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Archive for 2011年8月

前回は、宮城県が実施しようとする都市計画・区画整理・住宅地高台移転につき、現状の政治状況で、どれだけ財政的に実現可能性を有しているのかということを検討してみた。今回は、区画整理事業にしぼって、その問題性をみてみよう。

土地区画整理事業について、土地区画整理法(1954年制定)では、「この法律において「土地区画整理事業」とは、都市計画区域内の土地について、公共施設の整備改善及び宅地の利用の増進を図るため、この法律で定めるところに従つて行われる土地の区画形質の変更及び公共施設の新設又は変更に関する事業をいう。」と規定している。都市計画の手法の一つであり、主に、市街地の区画を整理し、街路を設置もしくは拡張し、広場・小学校用地などの公共施設を創設するものである。例えば、農地を宅地とする際とか、まがりくねった路地しかない既存の市街地に大きな街路を通し、区画を整理する際などに行われている。

特徴的なことは、原則的には、公に土地を買い上げるというのではなく、区画整理の該当用地の地権者が、それぞれ道路を中心とする公共用地にするためと区画整理事業費にあてるために、一定の割合で平等に土地を供出し(減歩)、道路などを設置した後で、それぞれの地権者が有していた面積に応じてその区画で土地を割り当てる(換地)というやりかたをしていることである。詳しくは、次に、ウィキペディアによる「土地区画整理事業」の項目を一部抜粋するので、それをみてほしい。

制度の仕組み [編集]

施行者 [編集]
土地区画整理事業を施行する者(施行者)は、以下の通り法定されている。
宅地について所有権若しくは借地権を有する者 – 個人施行者
宅地について所有権若しくは借地権を有する者の同意を得た者 – 同意施行者(都市再生機構、地方住宅供給公社など)
土地区画整理組合
区画整理会社
都道府県及び市町村
国土交通大臣
都市再生機構
地方住宅供給公社
土地区画整理組合は、土地所有者または借地権者7人以上からなり、都道府県知事の認可を必要とする。
区画整理会社は、土地区画整理事業の施行を主たる目的とした株式会社であり、都道府県知事の認可を必要とする。
換地計画 [編集]
施行者は、施行地区内の宅地について換地処分を行うため、換地計画(かんちけいかく)において以下の事項を定めなければならない。
換地設計
各筆換地明細
各筆各権利別清算金明細
保留地その他の特別の定をする土地の明細
その他国土交通省令で定める事項
清算金は、従前の宅地と換地の不均衡を清算する金銭をいう。
保留地は、土地区画整理事業の施行の費用に充てるため、換地として定めない一定の土地をいう。
仮換地の指定 [編集]
施行者は、換地処分を行う前において、工事または換地処分を行うため必要がある場合においては、施行地区内の宅地について仮換地を指定することができる。
仮換地が指定された場合、従前の土地の使用収益権者は、換地処分の公告があるまで仮換地の使用収益ができるようになり、従前の土地の使用収益権を失う。
換地処分 [編集]
換地処分は、関係権利者に換地計画において定められた関係事項を通知してするものとする。そのうえで、都道府県(または国土交通大臣)が公告をおこなう。
換地計画において定められた換地は、その公告があった日の翌日から従前の宅地とみなされ、所有権等が移転し、清算金が確定する。また、保留地を施行者が取得する。
減歩 [編集]
道路、公園などの公共施設の整備のために必要な公共用地と、事業費を生み出すために必要な保留地は、地権者から土地の一部を提供させることにより確保する。これにより土地が減少する事を減歩(げんぶ)と呼ぶ。(ただし土地区画整理法には、下記の照応の原則を定めるのみで、減歩という用語自体は無い。)
減歩には、公共用地のための減歩(公共減歩)、保留地のための減歩(保留地減歩)があり、両者を合計したものを合算減歩と呼ぶ。土地収用の場合と異なり、減歩そのものに対する金銭による補償はない。(下記の精算金・減価補償金は減歩そのものに対するものではない。)これは、事業のために減歩を課されて土地の評価(土地の経済的価値ではなく施工者が算出した評価点)が地積の減少したぶん下がっても、事業の完成による「土地利用の増進」があるので、結果としては事業前と同じ評価となって財産権を侵害しないという考え方による。
換地 [編集]
換地は、換地とその従前地(施行前の宅地)の位置、地積、土質、水利、利用状況、環境等が照応するように定めなければならないとされている。これを照応の原則と呼ぶ。ただし、この照応とは、各諸事情を総合勘案して、換地とその従前地が大体同一条件にあり、換地相互が概ね公平に定められることをいうものと解釈されており、全くの同一条件で換地するという意味ではない。ここから、照応していれば地積が減少することもあり得るところから、土地区画整理法上の明文の規定は無くとも減歩を課すことは可能とされている。
清算金 [編集]
換地を定める際に、計算上の換地面積(権利地積)どおりに換地を過不足なく配置することは技術的には不可能であり、換地相互に多少の不均衡が生じる。その不均衡の是正は、実際に換地した土地の評価と計算上交付すべき土地の評価の差を金額換算した清算金の徴収または交付によって行われる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E7%94%BB%E6%95%B4%E7%90%86%E4%BA%8B%E6%A5%AD

このように、区画整理は、地権者が土地を供出することによって、道路などの公共用地を取得し、さらには事業費までねん出できるものなのである。この場合、地権者だけが一方的に負担を強制されているようにみえる。しかし、区画整理された以後の土地は、それ以前の土地と比べて価値が高くなっている。例えば、農地を宅地にすることを考えてみよう。農地の一部を削って道路とすると、その分だけ土地所有面積は少なくなる。しかし、宅地にすることによって、その土地の使用価値も高まり、ひいては地価も上昇することが予想される。そのため、地権者も潤うことになるのである。区画整理事業は、そのような発想に基づいている。

都市計画をする官庁からいえば、コストなしで道路などを取得でき、さらには事業費も賄うという点で、コストをあまりかけない開発が可能となる。地権者側では、決して反対がなくはないが、最終的により高度な土地利用ができれば、むしろ利益になる。そのように、公私ともども利益になるといえる。そして、関東大震災や阪神大震災の市街地復興において、区画整理の手法は全面的に使われてきた。

しかし、この手法は、現代においては大きな問題をかかえている。先ほどのウィキペディアの記事は、的確な指摘をしている。

最近の事業の動向 [編集]

戦後からバブル期までの土地区画整理事業は、特に組合施行においては、日本の高度経済成長という社会情勢下で、純粋な事業効果よりも社会全体のインフレーションに伴う地価上昇に依存した安定した事業運営と権利者の利益傍受への期待から来るモチベーションにより発展してきたと言える。
しかしながら、バブル期以降の低成長期においては、デフレーションによる地価下落や保留地販売の不振の影響により、事業採算が確保しづらい状況となった組合もあり、経営破綻に陥った例もある。 これら組合においては、地権者からの賦課金徴収などの再建策が採られる場合があるが、実際の徴収は困難な場合が多く、特定調停や民事再生などの法的整理を申請した組合もある。 ただし、すべての組合が破綻しているわけではなく、適正な事業運営を行っている組合や昨今の地価回復傾向の影響により順調に進められている事業もまた多い。 いずれにしても、土地区画整理事業(特に組合施行)は、外的経済の影響を受けやすい収支構造を持っていると言え、低成長型の経済情勢下において、事業の仕組みを構築する転換期となっていると考えられる。
資産価値に対する影響 [編集]
施行者側からは「減歩により土地の面積は減っても、周辺の基盤整備が行われて土地の利用価値が増し、土地の価格も上昇するため、資産価値は減少しない。」という説明がなされる場合が多い。 しかしながら、事業外要因であるデフレーションなどにより、土地価格が下落し結果的に資産価値が減少する場合がある。 一方、事業内要因のみによっても整理後の宅地全体の資産価値が、整理前と比べて減少するケースもある(事業後も地価の上昇が見込めない地区の場合)。この場合、土地区画整理法第109条の規定により減価補償金を支払うことになるが、実務上、減価補償金で整理前において減価補償金を交付することに代えて、宅地を先買いする手法が使われる。先買いすることで各宅地の減歩は緩和でき、整理後の宅地の資産価値が、整理前より減少しないようにできると考えられている。

