Feeds:
投稿
コメント

Archive for the ‘環境史’ Category

さて、ここで、イタリアの哲学者ジョルジョ・アガンベンの新型コロナウィルス肺炎感染対策としてとられた都市封鎖ーロックダウンについての激烈な批判をみていこう。

アガンベンの発言は、「エピデミックの発明」(2020年2月26日発表)、「感染」(2020年3月11日発表)、「説明」(2020年3月17日発表)の3つであり、いずれも『現代思想』5月号(青土社、ここではKindle版より引用)に訳出されている。

アガンベンの発言にふれるまえに、wikipediaの「イタリアにおける2019年コロナウィルス感染症の流行状況」によって、簡単にイタリアの状況をみておきたい。イタリアにおいて新型コロナウィルス肺炎の感染症例が公式に報告されたのは、2020年1月30日であったが、その際の感染者は2名に過ぎず、それも中国人の渡航者であった。全世界的にみても、その当時(1月31日)の感染者数は9826名、死亡者は213名で、大多数は中国で発生していた。それでもイタリア政府は非常事態を宣言した。その後、2月22日に感染者数が増加した北部の11の自治体では都市封鎖を実施し、翌23日には北部の学校・美術館・劇場・映画館などの閉鎖が命令された。それでも、2月23日の感染者数は150名、死亡者は3名で、1月30日からみれば増えたものの、今からみれば数少なかった。アガンベンが「エピデミックの発明」を発表した2月26日の感染者数は445名、死亡者数は12名、2月29日の感染者数は1128名、死亡者数は29名と増加傾向は顕著となっていたが、今日の時点からみれば少なく感じられる。ちなみに、2月29日の全世界における感染者数は85403名、死亡者数は2924名であったが、やはりその多くが中国で発生していた。しかし、3月になるとイタリアにおいては指数関数的といわれるような爆発的感染となり、3月15日に感染者数24747名、死亡者数は1809名、3月31日には感染者数105792名、死亡者数12428名となった。イタリア政府は感染拡大に応じて、3月7日に、北部・中部諸州における都市封鎖の対象地域を拡大し、3月9日にはイタリア全土が対象となった。

2020年3月という時期は欧米で新型コロナウィルスの爆発的な感染が顕著になった時期で、3月31日時点では、アメリカ合衆国が感染者数185991名、死亡者数は3806名、スペインが感染者数111541名、死亡者数8662名、フランスが感染者数52128名、死亡者数3523名、イギリスが感染者数25521名、死亡者数3095名、全世界では感染者数750890名、死亡者数36405名を数えた。ちなみに、現時点(6月2日)では、イタリアでは感染者数233197名、死亡者数33475名、全世界では感染者数6343360名、死亡者数が376305名となっている。現時点では、イタリアの感染も拡大してきたのだが、全世界ー特にアメリカ合衆国・ブラジル・ロシアなどーの感染拡大のペースはイタリアのそれをかなり上回っている。

なお、イタリアでは、5月18日より段階的に都市封鎖ーロックダウンの解除が進められ、6月3日からは国内移動や国境通過(ただし、相手国の対応次第)も解禁された(https://www.bbc.com/japanese/52916367 https://www.bbc.com/japanese/52702252)。

アガンベンが「エピデミックの発明」を発表したのは、感染増加傾向はみられたが、今日ほどの状況ではないなか、北部の11の自治体で都市封鎖がなされた時点であった。アガンベンは、この時期にだされた、新型コロナウィルス肺炎は通常のインフルエンザとそれほど違わないものとするイタリア学術会議の声明を典拠にして、次のようにいっている。

コロナウイルス由来のエピデミックとされるものに対する緊急措置は、熱に浮かされた、非合理的な、まったくいわれのないものである。

アガンベンは、根拠が薄弱にもかかわらず、新型コロナウィルス肺炎対策として都市封鎖が行われたことについて、「メディアや当局が全国で激しい移動制限をおこない、生活や労働のありかたが通常に機能することを宙吊りにして正真正銘の例外状態を引き起こし、パニックの雰囲気を広めようと手を尽くしている」と指摘する。なお、「例外状態」とはアガンベンの思想のキーワードだが、ここでは「国家的非常事態」と、とりあえずは理解してほしい。アガンベンがこの文章を発表した際には、まだ一部の地域に限定されて都市封鎖が実施されていたが、この措置は全国に拡大するだろうとも述べていた。実際、都市封鎖は3月9日には全国に拡大されたのである。

アガンベンは、都市封鎖において想定されている「自由に対する重大な制限」を次のように列挙する。

A:当該自治体・地域にいる全個人に対する転出禁止。

B:当該自治体・地域への進入禁止。

C:場所の公私を問わず、あらゆる性質のデモや企画、イベント、あらゆる形態の集会の中止。文化・娯楽・スポーツ・宗教に関わるものもすべて中止。公衆向けの、閉ざされた場での開催も中止。

D:幼児から小中高までの教育サービスの中止、また教育活動への出席や高等教育の中止。ただし遠隔教育を除く。

E:博物館・美術館ならびに、文化財景観法典第一〇一条、二〇〇四年一月二二日付政令第四二号に関わるその他の文化施設・場の、公衆に対する入場サービスの中止。当該施設・場への無料入場に対する中止措置の有効性は言を俟たない。

F:国内、国外を問わず、教育目的のいっさいの旅行の中止。

G:倒産手続きの中止、また、公益ある本質的サービスの提供以外の役所の活動の中止。

H:拡散した伝染病の症例であると確認された者と濃厚接触した個人に対する、積極的監視をともなう検疫隔離措置の適用。

 

このような自由の制限をもたらしたものとして、アガンベンはテロリズムなどの脅威などを口実にして、諸政府が「例外状態を通常の統治パラダイムとして用いるという傾向」と、「諸政府によって課される自由の制限はセキュリティへの欲望の名において受け容れられるが、当の諸政府こそがセキュリティへの欲望を駆り立て、その欲望を充たすべくいまや介入をおこなう」社会状況をあげている。

 

このアガンベンの発言は、ヨーロッパの哲学者たちからの強い批判を受けた。フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーは「ウィルス性の例外化」(2月27日発表)を、イタリアの哲学者ロベルト・エスポジトが「極端に配慮される者たち」(2月28日発表)を、イタリアの精神分析学者・哲学者セルジョ・ベンヴェヌートが「隔離へようこそ」(3月5日発表)を出し、それぞれアガンベンの発言を批判した(それぞれ『現代思想』5月号所収)。

このように批判を受け、イタリア社会においても爆発的感染があきらかになった3月中旬においても、アガンベンは都市封鎖政策を批判しつづけていた。アガンベンの「感染」(2020年3月11日発表)、「説明」(2020年3月17日発表)において、さすがに新型コロナウィルス肺炎をインフルエンザにたとえるような論理は影を潜めたが、あいかわず激烈に都市封鎖政策批判を行っている。

まずは、「感染」からみておこう。アガンベンは16~17世紀のペスト流行時に、その流行がペストの病毒を市街に塗り付けた「ペスト塗り」によって引き起こされたと認識されて警戒されたことを引き合いにして、現在のイタリアの措置は「 事実上、 それぞれの個人を潜在的なペスト塗りへと変容させている。 これはちょうど、 テロに対する措置が、 事実上も権利上も全市民を潜在的なテロリストと見なしていたのと同じである 」とする。そして「私見では、 この措置のうちに暗に含まれている自由の制限よりも悲しいのは、 この措置 によって人間関係の零落が生み出されうるということである」とアガンベンは言う。社会的距離をとれと人々に強制することは、そういうことに結果していくのである。そして、それは「大学や学校がこれを限りと閉鎖され、 授業がオンラインだけでおこなわれ、 政治的もしくは文化的な話をする集会が中止され、 デジタルなメッセージだけが交わされ、 いたるところで機械が人々のあいだのあらゆる接触 ―― あらゆる感染 ―― の代わりとなりうる、 という状況 」が創出されるとアガンベンは指摘するのである。

「説明」では、このような状況の社会的な意味について説明している。アガンベンは次のように言う。

私たちの社会はもはや剥き出しの生以外の何も信じていないということである。 病気になる危険を前にしたイタリア人 に、 ほとんどすべてのものを犠牲にする用意があるというのは明らかである。 ほとんどすべてのものとは、 通常の生活のありかたや社会的関係や労働、 さらには友人関係や情愛や宗教的・政治的な信念のことである。

引用箇所でアガンベンは「剥き出しの生」という概念をつかっている。この「剥き出しの生」という概念もアガンベンの重要なキーワードなのだが、とりあえず、自然的な生、生物学的な生として理解しておく。ここでの文脈は、通常の社会的関係をすべて犠牲にして、生物的な生存のみを追い求めているということになるだろう。

そして、アガンベンは「 諸政府がしばらく前から私たちを慣れさせてきた例外状態が、 本当に通常のありかたになったということである」とし、次のように指摘する。

永続する緊急事態において生きる社会は、 自由な社会ではありえない。 私たちが生きているのは事実上、「 セキュリティ上の理由」 と言われているもののために自由を犠牲にした社会、 それゆえ、 永続する恐怖状態・セキュリティ不全状態において生きるよう自らを断罪した社会である。

 

