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Archive for 2013年1月

さて、東京都知事選で、副知事であった猪瀬直樹が約433万票獲得し、当選した。

この猪瀬直樹が、3.11直後の2011年5月7日に、猪瀬直樹・村上隆・東浩紀「断ち切られた時間の先へー『家長』として考える」(『思想地図β』第2号)という鼎談を行った。村上隆はアーティストであり、東は現代思想を専攻していて、『思想地図β』の編集長である。この鼎談は、石原都政の中心部にいた猪瀬が、3.11をどのように捉え、どのようなことを主張しようとしていたかということを如実に示しているといえる。

まず、鼎談の組織者である東浩紀は、東日本大震災や原発事故でかなり壊れてしまった「日本や東京のブランドをこれからどう再構築していくか」と、この鼎談のテーマを提示した。そして、東自身は、日本を離れるということを真剣に考えつつ、「日本の伝統や文化的連続性についても考えるようになりました…日本という国は、そもそもが定期的に巨大な災害が来てすべてを流し去ってしまう国でもある、そういう条件をどう捉えていくか」と自分の体験を離した。

そして、猪瀬は、東の浪江町への踏査記事(朝日新聞2011年4月26日付朝刊)を枕としながら、日本文化についての蘊蓄を披露していく。例えば、猪瀬は、このように主張する。

今回の問題は、日本列島という島の記憶や、この島にいる宿命みたいなものをどう受け止めていくかを考え直さないと、解決できないだろうと思っています…日本の文化の根底には、災害の巣のような島から出られないという自覚がある。その意識は、潜在的には連続しているように感じます。(p77)

そして、このように述べる。

この国のはじまりの物語とはいったいなにかと考えたときに、たとえば『古事記』や『日本書紀』といったものがありますが、戦前まではそれが生きていました(…本居宣長の「敷島の大和心を人問わば 朝日に匂ふ山桜花」を引用しつつ)重要なのは、戦前までの日本には、この島から出られないという認識を前提にした歴史観が残っていたということです。しかし戦後はディズニーランド化がはじまり、島の記憶はすべて消えていった。日米安保で米兵に”門番”の役割を担ってもらうようになると、門の外側や歴史のリアルに対する想像力を失ってしまった。僕はこれをディズニーランド化と呼んでいるのです。(p78)

このような発言に対し、東は「震災後政治家に求められるのは、実務だけでなく、こういう能力、『想定外』の危機を扱うため日常よりも長いスケールで文学や思想の古典を呼び出す能力なのではないかと感じたのです。つまり先人の知恵を借りる能力です。」(p78)と賛意を示し、当時の民主党政権を批判しつつ、「自戒を込めていいますが、言論も若い世代は本当に駄目です」と述べている。

そして、猪瀬は、このように発言している。

三島由紀夫は、「戦後の日常は虚偽の日常だ」といいました。つまり、アメリカの存在を隠蔽し、防衛や命に関わることをすべて他者に委ねることによって成立したつくりものだったということです。これが戦後の日常性で、だからこそ、ディズニーランドができあがった。しかし今回は日常が断絶したので、いままで使えなかった「正義」や「国家」という言葉が使えるようになったはずです。我々は、国家の歴史が昭和20年8月15日以降しかないように錯覚してしまっていますが、本当は『古事記』や『日本書紀』から繋がる、はじまりの物語があります。元号があって、万世一系と擬制された一貫した時間軸を持っている。だから、一貫した時間軸を取り戻して、2000年くらい続いてきた島国の文化にアイデンティティがあるんだということにもう一回立ち帰る必要がある。それは、別に天皇神話を信じろということではない。(p79〜80)

猪瀬は、ここで、「島国」としての日本文化の連続性を強調し、それを断ち切ったものとして、アメリカに防衛をまかした形で成立した戦後の「日常性」を批判しているといえる。そして、猪瀬は、3.11を「国難」と表現しているが、この「国難」は、「戦後の日常性」を終わらし、「国家」「正義」という言葉が再び使えるようになった契機としてとらえているのである。この猪瀬に対し、東は、自戒を込めつつ、「賛意」を呈しているといえよう。

さらに、話題は原発問題に移っていく。東は、直接の影響はないかもしれないが、空間放射線量を常に意識せざるを得ない東京の現状についての不安を指摘する。しかし、猪瀬は、「もちろん、そうだけれど、データを受け止めて東京の10倍20倍の放射線量のなかで生活せざるをえない福島の人たちのリアルへの想像力が求められてもいるのです。この島国から逃れられないという断念を共有することが『国難』という言葉の意味ですね」(p82)と反論し、むしろ「なぜ東京電力の福島第一原発はあれほど単純な事故に弱かったのか」という問題を提起し、新しい技術がフィードバックされていれば、原発事故は起きなかったのではないかと主張する。

しかし、東は「おっしゃるとおりです。しかし、だからこそ僕は今回、日本はそういう点をおざなりにする国なのだから、もう原発を管理しようなどと考えないほうがいいのではないかと思うようになりました…要は、放射能が云々以前に、日本政府が危険というのが僕の考えです。この状況では脱原発しかないと思います」(p82〜83)といい、反原発運動に従事していたとされる村上は「少なくとも、海外からの客人には、資料を送って『来ないほうがいいよ』といってますし、知人も数名、国外に住みはじめてます」(p83)と述べている。

しかし、その点が、猪瀬には気に入らない。猪瀬は、このようにいうのである。

しかし原発を管理できない日本人のままでいいのか。大きな流れでいえば「脱原発」に違いない。しかし、原発分の電力量すべてをいきなり再生可能エネルギーで代替できるかというと、やはり10年はかかる。もうひとつは国家の信認の問題として、「管理できない」が結論では駄目でしょう。(p83)

そして、とうとうと「東京湾に原発を置いたらどうか」と猪瀬は語るのである。

…フランスで管理できて日本でできない。しかしその管理ができない人間が世界で通用するでしょうか。僕はいま問題になっている福島の第一原発について、あれが東京にあったらどうだろうという仮説を考えています。我々は電気がどういうリスクを抱えた原発によってつくられているのかを知りませんでした。いってみれば、東京の人間は福島の人民を切り捨ててきた…「東京湾に原発を置いたらどうか」、むろん思考実験ですが、そうすれば都民も、原発の安全や管理体制について、日々関心をはらうでしょう。つまり、危険なものを管理できる人間になることで克服しない限りは駄目で、東京は東京湾に原発を置いて100パーセント完全にやったぜ、と、そういう管理をできるということが、東京ブランドの再興に繋がるのではないか。ただ、これは仮説で、ものの考え方です。実際にやるかどうかはともかく、そういうことをもし真剣に考えたならば、この国が国難から再興することもありえるのではないか。東京の住民が自分の電気を自分で抱え込んで危機管理できないのならば、東京の人間を含めて日本人はやはり駄目なのだということになる。それを引き受ける、引き受けないということを一人ひとり考えて、結果的に無理だったらやめましょう、というところまで持ち込む必要がある。浜岡原発を止めて、ああ助かった、というのでは無責任です。自分で引き受けなければいけない。そこまで考えないと、今回の震災は本当の意味で自分のものにはならない。原発を東京に置いて管理できないようでは駄目なはずです。それを自分で引き受けて克服したら、東京ブランドは再興できるのではないか。(p83〜84)

この問題は、猪瀬にとって「国防」の問題であり、「責任ある主体」としての「家長」の問題であった。

これは国防の問題とも繋がっています。東京に原発を置くという提案は、日米安保ではなく自衛隊で国を守るリスクを抱え込もう、という提案と同じものです。戦後のディズニーランド化した日本は、どちらのリスクも避けてきた。本当に東京の人間が原発を抱えたら、日本人が国防において自衛隊を軍隊としてきちんと統御できるか問われると同じように、危険物を制御できるどうかということが問われます。それを抱え込まない限り、前回の鼎談でもいったように「家長」ではない。責任ある主体になれない。(p84)

さすがに、この猪瀬の提起には、村上隆も東浩紀も肯定的には受け取っていない。村上は「国防の意味でも、詭弁と欺瞞がとぐろを巻いて面白い。実際やれればやってみるのもいいと思います。でも、僕はその瞬間に関東圏を離脱しますがね」(p84)と揶揄的に発言し、この鼎談で猪瀬に賛意を示すことが多い東も「僕はそもそも日本政府には原発が管理できないという立場なので、設置に賛成はできないでしょう」(p84)と述べている。

この鼎談の末尾は、猪瀬が文学論を展開しているが、ここでも猪瀬は「原発問題」に言及している。猪瀬は、夏目漱石ー太宰治ー村上春樹を「放蕩息子」の系譜としてとらえ、それに対抗する存在として、元号の候補を検討した森鴎外を「家長」として認識するとした。暗に、自らを「家長」の系譜を継ぐものとしている。そして、夏目漱石の『三四郎』のせりふを引用しながら、このように猪瀬は述べている。

そうなんだよ。滅びるねって、それをいってはおしまい。漱石は滅びるねといったけれど、そこから先がない。さきほどの原発の話と被るけどね。(p92)

そして、文学や政治を包括して、このように猪瀬は指摘した。

 

でも実際には鴎外の系統は途絶えちゃって、漱石の系統が太宰治へ続いていく。家長と放蕩息子で、結局放蕩息子の血統が残る。文学は放蕩息子の側にしかいかなくて、家長の側には行かなかった。昭和16年を迎えたときに、文学の家長はいなかった。国家のシステムに関わるやつがいなくなった。だから、国家は思想としてのリアリズムを欠いて制御不能になり、戦争に突入してしまった。そいうことなんですよ。…だから震災後のいまこそもう一度家長の思想が必要なんです。それは家父長制の話とはまったく別物です。この60年間、文学も政治も責任ある主体から逃げてきたんですよ。(p92)

猪瀬の主張を、原発問題に即していえば、次のようになるだろう。猪瀬は、まず、島国の日本でともに生きているということを前提として、より高い放射線量にさらされている福島県の人びとを考えるならば、東京の人びとは現状の放射線量を受忍すべきとする。そして、単に急には再生可能エネルギーで代替できないという理由だけでなく、自らのリスクを抱え込んで管理する力を日本は持っているのだということを認識させるためにも、東京に「完全な原発」を設置すべきとしている。このことは、日米安保によって米軍によって主に保障されている国防の問題を見直すことにもつながり、さらには、日本人が「責任主体」としての「家長」の思想を確立することにも結びついていくということになるのである。

このように検討してみると、猪瀬にとって、3.11とは、彼が副知事として責任を負うべき東京都民の安全をはかるという問題に直面したものではなく、猪瀬が評価するようなナショナリスティックな方向で日本人の思想を改造していく契機と認識されていたといえよう。そして、「東京湾に原発を置いたらどうか」という提案も、「自らのリスクを管理する」責任主体としての「家長」の確立につながっていくものであった。さらに、このことは「東京ブランドの再興」「国家の信認」をめざしたものであった。いわば、3.11という惨事に便乗して、社会を改造しようとすることを猪瀬はめざしていたといえるのであり、いわゆる「ショック・ドクトリン」が志向されたといえよう。

これは、もちろん、猪瀬だけではない。石原慎太郎も橋下徹なども、その方向をめざしたといえる。そして、彼らのめざす方向は、ある程度、成功したとみなくてはならない。猪瀬は、東京湾に新鋭火力発電所を建設するということを政策としてかかげながらー原子力を火力に置き換えたのだがー、433万票という歴代最多の得票を得て、都知事選に勝利した。石原や橋下も、国政進出をはたしつつある。そして、自民党においても、復古ナショナリズムの権化であるような安倍晋三が復権し、首相となった。脱原発運動が広範囲に展開しつつも、政治状況では確実にナショナリズムが強化されている。そして、このようなことの背景に、3.11があるのである。

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2013年1月23日、福島第一原発の地元である、福島県双葉郡双葉町の井戸川克隆町長が辞職した。このブログでもこれまでの経緯を述べているが、ここでは、背景事情も詳しく報道している、福島民報2013年1月24日付ネット記事をあげておく。

井戸川双葉町長が辞職届 「信念曲げて続けられない」 3月末までに町長選
 双葉町の井戸川克隆町長(66)は23日、埼玉県加須市の町埼玉支所で臨時庁議を開き、2期目の任期途中での辞職を表明した。町議会事務局に辞職届を提出した。福島民報社の取材に対し「放射線量などの問題で信念を曲げてまで町長を続けるつもりはない」と理由を述べた。地方自治法に基づき、2月12日午前零時で失職する。3月末までに町長選が行われる見通しだが、立候補しない意向を示した。町議会の不信任決議案可決を受け、井戸川町長が解散した町議会の議員選挙は予定通り24日に告示される。
 井戸川町長は体調不良を訴え、20日から郡山市の病院に入院していた。町によると、23日午前に退院し、午後3時ごろから加須市の支所で決済などの公務をこなした。午後4時半ごろから臨時庁議を開き、辞職の意向を示したという。
 井戸川町長は同日夜、支所で福島民報社の取材に応じ、「町民の健康と町を守りたいという思いだけで取り組んできた。悔しい気持ちもあるが、潮時だと思った」と話した。町長選には立候補しない意向を示した。
 井戸川町長の現任期は12月7日まで。地方自治法では、町長が辞職する場合、20日前までに町議会議長に届け出ると規定されている。町議会の解散に伴い、議長が不在のため、井戸川町長は町議会事務局に届け出た。23日から20日後の2月12日午前零時で失職する。その場合、町は、12日から新町長が就任するまで井上一芳副町長が町長の職務代理者を務める。ただ、町議選後に議会が辞職に同意すれば、町長の辞職が早まる可能性がある。公選法では、辞職から50日以内に町長選を行う。投票日を日曜日とすると3月末までに町長選が行われる見通しだ。
 東京電力福島第一原発事故で、双葉町は全町民が避難生活を送っている。井戸川町長は汚染廃棄物を保管する中間貯蔵施設をめぐり、昨年11月に佐藤雄平知事と双葉郡7町村長が現地調査受け入れを決めた際の会議を欠席した。
 昨年6月と9月の町議会に井戸川町長の不信任決議案が提出されたが、いずれも否決。会議の欠席を受けた12月議会は全会一致で可決された。これに対して井戸川町長は辞職せず、同月26日に議会を解散した。
 24日告示の町議選には前職の8人が立候補し、無投票当選する公算が大きくなっている。町議選後の臨時議会では、あらためて井戸川町長の不信任決議案が提出され、町長が失職する可能性が高まっていた。

( 2013/01/24 09:15 カテゴリー:主要 )
http://www.minpo.jp/news/detail/201301246195

なお、井戸川町長は、2013年1月の年頭挨拶で「双葉町の道しるべ」というメッセージを双葉町のサイトに出し、井戸川町長自身が考える双葉町の今後のあり方を提示した。後任の双葉町長が、このメッセージを抹消する恐れもあり、ここでは、歴史に残る資料として、全文を掲げておく。

