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Posts Tagged ‘核兵器’

    前回のブログでは、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』の全体テーマについて紹介した。ここでは、『沈黙の春』を読んでみて気づいたことを述べていこう。

    あまり言及されていないが、『沈黙の春』における農薬などの化学薬品についての印象は、核戦争における放射性物質についてのそれを下敷きにしているところがある。例えば、レイチェルは

    汚染といえば放射能を考えるが、化学薬品は、放射能にまさるとも劣らぬ禍いをもたらし、万象そのものー生命の核そのものを変えようとしている。核実験で空中にまいあがったストロンチウム90は、やがて雨やほこりにまじって降下し、土壌に入りこみ、草や穀物に付着し、そのうち人体の骨に入りこんで、その人間が死ぬまでついてまわる。だが、化学薬品もそれに劣らぬ禍いをもたらすのだ。畑、森林、庭園にまきちらされた化学薬品は、放射能と同じようにいつまでも消え去らず、やがて生物の体内に入って、中毒と死の連鎖をひき起していく。(本書pp22-23)

    核戦争が起れば、人類は破滅の憂目にあうだろう。だが、いますでに私たちのまわりは、信じられないくらいおそろしい物質で汚染している。化学薬品スプレーもまた、核兵器とならぶ現代の重大な問題と言わなくてはならない。植物、動物の組織のなかに、有害な物質が蓄積されていき、やがては生殖細胞をつきやぶって、まさに遺伝をつかさどる部分を破壊し、変化させる。未来の世界の姿はひとえにこの部分にかかっているというのに。(本書p25)

    と、言っている。レイチェルにとっては、放射性物質も化学薬品も、自然を破壊する、人間の手に入れた「新しい力」なのである。彼女は、化学薬品による白血病の発症について広島の原爆の被爆者の問題から説き起こし、急性症状による死亡者についても第五福竜丸事件で死亡した久保山愛吉を想起している。

    彼女によれば、合成化学薬品工業の勃興は、核兵器と同様に、第二次世界大戦のおとし子だと言っている。次の文章を紹介しておきたい。

     

    なぜまた、こんなことになったのか。合成化学薬品工業が急速に発達してきたためである。それは、第二次世界大戦のおとし子だった。化学戦の研究を進めているうちに、殺虫力のあるさまざまな化学薬品が発明された。でも、偶然わかったわけではなかった。もともと人間を殺そうと、いろいろな昆虫がひろく実験台に使われたためだった。
     こうして生まれたのが、合成殺虫剤で、戦争は終ったが、跡をたつことなく、新しい薬品がつくり出されてきた。(本書pp33-34)

    このような、農薬などの化学薬品による「殲滅戦」について、「私たち現代の世界観では、スプレー・ガンを手にした人間は絶対なのだ。邪魔することは許されない。昆虫駆除大運動のまきぞえをくうものは、コマドリ、キジ、アライグマ、猫、家畜でも差別なく、雨あられと殺虫剤の毒はふりそそぐ。だれも反対することはまかりならぬ」(本書p106)と彼女は述べている。そして、「私たち人間に不都合なもの、うるさいものがあると、すぐ《みな殺し》という手段に訴えるーこういう風潮がふえるにつれ、鳥たちはただまきぞえを食うだけでなく、しだいに毒の攻撃の矢面に立ちだした。」(本書p108)と指摘し、「空を飛ぶ鳥の姿が消えてしまってもよい、たとえ不毛の世界となっても、虫のいない世界こそいちばんいいと、みんなに相談もなく殺虫剤スプレーをきめた者はだれか、そうきめる権利はだれにあるのか。いま一時的にみんなの権利を代行している官庁の決定なのだ。」(本書p149)と、彼女は嘆いている。

    この「みな殺し」=ジェノサイドこそ、農薬大規模散布の根幹をなす思想ということができよう。「不都合とされた」害虫・雑草(ある場合は害鳥)は根絶しなくてはならず、そのためには、無関係なものをまきぞえにしてもかまわないーこれは、合成化学薬品工業の源流にある「化学戦」においても、無差別空襲においても、ユダヤ人絶滅計画においても、核戦争においても、それらの底流に流れている発想である。これらのジェノサイドは、科学・技術・産業の発展によって可能になったのである。まさに、二度の世界大戦を経験した20世紀だからこそ生まれた思想である。そのように、大規模農薬散布による生態系の破壊と、核兵器は、科学・技術・産業の発展を前提としたジェノサイドの思想を内包しているという点で共通性があるといえよう。レイチェル・カーソンが、農薬などの化学薬品の比較基準として「核兵器」を想定したことは、そのような意味を持っているのである。

