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2011年7月26日の午後、石巻についで女川を訪れた。

女川にいってみると、前と同様、人影がなかった。直前に訪問した石巻は、もちろんそれほど人はいないにせよ、多少はボランティアもおり、開いている店舗もあった。それと比べると、人の少なさが目立った。

前よりは、瓦礫がかたづけられているようだった。そして、被災地には石灰がかけられていた。たぶん、消毒のためであろう。

山奥のほうにいってみた。後で地図をみると、女川駅後方の大原というところであろう。山の奥まで、一軒の家もなかった。

道が山道にかわるところに、たぶん倉庫として使っているらしい建物があった。

津波で残った女川の家屋(2011年7月26日)

津波で残った女川の家屋(2011年7月26日)

しかし、その下の方は、すべての家屋が流され、基礎くらいしか残っていない。たぶん、大きな瓦礫は片づけられたと思われるが、小さな瓦礫はまだ残されていた。周りは完全な山であり、ウグイスなどが鳴いていた。津波の高さは20mといわれている。ここまで到達したのである。

女川の山奥にある津波被災地(2011年7月26日)

女川の山奥にある津波被災地(2011年7月26日)

女川港におりてみると、港の各所で海水が浸水していた。次の一枚をみてほしい。

女川港に浸水する海水(2011年7月26日)

女川港に浸水する海水(2011年7月26日)

画面の奥の方にあるのが岸壁の線である。それをこえて、かなり奥まで、海水が浸水していた。

次の写真のほうが、もっとよくわかるだろう。離島に向かう連絡船の桟橋であるが、まるで海に浮かぶ島のようになっている。

女川港桟橋(2011年7月26日)

女川港桟橋(2011年7月26日)

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地面を見ると、このような状態である。道路は地盛りしているが、その下の地面ーたぶん、元来の道路は、完全に水没している。

女川港の地面(2011年7月26日)

女川港の地面(2011年7月26日)

6月5日にきた際には、これほどではなかった。次の写真は、女川港の別のところをとったものであるが、完全に水没するほどではないことがわかる。

女川港岸壁(2011年6月5日)

女川港岸壁(2011年6月5日)

今回は、満ち潮となり、女川港の各所はかなりの規模で海水の浸水を受けていたのである。

もちろん、地盤沈下のためである。少々の盛り土では追いつかないのである。かなり大規模に嵩上げが必要になっているといえる。

それが、女川のかかえている大きな課題と思えた。高台移転、漁港集約化、仮設住宅建設だけでなく、女川港自体の地盤の嵩上げが必要となっているのである。

ある意味では、今は、住民の生業を確保するため、漁港などの応急的「復旧」を行うこと、これが最も必要とされていると感じた。

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昨日(7月25日)のブログで24日の多賀城市の津波被災地に行ったことを伝えた。7月26日には、石巻市・女川町、7月27日には、気仙沼市の津波被災地の見分を行った。

中世史研究者2名、近代史研究者1名がともに見分した。私個人は運転するほうにまわり、それほど写真撮影をしていない。

詳細は、後日ブログに書くことを予定している。

ただ、印象をここで記しておく。

石巻は、ようやく市街地中心部の津波被災状況が把握できたと思う。まずは、石巻港とその背後の工場地帯・倉庫地帯・水産物加工場地帯が被災し、その背後の市街地が津波の直撃を受けたといえる。もっともひどいところが門脇町ということになるだろう。さらにその背後の石巻市中心部市街地も津波が襲ったが、すべての家が全壊するほどではなかったようだ。そして、市街地中心部の一部の店舗は営業を始めているようである。

女川については、ほとんど山奥というところまで、津波に被災したことがわかった。また、昨日行った午後は、潮が満ちてきたらしく、埠頭の内側にかなり浸水していた。五箇浦湾の漁港は、それぞれの地域ごとに仮設住宅が作られていた。

気仙沼市の津波被災地(2011年7月27日)

気仙沼市の津波被災地(2011年7月27日)

本日行った気仙沼市については、湾の一番奥が、もっとも被災していたことがわかった。巨大な船が残留されていた。

それにしても、仙台ー石巻間の三陸道は大渋滞を起こしており、今回の見分において大きな支障となった。そのため、予定していた南三陸町などに足を踏み入れることはできなかった。

それに、変な話であるが、どこでも仏壇屋の新規開業が目立った。

被害も各所で大きく違っているが、復興の度合いもかなり違っている。それについても、詳述したい。

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さて、ここでは、2011年5月27日、午後4時から女川高校で開催された、女川復興計画公聴会について述べておこう。この公聴会は、鷲神・小乗(女川町市街地南側)・浦宿(万石浦側)・出島(離島部)を対象として実施された。

ここでは、町長や鈴木浩会長の挨拶は省略する。

地区住民の第一声は、このようなものであった。

(地区民)
①女川町の道路の問題は、以前からあったが、道路を拡幅する考えは無いのか。
②衛星電話を活用したのか。県庁へ連絡したら女川町から連絡が無いと言われた。
③町指定の避難場所に備蓄が少なかったのではないか。
④町議会議員が、被災後アパートを借りた。町民の苦しみをもっと分かって欲しい。
⑤防災無線の津波避難の呼びかけを、もっと具体的にして欲しかった。
⑥安全安心の町づくりに原子力関係が載っていない。原発事故が発生すれば、復興計画も意味のないものになる。
(女川町役場サイトより)

ここで、ようやく、原発関連について、住民側から意見が出たのである。外部からみると「原発事故が発生すれば、復興計画も意味のないものになる」という指摘はもっともであるといえる。このことは、女川においても、福島第一原発事故の影響が及んできたことを示しているといえる。しかし、この指摘も、より個別の問題の中の一問題、いわば、ワンオブゼムであったことにも着目しなくてはならないであろう。

それぞれの個別のことについての町長らの回答は省略しておこう。原子力発電については、このように回答している。

(町長)
原子力発電所は、人間があらゆる努力をし、いかに信頼を勝ち取るかである。建設当時は、14mの高さは必要無いと言われていたが、「必要な高さだ」と主張したことにより実現している。現在も電源車、自家発電を加える努力をしている。

町長の意見は、電力会社があらゆる努力をし、それによって信頼を勝ち得ることが必要であるということである。これは、佐賀県の玄海原発再稼働問題における、佐賀県知事や玄海町長らの姿勢と基本的に同じであるといえる。言ってしまえば、努力したことに信頼できれば、女川原発の再稼働を認めるということと同義といえるのである。

ただ、原発問題の論議はここで紹介する以上されなかった。この公聴会でもやはり、高台移転、集落・漁港の集約化が一番の課題であった。ただ、地区住民の発言もさまざまである。