いってしまえば、区画整理事業は、将来の地価上昇があってはじめて引き合う事業となるのである。現状において、デフレが進行する中で、区画整理事業後、むしろ地価が下がることが予想される。そうなると、区画整理事業費ねん出のために売り出す予定であった土地が売れなくなる。さらには、地権者には「減価補償金」を支払うケースも想定されるのである。

ある意味では、いまだ土地・家屋の需要がある、東京や神戸のような大都市においては、区画整理は有効といってよいだろう。また、私のみた仙台市やその周辺の多賀城市などの衛星都市群においても、このような区画整理はいまだに有効なのではないかと考えられる。しかし、震災前から、例えば三陸地方など東北の各地域は、過疎に苦しんでいた。過疎ということは、人口が流出しているということであり、その結果、土地や家屋が過剰となっていることを意味するであろう。そうなると、地価は下降傾向となる。その中で、区画整理事業を行うということは、コストが都市計画を行う官庁や地権者にかかってくるということになりかねないのである。

津波被災後復興にむかう多賀城市(2011年7月25日)

津波被災後復興にむかう多賀城市(2011年7月25日)

震災後は、より深刻な状況なのではないかと考える。津波被災地よりの人口流出は、震災以前よりも激しくなっているといえる。住居も生業の場も失った人びとが、他地域に移転していくことは、簡単には押しとどめられないであろう。そうなると、地価は下がり、土地を売却することすら難しくなってくると考えられる。

復興が遅れている女川町(2011年7月26日)

復興が遅れている女川町(2011年7月26日)

岩手県や福島県が、あまり積極的に建築制限をかけないのは、そのような観点もあるだろう。

宮城県の場合、大都市仙台を擁しているということで、大きな違いがある。しかし、かなり過疎地であることが想定される、気仙沼市・女川町・南三陸町・石巻市(もちろん、部分的には区画整理が有効なところもあると思うが)にまで建築制限をかけたことは、かなりの問題であると思われる。もちろん、理想的な都市を構築することはどこの町(東京においても)課題なのであるが。

私は、むしろ、人口流出を押しとどめ、津波被災地の再定住化をはかるということが、区画整理を実施するにも必要なことなのだろうと思う。そのような見通しがないと、区画整理をしても、自治体や地権者が多大な負担と背負うことになってしまう。それに、宮城県知事の主張するように、その負担を国が背負ったとしても、それによる地方利益は一時的なものにすぎないと考えられる。原発と同じだ。当たり前のことであるが、津波被災地に、人びとを呼び戻すこと、それが基本なのではなかろうか。

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さて、前回は、宮城県が独自に津波被災地において都市計画・区画整理のために行っている建築制限が、現地の人びとの自主的な復興をさまたげているのではないかと述べた。その是非は置くとしても、そもそも、このような都市計画・区画整理を含んだ宮城県の復興事業が財政的にみて実現可能なものであるかを検討しておきたい。

河北新報は、7月29日に、次のように報道している。

復興事業費23兆円 宮城県試算12.8兆円 「全然足りない」

 宮城県は東日本大震災の復興財源について、2020年度までの10年間で、県と市町村分を合わせ12兆8327億円が必要と試算した。政府は10年間の復興事業費を23兆円規模と決めたが、村井嘉浩知事は「全然足りない」と批判。8月4日に行う国の3次補正予算に向けた要望活動で、見直しを強く迫る方針だ。
 県によると、内訳は県分が震災復興計画2次案に明記した316事業を含む7兆190億円。市町村分は特定被災地31市町村の総額5兆8137億円で、丸森、加美、色麻、七ケ宿4町は含まれていない。
 県分は、住宅の高台移転費や防潮堤整備費など公共土木施設分野が2兆4320億円、がれき処理費を含む環境生活衛生分野が1兆2260億円、漁港復旧費など農林水産分野が1兆1360億円となった。
 企業誘致の促進事業費を含む経済商工観光分野は4860億円。県立学校再建費など教育分野は2270億円、仮設診療所整備費など保健福祉医療分野は1170億円とそれぞれ算出した。
 東京電力福島第1原発事故に伴う放射能被害対策も計上。県全域での健康被害追跡調査、土壌汚染被害調査、放射性セシウムに汚染された稲わらや牛肉の処理対策、肉用牛の全頭検査などの費用を大まかに見積もった。
 市町村分は、仙台市が5年間の復旧・復興事業費として試算した1兆円のほか、高台移転や土地区画整理、防災緑地整備などに要する8591億円を盛り込んでいる。
 放射線被害が拡大したり、JR復旧費に県負担が発生したりすれば、額はさらに増える。
 村井知事は8月4日、県市長会長の奥山恵美子仙台市長、県町村会長の鈴木勝雄利府町長と合同で、政府に被災地の積算に基づく復興財源の確保を要請する。
 達増拓也岩手県知事や佐藤雄平福島県知事にも呼び掛け、被災3県で政府に再考を求めることも検討している。
 村井知事は「被災地の試算結果を待たず、政府が復興事業費を決めた根拠が分からない。宮城だけで13兆円かかり、どう考えても足りるとは思えない。23兆円の財源確保で幕引きすることは許されない」と話している。

2011年07月29日金曜日
(http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20110729_07.htm)

つまり、7月末時点で、宮城県は県内だけで約13兆円事業費がかかるとして、国が算出した、東日本大震災全体の復興事業費23兆円では少ないと批判しているのである。

その是非は置くとしても、現在(8月29日)行われている民主党代表選において、多くの候補が復興事業費を増税ではなく、国債などで賄おうと主張しており、大幅な財政出動が可能かどうか疑問である。私自身は、増税のリスクをおっても、東北の復興事業費に投資すべきである(ただし、宮城県のような方針でよいのかどうかは問題だが)と考えているが、新自由主義的な減税志向の中で主体形成をしてきた民主党議員たちが、大幅な復興事業に賛成するかいなかは判断できかねるといってよい。

他方で、特例公債法案を政争の具にした自由民主党・公明党が、復興事業費を大幅に増額しようとするとも思えない。彼らもまた、新自由主義的な減税志向の中で主体形成をしてきているのである。

そして、復興増税が実現しても、財務省としては、増税額の圧縮をはかり、復興事業費の増額ははからないであろうと予想される。毎日新聞は、8月10日に、次のように報道している。

東日本大震災:政府がJT株一部売却検討 復興財源確保で

 政府・民主党は10日、東日本大震災の復旧・復興事業の財源確保のため、保有する日本たばこ産業(JT)株を一部売却し、最大6000億円程度を調達する検討に入った。今後数年間で、出資比率を現在の50%から33.3%に段階的に引き下げる案が有力で、復興財源を賄うための臨時増税の規模圧縮につなげたい考えだ。ただ、売却には政府の過半出資を義務づけるJT法改正が必要で、今後与野党での調整が難航する可能性もある。