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1950年代、米ソの核兵器開発競争が激化する中、大気中における原水爆実験が繰り返された。1954年3月1日、マーシャル諸島内のビキニ環礁における水爆実験により、マグロ漁船第五福竜丸が被曝し、乗組員の久保山愛吉が被曝によって死去することになったが、それは、原水爆実験による被害の一部でしかなかった。この時期、マーシャル諸島の住民やこの海域で操業していた多くの漁船は被曝した。これらの被曝漁船は、被曝したマグロなどの漁獲物を持ち帰っており、最終的には、放射能検査の末、被曝した漁獲物は廃棄された。そして、3月1日の水爆実験は、この時期繰り返された原水爆実験の一つでしかなく、これらの原水爆実験によってフォールアウトされた放射性降下物=死の灰は、大気・海洋を汚染した。

「世界は恐怖するー死の灰の正体」は、この「死の灰」に対する日本社会における危機意識を表現しようとしたものといえる。監督は、偶然だと思うが福島第一原発事故の被災地の一つである現南相馬市で生まれ、「反戦的」とされ上映禁止となった「戦ふ兵隊」(1939年)などを監督した亀井文夫である。この時期、亀井文夫は砂川闘争を撮影した「砂川の人々」(二部作、1955年)「流血の記録・砂川」(1956年)、広島・長崎の被爆者を描いた「生きていてよかった」(1956年)など、社会的な関心の強い映画を撮影していた。この「世界は恐怖するー死の灰の正体」もその一つといえよう。この映画は1956年に制作され、1957年に配給された。制作・配給は三映社である。ナレーションは徳川夢声。協力者として、三宅泰雄、猿橋勝子、山崎文男、草野信男、武谷三男などが登場しており、タイトルクレジットなどには丸木位里・俊夫妻が描いた「原爆の図」がモンタージュして使われている。

この映画は、2012年11月9日に東京外国語大学で開催された上映会で初めてみた。その際、いろいろと丁寧な解説があり、自身も障害者であり長年優生保護法に取り組んできた米津知子氏より「原発にNO!を 『障害=不幸』にもNO!を」という問題提起があった。

しかし、私が最初見た時は、この映画自体に嫌悪感を感じてしまい、米津氏の問題提起を咀嚼するどころの話ではなかった。だが、多少、時間がたち、冷静にみると、この映画は、1950年代の、いまここにある危機としての放射能への恐怖を知るための格好の資料ではなかったかと思うようになってきた。もちろん、後述するように、この映画は、今の観点からみれば、多くの問題をはらんでいる。それでも、1950年代の日本の人びとがもった放射能への恐怖をある意味では赤裸々に表現しているといえよう。まずあらすじを紹介しよう。なお、現在、この映画は以下のサイトで見ることができる。

この映画の冒頭は、熱帯魚ブルーグラーミーの繁殖の場面から始まっている。それを写した後、生物の種族繁栄の営みが、今危機を迎えていると述べられている。

次の場面で、放射線実験装置の中に入れられたジュウシマツのつがいに、コバルト60による放射線が照射されるところが映し出されている。ジュウシマツは12分後、もがき苦しみながら死ぬ。そして、ここで、「これが放射能です」というナレーションが入る。ある意味では、目に見えない放射能への恐怖を可視化したものであり、優れた演出とも解釈することができる(私個人は、この場面でこの映画に嫌悪感をもったのだが)。

この放射能は、すでに東京の大気に蔓延している。ここで、立教大学の屋上に設置された集塵機からプルトニウム237が、オリエンタル写真工場の空気清浄機の濾紙からプルトニウム239が検出されていることを、測定・実験現場の映像とともに示している。

特に放射能は雨に含まれており、1954年の第五福竜丸直後の降雨にすでにストロンチウム90が検出されていた。そして、この映画では、放射能測定の現場を映し出しながら、昨年までは実験があった後に検出されていたが、撮影当時になると実験がなくても多くのストロンチウム90が検出されるようになったことが指摘されている。その原因として、近年の核実験が規模が大きく、高空で行われるため、死の灰が成層圏にとどまり、いつまでも降下してくると説明されている。

