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Archive for 2012年5月

5月28日に行われた、菅直人前首相に聴取した国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)第16回委員会の記録映像を、昨日(5月29日)に見た。ほぼ3時間近い映像であり、なかなか見るのも大変であった。ご興味のある方は、下記の映像をみてほしい。

http://www.ustream.tv/embed/recorded/22911577
http://www.ustream.tv/recorded/22911577

この日の国会事故調については、各紙がネット配信している。例えば、毎日新聞は、次のような記事を配信している。

国会事故調:菅氏「国の想定不十分」 責任者として陳謝
毎日新聞 2012年05月28日 21時23分(最終更新 05月28日 23時36分

 東京電力福島第1原発事故を検証する国会の事故調査委員会(国会事故調、黒川清委員長)は28日、菅直人前首相を参考人として招致した。菅氏は原発事故を想定した政府の危機管理体制について「原子力災害対策特別措置法はシビアアクシデント(過酷事故)に対応できていなかった。事故想定が不十分だった」と不備を指摘。「事故は国策で続けられた原発によって引き起こされた。最大の責任は国にある。国の責任者として事故を止められなかったことを改めておわびする」と陳謝した。

 聴取は参院議員会館の講堂で、予定の2時間を約50分オーバーして行われた。これまでも政府や民間の事故調が菅氏の聴取を非公開で行っているが、公開の聴取は初めて。

 菅氏は首相の立場を超えて事故対応の細部に口を出したとして「過剰介入」との批判を受けているが、聴取では「原災法は地震と原発事故は別々に起きると想定している。想定が極めて不十分だったため、やらざるを得ず、いろいろやった。それが本来の姿とは思っていない」と説明。政府・東電事故対策統合本部の設置など超法規的な対応をとったことへの理解を求めた。
http://mainichi.jp/select/news/20120529k0000m010066000c.html/blockquote>

しかし、実際にこの委員会の記録映像をみた感じはだいぶ違う。菅前首相は、まず、東日本大震災と福島第一原発事故で亡くなった人びと、被災された人びとに対する悔やみと見舞いを述べた後、このように語った。

特に、原発事故は国策として続けられてきた原発によって引き起こされたものであり、最大の責務は国にある。この事故が発生したときの国の責任者として、事故を止められなかったことを改めて心からおわびを申し上げたい。
(朝日新聞朝刊2012年5月29日号 なお、同紙による概要報道は、筆耕されている部分は比較的正確だが、議論は事項別にまとめられていて話された順番に即しておらず、省略も多い。その点は注意しなくてはならない)

そして、桜井正史委員の、首相就任以前、原発をどのように認識していたかという質問に、このように答えた。

私も長く市民運動をしていて、仲間の中には原発について強い疑念を持っていた人も数多くいた。原子力は過渡的なエネルギーという位置づけをし、「ある段階まで来たら脱却」ということも当時私が属していた政党では主張していた時期もある。
私自身、民主党の政策を固める中で、安全性をしっかりと確認するという前提の中で原子力を活用することはあってもいいのではないかと、考え方をやや柔軟にし、許容する方に変わった。「3.11」を経験して、考え方を緩和したことが結果としては正しくなかったと、現在は思っている。
(朝日新聞朝刊2012年5月29日号)

菅は、民主党結成以前は原発に批判的な見解をもっていたが、民主党の政策をまとめるにあたって、容認するようにかわった、それが間違いだったと言っているのである。

委員会の全体の論議としては、次のようにいえるであろう。聴取に中心的にあたったのは、元名古屋高検検事長桜井正史と中央大学法科大学院教授野村修也であった。特に、野村は弁護士でもあり、自民党政権においては、金融庁顧問、経済財政諮問会議専門委員、厚生労働省調査委員をつとめ、現在は橋下徹大阪市長によって大阪市特別顧問に任命されている。このような人物を委員にすえていていいのかと思ったりもする。とりあえず、法曹二人が聴取したということになる。彼らの論点は、原子力災害法などで規定されている権限をこえて菅首相は影響力を行使したのではないか、そして、その際、原子力安全・保安院、原子力安全委員会、東京電力、原子力委員会などの意向を無視したのではないか、そのことで現場に混乱を招いたのではないかということである。福島第一原発への視察しかり、海水注入しかり、内閣官房参与任命しかり、米国の技術援助拒絶しかりである。これは、自民党などの菅批判と論理は一致している。自民党は、このような菅批判の上に、新設される原子力規制庁では、首相の指示権を限定する独立委員会体制を主張している。

他方、菅は、福島第一原発事故という緊急時においては、平時を前提としている原子力災害法などの制度はほとんど機能していなかったことを強調した。原子力災害法では、オフサイト(原発敷地外)は現地にある原子力安全・保安院のオフサイトセンター、原発敷地内は電気事業者=東電が管轄することになっているが、オフサイトセンターは機能せず、また官邸に派遣された原子力安全・保安院や東電の代表者は何を聞いても「わからない」と答え、まったく情報があがってこなかったという。その意味で、菅としては、法的根拠はないと了解しつつ、首相の指導力を発動せざるをえなかったと釈明している。

特に、菅前首相と国会事故調委員たちの見解が対立したのは、全面撤退問題の際、菅が東電幹部を「叱責」したとされる点である。菅によれば、3月15日午前3時頃、海江田経産相を通じて東電社長清水正孝より、福島第一原発から職員を全面撤退することが申し入れられたという。菅は、それは「とんでもないことだ」と感じ、清水社長に「撤退はありませんよ」と通告し、清水は「はい、わかりました」と答えたという。

その後、菅は、原発事故対策体制のあり方に不安を感じ、東電本店に、自身を本部長とする福島原子力事故対策統合本部を15日朝に設置し、一元的な体制としたという。菅自身は、そのことによってようやく安定した対策をとれるようになったとしている。

菅の東電本店で東電幹部を「叱責」したということは、統合本部の設置時に起きたことである。当時の朝日新聞朝刊(2011年3月16日号)には、次のように報道されている。

15日午前5時すぎ、首相は東京・内幸町の東京電力本社で、居並ぶ東電側の面々を前に罵声を浴びせた。「撤退などあり得ない。覚悟を決めてください。撤退した時は東電は100%つぶれます」
「首相が東電を怒鳴っている場合じゃない」(与党幹部)との批判を覚悟で、なぜ首相は東電に乗り込み、唐突に「撤退」という言葉を使って激高したのか。伏線があった。首相の元にはある閣僚経由で「東電側が福島第一原発からの社員引きあげを検討している」との情報が寄せられていたのだ。首相は先手を打ってクギを刺したのだった。
首相周辺は「東電にすべてを任せていたら、勝手に作業を打ち切ってしまいかねない。それを防ぐには政府が乗り込むしかない」。このため、首相は政府と東電が一体となって危機管理にあたる「福島原子力発電所事故対策統合本部」を東電本社内に設置し、自らが本部長に就任した。

現在、菅の言っていることも、大体同じようなことである。彼自身も、平時において、民間会社に乗り込んで、首相が直接指揮するということがありえないことは認めている。緊急時においての措置であるというのである。そして、この発言は、東電幹部に対してのものである、「叱責」する意味はなかった、自身も東電の社長も会長も老齢であり、そういう人間こそ現場に出てかんばるべきだと述べたのだと事故調では述べた。

これに対して、国会事故調の委員たちは、このようにいう。この「叱責」は、東電本店のオペレーションセンターで行われ、福島第一原子力発電所にも中継され、現場の作業員たちを傷つけたと。委員である大熊町商工会長の蜂須賀礼子は、避難所から福島第一原発に赴く人たちは、「戦争でもないのにおれたち国のためにがんばってくるよ」と述べ、避難所に残された人たちは「原発がこれ以上悪さをさせないように、がんばってくください」と言ったとして、この人たちこそ、福島第一原発事故に真に対応したのだ、その人たちにひと言ないのかと菅に問いかけた。

心情はわからないではないのだが…。菅は「東電幹部」の対応を問題にしているのであって、彼自身が認めているように、現場作業員のあり方を問題にしているわけではない。例えば、脱原発デモでも、東電批判はもちろんあるが、現場作業員批判を意図しているわけではない。問題がすりかえられていると感じる。

菅にしても、原子力安全委員会・東電・原子力安全・保安院を批判しつつも、避難範囲などを決める際には、彼らの意見にしたがったとしている。その意味で、責任転嫁がないわけではないといえる。しかし、東電は、幹部批判の言説を現場作業員への批判に意味を拡張し、心情的に菅を批判しているのであり、より問題であるといえる。

しかも、黒川清委員長によると、菅が叱責したされる場面だけが東電の提出した映像にはないそうである。菅自身は、そのような映像を公開してもかまわないといっているのだが。そして、もう一方の当事者である清水正孝は、証言に応じていないのである。

国会事故調の発想においては、福島第一原発事故の原因は、菅前首相の不適切で法外な指導にあるということになるだろう。そして、事故対応は、東電・原子力安全委員会・原子力安全・保安院にまかせるべきであったということになるだろう。もちろん、菅前首相の指示が当を得たものであったということはできない。しかし、推進派で安全対策を軽視していた、いわゆる原子力ムラの人びとに任せていて、事態が適切に処理されたと信じ難いのである。

そして、最後に、菅前首相は、このように述べている。

私は3月11日までは安全性を確認し、原発を活用する立場で首相としても活動した。しかし、この原発事故を体験する中で、根本的に考え方を改めた。今回の福島原発事故は、我が国全体のある意味で病根を照らし出したと認識している。
戦前、軍部が政治の実権を掌握した。東電と電事連(電気事業連合会)を中心とする「原子力ムラ」が私には重なって見えた。東電と電事連を中心に原子力行政の実権を、この40年間、次第に掌握し、批判的な専門家や政治家、官僚は村八分にされ、多くの関係者は自己保身とことなかれ主義に陥って、それを眺めていた。私自身の反省を含めて申し上げている。
現在、「原子力ムラ」は今回の事故に対する深刻な反省もしないまま、原子力行政の実権をさらに握り続けようとしている。戦前の軍部にも似た、原子力ムラの組織的構造、社会心理的構造を徹底的に解明して、解体することが原子力行政の抜本改革の第一歩だ。原子力規制組織として原子力規制委員会をつくるとき、アメリカやヨーロッパの原子力規制の経験者である外国の方を招請するのも、ムラ社会を壊す上で一つの大きな手法ではないか。
最悪の場合、首都圏3千万人の避難が必要となり、国家の機能が崩壊しかねなかった。今回の事故を体験して、最も安全な原発は原発に依存しないこと、脱原発の実現だと確信した。
(朝日新聞朝刊2012年5月29日号)

