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福島第一原発事故以後、停止されていた「次世代型原子炉」の研究開発が2015年度に再開させる方針を政府は固めたという。次の読売新聞のネット配信記事をみてほしい。

次世代型原子炉、研究開発を再開へ…政府
読売新聞 9月17日(水)7時32分配信

 政府は、次世代型原子炉として期待される高温ガス炉の試験研究炉(茨城県大洗町)の運転を2015年度に再開し、研究開発を本格化させる方針を固めた。

 東日本大震災を受けて停止中だが、早ければ10月にも原子力規制委員会に安全審査を申請する。産官学による協議会を年内に設置して研究開発の工程表を作成し、実用化に向けた取り組みを後押しする考えだ。

 高温ガス炉は軽水炉と違い、冷却に水ではなく、化学的に安定しているヘリウムガスを使う。このため、水素爆発などが起きず、安全性が高いとされる。

 日本は1990年代から、日本原子力研究所(現在の日本原子力研究開発機構)を中心に高温ガス炉の研究開発を行っており、世界有数の技術の蓄積がある。試験研究炉では98年、核分裂を連続して発生させる「臨界」に初めて成功した。ただ、震災を受けて2011年3月に運転を停止して以降、研究は進んでいない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00050009-yom-sci

「新世代型原子炉」研究開発を再開するというのである。この原子炉は、減速材・冷却材にともに軽水を使う軽水炉と異なり、減速材に黒鉛、冷却材にヘリウムを使い、そのヘリウムガスでタービンを回して発電させる「高温ガス炉」というものである。産經新聞のネット配信記事(8月25日配信)によると、次のように安全性が説明されている。

自然に停止

 ヘリウムガスを冷却材に使う高温ガス炉は、基本的な仕組みは既存の原発と同じだ。ウラン燃料の核分裂反応で生じた熱でタービンを動かし、電力を生み出す。だが過酷事故の発生リスクは極めて低いという。

 茨城県大洗町にある日本原子力研究開発機構の高温ガス炉の試験研究炉「HTTR」。ここで4年前、運転中に炉心冷却装置を停止する実験が行われた。福島第1原発事故と同じ状況だ。原子炉は、いったいどうなったか。

 「何も起こらず自然に停止した。何もしなくても安全だった」。同機構原子力水素・熱利用研究センターの国富一彦センター長はこう話す。

 炉心冷却を停止すると、通常の原発は温度上昇で危険な状態に陥る。しかし、HTTRは停止とほぼ同時に原子炉の出力がゼロになり、温度は一瞬上昇しただけで安定していた。放射能漏れや炉心溶融は、もちろん起きなかった。

炉心溶融せず

高温ガス炉の安全性が高いのは、燃料の保護方法、炉心の構造材や冷却方式が従来と全く異なるためだ。

 既存の原発では、運転時の炉心温度は約300度。燃料の被覆材や、燃料を収める炉心構造材は耐熱温度が千数百度の金属製で、冷却材には水を使う。福島第1原発事故は冷却手段が失われ、炉心は2千度前後の高温になり溶融して燃料が露出。溶けた金属と冷却水の水蒸気が反応して水素爆発を起こし、放射性物質の飛散に至った。

 これに対しHTTRの炉心温度は950度と高いが、球状(直径0・9ミリ)の燃料は耐熱温度1600度のセラミックスで覆われており、これを2500度の超高温に耐える黒鉛製の炉心構造材に収めている。冷却材のヘリウムガスは化学的に安定で燃焼しない。これが炉心の高い熱エネルギーを運ぶため、高温ガス炉と呼ばれる。

 冷却手段が失われても炉心は理論上、1600度を超えないため、燃料の被覆が熱で壊れて放射能が漏れることはない。黒鉛製の構造材も溶融しない上、放熱効果が高いため自然に熱が逃げて冷える。

 水を使わないため水素爆発や水蒸気爆発の懸念もない。核分裂反応も、冷却停止で炉心温度がわずかに上がると、ウランは分裂しない形で中性子を吸収するため自然に停止するそうだ(後略)。
http://sankei.jp.msn.com/science/news/140825/scn14082511170004-n2.htm

水を使わないから、水素爆発も水蒸気爆発もないというのは本当であろう。また、炉心冷却装置が停止しても支障がないともされている。しかし、それだから、安全というわけにもいかない。減速材に使われている黒鉛は「炭素」であり、高温で酸素や水に接触すると燃えるのだ。一般財団法人 高度情報科学技術研究機構(RIST)が運営しているインターネットの原子力百科事典『ATOMICA』では、最終的に対応できるとするものの、黒鉛が燃焼する可能性を指摘している。チェルノブイリ原発は、黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉というもので、冷却材に軽水を使っており、その点では違うのだが、減速材に黒鉛を使うという点は同じである。チェルノブイリ事故では、この黒鉛が燃えたのである。

通常運転時および事故時の黒鉛構造物の酸化損傷 (06-01-04-03)
<概要>
 高温ガス炉は減速材として黒鉛材料を使用しているので、黒鉛が燃焼したり、燃焼で生じた水素または一酸化炭素の爆発等により、黒鉛が酸化損傷する可能性を含んでいる。この酸化損傷は、通常運転時では冷却材中に含まれる反応性ガスによって、また万一炉心内に水または空気が侵入する事故時では水蒸気と空気によって引き起こされる可能性がある。通常運転時では、冷却材中に含まれる反応性ガスの量はわずかであるので酸化損傷が問題になることはない。事故時においては、空気侵入事故が酸化損傷の観点から最も厳しいので、高温ガス炉においては想定される最も厳しい空気侵入事故条件下でも原子炉の安全性が損なわれないように設計されている。
<更新年月>
2006年01月   
<本文>
 高温ガス炉では高温のガスを得るため、耐熱性と耐腐食性に優れた黒鉛材料が炉内に使用されている。したがって、原子炉の通常運転時においても、万一炉心内に水または空気が侵入する事故時においても、水蒸気、酸素等のガスと高温の黒鉛との間に酸化反応が生じる可能性がある。黒鉛の酸化現象が生じれば、炉心(燃料)を保護している黒鉛構造物が腐食されてもろくなり、最悪の場合には、チェルノブイル炉事故時にみられたように、炉心崩壊に至る可能性を秘めている。さらに、この黒鉛の酸化反応で生じた水素及び一酸化炭素がある量を超えて存在する場合には、燃焼あるいは爆発する恐れがある。このようなことを防ぐため、高温ガス炉においては、この酸化損傷対策を十分考慮し、炉心崩壊に至る事なく、かつ爆発が生じないように設計している。
 一般に、黒鉛と酸素との反応は500 ℃ 程度から、水蒸気との反応は 700 ℃以上から有意になることが知られている。通常運転時では、一次系ヘリウム純化系が計画的に一次系冷却材中の不純物を除去しているので、一次冷却材中に存在する反応性ガスは微量である。したがって、黒鉛構造物の温度がこれらの温度以上であっても、黒鉛酸化損傷が有意になることはない。
 また、事故時においても、黒鉛酸化反応が有意になる温度以下に冷却されれば黒鉛構造物の酸化損傷の問題はなくなるので、事故初期時の高温状態からこれらの温度に冷却されるまでに反応した酸化量が問題となる。黒鉛と水蒸気の反応は吸熱反応であり、一方空気(酸素)との反応は発熱反応であるので、厳しいのは空気侵入事故である。この空気侵入事故では、一次系の圧力バンダリーが技術的には壊れそうもないが万一壊れた場合を想定して原子炉安全性を評価している。なお、大口径配管(ダクト)は、原子炉圧力容器並みの信頼性があるとして、燃料取り出し管などの小口径配管ギロチン破断のみ想定する設計例もある。
 さらに、この高温ガス炉では市販されている電池の電極用黒鉛に比べ高純度で耐食性に優れた黒鉛を使用している。この原子炉級黒鉛は炭とは別の材料であって、燃えにくいものである。なお、炭は以下に示すような理由により黒鉛に比べて燃えやすい。
(1) 炭は黒鉛に比べポーラス(炭のかさ密度は黒鉛の約半分程度)であるので、より多くの酸素が炭素と反応する。
(2) 黒鉛の結晶構造は規則的である。一方、炭の結晶は黒鉛に比べて乱れているため、酸素と反応しやすい。
(3) 炭には多くの不純物が存在するので、酸素と炭素との反応が促進される(不純物は触媒作用するとともに、炭に含まれる有機物等(H2 、CH4 等)がそれ自体で反応する)。
 上記(1)~(3)に示したように、黒鉛との反応に比べ、炭との反応は激しくまた発熱量も多い。また練炭のように下側から空気を吸い込み上側から吐き出すという煙突効果等が加わり十分酸素が供給され続ければ、燃焼範囲に入り燃え続ける。大口径配管ギロチン破断を想定している高温工学試験研究炉(HTTR)では、酸素の量も格納容器内で制限されており、また侵入してくるガスの流れも緩やかであるなどの理由により、黒鉛が燃え続けることはない。
 図1に、HTTRの減圧事故時において発生した一酸化炭素濃度と燃焼範囲との関係を示す。黒鉛の酸化反応で発生したこの可燃性ガスが、仮に黒鉛が格納容器内のすべての酸素と反応して一酸化炭素になったとしても、爆発の可能性のある可燃性ガス濃度にならない。したがって、旧ソ連で起きた大規模チェルノブイル炉(高温ガス炉とその炉の構造が異なっているが、減速材として黒鉛を使用している。)事故のような惨事に至ることはない。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=06-01-04-03

そして、核燃料廃棄物の問題は軽水炉と同様に残っている。使用済み核燃料を再処理したところで、核燃料廃棄物自体がなくなるわけではない。事故が起こりにくいとしても、運転時などの労働者の被曝問題も解決されないだろう。

さらに、冷却材に使うヘリウム自体が供給不足ということもある。2014年3月22日、日本経済新聞は次のような記事を配信した。

ヘリウムが世界的な供給不足に陥っている。超電導磁石や半導体製造などに使われるヘリウムは天然ガスから採取される貴重な資源。しかし、最大の供給元の米国でシェールガスの採掘が増加、製造プラントの老朽化と相まって供給悪化が近年続いている。アジアなどの新興国需要も追い打ちをかけ、このままでは枯渇するともいわれている。
(後略)
http://www.nikkei.com/article/DGXZZO68601000Q4A320C1000000/

「次世代型原子炉」研究開発再開について、東京新聞は、9月19日のネット配信記事で、次のように批判している。

 

(前略)原子力への国民の不安が払拭(ふっしょく)されないまま実用化のめどが立たない研究に多額の税金を費やすのは一兆円以上をつぎ込んで頓挫している高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の二の舞いになりかねない。
(中略)
安倍政権は四月に閣議決定したエネルギー基本計画に、高温ガス炉の研究開発推進をもぐり込ませた。原子力機構はもんじゅの運営主体であり、自民党の河野太郎衆院議員は「もんじゅがだめだから高温ガス炉を突然入れてきた。予算確保が見え見えだ」と批判していた。
 九州大の吉岡斉(ひとし)教授(原子力政策)は「今やる理由が分からない。原子力機構は他に動かせそうなものがないから、研究機関としての稼働度を上げるために高温ガス炉に目を付けたのでは」と指摘した。
 政府は三〇年に高温ガス炉の実用化を目指しているが、成功しても「核のごみ」は発生する。最終処分場が見つかる見通しはなく、行き場のない核のごみは増え続ける。安倍政権は一二年の衆院選公約に脱原発依存を掲げ、原発依存度を下げると繰り返し表明しているが、逆行する動きとなる(後略)。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014091902000154.html

 ここで、河野太郎や吉岡斉は挫折している「もんじゅ」などの代替として「高温ガス炉」開発が浮上してきたと指摘している。大体、日本の核技術というものは、軽水炉のようなアメリカが開発した技術をもとにしたものは「実用化」できたが、「もんじゅ」のような「自主開発」したものは、ことごとく挫折して終っている。たぶん、同じことが繰り返されるのだろう。福島第一原発事故を克服するということこそ、今一番求められていると思うのだが。

「次世代型原子炉」を開発するということ自体が「旧世代」の発想なのだろう。「安全性」「核廃棄物」「被曝」と、原子力には克服困難な問題が山積しており、よしんば解決可能だとしても、そのためのコストは厖大である。ゆえに、原子力からの脱却こそが、「新しい道」なのだ。しかるに、「次世代型原子炉」を開発するという名目で、福島第一原発事故を抑止はおろか事後管理すらもできない「旧き」原子力開発体制に、いまだに資金・人員を大量に動員することが目論まれている。「次世代」をつくるという「進歩」を名目とした「保守」がそこにはあるのだ。

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福島第一原発事故による放射性物質汚染の影響については、政権も福島県庁もマスコミも可能な限り小さくみせようとしている。例えば、日本テレビは次のような記事をネット配信している。

安倍首相、福島県産野菜の安全性をアピール

 安倍首相は24日、東日本大震災の風評被害対策の一環として福島県産の野菜を試食し、安全性をアピールした。

 安倍首相が試食したのは、福島県産のキュウリやトマトで、風評被害対策のキャンペーンの一環として首相官邸を訪れた福島県の佐藤知事らから贈られたもの。

 安倍首相「(福島の野菜は)安全安心でおいしい。良い値段で売れるように、風評被害をみんなで吹き飛ばす。みなさん頑張って。応援します」

 また、この後、経団連の夏季フォーラムに出席した安倍首相は、福島県産の食品ついて、「やっと店頭では買っていただけるようになったが、贈呈品としてはちゅうちょする方が多い。お歳暮にはぜひ福島県産品を」と呼びかけた。
http://news24.jp/articles/2014/07/24/04255827.html

こういう「福島は安全」キャンペーンの背後には、いろいろな思惑があるだろう。官邸は原発再稼働を目論み、福島県庁は住民の「早期帰還」をめざし、農業者たちは生産物の購買忌避を解消しようとしている。