双葉町の道しるべ
双葉町の道しるべを申し上げます。
1.双葉町・町民は国、福島県、東京電力と協力し、双葉町民の一日も早いふるさとへの帰還を目指します。
(1) 双葉町・町民のふるさとへの帰還にあたっては、人の健康の観点から国、福島県、東京電力と協力し、徹底した放射能の除去に取り組みます。
(2) 双葉町・町民がふるさとに帰還するにあたっての放射能除去の目標値は、国際放射能防護委員会(ICRP「2007年勧告」)の示す一般住民の年間積算被ばく線量の上限1ミリシーベルトとします。
2.双葉町・町民は国、福島県、東京電力と協力し、双葉町・町民の一日も早いふるさとへの帰還を目指し、以下の取り組みをします。
(1) 双葉町・町民のふるさとと双葉町への帰還の目標を暫定的に30年後とし(汚染物質である放射性セシウムの半減期が約30年であることから、双葉町への帰還居住は暫定的に30年後とする)その期間中、2011年3月11日以前の生活保障に取り組みます。
(2) ここで言う生活保障とは以下のことを指します。
イ.家族の営みや生活を成り立たせる仕事及び住居
ロ.健康な生活、就学、医療の手当てなどが保障される生活環境
ハ.ふるさとを奪われた過酷な状況の中での生活文化の継承
3.双葉町・町民は国、福島県、東京電力と協力し、2011年12月16日に事故の収束が宣言された東京電力福島第一原子力発電所事故について、人の健康の観点から徹底した事実解明に努めます。
(1) 双葉町・町民、国、福島県、東京電力は福島原発事故の全ての情報を共有します。
(2) 東京電力及び国は、福島原発事故の収束を宣言したことに基づき、双葉町・町民が原子炉からの新たな放射性物質漏出に脅かされないことを確約する。
(3) 東京電力及び国は、2011年3月11日より後に漏出した放射性物質が福島原発事故の収束宣言した東電福島第一原発敷地内に存在する場合には、帰還する双葉町・町民の健康の観点から速やかに撤去する。
以上について取り組みます。
 
 平成25年1月4日
双葉町長 井戸川 克隆
http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20130107.html/

このメッセージで重要なことは、双葉町民の被曝線量限度を年間1mSvととし、国、福島県、東京電力の除染には協力するものの、双葉町民の帰還時期を、セシウム137の半減期である30年後としていることである。そして、それまでの間の生活保障に努力するとしている。つまりは、政府や福島県が年間20mSvを基準として住民の帰還を進めることに真っ向から反対しているのである。

そして、辞職した1月23日、井戸川町長は、「双葉町は永遠に」というメッセージを出した。これも、全文を掲載しておく。

双葉町は永遠に
 私たちは前例の無い避難という過酷な状況に置かれています。いつまでも海原を漂流するわけにはいきません。早く上陸地を国が準備して、再興できる日を求めてきました。しかし、時間が足りませんでした。
 放射能のないところで平和な、皆が集える町ができることを祈り町民の安寧を願って、私は本日、双葉町長の辞職申し出をしました。
 私の今までの取り組みから次のことを申し上げたいと存じます。

1 事故に負けない
 原発事故で負けるということは、今のまま、何もしないことである。
 双葉町民には負けてほしくない。勝ってそれぞれ生き抜いてもらいたい。今はそれぞれの地に離れて住もうとも、廃炉が完了して故郷から放射能の危険が去り、自然と共生出来るようになったら再結集しよう。
 我が子どもたちへ、この悔しさを忘れることなく、何としても生き抜いて何倍も幸せな双葉町を再建していただきたい。そのためにも負けないで学び、求められる人になれ。世界の雄になってもらいたい。
(1) 負けないということは以下のことを忘れないこと
①避難してくださいと国から頼まれたこと。
②東電と国は事故を絶対起こさないと言っていたこと。
③町と県と東電には安全協定があること。
④事故は我々が起こしたものではないこと。
⑤正式な謝罪と見舞いがないこと。(形のあるものではないこと)
⑥自分の権利は自分以外に行使できないこと。
⑦被ばくさせられたこと。
⑧放射能の片付けをさせられること。
⑨20msv/yで町へ帰ること。(一般公衆の限度は1msv/y以下)
(2) 勝つためには何をしなければならないか
①事故の原因者を確定すること。
②我々の受けた損害のメニュー作成すること。
③損害の積算をすること。
④回復の請求をすること。
⑤回復の限界と代替を請求すること。(仮の町、借りの町)
⑥立証責任の不存在を共有すること。
⑦気づくこと。
⑧水俣の住民の苦難を学ぶこと。
⑨広島・長崎の住民の方に聞くこと。
⑩避難先の皆さんの恩を忘れないこと。
⑪多くの町民が健全な遺伝子を保つこと。
⑫ウクライナの現実を確認して同じテツを踏まないこと。
(3) 町民の力を結集すること
①役割分担をすること。
 ・汚染調査 ・除染問題 ・賠償問題
 ・住居問題 ・職場問題 ・健康問題
 ・墓地問題 ・学校問題 ・中間貯蔵施設問題
 などの調査研究する組織をつくり町民の不利益を解消すること。
②事故調査委員会をつくること
 事故の報告書には避難を強制された住民の実態が語られていない。外部に任せていたらいい加減に処理されてしまうので、委員会を町独自に構成して正しい記録を残さなければならない。
2 主張する権利を行使する
①見守り隊の組織
②法律家の組織
③文書学事の組織
④ボランティア活動組織
⑤被ばく被害者団体の組織
などを組織して国民の主権と被害者の復権を勝ち取らなければならない。
3 この世には先人の教えがある
(1) 温故知新
 歴史から新しい発想が出てくる。自分が直面している問題について語られています。遠くは私たちの祖先である標葉藩が相馬に滅ぼされたこと、会津藩が長州に負けたこと。しかし、負けても滅びる事もなく私たちは生きてきました。先人達に感謝し、これからは私たちが町の存続を引き継ぎ後世に繋がなければなりません。今度の事故は前例がありません。今は子どもたちを放射能の影響によるDNAの損傷を避けて暮らし、幾多の困難に負けずに 双葉町の再興に向かって、生き延びましょう。
(2) 人生に五計あり
 中国、宋時代の朱新仲が教訓として伝えた人生の処世訓とされるものです。生計、身計、家計、老計、終計があり、生き抜く考えが記されています。
(3) 八正道と言う道
 昔、釈迦がインドで行われていた求道について、新しい道があることを説いたとされています。
正見  : 正しい物の見方
正思惟 : 正しい思考
正語  : 偽りのない言葉
正業  : 正しい行為
正命  : 正しい職業
正精進 : 正しい努力
正念  : 正しい集中力
正定  : 正しい精神統一

 今の私たちにはこのような精神にはなれません。この言葉は東電と国あるいはこの事故を被害者の人権を無視して矮小化しようとしている勢力に猛省を促す言葉として捉えてほしい。願わくば、双葉町の子どもたちに人生の教訓の一部として、心に刻んでほしい。

 この事故で学んだことは多い。我国でも人命軽視をするのだと言うことがわかった。国は避難指示と言う宣戦布告を私たちに出した。武器も、手段も、権限もない我々はどうして戦えるだろうか。

 白河市にアウシュヴィッツ博物館がある。ナチスがユダヤ人を毒ガスで虐殺したことは衆目の事実だ。福島県内では放射能という毒で県民のDNAを痛めつけている。後先が逆だ。この状態から一刻も早く避難をさせること以外に、健康の保証は無い。その後に十分時間をかけて除染をやれば良い。
 人工放射能に安全の基準を言う実績が少ない。20msv/yで住めると言う人が家族と一緒に住んで示すことが先だろう。その安全が確認出来たら福島県民は戻ればいい。これ以上モルモットにするのは、外国の暴君が国民にミサイルを撃つのと変わり無い。
 福島の復興なくして日本の再生はないとは、人口減少の今、将来の担い手を痛めつけていては、真に福島の復興には繋がらないと心配している県民は少なくないと思う。双葉町は原発を誘致して町に住めなくされた。原発関連の交付金で造った物はすべて町に置いてきました。

 原発の誘致は町だけで出来ない、県が大きく関わってはじめて可能となる。私たちは全国の人たちから、「お前たちが原発を誘致しておいて被害者面するな」という批判を受けている。私たちはどこにいても本当の居場所がない今、苦悩に負けそうになりながら必死に生きている。子どもたち、高齢者、家計を支えなければならないお父さん、お母さんたちの悲鳴を最初に菅総理に訴えた。変わらなかった。そのために私は野田総理に国民としての待遇を訴えたのです。しかし、今の町民の皆さんは限界を超えています。何とか国には町民の窮状を訴え、町民には叱られ役をやり、マスコミに出されるようにしてきました。

 県にも窮状を訴えています。最近も質問をしました。回答は具体的な内容ではなく失望しました。知事は福島の復興のために双葉町に中間貯蔵施設を造れと言うので、双葉町の復興はどうするのですか、と聞くと答えてくれません。そこで、踏み込んで私に町をくださいと言いましたがやはり答えませんでした。これでは話し合いになりません。

 環境省の局長にどうして双葉に二つの場所を決めたのですかと聞いたら、分かりませんと言いました。では会議録をみせてくださいと聞いたら、後日ありませんと言う返事でした。このようなことで、調査だけで建設はしないからと言われて、ハイいいですよとは言えません。
 町には古くから先人が築いてきた歴史や資産があります。歴史を理解していない人に中間貯蔵施設を造れとは言われたくありません。町民の皆さんが十分議論した後に方向を決めていただきたい。若い人に決めてもらうようにしてほしい。

 今まで支えていただきました町民の皆様、双葉地方各町村をはじめ福島県内各市町村の皆様、国及び福島県そして事故発生時から避難救済にご支援いただきました国民の皆様、国会議員の皆様、全国の自治体の皆様、埼玉県と埼玉県議会の皆様、県民の皆様、加須市と加須市議会の皆様、市民の皆様、さくら市の皆様、医療界の皆様、福祉関係の皆様、貴重な情報の提供された方、最後に国内並びに世界中からボランティアのご支援をいただきました皆様、この避難を契機にご支援いただきました多くの皆様に支えられて、ここまで来ることができました。心から感謝を申し上げまして、退任のご挨拶に代えさせていただきます。
 長い間誠にありがとうございました。
 
 平成25年1月23日
双葉町長 井戸川 克隆
http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20130123.html/

このメッセージについて、今の私には全体を論評することはできない。「歴史から新しい発想が出てくる。自分が直面している問題について語られています。遠くは私たちの祖先である標葉藩が相馬に滅ぼされたこと、会津藩が長州に負けたこと。しかし、負けても滅びる事もなく私たちは生きてきました。先人達に感謝し、これからは私たちが町の存続を引き継ぎ後世に繋がなければなりません。」などと、さかんに「歴史」から、今後を展望しようとする論理がみられることだけ指摘しておこう。現時点では、それぞれの人が味読してほしい。

また、1月24日に、ouraplanet-tvが井戸川町長にインタビューした動画が残されている。

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node%2F1518

これを視聴していると、新聞報道やメッセージで表面化していない事情も語られていることがわかる。例えば、双葉町長選に再出馬しないかという問いに対し、井戸川氏は、「この問題は大きな問題で、双葉町の問題ではなく、福島県、日本の問題である、双葉町の首長をやっていると、限られたところしか活動できない、悩んでいる人びとは福島県にいっぱいいる、その人たちと連携をはかって、今後どうするのかということもでてくると思う、県内で不満をもっている人たちと連携をはかりつつ、この事故はこれで終りではないし、これで終わらせてはならない、これは大きな犯罪であるから、どうやって立証立件できるかということに努力しなくてはならないと思う、ものすごく忙しくなると思う」と語っていることが印象的であった。井戸川氏は、むしろ、この辞職を契機として、より多くの人びととともに、原発問題に立ち向かおうとしているのである。井戸川氏も、他の人も、このことで意気消沈する暇はないのだ。このことが感想として、強く思ったことである。

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2013年1月19日、首都圏のホットスポットの一つとなってしまった柏市で、原発反対派の小出裕章氏と原発推進派(厳密にいえば放射線利用推進派となるが)の小林泰彦氏が対談するという、異色の講演会が開かれた。講演会の広告は、次のようなものである。

電気の消費地であり、被災地でもある東葛地域(千葉北西部)での真っ当な放射線対策とは?
私達が今後、どのように生きていくのか、共に考えましょう!
ついに実現します
 小林泰彦さん(独立法人日本原子力研究開発機構)
 小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)
このおふたりを迎えての講演会です 

【 日 時 】 2013年1月19日(土)19:00~21:30(開場18:30)
【 開 場 】 柏市民文化会館 大ホール
【 入場料】 前売り 500円  当日800円
【 主 催 】 1・19 柏講演実行委員会        
◎18歳以下 入場無料! 中・高校生のみなさんも、親御さんとご一緒に
◎保育あり! 生後6か月以上 500円   1月9日まで
          保育申込み 08051920187 たねだ
◎手話通訳あり!
◎お帰りのバス  会場でバス券販売 先着120名 200円
http://www.facebook.com/events/142623802554726/?ref=22

この講演会は、前評判が高く、会場であった柏市民文化会館大ホール1600席のうち、前売り券1500席が売り切れ状況となったとのことである。柏市などのことをブログで取り上げていたので、私も行こうかと考えていた。しかし、前売り券売り切れの情報を聞いて、もしかすると満員で入れないかもしれないと思った。それでも、とりあえず会場の雰囲気だけでも知っておこうと思い、柏市文化会館まで行ってみた。早めにいって整理券をもらい、当日券価格で入場できた。

市民文化会館前は開場時間前から長蛇の列だった。これほどの人数が来るとは主催者側も予想していなかったらしく、入場方法などをめぐって参加者とトラブルになったところもあった。18時30分から入場が開始されたが、講演会開始の19時まで会場に入って来る人びとは絶えなかった。結局、1600席満席になったとのことである。

最初に主催者の挨拶があり、この講演会の趣旨が説明された。当日配布されたレジュメ(なお、実際の挨拶は、内容的には一致しているが、表現などは必ずしも同じかどうかいえない)によると、次のように趣旨説明されている。柏市のある東葛地域では福島第一原発事故によって放射線量の高い地域となり、さまざまな運動が展開されるとともに多くの講演会・学習会が開催された。しかし、そのうちに

体にあたえる影響については『大丈夫だ』と思う人は講師がそう言ってくれる講演会へ行き、『いや心配だ』と思う人はそう言ってくれるところへ行く、そんな風に分かれはじめ、その距離は離れ話題に上ることも少なくなり、その相手も選ぶようになってきました。これで本当に子どもは守れるのか?

