さて、これまで、都市計画・区画整理や住宅地の高台移転の実施を前提にして実施された宮城県の建築制限が、ある意味で復興の妨げになっているかもしれないと論じてきた。さらに宮城県の計画するような都市計画などの大規模開発が、新自由主義における減税志向の強い政治体質や、この十年来のデフレ景況、さらに人びとや企業の流失による過疎化により、実現可能なものであるかどうかと疑問を呈してきた。
そして、むしろ、人びとや企業の流失を食い止めることこそ、宮城県にとって最も重要な課題なのではないかと指摘した。もちろん、村井宮城県知事の水産特区構想や住宅地の高台移転計画なども、そのための方策としての意味はあるだろう。しかし、現状においては、むしろ、このような宮城県の復興方針は、最終的な是非は別として、むしろ、人びとや企業の流失をエスカレートさせているともいえるのである。
当たり前の話であるが、被災以前の人びとが再び日常生活を送るようにすることが、復興なのである。現在、宮城県では、他県と比較して、仮設住宅の建設が進んでいないと聞いている。
それでは、生業の場はどうだろう。東日本大震災で、農地も漁港も大きな被害を受けた。この復旧自体が大きな課題であり、宮城県は漁港集約化を打ち出して、ここでも問題を引き起こしている。
そして、市街地については、結局、建築制限のため、既存市街地においては、リフォーム以外、工場・店舗の再建ができないのが宮城県の現状である。
将来的な都市計画の必要性は、もちろんあるだろう。その意味で、建築制限を実施する意義はある。しかし、現実に、人びとが流失していくことを押しとどめるには、被災地自体を生業の場としていかなくてはならないのではないか。
その意味で、被災地自体に、仮設工場・仮設店舗を建設していく必要があるのではないか。商業地・工業地だったところに、再び、営業を認めていくということになる。危険な所の住宅建設は当面許可せず、将来の都市計画をみすえて、撤去・移転可能なものに限定しておく。その意味で「仮設」なのだ。
仮設工場・仮設店舗によって、とりあえず住民の生業の場を与えるとともに、このことによって、市街地は市街地としての景観を少しずつではあるがとりもどすであろう。ただの空き地と、仮設店舗ーそれが屋台であったとしてもーで賑わうところでは、大きく違うのである。
もちろん、これは、ささやかなことに過ぎない。それでも、むしろ、人びとの日常生活それぞれの復旧こそが、本来自治体の取り組むべき課題なのであり、それがないならば、都市計画など意味がないと思えるのである。
コメントを残す