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前のブログで、足尾鉱毒によって山林も含めて荒廃し廃村に追いやられた旧松木村の現況について紹介した。この足尾鉱毒による山林の荒廃について、公害研究者である宇井純は1970年11月16日の自主講座公害原論(宇井純『合本公害原論』、亜紀書房、1988年)で、足尾鉱毒事件の概要を述べた後、「足尾の鉱毒事件は決して過去ではない。足尾は現に鉱毒を流しています」とし、1970年当時の足尾の山林荒廃について話した。足尾の鉱毒が流失している最大の原因は山林の荒廃であると宇井純はいう。彼は、このように言っている

 

 ところが足尾の山では何十年かかって、この木を全部枯らしたのですから、土はどんどん雨の中に出てきまして結局ハダカと変らない。ここへ亜硫酸ガスが降りそそぎ酸化されて硫酸の雨になる。この中には砒素も含まれています。そうするとタネをまいたぐらいでは草も生えないのですね。いま、一生懸命植生板という堆肥の板のなかにタネを埋め込んだものを張りつけます。これは実に骨の折れる作業です。しかし、ちょっと根がついても、それはそのまま草木として安定せずにまた次の雨で洗い流される。
 それから芽の出た草は亜硫酸ガスで枯れてしまいます。そうすると、持って上って張りつけただけですからいずれは川へ出る。銅も少しずつ流れ出る。砒素やなんかが山の肌にぶちまけられていますから苔も生えない。

そのようになった足尾の山々について、宇井純は次のように叙述している。

 

 生物がまったくいない山というものはこんなに不安定なものかということを、足尾に行くと感じますね。冬になりますと、岩の破目に水がしみこみまして凍ります。そうしますと凍った時の膨張で岩はどんどん割れていきます。
 生物が発生する前の地球というのはこんなふうにして山がけずられ風化していった。その何億年か前、陸上の植物が発生する前の地球の風化のしかたを足尾ではみることができます。そうな利ますと割合風化というものは早いものですね。ずい分硬い石ですけれども、どんどんヒビが入ってガラガラ崩れていきます。

宇井純によると、荒廃した足尾の山々は、陸上が植物に覆われていない、生物発生前の地球を彷彿させるという。このような中、砂防ダムを設置したり、斜面に網をかけて土砂流出を喰い止め用としたりすることも効果はないとされる。宇井純は「現代の技術が自然に対していかに無力であるかという実例を見るのには、足尾にいくのが一番いいと思います。私も土木屋のはしくれですけれど、できないものはできないと答えるほかはないのです」と述べている。

足尾銅山の鉱山部門は1973年に閉山され、煙害の現況の一つである足尾製錬所は1978年に比較的煙害が出ない自溶製錬法に転換、1989年には製錬所自体が事実上閉鎖された。足尾製錬所近くにある龍蔵寺の住職は「境内に草が生えるとは、夢にも思わなかった。草木が育つようになったのは自溶製錬になって亜硫酸ガスが減ってきてからです」(布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』改訂版、随想舎、2009年)と語っている。現在、足尾製錬所周辺も含めて、表土のある箇所では草ぐらいは生えている。しかし、基盤岩が露出しているところは草も生えない。そして、露出している岩自体が銅鉱石であって、そこから鉱毒が流失している恐れもあるのだ。

荒廃した足尾の山林(2016年2016年2月27日)

荒廃した足尾の山林(2016年2016年2月27日)

さらに、廃棄物を捨てた堆積場も植生を破壊した。宇井純は次のように言っている

 

 それから天狗沢とか原とかこういった古い選鉱の捨て方をみますと、山のてっぺんに索道を使って、てっぺんからバケツをひっくり返すようなかたちでどんどん投げ捨てていきます。これは山の斜面を覆ってやはり完全に植生―山に生えている木や草をこわしてしまいます。これもどうにもならないのですね。大体ケーブルで持っていくようなところですから、人間が行けるような楽なところではなくて、一辺ぶちまけたものをシャベルでいちいちすくってなんてということはとてもできないのです。

この状況も、松木堆積場に行けば理解できる。確かに廃棄物を山の上に運搬し、斜面にぶちまけるというやり方でないと、堆積場の景観はできないのだ。そして、そのようなことをすれば、斜面全体が砂漠のようになり、植生が破壊されることになるのである。

松木堆積場(2016年2月27日)

松木堆積場(2016年2月27日)

