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Archive for 2013年3月

3.11から2周年が過ぎた。直接的被災地を除いて、福島第一原発事故のことを社会は忘却したがっているようにみえる。ネズミによって引き起こされたとされる3月18日の福島第一原発の停電事故ですら、マスコミはさほど関心をもたなくなっているようにみえる。もちろん、まったく、報道がないというわけではない。しかし、危機感のなさは否めない。福島県では、福島第一原発事故はいまだ収束することがなく、いまだ多くの人びとが故郷に帰れず、首都圏も含めた多くの高線量地域では、多くの人びとが不安をかかえているにもかかわらず、だ。
 
最近、とみに、この「忘却」が気になっている。もちろん、3.11直後のような「危機意識」が2年後まで同じ強度であり続けるわけはない。しかし、前述したように、福島などでは、ほとんど問題は解決していないのである。さらに、早期「復興」を推進しようとする政府や福島県は、結局は高線量地域への住民の「帰還」を促そうとしており、問題をかえって深刻化させている。このような状況がありながらも、直接的被災地以外では、そのことを忘れたがっているようにみえる。

さらにいえば、昨年末登場した安倍政権は、さらなる原発再稼働をめざしていることを全く隠さないのであるが、そういうことにも無関心になっているようにみえる。この原発再稼働は、原発所在地だけでなく、広範な地域全体を危険にさらすものであるのにもかかわらず、である。

そんな折、『世界』2013年4月号の特集1「終わりなき原発災害ー3・11から2年」に接した。全部読んでいないが、その中で、二つの論文を興味深く読んだ。一つは、首都大学東京所属で富岡町からの避難住民の団体「とみおか子ども未来ネットワーク」に関わっている山下祐介執筆の「原発避難問題の忘却は何をもたらすのかー新たな『安全神話』とナショナリズムを問う」である。もう一つは、中国社会科学院文学研究所所属の孫歌が書いた「『ノーマル・パラノイア』と現代社会」である。

ここでは、まず、より包括的に、福島第一原発事故の「忘却」を扱っている孫歌の「『ノーマル・パラノイア』と現代社会」をみていこう。この論文は、2012年7月に執筆され、雑誌「天涯」(2013年)に掲載されたものである。孫歌は、まず、人は、常に、エネルギーの消費を最小限に抑え、無意識の習慣によって形成される反復型の行為を選びがちであるとしている。孫歌は、「ノーマルな感覚を維持するとは、思考や選択をせずに、反復的に、ある種の秩序の中で生活することを意味する」(p154)と指摘している。そして、精神と体力をもっとも節約するために、非常事態の時間をできるかぎり短くすること、非常事態の時間をできるだけ排除すること、それは人類の生命の弁証法だと孫歌は述べている。

しかし、孫歌は、ここで疑問を発する。ノーマルな状態が健康で合理的ならば、自分をノーマルな状態におくことは正常であるが、ノーマルな状態が健康で合理的でないならば、ノーマルな感覚を保持することは、自分を麻痺させる有害なことではないだろうか、と。

そして、孫歌は、3.11によって、日本人は二つのグループにわかれたと指摘している。一つは、個人によってさまざまであるが、危機感の中で生活し、脱原発デモに参加したり、放射性物質の知識を懸命に学んだり、被災者を支援するなどの多様な行動に身を投じた人びとである。もう一つは、それなりに対策は講じてはいたが、福島原発事故以前の感覚と秩序の中で生活し、以前の生活に回帰しようとしている人びとである。孫歌は、前者の人びとが生まれたことを日本社会が部分的にでも変わったことを示していると評価しつつも、後者の人びとが多数であると言っている。

孫歌は、ノーマルな状態への回帰は人類の自己防衛本能であるが、3.11のような後遺症を除去しがたい事件が発生した場合、それは、

危機的な真実の状態を、虚偽の「ノーマル」で覆い隠す危険性をはらんでいないだろうか? 「ノーマル」に対するパラノイアに近い依存と執着は、眼前に突きつけられた危機から目をそらされる。生活を日々繰り返し、続けられさえすれば、たとえ危機が存在していても、人は相変わらずもとどおり生活できる。もとはエネルギーの消耗を抑えるためだった生命の本能が、社会生活の中で、後先を考えず目先の渇きをいやす惰性のメカニズムに転化しうる。(p156)

ではないかと主張している。そして、この問題は、経産省前テントひろばの人びとが議論していた問題であるとしつつ、「日本の民衆の迅速な回復への欲求には、心理学で言うところの『ノーマル・パラノイア』が示されているのではなかろうか?」(p156)と孫歌は述べている。

孫歌は、人類は通常、危機を通じてしか、自己と社会の真の姿を省察できないとし、日本社会は、3.11という巨大な危機において、真の社会構造形態を露にしたという。それは、次のようなものである。

このとき、日本人はほんとうの意味で知った。彼らが信用してきた政府と行政システムは、この重大な危機に当たって、普通の日本の民衆を守ること、とくに危険な地域にいる福島の住民、なかでも児童の安全を守ることを考えないで、いかにしてすばやく秩序を回復するかばかり考え、そのため真相の隠蔽をいとわないことを。(p157)

このような「真の社会構造形態」が危機の時に露呈されたのであり、脱原発デモなどの日本社会の変化に帰着した。しかし、いまだ「沈黙の大多数」によって秩序は整然として存在していると孫歌は指摘している。孫歌は、非常事態を維持するという要求はできないとしながらも、「人類は、ノーマルな状態によってではなく、危機を通じて、学び、調整することである。危機をチャンスに、とはこのことである」(p158)と主張しているのである。

そして、現実には、「福島」が提起した問題が隠蔽されていく中で、釣魚島/尖閣諸島の主権をめぐる争いが過熱し、日本社会はまた、新たな危機に直面したことを、沖縄における運動を評価しながら、この論文の中で縷々述べている。この問題については、別の機会にみてみたいと思う。

さらに、孫歌はノーマル・パラノイアの様々な形態を提示している。もっとも直接的なノーマル・パラノイアとして、現状を変えることを望まないがゆえに、そのような可能性のある情報を受け入れないことをあげている。さらに、非直接的なものとして、ノーマルが打ち破られたとき、できる限りノーマルな感覚に基づいて、危機の中で「ノーマル」を築くことを孫歌はあげている。孫歌は次のように言っている。

そしてすべて元どおり、今までの生活を続ける。依然として不安は感じているものの、できるかぎり不安を見ないようにする。情報が爆発し、誘惑にあふれる現代社会において、「健忘」は普遍的な習慣である。注意をそらすことができ、危機意識からくる焦慮を緩和することもできる。「ノーマル」に対するパラノイアのおかげで、平常な心境で非常な現実を生きることができ、しかも何の矛盾も感じなくてすむ。(p161)

加えて、孫歌は、「常識」への依拠をノーマル・パラノイアの隠された形態とし、「日本政府は常識に依拠して、放射能漏れに大きな危害はないという虚像を作り上げた。多くの日本人は信じることを選んだ。なぜならば、その選択は自分の『常識』を壊さなくてすみ、慣れ親しんだ生活のやり方を変えなくてすむからである」(p162)と述べている。

最後に、孫歌は、3.11以後、放射能汚染から島嶼の主権争いまで一つの問題が解決しないまま別の問題に取って代わられながら、世論はそれぞれの問題に熱狂してきたとし、「こうした、まやかしの危機意識に満足し、自己の責任感を欠いた状態は、もっとも隠蔽された『ノーマル・パラノイア』であると言うべきである。世論が作り出し続けるホットな話題に執着し、その執着を『ノーマル』にしている」(p163)と指摘している。

そして、本論文の終わりで、孫歌は、ベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」を典拠にしながら、こう述べている。

歴史はいつも危機の瞬間にほんとうの姿を立ち現す。心に充分な力を持っていなければ、その瞬間をとらえて歴史に分け入ることはできない。そうしたら、歴史家は歴史とすれ違うことになるだろう。
 私たちはまさにこのような危機が飽和しつつある歴史的瞬間にいる。それをとらえ、効果的に歴史に分け入ることができるかどうか、それは私たちがノーマル・パラノイアの精神構造と習慣を克服できるか否かにかかっている。今日、それは歴史家だけの課題ではない。いたるところに危機が潜伏する時代において、それは思考を引き受けるすべての個人に突きつけられている。まやかしの認識の自己複製を極力避け、私たちの生存状態そのものを変革すること。それは私たち誰もが逃れられない責任なのだ。(p164)

