Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘脱原発デモ’

国会前スピーチエリアの演壇

国会前スピーチエリアの演壇

昨日(2012年11月30日)、恒例となっている金曜日の官邸前抗議行動にいってみた。官邸前といっているが、実際には官邸前だけでなく、国会前(スピーチエリアとファミリーエリア)でも行われており、後述するように、経産省前テントひろばの他、昨日は文部科学省前でも行っている。大体の地理関係を承知してもらうため、下記に地図を示しておく。

その日は、東京メトロ有楽町線桜田門駅から向かった。桜田門駅から国会前道路に出ることができる。地上に出たのは18時で、すでに、「原発いらない」などのコールが聞こえていた。国会に向かって左側の歩道を歩いてスピーチエリアについた。夏頃は万単位で人がいて、歩くこともままならなかったが、今はさすがにそれほど人がいない。スピーチエリアには演壇が設けられていて、千葉麗子だと思われる女性(名乗った時はいなかったが、たぶんそうだと思う)がコールをしていた。彼女は、コール後、司会もしていた。第一番目にあがったのが、ニューヨークで詩人をしている男性が演壇に上がり、「歌」を披露していた。

国会前で歌を披露する詩人

国会前で歌を披露する詩人

それから、私は官邸前に向かった。国会前庭の前を通る道である。途中で、欧米人と思われる男性がギターを弾いていて、その前に「 NO NUKES」などとプラカードやロウソクが置かれていた。なかなかファンタスティックであった。

国会前庭前にて

国会前庭前にて

官邸前道路と六本木通りの交差点に到達した。そこには何枚もの手描きのポスターがディスプレイされていた。今までみたことがなかった。

手描きポスター

手描きポスター

人があまり多くないので、官邸前にも進んで行けた。しばらくすると、ドラム隊が、官邸前を出発して、歩道を「行進」するのに遭遇した。じっと立ち止まって演説を聞いているのは寒いので、ついていくことにした。

ドラム隊の行進は、文部科学省近くを通った。文部科学省前でも抗議活動は行われていた。抗議活動を行っているグループは、「人形」を使った寸劇で訴えようとしていた。何か資料も使うようだった。今回は遠慮したが、次回も行うようだったら、いってみよう。

文部科学省前抗議活動における寸劇

文部科学省前抗議活動における寸劇

ドラム隊の行進はさらにすすみ、経産省前テント広場に到達した。そこでは、甘酒やホッカイロなどが配られていた。そういえば、デモなどでここを通ると、いつもなにがしかの物が配られていたと記憶している。優しい人たちである。

経産省前を行進するドラム隊

経産省前を行進するドラム隊

経産省前テントひろば

経産省前テントひろば

ドラム隊は、経産省前テントひろばから、外務省脇を通行して、六本木通りの国会前庭側歩道を通って、国会前に向かおうとした。しかし、国会前道路の入口付近で、警官隊に通行を差し止められた。緊張感が高まった。そこで「通せ」「通せ」とコールしようとした人がいたが、ドラム隊の一人からやめるように諭されていた。しばらく、首都圏反原発連合の担当者が交渉し、その結果、通行が許可された。これは、なんだったのだろう。

国会前道路の通行を一時阻止されるドラム隊

国会前道路の通行を一時阻止されるドラム隊

一時、行進を差し止められた結果、かえって、ドラム隊の意気はあがったようだ。ドラム隊はスピーチエリアに合流した。そこでは、ミサオ・レッドウルフ氏がコールを行っていた。「玄海廃炉!」など、各地原発名をあげてコールをしていたのだが、いつもは冷静な事務連絡している彼女のコールは迫力があった。それから、別の人が「選挙で変えよう!」「国会変えよう!」「官邸変えよう!」などとコールししていた。「選挙」関連のコールは、かなり多くのところで聞かれた。その後、日本共産党の前衆議院議員笠井亮氏がオレンジの服を着て演説していた。私は聞いていないが、宇都宮けんじ氏も演説を行ったらしい。

国会前における熱狂

国会前における熱狂

その後、ドラム隊は、国会に向かって右側の歩道を歩いてファミリーエリアに到達し、そこを盛り上げた後、さらに歩いて、彼らが定番としている国会前歩道のある地点で盛りあがり、時間がきて解散した。

ドラム隊

ドラム隊

首都圏反原発連合の知人に聞くと、参加人数は5000人くらいといっていた。最初はどうかなと思ったのだが、今、抗議活動の場はいろんなところに拡散しており、だんだん人数が増えてきたので、そんなものかもしれない。とにかく、「選挙で変えよう!」「国会変えよう!」というコールが目立つようになった金曜日の官邸前抗議行動であった。

Read Full Post »

2012年11月11日、全国各地の抗議行動と連動しつつ、永田町・霞ヶ関で「11.11反原発1000000人大占拠」と銘打った10万人規模の反原発抗議行動が行われた。この日の抗議行動には、日比谷公園から出発するデモが予定されていたが、東京都が野外音楽堂と日比谷公会堂利用者以外にはデモによる公園の一時利用を許可しない方針を打ち出し、東京地裁・東京高裁も追認したため、デモは取りやめとなり、永田町・霞ヶ関での抗議行動のみとなった。

この日の抗議行動では、各所に抗議ステージが設定された。通例となった金曜日の抗議行動は、官邸前と国会前(スピーチエリアとファミリーブロック)で主に行われているが、11日には、経産省前、文部科学省前、財務省前、外務省前、厚生労働省前、東京電力前、 Jパワー前(銀座)でも抗議の場が設けられた。もちろん、人の多いところはやはり官邸前と国会前であるが、15〜19時と比較的長い時間設定もあって、人びとは、それぞれ集団をつくり、各抗議行動の間を歩道を使って練り歩いていた。そして、ドラム隊や「経産省前テントひろば」など、それ自体が「デモンストレーション」となっていた。

ここで、取り上げるのは、文部科学省前で行われた抗議行動である。首都圏反原発連合のサイトには、各抗議活動の場の呼びかけ団体が記載されているが、文部科学省前の抗議行動の呼びかけ団体は脱原発国民の会となっている。この会のサイトでは、次のように自身を説明している。

脱原発国民の会は、福島県双葉町を勝手に応援し、高線量地域に放置されてる子供達を県外に避難、帰還不可能地域設定で西日本に双葉町が早く移住できる原発反対運動を広める目的でデモ及び抗議行動を主催致します。http://stopnukes.blog.fc2.com/

換言すれば、子供を中心とした双葉町民を高線量地域から避難させることを目的とした団体といえる。この団体が呼びかけ団体となって文部科学省前抗議行動が組織されたのだが、その抗議の場に、1954年のビキニ環礁における水爆実験によって被曝し、犠牲となった第五福竜丸の久保山愛吉の遺影を中心に、多くの顔写真が置かれ、その前にはろうそくがともされていた。また花束もささげられていた。それが、次の写真である。

文部科学省前抗議行動(2012年11月11日)

