さて、ここで、再び、宮城県の津波被災地の復興についての問題をみていこう。宮城県では、都市計画もしくは区画整理予定地として、建築基準法84条の規定に従い、2011年4月8日に、名取市・東松島市・女川町・南三陸町・気仙沼市の市街地に建築制限をかけた。そのことを報ずる朝日新聞の報道は、次のようなものである。
宮城県、被災地に建築制限 復興計画前の乱開発防ぐ狙い
2011年4月7日21時51分
宮城県は7日、東日本大震災の津波で被災した市街地に、建築基準法に基づく建築制限をかけると発表した。無秩序な乱開発を防ぐのが狙い。役場の消滅や被災者への対応に追われる市町に代わり、県が復興計画づくりを担う。
県が建築を制限するのは、気仙沼、東松島、名取の3市と南三陸、女川の2町。石巻市も独自に制限をかける。建築制限は阪神大震災以来で、東日本大震災では初めて。
制限は8日から5月11日まで。現行の建築基準法は、災害の日から2カ月しか制限を認めていない。5月以降は阪神大震災を機に制定された被災市街地復興特別措置法を適用し、さらに2年間延期できるが、その場合は、どのエリアで街を再建するのか、場所を事前に決定する必要がある。
今回の震災では広い範囲が津波で浸水し、どこで街づくりを進めるのかを決めるには相当な時間がかかるとみられる。このため、国には、制限できる期間を延長できるよう法改正を求めていく。
壊滅的な被害で市町の機能が低下しており、県は制限がかからない農漁村中心の市町も含めた7市7町でも、首長の意向も踏まえて復興計画を練る方針。
阪神大震災では、神戸市や兵庫県西宮市など5市町が制限をかけ、土地の区画整理や市街地の再開発を進めた。(http://www.asahi.com/politics/update/0407/TKY201104070464.html)
この建築制限によって、公共用の仮設建築、工事用の仮設建築、その他知事が特に認めた場合以外、新築・増築・改築・移転(曳家)は認められないことになった。既存の法律では、二か月間で復興エリアを決めなくてはならないが、5月の特例法で、11月まで延長することが認められた。現在のところは9月11日まで適用となっている。
しかし、この措置は、宮城県独自のものである。例えば、岩手日報は、このように報じている。
行政決定、待てない 本県津波浸水区域への店舗再建
本県の沿岸地域で、東日本大震災の津波被害があった場所に店舗などを再建する動きが止まらない。政府の復興基本方針には財源も明記されず、自治体のまちづくりの計画も進まないため「行政の決定を待っていられない」と、事業主らがやむにやまれず着工したケースが多く、建築に理解を示す自治体もある。
▽車で1時間
スーパー「マイヤ」(本社・大船渡市)は4日、陸前高田市の津波浸水区域の土地を借りて仮設店舗を開業した。市内の主なスーパーは全壊。夫婦で来店した農業の男性(78)は「これまで車で1時間以上かけて隣町に買い物に行っていた。本当に便利になった」と笑顔を見せた。
▽生活のため
震災後、沿岸部に建築制限をかけた宮城県と違い、本県は浸水区域内の建築を制限する条例を定めるよう市町村に求めた。結果として、条例を定めた自治体はない。
県などによると、震災後に県が許可した浸水区域内の建築確認申請は7月末までに計65件。飲食店などの店舗も17件含まれる。県の担当者は「制限する条例がないため、建築確認が申請されたら基本的には許可している」と話す。
コンビニ大手ローソンも、陸前高田市のマイヤ仮設店舗そばで営業を再開。同社広報は「支援関係者やボランティアのニーズがあり、インフラとして必要。沿岸店舗は再開させず、避難マニュアルを徹底するなど個別に判断している」と説明する。
被災地の建築制限 宮城県では被災地の復興過程で無秩序な開発を防ぐという観点から、建築基準法84条に基づき、県内7市町の被災市街地で新築や増改築を制限している。期間は特例で通常の2カ月間から最長8カ月まで延長された。一方、岩手県は沿岸市町村に対し、同法39条に基づき津波などの危険が大きい「災害危険区域」を指定、建築を制限する条例を定めるよう求めているが、成立例はまだない。
(2011.8.14)
(http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/sh201108/sh1108141.html)
つまり、岩手県では、建築基準法による建築制限をかけてはいない。そして、建築基準法39条に規定された「災害危険区域」に指定して建築制限を適用する条例を市町村に求めているが、そのような自治体はないとのことである。
それでは、福島県はどうか。福島民報は次のように報道している。
津波復興で「災害危険区域」 県と沿岸市町 住宅建築を制限
