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Posts Tagged ‘3.11’

最近、日本において国民国家批判を提唱した故西川長夫の晩年の著作を読んでいる。晩年の西川は、「植民地主義」という言葉をキーワードにして現代世界を考察していた。その一つが『〈新〉植民地主義』(平凡社、2006年)である。この中で、西川は、9.11の映像を見て、「平和研究」で著名なヨハン・ガルトゥング(安倍晋三とは全く違う意味で「積極的平和主義を提唱した)の次の文章を想起したと回想している。

しかしながら、ますます相互依存が深まる世界にあって、他国で行使される暴力が、たとえばテロ行為という形で、自国にもたらされる傾向は強まるであろう。そしてそのことは、搾取と抑圧という構造的暴力の二つの基本形態にもあてはまる。自然を搾取すれば、生態系が破壊される。人々を搾取すれば、アル中や麻薬、犯罪、自殺などの深刻な社会的病が発生する。国全体を搾取すれば、債務問題や貿易問題が起こってくる。そこには宿命的なものがある。「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」(「まえがき」、『構造的暴力と平和』日本語版、中央大学出版部、1991年)

西川長夫によれば、この文章は東欧とソ連の崩壊直後に書かれたもの(1990年代初頭だろう)だということだが、西川は次のように指摘している。

いまでは9・11の予告のように思えます。だが、同時にこの文章はグローバリゼーションの見事な定義になっているのではないでしょうか。キーワードは「相互依存」ですが、それは必ずしも調和的な関係ではなく、そこには「搾取」と「抑圧」という「構造的暴力」が働いている。

3.11を経験し、その淵源の一つであった福島への原発立地ということを自分なりに検討してみて、この文章は、9・11だけでなく、3・11の予告にもなっていたと思う。なぜ、福島に原発が集中して立地していたのか。それは、単純化すれば、破滅的な原発事故の可能性を前提として、東京や大阪などの日本社会の「中心」をなすところではなく、それらから遠く離れており、人口や経済も集中しておらず、事故が起きたとしても日本社会総体への影響が小さいと考えられた「過疎地」であるために建設されたのだ。しかし、3・11をふりかえってみれば、原発事故の被害は、原発があった地元にとどまるものではない。もちろん、原発がある福島地域が最も大きいのではあるが、放射性物質は、福島だけにふりかかったわけではない。本来は影響がないようにしたはずの「首都圏」でもかなりの放射性物質が降下し、ある程度の被曝が余儀なくされた。さらに、地球全体の大気や海洋も放射性物質により汚染された。そして、今でも放射能汚染は続いている。結局、ガルトゥングにならって「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」としかいいようがないのだ。

そして、今、パリで起きた連続テロ事件の報道に接してみると、またもや、ガルトゥングの先の文章が想起される。「他国で行使される暴力が、たとえばテロ行為という形で、自国にもたらされ」ているのであり、「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」としかいいようがない。私たちは、眼前から暴力や放射能のようなものを遠ざけ、自分たちとは関係がないと考えられてきた「辺境」の地にその矛盾をおしつけてきた。しかし、やはり「あなたのいうこと、なすことはすべて、いずれ自分に帰ってくる」宿命は存在しているのである。

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3.11があった2011年は、別の面でも転機となった。2011年2月、前年2010年の中国の名目GDPが日本を抜き、アメリカにつぐ世界第二位の経済大国になったことがあきらかになったのだ。最早旧聞に属するが、そのことを伝える2011年2月14日付けのウォールストリートジャーナルのネット配信記事をここであげておこう。

2011/02/14 6:13 pm ET
GDP逆転、あきらめの日本と複雑な中国

中国は昨年、日本を抜いて世界2位の経済大国に躍り出た。この歴史的な逆転を受け、アジアの2大国である両国にさまざまな感情が渦巻いている。低迷の長引く日本では内省的なあきらめムードが漂う一方、上昇中の中国は誇りに感じながらも新たな責任を背負わされかねないと警戒している。