単に乱伐で山林がなくなっただけでなく、煙害によって草すらも生えることが許されなかった足尾の山々。それこそ、生物発生前の地球の景観への「回帰」であり、生物がいなくなった後の地球を「幻視」させるものであったといえる。そして、これは、自然の「摂理」などではなく、人間の「作為」でもたらされた「黙示録」なのである。人間の作為によって壊された「環境」は、人間の技術で速やかに回復できるものではないのである。足尾の山々が元のような山林に回復するには1000年はかかるだろうと言われている。そして、このようなことは、足尾で終わったわけでない。水俣でも福島でも繰り返されている。100年以上前に足尾であったことは、今の問題なのである。

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2016年2月16日、足尾銅山の上流にあり、鉱毒で1902年に廃村された旧松木村を訪問した。明治期の足尾鉱毒で廃村になった村としては、渡良瀬川の下流にあり、鉱毒沈殿池とされた旧谷中村が有名であるが、旧松木村をはじめとした渡良瀬川上流部の地域も著しく荒廃した。そもそも、足尾銅山の坑木などに使うために周辺の山林は乱伐され、沢などには廃鉱などの廃棄物の堆積場が数多く造成された。さらに、足尾製錬所による亜硫酸ガスなどの煙害によって、より広範な地域の山林が枯死していった。足尾周辺の山々は、山林が枯れていったことによって保水力を失い、渡良瀬川はたびたび大洪水を起こすことになっていく。そして、堆積場からは大量に鉱毒が流出し、渡良瀬川の中・下流域を汚染していった。足尾銅山周辺こそ、足尾鉱毒の源なのである。

まずは、旧足尾製錬所の写真を掲載しておく。そもそも、足尾製錬所の煙突はかなり低く、製錬所のばい煙は山中を漂わざるをえなかった。足尾鉱毒の反省もあって、日立銅山では高い山の頂上に高煙突を作って、煙を上空で拡散させるという方法をとって効果が上がったのだが、足尾ではそのような改良もなされなかったのである。

旧足尾製錬所(2016年2月27日撮影)

旧足尾製錬所(2016年2月27日撮影)

次に1953年の煙害区域図を示しておく(布川了『田中正造と足尾鉱毒事件を歩く』改訂版、随想舎、2009年より)。渡良瀬川最上流部は「植物育成不能」「森林経営不可能」とされていたのである。

煙害区域図(1953年版)

煙害区域図(1953年版)

足尾銅山における採鉱は1973年に終わった。足尾製錬所の煙害も1978年に製錬方法が自溶製錬法に改善され、1989年には製錬自体が事実上停止された。足尾製錬所近傍にある龍蔵寺の住職は「境内に草が生えるとは、夢にも思わなかった。草木が育つようになったのは自溶製錬になって、亜硫酸ガスが減ってきてからです」(布川前掲書)と語っている。この時期以来、ようやく、足尾でも草木が育つようになったとされている。

実際、すでに煙害はなくなったので、多少なりとも草木は育っているようだ。緑化作業も行われている。しかし、何よりも困難なことは、緑化以前に長年の荒廃によって表土が失われ、斜面が著しく侵食されているということである。下記の写真の上部では、段々畑のように階段状に土留めがなされ、そこに植林などの緑化作業がなされている。しかし、下部では基盤岩がむき出しになっており、そういうところでは木はおろか草も根をおろすことはできない。いくら上部を土留めによって植林しても、下部が風化によって侵食されれば、いずれは斜面全体が崩壊していくことになろう。

足尾周辺の山々の緑化と斜面崩壊(2016年2月27日)

足尾周辺の山々の緑化と斜面崩壊(2016年2月27日)

工事広告板には工事前と工事後の写真が掲載されているが、ほとんど景観が変わっていない。つまりは、毎回同様の作業を繰り返さざるをえないのだ。

工事広告板(2016年2月27日)工事広告板(2016年2月27日)[/caption]

1955年には砂防ダムとして足尾ダムが建設された。作られて30年間は水面が広がっていたというが、荒廃した上流部から土砂・岩石が流失し、それらによって埋め尽くされてしまった。現在、その土砂を砂利として再利用している。

足尾ダム(2016年2月27日)

足尾ダム(2016年2月27日)

足尾ダム上部(2016年2月27日)

足尾ダム上部(2016年2月27日)

砂利選別場(2016年2月27日)

砂利選別場(2016年2月27日)

