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Archive for the ‘水産特区’ Category

2011年5月9日の第二回女川町復興計画策定委員会をうけて、女川町では、5月22日から復興計画公聴会を実施した。ここでは、女川町南部の漁村集落である五部浦地区(高白・横浦・大石原・野々浜・飯子浜・塚浜・小屋取)の住民を対象として5月22日の10時から行われた公聴会の模様から、漁村集落・漁港集約化の問題をみてみよう。前回のブログで書いたように、この地域は、大石原・野々浜の後背地の高台に集中移転することを町は提案している。なお、議事録は、問題別に編集しているので、このままの順序で話しているわけではないことを付言しておく。

〇漁村集落・漁港集約のメリットを主張する女川町長
まず、町長の発言から、漁村集落・漁港集約化の意味をみておこう。

女川町長は、まず、このように述べている。

今日は、町としての集約の案を示すが、五部浦地区の漁業のあり方、生活のあり方について、皆さんの意見を聞きたい。家をすべて流されており、住居の高台移転については、皆さんの理解を得ていると考えている。
すべての漁港を、同時に整備することは何十年かかるか分からず、現実的には困難である。女川町内の居住地や漁協を数箇所にまとめて集中的に整備すれば、時間的メリットが生まれる。また、組合、支部がまとまり協同で漁業をすれば公的なお金を出すこともあり得る。しかし、従来どおり7~40世帯で漁港・集落も別々では、皆将来への不安は持っているはずであり、ある規模にまとまる方法もある。地区が集約し世帯がまとまっていれば行政的なメリットもある。
五部浦を1箇所にと町長が言えば、馬鹿を言うなという皆さんの気持ちも分かる。しかし、各漁村の世帯数は少ない。10年後、20年後を考えた時、本当に各浜で良いのか考え、本音で議論して欲しい。対立する場ではない。最終的には皆が決めることである。

(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/03_meeting/03_meeting_appendix5.pdf 女川町役場ホームページより)

概括すれば、①高台移転は合意を得ている、②漁港・漁村集落を集約化すれば、整備も急いでできるし、公的資金も受けることができる、③小規模の世帯では将来不安のはずである、ということになろう。それがメリットとして町長は語っているのである。

〇漁村集落・漁港集約化に反対する地域住民
この町長の発言に対し、この地域の住民は、ほとんど集約化に反対の意見を述べた。

(野々浜)
各地区の支部長や区長と話合ったが、集落の集約化は認められないとの結論である。現在の集落の背後、高台に居住地を設けて欲しい。

(塚浜)
住民と話し合ったが、塚浜地内に居住地を設けて欲しいとの結論になった。土地の保証は、どうなるのか?

(中略)

(塚浜)
先祖代々受継いだ土地で漁業を営むことでパワーを感じている。漁師はそのようなものだ。ぜひ、各浜の高台に宅地を設けていただきたい。であれば、復興に向けて努力する。

(中略)

(高白)
みんなと同じ意見である。どこにも離れたくない。

しかし、各集落の住民にもジレンマがあった。結局、自力で住宅を再建する資力がないのである。

(塚浜)
高台への移転は分かるが、従来どおりの集落を設けて欲しい。町内(町の中心部の意味)に人が流出することも避けたい。
家、船、養殖施設も流出し、自力で家を建てることは困難である。地区内に町営住宅的なものを建設できないか?

(中略)

(大石原浜)
大石原地区に残りたい。土地は充分にある。しかし、住宅を建てることは考えていない。

町長は、近隣の塚浜・小屋取地区の集約化を求めた。しかし、それも拒否された。

(町長)
塚浜、小屋取地区の高台は2つの地区の中間点となる。それでも、集約できないのか?

(塚浜)
皆で話し合ったが無理だった。塚浜、小屋取地区で話合いを行ったが、地先権の問題もあり物別れとなった。

この塚浜の住民からの発言は重要である。集落前の沿岸に対する漁業権を「地先権」というが、そのために集落の集約はできないとしているのである。この地域の場合、集落と漁業権は一体なのである。

〇漁港早期再建を望む地域住民
地域住民としては、漁港の早期整備を望んでいた。次に示しておこう。

(飯子浜)
飯子浜区民で、復興プランを議論しており、宅地の民有地借上げも話している。個人漁業やグループ化についても考えている。とにかく早期の漁港整備を町にお願いしたい。