すでに見てきたように、アガンベンの都市封鎖ーロックダウン批判には強い批判がある。今まで紹介してきたものの他に、ジャン=リュック・ナンシーが再び「あまりに人間的なウィルス」(3月17日発表、『現代思想』5月号訳出)でアガンベンを批判し、スロベニア出身の哲学者スラヴォイ・ジジェクも、「監視と処罰ですか?  いいですねー  お願いしまーす!」(3月16日発表、『現代思想』5月号訳出)と「人間の顔をした野蛮がわたしたちの宿命なのかーコロナ下の世界」(3月18日発表、『世界』2020年6月号訳出)でアガンベンを批判している。それらについては、次回以降の本ブログでみていきたい。

ただ、ざっとみても、アガンベンの反対意見については問題があるだろう。そもそも、インフルエンザのようなものだから特別な感染対策をたてる必要がないというのは、2~3月時点で世界の各国である程度みられたが、現時点でみると、とてもそうはいえない。また、前回紹介したハーヴェイが指摘しているように、都市封鎖ーロックダウンにおいては、それまでの新自由主義下における過度に浪費的で環境破壊的な現代資本主義へのアンチテーゼという意味もあろう。加えて、それぞれの各国の国家権力が「例外状態」を宣言して人々の生を「剥き出しの生」に単線的にもとめているというのも、日本の安倍政権の緊急事態宣言発布をめぐる逡巡や、その日本も含めた世界各国の政権が、多かれ少なかれ、「経済の復活」を求めて都市封鎖ーロックダウンの緩和を志向していることをみていると、やや単純にすぎる見方とも思える。

ただ、都市封鎖ーロックダウンについて、アガンベンの批判は一部あたっているように思える。第一に、人々が直接接触しないことが強制された状況の中で、彼らは、アガンベンのいうような「剥き出しの生」をこえた、人間としての生をおくることは可能なのかという問いである。社会的距離を取るということを厳格に励行するならば、家族以外と社会関係を維持することは可能なのだろうか。そして、そのような社会関係が初めて成立する営為ー学術的・教育的・文化的な営みは、これまでのように続けていけるのだろうか。

また、このような都市封鎖ーロックダウンを維持するためには、やはり、通常とは異なった「例外状態」における権力行使が必要であろう。日本の場合では、あからさまな強権行使という形ではなく、都市封鎖に即して人々に「自粛」を要請するという形をとったが、これは決して非権力的なものではなく、「自粛」を守らないという人々への「社会的制裁」ーつまりは「自粛警察」を前提にしたものであった。国家権力が責任を取らない形での「例外状態」における権力行使という観点も考えることができる。

こういう観点も含めて、次回以降の課題となるが、「例外状態」と「剥き出しの生」を扱ったアガンベンの代表的な著作『ホモ・サケルー主権権力と剥き出しの生』を参照して考えてみたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Read Full Post »

繰り返すあやまちの そのたび ひとは

ただ青い空の 青さを知る

(中略)

生きている不思議 死んでいく不思議

花も風も街も みんなおなじ

(中略)

海の彼方には もう探さない

輝くものは いつもここに

わたしのなかに 見つけられたから

(覚和歌子・木村弓「いつも何度でも」)

 

さて、これまで、新型コロナウィルス肺炎感染対策としての都市封鎖ーロックダウンが、皮肉なことに地球環境の改善の一時的ではあれ寄与してきた現象をみてきた。ここでは、それが世界史的にみてどういう意義を有しているかを、経済地理学者で、現代の新自由主義を批判しているディビッド・ハーヴェイが2020年3月に発表し、『世界』(岩波書店)の2020年6月号に訳出された「COVID-19時代の反キャピタリズム運動」を手がかりにしてみていこう。

ハーヴェイは、自身がさまざまなニュースを解釈し分析する資本主義の枠組みとして2つのモデルを用いているという。一つは資本の流通・蓄積の内的矛盾を描くことである。もう一つは、ハーヴェイの言葉によれば「世帯や共同体での社会的再生産というより広範な文脈、自然(ここには都市化と建造環境という「第二の自然」も含まれている)との物質的代謝関係のーつねに進化を付随させたー進行、そして時間と空間を超えて人間諸集団がきまって創造するような実にさまざまな文化的、科学(知識基盤)的、宗教的、状況依存的社会構成体」である。ハーヴェイは、「自然」を文化・経済・日常生活から切り離す通常の見方を拒否し、「自然との物質代謝関係という、より弁証法的な関係的見地」をとっているとする。彼は、「資本は、それ自体の再生産のための環境的諸条件を部分的に変容させるが、そうするさいには意図せざる結果(気候変動など)と絡み合うことになり、しかもその裏では、自律的で独立した進化の諸力が環境的諸条件を永続的に作り変えている」と述べている。

では、ハーヴェイは、今回の新型コロナウィルス肺炎のパンデミックをどうみているのだろうか。ハ―ヴェイは、ウィルスの突然変異が生命に脅かす条件として、①生息環境の急速な変容や多湿の亜熱帯地域(長江以南の中国や東南アジアなど)での自然依存型もしくは小農型の食料調達システムというウィルスの突然変異の確立を高める環境、②人口集中、密接な人々の相互交流や移動、衛生習慣の違いなど、急速な宿主間感染を高める環境が存在したことをあげ、それらのことから、中国武漢が新型コロナウィルス肺炎感染症の最初の発見地になったことに驚きはないと述べている。そして、武漢が重要な生産拠点であるがために世界規模での経済的影響を与えることになった。大きな問題として、ハ―ヴェイは「グローバリゼーションの昂進の否定的側面の一つは、新しい感染症の急速な国際的拡散を止められないこと」をあげている。拡大したグローバリゼーションの流れにのって、武漢地方で発見された新型コロナウィルス肺炎は世界的に拡大したのである。

とはいっても、イタリア・アメリカなどの欧米諸国での感染は爆発的であった(ハ―ヴェイ執筆時は3月。現時点ー5月ーではブラジルやロシアでの感染も拡大している)。その要因として、中国などの感染拡大を「対岸の火事」として認識したがゆえに初期対応が遅れたこともあげながら、、新自由主義下で「公衆衛生対策に適用されたビジネスモデルによって削減されたのは、非常時に必要な対処のための余力であった」ことを中心的にあげている。ハ―ヴェイは、ある場合には権威主義的な人権侵害の域に達しているとしつつも、「おそらく象徴的なのは、新自由主義化の程度の小さい国々ー中国、韓国、台湾、シンガポールーが、これまでのところイタリアよりも良好なかたちで世界的大流行を切り抜けたことである」と述べている。

そして、ハーヴェイは次のように指摘している。

擬人的な隠喩を用いるとするなら、新型コロナウィルスとは、規制なき暴力的な新自由主義的略奪採取様式の手で40年にわたり徹底的に虐待されてきた自然からの復讐だと結論づけられるであろう。

このパンデミックは、どのような経済的影響を与えるのだろうか。ハーヴェイは、まずはサプライチェーンの途絶や人工知能型生産システムへの傾斜により、労働者の失業をうみ、それが最終需要を減退させることで軽微な景気後退をもたらす可能性を指摘している。しかし、もっとも大きな影響として、「2007〜08年以後に急拡大した消費様式が崩壊し、壊滅的な結果がもたらされた」ことをあげている。これらの消費様式は「消費の回転期間を可能な限りゼロに近づけることに」もとづいており、その象徴として「国際観光業」をあげている。ハーヴェイは「このような瞬間的な「体験型」消費形態にともなって、空港、航空会社、ホテル、レストラン、テーマパーク、そして文化イベントなどへの大規模なインフラ投資が必要とされた。資本蓄積のこうした現場は今では暗礁に乗り上げている」と指摘している。ハーヴェイは、「現代の資本主義経済の七割あるいは八割方でさえも牽引しているのは消費である」にもかかわらず、「現代資本主義の最先端モデルの消費様式は、その多くが現状では機能できない」という。その結果が、これだ。

 

新型コロナウィルス感染症を根底にして、大波乱どころか、大崩壊が、最富裕国において優勢な消費形態の核心で起きている。終わりなき資本蓄積という螺旋形態は内に向かって倒壊し、しかもそれは世界の一部地域から他のあらゆる地域へと広がっている。

 

この新型コロナウィルス肺炎のパンデミックは、「新しい労働者階級」を顕在化させる。ハーヴェイを含めた「有給職員(サラリーマン)は在宅で勤務し、以前と同じ給与を得る」。そして「CEO(最高経営責任者)たちは自家用ジェット機やヘリコプターで飛びまわっている」。しかし、確実に、「供給上の主要機能(食料品店など)の継続や介護の名において感染を被るか、何の手当(たとえば適切な医療)もなく失業するか、そのいずれか」を迫られる「新しい労働者階級」ー特に民族・性別で差別されている人々ーが顕在化したと、ハーヴェイはいうのである。

ハーヴェイは「現代型消費様式は過剰なものに転化していたが、それによってこの消費様式は、マルクスの述べた「過剰消費、狂乱消費」に近づいていたのであり、「これは奇矯・奇怪なものになり果てることで」体制全体の「没落を示」していた」という。その大きな現れが「環境劣化」なのである。このブログと同様に、ハーヴェイもまた、都市封鎖ーロックダウンによって大気汚染などが改善したことを評価し、「見境なく無意味な過剰消費嗜好が抑え込まれることによって、長期的な恩恵ももたらされうる」としている。

