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Posts Tagged ‘特定秘密保護法案’

前回、東京大学法学部教授長谷部恭男が、どのような理由で特定秘密保護法案に賛成しているかを紹介した。ここでは、長谷部の『憲法とは何か』(岩波新書、2006年)を手がかりにして、そのようなさん賛成論の背景にある憲法観をみていきたい。

まず、この本を一読すると、多くの人は自民党などの改憲論を批判したものとして受け取ることと思われる。実際、確かに明示的に憲法を改正することについてこの本では批判している。そのため、なぜ、改憲を志向すると考えられる安倍政権によって推進されていた特定秘密保護法案に長谷部が賛成したのかと疑問を持った方もおられると思われる。ただ、今回では、長谷部の改憲論批判は別の機会にまわすこととし、とりあえず、この本で長谷部が展開している憲法論を私なりに理解していきたい。

長谷部にとって、立憲主義とは、互いに相違し矛盾しあう多様な価値観を信奉しあう人たち同士の対立をおさえ、多様な価値観を認めて共存する社会を作り上げる仕組みとして、まず認識されている。そのためには、まず、社会を私的領域と公的領域に分離しなくてはならないのである。その上で、私的領域においては、人びとがそれぞれの価値観に基づいて、自由に生きることが保障されるべきだと考えている。

さて、問題は公的領域である。公的領域においては、特定の価値観・世界観が独占して、対立する価値観を駆逐するようなことをさけなくてならない。そのことについて、長谷部は、ハーバーマスの「公共性」概念を批判しながら、このように言っている。

筆者は討議が公共の利益について適切な解決を示すには、論議の幅自体が限定されることが必要であるとの立場をとっている。逆にいうと、社会全体の利益に関わる討議と決定が行われるべき場(国・地方の議会や上級裁判所の審理の場が典型であろう)以外の社会生活上の表現活動では、そうした内容上の制約なく、表現の自由が確保されるべきである。(本書p77)

長谷部によれば、マス・メディアの報道の自由、批判の自由は、一般の表現の自由と違って「生まれながらにして」保障されるものではない。政治的プロセスがよりよく果されるために保障されているとしている。その意味で、報道の自由というものは、長谷部によれば、公的領域に属しているといえる。それゆえ「論議の幅自体が限定される」ことも、長谷部の発想からいえばありうることであろう。

もちろん、長谷部の考えから離れていうならば、公的領域も、本来、国民主権を前提とするならば、その決定プロセスに対する関与が保障されるべきであり、その意味で情報も最大限保障されるべきということもいえるだろう。しかし、そういう考えは、長谷部のものではない。長谷部にとって、現状の議会制民主主義が前述の立憲主義を成立させる上で最善のものである。そして、この議会制民主主義の対抗物として、ファシズムと共産主義をあげている。この二つは、両者とも、議会における討議を通じて公益をはかることを否定し、「反論の余地を許さない公開の場における大衆の喝采を通じた治者と被治者の自同性を目指す」(本書p46)とし、さらに、そのことを通じて国民の同一性・均質性が達成されるとしている。そして、この二つの体制について「直接的な民主主義を実現しうる体制」とするシュミットの見解を紹介している。しかし、長谷部にとって、「直接的な民主主義」によって国民の同一性・均質性が強制され、国民の多様性が破壊されることが、立憲主義の破産を意味するといえる。その意味で、「直接的な民主主義」は、長谷部にとって、制限されなくてはならないものといえる。

このような憲法論が、特定秘密保護法案への長谷部の賛成意見の背景にあったといえる。彼にとって、公的領域における論議の幅は制限すべきものであった。それには、議会制民主主義が最適であり、ファシズムにせよ、共産主義にせよ、これらの「直接的な民主主義」は、立憲主義の原則から排除されるべきものであった。特定秘密保護法案反対論の背景には、情報を最大限公開して、主権者である国民についても、政治的プロセスに参加させるべきという考えがあるといえるが、長谷部は、全く、そう考えないのである。報道の自由、批判の自由は、表現の自由などとは別の次元に属すものであり、公的領域での政治プロセスをよりよく機能させるものなのである。長谷部が特定秘密保護法案に賛成した背景として、以上のようなことが指摘できよう。

長谷部の議論を読みながら思ったことだが、長谷部の中には、「民衆」への恐れと蔑視があるといえる。彼にとって、「直接的な民主主義」とは、ファシズムか共産主義という「全体主義」をめざすものでしかない。長谷部にとって、「多様な価値観」で共生することを保障するものは「議会制民主主義」でしかない。民衆の政治参加は、結局「喝采」にとどまってしまうのである。特定秘密保護法案については、法の内容も、制定経過も、民意無視としかいえないのであるが、そのような民意による政治への介入は抑制しなくてはならないとする長谷部にとっては、あれでも「正常」なのであろう。

他方、公的領域と私的領域を分けるという長谷部の議論についても、問題をはらんでいる。私的領域における自由の獲得も、公的領域での議論と当然ながら関連していたといえる。現状の私的領域での自由も、公的領域における戦い(イギリス革命、アメリカ革命、フランス革命、自由民権運動など)によって得られたものである。例えば、表現の自由は、別に私的領域の中でのみ問題にされていたわけではない。公的領域における報道・批判の中でむしろ成長していったものといえる。そして、現状でも、報道の自由と表現の自由は相関連しているのである。

そして、私的個人の問題も、公的領域に無関係ではない。例えば、生活保護にしても、年金にしても、介護保険にしても、その当事者個人にとっては死活問題である。ブルジョワ民主主義の黎明期のイデオロギーである「公私」の問題は、もちろん、現状においても重大な問題であるが、単純に公私分離を固定して考えるべきことではないといえる。

ただ、逆にいえば、新自由主義の時代に適合的な議論ともいえる。長谷部は、フィリップ・ハビットの見解を紹介して、このように述べている。

 

国家の置かれた状況の変化は、国家目標にも影響すると考えるのが自然であろう。ハビットは、国民総動員の必要性から解放された冷戦後の国家は、すべての国民の福祉の平等な向上を目指す福祉国家であることを止め、国民に可能な限り多くの機会と選択肢を保障しようとする市場国家(market state)へと変貌すると予測している。そうした国家は、社会活動の規制からも、福祉政策の場からも撤退をはじめ、個人への広範な機会と選択肢の保障と引換えに、結果に対する責任をも個人に引き渡すことになる。(本書p56)

福祉国家の時代では、私的個人の生存も公的領域ではかるべきとされていたといえる。まさに、新自由主義における福祉政策や社会活動への規制の撤廃は、私的個人の生存を公的領域ではかろうとする営為を否定するもので、公的領域と私的領域をより切り離すことになろう。こうなってみると、立憲主義の前提として長谷部が考えている「公私分離」は、新自由主義によって達成すべき目標ともいえるだろう。このように、長谷部の「特定秘密保護法案」への賛成意見の背景には、多くの重大な問題があるのである。

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前からこのブログで述べているように、12月6日、特定秘密保護法が成立した。この法については、世論調査では多くの人びとが反対もしくは慎重審議を求めていた。また、多くの法律家や学者・文化人たちも多くの反対声明を出している。政府とその与党である自民・公明党だけが賛成している法律のなのである。