(町長)
現状において地盤が沈下し、満潮時はひどい状況である。どこの地域においても嵩上げは必要であるし、背後地の問題や土地利用についても使途や調達方法など、各地区での議論が必要だ。すべての港を一斉に整備することは時間がかかるので、優先順位をつけさせてもらう。

(塚浜)
被害の少ない港を先に整備して、早期再開したいのが皆の気持ちである。

(町長)
優先順位をつけて早期整備を考える必要がある。

結局のところ、全ての漁港を同時に整備するということは難しいのである。

〇民間企業の漁業参入への対抗としての漁村・漁港の集約化を主張する女川町長
町長は、反対意見に対し、民間企業の漁業参入への対抗としての集約化を主張した。

(町長)
漁業は、競争して力が出ることも分かる。世帯数が減れば使える場所が増えるが、民間企業が漁業に参入した場合、皆さんは対抗できるのか? 結束して力を高める時ではないのか。1回話しをして駄目であっても、何度も議論していただきたい。ここで結論を出すつもりは無い。国とか相手の気持ちを動かすには前進の姿勢も大事であるので、可能性を探ってほしい。

(中略)

(町長)
前述のように大手企業が漁業に参入したときに、資本力や手法の違いから協調するのは難しい。日本が海外で企業としてペルーやノルウェーで漁業を展開しているように、会社㋐組織として運営している。災害時として生産量が期待される中で、企業が経営した方が効率的という考え方もある。それを防ぐためにも協同で漁業はできないものかという話し。女川町に民間が漁業に参入してから騒ぐのか、それを防げるだけの結束があるのか。いろいろ政治的なかけ引きが出てくる。
高台に地区を集積するメリットは命を守ることが第一である。また、地区が統合することで、インフラ整備、福祉、医療、その他の行政サービス的メリットが大きい。
次の世代、若い世代のことを考え、意見も聞いて皆さんには再度議論して欲しい。

町長は、少なくとも主観的には、地域漁業に対する大資本の参入を防ぐためにも、地域漁業の協同化は必要ではないかとしている。これは、たぶんに、宮城県の水産特区構想を念頭にしていると思われる。そして、「政治的かけ引き」が強調されているが、それは、高台移転や漁港集約化を打ち出す背景として説明していると思われる。高台移転も漁港集約化も宮城県の打ち出している政策なのであって、それは受け入れつつも、大企業の漁業参入は対抗するという姿勢といえるであろう。「国とか相手の気持ちを動かすには前進の姿勢も大事である」もその現れであるといえる。

高台移転、漁港集約化、水産特区など、東京においての議論は、ほぼリアリティを欠いている。しかし、当事者の人々にとっては、切実でありつつ、さまざまな思惑をはらんだ、微妙なものなのである。

さて、このように、女川町南部の漁村集落は、おおむね集約化には反対しているといえる。しかし、すべての地域が反対しているわけではない。次回以降、その景況をみていきたい。

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前回は、5月9日の第二回女川町復興計画策定委員会に提示された、漁村集落・漁港の集約化を主張する女川町復興計画案についてみてきた。しかし、この漁村集落・漁港の集約化は、復興計画策定員会においても、反対意見が出され、推進しようとする町長の間で、議論が交わされるようになった。以下に、第二回女川町復興計画策定委員会議事録のその部分を示しておこう。

(2)離半島部の安全な居住地の確保について
□阿部委員
〇北部・南部については、集約化は困難であるという意見が多い。漁港が破損した状態を役場で見た上でさらに検討をして欲しい。支部長と相談をしたところ、高台移転は同意しているが、集落の集約化は難色を示している。
→町長:仮設住宅は各浜単位で整備をしたい(出島は出島・寺間の中間地点に建設することを了解済み)。将来の浜については、各部落単位で残すか、集約するか、人口減を考慮すると共同で実施しなければならない漁業を考えると非常に悩ましい。現在、高台への移転への意向がある段階で、集約化を図ることも議論していただきたい。事務レベルでは各浜にという考えであったが、町の漁業を一歩前進させるために、今回の案としては集約化を図ることをあえて提示した。この点については、町と各支部と十分に話し合いを進めていきたい。
→阿部委員:漁業権の問題を考えると協業化は困難である。
→町長:権利は県が与えることになる。協業したときに漁業権をどのような形とするかについても議論をしていきたい。8月までには結論が出ないかもしれないが、今回を契機に話し合っていきたい。
→鈴木委員長:資材置き場、番屋など漁業に必要な施設設備の整備についても検討をする必要がある。他の地域でも高台移転が基本で進み始めているが、必ずしもそれが最善策ではなく、個別の対応が考えられる。最終的には地元で決断をすることになるが、方針としては高台移転の記載は残していく。
(http://www.town.onagawa.miyagi.jp/hukkou/pdf/iinkai/02_meeting/02_meeting_report.pdf 女川町役場ホームページより)