他方で、ハーヴェイは、現状の経済危機を克服するためには「経済的にも政治的にも有効になりうる政策は、バーニー・サンダースの提案以上にはるかに社会主義的であり、しかもこれらの救済計画がドナルド・トランプの庇護のもとでーおそらく「アメリカを再び偉大にする」との仮面のもとでー着手されなければならない」と主張している。これは、ポストコロナ世界の危機と可能性をともに示しているといえる。ハーヴェイは「実行しうる唯一の政策が社会主義的であるとするなら、支配的寡頭制は間違いなくこの政策を、民衆のための社会主義ではなく、国家社会主義に変えようと行動を起こす。反資本本主義運動の任務は、その行動を阻むことにある」と結論づけている。

新型ウィルス肺炎のパンデミックへのハ―ヴェイの見方は、新自由主義的に編成された世界資本主義への「自然」からの「復讐」としてとらえているといえる。それゆえ、この危機からの脱却は、単に、それまでのー2020年以前のー世界に復帰することとして考えてはいない。むしろ、この新型ウィルス肺炎のパンデミックがそれまでの新自由主義的な世界資本主義をなんらかの意味で変えていくことを想定している。環境悪化に結果する消費様式の見直しや、社会主義的な政策の必要性などがそれに該当しよう。

このような見方は、同じ雑誌(『世界』6月号)に掲載された哲学者スラヴォイ・ジジェクの「人間の顔をした野蛮がわたしたちの宿命なのかーコロナ下の世界」でも共有されている。ジジェクは、都市封鎖ーロックダウンに反対するジョルジョ・アガンベンに抗して、都市封鎖ーロックダウンをある程度評価したが、その際、環境改善や社会主義など「ラディカルな社会変化」が必要であることも論拠にあげていた。

次回以降は、都市封鎖ーロックダウンの是非をめぐって行われた、アガンベンとジジェクを中心とする論争をみていこう。

 

 

 

 

 

 

Read Full Post »

前回、新型コロナウィルス肺炎の爆発的感染を封じるため、世界の各地域において都市封鎖ーロックダウンが実施され、そのことによって社会的活動全般が抑制され、社会的活動の一つである経済活動も抑えられたため、世界各地の大気汚染などの環境が一時的ではあれ改善されたことを指摘した。このような環境改善は、都市封鎖ーロックダウンとしては十分とはいえない日本ー東京でも、直接的もしくは間接的な形でみられている。前回に指摘したことであるが、それまでの環境悪化は、人々の生命に危険をもたらすほどのものであって、中国などでは、新型コロナウィルス肺炎感染による死亡者数の十倍以上の人命が都市封鎖ーロックダウンによる大気汚染改善によって救われた可能性すら指摘されているのである。

この都市封鎖ーロックダウンによって、自然環境の一部である野生動物たちの世界も変容している。まず、フランス・パリの事例をあげておこう。AFPは、2020年3月29日に次のような記事を配信している。

 

動画:パリの街角をカモが悠々とお散歩、都市封鎖で人影なく
2020年3月29日16:12 発信地:パリ/フランス [ フランス ヨーロッパ ]
(動画省略)

【3月29日 AFP】新型ウイルス対策としてロックダウン(都市封鎖)措置が実施され、不要不急の外出は認められていないフランス・パリで27日夜、コメディ・フランセーズ(Comedie Francaise)劇場前の通りを散歩する2羽のカモの姿が見られた。

 普段の居場所であるセーヌ(Seine)川から活動の場を広げた2羽は、人影が消え静けさに包まれた街角を闊歩(かっぽ)した。(c)AFP

https://www.afpbb.com/articles/-/3275899?cx_part=search(2020年5月17日閲覧)

 

パリのコメディ・フランセーズ劇場は、パレ・ロワイヤルやルーブル美術館の近傍にあり、パリの都心部に所在している。本来は人通りの多いところのはずだが、都市封鎖ーロックダウンによって、人間の往来が絶え、カモ(動画でみると多分マガモ)が闊歩するようになったのである。カモは人間の行動圏に進出したのである。

イギリス・ウェールズのランディドノーという町では、近傍に住んでいる野生のヤギが、外出制限で人通りが絶えた街の中を自由に歩き回っているとCNNなどが報じている。

 

新型コロナで外出制限、人影消えた町にヤギの群れ 英ウェールズ
2020.04.01 Wed posted at 11:55 JST


町にヤギの群れ 新型コロナの外出制限が影響か 英国

(CNN) 英南西部ウェールズの町でこのところ、丘から下りてきた野生のヤギが目撃されている。ヤギの群れは、新型コロナウイルス対策の外出制限で人影の消えた町を歩き回っているようだ。

ウェールズ北部の海岸沿いに位置する町、ランディドノーに27日以降、グレートオーム岬の丘から十数匹の群れが下りてきた。インターネット上に投稿された動画や写真では、ヤギが教会や民家の敷地で草を食(は)んでいる。

地元ホテルの関係者はCNNとのインタビューで、「ヤギはこの時期、グレートオームのふもとまで来ることもあるが、今年は町の中を歩き回っている」「人がいないからどんどん大胆になっている」と指摘。植木をせん定する手間が省けるとも語った。

地元議員の一人は、この地域に住んで33年になるが、町まで下りてきたヤギを見たのは初めてだと話す。

一方で北ウェールズ警察は、野生のヤギに関する通報があったことを確認したうえで、「ランディドノーではそれほど珍しいことではない」と述べた。通常は自然に丘へ戻っていくとの判断から、警官の出動には至っていないという。

https://www.cnn.co.jp/fringe/35151689.html(2020年5月17日閲覧)

 

完全な都市封鎖・ロックダウンではないが、新型コロナウィルス肺炎感染対策のために夜間の外出禁止が禁止されたチリのサンディエゴでは野生のピューマが出没している。AFPは3月25日に次のような

 

夜間外出禁止令で閑散とした首都に野生のピューマ、チリ
2020年3月25日 10:28 発信地:サンティアゴ/チリ [ チリ 中南米 ]

(写真等は省略)
【3月25日 AFP】チリ当局は24日、夜間外出禁止令のために閑散とした首都サンティアゴで、餌を探してうろついていた野生のピューマ1頭を捕獲したと明らかにした。

 新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)を受けて、チリは夜間外出禁止令を出している。


 ピューマは、首都近郊の丘陵地帯から下りてきたとみられる。

 警察および国立動物園と共に捕獲作業に参加した農業牧畜庁(SAG)のマルセロ・ジャニョーニ(Marcelo Giagnoni)氏は、「ここはかつてピューマの生息地だった。われわれが彼らから奪ったのだ」と述べた。

 ピューマは1歳ほどで、体重およそ35キロ。検査のためサンティアゴ動物園(Santiago Zoo)に移送された。

 ジャニョーニ氏によれば、ピューマの健康状態は良好だという。(c)AFP

https://www.afpbb.com/articles/-/3275122(2020年5月17日閲覧)

 

日本でも同じような状況が生まれている。緊急事態宣言で外出制限が抑制されている北海道・根室の市内中心部の公園は人影がまばらとなり、そこにエゾシカが散歩するようになったと毎日新聞は報じている。

 

エゾシカ、公園を「占拠」 コロナで人影まばら 北海道・根室
毎日新聞2020年5月5日 22時00分(最終更新 5月5日 22時00分)

(動画・写真など省略)

 こどもの日の5日、北海道根室市中心部の公園では子どもの姿はまばらで、エゾシカ5頭がのんびりと寝そべる光景が見られた。新型コロナウイルスの影響で親子連れなどが外出を控える中、子どもたちの遊び場を「占拠」した形だ。

 例年であれば、休日やゴールデンウイーク中はブランコや滑り台などの遊具で遊ぶ家族連れでにぎわい、エゾシカがくつろげる雰囲気ではない。しかし、この日の昼前、人影はまばら。普段、早朝以外は市街地に姿を見せることはないエゾシカが白昼堂々現れ、警戒している様子もなく、春の柔らかな日差しを浴びていた。

 車で公園を通りかかった女性は「まるで奈良公園のシカみたい」と目を細めていた。【本間浩昭】

https://mainichi.jp/articles/20200505/k00/00m/040/217000c(2020年5月17日閲覧)

 

人間にとってはあまり歓迎できない動物が目立ってくる場合もある。NHKは、北九州市の繁華街でネズミの大群が出没していることを報じている。似たような話は、東京やニューヨークでも報じられている。

 

ねずみ大群出没 飲食店休業で餌不足か 北九州 新型コロナ影響
2020年4月27日 11時50分

新型コロナウイルスの感染拡大の影響で多くの飲食店が休業している北九州市の繁華街で、ねずみの大群が出没しています。ねずみの駆除業者は休業で餌が少なくなったことなどから、活発に活動をしているのではないかと指摘しています。

居酒屋など多くの飲食店が休業したり夜の営業を取りやめたりしている北九州市のJR小倉駅近くの繁華街では、午後9時ごろになると通りに数十匹のねずみが現れ、道路脇のゴミなどをあさる様子が確認されています。

映像を見た全国のねずみ駆除業者などで作る協議会の谷川力委員長によると、生ゴミなどが主食のドブネズミと見られ、ふだんはビルとビルの間の狭い空間や植え込みの中にいるということです。

また、ねずみが増えているわけではなく、人通りが減って警戒心が低くなっていることに加え、飲食店の休業で餌が少なくなったことから人前に現れ、活発に活動しているのではないかと指摘しています。そして、餌を求めて住宅街などに活動範囲を広げることも懸念されるということです。