という状態になったと挨拶では述べている。そして、次のように、この講演会のねらいについていっている。

「原発事故子ども・被災者支援法」が制定されましたが、適用地域は今まさに検討中です。この地域で子どもに対する責任が果せれば、被ばくを強いられ声を上げにくい福島でも子どもを保護することにつながる、とも思います。
 そして原発は危険だからと首都圏から遠く離して建てたのに(ひどい話ですが)、190kmも離れたこのあたりで被曝することになった。しかもここは福島原発で作った電気の消費地でもあった…。私たちだからこそできることがあるだろう。何をすれば?という思いもあります。
 昨年初夏、原発の危険性について訴えてこられた小出裕章さんに講演のお願いをしましたところ、「原子力を推進している人との対談がしたい」というご希望をおっしゃいました。いろんな方のご協力で、小林泰彦さんが、放射線を利用する立場の専門家として受けてくださったというのが経緯です。立場の違う専門の方の意見を正面からとらえて考えてみる…あってもいいはずなのになかなかない機会に立ち会うことになります。貴重な時間ですので冷静にお聞きくださるようお願いします。答えはそれぞれでお持ち帰りになることになると思います。
 今後もタブーを作ることなく話しあうそんな機会が未来を拓くでしょう。本日の講演会が有意義なものとなり、被害者をこれ以上出さないためのきっかけとなることができれば主催者としての本望です。

つまり、小出氏の希望もあり、立場の違う専門家の意見を正面からとらえて聞く機会にしたいということなのである。

そして、まず小林泰彦氏が「柏地域の子どもたちのための真っ当な放射線対策とはー被害を最小にするための基礎知識」というテーマのもとで講演を開始した。小林氏は、日本原子力研究開発機構量子ビーム応用研究部門(高崎市)に所属している。ちなみに、この高崎市の施設は、中曽根康弘が研究用原子炉のかわりに誘致したものである。当日配布したレジュメを中心にして小林氏の論旨を追っていこう。なお、後述するが、小林氏は、新しい知見を入れており、時間の関係もあって、レジュメの内容と実際の講演内容はやや違っている。

小林氏は、「放射能」は、「物理法則に貫かれた自然現象であり、宇宙の姿そのもの」であって、「得体の知れない不気味なものでは」なく、医療や産業にさまざまに活用」されていると述べ、放射線防護は放射線障害の発生を最小限としつつ社会の中で放射線を利用することであると主張する。とにかく、放射線利用のための放射線防護という発想なのである。その上で、放射線被曝における発がんリスク増加については、一度に100ー200mSv以上当れば、将来の発がんリスクが線量に応じて直線的に増加するとしながら、100mSv以下では他の発がんリスクにまぎれて、本当に影響があるかどうかは不明とした。しかし、100mSv以下でも直線的関係があると仮定し(これをLNTモデルという)、その仮定に基づいて放射線の発がんリスクを推定、他のリスクと比較しつつ、線量限度などが決められているとする。小林氏は、例えば、飲酒、喫煙、肥満、運動不足などの生活習慣よりも100mSv未満の被曝のほうが、発がんリスクの増大ははるかに少ないと主張した。その上で、「平常時」においては、放射線リスク削減の「代償」(たぶんコストの意味だろう)が無視できるので、一般公衆の場合、年間1mSv未満に被曝を抑えるべきだが、緊急時においては、避難、移住、家族離散、食品放棄、耕作放棄、除染などの放射線リスク削減の代償が明らかであり、これらの負担によるリスク増大とトレードオフした形で判断しなくてはならないと述べている。重要なことは、小林氏は、法律上の一般公衆の線量限度である年間1mSvは安全と危険の境界ではないとしていることである。1mSvとは自然放射線の変動レベル(なお、自然放射線は世界平均で年間2.4mSvという)であり、これは、健康リスクではなく「倫理的配慮」としているのである。

なお、小林氏は、主催者側と話し合って、配布されたレジュメにはない、より専門性の高い議論を、この講演では述べている。放射線被曝による発がんリスクの増大は、個々の細胞レベルにおける遺伝子損傷によるものとして、喫煙などの他のリスクも遺伝子損傷の原因となっていること、生体には細胞レベルでの遺伝子損傷のダメージを修復するシステムが備わっていることを主張した。また、放射線被曝における高線量と低線量の違いについて、高線量においては同時に多数の細胞が放射線に照射されることになるが、低線量では、少数の細胞が時間を置いて放射線に照射されることになると説明している。これは、小林氏自身の研究テーマの一つらしい。

小林氏の話は、かなり時間をオーバーし、最後はかなりはしょらざるをえなかった。ただ、レジュメでの結論部分は、このようになっている。

子どもたちと地域の未来のために
今なすべきこと
・被ばく線量の測定と公開
 局所的な線量率より個人個人の累積線量
・その線量による健康影響(リスク)評価
 専門家の一致した評価、科学的根拠
・評価に基づいた関係者の対話と合意形成
 リスクの定量と比較
  気にする自由 VS 気にしない自由
  「許せる」 VS 「許せない」
 リスクの総和を最小にするには?
科学的根拠+価値観+資源⇒現実的判断で意思決定
 互いに歩み寄り、自分たちで納得して決める

小林氏の話は、低線量の放射線被曝による発がんリスクの増大を極めて小さなものとし、避難、除染などそれをゼロにするコストと比較して「現実的判断」で意思決定すべきとしていると概括できるだろう。

続いて、小出裕章氏が「原子力利用と被曝」というテーマで講演を行なった。小出氏の場合も、時間の関係で後半はしょらざるをえず、レジュメと実際の講演内容は異なっているが、ここでもレジュメを中心にみておこう。

小出氏は、福島第一原発事故で放出されたセシウム137は、少なく見積もっても広島原爆の168発分であり、福島県の東半分を中心として、宮城県、茨城県の南部と北部、栃木県・群馬県北部、千葉県の北部、岩手県・新潟県・埼玉県・東京都の一部が放射線管理区域(1㎡あたり4万bq)に指定しなくてはならないほど汚染されたとしている。小出氏は、むしろ低線量のほうが危険度は大きいとしつつ、とりあえずICRP-2007年勧告などを引用して「約100ミリシーベルトを下回る低線量域でのがんまたは遺伝的影響の発生率は、関係する臓器および組織の被曝量に比例して増加すると仮定するのが科学的に妥当である」とした。そして、100mSv以下の被曝をしてはいけないという国家の法律があり、それを無害という学者は刑務所に入れるべきであるが、国家がその最低限の法律を守っていないとした。さらに、「福島原発事故を引き起こした最大の犯罪者は政府であり、その政府は事故が起きたら、それらをすべて反故にした」と主張した。

小出氏は、福島原発事故による、失われた土地、強いられる被曝、崩壊する1次産業、崩壊する生活などの多大な被害は、東電だけでなく日本国が倒産しても賄いきれないとした。そして、地域住民には「被曝による健康被害」か「避難による生活の崩壊」かという選択がつきつけられているとした。特に、柏市を中心とした千葉県北部、茨城県南部は日本の法令を適用すれば放射線管理区域に指定されるとし、自身の体験をもとに、放射線管理区域では何も飲食できないし、汚染されたまま外出することもできないし、汚染された物を持ち出すこともできないことになっているのだが、それと同等に汚染された地域でも、普通に生活することが強いられているとした。本来、このような地域からは避難したほうがよいのだが、避難による生活の崩壊をおそれてそれができないとしているのである。

小出氏は、このように汚染された世界の中で「この自体を許した大人として、私たちはどう生きるのか?」と問いかけ、氏自身としては「子どもを被曝から守りたい」と主張した。原子力を選んだ責任は、政府や東電が一番重いが、放射線に携わってきた自分などにも責任はあり、さらに、このような原子力を容認してきた人びとーこの会場の聴衆にも責任はあると語りかけた。しかし、子どもたちには責任はない。そして、責任のない子どもたちこそが放射線感受性が高いのだと小出氏は述べた。

時間がなく、後半はかなりはしょりながら、小出氏は結論として、次のように述べた。

一人ひとりが決めること

自分に加えられる危害を容認できるか、あるいは、罪のない人々に謂れのない危害を加えることを見過ごすかは、誰かに決めてもらうのではなく、一人ひとりが決めるべきこと

小出氏の講演は、低線量であっても放射線被曝は健康に悪影響があるとし、そのことを広範囲にまねき、さらに事態を放置している政府・東電・学者たちを批判するともに、小出氏自身を含めた多くの人びとが将来の世代に対する責任をおっているとしたものといえよう。

この後、休憩をおかず、討論になった。この討論部分については、http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2732.htmlが討論部分のおこしを行なっているので、これに依拠しながら、記憶により補いつつ、重要と思われる部分をみておこう。

まず主催者(実行委員長)の柳沢典子氏から、両者の報告を簡単に概括した後、次のような質問が行なわれ、小林氏は次のように答えている。

柳沢:
小林さんのお話しの中で、事前に私たちがお出ししました質問で、このあたりの放射線レベルについて、小林さんはこのあたりのレベルについてどうお考えか?という所がちょっとお話が無かったような気がするんですが、よろしいでしょうか?
小林:
じゃあその点は、えーっと、柏市の市のホームページに出ている数字などいろいろ見て考えたんですけれども、今私自身が、皆さんに「こうしたらいいですよ」っていうつもりで言ってもしょうがないわけで、自分だったらどうするか?という事で考えると、私だったら、もう全然気になりません。小さい子もそれでいいと思う。もし、自分の家族がいてもそれは気にならない。それは学問上の確信があります。

そして、そうですね、私が配ったスライドの最後のところ、被ばく線量の測定と公開という所、これは今非常に市もやられているし、詳しい情報が出ている。ただしこれから気を付けるべきことは、「どこが何ベクレル汚れている」っていうことよりも、そうではなくて、「今住んでいる人がどれ位のシーベルトで放射線を受けているのか」これを基準にし一人一人考えるのがいいと思いますね。

公共施設などは非常に低くなっていますから、全く問題ないと思います。それから、通学路などで、もしところどころマイクロスポットと呼ばれているような所があったとしても、そこをまたぎ越す時間、時間にすれば非常に短いので、それから受ける線量というのは微々たるもの。それよりも長い時間を過ごす子どもさんの寝室の窓のサンとか、屋根のトイであるとか、そういう所の掃除の徹底でもう少し下げる事が出来れば、多分そっちの方が有効なのかな?という気がしています。

後半の線量測定や除染についてのことについては問題はないのであるが、柏市の線量は問題がないとしている点について、その後もたびたび問題となり、小林氏は会場からかなり批判を浴びていた。

同じ質問に対して、小出氏は、次のように答えた。

小出:
私は先程聞いていただいたように、この柏を含めて広い地域が1平方mあたり4万ベクレルを超えて汚れています。そういう所に私は「普通の人々が住むという事自体に反対」です。

出来る事ならばみなさん逃げて欲しいと思いますし、本当であればその法律を作った日本国政府が責任を持って、皆さんをコミュニティーごと、どこかできちっと生活できるようにするというのが私は必要だと思っています。いま大地を汚している主犯人はセシウム134と137という放射性物質ですが、1平方mあたり4万ベクレルのところにいれば、1年間で1ミリシーベルトになると思います。避けることができません。それだけでももう、法律が決めている限度を超えて被ばくをしてしまうという事になる訳です。

そして今、小林さんが言って下さったように、そうではなくて局所的に汚染しているところもあちこちにあります。そういう所をきちっと調べて、子ども達が接するような場所からはそういう汚染を除くという作業を、これからもずっと続けなければいけませんけれども、環境中で放射性物質は移動していますので、ある場所を綺麗にしたと思ってもまたそこがしばらくしたら汚れてくるという可能性もありますので、これから長い期間にわたってそういう作業を続けていって、出来る限り子どもを被ばくから守るという事をしていっていただきたいと思っています。

その後、小出氏と小林氏の間で、自身の主張に対する科学的根拠について論争となった。その内容については割愛したいが、この論争の中で、小林氏は次のような言及を行なった。

小林:
普段の生活で感じて、生活の中ではリスクはあまり感じないわけですね。まぁ、そういう日常バイアスというものがある。たとえば今日ここに来られるのに歩いて来られた方、車で来られた方いらっしゃると思いますけれども、縁起悪い事言って申し訳ないけど、「帰りに交通事故に遭わないだろうか」とか、普通考えないですよね。しかしそれはゼロではない、リスクは必ずある。でも本当は皆さん日常生活の中でそういうリスクを何となく感じて保険に入ろうか、どれぐらいの保険に入っておこうかとか、あるいは飛行機で行った方がいいかな、列車の方がいいかな、という事を判断しています。ま、そういう日常的な感覚を、日常的な感覚の中に、同じように、

(会場:ザワザワ)

板倉:会場からの発言は後でお願いいたします。

小林:信用しないと、特別なリスクで考えてしまうとね、比較はしにくくなるんじゃないかなと思います。

つまり、日常生活におけるリスクは考えないのに、なぜ放射線のリスクだけ考えるのだということなのである。(会場:ザワザワ)とあるが、これらは、ほとんど、小林氏を批判する声であった。そして、この議論の別のところでも、同様の発言を行い、やはり、かなり会場から反発されたのである。

さらに、柳沢氏からは、「科学とは何か」という質問が出された。

柳沢:
次の質問ですが、科学というものについてちょっとお伺いしたいんですが、科学というのはなんだというふうに思われるでしょうか?
科学者としてどういうふうにあるべきだと思われるでしょうか?科学から誘導される利益と人の健康リスクをどのように思われるでしょうか?
それについて小林さんから

小林:
はい、科学には二つの役割があると思います。
一つは、人間の生活を安全に豊かに便利にする科学。物理的な心ですね。
もうひとつは訳の分からない不安、恐ろしい事、理解できない事を減らして、心の平穏と言いますか、あ、わかった、知らない所が分かった。「だんだん知っている世界が広がった」という、そういう喜びのもとにですね、そういう営みで。
で、世の中で、この複雑な世の中で、「物事をどっちにしたらいいだろう?」と決めて、いろいろと迷う時に、一番多くの人が納得できる物事の決め方が、科学の実験で明らかになって、「ああこういうだ」と思って決めていく。そういう事なんだろうと思います。

小出:
それは、その通りだと思います。
ただし、科学というのは要するに、自然、世界というものが、どういう姿なのかという事の真実を知りたくてやっているんですね。

で、長い間科学をみんな、沢山の人が関わってやってきた訳ですけれども、「知れば知るだけまた分からないものが広がってくる」という、
そういうのが科学という場所の世界でした。だから、科学というのは非常に大切なものです。わたしも科学に携わっている人間としてそう思います。人々を平和に、そして豊かにするというためにも大変力を持ったものだと思いますけれども、でも「科学は万能ではない」のです。必ずいつも「分からないものがある」というのが、むしろ科学の本質になっているわけで、「全てがもう分かってしまっている」というふうに、科学に携わる人が思ってしまって、「自分たちの判断が必ず正しい」と思いこむようなやり方は間違いだと、私は思います。

小林:もちろんそうですね、誰も反対しないと思います、科学者ならば。

この二人の意見の微妙な交錯は興味深い。小林氏は科学について①人間の生活を豊かに安全に便利にするもの、②不安、恐怖、無理解をへらして、納得できる意思決定をしていくものとししているのである。いわゆる、小林氏などの「リスク・コミュケーション」による「合意形成」というのは、後者に属するものであろう。

他方で、小出氏は、小林氏の「科学観」を否定はしないのであるが、「科学はやればやるほどわけのわからないものが出てくる」とし、科学は万能ではなく、「自分たちの判断が必ず正しい」と思い込むのは間違いだとしている。そして、そのこと自身は小林氏も反対しないのである。

そして、会場の聴衆からも、多くの質問が出された。専門的なものが多く、すべてを概括できない。私の覚えているものは、数字はわからないが、私たちは何のメリットもなく被曝によるリスクをおった、「人権を無視しても科学のメリットを生かされてもいいのか?科学のメリットのために人権は無視されてもいいのか?」というものであった。それに対して、両者は次のように答えた。

小林:
じゃあ、わたしから。
多分そういう質問にはお答えがずれていると思うんですけれども、さっき私が伝えたかった事はこの場でこの後どうしたらいいのか?ということで、汚されてしまってけしからんと、腹が立つというのは当たり前ですよね。完全に元通りにして欲しいと思う気持ちは当たり前です。自分だってそう思います。
でもそれが無理な場合に、じゃあどうするのか?っていう時に、一番自分と子どもにとってベストな方法をさがす。で、どれがベストなのか?
比べても分かりにくいところを図るための知恵が科学なんだろうと、そういう事になると思います、今の話しのなかにも。

柳沢:小出さんはいかがでしょうか?

小出:
私からは特にお答えするような事は無いと思いますが、科学は万能ではないし、科学が間違えることもあるし、原子力というものをやってきたことも、私は間違いだと思っています。それによって被ばくというリスクが新たに加えられてしまって、被ばくというのはメリットは何にも無くて、害悪だけがあるという、そういうものです。ですから今回の汚染というものは、全く正当化できないという、そういうものが生じている訳で、今後そういう正当化できない行為をどうすれば防ぐ事が出来るかという事を考えてほしいと。ま、科学も、そういうふうにきちっと考えて答えを出すべきだと思います。

小林氏にとっても、被曝に対する憤懣の念があることは認めているのである。しかし、完全な現状回復は無理であるから、ベストな方法をさがすのが科学という知恵だとしている。他方で、小出氏は、被曝という全く正当化できないものをつくり出した科学は万能ではなく、そういうことをどのようにしたら防ぐことができるかと答えている。

そして、ほぼ最後のほうで、柳沢氏は、次のような質問をしている。

柳沢:
一つわたくしからの質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?
1ミリシーベルトというのが倫理的な基準であるというふうに、小林さんはおっしゃっているんですけれども、そうしますと、1ミリシーベルト以下を目指している柏市の除染というのはどういう事になるというふうにお考えになりますか?