例えば、「計画案は、大筋で良いと思う。住民の協働、参加が必要である」という意見があったかと思うと、「高台移転は、本当に良いのか。高齢者が生活するには高台は大変である」という意見もあった。

町長と鈴木会長は、高台移転につき、設計や交通を確保する面で、高齢者に配慮することは述べた。しかし、全体としては、

(町長)
女川町は、私有権をとても大事にしてきた。しかし、町の8割が無くなったため、がれきを片付け、嵩上げが必要となる。造成後の案を簡単に言えば、100坪の土地を持っていれば、移転先に100坪の土地の権利を与えることも考えられる。半島部の土地も個人、共同と分けて使用したり、水産加工の規模も大小様々である。分野別に協同的に考えれば信用がつき、国もお金を出し、町も補助するなど、お金を引き出しやすくなる。

(鈴木会長)
皆さんが亡くなった後に、子ども達に不動産を引き継ぐ見通しがあるのか。地方では、子ども達がふるさとを離れる。相続の時点で、空き家になるということが問題になっている。ふるさとを離れた子どもたちは、その土地を売却したいが売れず、空き家が続出するということが、現実に問題となっている。このことをこれからのまちづくりで考えていかなければならない。

と言っており、高台移転・集落・漁港の集約化をすすめることは変わっていないといえる。

また、それぞれの地域の特性にあわせた意見も地区住民から出ている。例えば、

(地区民)
小乗地区では、住民と話し合いを行った。小乗地区内の高台に適地があり、コバルトラインとの接続も可能であるため、小乗地区への居住地設置を要望したい。

という意見が出た。町長は、今の場所に近いという要望は理解できる、検討したいと答えている。

一方、ここでもまた、「総合運動場が居住地になっているが、取り壊し、清水に移転するのは税の無駄ではないか」という意見が出た。それに対し、町長は「運動公園は利用者も多いが、陸上競技場の修繕に相当なお金がかかる。体育館については、残すことも検討したい」と答えているのである。

このように、まず、高台移転や集落集約化という、住民の居場所を確保するということが最も大きな課題であった。原発問題は、女川町住民にとっては、まだ、ワンオブゼムの問題であったといえよう。

ただ、福島第一原発の事故は、近隣町村の住民の居場所を根こそぎ喪失させたものといえる。その意味では、原発が立地する女川においても、抽象的な安全論ではなく、住民の居場所を根こそぎ喪失させる可能性をもつものとして、原発がとらえられるようになってきたともいえるのである。そのような変化も、ここで読み取ることができよう。

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さて、今回は、前回予告しておいた女川町市街地を対象として2011年5月27日に行われた女川町復興計画公聴会の景況をみておこう。この日の午前中には、前述のように女川町復興連絡協議会会員に対する公聴会が開かれた。そして、午後1~3時に、女川第二小学校において、女川・清水・宮ヶ崎・石浜地区(市街地北側)を対象とした公聴会が開かれた。ついで、午後4~6時に、女川高校において、鷲神・小乗・浦宿・出島地区を対象とした公聴会が開催された。鷲神・小乗は市街地南側、浦宿は万石浦側の集落、出島は離島部にある。

まず、市街地北側を対象とした公聴会の景況からみていこう。安住宣孝町長は、一日も早い復興が望まれるが、これほどの災害では復興に時間がかかることも承知されたい、自分の財産を捨てても町づくりに協力してもらう場面もあるが、生存権を生かされる新しい町づくりが必要であると述べた。その上で、以下のように主張した。

復興には大金がかかる。全国の皆さんも、今は熱い思いを持っており、どのような計画を立ててれば国民の皆さんの目を向けさせることができるかを考えている。今回の復興計画案は、あくまでも「たたき台」であり、結論を出している訳ではない。皆さんのご意見を聞かせていただくとともに、委員を信頼して欲しい。現状から少しでも脱却するために、閉鎖的な感情で考えられては困る。プランが国、県に信頼され、次の世代が期待を持てるような計画の姿を出したい。

さらに、町長は、半島部の公聴会では浜単位で居住地を確保してほしいという意見が出ているが、人口減少・高齢化が進んでいる状態では、行政サービス・コミュニティの問題が出てくると述べた。その上で、今回は町中心部の話をするとした。

町長は、復興には金がかかるので、国民総体が注目し、国や県に信頼されるようなプランが必要であると論じているのである。その意味では、そもそも、女川町独自の復興ではないのであり、国や県の予算が要請されているのである。

さらに、女川町復興計画策定委員会会長の鈴木浩(福島大学名誉教授)は、このようにあいさつした。

日本は、原子力問題で大きく揺れているが、私は、福島県復興ビジョン委員会の座長もやっている。反原発という思いもあるが、もっと自然エネルギーを活用する必要を感じている。
今回の震災の特徴は、日本経済の低迷、政治の混迷、地域社会の空洞化、地域コミュニティ低迷の中で起きた災害である。また、地震災害、津波災害が一度に起きた問題である。
復興ビジョンの中でも避難所から仮設住宅、そして定住までの流れになるが相当の時間がかかり、皆さんがどのような健康状態、生活、仕事をしていくのかという「つなぎ」、初動体制が重要である。今日示した中間案で皆さんを操ろうとする気は毛頭無いので、多くの皆さんの意見を聞かせていただきたい。

重要なことは、ここで鈴木会長が「反原発」の意識を前提にしつつ自然エネルギーの活用を主張している点である。すでに、5月1日に提示された女川町復興方針案でも「自立型エネルギーの整備 風力発電など自立型エネルギーの整備」と記載されており、5月9日の復興計画策定委員会にだされた復興方針案での拡充された形でかかれていた。長期停電による通信機能途絶を抑止するために、電力自給をおこなおうというものであった。ある意味では、現在の電力供給体制の代替を模索しようという意識がそこに窺える。

これに対し、住民からは、まず、このような意見が出た。

①ゾーニングの話に入る前に、今の状況は、仮設住宅に入れるかどうかと言う当面の生活に関することで不安を抱いている。住宅が流され、財産は土地しかない。その財産を元手に頑張っていきたい人もいると思う。仕事が無い状況では厳しいので、計画以前に、その対応について示して欲しい。
②清水地区で水産関係の鉄工業を営んでいる。仮工場を設置して良いのか?
③清水の奥に被災した家が残っている。嵩上げ等の話もあり、家をリフォームして良いのか、新築して良いのか、女川に住みたいが住み続けられるのか、計画の前に説明が必要である。

同一人物の話かどうかわからない。ただ、仮設住宅に入居できるかいなかの不安、土地しか残っておらず、その財産をもとにしか生活再建できないという訴え、現在の生業を再開してよいかいなかの疑問、清水町に残った家をリフォームしたいなどの要望がないまぜとなっている。