谷川委員長は「世界中でこのような事例が増えている。繁華街に定着していたねずみが住宅地に広がるおそれがあるのか調べていきたい」と話しています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200427/k10012406951000.html(2020年5月19日閲覧)

 

このネズミたちは、もともと繁華街に住んでいたのである。「自粛」によって人々の社会的活動が抑制されたということが、ネズミたちの餌を減少させ、さらに人目が少なくなったために、ネズミが活動するようになったのである。

もちろん、これらの動物たちは、新型コロナウィルス肺炎対策のための都市封鎖ーロックダウン以後、そのことによって直接増えたというわけではない。それまでも、近傍に住んでいたのである。人の目がなくなって、動物たちの警戒心が薄れて、街なかに帰還してきたのである。

ただ、このことは、それまで、人間の存在自体が、これらの動物にどれほどの負荷を与えていたかということを実感させることになったといえる。これもまた、21世紀の現代における人間社会の動向が、地球環境に大きな負担になっていることの一つの証左なのだといえる。

それでは、このようなことは、現代の社会において、どのような意味を持っているのか。次回以降、考えてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

Read Full Post »

新型コロナウィルス肺炎感染拡大に対して、世界の多くの国々がとっているのが、市民の外出を必需品買い出し以外は制限する都市封鎖ーロックダウンである。爆発的感染がみられた中国、イタリア、スペイン、フランス、アメリカや、予防的にインドなどで行われた。日本の緊急事態宣言による外出自粛の要請も、法的強制力の有無の違いはあるものの、同様の意図があるといえる、この措置は、経済活動を含む社会的活動全般を抑制するもので、そのことによって、政府・企業・市民が多大な経済的困窮に直面することになった。その意味で、この都市封鎖ーロックダウンは、それぞれの社会にとって、社会的危機につながっていくことになった。

他方で、皮肉なことに、この都市封鎖ーロックダウンによる経済活動の抑制は、地球環境を一時的に改善することにつながった。そのことについては、前回の投稿で自分の生活圏である東京の状況をみてみた。ここでは、まず、世界で最初に爆発的な感染を抑制するため武漢市ー湖北省の都市封鎖ーロックダウンを2020年1月23日に実施した中国の状況をみてみよう。CNNは、2020年3月18日、スタンフォード大学のマーシャル・バーク准教授の推計をもとに、次のような記事を配信した。

 

新型ウイルス対策で中国の大気汚染が改善、数万人が救われた可能性
2020.03.18 Wed posted at 11:55 JST

(CNN) 中国が新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために打ち出した厳重な対策のおかげで、大気汚染が改善されて5万~7万5000人が早死にリスクから救われた可能性があるという推計を、米スタンフォード大学の研究者がまとめた。

この推計は同大学のマーシャル・バーク准教授が、社会と環境の関係をテーマとする学術サイトの「G―Feed」に発表した。「大気汚染の減少によって中国で救われた命は、同国で今回のウイルス感染のために失われた命の20倍に上る可能性が大きい」と指摘している。

中国は大気汚染対策に力を入れているが、依然として世界の中で最悪級にランクされていた。世界保健機関(WHO)の推計では、汚染された大気に含まれる微小粒子状物質のために死亡する人は年間およそ700万人に上る。中国経済環境省によると、新型コロナウイルスの発生源となった湖北省では今年2月、大気の状態が「良好」だった平均日数が、前年同月に比べて21.5%増えた。

米航空宇宙局(NASA)や欧州宇宙機関(ESA)の衛星画像を見ても、中国の主要都市で1月~2月にかけ、車や工場、工業施設などから排出される二酸化窒素の量は激減していた。

バーク准教授は微小粒子状物質「PM2.5」に着目し、2016~19年にかけて中国の4都市で測定された大気汚染に関するデータをもとに、汚染物質は立方メートル当たり15~18マイクログラム減ったと算定した。

過剰推計を防ぐため、この減少値を10マイクログラムに抑え、都市部の住民のみが大気汚染改善の恩恵を受けると推定。2008年の北京オリンピックで中国政府が厳重な排出規制を導入した際に健康状態が改善されたことを示す過去のデータも取り入れて、影響を算出した。その結果、新型コロナウイルス対策による2カ月間の大気汚染改善のおかげで中国で救われた命は、5歳未満の子どもが1400~4000人、70歳以上の大人は5万1700~7万3000人と推定した。

ただ、新型コロナウイルス感染拡大の影響は、直接的な死者のみにとどまらず、経済状態の悪化や医療機関を受診しにくくなるなどの影響もあるとバーク准教授は言い、「パンデミックのない経済運営の中で覆い隠されていた健康面の代償が、パンデミックのせいで目に見えるようになった」と指摘している。

https://www.cnn.co.jp/world/35150996.html(2020年5月12日閲覧)

 

この記事においては、中国において都市封鎖後に工場や自動車から排出される二酸化窒素やPM2.5などの大気汚染物質が激減したことを報じている。前回のブログで指摘した東京の大気汚染の改善は、中国の汚染状況の改善が大きく寄与しているといえる。この記事は、中国の大気汚染改善という事実の指摘にはとどまらない。バーク准教授は、この大気汚染状況改善によって、大気汚染を原因として失われる中国人の命が「5歳未満の子どもが1400~4000人、70歳以上の大人は5万1700~7万3000人」と推定している。5月12日現在で新型コロナウィルス肺炎感染による中国の死亡者数は4633人と発表されておりーこの数値には疑問の余地があるがー、その10倍以上の人命が皮肉なことに新型コロナウィルス肺炎によって救われたということになる。バーク准教授は「パンデミックのない経済運営の中で覆い隠されていた健康面の代償が、パンデミックのせいで目に見えるようになった」と主張している。ただ、この記事では、経済状態の悪化や医療機関受診の困難さなど、新型コロナウィルス肺炎のパンデミックによる人々の命に対する悪影響も指摘している。

 

続いて、北部地方における爆発的な感染によって、3月9日に全土がロックダウンされたイタリアの状況をみてみよう。前回のブログで引用したウェザーニューズ社配信(4月22日)の「4月22日は地球の日(アースデイ) 新型コロナで地球環境は改善か」では、中国・アメリカ・日本の状況とともにイタリアの状況を伝えている。同記事によると、

新型コロナウイルスの感染が蔓延したイタリアでも二酸化窒素排出量が激減しました。欧州宇宙機関(ESA)が二酸化窒素排出量変化(10日間における移動平均値)の動画をホームページ上で公開しています。1月の平常時(図1)と感染が拡大して移動制限と工場操業停止が行われた3月(図2)を比較すると、特にイタリア北部地域で二酸化窒素排出量が顕著に減少していることがわかります。https://weathernews.jp/s/topics/202004/210055/(2020年5月13日閲覧)

という状況である。この状況は、たぶん、ロックダウンが実施されたスペイン・フランス・イギリスでも共通しているであろう。

続いて、アメリカの状況をみておこう。アメリカの各都市も、新型コロナウィルス肺炎の爆発的な感染を封じ込めるために、3月よりロックダウンされるようになった。それが大気汚染にどのように影響したのか。CNNは2020年3月24日に次のように伝えている。

 

米大都市の大気汚染も改善、衛星画像が映し出す新型コロナ対策の効果
2020.03.24 Tue posted at 11:31 JST

(CNN) 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて何百万人もの米国人が在宅勤務に切り替え、学校や公共の場も閉鎖される中で、大気汚染が改善された様子を衛星画像が映し出している。

(衛星画像は省略)

衛星画像は3月の最初の3週に撮影されたもので、前年同時期に比べて米国上空の二酸化窒素の量が減ったことを示していた。米環境保護局によると、大気中の二酸化窒素は主に燃料を燃やすことによって発生し、自動車やトラック、バス、発電所などから排出される。

ウイルス感染拡大防止のために外出禁止などの厳重な対策を打ち出したカリフォルニア州では特に、二酸化窒素の濃度が目に見えて低下していた。新型ウイルスの影響が大きいワシントン州西部のシアトル周辺でも、過去数週間の二酸化窒素の濃度は大幅に減少した。

二酸化窒素の変化を表す画像は、デカルト研究所が加工した衛星画像を使ってCNNが作成した。

大気汚染の改善については、米航空宇宙局(NASA)や欧州宇宙機関(ESA)の衛星画像でも、中国が打ち出した厳重な対策のおかげで二酸化窒素の排出量が激減したことが示されていた。米スタンフォード大学の研究者は、このおかげで5万~7万5000人が早死にリスクから救われた可能性があると指摘している。

NASAの研究者は「特定の出来事のためにこれほど広い範囲で激減が見られたのは初めて」と述べ、「全米で多くの都市が、ウイルスの感染拡大を最小限に抑える対策を講じているので、驚きはない」と話している。

https://www.cnn.co.jp/usa/35151251.html(2020年5月13日閲覧)

 

アメリカでも、ロックダウン以降、二酸化窒素が前年に比べて大幅に減少したのである。この記事でも、中国が大気汚染改善により多くの人命が救われた可能性があることに言及されている。

それでは、3月25日より全土がロックダウンされたインドではどうだろうか。インドは中国と同様に大気汚染が著しいとされていた。このインドの大気汚染について、CNNは、2020年4月10日に、次のように伝えている。

 

インド北部から数十年ぶりにヒマラヤ眺望、新型コロナ対策で大気汚染改善
2020.04.10 Fri posted at 11:01 JST

(画像などは省略)