日本政府の14日朝の発表で、長らく見込まれてきた日中逆転が公式のものとなった。2010年10-12月の実質国内総生産(GDP、季節調整済み)成長率は前期比マイナス1.1%(年率換算)だった。日本の通年のGDPは約5兆4700億ドルと、中国が1月に発表した5兆8800億ドルを約7%下回った。

両国のGDPは米国に比べると依然かなり小さい。日中合わせても、米国の14兆6600億ドルに及ばない。ただ、今回のニュースは一つの時代に終止符を打つ。1967年に西ドイツを抜いて以来ほぼ2世代にわたり、日本は確固たる世界2位の座にあった。新たな順位は世界の成長エンジンとしての中国の台頭と日本の後退を象徴している。

米国にとって、日本は経済面ではライバルだが、地政学的、軍事的な同盟国でもある。一方の中国は、あらゆる側面で対立する可能性がある。

中国の台頭は、共産党統治を正当化する主要な要因になっている。しかし、中国政府は、多くの面で貧しさの残る自国が、経済大国というマントをまとうことによって望まぬ義務を課されるのではないかと懸念もしている。最近の人民網には「中国は日本を抜いて世界2位の経済大国に-ただし2位の強国ではない」と題する記事が載った。

日本では、逆転の瞬間は長期低迷を示す新たな印ととらえられている。石原慎太郎都知事は最近、「GDPが膨張していって日本を抜くというのは当然だと思う。人口そのものが日本の10倍あるのだから」と語っている。石原氏といえば、バブル期の1989年に共著「『NO』と言える日本」を誇らしげに出版した人だ。それが今では、「日本そのものの色々な衰退の兆候が目立ち過ぎるということは残念だ」と暗い面持ちで語る。

両国での複雑な反応は、中国が多くの面でなお日本に後れているとことや、相互依存が強まっているためライバルであると同じ程度にパートナーでもあることを反映している。

中国の1人当たり国民所得はまだ日本の10分の1にすぎない。世界銀行の推計によると、中国では日本の全人口に近い1億人以上が1日2ドル未満で生活しているという。検索サービス大手、百度(バイドゥ)のロビン・リー(李彦宏)最高経営責任者(CEO)は、中国が「増大する力にふさわしい真に世界的影響力を持つ企業をいまだ生み出していないことは、まったく残念だ」と述べた。中国企業には、トヨタ自動車やソニーがまだないのだ。

一方、日本の多くの企業幹部が言及しているように、中国向けの輸出や同国からの観光客流入がなければ日本の景気は今よりさらに悪かっただろう。中国は09年に米国を抜いて日本にとって最大の貿易相手国となった。ソフトバンクの孫正義社長は、「8年後くらいに中国のGDPが日本の倍になる」との考えを示した。その上で、この事態をプラスにとらえる日本企業が増えれば、景気見通しも明るくなるとしている。
(後略)
http://realtime.wsj.com/japan/2011/02/14/%EF%BD%87%EF%BD%84%EF%BD%90%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%80%81%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E8%A4%87%E9%9B%91%E3%81%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD/

このことは、本記事の中でも「長らく見込まれてきた日中逆転」とあるように、多くの識者が予想していた。2010年に亡くなった著名な中国思想史研究者である溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』(東京大学出版会)のなかで、中国内陸部の「余剰人口」が周辺諸国の生産拠点を自分のほうに牽引し、それゆえ、日本などの周辺諸国での空洞化現象をもたらしていると述べたうえで、次のように指摘している。

