福島原発が立地している地域社会について書いた『「フクシマ」論』の著者開沼博氏が『週刊プレイボーイ』の取材にこたえて、「”燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」というインタビュー記事を出している。それが、ネット配信されている(7月19日付)。参考のために、全文の引用を末尾に付した。
その内容をひと言でいえば、原発が立地している福島県の地域社会を代弁した形で行った、脱原発デモ批判ということができる。彼にとっては、複雑な現代社会では、簡単に原発の代替手段をみつけることができないとしている。その上で、脱原発運動を「外部の人の活動」と把握し、地域社会の人びとの心情を踏みつけるものでしかないと主張する。
その上で、彼は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている」と述べている。開沼氏は、「3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。」というのである。
そして、開沼氏は、「原発再稼働反対」という中で、「震災復興」が忘却されているという。彼は「原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。」と述べている。
開沼氏は、社会システムの”代替案”を提示すべきであるとして、「原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。」と主張する。
開沼氏にいわせれば、代替案を主張しない限り、脱原発デモの主張は、政治家・行政関係者・立地地域住民に聞き入れられないのだろうということになるだろう。
開沼氏の議論は、3.11以前ではある程度通用したであろう。開沼氏が描き出した3.11以前の福島県の原発立地地域社会では、雇用・電源交付金・固定資産税・購買力などの原発からのリターンを得ることによって、原発のリスクを看過する考え方がヘゲモニーを有していたといえる。その中で、原発のリターンは、立地する地域社会の経済を支える要因となっていたといえる。そして、3.11直前には(1970年代では地域社会内部でもかなり原発建設反対派がいたが)、原発反対派は「外部の人」として意識されるようになったといえる。開沼氏は、『「フクシマ」論』で、もっぱら、福島における原発の建設過程を「中央」ー「地方」の従属関係で描いているが、その際、彼にとって、脱原発運動というものも、「中央」からの「地方」への無責任な干渉にすぎないのである。もちろん、原発建設自体が「中央」ー「地方」の従属関係を前提にするものだが、開沼氏にとって原発建設によって地域経済は成り立っているとして、結果的には原発を是認しているといえよう。このインタビューにおける脱原発運動は、そのような考え方の延長線上にあるといえる。
3.11以後、福島第一原発事故により、原発が立地していた地域社会の住民は根こぎになった。そうなってくると、雇用・電源交付金・購買力などは意味をもたなくなる。高橋哲哉氏が「大事故と補助金との等価交換は存在しない」(『犠牲のシステム 福島・沖縄』)で述べている。そして、放射性物質による汚染は、原発で利益を受けていたかいなかとは関係なく及ぶ。そのため、飯館村などは強制的避難の対象となった。また、福島県の中通り地方(福島市・郡山市など)においても、除染作業や自主的避難を要するようになった地域が各所に存在する。そして、放射性物質が降下したのは、東北・関東圏の広い地域に及んでいる。
こうなってくると、福島県内でも日本社会全体でも、脱原発の意見が表明されるようになった。ここでも紹介したが、2012年1月30日に国会事故調で、井戸川克隆双葉町長は、原発災害について、このように語っている。
それ以外に失ったのはって、膨大ですね。先祖伝来のあの地域、土地を失って、すべてを失って、これを是非全国の立地の方には調べていただきたい、見に来ていただきたい、目を閉ざさないで現実を見に来ていただきたいと思います。どんなに良かったのか、どんなに悪かったのか、来られれば説明します。結果的に我々は今大変な目に遭っておりますので、私は良くなかったなと、そんな風に考えています。
つまり、立地していた地域社会内部でも「脱原発」の主張がなされるようになった。この前の福島市で行われた意見聴取会でも、ほとんどが原発ゼロシナリオばかりが主張されたと聞いている。官邸前の10万人程度の声だけではないのである。開沼氏は、最早、地域社会内部でも「脱原発」が顕在するようになったということに直視すべきなのだと思う。