旧松木村の中に入っているみると、公共事業としての緑化作業だけでなく、さまざまな団体・学校などによるボランティア活動としての植林を随所で見かけることができる。しかし、概して、よく育っていない。もともと、気候・地質があっていないのではないかと思われる。さらに、シカの食害もある。植林された箇所は、基本的に柵などで覆われていた。

植林(2016年2月27日)

植林(2016年2月27日)

実際、シカを見かけた。人や車が近寄っても遠くまで逃げない。ニホンザルも見かけた。シカの駆除日が公示されていた。シカの食害は日本全域で深刻である。しかし、ここ足尾に限っては、足尾銅山による環境破壊のほうがはるかに深刻で、シカの食害は、その結果もたらされた副次的なものに過ぎないのではなかろうか。そして、駆除も問題をはらむ。この地域は2011年の福島第一原発事故により放射能汚染されており、シカにも蓄積されている。駆除されたシカを安易に食べることもできないのである。

ニホンジカ(2016年2月27日)

ニホンジカ(2016年2月27日)

ニホンザル(2016年2月27日)

ニホンザル(2016年2月27日)

シカ駆除日の公示(2016年2月27日)

シカ駆除日の公示(2016年2月27日)

やや上流部に行くと、松木堆積場が見えてくる。松木村廃村後の1912年から1960年までの間、製錬所のカラミを廃棄し続けたところで、文字どおり、山全体に廃棄物が遺棄されている。近寄ってみると、黒い砂でしかなく、とても植物が生えそうもない。砂漠にしか見えないのだ。これでも、土木工事用に搬出されて往時の面影は薄れているようなのだが。近くには、旧松木村民の墓標が立っていた。

松木堆積場と旧松木村民の墓標(2016年2月27日)

松木堆積場と旧松木村民の墓標(2016年2月27日)

松木堆積場(2016年2月27日)

松木堆積場(2016年2月27日)

足尾周辺にはこのような堆積場が十数箇所あり、松木堆積場は大きい方だが最大というわけでもない。このような堆積場では、雨が降ると、大量の鉱毒が渡良瀬川に流れ込み、下流の地域を汚染したのである。

上流に行くと、基盤岩が露出していて、何も着手していないように見える山腹が広がっていた。基盤岩の割れ目に草木が生えている。下に道路のないところはそうなっているところが多い。それでも、表土が残っていたと考えられるところは草や潅木が生えている。

基盤岩が露出している山腹(2016年2月27日)

基盤岩が露出している山腹(2016年2月27日)

皮肉なことに、谷の下で、比較的平坦で、廃村以前には農地や宅地などとして人が使用していた形跡があるところのほうが、木や草が生え、緑化が早かったように見える。下の写真はそういうところを写した。この祠は、文化9年(1812年)3月に建造されたと刻まれている。以前、この地がどのように使われていたかはわからないが、比較的平らになっており、山腹のように近づくことも困難というわけではない。周辺には表土がまだ残っているようで、草が生え、潅木なども生え出している。植林にしても、このような地の方が、一応林を形成するにいたっているようだ。

旧松木村の祠と生え出した草木(2016年2月27日)

旧松木村の祠と生え出した草木(2016年2月27日)

どの本だったかは忘れてしまったが、この足尾の山野を、陸上植物が上陸した古生代以前の地球の陸地にたとえている文章を読んだことがある。植物に覆われていない大地には基盤岩が露出し、風雨や太陽熱などの風化に直接にさらされていた。煙害のため、植物が生えることのできなかった足尾の山野は、同様のところであった。このような陸地に、植物は長い時間をかけて上陸していった。足尾の場合、まさかそれほどのことではなかろうが、富士山・浅間山・三原山などの火山から流れ出した溶岩地域に森が形成されるくらいの時間はかかるのではなかろうか。

比較的平坦なところに、アセビが群生していた。このアセビは、シカなどの草食動物が有毒のため食べない木で、シカが群生している奈良公園に多いそうである。足尾もそうなるのではなかろうか。

旧松木村のアセビ(2016年2月27日)

旧松木村のアセビ(2016年2月27日)

ここまで荒廃してしまった旧松木村を元に戻す術はない。治山・治水にせよ、緑化にせよ、人間の思うようにはいかないだろう。治山・治水、緑化、シカの駆除、さまざまな「自然回復」作業が現在なされ、それなりの事業となっている。しかし、文字通りの「シーシュポス」の神話になっているといえないだろうか。そういうことが無駄だというのではなく、これ以上の災害を防ぐためにも、「自然回復」作業は必要である。とはいえ、風雨によって表土が流失し、岩壁が崩れ、川が土砂で埋まるという風化・堆積作用や、そして、苦労して植えた木々をシカが食べるというのも、まさに「自然」の摂理であろう。田中正造的にいえば、その流れに寄り添うことが必要なのではなかろうか。