このような特定秘密保護法案についての反対が渦巻く中で、東京大学法学部教授長谷部恭男は、11月13日に衆議院国家安全保障に関する特別委員会に出席し、参考人として特定秘密保護法案に賛成する意見を述べている。いわゆる学者の中で、これほどはっきり賛成意見を述べているのは少数派に属する。ここでは、長谷部の賛成意見をみておこう。

冒頭で長谷部はこのように述べている。

まず第一に、そもそもこの日本という国には特別の保護に値する秘密など存在しない、そういう立場も理論的にはあり得るとは思いますが、余り常識的な立場ではないだろうと思われます。そして、そうした特別な保護に値する秘密、これを政府が保有しているという場合には、みだりに漏えい等が起こらないよう対処しようとすることには高度の緊要性が認められますし、それに必要な制度を整備すること、これも十分に合理的なことであり得ると考えております。ほかの国でも、御案内のとおり、類似の制度は少なくございません。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/027418520131113012.htm

長谷部のこの発言は、政府においては秘密保護が必要である、ゆえに「特定秘密保護法」は成立しなくてはならぬということに換言できるだろう。これは、よく自民党などが「特定秘密保護法」の必要性を主張するときに使っている論理である。ここには二つの問題点があろう。第一に、すでに国家公務員法などで公務上の秘密は保護されているが、なぜ新しい法律を作ってまで、新たな保護措置をとらなくてはならないのかということである。第二に、言論・出版などの表現の自由は基本的人権であり、これらの基本的人権については「公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(日本国憲法第十三条)とされているが、そのような基本的人権の尊重と「公共の福祉」を比較して検討しようとする姿勢が欠けていることである。特に、第二の点が重要である。かりに政府における秘密保護の必要性が「公共の福祉」とされた場合でも、それは、基本的人権を最大限に尊重するという背反する義務の中で比較されなくてならない。言論・出版の自由などの基本的人権を擁護することが本則であり、政府の秘密保護ということは、必要性があるにせよ、最小限の例外にすべきことなのではなかろうか。長谷部の賛成意見においては、基本的人権の尊重ということを明示的にみることができないのである。

次に、長谷部は、このように言っている。なお、ここでは、例示として独占禁止法をあげているところを省略しておいた。

それから第二に、この法案の別表の記載等によりまして、何が特別な保護に値する秘密なのか、基本的な考え方は示されているわけですが、より具体的に言って、どのような情報が特別な保護に値する特定秘密なのかがわからないではないか、よくわからない、これが批判の対象とされることもございます。

 ただ、これは、閣僚や国会議員の方々を含めまして、人はおよそ全知全能ではございませんので、何が特別な保護に値する秘密なのかをあらかじめ隅々まで確定する、これはおよそ不可能でございまして、その答えは、具体的な事例ごと、専門知識を持つ各部署で判断し、個別に指定をしていくしかない、そのことによるものではないかと考えております。

(中略)

 特定秘密につきましても事情は同様と考えることができるわけでございまして、誰が考えても特別な保護に値する情報だろう、誰が考えてもそれには当たらないだろう、そういう情報をあらかじめ例示することはできると思われますが、その他の情報、これは具体的な事例ごとに、専門知識を持つ各行政機関で的確、合理的に判断し、その都度指定をしていくしかないのではないかと思われます。いわば暗闇の中で立法者があらかじめ確定をしてしまうというわけには、なかなかいかないもののように思われます。

この議論は、かなり乱暴である。これならば、すべての法を立法時に詳細に規定する必要はなくなるだろう。特に問題なのは、この法は基本的人権を侵害するおそれがある法律であり、それゆえ、基本的人権を抑制する際において事例を限定しておかねばならないと考えられるが、逆に、特定秘密保護法案の無規定性を擁護してしまっているのである。これは、最初のことともつながるが、権利を抑制する際の規定は厳密にすべきであり、そこから漏れてしまった事例は、この法の対象外にすべきであろう。それが不都合であれば、法改正をすればいいだけの話である。はっきりいって、特定秘密保護法の対象にしなくても、公務員の守秘義務によって秘密は守られる。そもそも、基本的人権を尊重するという意識がないがゆえに、このような議論をしているといえよう。

次に長谷部はこのように議論している。

それから第三に、この法案は、ごらんのとおり、政府が保有する情報の中で、公になっていないものであって、かつ特定秘密として指定されたものにつきましては、それを漏えいする行為、あるいは漏えいを唆したり扇動したりする行為、それらを処罰の対象としております。

 ただ、世の中一般におきましては、民間の方が独自に収集をした情報でありますとか、既に公になっている情報についても、その保有が処罰の対象とされかねないという、言ってみれば、一種のホラーストーリーが流布をしております。

 もちろん、こんなことを処罰の対象にすることには私自身も絶対に反対でございますが、ただ、これはこの法案の内容とは違う話でございますので、この種のホラーストーリーも、この法案を批判する根拠には余りならないのではないかというふうに私は考えております。

確かに、本来は、政府機関の保有情報のみが保護対象とされている。ただ、その保護対象が広範で無限定である。例えば、原発警備関係もテロ関係で特定秘密保護法の対象となるとされている。原発警備が問題であるならば、核燃料の輸送も該当する可能性がある。例えば、もし、私が、原発関係者に核燃料輸送・コースなどを聞き出して、そのことを本ブログに掲載した場合、特定秘密保護法に抵触する可能性がある。こういうことは、全く杞憂ではない。私が、福井地方の原発を訪問し原発宣伝施設に入館した際、原発の取水口は撮影しないでほしいと要請されたことがある。その理由がテロ警備だった。もちろん、原発の取水口など秘密にできないものであるが、それでもテロ警備で撮影が禁止されたのである。こういうことが、たぶん横行するだろう。それこそ、今後は、原発撮影禁止の理由を聞いただけで、秘密の暴露を迫ったということになりかねない。「何が秘密なのかが秘密」なのである。

さらに、長谷部はこのように指摘している。

それから第四、それでも、この法案の罰則規定には当たらないはずの行為に関しましても、例えば、捜査当局がこの法案の罰則規定違反の疑いで逮捕や捜索を行う危険性、それはあるのではないかと言われることがございます。

 我が国の刑事司法は、御案内のとおり、捜索や逮捕につきましては令状主義をとっておりまして、令状をとるには、罪を犯したと考えられる相当の理由ですとか捜索の必要性、これを示す必要がございますので、そうした危険がそうそうあるとは私は考えておりませんが、もちろん、中には大変な悪巧みをする捜査官がいて、悪知恵を働かせて逮捕や捜索をするという可能性はないとは言い切れません。

 ただ、そうした捜査官は、実はどんな法律であっても悪用するでございましょうから、そうした捜査官が出現する可能性が否定できないということは、まさにこの法案を取り上げて批判する根拠にはやはりならないのではないか。むしろ、そうした捜査官が仮に出現するのでありましたら、そうした人たちにいかに対処するのか、その問題に注意を向けるべきではないかと考えております。

これも、かなり乱暴な議論である。人権保護の観点からいえば、このような拡大解釈の余地をなくして、不当な捜査が行われることを防ぐべきであろう。そして、悪用する捜査官がいるならばという議論を展開している。このような悪用する捜査官がいるのは、確かに脅威である。しかし、最も恐れるべきは、国家全体が組織的に不当逮捕を行うことである。むしろ、国家による人権侵害の可能性こそ、抑止されるべきものなのである。