このような経済関係は、これまでの日中間の歴史には見られないことである。これをどのような歴史の目で見たらいいのだろうか。少なくとも脱亜的優劣の視点では説明がつかない。また中国や日本という一国の枠組で処理できる問題ではないことも明らかである。中国大陸の内陸部における農村人口問題は、周辺国にとっては難民の発生といった次元の問題だけではなく、空洞化現象にリンクする問題として、つまり自国の経済問題として捉えられるのである。ここには市場経済のグローバル化という現代特有の状況が背景私はここに中華文明圏の力学関係の残影を考えたいと思う。日本の70年代の高度成長が80年代のニーズ圏域の経済成長をうながし、その格差が動力となって中国大陸に波及して沿岸工業地域を形成し、内陸農村部との格差を生み出した、そしてそれが内部から外部に向かって遠心的に作用しはじめた、すなわち大陸国家としての中国の周辺から始まった経済革新が周辺圏域・沿岸地域から大陸内奥部に波及し、やがて大陸内部から周辺に逆に波及しはじめたという経緯に、かつての中華文明圏における「中心ー周辺」の作用・反作用の力学的な往復関係構造を仮説的に想起してみようと思うのである(本書pp12-13)。

しかし、日本にとって、このようなことは、単に経済問題にとどまるものではない。溝口は、次のように主張している。

中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な「脅威論」から脱け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に「知」的に対処していかねばならない。
その一つとして、繰り返しになるが、これまでの近代過程を先進・後進の図式で描いてきた西洋中心主義的な歴史観の見直しが必要である。次に、もはや旧時代の遺物と思われてきた中華文明圏としての関係構造が、実はある面では持続していたというのみならず、環中国圏という経済関係構造に再編され、周辺諸国を再び周辺化しはじめているという仮説的事実に留意すべきである。とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激つづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである。現代はどのような歴史観で捉えたらいいのか、根底から考え直す必要がある(本書p16)。

もちろん、中国の名目GDPが日本を凌駕したというのは象徴的な意味しかないのだが、溝口が指摘している「これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめている」という事態を明白にさせたものといえる。逆に「優越の夢が覚めはじめている」がゆえに、時計の針を逆戻りさせようとする志向が強まっていると考えられる。よくも悪しくも、このような認識が一般化したという意味で、3.11とは別の意味で、2011年は日本にとって転機であったといえるのである。

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さて、前回、石破茂自民党幹事長が11月29日に自身のブログで「デモなどのシュプレヒコールはテロと本質的に変わらないと述べたことを紹介した。

その後、石破は自身の発言を「撤回」したと報道されている。

例えば、NHKは、次のように12月1日報道している。

石破氏 ブログの「テロ」部分を撤回の考え
12月1日 18時7分

石破氏 ブログの「テロ」部分を撤回の考え
自民党の石破幹事長は、特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモに関連し、「絶叫戦術はテロ行為とその本質であまり変わらない」とみずからのブログに書き込み、1日、表現が足りないところはおわびするとして、「テロ」という言葉を使った部分を撤回する考えを示しました。

自民党の石破幹事長は先月29日、みずからのインターネットのブログに、特定秘密保護法案に反対する国会周辺のデモに関連し、「主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は、決して世論の共感を呼ぶことはない。単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において、あまり変わらないように思われる」などと書き込みました。
これについて、石破氏は1日、富山県南砺市で講演し、「国会の周りに大音量が響き渡っているが、周りにいる人たちが恐怖を感じるような大きな音で『絶対に許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいのか。民主主義とは少し路線が異なるのではないかという思いがするが、もし表現が足りなかったところがあればおわびしなければならない」と述べました。
そして、石破氏は講演のあと、記者団に対し、「『テロだ』と言ったわけではないが、テロと同じだという風に受け取られる部分があったとすれば、そこは撤回する」と述べ、「テロ」という言葉を使った部分を撤回する考えを示しました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131201/k10013486071000.html

また、石破は、自身のブログでも、「撤回」を本日表明している。

石破 茂 です。
 
 整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです。
 一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います。
 「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、「テロと本質的に変わらない」と記しましたが、この部分を撤回し、「本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います」と改めます。

