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Archive for 2011年5月

豊田正敏は、東電の原子力技術者の先駆者の一人で、福島第二原発建設事務所長をつとめ、その後東電副社長・日本原燃サービス社長(六ヶ所村再処理施設経営)までなった人である。その彼が、樅の木会・東電原子力会編『福島第一原子力発電所1号機運転開始30周年記念文集』(2002年3月)の中で、福島第一原発1号機について述べている。

豊田だけではないが、総じて東電の技術者たちは、福島第一原発1号機の運転にはてこずっていたことを述べている。豊田は、アメリカでの経験を活かして改善が計られ、商業プラントの域に達している筈であると考えていたが、「予想外に次から次にトラブルが発生したのは驚きであった」と述べている。

豊田が、基本設計にかかわり、対処に長期間を要するものとして「燃料チャンネル・ボックスの損傷、原子炉給水ノズルの熱疲労割れ、制御棒駆動戻り水ノズルのひび割れ、燃料破損及び1次冷却配管の応力腐食割れなど」をあげている。専門外なので、よくわからないが、次のように、私が読んでも重大なトラブルがあったようだ。

この中、燃料破損は、放射能の高い核分裂生成物が、原子炉水中に漏れ出て原子炉まわりの保守点検作業時に被曝が大きく、作業が困難となり、短時間で作業員の交替が必要となった。また、原子炉水に放出される放射性希ガスが原子炉1次系及びタービン系の弁などから漏れ出し、建屋内の放射性レベルが突如として高くなる現象が見られ、その漏れの場所を調べるため、ビニール・カーテンで間仕切りしたり、テープで密封するなどして、順次測定箇所を絞り込む方法を採るなど大変な苦労があった。

引用していて、背筋が寒くなるような記述である。

最も問題だったのは、1次冷却配管の「応力腐食割れ」であった。「応力腐食割れ」については、「引張応力が作用する状態で腐食性の環境に金属材料が曝される時に生じる割れ現象である」(http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=02-07-02-15)と定義されている。一次冷却配管の応力腐食割れは高温高圧の水があることで引き起こされたとされている。冷却水の溶存酸素濃度が高い沸騰水型軽水炉(BWR)でより多く起こり、福島第一原発だけでなく、多くのBWRで頻発した。福島第一原発の状況を、豊田は次のように回想している。

…原子力発電所の停止期間が大幅に長期化し、一時は福島1号機から3号機まですべて停止するという最悪の事態となり、稼働率は最低19%という事態に立ち至った。
 社内のトップ層からは、「一体何時になったら原子力発電は信頼できるものになるのか。ダメならダメといってくれ。石油燃料を余分に手当てするなど対策を講ずるから。」といわれ、社内外から四面楚歌の状態で肩身の狭い思いをさせられ、また、現場の士気も著しく低下した。

原子力発電所の経済性をよくいわれるが、トラブル続きで稼働率が下がるならば、石油火力のほうがましと社内ではいわれていたのである。

この「応力腐食割れ」を、豊田は、10インチ以下の配管を全部とりかえる、10インチ以上の配管は高周波加熱によって配管内面に圧縮応力を発生させるなどの対策をたてた。これは数百億円かかり、社内・GE社・役所筋も懸念を示したが、豊田は経営トップ層を説得して、実施し、成功を収めたとしている。

このような経験を踏まえて、豊田は、原子力発電の未来に警鐘をならしている。

信頼性についてもう一つ重要なことは、一般国民特に、地元民の信頼の確保である。このためには、わかりやすくかつ、都合の悪い点も包み隠さず正直に説明することが必要である。いやしくも、虚偽の説明、改竄、捏造などはもっての外である。地元民との親密な接触を行い信頼を得ることが是非必要であるが、最近トラブルも減ってきており、地元民との接触が薄らいで来ているのではないかと懸念される。
 次に経済性については、安全性を大前提に、設計の贅肉を落とし、系統の単純化及びプラントのコンパクト化により、経済性の向上を図ってきた。特にA-BWRでは、従来のプラントに比べて建設費を二割削減することができた。さらに、設備利用率の向上、燃料燃焼度の向上、廃棄物発生量の軽減及び減容化が図られた。近年、コンパインド・サイクル火力発電の登場により、原子力発電の経済性をさらに高めることが急務になっているので、関係者の更なる努力を期待したい。いくら二酸化炭素の排出量がなく、環境に優しいと主張しても、安全性について国民の信頼が得られず、火力発電に比べ割高であれば、原子力発電の将来は暗いといわざるを得ない。

豊田は、次代の技術者の奮起を促しているのであろうが、この文章では、原子力発電は、火力発電より割高であり、安全性への国民の信頼もなく、ゆえにいくらエコといっても、その将来は暗いとしているのである。パイオニアすら、すでに原子力技術については楽観視していなかったのである。