さらに、長谷部は、次のように指摘している。

それから第五に、この法案、これは報道機関の取材活動に悪影響を及ぼすのではないかという懸念が示されることもございます。

 ただ、広く知られておりますとおり、いわゆる外務省秘密電文漏えい事件に関する最高裁の決定がございまして、これは平たく申しますと、よほどおかしな取材の仕方をしない限りは、報道機関が情報の開示を公務員に求めたからといって、処罰されることはないと言っております。

 この法案の第二十一条第二項の条文は、こうした判例の考え方はこの法案に対しても当てはまるのだ、そのことを改めて確認しているものと考えております。

 これは、報道機関に対しまして、一種、一般市民には認められないような特権を認める考え方のあらわれでございまして、報道機関の取材、報道活動、これが民主主義社会を支える重要な役割を果たす、それを根拠にするものでございます。

 ただ、この条項につきましても、具体的に言って、では誰が報道機関のメンバーと言えるかが明確ではないという批判が聞かれております。

 私自身は、これはさほど困った問題ではないと考えております。常識的に申しまして、誰が報道機関のメンバーであるか、これは大部分の場合は容易に判断できるはずでございます。

また、仮に判断の難しい事例が起こり得るといたしましても、そうした判断が求められますのは、実際に特定秘密の漏えいを唆す行為等がなされた場合でしょうから、そうした事件が実際に発生をしたときに、その具体的な状況に即して、果たしてその当事者が報道機関のメンバーと言えるのか、その行為が公益を図る目的からなされたもので、しかも、著しく不当な方法によるものと言えるかどうか、これを裁判所が個別に判断をすれば足りるのではないかと考えます。

これは、先ほど、一般の人がブログなど発信した場合、処罰されるのかということに関連している。この場合、報道機関関係者が情報を入手し発表した場合は処罰されないが、私などがブログで書いた場合は処罰されるということになるだろう。実際、米国愛国者法のもとで、アメリカでは多くのブログが閉鎖に追い込まれたそうである。著しく不公平としかいわざるをえない。

なお、この後、長谷部は、何を報道機関とするのかを今の段階で定義するのは適当ではないとしていることについて、また、「前にも申し上げましたとおり、人間は全知全能ではございませんので、あらかじめ法律の条文等でこの種の問題の結論を決め切ってしまう、それが賢明であるとは必ずしも言えないように思われます。」といっている。これが、いかに立法することの意義を阻害させるかについては、前述した通りである。さらに、情報の流通を独占的に認めさせることについて、そもそも定義していないということも、恣意的な運用の要因となりえよう。さらに、何をジャーナリストとするかについても、実際は多様である。ジャーナリストは、新聞社・テレビ局・雑誌などのマスコミに所属している者だけではない。フリージャーナリストも多く存在しており、さらには、政党機関紙の記者もいる。昨年、原子力規制委員会が日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」の記者を記者会見から排除しようとして物議をかもしていた。今後、こういうこともありうるのである。

最後に、長谷部はこのように述べている。

さらに、これが最後になりますが、こうした法律をつくること自体が、政府の保有する情報を取り扱う公務員の萎縮を招きまして、全体として報道機関の取材活動を困難にすると言われることもございます。ただ、この法案の目的がそもそも、特別な保護を必要とする政府保有情報に関しまして特に慎重な取り扱いを求めようとするものでございますので、慎重な取り扱いをしているということは、悪く言えば萎縮をしているということになるのかもしれません。ただそれだけのことのようにも思えるわけでございます。

 つまり、この問題は、そもそも日本という国には特別な保護に値する政府保有情報があるのかないのかという、冒頭の問題に戻っていくことになります。そんな情報はないという立場も理論的にはあり得ないわけではないとは思いますが、私は、それは余り常識的な立場ではないと考えております。

まあ、単純にいってしまえば、長谷部は、公務員の秘密保全を厳格するのが目的であって、その結果、報道機関の取材活動が困難になってもかまわないと主張しているのである。そして、長谷部は、冒頭の問題にもどって、厳格に保護しなくてはならない政府の秘密情報があるのは常識だと指摘しているのである。

ここで、また、私たちも最初の問題に戻らなくてはならない。そもそも、今までより厳格に秘密をなぜ保護しなくてはならないのかということ、そして、そのことが認められるとしても、基本的人権の尊重義務と比較して検討されているということである。

長谷部は、NHKが11月28日に配信した「視点・論点 特定秘密保護法案」においても、衆議院の意見陳述と同様の意見を述べた上で、最後に、このように指摘している。

つまり、この問題は、そもそも日本という国には、特別な保護に値する政府保有情報はあるのかないのか、という冒頭の問題に戻っていくことになります。国民の生命や財産の安全よりも知る権利の方が、いつも必ず大切だと、言い切ってしまっていいのかという問題です。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/174326.html

この文章のほうが、より長谷部の主張が明確に表現されているといえよう。長谷部にいわせれば、政府保有情報の保護は「国民の生命や財産の安全」にかかわる問題であり、「知る権利」はそれを超えて主張すべきものではないというのである。人権よりも、政府保有情報の保護を優先する論理ということができよう。

この長谷部の主張は、彼の独特な人権観・憲法観に基づいており、機会があれば、そのことをみておきたい。ただ、ここでは、11月22日に表明された表現・言論の自由保護の国連特別報告者フランク・ラ・ルー(グアテマラ出身)と、健康の権利の国連特別報告者であるアナンド・グローバーによる、特定秘密保護法案に対するコメントの結論部分を再度引用して、長谷部恭男の特定秘密保護法案に対するコメントにかえておきたい。

「日本を含め、ほとんどの民主主義国は、国民の知る権利をはっきりと認識しています。例外的な状況では、国家安全保障の保護に機密性が必要になりうるとしても、人権基準は、最大限の開示という原則を常に公務員の行動指針としなければならないことを定めています」。
http://www.unic.or.jp/news_press/info/5737/

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12月6日、多くの反対や懸念を押し切って成立した特定秘密保護法案については、国連の人権担当者たちも、大きな懸念を抱いていた。11月22日、国連人権理事会から共に任命された、表現・言論の自由保護の特別報告者フランク・ラ・ルー(グアテマラ出身)と、健康の権利の特別報告者であるアナンド・グローバーは、ジュネーブで特定秘密保護法案について懸念を表明した。国連のサイトに掲載された彼らの意見表明をみておこう。

ジュネーブ(2013年11月22日) – 2名の国連の独立人権専門家は11月22日、国が保有する情報の機密指定に関する根拠と手続きを定める日本の特定秘密保護法案につき、深刻な懸念を表明しました。

表現の自由と健康の権利をそれぞれ担当する国連特別報告者たちは、法案に関する詳しい情報の提供を日本の当局に要請するとともに、その人権基準への適合について懸念があることを明らかにしました。

「透明性は民主的なガバナンスの核心をなす要件のひとつです」。表現の自由を担当するフランク・ラ・ルー特別報告者はこのように述べています。「この法案は、秘密保護について極めて広範かつ曖昧な根拠を定めるだけでなく、内部告発者、さらには機密に関して報道するジャーナリストにとっても深刻な脅威を含んでいると見られます」