他方で、福島の危機を主張する人びとについては、全力をふるって攻撃する。少し前にあった「美味しんぼ」をめぐる騒動がそうだった。このことについては、よくも悪くも周知のことであろうが、確認のため、NHKがネット配信した福島県知事のコメントを紹介しておこう。

2014年05月12日 (月)
美味しんぼ 福島県知事が「残念」と不快感

12日発売の雑誌に連載されている漫画「美味しんぼ」の今週号の中で、登場人物が「福島県内には住むな」などと発言する場面があり、福島県の佐藤雄平知事が、「復興に向かって県民が一丸となっているときに風評を助長するような内容で、極めて残念だ」と不快感を示しました。

「美味しんぼ」は、小学館の漫画雑誌「週刊ビッグコミックスピリッツ」で昭和58年から連載されている雁屋哲さん原作で、花咲アキラさんが描く漫画です。
12日発売の今週号の中で、福島県双葉町の前町長や、福島大学の准教授が実名で登場し、「福島県内には住むな」とか、「人が住めるようにすることはできない」などと発言する場面が描かれています。
これに対し12日、さいたま市内で福島の復興支援を訴える講演を行った福島県の佐藤雄平知事が、講演のあとで報道各社の取材に応じました。
この中で佐藤知事は、「全国の皆さんが復興を支援してくださって、福島県民も一丸となって復興を目指しているときに、全体の印象として風評を助長するような内容で、極めて残念だ」と述べ、不快感を示しました。
そのうえで、今後の対応については、状況を見ながら検討すると答えました。
「美味しんぼ」を巡っては、先月発売された号でも、主人公が福島第一原発を取材したあとに鼻血を流し、双葉町の前町長が「福島では同じ症状の人が大勢いますよ」と語る場面が描かれ、双葉町が「そのような事実はなく、福島県民への差別を助長させることになる」として小学館に抗議しています。
http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/700/187648.html

また、「在日特権を許さない市民の会」などのヘイトスピーチを行っている人びとも、反原発デモなどを「反日」として槍玉にあげている。現時点でも世論調査では日本社会の半分程度の人びとは、原発再稼働について反対であり、原発については不安を感じている。しかし、原発への不安が具現化した福島第一原発事故の影響については「否認」し、それを主張する人びとについて攻撃することが、一つの規範となっているようなのである。

さて、私の考える問題は、福島県における放射性物質汚染の影響を否認し、影響を主張する人びとを攻撃する認識論的根拠がどこにあるのかということである。このことについて、ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックの『危険社会』(法政大学出版局、1998年)を手がかりに考えてみよう。

以前、何度か、本書の内容を紹介した。本書は、自然破壊による「危険」を現代社会の最大の問題としてとらえたもので、チェルノブイリ事故直後の1986年に原著がドイツで出版され、大きな反響を読んだ。いま、本書を読み返しているが、私としても違和感のあるところもある。しかし、まだまだ教えられることも多い。

ベックは、本書の中の「スケープゴート社会」という項目で次のようにいっている。

危険に曝されても、必ずしも危険の意識が成立するとは限らない。その反対に、不安にかられて危険を否定することになるかもしれない。危険に曝されているという意識自体を排除しようとするかもしれない。これが富の分配に対して危険の分配が異なる点である。飢えを否定解釈してもそれによって胃袋を満たすことはできない。しかし、危険は(現実化していないかぎり)いつでも、ないものと否定解釈することできる。物質的な困窮の場合は、事実上の被害と主観的な体験や被害とが解きがたく一つになっている。危険の場合はそうではない。逆に、危険について特徴的なのは、まさに被害そのものが、危険を意識しない状態を引き起こす可能性があることである。危険の規模が大きくなるにつれて危険が否定され、過小評価される可能性が大きくなるのである。

これは、重要な指摘である。危険に曝されていればいるほど、かえって危険を否認する可能性があるというのである。それはなぜなのだろうか。ベックは次のように論じている。

危険は知識の中で成立するのだから、知識の中で小さくしたり大きくしたり、あるいは意識から簡単に排除したりすることができる。飢えにとってはそれを満たす食物にあたるものは、危機意識にとって、危険を排除することであり、あるいは危険がないと解釈することである。危険の排除が(個人のレベルでは)不可能な分だけ、危険を否定する解釈が重要性を増す。

ベックは本書の各所で述べているが、放射性物質その他有害物質などによる自然破壊における「危険」は、人間の感覚では通常感知されるものではなく、科学的な観測によって得られる数値を通じて認識される。例えば、シーベルトで表現される放射線量、ベクレルで表現される放射能は、急性症状が出るほどのものでない限り、人間の感覚で認識されるものではない。それは、その他の有害物質でもそうである。水俣病の発生の原因となった有機水銀で汚染された魚は、人間にせよ猫にせよ、食べてそのことが認識できるものではなかった。しかしながら、そのような目に見えない危険に曝された結果は、致命的なものと推測されている。よく、「言語論的転回」がさけばれた近年の歴史学で「表象」ということばが使われているが、まさに放射性物質などの有害物質による「危険」は「表象」なのである。

そして、このような「危険」は、スケープゴートを見つけ出すことによって解消されることが可能である。ベックは、さらに、このように指摘している。

飢えや困窮の場合と違って、危険の場合は、不確実性や不安感がかきたてられても、それを解釈によって遠ざけてしまうことも多い。生じる不安を現場で処理する必要はない。こちらへあちらへと引きずり回して、いつかその不安を克服する象徴的な場所や事物や人を捜して見つけられればよいのである。したがって、危険意識においては別の思考や行動にすりかえたり、別の社会的対立にすりかえたりすることが頻繁に起こりやすい。またすりかえることが必要とされる。そのかぎりで、政治的な無為無策とそれに伴う危険の増大が示すように、危険社会は「スケープゴート社会」への内在的な傾向を含んでいる。危険そのものではなくて、危険を指摘する者が世間の動揺を突然引き起こすのである。目に見える富によって目に見えない危険の存在が隠されてしまっているのではなかろうか。すべては知的な空想の産物ではなかろうか。知的な怖がらせ屋や、危険の脚色家のでっち上げではないのだろうか。本当は東ドイツのスパイや共産主義者、ユダヤ人、アラブ人、トルコ人、難民が結局のところ、裏で糸を引いているのではないか。まさに危険が理解しがたいもので、その脅威の中で頼るものもないため、危険が増大すると、過激で狂信的な反応や政治思潮が広がる。こうした反応や政治動向によって、世間のなんでもない普通の人々を「避雷針」にして、直接に処理することが不可能な目に見えない危険を処理することが行われてしまう。

私たちが直面しているのは、こういう事態なのではないか。放射性物質汚染の「危険」による「不安」を、それを指摘する人びとへの攻撃によって解消する。さらに、すべては「知的な空想の産物」で「知的な反日左翼のでっちあげ」であり、「本当は中国のスパイや共産主義者、朝鮮人、韓国人、在日が結局のところ、裏で糸を引いているのではないか」と思い込む。福島の放射性物質汚染は、個人どころか国家のレベルでも現時点では解消不可能だと思う。しかし、解消不可能であるがために、放射性物質汚染の危険性を過小評価し、その不安を「スケープゴート」をみつけることに解消しようとしているのである。このような論理は、ドイツのベックが、チェルノブイリ事件直前に考えていたことだが、2014年の日本社会でも残念ながら該当しているといえよう。

 

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さて、今度は、元空幕長であり、石原慎太郎(日本維新の会共同代表)より推薦を受けて都知事選に立候補を予定している田母神俊雄がどのような原発論をもっているかみておこう。彼の原発論については、本ブログでも一部紹介した。しかし、部分的に紹介しても、彼の原発論総体が伝わらないと思われる。また、これは、原発推進派が原発や放射能についてどのように考えているのかを知る一つの材料にもなるだろう。ここでは、「第29代航空幕僚長田母神俊雄公式ブログ 志は高く、熱く燃える」に2013年3月20日に掲載された「福島原発事故から2年経って」を中心にみていこう。

田母神は、まず冒頭で、このように述べている。これが、全体のテーマといってよいだろう。

東日本大震災の福島原発の事故から2年が経過して、テレビなどではまたぞろ放射能の恐怖が煽られている。あの事故で誰一人放射能障害を受けていないし、もちろん放射能で死んだ人もいない。2度目の3月11日を迎え、原発反対派は鬼の首でも取ったように反原発運動を強化している。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.html

まず、田母神は、チェルノブイリでは原子炉自体が爆発して当初30人の死者が出てその後も多くの放射線障害を受けた人がいたが、福島では地震で原子炉自体は自動停止したが、津波により電源供給が絶たれて冷却水が送れないために水蒸気爆発を起こしたと、その違いを強調している。福島第一原発事故の主要原因が地震なのか津波なのかは議論のあるところだ。ただ、それはそれとして、田母神は「だから電源を津波の影響を受けない高台に設置すれば安全対策完了である。マグニチュード9の地震に対しても日本の原発は安全であることが証明されたようなものだ」と言い放つ。かなり唖然とする。日本の原発は海辺にあることが普通であり、もともと、津波被害には脆弱な構造を有しているのだが。

続いて、彼はこのようにいって、2012年末の総選挙で「脱原発」を掲げた政党を批判する。

原発がこの世で一番危険なものであるかのように騒いでいるが、我が国は50年も原発を運転していて、運転中の原発による放射能事故で死んだ人など一人もいない。それにも拘らず原発が危険だと煽って、昨年末の衆議院選挙でも脱原発、卒原発とかを掲げて選挙を戦った政党があった。しかし、日本国民もそれほど愚かではない。原発さえなければ後のことは知ったことではないという政党は選挙でボロ負けをすることになった。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.html

田母神によれば、「人間の社会にリスクがゼロのものなど存在しない…豊かで便利な生活のためにはリスクを制御しながらそれらを使っていくことが必要なの」であり、脱原発を主張する人は、飛行機にも車にも乗るべきではないとする。そして、原発新規建設計画がある米中韓で原発反対運動をすべきと揶揄しているのである。

田母神は、現在の福島第一原発は危険ではないと主張している。復旧作業をしている人がいるのだから、危険はないというのだ。福島第一原発の作業員において、今の所急性症状が出ていないのは、東電なりに法的規制にしたがって、作業場所や作業時間を管理した結果であり、人が入れないところは、ロボットが作業しているのだが、そういうことは考慮した形跡がない。

福島原発周辺で放射能的に危険という状況は起きていない。東京電力は、周辺地域に対し放射能的に危険であるという状況を作り出してはいない。福島原発の中では今でも毎日2千人もの人が入って復旧作業を継続している。そんなに危険であるのなら作業など続けられるわけがない。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.html

そして、福島第一原発は危険ではないにもかかわらず、住民を避難させて、損害を与えたのは、当時の菅政権の責任だとしている。彼によれば、年間20ミリシーベルトという基準でも厳しすぎるのである。年間100ミリシーベルトでよかったのだと、田母神はいう。ここで、私は、除染の基準は年間1ミリシーベルトであり、たとえ、住民が帰還しても、そこまで下げる義務が国にはあるということを付言しておく。田母神のようにいえば、避難も除染も一切ムダな支出となる。

しかし危険でないにも拘らず、ことさら危険だと言って原発周辺住民を強制避難させたのは、菅直人民主党政権である。年間20ミリシーベルト以上の放射線を浴びる可能性があるから避難しろということだ。国際放射線防護委員会(ICRP)の避難基準は、もっと緩やかなものに見直しが行われるべきだという意見があるが、現在のところ年間20ミリから100ミリになっている。これは今の基準でも100ミリシーベルトまでは避難しなくてもいいということを示している。100ミリを採れば福島の人たちは避難などしなくてよかったのだ。
(中略)
強制避難させられた人たちは、家を失い、家畜や農作物を失い、精神的には打ちのめされ、どれほどの損害を受けたのだろうか。一体どうしてくれるのかと言いたいことであろう。
(中略)
政府が避難を命じておいて、その責任を東京電力に取れというのはおかしな話である。繰り返しになるが福島原発の事故によって、東京電力は放射能的に危険であるという状態を作り出していない。危険でないものを危険だとして、住民を強制避難させたのは菅直人なのだ。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.htm

田母神は、原子力損害賠償責任法で異常な天災・地変によって生じた損害については、電力会社は責任をとらなくてよいことになっているが、にもかかわらず、巨額の賠償金支払いが義務付けられたと述べている。それは、東京電力が戦わなかった結果であるとし、「社長は辞めたが、残された東京電力の社員は経済的にも、また精神的にも大変つらい思いをしていることであろう」と、東京電力に同情している。

そして、田母神は、放射能は塩と同じで、なければ健康が維持できないが、一時に取りすぎると真でしまうものだと述べている。

放射能は、昔は毒だといわれていた。しかし今では塩と同じだといわれている。人間は塩分を採らなければ健康を維持できない。しかし一度に大量の塩を採れば死んでしまう。放射線もそれと同じである。人間は地球上の自然放射線と共存している。放射線がゼロであっては健康でいられるかどうかも実は分からない。放射能が人体に蓄積して累積で危険であるというのも今では放射線医学上ありえないことだといわれている。放射線は短い時間にどれだけ浴びるかが問題で累積には意味がない。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.htm

その論拠として、自然放射線の100倍の環境にいるほうが健康にいいという説(ミズーリ大学のトーマス・ラッキー博士が提唱しているとしている)、DNAが放射線で壊されてもある程度なら自動修復されるという説、年間1200ミリシーベルトの放射線照射は、健康によいことはあっても、それでガンになることはないという説(オックスフォード大学のウェード・アリソン教授が提唱したものとされている)をあげている。これは、いわゆる放射線ホルミシウス論というものであろう。