この原発事故は、単に資金や労力をつぎこめば解決できるというものではない。ある意味では不可逆的なものなのだ。はっきりいえば、このような原発過酷事故にどのような「代替策」ー「安全策」は可能なのか、ということなのである。原発が「代替策」により安全ならばーただ、単に事故対策というだけでなく、ウラン採掘ー運転ー廃棄物処理の全過程において「安全」でなくてはならないがー、別に廃炉にする必要などない。それこそ、電力会社の経営問題にすぎないのである。しかし、原発において有効な安全対策自体があるのかが疑問である。そして、福島第一原発事故において教訓として得られたことも生かさないで、大飯原発は再稼働されたのである。代替策を真に提示すべきなのは、野田首相を含めた推進派の人びとなのだ。
開沼氏のいうように、原発を放棄した場合、福島などの原発立地地域社会において、原発依存の経済が脱却するために、なんらかの経過的措置が必要にはなろう。しかし、それは、雇用にせよ交付金にせよ、何らかの形で措置が可能なことである。例えば、東海村長が東海第二原発の廃炉を求めているが、それは日本原子力研究所などにより雇用が確保されているということが前提になっていよう。他の原発立地地域では、東海村ほど簡単に原発の経済的リターンを捨てることは難しいと考えられる。それでも、ある意味で、代替策を構想する道は、ある程度見えているといえる。
そして、このようなことは、デモに参加している一般の人びとにストレートに求めることではなく、ある程度知識を有している開沼氏の課題といえるのである。もちろん、開沼氏だけでなく、官僚・電力会社・学者・技術者・政治家の課題である。「人びとの声を聞け」と呼びかけられているのは、野田首相だけではない。開沼氏もまたそうなのであるといえる。福島県の人びとの意見も多様であり、福島第ニ原発再稼働を推進する人びとはいるだろう。しかし、脱原発は外部のものであるという偏見を助長せず、せめて福島県の人びとの多様な意見を聞き、それらの構図を分析しながら、彼なりの代替策を提示することが、立場的に開沼氏に求められているといえないだろうか。
<参考>デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか? 開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」
週プレNEWS 7月19日(木)6時20分配信
昨年3月の東日本大震災よりずっと前、2006年から「原発を通した戦後日本社会論」をテーマとして福島原発周辺地域を研究対象に活動してきた、同県いわき市出身の社会学者・開沼(かいぬま)博氏。著書『「フクシマ」論』では、原発を通して、日本の戦後成長がいかに「中央と地方」の一方的な関係性に依存してきたか、そして社会がいかにそれを「忘却」してきたかを考察している。
原発立地地域のリアルな姿を知るからこそ感じる、現在の脱原発運動に対する苛立ち。「今のままでは脱原発は果たせない」と強い口調で語る開沼氏に話を聞いた。
***
■社会システムの“代替案”をいかに提示するか
―昨年の早い段階から、「原発はなし崩し的に再稼働される」と“予言”していましたよね。なぜ、そう考えたのでしょう?
開沼 まず理解しておくべきなのは、現代の日本の社会システムは精密機械のように複雑だということ。もっとシンプルなシステムなら、比較的容易に原発の代替手段を見つけられたでしょう。
しかし、今の社会はシステムからひとつ部品を外せば、多くの人の生活と生命にその悪影響が出るようにできている。もちろん原発にしても然り、です。そのなかで現実的に何ができるか、時間をかけて議論していくしかない。にもかかわらず、それができていない。
―開沼さんは、原発立地地域での反対運動にも懐疑的ですね。
開沼 他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば「騒ぐだけ騒いで帰る人たち」です。震災前からそう。バスで乗りつけてきて、「ここは汚染されている!」「森、水、土地を返せ!」と叫んで練り歩く。
農作業中のおばあちゃんに「そこは危険だ、そんな作物食べちゃダメだ」とメガホンで恫喝(どうかつ)する。その上、「ここで生きる人のために!」とか言っちゃう。ひととおりやって満足したら、弁当食べて「お疲れさまでした」と帰る。地元の人は、「こいつら何しに来てるんだ」と、あぜんとする。
―1980年代にも、チェルノブイリの事故をきっかけに、日本でも大規模な反原発運動が起こりました。
開沼 あの運動は、時間の経過とともにしぼんでいきました。理由はいろいろあります。あれだけやっても政治が動かなかったこともあれば、現実離れした陰謀論者が現れて、普通の人が冷めたこともある。そして今も同じことが反復されています。「原発は悪」と決めつけてそれに見合う都合のいい証拠を集めるだけではなく、もっと見るべきものを見て、聞くべき話を聞くべきです。