町長や鈴木会長は、仮設住宅の入居期限(二年間)の延長をはたらきかけることや、漁業者の有償がれき撤去などの「つなぎ」の仕事を実施すること、仮設店舗・仮設市場の設置、移転を前提とした形での生業の再開、被災した家屋のリフォームなど、当面の問題については理解を示した。しかし、例えば、仮設住宅問題については、非常に不安であったらしく、その後も何回も質問されていた。また、集合住宅を建設してほしいという意見もだされ、町長も前向きな姿勢を示していた。

一方、住宅地の高台移転について、町長は譲らない姿勢をみせている。

復興に必要な時期は地域で異なってくるが、宮城県が10年、女川町は8年を想定している。復興には時間がかかる…個々の生活についても喫緊の課題と捉えているが、個別の生活の話だけに終止してしまうと、進んでいかない側面もあることは理解していただきたい。
…新田、日蕨(いずれも女川市街地北側の清水地区内で、山側の地域)の奥でコミュニティが形成できるのかを考える必要がある。行政として電気、水道、医療、福祉等の効率的な問題もあるため、お互い歩み寄りながら個別交渉する場面もある。現状でプレハブを建てた人がいるが、そういうことを個別に行われたのでは、行政として対応しにくい…
…土地を強制的に整理すれば「しこり」が残る。造成後は、住むところは変わるが、従前の土地の権利をそのままに、新たな土地を提供するという考えでいる。等価方式等を今後検討していく。財源の確保のためにも、国に早急にプランを示し、認めてもらわなければならない。お盆前には、復興計画を確定したいと考えている。だから急いでいる。

等価交換方式で、住宅地の高台移転を推進するということであり、現住地のプレハブ建設などは認めないというのである。

町長と地区住民の間で問題になったのは、市街地北半部にある清水町の住宅地についてである。復興計画案でははっきり書いていないのであるが、このやりとりをみると、このようなものであった。清水町は、かなり海岸線から離れたところにあるが、標高が低いので、ここも津波被害にあった。その西隣の高台に運動公園が造成されている。町長の計画によれば、この運動公園に清水町の住宅地を移転し、現在の清水町に運動公園を移すというのである。

これについて、地区住民より反対の意見が出た。以下に示しておこう。

⑩各地区に造成を行い、居住地を設置して欲しい。
⑪40億円をかけた運動場を潰すことは無い。今の地区を生かせば良い。
(中略)
⑬スポーツ施設を移転するようだが何mの嵩上げ、どのくらいの期間がかかるのか。その期間スポーツができないのか。
⑭清水地区から嵩上げし住宅地にした方が、もっと早い復興になると思う。

このような意見に対して、町長は、このように答えている。

…地区毎のコミュニティ形成の問題もある。陸上競技場も相当の被害を受けており、修理には数億かかるため、移転を考えている。
(中略)
清水地区は、津波被害を受けた事実がある。清水地区は運動場であれば津波が来ても高台に逃げれば良いと考えており、移設を考えている。津波避難訓練をしても、500~600人程度の参加である。ソフトハードの両面から、新たな町は「常に津波を意識している」ということを意識したものにしたい。二度と同じ間違いは起こさない。

つまり、基本的は、半島部の漁村集落と同じ紛争が、ここ女川町の市街部でも起きていたといえよう。住民たちは、現状の宅地を前提として生活再建を考えている。また、既設の運動公園をとりこわすことについても忌避感を感じている。一方で、町長は、強行的に高台移転をすすめているといえる。漁業権問題はからんでいないことが違いといえよう。

このように、自分の居場所を確保するということ、それ自体がこの公聴会でもっとも議論されたことであった。それも、一つの闘いであろう。

そして、「町の産業が早めに動き、仕事ができるよう仮設店舗整備を進めて欲しい」、「復興計画を国に示すことで、国からの支援が厚くなると考えて良いか」という質問に答えて、町長と鈴木会長はそれぞれこのように答えた。

(町長)
町の産業の動きは二重債務の問題があり、長期間の時間がかかるが国にも要望している。産業界は、協同でまとまり動くことで、お金を効果的に引き出すことができる。「こういうことで意見を統一してきたのか」と思わせるような「まとまり」が重要である。例えば、二重債務の話でも、「女川町はどう困っているか、水産業はどう動こうとしているか」を問われ、個々にお金が出るものではない。水産業会一体となって、組合をつくって協同的に動くことで可能性が生まれる。現在、つなぎの仕事として、思いついたことを一つ一つ処理しているが、長期的な協同の視点も必要である。皆さんも各自の思いをまとめてほしい。

(鈴木会長)
政府が、復興支援法を議論している。その結果で被災地の復興内容は左右される。被災地の課題や要求の声を、どれだけ国が反映できるのかにかかっている。皆さんも関心をもって欲しい。

いうなれば、水産業へのテコ入れを「国」に要望するに際して、「協同」するというスタイルをとることが重要であると町長は主張している。鈴木会長も、国の方針によって左右されるといっている。結局は、国に依存するしか復興はないのである。

平時では、これは地方自治の問題である。しかし、現時点では、国に依存するしか、復興の道はないだろう。そもそも財政的基盤の弱い自治体であり、震災後税収も激減することが予想される。原発からの収入も、稼働してみたところで、復興費用全体をまかえるものではない。国費投入は必然なのである。

しかし、釈然としない思いはある。住民が居場所を確保したいという意欲と相反した形で復興はすすめてよいのだろうか。町長側の努力は認めるとしてもである。

次回以降、女川町市街地南側の公聴会についてみていこう。ここで、ようやく原発問題がとりあげられるのである。

なお、7月25~27日の三日間、仙台を根拠地にして、宮城県の津波被災地を巡見することを予定している。何も具体的には決まっていないが、たぶん、石巻や女川にも行くであろう。その間は、もしかすると、せいぜい巡見記録しかブログに出せないかもしれない。とりあえずおことわりしておく。

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2011年7月20~22日(つまり、このブログを書いている22日現在ということになるが)、女川町復興計画公聴会が開かれている。7月20日午前は高白浜(五部浦中心)で、午後は女川第二小学校(市街地中心)で、21日午前は女川高校(浦宿中心)で、午後は女川町復興連絡協議会会館で、22日午前は旧女川第三小学校(北浦中心)で行われることになっている。対象地域には送迎バスが出ることになっているとのことである。ただ、復興連絡協議会会館以外は、どれにでてもいいということになっている。

この女川町復興計画公聴会について、東京ではあまり報道されていない。ただ、テレビ朝日が20日夜の「報道ステーション」と21日朝の「やじうまテレビ」で報道されていた。