文部科学省前抗議行動(2012年11月11日)

文部科学省前抗議行動で掲げられた久保山愛吉の「遺影」(2012年11月11日)

文部科学省前抗議行動で掲げられた久保山愛吉の「遺影」(2012年11月11日)

久保山愛吉の遺影のそばには、有名な「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という遺言がかかげられていた。この久保山愛吉の遺影の周りの多くの顔写真は、子どもたちのものである。説明は何もなかったが、1945年の広島・長崎の原爆によって犠牲になった子どもたちの「遺影」と思われる。そして、これらの写真群の背後に「子どもを守れ」「福島の子供達を避難させて!」というプラカードがかかげられていた。

この「遺影」の「安置」は、意味深長である。もちろん、1945年もしくは1954年における原水爆による犠牲者たちを追悼することによって、見る者の視線はまず「過去」に向けられる。久保山愛吉をはじめ、過去の原水爆によって、多くの人ー特に子どもたちの生は断ち切られ、惨たらしい死を迎えることになった。そこでは「過去」の「歴史」が追憶されている。

しかし、「子どもを守れ」「福島の子供達を避難させて!」というプラカードは、「過去」に向かっていた視線を鏡のように反転させる。もし、このまま福島の子どもたちを高放射線地域に放置するならば、放射線による犠牲者が出ることが想定される。すでに、福島の子どもたちにおいて甲状腺異常が現れていることが報じられている。そうなると、この「過去」の「遺影」は、「未来」のものになってしまう。ここで、いったん「過去」に向かっていた「視線」は、「未来」に向けられるのだ。

そこで、この「過去」の「遺影」を追悼する心は、「未来」において、このような「遺影」を林立させまいという「現在」の決意に転化していくといえよう。そこで、まさに久保山愛吉の「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」という言葉が切実にせまってくるのである。

このように、この原水爆犠牲者の「遺影」の「安置」は、直線的進歩という形ではない、「過去・現在・未来」を包含する「歴史」のあり方が暗示されているといえるのである。

Read Full Post »

国際経済学、開発政治学を専攻する原民樹さんが「反原発運動のエートスーエジプト革命から受け継いだもの」という論文を『日本の科学者』2012年9月号(日本科学者会議発行)で発表している。非常に面白く読んだ。

原さんが、彼自身も参加した反原発運動を対象とした「反原発運動のエートス」においてキーワードとしていることは、「予示的政治」である。原さんは、このように説明している。

 

革命後の世界を先取りする。近年のアナーキズム思想の文脈では、これを「予示的政治( pre-figurative politics)」と呼ぶ。いつやってくるのかわからない理想社会を待つことを拒否し、いつかすべてが一挙に変革されるという物語を放棄し、小さく不完全でも今ここで解放された社会を立ちあげること、それによって現体制を相対化し、支配の正当性に対して不断に亀裂を走らせること、そうして、漸進的に社会の色を塗り替えていくこと。タハリール広場が世界に示したのは、こうした「予示的政治」の魅力と有効性だったのである(原前掲論文)

つまり、運動の中で、革命後の世界を「予め」「示す」ことーこれを「予示的政治」と原さんは定義しているのである。そして、この「予示的政治」を具体的に示したのは、2011年のエジプト革命において誕生した象徴的空間としてのタハリール広場だと原さんはいう。タハリール広場について、このように述べている。

タハリール広場の運動は、ムバーラク政権を打倒するための単なる「手段」ではなかった。それは同時に、彼/彼女らの自律的な生のあり方を具現した「目的」でもあった。
 換言すれば、タハリール広場という空間にみなぎっていたのは、「解放のためのたたかいは、必ずそれ自体として解放でなければならない」(原文は真木悠介『気流の鳴る音ー交響するコミューン』)という精神なのである。

原さんは、このタハリール広場の経験は、2011年の日本の反原発デモやアメリカの「オキュパイ・ウォールストリート」運動などにも継承されていったと論じている。特に、日本の反原発運動については、2011年4月10日、1万5千人も参加し、大規模な反原発デモの初めとなった、「高円寺・原発やめろデモ!!」を呼びかけた「素人の乱」のメンバーの一人である松本哉の回想を特に引用してこのことを示している。

(松本)「(アラブ革命について)結局、誰が中心かよくわからないという感じになっているんですね。…それが成功したというのに、ぼくらは衝撃を受けていました。『素人の乱』は、実は世の中を率先して変えてやろうとは全然変えていない。そんな面倒くさい権力者の連中のことは放っておいて、勝手に謎の人が集まっている空間を作っていって、既成事実として革命後の世界を作ってしまったほうが手っ取り早い。…エジプトのタハリール広場がそれの完成形みたいに見えたんですよ」(原前掲論文。原文は松本哉、樋口拓朗。木下ちがや、池上善彦「高円寺『素人の乱』とウォール街を結ぶ討論」、『Quadrante』14(3)、2012年)

具体的にどのような状態が現出されたのか。原さんは2011年6月11日、「素人の乱」のよびかけで新宿アルタ前にあつまった2万人の人びとについて、このように記述している。

…新宿アルタ前広場はタハリール広場の再現となった。左派政党の街宣車の上では、学者から一般市民までが自由に自分の意見を述べ、それを真面目に聞いている人もいれば、DJの流す音楽に踊り狂う人たちもいる。その隣では、ドラム隊が心地よいリズムを刻み、またある人たちは、ビールを飲みながらデモで知り合った友人たちと談笑している。老人、若者、子ども、ビジネスマン、主婦、ニート、外国人、障碍者など、多様な人びとが多様な振る舞いをしながらも、不思議な一体感が醸成されていた。
 普段でさえ人通りの多い新宿駅前の多い新宿駅前に2万人が集まっていても、参加者の自律的な配慮によって広場は整然としていた。指導者はいなかった。解放された人間性による連帯だけで十分だった。(原前掲論文)

つまりは、「予示的政治」とは、運動の中で、人間性を「解放」していくことといえよう。それを、原さんは、2011年6月11日の新宿アルタ前の空間にみたのであった。

そして、ある意味では目的と手段が合致する「予示的政治」こそが新自由主義と最も根源的に批判するものであると原さんは論じている。

 

「予示的政治」の内的論理としての手段と目的の合致という発想が近年の社会運動のなかで顕在化してきたことは、当然ながら時代状況と無縁ではない。現代において、もっとも先鋭的に手段と目的を切り離そうとしてきたのは、新自由主義という実践に他ならない。
 新自由主義的社会では、無限の資本蓄積という唯一の明瞭な目的に沿って合理性と効率性が徹底的に追及され、計測可能な価値に従属するかたちで、人間も街も自然も、ありとあらゆるものが手段とされてしまう。人びとは高い流動性と順応性をひたすら求められ、そこで意味や充実感を享受することはきわめて困難である。単なる手段に貶められた人間の苦悩や悲鳴を、私たちはすでに嫌というほど聞いてきた。
 この文脈からすれば、「予示的政治」は、新自由主義に対する根源的な批判であると言える。労働であれ娯楽であれ、人びとは目的から疎外される苦しみを知りすぎてしまっている。手段と目的を合致させる運動は、新自由主義の矛盾に直面した民衆から生み出された対抗的実践なのである。(原前掲論文)