 自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

しかし、この「撤回」は半面でしかない。北海道新聞は、NHKが報道した先の富山県の講演について、このように報道している。

絶叫デモ「恐怖与える」 講演で石破氏、規制強化も示唆(12/01 13:15、12/02 01:38 更新)

 自民党の石破茂幹事長は1日、富山県南砺市での講演で、特定秘密保護法案に反対する市民団体らのデモについて「人が恐怖を感じるような音で『絶対にこれを許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいことなのか」と述べた。石破氏は11月29日付の自身のブログで、デモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判しており、表現の自由に基づくデモをテロに例えるなどして問題視する一連の発言は反発を呼びそうだ。

 石破氏は講演で「民主主義は常に言論において行われるもので、相手に恐怖の気持ちを与えてはならない」と強調。「議会において整然と討論がなされるべきものだ。そういう点で、民主主義とは少し路線を異にするのではないかという思いがする」と述べた。

 石破氏は講演後、記者団に対し、自身のブログ発言について「(デモを)テロと同じと見たというふうに受け取られる部分があるとすれば、そこは撤回をさせていただく」と釈明。だが一方で「一般人に対して大音量など有形の圧力を加えるという点においては、(テロに)相通ずるものがあると思う」とも強調した。さらに「規制のやり方に問題があると思う」とも述べ、デモに対する規制強化の必要性も示唆した。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/507525.html

この報道のほうが、石破の真意を伝えているといえる。石破は、デモをテロと同じとした点については「撤回」した。しかし、「「一般人に対して大音量など有形の圧力を加えるという点においては、(テロに)相通ずるものがあると思う」とも強調した。さらに「規制のやり方に問題があると思う」」と記者団に話している。いうなれば「テロでなかろうがデモは規制する」ということになる。彼のブログの表現によれば、「整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても」かまわないが、「一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような」デモは規制するということになろう。

しかし、デモなどで、自らの主張を「大音量」で述べないデモなどありうるだろうか。拡声器を使わなくても、多くの参加者がコールすれば、「大音量」となる。どのような形で主張しても、それは「言論・表現」の自由である。石破の発言は、デモ全般をなんらかの形で規制するということなのだ。最早、「特定秘密保護法案」だけの問題ではないのである。

思うに、これが、自民党幹事長石破茂が出した、3.11後の社会変動に対する回答なのだと思う。3.11において、東北や関東圏の住民を中心に多くの人びとは、民主党政権による福島第一原発事故による情報隠蔽に直面した。メルトダウンは隠蔽され、スピーディによる放射能影響予測は公表されず、事故の規模の矮小化がなされた。その過程で、多くの人が無用の被ばくをした。

それに対して、自主的に情報を集め、それを広げていこうとする営為がさかんになってきた。高価で操作も易しくない線量計を購入して自らの周辺の放射線量をはかる人、マスコミが垂れ流す情報を精査し、状況を自ら分析する人、しぶる役所をつきあげて情報提供をさせる人などが多くなった。本ブログもささやかながら、その一環であると思っている。

他方で、政権に対して、有効な事故対策と脱原発を求める運動が展開するようになってきた。金曜抗議行動は、単に官邸前や国会前だけでなく、全国各地で起こっている。デモや集会もさかんになってきた。特定秘密保護法案反対デモが「大音量」というが、今のところ、参加者は多くて1万人くらいである(もっと多くなることを望んでいるが)。一昨年や昨年の反原発デモや抗議行動のほうがはるかに規模が大きかった。

3.11以前、不満はあっても、自ら情報収集したり運動に参加する人びとは少なかった。しかし、3.11以後、人びとは、自らの生存を保障するために、行動するようになった。それは、他方で、当時の民主党政権への不信にもつながっている。国は、決して人びとを守ることはしない、自ら情報を収集し、自ら声をあげることによって、ようやく、それを確保することができるという思いがそこにはあったといえよう。少しでも「風通しのよい社会」をつくるということは、自らの生存にかかわることなのであった。

