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Posts Tagged ‘美浜原発’

さて、本ブログでは、「東日本大震災の歴史的位置」というテーマのもとで、度々福島原発の建設過程について検討し、それをもとに、昨年『戦後史のなかの福島原発ー開発政策と地域社会』(大月書店)という著書を上梓した。

本ブログでは、これから「福井県の人びとはなぜ原発建設に賛成/反対したのか」というテーマのもとに、福島県を凌駕する原発集中立地地帯である福井県の原発についてみていこうと考えている。私は、まず、福井県の原発の現状をみておきたい。周知のことだが、福井県の嶺南地方には日本原子力発電の敦賀原発(2基)、関西電力の美浜原発(3基)・大飯原発(4基)・高浜原発(4基)が立地している。都合13基となり、敦賀市にある高速増殖炉もんじゅなどを含めると、福島県以上(福島第一原発6基・福島第二原発4基)の原発集中立地地帯である。しかし、現状は、他の地域の原発同様、この地域の原発も2013年9月以降すべて停止している。次の福井新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

福井県内原発、初の発電量ゼロ 14年度実績、全13基停止で
 (2015年4月7日午後5時30分)

 福井県が発表した2014年度の県内原発の運転実績によると、総発電電力量は県内で最も古い日本原電敦賀原発1号機が運転を開始した1969年度以降で初めてゼロとなった。商業炉13基(合計出力1128・5万キロワット)の全基が停止しているため。

 2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、県内の商業炉は定期検査などで次々止まり、12年2月に全基が停止。同年7月に関西電力大飯3、4号機が国内で唯一再稼働したが、13年9月に13カ月間の営業運転を終え、再び全原発が停止した。

 再稼働に向け関電高浜1~4号機、大飯3、4号機、美浜3号機の計7基が原子力規制委員会に安全審査を申請している。高浜3、4号機は審査に事実上合格したが、残りの認可手続きなどがあり再稼働時期は見通せていない。

 輸送実績はウラン新燃料集合体が計140体、低レベル放射性廃棄物は8千体(200リットルドラム缶)、使用済み核燃料は大飯4号機の14体だった。

 安全協定に基づき連絡のあった異常事象は1件で、法律に基づく国への報告対象になった事象や、保安規定に基づく運転上の制限の逸脱はなかった。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpower/68306.html

この原発群のうち、もっとも古いのは敦賀原発1号機と美浜原発1号機で、ともに1970年に営業運転が開始された。特に敦賀原発1号機については、1970年に大阪で開催された万国博覧会に電力を供給したことでよく知られている。この両原発は、福島第一原発1号機(1971年営業運転開始)とともに、日本国内において軽水炉による原子力発電所とはもっとも古いものである。他方、その古さにより、この両原発は、美浜原発2号機(1972年営業運転開始)とともに廃炉にされることになった。次の福井新聞のネット配信記事をみていただきたい。

 

美浜と敦賀の原発3基廃炉決定 老朽化、福井県知事に報告
 (2015年3月17日午後0時05分)

 関西電力は17日、臨時取締役会を開き、運転開始後40年以上たち老朽化した美浜原発1、2号機(福井県美浜町)の廃炉を正式決定した。八木誠社長は福井県庁を訪れて西川一誠知事と面談し、2基の廃炉方針を報告した。日本原子力発電も同日、敦賀原発1号機(同県敦賀市)の廃炉を決定。午後に浜田康男社長らが福井県と敦賀市を訪れ、方針を説明する。

 東京電力福島第1原発事故後、原発の運転期間を原則40年とする規定に従って、電力会社が廃炉を決めるのは初めて。古い原発の選別を進めることで政府は安全重視の姿勢を強調する一方、一定程度の原発は今後も活用していく方針だ。日本の原発行政は、大きな転換点を迎えることになる。

 関電は一方、運転開始から40年前後たった美浜3号機と高浜原発1、2号機(福井県高浜町)について、17日午後、再稼働に向けて原子力規制委員会に新規制基準の適合性審査の申請をする。

 八木社長は美浜廃炉について西川知事に「将来の(電力)供給力などを総合的に勘案した結果、廃炉を決定した」と説明した。

 関電は美浜原発2基に関し、40年を超えて運転できるか検討していた。だが、出力がそれぞれ34万キロワット、50万キロワットと比較的小さいため運転を続ける場合に必要な安全対策の工事費用などを回収できない可能性が高く、廃炉決定に傾いたとみられる。

 関電は福井県に対し、廃炉工事に当たって地元企業を積極的に活用することや、使用済み核燃料の福井県外への搬出に最大限努力することなどを報告した。

 老朽原発をめぐっては、中国電力と九州電力も、島根原発1号機(島根県)と玄海原発1号機(佐賀県)の廃炉を、それぞれ18日に開く取締役会で決める見通し。関電と日本原電を含む4社は19日に経済産業省に報告する方向で調整している。

 関電と日本原電は当初18日に取締役会を開いて廃炉を決定する運びだったが、地元自治体などとの日程調整を経て1日前倒ししたもようだ。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/66497.html

なお、日本原子力発電の敦賀原発2号機についても、活断層の直上に建設されていたとされ、廃炉がとりざたされている。次の毎日新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

敦賀原発:2号機直下「活断層」 原電、再稼働厳しく
 毎日新聞 2015年03月25日 22時34分

 日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県)、東北電力東通原発1号機(青森県)の敷地内断層について、原子力規制委員会の有識者調査団は25日、いずれも「将来活動する可能性がある」として新規制基準で定める活断層と認める報告書を規制委に提出した。規制委は今後、原発の再稼働に必要な安全審査で、この報告書を「重要な知見の一つ」と位置付け、活断層かどうかを判断する。両社は廃炉や大規模な改修工事などの重大な決断を迫られる公算が大きい。

 報告書は、敦賀2号機の原子炉建屋直下を通る断層と、東通1号機の原子炉建屋から最短200メートルにある2本の断層を活断層と認定した。新規制基準では、活断層の真上に原子炉などの重要施設を造ることは許されない。

 原電は報告書について「重大かつ明白に信義則、適正手続きに反し、無効」と反論し、敦賀2号機の安全審査を申請する方針。審査で敦賀2号機直下の断層が活断層だと判断されれば、廃炉に追い込まれる公算が大きいが、原電は訴訟も辞さない姿勢を見せている。