公式のホームページではないが、「テレビでた蔵」サイトでは、次のように要約している。私自身もみたが、大体、この内容であっていると思う。なお、これは報道ステーションの報道を要約したものであるが、「やじうまテレビ」報道も同様であった。

原発抱える被災地で 「復興」と「脱原発」…住民の苦悩
宮城・女川町では復興計画の意見交換会が役場で行われた。東日本大震災から4ヶ月以上経った今も不満を感じており、女川町の復興費用は推定で3350億円と見られている。この町にある女川原発は、東北電力の最初の原発として1984年に営業運転を始めていた。

宮城・女川町には原発による交付金で作られたものが多い。政治家の発言通り脱原発が進めば、女川町の歳入は大きく減る可能性がある。

女川町立病院は毎年町から約5億円の補填を受けており、復興費用で町の負担が増えれば病院が閉鎖する事態もありうる。女川原発がなくなると、女川町は成り立たないという。反対派は人名に関わるような被害を及ぼす原発は見直すのは当たり前という考えを示している

(http://datazoo.jp/tv/%E5%A0%B1%E9%81%93%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3/500264)

無関心よりはいいと思うが……。私にとっては、なんとなく違和感がある記事である。これまでの女川町復興計画公聴会においては、まずは集落の高地移転、漁港集約化が問題となっており、さらに仮設住宅や仮設店舗の設置や漁港の整備などが中心になっているようにみえた。実際、多少原発問題は出ているのであるが、メインの問題にはみえなかった。メインの問題ではないということ自体が問題でもあろうが。

実際、公聴会の映像をみても「高台移転」は議論されていたが、原発問題を議論している印象は薄かった。

なお、財政問題であるが、毎日新聞のサイトは、7月15日付で、次のように報じている。

 

(前略)
「原発事故が発生すれば復興計画も意味のないものになる」

 5月27日、女川町が復興計画を策定するため、県立女川高校で開いた公聴会。町の「復興計画策定委員会」が5月に公表した復興方針に原発への言及がないことに、町民から疑問の声が出た。

 震災で緊急停止した東北電力女川原発は町中心部から車で約30分、牡鹿半島の中ほどに位置している。営業運転が始まったのは1984年。町は見返りに、多額の固定資産税と電源3法交付金という恩恵を受け、原発は最大2000人規模の雇用も生んだ。

 電源3法交付金は電源開発促進税法など三つの法律に基づき、原発などの発電所を受け入れた立地自治体に交付されている。09年度の女川町の歳入総額は約64億円。このうち、固定資産税と電源3法交付金を含めた原発マネーの割合は65%に達し、全国最高水準だ。

 町は潤沢な財源で避難所となっている町総合運動公園や観光拠点施設、町立病院といったハコモノを相次いで建設してきた。施設の維持・管理費だけでなく、施設で働く看護師や保育士などの人件費まで交付金でまかなう。「原発があるから予算が組めた」(町幹部)というのが実態だ。

 町の基幹産業だった水産業は、震災で壊滅的な被害を受けた。町財政の減収は避けられず、固定資産税と電源3法交付金の比重は増す。東京電力福島第1原発の事故で原発リスクが高まる一方で、復興計画を実現するため、町はこれまで以上に原発マネーに頼ろうとしている。

 しかし、福島第1原発の事故を受け、住民の意識は変わり始めた。女川原発に近い沿岸部に暮らす主婦(61)は「原発にもろ手を挙げ賛成、と言えなくなった」。息子は家業の漁業を継がず、女川原発で20年以上働いてきたが、やはり「脱原発」の議論が気になるという。

 選挙を控えた現職町議も住民意識の変化を敏感に受け止めている。阿部繁町議(46)は「今、脱原発を言わずにいつ言うのか。原発ありきでない町の復興計画にしないといけない」と話す。一方、町幹部は「原発の是非を巡る議論が始まれば、復旧・復興が遅れかねない」ともらす。

 「これまで選挙の時に原発なんか、話したことがない。でも、人間が制御できないものを造っていいの、と率直に思うのよね」

 当選6回を数える女川町議会の木村征郎議長(66)は、次期町議選の争点として原発論議が浮上するとの見方を示した。町財政の大前提だった原発を巡り、定数14の町議会も揺れている。【青木純】
(http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110715ddm002040081000c.html)

実際、このような発言が5月27日の女川町市街地を対象とした公聴会でなされており、まだしも説得力がある。ただ、この発言だけで、この公聴会を要約してよいのかといえば、それにも違和感がある。

確かに、脱原発かいなか、女川町にとっても重要な問題である。その気運が女川町に出ていることを伝えるのも重要であろう。これらの報道は、公聴会というよりも、原発問題についてのインタビューを中心に構成されている。その努力は認めるべきであろう。

しかし、復興計画公聴会で出された、女川町にかかえている問題はそれだけではないのである。3350億円が復興費用としてかかると算出されている。一方、町の予算は64億円で、その65%が原発関連とされている。確かに平時には重要な財源であるといえるが、復興費用全体を賄うものであろうか。

なんとなく、原発立地自治体という性格のみに着目した、ステレオタイプな報道に思えるのである。女川の場合、①津波被災地であること、②漁業の中心地であること、という二つの性格もあり、それと原発がどのようにからまっていくのかをみていく必要があるのではないか。

次回以降、原発問題も議論された、5月27日の女川町復興計画公聴会をみていきたい。また、現在開かれている公聴会についての報道があれば、紹介していきたいと考えている。

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被災前の女川港と南側の五部浦湾はどのような地域であったか。私のように、被災前に一度も行っていない人間は、過去の記録、映像などしか想像するしかない。インターネットで次の動画をみた。

(http://www.youtube.com/watch?v=Yu20bDkEyMk&feature=related)

約一年前の動画だそうである。桜が写っているので、たぶん季節は春だろう。出発点は女川港で、県道41号線を南下し、途中小さな漁港を経由して、最後には野々浜漁港に到達し、そこをじっくり写している。出発点と最終地点はわかるが、その途中の漁港の地名はよくわからない。

ここに写っている海岸付近の人家のほとんどが原形をとどめていない。なお、たぶん、女川湾の湾口堤防と思われるものが写っているが、現在ではあとかたもない。私もみなかったし、グーグルの航空写真でもみることはできないのである。

この動画からしかよくわからないのだが……。五部浦湾の各漁港は、小規模ながらも、かなり整備されていた印象を受ける。営々として、この地域で生きようとしてた人たちの心意気がみてとれる。この地域の漁港が、いつから本格的に整備されているのかはよくわからないのであるが、その努力が文字通り水泡に帰してしまったのである。

