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Archive for 2012年5月

さて、再度、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』(2012年)について考えてみよう。高橋氏が、立地地域住民や原発労働者の観点から、原発を「犠牲のシステム」と規定するのは、現時点からみて妥当といえる。

問題は、高橋氏が「原発のリスクと等価交換できるリターンは存在しない」としていることである。高橋氏のいように、原発のリスクは、従事している労働者や、近隣に居住している生存・生活をまず脅かすものであり、さらには、地球規模での人類の生存を脅かすものである。そのことは、最初の原発である東海第一原発の立地が決定された1950年代後半より部分的には認識されており、原発立地はおおむね過疎地を対象としていくことになる。それは、事故の際の「公衆」に対する放射線被曝者を少なくするという観点からとられた措置であり、いうなれば「50人殺すより1人殺すほうがいい」という思想を前提にするものであった。

原発のリスクが顕在化すれば、高橋氏の主張は全く正しい。しかしながら、原発のリスクは、おおむね顕在化していない。たぶん、原発の放射線リスクに最も日常的に接している原発労働者ですら、直接の知覚は、彼らが被曝した放射線量の測定結果であることが通例である。立地地域住民にとっては、大規模な事故に遭遇して、ようやく原発のリスクを認識できる。しかし、その時ですら、やはり、放射線や放射性物質の測定結果として直接には知覚されるであろう。原発のリスクを蒙った結果としての、がん、白血病の発症や、遺伝子異常などは、かなり後に出現し、その因果関係を実証することも難しい。さらに、より遠方で、原発の電力に依存している大都市圏の住民にとっては、そもそも原発の存在すら意識されないのである

その意味で、原発のリスクとは、日常的には潜在化したものである。他方で、原発のリターンは、目前に存在している。原発労働者には「雇用」であり、立地地域住民にとっては、それに加えて、電源交付金や固定資産税などの財政収入、原発自体やその労働者による需要などがあげられよう。そして、国・電力会社・経済界にとっては、安定した電力供給というリターンがある。その意味で、原発のリターンは目に見えている。

ある意味で、リスクを想定しなければ、リターンは大きい。そこで、次のようなことが行なわれるといえる。原発に対するリスクを前提にリターンが与えられるが、そのリスクは「安全神話」によって隠蔽される。国・電力会社側としては、リスクがあるので原発は過疎地に置かれ、そのために立地地域の開発を制限しようとするが、原発立地を推進していくために、そのことは隠蔽される。他方、原発立地を受けいれる地域においては、リスクがあるためにリターンを要求するが、しかし、そのリスクは隠蔽される。リスクを真正面からとらえたら、彼らの考える地域開発はおろか、既存の住民の離散すら考えなくてはならない。「安全神話」という「嘘」を前提として、リスクとリターンが「等価交換」されているのである。

福島第一原発事故は、この「等価交換」の欺瞞を根底からあばき出したといえる。原発のリスクによって脅かされていたものは、原発立地住民や原発労働者たちの生存であり、生活そのものであった。そして、リターンとしての雇用・財政収入などは、原発のリスクによって脅かされることになった生存・生活があってはじめて意味をなすものであった。確かに、開沼博氏が『「フクシマ」論』(2011年)でいうように、原発からのリターンがなければ、原発立地地域の住民や原発労働者の生活は成り立たないかもしれない。しかし、それは、原発のリスクによって脅かされた生存・生活がなければ意味をなさないのである。

いわば、原発というシステムにおいては、「安全神話」という「嘘」を前提として、地域住民・原発労働者の生存・生活自体と、より富んで生きることが「等価交換」されていたといえる。高橋氏のいうように、そもそも事故を想定して過疎地に原発を建設するということ自体、差別であり、「犠牲のシステム」にほかならないが、それを正当化するものとして、「安全神話」という「嘘」を前提とした二重三重の意味で欺瞞的な「等価交換」があったといえよう。

もとより、「等価交換」は、近代社会にとって、支配ー従属関係を正当化するイデオロギーである。資本家と労働者との雇用契約という「等価交換」は、資本家による搾取の源泉である。また、いわゆる「先進国」と「後進国」の「等価交換」も、前者による後者の搾取にほかならない。まさに、「等価交換」は、近代社会の文法なのである。

そして、結局、「等価交換」という名の「不等価交換」を強いられている側は、不利であっても、この関係を維持するしかない。いかに、劣悪な労働条件のもとに低賃金を強いられている労働者でも、何も収入がないよりはいいのである。このことは、結局のところ、原発立地地域住民にもあてはまっていったといえる。例えば、大飯原発などでも、未だにリスクとリターンの等価交換がなされようとしている。それは、等価交換によってはじめて生活が維持できるという、近代社会の文法があるからといえるのである。

たぶん、問題なのは、福島第一原発事故は、このような、「嘘」を前提とした「等価交換」が、実は「不等価交換」であり、自らの生存・生活を危機にさらすリスクにあてはまるリターンなど存在しないことを白日のもとにさらしたことだと思う。そして、このことは、原発問題だけには限らないのである。まさに、等価交換という近代社会の文法自体を、私たちは疑っていかなくてはならない。

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さて、大飯原発再稼働が、2011.3.11以後の原発問題の現今の焦点となっている。とりあえず、形式的な形で政府はストレステストなどの結果を判定し、「安全」と認定した上で、大飯原発が立地している福井県とおおい町に対して再稼働の合意を求めた。それに対し、世論は脱原発デモなどで反発し、特に、滋賀県・京都府など、原発再稼働につき制度的な発言を有さず、雇用や電源交付金などで多大なリターンが得られないにもかかわらず、福島第一原発と同程度の原発災害があれば、関西圏の水源となっている琵琶湖の汚染など、多大なリスクを蒙らざるをえない自治体から異議が申し立てられているという状態になっている。