孫歌は、「ノーマル」な状態への回帰を望むことは、人類の自己保存本能だといっている。しかし、「ノーマル」な状態が「健康的・合理的」なものでなかったならば、それへの執着は、危機感を麻痺させるといっているのである。

翻って、現状を考えてみるならば、福島第一原発事故を引き起こした「ノーマル」な状態が、「健康的・合理的」なものといえるだろうか。福島第一原発事故は、そのことをあきらかにしているのでないか。そして、今までの「ノーマル」状態への回帰を望むがゆえに、不都合なものはみないようになってきているのではなかろうか。

ある意味では、早期の「復興」は必要なものであろう。しかし、孫歌のいうように、福島第一原発事故に早期の復興などありうるのだろうか。それは、福島第一原発のもたらした深刻な被害を「ないもの」としてしか考えられないのではなかろうか。冒頭、私が縷々述べた、福島第一原発事故の「忘却」は、ここに起因していると思われる。まさに、孫歌が「ノーマル・パラノイア」と指摘する状況がそこにはあるといえよう。

孫歌が、こういう危機によってこそ、体制の真の姿が露にされると述べているが、これは正当なことである。福島第一原発事故があって、それにより、福島第一原発が存立していた「ノーマル」な社会秩序が健康的でも合理的でもないことがあきらかになったといえよう。

それでも、この「ノーマル」への回帰を望む意識は強いといえる。孫歌が執筆した時期よりもあとになるが、このような「ノーマル・パラノイア」が、2012年末の自民党政権への回帰の一因にあったと思われる。そして、さらに、福島第一原発事故への「無関心」を呼び起こしているのであるといえよう。

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この前、3月18日に発生した福島第一原発の停電事故について紹介し、電源二重化などの「多重防護」がとられていないことを批判した。

この停電事故の原因についての報道を聞いて、一驚した。まず、次のNHKがネット配信した、次の記事を紹介しておきたい。

冷却トラブル 小動物接触しショートか
3月20日 18時43分

福島第一原子力発電所で使用済み燃料プールの冷却システムなどが止まったトラブルで、東京電力が調べた結果、仮設の配電盤の端子などに焦げ跡が見つかり、近くでネズミのような小動物が死んでいました。
東京電力は、小動物が端子に接触し、ショートなどが起きた可能性があるとみて、原因を調べています。

福島第一原発では18日夜、外部から電気を受けている3つの配電盤が停止して停電が発生し、1号機と3号機それに4号機の使用済み燃料プールや、使用済み燃料を専用に保管する共用プールの冷却システムなど、合わせて9の設備で同時に機能が停止しました。
すべての冷却システムが復旧したのは、発生からおよそ29時間ぶりとなる20日午前0時すぎで、おととしの原発事故のあと、これだけ長時間、複数の冷却システムが止まったトラブルは初めてです。
東京電力は、20日朝から本格的な原因の調査を始め、停止した配電盤のうち仮設のものの内部を詳しく調べたところ、20日午後0時半すぎに、電気が流れる端子とそばの壁に焦げ跡があるのを見つけ、近くで体長15センチほどのネズミのような小動物が死んでいました。
このため東京電力は、仮設の配電盤で小動物が端子に接触しショートなどが起きたうえで、配電盤につながるほかの電源設備が異常を検知して停止し、大規模なトラブルに広がった可能性があるとみて、原因を調べています。

配電盤の状況は
問題の配電盤は、停止した3つのうち唯一、外のトラックの荷台の上に置かれた仮設のもので、箱型をしています。
箱の表面には、5つの窓が縦に2列並んでいて、窓ごとに電源ケーブルをつなげる個別の電源盤があり、焦げ跡が見つかったのは、上の段の1つの電源盤です。
焦げ跡は、ケーブルがつながった部分の上にある端子付近で、黒くすすけているのが分かります。
また、そのすぐ横の壁にも焦げ跡がついていました。
さらに電源盤の下で体長15センチほどのねずみのような小動物の死骸も見つかりました。
東京電力は、原因はまだ特定できていないとしていますが、小動物が端子の間に挟まりショートするなどして配電盤が停止した可能性もあるとみて、さらに詳しく調べています。
東京電力によりますと、この仮設の配電盤は、事故直後のおととし5月に設置され、夏までに建物内にある配電盤に切り替える予定になっていました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130320/t10013336491000.html

もちろん、この、配電盤へのネズミ侵入が停電事故の原因という断定は東電もしていない。直前に実施した二号機燃料プール冷却装置の電源二重化工事の影響ではないかと指摘する次のサイトもある。

http://ameblo.jp/kennkou1/entry-11495219795.html

しかし、それにしても、事故後2年もたっていながら、配電盤がトラックの荷台に置かれた仮設のものであり、ネズミ侵入を阻止する手だても講じられていないことには、まったくあきれた。「多重防護」以前の問題であろう。河北新報は、次のように、東電の責任を論じている。

福島第1停電 事故の教訓生かせず バックアップ設備なし

福島第1原発の停電で、原因究明のため仮設配電盤を調べる作業員=20日(東京電力提供)

 使用済み核燃料の冷却が29時間にもわたって停止した東京電力福島第1原発の停電。屋外の仮設配電盤にネズミが入り込んでショートさせた可能性が原因として浮上した。仮設の設備に万が一の際のバックアップ設備はなかった。今回の冷却停止問題は、2年前の事故の教訓を生かせない東電の判断の甘さをあらためて印象づけた。
 停電は18日午後7時前に発生。東電は配電盤ごとに異常の有無を調べていき、共用プールや3、4号機の冷却システムが接続された仮設配電盤に行き着いた。当初は修理を試みたが不具合の原因を特定できず、停止した設備を別の配電盤につなぎ替える応急措置で全面復旧にこぎつけた。
 ネズミとみられる小動物の死骸がみつかった仮設配電盤は事故後の2011年5月、4号機近くの屋外に止めたトラックの荷台に設けられた。使用済み燃料の冷却設備がつながる重要な配電盤にもかかわらず、バックアップ設備はなかった。
 仮設配電盤には複数の電線が接続されており、隙間が生じてネズミなどの小動物が入り込む恐れが十分に予測できたのに、東電は対策を講じていなかった。
 理由は、プール内の燃料が一定程度冷やされているため、原子炉内の燃料に比べ、冷却機能を失っても危機的状況に陥るまでに時間的余裕があるからだ。
 しかし今回の冷却停止は、住民の不安や安全性への不信を招いた。東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理も「判断や対応の甘さを指摘されれば否定はできない」と、非を認めている。

2013年03月21日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130321t65009.htm

東電が、福島第一原発において、ほとんどまともな安全対策を講じないのは、単に怠慢というだけでなく、営利企業としての「体質」によるものと考えられる。営利企業は利潤を獲得することを目的にして投資するのである。原発の安全対策も、電力生産設備を維持することを目的としているといえよう。

しかし、福島第一原発1〜4号機は、もはや「廃炉」が決定している。もちろん、福島第一原発5・6号機を稼働させることはできよう。しかし、周辺住民が避難せざるをえなくなっている中で、稼働させることは非常に困難であろう。

その意味で、福島第一原発は、もはや電力を生産できず、東電にとって利潤を生まない。しかも、炉心溶融・爆発などで破壊され、高線量の中にある福島第一原発の廃炉作業のコストは莫大なものとなろう。

2012年6月に1兆円の公的融資をうけ、7月に実質的に国有化されたといっても、基本的に営利企業としての「体質」は変わらないであろう。もちろん、利潤にならなくても廃炉作業を行なわなくてはならないということはかわらない。そして、現場の人びとは、責任をもって作業をしているとも思う。しかし、東電全体としては、なるべく、コストはかけたくないであろう。そのため、コストのかかる安全対策は先延ばしになっていくと考えられる。そのことが、今回の停電事故の背景にあったといえよう。