そして、このような結果をもたらしたのは、古河財閥が経営した足尾銅山なのである。そのことを忘れてはならないのだ。

    前回のブログでは、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の全体テーマについて紹介した。ここでは、『沈黙の春』を読んでみて気づいたことを述べていこう。

    あまり言及されていないが、『沈黙の春』における農薬などの化学薬品についての印象は、核戦争における放射性物質についてのそれを下敷きにしているところがある。例えば、レイチェルは

    汚染といえば放射能を考えるが、化学薬品は、放射能にまさるとも劣らぬ禍いをもたらし、万象そのものー生命の核そのものを変えようとしている。核実験で空中にまいあがったストロンチウム90は、やがて雨やほこりにまじって降下し、土壌に入りこみ、草や穀物に付着し、そのうち人体の骨に入りこんで、その人間が死ぬまでついてまわる。だが、化学薬品もそれに劣らぬ禍いをもたらすのだ。畑、森林、庭園にまきちらされた化学薬品は、放射能と同じようにいつまでも消え去らず、やがて生物の体内に入って、中毒と死の連鎖をひき起していく。(本書pp22-23)

    核戦争が起れば、人類は破滅の憂目にあうだろう。だが、いますでに私たちのまわりは、信じられないくらいおそろしい物質で汚染している。化学薬品スプレーもまた、核兵器とならぶ現代の重大な問題と言わなくてはならない。植物、動物の組織のなかに、有害な物質が蓄積されていき、やがては生殖細胞をつきやぶって、まさに遺伝をつかさどる部分を破壊し、変化させる。未来の世界の姿はひとえにこの部分にかかっているというのに。(本書p25)

    と、言っている。レイチェルにとっては、放射性物質も化学薬品も、自然を破壊する、人間の手に入れた「新しい力」なのである。彼女は、化学薬品による白血病の発症について広島の原爆の被爆者の問題から説き起こし、急性症状による死亡者についても第五福竜丸事件で死亡した久保山愛吉を想起している。

    彼女によれば、合成化学薬品工業の勃興は、核兵器と同様に、第二次世界大戦のおとし子だと言っている。次の文章を紹介しておきたい。

     

    なぜまた、こんなことになったのか。合成化学薬品工業が急速に発達してきたためである。それは、第二次世界大戦のおとし子だった。化学戦の研究を進めているうちに、殺虫力のあるさまざまな化学薬品が発明された。でも、偶然わかったわけではなかった。もともと人間を殺そうと、いろいろな昆虫がひろく実験台に使われたためだった。
     こうして生まれたのが、合成殺虫剤で、戦争は終ったが、跡をたつことなく、新しい薬品がつくり出されてきた。(本書pp33-34)

    このような、農薬などの化学薬品による「殲滅戦」について、「私たち現代の世界観では、スプレー・ガンを手にした人間は絶対なのだ。邪魔することは許されない。昆虫駆除大運動のまきぞえをくうものは、コマドリ、キジ、アライグマ、猫、家畜でも差別なく、雨あられと殺虫剤の毒はふりそそぐ。だれも反対することはまかりならぬ」(本書p106)と彼女は述べている。そして、「私たち人間に不都合なもの、うるさいものがあると、すぐ《みな殺し》という手段に訴えるーこういう風潮がふえるにつれ、鳥たちはただまきぞえを食うだけでなく、しだいに毒の攻撃の矢面に立ちだした。」(本書p108)と指摘し、「空を飛ぶ鳥の姿が消えてしまってもよい、たとえ不毛の世界となっても、虫のいない世界こそいちばんいいと、みんなに相談もなく殺虫剤スプレーをきめた者はだれか、そうきめる権利はだれにあるのか。いま一時的にみんなの権利を代行している官庁の決定なのだ。」(本書p149)と、彼女は嘆いている。

    この「みな殺し」=ジェノサイドこそ、農薬大規模散布の根幹をなす思想ということができよう。「不都合とされた」害虫・雑草(ある場合は害鳥)は根絶しなくてはならず、そのためには、無関係なものをまきぞえにしてもかまわないーこれは、合成化学薬品工業の源流にある「化学戦」においても、無差別空襲においても、ユダヤ人絶滅計画においても、核戦争においても、それらの底流に流れている発想である。これらのジェノサイドは、科学・技術・産業の発展によって可能になったのである。まさに、二度の世界大戦を経験した20世紀だからこそ生まれた思想である。そのように、大規模農薬散布による生態系の破壊と、核兵器は、科学・技術・産業の発展を前提としたジェノサイドの思想を内包しているという点で共通性があるといえよう。レイチェル・カーソンが、農薬などの化学薬品の比較基準として「核兵器」を想定したことは、そのような意味を持っているのである。

