる”記録”では決して見えない、
“リアルな部分”に、すこしホッとするというか、
がんばってほしいと感じたプレビューでした。
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/100/106364.html

つまりは、「震災さえなければ…、原発事故さえなければ…」(なお、この発言は、原町高校放送部の顧問の教師によるもの)という気持ちを全くわかっていなかったわけではないのである。しかしながら、NHKは、放送では、「原発はなくなればいい」という発言をカットし「高校生の人間ドラマ」という面を強調したのである。

インターネットにて、この放送をみた人たちの声を検索してみた。評価する人たちがいる一方、「高校生たちは放射線問題にふれていない」と批判する人もいた。ただ、これは、高校生たちのせいではない。NHKの責任であることを、ここでは主張しておこう。

それにしても、こんな番組まで、歴史学の王道である「史料批判」をしないとはみられないということに、正直驚いている。メディアの「透明性」とは、今はないらしい。もちろん、こんな番組が作成され、そのソースまで公開されているのであるから、NHKでも良心的な人びとはいるのだろう。しかし、高校生の、今や当たり前の主張ーしかも両論併記という形で彼ら自身が公平性を担保しようとしているーまで封殺することが当たり前と思っている人たちが、NHKの主流なのであろう。

こういう、高校生たちの取り組みに感心したことを、このブログでは伝えたかった。今もその思いは強くある。しかし、情報操作・情報隠蔽は、こんな番組までおよび、史料批判をしないと感動もできない状態になっていることに、私の心は沈んでいる。

*なお、原町高校放送部の映像はNHKの「クローズアップ現代」のサイトからみることができる。他方、NHKが製作した「子どもが語る大震災(1) 高校生が伝える福島」という番組は、NHKオンデマンドで視聴が可能である。有料だが105円なので、できたら、両方の映像比較してみてほしい。

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最近、朝日新聞で「エダノミクスvsマエハラノミクス」という連載記事(1月8~10日付朝刊)を読んだ。民主党の前原誠司政調会長と枝野幸男経産相の政策を対比的に論じたものである。

枝野の政策についても論じなくてはならないが、ここでは、より露骨に財界に近い政策を唱えていると思われる前原の政策を中心に検討しておこう。朝日新聞は、まず、前原の経済成長論について、このように紹介している。

国内市場は縮んでもアジアは成長する。原発や新幹線を海外に売り込めば成長は可能だー
 「良い製品を日本で作って海外に売ることで、雇用が生まれ、地域経済が活性化する。世界は成長を続ける」。前原は1日付の後援会会報でに書き込んだ。いま一度坂を駆け上がろうという前原は(司馬遼太郎の『坂の上の雲』からの連想)、各種世論調査で首相候補のトップに立つ(朝日新聞1月8日付朝刊)

好い製品を輸出すれば雇用が生まれる、そのためには原発も輸出すべである、そして、今後も経済成長を続けようというのが、前原の議論の中核にあるといえよう。

これに対し、朝日新聞は、次のようなコメントを付している。

 

だが、成長路線の放棄を唱え、枝野と勉強会を重ねてきた埼玉大学大学院客員教授の水野和夫(内閣審議官)は「企業が潤っても高騰するエネルギーの確保や株式の配当に回り、国内の雇用にはつながりにくい」という。
(中略)
 前原も説得力に乏しい。日本一国でどんな成長戦略を描いても、世界経済の状況次第でその戦略は簡単に崩れてしまう。インフラ輸出も超円高の逆風は避けられない。過去の自民党政権の成長戦略との違いもはっきりしない。(朝日新聞1月8日付朝刊)

前原が、彼の成長戦略の中で目玉として位置付けているのは、原発である。朝日新聞は、このように紹介している。

 前原にとって原発はグローバル市場に打って出る「目玉」だ。インドやベトナムなど新興国の需要は原発事故後も旺盛で、前原は「日本の技術への信頼は揺らいでいない。輸出はしっかりやるべきだ」と明言する。
 大和総研の試算では、定期検査に入る原発がすべて再稼働しなければ経済は滞り、実質国内総生産(GDP)が10年間平均で年14兆円(全体の2.5%)減る。前原は昨年末の講演で「日本が原発を再稼働できるのか世界のマーケットが見ている」と訴えた。「原油や天然ガスに過度に頼れば、産出国に足元を見られる」と主張する。(朝日新聞1月10日付朝刊)

これに対して、朝日新聞は「脱原発の国内世論は強まっている。『成長より安全』を願う人々を説得できなkれば成長戦略の柱とはなりえない」(朝日新聞1月10日付朝刊)と批判している。