 東通1号機については、昨年12月にまとめた報告書案では「活動性を否定できない」との表現だったが、外部専門家からの意見聴取などを経て、一歩踏み込んだ。原子炉冷却用の海水取水路の直下にある別の断層については判断を保留した。東北電は既に審査を申請しており、規制委は近く審査を本格化させる。判断を保留した断層についても規制委の田中俊一委員長は「審査の大きなテーマになる」と述べた。合格には大幅な耐震補強や取水路の付け替えなどが必要になる可能性がある。【酒造唯】
http://mainichi.jp/select/news/20150326k0000m040142000c.html

関西電力は、前掲新聞記事のように、高浜原発1−4号機、大飯原発1−4号機、美浜原発3号機の再稼働をめざし、原子力規制委員会の安全審査を申請していた。そして、高浜原発3・4号機については、原子力規制委員会の安全審査を事実上パスし、地元への同意を求める手続きに入っていた。次の中日新聞のネット配信記事をみてほしい。

 

2015年3月20日 夕刊

 高浜再稼働に町議会が同意

 関西電力が十一月の再稼働を想定している高浜原発3、4号機(福井県高浜町)をめぐり、高浜町議会は二十日、全員協議会で再稼働に同意した。議会の判断を受け、野瀬豊町長は四月以降、町として再稼働への同意を表明する方針。町議会の同意で、再稼働に必要な「地元同意」手続きの最初の関門を通った形だ。

 全員協議会には全町議十四人が出席。的場輝夫議長によると、「安全対策が不十分」などの反対意見は一人だけで、再稼働同意を議会の意思として取りまとめた。同意文書を手渡された野瀬町長は「3・11以降の議論を積み重ねた議会の判断であり、大きな判断要素として承る」と応じた。

 再稼働で先行する九州電力川内原発(鹿児島県)の地元説明会が混乱したことを踏まえ、同町では説明会の代わりに町内ケーブルテレビで安全審査の解説ビデオ(原子力規制庁制作)を放映するにとどめた。的場議長は、事前に議会の同意条件として挙げていた町民の意見集約ができたと考える根拠を報道陣から問われ「ビデオへの反応は鈍かったが、議員の日々の活動の中で町民と接して、原発の安全対策について、町民は理解していると判断した」と答えた。

 野瀬町長も取材に「他府県との広域避難計画の調整や、原子力政策や避難計画に関する町民向けの説明会の日程の調整が必要」とした上で、県知事・県議選の投開票日(四月十二日)以降に町として同意を表明する考えを示した。

 高浜3、4号機をめぐっては、原子力規制委員会が二月、新規制基準に「適合」と判断した。

 野瀬町長が同意を表明すると、地元同意の手続きは、福井県議会と西川知事の判断に移る。
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2015032002000257.html

このような原発再稼働の動きにストップをかけたのが、福井地裁の司法判断である。2014年5月21日、福井地裁は大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を出した。福井新聞の次のネット配信記事をみてほしい。

 

大飯原発の運転差し止め命じる 福井地裁が判決
 (2014年5月21日午後3時15分)

 安全性が保証されないまま関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決言い渡しが21日、福井地裁であり、樋口英明裁判長は関電側に運転差し止めを命じた。

 全国の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした2003年1月の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決(いずれも上級審で住民側の敗訴が確定)に続き3例目。

 大飯3、4号機は昨年9月に定期検査のため運転を停止。関電は再稼働に向け原子力規制委員会に審査を申請し、新規制基準に基づく審査が続いている。

 審理では、関電が想定した「基準地震動」(耐震設計の目安となる地震の揺れ)より大きい地震が発生する可能性や、外部電源が喪失するなど過酷事故に至ったときに放射能漏れが生じないかなどが争点となった。

 大飯原発3、4号機をめぐっては、近畿の住民らが再稼働させないよう求めた仮処分の申し立てで、大阪高裁が9日、「原子力規制委員会の結論より前に、裁判所が稼働を差し止める判断を出すのは相当ではない」などとして却下していた。

 脱原発弁護団全国連絡会(事務局・東京)などによると2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、全国で住民側が提訴した原発の運転差し止め訴訟は少なくとも16件あり、福井訴訟が事故後初めての判決となった。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/50555.html

さらに、2015年4月14日、福井地裁は、原子力規制委員会の安全基準を批判しつつ、高浜原発3・4号機の再稼働を認めない仮処分決定を下した。NHKの次のネット配信記事をみてほしい。

高浜原発 再稼働認めない仮処分決定
4月14日 14時04分

福井県にある高浜原子力発電所の3号機と4号機について、福井地方裁判所は「国の新しい規制基準は緩やかすぎて原発の安全性は確保されていない」という判断を示し、関西電力に再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
異議申し立てなどによって改めて審理が行われ決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなりました。
関西電力は異議を申し立てる方針です。
福井県高浜町にある関西電力の高浜原発3号機と4号機について、福井県などの住民9人は、安全性に問題があるとして福井地方裁判所に仮処分を申し立て、再稼働させないよう求めました。これに対して、関西電力は、福島の原発事故も踏まえて対策をとったと反論しました。
福井地方裁判所の樋口英明裁判長は、関西電力に対して高浜原発3号機と4号機の再稼働を認めない仮処分の決定を出しました。
決定では「10年足らずの間に各地の原発で5回にわたって想定される最大の揺れの強さを示す『基準地震動』をさらに超える地震が起きたのに、高浜原発では起きないというのは楽観的な見通しにすぎない」と指摘しました。
そして原子力規制委員会の新しい規制基準について触れ、「『基準地震動』を見直して耐震工事をすることや、使用済み核燃料プールなどの耐震性を引き上げることなどの対策をとらなければ、高浜原発3号機と4号機のぜい弱性は解消できない。それなのに、これらの点をいずれも規制の対象としておらず、合理性がない」という判断を示しました。
そのうえで、「深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないと言えるような厳格な基準にすべきだが、新しい規制基準は緩やかすぎて高浜原発の安全性は確保されていない」と結論づけました。
今回の仮処分はすぐに効力が生じるもので、関西電力の異議申し立てなどによって改めて審理が行われ、決定が覆らなければ、高浜原発は再稼働できなくなりました。
異議申し立てなどによる審理は福井地裁で行われ、決定が覆れば、仮処分の効力は失われます。
福島の原発事故後に起こされた裁判では、14日の決定と同じ樋口英明裁判長が去年、大飯原子力発電所3号機と4号機の再稼働を認めない判決を言い渡し、現在、名古屋高等裁判所金沢支部で審理が行われています。

