Feeds:
投稿
コメント

Posts Tagged ‘天皇’

さて、話を続けよう。長谷川三千子の『神やぶれたまはずー昭和20年8月15日正午』(中央公論新社、2013年)では、折口信夫・橋川文三・桶谷秀昭・伊東静雄・吉本隆明・三島由紀夫などの思想を読み解きながら、「家族や祖国のために死ぬという理由だけではどうしても不満がまといつくのですが、天ちゃん(天皇…引用者注)のためには死ねるというのが精一杯つめて考えた実感なんです」(吉本隆明、本書p134より引用)という精神が日本国民の間にあったとしている。他方で、昭和天皇には「爆撃にたふれゆく民の上をおもひ、いくさとめけり身はいかならむとも」(本書p272)という心情があったという。長谷川によれば「かくして、大東亜戦争の末期、わが国の天皇は国民を救ふために命を投げ出す覚悟をかため、国民は戦ひ抜く覚悟をかためてゐた。すなわち天皇は一刻も早い降伏を望まれ、国民の立場からは、降伏はありえない選択であつた。これは美しいジレンマである。と同時に、絶望的な怖ろしいジレンマでもある」(本書p247)であった。その解決のために「国体護持」を条件とする無条件降伏が決断されたと長谷川は述べている。しかし、あくまでも天皇のために戦おうという意識は国民にはあり、他方で「国体護持」といっても、天皇自身が連合国に処断されない保証はなかった(なお、ここまでの叙述は長谷川の主張を短くまとめただけで、私自身はそのように考えていない)。それらの可能性を前提として、8.15に次のような場面を長谷川は夢想するのである。

…ただ真夏の太陽が明るく照りつけるのみである。丘の上には、一億の国民と将兵が自らの命をたきぎの上に置いて、その時を待つてゐる。「日常世界は一変し、わたしたち日本人のいのちを、永遠に燃えあがらせる焦土と化すであろう」、その時を待つてゐる。
ところが、「その時」は訪れない。奇蹟はつひに起こるらなかつた。神風は吹かず、神は人々を見捨てたまふたーさう思はれたその瞬間、よく見ると、たきぎの上に、一億の国民、将兵の命のかたはらに、静かに神の命が置かれてゐた…ただ、蝉の音のふりしきる真夏の太陽のもとに、神と人とが、互ひに自らの死を差し出し合ふ、沈黙の瞬間が或るのみである(本書pp277-278) 。

これは、いわば、天皇と国民の「集団自決」とでもいえるであろう。もちろん、実際にはこんなことは起きなかった。ただ、もし、これに近いことが起きれば、それは「悲劇」として意識されるであろう。しかし、長谷川はそうではないのだ。続く文章を見てみよう。

しかし、このやうな稀有の「神人対晤」の瞬間を前にしては、すべての「奇蹟」がちやらなおとぎ話になつてしまふであらう。橋川氏がいみじくも語つてゐた「イエスの死の意味に当たるもの」を大東亜戦争とその敗北の事実に求められないか、といふ課題は、ここにはたされてゐると言ふべきであらう。
「イエスの死の意味」とは(単にイエスが起してみせた数々の「奇蹟」とは違つて)まさにキリストが自らの命を差し出すことによつて、神と人との直結する関係を作り出した、といふことであつた(後略)。(本書p278)

長谷川は、神である天皇と人である日本国民が互いに命を捧げあうことによって、両者が直結する関係を作り出すことになるのだと、キリストになぞらえて説明している。悲劇ではなく、いわば「至高」な場面であるのだ。そして、長谷川は、このように言っている。

折口信夫は、「神 やぶれたまふ」と言つた。しかし、イエスの死によつてキリスト教の神が敗れたわけではないとすれば、われわれの神も、決して敗れはしなかつた。大東亜戦争敗北の瞬間において、われわれは本当の意味で、われわれの神を得たのである(本書p282)。

このように考えると、野村秋介の拳銃自殺の意味について、長谷川三千子が考えていることもわかるであろう。野村は天皇のために自らの命を犠牲にすることで、天皇を再び「現御神」にしたと長谷川は夢想しているのである。

長谷川の言っていることは、もちろん「夢想」である。しかし、「夢想」にしても、国民の「死」(野村秋介を含めて)を代償に天皇を現御神にし、そして現御神である天皇も国民のために死ぬという集団自決ともいうべき情景自体が死の影が色濃い陰惨なものにしかみえないのだ。長谷川が「夢想」する「栄光ある死」しか与えられない「日本」…。そのような「日本像」は保守的な意味でも「称揚」されるべきものなのだろうかと思うのである。

Read Full Post »

昨年、安倍政権は、「安倍晋三の応援団」を自認している哲学者の長谷川三千子埼玉大学名誉教授をNHK経営委員につけた。同時にNHK経営委員になった百田尚樹には及ばないが、彼女の言動もしばしば問題になっている。その一つに、1993年に朝日新聞が揶揄的な報道をしたと抗議している中で拳銃自殺をした右翼団体代表野村秋介を称賛した文章を、2013年10月に配布されたその追悼文集に寄稿していたということがある。このことは、テロ行為を正当化するのかなどと批判された。

その文章を、朝日新聞が2014年2月5日に配信した記事に依拠して、一部抜書してみよう。

(前略)
人間が自らの死をささげることができるのは、神に対してのみである。そして、もしもそれが本当に正しくささげられれば、それ以上の奉納はありえない。それは絶対の祭りとも言ふべきものである。

野村秋介氏が二十年前、朝日新聞東京本社で自裁をとげたとき、彼は決して朝日新聞のために死んだりしたのではなかつた。彼らほど、人の死を受け取る資格に欠けた人々はゐない。人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである。

「すめらみこと いやさか」と彼が三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは、日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あきつみかみ)であられる天皇陛下であつた。そしてそのとき、たとへその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(「人間宣言」が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである。

野村秋介氏の死を追悼することの意味はそこにある。と私は思ふ。そして、それ以外のところにはない、と思つてゐる。
http://www.asahi.com/articles/ASG256WMVG25UCVL016.html

ある意味で言論機関への暴力をはらんでいる野村の行為を正当化しているという批判は当然だと思える。ただ、それよりも目立つことは、この文章の「異様さ」である。長谷川は、野村の行為を自身の死を「神に捧げる行為」であるとし、その死により、「天皇陛下」がふたたび現御神になったというのである。そこには、「死の影」が色濃く表明されている。なぜ、ここまで「死の影」を強調するのであろうか。そして、「死を捧げる」ことで出現するという「神」とは一体なんだろうか。

この論理は、何を意味しているのか。次回、長谷川三千子の近著『神やぶれたまはずー昭和20年8月15日正午』(中央公論新社、2013年)から「読み解いて」みることにしたい。

Read Full Post »

2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝した。中国・韓国が激しく反発しただけではなく、アメリカも「失望」を表明し、EU・ロシアや国連事務総長報道官も懸念を表明するように、日本の外交的孤立を招くことになった。

靖国神社参拝には、憲法の政教分離原則についての侵犯、さらに戦争で死んだ軍人・軍属を神として祀ることで、戦争によって死ぬということを美化しているのではないかなど、さまざまな問題がある。ただ、、現状において、中国・韓国などより批判にされていることは、日本をアジア太平洋戦争開戦に導き、戦後、「平和に対する罪」などで、極東国際軍事裁判で裁判され、死刑もしくは獄中死した東条英機などのA級戦犯が合祀され、彼らも神として参拝しているということである。

さて、どのような論理で批判しているのか。例えば、中国側の批判をみてみよう。2006年12月11日、王毅駐日中国大使(当時)は、新華社「環球」誌の年末インタビューにおいて、安倍晋三首相(第一次)が、靖国神社参拝をとりやめ、日中首脳会談を実現したことを評価しつつ、靖国神社参拝問題について、次のように述べている。

周知のように、戦後中日関係が再び発展できた政治的基礎は、日本政府が戦争の侵略的性格とその責任を認め、この歴史に正しく対処することである。だがA級戦犯はかつての日本軍国主義の責任者の象徴であり、A級戦犯を美化または肯定する言動にも、中国人民はどうしても同意できないし、アジア各国と国際社会としても受け入れ難い。
http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zrgxs/t284043.htm

まず、みなくてはならないのは、とりあえず、靖国神社に首相が参拝することを問題にしているわけではないことである。中国側からいえば、A級戦犯は日本軍国主義の責任者の象徴であり、靖国神社への参拝は、彼らを美化することなのである。つまり、A級戦犯が靖国神社に合祀されていることが問題なのである。

