2013年1月19日、首都圏のホットスポットの一つとなってしまった柏市で、原発反対派の小出裕章氏と原発推進派(厳密にいえば放射線利用推進派となるが)の小林泰彦氏が対談するという、異色の講演会が開かれた。講演会の広告は、次のようなものである。
電気の消費地であり、被災地でもある東葛地域(千葉北西部)での真っ当な放射線対策とは?
私達が今後、どのように生きていくのか、共に考えましょう!
ついに実現します
小林泰彦さん(独立法人日本原子力研究開発機構)
小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教)
このおふたりを迎えての講演会です
【 日 時 】 2013年1月19日(土)19:00~21:30(開場18:30)
【 開 場 】 柏市民文化会館 大ホール
【 入場料】 前売り 500円 当日800円
【 主 催 】 1・19 柏講演実行委員会
◎18歳以下 入場無料! 中・高校生のみなさんも、親御さんとご一緒に
◎保育あり! 生後6か月以上 500円 1月9日まで
保育申込み 08051920187 たねだ
◎手話通訳あり!
◎お帰りのバス 会場でバス券販売 先着120名 200円
http://www.facebook.com/events/142623802554726/?ref=22
この講演会は、前評判が高く、会場であった柏市民文化会館大ホール1600席のうち、前売り券1500席が売り切れ状況となったとのことである。柏市などのことをブログで取り上げていたので、私も行こうかと考えていた。しかし、前売り券売り切れの情報を聞いて、もしかすると満員で入れないかもしれないと思った。それでも、とりあえず会場の雰囲気だけでも知っておこうと思い、柏市文化会館まで行ってみた。早めにいって整理券をもらい、当日券価格で入場できた。
市民文化会館前は開場時間前から長蛇の列だった。これほどの人数が来るとは主催者側も予想していなかったらしく、入場方法などをめぐって参加者とトラブルになったところもあった。18時30分から入場が開始されたが、講演会開始の19時まで会場に入って来る人びとは絶えなかった。結局、1600席満席になったとのことである。
最初に主催者の挨拶があり、この講演会の趣旨が説明された。当日配布されたレジュメ(なお、実際の挨拶は、内容的には一致しているが、表現などは必ずしも同じかどうかいえない)によると、次のように趣旨説明されている。柏市のある東葛地域では福島第一原発事故によって放射線量の高い地域となり、さまざまな運動が展開されるとともに多くの講演会・学習会が開催された。しかし、そのうちに
体にあたえる影響については『大丈夫だ』と思う人は講師がそう言ってくれる講演会へ行き、『いや心配だ』と思う人はそう言ってくれるところへ行く、そんな風に分かれはじめ、その距離は離れ話題に上ることも少なくなり、その相手も選ぶようになってきました。これで本当に子どもは守れるのか?
という状態になったと挨拶では述べている。そして、次のように、この講演会のねらいについていっている。
「原発事故子ども・被災者支援法」が制定されましたが、適用地域は今まさに検討中です。この地域で子どもに対する責任が果せれば、被ばくを強いられ声を上げにくい福島でも子どもを保護することにつながる、とも思います。
そして原発は危険だからと首都圏から遠く離して建てたのに(ひどい話ですが)、190kmも離れたこのあたりで被曝することになった。しかもここは福島原発で作った電気の消費地でもあった…。私たちだからこそできることがあるだろう。何をすれば?という思いもあります。
昨年初夏、原発の危険性について訴えてこられた小出裕章さんに講演のお願いをしましたところ、「原子力を推進している人との対談がしたい」というご希望をおっしゃいました。いろんな方のご協力で、小林泰彦さんが、放射線を利用する立場の専門家として受けてくださったというのが経緯です。立場の違う専門の方の意見を正面からとらえて考えてみる…あってもいいはずなのになかなかない機会に立ち会うことになります。貴重な時間ですので冷静にお聞きくださるようお願いします。答えはそれぞれでお持ち帰りになることになると思います。