 仮処分手続きと決定の効力
仮処分の手続きは、正式な裁判をしていると時間がかかって間に合わない、緊急の場合などに使われるもので、今回の仮処分の決定は直ちに効力が生じます。
決定の是非については異議申し立てなどによる審理で最高裁判所まで争うことができ、その過程で取り消されなければ決定の効力は続きます。逆に決定が覆れば仮処分の効力は失われます。
ただ、仮処分はあくまで正式な裁判が行われるまでの暫定的な措置で、再稼働を認めるべきかどうかについて正式な裁判が起こされれば、改めて司法の判断が示されることになります。
住民側代表「脱原発へ歴史的な一歩」
仮処分の決定のあと、住民側の代表が記者会見を開きました。
このなかで住民側の弁護団の共同代表を務める河合弘之弁護士は、「司法が原発の再稼働を止めたきょうという日は、日本の脱原発を前進させる歴史的な一歩であるとともに司法の歴史でも、住民の人格権、ひいては子どもの未来を守るという司法の本懐を果たした輝かしい日であり、大きな喜びとともに大きな責任を感じている」と述べました。
そのうえで、「この決定は、国の新規制基準の不備を厳しく指摘し、その無効性を明らかにしたもので、これを機に日本中の原発を廃炉に追い込まねばならない」と述べました。
関電「速やかに異議申し立てを検討したい」
14日の決定について関西電力側の弁護士は「会社の主張を裁判所に理解してもらえず、まことに遺憾で、到底承服できない。決定内容を精査したうえ、準備ができ次第、速やかに異議の申し立てと執行停止の申し立ての検討をしたい」と述べました。
そのうえで「会社としては十分な安全性を確保しているとして科学的・専門的・技術的な知見に基づいて十分な主張・立証をしているつもりなので、引き続き、裁判所に理解を求めたい」と話しました。

 高浜町長「再稼働の同意は現在の規制基準で判断」
高浜原子力発電所がある福井県高浜町の野瀬豊町長は、「司法の判断は重いが、関西電力から求められている再稼働の同意の判断にあたっては、現在の規制基準で安全が十分なのかという点で判断していく。行政としての手続きは進めていきたい」と述べ、今回の決定が同意の判断には大きく影響しないという考えを示しました。
そのうえで、「住民は困惑すると思うので、エネルギー政策を決める国が覚悟を持った姿勢を改めて示してほしい」と話していました。

 地震の専門家「誤った理解」
地震による揺れの予測について詳しい日本地震学会の元会長で、京都大学名誉教授の入倉孝次郎さんは「原発の基準地震動は地震の平均像ではなく、個別の敷地の不確かさも考慮して設定されており、決定で『実績や理論の面で信頼性を失っている』としているのは誤った理解だ。一方で、決定の中で原発に外部から電力を供給する送電線なども安全上重要であり、ふさわしい耐震性が求められると指摘しているのはそのとおりだと思う」と話しました。
そのうえで、「原発の安全性を検討するには地震の揺れだけでなく福島で見られたような津波による被害や火山、人為ミスなどさまざまな面を総合的に考慮する必要があるが、今回の決定ではこうした点については科学的な見地で正確な分析がされていない」と話しています。

 官房長官「再稼働の方針変わらない」
菅官房長官は午後の記者会見で、「独立した原子力規制委員会が十分に時間をかけて世界で最も厳しいと言われる新基準に適合するかどうかという判断をしたものであり、政府としてはそれを尊重して再稼働を進めていくという方針は変わらない」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は「国は本件の当事者ではなく、あくまで仮処分であり、当事者である事業者の今後の対応を国としては注視していきたい」と述べました。
また、菅官房長官は、記者団が「ほかの原子力発電所の再稼働やエネルギー政策への影響はないか」と質問したのに対し、「そこはないと思う。そこは『粛々と』進めていきたい。法令に基づいてということだ」と述べました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150414/k10010047951000.html

福井県の原発の現状をネット配信記事からみたものだが、古いもしくは問題のある原発の廃炉という方針が打ち出されるとともに、関西電力・国・立地自治体は原発再稼働をめざしており、他方でその阻止をめざして裁判が行われているなど、複雑な動きがみられる。原則的には建設後40年を経過した原発は廃炉となることになっている。20年の運転延長は認められているが、追加の安全対策なども必要となっており、敦賀原発1号機や美浜原発1・2号機は廃炉が決定された。一方、より新しい原発である高浜原発3・4号機は、原子力規制委員会の安全審査も事実上パスし、スムーズに再稼働されるだろうと関西電力や国などは想定していたが、福井地裁の仮処分決定でストップがかけられた形となった。これが、2015年4月時点の福井県の原発の現状なのである。。

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1960年代、福島原発建設と同時期に、福井においても原発建設が進められていた。福井が公式に原発建設の候補地となったのは1962年で、初めは福井県嶺北地方の坂井郡川西町(現福井市)の三里浜地区が候補になったが、岩盤が脆弱なために放棄され、嶺南地方の敦賀半島に所在する、敦賀市浦底地区と美浜町丹生地区が原発建設の候補地となった。結局、前者に日本原子力発電株式会社敦賀発電所、後者に関西電力美浜発電所が建設され、双方とも1号機は1970年に営業運転が開始されている。この二つの原発は、福井県への原発集中立地のさきがけとなり、敦賀原発自体が二つ、美浜原発自体が三つの原子炉を有するとともに、近接して実験炉のふげん(廃炉作業中)、もんじゅが建設されることになった。さらに、若狭地方には、それぞれ四つの原子炉を有する高浜原発と大飯原発が建設され、福島を凌駕する日本最多の原発集中立地がなされることになった。

福井の場合、福島と違って、1960年代初めから、原発建設に対する懸念が強かった。福井県の労働組合やそれを基盤とする社会党・共産党の県議・市議たちは、原子力の平和利用ということは認めつつ、具体的な原発建設についてはさまざまな懸念の声をあげていた。また、地元においても、美浜町丹生などでは比較的反対する声が強かった。

他方、思いもかけない方面で懸念の声があがっていた。懸念の意を表明したのは、昭和天皇である。このことを報道した福井新聞朝刊1966年10月14日付の記事をここであげておこう。