一昨年、昨年の人びとの活動は、もちろん、当時の民主党政権に向けられたのであって、当時野党であった自民党に直接向けられたものではない。しかし、自民党議員たちは、このような人びとの動きに恐怖を感じていたのであろう。石破は自身のブログで「一般市民に畏怖の念を与えるような手法」と書いている。彼らにとって、人びとが自ら行動することは恐怖の対象であったことがはしなくも暴露されている。

そのために、「特定秘密保護法案」があり、今回の石破の「デモ規制」発言があるといえる。3.11後にさかんになってきた、人びとが自主的に情報を収集したり、デモなどで意志表示することを制限すること。それは、国家安全保障会議設置法があらわしているように、戦争の危機をあおりながらである。これが、自民党幹事長石破茂の3.11後の社会変動に対する回答であったといえるのである。

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さて、前回のブログで、11月23日に福島県楢葉町を踏査したことを述べた。その後、海岸線を南下し、広野町をぬけて、いわき市に入った。

いわき市の小名浜地区には、アクアマリンふくしまという水族館がある。2000年に開館した水族館で、私も10年ぐらい前に行ったことがある。この水族館は、小名浜港にあり、3.11においては、津波により、多大な被害を蒙った。Wikipediaには、次のように書かれている。

東日本大震災[編集]
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では揺れによる建物への損傷こそ殆ど無かったが、巨大な津波が施設の地上1階全体を浸水させこれにより9割の魚が死亡した。
その後は自家発電装置で飼育生物の生命維持装置である濾過装置などを稼働していたが、日動水の支援もあり3月16日にセイウチなど海獣を中心とした動物を他の水族館や動物園へ緊急移送(避難)させた。
トド、セイウチ、ゴマフアザラシ、ユーラシアカワウソなどの海獣、ウミガラスなどは鳥類は鴨川シーワールドと伊豆三津シーパラダイスへ、カワウソが上野動物園に、ウミガラスが葛西臨海水族園など。ただしバックヤードに収容されるため基本的に展示は行われない[10][11][12]。また、2011年4月1日にはメヒカリやガーといった魚類がマリンピア日本海に避難した[13]。
拠出用のクレーンに自家発電装置用の備蓄燃料である軽油を消費したが、交通網の遮断に加えて立地するいわき市北部が福島第一原発事故による屋内退避基準の半径30kmに含まれる関係もあり、燃料と餌の調達は困難であった。その後漁港の機能がマヒし、アザラシなどの海獣やカニなどの海洋生物・両生類・鳥類など約700種の餌も入手できず、最後に残った小型発電機の燃料を使い果たし水の管理が出来なくなったため海洋生物20万匹が全滅したことが3月25日に判明した[11]。
また施設内のWebサーバーも被災のため公式サイトが一時不通となり、3月16日頃に「マリンピア日本海」の公式サイトで被害状態などの惨状が掲載された。
7月15日、震災以来4ヶ月ぶりに営業を再開した[14]。同日は、7月16日(土)・17日(日)・18日(月、海の日)の週末3連休の前日で、当館の開館記念日にあたる。震災後に生まれ、「きぼう」と名付けられたゴマフアザラシが注目を集めている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%B5%E3%81%8F%E3%81%97%E3%81%BE

この被災について、ここではWikipediaの記事から引用したが、3.11直後、ときどきマスコミにこの水族館の状況は報道されていた。大型動物は移送されたが、9割もの飼育されていた生物が死滅したということである。

今回、行ってみて驚いたのは、この水族館が十年前の記憶と全く同じであったことである。もちろん、津波によって流されていないないモダンな水族館建屋自体が変わっていたわけはない。しかし、内装まで全く同じなのだ。

アクアマリンふくしま(外観)

アクアマリンふくしま(外観)

例えば、ヒトデなどの海洋生物にふれあうことができるタッチプールという施設を十年前にみたが、今も存在しており、ほとんど記憶通りなのである。

タッチプール

タッチプール

また、「潮目の海」とネーミングされた大水槽は、津波によって親潮と黒潮の界をなしていたアクリル板が壊れるなど、かなり被災したはずだが、その痕跡を見ることはできない。