放射能雨などで降下した放射性物質は土壌を汚染する。この映画では土壌から放射能が検出されたところが映し出されていた。土壌を汚染した放射能は、作物を汚染する。この映画では、セシウム137を稲に摂取させる実験を行った後、実際に普通の田んぼからとれた米にも放射性物質が検出され、年々増えていることが映し出されている。さらに、放射性物質で汚染された牧草を食べた牛の乳から放射能が出ているのは当然であるとしつつ、粉ミルクからも放射能が検出され、増加傾向にあることが示される。そしてナレーションでは、放射能では、どんな量でも遺伝障害を引き起こすと述べ、一人一日、ストロンチウム90を0.3pCi(なお、映画ではマイクロマイクロキュリーと言われているが煩雑さをさけるためpCiと表記した)、セシウム137を51pCi食事から摂取していると指摘するのである。

ここで、ハツカネズミにストロンチウム90の入った溶液を飲ませ、体にどれほど吸収されるかという実験の光景が映し出される。ネズミが溶液を飲ませる場面には乳児がミルクを飲ませる映像が付け加えられている。結局、ネズミは解剖されるのだが、その場面は麻酔の時点から開始されており、生々しい。他でも動物実験がさかんに行われるのだが、その際、このような生々しい場面が多く挿入される。ナレーションでは、「人工放射線が人間をおびかしているから、ネズミもとんだとばっちりです」と語られている。

結局、ネズミの場合、24時間後には70%、48時間後にはさらに5%が排出されるが、それ以上は排出されないということであった。ストロンチウム90はカルシウムににており、骨に吸収されるのである。その証拠として、ネズミの骨格を置いて感光した印画紙が示された。

続いて、放射能が肺から人体に吸収されることを調べることを目的としたウサギによる実験が示される。ネズミの実験と大同小異なので、ここでは詳細を省こう。同じく「生々しい」実験の光景で「まことにウサギも災難ですがやむを得ません」というナレーションが入っている。

そして、この二つの実験から、胃腸からも肺からも放射能は定着すると結論づけた。さらに、人間の骨から放射能を検出する検査が次の場面で行われている。死体の手なども映し出されており、これも生々しい。そして、日本人の骨からもストロンチウム90が検出されていること、しかも幼児の骨からより多く検出されたとしている。

次の場面では、ネズミにストロンチウム90の溶液を注射し、がんを発生する実験が映し出されている。その結果、首のリンパ腺にがんができたネズミが登場し、「不幸な生き物」とよばれている。しかし、これはネズミだけではないとし、広島で被曝し首のケロイドにがんを発症した女性が映し出されている。手の施しようがなく、奇跡をまつばかりだそうである。

さらに、次の場面では、ショウジョウバエに放射線を照射し、突然変異を起こさせ、どのように遺伝するかという実験が映し出されている。放射線照射で致死因子ができており、それが遺伝されていくことを警告しているのである。

続く場面は、金魚の受精卵に放射線をあてる実験である。それによって、頭が二つあるような奇形が生まれ、そこに「原爆の図」の画像が挿入され、「百鬼夜行」と表現されている。その後に、広島・長崎の原爆の後生まれた、双頭や無脳児、単眼児などの「奇形」児たちが映し出される。さらに、広島の原爆慰霊碑が映し出され、「やすらかにねむってください、あやまちはくりかえしませぬから」とナレーションされる。

その後の場面では、被爆者の女性から生まれた小頭症の二人の女児が紹介されている。このあたりは、放射能が受精後に深刻な影響を与えることを示そうとしているといえよう。

そして、東京の「宮城前」が写され、そこで生殖の「営み」(といっても、デートしているだけだが)をしている男女が映し出される。しかし、その宮城前の土壌から、1kgあたりストロンチウム90が190pCi、セシウム137が240pCi検出されたことを指摘している。ここでは、これらの放射性物質から出た放射線が性細胞を直撃し遺伝問題になると警告している。

続く場面では、採血される若い女性と、血液を使って実験することが映し出され、人間の血液からもセシウム137が検出されたことが指摘されている。そこで、空気、大地、三度の食事も死の灰が含まれ、われわれの体にも死の灰がたまっていく、今後どうなるのかとナレーションされている。