最近、必要があって、環境関係の書籍を乱読している。その中で、最も感銘深かったのは、原著が1962年に出版されたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』(青木簗一訳、新潮社、2001年)であった。レイチェル・カーソンは、本書執筆中に癌を発病し、1964年に亡くなっているので、事実上彼女の遺著でもある。

『沈黙の春』の内容について、ごく簡単にまとめれば、第二次世界大戦後において顕著となった、DDTなどをはじめとした殺虫剤・除草剤などの農薬を飛行機などを利用して大規模に散布することについて、それは、ターゲットとなった害虫や雑草だけでなく、無関係な昆虫・魚類・哺乳類・鳥類・魚類・甲殻類や一般の植物をも「みな殺し」にして生態系を破壊するものであり、その影響は人間の身体にも及ぶのであって、他方で、ターゲットとなった害虫や雑草を根絶することはできないと指摘しているものである。よく、『沈黙の春』について農薬全面禁止など「反科学技術的」な主張をしたものといわれることがあるが、カーソン自身が「害虫などたいしたことはない、昆虫防除の必要などない、と言うつもりはない。私がむしろ言いたいのは、コントロールは、現実から遊離してはならない、ということ。そして、昆虫といっしょに私たちも滅んでしまうような、そんな愚かなことはやめよーこう私は言いたいのだ。」(本書p26)、「化学合成殺虫剤の使用は厳禁だ、などと言うつもりはない。毒のある、生物学的に悪影響を及ぼす化学薬品を、だれそれかまわずやたら使わせているのはよくない、と言いたいのだ。」(本書p30)というように、殺虫剤一般の使用を禁止してはいない。彼女は、農薬散布よりも効果ある方法として、害虫に寄生・捕食する生物の導入や、放射線・化学薬品その他で不妊化した昆虫を放つことなどを提唱しているが、それらもまた科学技術の産物である。

このように、彼女の主張は「科学」的なものである。ただ、一方で、倫理的なものでもある。彼女は、マメコガネ根絶のために行われたアメリカ・イリノイ州などでの農薬散布について叙述し、次のように言っている

 

イリノイ州東部のスプレーのような出来事は、自然科学だけではなく、また道徳の問題を提起している。文明国といわれながら、生命ある、自然に向って残忍な戦いをいどむ。でも自分自身はきずつかずにすむだろうか。文明国と呼ばれる権利を失わずにすむだろうか。
 イリノイ州で使った殺虫剤は、相手かまわずみな殺しにする。ある一種類だけを殺したいと思っても、不可能なのである。だが、なぜまたこうした殺虫剤を使うのかといえば、よくきくから、劇薬だからなのである。これにふれる生物は、ことごとく中毒してしまう。飼猫、牛、野原のウサギ、空高くまいあがり、さえずるハマヒバリ、などみんな。でも、いったいこの動物のうちどれが私たちに害をあたえるというのだろうか。むしろ、こうした動物たちがいればこそ、私たちの生活は豊かになる。だが、人間がかれらにむくいるものは死だ。苦しみぬかせたあげく、殺す。…生命あるものをこんなにひどい目にあわす行為を黙認しておきながら、人間として胸の張れるものはどこにいるのであろう?(本書pp120-121)

本書では、それぞれの農薬、そして、それらが大規模に散布された結果としての生態系の破壊、さらには、散布された農薬が人間の身体を害し、遺伝的な影響を与えていくことが科学的に叙述されている。そして、その科学を前提にして、このような問題を放置していてよいのだろうかという、倫理的な課題が提起されている。多くの生物は、結果まで考えて生きているわけではない。人間は、ある種の結果を想定して行為することによって生きている。自らの営為による生態系の破壊、人類の破滅が科学的に想定された場合、それを避けるということは、人間の倫理的な責任ということができよう。その意味で、本書は、一般化するならば、科学を追求した結果として人間の倫理的な問題が問われていくことを示した書といえるのである。