反対意見を提起したのは、阿部彰喜である。阿部は宮城県漁協女川町支所運営委員長であり、漁協を代表しての発言といえる。彼は、支部長と相談した結果、高台移転には同意しているが、集落の集約化は難しいとしている。実は、委員には女川町区長会幹事長(斎藤俊美)もいるのだが、漁協の代表者が、集落集約化のことを発言していることに注目しておきたい。漁村において、集落と漁協は一体であると考えられる。復興方針案では、実はあまり明確に漁港集約化を述べていないのであるが、現地の実情では、集落=漁港であり、ともに集約化をすると認識されていたのである。

それに対し、町長(安住宣孝)は、各浜を、集落ごとに残すか、集約化するかは、人口減を考慮して漁業の共同化を構想するならば悩ましい問題であるとした。そして、「現在、高台への移転への意向がある段階で、集約化を図ることも議論していただきたい。事務レベルでは各浜にという考えであったが、町の漁業を一歩前進させるために、今回の案としては集約化を図ることをあえて提示した。」と述べている。つまりは、元々の構想は、集落ごとに復旧する方針であったが、あえて今回の案では、漁業の集約化を考えて、集落の高台移転にからめて、集落の集約化を提起したというのである。

この町長の発言は重要である。つまりは、5月1日の復興計画策定委員会で提起した復興方針案のA案つまり現地復興案をもとにしていたといえる。市街地については、盛り土をしながらも、大きく既成市街地を移転することはしない形で復興方針案はつくられたのであり、おおむねA案の構想にのっているといえる。しかし、漁村集落については、漁業集約化を前提として、事務局案とは違う、B案の近傍地移転復興案が導入されたといえる。

この町長の発言に対して、阿部は、漁業権の問題で協業化は困難であると反論した。それに対し、町長は、漁業権は県が与えるものであり、協業化した場合、漁業権をどうするかは今後議論していきたいと述べた。漁業権の許可権者は県知事であるということをたてにして、協業化を推進しようとしているといえよう。つまりは、宮城県の意向が考慮されているのである。

しかし、鈴木委員長(福島大学名誉教授鈴木浩)は、「他の地域でも高台移転が基本で進み始めているが、必ずしもそれが最善策ではなく、個別の対応が考えられる。最終的には地元で決断をすることになるが、方針としては高台移転の記載は残していく。」と発言している。つまりは、高台移転のみが最善策ではない、地元で決断すべきものであるが、方針案としては高台移転の記載を残すということであった。委員長自身が、高台移転案以外も考慮して地元で判断すべきとしているのである。その意味で、復興計画策定委員会で結論を出すべきものではないとしているのである。このように、復興計画策定委員会に提起された漁村集落・漁港の集約化は、委員会全体で賛成できるものではなかったのである。

なお、市街地で実施する嵩上げについても、議論が出ている。堂賀参事(企画課復興推進課技術参事堂賀貞義)は、湾口防波堤付近の小乗浜では津波の痕跡は15.7mであったが、湾内に入るとしだいに高まり、最高到達点は20.3mとなったと述べている。堂賀は、この結果を参考にして嵩上げの高さを決めるとしている。それに対し、首藤アドバイザー(東北大学名誉教授首藤伸夫)は、20m以上の高台を切り土して、そこに宅地を造成することが妥当である、地盤を埋めても3,4m程度が妥当であり、それ以上であると耐震性が問題であると主張した。また、宮城県土木部次長である遠藤信哉委員も、過度な盛り土は地震動の被害が予想されるとした。このように、既存の市街地の復興方針案についても異論が出されたのである。

このように、5月9日に提起された復興方針案は、復興計画策定委員会においても、異論が提起されたものであった。そして、実際に、5月22日以後住民の公聴会が実施されると、さらに議論をよぶことになるのである。

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さて、前回の第一回女川復興計画策定委員会(5月1日)からわずか9日後の5月9日に開催された第二回女川復興計画策定委員会において、漁村集落・漁港の集約化を打ち出した女川町復興方針案がだされた。

