さて、前回、石破茂自民党幹事長が11月29日に自身のブログで「デモなどのシュプレヒコールはテロと本質的に変わらないと述べたことを紹介した。
その後、石破は自身の発言を「撤回」したと報道されている。
例えば、NHKは、次のように12月1日報道している。
石破氏 ブログの「テロ」部分を撤回の考え
12月1日 18時7分
石破氏 ブログの「テロ」部分を撤回の考え
自民党の石破幹事長は、特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモに関連し、「絶叫戦術はテロ行為とその本質であまり変わらない」とみずからのブログに書き込み、1日、表現が足りないところはおわびするとして、「テロ」という言葉を使った部分を撤回する考えを示しました。
自民党の石破幹事長は先月29日、みずからのインターネットのブログに、特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモに関連し、「主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は、決して世論の共感を呼ぶことはない。単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において、あまり変わらないように思われる」などと書き込みました。
これについて、石破氏は1日、富山県南砺市で講演し、「国会の周りに大音量が響き渡っているが、周りにいる人たちが恐怖を感じるような大きな音で『絶対に許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいのか。民主主義とは少し路線が異なるのではないかという思いがするが、もし表現が足りなかったところがあればおわびしなければならない」と述べました。
そして、石破氏は講演のあと、記者団に対し、「『テロだ』と言ったわけではないが、テロと同じだという風に受け取られる部分があったとすれば、そこは撤回する」と述べ、「テロ」という言葉を使った部分を撤回する考えを示しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131201/k10013486071000.html
また、石破は、自身のブログでも、「撤回」を本日表明している。
石破 茂 です。
整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。
一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。
「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。
自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/
しかし、この「撤回」は半面でしかない。北海道新聞は、NHKが報道した先の富山県の講演について、このように報道している。
絶叫デモ「恐怖与える」 講演で石破氏、規制強化も示唆(12/01 13:15、12/02 01:38 更新)
自民党の石破茂幹事長は1日、富山県南砺市での講演で、特定秘密保護法案に反対する市民団体らのデモについて「人が恐怖を感じるような音で『絶対にこれを許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいことなのか」と述べた。石破氏は11月29日付の自身のブログで、デモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判しており、表現の自由に基づくデモをテロに例えるなどして問題視する一連の発言は反発を呼びそうだ。
石破氏は講演で「民主主義は常に言論において行われるもので、相手に恐怖の気持ちを与えてはならない」と強調。「議会において整然と討論がなされるべきものだ。そういう点で、民主主義とは少し路線を異にするのではないかという思いがする」と述べた。
石破氏は講演後、記者団に対し、自身のブログ発言について「(デモを)テロと同じと見たというふうに受け取られる部分があるとすれば、そこは撤回をさせていただく」と釈明。だが一方で「一般人に対して大音量など有形の圧力を加えるという点においては、(テロに)相通ずるものがあると思う」とも強調した。さらに「規制のやり方に問題があると思う」とも述べ、デモに対する規制強化の必要性も示唆した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/507525.html
この報道のほうが、石破の真意を伝えているといえる。石破は、デモをテロと同じとした点については「撤回」した。しかし、「「一般人に対して大音量など有形の圧力を加えるという点においては、(テロに)相通ずるものがあると思う」とも強調した。さらに「規制のやり方に問題があると思う」」と記者団に話している。いうなれば「テロでなかろうがデモは規制する」ということになる。彼のブログの表現によれば、「整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても」かまわないが、「一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような」デモは規制するということになろう。
しかし、デモなどで、自らの主張を「大音量」で述べないデモなどありうるだろうか。拡声器を使わなくても、多くの参加者がコールすれば、「大音量」となる。どのような形で主張しても、それは「言論・表現」の自由である。石破の発言は、デモ全般をなんらかの形で規制するということなのだ。最早、「特定秘密保護法案」だけの問題ではないのである。
思うに、これが、自民党幹事長石破茂が出した、3.11後の社会変動に対する回答なのだと思う。3.11において、東北や関東圏の住民を中心に多くの人びとは、民主党政権による福島第一原発事故による情報隠蔽に直面した。メルトダウンは隠蔽され、スピーディによる放射能影響予測は公表されず、事故の規模の矮小化がなされた。その過程で、多くの人が無用の被ばくをした。
それに対して、自主的に情報を集め、それを広げていこうとする営為がさかんになってきた。高価で操作も易しくない線量計を購入して自らの周辺の放射線量をはかる人、マスコミが垂れ流す情報を精査し、状況を自ら分析する人、しぶる役所をつきあげて情報提供をさせる人などが多くなった。本ブログもささやかながら、その一環であると思っている。
他方で、政権に対して、有効な事故対策と脱原発を求める運動が展開するようになってきた。金曜抗議行動は、単に官邸前や国会前だけでなく、全国各地で起こっている。デモや集会もさかんになってきた。特定秘密保護法案反対デモが「大音量」というが、今のところ、参加者は多くて1万人くらいである(もっと多くなることを望んでいるが)。一昨年や昨年の反原発デモや抗議行動のほうがはるかに規模が大きかった。
3.11以前、不満はあっても、自ら情報収集したり運動に参加する人びとは少なかった。しかし、3.11以後、人びとは、自らの生存を保障するために、行動するようになった。それは、他方で、当時の民主党政権への不信にもつながっている。国は、決して人びとを守ることはしない、自ら情報を収集し、自ら声をあげることによって、ようやく、それを確保することができるという思いがそこにはあったといえよう。少しでも「風通しのよい社会」をつくるということは、自らの生存にかかわることなのであった。
一昨年、昨年の人びとの活動は、もちろん、当時の民主党政権に向けられたのであって、当時野党であった自民党に直接向けられたものではない。しかし、自民党議員たちは、このような人びとの動きに恐怖を感じていたのであろう。石破は自身のブログで「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」と書いている。彼らにとって、人びとが自ら行動することは恐怖の対象であったことがはしなくも暴露されている。
そのために、「特定秘密保護法案」があり、今回の石破の「デモ規制」発言があるといえる。3.11後にさかんになってきた、人びとが自主的に情報を収集したり、デモなどで意志表示することを制限すること。それは、国家安全保障会議設置法があらわしているように、戦争の危機をあおりながらである。これが、自民党幹事長石破茂の3.11後の社会変動に対する回答であったといえるのである。
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