最近、日本において国民国家批判を提唱した故西川長夫の晩年の著作を読んでいる。晩年の西川は、「植民地主義」という言葉をキーワードにして現代世界を考察していた。その一つが『〈新〉植民地主義』(平凡社、2006年)である。この中で、西川は、9.11の映像を見て、「平和研究」で著名なヨハン・ガルトゥング(安倍晋三とは全く違う意味で「積極的平和主義を提唱した)の次の文章を想起したと回想している。

しかしながら、ますます相互依存が深まる世界にあって、他国で行使される暴力が、たとえばテロ行為という形で、自国にもたらされる傾向は強まるであろう。そしてそのことは、搾取と抑圧という構造的暴力の二つの基本形態にもあてはまる。自然を搾取すれば、生態系が破壊される。人々を搾取すれば、アル中や麻薬、犯罪、自殺などの深刻な社会的病が発生する。国全体を搾取すれば、債務問題や貿易問題が起こってくる。そこには宿命的なものがある。「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」(「まえがき」、『構造的暴力と平和』日本語版、中央大学出版部、1991年)

西川長夫によれば、この文章は東欧とソ連の崩壊直後に書かれたもの(1990年代初頭だろう)だということだが、西川は次のように指摘している。

いまでは9・11の予告のように思えます。だが、同時にこの文章はグローバリゼーションの見事な定義になっているのではないでしょうか。キーワードは「相互依存」ですが、それは必ずしも調和的な関係ではなく、そこには「搾取」と「抑圧」という「構造的暴力」が働いている。

3.11を経験し、その淵源の一つであった福島への原発立地ということを自分なりに検討してみて、この文章は、9・11だけでなく、3・11の予告にもなっていたと思う。なぜ、福島に原発が集中して立地していたのか。それは、単純化すれば、破滅的な原発事故の可能性を前提として、東京や大阪などの日本社会の「中心」をなすところではなく、それらから遠く離れており、人口や経済も集中しておらず、事故が起きたとしても日本社会総体への影響が小さいと考えられた「過疎地」であるために建設されたのだ。しかし、3・11をふりかえってみれば、原発事故の被害は、原発があった地元にとどまるものではない。もちろん、原発がある福島地域が最も大きいのではあるが、放射性物質は、福島だけにふりかかったわけではない。本来は影響がないようにしたはずの「首都圏」でもかなりの放射性物質が降下し、ある程度の被曝が余儀なくされた。さらに、地球全体の大気や海洋も放射性物質により汚染された。そして、今でも放射能汚染は続いている。結局、ガルトゥングにならって「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」としかいいようがないのだ。

そして、今、パリで起きた連続テロ事件の報道に接してみると、またもや、ガルトゥングの先の文章が想起される。「他国で行使される暴力が、たとえばテロ行為という形で、自国にもたらされ」ているのであり、「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」としかいいようがない。私たちは、眼前から暴力や放射能のようなものを遠ざけ、自分たちとは関係がないと考えられてきた「辺境」の地にその矛盾をおしつけてきた。しかし、やはり「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」宿命は存在しているのである。

2015年10月20日、元福島第一原発事故作業員が発症した白血病が、被曝による労災と認定された。福島第一原発事故に関連してがん発症が被曝として認められたのは初めてのことである。まず、下記のNHKのネット報道をみていただきたい。

原発事故の作業員が白血病 初の労災認定
10月20日 16時10分

東京電力福島第一原子力発電所の事故の収束作業などにあたった当時30代の男性作業員が白血病を発症したことについて、厚生労働省は被ばくしたことによる労災と認定し、20日、本人に通知しました。4年前の原発事故に関連してがんの発症で労災が認められたのは初めてです。
労災が認められたのは、平成23年11月からおととし12月までの間に1年半にわたって各地の原子力発電所で働き、福島第一原発の事故の収束作業などにあたった当時30代後半の男性作業員です。
厚生労働省によりますと男性は、福島第一原発を最後に作業員をやめたあと、白血病を発症したため労災を申請したということです。白血病の労災の認定基準は、年間5ミリシーベルト以上被ばくし、1年を超えてから発症した場合と定められていて、厚生労働省の専門家による検討会で被ばくとの因果関係を分析してきました。その結果、男性はこれまでに合わせて19.8ミリシーベルト被ばくし、特に、福島第一原発での線量が15.7ミリシーベルトと最も高く、原発での作業が原因で発症した可能性が否定できないとして労災と認定し、20日、本人に通知しました。
厚生労働省によりますと、原発作業員のがんの発症ではこれまでに13件の労災が認められていますが、4年前の原発事故に関連して労災が認められたのはこれが初めてです。
労災申請 今後増える可能性
厚生労働省によりますと、福島第一原発の事故後、被ばくによる労災は今回の件以外に10件が申請されていて、このうち7件では労災は認められませんでしたが、3件は調査が続いています。福島第一原発で事故からこれまでに働いていた作業員は延べおよそ4万5000人で、年間5ミリシーベルト以上の被ばくをした人は2万1000人余りに上っていて、今後、労災の申請が増える可能性もあります。
専門家「今後も被ばく量に注意」
今回の労災認定についてチェルノブイリ原発の事故の際、被ばくの影響を調査した長崎大学の長瀧重信名誉教授は「労災の認定基準は、労働者を保護するために僅かでも被ばくをすれば、それに応じてリスクが上がるという考え方に基づいて定められていて、今回のケースは年間5ミリシーベルト以上という基準に当てはまったので認定されたのだと思う。福島第一原発での被ばく量は15.7ミリシーベルトとそれほど高くはないので、福島での被ばくが白血病の発症につながった可能性はこれまでのデータからみると低いと考えられるが、今後も、作業員の被ばく量については、十分注意していく必要がある」と話しています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151020/k10010276091000.html

