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Archive for the ‘マイワーク’ Category

歴史研究者の会である東京歴史科学研究会の大会が下記のように5月28日(土)・29日(日)に開かれる。私も、29日に「自由民権期の都市東京における貧困者救済問題―貧困者の差別と排除をめぐって―」というテーマで大会報告を行うことになっている。

この大会は、本来4月に開催されることになっていたが、震災と計画停電のために、一か月開催が延期された。

私のテーマは、三新法で生まれた地方議会が、減税や民業圧迫さらには惰民論などを主張して、当時の貧困者救済機関であった東京府病院や養育院の地方税支弁を中止させ、民間に事業を委託していったということである。これは、日本において初めて自由主義が主張された時代を対象としているが、現代において新自由主義が主張される歴史的前提となったと考えている。

しかし、震災・原発事故・計画停電にゆれた3月頃、このような報告をしていいのかと真剣に思い悩んだ。ある意味、ブログで「東日本大震災の歴史的位置」という記事を書き出したのは、そういう思いもあった。

今は、逆に、今だからこそ、深く考えるべきことだと思っている。東日本大震災は、大量の失業者を生んだ。その意味で、一時的でも、雇用保険や生活保護にたより、地域の復興にしたがって、だんだんと雇用を回復していくべきだと思う。そうしないと、被災地域から、どんどん人が流失してしまうだろう。にもかかわらず、マスコミは、「雇用不安」をあおるだけで、生活保護などには言及しない。そして、新聞記事などをみていると、厚生労働省などは、生活保護をより制限することを検討しているようだ。

復興についても、声高に増税反対が叫ばれている。財源があればいいのかもしれないが、聞いている限り、まともな財源ではない。このままだと、関東大震災の復興の際、後藤新平のたてた計画案を大幅に帝国議会が削減したことが再現されてしまうのかもしれない。

もちろん、このようなことは直接報告できない。しかし、今の現状も踏まえつつ、議論できたらよいかと思っている。

とりあえず、ブログでも通知させてもらうことにした。

【第45回大会・総会】開催のお知らせ〔5月28日(土)・29日(日)〕
【東京歴史科学研究会 第45回大会・総会】

●第1日目 2011年5月28日(土)
《個別報告》 13:00~(開場12:30)
•佐藤雄基「日本中世における本所裁判権の形成―高野山領荘園を中心にして―」
•望月良親「町役人の系譜―近世前期甲府町年寄坂田家の場合―(仮)」
•加藤圭木「植民地期朝鮮における港湾「開発」と漁村―一九三〇年代の咸北羅津―」
個別報告レジュメ(報告要旨)
準備報告会日程

●第2日目 2011年5月29日(日)
《総会》 10:00~(開場9:30)
《委員会企画》 13:00~(開場12:30)
■「自己責任」・「差別と排除」、そして「共同性」―歴史学から考える―
•中嶋久人「自由民権期の都市東京における貧困者救済問題―貧困者の差別と排除をめぐって―」
•及川英二郎「戦後初期の生活協同組合と文化運動―貧困と部品化に抗して―」
•コメント 佐々木啓
委員会企画レジュメ(報告要旨)
準備報告会日程
【会場】立教大学池袋キャンパス マキム館M301号室
(池袋駅西口より徒歩7分/地下鉄C3出口から徒歩2分)
http://www.rikkyo.ac.jp/access/ikebukuro/direction/

【参加費】600円

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国家権力をめぐる政治闘争とは相対的に別個のものである紛争をどのようにとらえていくか。安丸良夫氏・牧原憲夫氏・鶴巻孝雄氏・稲田雅洋氏らの民衆運動研究は、政治運動である自由民権運動とは相対的に自立した民衆運動を描き出しており、その論理を「生活者」の論理として指摘している。それは、非常に重要な指摘といえる。
しかし、一方で、民衆自体に内在する「権力」関係については、十分描いているとはいえない。単に、傲慢な政治運動の指導のみで権力に取り込まれているとはいえないであろう。そのような、いわゆる生活の場における力関係の動向を分析する方法論が必要となろう。
多少、手前勝手な主張になるが、私が関与していたアジア民衆史研究会の2006年度大会では、「死をめぐるポリティクス」をテーマとして「ポリティクス」論を提唱しており、国家権力とは相対的に自立した生活の場における力関係を検討する方法論を提起しているといえる。この問題提起(佐野智規文責)では、「近世・近代移行期においては、『終極的には』国民国家の権力装置とそのイデオロギーがヘゲモニーを握る、それは概ね確かなことだと言えるだろう」と述べている。しかし、それを前提としながらも、「ここで検討したいのは、『終極』のやや手前の空間、死という出来事によって出現した、さまざまな力の接触と闘争の空間である。この空間への介入は複数の位相からやって来るため(死者の近親者という位相、所属していた地域、職業、信仰などの諸集団等)、『終極的には』支配的イデオロギーの主導の下に序列が形成されるとは言え、子細に観察すればその複雑かつ屈折したヘゲモニー闘争のダイナミズムを明らかにすることが出来るのではないか、そのような微細な闘争の集積はどこへ行くのか」と主張している。国家のヘゲモニーの下で行われる、複数の位相から行われる介入と、それによって展開される微細な諸闘争を検討することーこれが「ポリティクス」論の中で含意はされているといえよう。
もちろん、これは、抽象的な提起に過ぎず、具体的なものではない。しかし、国家のヘゲモニーの下で行われる微細な諸闘争をまず検討するための認識枠組みになりえると考えている。

参考:『アジア民衆史研究』第12集

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