Feeds:
投稿
コメント

画像左側は、石川島に建築された大川端リバーシティとよばれる超高層マンション群、右側は近世に造成された佃島である。この場所は、東京が新旧の建築が混在している町であることを端的に示している。(2010年10月6日撮影)

さて、つい最近、福島第一原発事故で避難指示が出されていた川内村でも、10月1日に解除する方針が政府から示された。その方針を説明した8月17日の説明会の景況について、まず、毎日新聞のネット配信記事でみておこう。

避難指示解除へ:福島・川内村の住民は猛反発
毎日新聞 2014年08月17日 23時05分

 「帰還が決まっても子供は戻れない」「通院や買い物はどうするのか」。東京電力福島第1原発事故で避難区域が設定された福島県内11市町村のうち、2例目の避難指示解除が決まった川内村東部。政府の方針が伝えられた17日の住民懇談会では、放射線への不安を抱えていたり、精神的賠償の打ち切りを懸念したりする住民から、反発の声が相次いだ。

東日本大震災:福島第1原発事故 処分場撤回求め環境省に意見書 18日、塩谷町長ら /栃木
 懇談会の冒頭、政府の原子力災害現地対策本部長の赤羽一嘉・副経済産業相は「避難指示は極めて強い制限。解除の要件が整えば、憲法で保障される居住や財産の権利を侵害し続けることができない」と強調し、集まった住民約75人に理解を求めた。

 これに対し、賛同する意見はゼロ。約1時間半に及ぶ質疑応答で住民から「食品の安全にも不安がある」「住民の被ばく線量をきちんと管理できるのか」などの質問が次々と出て、政府側は「国際的に一番厳しい基準を設けている」などと答弁に追われた。行政区長の草野貴光さん(61)は政府に「原発事故で地域や家族がバラバラになった。避難区域全体が元に戻らなければ、帰還できないという人も多い」と訴えた。

 住民からは政府の解除決定の賛否について、住民の採決を求める声も上がったが、政府側は住民間の亀裂が深まることなどを理由に応じなかった。栃木県に避難中の女性(59)は懇談会終了後、「帰りたいのに帰れない子どもを持つ世代がいることにも理解を示してほしい」と話した。

 川内村は2012年1月、避難区域で初の「帰村宣言」をし、7社の企業誘致など先駆的な復興事業に取り組んできたことで知られる。【深津誠】

http://mainichi.jp/select/news/20140818k0000m040108000c.html

この記事を読んで、非常に奇異な思いにかられた。この説明に集まった人たちは、もちろん、対象地域住民全員ではないだろう。しかし、それでも、賛同者は「ゼロ」だったということで、その場にいた当事者たる住民たちは、現状において帰還を促進されることを一人も望んでいないのである。

しかし、政府側の担当者である赤羽一嘉・副経済産業相は「避難指示は極めて強い制限。解除の要件が整えば、憲法で保障される居住や財産の権利を侵害し続けることができない」と述べて、避難指示解除の必要性を説いたのである。当事者たちの望まない決定の正当性を、その当事者たちの権利保障に求めたのである。

前述したように、この場には出ていないが、避難指示を解除して早期に帰還することを望んでいる住民はいるだろう。そういうこともあるので、住民からは「採決」をすることを提案した。しかし、それすら認められなかったというのである。

結局、この説明会場では、当事者たる住民が一人も賛成せず、採決もしないまま、その人びとの「権利保護」を名目にして、避難指示の解除が政府によって「宣言」されたのである。

このような転倒した状況は、たぶん、福島県川内村だけでなく、たぶん原発問題にすら限定されたものではないだろう。例えば、「新自由主義」のもと、さまざまな労働規制の「自由化」がなされ、それは労働者自身のよりよき「雇用」につながるとされている。資本側に有利になるような措置が、労働者側の「幸福」になるということが「自由」の名の下で正当化されている。共通した構図がみてとれよう。

福島第一原発事故は、単に「原発問題」というだけにとどまるものではない。この事故によって、日本社会全体がかかえている問題が照射されているのである。

さて、先週末の8月15日夕方、久しぶりに首都圏反原発連合主催の金曜官邸前抗議に参加した。ただ、金曜官邸前抗議といっても、実質は狭義の官邸前抗議と、国会前のスピーチエリアと、同じく国会前であるがパーフォーマンス色のある希望のエリアと三カ所で実施されている。8月15日は、スピーチエリアは休止していた。結局、私自身は希望のエリアにいった。

パーフォーマンス色が強いと指摘した希望のエリアだが、それは他と比較してということであって、実質はコール・スピーチが多い。他のエリアについてはよく知らないが、この希望のエリアでは、スピーチは参加者が自由に申し出て、申し出順にすることになっている。もちろん、内容は、基本的に反原発に限定されている。だが、最近は、スピーチの多くが常連でしめられるようになってきていた。

しかし、この日は、金曜官邸前抗議では全く聞いたことのないスピーチが行われた。あまり見たことがない男性が、「脱原発」は現在のところやめるべきだというスピーチを行ったのだ。

簡単に、その内容を説明しておこう。彼は、まず、東芝が作り出したフラッシュメモリは、現在、韓国のサムスンにシェアをとられていると語り出した。そして、原発も同じだというのである。日本が原発を放棄すれば、韓国や中国に市場をとられてしまうので、日本が原発を凌駕する新しい技術などを開発するまで、原発を放棄することはできないというのである。簡単にまとめるとこうなるのだが、このことを繰り返し主張していた。