さらに、気球や飛行機を使って大気上層の放射能を測定する試みや、奈良の若草山で毎年切り取られるシカの角から放射能の年次変化を測定する試みが紹介されている。

最後に、東京の地面には、すでにビキニ環礁実験時の1954年と比べて20倍のストロンチウム90が蓄積されていること、そして、この時点で核実験を中止しても、この10年間は増える一方で現在の3倍となり、現在程度に減衰するのは70年後になること、実験を中止しなければ60年後には今の40倍以上となり、危険水準をはるかにこえることを指摘した。

さらに、ネズミが放射線を照射されて苦悶しながら死んでいく映像が挿入された後、最後に次のような「作者の言葉」が提示された。

死の灰の恐怖は、人間が作り出したものであって、地震や 台風のような天災とは根本的にちがいます。だから人間がその気にさえなれば、必ず解消できるはずの問題であることを、ここに付記します。

これが、「世界は恐怖する」のあらすじである。とにかく、あまり気持のいい映像ではない。米津知子氏は「でも私は、途中で見るのをやめたくなりました。原爆のために奇形になった胎児、障害をもった女の子の映像のところです。放射性物質とともに、恐怖の対象にされて拒まれていると感じたからです」(米津前掲書)と語っている。私自身もそう思った。さらに、ここで出てくる動物たちにもそういう感じをもった。今の時点からすれば、数々の問題点が出てくる映画ではある。

ただ、一方で、亀井文夫や、映画に協力した科学者たちが恐怖した死の灰による危機意識をみるにはいい資料であるとも感じている。核実験実施が頻発した1950年代において、放射能の恐怖は、広島・長崎の原爆のように過去のものでも、全面核戦争のように未来のシナリオでもなかった。それは、その当時の日本社会が直面していた危機であった。この映画では、まず目に見えない放射能が小鳥を致死させることをみせつけ、「目に見えない恐怖」を実感させる。そして、核実験による放射能は、成層圏を含む大気中にたまり、放射能雨という形をとって降下してくる。降下した放射能は、人間の呼吸する空気を直接汚染するとともに、土壌を汚染し、最終的には米や牛乳などの食品を汚染させる。ここで扱われている動物実験は、肺や胃腸を通じて人体に摂取された放射能が人体に蓄積され、直接にはがんや白血病などを引き起こすとともに、遺伝障害や「奇形」を生み出すことを実感させている。そして、さらに、その実例として被爆者におけるがん発症や奇形児・障害児出産が挙げられている。そして、現時点でも人体に放射能が蓄積され続けていること、さらに核実験を中止した場合でも放射能は増え続けることになり、核実験をやめない場合はもっと増え、危険水準を突破するだろうと指摘している。このように、核実験による目に見えない放射能の恐怖は、当時の人びとの生存に直結するとともに、遺伝や障害という形で、彼らの子孫の生存にも左右するものとしてうけとられていたのである。そして、この恐怖の多くが、直接放射線を照射されることではなく、空気や食物による内部被曝であること、がん、白血病発症や、遺伝・障害などの長期的影響であることは特筆されるべきことだと思う。そして、このような恐怖が、当時の原水爆禁止運動の基盤となり、各地の原発建設反対運動におけるエネルギーの源泉にもなったといえるのである。

さらに、このような放射能の恐怖は、3.11以後、日本社会で感じられた恐怖の源流になったといえる。あの時も(また現在でも)、放射性物質は大気中をただよい、放射能雨によって降下し、土壌を汚染する。土壌汚染の結果、放射性物質によって食品も汚染され、人体にも蓄積され、内部被曝を引き起こし、がんや白血病が起き、さらには遺伝などの形で子孫にまで影響を及ぼすことになる。このような恐怖のあり方の原型は、まさに「世界は恐怖する」で示されたような死の灰への恐怖であるといえる。

これは、もちろん、政府の公式発表「健康に直ちに影響がない」を信じ込むことよりははるかに健全な対応であるといえよう。しかしながら、映画において恐怖の対象として障害者が排除されると同様な形で、福島県民が排除されることにもつながってしまっているようにもみえるのである。