原電、西谷災害など 北知事、陛下にご説明

町村北海道知事ら十二道府県知事は、十三日午前十時半から、皇居で天皇陛下に各県の情勢などを説明した。これは数年前から恒例の行事になっているもので、陛下を中心に丸く輪になってすわった各知事が、五分間ずつ各地の現状と最近のおおきなできごとを話した。陛下は北海道、東北地方などの冷害や台風被害などにつき質問されていた。
正午からは陛下とともに仮宮殿の別室で昼食をとった。
北知事の話 電源開発と昨年秋の集中豪雨禍で離村する西谷村の現状について申しあげた。電源開発計画は、九頭竜川上流に四十三年六月を目標に三十二万二千キロの水力発電が完成するほか、原子力発電は現在敦賀半島で六十七万キロの開発が進んでおり、このほかの計画も合わせると数年後には百二十万キロ以上の発電能力を持つ全国屈指の電力供給県になるとご説明した。陛下からは非常によい計画だが、これによって地盤変動などの心配はないかとのご質問があったが、じゅうぶん考慮しており大じょうぶですとお答えした。
また昨年九月の集中豪雨で大きな被害を出した西谷村について、防災ダム建設などもあって全村離村する計画をお話ししたが、これについてはご下問はなかったが、ご心配の様子がうかがえた。
(福井新聞朝刊1966年10月14日付)

「北知事」とされているのは、原発誘致を積極的にすすめた当時の北栄造福井県知事のことである。かいつまんでいうと、北知事は、当時の福井県で進められていた水力発電所と原発建設を中心とする電源開発について説明したのだが、その際、昭和天皇から「非常によい計画だが、これによって地盤変動などの心配はないか」と質問され、北知事は「じゅうぶん考慮しており大じょうぶです」と答えたということなのである。

ここで、昭和天皇は、福井県の電源開発について「地盤変動などの心配はないか」と懸念を表明している。あげられている文章からでは、水力発電を含めた電源開発全体についてなのか、原発に特化したものなのか判然としないのだが、「地盤変動」をあげていることから原発のことなのだろうと推測できる。

このように考えてみると、原発開発の創設期である1960年代において、昭和天皇は、原発について「地盤変動」ー具体的には地震などを想定できるのだがーを「心配」していたとみることができよう。

原発が建設される地元の人びとや、さらに昭和天皇ですら表明していた原発に対する「懸念」に、国も県も電力会社も正面から答えることはなかった。結果的に福井県の原発はいまだ大事故を起していない。しかし、それは、「地盤変動」が原因でおきた福島第一原発事故をみて理解できるように、「たまたま」のことでしかないのである。

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これまで、このブログでは、原発災害のリスクについては、一般的には「安全神話」という形で糊塗しつつ、立地地域において雇用や電源交付金というリターンとバーターすることがはかられてきたと述べてきた。

福島第一原発事故は、結局、原発災害のリスクに見合う、リターンなど存在しないことを示した。そして、原発災害の被災地はリターンが得られた立地地域をこえ、さらに、電力供給がされた電力会社管内すらこえて、近隣諸国にまで及んでいる。

その意味で、これまでのような原発立地を正当化する論理は通用しなくなっているといえる。滋賀県の嘉田知事が、立地自治体・立地県のみが原発稼働に対する発言権を有する現状の枠組みを批判し、「被害地元」という考えを示したことは一つの現れであるといえる。

どのように正当化の論理を再構築するか、そのことが、政府・電力会社・学界・立地自治体などの、いわゆる「原子力ムラ」において課題となっていた。2012年6月8日の大飯原発再稼働問題に対する野田首相の記者会見は、論理的には自己矛盾をきたしているものの、「原子力ムラ」がどのように原発を正当化する方向性を示したものといえる。前回・前々回のブログでみてきたが、もう一度、原発の正当化する方向性はどのようなものなのかをみておこう。

まず、記者会見の中で、野田は「国民生活を守る。それがこの国論を二分している問題に対して、私がよって立つ、唯一絶対の判断の基軸であります。それは国として果たさなければならない最大の責務であると信じています。」と述べる。「国民生活を守る」ということを基準にしていることに注目してみよう。つまりは、国民生活を脅かすリスクから守るということが、彼の判断基準なのだと主張しているのである。つまり、ここでは、リターンなど問題ではない。「リスク」だけが問題なのである。

その上で、国民生活の安全を守る上での第一の問題として、原発の安全性を提起している。そして、野田は、福島第一原発事故による知見はいかされており、同等の地震・津波が襲来しても、炉心損傷は起きないことが確認されているという。つまり、現状において原発は安全であるとしているのである。これは、ある意味で「安全神話」を引き継ぐものということができる。過去の「安全神話」とは、別に安全対策が完備したから安全というではなく、設置側が「安全」を宣言したというにすぎなかった。それを継承することがまずなされている。

しかし、それならば、新たに原子力規制庁を立ち上げ、安全基準を作り直す必要はない。そこで、野田は、「こうした意味では、実質的に安全は確保されているものの、政府の安全判断の基準は暫定的なものであり、新たな体制が発足した時点で安全規制を見直していくこととなります。」としている。現状の「安全」は暫定的なものでしかないのである。いくら野田でも、「原発の安全性」を絶対的に保障はできないのである。

それを、より明確に主張しているのが、西川福井県知事である。6月5日、次の記事を読売新聞がネット配信している

「福井に安全神話ない」…西川知事、原発相らに

 関西電力大飯原子力発電所の再稼働を巡り、細野原発相が4日、福井県に地元同意を要請したが、西川一誠知事は首を縦に振らなかった。夏の電力不足が迫る中、地元同意に向けた手続きはいつ動き出すのか。カギは西川知事が握る。

 「福井に安全神話はないんです」。西川知事は4日、会談で細野原発相らに語りかけた。全国最多の14基を抱える原発立地県としてリスクを負ってきたとの思いがにじむ。

 旧自治省官僚から副知事に就任した1995年、同県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故が発生。知事当選翌年の2004年には同県美浜町の美浜原発事故で5人が死亡した。今回、再稼働への手続きに位置付けられた県原子力安全専門委員会は、西川知事が設置したものだ。

 会談では、消費電力の半分を福井に頼る関西への不満も口にした。関西広域連合が5月30日に出した「再稼働容認」声明に対し、「そもそも、消費地である関西は『容認』とおっしゃる立場にはない」と、厳しい口調で言い切った。

 電源三法に基づき、国が同県や県内の原発立地自治体などに投じた交付金は1974~2010年度までに計約3461億円。地域の経済、雇用は原発に依存する。県内の企業経営者は「福井と原発は切り離して考えられない」と話す。

 会談で西川知事は、「日本経済のために原発が重要で、再稼働が必要だということを、首相が直接、国民に訴える対応がなされれば、(再稼働同意に向けた)解決を進めたい」と述べ、再稼働に向けた条件を示した。「40年後の原発依存度ゼロに向けて動いている」(枝野経済産業相)との脱原発論がくすぶる政権に覚悟を迫った格好だ。

 会談後の記者会見で、西川知事は語調を強めた。

 「(ボールは)国にあります」

(2012年6月5日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120605-OYO1T00222.htm