そして、結論として、田母神は、このように述べている。

我が国では長い間歴史認識の問題が、我が国弱体化のために利用されてきた。しかし近年では多くの日本国民が真実の歴史に目覚め始めた。そこに起きたのが福島原発の事故である。左向きの人たちは、これは使えるとほくそ笑んだ。そして今ありもしない放射能の恐怖がマスコミ等を通じて煽られている。原発なしでは電力供給が十分に出来ない。電力が不足してはデフレ脱却も出来ない。不景気が今のまま続き学校を卒業してもまともな就職も出来ない。放射能認識は第二の歴史認識として我が国弱体化のために徹底的に利用されようとしている。
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11494727117.htm

田母神の「原発論」は、いってしまえば、日本の原発は、地震によって停止し、津波対策もされている(?)ので安全であり、放射線による健康障害などはありえず、それらを理由にした脱原発は、日本を弱体化させる陰謀であり、それにのってしまえば、電力不足、デフレによる不景気、就職危機が継続してしまうということになる。

田母神俊雄は、福島県郡山出身である。福島県あたりで、このような議論をされていると考えるとうそ寒くなる。

さらにいえば、田母神は、元航空幕僚長であった。航空自衛隊ではトップの役職である。一応、自衛隊は、よくも悪くも、核戦争や核物質テロへの対処を考えているはずだと思っていた。しかし、放射能を塩と同じという田母神のような認識で、まともな核戦争やテロへの対策がとれるのかと思ってしまう。さらにいえば、彼らから見れば都合の悪い情報は、こちら側を弱体化させる敵の悪宣伝でしかないのである。このような人が、どうして、航空幕僚長を勤めることができたのかとすら思えてしまう。

田母神俊雄のサイトに都知事選の政策が出ているが、原発については全くふれていない。しかし、このような原発認識を抱いている人物が、今や都知事に立候補しようとしているのである。

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ブエノスアイレスで開催された9月7日のIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2020年の東京オリンピック開催が決定された。

2020年のオリンピック開催については、東京、イスタンブール、マドリードが立候補していたが、東京は福島第一原発事故の処理、イスタンブールは反政府デモや隣国シリアの内戦などの政情不安、マドリードは経済危機と、それぞれ問題をかかえていた。結果的にいえば、IOCは、経済危機や政情不安よりも、福島第一原発の事故処理のほうがオリンピック開催における克服可能な課題と考えたのだろうといえる。そう考えてみれば、この3都市の中で、東京が選ばれる可能性はもともと少なくはなかったと思われる。これについては、いろいろ考えていることがあるが、それは別の機会にしたい。

さて、東京オリンピック開催決定のIOC総会でなされた東京招致委員会のプレゼンテーションの中で、安倍首相もスピーチをし、その中で短く福島第一原発のことについて触れた。そして、その後、IOC委員から福島第一原発について質問が出て、それにも安倍首相は答えた。福島第一原発についての安倍首相の発言の要旨について、朝日新聞が2013年9月8日にネット配信している。この発言については、NHKのテレビでリアルタイムに聞いていたが、大体この通りであった。

「ヘッドラインではなく事実みて」汚染水巡る首相発言

 東京電力福島第一原発の放射性物質汚染水漏れをめぐる安倍晋三首相の発言要旨は次の通り。

 【招致演説で】

 状況はコントロールされている。決して東京にダメージを与えるようなことを許したりはしない。

 【国際オリンピック委員会(IOC)委員の質問に対し】

 結論から言うと、まったく問題ない。(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。

 福島の近海で、私たちはモニタリングを行っている。その結果、数値は最大でも世界保健機関(WHO)の飲料水の水質ガイドラインの500分の1だ。これが事実だ。そして、我が国の食品や水の安全基準は、世界で最も厳しい。食品や水からの被曝(ひばく)量は、日本のどの地域でも、この基準の100分の1だ。

 健康問題については、今までも現在も将来も、まったく問題ない。完全に問題のないものにするために、抜本解決に向けたプログラムを私が責任をもって決定し、すでに着手している。

 【演説後、記者団に】

 一部には誤解があったと思うが、誤解は解けた。世界で最も安全な都市だと理解をいただいたと思う。http://www.asahi.com/politics/update/0908/TKY201309070388.html

安倍首相の原発問題についての発言について、2013年9月10日付朝日新聞朝刊の社説「東京五輪―原発への重い国際公約」の中で、

 「状況はコントロールされている」「汚染水の影響は原発の港湾内で完全にブロックされている」――国際オリンピック委員会(IOC)総会での安倍首相のプレゼンテーションと質疑応答は、歯切れがよかった。

 必ずしも原発事故の問題に精通しているわけではないIOC委員には好評で、得票にもつながった。http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit2

と評されている。全く、スピーチにおけるレトリックの問題に限定するならば、そうなんだろうと私も思う。日本の国政の最高責任者が「安全だ」とお墨付きを与えること、つまり、福島第一原発事故問題は、日本政府によって克服している問題であるということ、これがIOC委員たちの求めていることであったに違いない。IOC委員たちの求めていた答えを、安倍首相は言い切ったのである。

それにしても、「(ニュースの)ヘッドラインではなく事実をみてほしい。」とは、人を食った発言である。安倍首相の発言内容は「事実」なのか。朝日新聞の同社説は、「だが、この間の混迷ぶりや放射能被害の厳しさを目の当たりにしてきた人には、空々しく聞こえたのではないか。」とも述べている。

そもそも、福島第一原発の状況を「コントロール」しているということ自体が事実に反するだろう。今日(2013年9月10日)も、汚染水貯蔵タンク周辺や1号機のタービン建屋周辺の井戸水が放射能で汚染されたことが報道されている。NHKの次のネット配信記事をみてほしい。

福島第一原発 地下水の汚染拡大か
9月10日 4時21分

福島第一原発 地下水の汚染拡大か
東京電力福島第一原子力発電所でタンクの汚染水が漏れた問題で、地下水への影響を調べるためタンクの周辺に新たに掘った2本目の井戸の水からも、ストロンチウムなどのベータ線という種類の放射線を出す放射性物質が高い値で検出されました。
東京電力は地下の汚染が拡大しているとみて調べています。

福島第一原発では先月、4号機の山側にあるタンクから、高濃度の汚染水300トン余りが漏れ、一部が側溝を通じて、原発の専用港の外の海に流出したおそれがあります。
東京電力が問題のタンクのおよそ20メートル北側に新たに掘った井戸で8日採取した水を調べたところ、ストロンチウムなどのベータ線という種類の放射線を出す放射性物質が1リットル当たり3200ベクレルという高い値で検出されました。
今月4日にはタンクの南側の井戸の水からも放射性物質が検出されていて、今回はその値よりさらに高く、東京電力は漏れ出した汚染水が地下水に到達し、汚染が拡大しているとみています。
100メートル余り海側には、建屋に流れ込む前の地下水をくみ上げて海に放流するための井戸があり、影響が懸念されていて、東京電力はさらに観測用の井戸を増やして詳しく調べることにしています。
一方、高濃度の汚染水がたまっている1号機のタービン建屋のすぐ海側の井戸で今月5日に採取した水から放射性物質のトリチウムが1リットル当たり8万ベクレルという高い値で検出されました。
この井戸は原発事故の前から設置されていて、今回、監視を強化するためにほぼ1年ぶりに分析したところ、濃度は上昇していました。
東京電力は「継続的に見ていかないと原因や傾向はわからない」としています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130910/k10014415491000.html

より包括的に、安倍首相の発言内容が事実であるかいなかを厳しく検証しているのが、次の毎日新聞の9月9日付ネット配信記事である。

安倍首相:汚染水「完全にブロック」発言、東電と食い違い
毎日新聞 2013年09月09日 21時07分(最終更新 09月10日 01時09分)

 安倍晋三首相が、7日にアルゼンチン・ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会の五輪招致プレゼンテーションで、福島第1原発の汚染水問題をめぐり、「完全にブロックされている」「コントロール下にある」と発言したことについて、「実態を正しく伝えていない」と疑問視する声が出ている。

 9日に開かれた東京電力の記者会見で、報道陣から首相発言を裏付けるデータを求める質問が相次いだ。担当者は「一日も早く(状況を)安定させたい」と応じた上で、政府に真意を照会したことを明らかにするなど、認識の違いを見せた。

 防波堤に囲まれた港湾内(0.3平方キロ)には、汚染水が海に流出するのを防ぐための海側遮水壁が建設され、湾内での拡大防止で「シルトフェンス」という水中カーテンが設置されている。また、護岸には水あめ状の薬剤「水ガラス」で壁のように土壌を固める改良工事を実施した。

 しかし、汚染水は壁の上を越えて港湾内に流出した。フェンス内の海水から、ベータ線を出すストロンチウムなどの放射性物質が1リットル当たり1100ベクレル、トリチウムが同4700ベクレル検出された。東電は「フェンス外の放射性物質濃度は内側に比べ最大5分の1までに抑えられている」と説明するが、フェンス内と港湾内、外海の海水は1日に50%ずつ入れ替わっている。トリチウムは水と似た性質を持つためフェンスを通過する。港湾口や沖合3キロの海水の放射性物質は検出限界値を下回るが、専門家は「大量の海水で薄まっているにすぎない」とみる。

 さらに、1日400トンの地下水が壊れた原子炉建屋に流れ込むことで汚染水は増え続けている。地上タンクからは約300トンの高濃度汚染水が漏れ、一部は、海に直接つながる排水溝を経由して港湾外に流出した可能性がある。不十分な対策によるトラブルは相次ぎ、今後もリスクは残る。「何をコントロールというかは難しいが、技術的に『完全にブロック』とは言えないのは確かだ」(経済産業省幹部)という。

 安倍首相は「食品や水からの被ばく量は、どの地域も基準(年間1ミリシーベルト)の100分の1」とも述べ、健康に問題がないと語った。厚生労働省によると、国内の流通食品などに含まれる放射性セシウムによる年間被ばく線量は最大0.009ミリシーベルト。だが、木村真三・独協医大准教授は「福島県二本松市でも、家庭菜園の野菜などを食べ、市民の3%がセシウムで内部被ばくしている。影響の有無は現状では判断できない」と指摘する。【鳥井真平、奥山智己】
http://mainichi.jp/select/news/20130910k0000m040073000c2.html

そもそも、安倍首相は、福島第一原発の港湾部で放射能汚染水がブロックされているといっていたが、港湾と外洋はフェンスによって仕切られているものの、完全に封鎖されているわけではなく、水は移動できる状態である。原子炉建屋への地下水流入はコントロールされておらず、汚染水は増える一方である。

そして、食品に対する放射性物質による汚染についても、流通食品についてはそれなりにコントロールしているが、家庭菜園などの野菜によって内部被ばくした可能性があることが指摘されている。さらに、9月10日付東京新聞朝刊では、「疑問符の付く安倍首相の発言はもう一つ。『日本の食品や水の安全基準は世界で最も厳しい』と説明したが、厳密には違う。チェルノブイリ事故の影響を受けたベラルーシは、一部の食品の基準が日本よりも厳しい」と述べている。

このような安倍首相の発言内容に対し、現在、福島第一原発からの汚染水流出によって最も被害を蒙っている福島県の漁業者その他は「あきれた」と発言する他なかった。9月8日の福島民友新聞ネット配信記事をみてほしい。

汚染水めぐる首相発言に批判の声 福島の漁業者ら「あきれた」
(09/08 20:51)

 「状況はコントロールされている」。安倍晋三首相は、国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京電力福島第1原発事故の汚染水漏れについて、こう明言した。しかし、福島の漁業関係者や識者らからは「あきれた」「違和感がある」と批判や疑問の声が上がった。「汚染水の影響は福島第1原発の港湾内0・3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」とも安倍首相は説明した。だが、政府は1日300トンの汚染水が海に染み出していると試算。地上タンクからの漏えいでは、排水溝を通じて外洋(港湾外)に流れ出た可能性が高いとみられる。
http://www.minyu-net.com/newspack/2013090801001923.html

そして、とうとう、菅官房長官も、汚染水を含む港湾部の海水が外洋との間で出入りしていることを認めざるを得なかった。結果的に、安倍発言の一部を訂正したことになるといえる。9月10日に配信した朝日新聞のネット配信記事をみてほしい。

「全部の水、ストップではない」 汚染水問題で官房長官

 菅義偉官房長官は10日午前の記者会見で、東京電力福島第一原発の放射能汚染水漏れについて「全部の水をストップするということではない」と述べ、同原発の港湾の内外で汚染水を含む海水が出入りしていることを認めた。

 安倍晋三首相が国際オリンピック委員会(IOC)総会で「汚染水の影響は港湾内で完全にブロックされている」と発言した真意を問われて答えた。ただ、菅氏は「港湾内でも大幅に基準値以下だ。汚染水の影響については完全にブロックされていると申し上げた」と強調した。

 安倍首相は同日午前、首相官邸で記者団に「ブエノスアイレスでの約束はしっかり責任をもって実行したい」と述べた。http://www.asahi.com/politics/update/0910/TKY201309100112.html

そして、笑うしかないのは、次の朝日新聞のネット配信記事(9月10日)である。

福島第一原発の汚染水対策 関係閣僚会議が初会合

 東京電力福島第一原発の汚染水問題で、安倍政権は10日午前、廃炉・汚染水対策関係閣僚会議(議長・菅義偉官房長官)の初会合を開いた。五輪招致の演説で、安倍晋三首相は汚染水漏れは制御できているとの考えを示した。その裏付けとなる対策づくりを急ぐ。

 菅長官は会合の冒頭、「総理の発言どおり、状況を確実にコントロールして解決につなげていくことが必要」と述べ、対策を東電任せにせず、政府が前面に出る考えを強調した。

 閣僚会議の下に、茂木敏充経済産業相をチーム長とする「廃炉・汚染水対策チーム」をもうけることを決めた。技術的に難しい課題について国内外から解決策を募り、2カ月後をメドに対応をとりまとめる。
http://www.asahi.com/politics/update/0910/TKY201309100079.html