そうなると、40年もかかり、さらには作業用ロボットの製作からはじめなくてはならないとされている福島第一原発の廃炉作業を、営利企業である東電にまかせてよいのだろうかという気持ちになってくる。やはり、東電は解体し、その財産すべてを福島第一原発の廃炉作業と福島第一原発事故の補償金や除染費用にあて、福島第一原発の廃炉作業は、公的機関によってなすべきなのではなかろうか。

そして、また、廃炉作業を考慮にいれると、営利企業である電力会社が原発を運転しているという体制自体が福島第一原発に限らず危ういものに思える。利潤の上がらない廃炉作業に、営利企業である電力会社が、安全対策を含めて、コストを十全に負担するものなのだろうか。

こうなってくると、営利企業の限界ということがみえてくるだろう。福島第一原発の廃炉作業は、日本列島にすむ人びとーいや、日本列島に住む人びとに限るものではないがーの大きな関心事である。しかし、営利企業である東電においては、利潤にならない廃炉作業のコストを縮減することが、会社の存続のためにはからなくてはならないことなのである。このような東電に、これから40年もかかるとされる福島第一原発の廃炉作業をまかせてよいのだろうか。そのような問いが惹起されるのである。

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昨日(2013年3月18日)、福島第一原発で停電が発生し、1号機・3号機・4号機付属や共用のものとされている使用済み燃料プールの冷却システムなどが停止した。その一報を伝えた、3月18日のNHKのネット配信記事をまず紹介しておく。

福島第一原発で停電 冷却システム止まる
3月18日 23時50分

東京電力福島第一原子力発電所で18日夜、停電が発生し、1号機と3号機、それに4号機の使用済み燃料プールの冷却システムなどが止まっています。
東京電力は原因を調べていて、原因が特定されしだい使用済み燃料プールの冷却システムの復旧作業に入ることにしています。

18日午後7時前、福島第一原発の事故の廃炉作業の拠点となっている免震重要棟で瞬間的に停電が発生し、東京電力が調べた結果、敷地内にある電源設備の一部が停止していることが分かりました。
1号機から3号機での原子炉への注水に影響はないということですが、1号機と3号機、それに4号機の使用済み燃料プールで冷却システムが止まっています。
1号機と3号機、4号機の燃料プールでは、使用済み燃料が合わせて2100本余り入っていて、水温は18日午後4時現在で、最も温度が高い4号機で25度となっています。
また、温度の上昇は1時間当たり0.1度から0.3度程度で、東京電力の社内の規定で定めている65度を超えるまでに最も温度が高い4号機の燃料プールでは4日程度と見込まれています。
このほかにも6300本余りの使用済み燃料が保管されている原発の敷地にある「共用プール」の冷却システムや一部の汚染水の処理設備も停止しているということです。
このトラブルで、原発の周辺に設置されている放射線の値を測定するモニタリングポストの値に変化はないということです。
東京電力は原因を調べていて、原因が特定されしだい使用済み燃料プールの冷却システムの復旧作業に入ることにしています。
国の原子力規制庁によりますと、電源設備のうち、高圧の配電盤につながるケーブルの付近でトラブルがあった可能性があるということです。
東京電力は発表が遅れたことについて「設備の状況を確認したうえで取りまとめて発表しようとしていたが確認に時間がかかってしまった。大変申し訳ない」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130318/k10013290991000.html

より詳細な、東京電力のサイトに3月19日15時に出された「東北地方太平洋沖地震による当社原子力発電所への影響について」の中から一部抜粋してみてみよう。

※3月18日午前6時35分、電源二重化工事に伴い、2号機使用済燃料プール代替冷却系を停止(停止時プール水温度:15.0℃)。同日午後6時38分、作業が終了したことから同システムを起動。起動時のプール水温度は、16.4℃であり、運転上の制限値65℃に対して、使用済燃料プール水温管理上問題なし。
※3月18日午後6時57分頃、福島第一原子力発電所免震重要棟において、電源が瞬時停止する事象が発生。状況を確認したところ、福島第一原子力発電所内の一部の電源設備が停止しており、以下の設備が停止。
・水処理装置 セシウム吸着装置
・1号機 使用済燃料プール代替冷却設備*(二次系)
・3号機 使用済燃料プール代替冷却設備(一・二次系)
・4号機 使用済燃料プール代替冷却設備(一・二次系)
・3号機原子炉格納容器ガス管理システムA系
・共用プール冷却浄化設備
・窒素ガス分離装置(B)
*1号機使用済燃料プール代替冷却設備の一次系については、同系統のポンプ保護のため3月18日午後9時10分、手動にて停止。
 なお、福島第一原子力発電所の以下の設備については、異常のないことを確認。
・1~3号機 原子炉注水設備
・モニタリングポスト
・1~3号機 原子炉格納容器ガス管理システム監視中
・2号機 使用済燃料プール代替冷却設備
・1~3号機 窒素ガス封入装置
・窒素ガス分離装置(A)
http://www.tepco.co.jp/nu-news/2013/1225685_5304.html

最も重要な、1〜3号機の原子炉注水設備の停止はまぬがれ、放射線量の上昇は見られなかったものの、電源喪失によって、使用済み核燃料プールの冷却装置だけでなく、9つの設備が停止したのである。なお、2号機の核燃料プールの冷却装置が停止を免れたことにも留意しておきたい。たぶん、その直前に行なわれた、電源二重化工事により、電源喪失にならなかったためと考えられる。

そして、これら使用済み核燃料プール冷却装置は、すぐには復旧しなかった。そのことを伝えている産經新聞のネット記事をみてみよう。

福島第1原発停電 代替設備で冷却可能も…ほど遠い「事故収束」
2013.3.19 01:26

 東京電力福島第1原発で18日夜発生した停電は、19日未明になっても復旧のメドが立たず、現場は対応に追われた。深刻な事態に発展するには数日間の余裕があり、代替設備による冷却も可能なため、直ちに放射性物質が放出されるような事態には至らないと考えられる。しかし、同原発では昨年6月にも4号機の燃料貯蔵プールで一時冷却が停止、水温が約43度まで上昇するトラブルが起きている。同原発は今も不安定で、事故収束にはほど遠い状況にあることが改めて示された。
 東電によると、停電前の18日午後4時時点の各プールの温度は、1号機が約16度▽3号機が約13・7度▽4号機が約25度▽共用プールが約25・2度。東電は安全確保のため、プールを65度以下に管理するよう目標値を設定しているが、65度に到達するまでに、1号は27日、3号は14日、4号は4~5日、共用プールは7日間の余裕がある。
 一時は免震重要棟も停電したが、その後復旧。しかし、原因を特定しないで無理に電流を流すと、再び停電が発生して他の機器にまで悪影響が及ぶ可能性があるため、東電では、停電が発生した場所に電流を流しているケーブルや電気を分配する装置などを中心に、問題点を調べている。ただ、「原因特定にかかる時間は未定」という。
 このまま冷却が止まった状態が続けば最悪の場合、水温が100度を超えプールの水は蒸発、燃料溶融の可能性が出てくる。しかし、対応策はまだ複数残されている。
 東電によると、プールの冷却が2日以上停止するような状況になれば、非常時に備えて用意されている注水施設を使い、消防ポンプ車などで冷却を開始することになっているという。
 この方法が使えない場合も、福島第1原発の敷地内には、原発事故直後にプールに注水を行ったコンクリートポンプ車が数台待機しており、プール上部から注水することも可能だ。東電の担当者は「今すぐ燃料貯蔵プールの中の水が失われるような状況ではないが、早急に原因を特定して冷却を再開したい」と話している。
http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/130319/dst13031901280002-s.htm

この記事の中で、東電は、原因を特定するために、しばらく、電流を流さず、調査すると述べている。そして、長期間、冷却装置が使えず、燃料プールが加熱されるようなことがあれば、「消防ポンプ車」「コンクリートポンプ車」で注水して冷却することも可能だと言っている。