これは、重要な発言である。西川知事は「安全神話」を否定する形で、原発のリスクを指摘したことになる。その意味で、原発は、西川にとっても「安全」なものではない。野田首相が「暫定的な安全」というあいまいな言い方をしたのと比べると、より明解である。

それでは、どのように原発の正当性を主張するのか。また、野田首相の記者会見にもどってみよう。野田は、こういうのだ。

国民生活を守ることの第2の意味、それは計画停電や電力料金の大幅な高騰といった日常生活への悪影響をできるだけ避けるということであります。豊かで人間らしい暮らしを送るために、安価で安定した電気の存在は欠かせません。これまで、全体の約3割の電力供給を担ってきた原子力発電を今、止めてしまっては、あるいは止めたままであっては、日本の社会は立ち行きません。

確かに、日本社会は原発からの電力供給というリターンに依存してきたといえる。このことを逆手にとって、このリターンが絶たれることが、「国民生活を守る」上でのリスクだと野田はいうのである。原発供給電力というリターンを、リスクとして、この場所では表現しているのだ。このリスクは、夏期の計画停電に始まる人命・雇用・需要の喪失にはじまり、長期的にいえば、電力価格高騰における家計・企業経営への悪影響、さらに石油資源を中東に依存することへのエネルギー安全保障上の問題にまで及ぶ。これらを「国民生活を守る」上でのリスクとしてとらえているのである。

原発災害へのリスクに電力供給危機へのリスクを対置する、そのことによって、原発災害リスクへの懸念の増大を電力供給危機への危機に置き換える、そのような戦略が目指されているといえる。

そして、原発災害のリスクを甘受しつつ、電力危機のリスクに立ち向かう立地地域の人びとは、野田においては賞賛されるのである。

そして、私たちは大都市における豊かで人間らしい暮らしを電力供給地に頼って実現をしてまいりました。関西を支えてきたのが福井県であり、おおい町であります。これら立地自治体はこれまで40年以上にわたり原子力発電と向き合い、電力消費地に電力の供給を続けてこられました。私たちは立地自治体への敬意と感謝の念を新たにしなければなりません。

「大都市における豊かで人間らしい暮らし」とは、大都市住民でもない人びと、大都市でも豊かな生活をしていない人びとにとっては、絵空ごとであるが、しかし、野田の国民とは、そのような人びとを排除している。いわば、既得権を得ている人びとでしかなかろう。この既得権ーつまりはリターンーを得ている人びとを守るために、原発リスクを甘受している人びとこそが「敬意と感謝」の対象となるのである。

このような意識は、より立地地域の首長によって強く語られる。おおい町長は、4日に「住民の間からも、今までにない不満が出ている。立地自治体として40年間、大きなリスクを抱えながら今日に至っているのに、何の理解もない」(産經新聞5日ネット配信)と述べている。

最終的に野田は、このように述べる。

再起動させないことによって、生活の安心が脅かされることがあってはならないと思います。国民の生活を守るための今回の判断に、何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。

再稼働させないことは、国民の生活の安心を脅かすということなのである。つまりは、再稼働反対派は、国民の生活の安心を脅かす存在なのである。

そのことを露骨に語っているのが、原発をかかえている美浜町議会である。やや前のことになるが、美浜町議会の動向について、産經新聞は次の記事を5月22日にネット配信している。

計画停電の検討、関電に要望 美浜町議会原特委 福井
2012.5.22 02:08
 
■電気のありがたさ知らせる

 関西電力美浜原子力発電所(美浜町)の再稼働について、美浜町議会原子力特別委員会は21日、経済産業省原子力安全・保安院と関西電力から、安全基準と緊急安全対策について説明を受けた。

 関電は昨年12月、美浜原発3号機のストレステスト(耐性検査)1次評価を提出し、保安院の審査待ち。同2号機は昨年7月、高経年化技術評価を提出し、今年7月には運転40年を迎える。同1、2号機は改正規制法案の制定待ちとなっている。

 この日の原特委では、山口治太郎町長や議員10人が出席。関電の説明後、議員が「今年の夏を乗り越えれば、原子力発電所がなくてもやっていけると思われがちだ」と指摘。「大阪など関西は電気があって当たり前だと思っている。関西に電気のありがたさを知らせるため、計画停電を最重要課題にすべきだ」と要請。

 関電美浜発電所の片岡秀郎所長は「供給の努力を怠ってはいけないが、化石燃料の増強が電気料金の値上げに繋がることなどを理解してもらわなければならない」と応えた。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120522/fki12052202080002-n1.htm

再稼働に反対する関西の人びとに電気のありがたさを知らせるため、計画停電を率先して行えと関西電力に要請したというのだ。野田の発言は、計画停電をさけるために再稼働せよというものだが、ここでは、反対派がいるような地域には電力供給しないことによって反省を促せと主張されているのだ。

野田の記者会見は、福井県側が求めたものである。それゆえ、たぶん従来から主張された安全神話の提起と、福井県などが主張する電力供給危機の問題が整合性がとれていない部分があり、野田の発言全体の自己矛盾の一因となっているといえる。しかし、福井県側においても、再稼働への同意の条件として、このようなことを国側が表明することになっていた。結局、原発のリスクを認めると、これまでのようにリターンを与えることによって同意を調達することは主軸にならないのである。国が「国民生活を守る」上でのリスクとして、原発よりの電力供給危機に対応することをあげ、それこそが「国策」だと措定することによって、「原発の安全性」というリスクを第二義的なものとし、無効化する。もちろん、電力供給上の危機といっても、一般的にも電力供給というリターンを失うということにすぎないし、現実には、電力会社・立地自治体などのリターンが失われることでしかない。しかし、それを、それこそ、「国民国家」的な「国民の生活」を守るための利益だと拡大し、現実的なリターンなしに、原発のリスクを甘受することが国家から訓示される。原発のリスクを甘受しつつ、国民の生活を守るために電力供給に協力した福井県の人びとは賞賛され、再稼働をさせないように主張した人びとは、国民の生活の安心を脅かすものとされるのだ。その意味で、原発災害のリスクが、電力供給上のリスク(実質は原発からのリターンが失われるということにほかならないが)によってバーターされることによって、原発が正当化されるといえるのである。