ラ・ルー氏は、公務に関する秘密保護が認められるのは、重大な被害が及ぶ危険が実証でき、かつ、その被害が、機密とされた情報の閲覧がもたらす全体的な公益よりも大きい場合だけだという点を強調し、次のように述べました。

「当局が秘密保護の必要性を確認できる例外的な場合でも、当局の決定を独立機関が審査することは不可欠です」

ラ・ルー特別報告者は、情報の漏えいについて法案が定める罰則について、特別の注意を喚起し、「誠意により、公的機関による法律違反や不法行為に関する機密情報を漏らした公務員は、法的制裁から守られるべき」であることを強調しました。

「その他、ジャーナリストや市民社会の代表を含め、それが公益にかなうという信念から、機密情報を受け取ったり、拡散したりした個人も、それによって深刻な被害という差し迫った状況に個人が陥ることがない限り、制裁を受けるべきではありません」。ラ・ルー特別報告者はこのように語りました。

一方、昨年訪日し、福島第一原発事故への対応について調査したアナンド・グローバー 健康への権利に関する特別報告者は、災害時に全面的な透明性を常に確保する必要性を強調し、次のように述べました。「特に大災害の場合には、人々が自分の健康について情報に基づく決定を下せるよう、一貫性があり、かつタイムリーな情報提供をすることが不可欠です」

「日本を含め、ほとんどの民主主義国は、国民の知る権利をはっきりと認識しています。例外的な状況では、国家安全保障の保護に機密性が必要になりうるとしても、人権基準は、最大限の開示という原則を常に公務員の行動指針としなければならないことを定めています」。両特別報告者はこのように発言を締めくくりました。

以上
http://www.unic.or.jp/news_press/info/5737/

ラ・ルーはジャーナリズム擁護の観点から、グローバーは、災害時の情報の透明性を確保しようとする観点から、日本の特定秘密保護法案の問題点を指摘し、両者共に「日本を含め、ほとんどの民主主義国は、国民の知る権利をはっきりと認識しています。例外的な状況では、国家安全保障の保護に機密性が必要になりうるとしても、人権基準は、最大限の開示という原則を常に公務員の行動指針としなければならないことを定めています」としているのである。

民主主義国家においては国民の知る権利を尊重しており、情報の最大限の開示が公務員の行動指針であって、国家安全保障の保護に機密性が必要である場合も、それは例外措置であるということは、安倍政権他、この特定秘密保護法制定を推進した人びとには全く欠けた視点である。そして、見ている範囲では、国連の特別報告者たちの懸念について、安倍政権は全く考慮した形跡はないのである。結局、11月26日には、特定秘密保護法案は、衆議院を通過した。

そして、このような状況は、国連の「懸念」をより深めたと思われる。12月2日には、国連人権保護機関のトップであるピレイ人権高等弁務官が、国内外で懸念がある状況下で成立を急ぐべきではないと記者会見で述べた。朝日新聞が12月3日付で配信した記事をここであげておく。

国連人権高等弁務官「急ぐべきでない」 秘密保護法案
2013年12月3日01時37分

 【ジュネーブ=野島淳】国連の人権保護機関のトップ、ピレイ人権高等弁務官が2日、ジュネーブで記者会見し、安倍政権が進める特定秘密保護法案について「何が秘密を構成するのかなど、いくつかの懸念が十分明確になっていない」と指摘。「国内外で懸念があるなかで、成立を急ぐべきではない」と政府や国会に慎重な審議を促した。

 ピレイ氏は同法案が「政府が不都合な情報を秘密として認定するものだ」としたうえで「日本国憲法や国際人権法で保障されている表現の自由や情報アクセス権への適切な保護措置」が必要だとの認識を示した。

 同法案を巡っては、国連人権理事会が任命する人権に関する専門家も「秘密を特定する根拠が極めて広範囲であいまいだ」として深刻な懸念を示している。

http://www.asahi.com/articles/TKY201312020479.html

さて、さすがに、特定秘密保護法案制定を推進する人びとでも、国連の人権高等弁務官の発言には無関心ではいられなかった。毎日新聞2013年12月06日付東京朝刊に掲載した、自民党内の発言を伝える記事をあげておこう。

◇自民・城内氏「国連人権弁務官に謝罪させよ」

 国会の内外で高まる特定秘密保護法案への反対論に対する自民党内のいら立ちが5日朝、党本部で開かれた外交・国防合同部会で噴き出した。矛先が向けられたのは「『秘密』の定義が十分明確ではない」と特定秘密保護法案に懸念を表明した国連の人権部門のトップ、ピレイ国連人権高等弁務官。

 「なぜこのような事実誤認の発言をしたのか、調べて回答させるべきだ。場合によっては謝罪や罷免(要求)、分担金の凍結ぐらいやってもいい」。安倍晋三首相に近い城内実外交部会長は怒りをぶちまけた。ピレイ氏は2日の記者会見で「表現の自由に対する適切な保護措置を設けず、法整備を急ぐべきではない」とも語っており、議員からは「そもそも内政干渉」「弁務官という立場は失格だ」などと強硬意見が相次いだ。

 5日の合同部会は、中国の防空識別圏を中心に議論する予定だったが、党側の意向で急きょ議題に加わった。国連では従軍慰安婦問題で日本批判がたびたび持ち上がり、自民党を刺激してきた経緯もある。中堅議員は「従軍慰安婦問題でも『日本はけしからん』と検証せず発言することが少なくない」と日ごろの鬱憤を晴らした。

 国連総会が指名する弁務官への罷免要求は現実的ではない。発言を理由に分担金をカットするのも先進国の対応としてはありえない。議論は終始、脱線気味だった。
http://mainichi.jp/shimen/news/20131206ddm005010074000c.html

この中で、自民党の外交部会長をしている衆議院議員城内実は人権高等弁務官の発言を「事実誤認」としている。そればかりか、謝罪や罷免を国連に要求し、さらには国連分担金の凍結まで主張しているのである。その他の議員たちも、「内政干渉だ」とか「弁務官という立場では失格だ」とか、同様の発言をしているようである。この記事でも書かれているように、国連総会で指名した高等弁務官に罷免要求することは現実的ではないし、このような発言を理由に分担金をカットするのも先進国の対応ではありえないのだが…。これが、特定秘密保護法案を推進する人びとの感覚なのである。

そして、これは、単に安倍政権だからということではない。刑事訴訟・ヘイトスピーチ禁止・福島の健康被害など、たびたび日本政府は国連より人権上の問題点を指摘されているが、その多くにまとも答えようとはしていないのである。そして、5月22日には、日本の「人権大使」が国連の拷問禁止委員会の対日審査の席上で「笑うな、黙れ」と発言する事態が起きている。産經新聞のネット配信記事から、この状況をみてみよう。

国連で「シャラップ」日本の人権大使、場内の嘲笑に叫ぶ
2013.6.14 08:14 [外交]
 国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会の対日審査が行われた5月22日、日本の上田秀明・人権人道担当大使が英語で「黙れ」を意味する「シャラップ」と大声で発言していたことが13日までに分かった。「シャラップ」は、公の場では非礼に当たる表現。