この方針案では、ロードマップが示されている。復旧期が2年、基盤整備期が3年、本格復興期が3年と、合計8年となっている。宮城県の10年で復興するというよりやや短い。

この方針案は、多岐にあたり、非常に興味深いが、集落・漁港問題に限定してみておこう。

女川町中心部については、このように規定されている。

(1)町中心部の安全な居住地の確保
[復興に向けた方針]
〇町中心部の津波被害の軽減のためには、低地部分に盛り土をして、新たな宅地を造成する必要がある。
〇宅地とともに被災した役場等の行政機能の移転や、漁港、観光、商店街の地域の再整理を行い、安全性と利便性を考慮した住みよいまちづくりを目指す。
[復興計画案]
①平地部の嵩上げによる居住地の確保
・平地部の嵩上げ事業の実施
・高台及び嵩上げ後の内陸部での宅地整備
②適切な地域分けによる土地利用の推進[基本構想図参照]
・漁港周辺区域への商工関係施設の配置
・町の中枢機能となる役場の高台への移転
・津波の勢いの減衰を目的とした公園の整備

基本的に女川町中心部の市街地全体を高台移転することを諦め(一部では実施するのだが)、全体を盛り土で嵩上げすることによって対応するということになった。ただ、港に近い所に商工関連施設を配置し、役場などは高台に移転することにしている。そして、市街地には津波の減衰を目的とした公園を設置することにしているのである。

離半島部については、このように述べている。

(2)離半島部の安全な居住地の確保
[復興に向けた方針]
〇平地部分が限られた漁村部は、近隣の高地に新たな宅地を造成する必要がある。
〇災害時により道路が途絶することにより、集落の孤立化が発生する可能性があるため、緊急時の避難手段を確保しておく必要がある。
〇住民の意向を踏まえた上で、集約化等による新しい集落のあり方を検討する。
[復興計画案]
①高地移転
・移転時の選定、高台での宅地の造成
・緊急時避難手段の整備(各集落にヘリポートを設置)
・高台移転後の跡地への、防潮林、漁具置き場等作業場の設置
②集約地域の新たな漁村づくり
・地区協働のまちづくりのあり方の検討

離半島部においては、高台移転がつらぬかれている。さらに「集約化等による新しい集落のあり方を検討する」とあり、集落集約化も提起されている。

加えて、「地区協働のまちづくり」とあり、この一文では、かなり曖昧な形で、漁業の統合が示唆されている。

実際には、離島の出島においては二つの集落を島中心部の高台に集約、高白浜地区以南の南部地域は野々浜大石原後背地に全て集約、北部では、最北部の御前浜はその後背地に、その他は尾浦・竹浦中間地の高台に移転することになっていた。御前浜を除くと、5月1日に出した近傍地移転復興案とほぼ同じである。そして、この移転案こそ、地域住民での議論の的になったものである。

なお、緊急になすべきこととして、このようなことも盛り込まれた。

(1)水産業の応急復旧による早期再開
[復興に向けた方針]
〇港町女川の早期復興のために、基幹産業である水産業の再開を率先して進める。
〇漁港・市場の早期再開の実現・PRを通じて、さらに活力のある復興に結びつける。
[復興計画案]
①被害が少なく緊急に利用できる漁港の整備
・がれき処理、漁港の選定
・応急復旧
②漁船・漁具の確保
・現存の船を集約化した共同利用方式による漁船の確保
・漁協による漁船の共同購入
・漁船保管、漁船修理場及び漁具保管修理等が可能な代替施設・設備の整備
③養殖業の再開
・養殖施設の整備・養殖開始
④市場・水産加工場等の代替施設の整備
・女川町地方卸売市場の代替施設の整備
・漁獲物の処理、保蔵及び加工等が可能な代替施設・設備整備
⑤漁港・市場再開のPR活動
・漁港の再開、再開後の初競り等の段階に応じたイベントの開催、積極的なPR活動の実施
・女川みなと祭り、秋刀魚収穫祭等、従来のイベントの復活祭、新たなイベントの創出

このように、緊急時の措置としてはかなり盛り込まれている。漁港については被害が少ない所から整備するという方針が出されている。これ自体は、漁港集約化とは別の論理であろう。その他、漁船の共同利用・共同購入が提起されている。