「豊田正敏」をネットで検索してみると、彼は「高速増殖炉」や「六ヶ所村再処理施設」についての批判的言動をしているようである。ある意味で、原子力技術のありかたがその内部からも問われる時代にすでになっていたのではなかろうか。

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雨に煙る浜岡原発

雨に煙る浜岡原発

100年後の地球温度を体感するコーナー

100年後の地球温度を体感するコーナー

浜岡原子力館で遊ぶ子どもたち

浜岡原子力館で遊ぶ子どもたち

実寸大原子炉模型(パイプオルガンのようだが、実際の大きさもパイプオルガンくらいである)

実寸大原子炉模型(パイプオルガンのようだが、実際の大きさもパイプオルガンくらいである)

御前崎風力発電所(一部)

御前崎風力発電所(一部)

5月1日、浜岡原発を見学した。浜岡原発は、国が予知や対策を講じている東海地震において、まっさきに被害を受けるとされている原発で、今、一番早期に止めなくてはならないとされている。東日本大震災による福島第一原発事故後、この原発はかわったのか。それを確かめにいった。

その日は雨だった。駐車場はいっぱいで、広報施設「浜岡原子力館」には親子連れやカップルであふれていた。確かに雨で、無料で、しかも映画まで出してくるから、プレイスポットとして、いきたくなるのかわかる気がする。しかし、日本一危険な原発とされているのに、これは「ぬる過ぎ」はしないか。福島第一原発について、まるで他人事のようにみている。福島も、東海村も、東京も、原発について、いろいろ意見はあるだろうが、それぞれが考えている。東海村の広報施設は閑散としているが、子どもも含めて、それなりに真面目にみていると感じた。しかし、ここは、まるで別天地だ。

ここでは、1・2号機が運転終了、4・5号機が運転中、そして、問題なのは定期点検で運転休止となっている3号機であり、中部電力は再開する予定であるとしている。モニタリングポストの値は、平常値といわれる70-80ナノレム/アワーを下回り、50ナノレム/アワー以下。騒がないことも理解できないわけではない。

島根原発においては、この際原発について考えようということで、見学者が増えたとのことである。たぶん、そういう人間もいるだろう。しかし、多くは、全くの遊び場気分なのだ。

もちろん、行った人間をせめることはできない。今時、映画館でも1500円以上はする。雨の日、安く行けるところ、それが原発の広報施設なのだ。ある意味では、「貧困」のせいともいえる。

つまりは、「広報施設」として成功していると評価すべきなのだろう。しかし、本来は浜岡原発は「メリット」「デメリット」を客観的に考えるべきなのだと思うが、これでは、プレイスポットとして使ったことがあり、その時は「安全」であったという刷り込みになっているのではないか。文字通りの「子供騙し」だ。中部電力が自信満々に「浜岡原発」の運転再開を主張しているのは、このような広報活動の成功があるといえるのではないか。

まるで、別の国にきたような気がする。さほど浜岡は、東京から遠くない。それでもこのありさまでは、より遠い地域で東日本大震災や福島第一原発事故がどのようにとらえられているか、おぼろげながらわかるような気がする。

なお、浜岡原発には、御前崎風力発電所が併設されている。どちらも「エコ」なのだと、中部電力は主張したいのかもしれない。もし、震災が起きて、浜岡原発が全電源喪失になった際、この風力発電所が最後の砦かもしれない。しかし、風頼みな話ではある。

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さてはて、東海村の原子力科学館について、もう少し説明を加えておこう。この館は、原子力に関する総合博物館を標榜しており、前述のように社団法人茨城原子力協議会が運営している。間接的にいえば茨城県側が関与している組織といえる。料金は無料である。なお、4月24日時点では、それほど人は入っていなかった。ただ、入ってくる人たちは、子どもも含めて、かなり興味津々で展示を見入っていた。

原子力科学館

原子力科学館

原子力科学館の被災

原子力科学館の被災

この館の外観は、このようなものである。一見、震災の影響がないようにみえる。しかし、二階部分は震災に被災し、4月24日時点では入れないようになっていた。順路では、①ドリームシリンダー(「科学者にはどんな夢があったのか?」)と、②アトミック・パノラマスコープ(「巨大スクリーンで宇宙の誕生を見よう」)が先にあるのだが、それは見られなかった。結局、一階部分の、③アインシュタイン・スクエア、④アトミックLABO、⑤アトミック・ロードマップしか行けず、それも順路とはさかさまに歩くしかできなかった。