最後に、野々浜の現況の写真を出しておく。どれほどの被害があり、復旧するにはどれほどの営為が必要なのかをよく考えてほしい。

野々浜漁港(2011年6月5日)

野々浜漁港(2011年6月5日)

しかし、これらの漁港の復旧についての予算配分は、国や県の役人たちにまかされている。彼らは、この地域がどのような地域であるのか、イメージがあるのだろうか。

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さて、ふたたび、女川町復興計画案に関する公聴会の景況をみておこう。5月27日、女川町では再度女川町復興計画公聴会が開催された。まず、午前10時から、「女川町復興連絡協議会」を対象に公聴会が行われた。

この女川町復興連絡協議会とは何か。4月14日のMSN産経ニュースは、次のように伝えている。

東日本大震災で被害を受けた宮城県女川町の水産業や観光業の各団体などが14日、新しい町づくりを担おうと女川町復興連絡協議会を発足させることを決めた。同町出身の俳優中村雅俊さんも駆け付け旗揚げ式を行った。

 自らも協議会のメンバーになる中村さんは被害の大きさに驚いたといい、「女川を復興させなければならない。みなさんの手を取り心を満たしたい」と話した。

 水産観光センターが入っていた「マリンパル女川」に、中村さんが持参した「女川の町は俺たちが守る」と書かれた横断幕と垂れ幕をかけ、復興を誓った。

 中村さんは、母校の女川第一小学校も訪問。集まった児童と一緒に校歌を歌い、「みんなの笑顔が避難している人たちを元気づける」と、児童らのサインの求めに応じていた。(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110414/dst11041412540040-n1.htm)

4月14日に、俳優中村雅俊の来訪を契機に、水産業や観光団体を中心として結成された団体ということである。いわば、業界団体を中心としているといえるのである。女川町の共産党議員高野博のサイトによると「女川町の若手4,50人で組織している復興連絡協議会と議会議員の懇談会が午後4時から持たれました。」(5月28日)とあり、その中でも「若手」で構成されているといえよう。

まず、安住宣孝町長は、このように述べている。

今回の計画は、減災という考え方で、命を守ることを第一優先としている。一方で、行政としては、皆様の財産を守ることも重要な責務であるが、今回の災害をふまえると、すべての財産を守ることは非常に困難であり、優先順位を決めて、少しでも財産を守るという考え方としたい。
復興計画の検討には、生活基盤となる商工業の考え方も十分に取り入れる必要がある。そのため、委員会における先生方の検討とともに、皆様とも現実的な商業再生について、話し合っていきたい。
まずは、生活の土台を検討していただきたい。その場合、土地の問題を避けて通ることはできない。具体的な土地の権利を考慮したさまざまな制度を検討することが重要であると認識している。(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/03_meeting/03_meeting_appendix5.pdf 女川町役場ホームページより)

まずは、「減災」が強調されている。港町である女川町にとって、海辺から完全に撤退することはできないのである。その上で、特に、商工業について、この復興連絡協議会に町長は意見を問うているのである。

女川町復興連絡協議会会員からは、まず、このような意見が出た。

ゾーニングについて、新聞等を見ると「住宅地の高台移転」という方針に対して、現在の場所で継続して暮らしたいとの意見も出ているとのことである。しかし、町の将来の発展という前提に立てば、高台に住宅移転をするということについて合意形成ができていると思う。

住宅の高台移転に原則的な賛意を示しているといえる。その上で、女川湾北岸の水産物加工ゾーンとして設定された宮ケ崎~石浜地区の背後に住宅を確保することは可能か、一等地に設定されている新産業ゾーンには何を建設する予定なのかと質問している。

それに対して、町長は、宮ケ崎地区の背後に住宅を建設することは可能である、新産業ゾーンはいまだ検討が必要であると述べた。その上で、より詳細に、復興構想を物語っている。

住宅地について、総合運動場が海抜32~33m程度、二小が20数m、病院が16mで病院が被災したことを考慮すると、20m前後が津波被害の目安となる。鷲神については、バイパスで18m程度、398号は低い。委員会で盛り土の高さは、5mが限界との意見が出ている。計画では、嵩上げ地の途中に、数ヵ所津波の減衰を目的とした緑地を確保し、少しでも高い場所に宅地を確保する予定である。盛り土の程度については、技術的な検証をしっかり行いたい。また、今後、新たな住宅の確保が困難な高齢者向けに、公営住宅を建設することも視野に入れている。

つまり、委員会で出た盛り土の限界を踏まえて、まさに「減災目的」で緑地帯を設け、住宅地はより20m以上の高台に建設するというのである。一方で、自力再建が難しい高齢者のためには、公営住宅を建設するとしたのである。

また、会員からは、ゾーニング・嵩上げなどの具体的な手法が示されないので不安である、自分の土地がなくなって、新たな土地をどのように求めればよいのかという質問が出た。町長は、今、100坪の土地を持っている人に新たな造成地で100坪の土地を与えるようにしたい、造成地は国の事業で造成するので、現行制度では土地を貸すことのみが認められているが、将来的には住民のものに土地がなるように制度変更を要望していきたい、商業地や加工施設については、同じ場所で確保することは難しいかもしれないが、嵩上げ前の土地の権利は保全すると述べている。

この女川町復興連絡協議会にとって切実な問題は、仮設店舗の確保であった。鈴木浩会長が、宮古のほうで無償でプレハブを経産省から提供されて仮設店舗が建設された事例が紹介されると、協議会会員よりは、このような声があげられた。

仮設店舗については、女川町も検討していたが、公有地でなければならない等、国の条件に満たないため、実現していない。女川高校が候補地であるが、ボーリング調査の結果をふまえてと言うことなので、まだ、見通しが立たない。できれば、町で予算を確保して仮設店舗を確保してほしい。

なんとしても場所を確保したい。今後の復興のスピードに合わせて、どのような仮設店舗を作るかを検討しなければならない。まずは、開始することが重要である。たとえば、海外からトレーラーハウスが提供されていると聞いており、それを仮設店舗として活用することも考えられるが、県に来ている情報が降りてこない。町もFRK(女川町復興連絡協議会)と連携をして積極的に要望をしてほしい。

これから商売をするための方策がない。国の施策を調べると農業への支援はあるが、商工業への支援は融資のみである。我々が頼るのは、町のみである。仮設店舗が設置できるような場所を、町として確保して欲しい。現在、建築制限のある区域において、仮設店舗を建設できるように県に要望をして欲しい。

このような声に対し、町長は、次のように答えている。

個人が声を上げても、国や県は動かない。協同した流れにより、行政機関は動く。民間の支援も含め、できることから意見をまとめて、動き始める必要がある。
(中略)
FRK(女川町復興連絡協議会)の部会で具体的な意見をまとめて要望をして欲しい。行政機関としては、個人事業者個別への支援ができない。複数の事業者が活用するのであれば、支援をすることができる。