小林:
倫理的なというのは、もう十分に低いから、適当に止めてもいいよという判断は正しくないだろう。だから放射線の変動レベル、事実上ゼロとみなしても、変動レベルという意味で、見なくてもいいという所まで、元通りに近いところまで除染していくっていうのは、倫理的に求められているという事です。そうしないと健康に影響が出る恐れが高いからという意味ではない。そういう意味で倫理的にということです。

柳沢:それに関しては小出さんは?

小出:
わたしですか?
私はもう繰り返して言っていますけれども、子どもたちに被ばくのしわ寄せをするという事は、私はやるべきではないと思っていますので、限りなくこれからも子どもたちの被ばくを減らすための作業というのを続けて欲しいと思っています。

そして、最後に主催者の柳沢氏より、小林氏が講演に応じた経緯が紹介され、2011年3月15日、前からもっていた線量計が警報をならしたこと、そして、その頃、子どもたちが公園で遊んでいる時、マスクを渡したがつけてくれなかったことなどをのべ、柏地域が「原発事故子ども・被災者支援法」の対象地域になるよう運動していくことなどを述べて、講演会は終了した。

この講演会は、原発推進派と反対派が同じ壇上にたって議論を行なったという意味で、異色であり、大きな価値があったと思う。特に、原発推進派の議論が、原発事故で被害を被った人たちの目からみて、どのような問題点がみえてくるのかということを如実に示しているといえる。小林氏と小出氏の見解の違いの一つは、「低線量被ばく」の影響をどうみるかという「科学的」なものである。そして、そのことは、聴衆であった一般市民の側にもおおむね了解されており、ここでは紹介できなかったが、かなり専門的な質問が飛んでいた。

他方で、この二人の違いは、科学というよりも、実践的姿勢の違いというところからも生じているように思われる。小林氏自身は、被曝の不当性は認めている。しかし、低線量被ばくの影響を少なく見積り、年間1mSvとする営為を「倫理的」でしかないとした上で、被曝からの現状回復を不可能なものとし、いわば状況を追認した形で「合意形成」をはかるということになるのである。その中で、科学ーというかむしろ小林氏自身の学説についてのようにみえるのだがーについては、物事を決める規範として認識されている。それを前提として、ある意味では「あきらめ」を説いているといえる。

小出氏の場合は、放射線被曝(彼は自然放射線も有害としている)全般を有害だとしながら、それを広範囲にひき起こし、この事態を放置している人びとの責任を、自分自身や聴衆も含めて問うているのである。そして、それは、自身が担ってきた科学への懐疑にもつながっている。このように、実践的な姿勢において、この両者は違っている。

ともあれ、このように比較して検討することを可能にした点で、この講演会の意義は大きいといえるのである。

他方で、このような講演会が行なわれた柏市を中心とした東葛地域の状況や、この講演会が東葛地域の今後にどのような意味をもってくるのか、そのことを考えて行きたい。

追記
この講演会についてはIWJがユーストリーム中継を行なっており、下記の動画で全体を視聴できる。前述したように、実際の講演内容とレジュメはやや違っているので、より詳細に内容を知りたい方はみてほしい。

http://www.ustream.tv/recorded/28626790

http://www.ustream.tv/recorded/28627168

また、前述したように、下記のブログが討論部分のおこしをおこなっている。

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2732.html

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これまで、柏市や松戸市などの高放射線量地区ーホットスポットになってしまった地域において、「専門家」のご託宣にもかかわらず、市民や東京大学内部の批判によって、各自治体が放射線対策に乗り出した契機をみてきた。2011年6月、千葉県西北部の野田市、我孫子市、柏市、松戸市、鎌ヶ谷市、流山市の六市は、市ごとに独自に放射線量の測定をはじめるとともに、2011年6月8日、これらの自治体で東葛地区放射線量対策協議会(会長柏市長秋山浩保、副会長流山市長井崎義治、事務局柏市)を設置し、この協議会全体でも放射線の測定を行なった。さらに、千葉県には、この協議会に参加することをよびかけ(千葉県も参加)、政府に対しても「福島県以外の学校・幼稚園・保育所等における放射線量の安全基準値を早急に策定し公表すること、安全基準値を超えた場合の対応策を示すとともに、その対策に要した費用については、国が全額負担すること。」(柏市のサイトより)という要望書を6月29日に提出した。

東葛地区放射線量対策協議会の行なった放射線量の測定結果(第1回、6月14〜16日実施)は、今からみれば、かなり深刻なものであった。流山市では0.38〜0.58μSv/h、我孫子市0.26〜0.60、鎌ヶ谷市0.12〜0.29、松戸市0.21〜0.39、柏市0.42〜0.47、野田市0.08〜0.27という値を示した。鎌ヶ谷市と野田市だけが比較的低いが、それでも0.23μSv/hを超えている地点が出ていたし、他の市では、ほとんどの地点が0.23μSv/hを超えていた。5月29日・6月1日に千葉県が行なった測定や、6月前半に柏市が独自に小中学校、高等学校や、幼稚園・保育園を対象とした測定でも同様の結果が出ている。6月27〜29日には第2回の測定が行なわれたが、その測定結果でも0.23μSv/hを超えている地点が続出した。

そして、柏市では、6月23日に、このような見解を出した。福島第一原発事故の影響で放射線量が上昇しており、その後も東葛地区放射線量対策協議会を中心に測定していくとしたのである。ここでは柏市だけをあげたが、他市も同様の対応をしたと思われる。

柏市を含めた関東一円の放射能被曝は、福島第一原発において3月13日から15日に発生した一連の水素爆発が原因で、風により放射性物質が広がり、3月21日から22日に降った雨により地表に付着したものと考えられます。
現在の放射線量は、その地表に付着した放射性物質の影響によるものであり、雨などで地表面が洗われることで、少しずつ減少しています。
このことは、市原市モニタリングポストと東京大学柏キャンパスから推測できます。(右図参照)
このことから、福島第一原発において、今後、水素爆発等の事故が発生しなければ、柏市においてはこれ以上の放射線量の上昇はないものと考えています。
ただし、東葛地区の空間放射線量が比較的高めであることから、その影響に関する不安の声や自治体での測定及び評価を実施するよう要望があがってきており、市としても現状を把握し対策を講じる必要があると考え、検討を重ねてきました。
しかし、放射線に対する基準等が明確でないことを受け、専門家の指導・助言を踏まえながら空間放射線対策を広域的に行う必要があると考え、東葛6市(松戸市、野田市、柏市、流山市、我孫子市、鎌ケ谷市)で結束して協議会を立ち上げました(6月8日に正式発足)。市としては、この東葛地区放射線量対策協議会を軸に対応していきますが、必要に応じて独自調査などを行う予定です。
同協議会では、6~8月にかけて専門機関に委託して放射線量の測定を行い、数値は随時ホームページなどで公表します。測定結果の評価についても、専門家の指導・助言を得て7月上旬ごろに公表する予定です。
市としても、これらに基づき、今後の対応を検討していきます。
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080500/p008644.html

しかし、もちろん、柏市を始めとした各自治体には、放射線量の専門家はいない。そこで、東北大学名誉教授中村尚司(前文部科学省放射線審議会会長)、東京大学准教授飯本武志(環境安全本部)、国立がんセンター東病院機能診断開発部長藤井博史(臨床開発センター)を専門家として参加させたのである。

そして、2011年7月8日、この3人の専門家と6市の市長たちにより、「第1回・第2回東葛地区放射線量測定結果等について」を議題として、第1回東葛地区放射線量対策協議会が我孫子市役所で開催された。まず、事務局より「測定結果は、毎時0.65~0.08マイクロシーベルトであった。文部科学省がICRPの参考レベルを基準化した毎時3.8マイクロシーベルト時、線量低減策の基準である毎時1.0マイクロシーベルトを下回っていた。」という見解が示された。まず、文部科学省が提示した3.8μSv/hという基準には達していないというのである。この時期、すでに文部科学省でも年間1mSv以下をめざすことを余儀なくされていたが、そうではなく、年間20mSvを基準とした3.8μSv/hもまだ基準となっていた。さらに、文部科学省が校庭などの除染費用を出すとしている1μSv/hも基準としている。この基準は年間で5mSvにあたる。いずれにせよ、東葛地区の測定値は基準を下回っているとしているのである。

そして、三人の専門家は、このように意見を提示した。

飯本准教授
今回の数値は絶対的なものではなく、様々な要因で変動する事実の理解も重要である。また、放射線計測上の15~20%程度の測定誤差は避けられず、例えば少数第2位の数値をもとに細かい議論をすることは得策でない。
2平方キロメートルメッシュの測定を優先し、線量分布の全体像を早期に整備することが必要。
市民向けの情報交換会を頻繁に開催し、市民の懸念に耳を傾け、リスクコミュニケーションを広げることが大切。多勢に向けたシンポジウムよりも小規模で双方向的な勉強会が望ましい。
藤井氏
東葛地区の空間線量では、外部被ばくによる発がんの有意な増加は考えられない。
東葛地区で体内に摂取される放射性核種の量は、既に体内に内在している放射性核種の量に比較して、有意に大量ではない。
東葛地区の放射線汚染の現状が住民の生命を直ちに脅かすものではないが、住民の被ばく線量を低減させるための努力を続けるべきである。
中村教授
通常のバックグラウンドに比べて高いが、数値は毎時1マイクロシーベルトより低く心配ない。2回の測定結果で数値がほとんど変化していないので今後は測定をもっと減らし、測定地点も少なくして構わない。
国内法令では、5ミリシーベルトは通常時でも、一般公衆に対する線量限度として、特別な場合は許容されている。また、日本人の内部被ばくを含めた年間の積算線量は約2.2ミリシーベルトあるといわれている。多大な人員と費用をかけて年1ミリシーベルト以下とすることは、ICRPが掲げているALARA(合理的に達成できる限り低くする)の精神に反する。
文部科学省が示した校庭の除染費用を出す目安である毎時1マイクロシーベルトは妥当な値である。屋外8時間、屋内16時間の計算式にあてはめると1年間の線量は約5ミリシーベルトになり、平常時の法令に照らしても問題ない。
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080500/p009027.html

飯本の議論も仔細によめば、自然の宇宙放射線や建材などに元々含まれている放射線物質の影響について言及しているのだが、とりあえず、線量分布の全体像を把握する必要性は指摘しているとはいえる。

他方で藤井は「東葛地区の空間線量では、外部被ばくによる発がんの有意な増加は考えられない」と述べている。藤井は国立がん研究センターの職員であり、この程度では、がんにならないというお墨付きを専門家が出しているといえるだろう。

中村にいたっては、「多大な人員と費用をかけて年1ミリシーベルト以下とすることは、ICRPが掲げているALARA(合理的に達成できる限り低くする)の精神に反する。文部科学省が示した校庭の除染費用を出す目安である毎時1マイクロシーベルトは妥当な値である。屋外8時間、屋内16時間の計算式にあてはめると1年間の線量は約5ミリシーベルトになり、平常時の法令に照らしても問題ない」とまで主張している。そして、測定もなるべくしないように述べている。中村は、文部科学省の放射線審議会の前会長であり、「専門家」中の「専門家」である。別に、自治体の首長たちのように、財政的な考慮を行なう必要はないはずである。

そして、このような議論は、質疑の中でも続くことになる。松戸市長本郷谷健次は、次のように質問し、藤井・中村は、次のように答えている。

本郷谷市長
放射線発がんの生涯リスクは被ばく時の年齢が影響するとされていたが、問題ないとされている年間5ミリシーベルトという値は、子ども・乳幼児にとっても問題ないと考えていいか。
中村教授
放射線に対する感受性は(子どもの方が)高いが、子どもががんになるのではない。
藤井氏
ICRPの出されている(確率的影響の発生頻度の)数値は年齢も考慮して算出されているが、年齢ごとの数値は出されていない。
広島・長崎の原爆の調査結果からは、10歳以下の子どもの場合、成人に比べてがんのリスクが2~3倍増える可能性はある。年間1ミリシーベルトでの発がん率は10万人あたり5人とされているが、この数字が2~3倍になったとしても(実際にはこの数が2~3倍になるわけではない)大きな数値にはならないといえる。
若いうちに被ばくしても、実際にがんが発生するのはある程度の年齢になってからであり、子どもの被ばくを大人と比べて神経質にとらえることはないと思う。
本郷谷市長
保護者はがん年齢になったときの影響を心配している。その点をどのように説明できるか。
中村教授
被ばくした線量による。この程度の線量で、発がん率が有意にあがるとは思えない。100ミリシーベルトを超える値であれば、大人と子供で明らかに差が出てくると思うが、今の状況で影響が出ることは考えられない。
飯本准教授
ある線量以下の数値はリスクマネジメントの領域になってくる。放射線のリスクをどの程度まで容認するかという点がひとによって感覚が異なり、論点になる。リスクマネジメントの考え方を上手に伝えて、数値のもつ意味を伝えることも重要である。
例えば1ベクレルのセシウムによる内部被ばくの影響は、年齢別の感受性の違いも考慮して、線量換算係数を用いてシーベルトに換算することができる。小さな子供の場合は、同じ量のセシウムを体内に入れても、大人の場合よりもシーベルトの数値が大きくなるような計算の仕組みができている。
今回は、地上1mと50cmの高さの放射線量を測定しており、外部被ばくについての子どもと大人の線量の差を明確化している。
このようにシーベルトの算出の過程に、感受性の高い子どもの数値が大人よりも高く評価されるような仕組みを持っており、リスクマネジメントのある段階までは計算でなされていることに留意すべき。
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080500/p009027.html

藤井は、広島・長崎の調査結果から、10歳以下の子どもが被曝した場合、がん発生リスクが2〜3倍になることは認めつつも、「若いうちに被ばくしても、実際にがんが発生するのはある程度の年齢になってから」としている。そして、本郷谷市長に「保護者はがん年齢になったときの影響を心配している。その点をどのように説明できるか。」と批判されている。さらに、中村にいたっては「この程度の線量で、発がん率が有意にあがるとは思えない」と発言している。

特に問題になったのは、年間1mSvという基準についてである。各市長たちは、住民の世論では年間1mSvが安全基準となっており、年間5mSvを基準にすることは納得されないと主張している。例えば、野田市長は、「市民の頭には、年間1ミリシーベルトという目標値がすでに入っている」と発言し、「少なくとも文部科学省は年間20ミリシーベルトから毎時3.8マイクロシーベルトを算出しており、その計算式を適用すれば、年間1ミリシーベルトは毎時0.19マイクロシーベルトになってしまう。これから時間をかけて説明する必要があると思うが、現時点でそのような説明をしても納得してもらえない」と述べている(なお、私も年間1mSvを前提として0.23μSv/hという基準を使っているが、それに対して疑義がないわけではない)。それに対して、主に中村が「現行の法律でも特別の場合は年間5ミリシーベルトという線量限度の数値は規定されている。今回の事故に関して、文部科学大臣は、回復時には年間1ミリシーベルトを目指すと発言しただけである」「現状では数値が先行していて、それを超えたら何かしなければならないとなっている。そのようなことをしていたら莫大な費用が掛かってしまう」と述べ、反論している。中村は、ここでも、「費用」というコストを最大の検討材料としているのである。