実は、A級戦犯合祀は、戦後すぐからではない。1978年からである。それ以前は、あまり問題とされず、首相や昭和天皇も参拝していた。しかし、A級戦犯合祀は、昭和天皇に不快感を与えることとなり、以来、昭和天皇も現天皇も靖国神社参拝をとりやめた。元宮内庁長官である富田朝彦が、1988年4月28日にかきとめた昭和天皇の言葉が残っている。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E7%94%B0%E3%83%A1%E3%83%A2

文中であげられている「松岡」は松岡洋右元外相、「白取」は白鳥敏夫元駐イタリア大使、「筑波」は元靖国神社宮司筑波藤麿、「松平の子」は松平慶民(元宮内相)の子で靖国神社宮司であった松平永芳とみられる。つまり、筑波藤麿宮司はA級戦犯合祀をさしとめていたのに、松平永芳宮司は合祀を認めてしまったことに憤り、それ以来参拝していないことを「私の心」としているのである。

その上で、父親の松平慶民には「平和に強い考え」があったのに、その心を子どもは受け継がず、「親の心子知らず」と評しているのである。

この昭和天皇の発言は微妙である。結局、極東国際軍事裁判では裁かれることはなかったが、国内外に昭和天皇の戦争責任をとう声は、戦争直後もあったし、今でも存在している。それらに対して、昭和天皇は、自身の戦争責任を否定した。しかし、昭和天皇からみても、戦争を指導していたA級戦犯たちは、靖国神社でまつるべき存在ではなかったのである。そして、その判断の基軸になったのは、「平和」なのであった。昭和天皇なりの「戦後」への適応がここにはみられるといえよう。実は、このような姿勢は、中国などの批判とも相通じているだろう。

考えてみれば、当たり前のことだが、国家の命令により戦争にいって命を落とした人びとと、そのような命令を出した指導者たちがその罪をとわれて死ぬことは、同じではないのである。もちろん、戦死者の多くは軍人であって、その営為により犠牲者が出ており、さらには命令を出していた将校たちも含まれるので微妙であるのだが。それでも、権力をもっている統治者と、それに従うしかない被統治者は、同じ立場ではないのだ。

さて、それでは、安倍晋三自身は、どのように自身を弁明しているのか。12月26日に出した談話全文を、時事通信のネット記事からみておこう。

靖国神社参拝に関する安倍晋三首相の談話全文は次の通り。
 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対して、哀悼の誠をささげるとともに、尊崇の念を表し、み霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀(ごうし)されない国内、および諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。
 ご英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさをかみしめました。
 今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。
 きょうは、そのことに改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝いたしました。
 日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々のみ霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。
 同時に、二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。アジアの友人、世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。
 日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道をまい進してきました。今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。世界の平和と安定、そして繁栄のために、国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。
 靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。
 靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。
 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであったように、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。
 国民の皆さんのご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。(2013/12/26-13:41)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201312/2013122600349&g=pol

この談話にはいろいろあるが、「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。」という観点のもとに、靖国神社に合祀されている戦争犠牲者に「不戦の誓い」をするということが、全体の論理といえる。その上で、「靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足したきょうこの日に参拝したのは、ご英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。」といっている。A級戦犯と軍人・軍属の戦死者をわけていないのである。確かに、戦争犠牲者ーといっても、彼らの多くは軍人であり、彼らの営為で当然ながら死傷した人たちが数多くいたことを忘れてはならないがーの前で「不戦の誓い」をすることは理解できなくはない。しかし、A級戦犯という戦争責任者の前で「不戦の誓い」をするというのは、理解に苦しむことになるだろう。昭和天皇は、A級戦犯合祀に「平和に強い考え」がないとしているのであり、昭和天皇からみても、理解に苦しむことになろう

といっても、安倍晋三はそうは考えないだろう。彼にとって、国民は統治者であろうが被統治者であろうが「一体」であり、それがすべてなのだろう。ゆえに、靖国神社に、「戦争犠牲者」というくくりで、一般の戦死した軍人・軍属と、彼らを死地に赴かせた「戦争指導者」たちがともに合祀されても問題とは思わないのであろう。むしろ、中国・韓国を刺激し憤激させることで、それに対抗して、安倍政権と一般国民を「一体」化するということが戦略的に目指されていると考えられるのである。このことは、他方で、自身の祖父岸信介も含めたA級戦犯総体の復権にもつながっていくのである。

*執筆するにあたってWikipediaの「靖国神社問題」を参考にした。昭和天皇発言などで疑問のある方は、そちらを参照され、それでも疑問が解けない場合は、それぞれの典拠をみてほしい。なお、昭和天皇の発言は、文中で述べたように、問題をはらんでいないというわけではない。ただ、戦争責任を問われかねない昭和天皇からみてA級戦犯はどういう人たちと認識しており、安倍晋三とかなり異なった認識をもっていたことを示すために引用した。

Read Full Post »

現天皇が12月23日に80歳を迎えた。誕生日をひかえた12月28日に宮内庁で記者会見を行った。まず、冒頭の部分をみておこう。

問1 陛下は傘寿を迎えられ,平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると,戦争とその後の復興,多くの災害や厳しい経済情勢などがあり,陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や,傘寿を迎えられたご感想,そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい。

〈天皇陛下〉
80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。

戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆きずなを大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h25e.html

ここで、重要なことは、第二次世界大戦を「本当に痛ましい限り」と表現した上で、「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。」と主張していることである。これは、天皇が日本国憲法の原理である「平和と民主主義」を擁護しているといえるであろう。

これは、改憲をかかげる安倍首相とは全く相反した意見といえるだろう。例えば、天皇誕生日の前日である12月22日に、安倍首相はNHKのテレビで次のような発言をしている。日本経済新聞が12月23日に配信した記事でみてみよう。

首相「落ち着いて仕事」 長期政権に意欲
2013/12/23 0:46

 安倍晋三首相は22日夜のNHK番組で「衆院(議員)もまだ3年任期がある。日本を正しい方向へ導いていくためにも、この期間に落ち着いて仕事をしていかなければいけない」と述べた。「そう簡単には辞めるわけにはいかない」とも語り、長期政権に意欲をにじませた。

 集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更や憲法改正などには腰を据えて取り組む考えを強調したものとみられる。集団的自衛権に関して日本維新の会やみんなの党と連携したい意向を示すとともに「憲法改正は私のライフワークだ。なんとしてもやり遂げたい」とも力説した。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2201Q_S3A221C1PE8000/

安倍晋三は「憲法改正は私のライフワークだ」とまでいっているのである。天皇の意向との違いはあきらかである。

さらに天皇の発言を紹介しておこう。次の部分を読んでほしい。

問3 今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが,陛下は皇室の立場と活動について,どのようにお考えかお聞かせ下さい。

〈天皇陛下〉
日本国憲法には「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定されています。この条項を遵守することを念頭において,私は天皇としての活動を律しています。

しかし,質問にあった五輪招致活動のように,主旨がはっきりうたってあればともかく,問題によっては,国政に関与するのかどうか,判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に,また法律的に,考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合,参与も宮内庁長官始め関係者も,この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って,事に当たっていくつもりです。

実は、この発言は、日本国憲法の規定に抵触する恐れがある。下記の条文にあるように、天皇は国政に関する権能はもたず、国事に関する行為のみが許されている。しかし、今まで触れてきた発言は、あきらかに「国政」への発言を含んでいるのであり、それ自体が問題をはらんでいる。そしてまた、憲法では、国事行為においては内閣の助言と承認が必要であるとしている。何が国事行為にあたるのかということも、本来、内閣の助言と承認が必要であるはずである。にもかかわらず、天皇は、何が国事行為で、何が国政に関与する行為であるということについて、宮内庁長官や参与の意見を参考にして「判断」しているのである。

第三条  天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
○2  天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
(中略)
第六条  天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
○2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

このことは、現天皇が、厳密にいえば憲法の規定通り行動していないこと示しているといえる。しかし、それでも、現天皇は「今後とも憲法を遵守する立場に立」つと宣言しているのである。そして、本意としては「内閣の助言と承認」つまり安倍政権の天皇の行為への関与を限定的なものにしたいという意向があるといえる。

