さて、ここでは、2011年5月27日、午後4時から女川高校で開催された、女川復興計画公聴会について述べておこう。この公聴会は、鷲神・小乗(女川町市街地南側)・浦宿(万石浦側)・出島(離島部)を対象として実施された。
ここでは、町長や鈴木浩会長の挨拶は省略する。
地区住民の第一声は、このようなものであった。
(地区民)
①女川町の道路の問題は、以前からあったが、道路を拡幅する考えは無いのか。
②衛星電話を活用したのか。県庁へ連絡したら女川町から連絡が無いと言われた。
③町指定の避難場所に備蓄が少なかったのではないか。
④町議会議員が、被災後アパートを借りた。町民の苦しみをもっと分かって欲しい。
⑤防災無線の津波避難の呼びかけを、もっと具体的にして欲しかった。
⑥安全安心の町づくりに原子力関係が載っていない。原発事故が発生すれば、復興計画も意味のないものになる。
(女川町役場サイトより)
ここで、ようやく、原発関連について、住民側から意見が出たのである。外部からみると「原発事故が発生すれば、復興計画も意味のないものになる」という指摘はもっともであるといえる。このことは、女川においても、福島第一原発事故の影響が及んできたことを示しているといえる。しかし、この指摘も、より個別の問題の中の一問題、いわば、ワンオブゼムであったことにも着目しなくてはならないであろう。
それぞれの個別のことについての町長らの回答は省略しておこう。原子力発電については、このように回答している。
(町長)
原子力発電所は、人間があらゆる努力をし、いかに信頼を勝ち取るかである。建設当時は、14mの高さは必要無いと言われていたが、「必要な高さだ」と主張したことにより実現している。現在も電源車、自家発電を加える努力をしている。
町長の意見は、電力会社があらゆる努力をし、それによって信頼を勝ち得ることが必要であるということである。これは、佐賀県の玄海原発再稼働問題における、佐賀県知事や玄海町長らの姿勢と基本的に同じであるといえる。言ってしまえば、努力したことに信頼できれば、女川原発の再稼働を認めるということと同義といえるのである。
ただ、原発問題の論議はここで紹介する以上されなかった。この公聴会でもやはり、高台移転、集落・漁港の集約化が一番の課題であった。ただ、地区住民の発言もさまざまである。
例えば、「計画案は、大筋で良いと思う。住民の協働、参加が必要である」という意見があったかと思うと、「高台移転は、本当に良いのか。高齢者が生活するには高台は大変である」という意見もあった。
町長と鈴木会長は、高台移転につき、設計や交通を確保する面で、高齢者に配慮することは述べた。しかし、全体としては、
(町長)
女川町は、私有権をとても大事にしてきた。しかし、町の8割が無くなったため、がれきを片付け、嵩上げが必要となる。造成後の案を簡単に言えば、100坪の土地を持っていれば、移転先に100坪の土地の権利を与えることも考えられる。半島部の土地も個人、共同と分けて使用したり、水産加工の規模も大小様々である。分野別に協同的に考えれば信用がつき、国もお金を出し、町も補助するなど、お金を引き出しやすくなる。(鈴木会長)
皆さんが亡くなった後に、子ども達に不動産を引き継ぐ見通しがあるのか。地方では、子ども達がふるさとを離れる。相続の時点で、空き家になるということが問題になっている。ふるさとを離れた子どもたちは、その土地を売却したいが売れず、空き家が続出するということが、現実に問題となっている。このことをこれからのまちづくりで考えていかなければならない。
と言っており、高台移転・集落・漁港の集約化をすすめることは変わっていないといえる。
また、それぞれの地域の特性にあわせた意見も地区住民から出ている。例えば、
(地区民)
小乗地区では、住民と話し合いを行った。小乗地区内の高台に適地があり、コバルトラインとの接続も可能であるため、小乗地区への居住地設置を要望したい。
という意見が出た。町長は、今の場所に近いという要望は理解できる、検討したいと答えている。
一方、ここでもまた、「総合運動場が居住地になっているが、取り壊し、清水に移転するのは税の無駄ではないか」という意見が出た。それに対し、町長は「運動公園は利用者も多いが、陸上競技場の修繕に相当なお金がかかる。体育館については、残すことも検討したい」と答えているのである。
このように、まず、高台移転や集落集約化という、住民の居場所を確保するということが最も大きな課題であった。原発問題は、女川町住民にとっては、まだ、ワンオブゼムの問題であったといえよう。
ただ、福島第一原発の事故は、近隣町村の住民の居場所を根こそぎ喪失させたものといえる。その意味では、原発が立地する女川においても、抽象的な安全論ではなく、住民の居場所を根こそぎ喪失させる可能性をもつものとして、原発がとらえられるようになってきたともいえるのである。そのような変化も、ここで読み取ることができよう。
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