結局、この記事を書いている2013年3月18日夕方において、1号機と4号機の燃料プールの冷却は開始されており、今夜中に3号機の燃料プールの冷却も再開されるとのことである。そして、共有の燃料プールの冷却は明日になるとされている。ただ、いまでも原因は特定できていない。配電盤が原因であろうとみられているが、これほど大規模な停電の原因になるのだろうか。

この停電について、東電の発表が遅れたことが批判されている。もちろん、そのことは批判されるべきだ。しかし、より、強く批判されなくてはならないことがある。

福島第一原発事故の一つの原因として、地震・津波により外部電源も非常電源も喪失し、原子炉などの冷却ができなかったことがあげられている。電源喪失は、原発にとって、何よりも恐れるべきことであろう。

しかし、今回の停電は、1号機、3号機、4号機や共有の燃料プールの冷却装置が、単独の電源で動いていたからおきたことではないかと考えられる。そして、2号機の燃料プールの冷却装置は、直前に電源二重化工事を実施したため、停電を免れたのではなかろうか。

つまり、原発設計で強調されている「多重防護」が十分実施されていないといえる。事故直後であれば、とにかく稼働させることを優先するということは理解できる。しかし、すでに、事故以来2年を経過している。それなのに、主要施設の「電源二重化」は完了されていないようであり、「多重防護」は実現されていないと思われる。

一体全体、東電は、事故から何を学んだのだろうかとも思う。福島第一原発は、そもそも炉心溶融や爆発などで建屋や原子力格納容器、原子力圧力容器、燃料棒などが破壊されており、人間によって操作することができない原発である。通常の原発よりもはるかに神経を使うべき原発である。福島第一原発事故の経過からみても、電源喪失などあってはならないことである。

このような福島第一原発ですらまともに「多重防護」されていない現状をみれば、他の原発もたぶんそうなのだろうと思う。「多重防護」を含め、原発の安全対策は、まともに講ずれば、莫大なコストが必要となるだろう。しかし、莫大なコストを支払うことができないから、そこそこの対策しか行なわない。結局、「安全な原発」など、絵に描いた餅といえよう。

しかし、この「停電」に対するマスコミの反応は「冷淡」である。本来、国会などでも、最優先で審議すべき事柄だと私は考える。

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本書は、大阪のコリアンタウン鶴橋における、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の街頭宣伝の情景から始まる。

コリアンの人びとがたくさん住み、生活している鶴橋の街角で、在特会の人びとは、「日の丸」を打ち振りながら、このように叫んでいる。

「大阪ではね、1万人を超える外国人が生活保護でエサ食うとるんですよ。生活保護でエサ食うとるチョンコ、文句あったら出てこい」

「チョンコどもは、厚かましく生活保護を申請するんです。なんで外人に生活保護支給しなくちゃならないんですか。いいですか、みなさん、日本では一年間に3万人が自殺しています。その多くが自殺しています。その多くが生活苦で自殺しているんですよ。日本人がね、生活が苦しくて死んでいる状況で、大阪では1万人の外人が生活保護もらってるんです。だったら、せめてチョンコは日本人に感謝せえよ! 強制連行で連れてこられただのなんだの、日本に対して謝罪や賠償ばかり求めているのが朝鮮人じゃないですか。オマエたちに民族としての誇りはないんか? 祖国に戻って生活保護をもらえ! 日本人からエサもらいたかったら、日本に感謝しろ!」

「何百人も北朝鮮に拉致されたんですよ、日本人が! 外人がね、いきなり日本に入ってきて拉致なんかできますか? 日本で手を引いたチョンコと反日日本人がおるんですよ。だから何百人もやられたんだ! こいつらね、ぶち殺さないとあかんのです! 怒れ、日本人! 立ち上がれ、日本人! 聞いてるか、こら、チョンコ!」

「在日朝鮮人は強制連行だなんだと、いまだにわけのわからないことを言ってます。謝罪だ、賠償だと騒いでいる! 日本人は在日にバカにされているんです! そんなに日本が嫌いならば、在日は祖国に帰ってください! ウソまでついて、そんなにお金が欲しいのですか。在日は!」
(本書p4〜5より抜粋)

このようなクライムが、日本の街頭で公言されているのである。そして、それは、鶴橋だけでなく、東京の新大久保や、市井のパチンコ屋の前などでも叫ばれているのである。ここでは、安田の著書から引用したが、同種のクライムは、在特会のサイトにアップされている動画でいくらでもみることができる。このような街頭でのクライムを動画にアップすることで、在特会はポピュラリティを獲得してきたと安田は述べている。実際、本日(2013年3月17日)、新大久保における在特会のデモを私はみたのだが、そこにおいても、「朝鮮人皆殺し」というプラカードを掲げていたり、「チョンコ」などと連呼している人を発見したりした。

安田は、このように書いている。

 

彼らは「ファシスト」「レイシスト」「ネオナチもどき」などと非難されることが多い。私もその通りだとは思う。彼らが街頭でしていることは「レイシズム」以外の何者でもない。容赦ない言葉の暴力で、どれだけの人が傷ついたことだろうか。その被害者の怒りを私は共有したい。(本書p316)

しかし、このような集団である在特会の人びとにたいして、安田は一方的につきはなしていない。安田は在特会の一人一人はどんな人間なのかと聞かれた際、「活動の場を離れれば、普通の人たちですよ。いろんなことに悩んだり、喜んだり……。要するに僕と同じです」(本書p8)と答えている。もちろん、「普通」だからいいというわけではない。安田は、「いや、ファシズムもレイシズムも、実際にはそうした『フツー』の人々によって育まれていくものなのだろうかとも考えてみる」(本書p316)

そして、在特会の個人個人に対する綿密でかつ人間的な取材を行い、それぞれの個人がなぜ在特会の活動を担うようになっていったのかを分析している。本書の優れた点は、ある意味では、在特会のような集団を内在的に分析していたということにあるといえる。

安田は、在特会の多くの人びとについて、自身は被害者であるという意識が強いと指摘する。彼らは、大手メディア、公務員(教師を含む)、労働組合、グローバル展開する大企業、その他左翼一般、外国人を加害者として措定し、それらの被害者だと自らを位置づける。そして、この「加害者」への「階級闘争」を実践していく彼ら自身は思っているとしている。彼らは、彼ら自身が生きづらい世の中をつくった「戦後体制」への反逆者として自認しているとしている。その底には、このような「闘争」を担うことによって人びとから認められたいという「承認要求」があると安田は指摘する。

その反面に、安田は「本来、『奪われた』と感じる者の受け皿として機能してきたのは左翼の側だった。ところが、いまやその左翼がまるで機能していない」(本書p345)ということがあると主張している。

そして、在日コリアンなどを攻撃する理由について、安田はこのように述べている。

 

その一方で彼らが在日コリアンや部落解放同盟を執拗に攻撃するのは、それが「タブー破り」の快感であると同時に、「朝鮮人のくせに」「被差別部落の住民のくせに」一定の発言力と影響力が担保されていると思い込んでいるいるからである。
 会員のなかには、世の中の矛盾をひもとくカギを、すべて「在日」が握っていると思い込んでいる者が少なくなかった。一部の者は、政治も経済も裏で操っているのは在日だと、本気で信じている。それを前提に、在特会こそが虐げられた人々の味方なのだと訴える。(本書p355)

もちろん、こういうことは「ありえないこと」なのだが、こういう「ありえないこと」こそ「真実」とし、「逆さまの世界」を在特会の人びとは生きているといえよう。そして、必ずしも在特会が組織したわけではない、2011年のフジテレビに対する「嫌韓流デモ」など、在特会以外にも、こういう雰囲気が流通していると安田は指摘している。

このように、安田の分析は、在特会の人びととある意味で「人間的な交流」をしながら、その意識を内在的につかもうとしているといえる。ある意味で、等身大な「在特会」像を創造したといえる。そして、それは、安田自身も、読者である私にも通底している存在として、在特会を描き出しているのである。

それでも、釈然としない思いが残る。彼らが、自分たちを虐げてきた「加害者」たちへの「闘争」を行い、そのことによって、人びとからの承認を得ようとしている内在的な動機は理解できる。しかし、なぜ、その攻撃対象の一番手に「在日」コリアンがあがるのだろうか。