日本国憲法では「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」(前文)とし、天皇の位置については、「第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と定めている。主権者は国民であり、その総意によって天皇は「日本国の象徴」となっているのである。それゆえ、「国政の権能」はもたず、「国事行為」には、国民の代表である内閣の助言と承認が必要となっている。言うなれば、独自の政治的主体として公的に行動することは憲法上は認めていないのである。

しかし、少なくとも、現天皇は、主体的に「憲法を遵守」すると宣言している。そして、これは、私的な意見の表明ではない。国事行為と国政との境界については、宮内庁長官や参与などと協議して判断しているとしており、公的な意見の表明である。そして、この記者会見での発言を見る限り、内閣とは独立した立場なのである。非常に微妙なのだが、ある種の憲法に拘束されない立場をもつ天皇が、平和と民主主義を原理とする日本国憲法を「遵守」しているということになろう。いわば、天皇制が民主主義を護持しているのであり、「天皇制民主主義」ともいえるだろう。その意味で、実は、天皇の発言は、微妙なものである。

たぶん、この問題は、もともと内包されていた日本国憲法と天皇制の微妙な関係が、改憲をライフワークとする安倍政権の登場によって露呈されたとみることができるだろう。天皇の個々の行動が内閣の助言と承認を得たものではなくても、それらがおおむね内閣の方針と食い違うものでなければ、このよう問題は表面化しない。しかし、安倍政権と現天皇の憲法に対する見解が食い違ってくると、この問題に矛盾が内包されているが露呈されてくることになるのである。

そして、より微妙なのは、安倍政権は自民党を中心とした政権であり、自民党は昨年4月に「日本国憲法改正草案」を発表していることである。この草案では、現在の憲法前文にはない、次のような表現がなされている。

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される(後略)
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm#0

そして、草案第一条では「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とし、草案第六条第四項では「天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う。ただし、衆議院の解散については、内閣総理大臣の進言による」としている。天皇を元首化するとともに、内閣の関与を「助言と承認」から「進言」とトーンダウンさせている。天皇の立場をより権威化しようとしたものといえる。しかし、安倍政権自体は、現天皇の意向とは矛盾した方向性をとっている。より矛盾が深まっているといえよう。そして、このことは、安倍政権が意図しない形で、「戦後政治」の見直しにつながっていくのではないかと考えられるのである。

Read Full Post »

山本太郎参院議員が園遊会において福島原発事故について訴えた手紙を天皇に手渡した「事件」の決着が11月8日についた。そのことを伝える毎日新聞のネット配信記事をみておこう。

山本太郎氏処分:天皇の「政治利用」議論深まらず 
毎日新聞 2013年11月08日 23時49分(最終更新 11月08日 23時56分)

 秋の園遊会で山本太郎参院議員(無所属)が天皇陛下に原発事故の現状を訴える手紙を手渡した問題は8日、山崎正昭参院議長が山本氏を厳重注意し、皇室行事の出席を禁止する処分を伝え、ひとまず決着した。与野党は前例のない山本氏の行動を「非常識な行為」と位置付けたものの、調整は「懲罰」に傾き、政治的に中立な天皇の「政治利用」に関する論議は深まらなかった。

 「参院議員として自覚を持ち、院の体面を汚すことがないよう肝に銘じて行動してほしい」

 山崎氏は8日昼、国会内に山本氏を呼び、こう諭した。山本氏は「猛省している」と陳謝した。これまでに山本氏は手紙を手渡した理由として、福島第1原発事故に関して「子供たちの健康被害、原発作業員の労働環境の実情を伝えたかった」と述べ、「政治利用ではない」と釈明していた。

 憲法は国民主権を原則としており、4条で「天皇は国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と定めている。しかし、山本氏の行動は原発事故対応という政治課題に天皇陛下を巻き込んだともいえ、「文書を手交すること自体が政治利用ではないか」(石破茂自民党幹事長)との批判が浮上。自民党からは自発的辞職を求める強硬論も出ていた。

 ただ、前例のない事態のため、政治利用に該当するかどうかまで踏み込んだ議論に至らないまま、結論までに1週間を要した。参院議院運営委員会の理事会では「憲法などに照らして懲罰には値しない」(共産党)として、厳罰処分には慎重な意見もあった。

 皇室の政治利用を巡っては、これまでも議論が続いてきた。高円宮妃久子さまの9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会への出席や、天皇陛下が出席する形で4月に安倍政権が開いた「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」は、いずれも政権の意向や要望に沿ったもので、野党側は「政治利用に当たる」と批判している。

 昭和史や皇室の歴史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康さんは「山本氏の行動は国会議員の資質に欠けるが、政治利用というのは一定勢力による行為を言い、今回は違う」と指摘。その上で「一部で処分を議論するより、皇室と政治のあり方について山本氏に所信を述べさせるなど、国会全体で議論すべきだった」と話した。【影山哲也、飼手勇介】http://mainichi.jp/select/news/20131109k0000m010130000c.html

結局のところ、「皇室行事への参加禁止」ということになった。そもそも、国政の権能を有さない天皇に対して国政上のことを記した手紙を国会議員が手渡すこと自体が不適当であるが、「園遊会」自体が憲法上の公的儀式ではないともいえる。私自身は、山本太郎の行為は明白な違法性はなく、そのことについて特別のペナルティーを課すべきではなかったと思う。すでに、このブログで述べたように、2004年の園遊会において「政治利用」的発言をした東京都教育委員の米長邦雄は、与野党とも責任を問う声は全くなく、朝日新聞が「政治利用」にあたるのではないかと社説で批判したが、ペナルティーが必要とまでは論じていない。1901年の田中正造の「直訴」も、すでに議員は辞職しており、不敬罪にあたるのでないかという声もあったが、意志においても行為においても不敬にはあたらないとして、結局無罪であった。

結局、山本太郎の「皇室行事への参加禁止」ということになったが、そのことの「不当性」はともかくとして、自民党を中心とした山本太郎を批判した政治家たちの「気分」をうまく現したものだと考える。

彼らの主張である、憲法の規定にしたがって天皇の政治利用をすべきではないということは、元々は彼らが言ってきたことではない。たとえば、2004年の米長邦雄発言に対する朝日新聞の批判のような、彼らが「対峙」していると思っている側の論理をかりたものでしかないのである。主権回復の日式典への天皇出席やIOC総会における高円宮妃出席など、政権与党は合法的に「政治利用」してきた。そして、また、2004年の米長発言に対しては、内閣とは無関係であったにもかかわらず、与野党とも批判すらしていなかった。「天皇の政治利用」について、自分たちの側が行う限り、批判することはなかったのである。

結局のところ、山本太郎という、反原発派であり自分たちの対極にあると考えられる議員が、「天皇の政治利用」と目される行為をしたということに憤激したといえるのではなかろうか。そして、彼らとしては、山本の「自発的辞職」を期待したが、そうはならなかった。しかし、正式に懲罰動議にかけるとなると、「天皇の政治利用」自体が懲罰理由になりうるという先例を残してしまう。それゆえ、正式な懲罰ではなく、ほとんど法的根拠が希薄な「皇室行事への参加禁止」という措置になったのだと思う。

そして、また、山本太郎個人への「皇室行事への参加禁止」ということは、山本太郎に批判的な議員の本音をよく現しているといえる。つまり、天皇に近付いて、「政治利用」をするなと、山本太郎個人に命じたのであって、「政治利用」自体は禁止されてはいないのである。そういう意味をもった「皇室行事への参加禁止」なのである。

そして、「皇室行事への参加禁止」ということは、たぶん直接には山本太郎の参院議員としての職務遂行には影響しないことであるといえる。園遊会などは、もちろん国政ではないが、さりとて憲法上の国事行為でもない。そういうことは、本来の「政治」ではないのである。このことが、帝国憲法とは違った日本国憲法体制の特質を語っているといえる。

Read Full Post »

山本太郎が園遊会にて天皇に手紙を渡した件については、参院が何らかの処分をするだろうということが伝えられている。例えば、日本経済新聞は、次の記事をネット配信している。

山本太郎氏「議員辞職しない」 参院が処分検討
2013/11/5 19:16

 参院議院運営委員会の岩城光英委員長は5日、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員と会い、出処進退に関する意見を聞いた。山本氏は「自分自身で職を辞することはない」と述べた。議運委は6日の理事会で、山本氏の処分を検討する。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS0502G_V01C13A1PP8000/