東日本大震災の大津波で被害を受けた福島県浜通りの復興で、県といわき、相馬、新地の3市町は19日までに、津波の危険がある沿岸部を住宅建築が許可されない建築基準法の「災害危険区域」に指定する方向で協議に入った。国の護岸整備方針などを踏まえ、県は沿岸部から離れた場所に住居を集積し、魚市場など水産業関連施設を海のそばに残す「職住分離」のまちづくりを目指す。ただ、住民との合意形成や代替地選定など課題もある。
19日、開かれた県議会全員協議会で県が明らかにした。(http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4147&blockId=9845931&newsMode=article)
(2011/05/20 09:09)
福島県の場合、このような「災害危険区域」指定を行ったのは、相馬市のようである。相馬市では、沿岸部においては、住宅建設を制限することになったが、産業関連の建築は制限していないようである。南相馬市でも条例化を進めていると報道されている。
つまり、岩手・福島両県では、区画整理もしくは都市計画を前提とした建築制限は適用せず、激甚な津波被災地についてのみ「災害危険区域」として建築制限をかけることとし、それ自体、それぞれの自治体にまかせるという対応をとっているといえる。宮城県とは、大きく違っている。
岩手県では、建築制限がないため、被災地に個人個人が建築することは、原則的に自由である。現状では、たぶん、相馬市以外の福島県領域(もちろん、原発関係地は除く)でもそうであろう。相馬市においても、住宅建設のみが制限されているに過ぎない。しかし、宮城県では、そうではないのである。例えば、河北新報は、次のように報じている。
見えぬ生活再建 在宅避難者、住宅修繕踏み切れず 石巻
1階が津波で被災した自宅の2階などで生活する「在宅避難者」が多い宮城県石巻市では、東日本大震災の発生から5カ月がたった今も、台所や風呂が使えない厳しい環境で暮らす被災者も目立つ。被災規模が大きいことに加え、仮設住宅への入居や、自治体の復興計画づくりが遅れていることなどが背景にある。
<ガスも電気もなく>
旧石巻市役所に近い中央1丁目の会社員杉山創さん(62)は、1階天井まで水に漬かり、ガスも電気もない自宅で暮らす。夜は懐中電灯で明かりを採り、携帯式ラジオを聞く。食事は、地区の配給所に市から届く弁当やおにぎり、パンだ。
妻の愛子さん(59)は震災当日、外出先から「渋滞に巻き込まれている」とのメールを送ってきたのを最後に行方不明。「妻を迎える準備をしたい」と6月の百か日に合わせ、近所の避難所から自宅に戻った。
仮設住宅を申し込んでおり、台所も風呂も改修しないつもりだ。自宅はいずれ取り壊すしかないと考えている。泥を払った仏壇の近くに妻の写真を飾ったが、葬式を出す気にはまだなれない。「仮設住宅が当たるまで今の生活を続ける」と話す。
店舗兼自宅が立ち並ぶ中央地区では、現地での住宅再建を目指す人も多い。ただ、建築基準法による建築制限が掛かる区域で新築や改築は困難。土地利用の方針を示す復興計画がなかなか見えず、住宅再建にも影響を与えている。
<建築制限が障壁に>
中央1丁目の菓子製造販売の西條稔さん(70)は、1階が浸水した鉄骨3階の店舗兼自宅の壁がはがれて工事用の足場が組めず、都市ガスを自宅に引き込めない。ガス復旧には改築が必要だが見通しは立たない。西條さんは「建築制限が外れないと前に進めない」と嘆く。
「復興計画の内容次第では移転を求められる」として、自宅の本格修繕に踏み切れない被災者も少なくない。
1階が浸水した全壊状態の住宅が広範囲に広がる大街道地区。大街道南3丁目の自宅の一部を、住民向けの食料配給所として提供している会社社長佐々木公男さん(65)は「費用を掛けて直していいものか、多くの住民が迷っている」と明かす。周辺では約180人が食料配給を受け生活する。
石巻市によると、3食相当分の配食を受けている在宅避難者は約1万人。車がなければ日常の買い物が難しい地域の市民も含まれており、避難生活の解消には時間がかかりそうだ。
2011年08月13日土曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110813t13006.htm)
8月になっても、この惨状には驚くしかない。ただ、この惨状からの復興を妨げる要因として、建築基準法による建築制限もあることをみてほしい。そもそも、都市計画も区画整理も決まっていないのに、すべての建築を制限するということが、いわゆる復興の大きな妨げになっているといえる。
石巻市市街地中心部(2011年7月26日)
気仙沼市では、漁港機能の回復も建築制限で妨げられていると河北新報は報道している。
気仙沼でサンマ初水揚げ 被災漁船が漁獲、帰港
本州有数のサンマの水揚げ量を誇る宮城県気仙沼市の気仙沼港に24日、東日本大震災後初めてサンマが水揚げされ、市場が活気づいた。半面、津波で壊滅した冷凍施設の再建は遅れており、加工業者の市外流出など、影響を懸念する声も出ている。