 政府はこのほか、エネルギー対策特別会計を見直し、500億円以上を復興財源に充てる方針。また、公務員の人件費削減で年間2900億円を捻出できるとしている。

 政府は、今後5年間の復旧・復興事業に19兆円以上が必要と試算。既に11年度補正予算で措置している約6兆円を除く13兆円について、歳出削減や、政府保有資産の売却など税外収入で約3兆円、残る約10兆円を臨時増税で充てる方針だった。歳出削減では子ども手当の見直しや高速道路の無料化実験の廃止で約2兆5000億円を確保できる見通し。JT株売却などが実現すれば、増税幅は最大1兆円程度圧縮できる可能性がある。【小倉祥徳】

毎日新聞 2011年8月10日 19時40分(最終更新 8月10日 19時44分)
http://mainichi.jp/select/biz/news/20110811k0000m020037000c.html

政府は、JT株の売却により、増税額の圧縮をはかるというのである。結局、財源をかき集めても、復興事業費増額にまわらないと予想されるのである。

さらに、「市町村分は、仙台市が5年間の復旧・復興事業費として試算した1兆円のほか、高台移転や土地区画整理、防災緑地整備などに要する8591億円を盛り込んでいる。」ということに着目してみよう。この8591億円は、仙台市を除く高台移転や区画整理事業にかかる市町村の費用をさしている。実は、これ自体が、現行法では国に支払う義務は規定されていないのではないかと思われる。産経新聞は、6月11日に、このように報道している。

宮城の復興費2兆円超 現行制度なら「12市町すべて破綻」
2011.6.11 21:22
 宮城県は、東日本大震災の津波被害を受けた沿岸12市町の新たなまちづくりに必要な事業費が2兆1079億円に上るとの試算をまとめた。11日の政府の「復興構想会議」に村井嘉浩知事が提示した。

 このうち国と県などの負担を除いた市町負担分は8591億円と算出。新たな財源措置がなく現行制度を前提とした場合は「12市町すべてがまちづくりだけで財政破綻する」と指摘、自治体負担を軽減する財政支援策を早期に打ち出すよう重ねて求めた。

 試算には政令市である仙台市の事業費は含まれていない。宮城県全体ではさらに額が膨らむことになる。

 県によると、復興まちづくりの対象となるのは4万2700戸。住宅の高台移転費用や土地区画整理事業費で約1兆円、道路や鉄道、防災緑地などの公共施設整備費で約1兆1千億円と試算した。
(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110611/dst11061121250045-n1.htm)

つまりは、現行法では国の支出が明記されない、本来は市町村負担である区画事業費など8591億円も含めて、宮城県は県全体の復興事業費を約13兆円と試算しているのである。宮城県の要求する復興事業費が実現するには、法改正が必要ということになる。その是非は問わないが、現状において、このことは実現可能なのであろうか。そして、もし、法改正ができなければ、8591億円は、丸々沿岸市町の自己負担となるのである。

これは、村井嘉浩県知事自身が試算している。次の記事は、村井県知事が6月3日に日本記者クラブで行った記者会見の要旨である。日本記者クラブのサイトから引用した。これによると、高台移転などにかかる総事業費につき、現行法では地元負担のほうが多くなるのである。

村井嘉浩・宮城県知事が「宮城県の復興・再構築に向けて」と題して記者会見し、宮城県の復興計画について話した。
村井知事は、東日本大震災後の宮城県の復興について、復旧期3年、再生期4年、発展期3年間の計10年間を計画期間とし、9月県議会に震災復興計画を議案として上程する、と説明した。復興のポイントとして10項目をあげ、そのうち、①災害に強いまちづくり宮城モデルの構築②水産県みやぎの復興③ものづくり産業の早期復興による「富県宮城の実現」――の3点について詳しく述べた。津波被害を受けたA町(人口2700人)の場合、高台移転による復興事業費について、総事業費519億円のうち地元負担は388億円にものぼるという試算を紹介し、国の支援が欠かせないことを訴えた。また「水産業復興特区」制度により民間資本が漁業に参入する新たな選択肢を説明した。質疑応答では、菅内閣不信任案、国の復興構想会議、義援金の配分、女川原発、漁業振興などの質問に答えた。
司会 日本記者クラブ企画委員 篠原昇司(日本経済新聞)
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2011/06/r00022768/

結局、宮城県の打ち出している復興事業は、国の方針が決まらないと実現できないものといえる。さもないと、多大の地元負担がかかるのである。これは、今まで、過疎や財政で苦しんできた、この地域で可能なことなのであろうか。ある意味では、中央依存の復興構想といえるのである。

そして、現在、宮城県の沿岸市町では、8月26日付朝日新聞朝刊で報道されたような現実に直面している。

財源示さぬ国
 「国の方針が決まっていない中で、議論しても何もならない」。津波で市街地の6割が浸水した宮城県東松島市の「まちづくり懇談会」では、住民から不満の声が相次いでいる。
 市は6月に「まちづくり構想図」をつくり、住民に示した。防潮堤と二つの道路をかさ上げする3重の津波対策と居住地の高台移転、沿岸部の再整備などを地区ごとに定めた。
 だが、政府が7月末に示した復興基本方針では、高台移転への国の負担額が明示されなかった。集団移転を希望していた7地区では、反対する住民も出始めた。移転が進まないことを不安視し、「やはり住み慣れた場所のほうがいい」と思い直したからだ。市の担当者は「現状は被災者にさらなる痛みを与えている」と嘆く。

動けぬ自治体
 津波で壊滅的な被害を受けた南三陸町。平地が少ない同町は、浸水した集落の高台移転がまちづくりの柱で、町は移転先の候補用地を取得する議案を議会に提出した。しかし、議会は「町の負担額が分からない」と反発、町は議案の撤回を余儀なくされた。22日に再提出したが、委員会付託になった。

結局のところ、国の負担額が不明のため、沿岸市町では高台移転などに難色を示しているのである。

この状況に対して、宮城県は、9月11日までかけている建築制限を二か月延長することを検討している。宮城県としては、9月11日までに、国の助成などで優遇されるが、しかし建築の規制を受ける「復興推進地域」を定め、それ以外は制限を解除する予定であった。しかしながら、都市計画などがまったく進まないため、建築制限を特例法で定める上限にまで延長するとしているのである。

 上記の朝日新聞によれば、次のような状況がうまれているという。

 

建築制限が長引くなか、宮城県の企業が工場を移す動きもある。気仙沼市の大手水産会社は、岩手県陸前高田市に新たな加工場を建設している。気仙沼商工会議所の臼井賢志会頭は、7月のシンポジウムで不安を漏らした。「企業は規制がないところで事業をやらざるを得ない。戻ってきてくれるだろうか」

津波で破壊された気仙沼市の水産業加工地帯(2011年7月27日)

津波で破壊された気仙沼市の水産業加工地帯(2011年7月27日)

この状況に対して、先の朝日新聞の報道では「ある県幹部は『菅政権は何もしていないのに等しい』とあきれる」と述べている。確かに、菅政権が有能だとはいえない。しかし、それは、前述したように、新自由主義的な減税志向の強い、民主党・自由民主党・公明党などの体質もあわせて考えるべきなのであろう。

そして、宮城県の責任について、翻って考えてみよう。菅政権の無策は、被災した地域全体に及んでいる。しかし、気仙沼の企業が隣接する岩手県陸前高田市に拠点を移すということは、宮城県の建築制限のためである。いわば、中央依存の大規模開発を指向したため、中央が決めないと、企業流失もとめられないのは、宮城県固有の責任といえるのである。