彼は、ヤジは歓迎するといっていたが、希望のエリアの参加者は、私も含めて、最初は唖然として声も出さないで聞いていた。しかし、だんだん、このスピーチに反対するヤジが増えて来た。ヤジが多くなった時点で、彼はスピーチを中止した。たぶん、彼のシナリオでは「理性的に脱「脱原発」を主張したが、暴力的なヤジによって中止せざるをえなくなった」と構想していたのであろう。希望のエリアの司会者である紫野明日香氏は「差別はダメです」などとコメントしていた。

私は(たぶん多くの人がそうだろうが)、日本だけでなく世界全体で核技術(軍事・平和両面とも)から脱却していくべきだと考える。その意味で、韓国・中国の核技術も同じである。

その上で、私自身、このスピーチを聞いてまず感じたのは「嫌韓・反中」が脱・脱原発の論拠になるのかという驚きだった。今まで、原発を存続する理由として、電力不足、経済的打撃、原発輸出市場の喪失(これは、ある程度重なっているが、中・韓を露骨に明示したものではない)、廃炉のための技術継承、立地地域振興などが議論されているが、いずれも日本社会が原発を廃止することで何らかの損失を蒙るということであった。しかし、ここで、議論されているのは、中・韓に原発市場をとられてしまうからという話であって、現実的な損失を問題にしていないのだ。結局、中国・韓国にいかなる分野でも先に行くことを許さないというだけの話なのである。現在、反原発が世論の中心となったのは、福島第一原発事故における危機に直面し、その危機を繰り返してはならないということなのである。しかし、このスピーチでは、中国・韓国の存在に直面していることこそが「危機」なのであって、原発問題もその対抗のなかのファクターにすぎないのだろう。

ある意味で、何を「危機」と感じるか、ということが問題なのである。福島第一原発における放射性物質による被害は、今の所目に見えるものではない。「目に見えぬ危機」である。そして、現実に対応することが困難だ。他方で、中国・韓国についても、実際上は国境線の島の帰属や歴史認識をめぐるものであって、「目に見える危機」とはいえない。それでも、相手があることだから、こちらがアクションすれば、そのリアクションはある。その応酬が本当の危機を呼び寄せてしまうことになるのだが、それでも、一定の対応をしているかに錯覚してしまう。いわば、福島第一原発事故の危機からくるストレスを、中国・韓国の「脅威」に「対応」することによって解消しているようにみえる。

そもそも、日本には、中国・韓国にとられてしまうような原発技術があるのかとも思う。日本で実際に稼働している原発は、結局、アメリカの技術でつくられたものであり、日本の技術ではない。福島第一原発事故では、非常用ディーゼル発電機が低地に所在したり、緊急対応時の操作に熟知していないことなども事故の要因となっているが、それは、アメリカ側が設計したということに起因している。科学技術庁を中心に日本で独自開発された技術は、再処理工場にせよ、もんじゅにせよ、実用化には失敗している。技術自体に国境はないと思うが、あえてそういう言い方をすれば、アメリカの技術をコピーしているにすぎない。そして、福島第一原発の現在の管理をみているかぎり、日本側は、アメリカのマニュアルにないことを新たに開発する技術を持ち得ていないようにみえる。このことは、アメリカに従属しつつ、経済大国として世界で大きな顔をしてきた戦後日本の戯画といえるだろう。

さて、あのスピーチで初めて知ったことは、東芝が開発したフラッシュメモリの市場が現在韓国のサムスンに奪われているということであった。Wikipediaなどをみると、それは真実のことのようである。しかし、より正確に言うと、東芝社員であった舛岡富士雄が開発したものであった。開発者の舛岡は次のように語っている。

私は、米国の物真似だけでなく、独自技術で勝負すべきだと上司に言い続けましたが、まるで取り上げられませんでした。そこで自らフラッシュメモリーの特許を30本近く書きました。工場では作業が許されないので、帰宅後や休日を利用して書いたのです。会社の施設や設備は一切使わず、使ったのは自分の頭だけ。発明に対する貢献度に限って言えば、会社側はゼロです。そうして生まれた発明に対して、会社の態度は冷淡で、安易に米国のインテルや韓国のサムスン電子にライセンスを供与したため、両社の先行を許してしまいました。

http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v240/pdf/200406_20.pdf

舛岡が独自開発した技術について東芝は冷淡で、インテルやサムスンにその技術を供与してしまったとしているのである。そうであるならば、サムスンに市場制覇を許したということは、東芝の自業自得であろう。

そして、舛岡の処遇についても、東芝は相応のことをしてこなかった。Wikipediaにおける舛岡富士雄の項目から一部抜粋しておこう。

研究を続けるため東芝を退社~その後
その後、東芝は舛岡を地位こそ研究所長に次ぐが、研究費も部下も付かない技監(舛岡曰く窓際族)になるよう、会社から何度も要請された。研究を続けたかった舛岡は、何とか研究を続けられるよう懇願したが受け入れられず、1994年に東芝を退社した[2]。
その後、東北大学大学院や、退官後に就任した日本ユニサンティスエレクトロニクス等で、フラッシュメモリの容量を10倍に増やす技術や、三次元構造のトランジスタ(Surrounding Gate Transistor)など、現在も研究者として精力的に研究活動を行っている。
裁判
舛岡は自身が発明したフラッシュメモリの特許で、東芝が得た少なくとも200億円の利益うち、発明者の貢献度を20%と算定。本来受け取るべき相当の対価を40億円として、その一部の10億円の支払いを求めて2004年3月2日に東芝を相手取り、東京地裁に訴えを起こした。2006年7月27日に東芝との和解が成立、東芝側は舛岡氏に対し8700万円を支払うこととなった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9B%E5%B2%A1%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E9%9B%84