菅善首相は、自分でも認めているように責任は免れない。結果からみれば、菅前首相を許せないという人びとは多いだろう。どのツラさげて、こんなことをいうのかという人もあるだろう。

しかし、最後に引用した部分は、菅個人をこえた形で考えていくべきことだと思う。特に、「批判的な専門家や政治家、官僚は村八分にされ、多くの関係者は自己保身とことなかれ主義に陥って、それを眺めていた。私自身の反省を含めて申し上げている。」は、彼が首相をやめざるをえなかった経験からの意見でもある。そして、このような菅の挫折経験のもとに、現在の野田政権の原発推進があるといえるのだ。

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さて、報道により、5月14日、おおい町議会が大飯原発再稼働に同意する決定を行った。おおい町議会のサイトに、その同意書が掲載されている。あまり、この文章の中身は紹介されていないので、ここで掲載しておく。

平成24年5月14日

原子力発電所3、4号機再起動の同意判断に関する見解

おおい町議会は4大臣会合における「大飯原子力発電所3、4号機の再起動判断」の説明で言及のあった、福島事故の知見を反映した再起動判断基準に整合した安全性の確認と、安全性に上限を設けず継続的に追及する姿勢、および原子力発電の必要性について概ね理解し、住民意見の集約に加え、電力消費地の生活や経済に及ぼす影響を考慮の上、同意することとしました。
今後、地元の判断はそれぞれの機関において検討され、再起動の最終決定は政府の責任においてなされるものと認識していますが、その重大性と権限を超える議論も視野に入れた判断を強いられたことに加え、政府の姿勢を含め、不確定要素が存在する状況での議論であったことから、原子力政策の一元的管理責任を担う政府の誠意ある継続的な対応を促すよう要請いたします。
尚、議会での議論の経過とその主な内容について述べます。
議会では「原発問題に関する統一見解」を基にした「福島事故後の大飯原発に関する決議」により政府に対して安全確保と経済・財1政に関する要請を行いました。その結果、現行法令上の規制要求を超える安全基準をもって安全の確保がされました。しかしながら安全の確保は、常に新たな知見を反映した安全性の追求が必要となります。よって、政府においては、関係規制法の改正や原子力規制庁の発足を待つことなく常時、安全性の向上に努められるべきであります。その上でできるだけ迅速な規制庁の発足が望まれます。
加えて、稼働停止中の地域経済や雇用に対する救済措置については具体的な対策が必要です。
さらに、福島原発事故を契機に原子力政策の根幹に何らかの変更をきたすことが推測されます。エネルギー基本計画の見直しによって地域づくりのよりどころとしてきた立地自治体の将来展望に少なからず影響を及ぼす可能性があります。我々も自治体経営の自己責任と自助努力の必要性を再認識すると同時に、政府においても国策に則って日本経済を支えてきた立地自治体の将来に対して責任ある対応が示されるべきであります。
また、一連の国民的議論や報道内容において一般世論が立地自治体の実情と遊離している状況が散見されます。すなわち、日本経済の発展にとって必要不可欠であった人口密集地には建設できない原子力発電所の誘致をもって社会に貢献し、地域づくりの根幹とせざるを得なかった立地自治体の苦悩と実情が広く国民に理解されていない現実があります。
その背景には社会基盤整備をはじめ、拡大する地域間格差を解消するために産業基盤の脆弱な過疎の地域である、小規模自治体の現実と課題に真摯に向き合うことを避けてきた政治の仕組みが存在します。
原子力防災に関連して一例をあげれば、部分的な災害制圧道路や避難道路の整備計画が推進されつつあるものの、周辺自治体を含め、広く嶺南地域において道路網をはじめとする社会基盤整備の遅れが存在し、県内地域間格差が存在しています。防災機能の向上は総合的な社会基盤の整備状況によって大きく影響を受けます。均衡ある整備に向けた姿勢も今一度見直されるべきであります。
また、安全を第一とする原子力政策について市場原理主義を基軸とする企業活動に担わせてきたことが、過酷事故が発生した一因であり、今後改善されるべき点であると考えられます。
しかしながら、政府の責任において電力需給と日本経済への懸念から再起動の必要性が判断されました。
おおい町の地域経済や、雇用については長期稼働停止によって既に大きな影響を受けている現状にあり、いまだ対策が講じられていないこととの不合理性は存在するものの、議会報告会における住民意見や町民説明会において出された意見、日頃より地域住民から聞き得た切実な思いや目の当たりにする生活の実情などを総合的に判断すると、大飯原発が必要とされる期間、立場の違いを超えて、存在する個々の原発の安全確保を最優先とする政府の求心力発揮に期待し、一元管理責任のたゆまぬ遂行をもって再起動に同意いたします。
ww.town.ohi.fukui.jp/sypher/open_imgs/info//0000000052_0000003733.pdf

まず、この同意書で注目されることは、原発再稼働の決定自体は政府が行うこととしていることである。そして、おおい町議会としては、「その重大性と権限を超える議論も視野に入れた判断が強いられた」として、自身の権限を超えた判断が無理強いされたとしている。おおい町議会としては、原発再稼働の責任をとりたくないのである。故に、原発再稼働の責任は政府にあることを再三強調している。

さらに、「政府においても国策に則って日本経済を支えてきた立地自治体の将来に対して責任ある対応が示されるべきであります。」と、原発受け入れは「国策」にしたがって日本経済のささえる営為であったとしている。その上で、「また、一連の国民的議論や報道内容において一般世論が立地自治体の実情と遊離している状況が散見されます。すなわち、日本経済の発展にとって必要不可欠であった人口密集地には建設できない原子力発電所の誘致をもって社会に貢献し、地域づくりの根幹とせざるを得なかった立地自治体の苦悩と実情が広く国民に理解されていない現実があります。」と述べている。人口密集地に設置できない最大の理由は、本ブログで述べてきたように原発事故の危険性を考慮してのことなのであると私は判断しているが、それをわざわざ誘致して社会に貢献し、地域づくりの根幹にしてきた、その苦悩や実情が一般国民には理解されていないというのである。

そして、「その背景には社会基盤整備をはじめ、拡大する地域間格差を解消するために産業基盤の脆弱な過疎の地域である、小規模自治体の現実と課題に真摯に向き合うことを避けてきた政治の仕組みが存在します。」と主張する。過疎地解消に向き合ってこなかった政治のしくみがあるから、原発を誘致し、依存しなければならなかったというのである。

ここには、「国」に対して、奇妙なねじれがあろう。一方で、地域間格差を放置してきた「政治のしくみ」があり、そのために「過疎地」たらざるを得なかったことへの怨嗟がそこにある。しかし、他方で、人口密集地に建設できない原発を受け入れることで、国策に則って日本経済の成長に貢献したという自負の念がある。しかし、その「自負」が一般国民には理解されていないと嘆いているのである。これは、もちろん、「脱原発」の世論やそれに依拠した関西圏の首長たちの行動をさしている。

原発に対する利益ーリターンは考慮されているだろう。しかし、ここでは、それが主眼ではなく、原発建設は国策であり、それを受け入れていることで、地域発展をはかっているという論理が中心となっている。ゆえに、一切の原発政策ー安全対策、再稼働、稼働停止中の雇用などーの責任は、政府がとるべきであり、おおい町議会は権限においてもとりようがないということになる。彼らの立場からすれば、無理からぬところがあろう。

それに対して、野田首相は、このように対応した。時事通信のネット配信記事をみてほしい。

地元議会の同意重い=大飯原発再稼働―野田首相
時事通信 5月24日(木)10時49分配信
 野田佳彦首相は24日午前の衆院社会保障と税の一体改革特別委員会で、関西電力大飯原発3、4号機がある福井県おおい町の町議会が再稼働に同意したことについて「大変重たい事実だ」と強調した。
 政府の判断時期に関しては「真夏になってからの判断では企業もいろいろ準備があるし、国民も心の準備がある。福井県の考えをよく聞き、周辺自治体にもしっかり説明していきながら、しかるべきときに判断したい」と語った。自民党の橘慶一郎氏への答弁。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120524-00000054-jij-pol

この言い方であると、おおい町議会の同意が再稼働決定において「重たい事実」として作用するということである。おおい町議会の言い方は、国策だから引受けるが、その決定責任まで背負い込まされるのはいやだということである。原発再稼働において、地元自治体の同意は、必要条件であるが、十分条件ではないとしているのである。他方、野田は、地元自治体の同意を「重たい事実」として、原発再稼働の正当化の要因としているのである。その意味で、野田首相の発言は、おおい町議会の意図ととも食い違っているのである。

そして、おおい町と同様の立場にある、福井県知事は、野田首相のこのような姿勢を批判した。次の毎日新聞ネット配信記事をみてほしい。

大飯原発:再稼働問題 「首相が国民に意思を」 知事、対応に懸念--会見 /福井
毎日新聞 5月25日(金)15時49分配信
 関西電力大飯原発3、4号機(おおい町)の再稼働問題を巡り、野田佳彦首相に前面に立って対応するよう求めている西川一誠知事は24日の定例記者会見でも、「すべての国民、メディアに向かって、はっきり発言すべき」と求めた。【佐藤慶、橘建吾】
 西川知事は今月10日、松下忠洋副内閣相と会談し、「首相が先頭に立って対応する必要がある」と注文するなど、首相にリーダーシップの発揮を求めている。24日の会見では、政府の明確な意思表示がないために「(関西広域連合の)理解が及ばないんじゃないか」と指摘。原発の安全性を審議している県原子力安全専門委員会についても、「政府がはっきりした姿勢を示さないと、大本に返る恐れがある」と、再稼働へのプロセスが逆戻りする懸念まで示した。
 首相がどのように意思表示すればいいか問われると、「国民に向かって原子力の必要性や国益上どうだとか、安全をどう強化したかについておっしゃることだ」と説明した。
 一方、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉もんじゅ(敦賀市)の将来の研究開発の進め方を巡り、文部科学省が廃炉を含めた選択肢を示したことについては、「もんじゅについてはこれまでも核燃料サイクルにおける中核的な位置付けがあるので、エネルギーの安全保障など大局的な観点から十分慎重に審議してもらいたい」と要望。北陸新幹線金沢-敦賀間の着工認可については、「だらだらと遅くならないように期待する」と早期の認可を求め、敦賀以西に導入が検討されているフリーゲージトレイン(軌間可変電車)については、「技術が完全には確立されていない。雪が降り、気候が激変する福井での安全性が課題だ」と指摘した。