村田県知事の特区構想は、そもそも水産だけではなかった。民間投資促進や集団移転円滑化のための規制緩和も構想されていたように記憶している。今や、「建築制限」という規制のもと、人や企業の流失を逆に促進している「逆特区」という状況に陥っているのが、宮城県の状況といえなくもないのである。

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さて、ここで、再び、宮城県の津波被災地の復興についての問題をみていこう。宮城県では、都市計画もしくは区画整理予定地として、建築基準法84条の規定に従い、2011年4月8日に、名取市・東松島市・女川町・南三陸町・気仙沼市の市街地に建築制限をかけた。そのことを報ずる朝日新聞の報道は、次のようなものである。

宮城県、被災地に建築制限 復興計画前の乱開発防ぐ狙い
2011年4月7日21時51分

 宮城県は7日、東日本大震災の津波で被災した市街地に、建築基準法に基づく建築制限をかけると発表した。無秩序な乱開発を防ぐのが狙い。役場の消滅や被災者への対応に追われる市町に代わり、県が復興計画づくりを担う。

 県が建築を制限するのは、気仙沼、東松島、名取の3市と南三陸、女川の2町。石巻市も独自に制限をかける。建築制限は阪神大震災以来で、東日本大震災では初めて。

 制限は8日から5月11日まで。現行の建築基準法は、災害の日から2カ月しか制限を認めていない。5月以降は阪神大震災を機に制定された被災市街地復興特別措置法を適用し、さらに2年間延期できるが、その場合は、どのエリアで街を再建するのか、場所を事前に決定する必要がある。

 今回の震災では広い範囲が津波で浸水し、どこで街づくりを進めるのかを決めるには相当な時間がかかるとみられる。このため、国には、制限できる期間を延長できるよう法改正を求めていく。

 壊滅的な被害で市町の機能が低下しており、県は制限がかからない農漁村中心の市町も含めた7市7町でも、首長の意向も踏まえて復興計画を練る方針。

 阪神大震災では、神戸市や兵庫県西宮市など5市町が制限をかけ、土地の区画整理や市街地の再開発を進めた。(http://www.asahi.com/politics/update/0407/TKY201104070464.html)

この建築制限によって、公共用の仮設建築、工事用の仮設建築、その他知事が特に認めた場合以外、新築・増築・改築・移転(曳家)は認められないことになった。既存の法律では、二か月間で復興エリアを決めなくてはならないが、5月の特例法で、11月まで延長することが認められた。現在のところは9月11日まで適用となっている。

しかし、この措置は、宮城県独自のものである。例えば、岩手日報は、このように報じている。

行政決定、待てない 本県津波浸水区域への店舗再建

 

 本県の沿岸地域で、東日本大震災の津波被害があった場所に店舗などを再建する動きが止まらない。政府の復興基本方針には財源も明記されず、自治体のまちづくりの計画も進まないため「行政の決定を待っていられない」と、事業主らがやむにやまれず着工したケースが多く、建築に理解を示す自治体もある。

▽車で1時間

 スーパー「マイヤ」(本社・大船渡市)は4日、陸前高田市の津波浸水区域の土地を借りて仮設店舗を開業した。市内の主なスーパーは全壊。夫婦で来店した農業の男性(78)は「これまで車で1時間以上かけて隣町に買い物に行っていた。本当に便利になった」と笑顔を見せた。

▽生活のため

 震災後、沿岸部に建築制限をかけた宮城県と違い、本県は浸水区域内の建築を制限する条例を定めるよう市町村に求めた。結果として、条例を定めた自治体はない。

 県などによると、震災後に県が許可した浸水区域内の建築確認申請は7月末までに計65件。飲食店などの店舗も17件含まれる。県の担当者は「制限する条例がないため、建築確認が申請されたら基本的には許可している」と話す。

 コンビニ大手ローソンも、陸前高田市のマイヤ仮設店舗そばで営業を再開。同社広報は「支援関係者やボランティアのニーズがあり、インフラとして必要。沿岸店舗は再開させず、避難マニュアルを徹底するなど個別に判断している」と説明する。

 被災地の建築制限 宮城県では被災地の復興過程で無秩序な開発を防ぐという観点から、建築基準法84条に基づき、県内7市町の被災市街地で新築や増改築を制限している。期間は特例で通常の2カ月間から最長8カ月まで延長された。一方、岩手県は沿岸市町村に対し、同法39条に基づき津波などの危険が大きい「災害危険区域」を指定、建築を制限する条例を定めるよう求めているが、成立例はまだない。

(2011.8.14)

(http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/sh201108/sh1108141.html)

つまり、岩手県では、建築基準法による建築制限をかけてはいない。そして、建築基準法39条に規定された「災害危険区域」に指定して建築制限を適用する条例を市町村に求めているが、そのような自治体はないとのことである。

それでは、福島県はどうか。福島民報は次のように報道している。

津波復興で「災害危険区域」 県と沿岸市町 住宅建築を制限 
 東日本大震災の大津波で被害を受けた福島県浜通りの復興で、県といわき、相馬、新地の3市町は19日までに、津波の危険がある沿岸部を住宅建築が許可されない建築基準法の「災害危険区域」に指定する方向で協議に入った。国の護岸整備方針などを踏まえ、県は沿岸部から離れた場所に住居を集積し、魚市場など水産業関連施設を海のそばに残す「職住分離」のまちづくりを目指す。ただ、住民との合意形成や代替地選定など課題もある。
 19日、開かれた県議会全員協議会で県が明らかにした。(http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4147&blockId=9845931&newsMode=article)
(2011/05/20 09:09)

福島県の場合、このような「災害危険区域」指定を行ったのは、相馬市のようである。相馬市では、沿岸部においては、住宅建設を制限することになったが、産業関連の建築は制限していないようである。南相馬市でも条例化を進めていると報道されている。

つまり、岩手・福島両県では、区画整理もしくは都市計画を前提とした建築制限は適用せず、激甚な津波被災地についてのみ「災害危険区域」として建築制限をかけることとし、それ自体、それぞれの自治体にまかせるという対応をとっているといえる。宮城県とは、大きく違っている。

岩手県では、建築制限がないため、被災地に個人個人が建築することは、原則的に自由である。現状では、たぶん、相馬市以外の福島県領域(もちろん、原発関係地は除く)でもそうであろう。相馬市においても、住宅建設のみが制限されているに過ぎない。しかし、宮城県では、そうではないのである。例えば、河北新報は、次のように報じている。

見えぬ生活再建 在宅避難者、住宅修繕踏み切れず 石巻

 1階が津波で被災した自宅の2階などで生活する「在宅避難者」が多い宮城県石巻市では、東日本大震災の発生から5カ月がたった今も、台所や風呂が使えない厳しい環境で暮らす被災者も目立つ。被災規模が大きいことに加え、仮設住宅への入居や、自治体の復興計画づくりが遅れていることなどが背景にある。