その中で、原発立地自治体である福井県とおおい町がどのような対応を示すのであろうか。関心を集めているところである。

そんな中で、おおい町の町議会の動向として、次のような報道がなされている。

原発再稼働 国への8項目を検討 おおい町議会が作業部会 福井

産経新聞 5月9日(水)7時55分配信
 関西電力大飯原子力発電所3、4号機(おおい町)の再稼働について、おおい町議会は8日、作業部会の会合を開いた。

 作業部会は、小川宗一副議長や松井栄治原子力発電対策特別委員長ら7人と、オブザーバーとして新谷欣也議長で構成。今月1日に発足、複数回の会合で、今後の審議内容や日程を詰めてきた。会合は「非公式の会合であり、本音で話し合うため」(議員の1人)、すべて非公開となっている。

 この日の会合では、7日の全員協議会で中間報告として提出された、国への8項目の課題について審議。この中で議員が「避難道路も建設計画が始まり、安全担保はできているのでは」と指摘。別の議員が「安全を守るという議会のスタンスを表現するべきだ」などと、8項目の文言を検討していった。

 このほか、議員から「大飯原発が先頭を走っていることで、ほかの原発がなし崩しで再稼働するような誤解がある。国は一つ一つ検証していることをアピールすべきだ」と不満が出た。

 町議会は9日以降も、作業部会の会合や全員協議会を開き、最終的な再稼働の可否判断を行う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120509-00000037-san-l18&1336521728

この中で、気になったのは、「避難道路も建設計画が始まり、安全担保はできているのでは」と述べた議員の発言である。この発言の背景として、大飯原発が半島の突端に建設され、その近くの大島集落から原発事故の際避難するためには、海岸沿いを進む道が一本しかないことがあげられる。以下の googleマップで確認できよう。

おおい町議会は、3月以来、他の安全対策の実施にならんで、「原発災害制圧道路及び避難道路の多重化 、アクセス道路の複線化と上位道路構造令の適用などによる自然災害やあらゆる気象状況に耐えうる道路の早期着工。」(3月6日の「原発問題に関する統一見解」)「を求めていた。この要求に対し、4月26日におおい町を訪問した経済産業省の柳沢副大臣は、本年度予算で14億円計上したと回答している。

しかし、背景説明を承知しても、この発言は第三者からみれば、異様なものに響く。第一に、まず避難道路の確保が、なぜ現段階においても課題になるのか。第二に、まだ予算計上されたばかりで、建設すら始まっていない避難道路が、なぜ「安全担保」になるのだろうか。

まず、第一の問題から考えてみよう。東電の相次ぐ事故かくしをうけて、元々は反対派の福島県議であったが、この時は双葉町長として原発建設を推進した岩本忠夫が衆議院経済産業委員会によばれ、2002年11月20日に参考人として陳述した。岩本は次のように述べている。

岩本忠夫双葉村長の衆議院経済産業委員会における発言(2002年11月20日)
○岩本参考人 おはようございます。福島県双葉町長の岩本忠夫であります。
 福島県の双葉地方は、現在、第一原子力発電所が六基、さらに第二原子力発電所が四基、計十基ございます。三十数年間になりますけれども、多少のトラブルはございましたが、比較的順調に、安心、安全な運転を今日まで続けてきたわけでありますけれども、八月二十九日、突然、今平山知事の方からもお話がございましたように、東京電力の一連の不正事件が発生をし、そしてそれを聞きつけることができました。
 これまで地域の住民は、東京電力が、国がやることだから大丈夫だろう、こういう安心感を持ってやってきたわけでありますけれども、今回の一連の不正の問題は、安全と安心というふうに分けてみますと、安全の面では、当初から国やまた東京電力は、二十九カ所の不正の問題はありましても、安全性に影響はないということを言われてまいりました。したがって、安心の面で、多年にわたって東京電力、原子力との信頼関係を結んできました地域の者にとっては、まさに裏切られた、信頼が失墜してしまった、こういう思いを実は強くしたわけでありまして、この面が、何ともやりきれない、そういう思いをし続けているのが今日であります。
 ただ、住民は比較的冷静であります。それはなぜかといったら、現在、第一、第二、十基あるうちの六基が停止中であります。そして、その停止されている原子力発電所の現況からすれば、何とはなしに地域の経済がより下降ぎみになりまして深刻な状態にあります。雇用の不安もございます。
 何となく沈滞した経済状況に拍車をかけるような、そういう重い雰囲気が一方ではあるわけでありまして、原子力と共存共栄、つまり原子力と共生をしながら生きていく、これは、原子力立地でないとこの思いはちょっと理解できない面があるのではないかなというふうに思いますが、原子力立地地域として、原子力にどのようなことがあっても、そこから逃げ出したり離れたり、それを回避したりすることは全くできません。何としてもそこで生き抜いていくしかないわけであります。
 そういう面から、国も東京電力もいずれはちゃんとした立ち上がりをしてくれるもの、安全性はいずれは確保してくれるもの、こういうふうに期待をしているからこそ、今そう大きな騒ぎには実はなっておりません。表面は極めて冷静な姿に実はなっているわけであります。
 (中略)
 また一方では、今回の一連の不正の問題等について、国のエネルギー政策やまた原子力政策がこれでもって崩壊したとか、これでもって大きくつまずいたとかということを言われる方もいらっしゃいますけれども、私は、これは政策とは基本的に違う、こういうふうに実は考えておりまして、いたずらに今回の不正の問題を政策の問題にすりかえてしまうというのはやはりおかしいんじゃないかな、こういうふうに自分なりに実は感じているところであります。
 ともあれ、原子力はあくまでも安全でなければなりませんし、地域の方々が安心して過ごしていけるような、そういう地域、環境をつくるということが大きな使命であるというふうに実は考えております。
 もう一つ、この際お願いをしておきたいことは、地域環境の整備であります。かつては、避難道路などという、避難ということをいいながら道路の整備をお願いしたいということは、余り口には出しませんでした。しかし、近年は、どうしても万々が一に備えてそのような道路、周辺の道路の整備や何かをぜひともお願いしたい、こういうことを申し上げてまいりました。常磐自動車道の問題も一つであります。さらにまた浜街道、広野小高線という道路がありますが、これらの道路の整備についても同様であります。
 さらにもう一つ、横軸としまして、福島県の二本松から双葉地域にかける阿武隈山系横断道路という、これはまだ印も何もついておりませんけれども、私たちは、これは避難道路、つまり横軸の骨格の道路としてどうしても必要だ、こういうことでお願いをしているところでありまして、どうぞ御理解をいただきたいというふうに考えております。
 今回の事故を振り返ってみますと、かつて茨城県東海村のジェー・シー・オーの事故、この教訓が果たして生かされているのかどうかということを痛切に感じております。その際に深谷通産大臣が私の方に参りまして、ジェー・シー・オーの施設と原子力発電所の施設は違う、原子力の施設は多重防護策をとっていて、万々が一の事故があっても完全に放射能物質を封じ込めることができる、だから安全である、こういうことを明言されていたようでありますけれども、私も、これには決して逆らうつもりはありませんし、そういう原子炉の体制にはできている、こういうふうに考えておりますけれども、かつての事柄について、十二分それを教訓としてこれから原子力行政に生かしていただきたいとお願いを申し上げまして、私の意見陳述にかえさせていただきます。
 ありがとうございました。(拍手)(国会会議録検索システム)

