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2013年5月27日、次のような報道が各マスコミによって報道された。ここでは、毎日新聞のネット記事をあげておこう。

大阪母子死亡:「もっと食べさせたかった」母親のメモ発見
毎日新聞 2013年05月27日 13時04分(最終更新 05月27日 13時18分)

 母子とみられる2人の遺体が見つかった大阪市北区天満のマンションの部屋から「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげたかった」という趣旨のメモが残されていたことが、捜査関係者への取材で分かった。室内には食べ物がほとんど残っていなかったことなどから、大阪府警は餓死した可能性が高いとみて詳しい経緯を調べている。

 府警は、2人は部屋の住人の井上充代さん(28)と息子の瑠海(るい)ちゃん(3)とみて、身元の確認を進めている。メモは請求書のような紙の裏に残っており、充代さんが書いたとみられる。2人の遺体は今月24日に見つかった。
http://mainichi.jp/select/news/20130527k0000e040168000c.html

これは、5月24日の、母子二人が腐乱遺体で発見された報道の後報である。この母子は、明らかに餓死したとみられる。死んだ母親は、「子どもに、もっと良い物を食べさせてあげてたかった」と遺言して死んだのだ。

この大阪市北区天満を管轄する大阪市長橋下徹は、13日に自身が行った「慰安婦」問題について弁明するために、27日、東京の外国特派員報道協会にいた。このことについては、広く知られている。彼がここで話す骨子をまとめた「私の認識と見解」には、次のように書かれている部分があった。

私は、21世紀の人類が到達した普遍的価値、すなわち、基本的人権、自由と平等、民主主義の理念を最も重視しています。また、憲法の本質は、恣意(しい)に流れがちな国家権力を拘束する法の支配によって、国民の自由と権利を保障することに眼目があると考えており、極めてオーソドックスな立憲主義の立場を採(と)る者です。

 大阪府知事及び大阪市長としての行政の実績は、こうした理念と価値観に支えられています。また、私の政治活動に伴って憲法をはじめとする様々(さまざま)なイシューについて公にしてきた私の見解を確認いただければ、今私の申し上げていることを裏付けるものであることをご理解いただけると信じております。今後も、政治家としての行動と発言を通じて、以上のような理念と価値観を体現し続けていくつもりです。

 こうした私の思想信条において、女性の尊厳は、基本的人権において欠くべからざる要素であり、これについて私の本意とは正反対の受け止め方、すなわち女性蔑視である等の報道が続いたことは、痛恨の極みであります。私は、疑問の余地なく、女性の尊厳を大切にしています。

(中略)

21世紀の今日、女性の尊厳と人権は、世界各国が共有する普遍的価値の一つとして、確固たる位置を得るに至っています。これは、人類が達成した大きな進歩であります。しかし、現実の世界において、兵士による女性の尊厳の蹂躙が根絶されたわけではありません。私は、未来に向けて、女性の人権を尊重する世界をめざしていきたい。しかし、未来を語るには、過去そして現在を直視しなければなりません。日本を含む世界各国は、過去の戦地において自国兵士が行った女性に対する人権蹂躙行為を直視し、世界の諸国と諸国民が共に手を携え、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう決意するとともに、今日の世界各地の紛争地域において危機に瀕(ひん)する女性の尊厳を守るために取り組み、未来に向けて女性の人権が尊重される世界を作っていくべきだと考えます。

日本は過去の過ちを直視し、徹底して反省しなければなりません。正当化は許されません。それを大前提とした上で、世界各国も、戦場の性の問題について、自らの問題として過去を直視してもらいたいのです。本年4月にはロンドンにおいてG8外相会合が「紛争下の性的暴力防止に関する閣僚宣言」に合意しました。この成果を基盤として、6月に英国北アイルランドのロック・アーンで開催予定のG8サミットが、旧日本兵を含む世界各国の兵士が性の対象として女性をどのように利用していたのかを検証し、過去の過ちを直視し反省するとともに、理想の未来をめざして、今日の問題解決に協働して取り組む場となることを期待します。(毎日新聞ネット記事より)http://mainichi.jp/select/news/20130526mog00m010012000c4.html

橋下は、「戦場の性の問題」を提起して、いわば世界に向けて「女性の人権と尊厳」を守るべきであると宣言したといえる。その時、前述のように、大阪では、生存権も守られず、子どもと餓死した女性がいたことが報じられていた。

翌28日、橋下大阪市長は大阪市役所にいて、退庁時の囲み取材を受けていた。ほとんどの応対が、慰安婦問題について、マスコミが意図的な誤報を流したかどうかということに対やされていた。この取材の最終場面で、やっと、大阪で母子が餓死したことにふれられ、次のような問答がなされた。

記者:別件ですが、北区の天満で母子が餓死したという事案がありまして、住民票の届け出がなかったようなので、行政的な措置は難しかったかもしれませんが、一応、大阪市内で餓死したようなので…。