 日本の非政府組織(NGO)によると、対日審査では拷問禁止委の委員から「日本の刑事司法制度は自白に頼りすぎており、中世のようだ」との指摘が出た。上田大使は「日本の人権状況は先進的だ。中世のようではない」と反論したところ、場内から笑いが起き、上田大使は「何がおかしい。黙れ」と大声を張り上げたという。

 委員会は、警察や国家権力による拷問や非人道的な扱いを禁止する拷問禁止条約に基づき1988年に設置された。国連加盟国の審査を担当し、対日審査は2007年に続き2回目。前回審査でも日本政府側から「(委員は)日本の敵だ」との発言が出たという。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130614/erp13061408180002-n1.htm

国内の選挙民たちを相手にする国会議員だけでなく、ある意味では国外のいろんな発言に冷静に対応しなくてはならない外交官ですら、この始末である。このような、ゆがんだ「先進国」意識を外して考えると、結局のところ、日本は「人権小国」でしかない。そして、そのことを指摘されると、国連であろうとなんだろうと激昂するというのが、現在この国を「統治」している人たちのレベルなのである。

それにしても、前のブログでアメリカ国務省のハーフ副報道官が、特定秘密保護法成立を「歓迎」するとともに、その内容については「懸念」を示していることを紹介した。この人たちは、アメリカ国務省には「抗議」をするのだろうか。知りたいものである。

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さて、自民党の石破茂幹事長は、11月29日に自身の「石破茂(いしばしげる)オフィシャルブログ」に掲載された「沖縄など」と題された文章の中で、特定秘密保護法案についてこのように主張した。

(前略)
 特定秘密保護法の採決にあたっての「維新の会」の対応は誠に不可解なものでした。自民・公明・みんなの党とともに共同修正を提案したからには、その早期成立にも責任を共有してもらわなくてはなりません。しかるに、日程を延ばすことを賛成の条件としたのは一体どういうわけなのか。質疑を通じて維新の会の主張は確認されたのではなかったのか。反対勢力が日程闘争を行うのはそれなりに理解できなくもありませんが、共同提案をしている党が日程闘争を展開するという前代未聞の光景に当惑せざるを得ませんでした。

 今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
(後略)
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/

この発言で問題なのは、後半である。石破は、「特定秘密保護法案」反対のシュプレヒコールを「絶叫戦術」とし、世論の共感をよぶことはないと批判した上で、「民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべき」と主張した。そして、「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」としたのである。

もちろん、この発言には石破一流のレトリックもあるだろう。しかし、非暴力的に行われている「特定秘密保護法案」反対のシュプレヒコールを「テロ行為」と本質的に変わらないとするのは大きな問題をはらんでいる。

なぜならば、これは、特定秘密保護法案のテロの定義にかかわるからである。特定秘密保護法案のテロの定義については、11月29日付の毎日新聞社説がこのように指摘している。

社説:秘密保護法案 参院審議を問う テロの定義
毎日新聞 2013年11月29日 02時31分

 ◇あいまいで乱暴すぎる

 国際的にも解釈の分かれる重要な論点が、ほとんど議論のないまま素通りされていることに驚く。

 特定秘密保護法案のテロリズムに関する定義である。「反政府組織はテロリストか」。国際社会では、そういった解決困難なテロの定義をめぐり、今も議論が続く。日本も国際協調しつつ、テロ対策に向き合うべきだ。だが、テロを定義した法律は現在、国内にない。法案は12条でテロを定義した。全文を紹介する。

 「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要し、又(また)は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう」だ。

 テロ活動の防止は、防衛、外交、スパイ活動の防止と並ぶ特定秘密の対象で、法案の核心部分だ。本来、法案の前段でしっかり定義すべきだが、なぜか半ばの章に条文を忍ばせている。それはおくとしても、規定のあいまいさが問題だ。

 二つの「又は」で分けられた文章を分解すると、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」「社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷」「重要な施設その他の物を破壊するための活動」の三つがテロに当たると読める。衆院国家安全保障特別委員会で、民主党議員が指摘し、最初の主義主張の強要をテロとすることは拡大解釈だと疑問を投げかけた。

 これに対する森雅子特定秘密保護法案担当相の答弁は、「目的が二つ挙げてある」というものだった。つまり、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し」「又は社会に不安若しくは恐怖を与える」がともに「目的で」にかかるというのだ。

 ならば、そう分かるように条文を書き改めるべきだ。法律は、条文が全てだ。読み方によって解釈が分かれる余地を残せば、恣意(しい)的な運用を招く。だが、委員会では、それ以上の追及はなかった。

 たとえ森担当相の答弁に沿っても、テロの範囲は相当広い。「主義主張を強要する目的で物を破壊するための活動」はテロなのか。「ための」があることで、準備段階も対象になる。原発反対や基地反対の市民運動などが施設のゲートなどで当局とぶつかり合う場合はどうか。

 もちろん、この定義に従い、すぐに具体的な摘発が行われるわけではない。だが、こんな乱暴な定義では、特定秘密の対象が広がりかねない。参院の拙速審議は許されない。
http://mainichi.jp/opinion/news/20131129k0000m070123000c.html

つまり、普通に読むと、人を殺傷したり、施設その他を破壊するということだけでなく、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要」することも、テロに該当する危険性があると毎日新聞は指摘しているのである。それに対して、森雅子担当相は、上記の部分は、人を殺傷したり、施設その他の破壊について修飾するものだと弁明した。

しかし、石破の特定秘密保護法案反対のシュプレヒコールはテロ行為と同じとした発言は、「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要」という定義に合致しているといえる。つまり、政府の主張と対立するシュプレヒコールを集会やデモで発することは、テロ行為と見なされる可能性があるのである。

その先に、どういう社会がまっているのか。すでにジャーナリストの堤未果は、4月の週刊現代に次のような記事を寄稿し、自身のブログにも掲載している。その中で、「テロとの闘い」を旗印にした米国愛国者法が施行されたアメリカを参考にしながら、この法律の危険性を警告している。

先週の週刊現代連載記事です。
昨夜のJーWAVE JAM THE WORLD でもインタビューコーナーで取り上げました。
この法律が通ったら、ブログやツイッターでの情報発信、取材の自由など様々な規制がかかるでしょう。
アメリカでも、大手マスコミが出さない情報を発信する独立ジャーナリストは真っ先にターゲットにされました。そして「原発情報」はまず間違いなく「軍事機密」のカテゴリーでしょう。

「アメリカ発<平成の治安維持法>がやってくる!」
ジャーナリスト 堤 未果

3月31日、安倍総理は今秋国会での「秘密保全法」提出を発表した。
日弁連などが警鐘を鳴らし続けるこの法案、一体どれだけの国民がその内容を知っているだろうか? 