鉄道模型による放射線量変化のアトラクション

鉄道模型による放射線量変化のアトラクション

事故などの放射線の人体への影響

事故などの放射線の人体への影響

霧箱

霧箱

印象からいえば、非常に理詰めの展示であるといえる。特に目についたのは、自然界には放射線が満ち溢れており、少ない放射線ならば害はないと強調していることである。例えば、この中には鉄道模型があるが、その設置した理由は、地下や花崗岩質地盤など、自然界には放射線を多く発していることをみせるということであった。「霧箱」もあり、そこでは、宇宙線などさまざまな放射線が白い輝線となってみえるようになっている。そして、放射線や原子力の利用方法を説明し、最後のコーナーで茨城県の放射線・原子力施設などを紹介するという形をとっている。「レム」「シーベルト」「ベクレル」などの単位をわかりやすく説明するコーナーもあり、それなりに有益である。

しかし、自然放射線の程度をこえた、福島第一原発由来の人工放射線が満ち溢れている現在、このような説明は、前述したモニタリング・ポストのところで述べたように、かえって逆効果であるようにみえる。

東海村JCO臨界事故再現展示

東海村JCO臨界事故再現展示

一方、別館にて、1999年の東海村JCO臨界事故の展示がされていた。存外小さい。
この写真をとる際、小学校1年生かそれ以下と思われる子どもを三人つれてきていた親子連れがいた。子どもたちは、興味津々で、説明ビデオは二度もみているし、風評被害を訴えるオーディオも聞いていた。漢字読めるだろうかと思うような子たちだった。

福島第一原発事故の恐怖が、12年前の東海村JCO臨界事故の恐怖を再度呼び起こしているといえる。現在の恐怖が、過去の恐怖を想起させているのだ。

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原子力科学館モニタリングポスト

原子力科学館モニタリングポスト

原子力科学館モニタリングポストの計測値

原子力科学館モニタリングポストの計測値

周辺モニタリングポストの放射線量

周辺モニタリングポストの放射線量

この東海村には、閉館していた東海テラパーク以外にも、広報施設がある。その一つに、茨城原子力協議会が設置している原子力科学館がある。このなかには、放射線量をはかるモニタリングポストが設置されている。。説明パネルでは、40-80ナノグレイ/アワーならば自然放射線量と説明している。確かに室内は、私が訪問した4月24日で68.1である。しかし、東海村の他の地点は、ほとんどの地点で80をこえ、だいたい150程度であり、中には200以上になっているところもある。この数値は、5月2日現在でもあまりかわっていない。「安全神話」を前提として「安心」をアピールしようとした言説が、事態の急変により「不安」をかきたてる言説となっている。まさに、危機だ。

なお、5月2日の福島市役所の放射線量は、約1.5マイクログレイ/アワーであり、ナノ換算であると1500ナノグレイ/アワーとなる。これでは、少なめにみつもって自然放射線量の約20倍となる。3月18日には、福島市役所は12.34マイクログレイ/アワーになっており、ナノ換算では12340ナノグレイ/アワーで、自然放射線量の約150倍以上となってしまう。自然放射線量を引き合いにだすことなど、ほとんど意味がない。これほど大きな被害を福島第一原発事故は与えたのだ。

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東海発電所(右)と東海第二発電所(左)(ウィキペディアより)

東海発電所(右)と東海第二発電所(左)(ウィキペディアより)

東日本大震災の被災地の一つである茨城県東海村を、親戚の見舞いもかねて4月24日に訪れた。ここは日本で初めて作られた商業炉である東海発電所(1966年運転開始、現在は廃炉作業中)や東海第二発電所、原子力科学研究所、核燃料サイクル研究所(核燃料再処理施設)が立地しており、原子力研究開発の拠点である。しかし、ここも、東日本大震災の被災地でもある。ここも、東海第二発電所は緊急停止したが、やはり停電し、さらに約5.4mの津波に襲われ、堤防工事中のため海辺にあった非常用ディーゼル発電機三台中一台が使えなくなった。ここはまだ多少津波対策を講じていたので、その程度の被害ですんだようだが、すべての発電機が破壊されていれば、福島第一原発と同じように冷却システムが使えなくなる可能性もあったといわれている。

私が東海第二発電所を訪れた時、同発電所は休止していた。東海発電所も東海第二発電所も、意外と小さな建物であると感じた。後で浜岡原発をみたのだが、それよりもかなり小さい。東海第二発電所の前には、消防車がとまっていた。

これらの発電所を経営する日本原子力発電の広報施設である東海テラパークは、残念ながら閉館していた。5月1日から開館したそうである。どうやら、児童の遊戯施設が充実しているらしい。

上部が破壊された鳥居

上部が破壊された鳥居

一方、東海村は地震もひどかった。東海村の原子力施設に隣接して、村松虚空蔵尊と一宮大神宮があるが、鳥居他、多くの石造物が倒れていた。その意味で、津波・地震ともに被災したのである。

さらに加えて、この地方は、福島第一原発事故で放出された放射線の影響を強く受けた地域でもある。しかし、このことは、また、別に記しておこう。

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