(CNN) インド北部のパンジャブ州で、200キロ近く離れたヒマラヤ山脈が数十年ぶりに見晴らせるようになり、市民を感嘆させている。同国では新型コロナウイルス対策のロックダウン(都市封鎖)で全土の大気汚染が大幅に改善していた。

同州ジャランダルや周辺地域の住民は、自宅から撮影したヒマラヤ山脈の写真をインターネットに投稿している。「インドのロックダウンのおかげで大気汚染が晴れ、ほぼ30年ぶりにヒマラヤ山脈がはっきり見える。素晴らしい」という書き込みもあった。

インドでは新型コロナウイルス対策のため工場が閉鎖され、道路から車が消え、空の便も運航を停止したため、ここ数週間で大気汚染が劇的に改善していた。

デリーでは規制が始まった初日に微小粒子状物質「PM10」が最大で44%減少。全土のロックダウンの第1週目は、85都市で大気汚染が改善した。

ジャランダルの大気の状態は、全土のロックダウンが発表されてからの17日間のうち16日で「良好」と評価されている。これに対して前年の同じ期間の17日間は、大気の状態が「良好」だった日は1日もなく、今年3月1日~17日にかけても3日しかなかった。

インドは2週間以上前から都市封鎖に入り、モディ首相は国民の外出を全面的に禁止すると発表していた。

https://www.cnn.co.jp/world/35152184.html(2020年5月14日閲覧)

 

このように、デリーではPM10がロックダウン初日から44%減少するなど、各都市の大気汚染状況は改善され、インド北部の都市であるジャランダルでは、それまで見えなかったヒマラヤ山脈が見えるようになったということである。

なお、新型コロナウィルス肺炎感染による死亡率は大気汚染によって悪化すると、ナショナル・ジオクラフィックが2020年4月11日に伝えている。もし、そうだとすると、都市封鎖ーロックダウンによる大気汚染状況の改善は、新型コロナウィルス肺炎の医療的ケアの一助にもなったといえよう

 

新型コロナの死亡率、大気汚染で悪化と判明、研究

衝撃的な影響の大きさ、だが都市封鎖で汚染は改善、緩和後の環境対策に一石
2020.04.11

 世界中で猛威をふるう新型コロナウイルスは、医療崩壊から極端な貧富の格差まで、現代社会の弱点を突きながら拡散している。しかし、無視されがちなある大問題との関係は、少々複雑だ。それは、大気汚染がパンデミック(世界的な大流行)を悪化させた一方、そのおかげで、一時的でも空がきれいになっているということだ。

 米ハーバード大学T・H・チャン公衆衛生大学院の研究者が、1本の論文を公開した。査読を受けて学術誌に発表されたものではないが、それによると、PM2.5と呼ばれる微粒子状の大気汚染物質を長年吸い込んできた人は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による死亡率が大幅に高くなるという。

 大気汚染の科学に関心を持つ人々には意外ではない。とはいえ、その影響の大きさは衝撃的だった。

 研究者らは、米国の人口の98%をカバーする約3000の郡について、大気中のPM2.5の濃度と新型コロナウイルス感染症による死者数を分析した。すると、PM2.5の濃度が1立方メートルあたり平均わずか1マイクログラム高いだけで、その死亡率(人口当たりの死者数)が15%も高かった。

「汚染された大気を吸ってきた人が新型コロナウイルス感染症にかかったら、ガソリンに火をつけるようなものです」と、論文の著者であるハーバード大学の生物統計学教授フランチェスカ・ドミニチ氏は言う。

 PM2.5は体の奥深くまで侵入して高血圧、心臓病、呼吸器障害、糖尿病を悪化させる。こうした既往症は新型コロナウイルス感染症を重症化させる。また、PM2.5は免疫系を弱体化させたり、肺や気道の炎症を引き起こしたりして、感染や重症化のリスクを高める。(参考記事:「新型コロナ、重症化しやすい基礎疾患の致死率は?」)

 ドミニチ氏らは、現在のパンデミックの中心地であるニューヨーク市のマンハッタンを例に、大気汚染の影響を説明した。マンハッタンではPM2.5の平均濃度が1立方メートルあたり11マイクログラムあり、4月4日時点で1904人の死者が報告されている。

 研究チームの推算によると、過去20年間のPM2.5の平均濃度があと1マイクログラムでも少なければ、死者数は248人も少なかったはずだという。もちろん、犠牲者の数は4月4日以降も増え続けている。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/041000226/(2020年5月15日閲覧)

 

このように、新型コロナウィルス肺炎の爆発的な感染を抑え込むために世界の各地域で行われた都市封鎖ーロックダウンは、皮肉なことに、近年の世界的課題であった地球環境の改善に一時的ではあれ肯定的な結果をもたらした。中国などの例によれば、新型コロナウィルス肺炎感染による死亡者の10倍以上が、大気汚染による死亡から救われたことになる。こうなると、そもそも、新型コロナウィルス肺炎パンデミック以前の世界とは何であったかという問いが惹起せざるを得ないのである。

さて、次回は、新型コロナウィルス肺炎対策としての都市封鎖ーロックダウンが、動物の世界にどのような影響を与えたかをみておこう。

 

Read Full Post »

ひとつぶの砂にも世界を
いちりんの野の花にも天国を見
きみのたなごころに無限を
そしてひとときのうちに永遠をとらえる
(ウィリアム・ブレイク「無心のまえぶれ」〈寿岳文章訳〉 http://pb-music.sakura.ne.jp/PoetBlake.htm〈2020年5月12日閲覧)より引用)

 

新型コロナウィルス肺炎のパンデミック後の世界はどうなっていくのだろうか。2019年末以降、世界各地ー中国・イタリア・スペイン・イラン・フランス・アメリカ・ドイツ・ブラジルなどの諸国で多く数多くの感染者・死者が出ている。これらの諸国の多くでは、感染対策として都市封鎖・ロックダウンなどと称される、人々の外出・旅行の制限措置がなされた。この措置は、経済活動・教育活動・文化活動を含む社会的活動の多くの部分が抑制することにつながっている。いまや、感染対策として、世界の多くの人々は、密集をさけ、社会的距離をとることが求められている。そして、これらのことは、世界全体の経済活動をおしどめることになった。

日本は、比較するならば、爆発的感染という状況にはいたっていないが、2〜3月以降、国内でも感染は拡大し、2月には大規模なイベントの「自粛」が要請され、3月には全国の学校が休校となり(4月以降、部分的には再開)、4月には緊急事態宣言が出された。そして、順次、テレワークや在宅勤務が奨励され、デパート・飲食店などは休業や営業時間短縮などが要請された。図書館・博物館・美術館・資料館・水族園・動物園・テーマパークなど、人々が集まる可能性があるとされた施設の多くが閉鎖された。また、旅行や都心部に出ていくことも「自粛」が要請された。とはいえ、これらの措置は、世界各国のロックダウンや都市封鎖などのように法的な強制力をもったものではなく、その点では不十分な措置といえる。それでも、日本の多くの市民は、スーパーなどの買い出しや、運動・散歩以外は、自宅から出ないことを公権力から要請されたのである。そして、多くの市民たちは、失業・営業停止・給料減額などの経済的困難への不安にさらされることになった。

というわけで、東京都練馬区にすんでいる私も、結果的に、その要請に従うことになった。4月以降、勤務先は在宅勤務となり、自治体史編集のために会議や打ち合わせに行くこともままならない。関係する研究会の会議はすべてネット経由となった。情報・文献・資料などの収集のために、図書館などに行くこともできない。大型書店も多くが休業し、開いているところに行けば混雑する。国際交流やフィールドワークなどもできない。結局、自宅周辺にいるしかない。とはいえ、それではあまりにも運動不足となるので、朝のうちに近くの東京都立石神井公園で散歩し、帰りがけにスーパーやホームセンターによって買い出しをするというのが日課となった。

東京都立石神井公園はそれほど大きな公園ではない。この公園は、東京西部の武蔵野台地を流れる小河川石神井川の水源地の一つであり、湧水池である三宝寺池、そしてその下流にある元々は水田であったところをボート池に改修した石神井池からなっている。三宝寺池の中の島(浮島)には、1935年に国の天然記念物に指定されている三宝寺池沼沢植物群落があり、ミツガシワ・カキツバタ・コウホネなどの寒冷地植物が自生している。この二つの池の周辺は雑木林に囲まれている。池のほうにはカワセミ・カイツブリ・バン・アオサギ・ゴイサギ・カワウ・カルガモなどが住んでおり、林のほうには、シジュウカラ・キジバト・エナガなどがいる。そして、渡り鳥としてオナガガモ・コガモ・マガモ・オオバン・キンクロハジロが飛来している。もともと緑の濃い公園であり前から時々行っていた。

しかし、今、公園に行ってみると、前とはなんとなく違う。これほど、緑が鮮明だったのだろうか。まるで、高原の尾瀬ヶ原を歩いているようではないか。こんなに空は澄んでいたのだろうか。まるで、毎日、雨上がりを歩いているようではないか。木々の緑、空の青、公園に咲く花々、池や林でくつろぐ野鳥たち、それらのすべてが、日常のくもりがなく、まるで、突き刺さるかのように、目にうつるのである。

石神井公園(2020年5月7日)

石神井公園(2020年5月7日)

石神井公園(2020年5月10日、青い花はカキツバタ)

石神井公園(2020年5月10日、青い花はカキツバタ)