安倍発言は、「汚染水漏れは制御できている」としている。これは、現在「制御できている」という意味だ。しかし、廃炉・汚染水対策関係閣僚会議では「その裏付けとなる対策づくりを急ぐ」としている。対策はまだつくられてもおらず、実施は当然されていない。未来に属することだ。未来に成立する対策によって、現在の状況を「制御」するというのである。原因と結果が取り違えられているとしかいえない。

事が起こってからあわてて対策や準備をしたりすることを「泥棒を捕えて縄をなう」というが、現状では、汚染水という「泥棒」は捕まえてさえいないのだ。

今、それこそ、「ニュースのヘッドラインだけを見させて、事実を見せない」報道が蔓延している。しかし、その中で「事実」を探してみると、以上の通りなのである。東京オリンピック開催が決定されようとしまいと福島第一原発は存在している。そして、専門家ではなく、責任もないIOC委員たちがどう考えようと、福島第一原発は東京におけるオリンピック開催への「脅威」であり続けているのである。

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さて、2013年5月25日付朝日新聞朝刊に次のような記事が掲載された。

帰還基準厳格化見送る 民主政権時 原発避難増を懸念

【関根慎一】福島第一原発の事故で避難した住民が自宅に戻ることができる放射線量「年20ミリシーベルト以下」の帰還基準について、政府が住民の安全をより重視して「年5ミリシーベルト以下」に強化する案を検討したものの、避難者が増えることを懸念して見送っていたことが、朝日新聞が入手した閣僚会合の議事概要や出席者の証言で明らかになった。

 民主党政権が2011年12月、三つの避難区域に再編する方針を決め、安倍政権も継承。再編は今月中に川俣町を除く10市町村で完了し、20ミリ以下の地域で帰還準備が本格化する。避難対象や賠償額を左右する基準が安全面だけでなく避難者数にも配慮して作られていた形で、議論が再燃する可能性がある。
http://www.asahi.com/national/update/0525/TKY201305250024.html

このブログでも何回か述べてきたように、現在、福島第一原発事故による避難区域について、放射線量年間20mSv以下の地域は避難指示解除準備区域とされ、その地域は住民の帰宅を準備することとなっている。しかし、本来、公衆の年間被曝限度線量は1mSvであり、除染の基準もそうなっている。あまりにも高すぎる帰還基準のため、現在でも大きな問題となっている。

この報道によると、2011年11月時点で帰還基準が決められる際、現行の年間20mSvではなく、年間5mSvにすることが検討されたというのである。

この経過について、前述の朝日新聞は次のように報じている。

 

5ミリ案が提起されたのは11年10月17日、民主党政権の細野豪志原発相、枝野幸男経済産業相、平野達雄復興相らが区域再編を協議した非公式会合。議事概要によると当初の避難基準20ミリと除染目標1ミリの開きが大きいことが議論となり、細野氏が5ミリ案を主張した。
 チェルノブイリ事故では5年後に5ミリの基準で住民を移住させた。年換算で5.2ミリ超の地域は放射線管理区域に指定され、原発労働者が同量の被爆で白血病の労災認定をされたこともある。関係閣僚は「5ミリシーベルト辺りで何らかの基準を設定して区別して取り組めないか検討にチャレンジする」方針で一致した。
 ところが、藤村修官房長官や川端達夫総務相らが加わった10月28日の会合で「20ミリシーベルト以外の線引きは、避難区域の設定や自主避難の扱いに影響を及ぼす」と慎重論が相次いだ。5ミリ案では福島市や郡山市などの一部が含まれ、避難者が増えることへの懸念が政府内に拡がっていたことを示すものだ。
 11月4日の会合で「1ミリシーベルトと20ミリシーベルトの間に明確な線を引くことは困難」として20ミリ案を内定。出席者は「20ミリ案は甘く、1ミリ案は県民が全面撤退になるため、5ミリ案を検討したが、避難者が増えるとの議論があり、固まらなかった」と証言し、別の出席者は「賠償額の増加も見送りの背景にある」と語った。

つまり、チェルノブイリ事故の移住基準や労災認定などを考慮して5mSvを基準にすることが検討されたが、避難者が増え、さらに賠償額が増加することを懸念して、20mSvを基準にすることになったというのである。

まず、2011年4月時点にさかのぼってみよう。この時、福島第一原発から20km圏内はすべて警戒区域とされ、20km圏外でも飯館村のように放射線量が年間20mSv以上の地域は計画的避難区域とされ、ともに地域住民は避難を余儀なくされたのである。

年間20mSvという現在の帰還基準は、2011年4月時点の緊急時にやむをえず高い放射線量でも許容すべきとした基準がその後も全くかわっていないということを意味する。もちろん、南相馬市小高区や楢葉町のようにそもそも放射線量が比較的高くない地域もあり、自然もしくは除染によって年間20mSv以下になった地域もあるので、放射線量年間20mSvを基準とすれば、警戒区域と計画的避難区域よりも避難区域が縮小することになる。しかし、そのことにより、1〜20mSvという高い放射線量を許容して生活することになる。

他方、5mSvという基準を選んだ場合、どうなるのか。避難区域は、あの当時の警戒区域と計画的避難区域より拡大することになる。次の朝日新聞に掲載された図をみてほしい。

原発避難区域と5ミリシーベルト地帯(当時)

原発避難区域と5ミリシーベルト地帯(当時)

朝日新聞の報道によると、福島県総面積の13%にあたる1778㎢となるとされている。そして、この図では、福島県の政治経済の中心である福島県中通りの伊達市、福島市、川俣町、二本松市、本宮市、郡山市、須賀川市などが、新たに避難区域に包含されることになるのである。

そして、結局のところ、「会合に出席した閣僚の一人は『5ミリ案では人口が減り県がやっていけなくなることに加え、避難者が増えて賠償額が膨らむことへの懸念があったと証言した」(朝日新聞)とあるように、避難者が増え、それにより賠償額をかさむことをおそれて、年間20mSvという基準になったのである。

この朝日新聞の報道によると、

 

民主党政権は報告書(帰還基準を検討した有識者会議報告書)を根拠に20ミリ案については「他の発がん要因によるリスクと比較して十分に低い」と安全性を強調する一方、避難者数に配慮したことは説明してこなかった。安倍政権もこの立場を基本的に踏襲しており、改めて説明を迫られそうだ。

としている。結局、帰還基準の安全性のみが主張され、それが、避難者や賠償額の増加というコストから決まったことは隠蔽されたといえよう。

そして、これは、現在の福島県がかかえている問題でもある。福島県は除染が進まず、そのため住民の帰還が遅れていることから除染基準年間1mSvを見直す考えを示し、自民党や安倍政権もその方向で検討している模様である。他方、避難者においては、年間1mSv以下でないと戻らないという人が多く存在しているのである。朝日新聞報道の末尾では、このように指摘されている。

 

安倍政権は今年3月、20ミリ以下の地域で住民がとるべき被爆対策を年内に公表する方針を決めた。除染で1ミリ以下に達しなくても帰還を促すための環境整備とみられているが、安全よりも帰還を優先している印象が強まれば避難住民らの反発を招く可能性がある。

あまり、多言は要しないだろう。年間5mSvという基準でも高いとはいえるが、20mSvという基準よりはましである。それを、避難者や賠償額の増加というコストを理由として拒否されたのだ、そして、さらに、除染基準すら緩和されようとしている。結局、福島県の人びとは、3.11直後という緊急時に定められた20mSvを、今も、これからも受忍して「帰還」することが強いられているのである。

 

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さて、最近、各新聞が、市民団体の調査により、取手市の小学一年生、中学一年生の間で心臓検診で「要精密検査」が必要とされた数が急増していることが報じられた。ここでは、東京新聞のネット配信記事をあげておこう。

73人が「要精密検査」 取手市内24校心臓検診

2012年12月26日

 取手市の市民団体は二十五日、市立小中学校二十四校の二〇一二年度の心臓検診で、一次検査で「要精密検査」と診断された児童・生徒の数が一一年度に比べて急増していることを公表した。
 心臓検診は取手市教委が毎年五月中に小学一年生、中学一年生に実施している。公表したのは「生活クラブ生協取手支部」(根岸裕美子代表)、「放射NO!ネットワーク取手」(本木洋子代表)、「とりで生活者ネットワーク」(黒沢仁美代表)の三団体で、市教委などの資料を基に調べた。
 それによると、一二年度に一次検診を受けた小中学生千六百五十五人のうち、七十三人が要精密検査と診断された。一一年度の二十八人から二・六倍になり、中学生だけで見ると、十七人から五十五人と三倍強に増えていた。
 また、心臓に何らかの既往症が認められる児童・生徒も一〇年度の九人から一一年度二十一人、一二年度二十四人と推移。突然死の危険性が指摘される「QT延長症候群」とその疑いのある診断結果が、一〇年度の一人、一一年度の二人から八人へと急増していた。
 市民団体は「心臓に異常が認められるケースが急増しているのは事実。各団体と相談して年明けにも関係各機関に対応策を求めていきたい」としている。
 藤井信吾市長の話 データを確認したうえで対応策を考えたい。
  (坂入基之)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20121226/CK2012122602000145.html

これだけ読むと、何が問題なのか、よくわからない。朝日新聞などの報道も大体同じである。もちろん、児童・生徒において心臓疾患の恐れがある数が急増していること自体、もちろん問題ではあるのだが。

ここでは、端的に言わなくてはならない。1986年のチェルノブイリ事故以後、チェルノブイリ周辺の人びとの間で心臓疾患が急増している。日本でも、その可能性が懸念されている。その証左ではないかということで、取手市の児童・生徒における心臓疾患急増の可能性が恐れられているのである。

放射性物質によって心臓疾患が引き起こされる可能性を指摘しているのが、ベラルーシの元ゴメリ医科大学学長バンダジェフスキー氏である。バンダジェフスキー氏は、ボランティアグループ「放射能防御プロジェクト」(木下黄太代表)の招きで来日し、東京や札幌、仙台など全国5カ所で開催された計9回にのぼる一般向け講演会を行い、2012年3月19日には、衆議院第一議員会館内でマスコミ向け記者会見および国会議院や政府関係者、マスコミを対象とした院内講演会が開催された。その時の記者会見内容を、週刊東洋経済のオンライン配信サイト「東洋経済オンライン」が「セシウムによる健康被害を解明したベラルーシの科学者が会見、心臓や甲状腺への蓄積を深刻視」(2012年3月22日配信)というタイトルで伝えている。その内容を一部みておこう。

この記者会見で、バンダジェフスキー氏は次のように語った。

環境に高いレベルで放射線があるところで暮らしていると突然死の可能性がある。ゴメリ医科大の学生でもそういう例があった。放射性セシウムは特に心臓に激しい攻撃を加える。心筋細胞にセシウム137が取り込まれると、エネルギーの産生(合成)ができなくなり、突然死につながる。
 
 実際に解剖して測定すると、セシウム137の蓄積が確認できる。セシウム137は20~30ベクレル/キログラムという低レベルの蓄積でも心拍異常が起きている。それが突然死の原因になりうる。福島第一原発事故の被災地では、子どものみならず大人も対象に被曝量に関する調査が必要だ。
http://toyokeizai.net/articles/-/8864?page=2

つまり、セシウム137が心臓の心筋細胞に取り込まれることによって、心臓疾患が発生し、突然死の原因になりうると主張しているのである。

バンダジェフスキー氏は、日本政府が情報を公開せず、各放射性物質の調査もしないことをこの記者会見で批判した。さらに、がれき処理については、放射性物質を含んでいるので全国にばらまくべきではないとし、「このような沈黙を強いるやり方が旧共産党政権下で行われているならばわかるが、21世紀の今日、民主主義国である日本で行われているとは信じがたい。」と指摘している。

そして、食品における暫定基準について、このように主張している。

–4月から日本では食品に含まれる放射性物質について新しい基準値が設定される。これをどう評価しているか。

食品中に放射性物質が含まれていること自体が非常に危険だ。新基準で食品に含まれるのを許容するベクレル数を引き下げたことは肯定的な動きだが、ベラルーシでは1999年から用いられている基準のおかげで国民は放射性物質を摂取し続けている。
 
 食品を通じて体内に取り込んだ放射性物質は体のさまざまなシステムに影響を与える。このことは(放射線の照射である)外部被曝と比べても数段危険だ。

–仮に内部被曝をきちんと管理できた場合、土壌汚染地域で安全に生活できる閾(しきい)値はどれくらいか。具体的には(年間の積算放射線量が数ミリシーベルトに達する)福島市や郡山市、二本松市で生活することに問題はないか。

牛乳を例に取ってみると、クリーンな牛乳は50ベクレル/キログラム以下とされている。しかし、それ以下であれば安全という基準はない。基準以上であれ以下であれ、両方とも危険だ。基準とはあくまで運用上のものにすぎない。
 
 長い間汚染された地域に住む人が放射性核種を体内に取り込むとさらに危険が増す。最も危険なのは食品を通じて臓器に放射性物質が取り込まれることだ。

病気が誘引される放射性物質の濃度や放射線量ははっきりしない。ただ、子どもの場合、体重1キログラム当たり10~30ベクレルのセシウム137を取り込んだ子どものうち約6割の子どもで心電図に異常が出ている。

さらに蓄積量が多くなると、心臓の動きの悪い子どもの数がどんどん増加していることがわかった。ベラルーシの汚染地域ではそういう子どもがたくさんいる。だから子どもの死亡が多い。

チェルノブイリ原発から30キロメートルにあるウクライナのイワンコフ地区では人口1000人当たり30人が1年間に死亡している。キエフ州全体では18人だが、これも多いほうだ。
http://toyokeizai.net/articles/-/8864?page=3