さて、皮肉なことに、現状は、この映画で警告している状況よりも悪化しているのである。この映画で、「宮城前」の土壌1kgよりストロンチウム90が190pCi、セシウム137が240pCi検出されたと指摘されている。これをベクレルに換算すると、それぞれ7bq、8.9bqとなる。今や、セシウム137の食品規制値が1kgあたり100bqであり、8.9bqであると食品ですら規制されない量なのである。千代田区のサイトによると、千代田区の各公園の砂場を対象とした2011年の測定では「放射性ヨウ素と放射性セシウム134、137で、これらの物質の合計値は土壌1kgあたり50.7~557ベクレル(平均208ベクレル)でした。」となっている。この合計値の約半分がセシウム137ということになるが、少ない場合でも約25bq、多い場合は250bqを超えており、平均値でも約100bqとなる。1950年代に「恐怖の対象」であった放射能汚染の3倍から20倍もの放射能汚染の中で、今の東京の生活は営まれているのである。福島であればより状況は悪化している。放射線管理区域基準以上のところにすら、福島県では住まなくてはならないのである。「世界は恐怖する」以上の恐怖に、今や直面しているといえよう。

参考文献:公益法人第五福竜丸平和協会「亀井文夫と映画『世界は恐怖する』、米津知子「原発にNO!を 『障害=不幸』にもNO!を」(共に2012年11月9日の映写会で配布された資料)

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ここで考えておきたいことは、「原子力の平和利用」の「平和」ということである。原発などの原子力の産業的利用において、特に日本では、常に「平和利用」ということが強調される。1951年に制定された原子力基本法には「平和の目的に限り」と原子力研究・開発が限定されている。

しかし、そもそも、原子力の利用・開発は、核兵器開発の「軍事利用」として、本格的に開始されたといえる。特にそのことを示しているのが、原爆製造のためにアメリカが第二次世界大戦中に実施したマンハッタン計画である。このマンハッタン計画については、平田光司「マンハッタン計画の現在」(歴史学研究会編『震災・核災害の時代と歴史学』、青木書店、2012年)が要領よく整理しているので、これに依拠してみていこう。

ウラン (U235)の核分裂反応が発見されたのは1938年であった。この発見は、ドイツのベルリンにおいて、O・ハーンとF・シュトラスマンによって行われたが、そのことは1939年にはアメリカに伝わった。アメリカでは、カリフォルニアの E・ローレンスのもとで最新鋭の粒子加速器サイクロトロンがつくられており、すぐにウランの核反応の詳細が調べられた。1940年には、サイクロトロンを使った連鎖核分裂反応をおこすプルトニウム(Pu239)の生成にバークレーのG・シーボーグ等により成功した。しかし、プルトニウムの発見・合成はすでに兵器開発の一環とされ、公表されることはなかった。

そして、1941年には、元マサチューセッツ工科大学副学長V・ブッシュが科学研究開発部長になり、原爆の本格的開発をめざしたマンハッタン計画の実施が決定された。この時期想定された原爆製造方法としては、ウラン(U235)とプルトニウム(Pu239)の二つを用いる方法が考えられた。周知のように、天然ウランにおいては、核分裂反応を起こす U235は0.7%しかなく、ほとんどはU238である。原爆としてU235を使うためには、純度を90%以上にする必要があった。これがウラン濃縮である。大量にウラン濃縮をすることは難しく、ガス拡散法やサイクロトロン用に開発された巨大磁石を使う(電磁分離法)などの大規模施設が必要であった。このウラン濃縮施設はテネシー州オークリッジに建設された。
 
他方、プルトニウムの場合は、E・フェルミやL・シラードによって考案された原子炉を使うことが構想された。原子炉(黒鉛炉)の中で天然ウランを「燃焼」させ、天然ウラン中のU235を核分裂させて中性子を発生させ、中性子がU238にあたってPu239に転換になる反応を利用してプルトニウムを生産させるという方策がとられた。シカゴ大学に世界最初の原子炉CP−1(シカゴパイル)がつくられ、1941年12月には連鎖反応が確認された。そして、安全性を配慮して、人口の少ないワシントン州ハンズフォードにプルトニウム生産炉は建設された。このように、原子炉とは、まず原爆製造のためのプルトニウム生産の装置であったのである。
 