つまり、東芝は処遇でも報酬でも、舛岡の望むような待遇を与えてこなかったのである。結局、舛岡は東芝をやめ、その上で裁判に訴えて、ようやく報酬を部分的にではあるが受け取ることができたのである。

このフラッシュメモリをめぐる東芝と舛岡富士雄の話は、資本側と社員ー労働者の立場が一致しないことをしめしている。日本国籍の資本のために都合のよいことは、決してその社員たちに都合のよいことではないのだ。そう考えると、このフラッシュメモリの話は、スピーチの前提としている「日本資本と日本人は一体」ということが成り立たない事例ではないだろうか。

久しぶりに「脱・脱原発」のスピーチを聞いて、いろいろ考えてみた。そう思い込んでいる人びとに違うということを説得するのは難しい。しかし、論拠に遡って考えると、やはり、その論自体が成り立っていないと思うのである。

2014年8月6日、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(平和記念式典)にて、安倍晋三首相が昨年とほぼ同様の挨拶を行い、まるでコピペをしているようにみえるということが主にインターネット上で話題となっている。そのことを報じている東京新聞のネット配信記事をまずみてほしい。

広島平和式典 首相スピーチ「コピペ」 昨年と冒頭ほぼ同じ

2014年8月8日 朝刊

 広島市で六日に開かれた被爆から六十九年の平和記念式典で、安倍晋三首相が行ったスピーチの冒頭部分が昨年とほぼ同じ内容だったことから、インターネット上で「使い回し」「コピペ(文章の切り貼り)だ」と批判を集めている。
 安倍首相は「人類史上唯一の被爆国としてわが国には『核兵器のない世界』を実現していく責務がある」などとあいさつ。読み上げた文章を昨年と比較すると「六十八年前の朝」が「六十九年前の朝」となり、「せみ時雨が今もしじまを破る」という表現がなくなった以外は冒頭三段落が一字一句同じだった。今年は四十三年ぶりに雨の中で式典が開かれていた。
 後半部分は、いずれも「軍縮・不拡散イニシアチブ」の会合や原爆症認定について触れているが、表現は異なっていた。
 東京都世田谷区の上川あや区議が、テキスト比較ソフトを使って両者の冒頭四段落を並べた写真を七日未明、短文投稿サイトのツイッターに投稿。五千人以上が転載した。
 広島県原爆被害者団体協議会(金子一士理事長)の大越和郎事務局長(74)は「厳粛な慰霊碑の前で前年と同じあいさつをするとは、広島や被爆者、平和を軽視している証左だ。それが底流にあるから集団的自衛権の行使容認を閣議決定したのではないか」と話した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014080802000132.html

実際、どうなのだろうか。まず、首相官邸サイトにアップされている昨年と本年の「挨拶」を見比べてみよう。まず、前半はこのようになっている

【2013年】
広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 68年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。蝉しぐれが今もしじまを破る、緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には、確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/0806hiroshima_aisatsu.html

【2014年】
 広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式に臨み、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心から、お見舞いを申し上げます。
 69年前の朝、一発の爆弾が、十数万になんなんとする、貴い命を奪いました。7万戸の建物を壊し、一面を、業火と爆風に浚わせ、廃墟と化しました。生き長らえた人々に、病と障害の、また生活上の、言い知れぬ苦難を強いました。
 犠牲と言うべくして、あまりに夥しい犠牲でありました。しかし、戦後の日本を築いた先人たちは、広島に斃れた人々を忘れてはならじと、心に深く刻めばこそ、我々に、平和と、繁栄の、祖国を作り、与えてくれたのです。緑豊かな広島の街路に、私たちは、その最も美しい達成を見出さずにはいられません。
 人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には、確実に、「核兵器のない世界」を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります。

http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2014/0806hiroshima_aisatsu.html

三段落目までは、記事の指摘の通りである。「68年前」を「69年前」に言い換え、「蝉しぐれが今もしじまを破る」というフレーズを抜いただけで、あとはほとんど同じである。今年の広島の式典は降雨の中で行われたということだから、もし晴れていれば「蝉しぐれ」云々も残されていたかもしれない。

四段落目の前半の表現はさすがにかえている。しかし、「私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。そのような者として、我々には」(【2013年】)といっても、「人類史上唯一の戦争被爆国として、核兵器の惨禍を体験した我が国には」(【2014年】)といっても、意味はそれほど変わらないだろう。細かくいえば「私たち日本人」が「我が国」に主体が転換しており、それ自体、国家中心主義的な志向が強まったといえるかもしれない。そして、この後段の文章は「」の有無程度の違いはあるが、「確実に、核兵器のない世界を実現していく責務があります。その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります」とともになっている。

続いて、後半の文章をみておこう。

【2013年】
 昨年、我が国が国連総会に提出した核軍縮決議は、米国並びに英国を含む、史上最多の99カ国を共同提案国として巻き込み、圧倒的な賛成多数で採択されました。
 本年、若い世代の方々を、核廃絶の特使とする制度を始めました。来年は、我が国が一貫して主導する非核兵器国の集まり、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開きます。
 今なお苦痛を忍びつつ、原爆症の認定を待つ方々に、一日でも早くその認定が下りるよう、最善を尽くします。被爆された方々の声に耳を傾け、より良い援護策を進めていくため、有識者や被爆された方々の代表を含む関係者の方々に議論を急いで頂いています。
 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、旧倍の努力を傾けていくことをお誓いします。
 結びに、いま一度、犠牲になった方々の御冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