水揚げしたのは、石巻市の第6安洋丸(199トン)。午前5時40分ごろに着岸し、北海道根室沖で捕れた約15トンをタンクに移した。160グラム以上の大型魚が8割を占め、入札では最高で1キロ820円の高値がついた。
安洋丸は気仙沼港に係留中に津波で陸に打ち上げられ、岸壁から約300メートルのがれきの上に座礁していた。
漁労長の三浦恵三さん(47)は「当初は出港できるかどうか不安だった。第1船で入港できてうれしい」と満足そう。気仙沼漁協の佐藤亮輔組合長も「打ち上げられた船が無事に帰ってきてくれて良かった」と語った。
昨年の気仙沼港のサンマ水揚げ量は2万5000トンで、花咲港(北海道根室市)に次いで全国2位。震災前は1日1000トンの水揚げを記録する日もあった。
しかし、津波で壊滅した冷凍施設の復旧が進まず、当面は「1日200~300トンが目標」(気仙沼漁協)という。
水産加工業者の間には再建が遅れている気仙沼を離れ、市外の工場に業務を移す動きもある。同市の水産加工業「阿部長商店」は市内の工場の再開のめどが立たないため、この日仕入れたサンマを大船渡工場に運んで選別した。
別の加工業者は「工場が再開できないのは、建築制限が足かせになっているためだ。このままでは加工業の市外移転が加速し、漁船の気仙沼離れにもつながりかねない」と話している。
2011年08月25日木曜日
(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/08/20110825t13004.htm)
この要因は、もちろん、国の施策の遅れがある。しかし、それだけではなかろう。宮城県が、住宅地の大規模な高台移転、職住分離、漁港集約化、水産特区などの、大規模な復興計画案を策定していることはよく知られている。この建築基準法による建築制限も、大規模な区画整理・都市計画の実施を想定しているからであると考えられる。
本ブログで女川町の復興計画でみたように、このような大規模な復興計画自体が問題があるといえる。もちろん、今後の津波被災を防止するという観点は必要であるが、それだけではなく、たぶんに大規模開発を構想していると思われる。その是非は一応置くとしても、このような大規模開発を、増税を志向しない政治家たちを前提として、現状の国費で賄うことが可能かどうかもわからないといえる。
区画整理というもの、都市計画というものの重要性は、都市史研究者のはしくれとして、よく理解している。しかし、現状では、区画整理・都市計画を進めることが、住民の排除につながっているような気がしてならないのだ。
朝日新聞が南三陸町で仮設店舗ができたことについて、次のような報道をしている。
がれきの街に仮設店舗続々 南三陸町
2011年08月26日
津波で大きな被害を受けた南三陸町で、住民が避難所から仮設住宅に移り始めたのをきっかけに、町中心部に仮設店舗が次々とオープンしている。県の建築制限がかかる浸水区域内にあるため、すぐに撤去可能なプレハブでの営業だが、日常生活を営み始めた被災者らでにぎわっている。
「がれきだらけのこの場所から始めたかった」。武山英明さん(41)は10日、壊滅した公立志津川病院のすぐ近くで、プレハブの総菜店「一歩」を開いた。経営していた魚屋は流失。魚の水揚げがほとんどないため、知人に借りた土地でコロッケやヒレカツなどを販売している。「店がないとこの町からどんどん人が出て行ってしまう。店を開くことで復興に協力したい」
25日には町の仮庁舎で、飲食店や生鮮食品店などが入る仮設商店街の説明会が開かれた。約60人が参加し、南三陸商工会から入居の条件などが説明された。
商工会は年内にも、独立行政法人・中小企業基盤整備機構の制度を使って、志津川地区に約50店舗、歌津地区に約10店舗の仮設商店街を建設したい考えだ。
商工会の及川善祐・商業部会長(58)は「仮設商店街を成功させて、町民の暮らしを支えたい」と意気込んだ。
同町中心部ではこれまで、スーパーや雑貨店などがすべて流されたため、避難所や仮設住宅の住民らは巡回バスなどを使い、近隣市のショッピングセンターなどで買い物をしていた。
仮設住宅で暮らす主婦(52)は「買い物に行くのも一日仕事だった。町の中にコンビニもいくつかできたし、震災直後と比べれば、ずいぶんと便利になった」と話している。(三浦英之)
(http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000001108260003)
復興計画とは、このような人びとの手助けをすることではなかろうか。そのような思いにかられるのである。
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