5月25日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120525-00000269-mailo-l18

このように、おおい町や福井県は、国策だから原発を受け入れるという論理をもとに原発再稼働への合意をはかろうとしている。そして、その論理で、再稼働に反対している他の自治体を説得し、世論もその方向で統一してほしいと主張している。しかし、むしろ野田首相は、彼らの同意こそが原発再稼働を正当化する論理にしようとしているといえる。ある意味では、双方とも原発再稼働に根本的には賛成なのであるが、脱原発世論の前に、互いに責任を押し付け合っているといえる。

このおおい町議会の同意書は、「国策であるから原発を受け入れる」という論理を示している点で、注目されるものといえよう。しかし、それだけではなく、その論理の矛盾もみてとることができるといえる。

なお、まだ、おおい町としての同意決定はされていない。おおい町長によると、福井県原子力安全専門委員会などの動向をみて、月内に決定するのは難しいのではないかとしている。福井県全体の動向も含めて、今後注目される。

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2011年の上半期、「魔法少女まどか☆マギカ」(全12回)というアニメーションが放映された。この「魔法少女まどか☆マギカ」の終わりの方の放映は、東日本大震災の影響で一時停止され、4月に未放映分がまとめて放映された。第16回アニメーション神戸賞作品賞・テレビ部門、第15回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞など、2011年のアニメ関係の賞を多く受賞し、2011年を代表するアニメの一つとなった。アニメについては、次のサイトやウィキペディアの記述を参考にしてほしい。

http://www.madoka-magica.com/

このアニメは、そもそも企画は2008年より開始され、放映も予定では2011年1〜3月となっており、東日本大震災や福島第一原発事故とは直接関係なく制作されている。しかし、今、この時点で、このアニメを見てみると、まるで、原発事故を予兆させているかのような思いにかられる。

多少ネタバレになるかもしれないが、このアニメについて簡単に説明しておこう。このアニメは、ただ一つの願いを叶えたことと交換に「魔法少女」となり、過酷な運命を背負うことになった女子中学生たちの物語である。彼女らは、普通では全く叶えられないような「奇跡」(瀕死の状態から蘇生するとか、神経が切断されている手足を動かすとか)を叶えてもらうことを代償として、エイリアンであるインキュベーター(キュウべぇと愛称され、ネコとウサギをあわせたようなマスコットキャラの装いを有している)と契約して「魔法少女」となり、社会に呪いをまきらして、自殺・殺人を蔓延させる「魔女」と闘わされていく。

これだけ聞くと、まさに「正義の味方」の話に聞こえるだろう。

しかし、この「願い」と「魔法少女として戦闘すること」の交換は、フェイクなものでしかなかった。「魔法少女」は「魔女」との戦いで「魔力」を消耗し、さらに自分の過酷な運命を自覚して、次第に絶望していく。そして、臨界点を越すと、「魔法少女」は「魔女」となり、社会を絶望して、今度は自らの呪いをまきちらすことになるのだ。そして、再度、「魔法少女」が新しく登場し、「魔女」を退治していく。つまり、「願い」と「魔法少女として戦闘すること」の交換は、まったく、うわべだけであり、実は、「魔法少女」ー「魔女」というサイクルが作り出すことに眼目があるのだ。

なぜ、こんなことをしているのであろうか。インキュベーター(キュウベエ)は、宇宙全体はエントロピーの増大によりエネルギーが減少しており、それを補填するために熱力学の法則にしばられないエネルギー源を求めてきたと述べている。そして、自らの文明は、知的生命体の感情をエネルギーに変換するテクノロジーを開発したが、自らの文明では、感情を持ち合わせなくなっていた。そこで、人類、特に第二次性徴期の少女に感情エネルギーの供給を求めた。インキュベーターは、このように言っている。

人類の個体数と繁殖力を鑑みればー一人の人間が生み出す感情エネルギーは、その個体が誕生し成長するまでに要したエネルギーを凌駕する。君たちの魂は、エントロピーを覆すエネルギー源たり得るんだよ。とりわけ最も効率がいいのは、第二次性徴期の少女の、希望と絶望の相転移だ。( Magica Quartet『小説魔法少女まどか☆マギカ』(2012年)p329)

そして、インキュベーターは「つまり、すべては、この宇宙を延ばすためなんだ」(同書p329)と誇らしげに言い、主人公のまどかに、

いつかキミは、最高の魔法少女となり、そして、最悪の魔女になるだろう…そのとき、僕らはかつてないほど大量のエネルギーを手に入れるはずだ。この宇宙のために死んでくれる気になったらーいつでも声をかけて(同書p331)

と言い放つ。

そして、インキュベーターは、インキュベーターと人類が歩んできた歴史をまどかに垣間みさせる。

数え切れないほど大勢の少女がインキュベーターと契約し、希望を叶え、そして絶望に身を委ねていった…祈りから始まり、呪いで終わるーこれは数多の魔法少女たちが繰り返してきたサイクルだ。中には歴史に転機をもたらし、社会を新しいステージへと導いた子もいた。(本書p449−450)

まどかは「みんな……みんなあなたたちを信じていたの? 信じていたのに裏切られたの?」(本書p450)と問いかけるが、インキュベーターは、次のように答える。

彼女たちを裏切ったのは、僕たちではなくーむしろ、自分自身の祈りだよ…どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の摂理だ。そんな当たり前の結末を裏切りだというなら、そもそも願い事なんてすること自体が間違いなのさ。…まあー愚かにとは言わないよ。…彼女たちの犠牲によって、人の歴史が紡がれてきたこともまた事実だしね。…そうやって過去に流されたすべての涙を礎にして、今の君たちの暮らしを成り立っているんだよ? それを正しく認識するなら、どうして今さら、たかだか数人の運命だけを特別視できるんだい?(本書p450−451)

まどかが「あなたたちが、もしもこの星に来てなかったら…」と問うと、インキュベーターは「それは決まってるさ…君たちは今でもー裸で洞穴に住んでたんじゃないかな」(本書p453)と即座に答えている。

さらに、「魔法少女」ー「魔女」というシステムは、代償をもとに「魔法少女」ー「魔女」となった当事者や、周辺にいて魔女の「呪い」を受ける者たちだけではなく、より広範囲に被害を及ぼすことになる。このアニメの末尾のほうで、「魔法少女の最悪の強敵」とよばれる「ワルプルギスの夜」という魔女が襲来するが、この魔女については、次のように語られている。

今までの魔女と違って…こいつは結界に隠れて身を守る必要なんてない。ただ一度具現しただけでも何千人という人が犠牲になるわ。相変わらず普通の人には見えないから、被害は、地震とか、竜巻とか、そういった大災害として誤解されるだけ。(本書p460)

実際の来襲は、スーパーセルによる竜巻の襲来のように描かれているが、地域社会全体が水没し、巨大な建造物がなぎ倒されている状況は、まるで津波被災のようである。そして、先ほど紹介した台詞は、東日本大震災を考慮して、放映時には削除されたという。

しかも、「魔女」の被害は、地球規模にもおよぶ。このアニメは、話がループしているが、ある結末で、インキュベーターはこのように語っている。

彼女(まどか…引用者注)は最強の魔法少女として、最大の敵(ワルプルギスの夜…引用者注)を倒してしまったんだ。もちろん後は最悪の魔女になるしかない。今のまどかなら、おそらく10日かそこいらでこの星を壊滅させてしまうんじゃないかな。…ーまぁ、あとは君たち人類の問題だ。僕らのエネルギー回収ノルマは概ね達成できたしね(本書p434)

ここでは、細かなストーリーは紹介しない。それは、アニメなどをみてほしい。

このアニメにおける「魔法少女」ー「魔女」システムは、宇宙全体を存続するという目的のもとに、一部の人間を対価をもとに契約させ、最終的には、その生存を代償として、エネルギーを得るシステムということができる。しかも、それは、最終的に、このシステムは、より広範囲な人びとも犠牲に導き、地球全体を壊滅させるものとして描かれているのだ。

このシステムは、まるで原発システムのようである。原発は、ある意味では、科学の名の下に、社会に無限のエネルギーを供給させることによって、「開発」「雇用」「交付金」というリターンを対価として、地域社会に建設を受け入れさせる。しかし、その際、地域社会が支払うものは、地域社会住民の生存・生活そのものなのだ。そして、原発事故は、地域社会の当事者たちの生存・生活だけでなく、より広範囲の人びとーある場合なら地球規模のー生存を脅かすにいたっている。

このような原発システムとの類似について、脚本家の虚淵玄は、3.11以前から、自認していた。『アニメディア』2011年3月号(2011年2月10日)で、彼は、次のように発言している。

ーもし虚淵さんが、魔法で何か願いを叶えると言われたら、何を願いますか。

いや! ノーサンキューです(きっぱり)。だって…一生電気代をタダにしますと言われて、うんと答えて、その引き換えに自分の家の裏庭に原子炉を置かれたらどうします? つまりは理不尽なモノなんです。理不尽なモノでいい思いをしようという発想が、そもそもおかしいのですよ。

ーそんな力を持つことになった魔法少女たちがかわいそうすぎます…!

