さて、本日は、2003年に東京都教育委員会が、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を定め、都立学校の現場で国旗掲揚・国歌斉唱を強力に指導するようになった経緯をみていくことにする。
2003年10月23日の東京都教育委員会にて、「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」という通達案議が出された。その別紙として「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」が規定されている。まず、この通達案全文をみておこう。
入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について
東京都教育委員会は、児童・生徒に国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する度を育てるために、学習指導要領に基づき入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきた。
これにより、平成12年度卒業式から、すべての都立高等学校及び都立盲・ろう・養護学校で国旗掲揚及国歌斉唱が実施されているが、その実施態様には様々な課題がある。このため、各学校は、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について、より一層の改善・充実を図る必要がある。
ついては、下記により、各学校が入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱を適正に実施するよう通達する。
なお、「入学式及び卒業式における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について」(平成11年10月19日付11教指高第203号、平成11年10月19日付11教指心第63号)並びに「入学式及び卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の指導の徹底について」(平成10年11月20日付10教指高第161号)は、平成15年10月22日限り廃止する。
記
1 学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
2 入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。
3 国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。
別紙
入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針
1 国旗の掲揚について
入学式、卒業式等における国旗の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する。
(2) 国旗とともに都旗を併せて掲揚する。この場合、国旗にあっては舞台壇上正面に向かって左、都旗にあっては右に掲揚する。
(3) 屋外における国旗の掲揚については、掲揚塔、校門、玄関等、国旗の掲揚状況が児童・生徒、保護者その他来校者が十分認知できる場所に掲揚する。
(4) 国旗を掲揚する時間は、式典当日の児童・生徒の始業時刻から終業時刻とする。
2 国歌の斉唱について
入学式、卒業式等における国歌の取扱いは、次のとおりとする。
(1) 式次第には、「国歌斉唱」と記載する。
(2) 国歌斉唱に当たっては、式典の司会者が、「国歌斉唱」と発声し、起立を促す。
(3) 式典会場において、教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する。
(4) 国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行う。
3 会場設営等について
入学式、卒業式等における会場設営等は、次のとおりとする。
(1) 卒業式を体育館で実施する場合には、舞台壇上に演台を置き、卒業証書を授与する。
(2) 卒業式をその他の会場で行う場合には、会場の正面に演台を置き、卒業証書を授与する。
(3) 入学式、卒業式等における式典会場は、児童・生徒が正面を向いて着席するように設営する。
(4) 入学式、卒業式等における教職員の服装は、厳粛かつ清新な雰囲気の中で行われる式典にふさわしいものとする。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/kohyojoho/reiki_int/reiki_honbun/g1013587001.html
この議案をみると、国旗国歌法制定(1999年8月)に先立つ1998年にはすでに入学式・卒業式で日の丸・君が代を扱う通達が出されていたことがわかる。1999年に選出された石原慎太郎都知事の前任者青島都知事の時代である。そして、1999年にも通達が出されている。残念ながら、これらの内容については不明である。それに、これら以前から何らかの通達が出されていたかもしれない。
特徴としては、まず、学習指導要領に基づき、入学式・卒業式で国旗掲揚・国歌斉唱を行うものとしているということである。ただ、学習指導要領よりもはるかに細かく入学式・卒業式の形式まで規定している。その上で、「国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること」と、この入学式・卒業式の国旗掲揚・国歌斉唱は校長の職務命令によって教職員に実施させるものであり、従わない場合は処分することを明示している。このブログで以前とりあげたように、国旗国歌法制定時の国会審議において、有馬朗人文相は、学習指導要領によって学校の入学式・卒業式で国旗掲揚・国歌斉唱を行わせるが、職務命令による実施やそれにそむいた場合の処分は最後の手段にしたいとしていた。