01年の同時多発テロ。あの直後にアメリカ議会でスピード可決した「愛国者法」がもたらしたものを、今ほど検証すべき時はないだろう。 

あのとき、恐怖で思考停止状態の国民に向かって、ブッシュ元大統領はこう力説した。
「今後、この国の最優先事項は治安と国会機密漏えい防止だ。テロリスト予備軍を見つけ出すために、政府は責任を持って全米を隅々まで監視する」

かくして政府は大統領の言葉を忠実に実行し、国内で交わされる全通信に対し、当局による盗聴が開始された。それまで政府機関ごとに分散されていた国民の個人情報はまたたく間に一元化され、約5億6千万件のデーターベースを50の政府機関が共有。通信業者や金融機関は顧客情報や通信内容を、図書館や書店は貸し出し記録や顧客の購買歴を、医師達は患者のカルテを、政府の要請で提出することが義務づけられた。

デンバー在住の新聞記者サンドラ・フィッシュはこの動きをこう語る。
「米国世論は、それまで政府による個人情報一元化に反対でした。憲法上の言論の自由を侵害する、情報統制につながりかねないからです。でもあのときはテロリストから治安や国家機密を守るほうが優先された。愛国者法もほとんどの国民が知らぬ間に通過していました」

だが間もなくしてその“標的”は、一般市民になってゆく。

ペンシルバニア州ピッツバーグで開催されたG20首脳会議のデモに参加したマシュー・ロペスは、武器を持った大勢の警察によって、あっという間に包囲された経験を語る。
「彼らは明らかに僕達を待っていた。4千人の警察と、沿岸警備隊ら2千5百人が、事前に許可を取ったデモ参加者に催涙弾や音響手りゅう弾を使用し、200人を逮捕したのです」
理由は「公共の秩序を乱した罪」。
その後、ACLU(米国自由市民連合)により、警察のテロ容疑者リストに「反増税」「違憲政策反対」運動等に参加する学生たちをはじめ、30以上の市民団体名が載っていたことが暴露されている。

政府による「国家機密」の定義は、報道の自由にも大きく影響を与えた。
愛国者法の通過以降、米国内のジャーナリスト逮捕者数は過去最大となり、オバマ政権下では七万以上のブログが政府によって閉鎖されている。

為政者にとってファシズムは効率がいい。ジャーナリストの発言が制限され国民が委縮する中、政府は通常なら世論の反発を受ける規制緩和や企業寄り政策を、次々に進めていった。

ブッシュ政権下に時限立法として成立した「愛国者法」は、06年にオバマ大統領が恒久化。
その後も「機密」の解釈は、年々拡大を続けている。

日本の「秘密保全法」も、日米軍一体化を進めたい米国からの〈機密情報保護立法化〉要請が発端だ。その後、07年に締結した日米軍事情報包括保護協定を受け、米国から改めて軍事秘密保護法の早期整備要求がきた。 だが米国の例を見る限り、軍事機密漏えい防止と情報統制の線引きは慎重に議論されるべきだろう。なし崩しに導入すれば〈愛国者法〉と同様、監視社会化が加速するリスクがある。

震災直後、テレビ報道に違和感を感じた人々は、必死にネットなどから情報収集した。
だがもし原発や放射能関連の情報が国民の不安をあおり、公共の安全や秩序を乱すとして〈機密〉扱いにされれば、情報の入手行為自体が処罰対象になるだろう。 

公務員や研究者・技術者や労働者などが〈機密〉を知らせれば懲役十年の刑、取材した記者も処罰対象になる。国民は「適正評価制度」により「機密」を扱える国民と扱わせない国民に二分されるのだ。

行き過ぎた監視と情報隠ぺいには私達も又苦い過去を持ち、国民が情報に対する主権を手放す事の意味を知っている。歴史を振り返れば〈言論の自由〉はいつも、それが最も必要な時に抑えこまれてきたからだ。

(週刊現代:4月14日連載「ジャーナリストの目」掲載記事)
http://blogs.yahoo.co.jp/bunbaba530/67754267.html

ここで、特に重要なのは、このくだりである。

ペンシルバニア州ピッツバーグで開催されたG20首脳会議のデモに参加したマシュー・ロペスは、武器を持った大勢の警察によって、あっという間に包囲された経験を語る。
「彼らは明らかに僕達を待っていた。4千人の警察と、沿岸警備隊ら2千5百人が、事前に許可を取ったデモ参加者に催涙弾や音響手りゅう弾を使用し、200人を逮捕したのです」
理由は「公共の秩序を乱した罪」。
その後、ACLU(米国自由市民連合)により、警察のテロ容疑者リストに「反増税」「違憲政策反対」運動等に参加する学生たちをはじめ、30以上の市民団体名が載っていたことが暴露されている。

政府による「国家機密」の定義は、報道の自由にも大きく影響を与えた。
愛国者法の通過以降、米国内のジャーナリスト逮捕者数は過去最大となり、オバマ政権下では七万以上のブログが政府によって閉鎖されている。

つまり、政府の政策に反対する主張を行う人や団体は「テロ容疑者」に指定され、徹底的に弾圧され、多くのジャーナリストが逮捕され、数多くのブログも閉鎖させられてしまうというのがアメリカの現状なのである。石破の発言は、まさに、その危険性を明らかにしているといえよう。

すでに、アメリカでも、そのような現状を見直しすべきという声が出ている。それを紹介しているのが、The New Classicというウェブマガジンである。

国者法から12年、アメリカは新しい時代に突入した

シャットダウンに陥った一連の問題分裂したアメリカが1つになるには、NSAへの抗議活動によってかもしれない。26日、ワシントンに集まった米国政府によるオンライン監視プログラムへの抗議者の中には、リベラルなプライバシー擁護派から保守的なティーパーティー運動のメンバーまでが参加したという。この抗議活動には、数百人が集まったと言われているが、メルケル首相への衝撃的なスパイ行為が明らかになったことで、この動きは世界中に広がっていくと思われる。

愛国者法から12年
彼らが集まった日は、2001年に「愛国者法」が成立した日と同じ10月26日だった。9.11の直後にスピード可決した法案が、12年が経過したアメリカ社会に問いかけるものは大きい。

この愛国者法は、テロリストの攻撃に対応するために政府などがアメリカ国内における情報の収集に際して生じる規制を緩和するものだ。国内における外国人に対しての情報収集の制限を緩和したりすること以外にも、電話やEメール、医療情報、金融情報などへの調査権限を拡大するとともに、「テロリズム」の定義が拡大したことで、司法当局の拡大された権限が行使される場面の増加を招いている。

テロと炭疽菌事件によって混乱していたアメリカ社会においてあっという間に可決された法案は、2011年にオバマ大統領が、「愛国者法日没条項延長法(PATRIOT Sunsets Extension Act of 2011)」に署名したことでその中心的な条項は4年間延長されたのだ。

ビック・ブラザーを引き抜け
「愛国者法」に代表されるように、アメリカ社会の安全と引き換えに市民の監視を強める姿勢をジョージ・オーウェルの名作に準えるむきもある。デモには、「ビック・ブラザーを引き抜け(Unplug Big Brother)」という言葉も見えたが、これは小説『1984年』に登場する架空の人物だ。

作中の全体主義国家「オセアニア」に君臨する独裁者であるビック・ブラザーは、テレスクリーンをはじめとする手段によって、住民を完全なる監視下に置いていた。冷戦下の英米で“反共主義のバイブル”として爆発的な人気を誇った著作は、現在でも広く知られている。

日本とも無関係ではない
“共産主義と闘い”、そして“自由を具現化してきた”アメリカ政府をビック・ブラザーとなぞらえる動きは、皮肉なものだ。しかし、「愛国者法」の成立から10年以上が経過して、突如として「戦後最大の外交上の亀裂」に直面した政府にとっては、リアリティのある批判になりつつある。