<ガスも電気もなく>
 旧石巻市役所に近い中央1丁目の会社員杉山創さん(62)は、1階天井まで水に漬かり、ガスも電気もない自宅で暮らす。夜は懐中電灯で明かりを採り、携帯式ラジオを聞く。食事は、地区の配給所に市から届く弁当やおにぎり、パンだ。
 妻の愛子さん(59)は震災当日、外出先から「渋滞に巻き込まれている」とのメールを送ってきたのを最後に行方不明。「妻を迎える準備をしたい」と6月の百か日に合わせ、近所の避難所から自宅に戻った。
 仮設住宅を申し込んでおり、台所も風呂も改修しないつもりだ。自宅はいずれ取り壊すしかないと考えている。泥を払った仏壇の近くに妻の写真を飾ったが、葬式を出す気にはまだなれない。「仮設住宅が当たるまで今の生活を続ける」と話す。
 店舗兼自宅が立ち並ぶ中央地区では、現地での住宅再建を目指す人も多い。ただ、建築基準法による建築制限が掛かる区域で新築や改築は困難。土地利用の方針を示す復興計画がなかなか見えず、住宅再建にも影響を与えている。
<建築制限が障壁に>
 中央1丁目の菓子製造販売の西條稔さん(70)は、1階が浸水した鉄骨3階の店舗兼自宅の壁がはがれて工事用の足場が組めず、都市ガスを自宅に引き込めない。ガス復旧には改築が必要だが見通しは立たない。西條さんは「建築制限が外れないと前に進めない」と嘆く。
 「復興計画の内容次第では移転を求められる」として、自宅の本格修繕に踏み切れない被災者も少なくない。
 1階が浸水した全壊状態の住宅が広範囲に広がる大街道地区。大街道南3丁目の自宅の一部を、住民向けの食料配給所として提供している会社社長佐々木公男さん(65)は「費用を掛けて直していいものか、多くの住民が迷っている」と明かす。周辺では約180人が食料配給を受け生活する。
 石巻市によると、3食相当分の配食を受けている在宅避難者は約1万人。車がなければ日常の買い物が難しい地域の市民も含まれており、避難生活の解消には時間がかかりそうだ。

2011年08月13日土曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110813t13006.htm)

8月になっても、この惨状には驚くしかない。ただ、この惨状からの復興を妨げる要因として、建築基準法による建築制限もあることをみてほしい。そもそも、都市計画も区画整理も決まっていないのに、すべての建築を制限するということが、いわゆる復興の大きな妨げになっているといえる。

石巻市市街地中心部(2011年7月26日)

石巻市市街地中心部(2011年7月26日)

気仙沼市では、漁港機能の回復も建築制限で妨げられていると河北新報は報道している。

気仙沼でサンマ初水揚げ 被災漁船が漁獲、帰港

 本州有数のサンマの水揚げ量を誇る宮城県気仙沼市の気仙沼港に24日、東日本大震災後初めてサンマが水揚げされ、市場が活気づいた。半面、津波で壊滅した冷凍施設の再建は遅れており、加工業者の市外流出など、影響を懸念する声も出ている。
 水揚げしたのは、石巻市の第6安洋丸(199トン)。午前5時40分ごろに着岸し、北海道根室沖で捕れた約15トンをタンクに移した。160グラム以上の大型魚が8割を占め、入札では最高で1キロ820円の高値がついた。
 安洋丸は気仙沼港に係留中に津波で陸に打ち上げられ、岸壁から約300メートルのがれきの上に座礁していた。
 漁労長の三浦恵三さん(47)は「当初は出港できるかどうか不安だった。第1船で入港できてうれしい」と満足そう。気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長も「打ち上げられた船が無事に帰ってきてくれて良かった」と語った。
 昨年の気仙沼港のサンマ水揚げ量は2万5000トンで、花咲港(北海道根室市)に次いで全国2位。震災前は1日1000トンの水揚げを記録する日もあった。
 しかし、津波で壊滅した冷凍施設の復旧が進まず、当面は「1日200~300トンが目標」(気仙沼漁協)という。
 水産加工業者の間には再建が遅れている気仙沼を離れ、市外の工場に業務を移す動きもある。同市の水産加工業「阿部長商店」は市内の工場の再開のめどが立たないため、この日仕入れたサンマを大船渡工場に運んで選別した。
 別の加工業者は「工場が再開できないのは、建築制限が足かせになっているためだ。このままでは加工業の市外移転が加速し、漁船の気仙沼離れにもつながりかねない」と話している。

2011年08月25日木曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110825t13004.htm)

この要因は、もちろん、国の施策の遅れがある。しかし、それだけではなかろう。宮城県が、住宅地の大規模な高台移転、職住分離、漁港集約化、水産特区などの、大規模な復興計画案を策定していることはよく知られている。この建築基準法による建築制限も、大規模な区画整理・都市計画の実施を想定しているからであると考えられる。

本ブログで女川町の復興計画でみたように、このような大規模な復興計画自体が問題があるといえる。もちろん、今後の津波被災を防止するという観点は必要であるが、それだけではなく、たぶんに大規模開発を構想していると思われる。その是非は一応置くとしても、このような大規模開発を、増税を志向しない政治家たちを前提として、現状の国費で賄うことが可能かどうかもわからないといえる。

区画整理というもの、都市計画というものの重要性は、都市史研究者のはしくれとして、よく理解している。しかし、現状では、区画整理・都市計画を進めることが、住民の排除につながっているような気がしてならないのだ。

朝日新聞が南三陸町で仮設店舗ができたことについて、次のような報道をしている。

がれきの街に仮設店舗続々 南三陸町
2011年08月26日

 津波で大きな被害を受けた南三陸町で、住民が避難所から仮設住宅に移り始めたのをきっかけに、町中心部に仮設店舗が次々とオープンしている。県の建築制限がかかる浸水区域内にあるため、すぐに撤去可能なプレハブでの営業だが、日常生活を営み始めた被災者らでにぎわっている。

 「がれきだらけのこの場所から始めたかった」。武山英明さん(41)は10日、壊滅した公立志津川病院のすぐ近くで、プレハブの総菜店「一歩」を開いた。経営していた魚屋は流失。魚の水揚げがほとんどないため、知人に借りた土地でコロッケやヒレカツなどを販売している。「店がないとこの町からどんどん人が出て行ってしまう。店を開くことで復興に協力したい」

 25日には町の仮庁舎で、飲食店や生鮮食品店などが入る仮設商店街の説明会が開かれた。約60人が参加し、南三陸商工会から入居の条件などが説明された。

 商工会は年内にも、独立行政法人・中小企業基盤整備機構の制度を使って、志津川地区に約50店舗、歌津地区に約10店舗の仮設商店街を建設したい考えだ。

 商工会の及川善祐・商業部会長(58)は「仮設商店街を成功させて、町民の暮らしを支えたい」と意気込んだ。

 同町中心部ではこれまで、スーパーや雑貨店などがすべて流されたため、避難所や仮設住宅の住民らは巡回バスなどを使い、近隣市のショッピングセンターなどで買い物をしていた。

 仮設住宅で暮らす主婦(52)は「買い物に行くのも一日仕事だった。町の中にコンビニもいくつかできたし、震災直後と比べれば、ずいぶんと便利になった」と話している。(三浦英之)
(http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001108260003)

復興計画とは、このような人びとの手助けをすることではなかろうか。そのような思いにかられるのである。

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さて、1986年のチェルノブイリ事故において、母親たちを中心として、自然発生的に日常的な放射線防護対策をもとめる運動が生まれてきたことを、このブログではみてきた。このような動きは、当時の緑の党を中心とする反原発運動にも影響を与えた。田代ヤネス和温の『チェルノブイリの雲の下で』(1987年)において、田代は、「放射能に対する人びとの不安感、とりわけ子どもたちを抱える親たちの気もちを受けとめようとする人びとは、運動内部で『ベクレル派』という区分をされた」と述べている。

田代は、自らも含めた「ベクレル派」の主張を次のように要約している。

 