このようにして生産されたウランとプルトニウムを原爆に製造する施設として、1943年、ニューメキシコ州にロスアラモス研究所が作られ、所長に理論物理学者のオッペンハイマーが就任した。1945年7月16日、ロスアラモス南方のアラゴモードでプルトニウム原爆の核実験(トリニティ実験)が行われた。そして、周知のように、8月6日には広島にウラン原爆が、8月9日には長崎にプルトニウム原爆が投下されたのである。

第二次世界大戦後、原子力エネルギーの管理は、軍部ではなく、文民の原子力委員会( AEC)に移された。AECは、(1)核兵器の開発、(2)核エネルギーの利用(原子力)、(3)核(素粒子)物理学を管轄した。つまり、アメリカにおいては、第二次世界大戦後も、核兵器の開発と、核エネルギーの利用、核物理学研究は一体のものであった。

そして、いわゆる核エネルギー(原子力)の利用自体も、兵器生産と結びついて開始されたのである。前述したように、そもそも原子炉は原爆材料としてのプルトニウムを生産するために設置されたが、原子炉のエネルギーを動力源とすることをはじめて行ったのは原子力潜水艦であった。原子力潜水艦に搭載するために、水を減速材および冷却材として使い、濃縮ウランを燃料とする軽水炉が開発された。1954年には初の原子力潜水艦ノーチラス号が完成した。原子力潜水艦開発にはウェスティングハウス社とゼネラル・エレクトリック社が協力したが、原子力潜水艦用の軽水炉は民需用原子炉のモデルとなり、両社は、二大原発メーカーとして成長していくのである。

他方で、プルトニウム生産炉としての原子炉は、高速増殖炉計画へとつながっていく。高速増殖炉においては、U235の核分裂反応によるエネルギーによって発電するとともに、放出される中性子により、U238がPu239に転換し、核燃料がより増加していくことになる。プルトニウム生産炉としての原子炉のそもそもの性格を発展させたものといえる。しかし、ここで生産されるプルトニウムは、単に原発の燃料となるだけでなく、原爆・水爆などの核兵器の材料ともなるのである。
 
平田は、次のように指摘している。

原子炉は、もともと原爆製造のために作られたものであり、軽水炉も原子力潜水艦の動力源として開発された。原子力の平和利用は、兵器の製造過程を多少変えて、一般にも役立つようにしたものである。このため、原子力で発電する装置は即軍事に転用できる。…原子力は核兵器と同じ体系のものである。原子力が広まれば、核武装の可能性も同じように広まる。(平田前掲書91頁)

まず、原子力の本格的利用を開始したアメリカにおいて、原子力を原発などの民需に使う「平和利用」とは、核戦争のための軍事利用と一体のものとして位置づけられて開始されていたことに注目しておかねばならない。

その上で、平田は、このように述べている。

アメリカ、フランスなど原子力を進めようとしている国は核武装しており、国防という経済性を無視した聖域のなかで核兵器および原子力の開発を一体として進めてきた。原子力におけるマンパワーも豊富である。軍が基本的な開発をおこなって、ある程度のノウハウが確立してから民間を参入させている。リスクが莫大で事実上計算不能であり、投資が回収できる保証のない原子力の技術とは、国家が国防のために開発するしかないものではなかろうか。この観点からすると、導入の経緯が問題なのではなく日本の原子力は最初から平和利用のみであったため、輸入技術に依存したひよわな産業構造しか持てなかったのかもしれない。(平田前掲書98頁)

高速増殖炉や核燃料再処理などのプルトニウム生産にこだわる日本の原子力政策が「平和利用」目的だけかは疑問の余地があるが、その主流が軽水炉をつかった原発開発という「原子力の平和利用」であることは相違ないといえる。そもそも、核兵器開発と一体として開始された「原子力の平和利用」であり、名目としては「平和利用」に限定せざるをえない日本の「原子力研究・開発」は、そもそも矛盾をかかえていたといえるのである。

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昨日(11月8日)、東京経済大学で韓国の現代史研究者である韓洪九氏の「韓国から見たフクシマー韓国の歴史学者が問う原発問題と平和」と題された特別講演会(主催東京経済大学21世紀教養プログラム)が開かれた。東京経済大学のホームページより、この講演会の趣旨と韓氏の略歴をまず引用しておきたい。