本郷谷市長
年間1ミリシーベルトという値が独り歩きしており、これが安全基準になっている。この値をどのように説明すればいいか。
中村教授
原発の施設設計・管理の基準であり、安全か危険かの基準ではない。
飯本准教授
平時や計画時のルールと事故時や復旧時のルールは考え方が異なる。事故時や復旧時に平時のルールは使えない。そのために1~20、20~100ミリシーベルトといった幅をもったバンドによる数値表現がICRPによって提唱されている。復旧時には相当するバンドの中で、ある目標値に向かって線量を合理的に下げる努力をしていくことになる。ICRPやIAEAは、事故直後の暫定的なルールを示しているが、その後の復旧時における新しいルールを作る場合には、検討の透明性を高めて、ルール決定に至るプロセスを記録に残しておくべきとしている。数値基準を定めるときを特にこの点に注意すべきである。
根本市長(崇 野田市長)
文部科学省が学校において年間1ミリシーベルトという目標値を示しているが、これと比べて中村先生がお示しした毎時1マイクロシーベルトで年間5ミリシーベルトまで問題ないとする見解はどのように解釈すればよいか。
中村教授
現行の法律でも特別の場合は年間5ミリシーベルトという線量限度の数値は規定されている。今回の事故に関して、文部科学大臣は、回復時には年間1ミリシーベルトを目指すと発言しただけである。
根本市長
市民の頭には、年間1ミリシーベルトという目標値がすでに入っている。年間5ミリシーベルトという数値を市民に説明する際に、どのようにすればいいのか。
飯本准教授
最終的には1ミリシーベルトを目指すとしているが、達成が不可能なケースも、もしかしたら出てくるかもしれない。
代表的な線量を見ながらどのような対策をすべきかという議論は必要だと思うが、今の段階でどれくらいの数値が出たらこの対策をしなければならないということを安易に決めるのは、プロセスとして間違っている。なんらかの数値基準を決めるならば、情報をきちんと整え、関係者で話し合う手続きを踏むことが大切だと考えている。その意味で、私が提言したように小さいお子さんをお持ちの方との情報交換の場を設定することは、プロセスとして重要であると考えている。
やれることをやれる範囲で低い線量を目指すという姿勢はきわめて重要。また一回線量低減対策を実行すればそれでいいというものでもない。常に、最適化をしていくということが大事。
まずは急いで、データをきちんとそろえることが重要である。
中村教授
ICRPでもALARA(合理的に達成できる限り低くする)ということをいっている。その対策をしてどれだけ意味があるのかを考えていかなければならない。
本郷谷市長
市民の立場からみれば移動の自由がある。ある地域は他と比べて数値が高いとなると市民は別の場所に引っ越しできるし、他から人が来ないということになる。この数値ならば問題ないということを市民が納得してくれればいいが、いろいろ議論がある中で説明に苦慮している。
飯本准教授
どの線量がいいかは、ひとそれぞれリスクに対する考え方の違いがあり決められない。いろいろな考え方がある中で、合議をしながら最終的な対応を決めていくという手続きを踏むことが重要である。
清水市長(聖士 鎌ヶ谷市長)
数値的な答えとしては中村先生がおっしゃっている毎時1マイクロシーベルトが妥当ということでよろしいか。
中村教授
私はそのように思うが、気になるようであれば特に高いところの線量低減をしてもいいのではないか。
清水市長
新聞などでは年間1ミリシーベルトであれば、毎時0.19マイクロシーベルトであると書いている。0.19を基準とされると東葛6市ではほとんど基準を超えてしまう。
飯本准教授
年間1ミリシーベルト=毎時0.19マイクロシーベルトの単純換算は誤り。1年間の基準では、一時的に少々高い値が示されたとしても許されるが、時間単位にするとそれが許されなくなる。現実からかけ離れた机上の計算を基準に議論するのは賛成できない。
根本市長
少なくとも文部科学省は年間20ミリシーベルトから毎時3.8マイクロシーベルトを算出しており、その計算式を適用すれば、年間1ミリシーベルトは毎時0.19マイクロシーベルトになってしまう。これから時間をかけて説明する必要があると思うが、現時点でそのような説明をしても納得してもらえない。
飯本准教授
年間20ミリシーベルト程度のところであれば、自然放射線を含めて考えてもいいが、年間1ミリシーベルト程度のところを議論するなら自然放射線を除外して考えなければいけない。誤解が多いため、ICRPも注意深く書いている部分。
中村教授:現状では数値が先行していて、それを超えたら何かしなければならないとなっている。そのようなことをしていたら莫大な費用が掛かってしまう。
飯本准教授
数値基準は安全と危険の境界線ではない。数値基準だけを前面に出すことは、リスクに関するメッセージ性を考えても間違っている。放射線は身のまわりに存在するさまざまなリスクの一部であり、ことさら放射線リスクだけに着目するのは、バランスとしてよくない。ICRPの提唱するALARA、最適化をまさに実践するとき。藤井先生ご指摘のように、もっと別のリスクにも、バランス良く目を向け、対応を判断する必要があるのではないか。
星野市長(順一郎 我孫子市長)
市民の方は、国の年間1ミリシーベルトという基準値から逆算した毎時0.19マイクロシーベルトという数値が頭に入っていて、国の基準値を超えていると考えている。実際はそうではないが、ある程度低い数値を基準値として示さない限り、納得してもらえない。
飯本准教授
市民の方は非常によく勉強されている。一方、情報が氾濫しており、その中でも興味や関心を強く引くような特定の情報に傾倒してしまうケースもあるよう。しかし、落ち着いて、真摯に情報交換をすれば冷静に耳を傾けてくださる方も多いと感じている。地に足をつけたしっかりしたリスクコミュニケーションを進めるのが重要。
早急に新たな線量基準だけを作るというのは、ICRPの提唱する手順からいっても間違っている。
星野市長
国に対して基準値と低減策を示すように要望しているが、国の対応はにぶいようである。市町村としては対応に苦慮している。
一つの方法として、野田市が行ったように学校・保育園等で職員に積算線量計を携帯させて積算線量を測定し、公表する。実際の積算線量がわかれば、安心感につながるのではないか。
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080500/p009027.html

重要なのは、松戸市長が「市民の立場からみれば移動の自由がある。ある地域は他と比べて数値が高いとなると市民は別の場所に引っ越しできるし、他から人が来ないということになる。この数値ならば問題ないということを市民が納得してくれればいいが、いろいろ議論がある中で説明に苦慮している。」と発言していることである。移動の自由がある限り、世論から離れた安全基準で対策を行なうと、住民が減ってしまうのである。これは、この地域で現実におきていることである。この地域は、首都圏のベットタウンであり、職場だけでいえば、他地域へ移動することは容易である。なお、さらに、職場すらもかえて、関東地方外に移動する人びとすらいるのである。ゆえに、この地域では、住民減少を少しでも食い止めるために、放射線量低減対策に自治体としても積極的に行なわざるをえないということになるといえる。

そして、このような「移動の自由」は、被災地の福島県では、実質的に保障されていないといえる。高線量地域をさけることは本来自由であり、その自由のため住民が減少するというならば、各自治体は放射線対策に本気で取り組まなくてはならないはずである。首都圏のホットスポットと比較すると、その点が福島県は違うといえるのである。

最終的に、柏市長より「6市の基本的認識と今後の方針については、「東葛6市の空間放射線量に関する中間報告及び今後の方針」のとおり決定させていただく。」という発言があり、この協議会は終了した。この「今後の方針」について、結論部分のみ引用しておこう。

第3章 基本的認識と今後の方針
以上の結果より、現状において東葛地域の空間放射線量は、直ちに対策が必要となる状況にはないと考えられた。しかしながら、同時に国際放射線防護委員会勧告においては、合理的に達成出来る限り放射線量を低減すべきとしている。また、地域住民から引き続き不安の声が寄せられていることを鑑み、安全よりむしろ安心に資する取り組みが必要であるとの認識に立ち、更なる措置として、今後は、以下のとおり、取り組みを行うこととした。

 引き続き空間放射線量調査は実施し、実態把握を進める。
 測定結果と生活実態調査の結果に基づき、個々の施設において年間の被ばく量を算定するなど、管理を徹底する。
 管理の基準は、国際放射線防護委員会勧告に示された目安を尊重し、学校保育園,幼稚園等の施設において年間1ミリシーベルト(自然界からを除く)を目標とする。
 相対的に空間放射線量の高い区画の把握及びその区画における空間線量低減方策を検討する。
 各自治体が各施設等の実情に応じ、優先順位を定め、費用対効果を勘案して具体的取り組みを順次進める。

1.放射線量の低減策について
具体的な放射線量の低減対策実施にあたっては、優先順位を決め、低減効果の実証実験等を行うなど、費用対効果を勘案し検討することとした。
2.今後の調査方針
各市域2kmメッシュ内の代表施設について、早期に測定値を把握することを優先する。また、きめ細かな測定を迅速に行うため、東葛6市で比較校正を済ませた簡易測定器を複数台入手する。

3.国や東京電力(株)に対する要望活動
(1)実態に即した被ばく線量の推計、評価方法の確立を国に求めて行く。
(2)放射線量低減を図るために行った費用負担を国及び東京電力(株)に求めていく。

クリックしてhousin.pdfにアクセス

ある意味では玉虫色の見解だが、重要なことは、年間1mSvをめざすということが、これらの6市の方針として明記されたことである。この方針策定については、事前に中村らの意見も聞いていたはずと思われるが、結局、中村のいう1μSv/h(年間5mSv)は採用されなかったのである。これは、世論の反映ということができる。首長たちは、住民の世論を、「専門家」の主張よりも重視せざるを得なかったのである。そのかわり、中村の持論と思われる「費用対効果」が明記されることになったと考えることができる。

そして、住民の世論を無視して主張する「専門家」のこのようなあり方こそ、福島第一原発事故で問われたものの一つということができよう。このような「専門家」の主張に抗しつつ、住民の世論が自治体の首長たちを動かすことによって、「年間1mSv」という基準は意味あるものとされていったということができよう。

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さて、前回は、柏市などの首都圏のホットスポットになった地域で、2011年5月頃より地域住民のあげた声によって、柏市などの自治体が放射線測定など自主的な放射線対策を始めてきたことを概観した。

他方で、それまで、自治体が自主的な対応を取らない根拠としてきた、東京大学などによる「柏市の放射線量は健康に影響がない」という主張について、東京大学内部からもこの時期より批判されるようになった。

本ブログの「https://tokyopastpresent.wordpress.com/2012/10/06/柏市の放射線量は健康に影響がないと主張してい/ 」で一部とりあげたことであるが、ここでは、多少、その記事にさかのぼりながら、この問題をみていこう。柏市には国立がん研究センターや東京大学柏キャンパスという専門機関があり、放射線の測定を行なっていた。しかし、この両機関は、平常より高い放射線量が測定されたことを公表しながらも、「柏市の放射線量は健康に影響がない」と主張し続けた。例えば、国立がん研究センターは、このように主張している。

このように、今回の福島第一原発事故で、直近の地域以外で報告されている放射線量は、少なくとも俄に人体に悪影響を及ぼす値ではなく、また、いくつかの事実はこのような低い放射線量を持続的に被ばくしたとしても、悪影響を及ぼす可能性はとても低いことを示しています。
http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/080500/p008644_d/fil/rikai1.pdf

柏キャンパスを設置している東京大学も、「東京大学環境放射線情報」というサイトにある「環境放射線情報に関するQ&A」で次のように述べている。

Q:本郷や駒場と比較すると、柏の値が高いように見えますが、なぜですか?

A:測定点近傍にある天然石や地質などの影響で、平時でも放射線量率が若干高めになっているところがあります。現在、私たちが公表している柏のデータ(東大柏キャンパス内に設けられた測定点です)は、確かに、他に比べて少々高めの線量の傾向を示しています。これは平時の線量が若干高めであることと、加えて、福島の原子力発電所に関連した放射性物質が気流に乗って運ばれ、雨などで地面に沈着したこと、のふたつが主たる原因であると考えています。気流等で運ばれてきた物質がどの場所に多く存在するか、沈着したかは、気流や雨の状況、周辺の建物の状況や地形などで決まります。結論としては、少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています。
(http://megalodon.jp/2011-0521-2238-09/www2.u-tokyo.ac.jp/erc/QA.htmlより一部転載。後日変更されたため)

専門機関である東京大学・国立がん研究センターが健康に影響がないと宣言しており、柏市としても当初は追随するしかなったのである。2011年5月18日の柏市のサイトには、次のような文章がアップされていた。

東京大学・国立がん研究センターにおいて、定期的、継続的調査が実施されており、この測定結果に対し「少々高めの線量率だが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康に問題はありません」とのコメントが出されています。
(https://sites.google.com/site/utokyoradiation/home/municipalitiesより転載。柏市のサイトからは削除されているので、ここから転載した。)

しかし、この「東京大学環境放射線情報」が、東京大学の教官有志から問題にされたのである。彼らは、2011年6月13日、東京大学総長に対して、次のような要請を行なった。かなり、長文だが、重要なものなので、全文引用しておく。

[要請の概要]
1、放射線のリスク評価に関して、少なくとも、低線量でもそれに比例したリスクは存在するという標準的なICRPモデルに基づいた記述とし、「健康に影響はない」と言う断定は避けること。
2、柏の放射線量が高い理由について、原発由来の放射性物質が主因であると明記すること。
3、測定中断をしている本郷1と柏1の計測を(頻度を下げても良いので)再開継続すること。

なお、Webページの記述については、私どもによる説明案の例を添付致します。

[以下、本文]

3月11日の東日本大震災に引き続いて起こった福島第1原子力発電所の事故により、地域住民に多大な被害が及び、なお収束までかなりの時間がかかると懸念されていることはまことに残念なことです。放射能による健康被害が懸念され、福島県のみならず東北から関東、さらにはそれ以外の地域の住民にも不安が広がっています。

これに関わり、本学の標記Webページについて、まず有用なデータを測定し公表していただいていることについて、関係者各位のご尽力に感謝いたします。とりわけ本学の柏キャンパス地域では事故後放射線量の増加が多く、住民の懸念が高まっておりますので、参考になる資料のご提示は意義あることです。

しかしながら、観測された放射線量についての標記Webページでの記述については、いくつかの問題があるものと私たちは考えます。本学の社会に対する責任という観点からも、これらは見逃せないものです。実際に、本学のWebページでの記述がいくつかの自治体によって引用され、放射線対策を取らない理由として用いられてきました。

本学のWebページの記述は、社会・市民からの本学に対する信頼が揺らぐ理由にもなり得るものと私たちは懸念しています。以下で問題を具体的に議論しますが、一刻も早い内容の再検討と修正をお願いいたします。なお、ご参考までに、私どもによる説明の案を例として添付致します。

I. 放射線の健康への影響について

「環境放射線情報に関するQ&A」のページで、「少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています。」との記述がありますが、その根拠はまったく示されていません。

実際、私達はこの記述は学問的に不適当なものと考えます。放射線の健康への影響についてはさまざまな説があり、完全なコンセンサスは専門家の間でも得られていないものと承知しています。しかし、世界的にも標準的な考え方は、放射線による発がんリスクには放射線量にしきい値はなく、放射線量に比例してリスクが増加する、と言うもの(LNT仮説: Linear Non-Threshold=しきい値なし直線仮説)です。

このLNT仮説にも(楽観的・悲観的両方の立場から)批判はありますが、たとえば全米アカデミー全米研究評議会National Research Council of the National Academies 、BEIRVII報告書 http://www.nap.edu/openbook.php?isbn=030909156X でも各種学説を検討した結果、LNT仮説を支持する結論となっています。放射線防護に関する国際機構ICRPの勧告も、LNT仮説をベースにしたものです。LNT仮説によれば「これ以下であれば無害」といえる線量は存在しないので、ICRPも被曝線量はALARA(As Low As Reasonably Achievable=合理的に達成可能な限り低く)原則に従ってなるべく下げるべきという立場を取っています。http://hps.org/publicinformation/ate/q435.html

日本政府の施策も(少なくとも今回の原発事故までは)このような立場に基づいたものでした。たとえば、平成18年4月21日 原子力安全・保安院資料「我が国の原子力発電所における従事者の被ばく低減について」 http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g60501a05j.pdf では、原発従事者の年間被曝が平均1mSv程度に抑えられている(現在の柏で屋外で過ごすと仮定した場合の被曝線量よりも低い)こと、しかしALARA原則に従ってさらに低下を目指すべきことが示唆されています。

平成22年7月23日 経産省原子力安全技術課「集団線量の低減に関する今後の検討について(案)」 http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g100723e07j.pdf でも「法令上の要求は十分に満足していることを前提として、被ばく量を合理的に達成可能な限り低く保つという「ALARA の原則」を踏まえた取組を行うことが適当である」と同様の方針を述べています。