「夢のエネルギー」と言われるものも、結局はいろんな対価やリスクがあるんだろうと思います。かつて原子力がそう思われていたようにね。でもだからと言って、危険な力をただ否定し封印してしまうのは、自分は間違いだと思う。折り合いをつける方法がいつかどこかにあるはずだと、探し続ける努力を怠っちゃいけない。道を探ることを止めちゃったら、それまでにあった悲劇や犠牲すら無駄になってします…と思うんです。(本書p29)

そして、『ユリイカ』11月臨時特集号「総特集 魔法少女まどか☆マギカ」(2011年10月31日)において、虚淵の発言が次のように紹介されている。

その後、東日本大震災が発生し、放送延期となっていた最終二話(関東では最終三話)で描かれる廃墟が震災を思わせるものだったことから、『SWITCH』11年7月号のインタビューで「震災以後の視点でこの作品を視ると、どこか今回の原発事故とリンクしているように思えてしまいます」とインタビューに言われ、虚淵は「自分は子供の頃から省エネ馬鹿といいますか、結構ヒステリックに電気を節約したりしていたので、原発云々以前に余剰なエネルギーに対する抵抗感というのは常にあります。(中略)この国はエネルギーの使いどころがおかしいでしょう。もうちょっとエネルギーに関してナーバスになってもいいんじゃないか」と語り、脚本には資源に対する意識が顕在化しているのかもしれないと漏らしている。(本書pp239-240)

東日本大震災による福島第一原発事故は、原発システムのもつ問題性を白日のもとにさらした。しかし、それ以前から、原発システムさらには日本のエネルギー消費のあり方について、懐疑する意識がすでに生まれていたのである。直接関係ないはずの「魔法少女まどか☆マギカ」が、まるで原発システムを描いたようになったのは、とりあえず、その証左であるといえる。そして、そのことも、このアニメが2011年を代表するアニメの一つとして位置づけられる要因の一つになったといえよう。

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さて、このブログの中で、原発を推進してきた双葉町長たちー岩本忠夫や井戸川克隆らーが、 3.11以後、東電への憤懣や原発推進をしてきたことに対する後悔の念を感じていることを紹介してきた。

しかし、福島第一原発事故により離郷せざるをえなかった人たちすべてがそのような認識をもっているわけではない。そのことについては、開沼博氏が「「フクシマ」論』(2011年)で紹介している。開沼氏は、例えば「原発には動いてもらわないと困るんです」(原発労働者家族)などの発言を紹介しつつ、「原発を動かし続けることへの志向は一つの暴力であるが、ただ純粋にそれを止めるを叫び、彼らの生存の基盤を脅かすこともまた暴力になりかねない。(開沼前掲書p372)と述べている。

このような考えを、より自己の責任を明確にして語った人物がいる。楢葉町長(当時)であった草野孝である。草野は、「SAPIO』2011年8月号で、このように述べている。

人口約7700人の福島県双葉郡楢葉町は福島第一原発の南側に位置し、周辺20km内の「警戒区域」にあたる。町内には、原発事故への対応拠点であるJヴィレッジや現在運転停止中の福島第二原発が立地する。町民たちは、県内のいわき市や大沼郡会津美里町での避難生活を余儀なくされている。だが、遠く離れたところから、口先で「脱原発」を叫ぶのは容易い。草野孝・町長(76歳)が切実な事情を語る。
 * * *
――都心などでは「脱原発」「反原発」を掲げるデモ行進も多い。
「遠くにいて“脱原発”なんて言っている人、おかしいと思う。我々は必死に原発と共生して、もちろん我々もその恩恵でいい暮らしをした。だが同時に、東京の人たちに電気を送ってきたわけだ。何十年先の新しいエネルギーの話と、目の前の話は違う。あるものは早く動かして、不足のないように東京に送ればいい。我々地域の感情としてはそうなる」
――とはいえ、第一原発であれだけの事故が起きた。第二原発についても不安は覚える。
「もちろん、津波防御のための工事やチェックは必要だ。国がしっかりと第一原発の教訓を生かしていくべきところ。第二原発は崖と崖の間に位置していて、真っ平らなところにある第一原発とは地理条件が違う。今回の津波の被害も第一より軽微だった。
 そうした違いがあるのに、“脱原発”ばかり。結局“復興”が二の次になってはいないか。双葉郡には、もう第二しかないんだ……。
 正確に放射線量を測り、住民が帰れるところから復興しないと、双葉郡はつぶれてしまう。第二が動けば、5000人からの雇用が出てくる。そうすれば、大熊町(第一原発の1~4号機が立地)の支援だってできる。
 それなのに、国も県も、何の情報も出さないし、相談もしてこない。新聞やテレビのニュースで初めて知ることばかり。町民の不満は限界に近づいている。言ってやりたいよ。“ばが(馬鹿)にすんのもいい加減にしろ”――と」
■聞き手/ジャーナリスト・小泉深
※SAPIO2011年8月3日号
http://www.news-postseven.com/archives/20110724_26396.htmlより引用

草野は、自分たちは原発と共生して、いい暮らしをしてきたとあけすけに語り、その点から、遠くから脱原発を主張することはおかしいと主張する。そして、なるべく早期に警戒区域内でも帰宅可能の場所は住民を戻すべきとし、その住民の雇用を確保するために、福島第二原発の再稼働の必要性を叫んでいるのである。

これは、昨年8月前後の発言である。しかし、今年3月に放映されたNHKのドキュメンタリーの中でも、福島第一原発事故について謝罪に訪れた東電の責任者に対して、福島第二原発の再稼働を直訴していた。

基本的に、草野は、3.11以後においても、「原発との共生」=「いい暮らし」という意識のもとに、他地域の反対派の意見を拒否しつつ、なるべく住民を早期に戻すことを主張し、さらに福島第二原発の再稼働を期待したといえよう。

そして、草野は、2012年2月12日、いわゆる放射能汚染物質の中間貯蔵施設を積極的に楢葉町に受け入れることを主張した。次の読売新聞のネット記事をみてほしい。

中間貯蔵施設、楢葉町長が受け入れ条件伝える

 東京電力福島第一原発事故に伴う放射能で汚染された土壌などを保管する中間貯蔵施設について、福島県楢葉町の草野孝町長が平野復興相に対し、2か所に分けて設置するなど施設受け入れに関する条件を自ら伝えていたことがわかった。

 草野町長によると、12日に平野復興相がいわき市にある町の仮役場を訪れた際、草野町長が「国が現在考えている中間貯蔵施設だけでは規模が足りないのではないか」として、福島第一、第二原発が立地する4町(双葉、大熊、富岡、楢葉町)内の2か所に分けて設置してはどうかと提案した。これに対し、平野復興相は即答を避けたという。

 国は、中間貯蔵施設を原発が立地する双葉郡(8町村)に建設することを県などに要請しているが、郡内の首長で、受け入れについて具体的に言及したのは初めて。草野町長は15日、読売新聞の取材に「楢葉町が受け入れ方針を決めたということではない。早く中間貯蔵施設をつくってほしいという意味で言った」としたうえで、「国から正式に話があれば(受け入れを)検討せざるをえない」と話している。

(2012年2月15日13時56分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120215-OYT1T00499.htm

草野の考えを推察するならば、中間貯蔵施設を早期に設置し、除染活動を本格化して、なるべく早く住民を戻すということであったと思われる。しかし、このことについて、楢葉町議会は3月15日、反対した。次の読売新聞のネット配信記事をみてほしい。

福島県楢葉町議会は15日、東京電力福島第一原発事故で発生した汚染土の中間貯蔵施設について、町内への設置に反対する意見書を全会一致で採択した。

 国は、同町と双葉町、大熊町の3か所に設置することを提案しているが、反対の意見書が採択されたのは初めて。

 意見書では、施設が設置されれば「地域の放射能汚染の危険が拡大し、町のイメージダウンが全国に広まる」などと懸念。「放射線レベルが年100ミリ・シーベルト以上の土地再利用が不可能な汚染地域に設置を」と、町外への設置を求めている。

 草野孝町長は12日の町議会一般質問で、「国にどのような貯蔵をするのかなど、きちんと説明してもらい、議会や住民と相談して結論を出したい」などと答弁している。

(2012年3月15日18時54分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120315-OYT1T00852.htm

草野と町議会は、3.11以前において、それほど隔たった考えを有していたとは思えない。しかし、3.11以後においても、草野は放射能汚染のリスクを軽視し、中間貯蔵施設を積極的に受け入れ、住民を地域に早期に戻し、福島第二原発を再稼働するというプランを考えていたのではないかと思う。しかし、町議会は、そもそも放射能汚染のリスクを軽視してはならないという入り口のところで、町長の方針に異を唱えるようになったといえる。

そして、4月7日に、細野豪志環境相が楢葉町議会に中間貯蔵施設受け入れを要請したが、逆に町議会は反発した。毎日新聞福島地方版のネット記事をみてほしい。4月15日には町長選が予定されていたが、草野不出馬の町長選の二人の候補者はともに町議会議員の出身で、ニュアンスの違いはあったが、中間貯蔵施設建設に反対することを表明するようになった。

東日本大震災:中間貯蔵施設、環境相が楢葉町議に説明 批判、疑問相次ぐ /福島
毎日新聞 2012年04月08日 地方版

 「なぜ、この時期に中間貯蔵施設8件の話なのか。思いやりがない」。町長選(15日投開票)さなかの7日、いわき市内であった楢葉町議会8件全員協議会での細野豪志環境相らによる説明会。先月、全会一致で反対意見書を可決した町議から批判と疑問が相次いだ。

 草野孝町長が環境省に申し入れ実現した。説明は施設の受け入れと同時に、雇用の確保や道路建設、研究・情報公開センター設置にも及び、町議に翻意を促す“えさ”をまく格好になった。

 会津美里町の仮設住宅などから駆けつけた町議らは「医療費無料化など国が孫子の代まで健康管理に責任を持つことが大前提」「あてもない最終処分場を福島に造らないと断言する国の姿勢は、先送り政治の典型」などの批判も。さらに、「施設ができて放射能汚染が続けば町民の帰還が遅れる」「双葉郡全体の存続を考えた場合、放射線量が高い地域1カ所に設置すべきだ」などの意見が続出。予定を大幅にオーバーし2時間に及んだ。
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20120408ddlk07040061000c.html

このような経過は、草野孝の元々の考えであった、住民の地域への早期帰還というもくろみにも影響を及ぼしたと考えられる。地域住民の帰還の前提として、警戒区域指定を解除する必要があり、そのために4月11〜13日にかけて住民説明会がひらかれたが、その席で、草野孝町長と住民は対立した。住民は帰還よりも除染を優先してほしいと主張したのだ。福島民報のネット配信記事は、そのことを示している。

町長解除準備、住民除染優先 楢葉の避難区域再編 説明会が終了
2012年4月14日 | カテゴリ: 福島第一原発事故

 楢葉町の草野孝町長は13日、会津美里町で開いた避難区域再編に関する住民説明会終了後、町内の警戒区域を月内にも避難指示解除準備区域に再編するよう国に伝えたい意向を示した。ただ、同日を含む3回の説明会では、住民側から「除染を優先すべき」などの理由で反対、慎重意見が相次いだ。町は17日の町災害対策会議で区域再編に向けた協議を始める方針だが、再編が5月以降にずれ込む可能性もある。
 最終回となる会津美里町での説明会には同町に避難している住民約110人が臨んだ。このうち、楢葉町の自宅に侵入され現金などが盗まれたという主婦(56)は「家が荒らされた上に家族はばらばらになった。家に帰りたい気持ちは強いが、孫や家族を思うと(警戒区域解除よりも)除染を優先してほしい」と涙ながらに話した。
 29日の任期満了に伴い引退する草野町長は終了後、報道陣に対し「(警戒区域が避難指示解除準備区域に移行すれば)立ち入りが自由になり、除染やインフラ整備が進む」と月内再編の意義を強調した。防犯対策については「通行証を発行するなど警察と連携をより密にする。反対意見はしっかり聞き対策を考える」とも語った。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/04/post_3672.html