基本的には、漁業の集約化と同一の論理が町長の意見に現れているといえる。町長によれば複数の事業者が「協同」することが、国や県の支援を得る道なのである。

なお、一会員から「また、福島県では、100万個の『ひまわり』の種を植えたというニュースを見た。これは癒しの場になり、同じようなことを女川でもやるべきである」という意見が出た。実は、福島県におけるひまわりの植栽は、放射性物質の除染が目的であり、癒しの場を与えることは主目的ではないのであるが…。 女川町において「癒し」が切実に求められた証左と解釈すべきであろう。

このように、業界団体としての女川町復興連絡協議会においては、住宅の高台移転に反対の意見は出ておらず、具体的なやり方について、議論が出たといえる。他方、より切実な問題としては、仮設店舗の建設が望まれ、町長は、漁業集約化と同様に、国・県の支援を引き出すものとしての「協同」化を求めたといえるのである。

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さて、今回は、女川町北部の漁村地帯である北浦地区(桐ケ崎・竹浦・尾浦・御前・指ケ浜)を対象に5月22日に開催された女川町復興計画公聴会の景況をみておこう。前回みた南部の五部浦地区はその日の午前中に行われたが、北浦地区では午後に開かれた。

なお、もう一度、ここの地域の移転計画をみておこう。指ケ浜と御前浜は、御前浜の現在地よりやや北側であるが御前浜内の高台に移転することになっている。桐ケ崎、竹浦、尾浦は、尾浦と竹浦の中間点の高台に移ることになっている。

まず、女川町長(安住宣孝)は、次のように高台移転・漁港集約化について提案した。

皆さんが長く苦しい避難生活を送っている。今回の被害規模は非常に大きく、町内住宅の約7割、会社は8割が流出している。
国・県の動向と町の状況を勘案し、今回、案を示させていただいた。町民の方々にどの程度ご理解をいただけるのか。多くのご意見を伺いたい。
太平洋側のほとんどの地域、漁港が地盤沈下しており、現状復帰では駄目な状況である。護岸の必要の高さを調査し、嵩上げを行う必要がある。
宮城県でも復興計画が進んでおり、県と協力し復興を推進するため、宮城県土木部の次長が女川町復興計画策定委員のメンバーに入っている。従来の陳情形式だけでは頼りなく、国会議員にも実際に現地を見てもらい、町も早く計画を出すことで予算も付けてもらえると思う。
すべてを津波から守るのは困難であるが、命を守るために居住地を高台に移転することとしている。公共施設(役場・消防・病院など)も高台に置くよう整理していく方向で皆さんにご理解を求めたい。半島部も同様に高台に、宅地は造成するので、できれば2つを1つにとか予算を集中しやすいように集約したい。漁港も集中的に早期整備し、できるものからやっていくという提案が今日の議論の中心である。町全体が津波を意識した姿を作りたいと考えており、8月のお盆前には復興計画を策定したい。
漁業、居住地は皆さんの問題である。これからの漁業、地区の集約等を充分考え、議論していただきたい。漁業者数、世帯数が減少すれば、その分それぞれの力が弱くなる。また、集約すれば福祉、医療等の行政サービスもプラスになってくる。

五部浦地区の公聴会よりも、国・県の動向を考慮したことを強調しているといえる。

このような、町長の提案に対して、地域住民の反応はさまざまであった。


(御前浜と指ケ浜の中間で、小さな川が流れていて、道が大きく湾曲する地点が移転予定地点である)

例えば、自己の部落内に住宅地が建設される御前浜の住民は、このように述べた。つまりは、原則賛成なのである。

(御前浜)
ラジオで聞いたが、今回の地震と違う場所で、また地震が起きる可能性があるという。今回の案では、指ケ浜と御前浜が一緒になると思う。それには賛成だがもっと良い場所もある。

一方で、御前浜に吸収合併される形になる指ケ浜住民は、このように述べた。

(指ケ浜)
この災害により残っている多くの者が漁民である。5つの地区をまとめる案のようだが、少し手をかければ使えるところもある。指ケ浜の漁港を捨てて御前に行かねばならないのか? 指ケ浜の山も切れば良い高台となる。

このように、反対なのである。さらに、指ケ浜住民からは、部落内の漁業者の協同も協同ではないのかという発言があった。

(指ケ浜)
これまで指ケ浜では24人の漁業者がいたが、この災害で10数名になる。すべて漁業者だ。100%本気で漁業をやる者ばかりであり、その者が協力することは協同ではないか?(後略)

一方で、町長は「漁業者の熱意が協同ではなく、実際に何をどのような仕組みで協同するのかを考えて欲しい」と述べている。熱意だけでは協同にならないというのである。


(竹浦北側で尾浦との中間点周辺が移転予定地点である)

一方、どの部落からも離れた高台に移転することになっている、尾浦・竹浦・桐ヶ崎の地域住民の意見も多様であった。

竹浦の住民は、このように語っている。

(竹浦)
今、秋田仙北市に二次避難しているが、故郷である竹浦地区に住みたい。コスト、時間がかかることも分かるが海の見える故郷に住み、この傷を癒したい。この浜の瓦礫撤去作業をした際にも自分の浜だからこそ、瓦礫を取り除く手に力が入る。みんなにも自分の浜の復興だからと声を掛け作業してきた。私たちのこの気持ちを国にも伝えて欲しい。

しかし、桐ケ崎の住民は、このように述べている。

(桐ケ崎)
北浦地区の漁港を、例えば石浜に集約してはどうなのか? より安全な場所で大きな漁港にしてほしい。


石浜とは、女川町中心部の市街地に接している地域であり、実際のところは、中心部の女川漁港の一部である。この発言は、女川町北部の漁港全体を女川町中心部に統合すべきという意見であり、女川町の提案よりも過激なものであった。

さすがに、町長は、

(町長)
5つの漁港の隻数を考えたときに、石浜では困難である。1人3隻ほど普段であれば所有していたはず。その辺も検討していく。

と答えていた。

このように、五部浦地区と違って、すべてが漁村・漁港の集約化に反対しているという状況ではなかった。集落ごとに意見は違っている。自身の集落・漁港に依拠して復興すべきという者もあり、女川町の提案以上に、北部の漁港をすべて女川漁港に統合するという意見すらあった。前に見た『朝日新聞』では五部浦地区の状況を報道しているが、北浦地区は違っているのである。

それ以外、切実な要望が出された。高台移転の場合の所有地の補償、自力では自宅を再建できない高齢者のために北浦地区での町営住宅の建設、独自での高台移転、仮設住宅の入居期間の延長、市街化区域の建築制限、被災しなかった住宅を集約化するかいなか…等々。