私自身が、本ブログでときおりデモや官邸前抗議行動を拙いながらも取り上げてきたのは、まさに、原さんのいう「予示的政治」といえるものが、そこに現れていると感じたからである。ただ、「予示的政治」という概念を、原さんのように、タハリール広場の実践や近年のアナーキズム思想を検討する中で明示するということはできなかった。反原発運動の実践の中で生まれてきたエートスをこのような形で表現することは、この論文の大きな功績だと思う。

他方、この論文の執筆時期は、2012年6月上旬である。この時期は、いまだ、6月29日の官邸前車道解放や、7月29日の国会前車道解放が行われていないー予見すらされていないのであった。それこそ、これらの出来事を「予示」していたとすらいえるのである。

そして、ここで、強調しておかねばならないだろう。反原発を求める運動は、それ自体が人びとを解放し、新たな世界を創出していく試みといえるのである。

Read Full Post »

福島原発が立地している地域社会について書いた『「フクシマ」論』の著者開沼博氏が『週刊プレイボーイ』の取材にこたえて、「”燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」というインタビュー記事を出している。それが、ネット配信されている(7月19日付)。参考のために、全文の引用を末尾に付した。

その内容をひと言でいえば、原発が立地している福島県の地域社会を代弁した形で行った、脱原発デモ批判ということができる。彼にとっては、複雑な現代社会では、簡単に原発の代替手段をみつけることができないとしている。その上で、脱原発運動を「外部の人の活動」と把握し、地域社会の人びとの心情を踏みつけるものでしかないと主張する。

その上で、彼は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている」と述べている。開沼氏は、「3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。」というのである。

そして、開沼氏は、「原発再稼働反対」という中で、「震災復興」が忘却されているという。彼は「原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。」と述べている。

開沼氏は、社会システムの”代替案”を提示すべきであるとして、「原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。」と主張する。

開沼氏にいわせれば、代替案を主張しない限り、脱原発デモの主張は、政治家・行政関係者・立地地域住民に聞き入れられないのだろうということになるだろう。

開沼氏の議論は、3.11以前ではある程度通用したであろう。開沼氏が描き出した3.11以前の福島県の原発立地地域社会では、雇用・電源交付金・固定資産税・購買力などの原発からのリターンを得ることによって、原発のリスクを看過する考え方がヘゲモニーを有していたといえる。その中で、原発のリターンは、立地する地域社会の経済を支える要因となっていたといえる。そして、3.11直前には(1970年代では地域社会内部でもかなり原発建設反対派がいたが)、原発反対派は「外部の人」として意識されるようになったといえる。開沼氏は、『「フクシマ」論』で、もっぱら、福島における原発の建設過程を「中央」ー「地方」の従属関係で描いているが、その際、彼にとって、脱原発運動というものも、「中央」からの「地方」への無責任な干渉にすぎないのである。もちろん、原発建設自体が「中央」ー「地方」の従属関係を前提にするものだが、開沼氏にとって原発建設によって地域経済は成り立っているとして、結果的には原発を是認しているといえよう。このインタビューにおける脱原発運動は、そのような考え方の延長線上にあるといえる。

3.11以後、福島第一原発事故により、原発が立地していた地域社会の住民は根こぎになった。そうなってくると、雇用・電源交付金・購買力などは意味をもたなくなる。高橋哲哉氏が「大事故と補助金との等価交換は存在しない」(『犠牲のシステム 福島・沖縄』)で述べている。そして、放射性物質による汚染は、原発で利益を受けていたかいなかとは関係なく及ぶ。そのため、飯館村などは強制的避難の対象となった。また、福島県の中通り地方(福島市・郡山市など)においても、除染作業や自主的避難を要するようになった地域が各所に存在する。そして、放射性物質が降下したのは、東北・関東圏の広い地域に及んでいる。

こうなってくると、福島県内でも日本社会全体でも、脱原発の意見が表明されるようになった。ここでも紹介したが、2012年1月30日に国会事故調で、井戸川克隆双葉町長は、原発災害について、このように語っている。

それ以外に失ったのはって、膨大ですね。先祖伝来のあの地域、土地を失って、すべてを失って、これを是非全国の立地の方には調べていただきたい、見に来ていただきたい、目を閉ざさないで現実を見に来ていただきたいと思います。どんなに良かったのか、どんなに悪かったのか、来られれば説明します。結果的に我々は今大変な目に遭っておりますので、私は良くなかったなと、そんな風に考えています。

つまり、立地していた地域社会内部でも「脱原発」の主張がなされるようになった。この前の福島市で行われた意見聴取会でも、ほとんどが原発ゼロシナリオばかりが主張されたと聞いている。官邸前の10万人程度の声だけではないのである。開沼氏は、最早、地域社会内部でも「脱原発」が顕在するようになったということに直視すべきなのだと思う。

この原発事故は、単に資金や労力をつぎこめば解決できるというものではない。ある意味では不可逆的なものなのだ。はっきりいえば、このような原発過酷事故にどのような「代替策」ー「安全策」は可能なのか、ということなのである。原発が「代替策」により安全ならばーただ、単に事故対策というだけでなく、ウラン採掘ー運転ー廃棄物処理の全過程において「安全」でなくてはならないがー、別に廃炉にする必要などない。それこそ、電力会社の経営問題にすぎないのである。しかし、原発において有効な安全対策自体があるのかが疑問である。そして、福島第一原発事故において教訓として得られたことも生かさないで、大飯原発は再稼働されたのである。代替策を真に提示すべきなのは、野田首相を含めた推進派の人びとなのだ。

開沼氏のいうように、原発を放棄した場合、福島などの原発立地地域社会において、原発依存の経済が脱却するために、なんらかの経過的措置が必要にはなろう。しかし、それは、雇用にせよ交付金にせよ、何らかの形で措置が可能なことである。例えば、東海村長が東海第二原発の廃炉を求めているが、それは日本原子力研究所などにより雇用が確保されているということが前提になっていよう。他の原発立地地域では、東海村ほど簡単に原発の経済的リターンを捨てることは難しいと考えられる。それでも、ある意味で、代替策を構想する道は、ある程度見えているといえる。

そして、このようなことは、デモに参加している一般の人びとにストレートに求めることではなく、ある程度知識を有している開沼氏の課題といえるのである。もちろん、開沼氏だけでなく、官僚・電力会社・学者・技術者・政治家の課題である。「人びとの声を聞け」と呼びかけられているのは、野田首相だけではない。開沼氏もまたそうなのであるといえる。福島県の人びとの意見も多様であり、福島第ニ原発再稼働を推進する人びとはいるだろう。しかし、脱原発は外部のものであるという偏見を助長せず、せめて福島県の人びとの多様な意見を聞き、それらの構図を分析しながら、彼なりの代替策を提示することが、立場的に開沼氏に求められているといえないだろうか。