この通達案を教育委員会に提起する際、指導部長(近藤精一)から説明があった。その説明によると、すでに入学式・卒業式の実施指針は存在していたが、それをさらに細かく規定したということである。説明をみていると、現場では「フロア形式」にするとか、教職員がTシャツを着用するとか、いろいろと抵抗していたらしい。そのため、細かく入学式・卒業式の儀式内容を規定することになったとしているのである。
【指導部長】 それでは、入学式及び卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施につきましてご報告いたします。
この間、東京都教育委員会では、児童・生徒に国旗及び国歌に対して、一層正しい認識を持たせまして、それらを尊重する態度を育てるために、学習指導要領に基づいて入学式及び卒業式を適正に実施するよう各学校を指導してきたところでございます。特に、平成11年10月には、入学式、卒業式における国旗、国歌の指導についての通達を出すなどいたしまして、各学校に対し、指導の徹底を図ってきたところでござ
います。
こうしたことによりまして、平成12年度の卒業式から、校長先生方のご努力によりまして、すべての都立学校におきまして、国旗掲揚及び国歌の斉唱が実施されたわけでございます。
しかしながら、その実施形態につきましては、様々な課題があることを、この教育委員会や、また議会、都民の方々から指摘されているところでございます。
そこで、この国旗の掲揚及び国歌の斉唱の実施につきまして、より一層改善、充実を図る必要があるため、本年7月9日に、教育庁内に都立学校等卒業式・入学式対策本部を設置いたしまして、この間、鋭意検討を進めてまいりました。
このたび、この対策本部における国旗掲揚及び国歌斉唱の適正実施についての方針を通達としてまとめましたので、ご報告をさせていただきます。
それでは、通達についてご説明いたしますが、お配りいたしております資料の枠囲いの部分をご覧いただけるでしょうか。
通達は、大きく三つに分けて示してございます。この部分については読ませていただきます。
1、学習指導要領に基づき、入学式、卒業式等を適正に実施すること。
2、入学式、卒業式等の実施に当たっては、別紙「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」のとおり行うものとすること。
3、国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること。
以上が通達の本文でございますが、別紙といたしまして、実施指針を示してございます。
その下に書いてございますが、指針は、やはり大きくは3点示しているわけでございます。
一つは、国旗の掲揚について、一つは、国歌の斉唱について、一つは、会場設営等についてでございます。
それぞれにつきまして、これまでの実施指針を大きく変更した部分等を中心にご説明させていただきます。
まず 1の国旗の掲揚についてでございますが これにつきましては 1 に 「舞台壇上」とございますが、この部分を新たに挿入してございます。これは、正面という概念を明確にするためでございます。
(2)では、都旗について示してあるわけでございますが、これまでは都旗については触れてございませんでしたので、新たに加えたものでございます。
そして2番目の国歌の斉唱についてでございますが、これは(3)の式典において教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱することと、(4)の国歌斉唱は、ピアノ伴奏等により行うことを新たに加えてございます。
3番目の会場設営についてでございますが これにつきましては (1 )から( 4 )まですべて新たに加えたものでございます。
( 1 )から( 3 )までは会場の設営について示してこれまでもご指摘されてきているところでございますが、儀式的行事としてふさわしくないフロア形式等の卒業式が見られたということから、この3点を挙げているわけでございます。
そして(4)には、服装について新たに示してございます。これは、昨年のこの委員会でもご報告させていただきましたが、卒業式にTシャツを着て参加するという教員がいたということからも、こうしたことを加えているわけでございます。
恐れ入りますが、2枚目をご覧いただけるでしょうか。
ただいまご説明いたしました通達実施につきましては、本日付でお示した公文書をもって各都立学校長に通達をいたします。
なお、あわせて区市町村教育委員会に対しては、写しを添えて通知いたす予定でございます。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/gijiroku/1517teirei.pdf
一方、この通達案について、教育委員の一人から賛成演説があった。次に紹介しておきたい。
【委員長】 かつて11年に一度通達をしたわけですけれども、形態としていろいろあるということなので、そのことについて改めて通達をしたいということです。
何かご質問ございますか。
【委員】 本当に手取り足取り一々こういう通達を出さなければいかんということは本当に情けない話です。企業もそうですが、当たり前のことが、あるいは決まりがきっちりと行われなかったときに、必ず企業はつぶれるようなことがあるのです。学校もそうだと思います。学校も同様に崩壊していくと思います。こういう当たり前のことが当たり前に行われないということが一番大きな問題なのです。
この間もあるアメリカの友人と話したのですが、松井選手は何であんなにアメリカの人たちに尊敬されているかということなんです。アメリカの国旗・国歌のときに、彼が本当に真摯なまなざしで、形でもって相手方の、アメリカの国旗・国歌に対して敬意を表しているんです。その後にホームランを打ったので、みんなスタンディングオベーションになったのです。もし、あのときに松井選手が何もしないで、あるいは芝生に座ったままでいて、それでホームランを打っても、彼の名前というのは上がらなかっただろうということをその友人は言っています。本当にアメリカ人はそういうような姿勢で見ている。要するに、日本の自分の国の国歌とか国旗に関して敬意を表さない者は、このグローバル化した社会の中で尊敬されるはずがないのです。たまたまそういうような話がアメリカの友人からありましたので、紹介しました。