恒久的な問題としては、次のように提起されている。

(2)漁港の再整備と水産業の再生
[復興に向けた方針]
〇震災により厳しい財務状況となる漁協に対して、財政面の支援を行う必要がある。
〇設備更新などに合わせて、抜本的な構造改革に取り組むことで、水産業の活性化を図る必要がある。
[復興計画案]
①漁業の復興対策の中核となる漁協の再建
・財務再建支援
②漁業従事者の再建支援
・融資制度の活用
③養殖業の再建
・共同事業体、一口オーナー制度等による再建
④漁港の再整備
・恒久的な活用に向けた整備
・離半島部の宅地移転を踏まえた、夜間、緊急時の港の管理体制の整備

この中では、特別に漁港の集約化まではいっていないのである。

まとめておこう。市街地については、高台移転という形ではなく、平地部の嵩上げという形で、マイルドな復興方針案がだされた。一方、離半島部の漁村集落では、既存の漁村集落を4カ所に集約するという形で、ドラスティックな復興方針案が提起されたのである。そして、漁港の集約化については、かなりオブラートに包んだ形で述べているにとどまっているのである。

この復興方針案は、提起された復興計画策定委員会で、大きな議論をよんだ。次回以降、そのことを紹介したい。

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さて、今回は、最初に提起された女川町復興構想案をみておこう。この女川町復興構想案は、2011年5月1日に開催された第一回女川町復興計画策定委員会で提起されたものである。

この女川町復興計画策定委員会は復興計画策定のために設けられたもので、学識経験者・一般町民・県職員からなる。学識経験者としては東北大学・福島大学・新潟大学の関係者(会長は福島大学名誉教授鈴木浩)と比較的近接した地域から選ばれ、一般町民としては、魚市場買受人協同組合理事長・商工会長・観光協会長・宮城県漁協女川町支所運営委員長・区長会幹事長・婦人会長が委員に選出されている。県関係者では、宮城県震災復興構想会議構成員の木村拓哉(減災・復興支援機構理事長)と遠藤信也宮城県土木部次長の二人である。構成員からいえば、地域主導の色彩が濃いといえる。

まず、復興方針の理念としては、次の三つがあげられている。

○安心・安全な港町づくり[防災]
○港町産業の再生と発展[産業]
○住みよい港町づくり[住環境]

そして、具体的には、A案現地復興案、B案近傍移転復興案、C案大規模移転復興案の三つを提示している。

A案では、現地で復興する案である。女川町市街地では、基本的に現位置で復興することになっている。地盤の嵩上は行わず、国道398号線の高所化―防潮堤化で対応することになっている。女川湾の奥に「交流・にぎわいゾーン」を設置し、町役場などの公共施設を高台に移して「公共施設エリア」とし、港湾部では、観光施設マリンパル女川を再整備して、被災前と同様の店舗・飲食店・サービス施設が集積する「観光・商業エリア」となっている。そして、その中心の女川駅周辺は「交流公園」とすることにしている。一方、女川湾の北岸・南岸は、被災前と同様に漁業・水産関係エリアとすることになっている。

なお、「残さい物を活用した震災復興メモリアルパークの整備(津波対策と災害の伝承・町民の防災意識啓発)」、「災害遺構の保存、復興祈念公園の整備」、「災害遺構を生かしたフィールドミュージアムの実現」とあり、災害遺構を中心とした公園構想があることがわかる。女川町では、被災した建物の保存が打ち出されたと報道されているが、その源流といえるであろう。

一方、半島部及び島しょ部の漁港集落は、A案において「居住地は津波被害を受けにくい後背近接地(高台等)に既存集落を移転整備」することになっていた。「職住近接」とされている。現地ではないにせよ、近傍の高台移転も可能であったのである。しかも、「住民の生業の場である漁港及び関連施設は被災前と同様の再生を基本に、海浜部で復興・整備」となっている。具体的にみると、それぞれの漁港を整備し、その背後に防潮林をおき、さらに高台に住宅地を整備するという形になっている。漁港集約化は提起されていないのである。

なお、漁港被害は甚大であった。女川町では地盤が約1m沈下したことが述べられている。つまりは、「地盤沈下により原形復旧だけで再生は不可能」なのである。議事録でも、女川魚市場買受人協同組合理事長の高橋孝信は「10の浜があるが、漁業関連の施設は全滅、魚市場も全滅。水商会社も3社あったが全滅。」と述べている。