この全体をより詳細に検討すべきなのだが、ここでは、この部分に注目したい。岩本は「もう一つ、この際お願いをしておきたいことは、地域環境の整備であります。かつては、避難道路などという、避難ということをいいながら道路の整備をお願いしたいということは、余り口には出しませんでした。しかし、近年は、どうしても万々が一に備えてそのような道路、周辺の道路の整備や何かをぜひともお願いしたい、こういうことを申し上げてまいりました。」と述べている。つまり、避難道路建設ということは国への補助申請においては避けるべきことだったと岩本は意識しているのである。

福島原発立地自治体において、電源交付金のかなりの使途は、周辺道路の整備である。しかし、避難を名目にした道路整備は、平時には請求できず、東電の事故隠しなど、安全性への不安が露呈した時しか要求できなかったと考えられる。もちろん、それは、原発は安全であるという安全神話を守るためであったと考えられる。これは、他の安全対策でも考えられる。単にコストがかかるからというのではなく、安全神話を守るためにも、大掛かりな安全対策はされなかったといえないだろうか。そのため、現時点で避難道路を建設するという遅ればせな要求が出てくると考えられるのである。

他方、予算計上しただけの「避難道路」が、なぜ、「安全担保」になるのだろうか。原発事故はいつどのような形で起こるかわからず、そのために「避難道路」を複数確保するということは、根本的な解決ではないが、合理的である。しかし、現在できてもいない「避難道路」は、現在の「安全担保」にならないのは当然である。

ある意味では、安全対策としては「非合理」なのだが、これを、立地自治体へのリターンの一種として考えるならば、意味をなしてくると思う。安全対策は、国なり電力会社が、立地自治体住民に対して無条件に保障すべきものであり、それは、単に予算措置ではなく、実際に建設して、はじめて「安全」といえる。しかし、ここで問題としている安全対策としての「避難道路」は、現実には14億円の道路費予算投入でもあることを忘れてはならないであろう。その場合、最終的に「安全」が確保されるかどうかは問題ではなく、14億円の予算投入によって、公共事業がうまれ、さらに、道路修築によってインフラが整備されるという点が注目されているのではなかろうか。そうなると、「安全対策」も「リターン」の見地から評価されていくことになるのではなかろうか。

そうなってくると、大飯原発再稼働において、国が、福島第一原発事故で効力を発揮した免震重要棟の建設について、「将来の計画」でかまわないとした意味が理解できるのではなかろうか。安全対策も、所詮、立地自治体への「リターン」でしかなく、それが実際に機能することは二の次なのであるといえよう。

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前回のブログでは、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』において、福島第一原発事故において第一義的に責任を負わねばならない人びとは、原発の災害リスクを想定しながらも、有効な対策をせず、さらには無責任に「安全神話」を宣伝して原発を推進していった「原子力ムラ」の人びとであると措定していることを紹介した。ある意味では、原発民衆法廷など原発災害の法的責任を追求するためには有効な論理といえるだろう。

他面で、大都市や立地地域住民は、無関心であるがゆえに、原発の災害リスクを認識していなかったと述べている。高橋氏によれば、原発の災害リスクと補助金の等価交換は存在せず、立地地域住民は「安全」であるとされているがゆえに、原発建設を受け入れていったとしている。そして、大都市の住民も「安全」であるとされているがゆえに、原発から供給されている電力を良心の呵責なしに享受できたとされている。

しかし、原発の災害リスクを大都市や原発立地地域の住民が認識していなかったといえるのだろうか。もちろん、十分に認識しているというわけでもなく、「安全神話」に惑わされているということも大きいとは思うのだが。

まず、高橋氏と全く違う論理が展開されている開沼博氏の『「フクシマ」論』(2011年)において、原発災害のリスクがどのように扱われているのかをみておこう。本ブログで紹介したこともあるが、開沼氏は原発からのリターンがないと原発立地地域社会は存立できなかったし、これからもそのことは変わらないと本書で主張している。高橋氏とは対局の論理ということができる。

それでは、開沼氏にとって、原発のリスクはどのようにとらえられているか。開沼氏は、原発労働者の問題を例にして、次のような問題を提起している。

 

流動労働者の存在に話を戻せば、仮に作業の安全性が確保されたとしても、それが危ないか否かという判断を住民が積極的に行なおうという動きが起こりにくい状況がある。そこには、原子力ムラの住民が自らを原子力に関する情報から切り離さざるをえない、そうすることなしには、少なくとも認識の上で、自らの生活の基盤を守っていくことができない状況がある。それは、そのムラの個人にとっては些かの抑圧感は伴っていたとしても、全体としてみれば、もはや危険性に対する感覚が表面化しないほどにまでなってしまう現実があると言えるだろう。(本書p104)

いうなれば、原発のリスクを「認識の上で」切り離し、表面化しないことによって、自らの生活の基盤を守るという論理があるというのである。

では、原発のリスクを表面化しないことは、なぜ、自らの生活の基盤を守ることになるのか。開沼氏は、清水修二氏の『差別としての原子力』(1994年)で表現された言葉をかりて、「信じるしかない、潤っているから」(p109)と述べる。つまり、リターンがある以上、原発災害リスクはないものとする国や電力会社を「信じるしかない」というのである。