つまり、特に食品による内部被ばくによって、セシウム137が子どもの心臓にとりこまれ、心臓疾患が多発しており、子どもの死亡が多くなっているというのである。

このような、放射性物質による内部被ばくによって引き越される心臓疾患増加の兆しとして、取手市の児童・生徒の心臓疾患が懸念されているのだ。つまり、放射性物質によって引き起こされる健康傷害は、がんや白血病、遺伝傷害だけではない。心臓疾患もありうるのではないかと考えられるのである。

もちろん、この記事でも「福島第一原発事故をきっかけに始まった福島県による「県民健康管理調査」–。同調査の進め方を議論する「県民健康管理調査検討委員会」が配布した資料には次のような記述がある。「チェルノブイリ原発事故で唯一明らかにされたのは、放射性ヨウ素の内部被曝による小児の甲状腺がんの増加のみであり、その他の疾病の増加については認められていません」(昨年7月24日に開催された第3回検討委員会配布資料)。」と冒頭で報じているように、チェルノブイリ事故において甲状腺がん以外の疾患が放射能で発生したことは、日本においては公式では認められていない。それゆえ、新聞も追随して、なぜ取手市における心臓疾患問題が注目されるのか、その理由を全く報道していない。しかし、取手市における児童・生徒の間の心臓疾患は、福島第一原発事故が、チェルノブイリ事故に匹敵するほどの健康障害を引き起こす兆しとして、懸念されているのである。つまり、すでに首都圏でも、ある意味では、チェルノブイリと同等の危機に直面しているといえよう。

追記:未見だが『放射性セシウムが人体に与える医学的生物学的影響–チェルノブイリ原発事故被曝の病理データ』(著者はユーリ・バンダジェフスキー)が参考になると思う。

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さて、ここで、新聞報道ではなく、双葉町のサイトでどのように井戸川克隆双葉町長が自身の辞任要求問題を語っているかをみておこう。

福島県知事との中間貯蔵施設建設調査受け入れについての双葉地方町村長たちとの協議会を11月28日に欠席した件については、12月11日付の「中間貯蔵施設についてのご報告」で、次のように述べている。

中間貯蔵施設についてのご報告
 中間貯蔵施設についてご報告申し上げます。
 この施設の名前はご存じだと思いますが、大変危険なものです。
 したがって、国には以前から数々の質問をしてきましたが、納得いく回答はありませんでした。今なおありません。何を質問したかは、町ホームページに掲載しましたのでご参照ください。(中間貯蔵施設の現地調査に係る質問事項について)

 双葉町は「東京電力株式会社福島第一原子力発電所周辺地域の安全確保に関する協定書」(下記参照)を福島県知事(甲)、双葉町長、大熊町長(乙)、東京電力株式会社取締役社長(丙)との間で結んでいます。第12条には「発電所の保守運営に起因して地域住民に損害を与えた場合は、丙は誠意をもって補償するものとする。」、第16条には「この協定の実施に関し必要な事項及びこの協定に定めのない事項については甲、乙及び丙が協議して別に定めることができるものとする。」となっています。
 皆さん、ここまで来ると変だと気づきませんか。今私たちに交渉しているのは協定の対象とされていない方であり、その彼らが我々に不都合なことを要求しています。

 前置きが長くなりましたが、私は、避難のさせ方、避難生活全般、除染、中間貯蔵施設など全ての協議に東京電力と立地町が入るべきだと言い続けてきました。賠償協議に私たちは入っていません。国・県の災害対策協議に町が入らないのはおかしいと事あるごとに話しています。町民の皆さんの意見が言えるのは役場、マスコミしかありません。改善を要求しています。
 区域の見直し、財物の賠償についてはもう少しで国から報告があります。

 11月28日の会議を欠席した理由について申し上げます。この会議は各町村が環境省から説明を受けてから再開することになっていました。そこで町としては、環境省には話し合いの席上、いつも質問をしていますが、これまで答えずにいますので答えを先に聞くために、11月16日に町から質問書を送付しています。この回答書を見て、納得してから町、町議会、そして、町民の皆さんに現地調査の説明をするよう国には伝えていたのですが、11月21日、突然、町長、副町長不在の時、環境副大臣が来て回答書と説明書を置いて行っただけです。
 最終処分場にされてしまうのではないかと心配しているのに、このような扱いです。そこで、町としては、まだ説明されていないため、28日の会議には出席できないと県に話しをしています。順序良くやらない会議に出て、町民の皆さんの意見を聞いていない私は良いとか悪いとか話せませんし、まだそこまでは皆さんの権利を預かっていません。
 調査だから工事はしないと言いながら、用地買収班が福島にできるそうですが何のためでしょうか。工事をしないのであれば用地はいらないはずです。
 公共の予算科目は普通、大項目に中間貯蔵施設の工事の記載があって、小項目に調査費が出てきます。目的のない単独の調査費はありえません。調査を認めれば必ず仕事、すなわち中間貯蔵施設の着工したことになります。

 六ヶ所村の放射性廃棄物貯蔵施設と人形峠の残土置き場は、人家から2キロメートル以上離れています。双葉町に置き換えると町主要部(下記参照)がほとんど入ってしまいます。いますぐ、帰れないとしてもいつかはと思う希望を奪ってしまいます。
 この場合は新たな迷惑施設としての交渉が先だと思いませんか。後で、言うことが出来なくされても良いのですか。子供たちの意見を聞かずに決めて良いのですか。私はじっくりと考え、帰れるまでの住居や職場、学校、健康施設などを備えた町を造ってもらい、被ばくを受けた皆さんの賠償、生活費の補償など期限を設けずに補償してもらい、以前の生活に早く戻したいと考えます。

 まだまだありますが、まだ、見えない不具合についてもあります。
 原発を誘致して今何を思いますか、もう二度とこのような苦しみは、したくないと皆さん思っているのではないですか。私は皆さんと同じ気持ちです。
 町がこれ以上、壊れるのを見たくありません。財政再建は何とか目途をつけました。

 皆さん、冷静に考えてください。会議に出て多数決で無理やり決められたら良かったと思いますか。中間貯蔵施設は福島の復興のためと言われていますが、双葉町民の救済を急げとは聞いたことがありません。私たちはこの現状から抜け出したいのです。脱出したいのです。そして、先人が何百年もかかって築き上げてきた郷土、文化を捨てるわけにはいかないのです。
 平成24年12月11日
双葉町長 井戸川 克隆http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20121211.html/

ある程度、要点をまとめておこう。まず、中間貯蔵施設受け入れについてさまざまな疑念をもっていた井戸川町長は、11月16日、次のような質問を環境省に送った。その項目を以下にあげておく。

1、事故の責任がないのに、なぜ双葉町が受け入れなければならないのか。理由を立証すること

2、東電の無主物の考えに納得できない、誰が事故の責任を取るのか。

3、最終処分場はどのようになっているか。同時進行で実施すること。

4、双葉郡内のバランスが良くない。

5、賠償が片付いていないのに片方だけを進めるのはおかしい。

6、30年後の姿を図絵に示すこと。

7、双葉町を人の住めない町にできない。

8、双葉町がこの事故で苦しんでいることをどう思っているのか。

http://www.town.futaba.fukushima.jp/file.jsp?id=2326より

この質問に対して、環境副大臣(生方幸夫)が、21日に町長不在のまま、回答書などを置いていったのである。双葉町のサイトに回答書が載せられているが、その内容もかなり問題のあるといえる。「1、事故の責任がないのに、なぜ双葉町が受け入れなければならないのか。」については、「線量の高い地域で発生したものを線量の低い地域に運び込むことは、困難であると考えています。結果として、最もご苦労されている地域に除去土壌等を搬入することになり、大変心苦しいですが、福島の復興を推進するためには、中間貯蔵施設の設置が必要不可欠である」と述べている。そして、「双葉町の復興の道を閉ざすことがないよう」としつつも、双葉町の将来計画については「時間がかかることになります」としている。つまり、中間貯蔵施設建設は、福島県の復興が目的であって、立地町の復興などは「将来の計画」でしかないのである。

「3、最終処分場はどのようになっているか。」の質問については、技術開発などに時間がかかるとしながら、「中間貯蔵開始後30年以内に、福島県外で最終処分を完了する旨を福島県復興再生基本方針(閣議決定)で明記するとともに、この担保を更に強めるため、法制化することとしています。」と述べている。結局30年は放射性廃棄物を貯蔵しなくてはならないのである。

そして「7、双葉町を人の住めない町にできない。」という問いについては「中間貯蔵施設の整備に当っては、徹底的な除染を行った上で工事を行うこととなりますので、施設敷地においては、むしろ放射線量が下がることになると考えます」と、ほとんど虚偽としか思えない回答をしている。

こういう回答をうけて、井戸川町長は、中間貯蔵施設建設調査受け入れを決めようとした県知事との協議会を欠席したと述べている。彼は「順序良くやらない会議に出て、町民の皆さんの意見を聞いていない私は良いとか悪いとか話せませんし、まだそこまでは皆さんの権利を預かっていません。」「会議に出て多数決で無理やり決められたら良かったと思いますか。中間貯蔵施設は福島の復興のためと言われていますが、双葉町民の救済を急げとは聞いたことがありません。」と述べている。

井戸川町長としては、東電側の賠償責任も明確にならないまま、国や県に理不尽な中間貯蔵施設建設という負担を強いられることへの憤懣があったといえる。さらに、「六ヶ所村の放射性廃棄物貯蔵施設と人形峠の残土置き場は、人家から2キロメートル以上離れています。双葉町に置き換えると町主要部(下記参照)がほとんど入ってしまいます。いますぐ、帰れないとしてもいつかはと思う希望を奪ってしまいます。この場合は新たな迷惑施設としての交渉が先だと思いませんか。後で、言うことが出来なくされても良いのですか。」という思いがある。実際、双葉町のサイトにある、双葉町の中間貯蔵施設候補予定地の地図をみて、私も驚いた。まず、みていただきたい。

双葉町の中間貯蔵施設候補地

双葉町の中間貯蔵施設候補地

日本においては、いかに過疎地といえども、人跡未踏の地などない。その意味で、どの地域に作っても、住民への影響は出てくるだろう。といっても、この候補地は、双葉町役場やJR双葉駅などがある双葉町の中心部にあまりにも近接しているのである。

「中間貯蔵施設は福島の復興のためと言われていますが、双葉町民の救済を急げとは聞いたことがありません。」ということなのである。

このような位置に中間貯蔵施設建設を受け入れることを、福島県も双葉町議会もなぜ容認するのか。そのような問いが惹起される。

そして、井戸川町長は、「私はじっくりと考え、帰れるまでの住居や職場、学校、健康施設などを備えた町を造ってもらい、被ばくを受けた皆さんの賠償、生活費の補償など期限を設けずに補償してもらい、以前の生活に早く戻したいと考えます。…私たちはこの現状から抜け出したいのです。脱出したいのです。そして、先人が何百年もかかって築き上げてきた郷土、文化を捨てるわけにはいかないのです。」と主張しているのである。

しかし、この訴えを全く耳をかさず、双葉町議会は12日に井戸川町長へ辞職を要求した。そして、20日には全会一致で不信任案を可決したのである。しかも、その理由が、中間貯蔵施設建設の是非というよりも、県知事との協議会に欠席したことなのである。事大主義としかいえない。どちらをむいて議場にいるのだろう。

そして、12月21日付で、井戸川町長は、次のようなメッセージを双葉町のサイトに掲載した。

町民の皆様へ
 町民の皆様、皆様の苦しみは計り知れないものです。毎日、皆様と話し合いができれば良いのですが、なかなか叶えられませんことをお詫び申し上げます。

 私が一番に取り組んでいますのが、一日も早く安定した生活に戻ることです。双葉町はすぐには住めませんが、どこかに仮に(借りに)住むところを準備しなければなりません。そこで、国と意見が合わないのは避難基準です。国は年間放射線量20mSvを基準にしていますが、チェルノブイリでは悲惨な経験から年間5mSv以上は移住の義務と言う制度を作りました。
 私たちは、この事故で最大の被ばくをさせられました、町民の皆様の健康と家系の継承を守るために、国に基準の見直しを求めています。この基準がすべてです。仮に住む場合は安全でなければなりません。子供たちには、これ以上被ばくはさせられませんし、子どもたちが受ける生涯の放射線量は大きなものになります。事故から25年が経ったウクライナの子供たちには働くことができないブラブラ病が多く発生しているそうです。
 私はこのようなことが一番心配です。町は絶対に事故を起こさないと言われて原発と共生してきました。しかし、今は廃虚にさせられ、町民関係も壊されました。自然も、生活も、生きがい、希望やその他すべてを壊されました。一方どうでしょう。これほど苦しんでいる私たちの思いは、皆さんが納得いくものになっていないのです。これを解決するのが先だと訴えています。

 私が皆さんに多くの情報を出さないと叱られていることは十分承知しています。出したくても出せないのです。納得のいくような情報を国に求めていますが、出してこないのです。国とは隠し事のない交渉をすることを求め続けてきています。町民の皆様を裏切ることは決していたしません。これから多くの情報を出していきます。

 放射線の基準に戻りますが、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告を採用していると国では言いますが、国際的に採用している訳ではありません。ヨーロッパには独自の基準があり、アメリカでも自国の基準を作って国民を守っています。最近のICRP勧告では日本を非難しています。もう1~20mSvを採用しなさいと言っています。これは大変なことで、区域見直しも賠償の基準も変わってきます。
 このような中で冷静にと言っても無理かもしれません。このような環境に置かれているのだから、皆さんの要望を常に政府、与党には伝えてきました。政争に振り回されて進んでいません。
 福島県内に避難している町民を県外に移動してもらう努力はしましたが、関係機関の協力は得られずにいます。しかも盛んに県内に戻す政策が進行しています。県に理由を聞いても納得のいく返事は来ません。町民(県民)の希望を国に強く発信して頂きたいと思います。