続いて、B案をみておこう。これは「近傍移転復興案」となっている。女川町市街地では、市街地西側の丘陵地に新市街地をつくり、ほとんどの住宅をそこに移設することになっている。そして、女川駅もより西側に移転させる。ただ湾北岸の石浜地区、湾南岸の鷲神浜地区は、防潮堤を設置し、既存市街地で復興させることにしている。なお、「交流・にぎわいゾーン」については、多少変更はあるが、位置づけは同じである。

一方、半島部・当初部の漁港集落は、「漁港周辺等海浜部は非居住系とし、集落は高台に
集団移転(南部、北部及び離島の地域毎に、地域内の小中学校周辺や小中学校跡地等を活用し、地域内集団移転地を整備)」とされている。いわば、「職住分離」なのである。具体的には、北部は尾浦地区・竹浦地区の中間の高台にあった旧第三小学校跡地周辺、南部は野々浜地区の背後の高台にあった旧第三中学校・旧第六小学校跡地周辺、離島である出島は、島の中央部にある第二中学校・第四小学校周辺に移すことにしている。いわば、現在問題となっている女川町復興構想の原型といってよいだろう。ただ、漁港集約化までは考えておらず、「住民の生業の場である漁港及び関連施設は被災前と同様の再生を基本に、海浜部で復興・整備」とされていた。具体的には、各漁港を整備し、その背後は緑地となっていたのである。

最後のC案は、「大規模移転復興案」とされ、離島の出島、女川湾北岸の石浜等を除いてすべての集落を市街地西側に移転することにしている。漁港についてはよくわからないが、この時点では、集約化までは考えていなかったと思われる。

このように、そもそも集落についても既存もしくは近接した高台で復興する案と、集落を集中移転する案があったことがわかる。また、漁港の集約化もとりあえず案には入っていなかった。高台移転と漁港集約化は、基本的には別の問題なのである。

委員会の議事録をみても、宮城県漁協女川町支所運営委員長阿部彰喜は「19の浜があるが、区域を跨った協働化は混乱のもとだと思っている。漁業再開のアイデアをまとめてくる」といい、東北大学名誉教授の木島明博は「被災地漁業権の問題は歴史が長い。さらに漁業の発展をさせるためにはどうすればよいのかという視点を含めるべき。海を知っている人のアイデアと漁民を納得させるだけの計画が必要」と述べている。この段階では、それぞれの漁業権を尊重し、漁民の納得が必要であると議論しているのである。

また、商工会長の高橋正典は「住民達は自分達の考えが町の将来を作り上げると考えている。委員会でもその考え方を早期に打出してもらいたい」と語り、鈴木会長も「町民が復興計画にどのように関わるのか(関われるのか)、どういう取組をしてきてその取組が復興計画にどう生きるのか、という部分を考えていくべき。町民の中でも産業部会や漁業部会を立ち上げ、委員会に提言していくことが良いのではないか。委員会の取組を町民に発信するとともに、町民の動きも復興計画に盛り込まれていくべき」と主張した。さらに、新潟大学准教授の福留邦洋も、「小さな集落も壊滅的。復興を考えるにあたり、各集落の歴史や文化というものがある。説明会も各集落に目配りした形で行うことが重要」と述べている。総じて、住民の意見を取り入れようという意識が、この時点の委員会にはあったといえる。

しかし、5月9日に第二回女川町復興計画策定委員会で、第一回の委員会にはなかった漁港集約化を含んだ復興構想が示されるのである。後のブログで述べていくことにする。

 

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さて、そもそも漁港を1/3~1/5にするといつ誰が提起したのだろうか。震災前から特区構想のようなものはあり、それは機会をみて紹介したい。ただ、震災以前は、漁港を減じるというようなものはなかった。

もう少し、新聞などをみないとわからないのであるが…。管見では、2011年4月23日、東京の内閣官邸で開かれた、第二回東日本大震災復興会議において、村井嘉浩宮城県知事が提起した構想に遡る。この資料は、内閣官邸のサイトにアップされている(なお、宮城県庁のサイトにもアップしている)ので、ご興味のある方はみてほしい。

ここでは、集落移転、水産業のことを中心に紹介していこう。

まず、村井は、復興計画全体は10年間かかるとしている。最初の3年間は復旧期で、次の4年間は再生期で、最後の3年間は発展期としている。目標であると2020年末には復興しているとしている。