韓洪九(ハン・ホング)先生特別講演会
「韓国から見たフクシマ」

趣旨
韓洪九(ハン・ホング)先生は韓国の高名な現代史研究者であり、NGO「平和博物館」創設や長年にわたる在韓被爆者支援運動などで知られる平和運動家でもあります。
この度、韓先生と平和博物館の一行が、原発依存率がフランスについて世界第二位という韓国において原発事故への認識をさらに深めるため福島原発事故の被災地の調査に来日されることになりました。この貴重な機会をとらえて、核問題、原発問題に関する先生のご高見を聴くとともに、東アジアの平和と安定実現のため何をなすべきかをともに考えたいと思います。

1959年ソウル生まれ。ソウル大学国史学科大学院卒業。米国ワシントン州立大学で博士号取得。現在、聖公会大学教授。2004年から2007年まで、韓国政府の委嘱により「国家情報院過去事件真実究明による発展委員会」の委員を務めた。著書は数多いが、日本で翻訳刊行されているものは次のとおり。『韓洪九の韓国現代史Ⅰ 韓国とはどういう国か』『韓洪九の韓国現代史Ⅱ 負の歴史から何を学ぶのか』(いずれも平凡社)、『倒れゆく韓国 韓洪九の韓国「現在史」講座』(朝日新聞出版)

公開講演会であり、東京経済大学と無関係な私も出席して、この講演会を聞くことができた。以下、本ブログで、簡単に内容を紹介しておきたい。なお、パワーポイントを使った講演で、特にレジュメなどはなく、私のメモしか記録が手元にない。聞き間違いや認識不足の点も多々あるかと思うが、それは私自身の責任であることをまずことわっておきたい。

韓氏は、昨日まで福島にいっており、そこで20km圏内のゲートをみたことを話した。その無人のさまをみて、韓氏は、植民地期に故郷を離れざるを得なかった韓国の人びとを歌った詩を引用し、「奪われた地にも春がくるのか」と問いかけた。

その上で、韓氏は、まず、原子力政策を推進している人びとについて「原子力マフィア」とよび、日本と韓国の共通性を指摘した。韓国でも、日本と同様、学者・官僚・建設業界・マスコミ・政治家・電力業界・金融界などを中心として「原子力マフィア」が存在し、市民を排除して原発建設を推進しているという。特に、韓国の現大統領である李明博は現代建設の社長を長く務め、現在稼働中の21基の原発のうち12基の建設にかかわったという。そして、現在、韓国では、競争相手であった日本を尻目に、アラブ首長国連邦・インド・トルコなどに原発輸出をすすめているそうである。

そして、日中韓などの東北アジアでは、ナショナリズムが強く、「国家が国民に犠牲を強要している」ため、核兵器や原発建設が推進され続けていると述べた。「国家が国民に犠牲を強要する」というのは、韓氏の今回の講演のキーコンセプトであった。このコンセプトを使って、韓氏は、韓国がかかえている現状を、原発問題に限らず述べていった。

韓国においても、福島第一原発直後は原発に対する不安感が広がり、政府やマスコミはその鎮静化にやっきになったそうである。その点は日本と同じである。しかし、韓国においては、「核不感症」ともいえる状況があると韓氏は述べた。朝鮮戦争以来の「分断」が、北朝鮮を脅威とする意識を植え付けていると韓氏はいう。韓国の極右の中には、朝鮮戦争において核兵器が使われなかったことを残念がる人すらいるそうである。もちろん、韓国の極右勢力は、北朝鮮の核兵器保有には反対であるが、中には、「統一」により、結果的に北朝鮮の核兵器により韓国も核武装することを期待する人もいるそうである。そして、核兵器開発に韓国の人びとの70%が賛成しているそうである。

つまりは、「分断」による「軍事国家」化が、核不感症の原因であるといえる。講演の後の質問でわかったことだが、韓国の原発の多くは、軍事政権下で建設され、大規模な反対運動はできなかったということである。

ただ、近年は、民主化の一定の成果で、放射性廃棄物処分場建設に対する大規模な反対運動が可能になったという。1990年における安眠島における反対運動は、光州事件以後最大といわれる規模で行われ、安眠島の住民は「独立」まで叫んでいたという。1994年の仁川・堀米島、2003年の扶安においても、反対運動がおき、計画は中止された。