<参考>デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか? 開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」
週プレNEWS 7月19日(木)6時20分配信

昨年3月の東日本大震災よりずっと前、2006年から「原発を通した戦後日本社会論」をテーマとして福島原発周辺地域を研究対象に活動してきた、同県いわき市出身の社会学者・開沼(かいぬま)博氏。著書『「フクシマ」論』では、原発を通して、日本の戦後成長がいかに「中央と地方」の一方的な関係性に依存してきたか、そして社会がいかにそれを「忘却」してきたかを考察している。

原発立地地域のリアルな姿を知るからこそ感じる、現在の脱原発運動に対する苛立ち。「今のままでは脱原発は果たせない」と強い口調で語る開沼氏に話を聞いた。

***

■社会システムの“代替案”をいかに提示するか

―昨年の早い段階から、「原発はなし崩し的に再稼働される」と“予言”していましたよね。なぜ、そう考えたのでしょう?

開沼 まず理解しておくべきなのは、現代の日本の社会システムは精密機械のように複雑だということ。もっとシンプルなシステムなら、比較的容易に原発の代替手段を見つけられたでしょう。

しかし、今の社会はシステムからひとつ部品を外せば、多くの人の生活と生命にその悪影響が出るようにできている。もちろん原発にしても然り、です。そのなかで現実的に何ができるか、時間をかけて議論していくしかない。にもかかわらず、それができていない。

―開沼さんは、原発立地地域での反対運動にも懐疑的ですね。

開沼 他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば「騒ぐだけ騒いで帰る人たち」です。震災前からそう。バスで乗りつけてきて、「ここは汚染されている!」「森、水、土地を返せ!」と叫んで練り歩く。

農作業中のおばあちゃんに「そこは危険だ、そんな作物食べちゃダメだ」とメガホンで恫喝(どうかつ)する。その上、「ここで生きる人のために!」とか言っちゃう。ひととおりやって満足したら、弁当食べて「お疲れさまでした」と帰る。地元の人は、「こいつら何しに来てるんだ」と、あぜんとする。

―1980年代にも、チェルノブイリの事故をきっかけに、日本でも大規模な反原発運動が起こりました。

開沼 あの運動は、時間の経過とともにしぼんでいきました。理由はいろいろあります。あれだけやっても政治が動かなかったこともあれば、現実離れした陰謀論者が現れて、普通の人が冷めたこともある。そして今も同じことが反復されています。「原発は悪」と決めつけてそれに見合う都合のいい証拠を集めるだけではなく、もっと見るべきものを見て、聞くべき話を聞くべきです。

―日本で起きた事故が発端という点は当時と違いますが、現象としては同じだと。

開沼 僕は今の運動の参加者にもかなりインタビューしていますが、80年代の運動の経験者も少なくない。彼らは、過去の“失敗”をわかった上で「それでもやる」と言う。「あのときにやりきれなかった」という後悔の念が強いのでしょう。そういった年配の方が「二度と後悔したくない」とデモをし、署名を集めようと決断する。それはそれで敬服します。

でも、そのような経験を持たぬ者は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている。

―それがなくなったら、しぼむしかない。

開沼 3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。

批判に対しては「確かにそうだな」と謙虚に地道に思考を積み重ねるしか、今の状況を打開する方法はない。「脱原発派のなかでおかしな人はごく一部で、そうじゃない人が大多数」というなら、まともな人間がおかしな人間を徹底的に批判すべき。にもかかわらず、「批判を許さぬ論理」の強化に本来冷静そうな人まで加担しているのは残念なことです。

そして、それ以上の問題は「震災」が完全に忘却されていること。東北の太平洋側の復興、がれき処理や仮設住宅の問題も、「なんでこんなに時間がかかるのか」と、被災地の方たちは口々に言います。原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。

―確かにそうですね……。

開沼 先日、フェイスブック上で象徴的なやりとりを見ました。警戒区域内に一時帰宅した住民の方が自殺してしまった。その町の職員の方の「今後はこのようなことがないよう頑張ります」という内容の書き込みに対して、ある人が「これでも政府は大飯原発を再稼働するのか」とコメントした。職員の方は「怒ったり、大きな声を出すエネルギーを被災地に向けてください」と訴えました。救える命だってあったはずなのに、議論の的が外れ続けている。

―先ほど「歴史を学ぶべき」という言葉がありましたが、では、デモや怒りの声を上げる以外に何ができるでしょうか。

開沼 原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。

かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。

―確かに、現状では建設的な議論は一向に進んでいません。

開沼 もちろん解決の糸口はあります。例えば、ある程度以上の世代の“専門家”は、原発推進にしろ反対にしろ、ポジションがガチガチに固まってしまっている。これは宗教対立みたいなもので、議論するほど膠着(こうちゃく)するばかりです。そりゃ、「今すぐ脱原発できる、するぞ」とステキなことを言えば、今は脚光を浴びるかもしれない。でも、それができないと思っている人がいるから事態は動かない。立場の違う人とも真摯に向き合わないと何も生み出せません。

若い世代が、その非生産的な泥沼に自ら向かう必要はない。一定のポジションに入れば安心はできます。「みんな脱原発だよね」と共同性を確認し合えば気分はいい。でも、本当に変えたいと思うなら、孤独を恐れず批判を受けながら、現実的かつ長期的に有効な解を追究しなければ。

―世代による“線引き”もひとつの解決策だと。

開沼 僕は原発推進派と呼ばれる人、反対派と呼ばれる人、双方の若手の専門家を知っていますが、ある程度のところまでは冷静かつ生産的な議論が積み重なるんですよ。ここまでは共有できるけど、ここからは意見が分かれるよね、と。例えば「アンダー40歳限定」で集まれば、そこから先をどうするかという建設的な話ができる。僕はそれを身近で見ているから、実はあまり悲観していないんです。

―アンダー40の若手原発討論。それ、週プレでやりたいです。

開沼 面白いと思います。売れるかどうかはわかりませんが(笑)。そういうオープンな議論の試みから現実的な変化が始まります。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

●開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年生まれ、福島県出身。福島大学特任研究員。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(青土社・佐藤栄佐久氏との共著)などがある
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120719-00000732-playboyz-soci

Read Full Post »

先週、官邸前抗議行動について、野田首相が抗議側の代表と会うと意志表明した(結局、2012年8月8日を予定していたが、政局によって延期された)。

このことは、いろんな意味で波紋をよんだ。その一つとして、ここでは橋下徹大阪市長が8月5日にツイッターで表明した脱原発デモについての意見を検討しておこう。

橋下徹については周知の人物といえる。彼の大阪府知事・大阪市長としての強引な政治は、確かに一部の熱狂的な支持を得つつも、他方で、強く反対する人びとをうんでいる(ここでは「強引な政治」と書いているが、それでは過小評価であろう。しかし、このことを中心に批判する文章ではないので、このような表現をとっていることをご承知されたい)。一方で、大飯原発再稼働については抵抗の意志を示しており、夏期の計画停電を根拠にして再稼働を認めたものの、長期的においては「脱原発」の旗を下ろしてはいないのである。

