江戸―東京の通史は、それこそ、この地域に人類が居住を開始した旧石器時代まで遡ることができる。しかし、都市としての江戸―東京の始まりは、「江戸」と名付けられた地域に遡及することができるだろう。古代律令制の時代、後の江戸―東京の中心部は、武蔵国豊島郡湯島里と武蔵国荏原郡桜田里に所属していたとみられる。中世になってはじめて、武蔵国豊島郡江戸郷が成立した。そこから江戸が始まったのだ。
といっても、「江戸郷」とは、どこか。近世の江戸は、始まりの「江戸」から著しく拡大している。そもそも、「江戸」はどこかが問題なのだ。そのためには、「江戸」という言葉が、何をさしているかを考えてみなくてはならない。
『新編千代田区史』通史編は、「江戸」の語源について、「入り江(江)の口(戸)」、「アイヌ語の岬・端(ハナ)のetu」、「江所」などの諸説を紹介した上で、「入り江の口」とするのが最もよく理解できるとしている。
「江戸」の語源が「入り江の口」とした場合、その入り江とはどこかとなるのだが、現在、その入り江は、皇居前から日比谷公園にかけて存在していた日比谷入江に比定されている。
そして、「江戸」は、日比谷入江に臨んでいた、現在の江戸城本丸・二の丸・三の丸・北の丸地域を中心にしていると考えられるのである。