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3.11があった2011年は、別の面でも転機となった。2011年2月、前年2010年の中国の名目GDPが日本を抜き、アメリカにつぐ世界第二位の経済大国になったことがあきらかになったのだ。最早旧聞に属するが、そのことを伝える2011年2月14日付けのウォールストリートジャーナルのネット配信記事をここであげておこう。

2011/02/14 6:13 pm ET
GDP逆転、あきらめの日本と複雑な中国

中国は昨年、日本を抜いて世界2位の経済大国に躍り出た。この歴史的な逆転を受け、アジアの2大国である両国にさまざまな感情が渦巻いている。低迷の長引く日本では内省的なあきらめムードが漂う一方、上昇中の中国は誇りに感じながらも新たな責任を背負わされかねないと警戒している。

日本政府の14日朝の発表で、長らく見込まれてきた日中逆転が公式のものとなった。2010年10-12月の実質国内総生産(GDP、季節調整済み)成長率は前期比マイナス1.1%(年率換算)だった。日本の通年のGDPは約5兆4700億ドルと、中国が1月に発表した5兆8800億ドルを約7%下回った。

両国のGDPは米国に比べると依然かなり小さい。日中合わせても、米国の14兆6600億ドルに及ばない。ただ、今回のニュースは一つの時代に終止符を打つ。1967年に西ドイツを抜いて以来ほぼ2世代にわたり、日本は確固たる世界2位の座にあった。新たな順位は世界の成長エンジンとしての中国の台頭と日本の後退を象徴している。

米国にとって、日本は経済面ではライバルだが、地政学的、軍事的な同盟国でもある。一方の中国は、あらゆる側面で対立する可能性がある。

中国の台頭は、共産党統治を正当化する主要な要因になっている。しかし、中国政府は、多くの面で貧しさの残る自国が、経済大国というマントをまとうことによって望まぬ義務を課されるのではないかと懸念もしている。最近の人民網には「中国は日本を抜いて世界2位の経済大国に-ただし2位の強国ではない」と題する記事が載った。

日本では、逆転の瞬間は長期低迷を示す新たな印ととらえられている。石原慎太郎都知事は最近、「GDPが膨張していって日本を抜くというのは当然だと思う。人口そのものが日本の10倍あるのだから」と語っている。石原氏といえば、バブル期の1989年に共著「『NO』と言える日本」を誇らしげに出版した人だ。それが今では、「日本そのものの色々な衰退の兆候が目立ち過ぎるということは残念だ」と暗い面持ちで語る。

両国での複雑な反応は、中国が多くの面でなお日本に後れているとことや、相互依存が強まっているためライバルであると同じ程度にパートナーでもあることを反映している。

中国の1人当たり国民所得はまだ日本の10分の1にすぎない。世界銀行の推計によると、中国では日本の全人口に近い1億人以上が1日2ドル未満で生活しているという。検索サービス大手、百度(バイドゥ)のロビン・リー(李彦宏)最高経営責任者(CEO)は、中国が「増大する力にふさわしい真に世界的影響力を持つ企業をいまだ生み出していないことは、まったく残念だ」と述べた。中国企業には、トヨタ自動車やソニーがまだないのだ。

一方、日本の多くの企業幹部が言及しているように、中国向けの輸出や同国からの観光客流入がなければ日本の景気は今よりさらに悪かっただろう。中国は09年に米国を抜いて日本にとって最大の貿易相手国となった。ソフトバンクの孫正義社長は、「8年後くらいに中国のGDPが日本の倍になる」との考えを示した。その上で、この事態をプラスにとらえる日本企業が増えれば、景気見通しも明るくなるとしている。
(後略)
http://realtime.wsj.com/japan/2011/02/14/%EF%BD%87%EF%BD%84%EF%BD%90%E9%80%86%E8%BB%A2%E3%80%81%E3%81%82%E3%81%8D%E3%82%89%E3%82%81%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%A8%E8%A4%87%E9%9B%91%E3%81%AA%E4%B8%AD%E5%9B%BD/

このことは、本記事の中でも「長らく見込まれてきた日中逆転」とあるように、多くの識者が予想していた。2010年に亡くなった著名な中国思想史研究者である溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』(東京大学出版会)のなかで、中国内陸部の「余剰人口」が周辺諸国の生産拠点を自分のほうに牽引し、それゆえ、日本などの周辺諸国での空洞化現象をもたらしていると述べたうえで、次のように指摘している。