それは、冒頭で引用した、在特会の街頭宣伝を読んだり、彼らの動画をみていても感じる。なぜ、ここまで、在日コリアンに対して「差別的」なんだろうかと。

さらに、「在日」コリアンが「日本」を支配しているという「思い込み」についても、不思議な思いがする。マスコミ、公務員、労働組合、左翼一般が支配しているというなら、「思い込み」でも了解はできる。しかし、その最初に、なぜ「在日」コリアンがあがるのだろうか。

このことは、それこそ、関東大震災の朝鮮人虐殺にまでさかのぼることができ、在特会が存在する以前からあった、在日コリアンへの差別意識を前提にしなくては、理解できないのではなかろうか。といっても、それが、どのように作用しているのか、ここでは、提示できないのだが。

ナチスドイツの反ユダヤ主義も、ナチスがすべて創出したというわけではないだろう。ドイツ社会にすでにあった反ユダヤ意識と、第一次世界大戦後から大恐慌にかけてのドイツ社会の苦境が結びついて確立していったものではなかろうか。

安田は、本書のプロローグに次のように書いている。

しかし、いつまでたっても消えることのない疑問が頭のなかを駆け巡る。
そもそも、いったい何を目的に闘っているのか。いったい誰と闘っているのか。
相槌の代わりに、私もまた、ため息を漏らすしかなかった。(本書p9)

安田の書は、この問いにかなり答えたといえる。しかし、読み終わっても、いまだ、もやもやした思いが消え去ることはないのである。

安田浩一『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(講談社 2012年 1700円)

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今回は、宮城県の津波被災地を揺るがしている防潮堤建設問題について、私自身の心覚えのため、みてみることにする。

まず、毎日新聞夕刊2013年2月6日付に掲載された、次の記事をみてほしい。

特集ワイド:東日本大震災 巨大防潮堤、被災地に続々計画 本音は「反対」だが…復興が「人質」に 口閉ざす住民
毎日新聞 2013年02月06日 東京夕刊

 東日本大震災の被災地で、巨大防潮堤建設計画が進んでいる。高いコンクリート壁で海を覆えば、海辺の生態系を壊し、津波からの避難が遅れるとの指摘がある。防潮堤問題に揺れる被災地を歩き、失われゆく潮騒を聞いた。【浦松丈二】

 <計画堤防高さ TP+9・8m 高さはここまで>

 宮城県気仙沼市の大谷海岸に電信柱のような看板があった。荒れ地の中に青い海だけが広がる。TPとは「東京湾平均海面」だ。つまり、東京湾を基準に高さ9・8メートルの防潮堤がここに建つのだ。間近に見ると高さに圧倒される。この高さの壁がどこまでも続く……想像したらその重苦しさにめまいがした。9キロ南の海岸にはなんと14・7メートルの防潮堤が計画されている。
 気仙沼市民有志の「防潮堤を勉強する会」の発起人、酒造会社社長の菅原昭彦さん(50)が説明する。「防潮堤は2011年9月に宮城県の震災復興計画として最初に示されました。震災から半年しかたっておらず、これで確定とは誰も思わなかった。県と市は昨年7月から説明会を始めたが内容は当初のまま。しかも防潮堤の位置や形状は話し合えるけれど、高さは変えられないという。あまりに唐突、強引だった」
 住民は昨年8月から専門家を招いて「勉強する会」を計13回開き、毎回100人以上が参加した。だがあえて賛成反対を言わなかった。「私たち住民は復興の予算とスピードを人質に取られているようなもの。文句を言うことで復興全体が遅れることがあっては困るから」と説明する。
 同じ被災地でも地域によって実情は異なる。「工場や産業エリアなら防潮堤が高くてもいいが、海辺の景観で商売をしている所は問題になる。ワカメや昆布などの資源のある地域では生態系への影響が懸念される。でも、防潮堤計画には背後地の利用計画がセットにされていて、復興を進めようとしたら計画をのまざるをえないのです」
 話の途中、菅原さんの携帯電話に友人からメールが入った。「防潮堤各地でどんどん決まっていきますね。いいんですか。このままで?」とあった。年度末が迫り、県は合意形成を急ぐ。菅原さんは「県の担当者が『隣の人は合意した』と戸別訪問したことがあり、強く抗議しました。そんなやり方では、地域の信頼関係が壊れてしまう」と懸念する。
 多くの地域で防潮堤計画はなし崩し的に進んでいる。石巻市雄勝町立浜の銀ザケ・ホタテ養殖業、末永陽市さん(55)は「管理者の県が示した高さだから」と不本意ながら受け入れる意向だ。防潮堤は高さ6・3メートルと震災前に比べ約3メートル高くなる。
「地震発生後は防潮堤の上で海を見ていた。湾内にじわりじわりと海水が上がってきて、後ずさりしながら見守っていたが、防潮堤を越えたら早かった。やばいと思って、一気に裏山まで走った。海が見えていたから避難できた」。全49戸160人の集落ごと流されたものの、死者は5人にとどまった。これまで津波を経験してきた住民たちは、地震直後に裏山にほぼ全員が避難したからだ。だが、海が見えないまま津波がいきなり防潮堤を越えてきたら……。
 大津波で、末永さんは自宅だけでなく、養殖していた銀ザケ12万匹とホタテ35万個を失った。船に同乗し、再開した銀ザケ養殖のエサやりに同行させてもらった。風がごうごうと音をたて、潮騒を聞くどころか寒さで耳がちぎれそうだ。この海と生きる、という末永さんの強い意志を感じる。しかし、巨大防潮堤はそこにも影を落とす。
 末永さんは、自宅跡地に水産加工工場の建設を計画している。今後はサケの加工もして、ブランド化を目指すしかないと考えるからだ。だが防潮堤が高くなれば、自宅跡地横の小川の土手もかさ上げしなければならない。地続きの自宅跡地のかさ上げも必要になる。「待っていたらいつになるか分からない。さっさと自己資金で工場を建ててしまおうか」と迷う。
 雄勝地区の人口は1565人(昨年12月)と震災前の3分の1だ。末永さんは14世紀から続く24代目網元。「先祖が代々頑張って何とかつないできてくれた。それを考えると……」と意欲的だが、その前に防潮堤が立ちはだかる。
 「巨大防潮堤は被災地だけの問題ではない。国土強靱(きょうじん)化を掲げる政権下では、日本全体がコンクリート壁に囲まれてしまう恐れがある」と警鐘を鳴らすのは、気仙沼市のNPO法人「森は海の恋人」副理事長の畠山信さん(34)だ。
 畠山さんの地元、同市西舞根(にしもうね)地区は住民要望で防潮堤計画を撤回させた。畠山さんらは「堤防ができれば海と山が分断されて取り返しがつかなくなる」と計画が固まる前の段階で、集落に残る全戸(34戸)の意見を取りまとめ、市側を動かした。「人口や組織の多い市街地で合意を形成するのは大変。私の地域は長老がいて、その下に役員がいてという古い集落だから決まりやすかった」と語る。
 同地区では津波で全52戸中44戸が流され、地盤は約80センチ沈んだ。「沈下でできた干潟にアサリが増え、絶滅危惧種のニホンウナギが生息している。野鳥が来て、子どもたちの遊び場になっている。この干潟は地域で守っていくことにしています」。これも合意形成の成果だ。
「環境省や宮城県は『森・里・川・海のつながり』を重視すると言っていたのに、現場は逆行している。災害に備えるために必要なのは、管理費のかかる防潮堤というハードではなくて自然の見方というソフト。津波なら前兆のとらえ方です。これは自然体験からしか学べない。でもそこに予算はついていない」
 自民党は今国会に「国土強靱化基本法案」を議員立法で提出する方針だ。防災の柱として「強靱な社会基盤の整備」を盛り込んでおり、巨大防潮堤の整備を後押ししそうだ。
 畠山さんらを招いて公益財団法人「日本自然保護協会」が3日に東京都内で開いたシンポジウムでは、専門家から「海辺を利用してきた沿岸部住民で本音で賛成している人はいないだろう」「(住民が声を上げられない以上)外から声を上げるしかないのでは」などの意見が出た。同協会は4日、慎重な防潮堤復旧を求める意見書を安倍晋三首相らに提出した。
 海と陸の境目にコンクリートの巨大な壁を打ち立てて、本当にふるさとは再生するのか。何かゆがんだ発想がこの国を覆おうとしていないか。http://mainichi.jp/feature/news/20130206dde012040022000c.html