 町民の皆さん、損をしないでください。財産には目に見えるものと見えないものが有りますので、区別しなければなりません。目に見えるものは形や重みのあるもの価値が直ぐに判断できるものです。見えないものは未来です。一番心配なのは健康で、被ばくによる障がいであります。ウクライナでは障がいに要する費用が国家の財政を破綻させるような事態になっています。今のウクライナが25年後の日本であってはならないのです。子供に障がいが出ればとんでもない損害です。この見えない、まだ見えていない損害を十分に伝えきれていないもどかしさがあります。まだ発症していないからとか、発症したとしても被ばくとは関係がないと言われる恐れがあります。水俣病のように長い年月をかけて裁判で決着するような経験を町民の皆さんにはさせたくありません。
 昨年の早い時期から町民の皆さんの被ばく検査を国、東電、福島県にお願いし、被ばく防止も合わせてお願いしてきました。しかし、思うようになっていません、原発事故による放射能の影響下に住むことについて拒むべきです。

 損について一部しか言いきれていませんが、一番大きなこと、何年で帰れるかについて申し上げます。今は世界一の事故の大きさのレベル7のままだということ。溶けた核燃料の持ち出し終了が見通せないこと。処理水をどうするのか、核物質の最終処分はどのようにいつまで終わるのかなど多くの要因を考慮して、木村獨協大学准教授が最近の会議の席上、個人の見解として双葉町は場所によっては165年帰れないと発言しました。私には可か不可の判断できませんが、大変重要な言葉だと思います。半分としても80年だとしたら、この損害は甚大なものです。
 また、被ばくの影響についても責任者に対して担保をとっておく必要があります。

 中間貯蔵施設については、議論をしないまま、調査だから認めろと言いますが、この費用の出どころを確かめることが重要です。この施設は30年で県外に出すと国は言っていますが、約束は我々とはまだ出来ていません。この施設の周りには人が住めません。六ヶ所村では2km以内には民家がないようで、双葉町では町の中心部が殆ど入ってしまいます。では、どうするのかの議論が先です。ボーリング調査を行うのは着工です。予算の構成を見ますと、整備事業の下に調査費が付いています。これは行政判断としては着工になります。着工の事実を作らせないために、私は非難覚悟で止めていることをご理解ください。
 十分すぎるほど議論して町民の皆さんの理解の下に進めるべきです。日本初の事業です。双葉町最大の損害で、確かな約束を求める事をしないまま進めてはやがて子供たちに迷惑をかけます。新政権とじっくり話し合いをして、子供たちに理解を貰いながら進めます。このように、私たちには大きな損害があることをご理解ください。

 寒さが一段と厳しくなりました、風邪や体力の低下に気をつけて予防を心がけてください。これからもお伝えします。
 
 平成24年12月20日
双葉町長 井戸川 克隆
http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20121220.html/

内容は明瞭である。今回は、ここで解説はしない。いつか、その内容を論じてみたいと思う。

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前回のブログで、国連人権理事会で福島住民の健康問題が人権問題として提起され、特別助言者アナンド・グローバー氏が調査し、11月26日に記者会見して、そのことについて、朝日新聞は27日付朝刊で「福島の健康調査「不十分」 国連人権理事会の助言者が指摘」という見出しで報じたことを伝えた。

ある方の紹介で、グローバー氏の記者会見の「プレス・ステートメント」が国際連合広報センターに掲載されていることを知った。http://unic.or.jp/unic/press_release/2869/がそれである。

また、自分自身でもサイトを検索して、日本記者クラブで26日付で行ったグローバー氏の記者会見の動画を発見した。参考のために、動画をこのブログでもここでアップしておく。1時間以上もある長い動画だが、最後の記者との質疑以外は、ほとんど「プレス・ステートメント」と同じである。ここで、特に断らない限り、引用は「プレス・ステートメント」から行う。

内容についていえば、「福島の健康調査「不十分」」というようなレベルではない。鄭重な言い回しのため、誤解される場合もあるかもしれないが、現時点で日本政府が福島で行っている住民対策の包括的かつ全面的批判なのである。

まず、グローバー氏は、調査に協力した日本政府・東電・住民などに感謝するとしながら、彼の目的を「達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利(「健康を享受する権利」)に関する国連人権理事会特別報告者としてのミッション」であり、「対話と協力の精神を胸に、日本がいかに健康を享受する権利を実行しようと努めているか把握し、それを首尾よく実現させるための方策並びに立ちはだかる障害について理解することです」と説明している。福島第一原発事故後、「健康を享受する権利」について日本がどのようなことを行っており、どのような障害をもっているかを理解することなのだとしている。つまり、声高に批判することはグローバー氏の目的ではないことを強調しているといえよう。

しかし、その内容は、日本政府が福島の住民に行っている対策総体を批判するものなのだ。朝日新聞には全く報道されていないが、グローバー氏は、福島第一原発事故以前の状態から言及している。

原子力発電所で事故が発生した場合の災害管理計画について近隣住民が把握していなかったのは残念なことです。実際、福島県双葉町の住民の方々は、1991 年に締結された安全協定により、東京電力の原子力発電所は安全であり、原発事故が発生するはずなどないと信じてきたのです。

独立した立場からの原子力発電所の調査、モニタリングの実施を目指し、原子力規制委員会を設立した日本政府は賞賛に値します。これにより、従来の規制枠組みに見られた「断層」、すなわち、原子力発電所の独立性と効果的なモニタリング体制の欠如ならびに、規制当局の透明性と説明責任の欠如への対応を図ることが可能になります。こうしたプロセスは強く望まれるものであり、国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の報告でも提言されています。従って、原子力規制委員会の委員長や委員は、独立性を保つだけでなく、独立性を保っていると見られることも重要です。この点については、現委員の利害の対立を開示するという方策が定着しています。日本政府に対して、こうした手順を出来るだけ早急に導入することを要請いたします。それにより、精査プロセスの独立性に関する信頼性を構築しやすくなるでしょう。

つまり、そもそも、原発事故などないと住民に信じ込ませてきたことが間違いなのだといっている。後半では原子力規制委員会設置を評価しているのだが、「従来の規制枠組みに見られた「断層」、すなわち、原子力発電所の独立性と効果的なモニタリング体制の欠如ならびに、規制当局の透明性と説明責任の欠如への対応を図ることが可能になります。」という、従来の対応を批判した上での評価であるといえる。しかも「従って、原子力規制委員会の委員長や委員は、独立性を保つだけでなく、独立性を保っていると見られることも重要です。この点については、現委員の利害の対立を開示するという方策が定着しています。日本政府に対して、こうした手順を出来るだけ早急に導入することを要請いたします。」といっている。つまり、現状の原子力規制委員会の議事公開が十分ではないので、その是正をはかることを婉曲な形で要請しているといえるのだ。

そして、原発事故においてヨウ素剤を配布しなかったこと、SPEEDIなどの情報が公開されなかったことに言及する。これは、さんざん日本国内でも言われてきたことであるが、国際的な観点でも批判されるべきことであることが確認できたといえよう。

原発事故の直後には、放射性ヨウ素の取り込みを防止して甲状腺ガンのリスクを低減するために、被ばくした近隣住民の方々に安定ヨウ素剤を配布するというのが常套手段です。私は、日本政府が被害にあわれた住民の方々に安定ヨウ素剤に関する指示を出さず、配布もしなかったことを残念に思います。にもかかわらず、一部の市町村は独自にケースバイケースで安定ヨウ素剤を配布しました。

災害、なかでも原発事故のような人災が発生した場合、政府の信頼性が問われます。従って、政府が正確な情報を提供して、住民を汚染地域から避難させることが極めて重要です。しかし、残念ながらSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射線量の情報および放射性プルームの動きが直ちに公表されることはありませんでした。さらに避難対象区域は、実際の放射線量ではなく、災害現場からの距離および放射性プルームの到達範囲に基づいて設定されました。従って、当初の避難区域はホットスポットを無視したものでした。

さらに、避難区域の基準が年間20mSvとされたことを強く批判している。

これに加えて、日本政府は、避難区域の指定に年間20 mSv という基準値を使用しました。これは、年間20 mSv までの実効線量は安全であるという形で伝えられました。また、学校で配布された副読本などの様々な政府刊行物において、年間100 mSv 以下の放射線被ばくが、がんに直接的につながるリスクであることを示す明確な証拠はない、と発表することで状況はさらに悪化したのです。

年間20 mSv という基準値は、1972 年に定められた原子力業界安全規制の数字と大きな差があります。原子力発電所の作業従事者の被ばく限度(管理区域内)は年間20 mSv(年間50 mSv/年を超えてはならない)、5 年間で累計100mSv、と法律に定められています。3 ヶ月間で放射線量が1.3 mSv に達する管理区域への一般市民の立ち入りは禁じられており、作業員は当該地域での飲食、睡眠も禁止されています。また、被ばく線量が年間2mSv を超える管理区域への妊婦の立ち入りも禁じられています。

ここで思い出していただきたいのは、チェルノブイリ事故の際、強制移住の基準値は、土壌汚染レベルとは別に、年間5 mSv 以上であったという点です。また、多くの疫学研究において、年間100 mSv を下回る低線量放射線でもガンその他の疾患が発生する可能性がある、という指摘がなされています。研究によれば、疾患の発症に下限となる放射線基準値はないのです。

残念ながら、政府が定めた現行の限界値と、国内の業界安全規制で定められた限界値、チェルノブイリ事故時に用いられた放射線量の限界値、そして、疫学研究の知見との間には一貫性がありません。これが多くの地元住民の間に混乱を招き、政府発表のデータや方針に対する疑念が高まることにつながっているのです。

もう一度、確認しておこう。年間20mSvという基準は、そこに就労することで賃金を得られる原発労働者の基準であり、何の利益もない一般住民の基準ではない。3ヶ月で1.3mSv放射線を被曝する場所に一般市民の立入りは禁じられている。妊婦の場合は、年間2mSvをこえる場所には立ち入れない。年間20mSvというのは、一般市民の基準ではないのである。そして、グローバー氏は、チェルノブイリの避難基準でも年間5mSvであったことを指摘している。

その上で、グローバー氏は、年間100mSv以下では衛生上問題ないとする政府の宣伝を「多くの疫学研究において、年間100 mSv を下回る低線量放射線でもガンその他の疾患が発生する可能性がある、という指摘がなされています。研究によれば、疾患の発症に下限となる放射線基準値はないのです。」として批判している。

これらの点も、すでに国内で強く主張されてきたことであった。グローバー氏の指摘は、それらの主張を追認するものである。

加えて、グローバー氏は、福島県内の放射線調査、健康調査が不十分であること指摘する。

これに輪をかけて、放射線モニタリングステーションが、監視区域に近接する区域の様々な放射線量レベルを反映していないという事実が挙げられます。その結果、地元住民の方々は、近隣地域の放射線量のモニタリングを自ら行なっているのです。訪問中、私はそうした差異を示す多くのデータを見せてもらいました。こうした状況において、私は日本政府に対して、住民が測定したものも含め、全ての有効な独立データを取り入れ、公にすることを要請いたします。

健康を享受する権利に照らして、日本政府は、全体的かつ包括的なスクリーニングを通じて、放射線汚染区域における、放射線による健康への影響をモニタリングし、適切な処置をとるべきです。この点に関しては、日本政府はすでに健康管理調査を実施しています。これはよいのですが、同調査の対象は、福島県民および災害発生時に福島県を訪れていた人々に限られています。そこで私は、日本政府に対して、健康調査を放射線汚染区域全体において実施することを要請いたします。これに関連して、福島県の健康管理調査の質問回答率は、わずか23%あまりと、大変低い数値でした。また、健康管理調査は、子どもを対象とした甲状腺検査、全体的な健康診査、メンタル面や生活習慣に関する調査、妊産婦に関する調査に限られています。残念ながら、調査範囲が狭いのです。これは、チェルノブイリ事故から限られた教訓しか活用しておらず、また、低線量放射線地域、例えば、年間100 mSv を下回る地域でさえも、ガンその他の疾患の可能性があることを指摘する疫学研究を無視しているためです。健康を享受する権利の枠組みに従い、日本政府に対して、慎重に慎重を重ねた対応をとること、また、包括的な調査を実施し、長時間かけて内部被ばくの調査とモニタリングを行うよう推奨いたします。

放射線モニタリングステーションの数値がいかに実態とかけ離れているか、そして、住民自身が放射線測定に乗り出さなくてはならないことか、このこともさんざん国内で伝えられてきている。

そして、健康調査が、ほぼ福島県民に限られ、質問会回答率も23%と低く、質問項目も限定されていることを批判している。結局、それは、チェルノブイリ事故の教訓を取り入れず、低線量被ばくによる健康障害の可能性を考慮しないためだとしているのである。

特に、グローバー氏は、次の点を強調している。

自分の子どもが甲状腺検査を受け、基準値を下回る程度の大きさの嚢胞(のうほう)や結節の疑いがある、という診断を受けた住民からの報告に、私は懸念を抱いています。検査後、ご両親は二次検査を受けることもできず、要求しても診断書も受け取れませんでした。事実上、自分たちの医療記録にアクセスする権利を否定されたのです。残念なことに、これらの文書を入手するために煩雑な情報開示請求の手続きが必要なのです。

これは、すでに福島県の児童を対象とした甲状腺検査において40%以上の甲状腺異常の児童が発見されたことを前提にしていると考えられる。基準以下の甲状腺異常の児童においては、二次検査も受けられず、診断書でさえ情報公開請求しなければ受取れないのである。グローバー氏は「事実上、自分たちの医療記録にアクセスする権利を否定されたのです」と指摘しているのである。

グローバー氏は、原発労働者の多くが下請けで短期雇用のため、健康調査を受けられないことを指摘している。これも、すでに、日本国内で指摘されていることだ。

政府は、原子力発電所作業員の放射線による影響のモニタリングについても、特に注意を払う必要があります。一部の作業員は、極めて高濃度の放射線に被ばくしました。何重もの下請け会社を介在して、大量の派遣作業員を雇用しているということを知り、心が痛みました。その多くが短期雇用で、雇用契約終了後に長期的な健康モニタリングが行われることはありません。日本政府に対して、この点に目を背けることなく、放射線に被ばくした作業員全員に対してモニタリングや治療を施すよう要請いたします。