そのことを卓抜に表現しているのが、開沼氏が引用している、地域住民の次のような発言である。

 

そりゃ、ちょっとは水だか空気がもれているでしょう。事故も隠しているでしょう。でもだからなに、って。だから原発いるとかいんないとかになるかって。みんな感謝してますよ。飛行機落ちたらって? そんなの車乗ってて死ぬのとおなじ(ぐらいの確率)だっぺって。(富岡町、五〇代、女性)

 まあ、内心はないならないほうがいいっていうのはみんな思ってはいるんです。でも「言うのはやすし」で、だれも口にはださない。出稼ぎ行って、家族ともはなれて危ないとこ行かされるのなんかよりよっぽどいいんじゃないかっていうのが今の考えですよ。(大熊町、五〇代、女性)(pp111-112)

いわば、原発が存立し、そこからのリターンがあるがゆえに、リスク認識は無効化されているということができる。開沼氏は、次のようにまとめている。

全体に危機感が表面化しない一方で、個別的な危険の情報や、個人的な危機感には「仕方ない」という合理化をする。そして、それが彼らの生きることに安心しながら家族も仲間もいる好きな地元に生きるという安全欲求や所属欲求が満たされた生活を成り立たせる。
そうである以上、もし仮に、「信じなくてもいい。本当は危ないんだ」と原子力ムラの外から言われたとしても、原子力ムラは自らそれを無害なものへと自発的に処理する力さえ持っていると言える。つまり、それは決して、強引な中央の官庁・企業による絶え間ない抑圧によって生まれているわけではなく、むしろ、原子力ムラの側が自らで自らの秩序を持続的に再生産していく作用としてある。(p112)

繰り返しになるが、原発立地によるリターンが地域社会存立の基盤になっているがゆえに、原発のリスク認識は無効化されているというのである。国や電力会社側の「安全神話」は無条件に信じられているのではなく、原発からのリターンを継続するということを条件として「信心」されているといえよう。

開沼氏の主張については、私としても、いくつかの異論がある。このような原発地域社会のあり方について、反対派や原発からの受益をあまり受けていない階層も含めて一般化できるのか、原発災害リスクによって生活の基盤が失われた3.11以後においても、このような論理が有効なのかということである。特に、福島第一原発事故の影響は、電源交付金や雇用などの直接的リターンを受けられる地域を大きく凌駕し、あるいみでは国民国家の境界すらこえている。その時、このような論理が有効なのかと思う。まさしく、3.11は、原発災害リスクに等価交換できるリターンが存在しないことを示したといえる。その意味で、高橋哲哉氏の認識は、3.11以後の論理として、より適切だといえる。

しかし、まさに3.11以前の福島原発周辺の地域社会では、このような論理は通用していたし、他の立地地域においては、今でも往々みられる論理であるといえる。その意味で、歴史的には、原発のリスクを部分的に認識した上での「リスクとリターンの交換」は存在していたといえよう。そして、高橋氏のいうように、現実には破綻した論理なのだが、それが今でも影響力を有しているのが、2012年の日本社会の現実なのである。

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さて、哲学者で福島出身の高橋哲哉氏が『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、2012年)を出版し、その中で、福島第一原発事故における「責任」を問題にしている。そして、この論理は、2012年2月から開催され、本ブログでも部分的に紹介した原発民衆法廷の一つの根拠となっている。私自身は、本書を読んで、大きく学んだところと、若干違和感をもったところがある。まず、高橋氏の論理をみていこう。

高橋氏は原発について、次のように指摘している。

 

少なくとも言えるのは、原発が犠牲のシステムであるということである。そこには犠牲にする者と、犠牲にされるものとがいる…犠牲のシステムでは、或る者(たち)の利益が、他のもの(たち)の生活(生命、尊厳、日常、財産、尊厳、希望等々)を犠牲にして生み出され、維持される。犠牲にする者の利益は、犠牲にされるものの犠牲なしには生み出されないし、維持されない。この犠牲は、通常、隠されているか、共同体(国家、国民、社会、企業等々)にとっての「尊い犠牲」として美化され、正当化されている。そして、隠蔽や正当化が困難になり、犠牲の不当性が告発されても、犠牲にする者(たち)は自らの責任を否認し、責任から逃亡する。この国の犠牲のシステムは、「無責任の体系」(丸山真男)を含んで存立するのだ。(本書 pp27-28)

高橋氏は、犠牲にする者たちとして、いわゆる「原子力ムラ」=原発建設を推進してきた政治家・官僚・電力会社・学者たちをあげている。彼らが、原発立地地域住民や原発労働者たちを犠牲にして、利益を得ているとして、原発を「犠牲のシステム」とよんでいるのである。その上で、もっとも責任をとらなくてはならない人びとが、責任から逃亡しているとしているのである。

高橋氏によると、政府や電力会社は、すでに「原子炉立地審査指針」(1964年)において、シヴィア・アクシデント時に立地地域が犠牲にされることは想定されており、そのために低人口地域に原発が建設されることになっていたと指摘している。この指針の重要性を私が認識したのは、高橋氏の指摘に接したからである。

そして、このように主張している。

 

原発はこのように、人口稠密な「中央」と人口過疎な「周辺」との構造的差別のうえにつくられてきた。そして、その構造的差別を覆い隠す役割を果たしてきたのが、いわゆる「安全神話」だった。地方自治体が電源三法交付金や固定資産税収入や雇用増加など経済的利益を当てにして原発を誘致してきたのも、「絶対安全」という前提があったからである。電力会社や政府の宣伝する「安全」を信じて、経済的利益に期待した。もちろん信じたといっても、どの程度信じたかは人さまざまであろう。完全に信じ切っていた人もいるかもしれないし、不安を覚えながらも、電力会社や政府が言うのだから受け入れた人もいるかもしれない。
いずれにせよ、自治体としては「安全」を前提に原発を誘致したということは否定できないだろう。生活や街そのものを破壊されてしまっては、経済も何もあったものではないのだから。ところが、今回の福島原発事故は、まさにその前提であった「安全」が神話にすぎなかったことを暴露した。原発がひとたび「過酷事故」(シヴィア・アクシデント)を起こせば、立地自治体および周辺の住民はひとたまりもなく犠牲にされる。(本書pp59-60)