今後もタブーを作ることなく話しあうそんな機会が未来を拓くでしょう。本日の講演会が有意義なものとなり、被害者をこれ以上出さないためのきっかけとなることができれば主催者としての本望です。
つまり、小出氏の希望もあり、立場の違う専門家の意見を正面からとらえて聞く機会にしたいということなのである。
そして、まず小林泰彦氏が「柏地域の子どもたちのための真っ当な放射線対策とはー被害を最小にするための基礎知識」というテーマのもとで講演を開始した。小林氏は、日本原子力研究開発機構量子ビーム応用研究部門(高崎市)に所属している。ちなみに、この高崎市の施設は、中曽根康弘が研究用原子炉のかわりに誘致したものである。当日配布したレジュメを中心にして小林氏の論旨を追っていこう。なお、後述するが、小林氏は、新しい知見を入れており、時間の関係もあって、レジュメの内容と実際の講演内容はやや違っている。
小林氏は、「放射能」は、「物理法則に貫かれた自然現象であり、宇宙の姿そのもの」であって、「得体の知れない不気味なものでは」なく、医療や産業にさまざまに活用」されていると述べ、放射線防護は放射線障害の発生を最小限としつつ社会の中で放射線を利用することであると主張する。とにかく、放射線利用のための放射線防護という発想なのである。その上で、放射線被曝における発がんリスク増加については、一度に100ー200mSv以上当れば、将来の発がんリスクが線量に応じて直線的に増加するとしながら、100mSv以下では他の発がんリスクにまぎれて、本当に影響があるかどうかは不明とした。しかし、100mSv以下でも直線的関係があると仮定し(これをLNTモデルという)、その仮定に基づいて放射線の発がんリスクを推定、他のリスクと比較しつつ、線量限度などが決められているとする。小林氏は、例えば、飲酒、喫煙、肥満、運動不足などの生活習慣よりも100mSv未満の被曝のほうが、発がんリスクの増大ははるかに少ないと主張した。その上で、「平常時」においては、放射線リスク削減の「代償」(たぶんコストの意味だろう)が無視できるので、一般公衆の場合、年間1mSv未満に被曝を抑えるべきだが、緊急時においては、避難、移住、家族離散、食品放棄、耕作放棄、除染などの放射線リスク削減の代償が明らかであり、これらの負担によるリスク増大とトレードオフした形で判断しなくてはならないと述べている。重要なことは、小林氏は、法律上の一般公衆の線量限度である年間1mSvは安全と危険の境界ではないとしていることである。1mSvとは自然放射線の変動レベル(なお、自然放射線は世界平均で年間2.4mSvという)であり、これは、健康リスクではなく「倫理的配慮」としているのである。
なお、小林氏は、主催者側と話し合って、配布されたレジュメにはない、より専門性の高い議論を、この講演では述べている。放射線被曝による発がんリスクの増大は、個々の細胞レベルにおける遺伝子損傷によるものとして、喫煙などの他のリスクも遺伝子損傷の原因となっていること、生体には細胞レベルでの遺伝子損傷のダメージを修復するシステムが備わっていることを主張した。また、放射線被曝における高線量と低線量の違いについて、高線量においては同時に多数の細胞が放射線に照射されることになるが、低線量では、少数の細胞が時間を置いて放射線に照射されることになると説明している。これは、小林氏自身の研究テーマの一つらしい。
小林氏の話は、かなり時間をオーバーし、最後はかなりはしょらざるをえなかった。ただ、レジュメでの結論部分は、このようになっている。
子どもたちと地域の未来のために
今なすべきこと
・被ばく線量の測定と公開
局所的な線量率より個人個人の累積線量
・その線量による健康影響(リスク)評価
専門家の一致した評価、科学的根拠
・評価に基づいた関係者の対話と合意形成
リスクの定量と比較
気にする自由 VS 気にしない自由
「許せる」 VS 「許せない」
リスクの総和を最小にするには?