【2014年】
 私は、昨年、国連総会の「核軍縮ハイレベル会合」において、「核兵器のない世界」に向けての決意を表明しました。我が国が提出した核軍縮決議は、初めて100を超える共同提案国を得て、圧倒的な賛成多数で採択されました。包括的核実験禁止条約の早期発効に向け、関係国の首脳に直接、条約の批准を働きかけるなど、現実的、実践的な核軍縮を進めています。
 本年4月には、「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合を、ここ広島で開催し、被爆地から我々の思いを力強く発信いたしました。来年は、被爆から70年目という節目の年であり、5年に一度の核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議が開催されます。「核兵器のない世界」を実現するための取組をさらに前へ進めてまいります。
 今なお被爆による苦痛に耐え、原爆症の認定を待つ方々がおられます。昨年末には、3年に及ぶ関係者の方々のご議論を踏まえ、認定基準の見直しを行いました。多くの方々に一日でも早く認定が下りるよう、今後とも誠心誠意努力してまいります。
 広島の御霊を悼む朝、私は、これら責務に、倍旧の努力を傾けていくことをお誓いいたします。結びに、いま一度、犠牲になった方々のご冥福を、心よりお祈りします。ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様には、幸多からんことを祈念します。核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のご挨拶といたします。

後半をみてみると、もちろん、政策の展開を触れた部分は異なっていることがわかる。ただ、テーマは、2013年も2014年も「国連総会」「軍縮・不拡散イニシアティブ」「原爆症援護」をあげている。その意味では、ここも「前年踏襲」なのである。

さらに結びの部分は、ほとんど同じといってよいだろう。行替えの有無、そして「旧倍」を「倍旧」にしていること、さらに「お誓いいたします」を「お誓いします」と言い換えているくらいしか、違った部分を見つけることはできなかった。

全体でいえば、2013年の「挨拶」原稿に、一年間にあった政策展開の部分を修正し、それ以外に多少表現上の手直しをしたというにとどまっている。そして、遠慮なく、前年の「挨拶」を流用しているのである。同じなのは「冒頭」だけではない。「おわりに」もほとんど同じなのだ。

これは、もちろん、セルフコピーだから著作権上の問題にはならない。しかし、随分、人を食った話である。オリジナルかのように発話しているが、しかし、それは前年の踏襲でしかない。知的に誠実であれば、「昨年も同様のことを申し述べましたが、大事なことなのでもう一度申し上げます」というだろう。

この場が、日本の平和政策を世界にむけてアピールする場でもあるはずだが、前年と同じでは全くインパクトがない。さらに、そのようなことを平然とする首相のレベルが世界的に疑われることになるだろう。「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓い」と最後にいっているが、このようなアピールすら前年踏襲で、どこが「力を惜しまぬ」というのだろうか。「言葉」すらも選ぶ努力をしないのである。本当に「言葉」だけなのだ。

もちろん、首相などのスピーチは本人が書いているものではないだろう。官僚などのスタッフが原案を書いているに違いないのだ。首相は、どんなことを発話したいか、それをスタッフに指示すれば、スタッフが原案を作成するだろう。たぶん、そのような指示すらしなかったと考えられる。

そして、これは、原爆死没者という「死者」たちに向けた「言葉」でもあることにも注目しなくてはならない。安倍首相にとって「死者」たちーしかも「国家」によって犠牲とされたーへの言葉は、それこそ通り一遍のもので構わないのである。

ある意味で、この一件には、安倍晋三首相の姿勢が如実に表現されているといえよう。平和については「言葉」すら選ぶ努力をしないのに、「力を惜しまぬ」と主張しているのである。

福島第一原発は、もはや問題のない時がない状態で、あまりにトラブルが多いので、逆にそれらを追跡することが難しい状態である。しかし、この報道には驚いた。次の、東京新聞のネット配信記事でみてみよう。

氷5トン超 毎日投入 福島第一 難航する凍結止水作業

2014年7月24日

 東京電力福島第一原発の地下トンネルにたまる高濃度汚染水の抜き取り作業が難航している問題で、東電は二十八日から、トンネルに毎日五トン超の氷やドライアイスを投入する。汚染水の温度を下げ、2号機タービン建屋とトンネルの接続部に氷の壁ができやすくする狙い。
 タービン建屋との水の行き来をなくしてトンネル内の汚染水を抜かないと、再び重大な海洋汚染を引き起こす危険が残る。これまでの計画では、トンネル内に粘土などを詰めた袋をいくつも置き、凍結液を循環させて袋や周辺の水を凍らせて止水し、汚染水を抜いてトンネルをセメントで埋める予定だった。
 ところが四月末に凍結作業が始まって以降、一部しか凍らなかったり、凍った部分が溶けたりと不安定な状態が続いている。全体が壁のように凍らないと止水できないため、原子力規制委員会が代替策の検討を指示していた。
 二十三日に開かれた規制委の専門家会合で、東電は現状の汚染水の水温(一五度)を五度まで下げられれば、全体が凍るとの試算を示した。
 トンネル上部の穴から氷を一日五・四トン、ドライアイスも一トンを投入することで水温が十分に下がり、凍結液を循環させる管も四本増やすことで達成できそうだとする。
 それでも凍結しない場合は、袋同士が密着していない部分にセメントなどを流し込んで隙間を埋める作業を、八月下旬から実施。ただセメントが固まれば元に戻せなくなるため、東電はあくまでも最終手段にしたい考えだ。
 検討会で規制委の更田(ふけた)豊志委員は東電側に「氷の投入という極めて原始的な方法だが、やれることは何でもすぐにやってほしい。お盆のころには結果が分かると思うので、朗報を聞きたい」と話した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2014072402000130.html