高橋氏は「大事故と補助金との『等価交換』など成り立ってはいないのである」(本書p33)と述べている。

もちろん、都市部の市民や原発立地地域住民も全く責任がないと高橋氏は考えていない。福島県内、首都圏とそれぞれ違いはあるものの、この人たちにも「電力の利益を享受するのみで原発のリスクを十分考えてこなかった責任。甘く見ていた責任。無関心だった責任」(本書p102)があると高橋氏は主張している。また、今まで原発反対を主張してきた人びとにも、このことを防げなかったという政治的責任があると高橋氏は述べている。

しかし、第一義的に責任を負わねばならない人たちとしては、前述した「原子力ムラ」の人たちであると高橋氏は指摘しているのである。

確かに、「安全神話」を喧伝しつつ、原発を推進し、そのことによって利益を得てきた原子力ムラー政治家・官僚・学者・電力会社などーの人びとが、刑事・民事上の法的責任の追及がなされるべきことはあきらかである。前述した原発民衆法廷では、菅直人以下政府・東電・原子力安全委員会首脳の個人が裁かれることになっている。彼らは、安全対策を怠り、福島第一原発事故を発生させた責任を有しているのであり、当然といえる。高橋氏は、責任追及よりも犠牲のシステムをやめさせることが大事だといっているが、責任追及もこのシステムをやめさせる営為の一環であるといえよう。

また、国や東電に対して実際の訴訟によって刑事責任を追求する動きも現れてきている。

福島原発事故 広がる告訴・告発 国・東電の刑事責任問える?
産経新聞 5月4日(金)7時55分配信

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、民間や自治体が国や東電を告訴・告発し、刑事責任を問おうとする動きが広がっている。背景には捜査当局が国や東電を捜査しないことに対する怒りがある。ただ、原発事故で刑事責任を問えるかどうかは専門家の間でも意見が分かれている。(小野田雄一)

 ◆数百人が賛同
 「4月22日に山口県で23人が死傷した工場爆発事故では直後に県警が捜査を始めた。しかし福島原発事故ではいまだ何の捜査も行われていない」。福島原発告訴団の事務局長を務める福島県大熊町の大賀あや子さん(39)はそう話す。
 同告訴団は今年3月に発足。福島県内で告訴への参加を呼びかけ、既に数百人の賛同を得ているという。
 告訴団は(1)津波対策を怠った東電(2)安全審査をおざなりにしてきた政府(3)原発の安全性を吹聴してきた学識者-などの関係者計30人超を、6月11日に業務上過失致死罪などで福島地検に告訴する方針。
 「事業所などから健康を害する物質を排出し、生命や身体に危険を与える」ことを禁じた公害犯罪処罰法違反罪での告訴も視野に入れている。
 大賀さんは「1回目の告訴は福島県民が行うが、その後は県民以外にも参加を呼びかける」と意気込む。

 ◆自治体も検討
 一方、原発事故で役場ごと避難した浪江町も現在、国と県の告発を検討中だ。
 告発の根拠は、放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」(SPEEDI)のデータが事故直後に国や県から公表されなかったこと。多くの町民が放射線量の高い地域に避難し、被曝(ひばく)が拡大したとする。馬場有町長は「必要ない被曝を招いたことは人道上許せない」とし、6月中にも業務上過失傷害罪などで告発したい考え。
 原発事故の刑事責任を問う動きが始まったのは昨年7月。ルポライターの明石昇二郎氏と作家の広瀬隆氏が、東電や国の関係者ら32人を業務上過失致死傷罪で東京地検に告発した。
 明石さんは「実際に避難による死者も出ている。あれほどの事故なのに誰も刑事責任が問われないというのでは、日本の国のモラルが崩壊する」と訴えた。

 ◆分かれる意見
 果たして、刑事責任を問えるのか。
 福島原発告訴団を支援する河合弘之弁護士は「事故以前に東電内部で『福島第1原発に15メートル超の津波がくる恐れがある』との想定があったのに対策を講じていなかった。避難による死者や被曝した住民は多く、責任は十分問える」とみる。
 一方、中央大名誉教授で京産大法科大学院の渥美東洋教授(77)=刑法学=は「過失とは“過度の注意義務違反”のこと。東電は原発を国が定めた安全基準内で建設しており、国も科学的データを信じて安全基準を定めてきた。東電や国に過失があったとは言えず、刑事責任は問えない。SPEEDIの公表遅れ問題でも、福島県はデータの精度不足を懸念して公表しなかっただけで、過失ではない」としている。
 渥美教授はまた、公害犯罪処罰法違反についても、「低い放射線量と健康被害の因果関係は不明で、適用は難しい」との見解を示している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120504-00000086-san-soci

ただ、原子力ムラ /一般市民・原発立地地域住民が、原発のリスクについて、全知/無知という形で対称的に認識していたとは思えないのである。このような二項対立的図式は、法的責任を追求する上においては、前述したように効力を有するであろう。しかし、歴史的な過程を検討する上においては、より複雑な関係があることを念頭に考えていかなくてはならないのではなかろうかとも思う。

そのことについては、また別に論じていきたい。

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あるところで報告するので、現時点(2012年5月4日)で、私個人が把握した日本における原発の歴史を語る研究文献リストを作成した。参考になるかもしれないので、ここで紹介しておこう。

日本における原発の歴史を語る研究文献リスト(2012年5月4日時点)