原発従事者でもそうなのですから、特に本学を含めた地域社会の学生・生徒、乳幼児、妊婦などについては更に被曝線量の低下に向けた努力が求められるのではないでしょうか。もちろん、「十分低い線量」であれば、「リスクは十分に低いので無視できる」という判断はあり得ます。しかし、この判断は最終的には主権者である国民一人一人が行うものであり、リスクの開示なく東京大学が「無視できる」と判断するべきものではありません。一つの目安として、ICRP勧告による平時の一般公衆被曝限度 1mSv/年未満であれば無視できるといっても差し支えないかもしれませんが、少なくとも柏キャンパスの放射線強度は(自然バックグラウンドを差し引いても)これを上回るものです。

さまざまな説がある場合、子どもをもつ親のように安全サイドに立たざるをえない人の立場を考えれば、悲観的なリスク評価を排除するのは適切ではありません。とくに、「健康にはなんら問題がない」のような強い断定を行おうとするのであれば、悲観的な学説をなぜ排除したかの説明が必要でしょう。上記のLNT仮説やICRP勧告でも楽観的すぎるとする説もいくつもあります。仮にそのような説は考慮しないにしても、最低限、標準的なリスク評価であるLNT仮説やICRP勧告に基づいた記述をしてほしいものです。そのような基準に照らしても、標記Webページの記述は不適切なものと考えます。

福島県の住民をはじめとして放射能の健康への影響については、広い範囲の国民が強い関心を抱いています。放射線量が高い地域の住民の中には、子どもたちの将来を思い、日々悩んでいる方々も少なくありません。国民の期待を担う学問の府として、正確な情報を提示すべく、記述の修正をお願いいたします。

II. 柏の放射線量が高い理由

「東京大学環境放射線情報」のトップページに「測定地点の近くに天然石材や敷石などがある場合には、0.3μSv/時に近い値を示す場合もあります。」とのコメントがあります。また「環境放射線情報に関するQ&A」のページの「Q1:本郷や駒場と比較すると、柏の値が高いように見えますが、なぜですか? 」に対し、まず、「測定点近傍にある天然石や地質などの影響で、平時でも放射線量率が若干高めになっている所があります」との記述があります。そして、柏の線量の高さの原因として、「平時の線量が若干高めであることと、加えて、福島の原子力発電所に関連した放射性物質が気流に乗って運ばれ、雨などで地面に沈着したこと、のふたつが主たる原因であると考えています。」と結論しています。

私達は、この記述にはいくつかの点で問題があるものと考えます。

まず、東大柏(1)の測定データでも、3/18〜3/20の計測データの平均は0.12μSv/時程度です。これにも原発事故の影響がないとは言い切れませんが、平時の値は高々この程度のはずです。関東地方の典型的な平時の値を0.05μSv/時とすると、差は0.07μSv/時に過ぎません。一方で、現時点で柏(1)の最終測定値となっている5/13の値は0.35〜0.37μSv/時(5/12はもっと高く、0.38〜0.39μSv/時)です。従って、原発事故の影響による増分は(控え目に見ても)0.23μSv/時、すなわち平時の差を 0.07μSv/時 としてその3倍以上です。

ある量が大きい原因の 1/4程度に過ぎないものを強調し、3/4を占める要因をおまけ程度に扱うというのは科学的に誠実な態度とは考えられません。この増加の健康への影響の議論は別にして、柏キャンパスの放射線量が高いのは、時間変化からも明らかに原発事故の影響が主因です。

また、柏(1)の測定点の近くに天然石があるとのことですが、その影響による放射線量の増加については定量的な根拠をもとに論じられているのでしょうか。柏市やその周辺地域で放射線量が高いのは本学の測定に限らず一般的な事実であり、天然石や地質の影響とは考えられません。まず、近隣の国立がん研究センター東病院の測定 http://www.ncc.go.jp/jp/information/sokutei_ncce.html でも病院敷地境界で6/2になっても0.35μSv/時 が観測されています。また、最近の千葉県による測定 http://www.pref.chiba.lg.jp/taiki/press/2011/230602-toukatsu.html でも柏市内および周辺地域で高い線量が観測されています。その他、市民有志による測定でも地点によって差はあるものの、柏市周辺では有意に高い放射線量が観測されています。これらがすべて「天然石」の影響であるとは考えられません。

また、私達のうちの一人は個人で所有している線量計で柏キャンパス内の放射線量を計測していますが、天然石の近くでなくても高い値を観測しています。(たとえば、5/21キャンパス中央付近コンクリートタイル上約1mで0.39μSv/時) なお、日本地質学会による「日本の自然放射線量」 http://www.geosociety.jp/hazard/content0058.html によると、柏市周辺で期待される自然放射線量は0.036μSv/時以下で日本の中でもむしろ低い部類に入るようです。したがって、本学の標記Webページでの記述は科学的に不適当であると言えます。

国民から高い科学的倫理が期待されている東京大学としては、事実をもとにして、柏で計測されている高い線量値の主因は原発事故であることを明らかにする記述をするべきものと考えます。

また、柏(1)の「平常時の値」が0.1〜0.2となっていますが、前述したように3/18〜3/20の3日間の計測データの平均が 0.12μSv/時であり最大でも 0.14μSv/時であったこと、またこの期間においても原発事故の影響があった可能性も考えると、平常値の値は0.12μSv/時またはそれ未満であると考えられます。「平常値の値」0.1〜0.2μSv/時とは、2011年3月11日以前の実測データに基づくものなのでしょうか。推定の根拠を明らかにするようにお願いいたします。震災以前の同地点での実測値が存在しないのであれば、高めに見積もっても 0.12〜0.14μSv/時とするべきではないでしょうか。

以上、柏キャンパスの放射線量をどう評価するかという問題について述べてきました。これは柏地域の住民にとって関心が高い事柄ですが、放射線量の上昇は東北、関東の諸地域で起こっていますので、東大キャンパス周辺の1地域の問題にとどまらぬ影響をもちうるものです。早急な再検討とWebページの記述内容の修正をお願いいたします。

また、本郷(1)、柏(1)の測定が中断されていますが、原発事故後の時間変化を追跡するという意味で、同一地点での計測の継続はたいへん貴重なデータとなります。以前より頻度を低下させても良いかもしれませんが、是非計測の継続とその結果の公表をお願いいたします。

平成23年6月13日
東京大学教員有志 
(氏名別添)
https://sites.google.com/site/utokyoradiation/home/request

ここで、重要な論点として、東京大学の有志教員たちは、放射線被曝による発がんリスクの上昇は、閾値などなく被曝線量に比例していること、そして、少なくとも柏市の状況は、ICRP勧告の一般公衆被曝限度の年間1mSvをこえていることを指摘していることをあげておきたい。さらに、柏市の放射線量の高さについて、「天然石」からの影響をあげていることにも疑義を示しているのである。そして、東京大学の主張が、各自治体の放射線対策を取らない理由となっていることも批判しているのである。

これに対して、結局、東京大学も、サイトについて変更することを余儀なくされた。朝日新聞2011年6月18日付夕刊は、次のように報道している。

「健康に問題なし」は問題 東大サイト 指摘うけ削除 放射線測定結果

 学内の放射線を計測して公式サイトで公表している東京大学が、測定結果に「健康にはなんら問題はない」と付記してきた一文を、全面的に削除して書き換えた。市民からの問い合わせが相次ぎ、「より厳密な記述に改めた」という。学内教員有志からも「安易に断定するべきではない」と批判が寄せられていた。測定値は東京・本郷と駒場、千葉県柏市の各キャンパスの、1時間ごとの値を掲載している。柏キャンパスは現在、毎時0.25マイクロシーベルト前後だが、平時は0.05〜0.10程度。サイトでは「(原発の)事故前より少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています」とのコメントを載せていた。
 これに対し、学内の教員有志45人が今月13日、記載を改めるよう浜田純一総長に要請書を提出した。ごく微量でも放射線量に比例して発がんリスクがあるというのが世界的に標準的な考え方だと指摘。「(安全だと)強い断定をするなら、悲観的学説をなぜ排除したか説明が必要だ」と主張した。
 大学側は翌14日、当該コメント部分を削除し、100ミリシーベルト(1回または年あたり)以下の被曝による人体へのリスクは明確ではない、との研究成果を紹介。国際放射線防護委員会(ICRP)が「長期的には放射線レベルを年1ミリシーベルトに」「事故の収束後は年1〜20ミリシーベルトの範囲」と提言した事実などを列記した。
 東大広報課は、「当初は一般からの問い合わせに答えるため端的な記述が求められていると判断したが、双方向のやりとりがないウェブサイトでは、リスク情報を発信する難しさを感じた」と話している。
(吉田晋)

具体的には、このようにサイトは変わった。なお、東大教官有志は、これでは不十分として7月1日に第二回の要請を行なっている。

東大環境放射線情報ページの変化
私たちが2011年6月13日に要請文を提出後、6月14日付で東京大学「環境放射線情報に関するQ&A」の内容に重要な変更が行われました。
本サイトに掲載されている要請文は、変更前の内容に基づいて書かれていたものなので、変更前の上記ページの内容と、6月14日付の変更の内容について記しておきます。

上記ページは少しずつ改訂されていましたが、2011/5/21時点でのページが、こちらに保存されています。
(要請書提出の6/13時点では更なる改訂によって内容は変化していましたが、重要な点での見解は同じでした。)
私たちが主に問題にした箇所を以下に抜粋して引用しておきます。

Q:本郷や駒場と比較すると、柏の値が高いように見えますが、なぜですか?

A:測定点近傍にある天然石や地質などの影響で、平時でも放射線量率が若干高めになっているところがあります。現在、私たちが公表している柏のデータ(東大柏キャンパス内に設けられた測定点です)は、確かに、他に比べて少々高めの線量の傾向を示しています。これは平時の線量が若干高めであることと、加えて、福島の原子力発電所に関連した放射性物質が気流に乗って運ばれ、雨などで地面に沈着したこと、のふたつが主たる原因であると考えています。気流等で運ばれてきた物質がどの場所に多く存在するか、沈着したかは、気流や雨の状況、周辺の建物の状況や地形などで決まります。結論としては、少々高めの線量率であることは事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています。

2011/6/16時点でのページの記録は、こちらになります。この時点での、上記に対応する箇所を以下に引用します。
最も重要な変更として、「人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はない」という記述が消滅しました。

Q2:本郷や駒場と比較すると、柏の値が高いように見えますが、なぜですか?

A2:現在、私たちが公表している柏のデータ(東大柏キャンパス内に設けられた測定点)は、確かに他に比べて高めの線量を示しています。測定点近傍にある天然石や地質などの影響で、平時でも空間線量率が若干高めになっている所があります。また、福島の原子力発電所に関連した放射性物質が気流に乗って運ばれ、雨などで地面に沈着したことが原因であると考えています。気流等で運ばれてきた物質がどの場所に多く存在するか、沈着したかは、気流や雨の状況、周辺の建物の状況や地形などで決まります。

Q3:キャンパス内で測定されている放射線量(空間線量率)は人体への影響はありますか?

A3:事故前より高い空間線量率が測定されています。従来の疫学的研究では、100mSv(1回または年あたり)以下の被ばく線量の場合、がん等の人体への確率的影響のリスクは明確ではありません(自然被ばく線量は世界平均で1年間に2.4 mSvです)。ICRP(国際放射線防護委員会)は、2007年勧告を踏まえ、本年3月21日に改めて、「長期間の後には放射線レベルを1mSv/年へ低減するとして、これまでの勧告から変更することなしに現時点での参考レベル1mSv/年~20mSv/年の範囲で設定すること」(日本学術会議訳)とする内容の声明を出しています。

※ICRP声明 3月21日 http://www.icrp.org/news.asp

Q9:柏キャンパスにおける空間線量率のバックグランド(表中では「平時の値」と記載)は、どのように評価されたものですか?

A9:柏(1)のバックグランドは、福島第1、第2原子力発電所の事故以前に、放射線管理の専門家によって、まさにその地点で実際に測定されていた値を基にしています。0.08~0.16μSv/時程度ですので、平時の値としては、まるめて0.1~0.2μSv/時としました。柏(2)は柏(1)のすぐ近傍(約10m離れた地点)にあります。原子力発電所からの事故による飛来物の量は柏(1)と柏(2)でほぼ同じと推定されますので、柏(2)の自動測定を開始したころの相互の測定値を比較して、柏(2)の平時の値を0.05~0.1μSv/hと評価しました。この値は、柏(2)における過去のバックグランド測定値(0.07~0.10μSv/時)とよく整合しています。

測定された値から、平時の値を差し引いた値が、主に原子力発電所の事故由来の放射性物質による影響と考えています。
https://sites.google.com/site/utokyoradiation/home/developments

このように、東大の「健康に影響がない」という主張は、東大内部の有志教官らの運動で、不十分ながらも改変されたのである。朝日新聞が伝えているように、この背後には、東大の主張に対する市民からの批判があったといえる。ただ、それでも、東大の教官有志という「科学者」の集団が、「科学」で武装した東大の「健康に影響がない」という主張を批判し、変えさせたということは大きいといえる。これは、権力に献身してきた「科学」を、その内部からも一部なりとも変えていく可能性を提示したといえる。

しかし、その後も、「専門家」たちは、あきれるくらい「健康に影響がない」と主張し続けた。これは柏市などの千葉県東葛地域だけはない。もっとも激しく主張しているのは、より放射能汚染が深刻な福島県である。次回以降、柏市などにしぼったかたちで、この「専門家」たちの言動をみておこう。

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2012年10月10日、首都圏における放射性セシウムのホットスポットとなってしまった千葉県柏市をとりあげ、「世論におされて子どもの被ばく線量を年間20mSvから1mSvに変更した文部科学省ー公共の場における柏市放射線量問題の提起の前提として」という記事をここでアップした。

だいぶ、長らく、続きを書くことができなかったが、最近、やはりホットスポットになってしまった近隣の茨城県取手市を取り上げることになったので、ここで再開することにした。

3.11直後、柏市は、最高0.74μSv/h(2011年3月24日)を計測するなど、今の0.23μSv/hという基準からみれば、かなり高線量の放射線にさらされた地域であった。しかし、柏市に所在し、空間線量を計測していた国立がん研究センターと東京大学は、この程度の線量ならば健康に支障がないと言い張り、柏市役所も追随するしかなかったのである。その意味で、柏市の高線量は問題とされなかったのである。

先のブログでは、柏市の高線量が問題化されたのは、福島などの人びとの声を受け入れざるをえなくなって、文部科学省が2011年5月27日において学校における子どもの被曝量を年間20mSvから1mSvに事実上引き下げたことを契機としているとした。年間20mSvを基準とする場合、1時間あたりでは3.8μSvになるとされていた。その20分の1は、0.19μSvである。現在、一般的公衆の被曝限度は年間1mSv、0.23μSv/hが基準となっているが、その源流といってよいだろう。

大きくいえば、この文科省の年間1mSvへの基準強化が原因になっているとはいえる。しかし、それ以前からも、この地域の住民から、放射線を測定し、対策を求める声は存在していた。2011年6月17日付朝日新聞朝刊は、次のように報道している。

放射線 首都圏も敏感 変わる日常 「3.11」後を生きる 柏・松戸地域 母親ら「ホットスポットでは…」

 東京電力・福島第一原発の事故以来、首都圏でも、千葉県柏市や松戸市など、周辺と比べて高い放射線量が観測されている地域がある。放射性物質が局所的に集中する「ホットスポット」なのではないかと不安を抱いた市民らが自治体に独自の測定を要請。当初は慎重だった自治体も、住民の声に背中を押されている。