草野は4月に行われた町長選には出馬せず、4月中に退任することが決まっていた。そのため、4月13日の段階では、在任中に警戒区域解除の道筋をつけようとしていた。しかし、4月15日の町長選後、警戒区域解除を断念せざるをえなかった。

避難区域再編:楢葉町、政府案容認を撤回
毎日新聞 2012年04月17日 12時13分(最終更新 04月17日 18時52分)

 東京電力福島第1原発事故に伴う避難区域再編問題で、大半が警戒区域になっている福島県楢葉町は17日、災害対策本部会議を開き、全域を避難指示解除準備区域(年間被ばく線量20ミリシーベルト以下)に見直す政府案を受け入れる方針を撤回した。草野孝町長は報道陣に「今月中に再編することができないのは残念だが、町民の不安が大きい。再編については次期町長に委ねるしかない」と述べた。

 任期満了で29日に勇退する草野町長は当初「一日も早く帰還したいという町民の願いもあり、インフラ復旧を進める必要がある」として、政府に協力姿勢を示し、任期中の再編に意欲的だった。

 だが国が11〜13日に開いた住民説明会では、全町避難を強いられている町民から「除染やインフラ復旧、防犯対策を先にすべきだ」「放射線量が高く安全が確保されていないのに、賠償が早期に打ち切られる」などの反対意見が続出。15日の町長選でも、政府案反対を掲げた新人候補が当選した松本幸英氏に199票差まで肉薄した。
http://mainichi.jp/select/news/20120417k0000e040209000c.html

このような経過は、徐々ではあるが、草野町長のような考え方が、地域社会においてヘゲモニーを失っていく過程を示していると思われる。草野は放射能のリスクを軽視した上で、住民早期帰還、中間貯蔵施設建設、福島第二原発再稼働という方向性で「復興」を考えていたといえる。しかし、町議会や住民は、草野よりは放射能のリスクを考慮しながら、草野のような考え方に疑問をもつようになったと考えられる。もちろん、草野のような考え方が楢葉町からなくなったとは思えないし、今後復活してくる可能性もあるといえよう。しかし、現時点に限れば、草野は、自身の引退もあって、「蹉跌」したといえるのだ。

このように、被災地の人びとの考え方は多様であり、流動的である。そのことを踏まえつつ、さらに、このような多様な意見が出てくる根源を常に考え、その先を思い描きながらも、どのような立場にコミットしていくかは、私も含めて、それぞれの人の「立場性」といえよう。

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日本の原子力開発は、1955年の原子力基本法制定当時から「平和利用」を旗印としていた。そして、政治的には核不拡散NPT条約体制構築に協力していた。他方、核兵器に転用可能なプルトニウム利用も含む原子力利用の包括的拡大に固執してきた。そのために、経済的には引き合わないにもかかわらず、もんじゅが建設され、再処理工場が設置され、軽水炉におけるプルサーマル計画が推進されてきた。吉岡斉氏は『新版 原子力の社会史』(2011年)において、次のように指摘している。

こうした原子力民事利用の包括的拡大路線への日本の強いコミットメントの背景に、核武装の潜在力を不断に高めたいという関係者の思惑があったことは、明確であると思われる。たとえば1960年代末から70年代前半にかけての時代には、 NPT署名・批准問題をめぐって、日本の国内で反米ナショナリズムが噴出した。NPT条約が核兵器保有国に一方的に有利な不平等条約であり、それにより日本は核武装へのフリーハンドが失われるばかりでなく、原子力民事利用にも重大な制約が課せられる危険性があるという反対論が、大きな影響力を獲得したのである。とくに自由民主党内の一部には、核兵器へのフリーハンドを奪われることに反発を示す意見が少なくなかったという。こうした反対論噴出のおかげで日本のNPT署名は70年2月、国会での批准はじつに6年後の76年6月にずれ込んだのである。(吉岡前掲書p175)

さて、原子力予算が初めて付けられた1954年頃は、どうだったのであろうか。本ブログでも述べたが、1954年に初めて原子力予算をつけたのは、当時の与党である自由党の吉田内閣ではない。当時、重光葵が総裁をつとめていた改進党の中曽根康弘らであった。当時、アメリカは日本に対して、MSA(相互安全保障)援助により、経済的・軍事的に日本にてこ入れを行い、アジア地域における米軍配備を一部肩代わりすることを望んでいた。吉田内閣は、漸進的に自衛力を増強することにして、MSAもその意味で受け入れることを方針としていた。一方改進党や、自由党から分かれた鳩山一郎を中心とする鳩山一郎は、MSA援助を受け入れることにより積極的であり、最新鋭兵器を導入して本格的再軍備を行うことを期待していた。ちなみに、日本社会党は当時右派と左派に分かれていたが、どちらも再軍備反対であった。

こういう情勢において、アイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォア・ピース」演説(1953年)を受けて、中曽根らが「原子力の平和利用」を主張したことに、吉岡氏は奇異の念を抱いている。

 

もっとも当時、民族主義的な核武装論者とみられていた中曽根が、アメリカの核物質・核技術の移転解禁のニュースを聞いて、ただちにアメリカからの核物質・核技術の導入を決断したというのは、常識的にはややわかりにくいストーリーである。なぜならアメリカ依存の核開発をとることによって、日本の自主的な核武装がかえって困難となる可能性もあったからである。真の核武装論者ならば、開発初期における多大な困難を承知のうえで自主開発をめざすほうが筋が通っている。当時の中曽根の真意がどこにあったかは不明である。(吉岡前掲書p73)

もちろん、中曽根は、当時も今も、この疑問には答えてくれていない。ただ、中曽根の同僚である小山倉之助代議士(宮城二区選出)が、1954年3月4日の衆議院本会議で、原子力予算を含む改進党による予算案組み替えに賛成する演説を行っている。次をみてほしい。

第四は国防計画についてでありますが、政府は、日本の経済力に順応して漸増すると言うばかりであつて、依然消極的態度に出ております。従つて、保安隊は自衛隊と改名いたしましても、依然として日陰者の存在であるということは免れません。国民は自衛隊に対する愛敬の念薄く、かつまた彼らに栄誉を与える態度に出ておりません。従つて、彼らは国民の信頼を受けているということを意識しないのであります。信頼なき、栄誉なき存在は公の存在とはならぬのでありまして、彼らがその責任を自覚せず、従つて、士気の上らないことは当然であると言わなければなりません。ゆえに、国民は、保安隊を腐敗堕落の温床であるかのごとく、むしろその増強に対して恐怖の念を抱く者さえあることを認めなければなりません。国会においてもしばしば論議の中心となつたのであります。
 しかるに、米国は、日本の国防の前線ともいうべき朝鮮からは二箇師団の撤退を断行し、大統領のメツセージにおいては、友邦に対して新兵器の使用法を教える必要があると声明しておるのであります。私、寡聞にして、いまだ新兵器の発達の全貌を知る由もありませんが、近代兵器の発達はまつたく目まぐるしいものでありまして、これが使用には相当進んだ知識が必要であると思います。現在の日本の学問の程度でこれを理解することは容易なことではなく、青少年時代より科学教育が必要であつて、日本の教育に対する画期的変革を余儀なくさせるのではないかと思うのであります。この新兵器の使用にあたつては、りつぱな訓練を積まなくてはならぬと信ずるのでありますが、政府の態度はこの点においてもはなはだ明白を欠いておるのは、まことに遺憾とするところであります。また、MSAの援助に対して、米国の旧式な兵器を貸与されることを避けるがためにも、新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。私は、現在の兵器でさえも日本が学ばなければならぬ多くの点があると信じます。
 元来、軍需工業は、科学並びに化学の粋を集めたものでありまして、平和産業に利用する部分も相当あると存じます。第二次世界大戦では、日本の軍人は世界の科学の進歩の程度に盲目であつて、日本人同士が他の日本人よりすぐれておるというばかりで優越感を覚え、驕慢にして他に学ぶの謙虚な精神の欠乏から大敗を招いたことは、われわれの親しく経験したところであります。MSA援助の中にも大いに学ぶところがあり、学ばなければならぬと思います。これはわが国再興の要諦であると信じます。
 わが党は、原子炉製造のために原子力関係の基礎調査研究費として二億三千五百万円、ウラニウム、チタニウム、ゲルマニウムの探鉱費、製錬費として千五百万円を要求し、三派のいれるところとなつたのでありますが、米国の期待する原子力の平和的使用を目ざして、その熱心に推進しておる方針に従つて世界の四十箇国が加盟しておるのでありまして、これは第三次産業革命に備えんとするものでありまするから、この現状にかんがみ、これまで無関係であつた日本として、将来原子力発電に参加する意図をもつて、優秀な若い学者を動員して研究調査せしめ、国家の大計を立てんとする趣旨に出たものであります。(拍手)(国会会議録検索システム)

引用した部分の前半部では、小山は、吉田内閣の打ち出した漸進的な防衛力増強方針を批判し、このままでは自衛隊は日陰者になってしまうとした。さらに、小山は、米軍は朝鮮半島から部隊を一部撤収することを宣言し、その代替として、友邦の国に米軍の新兵器の使用法を教えるとしていると述べた。MSAは、米軍のプレゼンスを日本その他で代替するためのものとして、小山は理解していたのである。しかし、米軍の新兵器はかなりすすんだもので、教育・訓練がされないと導入できないと小山はいっている。小山によれば、そのために、米軍のより旧式な兵器が押し付けられてしまうのではないかとしている。それをさけるためにも「新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。」と小山は述べているのである。

この発言は重要である。小山は、MSAによって、アメリカは順次新兵器を供与するとしている。その中には、原子兵器も含まれているのである。しかし、そのためには、原子兵器を含む新兵器について「教育」されてなくてはいけないと小山は主張しているのである。