有馬哲夫『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』(新潮社、2004年)
石橋克彦「原発震災」(『科学』67巻10号、1997年)
岩本由輝『東北開発120年』(増補版、刀水書房、2009年)
恩田勝亘『原発に子孫の命は売れないー舛倉隆と棚塩原発反対同盟二三年の闘い』(七つ森書館1991年)
開沼博『「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)
樫本喜一「宇治原子炉設置反対運動の考察—原子力研究開発最初期における住民運動」(『大阪民衆史研究』57号、2005年)
樫本喜一「『原子力平和利用三原則と『幻の安全性新原則』ー関西研究用原子炉設置問題から見た原子力平和利用の問題点』(『戦争と平和』15号、2006年)
樫本喜一「リスク論導入の歴史的経緯とその課題—関西用原子炉の安全性に対する日本学術会議の見解を事例に」(『人間社会学研究集録』1号、2006年)
樫本喜一「初期原子力政策と戦後の地方自治—相克の発生 関西研究用原子炉交野案設置反対運動を事例に」(『人間社会学研究集録』2号、2007年)
樫本喜一「研究用原子炉の都市近郊立地に関する歴史的考察—関西研究用原子炉と武蔵工業大学研究用原子炉の比較考察」(『人間社会学研究集録』3号、2008年)
樫本喜一「幻の“原子力安全保障委員会”構想—1958年の坂田昌一と日本学術会議」(『科学』79巻10号、2009年)
樫本喜一「都市に建つ原子炉ー日本原子力平和利用史のミッシングリンクが暗示する安全性のジレンマ構造」(『科学』79巻11号、2009年)
鹿野政直『鳥島は入っているか』(岩波書店、1988年)
鎌田慧『日本の原発地帯』(河出書房新社、1988年)
熊取町教育委員会編「『京都大学研究用原子炉』の誕生」(『熊取町史紀要』4号、1996年)
熊取町史編さん委員会編『熊取町史』本文編(熊取町、2000年)
小路田泰直「ヒロシマからフクシマへ」(『史創』1号、2011年)
佐野真一『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』(文芸春秋、1994年)
佐野真一『津波と原発』(講談社、2011年)
住友陽文「戦後民主主義の想定領域―原子力開発と55年体制―」(『史創』1号、2011年)
清水修二「電源立地促進財政制度の成立—原子力開発と財政の展開(1)」(『商学論集』59巻4号、1991年)
清水修二「電源開発促進対策特別会計の展開—原子力開発と財政の展開(2)」(『商学論集』59巻6号、1991年)
清水修二「電源立地促進財政の地域的展開」(『福島大学地域研究』3巻4号、1992年)
清水修二『差別としての原子力』(リベルタ出版、1994年)
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社、2012年)
中嶋久人「福島県に原発が到来した日―福島第一原子力発電所立地過程と地域社会」(『現代思想』39巻8号、2011年)
中嶋久人「原発と地域社会—福島第一原発事故の歴史的前提」(『歴史学研究』884号、2011年)
西川雅史「原子力発電所の建設と地方財政」(『公共選択の研究』34号、2000年) 
布川弘「『冥王』プルトニウムの誘惑―ヒロシマからフクシマへー」(『史創』1号、2011年)
広瀬隆『東京に原発を!』(集英社文庫版、集英社、1986年)
福武直編『地域開発の構想と現実』Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ(東京大学出版会、1965年)
藤原修『原水爆禁止運動の成立—戦後日本平和運動の現像—』 (明治学院国際平和研究所、1991年)
布施哲也『福島原発の町と村』(七つ森書館、2011年)
ウルリヒ・ベック『危険社会—新しい近代への道』(東廉・伊藤美登里訳、法政大学出版局、1998年)
ウルリヒ・ベック「この機会にー福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」(『リスク化する日本社会ーウルリッヒ・ベックとの対話』、岩波書店、2011年)
丸浜江里子『原水禁署名運動の誕生―東京・杉並の住民パワーと水脈』(凱風社、2011年)
宮本憲一『地域開発はこれで良いか』(岩波書店、1973年)
三好ゆう「原子力発電所と自治体財政—福井県敦賀市の事例—」(『立命館経済学』58巻4号、2009年)
三好ゆう「原子力発電所所在地自治体の財政構造 ― 福井県若狭地域を事例に―」(『立命館経済学』60巻3号、2011年)
諸冨徹「原発震災から地域再生へ」(『現代思想』39巻8号、2011年)
山川充夫「原発立地推進と地域政策の展開」(一)(二)(『商学論集』55巻2・3号、1986・1987年、福島大学経済学会)
吉岡斉『新版・原子力の社会史』(朝日新聞社、2011年)

ここでは、基本的に、資料的なものは収録していない。『福島県史』他『大熊町史』など、自治体史や社史で参考となる記述があるものは多いのだが、ここでは収録していない。また、自治体史や社史などについては、まだすべてを調査したわけでもない。今後の課題である。

また、チェルノブイリ事故などの外国の原発についての文献や現段階における原発の技術的もしくは社会的問題をあつかったものもここでは省いた。あまりにも多すぎるので、専門外の私では把握しきれないということもある。

歴史的な記述に限っても、まだまだ見落としはあるだろうと思う。例えば、鎌田慧氏は、ここであげた以上の文献を発表されているが、すべてを見ることはできなかった。

このリストを作成することによって、新たな研究文献を私は発見できたと思う。特に、1950〜1960年代の関西研究用原子炉反対運動とそれを契機にして生じた日本学術会議における原発の安全性について検討した樫本喜一氏の研究は、非常に興味深かった。関西研究用原子炉は、結局大阪府熊取町に建設されるのだが、その過程については、『熊取町史』『熊取町史紀要』4号などが記述している。自治体史は省略したのだが、ここでは例外的にあげておいた。『熊取町史』編さんに関わった小路田泰直氏、住友陽文氏などの論考とあわせてみていただきたいと思う。

他方、電源交付金制度を中心とした原子力立地自治体財政については、清水修二氏、三好ゆう氏が精力的に検討している。特に清水氏の論考は、電源交付金制度を知る上の必読文献だと思う。

原発に批判的な人たちの一般的な見解を表明するものとして、高橋哲哉氏の『犠牲のシステム 福島・沖縄』をあげることができる。この書は、2月25日に開催された原発民衆法廷でも「証拠」として使われていた。私自身は異論をもつ部分もあるが、原発問題の法的責任を追求する論理をよくあらわしている。地域社会のために今後とも原発を否定できないとしている開沼氏の論考と比較して読むと興味深い。

とりあえず、ここで挙げた文献は、私個人が把握したものである。もちろん、不備があるのであり、ご承知の文献があればご教示いただきたいと思う。

なお、大都市に居住しているとか、学術機関に所属しているとか、それらのメリットがない人たちには入手しがたい文献があるかもしれない。あまり高い本は多くないが、安い本でもたくさん買うとコストはある。特に、雑誌論文は、入手しづらい場合もあるだろう。

