今年、福島・宮城・岩手県などの被災地では、多くのひまわりが植えられた。私は、もちろん、それほど被災地でのひまわりを見ていないが、インターネットで検索してみると、被災した多くの自治体や学校などで、ひまわりを植える活動を多くみることができる。さらに、ひまわりの種やプランターなどを被災地に送る運動もある。加えて、他県からきてひまわりを植えるボランティア活動すらあるようである。
もちろん、その一つが、福島県飯館村や伊達市などにおいて、放射性セシウムを除染することを期待してのことであることは言を俟たない。しかし詳しくは後述したいのだが、ひまわり植栽は放射性セシウムをほとんど吸着しないことが報道されている。さらに、そもそも、チェルノブイリ周辺において、除染効果を期待して植栽されているのはナタネであり、ひまわりではないようなのである。
他方、特別に放射性セシウムの除染が課題ではない、宮城県・岩手県の津波被災地にもひまわりを植える運動が生じている。そう考えてみると、そもそも、放射性セシウムの除染とは無関係に、ひまわりを植栽することが津波被災地で一般化していると思われるのである。
そこで、まず、私が見た、石巻市市街地におけるひまわり植栽からみてみよう。私は、7月26日に石巻市市街地を訪れた。石巻市市街地も津波に襲われたところであるが、立町大通りなどの目抜き通りは、概して原形を保った建物が多かった。その一つで、立町大通りに面して建てられている「あいプラザ・石巻」(社会福祉施設)の門前に、ひまわりが植えられている多くのプランターがあったのである。
今、石巻市関係のサイトをみると、さまざまなところに、ひまわりが植えられているようだが…。そこにはひまわりのプランターが多く集められており、突出していた。東京工業大学真野研究室が作成した『石巻まちあるきマップ』でも、わざわざ、あいプラザ石巻前に赤い破線でかこって「ヒマワリ」という表示がなされている。
このひまわりのプランターには、寄贈した人の名と住所が書かれていた。この写真は、あいプラザ石巻のブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/iplaza0294/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=1)に掲載されたものである。これなどは、カリフォルニアの人が寄贈しているようである。
そして、私の行った7月後半には、次のような花を咲かせていた。あいプラザ石巻のブログでは、「すべてのひまわり達が、きれいに花を咲かせてくれますように そして、石巻が少しでも明るくなりますように」(2011年7月27日)と書かれていた。いわば、ひまわりが花を咲かせることについて、石巻市が明るくなっていくことの象徴としてとらえられているのである。
このブログには、「このひまわり達は、ゴールデンウイークにボランティアの方や地域のみなさんに植えていただいたもので、たくさんのパワーが詰まったひまわりなんです。」(2011年6月9日)とあり、あいプラザ石巻のスタッフではなく、他地域からのボランティアや地域住民によって植栽されたものであることがわかる。中でも、他地域からのボランティアが率先して、ひまわり植栽を行ったようである。例えば、8月13日、神戸新聞は、次のような記事をネット配信している。
佐用出身の女性 石巻に希望のヒマワリ咲かせる
広大なヒマワリ畑で知られる兵庫県佐用町出身の女性が、東日本大震災で被災した宮城県石巻市にヒマワリの花を次々に咲かせている。故郷を染めた黄色い大輪を思い、「被災地の希望となって」と願いを込める。(若林幹夫)
被災直後から現地入りしたボランティア団体「め組JAPAN」の井上さゆりさん(26)=東京都。佐用町海内出身で、100万本以上を咲かせる旧南光町にある三土中学校にも通っていた。
東京で看護師をしていた井上さんは震災のあった3月12日、現在の実家がある大阪市内に向かう途中、ボランティアとして被災地入りを目指す知人に出会った。佐用町が大きな被害を受けた一昨年の県西・北部豪雨では、当時取り組んでいた植林ボランティアが多忙で、すぐに駆け付けられなかった。このときの後悔もあり、石巻には被災5日後に入った。