彼らが今後大きな議論に巻き込まれ、そして新たな社会へと突入することは確実だろう。そのことは、アメリカをベンチマークとしながら、日本版NSCや秘密保護法の構想が現実のものとなっている日本にとっても決して無関係のことではないだろう。
http://newclassic.jp/archives/2476

このように、アメリカで批判にさらされているような制度を、「安全保障」という名目で導入しようとしているのが、今回の特定秘密保護法案といえるだろう。そのことを、石破発言は暴露してしまったのである。

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参院選において自由民主党が勝利した直後の2013年7月29日、麻生太郎副首相兼財務相は次のように語って物議を醸した。ここでは、朝日新聞8月1日付ネット配信記事で紹介しておこう。

僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。ヒトラーはいかにも軍事力で(政権を)とったように思われる。全然違いますよ。ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わないでください。
 そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパでもっとも進んだ憲法下にあって、ヒトラーが出てきた。常に、憲法はよくても、そういうことはありうるということですよ。
(中略)
だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
関連記事
http://www.asahi.com/politics/update/0801/TKY201307310772.html

この麻生の発言は、重大な事実誤認がある。1933年にナチスがドイツの政権を掌握したが、ナチスはワイマール憲法を廃止したりしなかった。同年、国会議事堂放火事件などで、共産党などの反対党を弾圧しながら(だから、「静か」ではない)、立法権を行政府に与え、その法律が憲法違反であって有効とする「全権委任法」を成立させることで、事実上の「憲法改正」をはたしたのである。

しかし、麻生の歴史認識はともかく、いまや「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」ということが、現在進行中である。解釈改憲による集団的自衛権を認めることと、特定秘密保護法案の国会上程がそれである。

思想家の内田樹は、自身のサイト「内田樹の研究室」の中で、この状況を次のように説明している。

前にも繰り返し書いてきたとおり、自民党の改憲ロードマップは今年の春、ホワイトハウスからの「東アジアに緊張関係をつくってはならない」というきびしい指示によって事実上放棄された。
でも、安倍政権は改憲の実質をなんとかして救いたいと考えた。
そして、思いついた窮余の一策が解釈改憲による集団的自衛件の行使と、この特定秘密保護法案なのである。
(中略)
特定秘密保護法案は放棄された自民党改憲案21条の「甦り」であることがわかる。
改憲草案21条はこうであった。
「出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
特定秘密保護法は「公益及び公の秩序」をより具体的に「防衛、外交、テロ防止、スパイ防止」と政府が指定した情報のことに限定した。
現実にはこれで十分だと判断したのであろう。http://blog.tatsuru.com/2013/11/08_1144.php

もちろん、事実関係については、それこそ歴史的検証が必要である(皮肉なことに特定秘密保護法案が通過すれば、それ自体今までより困難になるが)。しかし、実質的な改憲を法律によって実現しようとしているという指摘は妥当であると思われる。

例えば、10月28日の衆議院における国家安全保障に関する特別委員会で、自由民主党の小池百合子はこのように発言している。

○小池(百)委員 さて、最後に、この後、審議に入るであろう特定秘密保護の問題にもかかわってくるんですが、知る権利ということ、これをぜひとも担保せよというお話でございます。それも一つもっともだ、このように思います。

 一方で、日本は、秘密であるとか機密に対する感覚をほぼ失っている平和ぼけの国でございます。毎日、新聞に、首相の動静とか、何時何分、誰が入って、何分に出てとか、必ず各紙に出ていますね。私は、あれは知る権利を超えているのではないだろうかと思いますし、また、中には、自分は首相に近いから、そのことを見せつけるためにわざわざ総理官邸に行って書いてもらったりとか、ぜひこのレストランには来てくださいみたいな、そんなふうに使われているようなところもなきにしもあらずでございますけれども。

 各国はどうなっているのかというのをちょっと調べてみて、お手元にお配りをいたしました。

 「諸外国の首相、大統領の動静」ということで、国会図書館にお調べをいただいたんですが、余り出ていないじゃないかと思われるかもしれませんが、これは、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスの主要な新聞十五紙を調べていただいたものでございまして、結果は、いわゆる首相動静のような記事を日々掲載しているものは確認できなかったんです。

 アメリカでは、ワシントン・ポストがウエブサイトで日々のオバマ大統領の動向を掲載しているというのがあるんですが、いわゆる日本のような詳細なものはございません。そして、かつ、二〇一二年の、昨年の六月二十日を最後に更新をされていないということでございます。

 これはもう当たり前過ぎて、首相の動向、一日というのを日課にしておられる方もおられるかもしれません。海外もこのことはチェックしています。非常に日本に厳しい対応をしているある議員は、毎日これを読んで、何がどうなっているかをチェックしているということでございます。

 私は、知る権利ということもございますでしょうけれども、もう少し、何を知り、何を伝えてはいけないのかということの精査もこの後しっかりしていただきたいと思います。

 これから国家の安全保障、今回は国家という言葉がついているわけでございまして、国を守るためにはありとあらゆる事象についての危機に備えるということでございますので、ぜひともフレキシブルな機能をふんだんに発揮できるような体制をおつくりいただきたい。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

首相動静などは、新聞記者の独自取材によって書かれるもので、国家の「特定秘密」にはあたらない。しかし、このようなことを事例にあげていることが、安倍政権や自民党の本来の目標を問わず語りに語っているといえる。つまり「知る権利」を「公益」などのもとに制限するということ、それがこの法案の隠された目的といえる。確かに、安全保障を中心としているというもののーそれ自体が、アメリカに従って戦争が可能になる国家に改造するという目的があるといえるのだがー、「特定秘密」の内容がいかようにも拡大解釈可能なものとして提示されたということは、「知る権利」を一般的に制限していくことの第一歩といえる。

それをより鮮明に表現しているのは、11月8日の衆議院の国家安全保障に関する特別委員会における自由民主党の町村信孝の次の発言である。

○町村委員 ちょっと、いいのかなと思ったりもいたしますけれども、そういうお考えであれば理解をしておきます。

 最後に、十分間近く残っておりますが、この二十一条(特定秘密保護法案ー引用者注)、「この法律の解釈適用」という項目がございます。これは、知る権利であるとか、出版、報道の自由等々について書かれたものでございます。

 これは、一番最初の、八月末の原案では、報道の自由に十分配慮し、国民の基本的人権を不当に侵害してはならないという一行しか書いてありませんでしたが、自民党あるいは公明党からのいろいろな意見を反映して、現在のこの二十一条第一項、第二項という内容に充実をされてきた、こう理解をしております。

 私は、これで十分ではないかな、こう思っておりますけれども、そもそも、国民が知る権利というものは、知る権利は担保しました、しかし、個人の生存が担保できませんとか、あるいは国家の存立が確保できませんというのでは、それは全く逆転した議論ではないだろうかと思うのであります。

 やはり、知る権利が国家や国民の安全に優先しますという考え方は基本的な間違いがある、こう考えるものでありますけれども、こういう基本的な考え方について、大臣、どうお考えでしょうか。
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kaigiroku.htm