このことは、例えば、1974年の電源交付金制度設置においては、原発の安全性を主張しつつ、とりあえずリターンを与えることによって、原発の正当性を担保させるというやり方とは大きく異なるといえる。原発からの電力供給というリターンが絶たれるというリスクを強調される。原発は、電力会社や立地自治体に限らず、現存秩序の中で既得権を得ている人びとにとって、特別なリターンなしに喪失からのリスクから守らなくてはならないものの象徴となり、さらに「国民生活の安全」全体にとっても守るべきものなっていく。そして、それは、国家がー現実には野田首相がー、それこそが、原発の安全性をこえて守るべき国策として措定し、その国策に従うものを賞賛し、反対する者を国民生活を脅かす者とレッテル張りをすることになる。

このような形で、原発が正当化されていくことがめざされていると考えられる。このことによって、現実には、美浜二号機のような、老朽でよりリスクのある原発が再稼働されることになるだろう。つまり、安全性は二の次であり、電力供給を守ることが国策なのだから。他方で、国民生活上の危機なるものを原発に限らずあおり立て、何らのリターンもなしに、「国策」に従うことが強制されていくということが横行していくだろう。消費増税正当化の論理も、その一つであろう。そして、この状況こそが民主主義の危機である。

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福島第一原発事故を受けて、関西電力大飯原発3・4号機の再稼働問題がクローズアップされている。まず、福井県の原発の現況をウィキペディアや関西電力などのサイトに依拠して、ここで概観してみよう。

現在、福井県内にある原発は、高速増殖炉もんじゅも含めて、14基を数える。現在、福島第一原発1〜4号機が廃炉となり、もんじゅも含めれば51基(商業炉だけでいえば50基)の原発が存在しているが、基数でいえば全体の約27.4%にあたる。福島第一・第二原発が健在であった時期の福島県においても10基(現在は6基)にすぎない。全国で最も原発が集中して建設されているといえる。そして、これらの原発は、全て福井県の嶺南地方といわれる、敦賀・若狭地区に建設されている。

ここで、それぞれの原発についてみておこう。

敦賀発電所(日本原子力発電所株式会社 関西・北陸・中部電力に電力供給 敦賀市所在)
1号機 電気出力35.7万kw 営業運転開始1970年3月14日 定期点検2011年1月25日より
2号機 電気出力116万kw 営業運転開始1987年3月30日 定期点検2011年5月7日より(放射能漏洩調査あり)

もんじゅ(日本原子力開発機構 高速増殖原型炉 敦賀市所在)
もんじゅ 電気出力28万kw 運転開始1983年1月25日(事故・故障続出で運転実績が少ない)

美浜発電所(関西電力株式会社 美浜町所在)
1号機 電気出力34万kw 営業運転開始1970年11月28日 定期点検2010年11月24日より
2号機 電気出力50万kw 営業運転開始1972年7月25日 定期点検2011年12月18日より
3号機 電気出力82.6万kw 営業運転開始1976年3月15日 定期点検2011年5月14日より

高浜発電所(関西電力株式会社 高浜町所在)
1号機 電気出力82.6万kw 営業運転開始1974年11月14日 定期点検2011年1月10日より
2号機 電気出力82.6万kw 営業運転開始1975年11月14日 定期点検2011年11月25日より
3号機 電気出力87.0万kw 営業運転開始1985年1月17日 定期点検2012年2月20日より
4号機 電気出力87.0万kw 営業運転開始1985年6月5日 定期点検2011年2月20日より

大飯発電所(関西電力 おおい町所在)
1号機 電気出力117.5万kw 営業運転開始1979年3月27日 定期点検2010年12月10日より
2号機 電気出力117.5万kw 営業運転開始1979年12月5日 定期点検2011年12月16日より
3号機 電気出力118万kw 営業運転開始1991年12月18日 定期点検2011年3月18日より
4号機 電気出力118万kw 営業運転開始1993年2月2日 定期点検2011年7月22日より

事業者別でいえば、関西電力11基、日本原子力発電2基、日本原子力研究開発機構1基であり、関西電力の原発が突出して建設されている。日本原子力発電の敦賀発電所は、地元の北陸電力にも電力供給しているが、大部分は域外の関西電力圏内に供給されているといえよう。なお、原子炉形式は、敦賀発電所1号機が沸騰水型軽水炉、もんじゅが高速増殖炉であるが、それ以外はすべて加圧水型軽水炉である。

このように、福井県の原発について、自分なりにメモしてみると、興味深いことがわかる。関西電力の各原発は美浜、高浜、大飯の順で建設されていったといえるのだが、今回、ストレステストに合格したと称して再稼働が企てられている大飯3号機・4号機は、福井県の原発の中で、最も後に建てられた(1990年代前半に営業運転開始)ものであることがわかる。いわば、この地域にとっては、最新鋭の原発なのである。

このことは、各原発の定期点検に入った日からも裏付けられる。大飯原発3・4号機は、それぞれ2011年3月と7月に定期点検に入っているが、その前から定期点検に入った原発は、敦賀1号機(2011年1月)、美浜1号機(2010年11月)、高浜1号機(2011年1月)、大飯1号機(2010年12月)と、かなりある。これらが、ストレステスト実施後初の再稼働候補にならなかった理由は、端的にはこういえるだろう。これらは、大飯原発3・4号機よりもかなり古い原発なのである、敦賀1号機は現存の原発としては1番古いもので1970年運転開始であり、美浜1号機は次に古い原発で、これも1970年運転開始なのである。この二つの原発は、40年をこえている。高浜1号機も1974年運転開始である。また、大飯原発1号機も電気出力は、3・4号機とさほど変わらない117.5万kwなのだが、運転開始は1979年で、30年以上昔のものである。

30年以上たった原発は、最新鋭の原発と比較すると、よりリスクがあるとされている。そもそも、原発は、熱や放射線などをあび続けていると材質などがもろくなるとされている。また、特に初期型の原発は、アメリカのウェスティングハウス社やゼネラルエレクトリック社によって、いわばレディメイドな形で設計され、耐震性などは初期設計では考慮されなかったということもあり、そもそも、よりリスクがあるといえるのだ。電力会社などは、建設後60年まで運転できると称している。しかし、彼らも、より古い原発のほうがリスクが高まることは承知しているといえる。ゆえに、最新鋭で、たぶん故障も少ないと思われる大飯3・4号機を再稼働の候補としたといえる。

もちろん、この再稼働が実施されれば、それを前例にしてその後は古い原発も安全であるといいはると考えられる。しかし、この最新鋭の原発ですら、安全性の面では根本的な改善がみられず、世論が再稼働に反対するに至ったとは見ての通りである。そして、今後は、より古く、リスクがより大きいと関西電力すら認める原発が再稼働されていくことになってしまうと考えられるのである。