このような経済関係は、これまでの日中間の歴史には見られないことである。これをどのような歴史の目で見たらいいのだろうか。少なくとも脱亜的優劣の視点では説明がつかない。また中国や日本という一国の枠組で処理できる問題ではないことも明らかである。中国大陸の内陸部における農村人口問題は、周辺国にとっては難民の発生といった次元の問題だけではなく、空洞化現象にリンクする問題として、つまり自国の経済問題として捉えられるのである。ここには市場経済のグローバル化という現代特有の状況が背景私はここに中華文明圏の力学関係の残影を考えたいと思う。日本の70年代の高度成長が80年代のニーズ圏域の経済成長をうながし、その格差が動力となって中国大陸に波及して沿岸工業地域を形成し、内陸農村部との格差を生み出した、そしてそれが内部から外部に向かって遠心的に作用しはじめた、すなわち大陸国家としての中国の周辺から始まった経済革新が周辺圏域・沿岸地域から大陸内奥部に波及し、やがて大陸内部から周辺に逆に波及しはじめたという経緯に、かつての中華文明圏における「中心ー周辺」の作用・反作用の力学的な往復関係構造を仮説的に想起してみようと思うのである(本書pp12-13)。

しかし、日本にとって、このようなことは、単に経済問題にとどまるものではない。溝口は、次のように主張している。

中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な「脅威論」から脱け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に「知」的に対処していかねばならない。
その一つとして、繰り返しになるが、これまでの近代過程を先進・後進の図式で描いてきた西洋中心主義的な歴史観の見直しが必要である。次に、もはや旧時代の遺物と思われてきた中華文明圏としての関係構造が、実はある面では持続していたというのみならず、環中国圏という経済関係構造に再編され、周辺諸国を再び周辺化しはじめているという仮説的事実に留意すべきである。とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激つづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである。現代はどのような歴史観で捉えたらいいのか、根底から考え直す必要がある(本書p16)。

もちろん、中国の名目GDPが日本を凌駕したというのは象徴的な意味しかないのだが、溝口が指摘している「これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめている」という事態を明白にさせたものといえる。逆に「優越の夢が覚めはじめている」がゆえに、時計の針を逆戻りさせようとする志向が強まっていると考えられる。よくも悪しくも、このような認識が一般化したという意味で、3.11とは別の意味で、2011年は日本にとって転機であったといえるのである。

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たぶん、2011年は、二つの意味で日本社会のターニングポイントになったと評されることであろう。一つは、2011年3月11日の東日本大震災とそれによる福島第一原発事故である。そして、もう一つは、中国のGDPが日本のそれを追い越し、中国が世界第二の経済大国となったということがあきらかにされたことである。

ここでは、後者のことをみておこう。次に日本経済新聞が2011年1月20日にネット配信した記事を掲載する。

中国GDP、世界2位確実に 日本、42年ぶり転落
10年2ケタ成長
2011/1/20 11:00 (2011/1/20 13:32更新)

 【北京=高橋哲史】中国国家統計局は20日、2010年の国内総生産(GDP)が実質で前年比10.3%増えたと発表した。年間の成長率が2桁になったのは07年以来、3年ぶり。公共投資や輸出がけん引し、世界的な金融危機の後遺症から抜け出せない日米欧とは対照的な高成長を実現した。名目GDPが日本を抜いたのは確実で、日本は42年間にわたり保ってきた世界第2位の経済大国の地位を中国に譲る。

 10年10~12月期のGDPは実質で前年同期比9.8%増だった。

 10年のGDPは国際比較に用いられる名目ベースで39兆7983億元。1~9月はドル換算で中国が日本をわずかに下回ったが、10~12月期を加えた通年では逆転したとみられる。

 大和総研の試算によると、中国の10年の名目GDPはドル換算で5兆8895億ドル。日本が中国と肩を並べるには内閣府が2月14日に発表する10年10~12月期の名目GDPが前期比27%増になる必要があり、「10年の日中逆転は確実」(熊谷亮丸チーフエコノミスト)になった。同社の推計では日本の10年の名目GDPは5兆4778億ドルで、中国を約4000億ドル下回る。

 中国の高成長の原動力となったのは、公共事業を柱とする投資だ。10年の都市部の固定資産投資(設備投資や建設投資の合計)は前年比24.5%増。伸び率は09年の30.4%を下回ったが、引き続き高水準を保った。景気刺激策に伴う公共事業の拡大が生産を刺激し、経済全体を押し上げた。

 10年3月までは成長を押し下げる要因だった外需も、年央から急速に回復している。10年の輸出額は31.3%増の1兆5779億ドルに達し、09年に続きドイツを抜いて世界一になったもよう。低めに抑えられた人民元相場が輸出を後押しし、経済成長を支える構図は大きく変わっていない。

 10年の社会消費品小売総額(小売売上高)は18.4%増。新車販売台数が32.4%増の1806万台と2年連続で世界一になるなど、個人消費は堅調に推移した。ただGDPに占める消費の割合は4割弱にとどまり、7割の米国、5割強の日本に比べなお小さい。中国政府は「投資、外需、消費のバランスの取れた成長」をスローガンに掲げ、消費の拡大を最重要課題と位置付けている。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1905R_Q1A120C1000000/