グローバー氏の批判は、狭義の放射線対策だけにとどまらない。避難所の不十分さについても、このように指摘している。

日本政府は、避難者の方々に対して、一時避難施設あるいは補助金支給住宅施設を用意しています。これはよいのですが、 住民の方々によれば、緊急避難センターは、障がい者向けにバリアフリー環境が整っておらず、また、女性や小さな子どもが利用することに配慮したものでもありませんでした。悲しいことに、原発事故発生後に住民の方々が避難した際、家族が別々にならなければならず、夫と母子、およびお年寄りが離れ離れになってしまう事態につながりました。これが、互いの不調和、不和を招き、離婚に至るケースすらありました。苦しみや、精神面での不安につながったのです。日本政府は、これらの重要な課題を早急に解決しなければなりません。

さらに、食品の安全規制や除染のあり方についても、グローバー氏はこのように指摘している。

食品の放射線汚染は、長期的な問題です。日本政府が食品安全基準値を1kgあたり500 Bq から100 Bq に引き下げたことは称賛に値します。しかし、各5県ではこれよりも低い水準値を設定しています。さらに、住民はこの基準の導入について不安を募らせています。日本政府は、早急に食品安全の施行を強化すべきです。

また、日本政府は、土壌汚染への対応を進めています。長期的目標として汚染レベルが年間20 mSv 未満の地域の放射線レベルは1mSv まで引き下げる、また、年間20~50 mSv の地域については、2013 年末までに年間20 mSv 未満に引き下げる、という具体的政策目標を掲げています。ただ、ここでも残念なのは、現在の放射線レベルが年間20 mSv 未満の地域で年間1mSv まで引き下げるという目標について、具体的なスケジュールが決まっていないという点です。更に、他の地域については、汚染除去レベル目標は、年間1 mSv を大きく上回る数値に設定されています。住民は、安全で健康的な環境で暮らす権利があります。従って、日本政府に対して、他の地域について放射線レベルを年間1mSv に引き下げる、明確なスケジュール、指標、ベンチマークを定めた汚染除去活動計画を導入することを要請いたします。汚染除去の実施に際しては、専用の作業員を雇用し、作業員の手で実施される予定であることを知り、結構なことであると思いました。しかし、一部の汚染除去作業が、住人自身の手で、しかも適切な設備や放射線被ばくに伴う悪影響に関する情報も無く行われているのは残念なことです。

除染については、20mSv以上の放射線量レベルの土地は20mSv未満に下げるとしか決まっておらず、現状年間20mSv未満の土地では年間1mSvに下げるスケジュールが決まっていないと指摘し、特に、十分な準備もなく一部の住民が除染作業をしていることについて警告を発している。

その上で、グローバー氏は、経済的支援を前提にした上で、避難か帰宅か、避難者が自分の意志で判断すべきとした。

また、日本政府は、全ての避難者に対して、経済的支援や補助金を継続または復活させ、避難するのか、それとも自宅に戻るのか、どちらを希望するか、避難者が自分の意志で判断できるようにするべきです。これは、日本政府の計画に対する避難者の信頼構築にもつながります。

グローバー氏は、東電の賠償において国税が使われる可能性があるのに、東電は説明責任をはたしていないことも述べている。

訪問中、多くの人々が、東京電力は、原発事故の責任に対する説明義務を果たしていないことへの懸念を示しました。日本政府が東京電力株式の大多数を所有していること、これは突き詰めれば、納税者がつけを払わされる可能性があるということでもあります。健康を享受する権利の枠組みにおいては、訴訟にもつながる誤った行為に関わる責任者の説明責任を定めています。従って、日本政府は、東京電力も説明責任があることを明確にし、納税者が最終的な責任を負わされることのないようにしなければなりません。

そして、最後に、福島第一原発事故の被災者、特にその中の社会的弱者自身を、健康調査・避難所設計・除染実施などを中心にした意思決定・実行・モニタリング・説明責任プロセスに参加させることを求めている。これは、日本国内で明示的にはあまり主張されてこなかったことといえる。現実には、ここでも述べられているように、住民自らの手で放射線測定などがなされている。しかし、一度、行政側が「住民参加」というと、町内会を通じての除染活動のように、一方的に負担が押しつけられることになりやすい。そういうことではなく、グローバー氏は、被災者住民自身がそういったことの意志決定プロセスに参加する必要性を強調している。

訪問中、被害にあわれた住民の方々、特に、障がい者、若い母親、妊婦、子ども、お年寄りなどの方々から、自分たちに影響がおよぶ決定に対して発言権がない、という言葉を耳にしました。健康を享受する権利の枠組みにおいては、地域に影響がおよぶ決定に際して、そうした影響がおよぶすべての地域が決定プロセスに参加するよう、国に求めています。つまり、今回被害にあわれた人々は、意思決定プロセス、さらには実行、モニタリング、説明責任プロセスにも参加する必要があるということです。こうした参加を通じて、決定事項が全体に伝わるだけではなく、被害にあった地域の政府に対する信頼強化にもつながるのです。これは、効率的に災害からの復興を成し遂げるためにも必要であると思われます。

日本政府に対して、被害に合われた人々、特に社会的弱者を、すべての意思決定プロセスに十分に参加してもらうよう要請いたします。こうしたプロセスには、健康管理調査の策定、避難所の設計、汚染除去の実施等に関する参加などが挙げられるでしょう。

この点について、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が2012 年6 月に制定されたことを歓迎します。この法律は、原子力事故により影響を受けた人々の支援およびケアに関する枠組みを定めたものです。同法はまだ施行されておらず、私は日本政府に対して、同法を早急に施行する方策を講じることを要請いたします。これは日本政府にとって、社会低弱者を含む、被害を受けた地域が十分に参加する形で基本方針や関連規制の枠組みを定める、よい機会になるでしょう。

そして、記者会見における質疑の中で、グローバー氏は、「専門家の人たちだけなく地域社会の人がかかわってすべてのことをしなくては駄目だ。他の国でもよくあることで、意図してのことではないが、政府は専門家だけで決めようとしがちである。しかし、それでは十分ではない。専門家というのは一部のある事象しかわかっているにすぎず、コミュニティ全体がかかわっていくことでよりよい結果が得られる」と述べ、このことを日本政府側に伝えたとした(なお、この質疑内容は記者会見の動画からおこしたものであり、原文そのままではない)。そして、低線量被ばくの影響については否定する見方と肯定する見方があるが、政府はどちらが正しいとすべきではなく、用心深い立場で何事も排他せず包括的に物事を進めるべきとした。最後に、チェルノブイリ事故では3年間情報が秘匿されておりよい例ではないとしながら「民主的な国である日本で起ったからこそ、すべての調査、すべてのプロセスに地域社会をかみあわせていかねばならない。それがあってこそ、徹底的で、オープンで、包括的で、科学的な調査が行われるべきものであろう」と述べた。

非常に鄭重で、日本政府の立場を傷つけないようにとする配慮に満ち満ちていたが、グローバー氏の主張は、福島第一原発事故における住民対策総体を、事故以前にまでさかのぼって包括的に批判しているものといえよう。グローバー氏の批判点は、日本国内でも批判されているものが多いが、それら日本国内での批判が、国際的な立場からも正当化されるものであることを示した点は重要であるといえる。特に、グローバー氏が強調していることは、福島原発事故後の健康対策が、100mSv未満は健康に影響がないとする一部の専門家に依拠して行われ、住民の主体性を排除していることである。その上で、グローバー氏は、経済的援助を前提に避難か帰宅かを選択する権利が住民に認められるべきであるとし、さらに、健康調査・避難所設計・除染などのすべての意思決定プロセスに、社会的弱者を含んだ被災者住民が参加することを主張したのである。このことは、今すぐ取り入れなくてはならない「提案」といえるのである。

グローバー氏の記者会見の最後で、「民主的な国である日本で起ったからこそ、すべての調査、すべてのプロセスに地域社会をかみあわせていかねばならない。それがあってこそ、徹底的で、オープンで、包括的で、科学的な調査が行われるべきものであろう」と「希望」したくだりを聞いた時、恥ずかしくてたまらなかった。彼は、国連側の人間であり、日本政府を批判するためにきたわけではないので、当然そのような言い回しをするだろう。しかし、本当に可能なのか。今、暗澹として、日本の現状をかえりみざるをえない。しかし、逆にいえば、グローバー氏のいうような調査・医療が被災地で行われることこそ、日本が真に民主主義の下にある証になるだろうといえる。

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福島原発が立地している地域社会について書いた『「フクシマ」論』の著者開沼博氏が『週刊プレイボーイ』の取材にこたえて、「”燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」というインタビュー記事を出している。それが、ネット配信されている(7月19日付)。参考のために、全文の引用を末尾に付した。

その内容をひと言でいえば、原発が立地している福島県の地域社会を代弁した形で行った、脱原発デモ批判ということができる。彼にとっては、複雑な現代社会では、簡単に原発の代替手段をみつけることができないとしている。その上で、脱原発運動を「外部の人の活動」と把握し、地域社会の人びとの心情を踏みつけるものでしかないと主張する。

その上で、彼は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている」と述べている。開沼氏は、「3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。」というのである。

そして、開沼氏は、「原発再稼働反対」という中で、「震災復興」が忘却されているという。彼は「原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。」と述べている。

開沼氏は、社会システムの”代替案”を提示すべきであるとして、「原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。」と主張する。

開沼氏にいわせれば、代替案を主張しない限り、脱原発デモの主張は、政治家・行政関係者・立地地域住民に聞き入れられないのだろうということになるだろう。

開沼氏の議論は、3.11以前ではある程度通用したであろう。開沼氏が描き出した3.11以前の福島県の原発立地地域社会では、雇用・電源交付金・固定資産税・購買力などの原発からのリターンを得ることによって、原発のリスクを看過する考え方がヘゲモニーを有していたといえる。その中で、原発のリターンは、立地する地域社会の経済を支える要因となっていたといえる。そして、3.11直前には(1970年代では地域社会内部でもかなり原発建設反対派がいたが)、原発反対派は「外部の人」として意識されるようになったといえる。開沼氏は、『「フクシマ」論』で、もっぱら、福島における原発の建設過程を「中央」ー「地方」の従属関係で描いているが、その際、彼にとって、脱原発運動というものも、「中央」からの「地方」への無責任な干渉にすぎないのである。もちろん、原発建設自体が「中央」ー「地方」の従属関係を前提にするものだが、開沼氏にとって原発建設によって地域経済は成り立っているとして、結果的には原発を是認しているといえよう。このインタビューにおける脱原発運動は、そのような考え方の延長線上にあるといえる。

3.11以後、福島第一原発事故により、原発が立地していた地域社会の住民は根こぎになった。そうなってくると、雇用・電源交付金・購買力などは意味をもたなくなる。高橋哲哉氏が「大事故と補助金との等価交換は存在しない」(『犠牲のシステム 福島・沖縄』)で述べている。そして、放射性物質による汚染は、原発で利益を受けていたかいなかとは関係なく及ぶ。そのため、飯館村などは強制的避難の対象となった。また、福島県の中通り地方(福島市・郡山市など)においても、除染作業や自主的避難を要するようになった地域が各所に存在する。そして、放射性物質が降下したのは、東北・関東圏の広い地域に及んでいる。

こうなってくると、福島県内でも日本社会全体でも、脱原発の意見が表明されるようになった。ここでも紹介したが、2012年1月30日に国会事故調で、井戸川克隆双葉町長は、原発災害について、このように語っている。

それ以外に失ったのはって、膨大ですね。先祖伝来のあの地域、土地を失って、すべてを失って、これを是非全国の立地の方には調べていただきたい、見に来ていただきたい、目を閉ざさないで現実を見に来ていただきたいと思います。どんなに良かったのか、どんなに悪かったのか、来られれば説明します。結果的に我々は今大変な目に遭っておりますので、私は良くなかったなと、そんな風に考えています。

つまり、立地していた地域社会内部でも「脱原発」の主張がなされるようになった。この前の福島市で行われた意見聴取会でも、ほとんどが原発ゼロシナリオばかりが主張されたと聞いている。官邸前の10万人程度の声だけではないのである。開沼氏は、最早、地域社会内部でも「脱原発」が顕在するようになったということに直視すべきなのだと思う。

この原発事故は、単に資金や労力をつぎこめば解決できるというものではない。ある意味では不可逆的なものなのだ。はっきりいえば、このような原発過酷事故にどのような「代替策」ー「安全策」は可能なのか、ということなのである。原発が「代替策」により安全ならばーただ、単に事故対策というだけでなく、ウラン採掘ー運転ー廃棄物処理の全過程において「安全」でなくてはならないがー、別に廃炉にする必要などない。それこそ、電力会社の経営問題にすぎないのである。しかし、原発において有効な安全対策自体があるのかが疑問である。そして、福島第一原発事故において教訓として得られたことも生かさないで、大飯原発は再稼働されたのである。代替策を真に提示すべきなのは、野田首相を含めた推進派の人びとなのだ。

開沼氏のいうように、原発を放棄した場合、福島などの原発立地地域社会において、原発依存の経済が脱却するために、なんらかの経過的措置が必要にはなろう。しかし、それは、雇用にせよ交付金にせよ、何らかの形で措置が可能なことである。例えば、東海村長が東海第二原発の廃炉を求めているが、それは日本原子力研究所などにより雇用が確保されているということが前提になっていよう。他の原発立地地域では、東海村ほど簡単に原発の経済的リターンを捨てることは難しいと考えられる。それでも、ある意味で、代替策を構想する道は、ある程度見えているといえる。

そして、このようなことは、デモに参加している一般の人びとにストレートに求めることではなく、ある程度知識を有している開沼氏の課題といえるのである。もちろん、開沼氏だけでなく、官僚・電力会社・学者・技術者・政治家の課題である。「人びとの声を聞け」と呼びかけられているのは、野田首相だけではない。開沼氏もまたそうなのであるといえる。福島県の人びとの意見も多様であり、福島第ニ原発再稼働を推進する人びとはいるだろう。しかし、脱原発は外部のものであるという偏見を助長せず、せめて福島県の人びとの多様な意見を聞き、それらの構図を分析しながら、彼なりの代替策を提示することが、立場的に開沼氏に求められているといえないだろうか。

<参考>デモや集会などの社会運動は本当に脱原発を後押しするか? 開沼 博「“燃料”がなくなったら、今の反原発運動はしぼんでいく」
週プレNEWS 7月19日(木)6時20分配信

昨年3月の東日本大震災よりずっと前、2006年から「原発を通した戦後日本社会論」をテーマとして福島原発周辺地域を研究対象に活動してきた、同県いわき市出身の社会学者・開沼(かいぬま)博氏。著書『「フクシマ」論』では、原発を通して、日本の戦後成長がいかに「中央と地方」の一方的な関係性に依存してきたか、そして社会がいかにそれを「忘却」してきたかを考察している。

原発立地地域のリアルな姿を知るからこそ感じる、現在の脱原発運動に対する苛立ち。「今のままでは脱原発は果たせない」と強い口調で語る開沼氏に話を聞いた。

***

■社会システムの“代替案”をいかに提示するか

―昨年の早い段階から、「原発はなし崩し的に再稼働される」と“予言”していましたよね。なぜ、そう考えたのでしょう?