さて、このような現況をふまえて、機会をみて、どのように福井県地方に原発が建設されていくにいたったかを検討していきたいと考えている。

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さて、東海村に研究炉(日本原子力研究所)・商用炉(東海発電所)が設置されたが、それは被ばくのリスクを少しでも回避するために過疎地の沿海部に立地するためであった。しかし、逆に、茨城県や東海村は、この立地により、人口増を含む地域開発を望んでいた。

このことは、日本初の原発である東海発電所が営業運転を始める1966年開始)1960年代においても問題になっていた。そのことが、財界中心に結成された原子力開発・利用推進団体である日本原子力産業会議(現在日本原子力産業協会)が発行した『原子力開発十年史』(1965年)に記述されている。『原子力開発十年史』に依拠しながら、みておこう。

原発が立地している地域の整備については、1959年頃からすでに原子力施設地帯整備法案の策定という形で議論されていた。しかし、周辺地帯の緑地化、建築制限などの規制面と、工場地帯・産業関連施設整備などの促進面が並立し、関係各省の調整が行き詰まってしまったという。つまり、原発立地にもともと内在している二面性が露呈していたのである。

そこで、原子力産業会議は、1961年9月に原子力施設地帯整備特別委員会を設置し、1962年2月に検討した結論を国会などに提出した。原発周辺は土地の買収をすすめて、道路拡張、公園・レクリエーション施設の整備を進め、空地地区指定を含めた土地利用計画を策定、さらに主要道路の整備や市街地開発にともなった新規道路の設置、上下水道や工業用水の整備、放射能安全対策の実施などを求めていた。開発促進するよりも、空地地区指定のように規制面が強いものといえる。

そして、原子力委員会は、1962年9月、原子力施設地帯整備専門部会を設置し、東海村周辺を対象として、原子力施設地帯整備の方針を検討することにした。

その場合、まず想定されたのは、原発事故の際、どれだけの地域が被ばくにさらされるかといことであった。その場合、1957年にメルトダウンを起こして周囲に放射能をまき散らした、イギリスのウィンズケール原発事故の規模を参考にすることになった。その規模の事故で被ばくを受ける範囲を風下側約8km以内、気象条件の良い場合では約2.4km以内とし、安全性を見込んで原発から10km以内を対象とすることになった。

そして、1963年7月に、同専門部会は中間報告を行った。『原子力開発十年史』はその内容を次のようにまとめている。

 

この結果、大部分の市町村については、それぞれの都市計画に従って、人口増加が行われてさしつかえないが、一部地域については、特別の考慮を必要とすることが明らかとなった。すなわち、日立市の南東部については、そこが東海発電所の比較的近傍であること、すでにかなりの人口集中が行われているので、現在でもなんらかの施策が必要である。東海村については将来東海駅付近に人口が増加する見込みなので、それに見合う施策が必要である。勝田市(現在はひたちなか市)についても、将来の人口増加をおさえるともに、なんらかの方策を必要とする。以上のほか原子炉施設から約2km以内の人口増加は望ましくなく、また、2〜3kmの地域の人口が増加する場合には、それに見合う施策が必要であるという結論を出した。(『原子力開発十年史』p333)

具体的には、次の地図をみてほしい。Aが東海発電所である。日立市は東海村の北側、勝田市(現ひたちなか市)は東海村の南側に接している。東海駅などの東海村の主要部は、東海発電所や日本原子力研究所のある沿海部の西側である。つまり、原子力関連施設の周辺での人口増加は「対策」が必要であり、できれば人口増加を抑制すべきであるとしたのである。特に2km以内の人口増加は望ましくないとしているのである。

そして、専門部会では、1963年7月に都市計画小委員会を設置して、東海村周辺の具体的な都市計画のプランを検討することになった。1964年6月に中間報告が行われ、その内容をもとに専門部会は原子力委員会に答申した。『原子力開発十年史』では、その内容を次のように紹介している。

(1) 施設地帯の住民の安全の確保と福祉の増進を前提として、人口や各種施設の配置とその規模の適正化を期しつつ、この地帯の健全な発展を図ることを目標とする。
(2) 具体的には、施設地帯を3段階に分け、原子力施設隣接地区(施設からおおむね2km未満)にはつとめて人口の増加を生じないよう、原子力施設近傍地区(おおむね2km以上6km未満)には、規模の大きい人口集中地区が存在しないようにし、また、その他の周辺地区(おおむね6km以上)には、人口の増加が正常に行われるよう留意する。
(3) したがって、原子力施設地帯の理想像は、白亜の施設を、公園、緑地などのグリーンベルト地帯がとりまき、その周囲には工場その他居住用以外の諸施設は配置され、さらに、その外側には住宅が整備され、また、これらを結ぶ道路、衛生施設などが整備されている。(後略)
(『原子力開発十年史』p.p333-334)

これが、原子力委員会などが描く、原発周辺地域の理想像なのである。事故による被ばくリスクを考慮して、隣接地区には住宅・工場をなるべく置かず、グリーンベルト地帯とする。その外側の近傍地区においても、工場などは設置しても、人口集中地区が存在しないようにする。原発周辺では、人口増加をなるべく抑制することが求められているのである。これは、たぶんに、立地地域の人びとの思いに反していたであろう。

そして、この中間報告では、原発隣接地区では、国や公共団体が、土地の買収などを行い、緑地化・公園化や農業地区化を進展させるべきとした。近傍地区においても、人口集中を抑制するため、都市計画法などで調整するとともに、この地区でも緑地・公園の拡大をはかるべきとしたのである。

結局、この「理想像」がどれだけ現実の原発周辺地域の整備の中で生かされたのか、これは、今後検討していく課題の一つである。ただ、一つ言えることは、1964年5月というほぼ同時期に出された原子炉立地審査指針とほぼ同一の構造をもっていることである。原発に隣接する地域は低人口地帯であり、さらに人口密集地帯から離して原発は設置されなくてはならないという審査指針を、より具体化したものといえよう。

原子力関連施設の周りに緩衝地帯を設けるということは、安全対策としては適切なことである。1999年の東海村JCO臨界事故においても、2011年の福島第一原発事故においても、その必要性は実感されたといえる。その意味で、例えば、漁村の真ん前にある美浜原発などは、危なっかしくみえるのである。

福井県美浜原発(2011年5月25日撮影)

福井県美浜原発(2011年5月25日撮影)