そのような橋下が、官邸前行動やデモなどをどのようにみているのか。8月5日のツイッターは、そのことをよく示している。

彼は、まず、被災地がれきの広域処理について、大阪市役所などで抗議デモがありながらも、世論調査では9割が賛成していると指摘し、このように問いかける。

しかし国民全体では9割が賛成。このギャップは何なのだろうか。政治家は目の前の一部の団体などの声に左右されやすい。数千人の声が集まるとそれが有権者全体の声と錯覚してしまう。官邸前・国会前の反原発デモは、本当に国民全体の声なのだろうか。デモだけで政治判断するのは危険である。
もちろん国民・有権者の声を限りなく聞く姿勢は重要である。しかし参考にする声を、目の前の大きな声を軸にするのは危険である。国民全体の声を見誤る。確かに議会が本当に有権者の声を反映しているのか疑念はある。しかしだからと言って議会を補完するためにデモがあるというのは短絡過ぎる。
http://twilog.org/t_ishin/asc

なかなか、微妙な言い回しである。橋下は、国民・有権者の声を限りなく聞く必要があることを認めている。別のところでは、自分自身をポピュリズムであるといっている。そして、議会が本当に有権者の声を代表しているのかということにも疑念を表明している。しかし、目の前のデモなどの大きな声によって政治判断することは危険であるとし、デモが議会を補完するという機能があるのではないかということすら短絡的と断じている。

そして、橋下は、やはり議会の声に有権者の声の反映を求めていく。

むしろ議会の声とデモ的な声、つまり一部の大きな声が重なることも多い。つまり議会の声もデモの声も、有権者の多数の声を反映していないことが多い。議会がダメだからデモだとはならない。結局、有権者の声は何なのか、誰も計りようがない。ゆえに議会の声が有権者の声と擬制せざるを得ない。
http://twilog.org/t_ishin/asc

これは、なかなか意味深長な発言だ。橋下は、有権者の声など誰も計りようがないとしつつ、「ゆえに議会の声が有権者の声と擬制せざるを得ない」と述べている。有権者ー議会の代表関係は「擬制」であるのである。

その上で、橋下は自身の行ってきた強引な政策運営を有権者の声に基づいたものとし、朝日新聞などの批判的論調は、有権者の声をつかみそこなっているものとしている。

朝日新聞や毎日新聞は、この点、多くの有権者の声を掴み損なうことが多い。ほかの新聞社もだけど。学力調査の市町村別結果公表、君が代起立条例、職員入れ墨調査などの公務員規律強化、教育委員会制度、それと文楽をはじめとする文化行政の在り方。枚挙にいとまがない。
結局新聞などに寄せられる自称インテリ層の意見は、国民総数からするとほんの少しの意見なのに、新聞紙面には多くを占める。いわゆるデモと似ている。新聞の自称インテリ層の意見が、国民大多数の意見だと見誤るとえらい目に遭う。もちろん、数だけが全てではないことは分かっている。
http://twilog.org/t_ishin/asc

つまり、彼が一般的に批判されている諸政策は、多くの有権者の声に基づいており、新聞などに出てくる意見は少数意見で、デモもそれと似ているというのである(なお、脱原発デモに参加している人びとは、新聞や放送局がいかにデモを報道しないかをよく知っている。)。その根拠は何か、有権者の声を擬制しているとされる「議会」に基づいているからである。

そして、橋下は、こう主張する。

しかし政治行政の本質は多数の意見で進めることだ。ポピュリズムと軽蔑されようがなんであろうが、民主制とはそういうものだ。それが嫌なら、民意を軽蔑する、賢人政治にするしかない。そんな政治はまっぴらごめんだ。賢人などいるわけがない。民主制は完ぺきではないがそれに替わる政体はない。
(中略)
有権者全体の民意を探りながら、民意の大きな方向で全体が良くなるように最善を尽くす。民意べた寄りでもない。ここが難しい。しかし目の前の大きな声新聞を占める自称インテリの声、これだけに左右されては見誤る。原発依存度を下げて行こうという国民全体の声は官邸前のデモの声を聞かなくても分かる。
http://twilog.org/t_ishin/asc

多数意見で政治を行おうとする点で、彼はポピュリズムを自認している。しかし、それは、新聞やデモではなく、「有権者」の民意などである。なぜ有権者を表に出してくるのか。それは、橋下は、自身が多くの有権者の支持を得て当選したという自負があるからである。そして、あのような強引な政策を、批判をかえりみず行う正当性もまた、この有権者の多数の支持を得ているという点に求めているといえよう。

デモについては、軽視することはさけながらも、デモの中でも意見がまとまっているわけではなく、国民の代表の声であるかどうかもわからないとして、議員が力を発揮すべきであると主張している。

デモを軽く扱えということではない。原発についての国民の声の動きとして、大変参考になる。大きな民意の動きとして大変参考になる。ただデモに参加している個々人の意見が皆まとまっているわけではない。デモの中の誰の意見を参考にするのかというのは大変難しい。だからこそ議会制民主主義がある。
国民全体の声、官邸前のデモの動きを汲みながら、政治は早急にその流れの中で最善の策を構築すべきだ。デモの代表者と協議をしてもそれが国民の代表の声かどうかはわからない。こういうときこそ議員が力を発揮すべだ。って言うのは理想かな。
http://twilog.org/t_ishin/asc

その上で、脱原発デモに対して、こう呼びかけた。

官邸前のデモの代表者が首相と会談するとのこと。デモ側は、最低限、代表者に権限を与えて、デモの代表者であることは確定すべきだ。この代表者が首相と会談した後、別の者が俺の考えは違うから首相に合わせろとなれば収拾がつかなくなる。
僕らは自分の思いを実現するために選挙を通じて多数議席を獲得してきた。想像を絶する労力が必要だ。メディアからも散々批判を受けた。朝日新聞、毎日新聞は選挙を通じての多数獲得には容易に独裁批判を展開するのに、デモで自分の考えを実現しようとすることは市民運動として拍手喝采となる。
おかしい。官邸前のデモの皆さん、皆さんの運動自体は否定しませんが、やっぱり最後は選挙で変えていくしかありません。次回の衆議員総選挙はエネルギー政策も最大の争点になるでしょう。デモのエネルギーを、選挙にぶつけて下さい。
http://twilog.org/t_ishin/asc

前段は、デモ側が首相と会う代表者に代表権委任せよという話だ。しかし、そもそも「脱原発」という主張をするために、官邸前・デモに寄り集まってきた人びとにどのように代表権委任ができるのだろうか。むしろ、弁護士出身の橋下が、「代表権委任」という概念に固執していることを意味しているのだろうと思う。