これは、石神井公園だけではない。自宅の庭も、近所の街路樹も、ふだんよりも生き生きしてみえる。春という季節は、春霞といわれ、黄砂もあり、どちらかといえば埃がかった印象があったが、今年の春は例外である。花の色、木々の緑はくっきりとし、空は真っ青というイメージがある。

これは、私の個人的印象というだけではない。日本気象情報会社ウェザーニューズ社は、「4月22日は地球の日(アースデイ) 新型コロナで地球環境は改善か」(4月22日配信)という記事の中で、新型コロナパンデミック後、世界各地で環境が改善しているということを述べて後、このように主張している。

日本の大気汚染物質も減少
黄砂やPM2.5などの大気汚染物質の監視や予測を行っている、ウェザーニュース予報センターの解析によると、日本でも3月の大気がきれいになっていることが分かりました。
大気汚染物質の少なさを表す指数(CII:Clear aIr Index〈※〉)をみると、2019年3月の全国平均は0.78だったのに対し、2020年3月は0.81前後と、0.03ポイント高い結果に。中国大陸で大気汚染物質が減少し、越境汚染が低下したことなどが原因として考えられます。
(中略)

※CIIは、オゾンやPM2.5などの大気汚染物質の少なさを表す指数で、NICT-情報通信研究機構による計算式をもとにウェザーニュースが独自で算出しています。値が高いほど空気がきれいなことを表しています。
https://weathernews.jp/s/topics/202004/210055(2020年5月11日閲覧)/

この記事の前のほうで、新型コロナウィルス肺炎対策として、中国・イタリア・アメリカなどの感染諸地域で、それぞれの諸地域で人々の経済活動を含む社会活動が抑制された結果として、地球環境が一時的にかなり改善したことが伝えられている。この記事は2020年3月までの状況をもとにしたものであり、2020年4月以降は、日本でも緊急事態宣言が出されて人々の社会的活動がそれまで以上に抑制され、大気汚染物質減少の傾向は続いているといえないだろうか。

世界全体、いや日本列島全体からみて、ひとつぶの砂ともいうべき非常に狭い地域に押し込められ、世界全体を直接的に知るすべを失った現在、自分の生活圏である石神井の森から、再度、世界全体を見てみたのである。

さて、あまり長い記事はブログにはむかない。今回はここまでとしておく。次回以降は、ウェザーニューズ社配信の記事にもあった、新型コロナウィルス肺炎感染対策が世界各地の環境にもたらした影響と、その意味について考えてみたい。

Read Full Post »

前のブログで、足尾鉱毒によって山林も含めて荒廃し廃村に追いやられた旧松木村の現況について紹介した。この足尾鉱毒による山林の荒廃について、公害研究者である宇井純は1970年11月16日の自主講座公害原論(宇井純『合本公害原論』、亜紀書房、1988年)で、足尾鉱毒事件の概要を述べた後、「足尾の鉱毒事件は決して過去ではない。足尾は現に鉱毒を流しています」とし、1970年当時の足尾の山林荒廃について話した。足尾の鉱毒が流失している最大の原因は山林の荒廃であると宇井純はいう。彼は、このように言っている

 

 ところが足尾の山では何十年かかって、この木を全部枯らしたのですから、土はどんどん雨の中に出てきまして結局ハダカと変らない。ここへ亜硫酸ガスが降りそそぎ酸化されて硫酸の雨になる。この中には砒素も含まれています。そうするとタネをまいたぐらいでは草も生えないのですね。いま、一生懸命植生板という堆肥の板のなかにタネを埋め込んだものを張りつけます。これは実に骨の折れる作業です。しかし、ちょっと根がついても、それはそのまま草木として安定せずにまた次の雨で洗い流される。
 それから芽の出た草は亜硫酸ガスで枯れてしまいます。そうすると、持って上って張りつけただけですからいずれは川へ出る。銅も少しずつ流れ出る。砒素やなんかが山の肌にぶちまけられていますから苔も生えない。

そのようになった足尾の山々について、宇井純は次のように叙述している。

 

 生物がまったくいない山というものはこんなに不安定なものかということを、足尾に行くと感じますね。冬になりますと、岩の破目に水がしみこみまして凍ります。そうしますと凍った時の膨張で岩はどんどん割れていきます。
 生物が発生する前の地球というのはこんなふうにして山がけずられ風化していった。その何億年か前、陸上の植物が発生する前の地球の風化のしかたを足尾ではみることができます。そうな利ますと割合風化というものは早いものですね。ずい分硬い石ですけれども、どんどんヒビが入ってガラガラ崩れていきます。

宇井純によると、荒廃した足尾の山々は、陸上が植物に覆われていない、生物発生前の地球を彷彿させるという。このような中、砂防ダムを設置したり、斜面に網をかけて土砂流出を喰い止め用としたりすることも効果はないとされる。宇井純は「現代の技術が自然に対していかに無力であるかという実例を見るのには、足尾にいくのが一番いいと思います。私も土木屋のはしくれですけれど、できないものはできないと答えるほかはないのです」と述べている。

足尾銅山の鉱山部門は1973年に閉山され、煙害の現況の一つである足尾製錬所は1978年に比較的煙害が出ない自溶製錬法に転換、1989年には製錬所自体が事実上閉鎖された。足尾製錬所近くにある龍蔵寺の住職は「境内に草が生えるとは、夢にも思わなかった。草木が育つようになったのは自溶製錬になって亜硫酸ガスが減ってきてからです」(布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』改訂版、随想舎、2009年)と語っている。現在、足尾製錬所周辺も含めて、表土のある箇所では草ぐらいは生えている。しかし、基盤岩が露出しているところは草も生えない。そして、露出している岩自体が銅鉱石であって、そこから鉱毒が流失している恐れもあるのだ。

荒廃した足尾の山林(2016年2016年2月27日)

荒廃した足尾の山林(2016年2016年2月27日)

さらに、廃棄物を捨てた堆積場も植生を破壊した。宇井純は次のように言っている

 

 それから天狗沢とか原とかこういった古い選鉱の捨て方をみますと、山のてっぺんに索道を使って、てっぺんからバケツをひっくり返すようなかたちでどんどん投げ捨てていきます。これは山の斜面を覆ってやはり完全に植生―山に生えている木や草をこわしてしまいます。これもどうにもならないのですね。大体ケーブルで持っていくようなところですから、人間が行けるような楽なところではなくて、一辺ぶちまけたものをシャベルでいちいちすくってなんてということはとてもできないのです。

この状況も、松木堆積場に行けば理解できる。確かに廃棄物を山の上に運搬し、斜面にぶちまけるというやり方でないと、堆積場の景観はできないのだ。そして、そのようなことをすれば、斜面全体が砂漠のようになり、植生が破壊されることになるのである。

松木堆積場(2016年2月27日)

松木堆積場(2016年2月27日)

単に乱伐で山林がなくなっただけでなく、煙害によって草すらも生えることが許されなかった足尾の山々。それこそ、生物発生前の地球の景観への「回帰」であり、生物がいなくなった後の地球を「幻視」させるものであったといえる。そして、これは、自然の「摂理」などではなく、人間の「作為」でもたらされた「黙示録」なのである。人間の作為によって壊された「環境」は、人間の技術で速やかに回復できるものではないのである。足尾の山々が元のような山林に回復するには1000年はかかるだろうと言われている。そして、このようなことは、足尾で終わったわけでない。水俣でも福島でも繰り返されている。100年以上前に足尾であったことは、今の問題なのである。

Read Full Post »

2016年2月16日、足尾銅山の上流にあり、鉱毒で1902年に廃村された旧松木村を訪問した。明治期の足尾鉱毒で廃村になった村としては、渡良瀬川の下流にあり、鉱毒沈殿池とされた旧谷中村が有名であるが、旧松木村をはじめとした渡良瀬川上流部の地域も著しく荒廃した。そもそも、足尾銅山の坑木などに使うために周辺の山林は乱伐され、沢などには廃鉱などの廃棄物の堆積場が数多く造成された。さらに、足尾製錬所による亜硫酸ガスなどの煙害によって、より広範な地域の山林が枯死していった。足尾周辺の山々は、山林が枯れていったことによって保水力を失い、渡良瀬川はたびたび大洪水を起こすことになっていく。そして、堆積場からは大量に鉱毒が流出し、渡良瀬川の中・下流域を汚染していった。足尾銅山周辺こそ、足尾鉱毒の源なのである。

まずは、旧足尾製錬所の写真を掲載しておく。そもそも、足尾製錬所の煙突はかなり低く、製錬所のばい煙は山中を漂わざるをえなかった。足尾鉱毒の反省もあって、日立銅山では高い山の頂上に高煙突を作って、煙を上空で拡散させるという方法をとって効果が上がったのだが、足尾ではそのような改良もなされなかったのである。

旧足尾製錬所(2016年2月27日撮影)

旧足尾製錬所(2016年2月27日撮影)

次に1953年の煙害区域図を示しておく(布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』改訂版、随想舎、2009年より)。渡良瀬川最上流部は「植物育成不能」「森林経営不可能」とされていたのである。

煙害区域図(1953年版)

煙害区域図(1953年版)

足尾銅山における採鉱は1973年に終わった。足尾製錬所の煙害も1978年に製錬方法が自溶製錬法に改善され、1989年には製錬自体が事実上停止された。足尾製錬所近傍にある龍蔵寺の住職は「境内に草が生えるとは、夢にも思わなかった。草木が育つようになったのは自溶製錬になって、亜硫酸ガスが減ってきてからです」(布川前掲書)と語っている。この時期以来、ようやく、足尾でも草木が育つようになったとされている。