私のアパートの管理人、町角の八百屋の主人夫婦、郵便配達人、この人たちを私はブロクドルフ(西ドイツの原発の一つ)に連れていくことなんかできっこない。けれどもかれらは住んでいるところで、また働いているところで原発に反対し、チェルノブイリの放射能の危険を防ぐために、行動する気もちを持っている。もし反原発運動がこの機会を逃すなら、77パーセントに達した原発推進反対の世論のなかで、反対運動は小さなエリートだけのものにとどまってしまうだろう。
 私たちがなすべきことは、長期的な水、土壌、食料などの測定。妊婦や子どもたちのための無汚染食料の供給。食品に放射能に関する品質表示をさせること。ECの食品在庫の放出。遊園地、屋外プール、公園などの除染。さらなる汚染を減らすために原発の放射能排出量を縮小すること、などである。こうした要求は、職場や居住地域や社会教育の場でいくらでも提起できる。そしてそのこと自体、日常的な抵抗運動になる。これは、チェルノブイリが西ドイツにもたらした被害を通じて、原子力施設が私たちの日常生活と将来に危険を投げかけ、ガン、遺伝的障害、死におびえた生活しか許さないということを、人びとに示す道でもある。

 田代のいう「ベクレル派」とは、単に、日常的な場を放射線防護対策を行うというだけでなく、放射能汚染におびえる一般民衆に寄り添いつつ、反原発運動を、エリートに限られない広いものにしていこうとするものであったといえる。

 しかし、田代によると、ベクレル派は、運動の中では少数派であった。多数派は、田代のいう「政治派」であった。政治派の主張を、田代は次のように要約している。

 

ー「放射線防護対策」というのは放射能の真の危険をごまかす手段にすぎない。なぜならそれは放射能の危険に対して、あたかも自衛が可能であるかのような印象をあたえるからだ。たとえば放射能が土壌に浸みこみ、食物連鎖に入ってくれば、それを防ぐ手だては見つからない。われわれは空気中の放射能だって、呼吸しないわけにはいかないのだ。
 チェルノブイリを無かったことにするわけにはいかない。私たちはその放射能とともに生きなければならないのだ。だからわれわれにとって唯一可能な予防対策は、さらなる放射能の汚染を防ぐことしかない。政治家や原発推進派に対する要求は、未来に向けたものしかあり得ない。すなわちすべての原発を停止させることである。これが最後の、そしてもっとも有効な放射能に対する予防措置であるー

田代の要約によるならば、政治派は、放射線防護対策は無意味であり、放射線に対する恐れ、怒りは、原発を停止させることにむけなくてはならないというものなのであった。

田代らのベクレル派の微妙な位置を示すものとして、次の写真をあげておこう。これは『チェルノブイリの雲の下で』であげられている写真だ。

妊婦たちもデモに参加

妊婦たちもデモに参加

この写真のキャプションは「妊婦たちもデモに参加」である。妊婦も反原発運動に参加しているという、いわば政治的メッセージがこめられているのである。しかし、田代自身は「反原発の運動は環境汚染の危険を知らせ、幼児や妊婦に外出したりデモに参加したりしないようにすべきであった。胎児はとくに放射能に敏感だ。ダハオにある分娩クリニックでは、チェルノブイリ事故から3カ月たってから流産があいついだ」とコメントしている。妊婦の政治的利用自体が、反原発運動においてすべきでないことと田代は考えていたのだ。田代自身が、妻ともども、生まれてくるかもしれない子どもを配慮して、集会に参加しなかったことも想起されよう。田代によれば、反原発の運動の中で、日常的な場における放射線防護対策を重視するか、反原発の政治を優先するか、のっぴきならない対立が生まれていたといえるのである。

このような、いわば日常生活における困難を除去しようという志向と、ラジカルに政治的な解決を求める志向との矛盾は、西ドイツの反原発運動に限られないといえる。いわば、そもそも社会運動ー民衆運動というものが、常に内在しているものなのだ。西ドイツの反原発運動は、そのことの一つの例としてみることができる。そして、これは、たぶんに、今の日本の「脱原発運動」も抱えている問題なのではなかろうか。

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さて、昨日(8月22日)より、原発周辺地については、あまりに高い放射線量を示しているため、政府が、居住を長期禁止し、政府が借り上げる方針を打ち出すことが報道されている。例えば、『朝日新聞』8月22日付朝刊は次のように伝えている。

菅政権は、東京電力福島第一原発の周辺で放射線量が高い地域の住民に対し、居住を長期間禁止するとともに、その地域の土地を借り上げる方向で検討に入った。地代を払うことで住民への損害賠償の一環とする考えで、すでに地元自治体に打診を始めた。菅直人首相は今週末にも福島県に入り、自治体関係者らに説明する見通しだ。

 政権は当面、立ち入りを禁止した原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」の中で、継続して高い放射線量が観測される地域について警戒区域の指定解除を見送る方針。福島県双葉、大熊両町のうち、原発から半径3キロ圏内の地域が想定されるが、「3キロ圏外でも放射線量が高い地域があり、範囲が広がる可能性がある」(政権幹部)との見方もある。

 警戒区域の一部では、高い放射線量が観測されている。事故発生から1年間の積算放射線量の推計は、警戒区域内の50地点中35地点で、政権が避難の目安としている年20ミリシーベルトを超え、原発から3キロの大熊町小入野では508.1ミリシーベルトを記録した。
(なお、引用は、http://www.asahi.com/national/update/0821/TKY201108210385.htmlより行った。)

これに対し、対象地域の大熊町長は反発している。

 

政府が福島第一原発そばの一部地域の居住を長期間禁じる方針を検討していることについて、福島県大熊町の渡辺利綱町長は21日、「(放射線量を調べる)モニタリングも除染もこれからという段階。避難している町民が聞いたらどう思うだろうか」と不快感をあらわにした(『朝日新聞』8月22日付朝刊)。

 この大熊町長の反発は、心情としては当然であろう。しかし、原発周辺地の居住の可否の前提として、実際の放射性物質の状況はどうなっているのだろうか。もちろん、大熊町長のいうように、決定は詳細なモニタリングが必要である。ただ、現在発表されている文科省のデータをもとに、とりあえず、チェルノブイリ事故の際の対応区分と対比させて、土壌汚染を基準にここではみていきたい。

まず、次の表をみてほしい。これは、4月29日~5月1日に文科省が採取した土壌試料の分析結果である。5月19日にまず第一の発表があり、5月31日、6月13日に追加の発表があった。この調査結果の発表について、大々的に伝えた報道機関はなかったように記憶している。引用している図表は見にくいので、直接文科省のサイトにアクセスすることをおすすめする。

福島第一原発20km圏内の土壌試料分析結果(文科省)

福島第一原発20km圏内の土壌試料分析結果(文科省)

土壌測定ポイント

土壌測定ポイント

http://radioactivity.mext.go.jp/ja/monitoring_around_FukushimaNPP_radioactivity_level_inside_20km/より)

もちろん、私は、全く専門家ではないが、かなり多種多様の放射性元素が検出されていることに、まず驚いた。ストロンチウム89(半減期50.5日)、ストロンチウム90(半減期29.1年)、ヨウ素131(半減期8.04日)、セシウム134(半減期2.06年)、セシウム136(半減期13.1日)、セシウム137(半減期30年)、テルル129m(半減期33.6日)、ウラン234、ウラン235、ウラン238、プルトニウム239もしくは240、アメリシウム241(半減期432年)、キュリウム242(半減期162.8日)が検出されている。