科学的根拠+価値観+資源⇒現実的判断で意思決定
互いに歩み寄り、自分たちで納得して決める
小林氏の話は、低線量の放射線被曝による発がんリスクの増大を極めて小さなものとし、避難、除染などそれをゼロにするコストと比較して「現実的判断」で意思決定すべきとしていると概括できるだろう。
続いて、小出裕章氏が「原子力利用と被曝」というテーマで講演を行なった。小出氏の場合も、時間の関係で後半はしょらざるをえず、レジュメと実際の講演内容は異なっているが、ここでもレジュメを中心にみておこう。
小出氏は、福島第一原発事故で放出されたセシウム137は、少なく見積もっても広島原爆の168発分であり、福島県の東半分を中心として、宮城県、茨城県の南部と北部、栃木県・群馬県北部、千葉県の北部、岩手県・新潟県・埼玉県・東京都の一部が放射線管理区域(1㎡あたり4万bq)に指定しなくてはならないほど汚染されたとしている。小出氏は、むしろ低線量のほうが危険度は大きいとしつつ、とりあえずICRP-2007年勧告などを引用して「約100ミリシーベルトを下回る低線量域でのがんまたは遺伝的影響の発生率は、関係する臓器および組織の被曝量に比例して増加すると仮定するのが科学的に妥当である」とした。そして、100mSv以下の被曝をしてはいけないという国家の法律があり、それを無害という学者は刑務所に入れるべきであるが、国家がその最低限の法律を守っていないとした。さらに、「福島原発事故を引き起こした最大の犯罪者は政府であり、その政府は事故が起きたら、それらをすべて反故にした」と主張した。
小出氏は、福島原発事故による、失われた土地、強いられる被曝、崩壊する1次産業、崩壊する生活などの多大な被害は、東電だけでなく日本国が倒産しても賄いきれないとした。そして、地域住民には「被曝による健康被害」か「避難による生活の崩壊」かという選択がつきつけられているとした。特に、柏市を中心とした千葉県北部、茨城県南部は日本の法令を適用すれば放射線管理区域に指定されるとし、自身の体験をもとに、放射線管理区域では何も飲食できないし、汚染されたまま外出することもできないし、汚染された物を持ち出すこともできないことになっているのだが、それと同等に汚染された地域でも、普通に生活することが強いられているとした。本来、このような地域からは避難したほうがよいのだが、避難による生活の崩壊をおそれてそれができないとしているのである。
小出氏は、このように汚染された世界の中で「この自体を許した大人として、私たちはどう生きるのか?」と問いかけ、氏自身としては「子どもを被曝から守りたい」と主張した。原子力を選んだ責任は、政府や東電が一番重いが、放射線に携わってきた自分などにも責任はあり、さらに、このような原子力を容認してきた人びとーこの会場の聴衆にも責任はあると語りかけた。しかし、子どもたちには責任はない。そして、責任のない子どもたちこそが放射線感受性が高いのだと小出氏は述べた。
時間がなく、後半はかなりはしょりながら、小出氏は結論として、次のように述べた。
一人ひとりが決めること
自分に加えられる危害を容認できるか、あるいは、罪のない人々に謂れのない危害を加えることを見過ごすかは、誰かに決めてもらうのではなく、一人ひとりが決めるべきこと
小出氏の講演は、低線量であっても放射線被曝は健康に悪影響があるとし、そのことを広範囲にまねき、さらに事態を放置している政府・東電・学者たちを批判するともに、小出氏自身を含めた多くの人びとが将来の世代に対する責任をおっているとしたものといえよう。
この後、休憩をおかず、討論になった。この討論部分については、http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2732.htmlが討論部分のおこしを行なっているので、これに依拠しながら、記憶により補いつつ、重要と思われる部分をみておこう。
まず主催者(実行委員長)の柳沢典子氏から、両者の報告を簡単に概括した後、次のような質問が行なわれ、小林氏は次のように答えている。
柳沢:
小林さんのお話しの中で、事前に私たちがお出ししました質問で、このあたりの放射線レベルについて、小林さんはこのあたりのレベルについてどうお考えか?という所がちょっとお話が無かったような気がするんですが、よろしいでしょうか?