この記事によると、白血病の労災認定基準は、年間5ミリシーベルト以上被曝し、それから1年以上経過して発症した場合とされているが、この作業員の場合、2011年11月から2013年12月の間で各地の原発で作業に従事して19.8ミリシーベルト被曝し、そのうち福島第一原発での作業で15.7ミリシーベルト被曝したということで、労災認定されたということである。この経過からみると、より線量が高かったと思われる事故直後の作業には携わっていない。報道でも指摘されているが、福島第一原発事故処理に携わり年間5ミリシーベルト以上被曝した作業員は2万1000人以上にのぼる。福島第一原発関連で被曝による労災認定申請は11件だされ、7件が未認定、3件が調査中で、本件が認められたということだが、放射線従事者の通常時の年間線量限度は50ミリシーベルト、5年間での限度は100ミリシーベルトで、かなり多くの労働者が年間5ミリシーベルト以上の被曝をしているのである。

この報道をみて再認識させられたことは、年間5ミリシーベルト以上被曝するということは、それを原因にした白血病の発症を覚悟しなくてはならないということである。もちろん、皆が白血病を発症することではなく、統計的にいえば白血病発症のリスクが高まるということなのだろうが、白血病を発症した個人にとっては死に直結しかねないリスクなのである。

それにもかかわらず、原発労働者は、年間50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルトという、被曝によって白血病発症が認められる年間5ミリシーベルトよりかなり高い被曝線量を受忍しなくてはならない。今回認められたケースでも、総計20ミリシーベルト弱であり、それらの限度からみれば、必ずしも限度近くとはいえない線量である。これは、たぶん、3.11以前からのことであるが、原発労働者は白血病を覚悟しなくてはならない放射線量の中で働かされていたのだ。原発労働者は被曝労働者なのである。そして、汚染水処理や廃炉作業などの福島第一原発事故処理は、そういった被曝労働者を増やすことになっている。

また、現在までに福島の各地域で除染事業が進められてきたが、従事する労働者たちにおいても、年間5ミリシーベルト以上の被曝する場合もあるだろうと予想されている。

さらに、現在、福島第一原発事故にともなう避難区域のなかで、放射線量年間20ミリシーベルト以下の避難指示解除準備区域では、除染をある程度進め、インフラを整備した上で、避難指示が解除され、住民の帰還が促されている。そして、政府は、この避難指示解除準備区域と、年間20〜50ミリシーベルトの放射線量があった居住制限区域に対する避難指示を2017年までに解除する方針を打ち出している。これらの地域の放射線量は、自然的な減衰と、それなりの除染で、いくばくか下がっているだろうと思われる。しかし、このまま解除され、住民の帰還が促進されれば、年間5ミリシーベルト以上の被曝を余儀なくされる人々が少なからず出て来るだろう。

白血病の労災認定が認められた労働者が福島第一原発で働いていた時期は、事故直後の混乱した状態の時ではない。汚染水や廃炉などの福島第一原発事故処理、福島県各地で行われた除染事業、復興の名のもとに避難指示を解除して住民の帰還を促す政策展開、これらは、白血病などの発症リスクをこえた放射線量が照射された被曝者をやみくもに増やしているようにしかみえないのである。