要するに、凍土壁建設の準備もかねて、福島第一原発海側の地下トンネルにたまっている高濃度汚染水を取り除くため、地下トンネルとタービン建屋の接続部にある水を凍結液を循環させることで凍らせて「止水」する作業をしていたが、十分凍らないため、氷やドライアイスを上部から投入することで凍らせて「止水」するという作業を東電がするというのである。

原子力規制委員会側は、あきれ顔である。この記事のなかでも更田委員は「氷の投入という極めて原始的な方法だが、やれることは何でもすぐにやってほしい。お盆のころには結果が分かると思うので、朗報を聞きたい」といっている始末である。さらに、産経新聞が7月23日にネット配信した記事にでは「検討会のメンバーの橘高義典・首都大学東京大学院教授(建築材料)は「これでは凍結しないと思う。コンクリートを流し込んでトレンチの充填をすべきだ」と、東電の対策を疑問視した」と報道されている。

そして、現実に、東電は試験してみたそうである。水温が7.8度まで下がる効果があったとして、毎日、氷を15トン、二週間で180トン投入していくことを東電は決めたのである。福島民報の次のネット配信記事をみてほしい。

トレンチに氷本格投入 第一原発 1日当たり15トン凍結を促進

 東京電力福島第一原発のトレンチ(電源ケーブルなどが通る地下道)にたまった汚染水を抜き取るための凍結工事が難航している問題で、東電は30日からタービン建屋とトレンチの接続部への氷の投入を本格化させた。
 1日当たり約15トン、2週間で計約150トンを投入し、凍結を促進させる。
 24日に、試験的に氷約2トンを投入したところ、水温が12度から7・8度まで下がり、効果を確認できたため、本格投入を開始した。
 東電の計画では、建屋とトレンチの接続部分に挿入した凍結管で氷の壁を作り、水流を遮断してトレンチ内の汚染水を抜く。
( 2014/07/31 08:59 カテゴリー:主要 )

http://www.minpo.jp/news/detail/2014073117191

まあ、なんというか、言葉もない。そもそも、なんでこんなに杜撰なのかと思う。また、今のところ、水温が下がっただけであり、実際に凍るかどうかは不明なのである。そして、7−8月という、日本全体がもっとも高温の時期に、なんでこんなことをしているのだろうと思う。よしんば、この「極めて原始的な方法」で凍結したとしても、すごくつまらないコストをかけているだけだといえよう。

結局、東電も原子力規制委員会も、福島第一原発について責任意識を欠いた証左である。東電はそのばしのぎの対策をたて、規制委員会は批判はするが「指導」はせず、東電はさらに場当たり的な対応をくりかえしていく。さらにいえば、日本の科学技術というものの限界を如実にみせつけているといえる。予測不可能なことにはついては場当たり的な対応しかとれないのである。

もし、「凍らせる」ということを考えるのであれば、もっとも暑いこの時期はさけたであろう。自然の中に人間も福島第一原発もある。そのことを無視して「水を凍らせる」ことがいかに難しいか、それを理解できないのである。自然の摂理を無視した日本の原発政策の根本がここで露呈しているといえよう。

福島第一原発事故による放射性物質汚染の影響については、政権も福島県庁もマスコミも可能な限り小さくみせようとしている。例えば、日本テレビは次のような記事をネット配信している。

安倍首相、福島県産野菜の安全性をアピール

 安倍首相は24日、東日本大震災の風評被害対策の一環として福島県産の野菜を試食し、安全性をアピールした。

 安倍首相が試食したのは、福島県産のキュウリやトマトで、風評被害対策のキャンペーンの一環として首相官邸を訪れた福島県の佐藤知事らから贈られたもの。

 安倍首相「(福島の野菜は)安全安心でおいしい。良い値段で売れるように、風評被害をみんなで吹き飛ばす。みなさん頑張って。応援します」

 また、この後、経団連の夏季フォーラムに出席した安倍首相は、福島県産の食品ついて、「やっと店頭では買っていただけるようになったが、贈呈品としてはちゅうちょする方が多い。お歳暮にはぜひ福島県産品を」と呼びかけた。

http://news24.jp/articles/2014/07/24/04255827.html

こういう「福島は安全」キャンペーンの背後には、いろいろな思惑があるだろう。官邸は原発再稼働を目論み、福島県庁は住民の「早期帰還」をめざし、農業者たちは生産物の購買忌避を解消しようとしている。

他方で、福島の危機を主張する人びとについては、全力をふるって攻撃する。少し前にあった「美味しんぼ」をめぐる騒動がそうだった。このことについては、よくも悪くも周知のことであろうが、確認のため、NHKがネット配信した福島県知事のコメントを紹介しておこう。

2014年05月12日 (月)
美味しんぼ 福島県知事が「残念」と不快感

12日発売の雑誌に連載されている漫画「美味しんぼ」の今週号の中で、登場人物が「福島県内には住むな」などと発言する場面があり、福島県の佐藤雄平知事が、「復興に向かって県民が一丸となっているときに風評を助長するような内容で、極めて残念だ」と不快感を示しました。