この記事を一読して感じたことは、原発輸出などにより個々の大企業の成長をはかるという前原の戦略は、本当に「雇用」につながるのかということである。そしてそれが、全体の「成長」に本当に結果するのかということである。確かに、生産拠点が国内に事実上限られていた高度経済成長期においては、企業の発展は、国内の雇用をうみ、全体の発展につながっていったといえる。しかし、現在では、個々の企業が収益をえても、より低賃金の労働力を得られる海外に生産拠点を移しており、国内の雇用にはつながらない。国内での雇用は、まさに管理労働(そのために、イニシエーションとしての「就活」が一般化される)と補助的な非正規雇用に限定されていく。企業の収益をまったく度外視せよとはいわないが、、それを制御していくことも必要なのではなかろうか。

ある意味で、前原の政策は、高度経済成長期の時代状況を考慮しない、時代錯誤なものだと感じざるをえない。石原慎太郎東京都知事の「東京オリンピック構想」とそれほど変わらないだろう。

結局、事故を起こしてしまえば、経済的被害だけでも天文学的数字になってしまうのが原発である。福島原発事故の被害は、いったいどれほどのものとして見積もられているのか。補償は、除染は…。たぶん、昨年は、多くの俳優や歌手や学者が来日をとりやめたと思うが、そのようなものまで換算して被害額は試算されているのか。

現存秩序の枠内で、それこそ「交渉」して、より有利な地位を得ようとしてきたのが、3,11以前の日本社会であった。それは、前原のように、依然として根強く日本社会にはびこっている。個別の企業の利益や、所詮官僚機構の利益にすぎない「国益」、また所属しているマスコミや大学の利益-これらはもちろん、個々の成員のためのものではないが、それに依存していきれば共存共栄として有利に生きられるーそれこそ、高度経済成長期の「悪しき幻想」ともいえる。前原は、自分の成功体験を全国民に強制しようとしているのだ。そして、このような人物をもちあげているということが、日本社会の問題なのだ。

福島第一原発事故は、そんな幻想を揺るがした。政府や東電は、「姿勢」というものではなく、「能力」の問題として、この事故に対処しえない。どれだけ、事故においてまき散らされた放射性物質がまき散らされ、どれほどの健康被害が起きるか、まだ予測がつかない。また、いくら除染に努力するといっても、限界がある。除染を進めれば進めるほど、汚染された廃棄物が増大する。例えば、住宅地・学校などは除染できたとしても、広大な農地・山林・海洋すべてを除染はできない。福島県浜通りは、原発だけが産業ではない。農業・山林業・水産業も存在していた。それをすべて回復することが、現時点で可能なのだろうか。原発立地自治体は、確かに原発と「共存共栄」だったのかもしれない。しかし、それは、もはやない。

福島第一原発事故は、日本において、企業や国家などがつくりあげてきた現存秩序と「共存共栄」できるという幻想に疑念をもつ契機となったと思う。

今、福島第一原発事故というだけでなく、企業や国家と「共存共栄」するということについて、疑念が広まっている。しかも、それは、世界的に。「われわれは99%」だというのは、ニューヨークでの叫びなのだ。

その点からいえば、前原の議論は、時代錯誤で私の考えるような常識からみて違和感を感じざるをえないものにしかみえないのだ。それが、この記事を読んだ全体の感想である。

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福島第一原発事故につき、子どもたちを避難させるべきかいなか、これは、福島県だけでなく、場合によっては首都圏でもさかんに議論された問題である。

その一例として、2011年9月30日に郡山市議会定例会で行われた駒崎ゆき子市議会議員と、郡山市当局者の論戦をみていくことにする。

駒崎ゆき子は、「郡山の未来をつくる会」から市議会議員選挙に立候補し、2期8年勤めた。「郡山の未来をつくる会」については、詳細はよくわからないが、いわゆる「市民派」の団体ということができよう。駒崎ゆき子は、前回の市議会議員選挙で落選した。今回の9月の市議会議員選挙で再び議員に当選した。駒崎ゆき子については、本人のブログhttp://komasaki.info/?m=201109&paged=2を参照されたい。ただ、一つ、重要なことは、彼女は、「ふくしま集団疎開裁判」という裁判に議員当選前から関与していることである。このことは、質問中にも言及されている。

とにかく、まず、駒崎ゆき子の質問をみておこう。駒崎の質問は放射線関係だけであったが、多岐にわたり、放射線測定機器の貸し出しや除染などにも質問しているが、ここでは、避難関係だけをみていこう。