つまり、宮城県においては、津波被災地にこれまで以上の高さの防潮堤を建設することを強制しており、その計画について、漁業や観光で生きてきた地域住民たちが困惑しているというのである。生業にも差し支え、自然破壊にもなるということである。また、高い防潮堤は、近づいてくる津波がみえなくなる恐れがあり、かえって危険ではないかという声もある。しかし、国土強靭化法案をひっさげた安倍自民党政権の誕生によって、防潮堤拡充の動きが加速しているのではないかとも、この記事では懸念している。

さらに、3月7日付毎日新聞夕刊において、次のような続報が掲載されている。

特集ワイド:巨大防潮堤に海が奪われる 宮城・気仙沼で住民が計画見直し要請
毎日新聞 2013年03月07日 東京夕刊

 ◇セットバック案に制度の壁 東日本大震災級は防げず

 万里の長城のような巨大防潮堤が東日本大震災の被災地に築かれようとしている。本欄(2月6日付)で「巨大防潮堤に、本音は反対」という地元の声を紹介したところ、多くの反響が寄せられた。防潮堤計画の何がそんなに問題なのか? 続報をお届けしたい。【浦松丈二】

 「私たちは豊かな自然を後世まで残すため、防潮堤建設に当たっては住民の意見を反映するよう1324名の署名を添えて要請致します」
 宮城県気仙沼市の菅原茂市長に、巨大防潮堤計画見直しの要請書と署名が提出されたのは昨年11月12日だった。1324人は、同市大谷地区の人口の半数近い。
 宮城県内で防潮堤計画見直しを求める大規模な署名が提出されたのは初めてだ。避難が難しいお年寄りや障害者には高い防潮堤を必要とする人もいる。同じ被災者でも世代や職業、被災体験などによって意見は異なる。何より防潮堤計画が決まらないと復興計画が動かない地域が多く、反対の声を上げにくい−−それでもなお、コンクリートの壁で海を覆う計画に違和感を感じる人は多いのだ。
 問題の計画は、宮城県有数の海水浴場である大谷海水浴場一帯に高さ9・8メートル、全長約1キロのコンクリート製防潮堤を建設するもの。巨大なのは高さだけではない。津波で倒されないために土台の幅は実に45メートルもある。海水浴場の砂浜を覆い尽くして海までせり出す構造だ。
 大谷地区で生まれ育ち、署名集めの中心となったNGO職員、三浦友幸さん(32)は「防潮堤で消える砂浜は大谷地区のアイデンティティーそのもの。ここで生まれた子どもたちは卒業式、成人式などの節目節目に砂浜に集まって記念撮影をしてきた。砂浜がなくなるのは嫌だ。この一点に絞ることで住民の合意が形成できたのです」と説明する。
 要請書を受け取った菅原市長は「現在の計画では砂浜は残らない。署名のような地域住民の意向が分かるものがあると大変ありがたい。強い説得材料になります」と述べ、住民の意見を尊重して県や林野庁などに砂浜を残すよう働きかけると約束した。
 住民が要請し、市側が同意したのは防潮堤の建設予定地を砂浜から陸側に後退させる「セットバック案」だ。防潮堤を海から離せば離すほど砂浜が守られる。津波や高潮の脅威は衰え、海抜も上がるため、構造物を低くして建設・維持費用を安くできる。
 だが、いいことずくめに思えるセットバック案を実行しようとすると、制度の壁が立ちはだかるのだ。
 防潮堤に関するルールは海岸法に定められている。防潮堤を建設できる位置は、原則的に海岸線から陸側50メートルと海側50メートルの間の海岸保全区域だけ。これ以上陸側に移動するには県知事の指定など複雑な手続きが必要になる。防潮堤をセットバックしようとすると国道45号やJR気仙沼線も陸側に移動させないといけなくなる。
 気仙沼市は大谷地区住民の要請を受け、3通りのセットバック案を作成中だ。難しい作業を部下に指示した菅原市長だが「防潮堤の高さは安全度そのもの」と高さの変更は退ける。県も同じ姿勢だ。
 防潮堤は、国が方針を決め、県知事が計画を策定し、県や市町村などの海岸管理者が設計することになっている。今回の防潮堤の高さを決める方法は、2011年7月8日に国土交通省など関連省庁課長名で出された通知で示された。「数十年から百数十年に1度程度」の津波を防ぐ高さにする内容だ。
 不思議なことに通知は、東日本大震災級の津波は「最大クラス」の例外として防潮堤で防げなくてもいいことにしている。同年6月の中央防災会議専門調査会中間報告で示された専門家の見解を踏まえたという。震災で大谷地区の海岸には20メートル級の津波が押し寄せた。あの津波を防げない防潮堤に砂浜を覆われるのは釈然としない。
 県担当者が説明する。「今回計画されている防潮堤は明治三陸地震(1896年)の津波に対応したもの。災害復旧事業として費用の3分の2以上が国庫から出る。前の防潮堤が建設された1960年代は県の財政事情が悪く、チリ地震(1960年)にしか対応していなかったから今回は高くなった」
 国の補助金が出るから無理にでも通知に合わせて防潮堤の高さを決める、と聞こえる。

  ■

 では、巨大防潮堤の建設費用はいくらかかるのか。県河川課によると、県発注分の事業費だけで約3140億円。ほとんどが国からの補助金だ。港湾を管理する国交省や市町村の発注分を加えると、さらに増加する。無論別に維持補修費用もかかる。
 県内最高の14・7メートルの防潮堤が計画されている気仙沼市小泉地区でも不満がくすぶっている。「小泉地域の子どもたちに街づくりに関する絵を描いてもらったら、マリンスポーツ基地など海や砂浜を利用した内容が多かったそうです。防潮堤の絵を描く子はいなかった」(前出・三浦さん)
 すでに県発注の防潮堤275カ所、総延長163キロのうち、岩沼、石巻市など52カ所で着工されている。コンクリートの巨大な塊が姿を現しつつあるのだ。
 海辺の景観街づくりが専門の岡田智秀・日本大学理工学部准教授は「ハワイでは州法で決めたセットバックルールに基づき、防潮堤などの海岸構造物に極力依存しない街づくりを実施しています。目的は防災、景観、観光、環境の全て。全て密接に関連していますから」と語る。
 ハワイのルールとは、砂浜の自然観察を通じて高波などの最高到達ラインを調査し、住宅などの建造物は10〜15メートルの標準距離をセットバック(陸側に後退)させる。さらに砂浜の自然浸食と建物の耐用年数を考慮して、追加的に後退させる。街づくりには海岸線との距離が常に考慮される。
 岡田さんは「日本の防災計画も日常の暮らしの豊かさと非常時の防護の両方を表裏一体にして考えていくべきです。人口減少時代を迎えて、地方都市ではコンパクトシティーと呼ばれる集約型の街づくりが注目されています。セットバックは時代の流れにも合致しているのではないでしょうか」と訴える。
 大震災から2年。津波にえぐられた被災地の海岸に、ようやく砂が戻りつつある。防潮堤の巨額予算の一部でも住民本位の街づくりに回すことはできないのか。
http://mainichi.jp/feature/news/20130307dde012040002000c.html

気仙沼市では、すでに地域住民によって昨年11月に堤防建設の見直しを求める要請書が提出され、気仙沼市長も、防潮堤をより陸側に建設するセットバック案を検討することになった。しかし、このセットバック案については、海岸に建設しなくてはならないとという制度の壁がたちはだかっていると、この記事は伝えている。さらに、防潮堤の高さの変更は、この記事が書かれた時点では気仙沼市も宮城県も認めていないのだ。

しかし、この防潮堤の高さがどのように決められたかをみると、一驚する。ここで、問題になっている気仙沼市大谷の防潮堤は、9.8mにすることが予定されている。しかし、東日本大震災の津波では、20m程度の津波が襲来したとされている。そもそも、この高さでは、東日本大震災クラスの津波は避けられないのだ。