「美味しんぼ」は、小学館の漫画雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」で昭和58年から連載されている雁屋哲さん原作で、花咲アキラさんが描く漫画です。
12日発売の今週号の中で、福島県双葉町の前町長や、福島大学の准教授が実名で登場し、「福島県内には住むな」とか、「人が住めるようにすることはできない」などと発言する場面が描かれています。
これに対し12日、さいたま市内で福島の復興支援を訴える講演を行った福島県の佐藤雄平知事が、講演のあとで報道各社の取材に応じました。
この中で佐藤知事は、「全国の皆さんが復興を支援してくださって、福島県民も一丸となって復興を目指しているときに、全体の印象として風評を助長するような内容で、極めて残念だ」と述べ、不快感を示しました。
そのうえで、今後の対応については、状況を見ながら検討すると答えました。
「美味しんぼ」を巡っては、先月発売された号でも、主人公が福島第一原発を取材したあとに鼻血を流し、双葉町の前町長が「福島では同じ症状の人が大勢いますよ」と語る場面が描かれ、双葉町が「そのような事実はなく、福島県民への差別を助長させることになる」として小学館に抗議しています。

http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/700/187648.html

また、「在日特権を許さない市民の会」などのヘイトスピーチを行っている人びとも、反原発デモなどを「反日」として槍玉にあげている。現時点でも世論調査では日本社会の半分程度の人びとは、原発再稼働について反対であり、原発については不安を感じている。しかし、原発への不安が具現化した福島第一原発事故の影響については「否認」し、それを主張する人びとについて攻撃することが、一つの規範となっているようなのである。

さて、私の考える問題は、福島県における放射性物質汚染の影響を否認し、影響を主張する人びとを攻撃する認識論的根拠がどこにあるのかということである。このことについて、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックの『危険社会』(法政大学出版局、1998年)を手がかりに考えてみよう。

以前、何度か、本書の内容を紹介した。本書は、自然破壊による「危険」を現代社会の最大の問題としてとらえたもので、チェルノブイリ事故直後の1986年に原著がドイツで出版され、大きな反響を読んだ。いま、本書を読み返しているが、私としても違和感のあるところもある。しかし、まだまだ教えられることも多い。

ベックは、本書の中の「スケープゴート社会」という項目で次のようにいっている。

危険に曝されても、必ずしも危険の意識が成立するとは限らない。その反対に、不安にかられて危険を否定することになるかもしれない。危険に曝されているという意識自体を排除しようとするかもしれない。これが富の分配に対して危険の分配が異なる点である。飢えを否定解釈してもそれによって胃袋を満たすことはできない。しかし、危険は(現実化していないかぎり)いつでも、ないものと否定解釈することできる。物質的な困窮の場合は、事実上の被害と主観的な体験や被害とが解きがたく一つになっている。危険の場合はそうではない。逆に、危険について特徴的なのは、まさに被害そのものが、危険を意識しない状態を引き起こす可能性があることである。危険の規模が大きくなるにつれて危険が否定され、過小評価される可能性が大きくなるのである。

これは、重要な指摘である。危険に曝されていればいるほど、かえって危険を否認する可能性があるというのである。それはなぜなのだろうか。ベックは次のように論じている。

危険は知識の中で成立するのだから、知識の中で小さくしたり大きくしたり、あるいは意識から簡単に排除したりすることができる。飢えにとってはそれを満たす食物にあたるものは、危機意識にとって、危険を排除することであり、あるいは危険がないと解釈することである。危険の排除が(個人のレベルでは)不可能な分だけ、危険を否定する解釈が重要性を増す。

ベックは本書の各所で述べているが、放射性物質その他有害物質などによる自然破壊における「危険」は、人間の感覚では通常感知されるものではなく、科学的な観測によって得られる数値を通じて認識される。例えば、シーベルトで表現される放射線量、ベクレルで表現される放射能は、急性症状が出るほどのものでない限り、人間の感覚で認識されるものではない。それは、その他の有害物質でもそうである。水俣病の発生の原因となった有機水銀で汚染された魚は、人間にせよ猫にせよ、食べてそのことが認識できるものではなかった。しかしながら、そのような目に見えない危険に曝された結果は、致命的なものと推測されている。よく、「言語論的転回」がさけばれた近年の歴史学で「表象」ということばが使われているが、まさに放射性物質などの有害物質による「危険」は「表象」なのである。

そして、このような「危険」は、スケープゴートを見つけ出すことによって解消されることが可能である。ベックは、さらに、このように指摘している。

飢えや困窮の場合と違って、危険の場合は、不確実性や不安感がかきたてられても、それを解釈によって遠ざけてしまうことも多い。生じる不安を現場で処理する必要はない。こちらへあちらへと引きずり回して、いつかその不安を克服する象徴的な場所や事物や人を捜して見つけられればよいのである。したがって、危険意識においては別の思考や行動にすりかえたり、別の社会的対立にすりかえたりすることが頻繁に起こりやすい。またすりかえることが必要とされる。そのかぎりで、政治的な無為無策とそれに伴う危険の増大が示すように、危険社会は「スケープゴート社会」への内在的な傾向を含んでいる。危険そのものではなくて、危険を指摘する者が世間の動揺を突然引き起こすのである。目に見える富によって目に見えない危険の存在が隠されてしまっているのではなかろうか。すべては知的な空想の産物ではなかろうか。知的な怖がらせ屋や、危険の脚色家のでっち上げではないのだろうか。本当は東ドイツのスパイや共産主義者、ユダヤ人、アラブ人、トルコ人、難民が結局のところ、裏で糸を引いているのではないか。まさに危険が理解しがたいもので、その脅威の中で頼るものもないため、危険が増大すると、過激で狂信的な反応や政治思潮が広がる。こうした反応や政治動向によって、世間のなんでもない普通の人々を「避雷針」にして、直接に処理することが不可能な目に見えない危険を処理することが行われてしまう。