この後、小山は、軍事技術の平和転用を主張し、その前提で原子力の平和利用の必要性を主張している。この点は、アイゼンハワーの「アトムズ・フォア・ピース」演説の精神に即しているといえるだろう。しかし、他方で、すでに述べてきたように、MSA援助で順次核兵器も供与されると小山は考えーアメリカがこの段階で日本に核兵器を供与するとは思い難いのだがー、そのための「教育」として「原子力の平和利用」があったと考えられないのであろうか。その意味で、当時の中曽根康弘らの改進党の原子力政策はそれなりに首尾一貫していたといえるのである。そのように仮説的に考えられるのである。

もちろん、この方針がそのまま通ったわけではない。前述したように、アメリカが日本に核兵器を供与するとは思いがたい。また、国会でも社会党は左右とも再軍備反対であり、この時期、実際の原子力開発の主体として考えられていた日本学術会議の科学者たちも、原子力技術の軍事転用を忌避していた。その中で、ある意味曲折しながら、日本の原子力開発は開始されたといえよう。

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もはや、旧聞に属するが……。2012年5月5日、泊原発が定期点検のため運転停止となり、大飯原発他、定期点検が終了した原発も、世論の反発にあって、野田政権のもくろみに反して再稼働できず、結果的に国内において原発がすべて停止することになった。

その日、私は芝公園からの出発したデモの中にいた。このデモは、鎌田慧・澤地久枝・落合恵子氏などがよびかけ人になっているが、参加者のもつ幟からみると、労働組合、生協、社民党などの人たちが多く参加しているようだった。最近、デモに出てみると、ミュージシャンが大音量のサウンドを響かせる「サウンド・デモ」や、参加者自体がドラムなどの打楽器を打ち鳴らす「ドラム・デモ」などが多く、いずれにせよ、サウンドの大きさに圧倒されることが多い。しかし、この芝公園からのデモは、全体では静かなデモだった。シュプレヒコールのリズムも、旧来のデモの様式にそった形で行なっていた。参加者の年齢層も、比較的高いような印象があった。「子どもの日」ということで、「こいのぼり」がイメージアイテムになっていた。

ただ、その中でも異色なグループがいた。このグループだけが打楽器をうちならし、踊りながら、「みんなの力で 原発とめたぞ」「子どもを守ろう」などととかけ声をかけていた。のぼりをみると「●●非正規ユニオン」などとあって、たぶん全員ではないのだろうが、その関係者が多かったようだ。皆かなり若い。中には「不当解雇反対」「労働組合が ストライキで 原発とめよう」「ともに闘い ともに生きよう」「革命」などと、ドラムデモなどでよくみられるリズムにのってかけ声をかけていた。まさに。このグループの「自己主張」が打ち出されていたといえよう。まさに「デモの中のデモ」という印象がある。

芝公園(2012年5月5日)

芝公園(2012年5月5日)

脱原発といっても、このデモの一般的参加者と、このグループとは、かなり違っているといえよう。この芝公園のデモ全体は、すでに述べたように、ある程度、年齢が高く、安定した生活を送っている人びとが中心になっていたといえる。その意味で、「労働組合が ストライキで 原発とめよう」という発想は、このデモの参加者一般のものではないと思う。他方で、「不当解雇」の圧力に日常的に接している「●●非正規ユニオン」の人びとにとっては、単に原発を止めるだけではなく、それこそ、「みんなの力」で「労働組合が ストライキで 原発とめよう」ということ、つまりは、自らの力を自覚し、解放への道筋をつけていくことも課題なのだ。そして、あのドラムの響きも、そのためのメッセージなのだといえる。

もちろん、年長で安定した生活を送っている人たちだって、「解放願望」はあるだろう。しかし、それは、自らの所属している政党・組合・生協などが構成している日常的な秩序を前提としながら、それを脅かすと想定されている国家権力からの解放をメインにしていると考えられる。その意味で、まさに「政治的な解放」を希求しているのである。そして、ドラムやサウンドなどが、ある意味で、自らの力を具現化するパーフォマンスとしてとらえられていることには気づかないのではないかと思った。

ただ、このように異質な人びとが、少なくとも互いの存在に気づくためには、ある種の共通項が必要であった。それが、「脱原発」という旗印なのである。もちろん、原発をなくすという意味での「脱原発」だけでは、不十分である。福島第一原発事故の放射能汚染や、被曝労働問題も、それだけでは解決しない。さらに、脱原発デモの中に表明されている多様な解放願望も、「脱原発」だけでは満たされない。しかし、それでも、「脱原発」ということを共通項として、それぞれの解放願望を知り合えることはできるだろう。まさしく、「脱原発」は「糸口」にすぎないが、しかし、これを通じて、多様な「解放」を希求していくことができると思われるのである。

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さて、今や、大飯原発再稼働について、おおい町議会は賛成の意向を示しているようである。朝日新聞は、昨日(5月14日)に次の記事をネット配信している。

大飯原発再稼働、地元町議会が同意 11対1の賛成多数

 福井県おおい町議会は14日の全員協議会で、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に同意することを議長と病欠者を除く11対1の賛成多数で決めた。午後に時岡忍町長に伝える。

 町議会は、東京電力福島第一原発事故を受けた安全対策、町民説明会などで出た住民の意見などを検証していた。

 時岡町長は町議会の意向や福井県原子力安全専門委員会の結論などを見極め、週末にも西川一誠知事に同意の意思を伝える。
http://www.asahi.com/national/update/0514/OSK201205140063.html

他方で、隣接自治体(原発立地自治体を除く)や隣接の滋賀県・京都府、さらに大阪府・大阪市などは、再稼働に反対もしくは慎重な姿勢を有していると伝えられている。

ある意味では、過疎地である原発立地自治体と、京都府や大阪府などの大都市圏では、安全性の認識について、落差があるといえよう。

このことは、原発黎明期といえる1950年代後半から、実は存在していた。このブログでも紹介したが、1957年、大阪大学・京都大学などが利用する関西研究用原子炉を宇治に建設することが計画され、反対運動が起きた。そして、過疎地である京都府舞鶴に建設することが対案として構想されていた。

このことについて、ある医師が舞鶴に建設することの問題性を指摘する投書を朝日新聞に送り、1957年1月27日の朝日新聞(大阪版)「声」欄に掲載された。この投書の内容を、樫本喜一氏は「都市に建つ原子炉」(『科学』79巻11号、2009年)で、次のように紹介している。

医師は投書で言う。宇治では防御設備が十必要だが、舞鶴では五ですむという話はないはずだ。設置者が主張するように原子炉を完全に安全なものにするつもりがあるならば、都市部に置いても過疎地に置いても一緒であろう。むしろ、市民多数の後押しがある都市部に置いたほうが、安全のための資金を獲得しやすいので、より完全なものが得られるのではないか。逆に人的被害を極限すべく原子炉を過疎地に置いたならば、日本の政治のなされ方からして、防御設備が不完全なまま運用されてしまう危険性がある。そして、過疎地の人々がそれに対し異を唱えても、たぶん、押し切られてしまうだろう。以上のような趣旨の投書である。(「都市に建つ原子炉」 pp1201-1202)

そして、樫本氏は、都市に建設された研究用原子炉の歴史を本論で紹介し、さらに、このように主張する。

 

本稿で紹介した都市近郊立地型研究用原子炉の歴史が暗示しているのは、安全性に関するジレンマ構造の存在である。
 人口密集地帯近傍に原子炉を立地すれば、より安全性を高めるよう社会側から後押しする力が働くものの、それは、原子炉を拒否する力と表裏一体である。現在、そのような場所に原子炉を建設するのは、実際上も、立地審査指針上も難しい。一方、現実の原子炉立地のなされ方には、低人口地帯の中でも、より安全性確保に楽観的見通しを持つところへと向かう力学が存在する。少なくともその傾向がある。言い換えれば、安全性を高めるための社会的な推進力が加わり難い地域に建つということである(立地後に加わる社会構造の変化の可能性を含む)
 たしかに、立地審査指針の条件を守り低人口地帯に建てることで、万一の原子炉事故によって放射性物質が外部に漏洩した場合でも、人的被害は局限できるかもしれない。しかし、現代の巨大化した実用炉は、黎明期の物理学者が想定していた原子炉の規模とは全く違っている。「設置の場所自体が安全性の重要な要素」となるかどうかは、実際に事故が起こってみないとわからない部分がある。加えて、地震などでダメージを被った場合、もしくは高経年化(老朽化)している原子炉の運転継続の可否を判断するといった、評価に経済的な要因をより多く含むリスク管理上の課題が突きつけられたとき、低人口地帯に建つ原子力発電所には、半世紀前の医師の投書で指摘された危惧が立ち現れる。(本書pp1204-1205)

まさに、今、このジレンマに直面しているといえよう。福島第一原発事故の経験は、原発災害のリスクは、原発立地地域を大きく超え、大都市圏を含む地球規模に拡大してしまうことを示した。にもかかわらず、立地自治体(おおい町、福井県)以外、制度的な発言権を有さない。そして、結局のところ、不十分な安全対策しかされないまま、原発再稼働に向けての手続きが進められている。

私自身は、現状の原発にとって完全な安全対策は存在せず、最終的には廃炉にすべきである考えている。ただ、原発の安全性がある程度保障されるのならば、暫定的に原発を維持してもかまわないという人びとも存在するだろう。しかし、そのような人びとからみても、免震重要棟建設や避難道路設置を「将来の課題」とする大飯原発の安全対策は不備であるといえる。それを認めてしまう立地自治体の人びとと、それを認められない大都市圏を中心とした外部の人びとがいる。その意味で、すでに原発黎明期に指摘されていたジレンマが顕在化したといえるのである。

この論文の中で、樫本氏は、1960年代に都市に建設された研究炉の多くが廃炉になったこと、とりわけ川崎市に建設された武蔵工業大学の原子炉が住民運動で廃炉になったこと、そして大阪府熊取町に現存する京都大学の原子炉(関西研究用原子炉)についても増設が認められなかったことを紹介している。その上で、樫本氏は、このように言う。

だが、本稿では詳しく取り上げられなかったが、運用開始以後に周辺人口が急増した研究用原子炉の辿った歴史は、都市住民が真正面から向き合えば、この問題(安全性に関するジレンマ)が解決できることを証明している。(本書p1205)

まずは、この言葉を道しるべとして考えていきたいと思う。

 

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さて、再度、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』(2012年)について考えてみよう。高橋氏が、立地地域住民や原発労働者の観点から、原発を「犠牲のシステム」と規定するのは、現時点からみて妥当といえる。