潮目の海(大水槽)

潮目の海(大水槽)

館内で、パブリックな形で3.11における被災についてふれている掲示としては、入口にあるこのパネルくらいである。ただ、提携水族館との協力や、放射線問題についてふれているコーナーでは多少3.11の痕跡をみることができるのであるが。

アクアマリンふくしま再開のパネル

アクアマリンふくしま再開のパネル

もちろん、これは、アクアマリンふくしまが「復興」しようとした努力の結果であるといえる。しかし、3.11による被災は、Wikipediaの記事をみるように、アクアマリンふくしまの歴史にとって、非常に大きなものであった。そして、十年前と同様な形で再開したこと自体が、館にとって大きなことであったに違いない。しかし、そのことをはっきりと明示した展示物は館内にはないのである。

そして、アクアマリンふくしまのサイトにも、全く3.11の痕跡はみられない。「アクアマリンふくしまの復興日記」というブログがあったようだが、このブログは閉鎖され、過去の記事は非公開となっている。

このように、アクアマリンふくしまは、3.11における被災という事実を館内から消失させようと努めているといえるのである。

しかし、館の外には、津波の痕跡を示す記念物がある。津波によるがれきを集めてつくられた「がれき座」という「舞台」があり、津波により破壊された大水槽のアクリル板によってプレートがつくられている。

がれき座

がれき座

がれき座プレート

がれき座プレート

がれき座のプレートには、次のような言葉が記されている。

がれき座
〜私たちの海をよみがえらせる〜

その日、アクアマリンふくしまは、津波の中にあった。このアクリル板は黒潮と親潮をへだてる厚さ6cmのアクリル板の破片です。
MARCH 11、M9の地震は黒潮と親潮の「潮目の海」の2000トンの大水槽にも津波を起こし、巻き起こった大波が仕切り板を破壊し突破した。親潮の魚が黒潮の魚が仕切り板を越えて交流していた。
外のアスファルトさえも波打って裂け目ができた。アスファルトをはがして、がれきの津波をつくった。
アクリル板を「がれき座」の舞台の看板にして、私たちの海をよみがえらせる祭りの場とする。
        アクアマリンふくしま 館長 安部義孝

つまり、館内で消し去った津波の「痕跡」である大水槽の「アクリル板」を使って、館外に3.11の「記憶の場」を設置したということになる。

アクアマリンふくしまにおける3.11の記憶の問題は、複雑である。アクアマリンふくしまの館内においては、3.11の痕跡はほとんど消失させられている。それは、サイトやブログまで及んでいる。そして、ちょっと奇異に感じるくらい、3.11以前の水族館が「再現」されている。3.11は消し去りたいという心性がそこに働いているのではないかとも思う。

しかし、他方で、3.11を記憶しなくてはならないという心性もまた存在する。それが、館外のがれき座という形で表現されているのであろう。

水族館「内部」での3.11の記憶の消去と、水族館「外部」における3.11の記憶の場の設置。これは、「復興」における地理的格差の暗喩ともみえる。アクアマリンふくしまのある小名浜港においては、3.11の痕跡はほとんど目立たなくなっている。しかし、おなじいわき市でも久之浜や豊間などは、がれきが片付いただけで復興はすすんでいるとはいえないのである。

いわき市豊間周辺

いわき市豊間周辺

もっといえば、楢葉町・富岡町など、居住や立ち入り自体が制限されたところもある。そういう所では、3.11の記憶をいやがおうでもつきつけられているのである。

3.11の記憶は、このように複雑なものである。3.11をなかったものにしたいとする心性と、記憶しなくてはならないとする心性は、水族館アクアマリンふくしまの中でもせめぎあっている。このせめぎあいの中から、「歴史」意識が生まれてくるのではなかろうか。

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