◆駒崎ゆき子議員 おはようございます。
 郡山の未来をつくる会の駒崎ゆき子です。
 では、通告に従って一般質問をいたしますが、その他のところで1項目追加をお願いいたします。
 郡山市も、東日本大震災では多くの被害を受けました。また、台風15号により、9月21日から22日にかけて約4,800世帯が浸水の被害を受けました。被害を受けた皆様に心からお見舞い申し上げます。
 さて、原発事故による放射能の汚染については、健康に対する心配と不安、また農産物をはじめ経済への影響ははかり知れないものがあります。郡山市の空間線量は低くなったとはいえ、まだ1時間当たり0.89マイクロシーベルト前後です。事故前に比べて約22倍の高さです。私たちに一番身近な放射線はレントゲンですが、レントゲン室の放射線管理区域は、法律で年間5.2ミリシーベルト以下であり、1時間当たりに換算すれば0.6マイクロシーベルトです。ここは、法律により18歳未満の労働は禁じられ、子どもを含む一般人の立ち入りも禁止されています。しかし、私たちはもう6カ月以上も放射線管理区域よりも高い放射線の中に無防備で生活をしています。今後いつまで続くのか、見通しも立っていません。放射能対策は、緊急かつ最重要な課題ですので、質問いたします。
 1、土壌汚染マップと郡山市の汚染状況について。
 文部科学省が放射線量等分布マップ、略称・土壌汚染マップを発表しました。郡山市で118地点の計測結果が出ております。これをチェルノブイリ原発事故時に旧ソ連当局がセシウム137の線量に基づき設定した避難の基準に当てはめますと、移住権利地域は17地点あり、その他ほとんどが放射線管理区域で、区域設定なしは35地点しかありません。今の郡山市は、セシウム137とセシウム134が同程度あり、合計して考えるべきです。そうすると、55万5,000ベクレル/平方メートル以上の義務的避難地域に該当する地点が3地点となり、移住権利地域は49地点にふえます。最大で83万7,340ベクレル/平方メートルと高い汚染濃度となっております。
 そこで伺います。
 1、住民の安全を守る立場の郡山市として、文部科学省によるこのマップをどうとらえているのか、見解を伺います。
 また、この現状の中、どのような対策で市民の命と生活を守ろうとしているのか、あわせて伺います。
 2、教育委員会では通学路放射線量マップを作成したようですが、今後の除染活動において、この土壌汚染マップも参考にしていただきたいが、見解を伺います。
 また、あわせて子どもたちの健康を守る今後の対策を伺います。
 3、内部被曝を防ぐ手だてについて。
 現在、厚生労働省が定める食品の暫定規制値は、野菜、穀類、肉、魚、卵などに含まれる放射性セシウムは500ベクレル/キログラムになっています。一方、チェルノブイリ原発事故で被害を受けたベラルーシの野菜の規制値は100ベクレル、ウクライナでは40ベクレルとなっています。日本の基準で本当に健康は守れるのか心配です。そこで、内部被曝を防ぐ手だてをどう考えているのか、当局の見解を伺います。
 2、こども・妊婦の疎開について。
 子どもは大人より放射能の影響を受けやすいと言われています。また、7月5日の朝刊に、3月下旬に県内の約1,000人の子どもたちの調査で、45%の子どもたちがヨウ素被曝を受けていたと報道されています。世界の歴史の中でも、核実験の後、スリーマイル島及びチェルノブイリ原発事故後に4年から5年で子どもたちの甲状腺がんがふえています。また、勇気ある14人の子どもたちが「1ミリシーベルト以下の安全な場所で学校運営をしてほしい」と郡山市に仮処分の申し入れをしていますが、文部科学省の土壌汚染マップの現状を見れば、子どもたちへの影響がとても心配されますので、伺います。
 1、子どもたちの将来の安全について。
 裁判で郡山市は、文部科学省の言うとおりやれることはやっているので、疎開させるまでもない旨、答弁しています。現在、自主避難等々で小中学生997名が転出している中、このまま子どもたちを郡山市にとどめておいて、将来までも安全だと言えるのかどうか、郡山市の説得力ある見解を伺います。
 2、保健室利用日誌の充実や子どもの健康把握について。
 保健室利用状況を情報開示しましたら、外科系の症状が減り、内科系の症状がふえていました。仔細理由の記載は一部の学校のみでしたが、腹痛、頭痛、発熱、気分不良等々、中には腹痛の欠席、来室者が増加しています等々の記載もありました。原因は、第一には外で遊べない子どもたちのストレスだと思いますが、子どもたちの健康状態が気になります。そこで、今後、保健室利用日誌の充実や子どもの健康把握をどうするのか伺います。
 3、子どもたちの公的主導の疎開について。
 ジャーナリストの広河隆一さんたちは、チェルノブイリの支援で、安全な場所2カ所に寄宿舎を建て、危険な場所に住む子どもたちを学級ごと、何カ月か交代で疎開させているそうです。今回、環境NGOが子どもたちの尿中セシウムの検査をした結果、すべてのお子さんの尿からセシウムが検出されました。もう既に子どもたちは内部被曝をしている現実があります。そのお子さんの尿の検査を9月に再び行ったところ、この夏休みに疎開したお子さんのセシウムは減り、動かなかったお子さんはふえていたという結果が出ています。
 子どもたちは新陳代謝も早いので、疎開は有効な手だてです。チェルノブイリでできることが郡山市でできないはずはありません。姉妹都市との連携等々で、ぜひ公的主導の疎開が実現できないでしょうか、伺います。
 4、妊婦さんへの対策と避難、疎開の現状や生活保障について。
 放射能は遺伝子を傷つけることから、妊婦さんやこれから妊娠出産を予定している皆さんの心配は大きいです。未来を担う子どもを守るのは自治体として大きな責務でありますので、郡山市の妊婦さんへの対応を伺います。
 また、県の助産師会は会津に避難所を設けているようですが、郡山市の妊婦さんの避難、疎開の現状や生活保障について、あわせて伺います。
http://www2.city.koriyama.fukushima.jp/gijiroku/
上記の9月30日定例会会議録より引用。なお、後述する郡山市議会における発言はすべてここから引用。