 一帯の放射線量が注目されるようになったきっかけは、東京大学柏キャンパスの測定値だった。事故直後の3月21日に毎時0.8マイクロシーベルトとなったのを最高に、6月17日になっても毎時約0.25マイクロシーベルト前後を記録。同大が一緒に公表している本郷(東京都文京区)、駒場(同目黒区)の値と比べ、一貫して高くなっている。
 さらに、柏市内の女性の母乳や、松戸市の県営浄水場から放射性ヨウ素が検出された。しかし、千葉県が放射線を測定しているのは、約40キロ離れた市原市の1カ所だけ。このため、一般の人が放射線量を測定する動きが出てきた。
 柏市の主婦、美土路優子さん(33)も5月の連休明けに線量計を購入し、自宅周辺の測定を始めた。
 3歳の長男は事故以来、島根県の夫の実家に預けたままだ。行政にもきちんと対応して欲しいとの思いが募り、「ママ友」と一緒に、市に対して独自測定を求めようと決心した。ネットで賛同を呼びかけたところ、2週間ほどで1万人以上の署名が集まった。
 今月初め、市役所に署名提出に行くと、70人以上が集まった。大半は子を持つ年代の女性だったが、ほとんどが初対面だったという。「ふつうの主婦で知識も行動力もないけど、一致団結できたら大きな力になる」。美土路さんは不安が解消されるまで、声をあげ続けるつもりだ。

このように、柏市では、2011年5月から、自ら自宅周辺の測定をするとともに、行政にもきちんと対応してほしいと声をあげる人たちが出現してきたのである。

この朝日新聞で氏名があげられている美土路優子は、ネットで検索してみると、「柏の子どもたちを放射能汚染から守る会」を結成し、6月2日に要望書と署名を柏市に提出している。その要望書の内容は、この会のサイトでみると、以下のようなものであった。

【要望書内容】
柏市長 秋山浩保 様
原発事故による放射能汚染のニュースが毎日ながれ、子どもたちの将来にとても不安を感じています。

インターネットで公開されている東大柏の葉キャンパスやがんセンター東病院の放射線量は千葉県環境研究センターの数値の約10倍で、いわき市や水戸市よりも高くなっています。

柏市が未来をになう子どもたちの命と健康を守るため、早急に以下のことに取り組んでくださるよう、強く要望いたします。

1、柏市が独自に、保育園・幼稚園・小中高等学校・公園など、子どもたちに関わるすべての施設の「屋内、屋外地上1m、地表」の放射線量を測定し、情報を公開すること
2、放射線を出すものを取り除くこと(グラウンドの土や、公園の砂などの入れ替え)
http://kashiwamoms.wordpress.com/

このサイトでは、この要望書と署名が渡された時の状況についても、以下のように述べられている。

「柏の子どもたちを放射能汚染から守る会」の署名ご協力ありがとうございました。 お陰様でオンラインと紙署名合わせて目標であった1万を超え 10,439名分の署名が集まりました。
6月2日、柏市役所にて皆様から頂いた署名を浅羽副市長にお渡ししました。小学校などの測定資料と市原との比較資料、柏の放射線が確実に高いのを踏まえ行政が先立って教育の現場に放射線の危険性を伝えて回避に努めて欲しいこと 、年間1ミリで除染をしてほしいことなど皆で伝えました。
これから市がどう対策を打つのか注視していきたいと思います。 署名提出は締め切ってはいませんので引き続き市の動きを見ながら集めて行きたいと思います。
代表 大作ゆき、美土路優子
http://kashiwamoms.wordpress.com/

口頭では、明確に年間1mSvを基準に除染してほしいと要望しているのである。

このように、地域住民が放射線への不安の中で、放射線量の測定と対策を求めている中で、東京大学の「専門家」たちは、いまだに「健康に影響はない」と繰り返していた。先に挙げた、2011年6月17日付朝日新聞朝刊の記事では、東京大学の中川恵一の「普通に生活していい」という談話を紹介している。

普通に生活していい

 中川恵一・東京大准教授(放射線医学)の話 東大柏キャンパスのように放射線量が高い地点が生じているのは、気流に乗って福島第一原発から運ばれてきた放射性物質が雨などで地面に落ち、地中に染みこんだことが理由と考えられる。ただ、同地点の放射線量は今、国際基準からみても健康に影響がないとされるレベルだ。大気中に放射性物質がまだ残っているわけでもなく、子どもたちが吸い込むことはほとんど考えにくいため、外で遊ばせないなど過剰に反応する必要はない。マスクをつけさせたり長袖を着させたりする必要もない。その半面、心配する親の気持ちもわかる。自治体が放射線量を測定することで親が安心するのならば、意味があると思う。

結局、板ばさみとなったのは、この地域ー柏市、松戸市、我孫子市、野田市、流山市、鎌ヶ谷市で東葛6市といわれるがーの首長たちだった。柏市のサイトによると、5月17日に、この東葛6市の市長たちは連名で千葉県に、大気中および土壌の放射線量などを測定・公表することを要望している。しかし、市民の要求は日増しに増えてきた。市側も紆余曲折しながら、独自測定をしなくてはならなくなった。2011年6月17日付朝日新聞朝刊の記事では、その過程が叙述されている。

 

独自測定へ市も動く

 柏市にはこれまで、放射線の影響について、電話やメールで6千件近い問い合わせが寄せられた。松戸市や流山市など、県北西部の自治体にも相次いでいる。
 ただ、庁内に放射線の専門家がいるわけでもない。柏市の担当者は「なぜ東大の数値は高いのか、という質問が多いが、市では答えられない」と打ち明ける。
 周辺6市で最初に独自測定に向けて動き出したのは松戸市だ。5月22日に公園や保育園で測定を始めた。
 だが、共同で測定する計画を立てていた残りの5市は「測定方法やデータの評価法を統一しなければ混乱を招く」と反発。松戸市内部でも「対応策が決まっていないのに、データだけ公表すれば不安をあおる」との意見が市教委から出て、小中学校と高校の測定開始は6月6日にずれこんだ。
 松戸市が先行するなか、他の市には「なぜ測定をしないのか」という意見が次々寄せられ、我孫子市は5月27日、柏・流山両市は6月6日に測定を開始。さらに野田市、鎌ヶ谷市を含む6市の要望を受けた千葉県は周辺地域の18カ所で測定を開始した。被曝量を年間換算したところ、文部科学省が暫定上限値としている20ミリシーベルトは下回ったが、15地点は目標の1ミリシーベルトを超えた。
 もっとも、年間1ミリシーベルト換算の放射線は、県内の他の場所でも観測されている。柏市周辺で局所的汚染が起きているかどうかは、はっきりしない。
 6市の対策協議会は13日から、県や各市の独自測定とは別に、精度が高い機器を使って学校や公園など36カ所で測定を開始した。1回目の結果は、17日午後に公表する予定だ。
 「ホットスポットの可能性」は他の地域でも指摘され、詳細に放射線量測定をする自治体は首都圏全体に広がり始めている。
(小松重則、園田二郎)

東大などの「専門家」が「健康に支障がない」という中で、住民の要求におされ、ようやく、この地域の首長たちも独自に放射線を測定することをはじめたといえる。「専門家」ではなく、住民の声が、それぞれの市で放射線対策を実施する原動力となったといえよう。そして、このように、放射線対策を行なっている中で、このホットスポットの汚染状況の深刻さがあきらかにされてくるのである。
 

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このブログで前述したように、2012年12月25日、市民団体の調査によって、茨城県取手市の小学1年生、中学2年生の間で、心臓疾患のおそれがある児童・生徒が増加していることが発表された。

この茨城県取手市というところは、茨城県南部に所在し、福島第一原発からかなり離れたところにある。しかしながら、福島第一原発事故当時、多くの放射性物質が降下し、高い放射線量を示したところであった。

ここで、文部科学省が2011年8月31日に修正発表した、「文部科学省及び茨城県による 航空機モニタリングの測定結果」をみてみよう。まず、放射性セシウム(セシウム134、セシウム137の合計)沈着量をみておこう。

茨城県における放射性セシウム沈着量

茨城県における放射性セシウム沈着量


http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/5000/4933/24/1940_0831.pdfより

みてわかるように、福島県境にある北茨城市、大子町に放射性セシウムが大量に沈着した地域があるが、県南部の、霞ヶ浦と利根川にはさまれたはるかに広大な地域において放射性セシウムが大量に沈着しているのである。その中心は阿見町、牛久市であり、その地域では、放射性セシウムの沈着量が10〜6万bq/㎡となっている。そして、そのまわりの、かすみがうら市、土浦市、つくば市、つくばみらい市、守谷市、龍ケ崎市、利根町、稲敷市、美浦村には、6〜3万bq/㎡の地帯が広がっている。

取手市は、この県南部の一角にある。ほぼ全域が、6〜3万bq/㎡の放射性セシウムが沈着している。しかも、取手市内部には放射性セシウム沈着量が10〜6万bq/㎡のところも存在しているのである。以前、ここで、千葉県柏市の放射線量を紹介したことがあったが、取手市の対岸にある、利根川南岸の千葉県我孫子市、柏市、流山市も同様の放射性セシウム沈着量を示している。取手市もまた、首都圏のホットスポットの一つなのである。

実は、放射性管理区域の基準は3万7000bq/㎡ということになっている。その基準でいくならば、ここであげた地域のかなりの部分は放射性管理区域になってしまうのである。

取手市を含む、茨城県南部の空間線量も同様に高い。下図をみてみよう。

茨城県の空間線量

茨城県の空間線量


http://radioactivity.mext.go.jp/ja/contents/5000/4933/24/1940_0831.pdfより

現在の基準である年間1mSv未満に被曝量を抑えるためには、空間線量は毎時0.23μSv以下でなくてはならないとされている。もちろん、両基準とも信用できるかどうかはわからないが、一応の目安にはなるだろう。その基準でみても、取手市内の多くの地域が毎時0.2μSv以上となっていて、多くの地点で基準以上の空間線量を示しているといえよう。

取手市のみの空間線量マップをみておこう。それもまた、同じ傾向を示しているのである。ざっとみて、市内の半分くらいが、毎時0.23μSvを超えた空間線量を示しているといえる。

取手市の空間線量

取手市の空間線量


http://www.city.toride.ibaraki.jp/index.cfm/8,15622,c,html/15622/20121206-162655.pdfより

取手市では、2011年5月13日から、小中学校、保育所、幼稚園の放射線量測定を始めたが、かなり高いところが続出した。毎時0.23μSvをこえるところはかなり多い。一番高いところは、0.449μSv(高さ1m)であった。2011年7月13日よりは市内の緑地・公園でも放射線量の測定を行なっているが、一番高いところでは毎時0.48μSv(高さ1m)であった(取手市のサイトより)。取手市の空間線量マップでも一番高いところが0.4μSvなので、大体一致している。

もちろん、現在(2012年12月)は、除染などの効果もあって、小中学校や保育所などの空間放射線量は毎時0.23μSv以下になっている。公園・緑地などでもおおむね毎時0.23μSv以下になっているが、いまだ0.39μSv(1m)などの高い線量を示すところも部分的にはあるようである(取手市のサイトより)。

このように、現在はかなり下がったようであるが、福島第一原発事故直後、隣接する茨城県南部や千葉県西北部と同様に、取手市でも放射性セシウムが多く降下し、この地域は首都圏におけるホットスポットの一つとなった。ゆえに、この地域の住民はかなり高い空間線量にさらされたのである。その意味でも、取手市の小中学生に健康被害が増加している可能性があるというニュースは懸念すべきものなのである。

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総選挙後、その動静が気になって、大阪市長橋下徹のツイッターを覗いてみた。

まず、目に飛び込んできたのが、2012年12月30日付のツイッターでのせていた、大阪市役所の昼休みに音楽放送を廃して「サービス向上」スローガンを放送するとした橋下市長の提言である。時系列的に整理して、ここでその内容を紹介しておこう。

ツイッターで色々な情報提供を頂きました。いやー、ツイッターの威力は凄い。天王寺動物園が年末年始休んでいる、大阪城天守閣も正月休み・・・・・年明けから、事業サービスの一斉チェックをやる旨を幹部に指示しました。まずは体制を組みます。
この辺は役所の意識改革ですね。サービス業であることの意識を来年から徹底してきます。今年は、大阪都構想、地下鉄の民営化、大学・病院統合をはじめ、制度改革・補助金改革にエネルギーを注いできました。しかし改革の本質はサービス向上。来年はサービス向上も徹底していきます。
そのためにも、役所の意識改革を迫らなければなりません。今、大阪市役所は、お昼になると変な音楽が庁舎内に流れます。それを止めて、来年から組織のスローガンを流していきます。候補を考えるように指示をしました。
来年から毎日お昼に庁内に流すスローガン候補は以下の通り。1、役所事業はサービス業であることを意識せよ、2、前例がないからできないは言わない。3、担当が違いますは言わない、4、朝礼はやっていますか? 民間だったら当たり前のこと。皆さんもからもご意見下さい!http://twilog.org/t_ishin/asc

つまり、橋下市長としては、「改革の本質はサービス向上」として、市役所職員の意識改革が必要であると述べ、そのために、昼休みの「変な音楽」放送を廃止して、「組織のスローガン」を放送で流すことを提案したのである。そして、現在のところ、そのスローガン候補として「1、役所事業はサービス業であることを意識せよ、2、前例がないからできないは言わない。3、担当が違いますは言わない、4、朝礼はやっていますか? 民間だったら当たり前のこと。」と四つをあげている。

この大阪市役所の昼休みに流れる「変な音楽」の内容については、今ひとつ明らかではない。ネットによれば、「大阪市歌」という説もあるし、島倉千代子の「小鳥がくる街」(大阪市の緑化を願った歌で、大阪市のごみ収集車がならしているそうである)という説もある。

橋下徹市長の提言は、真正面から考えてみると、かなりの問題をはらんでいる。そもそも、昼休みは勤務時間ではない。昼休みにしかこれない市民もいるので、順番で窓口当番の職員はいるが、勤務時間ではないのである。厚生労働省のサイトは明確に次のように指摘している。

Q 私の職場では、昼休みに電話や来客対応をする昼当番が月に2~3回ありますが、このような場合は勤務時間に含まれるのでしょうか?

A まず“休憩時間”について説明します。休憩時間は労働者が権利として労働から離れることが保障されていなければなりません。従って、待機時間等のいわゆる手待時間は休憩に含まれません。
 ご質問にある昼休み中の電話や来客対応は明らかに業務とみなされますので、勤務時間に含まれます。従って、昼当番で昼休みが費やされてしまった場合、会社は別途休憩を与えなければなりません。

Q 休憩時間は法律で決まっていますか?