すでに、2010年のGDPにおいて、中国は日本を追い越した。そして、それがあきらかになったのは、2011年1月であり、3.11の直前のことであった。3.11の衝撃によって、一時あまり意識されなくなったが、その時の衝撃は大きかったといえる。

なぜなら、日本が世界第二ーアジアでは第一の経済大国であるということは、東アジアにおける日本の威信の源泉であったからである。すでに、中国史研究者の溝口雄三は、2004年に出版された『中国の衝撃』の中で、「中国の農村問題と日本の空洞化現象は、明らかにリンクしている問題である以上、われわれはこれを一面的な『脅威論』から抜け出して、広い歴史の視野で国際化し、また広い国際的視野で歴史化し、対立と共同という緊張関係に『知』的に対処していかねばならない」と指摘し、近代化過程における西洋中心主義的な先進ー後進図式からの脱却と、中華文明圏ー環中国圏という関係構造の持続に注目しながら、「とくに明治以来、中国を経済的・軍事的に圧迫し刺激しつづけてきた周辺国・日本ー私は敢えて日本を周辺国として位置づけたいーが、今世紀中、早ければ今世紀半ばまでに、これまでの経済面での如意棒の占有権を喪失しようとしており、日本人が明治以来、百数十年にわたって見てきた中国に対する優越の夢が覚めはじめていることに気づくべきである」と主張した。溝口によれば、近代以降、日本は中国に優越していると意識してきたが、経済面での優位の喪失は、そのような意識の現実的基盤が失われることを意味するだろうとしているのである。これは、まったく、予言的な発言であったといわざるをえない。

今、翻って、第二次安倍政権の政策展開を回想してみると、中国の台頭による東アジアでの日本の優位性の喪失への「対抗」としての側面が非常に強いと感じられる。経済的優位の喪失は、経済ではなく政治的・軍事的優位によって代替えしようという志向につながった。尖閣諸島・竹島などの国境線における強硬姿勢、戦前の侵略問題や靖国神社参拝さらに従軍慰安婦問題などの歴史問題における緊張関係の醸成は、中国・韓国などの「介入」を許さないという形で、象徴的に日本の優位性を確保しようという試みにほかならない。そして、日米同盟を強調しつつ(ただ、このこと自体が日米摩擦の原因になっているが)、解釈改憲・明文改憲によって、「平和主義」を放棄し、「積極的平和主義」の名のもとに、自衛隊による軍事介入を進めようとしていることは、まさに軍事的な優位を確保しようという動きといえよう。もちろん、このような動きは、戦後一貫して自由民主党などに存在していた。しかし、この動きが、自由民主党内部ですら戸惑いの声があがるほど加速しているのは、アジアにおいて、経済的優位に変わる政治的・軍事的優位を確保しようする、いわば換言すれば、政治的・軍事的な手段によってアジアにおける「大国」としての地位を維持しようという焦燥感に根ざしているのではなかろうか。

他方で、アベノミクスの名の下に、再び「高度経済成長」が可能であるという「幻想」をふりまきつつ、実際には、生活保護費・年金の削減や消費増税などを行い、資本蓄積の最適化をめざしている。安倍政権や経団連にとって、今や「世界の工場」となっている中国と比較すると、労働者賃金においても、社会福祉を中心とした税負担においても、環境保護対策においても、資本蓄積における日本のコストは高すぎると感じられているのだろう。そして、彼らからすれば、現状においては、日本企業においてもコストの低い中国に生産拠点を移転することが合理的なのであり、もし、日本の「空洞化」を阻止するのであれば、中国なみにコストを下げることが必要なのだと思っているに違いない。もちろん、これも、グローバリゼーション化において、「新自由主義」という形で、日本だけではなく、全世界でみられることである。先進資本主義国から、コストの安い新興国に生産拠点が移され、空洞化した先進資本主義国において、国内における「コスト」削減ー賃金・社会保障・教育など広範囲の分野でーをはかる新自由主義は世界のどころでもみることができる。ただ、この動きが、3.11以降、日本国内で加速していることも事実である。この動きのなかでは、かなり高い経済成長を続けて世界第二位の経済大国となった中国への「対抗」が強く意識されているとみることができる。

第二次安倍政権は、第一次安倍政権も含めた歴代保守政権の政策志向を受け継いでいる。改憲論、平和主義の放棄、歴史修正主義、経済成長推進、社会保障切り捨て、等々。しかし、これらの志向が、既存の国際秩序への軋みも考慮せず、国内での社会的反発も等閑視して進められていくことは、これまでなかったことである。そのような「加速」の背景として、中国が世界第二の経済大国となり、日本がアジアにおける優位性を主張できなくなったことへの焦燥感があると考えられるのである。そして、これは、政権内部だけでなく、日本社会の多くの人びとが意識的もしくは無意識的に共有していることなのではなかろうか。むしろ、このような共通感覚にささえられて、大国主義的な第二次安倍政権が存在しているともいえよう。

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