しかし、このように開発が規制されるということを、原発立地自治体の人びとは望んでいたとはいえないだろう。結局、被ばくのリスクを恐れて低人口地帯に設置し、人口増加を抑制するという原発を設置する側の考えと、地域開発を望む原発立地自治体側の考えは相矛盾しているのである。ある意味で、「低開発の開発」とでもいえようか。原発による開発のこのような性格が1974年に創出される電源交付金制度の前提になっているとみることができる。

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5月24日~25日、福井県敦賀地方の原発(日本原子力発電敦賀発電所、日本原子力研究開発機構「ふげん」「もんじゅ」、関西電力美浜発電所)を見に行った。ここでは、まず、5月25日にいった関西電力美浜発電所の様子についてみておこう。

関西電力美浜発電所―美浜原発は、敦賀発電所(営業開始1970年)、福島第一原発(営業開始1971年)とほぼ同時期の1970年11月に営業を開始した。福島第一原発建設にかかわった豊田正敏(元東電副社長)は、「関西電力が同時期をつくっていて、そっちが早く運転開始しそうだという情報があったので、それとの競争になったんですよ」(『週刊現代』2011年5月28日号)と語っている。いうなれば、福島第一原発のライバルであった。

美浜原発は、福島第一原発とは、設計が異なっている。軽水炉であることは同じだが、福島第一原発は沸騰水型軽水炉(BWR)といって、原子炉本体の冷却水が沸騰して蒸気となり、それがそのまま蒸気タービンを回す。このBWRは、東電―東芝・日立側の原子炉仕様となっている。美浜原発は、加圧水型軽水炉(PWR)といい、原子炉自体を冷やす一次冷却水は加圧して沸騰させないで液体のまま蒸気交換機まで循環させ、そこで二次冷却水と熱交換して二次冷却水を蒸気にして、蒸気タービンを回すというものである。このPWRは、関西電力―三菱側の原子炉仕様となっている。

美浜原発1号機と2号機

美浜原発1号機と2号機

美浜原発3号機

美浜原発3号機

PWRは、二次冷却水が蒸気タービンを回すもので、BWRよりは効率が悪いが、より放射線漏れが少ないといわれている。しかし、重大事故が起きなかったわけではない。美浜原発には、1号機(営業開始1970年)、2号機(営業開始1972年)、3号機(営業開始1976年)と、三つの原発があるのだが、2004年、もっとも新しい3号機で二次冷却系の復水配管から蒸気がもれ、5人が死亡し、6人が負傷するという死亡事故が起きている。

この事故は、高温高圧の冷却水によって配管が摩耗して破損したことが原因とされている。それ自体は、火力発電所でも起こりうることで、二次冷却系のため、放射線もれはなかった。しかし、この配管は営業開始以来28年間、一度も点検されなかったという。杜撰である。

丹生・奥浦から田ノ口を望む

丹生・奥浦から田ノ口を望む

この美浜原発の立地については、前述してきた日本原子力産業会議編『原子力発電所と地域社会』(1970年)が、福島第一原発と比較しつつ、詳細な考察を行っている。ここでは、詳しく述べることを差し控えるが、美浜原発が立地した丹生地区は、部落規制の厳しい漁村であり、半数近く反対意見があったが、部落会での多数決により受け入れを決めている。

さてはて、ここでは、美浜原発のイメージをみておこう。広瀬隆の著作に『東京に原発を』というものがあるが、それを借りていえば、『漁村に原発を』という感じがする。若狭地方は、対馬暖流の影響で、比較的温暖であり、背後の山は照葉樹林である。そのような山を後ろにして、海岸線には、丹生の漁村が連なっている。敦賀半島には、このような漁村が多い。水を覗くと、透明度が高く、そこに生えている海藻がよくみえる。そして、少し離れた場所には砂浜があり、海水浴場が広がっている。海はエメラルドグリーンで、まるで南国のようである。

丹生・奥浦からみる美浜原発

丹生・奥浦からみる美浜原発

そのような風景の中に、美浜原発が所在している。丹生からみると、美浜原発の所在地は小さな半島にあるのだが、美浜原発への往還のために丹生の入り江の入口に大きな丹生大橋が建設されている。丹生の集落からは、多少遠近の差があるが、どこからでも入り江の向こう側にある美浜原発をみることができる。いやでも、美浜原発の存在を意識せざるをえない。丹生からいえば、まさに中心的な位置に美浜原発は所在しているといえる。

このような原発立地があるだろうか、と思った。福島第一・第二原発は、もはやフィールドワークもままならないが、どちらも町の境界線上にあり、集落の中心ではないと思われる。東海村の原発も、浜岡原発も、近くに人家がないというわけでもないが、そもそも砂丘のあったところにあり、集落の中心ではなかったと思われる。日本原子力発電敦賀発電所・日本原子力研究開発機構「ふげん」(実は両者は同じところにある)や「もんじゅ」も、既存の集落の中心部からは外れているところに立地していると思われる。

丹生・田ノ口からみた美浜原発

丹生・田ノ口からみた美浜原発

水晶浜海水浴場からみた美浜原発

水晶浜海水浴場からみた美浜原発

もし、福島第一原発の同様の事故があれば、丹生はどうなってしまうのだろうか。山や林などで、隔てられているわけでもない。集落と原発の間には、丹生の入り江という、海しかないのである。丹生周辺の海水浴場もまた同じである。海水浴場と原発を隔てているものは、海しかないのである。

広瀬隆の『東京に原発を』は、ブラックジョークがきいたパロディである。しかし、いかに過疎で関係する人口が少ないとはいえ、集落の中心部に原発があるというのは…。変に風景に溶け込んでいるが、事故が起きてしまえば、放射線に対するなんらの遮蔽物もないわけで、目も当てられない。なにせ、この原発は、死亡事故まで起しているのである。

丹生で写真撮影をしている途中で、ある老人に、丹生内部の小字にあたる「田ノ口」はここですかと私は尋ねた。「田ノ口」は、立地過程で反対者が比較的多いところで、ほとんどが賛成した「奥浦」と対照をなしている。小字名を聞かれることは珍しかったらしく、何か研究しているのかと逆に尋ねられた。今の所、美浜について研究しているわけではないので、私はとりあえず写真撮影をしていると答えた。そうすると、この老人は「それなら、もう少しいて、この原発が爆発するのを写真にとればいいよ」と言った。もちろん、それは、冗談なのだが、単なる冗談ではない。よく聞くと、この原発は、トラブルがあって結構停止することがよくあるそうである。その時は、大体原発から蒸気が立ち上っているそうである。そして、逆にいえば、蒸気が立ち上っていると、原発でトラブルが起きたと判断できるとのことなのである。

まあ、こうも思うのだが…原発とはそもそもそういうものだったのだ。

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