後段は、自分たちは努力してきて議会で多数を獲得してきた、デモ側も選挙で変えていくことが本道ではないかと主張しているのである。ここにおいて、橋下の論理がよくわかるといえる。彼は、選挙で勝って、公選首長や議会の多数派を獲得することにより、有権者の多数意見は判明すると考えているといえる。その意味で、マスコミもデモも、そのような有権者の多数意見とは無関係なものとして捉えているといえよう。

このように、橋下の意見は、自身もまた依拠している公選制に基づいた「議会制民主主義」の枠から一歩も離れていないことがわかる。橋下は、デモなどの直接民主主義的実践は、議会制の補完物ですらなりえないのだ。彼にとって、政治は公選された代表者たちの執り行うものであり、もし、それがいやならば、橋下自身と同様に自分たちのグループを選挙によって公選された代表者たちの中に送り込んむしかない。橋下にとっては、有権者の声とは、擬制であるとしつつも、議会の声でしかないという認識をもっている。そして、公選された代表者たちは、多数の有権者の支持を得ているのであって、それに基づかない新聞世論やデモは、「小さな声」でしかないのである。その意味で、脱原発を主張している橋下が、野田首相の政治姿勢を評価したと報道されていることが、よく理解できるといえよう。

Read Full Post »

前回のブログで、6月30日から7月2日にかけて行われた大飯原発前再稼働反対抗議行動の経過をみてきた。抗議行動全体を説明すれば、関西電力大飯発電所敷地を公道から区分するために関電自身が設置していたバリケードを占拠し、その内側と外側において、機動隊と対峙していたといえる。

それでは、どういう形で行われたのか。次の動画をみてほしい。

動画に説明がないが、これは、たぶん、7月1日の夕方、バリケードの内側と外側にかけられた機動隊の攻勢の時期に撮影されたものと推測される。バリケードの外側では、ダイ・インしていた反対派を機動隊が一人一人ごぼう抜きで排除したが、内側では反対派の人びとの壁に盾をもった機動隊の隊列をぶつけて排除しようとした。この動画は、内側での攻防を撮影したものとみることができよう。

動画を説明していけば、反対派人びとの壁に、黒いヘルメットを着け、強化プラスチックの盾をもった機動隊が二列横隊でぶつかっていく。その後ろには、関電関係者とおぼしき作業着姿の人びとがいる。そもそも、ここは、関電の敷地内なので公道ではなく、この排除は、関電が敷地から退去せよと通告し、それにこたえて機動隊が排除を開始している。私は、法律問題には詳しくないが、私営駐車場に不法駐車した際も、警察は直接レッカー移動せず、裁判所に出訴しなければ強制排除は難しいそうである。手続き的にはいろいろ問題があるのではないか。いずれにせよ、警察は、ここでは関電という私企業の警備員もしくは私兵として行動しているといえよう。

人びとは、両手をあげて「非暴力」を誇示し、「暴力反対」などを個々に叫びながら、その場から動かないことで、機動隊に抵抗しているのである。暴力はしないが、その場所に居続けることで抵抗するのである。

そのうち、やや後方にあるドラムが打ち鳴らされ、リズムが刻まれる。人びとは踊りだし、手をあげて拍手し、全体のリズムがあっていく。そして、「再稼働反対」などのかけ声もそろってくる。反対派の集団は、命令ではなく、リズムによって統率され、一体として行動していく。機動隊側も何か命令しているようだが、全く聞こえない。

そして、たぶん男根(もしかして違うのかもしれない。違っていたら訂正したい。ただ、ここでこのように表現したのは、批判するつもりではなく、土俗的なエネルギーを評価することを意図している)を模したと思われる「御神体」を乗せた神輿が登場し、機動隊を威嚇する。しかし、だれが、どういう発想で、このような土俗的なものを持ち出すことを考えたのだろうか。やや後になると、この神輿に拡声器をもった女性(と思しき人物)が乗り、シュプレヒコールを機動隊に向かって叫ぶ。ドラクロアなら「民衆を導く自由の女神」といったであろう。まさに、抗議行動ではあるが、まさに祝祭の場と化してくる。この動画ではないが、別の動画で、参加者たちが、幕末に多くの民衆が踊ることで民衆の力を示した「ええじゃないか」とこの抗議行動を重ね合わす発言をしていた。

このような、ドラムをたたき、「再稼働反対」をシャウトし、踊り狂う人びとの「抵抗」に直面して、機動隊も思ったほど前進できず、あせりの色が濃くなる。警察は、より軽装備の特別部隊を編成し、機動隊の列の内側に送り込み、この部隊は直接に手を使って人びとの排除を始めた。逮捕者や重傷者が今まで報告されていないことに鑑み、電敷地内、独立系メディアの監視などの理由で、警察はおおっぴらな弾圧を抑制していたのではないかと結果的には思うが、この挑発に応戦すれば、より激しい弾圧もありえたと思う。反対派の人びとは混乱し、一時期ドラムもその混乱に巻き込まれた。

しかし、すぐにドラムは再びリズムを刻み始め、人びとは立ち直った。ドラムにあわせて人びとは踊りだし、「暴力反対」と叫び、警官に直接対面する人びとは、両手を上にあげて「非暴力」をアピールしつつ、警官を押し返していく。

たぶん、こういうことが何度も繰り返されたのであろうと推察する。全くの「非暴力」でありながら、人びとは、ドラムのリズムにあわせて「再稼働反対」「暴力反対」と叫びながら踊り狂い、土俗的・祝祭的な熱狂を創出することで、機動隊に抵抗し続けたのである。このような、ドラムなどのリズムによって人びとが高揚していくことは、昨年来の東京を中心にして行われた脱原発デモにおいてもしばしばみられ、本ブログでも2.3紹介した。ドラムのリズムによって人びとが高揚していくことが、非暴力として抵抗のスタイルになることを、この大飯原発前の再稼働反対抗議行動が示したといえるだろう。そして、それは、民衆運動における新たな政治文化の息吹といえるのだ。

Read Full Post »

2011年10月9日夕方、渋谷で「怒りのドラムデモ」が行われた。「怒りのドラムデモ」ととは、どのようなものなのか。単純にいえば、脱原発を求めて、ドラムー打楽器を打ちながら、街路を行進するものである。まず、主催者側の呼び掛け文をみておこう。

もうすぐ原発事故から7ヶ月が経とうとしています。しかし問題は全く解決されておらず、依然収束の見込みは立っていないままなのに、「解決の方向なんでしょ?」という空気が東京でも漂い始めています。
私たちは、稼働している原発に可能な限り早期の停止と廃炉を求めます。

これまで様々な場所で原発に対する抗議のデモが行われてきました。デモのなかで、鳴りもの「太鼓」をはじめ楽器を持つ人が多くいる事がわかってきました。シュプレヒコールの代わりにドラムを叩き付けるがごとく、渋谷の街を抗議の音で満たしましょう!