私たちが直面しているのは、こういう事態なのではないか。放射性物質汚染の「危険」による「不安」を、それを指摘する人びとへの攻撃によって解消する。さらに、すべては「知的な空想の産物」で「知的な反日左翼のでっちあげ」であり、「本当は中国のスパイや共産主義者、朝鮮人、韓国人、在日が結局のところ、裏で糸を引いているのではないか」と思い込む。福島の放射性物質汚染は、個人どころか国家のレベルでも現時点では解消不可能だと思う。しかし、解消不可能であるがために、放射性物質汚染の危険性を過小評価し、その不安を「スケープゴート」をみつけることに解消しようとしているのである。このような論理は、ドイツのベックが、チェルノブイリ事件直前に考えていたことだが、2014年の日本社会でも残念ながら該当しているといえよう。

 

前回、拙著『戦後史のなかの福島原発 ー開発政策と地域社会』(大月書店、2500円+税)が近日中に出版されることをこのブログに投稿した。自己宣伝かたがた、本書の全体のコンセプトについて紹介しておこう。

本書のテーマは、なぜ、福島に原発が立地がなされ、その後も10基も集中する事態となったのかということである。そのことを、本書では、実際に原発建設を受容したり拒否したりする地域住民に焦点をあてつつ、「リスクとリターンのバーター」として説明している。原発事故などのリスクがある原発建設を引き受けることで、福島などの立地社会は開発・雇用・補助金・固定資産税などのリターンの獲得を期待し、それが原発建設を促進していったと私は考えている。

まず、リスクから考えてみよう。原子力についてのリスク認識は、1945年の広島・長崎への原爆投下と1954年のビキニ環礁における第五福竜丸の被曝を経験した日本社会について一般化されていた。1954-1955年における原子力開発体制の形成においては平和利用が強調され安全は問題視されなかったが、1955年における日本原子力研究所の東海村立地においては、放射能汚染のリスクはそれなりに考慮され、大都市から離れた沿海部に原研の研究用原子炉が建設されることになった。その後も、国は、公では原子炉ー原発を「安全」と宣言しつつ、原発事故の際に甚大な被害が出ることを予測し、1964年の原子炉立地審査指針では、原子炉の周囲に「非居住区域」「低人口地帯」を設け、人口密集地域から離すことにされていたのである。

他方で、1957-1961年の関西研究用原子炉建設問題において、関西の大都市周辺地域住民は、自らの地域に研究用原子炉が建設されることをリスクと認識し、激しい反対運動を展開した。しかし、「原子力の平和利用は必要である」という国家や社会党なども含めた「政治」からの要請を否定しきることはなかった。結局、「代替地」に建設せよということになったのである。そして、関西研究原子炉は、原子炉建設というリスクを甘受することで地域開発というリターンを獲得を希求することになった大阪府熊取町に建設されることになった。このように、国家も大都市周辺地域住民も、原発のリスクをそれなりに認識して、巨大原子炉(小規模の研究用原子炉は大都市周辺に建設される場合もあった)ー原発を影響が甚大な大都市周辺に建設せず、人口が少なく、影響が小さいと想定された「過疎地域」に押し出そうとしたのである。

他方で、実際に原発が建設された福島ではどうだっただろうか。福島県議会では、1958年に自民党県議が最初に原発誘致を提起するが、その際、放射能汚染のリスクはすでに語られていた。むしろ、海側に汚染物を流せる沿海部は原発の適地であるとされていた。その上で、常磐地域などの地域工業化に資するというリターンが獲得できるとしていたのである。福島県は、単に過疎地域というだけでなく、戦前以来の水力発電所集中立地地帯でもあったが、それらの電力は、結局、首都圏もしくは仙台で多くが使われていた。原発誘致に際しては、より立地地域の開発に資することが要請されていた。その上で、福島第一原発が建設されていくのである。しかし、福島第一原発の立地地域の人びとは、組織だって反対運動は起こしていなかったが、やはり内心では、原発についてのリスクは感じていた。それをおさえるのが「原発と原爆は違う」などの東電側が流す安全神話であったのである。

さて、現実に福島第一原発が稼働してみると、トラブル続きで「安全」どころのものではなかった。また、1960-1970年代には、反公害運動が展開し、原発もその一連のものとして認識された。さらに、原発について地域社会側が期待していたリターンは、現実にはさほど大きなものではなかった。すでに述べて来たように、原発の立地は、事故や汚染のリスクを配慮して人口密集地域をさけるべきとしており、大規模開発などが行われるべき地域ではなかった。このような要因が重なり、福島第二原発、浪江・小高原発(東北電力、現在にいたるまで未着工)の建設計画発表(1968年)を契機に反対運動が起きた。これらの運動は、敷地予定地の地権者(農民)や漁業権をもっている漁民たちによる、共同体的慣行に依拠した運動と、労働者・教員・一般市民を中心とした、住民運動・社会運動の側面が強い運動に大別できる。この運動は、決して一枚岩のものではなく、内部分裂も抱えていたが、少なくとも、福島第一原発建設時よりははっきりとした異議申し立てを行った。そして、それまで、社会党系も含めて原発誘致論しか議論されてこなかった福島県議会でも、社会党・共産党の議員を中心に、原発批判が提起されるようになった。この状況を代表する人物が、地域で原発建設反対運動を担いつつ、社会党所属の福島県議として、議会で原発反対を主張した岩本忠夫であった。そして、福島第二原発は建設されるが、浪江・小高原発の建設は阻止されてきたのである。