問題は、高橋氏が「原発のリスクと等価交換できるリターンは存在しない」としていることである。高橋氏のいように、原発のリスクは、従事している労働者や、近隣に居住している生存・生活をまず脅かすものであり、さらには、地球規模での人類の生存を脅かすものである。そのことは、最初の原発である東海第一原発の立地が決定された1950年代後半より部分的には認識されており、原発立地はおおむね過疎地を対象としていくことになる。それは、事故の際の「公衆」に対する放射線被曝者を少なくするという観点からとられた措置であり、いうなれば「50人殺すより1人殺すほうがいい」という思想を前提にするものであった。

原発のリスクが顕在化すれば、高橋氏の主張は全く正しい。しかしながら、原発のリスクは、おおむね顕在化していない。たぶん、原発の放射線リスクに最も日常的に接している原発労働者ですら、直接の知覚は、彼らが被曝した放射線量の測定結果であることが通例である。立地地域住民にとっては、大規模な事故に遭遇して、ようやく原発のリスクを認識できる。しかし、その時ですら、やはり、放射線や放射性物質の測定結果として直接には知覚されるであろう。原発のリスクを蒙った結果としての、がん、白血病の発症や、遺伝子異常などは、かなり後に出現し、その因果関係を実証することも難しい。さらに、より遠方で、原発の電力に依存している大都市圏の住民にとっては、そもそも原発の存在すら意識されないのである

その意味で、原発のリスクとは、日常的には潜在化したものである。他方で、原発のリターンは、目前に存在している。原発労働者には「雇用」であり、立地地域住民にとっては、それに加えて、電源交付金や固定資産税などの財政収入、原発自体やその労働者による需要などがあげられよう。そして、国・電力会社・経済界にとっては、安定した電力供給というリターンがある。その意味で、原発のリターンは目に見えている。

ある意味で、リスクを想定しなければ、リターンは大きい。そこで、次のようなことが行なわれるといえる。原発に対するリスクを前提にリターンが与えられるが、そのリスクは「安全神話」によって隠蔽される。国・電力会社側としては、リスクがあるので原発は過疎地に置かれ、そのために立地地域の開発を制限しようとするが、原発立地を推進していくために、そのことは隠蔽される。他方、原発立地を受けいれる地域においては、リスクがあるためにリターンを要求するが、しかし、そのリスクは隠蔽される。リスクを真正面からとらえたら、彼らの考える地域開発はおろか、既存の住民の離散すら考えなくてはならない。「安全神話」という「嘘」を前提として、リスクとリターンが「等価交換」されているのである。

福島第一原発事故は、この「等価交換」の欺瞞を根底からあばき出したといえる。原発のリスクによって脅かされていたものは、原発立地住民や原発労働者たちの生存であり、生活そのものであった。そして、リターンとしての雇用・財政収入などは、原発のリスクによって脅かされることになった生存・生活があってはじめて意味をなすものであった。確かに、開沼博氏が『「フクシマ」論』(2011年)でいうように、原発からのリターンがなければ、原発立地地域の住民や原発労働者の生活は成り立たないかもしれない。しかし、それは、原発のリスクによって脅かされた生存・生活がなければ意味をなさないのである。

いわば、原発というシステムにおいては、「安全神話」という「嘘」を前提として、地域住民・原発労働者の生存・生活自体と、より富んで生きることが「等価交換」されていたといえる。高橋氏のいうように、そもそも事故を想定して過疎地に原発を建設するということ自体、差別であり、「犠牲のシステム」にほかならないが、それを正当化するものとして、「安全神話」という「嘘」を前提とした二重三重の意味で欺瞞的な「等価交換」があったといえよう。

もとより、「等価交換」は、近代社会にとって、支配ー従属関係を正当化するイデオロギーである。資本家と労働者との雇用契約という「等価交換」は、資本家による搾取の源泉である。また、いわゆる「先進国」と「後進国」の「等価交換」も、前者による後者の搾取にほかならない。まさに、「等価交換」は、近代社会の文法なのである。

そして、結局、「等価交換」という名の「不等価交換」を強いられている側は、不利であっても、この関係を維持するしかない。いかに、劣悪な労働条件のもとに低賃金を強いられている労働者でも、何も収入がないよりはいいのである。このことは、結局のところ、原発立地地域住民にもあてはまっていったといえる。例えば、大飯原発などでも、未だにリスクとリターンの等価交換がなされようとしている。それは、等価交換によってはじめて生活が維持できるという、近代社会の文法があるからといえるのである。

たぶん、問題なのは、福島第一原発事故は、このような、「嘘」を前提とした「等価交換」が、実は「不等価交換」であり、自らの生存・生活を危機にさらすリスクにあてはまるリターンなど存在しないことを白日のもとにさらしたことだと思う。そして、このことは、原発問題だけには限らないのである。まさに、等価交換という近代社会の文法自体を、私たちは疑っていかなくてはならない。

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さて、大飯原発再稼働が、2011.3.11以後の原発問題の現今の焦点となっている。とりあえず、形式的な形で政府はストレステストなどの結果を判定し、「安全」と認定した上で、大飯原発が立地している福井県とおおい町に対して再稼働の合意を求めた。それに対し、世論は脱原発デモなどで反発し、特に、滋賀県・京都府など、原発再稼働につき制度的な発言を有さず、雇用や電源交付金などで多大なリターンが得られないにもかかわらず、福島第一原発と同程度の原発災害があれば、関西圏の水源となっている琵琶湖の汚染など、多大なリスクを蒙らざるをえない自治体から異議が申し立てられているという状態になっている。

その中で、原発立地自治体である福井県とおおい町がどのような対応を示すのであろうか。関心を集めているところである。

そんな中で、おおい町の町議会の動向として、次のような報道がなされている。

原発再稼働 国への8項目を検討 おおい町議会が作業部会 福井

産経新聞 5月9日(水)7時55分配信
 関西電力大飯原子力発電所3、4号機(おおい町)の再稼働について、おおい町議会は8日、作業部会の会合を開いた。

 作業部会は、小川宗一副議長や松井栄治原子力発電対策特別委員長ら7人と、オブザーバーとして新谷欣也議長で構成。今月1日に発足、複数回の会合で、今後の審議内容や日程を詰めてきた。会合は「非公式の会合であり、本音で話し合うため」(議員の1人)、すべて非公開となっている。

 この日の会合では、7日の全員協議会で中間報告として提出された、国への8項目の課題について審議。この中で議員が「避難道路も建設計画が始まり、安全担保はできているのでは」と指摘。別の議員が「安全を守るという議会のスタンスを表現するべきだ」などと、8項目の文言を検討していった。

 このほか、議員から「大飯原発が先頭を走っていることで、ほかの原発がなし崩しで再稼働するような誤解がある。国は一つ一つ検証していることをアピールすべきだ」と不満が出た。

 町議会は9日以降も、作業部会の会合や全員協議会を開き、最終的な再稼働の可否判断を行う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000037-san-l18&1336521728

この中で、気になったのは、「避難道路も建設計画が始まり、安全担保はできているのでは」と述べた議員の発言である。この発言の背景として、大飯原発が半島の突端に建設され、その近くの大島集落から原発事故の際避難するためには、海岸沿いを進む道が一本しかないことがあげられる。以下の googleマップで確認できよう。

おおい町議会は、3月以来、他の安全対策の実施にならんで、「原発災害制圧道路及び避難道路の多重化 、アクセス道路の複線化と上位道路構造令の適用などによる自然災害やあらゆる気象状況に耐えうる道路の早期着工。」(3月6日の「原発問題に関する統一見解」)「を求めていた。この要求に対し、4月26日におおい町を訪問した経済産業省の柳沢副大臣は、本年度予算で14億円計上したと回答している。

しかし、背景説明を承知しても、この発言は第三者からみれば、異様なものに響く。第一に、まず避難道路の確保が、なぜ現段階においても課題になるのか。第二に、まだ予算計上されたばかりで、建設すら始まっていない避難道路が、なぜ「安全担保」になるのだろうか。

まず、第一の問題から考えてみよう。東電の相次ぐ事故かくしをうけて、元々は反対派の福島県議であったが、この時は双葉町長として原発建設を推進した岩本忠夫が衆議院経済産業委員会によばれ、2002年11月20日に参考人として陳述した。岩本は次のように述べている。