本当に情けない話だけれども、地域の人たち、市民の人たちにも、学校はこういう実態なんだということで協力を求めるという姿勢も大切です。私の感想として申します。
【委員長】 残念ですけれども、またこういう通達を出さなければならないということになりましたが、ひとつ市民の皆さん方にも協力していただくようにお願いする以外にはない。十分PRをお願いいたします。
【委員】 それから市区町村の教育委員会に対しても、きちっと徹底したことをやっていただきたい。そういうところをあいまいにすると、やはりそれが当たり前と思ってしまうのです。ぜひ、お願いしたいと思います。
【委員長】 今のお話のようなことを十分やっていただきたいと思います。よろしくどうぞお願いいたします。ありがとうございました。http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/gaiyo/gijiroku/1517teirei.pdf
教育委員長が早稲田大学総長だった清水司だったことはわかるが、委員の氏名はわからない。もしかすると、国旗国歌に熱心だった米長邦雄かもしれない。この「演説」の内容は三点からなっている。第一点は、とりあえず「決まり」を守らないと学校は崩壊していくということである。第二は、アメリカ大リーグで活躍した松井秀喜を例にして、グローバリズムの中でアメリカで日本人が活躍していくためには、国旗・国歌に敬意を示すことが必要であるいうことである。第三点は、学校をただしていくためには、地域の市民にも協力をよびかけなくてはならないということである。
そして、この通達案は東京都教育委員会によって了承され、即日、都立高等学校長、都立盲・ろう・養護学校長に通達された。この通達が、現在の東京都教育委員会の国旗国歌対策の源流となっているのである。
ここまで、2003年に東京都教育委員会が「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱に関する実施指針」を出す経過についてみてきた。この経過の中で印象深いのは、やはり、教育委員某の「賛成演説」であろう。
日の丸・君が代は、よくも悪くも、近代日本国家によって歴史的につくられてきた国家のシンボルである。日の丸・君が代に反対するということは、国旗・国歌一般について反対することと同義ではない。天皇主権のもとに思想の自由もなく侵略に民衆が駆り出されていった日本の近代国家の記憶のゆえに、その象徴としての日の丸・君が代は反対されてきたのである。逆にいえば、日本の近代国家のあり方をトータルに肯定しようとする人びとにおいては、日の丸・君が代は当然のごとく護持されてきたといえる。
この教育委員某の賛成演説は、日の丸・君が代が歴史的にさまざまな評価を加えられてきたことを無視している。日本の近代国家をトータルに肯定するという論理すら一顧だにされない。ここでは、歴史的な経過とは無関係に、グローバリズムの下でアメリカで成功するためには、アメリカにおいて国旗・国歌に敬意が表されていることを理解しなくてはならず、そのために日本でも国旗・国歌に敬意を表することを教えなくてはならないとしているのである。言い換えれば、アメリカの国旗・国歌に敬意を表するために、日本の国旗・国歌にも敬意を払わなければならないということになる。これ自身、まるで倒錯しているといえよう。
そして、現在、日の丸や君が代の扱いをみると、伝統的な形で扱われているとはいえない。少し前は、官庁でも学校でも個人でも、祝日に日の丸は掲揚された。ゆえに祝日は「旗日」とよばれていた。現在、官庁や議会は、ほとんど常に日の丸を掲揚している。ああいう扱いは、むしろ、アメリカにおける国旗の扱いに淵源するだろう。そういった意味で、現状の国旗・国歌の扱いは「アメリカ」化なのではなかろうか。
そう考えてくると、この教育委員某の発言は、非常に意味深長である。「アメリカ」化(もちろん、ここでいう「アメリカ」とは、「大国」の典型でしかなく、民主主義国と理解されているわけではないが)するために、日の丸や君が代などの歴史的に形成された国家のシンボルを歴史的文脈とは無関係に援用しようとしていることになろう。そして、いわば、「アメリカ」化を志向すればするほど、日の丸・君が代などの過去の歴史的な国家のシンボルはより強制されるのである。
白井聡氏は『永続敗戦論』(太田出版 2013年)の中で、「敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は『永続敗戦』と呼ぶ」と指摘している。この教育委員某によって表出されている論理は、この「永続敗戦」の別ヴァージョンの論理といえる。日本社会の対米従属は、日本社会の「アメリカ」化志向を生むにまでいたった。その中で、「アメリカ」化するために、日の丸・君が代を護持しなくてはならないという倒錯的な論理をうむことになった。むろん、この「アメリカ」化とは、日本側が自己の願望を映し出した鏡像にすぎない。自己がめざすべき「大国」としてのアメリカしかみていないのである。この大国化の論理こそ、戦前の日本近代国家に淵源するものなのである。
日の丸・君が代の強制は、単に戦前への復古とみるべきではない。もちろん、戦前の大国化の論理を前提としつつ、現在の大国としてのアメリカへのミメーシスという倒錯的な論理もそこには存在している。このようなことが、『NOと言える日本』(盛田昭夫と共著、1989年)を書いた石原慎太郎都知事のもとでおきていたのである。
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