この状況への対策として、電源三法が1974年に制定されたのである。この電源三法によって、工業集積度が高い地域や大都市部には施行されないとしつつ、税金によって発電所立地地域において道路・施設整備などの事業を行う仕組みがつくられた。同時に立地地帯における固定資産税も立地地域に有利な形に変更された。大規模開発によって原発立地地域が過疎地帯から脱却することは避けられながらも、地域における反対運動を抑制する体制が形成された。その後、電源三法事業・固定資産税・原発雇用など、原発モノカルチャー的な構造が立地地域社会で形成された。このことを体現している人物が、さきほどの岩本忠夫であった。彼は、双葉町長に転身して、原発推進を地域で強力に押し進めた。例えば、2002年に福島第一・第二原発の検査記録改ざんが発覚するが、岩本は、そのこと自体は批判しつつも、原発と地域社会は共存共栄なのだと主張し、さらに、国と東電は最終的に安全は確保するだろうとしながら、「避難」名目で周辺道路の整備を要求した。「リスク」をより引き受けることで「リターン」の拡大をはかっていたといえよう。岩本忠夫は議会に福島第一原発増設誘致決議をあげさせ、後任の井戸川克隆もその路線を受け継ぐことになった。

3.11は、原発のリスクを顕然化した。立地地域の多くの住民が生活の場である「地域」自体を奪われた。他方で、原発のリスクは、過疎地にリスクを押しつけたはずの大都市にも影響を及ぼすようになった。この3.11の状況の中で、岩本忠夫は避難先で「東電、何やってんだ」「町民のみんなに『ご苦労さん』と声をかけてやりたい」と言いつつ、認知症となって死んでいった。そして、後任の井戸川克隆は、電源三法などで原発からリターンを得てきたことは認めつつ、そのリターンはすべて置いてこざるをえず、借金ばかりが残っているとし、さらに「それ以外に失ったのはって、膨大ですね。先祖伝来のあの地域、土地を失って、すべてを失って」と述べた。

原発からのリターンは、原発というリスクがあってはじめて獲得できたものである。しかし、原発のリスクが顕然化してしまうと、それは全く引き合わないものになってしまう。そのことを糊塗していたのが「安全神話」ということになるが、3.11は「安全神話」が文字通りの「神話」でしかなかったことを露呈させたのである。

この原発をめぐるリスクとリターンの関係において、福島の多くの人びとは、主体性を発揮しつつも、翻弄された。そして、このことは、福島外の私たちの問題でもある。

7月22日、拙著『戦後史のなかの福島原発 ー開発政策と地域社会』(大月書店、2500円+税)が出版されることになった。大月書店のサイトから、目次と内容紹介をここであげておく。

戦後史のなかの福島原発 これから出る本

目次
第一章 原子力開発の開始と原子力関連施設の大都市圏からの排除
第一節 原子力開発の開始
第二節 日本原子力研究所東海村立地とリスク認識
第三節 「反原発運動」の源流としての関西研究用原子炉設置反対運動
第四節 原子炉立地審査指針の確定

第二章 地域開発としての福島第一原発の建設(一九六〇-一九六七)
第一節 福島県による原発誘致活動
第二節 福島第一原発立地と地域社会
第三節 福島第一原発の建設

第三章 福島県における原発建設反対運動の展開(一九六八-一九七三)
第一節 原発建設予定地における地権者の反対運動
第二節 一般住民による原発建設反対運動
第三節 福島県議会における反対意見の噴出

第四章 電源交付金制度と原発建設システムの確立(一九七四-一九七九)
第一節 電源交付金制度の成立
第二節 原発依存社会の行方
第三節 「日常の風景」を切り裂いた三・一一

内容説明
「平和利用」と「安全」を信じ、町の繁栄を願って立地を決めた地域。他方、放射能汚染を恐れ立地を阻んだ地域。実験炉導入前後から現在まで、地域社会における原発の受容~変容過程をリスクとリターンの交換という視点から描く。

 

http://www.otsukishoten.co.jp/book/b181018.html

 

本書の源流はこのブログにある。このブログに掲載した文章をもとにいくつかの論考を発表し、さらに、それらをまとめ直して本書になった。本書の執筆・校正の過程で、資料・文献を再度照合しており、より正確な記述になったと思う。出版していただいた大月書店と、細部にわたって的確な意見をいただいた担当編集者の角田三佳さんには感謝の念を申し述べておきたい。

また、このブログを読んでいただいたり、ご意見を頂いたりした皆さまの力があってこそ、本書の出版にこぎ着けられたといえる。そのことにも感謝しておきたい。

しかし、本書が出版されても、福島の原発周辺地域の人びとが苦難していることにはかわりがない。さらに、原発再稼働・原発輸出の動きもやむことはない。安倍政権の動きをみていると、「国民を守る」という大義名分のもとに核兵器保有すらしかねないとさえ思う。そういうことを見直す一助に本書がなることを私は祈念する。

フォロー

新しい投稿をメールで受信しましょう。

現在37人フォロワーがいます。