もう旧聞になるが、2015年8月11日、九州電力の川内原発が再稼働した。同日、菅義偉官房長官は次のようにコメントしている。

川内原発再稼働、菅官房長官「判断するのは事業者」
 
[東京 11日 ロイター] –
は11日の記者会見で、九州電力(9508.T)の川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)について「再稼働を判断するのは事業者であり、政府は万が一事故が起きた場合に先頭に立って対応する責任がある」と述べた。川内1号は同日午前10時半に原子炉が再稼働した。

菅長官は、国際原子力機関(IAEA)の基本原則に「安全の一義的責任は許認可取得者にある」と明記されていると指摘。政府は、原子力規制委員会が新規制基準に適合すると認めた場合に、原発の再稼働を進めることを閣議決定していることから、災害の際には国が迅速に対応する責任があると語った。

その上で、「再稼働にあたっては地元の理解が得られるよう丁寧に取り組んでいくことが極めて重要」との見方を示した。http://jp.reuters.com/article/2015/08/11/suga-sendai-nuclear-idJPKCN0QG08U20150811

それ以来、伊方原発他、日本各地の原発再稼働への動きがさかんに報道されている。つい最近は、安倍改造内閣で新規に復興担当大臣となった福井県選出衆議院議員である高木毅が、10月7日の就任記者会見で東北の被災地にある女川原発と福島第二原発を再稼働させることもありうると話している。

「被災地原発 基準適合なら再稼働」 就任会見で高木復興相

2015年10月8日 朝刊(東京新聞)

 高木毅復興相(衆院福井2区)は七日夜の首相官邸での就任記者会見で、東日本大震災で被災した東北三県にある東京電力福島第二原発(福島県楢葉町、富岡町)と東北電力女川原発(宮城県女川町)を再稼働させる可能性について「原子力規制委員会が世界で最も厳しい水準の新規制基準に適合すると認めたもののみ、再稼働を進めるのが政府の一貫した方針で、私もそうした考えだ」と述べた。被災地以外の原発と同様に新規制基準を満たせば、再稼働することもあり得るとの考えを示した。
 安倍政権が進める原発再稼働路線を踏まえた発言。福島第一原発事故で大きな被害を出し、現在も多くの避難者がいる福島などの復興を担う閣僚の発言に対し被災地の住民や野党から批判が出る可能性がある。
 高木氏は原発が数多く立地する福井県選出。自民党では原発の早期再稼働を求める議連の事務局長も務めてきた。
 高木氏は会見で「私の地元は、原発とともに生きてきたといって過言ではない地域。非常に残念な福島の事故が起きてしまったことは、本当に重く受け止めなければならない」とも述べた。
 再稼働の手続きは、女川原発1~3号機のうち2号機のみ規制委の審査中。福島県議会は原発事故後の二〇一一年、福島第二原発の廃炉を求める請願を採択している。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201510/CK2015100802000127.html

これらの報道を見聞きするにつけ、政府側は原子力規制委員会の規制基準に適合するから再稼働を認めるというばかりで、なぜ再稼働が必要なのかということはほとんど言っていないという印象を受ける。菅官房長官にいたっては「再稼働を判断するのは事業者」と言い切っている。しかし、「政府は万が一事故が起きた場合に先頭に立って対応する責任がある」といっている。事故が起きたとき、責任をとるのは、事業者でなくて、政府なのだ。全く割に合わない。

野田政権が2012年に大飯原発の再稼働を決めたときは、電力不足により国民生活・国民経済に支障を来すためと、偽善的ではあったが、とにかく理由を述べて、人々の合意を得ようとしていた。安倍政権における再稼働については、原子力規制委員会により「安全」の保証が得られたというばかりで、人々の合意を得ようとは全くしていないのだ。今でも、半数程度が再稼働に反対という民意が各世論調査で示されているにもかかわらず、だ。

原発再稼働についての問題は重大事故時の安全性の確保だけではない。放射性廃棄物はどう処理するのか、老朽原発はどうするのか、平常の運転時でもまぬがれない労働者の被曝についてどのように対処するのか、いろいろな問題がある。そして、そもそも、汚染水、賠償、除染、避難、廃炉など、福島第一原発事故の処理はどうなっているのだろう。「政府は万が一事故が起きた場合に先頭に立って対応する責任がある」と口ではいうが、実際はこの通りだ。

そういうことすべてに、偽善的な言い訳すらしないのだ。安保法制制定過程でみられた、対話による合意獲得の努力を一切しない安倍政権の姿勢が、再稼働問題でも顕在化しているのである。