このうち、ウラン類が検出されていることには、天然ウランであると説明している。また、プルトニウムとアメリシウムを検出したことについては、過去の核実験の影響であるとしている。やや疑問ではあるが、とりあえず、ここでは問題にしないでおこう。

半減期が短いヨウ素131が110000~7200Bq/kg、テルル129mが180000~7300Bq/kgも検出されていることも驚きである。福島第一原発事故が起きた当初の3月中旬においては、これらー特にヨウ素131は、はるかに多い量が存在していたといえる。

そして、現状の放射能汚染の中心となっている、セシウム134とセシウム137をみていくことにする。福島第一原発から2kmの大熊町夫沢(A13地点)では、セシウム134とセシウム137がともに270000Bq/kgずつ、合計で540000Bq/kg検出された。これに65をかけて(原子力安全委員会の計算方法)Bq/㎡を算出すると、3510万Bq/㎡となる。

チェルノブイリ事故の際の対応区分であると、148万Bq/㎡以上が、直ちに強制避難し立ち入りが禁止される強制避難区域となる。それを20倍以上も上回っているのである。

同様にセシウム134とセシウム137の合計値を比較していこう。福島第一原発から3kmの大熊町夫沢(41地点)では、セシウム134とセシウム137が合計で101000Bq/kg存在している。Bq/㎡に換算すると約656万Bq/㎡となり、やはりチェルノブイリ事故の際の強制避難区域に該当するのである。

福島第一原発から4kmの大熊町熊川(6地点)では、セシウム134とセシウム137の合計は35000Bq/kgとなった。Bq/㎡に換算すると約227万Bq/㎡となり、同じくチェルノブイリ事故の際の強制避難区域に該当する数値を示しているといえる。

福島第一原発から7kmの双葉町大字山田(A14地点)では、セシウム134とセシウム137の合計は10000Bq/kg、Bq/㎡に換算すると65万Bq/㎡となる。強制避難区域ではないが、これでも義務的に移住しなくてならない一時移住区域(55万5千Bq/㎡以上)には該当することになるのだ。

もちろん、これは、素人の私がチェルノブイリ事故の際の対応区分を機械的に文科省の土壌試料の分析結果にあてはめてみたにすぎない。より詳細に調査していく必要がある。もちろん、放射線量については、より詳細に政府は調査している。ただ、ある意味で、政府の避難基準があまり信用を得ていないので、チェルノブイリ事故時のソ連の対応と比較してみると、ある程度客観的な認識が得られると思う。

チェルノブイリ事故と福島第一原発事故を一緒にすべきではないという意見もあろう。もちろん、規模が違う。しかし、放射性物質の数量をもとに対応を比較することはできるであろう。チェルノブイリ事故時の避難も完璧ではなく、後に甲状腺がんなどの多発を免れえなかったことを考えると、チェルノブイリ事故時の対応以下では、やはり問題ではないかと思うのである。

政府や東電、または県などは、その時の情勢に応じて言を左右にする。専門家についても、「御用」というわけでなくても、それぞれの学説があるので、意見が一致しない。結局のところチェルノブイリ事故という「歴史」に依拠することによって、私たちの立ち位置を考えていくしかないと考えるのである。

このような点を前提として、この問題を今後とも折に触れてみていきたいと考えている。

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最近、問題になったことで、陸前高田市で津波に被災した高田松原の松を、8月16日に開催される京都市の五山送り火で使おうとしたが、結果的にセシウムが松から検出されて中止したということがあった。2011年8月17日の毎日新聞社説が事態の推移をまとめ、さらに自社の意見を主張しているので、ここでまず紹介しておこう。なお、ここでは、たまたま毎日新聞を使っているが、他の新聞なども同様な傾向があるといえる。

社説:五山送り火 残念だった善意の迷走

 昨夜、京都の夏の夜空を彩る伝統行事「五山送り火」があった。今年は東日本大震災の犠牲者の霊を慰めようと、岩手県陸前高田市の松で作ったまきを使う計画が持ち上がったが、放射能汚染への対応をめぐって行政などが右往左往した末、中止となった。被災者の思いや、計画の実現に向けて奔走した人々の善意が生かされなかっただけでなく、京都市民にとっても後味の悪い結果となったのは残念だった。

 震災後初となるお盆に際し、犠牲者の遺族らにメッセージをまきに書き込んでもらって燃やす計画は大分市の美術家が発案した。五山の一つ、大文字保存会の計画が報道された後、放射能汚染を心配する意見が京都市などに寄せられ、市民の不安に配慮して検査を実施した。

 その結果、放射性物質は検出されなかったにもかかわらず、保存会の理事会でも意見が割れ、「不安は完全にぬぐえない」として中止を決定した。これは明らかに過剰反応であり、保存会はもっと冷静に判断してほしかった。

 計画中止が報道されると、2000件以上の抗議の電話やメールが殺到する。送り火で使われないことになったまきは8日、陸前高田市内で、お盆の迎え火として燃やされた。古都のイメージダウンを恐れた門川大作・京都市長が事態の収拾に乗り出し、五山すべての送り火で燃やそうと、新たに別のまき約500本を取り寄せた。だが、表皮からセシウムが検出されたことで計画は再度中止となった。

 放射能の不安を訴える市民がいることはあらかじめ分かっていたはずだ。当初使用する予定だったまきのように表皮を削り取る作業を行っていれば、実施できた可能性は高い。千葉・成田山新勝寺は同様の方法で陸前高田の被災松を9月の供養で燃やすことにした。

 放射性物質がもたらす健康被害のリスクは未解明の部分が多く、屋外での焼却は国の安全基準がない。京都市が問い合わせた専門家の回答は「安全という見解は出せない」で、これを中止の根拠としたが、「健康には全く問題がない」と指摘する専門家もおり、複数の意見を聞いた上で判断をしてもよかった。

 また、セシウムの検出を予想していれば、幹の部分だけを燃やすことも検討できたはずだ。きめ細かさを欠いた京都市などの対応が、2度にわたって陸前高田の人々を振り回し、傷つけることになった。

 放射性物質への対応は過剰になっても鈍感でもいけない。遠く離れていても、被災者の立場になって考え、落ち着いた行動をとる。それが今回の騒動が残した教訓だ。(http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110817k0000m070131000c.htmlより)

このことについては、いろいろ複雑な問題をはらんでいる。ここでは、毎日新聞の意見を中心にみておこう。毎日の意見は、

放射性物質がもたらす健康被害のリスクは未解明の部分が多く、屋外での焼却は国の安全基準がない。京都市が問い合わせた専門家の回答は「安全という見解は出せない」で、これを中止の根拠としたが、「健康には全く問題がない」と指摘する専門家もおり、複数の意見を聞いた上で判断をしてもよかった。また、セシウムの検出を予想していれば、幹の部分だけを燃やすことも検討できたはずだ。きめ細かさを欠いた京都市などの対応が、2度にわたって陸前高田の人々を振り回し、傷つけることになった。放射性物質への対応は過剰になっても鈍感でもいけない。遠く離れていても、被災者の立場になって考え、落ち着いた行動をとる。それが今回の騒動が残した教訓だ。

ということになる。基本的には「被災者の立場」にたって、陸前高田の松を「送り火」で使う方向で検討すべきであるということになろう。

私は、ここで「送り火」に使うかいなかという問題には踏み込まない。ただ、この毎日新聞の社説では、大事な問題が問題にされていないと思う。それは、陸前高田の松から、放射性セシウムが検出されたということだ。毎日新聞がネット配信した(2011年8月12日 16時14分(最終更新 8月12日 23時26分))では、次のように報道されている。