さて、今回の園遊会において山本太郎が天皇に原発関連の手紙を手渡したことが「天皇の政治利用」にあたるとされた件の前例の一つとして、このブログでは、2004年10月園遊会における東京都教育委員を勤めていた米長邦雄の発言をあげた。もう一度、朝日新聞の記事(2004年10月28日配信)をみておこう。

国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。

 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。

 陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。

 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。

(10/28)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html

この件につき「ネット記事などを参照できないので、もはや記憶でしかいえないのであるが、この米長について、教育委員などの公職を辞任せよという声はなかったように思う」と、前々回のブログでは述べた。その後、当時の三大紙(朝日新聞・毎日新聞・読売新聞)をあたってみた。この三大紙のうち、読売新聞は、10月29日付朝刊でほとんど論評ぬきに小さく園遊会でのやり取りを伝えている。

毎日新聞は10月29日付朝刊の1面でこのやり取りを伝えているとともに、同日夕刊において当時の閣僚の反応も報道しているが、朝日新聞ほどではない。

朝日新聞は、最も詳しくこの件を報道している。10月28日付で発信された前述の記事は10月29日付朝刊に掲載された。その後、閣僚などの反応も比較的詳しく伝えるとともに、この件を社説にとりあげて論評している。そこで、ここでは、朝日新聞を中心にみていくことにしたい。

前述のように、10月29日付朝刊で第一報を伝えた朝日新聞は、同日付夕刊で、当時の小泉自民党内閣の閣僚らの発言を伝えている。まず、それをみておこう。

憲法の趣旨「反しない」 陛下発言で閣僚ら

 天皇陛下が園遊会で、国旗・国歌について「強制になるということではないことが望ましい」と発言したことについて、29日午前の閣議後の記者会見で、閣僚の発言が相次いだ。細田官房長官は「宮内庁からは、これまでの政府見解とも一致しており、特定の施策について見解を述べたものではない、との報告を受けている。特に問題ないと考えている。天皇陛下は象徴としてのお立場を十分ご理解になったうえでご発言になっており、天皇は国政に関する権能を有しないという憲法の趣旨に反することはない」と述べた。
 細田長官は、教育現場で国旗・国歌が強制されている現状が発言につながったのではないかという見方について、「あまり憶測することは適当ではない気がする」と述べるにとどめた。
 中山文部科学相は「国旗・国歌については、喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりすることが望ましいと言うことを述べられたのだと思う」と語った。東京都教委が「日の丸・君が代」の扱いに絡んで、昨秋、職務命令に従わない教職員を大量に処分したことについては「校長が学習指導要領に基づいて、法令の定めるところに従って、所属する教員に対して職務を命ずることは、当該教職員の思想信条の自由を侵すことにはならない」との見解を繰り返した。
 南野法相も「陛下は国旗・国歌(の掲揚・斉唱)は自ら進んで行うのが望ましい、という気持ちをおっしゃったのだと思う」と語った。東京都教委の処分については「おひとりおひとりの価値観。自主性にお任せしてもいいのではないか」と述べた。

この記事では、まず、基本的に、「国旗・国歌は強制でないのが望ましい」という天皇の発言が国政上の問題にふれたもので、憲法に抵触するかいなかということが問われていて、閣僚らは「憲法に抵触しない」と答えているといえよう。そして、米長の発言が「天皇の政治利用」にあたるのではないかとだれ一人指摘していないのである。そして、中山成彬文科相(当時)は、米長ら東京都教委が推進していた国旗・国歌政策を支持してもいるのである。

そして、10月30日付朝日新聞朝刊では、小泉純一郎首相(当時)と岡田克也民主党代表(当時)の対応が報道されている。

天皇の国旗・国歌発言 「ごく自然に受け止めを」 首相

 天皇陛下が秋の園遊会で学校での国旗・国歌について「強制になるということではないことが望ましい」と述べたことについて、小泉首相は29日、「ごく自然に受け止められたいいんじゃないですか。私もそう思いますね。あまり政治的に取り上げない方がいいんじゃないですか」と語った。首相官邸での記者団の質問に答えた。

「陛下のお考え伝わる方向に」 民主・岡田代表

 民主党の岡田代表は29日、天皇陛下が園遊会の席上、国旗・国歌問題で「やはり強制になるということが望ましい」と発言したことについて「陛下も人間ですし、当然いろんなお考えをお持ちですから、何も言えないということはおかしいと思う。一般論として申し上げるが、自由に自分の考えが伝えられるような方向に持っていくべきじゃないか」と語った。視察先の横浜市青葉区で記者団が「天皇の政治的発言という声もあるが、どう思うか」と質問したのに答えた。

このように、立場は違うが、両者とも天皇の発言を擁護するということでは一貫している。そして、両者とも、米長の園遊会での発言自体を問題にしたとは報道されていないのである。

閣僚も野党党首も、米長の発言を「天皇の政治利用」という意味で批判しない中、朝日新聞は社説「国旗・国歌 園遊会での発言に思う」(2004年10月30日付朝刊)で、米長の発言を批判した。この社説では、園遊会でのやりとりを伝え、天皇の発言は政府見解にそったもので憲法の趣旨に反しないと主張した後、次のように述べている。

 

今回の場合、波紋の原因はむしろ、米長さんが国旗・国歌のことを持ち出したところにあるのではないか。
 米長さんが委員を務める東京都教育委員会は、今春の都立校の卒業式で国旗を飾る場所や国歌の歌わせ方など、12項目にもわたって事細かく指示し、監視役まで派遣した。そして、起立しなかった250人の教職員を処分した。処分を振りかざして国旗の掲揚や国歌の斉唱を強制するやり方には、批判も多かった。
 国旗・国歌のように鋭い対立をはらんでいる問題は、天皇の主催行事である園遊会の場にふさわしくない。
 米長さんの発言に対して天皇陛下があいまいな応答をすれば、そのこと自体が政治的に利用されかねない。陛下が政府見解を述べたことは、結果としてそれを防いだとも言えよう。
 米長さんの発言は「教育委員のお仕事、ご苦労さまです」という陛下の言葉に答えて飛び出した。国旗・国歌問題を意図的に持ち出したどうかはわからない。もし意図的でなかったとしても、軽率だった言わざるを得ない。
 東京都の石原知事は「天皇陛下に靖国神社を参拝していただきたい」と述べている。靖国参拝は外交にも絡む大きな政治問題だ。とても賛成できない。宮内庁が慎重な姿勢を示したのは当然だ。
 天皇が政治に巻き込まれば象徴天皇制の根幹が揺らぐ。園遊会発言を機に、このことをあらためて確認したい。

このように、朝日新聞は、米長の発言を「政治利用」につながりかねないと批判したのである。

さて、ここでまとめてみよう。米長邦雄が園遊会で発言した際、そのこと自体が「天皇の政治利用」にあたるとは、小泉自民党内閣の首相、閣僚たちも、野党民主党の党首も、指摘していなかった。ゆえに、当時の与野党のだれからも、米長邦雄に東京都教育委員などの公職の辞任をせまる声は出ていないのである。

といっても、朝日新聞の社説にみるように、米長の発言が「天皇の政治利用」にあたるのではないかという意見は出ていた。しかし、それでも、その発言ゆえに公職を辞任せよとまではいっていないのである。

今回の山本太郎の場合、今度は与党の閣僚や議員を中心に「天皇の政治利用」を意図したと批判され、参議院議員の辞職要求まで出ている。その論理は、まるで2004年の米長発言を批判した朝日新聞の社説を読んでいるようだ。

結局、園遊会で天皇に伝えようとした内容にしたがって評価が違っているというしかないだろう。学校現場で国旗掲揚、国歌斉唱を進めるという米長の発言にはペナルティーが課せられることはなく、原発問題の深刻さを伝えようとして手紙を渡そうとした山本の行動については議員辞職も含めたペナルティーが要求されている。

内閣を通じて表明されていないことは同じだが、国旗・国歌ならば「政治利用」ではなく、原発問題ならば「政治利用」とされる。まさに、ここで、「天皇の政治利用」についてのダブルスタンダードが明白に現れているのである。

Read Full Post »

さて、山本太郎の行動に対する閣僚や議員たちの反応は前回のブログでみてきた。しかし、いわゆる「識者」という人びとの対応では、二様の評価に分かれている。まずは、朝日新聞がネット配信した記事をみてみよう。