駒崎の質問の趣旨は明解だ。文部科学省の発表した土壌汚染マップによれば、セシウム137だけでも郡山市の多くの地域は放射線管理区域(3万7千Bq/㎡~)なみの汚染を示しており、さらに、チェルノブイリ事故時に移住の権利が認められた区域(18万5千Bq/㎡~)のところも17箇所あると、駒崎は指摘する。さらに、半減期約2年のセシウム134を合算するならば、「義務的避難地域(55万Bq/㎡~)に該当する地点が3地点となり、移住権利地域は49地点にふえます」と、駒崎は主張しているのである。

私自身も先に、本ブログの「福島・宮城・栃木三県における放射性セシウム汚染の状況ー東日本大震災の歴史的位置」(2011年8月10日)の中で、同様のことを指摘した。その際、私自身もチェルノブイリの区分を参考としている。ここで再びあげておこう。

参考:チェルノブイリの区分

148万Bq/㎡~     (第1) 強制避難区域   直ちに強制避難、立ち入り禁止
55万Bq/㎡~     (第2) 一時移住区域   義務的移住区域
18万5千Bq/㎡~   (第3) 希望移住区域   移住の権利が認められる
3万7千Bq/㎡~    (第4) 放射線管理区域  不必要な被ばくを防止するために設けられる区域

駒崎は、このような状況下において、チェルノブイリ事故の教訓にかんがみ、放射線に対してより感受性が強いと思われる子どもと妊婦を郡山市より避難させるべきではないかと訴えたのである。

この駒崎の問いに対し、郡山市役所の高田繁総務部長は、このような答弁をした。

○大内嘉明議長 次に、項目1、土壌汚染マップと郡山市の汚染状況について、当局の答弁を求めます。高田総務部長。
    〔高田繁総務部長 登壇〕
◎高田繁総務部長 土壌汚染マップについてでありますが、チェルノブイリではセシウム137のみの数値であり、測定時期も事故から約4年後であることなど単純な比較はできないものと考えております。
 今後につきましても、放射性物質の除染を積極的に進め、年間総被曝量1ミリシーベルト以下にすることを目指してまいります。
 以上、答弁といたします。

駒崎は納得しない。再質問となった。

○大内嘉明議長 土壌汚染マップと郡山市の汚染状況について、駒崎ゆき子議員の再質問を許します。駒崎ゆき子議員。
    〔1番 駒崎ゆき子議員 登台〕
◆駒崎ゆき子議員 再質問いたします。
 今、土壌汚染については、単純に比較ができないということでしたが、それは4年過ぎてみないと、郡山の4年後と比較してみないと比較できないとおっしゃっているのか、そこのところを再度、もう少し詳しく説明お願いします。
○大内嘉明議長 当局の答弁を求めます。高田総務部長。
◎高田繁総務部長 再質問にお答えします。
 先ほど、単純には比較できないものという答弁を申し上げましたけれども、その比較できない要因でございますが、チェルノブイリの事故のベクレルにつきましては、土壌表面のセシウム137だけで148万ベクレル、妊婦、子どもに対しては55万5,000ベクレルでございますが、郡山市の場合については、セシウム137と134を合わせますと55万5,000を超えているところがありますので、片方はセシウム137だけ、片方はセシウム137と134ということで、その1つと、さらには合計といったところが違います。さらには測定時点が、先ほどの4年と現時点という時点がございますので、その点が比較できないというところでございます。
 以上、答弁といたします。