岩本忠夫双葉村長の衆議院経済産業委員会における発言(2002年11月20日)
○岩本参考人 おはようございます。福島県双葉町長の岩本忠夫であります。
 福島県の双葉地方は、現在、第一原子力発電所が六基、さらに第二原子力発電所が四基、計十基ございます。三十数年間になりますけれども、多少のトラブルはございましたが、比較的順調に、安心、安全な運転を今日まで続けてきたわけでありますけれども、八月二十九日、突然、今平山知事の方からもお話がございましたように、東京電力の一連の不正事件が発生をし、そしてそれを聞きつけることができました。
 これまで地域の住民は、東京電力が、国がやることだから大丈夫だろう、こういう安心感を持ってやってきたわけでありますけれども、今回の一連の不正の問題は、安全と安心というふうに分けてみますと、安全の面では、当初から国やまた東京電力は、二十九カ所の不正の問題はありましても、安全性に影響はないということを言われてまいりました。したがって、安心の面で、多年にわたって東京電力、原子力との信頼関係を結んできました地域の者にとっては、まさに裏切られた、信頼が失墜してしまった、こういう思いを実は強くしたわけでありまして、この面が、何ともやりきれない、そういう思いをし続けているのが今日であります。
 ただ、住民は比較的冷静であります。それはなぜかといったら、現在、第一、第二、十基あるうちの六基が停止中であります。そして、その停止されている原子力発電所の現況からすれば、何とはなしに地域の経済がより下降ぎみになりまして深刻な状態にあります。雇用の不安もございます。
 何となく沈滞した経済状況に拍車をかけるような、そういう重い雰囲気が一方ではあるわけでありまして、原子力と共存共栄、つまり原子力と共生をしながら生きていく、これは、原子力立地でないとこの思いはちょっと理解できない面があるのではないかなというふうに思いますが、原子力立地地域として、原子力にどのようなことがあっても、そこから逃げ出したり離れたり、それを回避したりすることは全くできません。何としてもそこで生き抜いていくしかないわけであります。
 そういう面から、国も東京電力もいずれはちゃんとした立ち上がりをしてくれるもの、安全性はいずれは確保してくれるもの、こういうふうに期待をしているからこそ、今そう大きな騒ぎには実はなっておりません。表面は極めて冷静な姿に実はなっているわけであります。
 (中略)
 また一方では、今回の一連の不正の問題等について、国のエネルギー政策やまた原子力政策がこれでもって崩壊したとか、これでもって大きくつまずいたとかということを言われる方もいらっしゃいますけれども、私は、これは政策とは基本的に違う、こういうふうに実は考えておりまして、いたずらに今回の不正の問題を政策の問題にすりかえてしまうというのはやはりおかしいんじゃないかな、こういうふうに自分なりに実は感じているところであります。
 ともあれ、原子力はあくまでも安全でなければなりませんし、地域の方々が安心して過ごしていけるような、そういう地域、環境をつくるということが大きな使命であるというふうに実は考えております。
 もう一つ、この際お願いをしておきたいことは、地域環境の整備であります。かつては、避難道路などという、避難ということをいいながら道路の整備をお願いしたいということは、余り口には出しませんでした。しかし、近年は、どうしても万々が一に備えてそのような道路、周辺の道路の整備や何かをぜひともお願いしたい、こういうことを申し上げてまいりました。常磐自動車道の問題も一つであります。さらにまた浜街道、広野小高線という道路がありますが、これらの道路の整備についても同様であります。
 さらにもう一つ、横軸としまして、福島県の二本松から双葉地域にかける阿武隈山系横断道路という、これはまだ印も何もついておりませんけれども、私たちは、これは避難道路、つまり横軸の骨格の道路としてどうしても必要だ、こういうことでお願いをしているところでありまして、どうぞ御理解をいただきたいというふうに考えております。
 今回の事故を振り返ってみますと、かつて茨城県東海村のジェー・シー・オーの事故、この教訓が果たして生かされているのかどうかということを痛切に感じております。その際に深谷通産大臣が私の方に参りまして、ジェー・シー・オーの施設と原子力発電所の施設は違う、原子力の施設は多重防護策をとっていて、万々が一の事故があっても完全に放射能物質を封じ込めることができる、だから安全である、こういうことを明言されていたようでありますけれども、私も、これには決して逆らうつもりはありませんし、そういう原子炉の体制にはできている、こういうふうに考えておりますけれども、かつての事柄について、十二分それを教訓としてこれから原子力行政に生かしていただきたいとお願いを申し上げまして、私の意見陳述にかえさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)(国会会議録検索システム)

この全体をより詳細に検討すべきなのだが、ここでは、この部分に注目したい。岩本は「もう一つ、この際お願いをしておきたいことは、地域環境の整備であります。かつては、避難道路などという、避難ということをいいながら道路の整備をお願いしたいということは、余り口には出しませんでした。しかし、近年は、どうしても万々が一に備えてそのような道路、周辺の道路の整備や何かをぜひともお願いしたい、こういうことを申し上げてまいりました。」と述べている。つまり、避難道路建設ということは国への補助申請においては避けるべきことだったと岩本は意識しているのである。

福島原発立地自治体において、電源交付金のかなりの使途は、周辺道路の整備である。しかし、避難を名目にした道路整備は、平時には請求できず、東電の事故隠しなど、安全性への不安が露呈した時しか要求できなかったと考えられる。もちろん、それは、原発は安全であるという安全神話を守るためであったと考えられる。これは、他の安全対策でも考えられる。単にコストがかかるからというのではなく、安全神話を守るためにも、大掛かりな安全対策はされなかったといえないだろうか。そのため、現時点で避難道路を建設するという遅ればせな要求が出てくると考えられるのである。

他方、予算計上しただけの「避難道路」が、なぜ、「安全担保」になるのだろうか。原発事故はいつどのような形で起こるかわからず、そのために「避難道路」を複数確保するということは、根本的な解決ではないが、合理的である。しかし、現在できてもいない「避難道路」は、現在の「安全担保」にならないのは当然である。

ある意味では、安全対策としては「非合理」なのだが、これを、立地自治体へのリターンの一種として考えるならば、意味をなしてくると思う。安全対策は、国なり電力会社が、立地自治体住民に対して無条件に保障すべきものであり、それは、単に予算措置ではなく、実際に建設して、はじめて「安全」といえる。しかし、ここで問題としている安全対策としての「避難道路」は、現実には14億円の道路費予算投入でもあることを忘れてはならないであろう。その場合、最終的に「安全」が確保されるかどうかは問題ではなく、14億円の予算投入によって、公共事業がうまれ、さらに、道路修築によってインフラが整備されるという点が注目されているのではなかろうか。そうなると、「安全対策」も「リターン」の見地から評価されていくことになるのではなかろうか。

そうなってくると、大飯原発再稼働において、国が、福島第一原発事故で効力を発揮した免震重要棟の建設について、「将来の計画」でかまわないとした意味が理解できるのではなかろうか。安全対策も、所詮、立地自治体への「リターン」でしかなく、それが実際に機能することは二の次なのであるといえよう。

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前回のブログでは、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』において、福島第一原発事故において第一義的に責任を負わねばならない人びとは、原発の災害リスクを想定しながらも、有効な対策をせず、さらには無責任に「安全神話」を宣伝して原発を推進していった「原子力ムラ」の人びとであると措定していることを紹介した。ある意味では、原発民衆法廷など原発災害の法的責任を追求するためには有効な論理といえるだろう。

他面で、大都市や立地地域住民は、無関心であるがゆえに、原発の災害リスクを認識していなかったと述べている。高橋氏によれば、原発の災害リスクと補助金の等価交換は存在せず、立地地域住民は「安全」であるとされているがゆえに、原発建設を受け入れていったとしている。そして、大都市の住民も「安全」であるとされているがゆえに、原発から供給されている電力を良心の呵責なしに享受できたとされている。

しかし、原発の災害リスクを大都市や原発立地地域の住民が認識していなかったといえるのだろうか。もちろん、十分に認識しているというわけでもなく、「安全神話」に惑わされているということも大きいとは思うのだが。

まず、高橋氏と全く違う論理が展開されている開沼博氏の『「フクシマ」論』(2011年)において、原発災害のリスクがどのように扱われているのかをみておこう。本ブログで紹介したこともあるが、開沼氏は原発からのリターンがないと原発立地地域社会は存立できなかったし、これからもそのことは変わらないと本書で主張している。高橋氏とは対局の論理ということができる。

それでは、開沼氏にとって、原発のリスクはどのようにとらえられているか。開沼氏は、原発労働者の問題を例にして、次のような問題を提起している。

 

流動労働者の存在に話を戻せば、仮に作業の安全性が確保されたとしても、それが危ないか否かという判断を住民が積極的に行なおうという動きが起こりにくい状況がある。そこには、原子力ムラの住民が自らを原子力に関する情報から切り離さざるをえない、そうすることなしには、少なくとも認識の上で、自らの生活の基盤を守っていくことができない状況がある。それは、そのムラの個人にとっては些かの抑圧感は伴っていたとしても、全体としてみれば、もはや危険性に対する感覚が表面化しないほどにまでなってしまう現実があると言えるだろう。(本書p104)

いうなれば、原発のリスクを「認識の上で」切り離し、表面化しないことによって、自らの生活の基盤を守るという論理があるというのである。

では、原発のリスクを表面化しないことは、なぜ、自らの生活の基盤を守ることになるのか。開沼氏は、清水修二氏の『差別としての原子力』(1994年)で表現された言葉をかりて、「信じるしかない、潤っているから」(p109)と述べる。つまり、リターンがある以上、原発災害リスクはないものとする国や電力会社を「信じるしかない」というのである。

そのことを卓抜に表現しているのが、開沼氏が引用している、地域住民の次のような発言である。

 

そりゃ、ちょっとは水だか空気がもれているでしょう。事故も隠しているでしょう。でもだからなに、って。だから原発いるとかいんないとかになるかって。みんな感謝してますよ。飛行機落ちたらって? そんなの車乗ってて死ぬのとおなじ(ぐらいの確率)だっぺって。(富岡町、五〇代、女性)

 まあ、内心はないならないほうがいいっていうのはみんな思ってはいるんです。でも「言うのはやすし」で、だれも口にはださない。出稼ぎ行って、家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよりよっぽどいいんじゃないかっていうのが今の考えですよ。(大熊町、五〇代、女性)(pp111-112)

いわば、原発が存立し、そこからのリターンがあるがゆえに、リスク認識は無効化されているということができる。開沼氏は、次のようにまとめている。

全体に危機感が表面化しない一方で、個別的な危険の情報や、個人的な危機感には「仕方ない」という合理化をする。そして、それが彼らの生きることに安心しながら家族も仲間もいる好きな地元に生きるという安全欲求や所属欲求が満たされた生活を成り立たせる。
そうである以上、もし仮に、「信じなくてもいい。本当は危ないんだ」と原子力ムラの外から言われたとしても、原子力ムラは自らそれを無害なものへと自発的に処理する力さえ持っていると言える。つまり、それは決して、強引な中央の官庁・企業による絶え間ない抑圧によって生まれているわけではなく、むしろ、原子力ムラの側が自らで自らの秩序を持続的に再生産していく作用としてある。(p112)

繰り返しになるが、原発立地によるリターンが地域社会存立の基盤になっているがゆえに、原発のリスク認識は無効化されているというのである。国や電力会社側の「安全神話」は無条件に信じられているのではなく、原発からのリターンを継続するということを条件として「信心」されているといえよう。

開沼氏の主張については、私としても、いくつかの異論がある。このような原発地域社会のあり方について、反対派や原発からの受益をあまり受けていない階層も含めて一般化できるのか、原発災害リスクによって生活の基盤が失われた3.11以後においても、このような論理が有効なのかということである。特に、福島第一原発事故の影響は、電源交付金や雇用などの直接的リターンを受けられる地域を大きく凌駕し、あるいみでは国民国家の境界すらこえている。その時、このような論理が有効なのかと思う。まさしく、3.11は、原発災害リスクに等価交換できるリターンが存在しないことを示したといえる。その意味で、高橋哲哉氏の認識は、3.11以後の論理として、より適切だといえる。

しかし、まさに3.11以前の福島原発周辺の地域社会では、このような論理は通用していたし、他の立地地域においては、今でも往々みられる論理であるといえる。その意味で、歴史的には、原発のリスクを部分的に認識した上での「リスクとリターンの交換」は存在していたといえよう。そして、高橋氏のいうように、現実には破綻した論理なのだが、それが今でも影響力を有しているのが、2012年の日本社会の現実なのである。

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