この9.8mという高さは、実は、東日本大震災クラスの津波をさけるものではない。このクラスの津波は1000年に1度のものとして、防潮堤で防御することをあきらめ、総合的に防災するとしている。そして、100年に1度程度はくる津波から守ることを目標にしてそれぞれの地域の防潮堤の高さを決めている。この気仙沼市大谷の場合、1896年の明治三陸津波の高さ8.8mを基準として設定されたのである。

つまり、この程度の防潮堤では、想定されうるすべての津波から、地域を守り切ることはできないのである。にもかかわらず、住民生活の利便とは反し、さらに自然破壊にしかならないような防潮堤建設が、国の補助金をめあてにして、津波被災地で強行されようとされてきたのである。

すでに、気仙沼市西舞根のように、地域住民の要求によって、防潮堤建設計画を撤回させたところもある。また、2013年3月7日付河北新報では、宮城県も防潮堤の高さについて譲歩の姿勢をみせているようである。

防潮堤の高さ変更示唆 宮城・村井知事、方針転換か

 宮城県議会2月定例会は6日、予算特別委員会を開き、総括質疑を行った。東日本大震災で被災した海岸防潮堤の整備をめぐり、村井嘉浩知事は、県が設定した高さで住民合意が得られていない地区のうち、漁港や集落の背後地に高台がある場合は地勢を考慮し、高さの変更もあり得るとの認識を示した。
 気仙沼市の小鯖や鮪立(しびたち)など一部地区が対象になるとみられる。村井知事は「位置をよく考え、合意を得るため最大限に努力する」と述べ、住民との意見調整の中で弾力的な対応を認める方針を示唆した。
 これまで、沿岸部の一部地域から「県が示した計画高は高すぎる」との反発が出ていた。村井知事は「命を守ることが大前提だ」と、変更に応じない姿勢を示していた。
 近く決定する復興交付金の第5次配分額に関して、上仮屋尚総務部長は、約108億円を申請した県事業分に対し、「2倍の200億円程度が配分されるのではないか」との見通しを示した。
 県が導入を決めたドクターヘリについて、県は基地病院の選定や医師の確保など、稼働に向けた課題を検討する委員会を新設する考えを明らかにした。18日の県救急医療協議会に諮り、正式決定する。

2013年03月07日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130307t11025.htm

このことは、現在進行中のことで、予断を許さない。少しでも、地域住民の主体性を尊重し、防潮堤などの計画が進められることを私は望む。結局のところ、地域住民自体が、想定される津波被災と、地域における生活の実情を勘案しつつ、自主的に、防災計画をともなった形で地域の復旧計画を決めるべきなのだと思う。そして、このように、地域住民の生活を無視し、その合意をとらない形で、「復興」がすすめられていることが、津波被災地のかかえる問題の一つなのだと考えるのである。

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さて、今回は、2011年9〜10月にかけて、首都圏のホットスポットになってしまった柏市などの千葉県北西部地域における放射性物質による汚染の深刻さが露呈されていく過程をみていこう。このブログでもみたように、すでに、2011年5月頃までに柏市などの汚染状況については認識され、市民の声につきあげられながら、柏市・松戸市・野田市・流山市・我孫子市・鎌ヶ谷市の東葛六市は、千葉県と連携しつつ、独自の放射線量測定や、除染作業を行うようになっていた。

しかし、2011年9〜10月においては、柏市などの放射性物質による汚染の深刻さは、よりあきらかになった。文科省は、9月29日に、埼玉県・千葉県を対象にして9月8〜12日に実施された航空機(ヘリコプター)モニタリングの測定結果を公表した。ここで、千葉県の分を紹介しておこう。

まず、放射線量からみてみたい。千葉県の放射線量は、次のようなものである。

千葉県の放射線量

千葉県の放射線量

千葉県の多くの領域の放射線量は毎時0.2μSv以下で、年間1mSvに達するところは少ない。しかし、千葉県の北西部である、野田市・鎌ヶ谷市・松戸市・柏市・我孫子市・流山市の東葛六市は、野田市と鎌ヶ谷市を除くと、ほぼ全域が、毎時0.2〜0.5μSvの線量を示している。毎時0.23μSv未満でないと年間1mSvはクリアできない。これらの地域の多くが、年間1mSvをこえていると推定できる。福島県でいえば、だいたいいわき市と同程度の線量といえる。なお、浪江町や飯館村はもちろん、福島市・伊達市・二本松市・郡山市などでも、これより放射線量が高い地域が多い。

次に、放射性セシウム(セシウム134・セシウム137)の沈着量をみておこう。

千葉県における放射性セシウムの沈着量

千葉県における放射性セシウムの沈着量

これも、千葉県全体でいえば、放射性セシウムの沈着量はそれほど多くはない。しかし、千葉県北西部の東葛六市では、野田市を除けば、ほぼ全域が3万bq/㎡をこえている。特に、柏市・我孫子市・流山市の沈着量は高く、6万〜10万bq/㎡になっているのである。

チェルノブイリ事故の対応などを勘案して、この線量についてみておこう。柏市などの場合、航空機モニタリングの結果では、チェルノブイリ事故の際の強制避難や希望移住の対象になるほどの汚染ではないといえる。しかし、ほとんどが3万bq/㎡以上である。3万7千Bq/㎡以上であると、通常ならば放射線管理区域とされ、必要のない人の立ち入りは許されず、飲食も許されない。柏市などは、多くの地域が放射線管理区域並みの汚染になってしまったのである。

参考:チェルノブイリの区分

148万Bq/㎡~     (第1) 強制避難区域   直ちに強制避難、立ち入り禁止
55万Bq/㎡~     (第2) 一時移住区域   義務的移住区域
18万5千Bq/㎡~   (第3) 希望移住区域   移住の権利が認められる
3万7千Bq/㎡~    (第4) 放射線管理区域  不必要な被ばくを防止するために設けられる区域

このように、9月に公表された文科省の航空機モニタリングによる測定結果の公表は、柏市などの地域における深刻な汚染状況をあきらかにしたのである。

さらに、10月になると、福島県の警戒区域・計画的避難区域に匹敵するような高線量の汚染度を示す地域が柏市で発見された。朝日新聞朝刊2011年10月22日号の次の記事をみておこう。

柏の空き地、57.5マイクロシーベルト
 
 千葉県柏市は21日、同市根戸の空き地で、地面を30〜40センチ掘った地中で毎時57.5マイクロシーベルトの放射線量が測定されたと発表した。市は線量の高い範囲が局所的なことから、「福島第一原発事故の影響とは考えられない」としている。
 空き地は工業団地と住宅街に挟まれた市有地。半径1メートルの範囲で高い線量が測定された。10メートル離れた場所では、毎時0.3マイクロシーベルト以下だった。千葉県環境財団が採取した土などを分析して原因を調べる。
 線量が高いらしいとの話が住民の間で広まり、自治会の情報を受けて市が調査を始めた。
 市は現場を川砂などで覆い、半径3メートル以内を立ち入り禁止とした。

毎時57.5μSvとは、かなり高い線量である。これほどの高い線量は、福島県でもさほどなく、福島第一原発が所在している大熊町などで同程度の空間線量が記録されている。

そして、これが、市民が独自に測定した情報に基づいていることにも注目しておきたい。柏市の行政サイドが発見したわけではないのである。その上、最初、柏市は福島第一原発の影響であることを否定したことも忘れてはならない。

しかし、とにかく、柏市の行政サイドが調査、対策に乗り出した。また、文科省も専門家を派遣することになった。朝日新聞朝刊2011年10月23日号は、次のように伝えている