小林:
じゃあその点は、えーっと、柏市の市のホームページに出ている数字などいろいろ見て考えたんですけれども、今私自身が、皆さんに「こうしたらいいですよ」っていうつもりで言ってもしょうがないわけで、自分だったらどうするか?という事で考えると、私だったら、もう全然気になりません。小さい子もそれでいいと思う。もし、自分の家族がいてもそれは気にならない。それは学問上の確信があります。
そして、そうですね、私が配ったスライドの最後のところ、被ばく線量の測定と公開という所、これは今非常に市もやられているし、詳しい情報が出ている。ただしこれから気を付けるべきことは、「どこが何ベクレル汚れている」っていうことよりも、そうではなくて、「今住んでいる人がどれ位のシーベルトで放射線を受けているのか」これを基準にし一人一人考えるのがいいと思いますね。
公共施設などは非常に低くなっていますから、全く問題ないと思います。それから、通学路などで、もしところどころマイクロスポットと呼ばれているような所があったとしても、そこをまたぎ越す時間、時間にすれば非常に短いので、それから受ける線量というのは微々たるもの。それよりも長い時間を過ごす子どもさんの寝室の窓のサンとか、屋根のトイであるとか、そういう所の掃除の徹底でもう少し下げる事が出来れば、多分そっちの方が有効なのかな?という気がしています。
後半の線量測定や除染についてのことについては問題はないのであるが、柏市の線量は問題がないとしている点について、その後もたびたび問題となり、小林氏は会場からかなり批判を浴びていた。
同じ質問に対して、小出氏は、次のように答えた。
小出:
私は先程聞いていただいたように、この柏を含めて広い地域が1平方mあたり4万ベクレルを超えて汚れています。そういう所に私は「普通の人々が住むという事自体に反対」です。
出来る事ならばみなさん逃げて欲しいと思いますし、本当であればその法律を作った日本国政府が責任を持って、皆さんをコミュニティーごと、どこかできちっと生活できるようにするというのが私は必要だと思っています。いま大地を汚している主犯人はセシウム134と137という放射性物質ですが、1平方mあたり4万ベクレルのところにいれば、1年間で1ミリシーベルトになると思います。避けることができません。それだけでももう、法律が決めている限度を超えて被ばくをしてしまうという事になる訳です。
そして今、小林さんが言って下さったように、そうではなくて局所的に汚染しているところもあちこちにあります。そういう所をきちっと調べて、子ども達が接するような場所からはそういう汚染を除くという作業を、これからもずっと続けなければいけませんけれども、環境中で放射性物質は移動していますので、ある場所を綺麗にしたと思ってもまたそこがしばらくしたら汚れてくるという可能性もありますので、これから長い期間にわたってそういう作業を続けていって、出来る限り子どもを被ばくから守るという事をしていっていただきたいと思っています。
その後、小出氏と小林氏の間で、自身の主張に対する科学的根拠について論争となった。その内容については割愛したいが、この論争の中で、小林氏は次のような言及を行なった。
小林:
普段の生活で感じて、生活の中ではリスクはあまり感じないわけですね。まぁ、そういう日常バイアスというものがある。たとえば今日ここに来られるのに歩いて来られた方、車で来られた方いらっしゃると思いますけれども、縁起悪い事言って申し訳ないけど、「帰りに交通事故に遭わないだろうか」とか、普通考えないですよね。しかしそれはゼロではない、リスクは必ずある。でも本当は皆さん日常生活の中でそういうリスクを何となく感じて保険に入ろうか、どれぐらいの保険に入っておこうかとか、あるいは飛行機で行った方がいいかな、列車の方がいいかな、という事を判断しています。ま、そういう日常的な感覚を、日常的な感覚の中に、同じように、
(会場:ザワザワ)
板倉:会場からの発言は後でお願いいたします。
小林:信用しないと、特別なリスクで考えてしまうとね、比較はしにくくなるんじゃないかなと思います。
つまり、日常生活におけるリスクは考えないのに、なぜ放射線のリスクだけ考えるのだということなのである。(会場:ザワザワ)とあるが、これらは、ほとんど、小林氏を批判する声であった。そして、この議論の別のところでも、同様の発言を行い、やはり、かなり会場から反発されたのである。
さらに、柳沢氏からは、「科学とは何か」という質問が出された。
柳沢:
次の質問ですが、科学というものについてちょっとお伺いしたいんですが、科学というのはなんだというふうに思われるでしょうか?