スネア、ジャンベ、タム、和太鼓、シンバル、空き缶、その他打楽器持っているひと集合!!!
その他の管楽器・弦楽器・笛・盆踊りの和太鼓・自転車のベル・ブブゼラ・カズー・ドラム缶・一斗缶・クッキー缶・なべ・フライパン・ゴミ箱・ダンボール・ラジカセ・バケツ・洗濯板・風鈴・その他楽器の方も、楽器持ってない人も、プラカードで参加の方も、手ぶらでの参加も、もちろん歓迎です!!
反原発/脱原発に直接関わりのない旗やプラカードはご遠慮ください。 

怒りのドラムデモ実行委員会 (a.k.a.ドカドカうるさいマーチングバンド)
(http://protestofdrum.blogspot.com/p/blog-page_7152.htmlより)

このドラムデモに、私も参加した。このデモ開催はフェイスブックを通じて伝えられた。アラブ・・アメリカなどで行われたデモはツイッターやフェイスブックなどを通じて広められたというが、日本の脱原発デモも同じような連絡方法で伝えられたのである。

デモは16時45分から開始された。出発地点は恵比寿公園である。恵比寿公園に集まっている人たちをみると、お互い同士それほど話し合いをしていなかった。私のように、一人で来ている人も多いようであった。基本的に大組織を背景に動員されているようにはみえなかったのである。

その中で、一際目立ったのは、道化師の仮装をした人たちだった。後で雨宮処凛のブログでいわれていたのだが「クラウンアーミー」というらしい。彼らは、さかんに輪になって踊るなど、パフォーマンスのリハーサルを行っていた。

小太鼓などをもっていた人たちもいたのだが、最初それほど多くいるようにはみえなかった。
(なお、プライバシーを考慮して、写真において個人が特定できると考えられたものは、眼に線を入れた。仮装や遠望などで特定できないと思うものは修正しなかった。)

出発地点の恵比寿公園

出発地点の恵比寿公園

福島県の教師も参加していたようだ。

福島からの参加者

福島からの参加者

出発直前に、クラウンアーミーを中心に、ドラムをもっていた人々が集まって、ドラムを打ち鳴らした。かなりの迫力であった。

出発直前の景況

出発直前の景況

そして、デモは恵比寿公園を出発した。

恵比寿公園出発

恵比寿公園出発

デモが始まってみると、多くの人が何らかの打楽器をもっていたことに驚いた。呼び掛け文には「これまで様々な場所で原発に対する抗議のデモが行われてきました。デモのなかで、鳴りもの「太鼓」をはじめ楽器を持つ人が多くいる事がわかってきました。」といわれている。さらに、もう一度、このサイトをみてみると、次のように、楽器が無償で貸し出されていたことがわかる。ただ、大きなものはそれほど貸し出されていないので、かなり自前でもってきたのであろう。

追記1 
HUMAN RECOVERY PROJECT / PINPRICK PUNISHMENTの穴水さんからの申し出で、楽器をお借りする事が出来ます。
以下をお読みください。

▼ANAFUZZ MasahikoAnamizu
10/9怒りのドラムデモ。私が運営している楽器・音響.com が全面的にサポートします!
タンバリン・シェーカー・カウベル等の小物から全て無料で提供します!
他に在庫はスネア,バスドラム,ハイタム,ロータム,フロアタムが全て2つずつ。
※ストラップ(ヒモでOK)とスティックは各自ご用意ください。
利用希望者は14時~15時半にこちらまでお越し下さい
※通常のレンタル契約同様、携帯番号、住所、氏名等を控えさせていただき、身分証を確認させていただきます。
10/9怒りのドラムデモはこれまでデモ参加を躊躇していたバンドマンに是非とも参加してほしい。
ただ、黙ってプラカード掲げるだけの行進じゃつまらないし、シュプレヒコールも運動っぽくて照れくさい。
何か叩いてリズムとってれば周りとの一体感も感じるし、慣れない「恥ずかしさ」も吹き飛ぶさ。(2011年10月7日のツイート)

デモもかなり、今までとは異なったものであった。デモ隊の先導車はなく、拡声器もなかった。個人的に「原発やめろ」などと怒鳴っている人はいたが、集団でメッセージを唱和することはなかった。集団で出されていたのは、ドラムの音であった。まさに、「ただ、黙ってプラカード掲げるだけの行進じゃつまらないし、シュプレヒコールも運動っぽくて照れくさい。何か叩いてリズムとってれば周りとの一体感も感じるし、慣れない「恥ずかしさ」も吹き飛ぶさ。」ということなのだろう。私のいった脱原発デモでは、よく「サウンド・デモ」といって、先導車にミュージシャンがのって、「脱原発ソング」などをうたっているものが目立っていたのであるが、その発展型といえるであろう。シュプレヒコールを拡声器に従って唱和するのではなく、個々人が「ドラム」をたたくことでメッセージを発信するということと解釈できる。

ドラムの音は大きい。単独でもかなりのものだが、集団で叩いているならなおさらのことだ。特に、高架線をくぐるときなどはとりわけ大きくなる。歩道橋の下ですら反響がよくわかる。

恵比寿駅高架下をくぐるドラムデモ

恵比寿駅高架下をくぐるドラムデモ

ドラムによるメッセージを補完するものは、プラカードや旗であった。さまざまな「脱原発の主張」がそこには書き込まれている。

恵比寿周辺を行進するドラムデモ

恵比寿周辺を行進するドラムデモ

プラカードその1

プラカードその1

プラカードその2

プラカードその2

プラカードその3

プラカードその3

プラカードその4

プラカードその4

中には、右翼的な思想に基づくと思われるプラカードもあった。ただ、日の丸をうちふるということはみられなかった。

プラカードその5

プラカードその5

普段のデモならば先導車がいる、先頭のところにいたのは、前述のクラウンアーミーである。彼らは、無言で(いや、何か発してもわからないが)デモの先頭でおどり、行き過ぎる人々の目をひきつけた。

デモの先頭で踊るクラウンアーミー

デモの先頭で踊るクラウンアーミー

歩道橋の上は、写真撮影する人で鈴なりだった。もちろん、デモ参加者や取材陣もいると思うが。

歩道橋から撮影する人びと

歩道橋から撮影する人びと

写真では、なかなか音を伝えるのは難しい。下記の動画は、少々長いが、よく全体をとらえている。恵比寿公園を出発したドラムデモは、恵比寿駅前から明治通りを通り、渋谷駅東口を通過し、さらに北上してから山手線の高架をくぐって、一度渋谷公会堂前にいき、そこから公園通りに入って、渋谷駅西口にいき、再度明治通りを北上して、神宮橋公園でフィニッシュした。見ていると、その経過がよくわかる。撮影者は、たぶん、出発時には、デモの後のほうにいたらしい。ここでは、タンバリンや手持ち管楽器などの「ドラム」ではない音が多いようである。そして、だんだん前のほうに移動したらしい。動画の後のほうでは、デモ先頭附近の、「ドラム」隊やクラウンアーミーのパフォーマンスが撮影されている。