山本太郎議員の行動、識者の見方は 園遊会で陛下に手紙
2013年11月2日08時01分

 10月31日の園遊会で、天皇陛下に手紙を渡した山本太郎議員の行動について、明治時代に天皇に直訴した田中正造になぞらえる向きもある。元衆院議員の田中は1901年、足尾銅山(栃木県)の鉱毒に苦しむ農民を救おうと明治天皇の馬車に走り寄り、その場でとらえられた。

陛下に手紙「政治利用」か?
 「田中正造における憲法と天皇」の論文がある熊本大の小松裕教授(日本近代思想史)は、(1)田中は直前に辞職し個人で直訴したが、山本氏は議員の立場を利用した(2)明治天皇には政治権力があったが、今の天皇は象徴で何かできる立場ではない、という点で「同一視できない」とみる。

 山本氏には「公人の立場を考えるべきだった」と指摘しつつ、政府内の批判にも違和感があるという。天皇陛下が出席した4月の主権回復式典を踏まえ、「政府の方こそ利用しようとしており、あれこれ言う資格はない」。

 一方、栃木県の市民大学「田中正造大学」の坂原辰男代表(61)には、環境や住民を顧みず開発を続けた当時の政府と、福島で大きな被害を出しながら原発再稼働を進める現政権が重なる。「善悪の判断は難しいが、正造が生きていたら同じ行動をしたと思う」

     ◇

■批判、公平でない

 山口二郎・北海道大教授(政治学)の話 今の天皇、皇后のお二人は戦後民主主義、平和憲法の守り手と言っていい。しかし主張したいことは市民社会の中で言い合うべきで、天皇の権威に依拠して思いを託そうと政治的な場面に引っ張り出すのは大変危うく、山本議員の行動は軽率だ。一方で、主権回復式典の天皇出席や五輪招致への皇族派遣など、安倍政権自体が皇室を大規模に政治利用してきた中、山本氏だけをたたくのは公平ではない。山本氏も国民が選んだ国会議員であり、「不敬」だから辞めろと言うのは、民主主義の否定だ。

■政治利用と言うには違和感

 明治学院大の原武史教授(政治思想史)は、「今回の行為を政治利用と言ってしまうことには違和感がある。警備の見直しについても議論されるなど大げさになっており、戦前の感覚がまだ残っていると感じる。政治利用というならば、主権回復の日の式典に天皇陛下を出席させたり、IOC総会で皇族に話をさせたりした方がよほど大きな問題だと感じる」と話した。

 原教授は自身のツイッターで、「山本太郎議員の『直訴』に対する反発の大きさを見ていると、江戸時代以来一貫する、直訴という行為そのものを極端に忌避してきたこの国の政治風土について改めて考えさせられる」ともつぶやいた。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311010580.html

この朝日新聞の記事は、①先行者とされる田中正造との関連における評価、②現代の社会状況における評価を二組の識者に聞いたものである。①については、小松裕が田中正造と同一視できないと答えているが、坂原辰男は現政権と足尾鉱毒事件時の明治政府の対応は重なっており、田中正造が生きていたら同じ行動しただろうとしている。

②については、どちらも現政権の政治利用のほうが問題は大きいとしながらも、山口二郎が天皇の権威を利用して主張すべきではなく山本の行動は軽率だと批判しているのに対し、原武史は政治利用というには違和感がある、前近代以来直訴というものを忌避してきた日本の政治風土の問題であるとした。

この朝日新聞の記事では、歴史的にも、現状との関連においても、山本の行動への評価は大きく二つに分かれている。これは、私が個人的に使っているフェイスブックを通じて表明される「友達」の反応もそうなのだ。ある人たちは反原発運動を進めるためや、政府による「天皇の政治利用」の問題性をあぶり出す効果があるなどとして山本の行動を評価する。しかし別の人たちは、現行憲法では天皇は国政に関与できないのであり、あえて反原発運動に同意を求めることは、戦前の体制への回帰につながるなどとして、山本の行動を批判的にみているのである。

実は、1901年12月10日の田中正造の直訴においても、このように二つに分かれた評価が同時代の社会主義者たちでみられた。現在、田中正造の直訴は、彼の単独行動ではなく、毎日新聞記者(現在の毎日新聞とは無関係)で同紙において鉱毒反対のキャンペーンをはっていた石川半山(安次郎)、社会主義者で万朝報(新聞)記者であった幸徳秋水(伝次郎)と、田中正造が共同で計画したことであったことが判明している。幸徳は、直訴状の原案を書くなど、この直訴に多大な協力をした。田中正造の直訴後の12月12日、幸徳秋水は田中正造に手紙を書き送っているが、その中で直訴について次のように述べている。

兎に角今回の事件は仮令天聴ニ達せずとも大ニ国民の志気を鼓舞致候て、将来鉱毒問題解決の為に十分の功力有之事と相信じ候。(『田中正造全集』別巻p42)

幸徳は、直訴が天皇に達しなくても、国民の世論を大いに刺激することで、鉱毒問題の解決に効果があるとここでは述べている。社会主義者の幸徳が「天聴」という言葉を使っていることは興味深い。とりあえず、幸徳は直訴を評価しているといえる。

一方、キリスト教系社会主義者で、毎日新聞記者でもあった木下尚江は、鉱毒反対運動にも関わっていたが、直訴には批判的であった。次の資料をみてほしい。

(田中正造の直訴は)立憲政治の為めに恐るべき一大非事なることを明書せざるべからず、何となれば帝王に向て直訴するは、是れ一面に於て帝王の直接干渉を誘導する所以にして、是れ立憲国共通の原則に違反し、又た最も危険の事態とする所なればなり(木下尚江「社会悔悟の色」、『六合雑誌』第253号、1902年1月15日)

木下尚江の直訴批判は、まるで山口二郎の山本批判のようである。明治期においても、天皇の政治への直接干渉をさけることを目的として天皇への直訴を批判するという論理が存在していたのである。

このように、天皇に対する「直訴」は、1901年の田中正造の場合でも評価がわかれていたのである。運動のために有利なことを評価するか、天皇の政治への直接介入をさけることを目的として批判するか。このような二分する評価は、100年以上たった山本太郎の行動をめぐっても現れているのである。

なお、田中正造と山本太郎の「直訴」行動自体の比較は、後に行いたいと考えている。

Read Full Post »

さて、2013年10月31日、天皇・皇后が主催する秋の園遊会で、そこに招かれた参議院議員である山本太郎が天皇に福島原発問題についての「手紙」を手渡すという「出来事」があった。まず、そのことを伝える毎日新聞の記事をあげておこう。

秋の園遊会:山本太郎議員が突然 陛下に手紙手渡す
毎日新聞 2013年10月31日 19時51分(最終更新 10月31日 20時08分)

 天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が31日、東京・元赤坂の赤坂御苑であり、山本太郎参院議員(無所属)が天皇陛下に突然手紙を手渡す場面があった。手紙はすぐに側近の侍従長が預かった。山本議員の行為は、皇室の政治利用に抵触する可能性があり、宮内庁幹部は「天皇に国政の権能がないことは憲法に明記されており、ねぎらいの場である園遊会にふさわしくない」と語った。

 山本議員は31日夕、国会内で取材に応じ、手紙の内容は福島の原発被害に関するものだと明らかにした。その上で「一人の人間として思いをお伝えした。政治利用は全くない」と話した。

 一方、菅義偉官房長官は記者会見で「その場にふさわしいかどうか常識的に判断することだ」と述べ、不快感を示した。

 園遊会に招かれる国会議員は、宮内庁が人数を指定したうえで、衆参の事務局に推薦を依頼している。【長谷川豊、青島顕】
http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20131101k0000m040039000c.html

この山本太郎の行為に対し、閣僚や与野党議員から、批判の声が出ている。朝日新聞がネット配信した記事をここでみておこう。

山本太郎議員に辞職求める声 園遊会で陛下に手紙渡す
2013年11月1日12時30分

 10月31日の秋の園遊会で天皇陛下に手紙を渡した山本太郎参院議員(無所属)に対し、1日、議員辞職を求める声が相次いだ。自民党の脇雅史参院幹事長は党役員連絡会で「憲法違反は明確だ。二度とこういう事が起こらないように本人が責任をとるべきだ」と要求した。

山本太郎氏が陛下に手紙、参院議運理事会が対応協議
 下村博文文部科学相も「議員辞職ものだ。これを認めれば、いろんな行事で天皇陛下に手紙を渡すことを認めることになる。政治利用そのもので、(足尾銅山鉱毒事件で明治天皇に直訴を試みた)田中正造に匹敵する」と批判した。