開沼 まず理解しておくべきなのは、現代の日本の社会システムは精密機械のように複雑だということ。もっとシンプルなシステムなら、比較的容易に原発の代替手段を見つけられたでしょう。

しかし、今の社会はシステムからひとつ部品を外せば、多くの人の生活と生命にその悪影響が出るようにできている。もちろん原発にしても然り、です。そのなかで現実的に何ができるか、時間をかけて議論していくしかない。にもかかわらず、それができていない。

―開沼さんは、原発立地地域での反対運動にも懐疑的ですね。

開沼 他地域から立地地域に来て抗議する人たちは、言ってしまえば「騒ぐだけ騒いで帰る人たち」です。震災前からそう。バスで乗りつけてきて、「ここは汚染されている!」「森、水、土地を返せ!」と叫んで練り歩く。

農作業中のおばあちゃんに「そこは危険だ、そんな作物食べちゃダメだ」とメガホンで恫喝(どうかつ)する。その上、「ここで生きる人のために!」とか言っちゃう。ひととおりやって満足したら、弁当食べて「お疲れさまでした」と帰る。地元の人は、「こいつら何しに来てるんだ」と、あぜんとする。

―1980年代にも、チェルノブイリの事故をきっかけに、日本でも大規模な反原発運動が起こりました。

開沼 あの運動は、時間の経過とともにしぼんでいきました。理由はいろいろあります。あれだけやっても政治が動かなかったこともあれば、現実離れした陰謀論者が現れて、普通の人が冷めたこともある。そして今も同じことが反復されています。「原発は悪」と決めつけてそれに見合う都合のいい証拠を集めるだけではなく、もっと見るべきものを見て、聞くべき話を聞くべきです。

―日本で起きた事故が発端という点は当時と違いますが、現象としては同じだと。

開沼 僕は今の運動の参加者にもかなりインタビューしていますが、80年代の運動の経験者も少なくない。彼らは、過去の“失敗”をわかった上で「それでもやる」と言う。「あのときにやりきれなかった」という後悔の念が強いのでしょう。そういった年配の方が「二度と後悔したくない」とデモをし、署名を集めようと決断する。それはそれで敬服します。

でも、そのような経験を持たぬ者は、まず「自分は原発について真剣に考え始めたばかりだ」ということを自覚して、歴史を学び、なぜ3・11以後も日本が原発を選び続けるのか学ぶべきです。この運動は、このままでは近い将来にしぼんでいく。すでに“反原発マインド”を喚起するようなネタ―「大飯の再稼働」「福島第一原発4号機が崩れる」といった“燃料”が常に投下され続けない限り、維持できなくなっている。

―それがなくなったら、しぼむしかない。

開沼 3・11を経ても、複雑な社会システムは何も変わっていない。事実、立地地域では原発容認派候補が勝ち続け、政府・財界も姿勢を変えていない。それでも「一度は全原発が止まった!」と針小棒大に成果を叫び、喝采する。「代替案など出さなくていい」とか「集まって歩くだけでいい」とか、アツくてロマンチックなお話ですが、しょうもない開き直りをしている場合ではないんです。

批判に対しては「確かにそうだな」と謙虚に地道に思考を積み重ねるしか、今の状況を打開する方法はない。「脱原発派のなかでおかしな人はごく一部で、そうじゃない人が大多数」というなら、まともな人間がおかしな人間を徹底的に批判すべき。にもかかわらず、「批判を許さぬ論理」の強化に本来冷静そうな人まで加担しているのは残念なことです。

そして、それ以上の問題は「震災」が完全に忘却されていること。東北の太平洋側の復興、がれき処理や仮設住宅の問題も、「なんでこんなに時間がかかるのか」と、被災地の方たちは口々に言います。原発の再稼働反対にはあんなに熱心なのに、誰もそこに手を差し伸べない。「再稼働反対」しても、被災地のためにはならない。

―確かにそうですね……。

開沼 先日、フェイスブック上で象徴的なやりとりを見ました。警戒区域内に一時帰宅した住民の方が自殺してしまった。その町の職員の方の「今後はこのようなことがないよう頑張ります」という内容の書き込みに対して、ある人が「これでも政府は大飯原発を再稼働するのか」とコメントした。職員の方は「怒ったり、大きな声を出すエネルギーを被災地に向けてください」と訴えました。救える命だってあったはずなのに、議論の的が外れ続けている。

―先ほど「歴史を学ぶべき」という言葉がありましたが、では、デモや怒りの声を上げる以外に何ができるでしょうか。

開沼 原発ありきで成り立っている社会システムの“代替案”をいかに提示するか。どうやって政治家や行政関係者、そして原発立地地域の住民に話を聞いてもらうか。少なくとも今の形では、まったく聞いてもらえない状況が続いているわけですから。

かなり高度な知識を踏まえて政策を考えている団体は少なからずあります。自分で勉強して、そういうところに参加したり、金銭面でサポートしたり。もちろん新しい団体をつくったっていい。「代替案がなくても、集まって大声出せば日本は変わる」と信じたいなら、ずっとそうしていればいいと思いますが。

―確かに、現状では建設的な議論は一向に進んでいません。

開沼 もちろん解決の糸口はあります。例えば、ある程度以上の世代の“専門家”は、原発推進にしろ反対にしろ、ポジションがガチガチに固まってしまっている。これは宗教対立みたいなもので、議論するほど膠着(こうちゃく)するばかりです。そりゃ、「今すぐ脱原発できる、するぞ」とステキなことを言えば、今は脚光を浴びるかもしれない。でも、それができないと思っている人がいるから事態は動かない。立場の違う人とも真摯に向き合わないと何も生み出せません。

若い世代が、その非生産的な泥沼に自ら向かう必要はない。一定のポジションに入れば安心はできます。「みんな脱原発だよね」と共同性を確認し合えば気分はいい。でも、本当に変えたいと思うなら、孤独を恐れず批判を受けながら、現実的かつ長期的に有効な解を追究しなければ。

―世代による“線引き”もひとつの解決策だと。

開沼 僕は原発推進派と呼ばれる人、反対派と呼ばれる人、双方の若手の専門家を知っていますが、ある程度のところまでは冷静かつ生産的な議論が積み重なるんですよ。ここまでは共有できるけど、ここからは意見が分かれるよね、と。例えば「アンダー40歳限定」で集まれば、そこから先をどうするかという建設的な話ができる。僕はそれを身近で見ているから、実はあまり悲観していないんです。

―アンダー40の若手原発討論。それ、週プレでやりたいです。

開沼 面白いと思います。売れるかどうかはわかりませんが(笑)。そういうオープンな議論の試みから現実的な変化が始まります。

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

●開沼 博(かいぬま・ひろし)
1984年生まれ、福島県出身。福島大学特任研究員。東京大学大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(青土社・佐藤栄佐久氏との共著)などがある
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120719-00000732-playboyz-soci

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さて、前回のブログで、ドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの『危険社会ー新しい近代への道』について部分的に紹介した。今回は、ベックの「危険」=「リスク」という概念について説明しておこう。

本書の翻訳者の一人である東廉は、本書の原題”RISIKOGESELLSCHAFT”の中の”Risiko”を英語の”Risk”にあたるものとしている。つまりは、『危険社会』とは「リスク社会」ということがいえるであろう。そして、東は、”Risk”を「誰かに何か(損害・不利益)を起こる可能性」としつつ、さらに「近代化と文明の発展に伴う危険」としている。(本書p.p462-463)

ベックによれば、現代社会における「危険」=「リスク」とは、近代化によって生み出された科学と産業の副産物としての環境破壊をさす。この環境破壊は、もちろん放射性物質から始まって、有害な工業廃棄物、農薬、大気汚染、酸性雨などが含まれている。このような科学と産業によって自然が作り替えられることによって、人びとの生活が危機に瀕している社会を「危険社会」とよんでいるのである。

しかしながら、ここから問題が発生する。環境破壊における「危険」=リスクは、少なくとも初期においては、目に見えるものではない。ベックは、このように言っている。

放射線や化学物質による汚染、食物汚染、文明病などといった新しいタイプの危険は多くの場合人間の知覚能力では直接には全く認識できない。それらは、しばしば被害者には見ることもできなければ感じとることもできない危険である。当人の存命中には全く気づかれず、子孫の代になってその弊害が顕著となる場合もある。この種の危険が一段と目立っている。いずれにせよ、危険を危険として、「視覚化」し認識するためには、理論、実験、測定器具などの科学的な「知覚器官」が必要である。(本書p.p35-36)

ある意味で、科学的な測定により、目に見えない放射性物質などを認識することが必要なのである。ベックは、それだけでは「危険」を承認することはできないとしている。まず、ベックは「危険であると言明するためには、事実だけでは十分ではない。それが近代的な工業生産方法の結果として生じた副産物であるという因果関係の確定が必要である」(本書p36)と述べている。さらに、ベックは、次のように主張している。

 

社会的に分離されている個々の現象の因果関係を決定しただけでは、危険であるというには十分ではない。身をもって危険を感じとるためには、安全性や信頼性が失われたという意味での規範的な見方が前提として必要である。危険が数値や数式の形で提示されても、その内容は基本的に個々人の規範的な見方次第で大きく違う。つまり生きるに値する生活への侵害が、数値や数式に圧縮され表現されているのである。そこで、危険の存在自体を信じることが必要となる。危険そのものは数値や数式の形では、身をもって感じることはできないからである。(本書p.p37-38)

そして、ベックは、次のように論じている。

そして、どのように生きたいのか、という古くて新しいテーマが浮上してくる。つまりわれわれが守らなくてはならない人間のうちの人間的なるものとは何か、自然のうちの自然なるものとは何なのかという問題といってよい。「破局的事件」の可能性をいろいろ語るということは、この種の近代化の進展を望まないという規範的な判断を、極端な形で述べることに他ならない。(本書p38)

いわば、危険ーリスクを承認するにあたっては、まずは測定し因果関係を確定するという意味での科学的認識とともに、そのような危険性に脅かされた生活は望まないという規範的価値観が必要であるとしているのである。

このように「危険」の認識には「科学」は不可欠である。しかし、実際に存在している「科学」は、放射性物質その他の有害な副産物を自ら生み出したものである。そこで、「科学的な合理性」と「社会的な合理性」の対立ということが生じてくる。このことをベックは、原子炉の問題を事例にして論じている。

危険についての科学的研究がこのように他分野の研究とかかわっている。この事実は、科学が合理性を独占しようとしている領域でいずれ明るみに出されよう。そしてそれは対立を引き起こすだろう。例えば、原子炉の安全性に関する研究は、事故を想定してはいるが、その研究対象を、数量化し表現することが可能なある特定の危険を推定することだけに限定している。そしてそこでは、推定された危険の規模は研究を開始した時点から既に技術的な処理能力に制約されてしまっている。これに対し、住民の大半や原発反対者が問題にするのは、大災害をもたらすかもしれない核エネルギーの潜在能力そのものである。目下事故の確率が極めて低いと考えられていても、一つの事故がすなわち破滅を意味すると考えられる場合には、その危険性は高すぎる。さらに、科学者が研究の対象としなかった危険の性質が大衆にとっては問題なのである。例えば、核兵器の拡散、人的なミスと安全性との矛盾、事故の影響の持続性、技術的決定の不可逆性などであり、これらはわれわれの子孫の生命をもてあそぶものである。言い換えるならばこうである。危険をめぐる討論のなかで浮き彫りにされるのは、文明に伴う危険に潜在する、科学的な合理性と社会的な合理性との対立なのである。(本書p.p40-41)

このように、「危険」=「リスク」を承認することは、複雑な問題を抱えている。「危険」=リスクは、近代の科学技術が生み出したものであるが、それを承認するためには「科学技術」によるしかない。しかし、そのことは、近代の科学技術の根本的基礎を疑うことになるのである。

なお、ベックの『危険社会』で環境破壊を扱った部分においては、科学技術が全面におかれて批判されているが、ベックは「危険を生産しておきながら、それを正しく認識できない大きな理由は、科学技術の合理性が『経済しか見ない単眼構造』にあるからである」(本書p94)としており、科学の背後にある経済もまた批判すべきものとしているといえるだろう。

この「科学的な合理性」と「社会的な合理性」の対立の諸相については、次回以降言及していきたい。

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