チェルノブイリとは比較できないーそれも測定方法の次元においてというのが、高田総務部長の答えなのである。駒崎は、「今の答弁ですと、やはり郡山市内は今とても危険だという状況には立っていないように思うのです」と言わざるをえなかった。

○大内嘉明議長 駒崎ゆき子議員の再々質問を許します。駒崎ゆき子議員。
    〔1番 駒崎ゆき子議員 登台〕
◆駒崎ゆき子議員 では、再々質問をさせていただきますが、今の答弁ですと、やはり郡山市内は今とても危険だという状況には立っていないように思うのです。歴史的にも、過去のチェルノブイリ事故の後とか、本当に子どもたちに甲状腺がんがふえたりしているわけですから、過去の間違いを私たちはしないように、今から予防的対応をとらなければならないと思っているのですが、そこのところがまだ認識がちょっと違うように思うのですが、子どもたちについては、今でも、この郡山市で安全だとお考えなのかどうか、再々質問いたします。
○大内嘉明議長 当局の答弁を求めます。高田総務部長。
◎高田繁総務部長 再々質問にお答えをいたします。
 子どもに対する取り扱いは安全なのかというような再々質問でございますが、やはり将来を担う子どもの健康は大事でございますので、そういったことから、大人とは違った、子どもは半分のベクレルというところで、先ほどチェルノブイリでいう148万に対して55万5,000でございますが、本市につきましては、そういった取り組みの中で少しでも子どもの線量を低くするための取り組みということで、表土除去とかいろいろやっております。
 今後につきましても、放射性物質の除染をもっともっと積極的に進めまして、年間総被曝量を1ミリシーベルト以下に持っていきたいというような考えで取り組んでいるところでございます。
 以上、答弁といたします。

駒崎の懸念について、高田は、除染すれば大丈夫だという答弁をしたということができよう。ここでは紹介していないが、市長自身も、除染に積極的な姿勢を示していた。そして、その積極的な除染というものが、結局、かなり問題がある、町内会などを中心として行われた「市民自らの除染」ということになっていくということができよう。

さて、子ども・妊婦の疎開については、木村孝雄教育長が答えることになった。

○大内嘉明議長 次に、項目2、こども・妊婦の疎開について、当局の答弁を求めます。木村教育長。
    〔木村孝雄教育長 登壇〕
◎木村孝雄教育長 初めに、子どもたちの将来の安全についてでありますが、低放射線量と健康被害との関係については、専門家でも判断が分かれるところであります。また、8月26日には文部科学省が、学校で児童生徒が受ける線量は年間1ミリシーベルト以下、毎時1マイクロシーベルト未満を目安とする指針を定めたところであります。
 本市においては、子どもたちの健康と安全を最優先に、除染活動や屋外活動の時間制限、健康チェックや安全・安心な食材の確保など今できることを一つ一つ行っているところであります。
 次に、保健室利用日誌の充実や子どもの健康状態の把握についてでありますが、子どもたちの震災の影響による健康状態を的確に把握する必要があることから、きめ細やかな健康観察、校内の教育相談の充実、保護者との情報の共有などと合わせて、常に個人と全体の把握ができる学校保健日誌の記載のあり方について、管理主事の全校訪問等で指導しているところであります。
 今後も、学校保健日誌を充実させ、全職員で有効活用しながら、心のケアを中心に子どもの健康管理に万全を期してまいる考えであります。
 次に、子どもたちの公的主導の疎開についてでありますが、本市は国が示す警戒区域・緊急時避難準備区域等に指定されておりません。また、疎開による生活不適応からくる子どもたちの心身の影響等の課題もあることから、市主導の疎開は考えておりません。
 以上、答弁といたします。

木村の答弁によると、低放射線量と健康被害との関係は、専門家でも判断が分かれるとし、結局は国の基準に従いつつ、「子どもたちの健康と安全を最優先に、除染活動や屋外活動の時間制限、健康チェックや安全・安心な食材の確保など今できることを一つ一つ行っているところであります」としているのである。その上で、国が避難を強制している区域ではないし、「疎開による生活不適応からくる子どもたちの心身の影響等の課題もある」として、市主導の疎開は考えていないと木村教育長は述べたのである。