今、居住地の公立図書館が他館から取り寄せてくれるシステムがあるようである。コストをかけないで、閲覧することはできる。そこまでして閲覧したものはないが、一般的な文献では、公立図書館で借り出したものもある。

また、雑誌論文においては、近年、執筆者が所属する学術機関から PDFなどでネット公開することがある。実際、結構、この手段で収集した文献はある。ネットで執筆者と題名を検索すれば、集められる場合もあるのだ。

なお、資料収集においても、ネット検索で集めたものもある。国会会議録や近年の自治体議会の会議録はネット検索で集めることができる。日本原子力産業協会(日本原子力産業会議の後身)の発行物は電子化されている。国や県の行政上の通達も、かなりネットで読むことができる。ネットであげている情報がすべてではないし、正誤訂正のために現物をみる必要もあるが、とりあえず、手がかりにはなると思う。

できれば、可能な手段で、ここであげている文献や、今まで、本ブログで紹介した資料などに、自身でアクセスして、みてもらうことをおすすめしたい。

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4月25日、相馬市の原釜漁港にまわってみた。原釜漁港は松川浦に所在する三つの漁港(磯部・松川浦・原釜)の一つである。 googleマップでみると、磯部漁港は松川浦の奥で、最も南に位置している。松川浦漁港は松川浦の入り口でその内側であり、原釜漁港は松川浦の入り口で外海に面している。この原釜漁港を中心とする松川浦漁港は、東北でも有数の水揚げを誇る漁港であった。

原釜は、太平洋に直接面しているため、東日本大震災による津波の直撃を受けたところである。今、その映像が残されている。たぶん、原釜漁港のそばの高台から撮影されているのだろう。写っている建物は相馬原釜地方卸売市場である。かなり長い動画であるが、津波の経緯がよくわかる。最初は、それほど高い津波ではないが、しだいに高まり、堤防をこえ、相馬原釜地方卸売市場を襲った。少なくとも二階部分までは水没したようである。相馬市の津波高は、最終的には9mを超えていたようである。

なお、この動画では、最初のところで撮影者たちの事態を楽観していた声が収録されているが、その後、このようなことを付記してyoutubeにアップされている。

この映像を見るのは私自身正直つらく、けして表に出すものではないと思っていました。
逃げ惑う人、津波に飲み込まれる船、あんなに絶対絶命の状況でも必死に生きようとしている人達の姿を、遠い所からただ撮影してることしかできなかった自分にものすごく嫌悪­感があったからです。また、津波を目の前で見た人にしか分からない恐怖感が甦ってくると思ったから。
しかし、震災から半年がたった今、この映像を今後の教訓にできる様に、資料として使って頂くのが最良だと感じる様になりました。
地震大国日本にいる私たちは、常にこの映像と隣り合わせだということを、観た方たちには本当に感じていただきたいと思います。
そして、今後このような災害に見舞われた時に、冷静な判断で少しでも多くの命が助かることを祈ります。

サイト「東日本大震災(地震、津波)被害状況専門サイト」による、2012年4月12日時点の被害状況は、次の通りである。

2012/4/12時点の相馬市の被害状況※ 福島県,復興庁HPのデータより
死者数:458
行方不明者数:0
県内第1次,2次避難所在住者数:0
住宅、建物被害(全壊数+半壊数):1791
仮設住宅建設戸数:1500 (完成度100%)
仮設住宅建設箇所数(団地数):13
※ 6/17:仮設住宅への入居等が完了し全避難所が閉鎖。
※ 仮設住宅一覧はこちらのページ

2012/4/9時点の災害廃棄物(震災がれき)処理状況 ※環境省公表資料より

がれき推計量:25万4千トン
※ うち建物解体に伴うがれき発生推計量:2万3千トン

解体を除いたがれき推計量に対する撤去率:100%
解体を含んだがれき推計量に対する撤去率:97%
※ 撤去は仮置き場への搬入のことです。

処理・処分量:1万6千トン
処理・処分割合:6.5%
※ 破砕・選別等により有価売却、原燃料利用、焼却やセメント焼成、
  埋立処分等により処理・処分された量。

http://ranasite.net/?p=1478#Higai

その跡を写したのが、この動画である。ただ、先の津波現場の動画より、やや北側のところを主に写している。2011年4月6日撮影とのことである。多くの建物が流失し、瓦礫しか残っていないことがわかる。

4月25日、私自身がみた原釜地区の景況は、次の通りである。海岸付近の住宅は流され、ほとんど基礎しか残っていない。農地が主に被災した南相馬市と比べると、漁港が多かった女川や牡鹿半島の被災に類似しているように思われる。ただ、山のようにあった瓦礫の多くは整理されていたようである。瓦礫の撤去は90%以上進んでいるとのことであったが、たぶんその通りなのであろう。

相馬市原釜地区(2012年4月25日撮影)

相馬市原釜地区(2012年4月25日撮影)

そして、被災した相馬原釜地方卸売市場(魚市場)は、1年たってもがらんどうのままであった。同じく津波に被災した気仙沼魚市場が2011年6月、石巻魚市場・女川魚市場が2011年7月に再開されたことからみても、非常に遅れている。

相馬原釜地方卸売市場(2012年4月25日撮影)

相馬原釜地方卸売市場(2012年4月25日撮影)

この付近の漁船の大半は、松川浦側の松川浦漁港に繋留されていた。これらのうちには、津波に被災し、各地に流されてしまった船もあるだろう。しかし、ほとんど、漁に出た形跡はなかった。

松川浦漁港に繋留される漁船(2012年4月25日撮影)

松川浦漁港に繋留される漁船(2012年4月25日撮影)

このように、原釜・松川浦漁港の漁業再開が遅れているのは、いうまでもなく原発災害による海洋汚染のためである。2011年、福島県の各漁協では、水産物の放射性物質による汚染を懸念して、福島県の沿岸漁業を自粛した。いわき市小名浜については、2011年8月より沖合捕獲のカツオ漁の水揚げが再開された。しかし、これも、放射性物質汚染を懸念した買い控えをおそれ、6月から可能であった水揚げが延期され、ようやく8月なってから水揚げがなされたのである。もちろん、小名浜においても、沿岸漁業の自粛は続いている。次の読売新聞のネットに、2012年2月時点における原釜漁港の景況が報道されている。