そして、指ケ浜の住民は、「今年の秋にも漁業の仕事が出てくる。漁港の部分的な嵩上げはできないのか?」と問いかけた。それに対して、水産農林課長は「12ケ所の漁港すべてが地盤沈下している状況である。被害の大小があるが、優先順位を付け整備する。県の水産漁港部で調査して判断されることになる」と答えた。結局のところ、県の動向が漁港整備を左右しているのである。

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2011年5月9日の第二回女川町復興計画策定委員会をうけて、女川町では、5月22日から復興計画公聴会を実施した。ここでは、女川町南部の漁村集落である五部浦地区(高白・横浦・大石原・野々浜・飯子浜・塚浜・小屋取)の住民を対象として5月22日の10時から行われた公聴会の模様から、漁村集落・漁港集約化の問題をみてみよう。前回のブログで書いたように、この地域は、大石原・野々浜の後背地の高台に集中移転することを町は提案している。なお、議事録は、問題別に編集しているので、このままの順序で話しているわけではないことを付言しておく。

〇漁村集落・漁港集約のメリットを主張する女川町長
まず、町長の発言から、漁村集落・漁港集約化の意味をみておこう。

女川町長は、まず、このように述べている。

今日は、町としての集約の案を示すが、五部浦地区の漁業のあり方、生活のあり方について、皆さんの意見を聞きたい。家をすべて流されており、住居の高台移転については、皆さんの理解を得ていると考えている。
すべての漁港を、同時に整備することは何十年かかるか分からず、現実的には困難である。女川町内の居住地や漁協を数箇所にまとめて集中的に整備すれば、時間的メリットが生まれる。また、組合、支部がまとまり協同で漁業をすれば公的なお金を出すこともあり得る。しかし、従来どおり7~40世帯で漁港・集落も別々では、皆将来への不安は持っているはずであり、ある規模にまとまる方法もある。地区が集約し世帯がまとまっていれば行政的なメリットもある。
五部浦を1箇所にと町長が言えば、馬鹿を言うなという皆さんの気持ちも分かる。しかし、各漁村の世帯数は少ない。10年後、20年後を考えた時、本当に各浜で良いのか考え、本音で議論して欲しい。対立する場ではない。最終的には皆が決めることである。

(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/03_meeting/03_meeting_appendix5.pdf 女川町役場ホームページより)

概括すれば、①高台移転は合意を得ている、②漁港・漁村集落を集約化すれば、整備も急いでできるし、公的資金も受けることができる、③小規模の世帯では将来不安のはずである、ということになろう。それがメリットとして町長は語っているのである。

〇漁村集落・漁港集約化に反対する地域住民
この町長の発言に対し、この地域の住民は、ほとんど集約化に反対の意見を述べた。

(野々浜)
各地区の支部長や区長と話合ったが、集落の集約化は認められないとの結論である。現在の集落の背後、高台に居住地を設けて欲しい。

(塚浜)
住民と話し合ったが、塚浜地内に居住地を設けて欲しいとの結論になった。土地の保証は、どうなるのか?

(中略)

(塚浜)
先祖代々受継いだ土地で漁業を営むことでパワーを感じている。漁師はそのようなものだ。ぜひ、各浜の高台に宅地を設けていただきたい。であれば、復興に向けて努力する。

(中略)

(高白)
みんなと同じ意見である。どこにも離れたくない。

しかし、各集落の住民にもジレンマがあった。結局、自力で住宅を再建する資力がないのである。

(塚浜)
高台への移転は分かるが、従来どおりの集落を設けて欲しい。町内(町の中心部の意味)に人が流出することも避けたい。
家、船、養殖施設も流出し、自力で家を建てることは困難である。地区内に町営住宅的なものを建設できないか?

(中略)

(大石原浜)
大石原地区に残りたい。土地は充分にある。しかし、住宅を建てることは考えていない。

町長は、近隣の塚浜・小屋取地区の集約化を求めた。しかし、それも拒否された。

(町長)
塚浜、小屋取地区の高台は2つの地区の中間点となる。それでも、集約できないのか?

(塚浜)
皆で話し合ったが無理だった。塚浜、小屋取地区で話合いを行ったが、地先権の問題もあり物別れとなった。

この塚浜の住民からの発言は重要である。集落前の沿岸に対する漁業権を「地先権」というが、そのために集落の集約はできないとしているのである。この地域の場合、集落と漁業権は一体なのである。

〇漁港早期再建を望む地域住民
地域住民としては、漁港の早期整備を望んでいた。次に示しておこう。

(飯子浜)
飯子浜区民で、復興プランを議論しており、宅地の民有地借上げも話している。個人漁業やグループ化についても考えている。とにかく早期の漁港整備を町にお願いしたい。

(町長)
現状において地盤が沈下し、満潮時はひどい状況である。どこの地域においても嵩上げは必要であるし、背後地の問題や土地利用についても使途や調達方法など、各地区での議論が必要だ。すべての港を一斉に整備することは時間がかかるので、優先順位をつけさせてもらう。

(塚浜)
被害の少ない港を先に整備して、早期再開したいのが皆の気持ちである。

(町長)
優先順位をつけて早期整備を考える必要がある。

結局のところ、全ての漁港を同時に整備するということは難しいのである。

〇民間企業の漁業参入への対抗としての漁村・漁港の集約化を主張する女川町長
町長は、反対意見に対し、民間企業の漁業参入への対抗としての集約化を主張した。

(町長)
漁業は、競争して力が出ることも分かる。世帯数が減れば使える場所が増えるが、民間企業が漁業に参入した場合、皆さんは対抗できるのか? 結束して力を高める時ではないのか。1回話しをして駄目であっても、何度も議論していただきたい。ここで結論を出すつもりは無い。国とか相手の気持ちを動かすには前進の姿勢も大事であるので、可能性を探ってほしい。

(中略)

(町長)
前述のように大手企業が漁業に参入したときに、資本力や手法の違いから協調するのは難しい。日本が海外で企業としてペルーやノルウェーで漁業を展開しているように、会社㋐組織として運営している。災害時として生産量が期待される中で、企業が経営した方が効率的という考え方もある。それを防ぐためにも協同で漁業はできないものかという話し。女川町に民間が漁業に参入してから騒ぐのか、それを防げるだけの結束があるのか。いろいろ政治的なかけ引きが出てくる。
高台に地区を集積するメリットは命を守ることが第一である。また、地区が統合することで、インフラ整備、福祉、医療、その他の行政サービス的メリットが大きい。
次の世代、若い世代のことを考え、意見も聞いて皆さんには再度議論して欲しい。