もちろん、駒崎は、ここでも納得しない。再質問を行った。

○大内嘉明議長 こども・妊婦の疎開について、駒崎ゆき子議員の再質問を許します。駒崎ゆき子議員。
    〔1番 駒崎ゆき子議員 登台〕
◆駒崎ゆき子議員 再質問をさせていただきます。
 疎開については考えていないというお話でしたけれども、私の知っている若いお母さんたちが、自分も仕事を辞め、そしてお父さんをこちらに置き、2人のお子さんを連れて郡山市を離れました。その理由は、行政の対応を待っていたら子どもの命は救えないという本当に切実な思いで離れたのです。
 ですから、もう少し、そこの心情をしっかり考えていただきたいと思います。今の郡山市の対策、それからホールボディカウンターだって、あと半年後なんですよ。でも、私たちは毎日毎日、被曝をしているわけですので、そういう意味から、ぜひ考えていただきたいし、また郡山市を離れたいと思っても、いろいろな事情で離れられない親子さんも多くいます。条件とか環境によって命に格差が生まれてはいけないと思うのです。やはりそのためには、公的な避難、公的な疎開、そこをぜひさせたいと思うのですが、再度お伺いいたします。

駒崎は、郡山市から自主的に疎開した母子の例をあげて、郡山市の当局者を追求した。

それに対して、木村教育長は、このように答えた。

○大内嘉明議長 当局の答弁を求めます。木村教育長。
◎木村孝雄教育長 再質問にお答えいたします。
 公的主導の疎開についての考えについてでありますが、本市は、国が示す避難区域等に指定されておりません。
 市が一方的に疎開を行う権限も有しておりません。
 3点目は、疎開により自分の家を離れることは、子どもたちや保護者に大きなストレスを与えることになり、心身への影響等を考える必要があると考えます。
 4点目は、現在、放射線量が減少傾向にあります。今後、除染が進むこと、以上のことから、現時点では疎開が必要な状況にはないと考えております。
 特に、教育の原点は家庭でございます。成長過程で生ずるさまざまな不安や悩み、受けとめてくれるのはやはり家庭です。人格形成の基礎には何よりも家庭、そしてなれ親しんだ地域、教師、友人が欠かすことができないものと認識しております。その意味でも、ふるさとを離れている子どもたちが一日も早く戻れるような除染活動に、どの子も健康で思う存分学べる環境づくりに、例えば除染、内部被曝の軽減、健康診断、情報公開等に今後も取り組んでいく所存であります。
 以上、答弁といたします。

木村は、まず、国が避難区域に指定していない、市が疎開を行う権限はないと答えた。さらに、疎開は、子どもや保護者にストレスをあたえるとした。加えて、放射線量が低下傾向にあるとも述べた。その上で、木村は、教育の原点は家庭である、家庭や、なれ親しんだ地域・教師・友人などのところに子どもが戻れるように、除染などに努力すると述べたのである。

結局、駒崎と木村の論戦は、平行線のままだった。

○大内嘉明議長 駒崎ゆき子議員の再々質問を許します。駒崎ゆき子議員。
    〔1番 駒崎ゆき子議員 登台〕
◆駒崎ゆき子議員 再々質問をいたします。
 確かに教育長のおっしゃるとおりストレスがとても大変なんです。でも、それを防ぐには行政が主導していく避難だと思うのです。そこなので、もう少し考えていただきたいと思います。---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------ぜひ今回のこの子どもたちを救うという目的から、公的な避難や疎開をぜひご検討いただきたいと思いますので、市長にお答えいただきたいと思います。
○大内嘉明議長 当局の答弁を求めます。木村教育長。
◎木村孝雄教育長 再々質問にお答えいたします。
 さらに疎開について具体的に考えていけないのかという質問でございますが、先ほどもお答えいたしましたように、今、実現可能な方策を一つ一つプライオリティをつけながら、行政の責任、大人の責任で精いっぱい取り組んでまいります。
 子どもの10年先、20年先の健康リスクはだれも予想できない、それだけは認識しております。そういう意味で、これからも実現可能な方策を順次取り組んでまいりますが、なお、9月28日現在で60名以上の生徒が戻ってきております。再転入してきており、その人数が増加傾向にあります。いろいろな多くの問い合わせがございます。
 再転入の主な理由を、ほとんどの保護者からアンケートをとりました。
 第1点目は、放射線量が下がり、学習環境が改善されたため。それが1番多かった。
 第2点目に多かったのは、郡山市の教育や取り巻く環境がすぐれていると認識したため。これは2番目に多かったです。
 3点目が、他地域での学習や居住に不都合があった。
 4点目が、災害復興が進み、生活環境が整ったなどであります。
 また、2学期になり、郡山に避難している方からの情報を受けて、県内外から新たに9月だけで7避難家族が市内に転入してきております。
 そういうものをしっかり受けとめながら、今後可能な限り子どもたちの安全を、命を守ることを最優先に努力してまいります。
 以上、答弁といたします。

駒崎は、ストレスを防ぐためには行政主導の避難をすべきだとする。しかし、木村は、すでに子どもたちは戻ってきている、他地域では不便であり、郡山市の教育環境が優れていることが再認識させられたのだと述べているのである。