混乱の中、避難所の把握や支援のニーズ調査を始め、物資配給や家屋に入った泥のかき出しなどにも取り組んだ。復興へ少しずつ歩み始めた5月、「泥だらけの町に彩りを取り戻したい」とヒマワリを植え始めた。
まだがれきが残り、ほかのボランティアからは「石巻のためになるのか」と批判も受けたが、インターネットで活動を知った佐用町出身の女性から南光のヒマワリの種約1キロが届いた。
何よりの励ましになった。全国から数万粒の種が集まり、賛同する仲間と街角や道路の中央分離帯に植え、被災者にも配った。芽が出て少しずつ成長する様子に「勇気をもらえる」と被災者が喜んでくれた。
井上さんは体調を崩したこともあり、7月いっぱいで被災地での活動を終えた。名残惜しいが、「種が取れ、また来年も花を咲かせてくれると思う。復興を発信する何より強いメッセージになると信じています」と話していた。
【特集】東日本大震災
(2011/08/13 13:32)
インターネット上では、被災地にひまわりを植える運動が多数紹介されており、石巻も多い。ゆえに、この団体だけではない。ただ、とりあえず、「『泥だらけの町に彩りを取り戻したい』とヒマワリを植え始めた。」、「『種が取れ、また来年も花を咲かせてくれると思う。復興を発信する何より強いメッセージになると信じています』と話していた。」という意識ではじめたことは、その他の団体にも共通していると思う。「ひまわりで町に彩りを戻すこと」は「復興」を発信するとボランティア側は考えているのだ。そして、それは、独り善がりではなく、「芽が出て少しずつ成長する様子に『勇気をもらえる』と被災者が喜んでくれた。」と、被災者側にも共有されていたといえる。
ここであげられているボランティア団体「め組JAPAN」のブログ(http://maketheheaven.com/megumijapan/?page_id=32)の7月17日の記事をみてみよう。、
【SEEDS OF HOPE班】
活動概要:平和への祈り、復興への祈りを花に託し、世界同時でスタートした希望の種蒔きプロジェクトです。被災地では、地元の人と一緒にひまわりを植え、その成長を見守っています。
活動場所:
作業人数:鹿妻7人+牡鹿18人
活動内容:牡鹿鮎川公民館でひまわり苗植え
鹿妻小学校の花壇整備、種蒔き
素晴らしい花壇ができました。花壇の周りをブロックで囲み、粉炭と培養土を混ぜ、種を植えれる状態にし、みんなで植えて来ました。
明日は炭を粉末にする為、炭を砕く作業と8月1の川開きに駅前で並べるひまわり探しをしに小学校を回る。
【EM・竹炭班】
活動概要:
活動場所:地区
作業人数:
活動内容: 鹿妻小学校でひまわりの手入れ
「平和への祈り、復興への祈りを花に託し、世界同時でスタートした希望の種蒔きプロジェクトです。被災地では、地元の人と一緒にひまわりを植え、その成長を見守っています。」ということで、平和と復興を祈願することを目的としていることがわかる。しかも、この日、この団体では45名石巻に滞在したが、そのうち25名が、この活動に参加している。つまりは、ボランティア人員の半分以上を、ひまわり植栽に費やしているのである。
石巻市における、このひまわり植栽には、福島県での放射性セシウム除染や、岩手県の一部で期待されている塩害除去などは一切想定されていない。より海辺に近い、石巻漁港前の大通りの中央分離帯にひまわりを植える際には、わざわざEM菌という菌をまいて、塩害除去をはかってから、ひまわりを植栽しているのである。
まさに、復興の象徴としてのひまわり植栽であり、文化的意味のみをもっているのである。そして、かなりの労力が、このひまわり植栽に費やされているのである。
さらに、ひまわり植栽には、1995年の阪神・淡路大震災の記憶を前提とした、鎮魂という意味も含まれている。次回は、宮城県気仙沼市・南三陸町などを中心とした、「鎮魂」の象徴としてのひまわりをみていこう。
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