科学者としてどういうふうにあるべきだと思われるでしょうか?科学から誘導される利益と人の健康リスクをどのように思われるでしょうか?
それについて小林さんから
小林:
はい、科学には二つの役割があると思います。
一つは、人間の生活を安全に豊かに便利にする科学。物理的な心ですね。
もうひとつは訳の分からない不安、恐ろしい事、理解できない事を減らして、心の平穏と言いますか、あ、わかった、知らない所が分かった。「だんだん知っている世界が広がった」という、そういう喜びのもとにですね、そういう営みで。
で、世の中で、この複雑な世の中で、「物事をどっちにしたらいいだろう?」と決めて、いろいろと迷う時に、一番多くの人が納得できる物事の決め方が、科学の実験で明らかになって、「ああこういうだ」と思って決めていく。そういう事なんだろうと思います。
小出:
それは、その通りだと思います。
ただし、科学というのは要するに、自然、世界というものが、どういう姿なのかという事の真実を知りたくてやっているんですね。
で、長い間科学をみんな、沢山の人が関わってやってきた訳ですけれども、「知れば知るだけまた分からないものが広がってくる」という、
そういうのが科学という場所の世界でした。だから、科学というのは非常に大切なものです。わたしも科学に携わっている人間としてそう思います。人々を平和に、そして豊かにするというためにも大変力を持ったものだと思いますけれども、でも「科学は万能ではない」のです。必ずいつも「分からないものがある」というのが、むしろ科学の本質になっているわけで、「全てがもう分かってしまっている」というふうに、科学に携わる人が思ってしまって、「自分たちの判断が必ず正しい」と思いこむようなやり方は間違いだと、私は思います。
小林:もちろんそうですね、誰も反対しないと思います、科学者ならば。
この二人の意見の微妙な交錯は興味深い。小林氏は科学について①人間の生活を豊かに安全に便利にするもの、②不安、恐怖、無理解をへらして、納得できる意思決定をしていくものとししているのである。いわゆる、小林氏などの「リスク・コミュケーション」による「合意形成」というのは、後者に属するものであろう。
他方で、小出氏は、小林氏の「科学観」を否定はしないのであるが、「科学はやればやるほどわけのわからないものが出てくる」とし、科学は万能ではなく、「自分たちの判断が必ず正しい」と思い込むのは間違いだとしている。そして、そのこと自身は小林氏も反対しないのである。
そして、会場の聴衆からも、多くの質問が出された。専門的なものが多く、すべてを概括できない。私の覚えているものは、数字はわからないが、私たちは何のメリットもなく被曝によるリスクをおった、「人権を無視しても科学のメリットを生かされてもいいのか?科学のメリットのために人権は無視されてもいいのか?」というものであった。それに対して、両者は次のように答えた。
小林:
じゃあ、わたしから。
多分そういう質問にはお答えがずれていると思うんですけれども、さっき私が伝えたかった事はこの場でこの後どうしたらいいのか?ということで、汚されてしまってけしからんと、腹が立つというのは当たり前ですよね。完全に元通りにして欲しいと思う気持ちは当たり前です。自分だってそう思います。
でもそれが無理な場合に、じゃあどうするのか?っていう時に、一番自分と子どもにとってベストな方法をさがす。で、どれがベストなのか?
比べても分かりにくいところを図るための知恵が科学なんだろうと、そういう事になると思います、今の話しのなかにも。
柳沢:小出さんはいかがでしょうか?
小出:
私からは特にお答えするような事は無いと思いますが、科学は万能ではないし、科学が間違えることもあるし、原子力というものをやってきたことも、私は間違いだと思っています。それによって被ばくというリスクが新たに加えられてしまって、被ばくというのはメリットは何にも無くて、害悪だけがあるという、そういうものです。ですから今回の汚染というものは、全く正当化できないという、そういうものが生じている訳で、今後そういう正当化できない行為をどうすれば防ぐ事が出来るかという事を考えてほしいと。ま、科学も、そういうふうにきちっと考えて答えを出すべきだと思います。
小林氏にとっても、被曝に対する憤懣の念があることは認めているのである。しかし、完全な現状回復は無理であるから、ベストな方法をさがすのが科学という知恵だとしている。他方で、小出氏は、被曝という全く正当化できないものをつくり出した科学は万能ではなく、そういうことをどのようにしたら防ぐことができるかと答えている。
そして、ほぼ最後のほうで、柳沢氏は、次のような質問をしている。
柳沢:
一つわたくしからの質問をさせていただいてもよろしいでしょうか?
