安保法制に反対する運動をしてきた学生団体SEALDsの中心的メンバーである奥田愛基に、自身と家族に対する殺害予告が届き、奥田は警察に被害届を提出した。まず、朝日新聞の次のネット配信記事をみてほしい。
SEALDsの奥田さんに殺害予告届く 大学に書面
2015年9月28日20時02分安全保障関連法案への反対運動をしてきた学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバー、奥田愛基さん(23)が28日、自身と家族に対する殺害予告の書面が届いていたことをツイッターで明らかにした。奥田さんは、神奈川県警港北署に被害届を提出したという。
奥田さんによると、「奥田愛基とその家族を殺害する」という趣旨の手書きの書面1枚が入った封書が24日、奥田さんが在籍する明治学院大に届いたという。同大広報課は「調査中」とし、詳細を明らかにしていない。
奥田さんは、国会前などで学生が主催した抗議行動の中心メンバー。参院特別委員会が今月15日に開いた中央公聴会に公述人として出席し、「国会を9月末まで延ばし、国民の理解を得られなかったのだから、廃案にするしかない」などと述べていた。
http://www.asahi.com/articles/ASH9X67FVH9XUTIL06P.html
奥田個人も自身のツイッターで28日に報じている。
学校の方に、僕と家族に対する殺害予告が来ました。なんか、僕だけならまだしも、なんで家族に対してもそうなるのか…。何か意見を言うだけで、殺されたりするのは嫌なので、一応身の回りに用心して、学校行ったりしてます。被害届等、適切に対応してます。
https://twitter.com/aki21st?lang=ja
この奥田の発言に対し「ぺトリオットセイ」なる人物が次のようにかみついてきた。
表だって政治活動をするなら、それくらいの覚悟があって当たり前だろwwwやっぱりただのヘタレ学生集団だな。
しかもテレビにまで露出してるのに。そこまで想定して覚悟できてないんなら、デモもテレビ露出もするな。
まあ、「ぺトリオットセイ」なる人物の言い分は、「殺される覚悟」があるのが「当たり前」であり、なければ、デモやテレビなどでの意見表明などするなというのである。
さすがに、奥田も次のように反論した。
こういうマインドで殺害予告とか書いてるんだろうな。嫌だったら黙っとけって言いたいんだよね。嫌だし、黙らない。ごめん。そんな当たり前知らない。
その後も、ツイッター上で多くの人が「ぺトリオットセイ」に対する批判を続けた。しかし「ベトリオットセイ」は反論を続け、このように言い出した。
シールズかしらんがそもそも履き違えてるみたいだけど、そもそも間接民主制の一番の基本は選挙。殺害予告に対する覚悟とは、他人がそのせいで殺されたら自分のせいだし、十分ありうることだ事前に認識し、自分がそれで殺されても構わないと思うこと。
「ペトリオットセイ」は、間接民主制の基本は選挙なんだという。そういうことを履き違えているSEALDsについて、自他ともに殺害予告への覚悟があるべきだというのである。たぶん、ここには「自己責任論」があるのだろう。イレギュラーな形で意見表明することは「殺害」を惹起することにつながるのだから、殺されても文句を言うなということなのであろう。
もともと、安保法制に反対し安倍政権の退陣を求める意見を非暴力的に表明したSEALDsの一員への殺害予告について、覚悟がないなら発言するなというのはとんでもない意見である。それは「殺害予告」による「自由な言論」の封殺を是認する論理である。奥田のいうように「殺害予告者」に極めて近い姿勢といえる。
ただ、その上で考えてみたいのは、この「ペトリオットセイ」なる人物は、どのような「民主制」観をもっているのだろうかということである。「民主」ということは、それぞれの人民がそれぞれの意見を自由に表明するということが基本であり、「選挙」代表を要する「間接民主制」というのは、とりあえずの手段でしかない。人民が、いかなる立場であろうとも、自由に意見を主張するということが民主制の基本である。
そして、「選挙」というのも、人民の多様な意見を前提として、それらを組織化し、多数派を形成することから成り立っているだろう。政党とは、そのような人民の多様な意見を収束する核として成立してくるといえる。しかしながら、「選挙」とそれを前提とする政党は二次的な存在にすぎない。その前提に多様な人民の意見があり、そして、様々な形で自由に表明されている。デモやテレビでの露出は確かにその一つであるが、それだけにはとどまらない。新聞・雑誌・図書などの言論の場でも表明されるであろうし、経団連や業界団体さらには地方自治体などの「陳情」という形でも表明されている。そして、本来であれば、それらの多様な意見が政治に反映されていくといえる。
「ペトリオットセイ」の民主制とはなんだろうか。彼は、デモなどを通しての自由な意見表明はイレギュラーなものであり、「死を覚悟すべき」ものとした。そして、「間接民主制」の基本は「選挙」であるとした。奥田を含め、多くの人間が死を賭して意見表明などはできない。「ペトリオットセイ」の考え方を敷衍していくと、彼の考える「間接民主制」の主体は、選挙で選出される代表ーたぶん「命にかえても」などと絶叫していることだろうーであり、人民の自由な意見の表明など必要がないということになるだろう。人民の参政権は「選挙」だけに限定されるのである。日常的に自由な意見を表明し交換することができなければ、「選挙」というのも選出代表を「信任」する行為でしかない。このどこに「民主」があるのか。このどこに「自由」があるのだろうか。
そして、この「ペトリオットセイ」のツイッターにおけるプロフィールは、次のようになっている。
日本は自由主義国です。自由を愛するそこの君、貴方の自由を保障する日本国を守りましょう。そして、国民の自由を保障する日本への脅威となる国を見逃してはいけません。 政治は歴史に謙虚でなければならない。 ならば政治が学ばなければならないことは「ナチスの膨張を見過ごした英仏、とりわけフランスに成るな。」ということだ。
https://twitter.com/kenshiro1229912?lang=ja
自由な言論の場を認めない者が「自由を保障する日本国」を守りましょうと呼びかけている。ここに、現代日本の大いなる逆説があるのである。