そして、復興の主体として「県民一人ひとりが主体となるとともに、民間の活力を行政が全力でサポートする体制で復興を図る」とされている。新自由主義がもてはやされている時代にふさわしく、それぞれが自己責任で復興すべきであり、民間活力での復興を行政がサポートするとしている。関東大震災復興において、後藤新平(この人は岩手県水沢の出身だ)がとった方針とは大きく違っているといえる。

その上で、復興の方向性と施策を打ち出している。まず、「災害に強い復興まちづくり」として、次の点を挙げている。

(1)災害に強い復興まちづくり
①高台移転・職住分離(三陸沿岸部)
②交通インフラに堤防としての機能付与(南部低地部)
③防災拠点・コミュニティ拠点となる小中学校の機能の充実・強化
④地域の産業基盤である農地の大規模利用や漁港の集約化など産業ゾーンの再編
*各市町のまちづくり計画(案)を提示

すでに、この項目で、漁港集約化の構想は提起されている。そして、それは、三陸沿岸部の課題として「高台移転・職住分離」があげられているように、集落のの高台移転と連動するものであった。

そして、次に、産業振興につき、次のように語っている。ここでは、第一次産業までを紹介しておきたい。

(2)産業振興
*バランスの取れた産業構造の創造
*少子高齢化の中でも次世代に受け継がれる一次産業
*福島、岩手、宮城が一体となった「東日本ブランド」の醸成、確立
①第一次産業(集約化・大規模化・経営の効率化・競争力の強化)
 イ 農業→◇地盤沈下など、著しく復旧が困難な農地については、国による土地の買い上げ(緑地・公園化等のバッファゾーンの設定)
        ◇大規模土地利用型農業の展開、稲作から施策園芸への転換や畜産の生産拡大→大規模化+農業産出額の向上
        ◇斬新なアグリビジネスの展開(民間投資による活性化)
 ロ 水産業→「新たな水産業の創造と水産都市の再構築」
 (案1)復旧再生期における国の直営化(必要投資の直接助成[漁船漁業・水産加工業など]
 (案2)民間資本と漁協による共同組織や漁業会社など新たな経営組織の導入[沿岸漁業・養殖業]
 *水産業集積拠点の再構築と漁港の集約再編による新たなまちづくり(漁港を1/3~1/5に!)
(後略)

第一次産業については、集約化・大規模化・経営の効率化・競争力の強化が、キーワードなのである。津波・地震で破壊された農民・漁民の生業の復旧ではないのである。一部の国有化を含みつつも、民間資本の導入による農業・水産業における経営の効率化がそこではめざされている。沿岸漁業・養殖業において、「民間資本と漁協による共同組織や漁業会社など新たな経営組織の導入」をはかることは、その一環である。

その上で、「水産業集積拠点の再構築と漁港の集約再編による新たなまちづくり」が提起され、「漁港を1/3~1/5に!」ということが主張されるのである。

「東日本復興特区」については、「国への提言」の項に出てくる。

(4)東日本復興特区の創設
 思い切った規制緩和、予算や税制面の優遇措置などを盛り込んだ被災者を対象とした特区を創設
*「東日本エコ・マリン特区の創設」
 太平洋沿岸地帯の復興のスピードを上げるためには、様々な法律に基づく各種手続きを軽減しまちづくりや産業振興の「再構築」を統一的・一元的に進めることのできる特別法の整備が必要。
*民間投資促進特別区域(浸水地域を指定。被災事業者・新規立地事業者を対象に、法人化・緑地率等の規制緩和や、投資減税等の強力なコスト削減措置を講じる。)
*集団移転円滑化区域(移転先の整備に係る農業振興地域の整備に関する法律、農地法、海岸法、文化財保護法、森林法等の関係法の規制緩和、手続の簡素化等により集団移転の円滑化を可能とする制度を創設する。)

このように、そもそも水産業のみを対象にした特区構想ではない。むしろ、投資減税や、法人化・農業整備などにかかわる規制の緩和が目指されていたのである。

4月23日の村井の提言は、高台の集落移転、漁港集約化に力点があるといえる。たぶん、実施されても選択の余地がある「民間資本と漁協による共同組織や漁業会社など新たな経営組織の導入」よりも、大きな影響がそれぞれの地域社会における影響を与えることになると考えられる。