町長は、少なくとも主観的には、地域漁業に対する大資本の参入を防ぐためにも、地域漁業の協同化は必要ではないかとしている。これは、たぶんに、宮城県の水産特区構想を念頭にしていると思われる。そして、「政治的かけ引き」が強調されているが、それは、高台移転や漁港集約化を打ち出す背景として説明していると思われる。高台移転も漁港集約化も宮城県の打ち出している政策なのであって、それは受け入れつつも、大企業の漁業参入は対抗するという姿勢といえるであろう。「国とか相手の気持ちを動かすには前進の姿勢も大事である」もその現れであるといえる。

高台移転、漁港集約化、水産特区など、東京においての議論は、ほぼリアリティを欠いている。しかし、当事者の人々にとっては、切実でありつつ、さまざまな思惑をはらんだ、微妙なものなのである。

さて、このように、女川町南部の漁村集落は、おおむね集約化には反対しているといえる。しかし、すべての地域が反対しているわけではない。次回以降、その景況をみていきたい。

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前回は、5月9日の第二回女川町復興計画策定委員会に提示された、漁村集落・漁港の集約化を主張する女川町復興計画案についてみてきた。しかし、この漁村集落・漁港の集約化は、復興計画策定員会においても、反対意見が出され、推進しようとする町長の間で、議論が交わされるようになった。以下に、第二回女川町復興計画策定委員会議事録のその部分を示しておこう。

(2)離半島部の安全な居住地の確保について
□阿部委員
〇北部・南部については、集約化は困難であるという意見が多い。漁港が破損した状態を役場で見た上でさらに検討をして欲しい。支部長と相談をしたところ、高台移転は同意しているが、集落の集約化は難色を示している。
→町長:仮設住宅は各浜単位で整備をしたい(出島は出島・寺間の中間地点に建設することを了解済み)。将来の浜については、各部落単位で残すか、集約するか、人口減を考慮すると共同で実施しなければならない漁業を考えると非常に悩ましい。現在、高台への移転への意向がある段階で、集約化を図ることも議論していただきたい。事務レベルでは各浜にという考えであったが、町の漁業を一歩前進させるために、今回の案としては集約化を図ることをあえて提示した。この点については、町と各支部と十分に話し合いを進めていきたい。
→阿部委員:漁業権の問題を考えると協業化は困難である。
→町長:権利は県が与えることになる。協業したときに漁業権をどのような形とするかについても議論をしていきたい。8月までには結論が出ないかもしれないが、今回を契機に話し合っていきたい。
→鈴木委員長:資材置き場、番屋など漁業に必要な施設設備の整備についても検討をする必要がある。他の地域でも高台移転が基本で進み始めているが、必ずしもそれが最善策ではなく、個別の対応が考えられる。最終的には地元で決断をすることになるが、方針としては高台移転の記載は残していく。
(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/02_meeting/02_meeting_report.pdf 女川町役場ホームページより)

反対意見を提起したのは、阿部彰喜である。阿部は宮城県漁協女川町支所運営委員長であり、漁協を代表しての発言といえる。彼は、支部長と相談した結果、高台移転には同意しているが、集落の集約化は難しいとしている。実は、委員には女川町区長会幹事長(斎藤俊美)もいるのだが、漁協の代表者が、集落集約化のことを発言していることに注目しておきたい。漁村において、集落と漁協は一体であると考えられる。復興方針案では、実はあまり明確に漁港集約化を述べていないのであるが、現地の実情では、集落=漁港であり、ともに集約化をすると認識されていたのである。

それに対し、町長(安住宣孝)は、各浜を、集落ごとに残すか、集約化するかは、人口減を考慮して漁業の共同化を構想するならば悩ましい問題であるとした。そして、「現在、高台への移転への意向がある段階で、集約化を図ることも議論していただきたい。事務レベルでは各浜にという考えであったが、町の漁業を一歩前進させるために、今回の案としては集約化を図ることをあえて提示した。」と述べている。つまりは、元々の構想は、集落ごとに復旧する方針であったが、あえて今回の案では、漁業の集約化を考えて、集落の高台移転にからめて、集落の集約化を提起したというのである。

この町長の発言は重要である。つまりは、5月1日の復興計画策定委員会で提起した復興方針案のA案つまり現地復興案をもとにしていたといえる。市街地については、盛り土をしながらも、大きく既成市街地を移転することはしない形で復興方針案はつくられたのであり、おおむねA案の構想にのっているといえる。しかし、漁村集落については、漁業集約化を前提として、事務局案とは違う、B案の近傍地移転復興案が導入されたといえる。

この町長の発言に対して、阿部は、漁業権の問題で協業化は困難であると反論した。それに対し、町長は、漁業権は県が与えるものであり、協業化した場合、漁業権をどうするかは今後議論していきたいと述べた。漁業権の許可権者は県知事であるということをたてにして、協業化を推進しようとしているといえよう。つまりは、宮城県の意向が考慮されているのである。

しかし、鈴木委員長(福島大学名誉教授鈴木浩)は、「他の地域でも高台移転が基本で進み始めているが、必ずしもそれが最善策ではなく、個別の対応が考えられる。最終的には地元で決断をすることになるが、方針としては高台移転の記載は残していく。」と発言している。つまりは、高台移転のみが最善策ではない、地元で決断すべきものであるが、方針案としては高台移転の記載を残すということであった。委員長自身が、高台移転案以外も考慮して地元で判断すべきとしているのである。その意味で、復興計画策定委員会で結論を出すべきものではないとしているのである。このように、復興計画策定委員会に提起された漁村集落・漁港の集約化は、委員会全体で賛成できるものではなかったのである。

なお、市街地で実施する嵩上げについても、議論が出ている。堂賀参事(企画課復興推進課技術参事堂賀貞義)は、湾口防波堤付近の小乗浜では津波の痕跡は15.7mであったが、湾内に入るとしだいに高まり、最高到達点は20.3mとなったと述べている。堂賀は、この結果を参考にして嵩上げの高さを決めるとしている。それに対し、首藤アドバイザー(東北大学名誉教授首藤伸夫)は、20m以上の高台を切り土して、そこに宅地を造成することが妥当である、地盤を埋めても3,4m程度が妥当であり、それ以上であると耐震性が問題であると主張した。また、宮城県土木部次長である遠藤信哉委員も、過度な盛り土は地震動の被害が予想されるとした。このように、既存の市街地の復興方針案についても異論が出されたのである。

このように、5月9日に提起された復興方針案は、復興計画策定委員会においても、異論が提起されたものであった。そして、実際に、5月22日以後住民の公聴会が実施されると、さらに議論をよぶことになるのである。

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