(http://www.youtube.com/watch?v=3iCLUoyqxSkより)

ドラムデモのコース

ドラムデモのコース

ドラムの音であるが、一見何げなく叩いているようであるが、それなりにリズムがあっていたことがわかってきた。それは、上記の動画にも表現されているであろう。てんでに叩いているようであるが、だんだん集団としての調和がとれてくるのである。その意味で、ある意味では、先導者がいなくても集団としてのまとまりを作り出していた、このデモのあり方全体を象徴するものといえるだろう。

このドラムの音は、だんだん人をひきつけてくる。私は年齢が年齢なので、それほどドラムの音が好きというわけでもないのだが、最後のほうでは、私自身が手拍子でこのドラムの音にあわせようとしていた。集団でのドラムの音は、人びとの自発性を引き出し、自立した主体を促す。シュプレヒコールに唱和する主体のような、ある意味では受動的な主体参加ではなく、能動的な主体参加を促進していくものであるといえる。

このドラムデモは、街行く人の目を引き付けた。写真は公園通りのものである。さらに渋谷駅のハチ公前でも多くの人がデモをみていた。

公園通りでデモをみつめる人びと

公園通りでデモをみつめる人びと

最後については、上記の動画の最後のほうみてもらったほうがよくわかる。解散地点の神宮橋公園では、クラウンアーミーたちが、ポールのようなものを中心として輪になって踊り、その周りでドラムが、それこそリズムをあわせて打ち鳴らされていた。そして、古いたとえで恐縮だが、三々七拍子のような形でドラムが打たれ、まわりも手拍子その他であわせることでフィニッシュした。最初、恵比寿公園で行っていたクラウンアーミーのリハーサルはそのためのものであった。演出意図に納得した。つまり、一つの「始まり」と「終わり」をもった、どちらかといえば、コンサートの乗りであるパフォーマンス・デモであったといえるのである。

最後に、主催者が10月22日にもドラムデモをしないかといわれていると話しながら、「皆がそれぞれドラムを持ち寄ればいいんですよ」と話していた。そういう心意気なのだ。

主催者側では1000人程度、警察側の発表では600人と、最近は万を超える参加者がある「脱原発デモ」としては、少数の参加者であった。しかし、参加者とそれをみている人びとに「デモは楽しい」と思わせることで、このデモの意義は大きいだろう。

それに対して、非常に脱原発デモ報道に消極的な、朝日新聞も10月10日付朝刊の二面で大きくとりあげて報道した。なお、次に掲げるものは、ネット配信した記事であるが、二面にも同内容の記事が出されている(ただ、二面の記事は、識者の発言やらも入っているが)。

脱原発デモが各地で続く。今まで社会運動に参加してこなかった「アマチュア市民」たちが、インターネットでゆるやかにつながる。組織を持たない人々の怒りを新たなメディアが束ね、路上へと押し出す風景は、米国や中東で起きている若者のデモと相似形だ。
■動員なし、届け出上回る600人行進
 ドンドン、ブブーッ、コンコン。9日夕方、東京・渋谷の公園通りを、太鼓やトランペット、フライパンなど、思い思いの「楽器」を奏でながら、デモ隊が練り歩いた。
 街宣カーの連呼も、シュプレヒコールもない。にぎやかな音を聞いてレストランから出てきた男性店員は「お祭りかと思ったら、デモなんですね」。
 先頭付近で、腰にドラムを下げて行進した河野亜紀さん(39)は普段、ウェブデザインの仕事をしている。4月にデモに初参加し、「こんなに楽しい世界があるんだ」とはまった。
 震災前、デモに対して、学校で苦手なマラソン大会に出るような「動員」のイメージを抱いていた。でも原発へのもやもやした不満を何とかしたい。ツイッターで知ったデモに足を運び、「みんな同じように怒ってたんだ」と分かった。
 IT企業で働く古賀真之介さん(32)は、妊娠中の妻と参加した。「子どもと妻のことを思うと、危険な原発はすぐにも廃止してほしい」。予備校生の下西あす夏さん(19)は「デモは逮捕されそうで怖い」と思っていたが、「自分にできることを」と参加した。友人の多くは無反応だが、ツイッターでデモのことをつぶやき続けている。
 この日、デモを呼びかけた井手実さん(31)は、今回初めて主催側になり、警察への届け出など手続きをした。内装業の傍ら趣味でパンクバンドを組む。常に線量計を持ち歩くなど、脱原発の思いは本物だが、これまで社会運動を担ってきた労組や団体を「プロ市民」とすると、「自分たちはアマチュア」と感じる。
 組織も動員もなく、告知はネットや口コミに頼る。参加者100人と届け出たが、ふたを開けると600人が集まった。予告ホームページの一つには、米ニューヨークの路上で人々が楽器を打ち鳴らすネットの映像がリンクされている。
 硬質な社会問題でも、お祭りのように楽しむノリ。東京で脱原発デモの先駆けとなった4月のデモは、高円寺のリサイクル店「素人の乱」が主催した。店長の松本哉(はじめ)さん(36)は就職氷河期に大学を出たロスジェネ世代だ。放置自転車の撤去に抗議する「オレの自転車を返せデモ」といった遊び心を入れた活動を仲間と続けてきた蓄積が生きた。企業や組合など従来型の組織からはみ出した存在だからこそ、自由なスタイルでデモができる。
 松本さんは、韓国やフランスなどに出かけ、連携を模索する。脱原発デモの映像をネットに流すと、台湾から同じようなデモをしたいと反応があった。米国でのデモも、学生や失業者がネットでつながり、ゲリラ的に活動している点に共感を抱いている。(西本秀)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201110090392.htmlより

記事内容も、それなりに、デモの内容を伝えている。デモ参加者の声を出していることは貴重だ。

この「ドラムデモ」は、3.11以後の状況が作り出した、ある種の新しい政治文化だといえるであろう。「怒りのドラムデモ」と名付けられているが、まず、「怒り」を自分自身で「表現」することが最初の一歩なのだと思う。叩いているのはドラムではない。3.11を作り出したものすべてを叩くべきなのだ。直接的には、政府であり東電であるが、さらにいえば、そのような状況を作り出した自分自身も「叩き直す」必要があるのだ。そして、自らの生を拒んでいるのは原発だけではない。アラブ・イギリス・アメリカでの行動が示しているように、状況すべてなのだといえるのだ。

私の個人的な研究でいえば、「公共圏」における言説の場における葛藤を検討してきたのだが…今や、それに先行して、「怒り」の感情を自分自身で表現することが必要な時なのではないかと思う。まさに、直接的なメッセージではない、ドラムを打つことによって怒りを表現し、リズムをあわせることで、見も知らない人びとが調和し、結びつく。そして、自己を表現すること、それが共同性を喚起することで人びとは「楽しい」と感じる。一方通行ではない、個と全体との関係。それを今までめざして、戦後社会は存在したきたし、今後ともそれを求めていかねばならないだろう。

Read Full Post »