実際、すでに煙害はなくなったので、多少なりとも草木は育っているようだ。緑化作業も行われている。しかし、何よりも困難なことは、緑化以前に長年の荒廃によって表土が失われ、斜面が著しく侵食されているということである。下記の写真の上部では、段々畑のように階段状に土留めがなされ、そこに植林などの緑化作業がなされている。しかし、下部では基盤岩がむき出しになっており、そういうところでは木はおろか草も根をおろすことはできない。いくら上部を土留めによって植林しても、下部が風化によって侵食されれば、いずれは斜面全体が崩壊していくことになろう。

足尾周辺の山々の緑化と斜面崩壊(2016年2月27日)

足尾周辺の山々の緑化と斜面崩壊(2016年2月27日)

工事広告板には工事前と工事後の写真が掲載されているが、ほとんど景観が変わっていない。つまりは、毎回同様の作業を繰り返さざるをえないのだ。

工事広告板(2016年2月27日)工事広告板(2016年2月27日)[/caption]

1955年には砂防ダムとして足尾ダムが建設された。作られて30年間は水面が広がっていたというが、荒廃した上流部から土砂・岩石が流失し、それらによって埋め尽くされてしまった。現在、その土砂を砂利として再利用している。

足尾ダム(2016年2月27日)

足尾ダム(2016年2月27日)

足尾ダム上部(2016年2月27日)

足尾ダム上部(2016年2月27日)

砂利選別場(2016年2月27日)

砂利選別場(2016年2月27日)

旧松木村の中に入っているみると、公共事業としての緑化作業だけでなく、さまざまな団体・学校などによるボランティア活動としての植林を随所で見かけることができる。しかし、概して、よく育っていない。もともと、気候・地質があっていないのではないかと思われる。さらに、シカの食害もある。植林された箇所は、基本的に柵などで覆われていた。

植林(2016年2月27日)

植林(2016年2月27日)

実際、シカを見かけた。人や車が近寄っても遠くまで逃げない。ニホンザルも見かけた。シカの駆除日が公示されていた。シカの食害は日本全域で深刻である。しかし、ここ足尾に限っては、足尾銅山による環境破壊のほうがはるかに深刻で、シカの食害は、その結果もたらされた副次的なものに過ぎないのではなかろうか。そして、駆除も問題をはらむ。この地域は2011年の福島第一原発事故により放射能汚染されており、シカにも蓄積されている。駆除されたシカを安易に食べることもできないのである。

ニホンジカ(2016年2月27日)

ニホンジカ(2016年2月27日)

ニホンザル(2016年2月27日)

ニホンザル(2016年2月27日)

シカ駆除日の公示(2016年2月27日)

シカ駆除日の公示(2016年2月27日)

やや上流部に行くと、松木堆積場が見えてくる。松木村廃村後の1912年から1960年までの間、製錬所のカラミを廃棄し続けたところで、文字どおり、山全体に廃棄物が遺棄されている。近寄ってみると、黒い砂でしかなく、とても植物が生えそうもない。砂漠にしか見えないのだ。これでも、土木工事用に搬出されて往時の面影は薄れているようなのだが。近くには、旧松木村民の墓標が立っていた。

松木堆積場と旧松木村民の墓標(2016年2月27日)

松木堆積場と旧松木村民の墓標(2016年2月27日)

松木堆積場(2016年2月27日)

松木堆積場(2016年2月27日)

足尾周辺にはこのような堆積場が十数箇所あり、松木堆積場は大きい方だが最大というわけでもない。このような堆積場では、雨が降ると、大量の鉱毒が渡良瀬川に流れ込み、下流の地域を汚染したのである。

上流に行くと、基盤岩が露出していて、何も着手していないように見える山腹が広がっていた。基盤岩の割れ目に草木が生えている。下に道路のないところはそうなっているところが多い。それでも、表土が残っていたと考えられるところは草や潅木が生えている。

基盤岩が露出している山腹(2016年2月27日)

基盤岩が露出している山腹(2016年2月27日)

皮肉なことに、谷の下で、比較的平坦で、廃村以前には農地や宅地などとして人が使用していた形跡があるところのほうが、木や草が生え、緑化が早かったように見える。下の写真はそういうところを写した。この祠は、文化9年(1812年)3月に建造されたと刻まれている。以前、この地がどのように使われていたかはわからないが、比較的平らになっており、山腹のように近づくことも困難というわけではない。周辺には表土がまだ残っているようで、草が生え、潅木なども生え出している。植林にしても、このような地の方が、一応林を形成するにいたっているようだ。

旧松木村の祠と生え出した草木(2016年2月27日)

旧松木村の祠と生え出した草木(2016年2月27日)

どの本だったかは忘れてしまったが、この足尾の山野を、陸上植物が上陸した古生代以前の地球の陸地にたとえている文章を読んだことがある。植物に覆われていない大地には基盤岩が露出し、風雨や太陽熱などの風化に直接にさらされていた。煙害のため、植物が生えることのできなかった足尾の山野は、同様のところであった。このような陸地に、植物は長い時間をかけて上陸していった。足尾の場合、まさかそれほどのことではなかろうが、富士山・浅間山・三原山などの火山から流れ出した溶岩地域に森が形成されるくらいの時間はかかるのではなかろうか。

比較的平坦なところに、アセビが群生していた。このアセビは、シカなどの草食動物が有毒のため食べない木で、シカが群生している奈良公園に多いそうである。足尾もそうなるのではなかろうか。

旧松木村のアセビ(2016年2月27日)

旧松木村のアセビ(2016年2月27日)

ここまで荒廃してしまった旧松木村を元に戻す術はない。治山・治水にせよ、緑化にせよ、人間の思うようにはいかないだろう。治山・治水、緑化、シカの駆除、さまざまな「自然回復」作業が現在なされ、それなりの事業となっている。しかし、文字通りの「シーシュポス」の神話になっているといえないだろうか。そういうことが無駄だというのではなく、これ以上の災害を防ぐためにも、「自然回復」作業は必要である。とはいえ、風雨によって表土が流失し、岩壁が崩れ、川が土砂で埋まるという風化・堆積作用や、そして、苦労して植えた木々をシカが食べるというのも、まさに「自然」の摂理であろう。田中正造的にいえば、その流れに寄り添うことが必要なのではなかろうか。

そして、このような結果をもたらしたのは、古河財閥が経営した足尾銅山なのである。そのことを忘れてはならないのだ。

Read Full Post »

    前回のブログでは、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の全体テーマについて紹介した。ここでは、『沈黙の春』を読んでみて気づいたことを述べていこう。

    あまり言及されていないが、『沈黙の春』における農薬などの化学薬品についての印象は、核戦争における放射性物質についてのそれを下敷きにしているところがある。例えば、レイチェルは

    汚染といえば放射能を考えるが、化学薬品は、放射能にまさるとも劣らぬ禍いをもたらし、万象そのものー生命の核そのものを変えようとしている。核実験で空中にまいあがったストロンチウム90は、やがて雨やほこりにまじって降下し、土壌に入りこみ、草や穀物に付着し、そのうち人体の骨に入りこんで、その人間が死ぬまでついてまわる。だが、化学薬品もそれに劣らぬ禍いをもたらすのだ。畑、森林、庭園にまきちらされた化学薬品は、放射能と同じようにいつまでも消え去らず、やがて生物の体内に入って、中毒と死の連鎖をひき起していく。(本書pp22-23)

    核戦争が起れば、人類は破滅の憂目にあうだろう。だが、いますでに私たちのまわりは、信じられないくらいおそろしい物質で汚染している。化学薬品スプレーもまた、核兵器とならぶ現代の重大な問題と言わなくてはならない。植物、動物の組織のなかに、有害な物質が蓄積されていき、やがては生殖細胞をつきやぶって、まさに遺伝をつかさどる部分を破壊し、変化させる。未来の世界の姿はひとえにこの部分にかかっているというのに。(本書p25)

    と、言っている。レイチェルにとっては、放射性物質も化学薬品も、自然を破壊する、人間の手に入れた「新しい力」なのである。彼女は、化学薬品による白血病の発症について広島の原爆の被爆者の問題から説き起こし、急性症状による死亡者についても第五福竜丸事件で死亡した久保山愛吉を想起している。

    彼女によれば、合成化学薬品工業の勃興は、核兵器と同様に、第二次世界大戦のおとし子だと言っている。次の文章を紹介しておきたい。

     

    なぜまた、こんなことになったのか。合成化学薬品工業が急速に発達してきたためである。それは、第二次世界大戦のおとし子だった。化学戦の研究を進めているうちに、殺虫力のあるさまざまな化学薬品が発明された。でも、偶然わかったわけではなかった。もともと人間を殺そうと、いろいろな昆虫がひろく実験台に使われたためだった。
     こうして生まれたのが、合成殺虫剤で、戦争は終ったが、跡をたつことなく、新しい薬品がつくり出されてきた。(本書pp33-34)