1ミリシーベルトというのが倫理的な基準であるというふうに、小林さんはおっしゃっているんですけれども、そうしますと、1ミリシーベルト以下を目指している柏市の除染というのはどういう事になるというふうにお考えになりますか?
小林:
倫理的なというのは、もう十分に低いから、適当に止めてもいいよという判断は正しくないだろう。だから放射線の変動レベル、事実上ゼロとみなしても、変動レベルという意味で、見なくてもいいという所まで、元通りに近いところまで除染していくっていうのは、倫理的に求められているという事です。そうしないと健康に影響が出る恐れが高いからという意味ではない。そういう意味で倫理的にということです。
柳沢:それに関しては小出さんは?
小出:
わたしですか?
私はもう繰り返して言っていますけれども、子どもたちに被ばくのしわ寄せをするという事は、私はやるべきではないと思っていますので、限りなくこれからも子どもたちの被ばくを減らすための作業というのを続けて欲しいと思っています。
そして、最後に主催者の柳沢氏より、小林氏が講演に応じた経緯が紹介され、2011年3月15日、前からもっていた線量計が警報をならしたこと、そして、その頃、子どもたちが公園で遊んでいる時、マスクを渡したがつけてくれなかったことなどをのべ、柏地域が「原発事故子ども・被災者支援法」の対象地域になるよう運動していくことなどを述べて、講演会は終了した。
この講演会は、原発推進派と反対派が同じ壇上にたって議論を行なったという意味で、異色であり、大きな価値があったと思う。特に、原発推進派の議論が、原発事故で被害を被った人たちの目からみて、どのような問題点がみえてくるのかということを如実に示しているといえる。小林氏と小出氏の見解の違いの一つは、「低線量被ばく」の影響をどうみるかという「科学的」なものである。そして、そのことは、聴衆であった一般市民の側にもおおむね了解されており、ここでは紹介できなかったが、かなり専門的な質問が飛んでいた。
他方で、この二人の違いは、科学というよりも、実践的姿勢の違いというところからも生じているように思われる。小林氏自身は、被曝の不当性は認めている。しかし、低線量被ばくの影響を少なく見積り、年間1mSvとする営為を「倫理的」でしかないとした上で、被曝からの現状回復を不可能なものとし、いわば状況を追認した形で「合意形成」をはかるということになるのである。その中で、科学ーというかむしろ小林氏自身の学説についてのようにみえるのだがーについては、物事を決める規範として認識されている。それを前提として、ある意味では「あきらめ」を説いているといえる。
小出氏の場合は、放射線被曝(彼は自然放射線も有害としている)全般を有害だとしながら、それを広範囲にひき起こし、この事態を放置している人びとの責任を、自分自身や聴衆も含めて問うているのである。そして、それは、自身が担ってきた科学への懐疑にもつながっている。このように、実践的な姿勢において、この両者は違っている。
ともあれ、このように比較して検討することを可能にした点で、この講演会の意義は大きいといえるのである。
他方で、このような講演会が行なわれた柏市を中心とした東葛地域の状況や、この講演会が東葛地域の今後にどのような意味をもってくるのか、そのことを考えて行きたい。
追記
この講演会についてはIWJがユーストリーム中継を行なっており、下記の動画で全体を視聴できる。前述したように、実際の講演内容とレジュメはやや違っているので、より詳細に内容を知りたい方はみてほしい。
http://www.ustream.tv/recorded/28626790
http://www.ustream.tv/recorded/28627168
また、前述したように、下記のブログが討論部分のおこしをおこなっている。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2732.html
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