 公明党の井上義久幹事長は「極めて配慮にかけた行為ではないかと思う」と述べた。同党の太田昭宏国土交通相も「国会議員が踏まえるべき良識、常識がある。不適切な行動だ」と批判。古屋圭司国家公安委員長は「国会議員として常軌を逸した行動だ。国民の多くが怒りを込めて思っているのではないか」と資質を問題視した。田村憲久厚生労働相は「適切かどうかは常識に照らせばわかる」、稲田朋美行政改革相は「陛下に対しては、常識的な態度で臨むべきだ」と不快感を示した。

 民主党の松原仁・国会対策委員長も「政治利用を意図したもので、許されない」と批判。日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長も大阪市役所で記者団に「日本国民であれば、法律に書いていなくても、やってはいけないことは分かる。陛下に対してそういう態度振る舞いはあってはならない。しかも政治家なんだから。信じられない」と批判した。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311010050.html

他方で、今まで、どんな形で、「天皇の政治利用」が問題になったのであろうか。もっとも比較対象となるのが、2004年10月園遊会における東京都教育委員を勤めていた米長邦雄の発言だろう。朝日新聞は、次のように2004年10月28日に伝えている。

国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で

 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。

 米長さんは「もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました」と答えた。

 天皇が国旗・国歌問題に言及するのは異例だ。

 陛下の発言について、宮内庁の羽毛田信吾次長は園遊会後、発言の趣旨を確認したとしたうえで「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。さらに「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており、政策や政治に踏み込んだものではない」と述べた。

 「日の丸・君が代」をめぐっては、長年教育現場で対立が続いてきた。東京都教委は昨秋、都立校の式典での「日の丸・君が代」の取り扱いを細かに規定し、職務命令に従わない教職員を大量に処分。99年に教育委員に就任した米長さんは、こうした方針を推進する発言を繰り返してきた。

(10/28)
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200410280332.html

これは、東京都教育委員会が押し進めている公立学校に対する国旗・国歌の強制という「政策」を説明するもので、暗に天皇に同意を求めていたといえる。国旗・国歌法の成立時の議会において政府側は「強制はしない」と述べており、この発言に対して、天皇は政府答弁にそった形で応対している。ネット記事などを参照できないので、もはや記憶でしかいえないのであるが、この米長について、教育委員などの公職を辞任せよという声はなかったように思う。

そして、最近では、主権回復の日記念式典への天皇・皇后の出席や高円宮妃のIOC総会出席などが「政治利用」にあたるのではないかと指摘されている。山本太郎もそのことを主張しているようである。次の11月1日の朝日新聞のネット配信記事(一部)をみてほしい。

ただ、皇室の政治利用をめぐる議論は絶えない。時の政権が天皇の公的行為を使って問題の打開を図るような事例が起きた。そのたびに、なし崩し的に皇室の活動を広げ、政治利用に道を開くことを懸念する声があがってきた。

 今年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会への高円宮妃久子さまの出席を、下村文科相らが宮内庁に強く働きかけた。今年4月に安倍政権が主催した「主権回復の日」式典では、閉会後に天皇・皇后両陛下が退出する際、会場から「天皇陛下万歳」のかけ声が起き、壇上の安倍晋三首相も万歳をした。

 民主党政権時代の2009年には、鳩山内閣が天皇陛下と来日した習近平(シーチンピン)・中国国家副主席(当時)との会見を慣例に反する形で実現させた。

 こうした際には国会は、天皇陛下や皇室に働きかけた政治家たちの「処分」は検討していない。山本氏は1日の参院議運委の出席後、記者団に語った。「僕が政治利用で裁かれるなら、他のことも協議される必要がある」
http://www.asahi.com/articles/TKY201311010583.html

このような批判に対し、「主権回復の日」式典については、自民党の石破茂幹事長が次のように反論している。

自民党の石破茂幹事長は2日、山本太郎参院議員(無所属)が園遊会で天皇陛下に手紙を渡したことが政治利用と指摘されていることに関連し、「(天皇陛下が出席した)『主権回復の日』式典は政府主催だ。山本議員は特定の主張を陛下に手渡した。全く性質が違う」と強調した。札幌市での講演で語った。政権が4月に開催した主権回復の式典では、天皇陛下が退席する際に安倍晋三首相を含む出席者が万歳をし、山本氏が政治利用だと指摘していた。
(『朝日新聞』朝刊2013年11月3日号)

IOC総会における高円宮妃の出席については、当時から皇室の政治利用にあたるのではないかという声が宮内庁などからもあり、菅官房長官が反論している。興味深いことに、このことについては、下村文科相の主導性が際立っている。

高円宮妃久子さまIOC総会出席へ/宮内庁長官、政治と距離「苦渋の決断」/菅官房長官は長官発言を批判

 宮内庁は2日、アルゼンチン・ブエノスアイレスで現地時間7日に開かれ、東京も立候補している2020年夏季五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会に、高円宮妃久子さまが出席し、スピーチをされると発表した。
 スピーチは東日本大震災の被災地支援への謝意を伝える内容としている。政治的な活動と距離を置く皇室の立場として、宮内庁は招致活動への関与を否定してきたが、招致活動の最高潮となる場面に登壇するだけに、風岡典之(かざおか・のりゆき)長官は「苦渋の決断」とし、「天皇、皇后両陛下も案じられていると推察した」と話した。
 一方、ブエノスアイレス入りした東京都の猪瀬直樹知事は久子さまの総会出席を「本番での登場という良い形ができた」と歓迎。「われわれの希望をつくるためにも思いの丈を述べていただきたい」と期待した。
 宮内庁によると、久子さまは3日から9日までの日程でアルゼンチンを訪問。当初は総会には出席せずに、滞在期間中にIOC委員に会ったり、総会前日のレセプションに出席したりして、震災支援への謝意を伝える予定だった。
 しかし、8月26日に下村博文文部科学相が宮内庁を訪れ風岡長官に「招致活動とは切り離してIOC委員にお礼を述べてほしい」と久子さまの総会出席を要請。さらに杉田和博官房副長官からも同様の要望があったという。
 総会でのスピーチは東京のプレゼンテーションの持ち時間に行い、猪瀬直樹東京都知事らがプレゼンをする前に、久子さまが登壇するという。
 風岡長官が下村文科相から要請を受けた際は、両陛下は長野県軽井沢町で静養中。風岡長官は両陛下が31日に帰京するのを待って報告したが、「過去の皇室の対応に鑑みると、両陛下も案じられているのではと推察した」と話した。
 ▼宮内庁長官発言を批判 菅氏「非常に違和感」
 菅義偉官房長官は3日の記者会見で、2020年夏季五輪の開催都市を決める国際オリンピック委員会(IOC)総会への高円宮妃久子さまの出席をめぐる風岡典之宮内庁長官の発言を「天皇、皇后両陛下の思いを推測して言及したことに非常に違和感を感じる」と批判した。
 風岡氏は2日、東京への招致活動を政治的な活動とする立場から、出席を「苦渋の決断」とし「天皇、皇后両陛下も案じられていると推察した」と述べた。
 菅氏の批判は「出席要請は国民の理解を得られる」(官邸筋)と判断しているためだ。風岡氏の発言により日本政府が分裂していると各国に受け取られることを懸念した。
 会見で菅氏は、官邸から文部科学省を通じて宮内庁側に久子さまのIOC総会出席を要請したことを認めた上で「皇室の政治利用、官邸からの圧力であるという批判は当たらない」と反論。下村博文文部科学相も会見で「五輪は平和の祭典で、政治利用には当たらない」と強調した。
 久子さまにIOC総会への出席を要請した理由について菅氏は「日本サッカー協会名誉総裁をはじめ非常にスポーツ全般に多くの努力をされており、世界のスポーツ界にも極めて信頼の厚い方だ」と説明。「IOC総会を通じて震災復興への支援に謝意を表していただく」と述べた。
 安倍政権は「五輪のプレゼンテーションの直前に震災復興支援への謝意を示していただくのであれば、ぎりぎりで『政治利用』には当たらない」(政府筋)との理屈だ。五輪招致に国民の支持が高まっていることもあり、批判は受けないとの計算もあった。
 (共同通信)
2013/09/04 11:3
http://www.47news.jp/47topics/e/245305.php