    このような、農薬などの化学薬品による「殲滅戦」について、「私たち現代の世界観では、スプレー・ガンを手にした人間は絶対なのだ。邪魔することは許されない。昆虫駆除大運動のまきぞえをくうものは、コマドリ、キジ、アライグマ、猫、家畜でも差別なく、雨あられと殺虫剤の毒はふりそそぐ。だれも反対することはまかりならぬ」(本書p106)と彼女は述べている。そして、「私たち人間に不都合なもの、うるさいものがあると、すぐ《みな殺し》という手段に訴えるーこういう風潮がふえるにつれ、鳥たちはただまきぞえを食うだけでなく、しだいに毒の攻撃の矢面に立ちだした。」(本書p108)と指摘し、「空を飛ぶ鳥の姿が消えてしまってもよい、たとえ不毛の世界となっても、虫のいない世界こそいちばんいいと、みんなに相談もなく殺虫剤スプレーをきめた者はだれか、そうきめる権利はだれにあるのか。いま一時的にみんなの権利を代行している官庁の決定なのだ。」(本書p149)と、彼女は嘆いている。

    この「みな殺し」=ジェノサイドこそ、農薬大規模散布の根幹をなす思想ということができよう。「不都合とされた」害虫・雑草(ある場合は害鳥)は根絶しなくてはならず、そのためには、無関係なものをまきぞえにしてもかまわないーこれは、合成化学薬品工業の源流にある「化学戦」においても、無差別空襲においても、ユダヤ人絶滅計画においても、核戦争においても、それらの底流に流れている発想である。これらのジェノサイドは、科学・技術・産業の発展によって可能になったのである。まさに、二度の世界大戦を経験した20世紀だからこそ生まれた思想である。そのように、大規模農薬散布による生態系の破壊と、核兵器は、科学・技術・産業の発展を前提としたジェノサイドの思想を内包しているという点で共通性があるといえよう。レイチェル・カーソンが、農薬などの化学薬品の比較基準として「核兵器」を想定したことは、そのような意味を持っているのである。

    Read Full Post »

最近、必要があって、環境関係の書籍を乱読している。その中で、最も感銘深かったのは、原著が1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(青木簗一訳、新潮社、2001年)であった。レイチェル・カーソンは、本書執筆中に癌を発病し、1964年に亡くなっているので、事実上彼女の遺著でもある。

『沈黙の春』の内容について、ごく簡単にまとめれば、第二次世界大戦後において顕著となった、DDTなどをはじめとした殺虫剤・除草剤などの農薬を飛行機などを利用して大規模に散布することについて、それは、ターゲットとなった害虫や雑草だけでなく、無関係な昆虫・魚類・哺乳類・鳥類・魚類・甲殻類や一般の植物をも「みな殺し」にして生態系を破壊するものであり、その影響は人間の身体にも及ぶのであって、他方で、ターゲットとなった害虫や雑草を根絶することはできないと指摘しているものである。よく、『沈黙の春』について農薬全面禁止など「反科学技術的」な主張をしたものといわれることがあるが、カーソン自身が「害虫などたいしたことはない、昆虫防除の必要などない、と言うつもりはない。私がむしろ言いたいのは、コントロールは、現実から遊離してはならない、ということ。そして、昆虫といっしょに私たちも滅んでしまうような、そんな愚かなことはやめよーこう私は言いたいのだ。」(本書p26)、「化学合成殺虫剤の使用は厳禁だ、などと言うつもりはない。毒のある、生物学的に悪影響を及ぼす化学薬品を、だれそれかまわずやたら使わせているのはよくない、と言いたいのだ。」(本書p30)というように、殺虫剤一般の使用を禁止してはいない。彼女は、農薬散布よりも効果ある方法として、害虫に寄生・捕食する生物の導入や、放射線・化学薬品その他で不妊化した昆虫を放つことなどを提唱しているが、それらもまた科学技術の産物である。

このように、彼女の主張は「科学」的なものである。ただ、一方で、倫理的なものでもある。彼女は、マメコガネ根絶のために行われたアメリカ・イリノイ州などでの農薬散布について叙述し、次のように言っている

 

イリノイ州東部のスプレーのような出来事は、自然科学だけではなく、また道徳の問題を提起している。文明国といわれながら、生命ある、自然に向って残忍な戦いをいどむ。でも自分自身はきずつかずにすむだろうか。文明国と呼ばれる権利を失わずにすむだろうか。
 イリノイ州で使った殺虫剤は、相手かまわずみな殺しにする。ある一種類だけを殺したいと思っても、不可能なのである。だが、なぜまたこうした殺虫剤を使うのかといえば、よくきくから、劇薬だからなのである。これにふれる生物は、ことごとく中毒してしまう。飼猫、牛、野原のウサギ、空高くまいあがり、さえずるハマヒバリ、などみんな。でも、いったいこの動物のうちどれが私たちに害をあたえるというのだろうか。むしろ、こうした動物たちがいればこそ、私たちの生活は豊かになる。だが、人間がかれらにむくいるものは死だ。苦しみぬかせたあげく、殺す。…生命あるものをこんなにひどい目にあわす行為を黙認しておきながら、人間として胸の張れるものはどこにいるのであろう?(本書pp120-121)

本書では、それぞれの農薬、そして、それらが大規模に散布された結果としての生態系の破壊、さらには、散布された農薬が人間の身体を害し、遺伝的な影響を与えていくことが科学的に叙述されている。そして、その科学を前提にして、このような問題を放置していてよいのだろうかという、倫理的な課題が提起されている。多くの生物は、結果まで考えて生きているわけではない。人間は、ある種の結果を想定して行為することによって生きている。自らの営為による生態系の破壊、人類の破滅が科学的に想定された場合、それを避けるということは、人間の倫理的な責任ということができよう。その意味で、本書は、一般化するならば、科学を追求した結果として人間の倫理的な問題が問われていくことを示した書といえるのである。

Read Full Post »

チッソ水俣工場は、1932年からアセトアルデヒドの生産を開始し、1950年代から1960年代を中心に、1968年の生産中止までメチル水銀を含んだ廃水を無処理で不知火海に流し続けた。周知のように、このメチル水銀が不知火海にいた魚貝類に蓄積され、それを食した人々が水俣病を発症していったのである。

1958年まで、この水俣工場からの廃水は百間排水口を通じて南側の水俣湾に流されていた。前のブログで述べたように、水俣市坪段で1956年5月に水俣病が公式確認されるが、この時期に水俣病による健康被害が顕著だった地域は、この坪段や湯堂・茂道など、水俣市の南側の漁村を中心としていた。そして、この水俣病の原因について、水俣工場の廃水に起因しているのではないかという声が高まると、1958年にチッソは排水口を北側の水俣川河口に変更した。その結果、水俣病による健康被害は、不知火海北部にもより一層拡大していくことになったのである。

2015年8月21日、このチッソ水俣工場百間排水口を訪問した。水俣市内においては、水俣市立水俣病資料館・国立水俣病情報センターという二つの資料館、そして「水俣メモリアル」と題された慰霊空間、さらに「水俣病慰霊の碑」という四つの公的な水俣病コメモレーション施設があるが、坪段などの水俣病多発地域にせよ、チッソ附属病院などチッソの施設にせよ、実際の水俣病発生という現場を公的にコメモレーションする掲示などはほとんどみられないといえる。

しかし、さすがにこの水俣病の「爆心地」(熊本学園大学水俣病研究センター編『新版 ガイドブック 水俣を歩き、ミナマタに学ぶ』、熊本日日新聞社、2014年、p23)といえる百間排水口には、その場所を示す掲示板があった。次の二枚の写真をみてほしい。

チッソ水俣工場百間排水口

チッソ水俣工場百間排水口

百間排水口掲示板

百間排水口掲示板

この百間排水口のそばに小さな地蔵と「水俣病巡礼八十八ヶ所一番札所」と題された石碑が安置されている。

水俣病巡礼八十八ヶ所一番札所

水俣病巡礼八十八ヶ所一番札所

水俣病巡礼八十八ヶ所一番札所

水俣病巡礼八十八ヶ所一番札所

この石碑は次のような字句が刻まれている。

 

水俣病巡礼八十八ヶ所
一番札所
 阿賀の岸から不知火海へのお地蔵様
 水俣病事件犠牲者へ捧ぐ
 鎮魂之聖地
 遺恨浄土之地
 慟哭永遠之地
  平成六年十二月吉日
 水俣病患者連盟委員長 川本輝夫

前述のガイドブックでは、この「一番札所」の由来が記されている。水俣病被害者として運動を続けてきた川本輝夫は、水俣の88ヵ所に地蔵を建立したいと願っていた。川本の願いを聞いた、新潟水俣病の被害地である安田町の人たちは、阿賀野川上流で石をさがし、安田町の石工に地蔵を彫らせ、この百間排水口に安置したのである。1994年のことである。

なお、安田町の人たちは、それから4年後ー1998年ということになるがーに水俣の石で作った地蔵を阿賀野川のほとりに建てたいと考えるようになり、水俣川の上流で石をさがし、新潟に持ち帰って、水俣の地蔵を彫った前述の石工に再び地蔵を作らせ、阿賀野川のほとりに安置したという。

多くの人が非命の死をとげ、現在もたくさんの人びとが病苦に苦しめられている水俣病について理解するということ、そしてそれをコメモレーションするということは、この水俣病の「爆心地」百間排水口のそばに設置された「水俣病巡礼八十八ヶ所一番札所」が示すように、鎮魂の営為と重なっているといえよう。川本輝夫は水俣の地に88ヶ所の札所を建立することを望んでいた。しかし、まだ一番札所しか設置されていないというのが現状なのである。

Read Full Post »

Older Posts »