来月11日めど 直売所も開店 県外から魚調達

 東日本大震災の津波で被災した福島県相馬市原釜の水産加工業者などでつくるNPO法人「相馬はらがま朝市クラブ」が震災から1年になる3月11日をめどに、水産加工場を再開し、直売所の「相馬報徳庵」をオープンさせる。(高貝丈滋)
 東京電力福島第一原発事故の影響で県内は出漁自粛が続き、相馬市内の加工場もほぼ休止状態にあるため、材料の魚は県外から調達し、復興へ向けた一歩を踏み出す。
 朝市クラブは、相馬市の水産加工場の経営者や全国各地のボランティア約30人でつくられ、津波で工場が被災したセンシン食品経営、高橋永真(ながまさ)さん(52)が理事長を務める。昨年5月から、週末に市の中心部で支援物資を提供したほか、リヤカーで仮設住宅を巡回して野菜などの販売や声かけ訪問を行ってきた。
 東北地方で有数の水揚げを誇る相馬原釜漁港周辺ではヒラメ、マガレイ、ミズタコなどを加工する水産加工会社が25社あったが、津波で被災し、ほとんどが止まったままだ。出漁自粛により、同港の漁船約120隻も現在は稼働していない。
 震災後1年をきっかけに、水産加工場を再稼働させて地元に雇用を生み出そうと、高橋さんらは今年に入り、北海道函館市や松前町、青森県深浦町などの業者に魚を卸してくれるよう要請し、協力を得られることになった。
 加工場は、津波の被害を受けた原釜地区の施設を修理して活用する。直売所は、中小企業基盤整備機構の支援制度を利用して造られた相馬市中村の仮設店舗を使う。
 店舗内は、阪神大震災で被災した経験を持つ朝市クラブの副理事長、石井弘二さん(59)の紹介で、神戸市の大工が工事した。材木は、相馬市と交流のある神奈川県小田原市から寄付された杉を使用した。
 高橋さんは、「水産業の街・相馬を復活させるためにも加工場を再開させるのが第一歩。前へ進んでいきたい」と話している。
(2012年2月29日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/job/news/20120228-OYT8T00456.htm

そして、現在でも、検査のためにとった福島県の水産物の一部から、放射性物質は検出されている。基準値が100ベクレル/kgとなったこともあり、出荷できる範囲をこえた水産物は後を絶たないのである。

福島県産水産物における緊急モニタリング調査結果(2012年4月24日公表分まで)

福島県産水産物における緊急モニタリング調査結果(2012年4月24日公表分まで)

クリックしてhousya-soukatu01.pdfにアクセス

相馬市原釜漁港における津波被災は圧倒的なものであった。しかし、同じく、津波に被災した石巻・女川・気仙沼(これらの地域でも、スムーズに生活復旧が進んでいるとは思わないが)と比較して、生業としての漁業再開が進んでいないのは、原発災害による海洋への放射性物質汚染のためなのである。

石橋克彦氏は、震災と原発災害の同時的被災を「原発震災」とよんだ。この原発震災のありようが、ここ相馬市原釜漁港にあらわれている。震災による被災とともに、原発災害による被災が、この地に重くのしかかっているのである。

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さて、福島県の放射線について、今度は南相馬市についてみてみよう。南相馬市の環境放射線量は、南相馬合同庁舎で計測されている。 googleマップによると、原ノ町駅の北東側に所在している。福島民報2012年4月25日号によると、4月24日の放射線量は0.35マイクロシーベルト/時間程度で、より遠い位置にある福島市の半分程度である。

しかし、福島民報で報道されている4月24日の放射線量をみていると、各地点でバラバラである。最も低い雫浄化センターでは0.13、最も高い鉄山ダムでは4.91である。そして、最近警戒区域が解除された小高区は南相馬市一般と同程度であり、小高中学校で0.33である。

福島民報2012年4月25日号

福島民報2012年4月25日号

雫浄化センターは、南相馬市の海岸にある。総じて海岸部は放射線量が低いといわれている。

鉄山ダムは、小高区の山間部にあり、浪江町との境界に近い。山間部が比較的放射線量が高いことも一般的にいわれている。

さて、私自身が4月24日に南相馬市でみた事例をみておこう。原ノ町駅前(西側)に南相馬市立中央図書館があり、そこの軒下に固定式の計測器がある。その放射線量は0.353マイクロシーベルトであった。一般的な南相馬市の放射線量である。

南相馬市立中央図書館(2012年4月24日撮影)

南相馬市立中央図書館(2012年4月24日撮影)

ところが、この図書館の北側に隣接している小公園では、0.187マイクロシーベルトであった。写真の後方に写っている建物が市立中央図書館であり、その軒下に図書館の測定器がある。20メートルも離れていないだろう。図書館の半分である。図書館の測定器では、屋根などの雨がかかるのに対し、小公園は吹きさらしであることが違っているのかもしれない。

原ノ町駅前の小公園(2012年4月24日撮影)

原ノ町駅前の小公園(2012年4月24日撮影)

さて、南相馬市の中心市街地原町の南側に福島県営東ヶ丘公園があり、そこに野馬追の里南相馬市立図書館が所在している。その前の測定器では、0.647であった。市立中央図書館の倍近くになる。それほど遠くないのに、かなり違うのである。海岸からの距離もそれほど変わらないはずである。丘陵地で木々の多い場所だからかもしれない。

野馬追の里南相馬市立博物館(2012年4月24日撮影)

野馬追の里南相馬市立博物館(2012年4月24日撮影)

南相馬市の人に聞くと、公の場所に置かれる測定器の放射線量は、除染が行き届いていて比較的低いという。それでも、これほどの違いがある。すべての場所が除染できるわけもなく、除染しても、周囲の状況によって違いが出てくる。これは、より大きい領域である福島県や東日本全域でもそうであろう。

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