確かに憲法上は、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。」(第三条)であり、違憲にはならないだろう。しかし、内閣の助言・承認があれば天皇に何でもさせるというのは、究極の「政治利用」になるとはいえないだろうか。他方で、園遊会の席上で、自らの政治的信念を伝えようとした山本太郎に「政治利用」という名目で辞職をせまるということは、甚だしく公平を欠くのではなかろうか。

山本太郎の行動が適切であったかどうかは、田中正造の直訴を含めて、後で論じてみたいと思う。ここでは、「天皇の政治利用」で山本太郎に議員辞職を迫る人びと自体においても「天皇の政治利用」という問題があるのだということを確認しておくことにする。

Read Full Post »

橋下徹・松井一郎が、現在、大阪市と大阪府の統治者となり、大阪維新の会を結成して、「大阪都構想」などを押し進めようとしている。9月16日には台風18号が日本列島に襲来し、大阪でも一時期大和川の水位が上昇し避難勧告が出たが、橋下徹大阪市長は、洪水対策は「組織」で対応するとして、「自宅待機」のまま大阪都構想実現のために必須とされる堺市長選について延々とツイッターでつぶやき、対立候補である竹山修身現堺市長が選挙活動を中断して大和川視察に赴いたことを嘲笑していた。

さて、大阪の統治者は、いつも、このような振る舞いをしていたのだろうか。古事記や日本書紀などによると、大阪の地に宮殿を置いたとされるのは5世紀の仁徳天皇=大鷦鷯尊(日本書紀)であった。万葉集では「難波天皇」ともよばれている。仁徳天皇個人が実在したか、また実在したとしても古事記や日本書紀が描くような人間像であったかは不明としかいいようがない。大阪周辺の百舌鳥古墳群(伝仁徳天皇陵所在)や古市古墳群には5世紀の巨大古墳がいくつもあり、確かにこの時期は大阪は日本列島における王権の所在地であったとはいえるのだが、今伝えられているのは、古事記や日本書紀が成立した8世紀の統治者たちが認識していた「仁徳天皇像」でしかない。しかし、それでも、古代の統治者たちが、何を模範としていたかをみることができよう。

このことを前提にして、古事記や日本書紀の記述を読むと、興味深いところが見受けられる。まず、古事記の現代語訳をみてほしい。

さて、天皇は、高い山に登って、四方の国を見渡して、「国の中に、炊煙がたたず、国中が貧窮している。そこで、今から三年の間、人民の租税と夫役をすべて免除せよ」とおっしゃった。こうして、宮殿は破損して、いたるところで雨漏りがしても、全く修理することはなかった。木の箱で、その漏る雨を受けて、漏らないところに移って雨を避けた。
 後に、国の中を見ると、国中に炊煙が満ちていた。そこで天皇は、人民が豊かになったと思って、今は租税と夫役とをお命じになった。こうして、人民は繁栄して、夫役に苦しむことはなかった。それで、その御代をほめたたえて、聖帝の世というのである。(『新編日本古典文学全集1・古事記』、小学館、1997年)

この説話のような出来事が本当にあったかどうかはわからない。しかし、このような出来事は8世紀の古代の統治者たちにとって「模範」とされ、「聖帝の世」と認識されていたことは確かなことである。仁徳天皇は、少なくとも自分の目でみて人民の貧富を判断し、その上で、租税・夫役を期間をくぎって免除する措置をとったのである。

さて、古事記は簡略な記述であるが、日本書紀はかなり細かくこの出来事を記述している。描写が細かいからといって、それがより真実を伝えているとは限らない。日本書紀編纂者によって文飾されたところもかなり多いだろう。しかし、それでも、8世紀の統治者たちは何を統治の正当性としていたかを知ることかできるだろう。日本書紀において、仁徳天皇は、次のように、語っている(正確にいえば、日本書紀編纂者が仁徳天皇に語らせているのだが)。

天皇の曰はく、「其れ、天の君を立つるは、是百姓の為めなり、然れば君は百姓を以ちて本と為す。是を以ちて、古の聖王は、一人だにも飢ゑ寒ゆるときには、顧みて身を責む。今し百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり。未だ百姓富みて君貧しといふこと有らず」とのたまふ。

天皇は「そもそも、天が君(君主)を立てるのは、人民のためである。従って、君は人民を一番大切に考えるものだ。そこで古の聖王(中国古代の神話的君主たち)は、人民が一人でも飢え凍えるような時は、顧みて自分の身を責める。もし人民が貧しければ、私が貧しいのである。人民が豊かなら、私が豊かなのである。人民が豊かで君が貧しいということは、いまだかつてないのだ」と仰せられた。
(『新編日本古典文学全集3・日本書紀②』、小学館、1996年)

つまり、天皇も含めた君主一般は、百姓ー人民のために存在しているとしている。百姓ー人民が本なのである。そして、百姓ー人民の貧富は君主の貧富に関連するとしたのである。それゆえに、仁徳天皇は、税金・夫役を免除して、百姓ー人民の生活再興を優先したとされているのである。

このような考えは「儒教的民本主義」といえる。中国古代の儒家の一人である荀子は、「天の民を生ずるは君の為に非ざる也。天の君を立つるは民の為を以て也」(「荀子」大略篇、『新編日本古典文学全集3・日本書紀②』、小学館、1996年より)といっている。8世紀の日本書記の編纂者たちは、仁徳天皇に仮託して、自分たちの統治の正当性概念を宣言しているのだ。

古事記・日本書紀によると、仁徳天皇には治水関係の事績が多い。仁徳天皇は、茨田堤(うまらたのつつみ 寝屋川付近の淀川の堤)、丸爾池(わにのいけ 奈良県天理市和爾町付近とされている)、依網池(よさみのいけ 大阪市住吉区庭井あたりとされている)、難波の堀江(淀川・大和川の水を海に通すための運河)、小椅江(をばしのえ 大阪市天王寺区小橋町付近 大和川の氾濫を防ぐための運河)、墨江の津(大阪市住吉区住吉神社付近の港)をつくったとされている。このような営為は、もちろん、仁徳天皇以後も続けられ(なお、統治者の営為だけではないだろうが)、現在の大阪が作られていったのである。このような治水事業の実施も「民の為」といえるであろう。万葉集では仁徳天皇を「難波天皇」とよんでいるが、その名称はふさわしいといえる。大阪のような低地においては、まず治水なのである。仁徳天皇の時代は、巨大古墳が数多く作られ、そのためにも多くの税金や夫役が投じられたはずであるが、そのことに古事記や日本書紀はふれていない。古事記や日本書紀を編纂した8世紀の統治者たちにとって、仁徳天皇の事績として記憶されるべきことは、税金を免除して人民ー百姓の苦難を救ったことと、このような治水事業を実施したことなのである。

このような民本主義は、8世紀の統治者だけがもっていたわけではない。日本の古代においては、仏教や律令や文物とならんで、儒教もまた中国から取り入れられた。特に、日本書紀の記述は、中国からの儒教的影響にもとづくものといえる。中世においては儒教の影響は弱まったが、近世に入ると再び幕藩制権力によって「仁政」として意識されるようになった。そして、逆に人民ー百姓のほうも「仁政」を要求して一揆や訴訟を起こすようになった。その意味で、このような儒教的民本主義は、日本社会の「伝統」の一つになったといえる。例えば、現代日本社会では、統治者/被統治者の区別を前提にして、被統治者側から減税を要求したりする。それは、一方では民主主義的政治システムを前提にした新自由主義的な意識に基づくものであるが、他方で、統治者は、被統治者のために犠牲をはらうべきとする伝統的な儒教的民本主義に下支えされているのかもしれない。そして、このような儒教的民本主義の伝統は、国家の側が人民を重税などで過度に搾取したり、戦争や独裁などで人民に苦痛を与えたりすることへの抵抗の原理にもなりうるといえる。

しかし、儒教的民本主義の限界もまたあるだろう。まずいえることは、儒教的民本主義は、統治者/
被統治者の峻厳な区別に基づいているということである。被統治者の意志に基づいて統治されることはありえない。儒教的民本主義では、仁徳天皇のような場合でも、統治者の一方的な恩恵にすぎず、統治者/被統治者の秩序は崩れないのである。

また、橋下徹や松井一郎、さらには安倍晋三首相のような現代の統治者たちも、よく「民間」という言葉をよく口にする。国家の規制・税金から「民間」を解放せよという論理を彼らは有している。儒教的民本主義における国家/「民」という対立図式は、彼らの中にもある。しかし、その場合の「民」とは「民間企業」なのである。「民間企業」とは、資本による労働者への支配から成り立っている。「民間企業」の活動が活発になるということは、資本による労働者への支配が拡大するということになるだろう。