土から高濃度セシウム 柏の高線量地点 原発由来? 特徴類似

 千葉県柏市の市有地で毎時57.5マイクロシーベルトの高い空間放射線量が測定された問題で、市は22日、現場の地下30センチの土壌から27万6千ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。濃度の高さを重くみた文部科学省は、23日に現地に専門家らを派遣し、土壌の状態や周囲の状況、他にも高い線量の場所があるかどうかなどを調べる。
 文科省によると、今回採取された土壌中のセシウム134と137の比率は東京電力福島第一原発事故で汚染された土壌と似ているという。ただ、原発から大気中に放出されたセシウムが自然に降り積もったと考えるには濃度が高すぎることなどから、汚染土壌が外部から持ち込まれた可能性もあるとみている。
 市は21日、高い放射線量が確認された半径1メートル付近の地表部分と地表から30センチ下の2ヵ所の計3ヵ所から土を採取。30センチ下の土から27万6千ベクレルと19万2千ベクレル、地表の土から15万5300ベクレルを検出したという。
 市によると、現場は空き地で、十数年前まで市営住宅が立っていた。現在は、ときおり町内会がゲートボールなどのレクリエーションで利用しているという。
 柏市を含む千葉県北西部では放射線量が局所的に高いホットスポットが見つかっている。文科省の航空機調査では、柏市にはセシウム134と137の合計で1平方メートルあたり6万〜10万ベクレルの高い蓄積量の地域があることがわかっているが、今回検出された土壌は単純計算で、これより100倍以上高いという。
 市は現場を約50センチの厚さの土で覆い、防水シートをかぶせている。10メートル離れたところでは周辺地域とほぼ同じ毎時0.3マイクロシーベルトまで空間放射線量は下がっているという。

放射性セシウムが土壌1kgあたり27万6千bqあったというが、これは、非常に高い数値である。ほぼ、福島県では、大熊町や飯館村の土壌に匹敵する数値である。この量に65をかけると1㎡あたりの量がでるが、そうすると1794万bqとなる。航空機モニタリング調査では高くても10万bq以下とされているので、100倍どころの話ではないのである。チェルノブイリ事故の強制避難区域は148万bq以上とされているが、その数値すらも10倍以上こえているのである。

しかも、そういうところで、居住していたわけでないにせよ、町内会のゲートボールなども行われていた。今、この記事を読んでみるとかなり衝撃を受ける。ほとんど福島の警戒区域や計画的避難区域に匹敵するような高線量の場所が首都圏にも存在し、しかも、何の警告も受けないまま、人びとは生活していたのである

そして、文科省は、23日に調査し、「近くの破損した側溝から雨水が地中に浸透しているとみられる」「東京電力福島第一原発事故によって汚染された可能性が高い」(朝日新聞朝刊2011年10月24日号)と発表した。文科省によると、側溝がこわれ、そこから雨水が漏れ出し、半年以上かけて土壌中にセシウムが蓄積されたとしているのである。

たぶん、この説明は正しいのであろう。しかし、このような形で雨水が漏れ出し、放射性セシウムが蓄積しやすいところは、他にもあるかもしれないのである。

この、高濃度地点の発見は、行政サイドではなく、市民側の自主的な測定による通報の結果であった。私たちは、行政に依拠せず、自らを守らなくてはならないのである。もちろん、正確な測定や大規模な除染は、行政でなくてはできない。しかし、行政に対して、自己主張しなければ、行政自体は動かない。この、高濃度地点の発見は、その一例であるといえる。次回以降、機会をみて、自主的に放射能対策を実施した、この地域の常総生活協同組合の営為をみていきたいと思う。

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このブログで、以前、元社会党県議で原発反対運動に携わりながら、双葉町長に転身して原発誘致を強力に推進した岩本忠夫について何回か紹介した。この岩本が中心となり、社会党や労組、社青同などにより1972年に双葉地方原発反対同盟が結成された。この反対同盟は、岩本が運動から脱落した後も存続し、3.11を迎えた。

この反対同盟の代表である石丸小四郎へのインタビューである「福島原発震災と反原発運動の46年ー石丸小四郎さん(双葉地方原発反対同盟代表)に聞く」(2011年7月18日記録)が、『労働法律旬報』1754号(2011年)に掲載されている。石丸は、福島第二原発が立地する富岡町在住の元郵政労働者であり、全逓信労働組合の活動家であるとともに、岩本に誘われて原発反対運動にも従事し、以来福島県浜通り地域で反原発の声をあげてきた。

なお、このインタビューの全体については、次のところで読むことができる。

http://www.fair-labor.soc.hit-u.ac.jp/rh-junpo/111025.pdf

このインタビューは、原発震災による避難の状況を語ることがはじまり、さらに石丸が携わってきた反原発運動について詳細に語っている。それぞれ、別の機会で論じてみたいと思う。ここでは、原発が福島にきた時の状況と、彼のになってきた運動との関係を包括的に述べているところをみてみよう。

まず、石丸は、福島に原発が来ることによってもたらされた状況について、次のように語っている。
 
 

原発10基と火力5基、トータル3兆円ものプラント建設です。私の試算では、電源三法交付金が40年間で4000億円です。これらの原発マネーが7万6000人の地域に流れ込みます。街は急激に変貌を遂げる訳です。今まで貧しかった地域に飲み屋さんがばんばんできる。ガソリンスタンドの社長は原発長者のトップですね。旅館業、運送業、弁当屋さん。原発長者を輩出し、誰もが現金収入を得られるようになって、町全体が活況を呈します。飲み屋の旦那に一番景気が良かったのはいつ頃かと聞くと、富岡は80年頃だったと言っていました。こんなに儲けて良いのかと怖くなったと言います。後もどりはできない。麻薬で地域全体が気持ち良い状態でいました。

つまり、原発・火発のプラント建設と電源交付金によって、多くの資金が流れ込み、誰もが現金収入を得られる状況になったとしているのである。そして、地域の雰囲気としては「後もどりはできない。麻薬で地域全体が気持ち良い状態でいました」となったとしている。

その中での、反原発運動を行う苦労を、石丸は、このように表現している。

 

それに対して、原発反対のデモをやっても、勉強会を開催してもなかなか人が集まらなくなる。原発反対運動は荷物を積んで、坂道をブレーキのきいた自転車で漕いで上がっていく感じでした。重かった。この40年間ずっとそうだった。

それでも、原発が安全と地域の人びとも思っていたわけではない。しかし、危険な原発も「日常の風景」になってしまうのであった。

 

原発集中地帯で原発が安全だと思っている人はきわめて少ないです。ほとんどの人は、原発は危険だと思っている。ただそれが日常だと、毎日排気塔を見ていると当たり前の風景になります。勉強していないと、原子炉の中に1年間で広島型原発1000発分の放射能を内包しているのだ、ということはわからない。原発の恩恵だけは前面に出てくる。

この指摘は、極めて重要だと思う。「危険な原発」すら「日常の風景」になってしまうのだ。その一つの要因として、原発の危険性は勉強しないとわからないが、「原発の恩恵」だけは前面に出てくることをあげている。これは、たぶん、原発集中地帯だけの問題ではないだろう。

3.11以後、原発の危険性について、多くの人びとはやっと自分の問題として理解できたといえる。しかし、それは、それぞれの人びとが、原発事故の不安の中で、政府発表や推進派学者の意見を疑い、その内実について、それぞれが「勉強」を重ねた結果、理解したといえるのだ。結局、この「勉強」がなければ、経済的な利益があると喧伝される「原発」は、また日常の風景になってしまうだろう。

その上で、石丸は、反対運動と地域社会の微妙な関係について、次のように述べている。

 

私は少人数でも運動ができるように街宣車を買って、「これ以上原発はいらない」と10年前から宣伝して回っていますが、石をぶつけられたとか、やめろこのバカとか言われたことは一度もないです。住民のなかに、石丸のような人間もいなければいけないという考え方や、俺にはできないけれどお前はがんばってくれという声もあります。
 他方、地域の推進派にとって、原発に反対する人たちもいないと困る、原発反対派がいないと東京電力や国は出すものも出さなくなるので、反対派が力をつければ、自分たちに良いところがあると分析する人もいる。だからしたたかですよ。

石丸らの反対運動は、地域社会の隠れた声でもあったといえるのだ。そして、この地域の推進派にとって、原発反対派の存在は、国や東京電力から利益ーリターンを引き出す材料の一つにもなっていたといえるのである。

そして、「地域の推進派」の一人が、石丸が反原発運動を行う際の指導者であった、元双葉町長岩本忠夫であったのである。

このインタビューは、この後、岩本忠夫の評価について述べている。次回以降、紹介しておきたい。

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