―日本で起きた事故が発端という点は当時と違いますが、現象としては同じだと。
開沼 僕は今の運動の参加者にもかなりインタビューしていますが、80年代の運動の経験者も少なくない。彼らは、過去の“失敗”をわかった上で「それでもやる」と言う。「あのときにやりきれなかった」という後悔の念が強いのでしょう。そういった年配の方が「二度と後悔したくない」とデモをし、署名を集めようと決断する。それはそれで敬服します。
でも、そのような経験を持たぬ者は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている。
―それがなくなったら、しぼむしかない。
開沼 3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。
批判に対しては「確かにそうだな」と謙虚に地道に思考を積み重ねるしか、今の状況を打開する方法はない。「脱原発派のなかでおかしな人はごく一部で、そうじゃない人が大多数」というなら、まともな人間がおかしな人間を徹底的に批判すべき。にもかかわらず、「批判を許さぬ論理」の強化に本来冷静そうな人まで加担しているのは残念なことです。
そして、それ以上の問題は「震災」が完全に忘却されていること。東北の太平洋側の復興、がれき処理や仮設住宅の問題も、「なんでこんなに時間がかかるのか」と、被災地の方たちは口々に言います。原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。
―確かにそうですね……。
開沼 先日、フェイスブック上で象徴的なやりとりを見ました。警戒区域内に一時帰宅した住民の方が自殺してしまった。その町の職員の方の「今後はこのようなことがないよう頑張ります」という内容の書き込みに対して、ある人が「これでも政府は大飯原発を再稼働するのか」とコメントした。職員の方は「怒ったり、大きな声を出すエネルギーを被災地に向けてください」と訴えました。救える命だってあったはずなのに、議論の的が外れ続けている。
―先ほど「歴史を学ぶべき」という言葉がありましたが、では、デモや怒りの声を上げる以外に何ができるでしょうか。
開沼 原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。
かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。
―確かに、現状では建設的な議論は一向に進んでいません。
開沼 もちろん解決の糸口はあります。例えば、ある程度以上の世代の“専門家”は、原発推進にしろ反対にしろ、ポジションがガチガチに固まってしまっている。これは宗教対立みたいなもので、議論するほど膠着(こうちゃく)するばかりです。そりゃ、「今すぐ脱原発できる、するぞ」とステキなことを言えば、今は脚光を浴びるかもしれない。でも、それができないと思っている人がいるから事態は動かない。立場の違う人とも真摯に向き合わないと何も生み出せません。
若い世代が、その非生産的な泥沼に自ら向かう必要はない。一定のポジションに入れば安心はできます。「みんな脱原発だよね」と共同性を確認し合えば気分はいい。でも、本当に変えたいと思うなら、孤独を恐れず批判を受けながら、現実的かつ長期的に有効な解を追究しなければ。
―世代による“線引き”もひとつの解決策だと。
開沼 僕は原発推進派と呼ばれる人、反対派と呼ばれる人、双方の若手の専門家を知っていますが、ある程度のところまでは冷静かつ生産的な議論が積み重なるんですよ。ここまでは共有できるけど、ここからは意見が分かれるよね、と。例えば「アンダー40歳限定」で集まれば、そこから先をどうするかという建設的な話ができる。僕はそれを身近で見ているから、実はあまり悲観していないんです。
―アンダー40の若手原発討論。それ、週プレでやりたいです。
開沼 面白いと思います。売れるかどうかはわかりませんが(笑)。そういうオープンな議論の試みから現実的な変化が始まります。
(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)
●開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年生まれ、福島県出身。福島大学特任研究員。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(青土社・佐藤栄佐久氏との共著)などがある
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120719-00000732-playboyz-soci
Read Full Post »