京都市によると、松から切り出したまき(長さ約30センチ)の表皮から放射性セシウムが1キロ当たり1130ベクレル検出された。表皮を除いた幹の部分からは検出されなかった。(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110812k0000e040090000c.htmlより)

岩手県にある陸前高田市は、福島第一原発から、かなり遠い距離にある。測定してみたら、放射線セシウムが検出されたということだ。これは、福島第一原発事故が、かなり広範囲に、深刻な影響をもたらしているということを意味している。

もう一度「宮城県ー栃木県のセシウム合計蓄積量」をみてみよう。宮城県の北東部、気仙沼市に3万-6万Bq/㎡ベクレルの地域が存在している。3万7千Bq/㎡以上が放射線区画区域になる。つまり気仙沼市すらも、ある程度汚染度の高い地域が存在している。陸前高田市は気仙沼市に隣接している。しかし、調査結果はまだ公表されていない。ただ、高田松原の松から、セシウムが検出されても、まったく不思議ではないのだ。

これは、東北ばかりではない。栃木県北部には、気仙沼市と同等以上の汚染度の地域が存在している。実際、栃木県で生産された腐葉土からも放射性セシウムは検出されている。

宮城県ー栃木県のセシウム合計蓄積量

宮城県ー栃木県のセシウム合計蓄積量

このように、福島第一原発事故による放射能汚染は、かなり広範囲であることが予想される。しかし、首都圏と同じく岩手県でも、調査結果の公表はされていない。もし、陸前高田市も気仙沼市と同等の汚染状況であるとして、それを事前に承知していれば、陸前高田市も京都市もそれなりに慎重な措置をとることが可能であったといえる。

そうして考えてみると、まずは、国もしくは県が、いち早く放射能汚染について調査し、公表することが、この問題の一番基本のところにあるといえるのである。

毎日新聞の社説では、その点が全く欠如している。このような報道姿勢では、国や県の放射能汚染に対する情報隠蔽、過小評価を追認しているといえる。また、他方で、日常生活を従来通り続けたいとして、放射能汚染の深刻さに目を閉ざそうとする一部の社会の傾向を推進するものともいえる。

そして、最終的には、「東北人」-「非東北人」の心情の問題に還元してしまっている。もちろん、心情の問題は大事である。津波でなくなった人びとの霊をなぐさめること、そして生き残った人びとが生きていく決意をあきらかにするということは重要である。例えば、石巻市の川開きで灯籠流しの映像をみたが、その感を強く感じた。

しかし、放射能汚染という全国に及ぶ問題を「東北問題」に局所化していいいのかと思う。何をともにかかえているのかを直視することが必要なのではないかと考えるのである。

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さて、チェルノブイリ事故の際の西ドイツ社会において、放射能汚染という現状に対し、母親としても父親にしても、次世代に対する責任に直面させられたことを話してきた。

また、母親たちの行動に議論を移そう。チェルノブイリ事故からしばらくたって、このような状況が現出した。田代ヤネス和温は『チェルノブイリの雲の下で』(1987年)で、このように述べている。

 しかし、あれから時間が過ぎてゆき、表面は何ごともなかったかのように平穏な日常に復帰した社会の中で、母親たちは孤立する。ある農家の主婦はこう語っている。
 「私たちの村ではおどろくほど早くいままで通りの生活が戻ってきました。私の家の前の畑には、草花しか残っていないというのに、隣り近所の畑ではいつものように野菜が育っています。回りの人たちに不安を打ち明けると、きまって『あまり大げさに心配しない方がいいよ』とか、『だって何か食べないわけにはいかんだろう』という答が返ってくるのです。」
 熱しやすく冷めやすいマスメディアの影響も見のがすことはできない。放射能の危険についての報道が下火になるにしたがって、人びとはストロンチウムとかセシウムなど、寿命の長い放射性物質が、人体に与える長期的な影響への関心もしだいに失った。誰もがいままでと同じように、平気で何でも食べている。

けれども その中でも、母親たちは行動するようになった。田代は、このように述べている。

それでもチェルブイリの後、原発社会における子どもたちの将来を案じて、「母親の会」や「両親の会」を名のる、数えきれないほどのグループが生まれた。新しい市民グループの参加者は、90パーセント以上が女性である。
 それは、これまでよくあった古いタイプの政治運動団体と、まったくちがう体質をもっていた。権力志向に首までつかった古い世界では、海千山千の男や女がたがいにかけひきに熱中し、競争相手の足をひっぱり、自分を目立たせ、高く売りこむことに生きがいを感じていた。新しく生まれてきたグループは、まるで反対の極にあるといえよう。

全国いたるところで、子供づれの親たちが原発停止を要求する

全国いたるところで、子供づれの親たちが原発停止を要求する

田代は、いくつか、このような母親たちのグループの活動を紹介している。まずあげられているのが、「原子力に反対する母親の会」ミュンヘン支部である。ミュンヘンのあるバイエルン州は、政治的に保守色が強かったが、放射能汚染の度合いも高かった。このグループは、1986年5月11日の母の日の行動をきっかけに生まれたと田代は述べている。

 

この日ミュンヘン市では1000人を超える数の母親たちがマリエン広場に集まり、母の日の記念に家族から贈られた花束をもち寄って、放射能のマークの形を作って歩道に並べた。それは、母親としてわが子を守ってやることのできない無力感と怒りを表現したものであり、その静かな行動はあたかも宗教的な儀式のように、祈りのこめられた感動的なものだった。ここにはカソリックの信仰の強い地方性が表わされているのかも知れない。

母親たちの活動は、伝統的な宗教行事とかさなるものであった。田代は、西ドイツ全般の母親たちの運動について、このように伝えている。

 

かの女たちの活動は伝統行事との接点を保っている。収穫感謝祭の日には、食物の汚染に抗議の気持ちを表し、十一月の死者の霊を慰める日には、放射能のマークの形にローソクの火をともして、チェルノブイリの犠牲者のために祈りをささげた。

その他、さまざまな活動を行っている。「放射能汚染の未来を憂慮する親たちの会」では、自力で放射能汚染測定器を買い込み、学校の校庭などを測定した。1万ベクレルを超えるビーズバーデン市では汚染の強い校庭の除染を強いられることになった。

このブログで紹介した、アニャ・ルゥールは「授乳中の母親の会」の世話役となり、子どもにあらわれるであろう後遺症を追う必要があるとして、子どもたちの統計的調査を行うことを呼びかけた。

もっとも西ドイツで大きな「親の会」になったのは、ドイツ北部のキール市に本部をおく「無汚染食品のための親の会」であると田代は述べている。この会は、政治問題ではなく、食物の問題を前面に押し出しており、1986年6月12日には、母親たちはシュレスヴィヒ・ホルンシュタイン州の社会省に妊婦や成長する幼児たちに汚染されていない特別食を求めて団交し、その直後にハンストに入った。田代は「母親たちはECがストックしている汚染されていない食品を提供させること、そのほかスウェーデンで実行したように、汚染された草を刈り、廃棄することを要求した。ハンストを続ける妻たちのために夫たちは飲物を差入れ、家で子どもらの面倒を見た」と指摘している。

このように、チェルノブイリ事故の際の西ドイツ社会において、母親たちがさまざまな取り組みをしていたことをみてきた。今、脱原発デモに出ると「子どもを守ろう」という声が鳴り響いている。そして、放射能測定をする母親たちは無数にいる。その人びとに、西ドイツでも同様であったことを実感してほしいと思う。

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