A 労働基準法第34条で、労働時間が
 6時間を超え、8時間以下の場合は少なくとも45分
 8時間を超える場合は、少なくとも1時間
の休憩を与えなければならない、と定めています。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/roudoujouken02/jikan.html

つまり、昼休みは「休憩時間」なのであり、「労働者が権利として労働から離れることが保障されていなければ」ならないのである。いわゆる、このような「労働スローガン」を流すことは、「権利として労働から離れること」を甚だしく逸脱しているであろう。確かに、勤務時間においては上からの指示に服すことが必要とされるであろうが、勤務時間外まで拘束される必要はないのである。

もちろん、どのような放送を流そうと、職員は別に聞く根拠がない。窓口当番の職員以外は、別に庁舎内にいる必要はない。しかし、この手のことを導入すると、どんどん事態は悪化するだろう。スローガンを聞かないで外出する職員をチェックするなどして、このスローガンをてこに、休憩時間における職員の拘束が強まることになることが懸念される。結局は、「休憩時間」が「不払い労働」時間となってしまう恐れがあるのである。

もう一つ、問題なことは、この「スローガン」放送は、職員だけでなく、昼休みに来庁してきた市民も聞くことになるが、それ自体は、全く「サービス向上」に合致しないということである。この「スローガン」放送は「サービス向上」を目的としているそうだが、昼休みに市役所に行くだけで「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というスローガンを聞かされる市民はたまったものではない。大体、職場に「組織のスローガン」を流すというのは、ヒットラー政権下のナチス・ドイツか、スターリン政権下のソビエト連邦か、いかにも「全体主義国家」としか思われないものであり、「悪趣味」としかいいようがない。大阪市民でなくても、かなり恥ずかしい。大阪市民は、そんなものを聞く必要はない。にもかわらず、昼休みに市庁舎に行けば、このような「スローガン」が流れ、聞かされるはめになるのだ。

「サービス業」で、こんなことをしている民間企業があるのか。「東京ディズニーランド」で「サービス業であることを意識せよ」というスローガンを流したら、それだけで集客が落ちるだろう。橋下徹市長の「民間だったら」というのは「民間のブラック企業だったら」の間違いだと思うのだが、例えば、「民間のブラック企業」として悪名高い外食・居酒屋チェーンの「ワタミ」でも、さすがにそのようなことはしていないだろう。別に、労働者のことを思ってではない。そのようなことは「サービス」業のあり方に反するからである。橋下市長は、とても「民間」ですらありえないことを強要しているのである。

さすがに、橋下市長の提案については、「それは全て朝礼でやればいいこと、休憩時間にスローガンを放送するのはいかがなものでしょうか?」という反応があった。それに対して、橋下市長は、

何と朝礼、公務員の世界では超過勤務手当が発生するからできないというバカな議論があるのです。来年からは大阪市は朝礼は問題なしと言う認識で行きます。
http://twilog.org/t_ishin/asc

と答えている。勤務時間前の「朝礼」もまた勤務時間外であり、朝礼に来ることを強制するならば、超過勤務手当が必要になることはいうまでもない。

日本維新の会の支持者であれば、こういう「スローガン」が流されることにそれなりの感慨をもつかもしれない。橋下市長としては、「改革に真剣に取り組んでいる」というポーズを支持者たちに示すことができると考えているかもしれない。しかし、「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というお題目を流すことは、全く、市民へのサービスを拡充することではない。

橋下市長が就任する以前、大阪市役所では、昼休みにも「市民サービス」につとめていた。「大阪市政だより」2010年2月号では、このような催しが予告されていた。

■シティホールコンサート・音楽の通り道
お昼休みのひとときに大阪市音楽団がお贈りするコンサート。2月26日(金)木管三重奏、3月5日(金)サクソフォン・アンサンブル、3月12日(金)金管五重奏、3月26日(金)木管四重奏。いずれも12:20~12:50、市役所本庁舎正面玄関ホール(地下鉄淀屋橋1号出口)。(問)大阪市音楽団 電話:06-6947-1195 Fax:06-6947-5731
http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu010/shiseidayori/22.02/bbs/bbs_moyosi.htm

この大阪市音楽団は、大阪市営の吹奏楽団であったが、橋下市長から市営事業としては廃止する方向性が打ち出され、結局、市営事業としては廃止(2013年度末)が決まり、どのような形で存続するかについて現在模索中のものである。ある意味で、橋下市長が登場する前の大阪市役所は、昼休みであっても市民サービスにつとめていた。橋下市長は、市営事業としての大阪市音楽団を廃止することで、昼休みにおいて大阪市役所が実施していた「市民サービス」を実質的に削減したといえる。そして、「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というスローガンを市民に聞かせることで、さらに「市民サービス」を低下させようとしているといえるのである。

橋下市長には、何も期待しない。しかし、大阪市民は、橋下市長によって「役所事業はサービス業であることを意識せよ」というスローガンを聞かされることは、全く「市民サービス」に逆行しているという現実を直視してほしいと思う。なお、このようなことは、同様の首長のもとにいる私も含めた東京都民にもいえるのであるが。

追記:なお、同じ頃、天王寺動物園を元旦に開くということを橋下市長は提言をしている。そのことについては、次のサイトを参照してほしい。ひと言いえば、1月1日より動物園を開けと主張していた橋下市長のツイッターは31日で終了、1・2日は休んで、3日に片山さつきの生活保護者への「苦情」を受けて再開している。橋下市長でも元旦は休みなのであるということをここで強調しておきたい。

http://hatarakikata.net/modules/morioka/details.php?bid=224

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さて、朝日新聞が、福島県の中間貯蔵施設候補地(双葉町、大熊町、楢葉町)の住民に、その是非をめぐってアンケート調査を行い、その結果を2012年12月31日付朝刊に掲載した。まず、1面に掲載されたアンケート結果を総括する記事を解説してみよう。まず、この記事の見出しでは、中間貯蔵施設建設にアンケートに答えた住民の7割が「理解」を示したことを強調している。

中間貯蔵施設の調査候補地住民 7割「建設計画に理解」 本社アンケート305人回答

 東京電力福島第一原発事故に伴う除染で出る汚染土を保管する中間貯蔵施設をめぐり、国が調査候補地にしている場所の住民に朝日新聞がアンケートを行ったところ、回答者の76%が施設の建設計画に理解を示した。多くの人が「避難先から戻るのが難しい」ことを理由に挙げた。新たな土地での生活再建を望む人が多い実態がわかった。▶31面=住民「もう帰れないなら」

続いて、アンケート方法について、この記事は記述している。中間貯蔵施設において想定される放射性物質のリスクは、いわゆる「風評」も含めて、それぞれの町内の広い範囲に及ぶと考えられるが、ここでは「近隣」程度に絞っていることに注目しておかねばならない。いうなれば、中間貯蔵施設建設によって土地などが買い上げ対象となり、リターンを得る可能性がある住民に限定しているといってよいだろう。しかも、郵送アンケートとはいえ、回答率は39%である。6割以上の人たちが回答していないのである。

 

アンケートは、環境省が示した福島県双葉、大熊、楢葉3町の調査候補地の地図から対象を絞り、近隣を含む住民に実施。12月上旬、788人に用紙を郵送し、305人から回答を得た(回答率39%)。ほぼ全員が自宅を離れている。

その上で、「理解できる」理由などを述べている。「理解」が76%で、「理解できない」が24%である。そして、「理解」の理由については、多くが「元に戻って暮らすことが難しい」「ほかの地域と比べて放射線量が高い」をあげている。つまり、元に戻って暮らすことのあきらめが、「理解」の理由になっているといえる。そして、「土地を買い取ってもらうことで生活再建を早めたい」ということも理由に多くあげられている。これは、東日本大震災、福島第一原発事故後の、この地域の住民の生活再建が遅れていることが背景として存在しているといえる。ゆえに、中間貯蔵施設の建設条件も、避難生活の解消や生活再建支援、さらに土地の買い取り価格であり、施設の安全性は二の次にされていることに注目しなくてはならない。
 

自宅やその周辺に中間貯蔵施設を建設する計画について「理解できる」「どちらかというと理解できる」と答えたのは76%。「理解できない」「どちらかというと理解できない」が24%だった。理解できる理由(複数回答)として82%が「元に戻って暮らすことが難しい」、62%が「ほかの地域と比べて放射線量が高い」を選んだ。「土地を買い取ってもらうことで生活再建を早めたい」が58%。「県内全体の除染を進めることが大事」も52%いた。
 ただ、理解できる人でもアンケートの自由記述では、戻れない現実に対するあきらめや、復興の遅れへのあせりを訴えている。
 建設する場合の条件を複数回答で尋ねたところ、70%が「避難生活の解消や生活再建への継続的な支援」、67%が「納得できる土地の買い取り価格」、63%が「施設の安全性の確保」を挙げた。

そして、中間貯蔵施設建設について「理解できない」と回答した人たちの約三分の一が「理解」に傾く場合もあることを報道している。このことによって、中間貯蔵施設への「理解」は増えることをより強調しているのである。そして、「理解できない」理由について、記事本文ではふれられず、付表(記事本文では棒グラフ)で述べている。

 

理解できない人に、条件が満たされた場合「理解」に傾く可能性があるか尋ねたところ、33%が「ある」と回答。条件に、複数回答で50%が「満足できる買い取り条件の提示」を挙げ、「最終処分場の決定」「生活再建への支援策の提示」が各36%。「どんな条件でも考えは変わらない」は19%だった。

付表「理解できない」「どちらかというと理解できない」理由は?
(複数回答、小数点以下は四捨五入)
最終処分場が決まっていないから           56%
説明が不足しているから               54%
施設の安全性に不安があるから            44%
土地の買い上げ条件が分からないから         43%
将来戻って暮らすつもりだから            31%

(木原貴之、木村俊介)

31面には、アンケートに回答してくれた人びとに対して取材して得られた「住民の声」が掲載されている。しかし、ここでも、強調しておかねばならないが、この「住民の声」は、まず、中間貯蔵施設建設で何らかのリターンがある可能性を有する人たちを中心としているのである。そして、「見出し」からはじまるこの記事の約三分の二は、中間貯蔵施設建設に「理解」を示した人たちの声でしめられている。

もう帰れないなら 中間貯蔵施設 住民の声

 東京電力福島第一原発の事故に伴う除染で出た汚染土を保管する中間貯蔵施設。国による調査の候補地や周辺に自宅がある住民には、「もう帰れない」というあきらめや苦悩と、自立や再建を望む気持ちが同居する。 ▶1面参照

大熊は好き でも離れなければならない
 住民の考えを尋ねたアンケートの用紙には、施設や復興、避難生活に対する思いがつづられている。
 《大熊は好き。でも離れなければならない》
 福島県大熊町から避難し、同県いわき市で暮らす女性(64)はこう書いた。 自宅は第一原発から約3キロで、放射線量が高い。
 《誰が何と言っても帰れない》
 新しい生活の場所を探そうと、いわき市内で10カ所近くの物件を見て回り、気に入った土地を買った。元の家について東電から払われる賠償金では足りない。一日も早く、納得できる買い取りを国にしてもらいたいと訴える。
 《生まれ育った土地に汚された土が置かれるのは正直なところ嫌。でも、ほかにどこに持って行くのか。生活再建のために、いっそ買い上げてもらう方がいい》
 双葉町の男性(52)は戻ることをあきらめている。長年、原発関連の仕事をしてきた。事故後、避難先のいわき市から第一原発に向かう時、人の住まない土地が荒れていくのをながめていて気がめいった。
 《あと5年もすれば、誰も帰ると言わなくなる。もしかすると、国は住民があきらめるのを待っているかもしれない》
 男性はそう思う。

もう2年。待ちくたびれた 早く生活立て直して
 先の見えない避難生活へのいらだちも目立つ。
 《がまんの限界。はやく決着をつけてほしい》
 コメ農家だった楢葉町の四家徳美さん(53)は悩んだ末、中間貯蔵施設に「理解」と回答した。
 「本心は、成田闘争のように体を張って最後まで抵抗したい。でも、ほとんどの人が帰るのをあきらめている。一人の反対でずるずると長引かせたくない」と話す。
 《ただ日々が過ぎていくだけで、待ちくたびれた。もうじき2年。国で『こう』と決めてもらい、一日も早く生活を立て直して》
 双葉町の40代女性はこう書いた。

ここであげられている「住民の声」で強調されていることは、元の土地に戻って生活することへのあきらめである。そして、何らかの形で「生活再建」をしたいということへの欲求である。中間貯蔵施設の候補地の住民にとって、土地買い上げがその手段となっているといえる。しかし、このような人びとにおいても、はしばしに中間貯蔵施設建設への不満、不安が表明されているのである。

この記事の残りの三分の一は、中間貯蔵施設建設を「理解できない」という人びと(一部違うが)の声が紹介されている。見事に、「アンケート」結果の比率に適合した形で紙面作りがされているといえる。ここでは、「代表者」しか協議していないことへの不満、最終処分場未決定への不安、「故郷の再生」と「施設」とは共存できないという指摘がなされているのである。

故郷再生と施設は共存無理 町を捨てていいのか
 施設をめぐる国の進め方に疑問を抱く声もある。
 《代表者だけで話し合われ、決まった後でしか住民に情報が来ない。どこまで我慢すればいいのか。人間の心をくみ取った対応をしてほしい》
 大熊町の40代女性はそう訴える。
 汚染土を30年後までに県外の最終処分先に出すとの国の説明を疑う人も多い。
 《地元で最終処分もできるよう考えるべきだ》
 こう書いた埼玉県に避難中の大熊町の女性(56)は、「故郷が奪われる悲しい気持ちは私たちだけでいい」と話した。
 《故郷の再生と施設建設は共存できない》
 施設に「理解できない」と答えた大熊町の男性(63)はこう書いた。「受け入れを認める人の意見も分かるが、こういう施設が集中する町に復興はない。本当に町を捨てていいのか」
(木原貴之、木村俊介)

この朝日新聞の「アンケート」報道は、二つの意味で問題を抱えているといえる。まず、中間貯蔵施設建設候補地の住民にアンケート対象をしぼったことである。この人びとは、中間貯蔵施設建設に伴う土地買い上げによってリターンを得る可能性を有しているのである。しかし、全ての町内の土地が中間貯蔵施設用地になるわけではないのであり、中間貯蔵施設に保管される放射性物質によるリスクは、リターンを得る人びとだけでなく、それぞれの町内の広い範囲に及ぶ。それゆえ、中間貯蔵施設建設によりリターンを得る人びとの声は、リスクをこうむる可能性をもつ「住民」の声一般ではない。これは、原子力発電所自体の建設でもそうであり、原発敷地などの地権者の得るリターンは、直接には原発建設によってリスクをこうむる可能性がある町内一般の住民の得るリターンではない。それでも、原発建設ならば、雇用などの形で、地権者以外の住民も間接的にリターンを享受することが想定できた。しかし、中間貯蔵施設の場合、周辺に居住することすら難しく、雇用といっても被ばく労働が強要されることになるのである。

ある程度、中間貯蔵施設建設により、それぞれの自治体に国から補助金が出るということはあるだろう。しかし、それも、中間貯蔵施設建設のリスクを引き受けなくてはならない住民への直接的なリターンとはならないのである。

さらに、朝日新聞のアンケート報道においては、中間貯蔵施設建設については、建設候補地の人びとにおいても「あきらめている」のであって、そのことを「理解」として報道していることの問題性を指摘しなくてはならない。リターンを得る可能性があるといっても、この人びとは中間貯蔵施設建設を「快く理解」しているわけではない。生まれ育った土地で暮らすことへの「あきらめ」と、生活再建への遅れへの「いらだち」が、中間貯蔵施設建設を「容認」させる要因となっているといえるのである。それは、「理解」といえるのか。「しょうもない」ということは、不満、不安がないということと同義ではない。もし、「中間貯蔵施設建設に対する不満、不安があるか」という質問があれば、「理解している」という人びともそのように回答したのではないかと思う。いわば、中間貯蔵施設建設への「理解」は、「あきらめ」と「いらだち」を抱えた人びとの弱みにつけ込んだものであるといえるのである

この「あきらめ」と「いらだち」は、建設候補地以外の住民ももちろん共有しているだろう。しかし、中間貯蔵施設建設によるリターンは、町内住民一般に及ぶものではない。住民一般の生活再建は、井戸川克隆双葉町長のいうように、東京電力が住民被害を正当に補償することがまず第一に求められることである。それが難しい場合でも、国なり県なりが町民総体の生活再建に乗り出すべきであって、中間貯蔵施設建設とは別次元であるはずといえるのである。

いわば、朝日新聞は、「客観報道」の形をとって、中間貯蔵施設建設に対する「住民」の「理解」を「創出」しようとしたといえるのである。

ただ、朝日新聞の批判だけでなく、私たち自身が考えることとして、このような人びとの「あきらめ」と「いらだち」によって、このような権力の施策に従属させていくことを、どこかで断ち切っていかねばならないとも思うのである。これは、別に中間貯蔵施設建設問題に直面した双葉郡内の人びとだけの問題ではない。このようなことは、日本社会のどこだってある。たぶん、東日本大震災の被害地の多くでも抱えていることだと思う。私自身の個人的な生もこのような問題を内包しているといえる。そのために何ができるのか。そのことこそ考えなくてはならない課題であるといえる。

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