一方、特区構想は、水産業の問題に特定して考えられてはいなかった。特区構想と水産業との結びつきはその後のことと考えられる。

このような、地域社会にとっての重要な課題が、東京の内閣官邸で開催された東日本大震災復興構想会議という場で話されたのである。それぞれの漁港とそれに結びついた地域と全く無縁な「東京」において、それぞれの運命が定まっていく。しかも、議会という選挙代表で構成された場ですらない。そのこと自体が、中央集権的だといえないだろうか。

次回以降は、この日の東日本大震災復興構想会議を『朝日新聞』がどのように伝えたをみていきたい。

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前回のブログで、女川の集落統合について書いた。その際、漁港の統廃合問題が影を落としているとした。この記事を書いている7月4日、次のような報道に接した。

松本龍復興担当相は3日、東日本大震災の被災地である岩手・宮城両県を訪ね、両県知事と会談した。前日の福島県に続く就任後初めての被災地訪問だが、被災者の感情を逆なでしかねない発言を連発した。週明けの国会で野党が追及する可能性もある。

 最初に訪れた岩手県庁の玄関前では、衛藤征士郎・衆院副議長からもらったというサッカーボールを持ち出し、「キックオフだ」と達増拓也知事に蹴り込んだが、達増氏は取り損ねた。

 会談では、仮設住宅の要望をしようとする達増知事の言葉を遮り、「本当は仮設はあなた方の仕事だ」と指摘。仮設住宅での孤独死対策などの国の施策を挙げ、「国は進んだことをやっている。(被災自治体は)そこに追いついてこないといけない。知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」と述べた。また、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と冗談めかして話した。

 午後に訪問した宮城県庁では、応接室に後から入ってきた村井嘉浩知事に「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」と語った。被災した漁港を集約するという県独自の計画に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」などと厳しい口調で注文をつけた。

 松本氏は防災相から引き続き震災対応に当たることもあって村井氏は面会後、記者団に「地元のことをよく分かっている方が大臣に就任して喜んでいます」と述べた。しかし、ある県幹部は「被災地に来て、あの言動はない」と憤っていた。(山下剛、高橋昌宏)
(http://www.asahi.com/politics/update/0703/TKY201107030246.html、朝日新聞サイト)

(http://youtu.be/VtUqWdbjnTk)

とりあえず、松本龍復興担当相の個性は無視しよう。岩手県知事に対する言動も、ここでは問題にしない。重要なことは、「被災した漁港を集約するという県独自の計画に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」などと厳しい口調で注文をつけた」ということである。松本復興担当相の言動において、常識的にみた政治的意図は「漁港集約化において、県がコンセンサス(合意)を得るべき」ということなのである。まあ、最近の民主党の閣僚・議員たちの言動は、常識に基づいているのかどうか不明なのであるが。そして、「漁港集約化」のために、宮城県と国とのコンフリクトを招いているといえるのである。

ただ、各社の報道によって、「漁港集約化」ではなく、「水産特区」としている場合もある。動画をみても判然とせず、残念である。報道する記者たちの頭脳においては、「漁港集約化」=「水産特区」という思い込みがあるのではないか。それ自身は間違いとはいえない。しかし、如何にも民間活力の導入によるバラ色の水産業になるというイメージを振りまいている水産特区は、生業の場である漁港を奪われるという過酷なものであるという認識が欠けているといえる。より正確な報道が望まれる。ただ、松本復興担当相の側においても、何を具体的に指摘しているのかを明確にしていない。何を意図していたのかわからず、反発だけを買ってしまうのでは、政治的行動としては問題であろう。

(なお、5日昼のTBSテレビ「ひるおび!」によると、「水産関係でも1/3から1/5に集約すると言っているけれど、県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」と言っているようである。「水産関係」と聞くと「水産特区」ともとれ、同番組で大谷昭宏は、水産特区という形でコメントしていた。ただ、村田県知事は、前から漁港を1/3から1/5に集約するといっており、漁港問題についてふれた発言としてとらえるほうがよいように思われる。もちろん、そもそも松本復興担当相自体が、水産特区と漁港集約化を一体の問題としてとらえていて、そのため真意のつかみづらい発言をしている可能性がある。いずれにせよ、漁港問題は、重要な問題であるにもかかわらず、水産特区問題の背景に隠れてしまっている感がある。)

前回みた女川町の集落・漁港の統廃合という問題は、単に地域的な問題ではない。宮城県と国とのコンフリクトの要因となっている。次回以降、女川町の資料の検討に先行して、宮城県や国の復興構想における集落高台移転、漁港統廃合、水産特区の問題を検討していきたいと思う。

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