ただ、住民投票という形で「合意」形成がなされたとして、2005年に慶州で放射性廃棄物処分場の建設が決定された。この「住民投票」は、四つの候補地に賛成率を競わせ、もっとも高かった慶州(約89%)に建設することにしたそうである。これは、いわゆる民主化政権の時代に行われたことであるが、韓氏は、その時期でも原子力マフィアは実権を失っていなかったからであると述べた。

韓氏は、関東大震災における朝鮮人虐殺を批判した。しかし、それでも「国家によって犠牲を強要された」人びとー原発労働者・被爆者・国民ーに対する思いを強調した。彼らの犠牲の上に「電力が供給されている」と主張したのである。

そして、「国家により犠牲を強要された人びと」として、昨年の天安艦沈没事件の犠牲者や、徴兵制軍隊内部での暴力での犠牲者をあげている。韓氏は、アメリカのケネディ大統領の言葉をひっくりかえし、「国家が俺に何をしてくれたのか」と述べた。この言葉は、ギャグとして、韓国で使われているそうである。

今、韓国では、来年で任期が切れる李明博の在任期間中に、原発建設をすすめようとする動きが加速していると韓氏は述べた。来年3月にはソウルで「核安保サミット」が開催される予定になっている。その時、「核安保民間会議」のようなものが必要なのだとした…遺憾ながら、それほど資金は潤沢ではないようのだが。来年、民主化勢力が政権を獲得する可能性は高いが、残念ながら、彼らの核問題に対する関心は高くなく、核問題を争点にできるかどうかは課題であると、韓氏は述べた。そして、韓国でも電力消費をあおって原発建設を正当化しようとしているとして、生活のスタイル総体を変えなくてはならないと主張した。

この講演会の感想について、私は、昨日フェイスブック上でこのように書いた。

ブログで書く予定の話ではあるが…。本日韓洪九氏の講演を聞いていてわかったこととして、韓国で現在稼働中の原発の多くは、軍事政権期に建設され、それこそ反対運動など認められなかったことがあげられる。多少民主化されたので、核廃棄物の保存個所については反対運動が展開できたとのこと。しかし、そのことについては、2005年に慶州で「住民投票」によって核廃棄物保存場が開設されることになったと韓氏は話した。
韓国は、民主化以後も軍事国家の側面が強く、38度線付近では、軍服を着た人びとを多くみかける。韓流ドラマにはほとんど出てこないが、軍服を着てデートする人もいた。自衛隊も米軍もー少なくとも東京においてはー街中では軍服など着ていないことからみれば、大いに違和感を感じた。
ただ、日本においては、むしろ「自治体参加」の建前のもとに、それこそ、韓国以上に原発が建設されたことからみるならば、そのような権力関係が隠蔽される構造があるのではないかと思う。たぶん、アルチュセールやフーコーはそのような課題と挌闘したのではないかと思う。私たちは、韓国の原発建設を「軍事的強権」のもとにあったとして「他者化」できるのか。腐朽した「民主主義」によって正当化しているだけではなかろうか。
私個人だって、結局のところ、3.11以前は、エジプトやリビアの出来事を「軍事権力のため」と自己認識していたといえる。日本は、形式的には「軍事権力」のもとにはないが…この惨状はなぜと問い返さなくてはなるまい。

ある意味では、過去は軍事政権下にあり、分断国家として、いまだに軍事色の強い韓国。一応、形式的には「民主主義」国家であるはずの日本。現象的には違う要素があるだろう。しかし、韓氏が主張したように「国家が犠牲を強要する」ということは同じなのだ。そのような「犠牲を強要する」ということを、形式的には「民主主義」「地方自治」などの制度を使って「合意」させている日本のほうが、より住民を内的に屈折させているという点では、よりたちが悪いということもいえるかもしれない。

そして、一見「原子力の平和利用」とされている「原発」は、実は核兵器開発と表裏一体のものであることを忘れてはならないのだろう。韓国の場合は、そのことが表に出ている。しかし、日本では「平和国家」という美名のもとに隠蔽されている。日韓両国とも、アメリカの核兵器ーつまり核の傘の下にいることは同じであるということは、もう一度想起される必要がある。そのことを通じて、沖縄普天間基地問題もTPP参加問題も検討していくかねばならないだろう。

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