私個人の意見をいえば、駒崎の意見に近いといえる。低放射線量の健康への影響は、確かに実証されていないのだが、影響がないともいえない。それゆえ、日常において、例えばレントゲン診断の時など低線量といえども照射される際は、なんらかの放射線防護を行っている。郡山市の多くの地点が放射線管理区画なみであるならば、妊婦・子どもだけでも特別な措置が必要ではなかろうかとも考えるのである。

ただ、木村孝雄教育長の言葉についても、多少考えてみよう。避難などについては国の基準以上は必要ないという主張については、中央追随ではないかとみられるのはしかたがないだろう。しかし、たぶん、それだけではないとも思う。

木村は、避難している子どもたちにつき、ストレスを懸念しているといえる。目に見えない放射線による被害よりも、確かに目に見える避難によるストレスのほうを心配しているのだ。ある意味では、放射線被曝の影響を軽視しているといえる。それゆえ、駒崎などからの批判は免れえないのであるが、木村の正当性の根拠となるのが、低線量被曝による健康被害が実証されていないということを前提にした、国の避難基準なのである。

その上で、木村は、避難している子どもたちが郡山市に戻ってきてほしいと願っているといえる。木村によれば、避難しているストレスによる被害の方が、放射線被曝の害よりも大きいのだ。ふるさとに戻るということが、木村のいう教育の原点である家庭に戻るということでもあるとしている。彼にとっては、目に見えない放射線被曝による健康被害を恐れて、市が積極的に妊婦・子どものふるさとや家庭からの離脱を意味する避難を勧奨するということは、たぶんに理解できないことなのであろう。

もちろん、木村も、放射線被曝を防ぐ措置が全く無用としているわけではない。彼にとっても、除染は必要な課題なのだ。しかし、彼にとって、放射線被曝のリスクは、避難時のストレスのリスクよりも小さいのであり、除染による放射線被曝のリスクの低減は、実質的なものというよりも、避難している子どもたちを呼びかえらせるという意味で心理的なものでもよいのではなかったのかとも考えるのである。

現時点で、あまり一方的なことはいえない。とりあえず、2011年9月の時点において、郡山の地域社会は、放射線被曝の害を懸念して子どもたちを避難させるか、避難している子どもたちのストレスを懸念して、除染などにより呼びかえらすことを指向するかというジレンマをかかえていたことを、ここでは確認しておこう。そして、その場合、チェルノブイリ事故の経験を重くみるか、国の基準を信奉するかということも問題になっていたことを忘れてはならないだろう。

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一昨日(2011年12月31日)、例年のごとくNHKは紅白歌合戦を生放送で放映した。東日本大震災があった2011年という年をNHKがどのようにしめくくるのかということに興味があって、すこし注意深くみることにした。なお、ここで、紅白歌合戦で歌われた歌について、多少批判的なことを書くかもしれないが、その歌や歌っていた歌手を批判するつもりではなく、NHKの紅白歌合戦に対する姿勢を表明している材料として検討していることをまず申し述べておく。それでも、それぞれの歌手のファンには不快の念を与えるかもしれない。前もってお詫びしておく。

今年のテーマは「あしたを歌おう」ということがテーマになっていた。善意でいえば、NHKは「希望」で東日本大震災のあった2011年をしめくくりたいらしいのである。そして、それが、良くも悪くも、紅白歌合戦全体のコンセプトになっていたようである。

まずは、冒頭に、「なでしこジャパン」が登場してきた。別に彼女たちに文句はない。確かに、日本社会に「希望」を与えたことも確かであろう。しかし、彼女たちの「希望」は、震災・津波・原発事故における「苦悩」を背景にしていたがゆえに輝いたのではないか。ある意味では、「明暗」の「明」しかみようとしていないように思えた。

後、大体、そんな調子で進んだ。震災や津波の被災が語られることはあまりなく、語られるとしても「希望」の前提としてみられているようである。例えば、紅組司会井上真央が、3.11当日に誕生した子どもたちを紹介していたが、それこそ、「被災」という現実よりも「明日の希望」に焦点をあてた事例といえよう。

特に、福島第一原発事故については、ほとんどふれられることがなかった。長淵剛の「ひとつ」という歌の紹介で、長淵が原発事故より避難した子どもを鹿児島に招待したということが語られていた。福島出身の人が他にも出ていたので、全く言及されていないとは思えないのだが、印象に残ったのはそれくらいだ。

全く、NHKが被災地を無視していたわけではない。被災地復興のための「応援ソング」というものもかなり多く見受けられた。例えば、福島県出身のグループ猪苗代湖ズが歌った「I love you and I need you ふくしま」などがその一つである。この歌については、賛否両論があることは承知している。とりあえず、紹介しておこう。