そして「民間企業」=資本を、「民」一般にすりかえて、「民間企業」に有利な規制緩和や税制改正、公共事業の進展を訴え、それにより選挙で多数を獲得し、「民」一般の多くを加害するような政策を推進することもなされている。これは、前近代の社会で成立した儒教的民本主義の中では理解できない状況といえる。儒教的民本主義において形成されてきた「民」の伝統的概念とは何かということ、これは歴史学をこえて問い直さなくてはならない課題である。

Read Full Post »

今回、国旗国歌法の審議過程においてあかるみにされた矛盾についてみていこう。1999年8月9日、小渕内閣において「国旗・国歌法」(正式には「国旗及び国歌に関する法律」)が成立した。法律自体はシンプルで、国旗を日章旗に、国歌を君が代とすることを定めただけである。しかし、この国旗・国歌法は矛盾をかかえていた。この国旗・国歌法は、1989年の学習指導要領において、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」と規定されて、公立学校の入学式や卒業式などで国旗掲揚・国歌斉唱が事実上義務付けられたことを前提としたものであった。少なくとも、学校教育の現場で儀式に携わる教員たちが国旗・国歌を扱うことは、当然の責務として考えられていた。

例えば、当時の文部大臣有馬朗人は、このように答弁している。

一般に,思想,良心の自由というものは,それが内心にとどまる限りにおいては絶対的に保障されなければならないと考えております。しかし,それが外部的行為となってあらわれるような場合には,一定の合理的範囲内の制約を受け得るものと考えております。
 学校において,校長の判断で学習指導要領に基づき式典を厳粛に実施するとともに,児童生徒に国旗・国歌を尊重する態度を指導する一環として児童生徒にみずから範を示すことによる教育上の効果を期待して,教員に対しても国旗に敬意を払い国歌を斉唱するよう命ずることは,学校という機関や教員の職務の特性にかんがえてみれば,社会通念上合理的な範囲内のものと考えられます。そういう点から,これを命ずることにより,教員の思想,良心の自由を制約するものではないと考えております。
(平成11年7月21日 衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会 文部大臣)
http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/chronology/sengo2/tsuchi_shiryo.htm

しかし、国会審議の中で、当時の日本共産党や社会民主党などからさまざまな異論を出された。例えば、6月29日の衆議院本会議で、日本共産党の志位和夫衆議院議員は、小渕恵三総理大臣に次のように問いかけた。

どのような形であれ、思想、良心の自由など人間の内面の自由に介入できないことは、近代公教育の原理であり、教育基本法の原則ではありませんか。日本共産党は、法律に根拠がない現状ではもちろん、我が党が主張するように国民的討論と合意を経て法制化が行われたとしても、国旗・国歌は、国が公的な場で公式に用いるというところに限られるべきであって、国民一人一人にも教育の場にも強制すべきものではないと考えます。総理の見解を問うものであります。

そして、小渕恵三は、次のようにこたえている。

良心の自由についてお尋ねがありましたが、憲法で保障された良心の自由は、一般に、内心について国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味であると理解をいたしております。学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。
 教育現場での教職員や子供への国旗の掲揚等の義務づけについてお尋ねがありましたが、国旗・国歌等、学校が指導すべき内容については、従来から、学校教育法に基づく学習指導要領によって定めることとされております。学習指導要領では、各教科、道徳、特別活動それぞれにわたり、子供たちが身につけるべき内容が定められておりますが、国旗・国歌について子供たちが正しい認識を持ち、尊重する態度を育てることをねらいとして指導することといたしておるものであります。http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=15652&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=8&DOC_ID=2248&DPAGE=1&DTOTAL=10&DPOS=7&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=15931

この答弁は微妙である。子供たちの良心の自由を制限するものではないとしながらも、国民として必要な基礎的・基本的な内容を身につけさせるためには、学習指導要領に基づいて国旗・国歌の指導は必要だとしているのである。

ただ、この答弁は、ともあれ、おおっぴらに児童・生徒に対して国旗・国歌を強制すべきではないということにもなろう。例えば、7月21日、有馬文相はこのように答弁している。

どのような行為が強制することになるかについては,当然,具体的な指導の状況において判断をしなければならないことと考えておりますが,例えば長時間にわたって指導を繰り返すなど,児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う,それからまた,たびたびよく新聞等々で言われますように,口をこじあけてまで歌わす,これは全く許されないことであると私は思っております。
 児童生徒が例えば国歌を歌わないということのみを理由にいたしまして不利益な取り扱いをするなどということは,一般的に申しますが,大変不適切なことと考えておるところでございます。
(平成11年7月21日 衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会 文部大臣)
http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/chronology/sengo2/tsuchi_shiryo.htm

そして、このような態度は、教員たちに対する「強制」についても微妙な配慮を生み出していった。学習指導要領に規定された職務上の責務であるから、それについて職務命令を出すことは可能である。しかし、有馬文相はこのように述べている。

私は,教育というのは根本的に先生と児童生徒の信頼関係であり,またそれを生み出すのは先生方同士の信頼関係だと思っています。ですから,職務命令というのは最後のことでありまして,その前に,さまざまな努力ということはしていかなきゃならないと思っています。
 ただ,極めて難しい問題に入っていったときに最終的にはやむを得ないことがあるかもしれませんが,それに至るまでは校長先生も,また現場の先生方もよくお話し合いをしていただきたいと思っています。
(平成11年8月6日 参議院国旗及び国歌に関する特別委員会 文部大臣)http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/chronology/sengo2/tsuchi_shiryo.htm

職務命令を出すことは最後のことにすべきで、それまでによく教員の間で話し合ってほしいと有馬は要望しているのである。

そして、処分についても、有馬文相は次のように述べている。

 

職務命令を受けた教員は,これに従い,指導を行う職務上の責務を有し,これに従わなかった場合につきましては,地方公務員法に基づき懲戒処分を行うことができることとされているところでございます。
 そこで,実際の処分を行うかどうか,処分を行う場合にどの程度の処分とするかにつきましては,基本的には任命権者でございます都道府県教育委員会の裁量にゆだねられているものでございまして,任命権者である都道府県におきまして,個々の事案に応じ,問題となる行為の性質,対応,結果,影響等を総合的に考慮して適切に判断すべきものでございます。
 なお,処分につきましては,その裁量権が乱用されることがあってはならないことはもとよりのことでございます。
(平成11年8月6日 参議院国旗及び国歌に関する特別委員会 政府委員)

 教育の現場というのは信頼関係でございますので,とことんきちっと話し合いをされて,処分であるとかそういうものはもう本当に最終段階,万やむを得ないときというふうに考えております。このことは,国旗・国歌が法制化されたときにも全く同じ考えでございます。
(平成11年8月6日 参議院国旗及び国歌に関する特別委員会 文部大臣)http://www1.jca.apc.org/anti-hinokimi/archive/chronology/sengo2/tsuchi_shiryo.htm

もし、職務命令を受けた教員が従わない場合、処分の権限は都道府県教育委員会がもっているが、その裁量権は乱用すべきではないとし、処分は最後の手段とすべきとしているのである。

ある意味では、「学習指導要領」を根拠とした教育現場における国旗・国歌の強制という論理と、思想の自由を保障するという論理が、国旗国歌法の審議過程ではせめぎあっていたといえる。もちろん、小渕や有馬のいう「思想の自由」は、児童・生徒にせよ教員にせよ、「内心の自由」でしかなく、学校教育現場の国旗・国歌の強制という営為を阻害することは許されなかった。それでも、あからさまな強制を児童・生徒にたいして課すべきではなく、教員についても最後の手段とすべきとはされていたのである。そして、このようなアンパビレンツな態度は、2004〜2005年における日の丸・君が代に対する天皇の発言や、2012年1月に出された、国旗国歌に対する職務命令は合法・合憲とはするものの重すぎる処分は裁量権の乱用にあたるとする最高裁判決にも影響してくるといえる。ここで詳述できないが、その意味で、結果的に国旗国歌法の成立を許したとしても、国会において、国旗国歌法の問題点を洗い出したことは意味があるといえるのである。

付記:なお、1999年6月29日の衆議院本会議における志位和夫と小渕恵三の論戦については国会会議録から引用したが、その他の資料は文部省初等中等教育局が1999年9月にまとめた「国旗及び国歌に関する関係資料集」から引用した。

Read Full Post »