まず、誤解があるといけないので、次のことを指摘しておかねばならない。現行において、国家・地方公務員とも「守秘義務」があり、漏洩した場合罰せられる。軍事機密についても防衛省内の規定によって罰せられる。もし、「情報漏洩」が問題であるとしても、本来、これらの制度の運用や部分的手直しでもすむと考えられる。そのようなことをせず、「特定秘密保護法案」を制定しようとするということの背景には「知る権利が国家や国民の安全に優先しますという考え方は基本的な間違いがある」という意識が背景にあるといえるだろう。そして、それこそが、内田のいうように「出版その他一切の表現の自由は、保障する。2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」(自民党改憲草案第21条)と合致するといえるのである。

現憲法は、このようになっている。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
(中略)
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
(後略)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

比較してみると、第十三条で、権利一般について「公共の福祉に反しない限り」と留保されているものの、「最大限の尊重を要する」とされている。そして、集会、結社、言論、出版などの表現の自由それ自体については何ら留保されていない。いわば「権利」の尊重が主であり、公共の福祉を名目にした留保は従なのである。町村の言っていることは、その関係を逆転させているのである。

このように、静かに、誰にも知られないうちに、法律改正によって憲法が変えられていく、その第一弾が「特定秘密保護法案」ということができよう。それこそ、麻生のいうところの、「ナチスの手口」であった「全権委任法」という前例に酷似しているのである。

なお、なぜ、この法案が受け入られる素地があるのか、このことはまた別に論じてみたいと思っている。

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現在、安倍内閣は、国会に特定秘密保護法案を提出している。これに対し、いろんなところから、批判の声があがっている。恒例の官邸前抗議行動においても、多くの人が特定秘密保護法案によって原発情報が隠蔽されることを懸念するスピーチやコールが行わっている。

そして、この場で知ったのだが、福島県議会では、特定秘密保護法案について、「原発情報」が隠蔽されることを危惧し、慎重審議を求める意見書が決議されたということである。帰宅して、ネット検索してみた。実は、多くのマスコミがこの情報をネットにあげていない。ようやく、福島民友のネット配信記事をみつけることができた。次にあげておく。

「原発情報」隠蔽危惧 秘密保護法案めぐり県会意見書
 「原発の安全性に関わる問題や住民の安全に関する情報が『特定秘密』に指定される可能性がある」。安全保障上の情報保全徹底を掲げる特定秘密保護法案をめぐり、県議会は10月9日、全会一致で「慎重な対応を求める」とする首相、衆参両院議長宛ての意見書を可決した。東京電力福島第1原発事故直後、放射性物質の拡散について十分な情報開示がなされなかったことへの不信感が根強い。意見書の背景には「重要な情報がまた隠されるのではないか」との危機感がある。
 原発事故では、放射性物質の拡散を予測する「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の試算結果が、事故の初期段階で公表されず、住民の避難に生かされなかった。浪江町の一部の住民は、第1原発から放出された放射性物質が大量に流れて、放射線量がより高い地域に避難していたことが後から判明した。国が適切に公表していれば「無用の被ばく」を防げたはずだという住民たちの怒りは、今も収まっていない。
(2013年11月5日 福島民友ニュース)
http://www.minyu-net.com/news/news/1105/news9.html

ここで重要なことは、この意見書が全会一致で決議されたということである。つまりは、かなり多数いると思われる自由民主党員の福島県議会議員たちも、この意見書に賛成したのである。

そして、この意見書は、福島県議会のサイトにpdfの形でアップされている。ほとんど紹介されていないので、ここであげておこう。

特定秘密の保護に関する法律案に対し慎重な対応を求める意見書
今秋の臨時国会に政府から提出が予定されている「特定秘密の保護に関する法律案」では、「特定秘密」について、「防衛」「外交」「外国の利益を図る目的で行われる安全脅威活動の防止」「テロ活動防止」の4分野の中で、国の存立にとって重要な情報を対象としているが、その範囲が明確でなく広範にすぎるとの指摘がある。
事実、日本弁護士連合会では、憲法に謳われている基本的人権を侵害する可能性があるとして、同法案の制定に対して反対の立場を明確にしており、また、当県が直面している原子力発電所事故に関しても、原発の安全性に関わる問題や住民の安全に関する情報が、核施設に対するテ口活動防止の観点から「特定秘密」に指定される可能性がある。
記憶に新しいが、放射性物質の拡散予測システムSPEEDIの情報が適切に公開されなかったため、一部の浪江町民がより放射線量の高い地域に避難したことが事後に明らかになるケースがあった。このような国民の生命と財産を守る為に有益な情報が、公共の安全と秩序維持の目的のために「特定秘密」の対象に指定される可能性は極めて高い。
今、重要なのは徹底した情報公開を推進することであり、刑罰による秘密保護と情報統制ではない。「特定秘密」の対象が広がることによって、主権者たる国民の知る権利を担保する内部告発や取材活動を委縮させる可能性を内包している本法案は、情報掩蔽を助長し、ファシズムにつながるおそれがある。もし制定されれば、民主主義を根底から覆す瑕疵ある議決となることは明白である。
よって、国においては、特定秘密保護法案に対し、慎重な対応をするよう強く要望する。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
平成25年10月9日
衆議院議長
参議院議長あて
内閣総理大臣
福島県議会議長 斎藤健治
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/2/2509iken01.pdf

内容を簡単に概括すれば、まず、特定秘密保護法の対象が広範で明確ではなく、テロ防止の観点から原発情報が隠蔽されるおそれがあるとしている。そして、3.11直後、「放射性物質の拡散予測システムSPEEDIの情報が適切に公開されなかったため、一部の浪江町民がより放射線量の高い地域に避難したことが事後に明らか」になったケースがあったことが想起されている。その上で、このように主張している。

今、重要なのは徹底した情報公開を推進することであり、刑罰による秘密保護と情報統制ではない。「特定秘密」の対象が広がることによって、主権者たる国民の知る権利を担保する内部告発や取材活動を委縮させる可能性を内包している本法案は、情報掩蔽を助長し、ファシズムにつながるおそれがある。もし制定されれば、民主主義を根底から覆す瑕疵ある議決となることは明白である。
よって、国においては、特定秘密保護法案に対し、慎重な対応をするよう強く要望する。

この意見書は、特定秘密保護法案はファシズムにつながるとすらいっているのである。このような意見書を、自由民主党員である福島県議会議員たちも賛成したのである。

思えば、3.11直後、原発事故情報の隠蔽は、福島県だけではなく、日本全国に及んでいた。そして、それが、近年には見られなかった反原発運動の高まりにつながったといえる。もちろん、特定秘密保護法案の問題は、原発情報の隠蔽だけではとどまらない。この意見書が指摘するように「民主主義を根底から覆す」ものなのである。そして、この「民主主義」は、反原発を進めるためにも必須なのである。

現在、国会議員の多数は与党である自由民主党と公明党が握っている。民主党の対応もよくわからない。この法案が今後どうなるのか、全く不明である。しかし、一つ言わなくてはならないことは、反原発を進める前提において「民主主義」が必要であるということを、全く逆説的な形で安倍内閣が提示したということである。福島だけでもなく、自民党に投票した多くの人びとは、広い意味で原発を廃止・減少させることを求めていた。しかし、その結果登場した安倍内閣は、自民党員の意向にすら反した形で原発再稼働を進めるだけでなく、原発情報の隠蔽につながる特定秘密保護法案制定に動いているのである。

そして、そういう政治がいつまで続けるだろうか。そのことを暗示させるのが、今回の福島県議会の意見書であるといえよう。

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