この歌の中では、このように福島は歌われている。

I love you,baby 浜通り
I need you,baby 中通り
I want you,baby 会津地方 福島が好き

少し調べてみて、この歌の成立は、3.11以前だったようであることを知った。それならいたしかたないのだが…。ただ、この歌詞を聞いた時の感想では、この三つの地域を同列に扱ってよいのかと思った。ただ、それは、この歌を採用したNHKの方の問題であろう。全体でいえば、「希望」を際立たせたいという、NHK側のもくろみがよく現れていると思う。すべての「応援ソング」を注意深く聞いていたわけではないのだが、いわゆる「応援ソング」はこのようなかたちで「希望」が歌われていたように思われた。

「東北」や「ふるさと」を扱った歌も多かった。ただ、郷愁の中で歌われる「東北」「ふるさと」と、現実の東北の津波・原発被災地とはかなり距離があるのではなかろうか。千昌夫「北国の春」や北島三郎「帰ろかな」では、「ふるさとに帰ろうかな」と歌われていた。しかし、帰ることができる「ふるさと」は、実在するのか。千や北島が悪いわけではないのだが。

「短期的にでも元気づける」というならば、むしろ、現実の苦悩を一時でも忘れさせ、相対化させるようなもののほうがよいのではなかろうか。津波被災地の石巻市の夏祭りで、例年にはないディズニーのパレードがでて、石巻の人びとが喜んでいる映像をみたことがある。今回の紅白でも、ミッキーが出演していた。KARAや少女時代が出演していたのも、そのようなねらいなのかもしれない。しかし、ミッキーの出演には問題がなかったが、KARAや少女時代などの「韓流」の出演については、右翼的な人びとの抗議デモを招いたのである。

さらに、どうしても「希望」を語りたいのであれば、その底流にある「苦悩」にもっと光をあてなくてはならないのではなかろうか。紅白の中で、徳永英明が、中島みゆきの「時代」をカバーして歌っていたが、その点からみれば評価できると思った。歌詞を一部紹介しておこう。

今はこんなに 悲しくて
涙も 枯れ果てて
もう 二度と 笑顔には
なれそうも ないけど

そんな時代も あったねと
いつか話せる 日がくるわ
あんな時代も あったねと
きっと笑って 話せるわ
だから今日は くよくよしないで
今日の風に 吹かれましょう

まわる まわるよ 時代は回る
喜び悲しみ くり返し
今日は別れた 恋人たちも
生まれ変わって めぐり逢うよ
(後略)

そんなこんなの、一視聴者の違和感などは、もちろん気にせず、NHK紅白歌合戦は進行していく。そして、いわゆる、ラストは、スマップが歌った。スマップの歌は、「SMAP AID 紅白SP」ということでメドレーである。「AID」とあるので、応援ソングなのだろう。このメドレーの最後をなしているのが、「オリジナル スマイル」なのである。「オリジナル スマイル」の歌詞を一部紹介しておこう。

笑顔抱きしめ 悲しみすべて
街の中から 消してしまえ
晴れわたる空 昇ってゆこうよ
世界中がしあわせになれ!

(中略)
マイナスの事柄(こと)ばかり 考えていると
いいことない 顔つき暗いぜ

笑顔抱きしめ ココロに活力(ちから)
腹の底から笑いとばせ
女神がくれた 最高の贈り物
生まれつきの笑顔に戻れ!
(後略)
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=5299

この歌は、1994年に発売されており、震災とはもちろん関係がなくつくられた。歌っているスマップにも、別に、他意はない。しかし、やはり、この歌をラストにもってきたNHKの意図は、やはり「希望」を強調しようという意識なのであろう。だが、この歌を聞いていると、笑えば何でも解決できるように聞こえるのだ。

もちろん、笑うことも必要だ。しかし、今、笑っているだけで、何が解決するのか。笑っててはすまない問題もあろう。怒ることも悲しむことも、また必要なのではなかろうか。

「希望」は重要である。しかし、「苦悩」が先行していることが、あまりにも紅白歌合戦では軽く扱われているように思えた。

確かに、紅白歌合戦なんて、日本という国民国家でその年流行した歌を確認することによって、日本国民というアイデンティティを確認する国民国家の国民統合の装置ということができる。しかし、これは何だろうか。家族・友人・家・財産・故郷を失い、仮設住宅の中でようやくテレビを見ている人びとも「国民」の中にはいるはずだ。国民統合の装置であるはずが、「国民分断」の象徴のように思えてならないのだ。「共苦」という姿勢がかけたまま、「希望」だけが強調されていたのが今回の紅白だったと思う。

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