橋下:これだけ地域コミュニティが希薄になった時代で、行政または地域的コミュニティが一人一人のご家庭の状況を全部把握するのは無理ですね。特にプライバシーの問題もあり、個人情報の問題もあって、行政が市民のみなさんの一人一人の生活状況を全て把握するというのは、これは無理だと思います。だからこそ、一言言ってくれれば、あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば、なんとかなりましたよ。だから、一言電話を入れてくれなかったというところができるような体制、環境づくりは役所の仕事だと思っています。ですから、できる限り広報するとか、困った時は役所に電話してくれという話をくりかえし周知徹底していく、そこが役所のできる限界でもあり、役所がやらなくてはならないところですね。やはり、最低限、困った時に、ピンチの時に、電話一本かけてもらうという、そこまでは住民のみなさんにお願いしないと、今の個人情報の保護、プライバシーの保護という状況の中で、役所が転退出の際、大都市の中で、一人一人の住民の生活状況を把握するというのはなかなか難しいですね。本来であれば、地域コミュニティというものを再生して、地域コミュニティの中で、住民のみなさんのお互いの相互扶助というものをお願いしたいところなんですけれど。それもなかなか難しいんでね。役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなるということを、みなさんに周知徹底していきたいですね。

読んでもらえばわかるが、この母子を悼む言葉は、形式的にもなかった。また、「女性の人権と尊厳」を守ると、前日、それこそ世界に向けて発信したのだが、そんなことは微塵も発言していなかった。

「あの母子も一言北区役所に電話を入れてくれれば」というが、電気がとめられていると報道されており、その状態では携帯電話は使えず、たぶん固定電話があったとしてもとめられていたであろう。

そして、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」とは…。橋下は、大阪府知事時代、大阪府立男女共同参画・青少年センターの廃止を画策しており、大阪市長になっても大阪市立男女共同参画センター(クレオ大阪)の廃止を主張していたとされている。両者ともに女性相談が設置されており、今回のようなケースの窓口になりえたといえる。

例えば、昨年の5月1日に、クレオ大阪の廃止案に反対する声明が出されたが、この声明の中で、「PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。」とあり、今回の状況を予見したような記述がなされている。

橋下の推進した政策は、これだけでなく、生活保護も含めて、「役所に、区役所に、困った時は電話してくれればなんとかなる」という方向とは逆を向いているといえよう。現状の生活保護ーこれは、橋下らだけの責任ではないがーが「電話すればなんとかなる」というものではないことは明らかである。

そして、橋下は、結局、広報不足に責任を転嫁しているといえよう。これでは、単に、餓死した女性の「認識不足」に原因を求めることになる。あの発言の裏側にあるのは「自己責任」という言葉なのである。

他方で、最終的には、地域コミュニティ内部の相互扶助に求めることを主張している。結局、社会保障を解体した後には「相互扶助」に向かうべきという持論なのであろう。

まあ、橋下とは、こういう人である。しかし、「女性の人権と尊厳」を守ると世界に向けて発信しながら、自分の管轄下の「女性の人権と尊厳」を守ることに責任をもたないのである。市内の「女性の人権と尊厳」を守ることは、必要ではないのか。そのことが大阪市にとって問われているといえよう。

(参考)
【声明文】クレオ大阪5館廃止案について

 本年4月5日、大阪市改革プロジェクトチームより提示された「施策・事業見直し(試案)男女共同参画センター管理運営」(以下PT試案)に関する見直し内容について、男女共同参画社会基本法、第3次男女共同参画基本計画、大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に反するものとして「見直しの考え方」と「見直し内容」に反対いたします。理由は以下の二点です。

(1)PT試案は「女性問題等に関する相談への対応や情報提供等は、地域により身近な場所で行うことが効果的である」とし、「館で実施している事業については、相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続することとし、区役所・区民センター等で実施する」としています。

 しかし「女性問題等に関する相談への対応や情報提供」は男女共同参画センターで行われていることにこそ意義があります。

 男女共同参画センターには、DV被害者や、性暴力被害者、母子家庭の母など、まさに男女共同参画問題にかかわる、さまざまな困難を抱えた女性たちが訪れます。

 このような人々にとって、男女共同参画の視点に立ったセンターは不可欠です。なぜなら、男女共同参画の視点がない相談窓口では、母子家庭という状況に対して心ない言葉を浴びせられたり、暴力被害に対して配慮のない聞き取りをされたりという二次被害を受けることが多いからです。また、女性たちの多くは、一つの困難というより、複合的な困難を抱えています。その相談や情報提供において、女性たちの問題に対してさまざまにアンテナを広げてきた男女共同参画センターにまさる場所はありません。さらに、困難を抱え、力を奪われてしまった女性たちにとって、同じ立場の女性たちと出会える場、女性たち自身が集まり活動している場に参加することによって、次第に力を取り戻していくことができます。そういっ�!
�ことができるのも、男女共同参画の視点に立ったスタッフにより運営される男女共同参画センターならでは、なのです。

 PT試案ではまた、女性問題等に関する相談は、区役所や区民センターという身近な場所で行うことが効果的である、と述べていますが、これは認識不足といわざるを得ません。DV被害者にとって、身近な場所は、加害者とのつながりの可能性を秘めているとても危険な場所でもあるのです。そのような場所に被害者が相談に行くことはできません。また、性暴力被害者にとっても、身近であることは、個人が特定されやすくプライバシーが守られないという不安を抱えることにもなります。被害を受けた女性たちは、ただでさえ相談をためらいます。少しでも不安があれば、相談に行くことはできません。男女共同参画センターが市内に5館あるということで、被害者は安心して相談できる場所を自ら選ぶことができるのです。

 男女共同参画センターの廃止は、このような困難を抱えた女性たちを、相談の場から排除し、孤立のうちにいっそうの困難の中に落とし込むことになります。

(2)PT試案は「男女共同参画に寄与する事業に重点化し、効率化を図る」として「相談事業、情報提供事業及び啓発事業のみ継続する」としていますが、これまでクレオ各館で行なってきた事業は、全て大阪市男女共同参画推進条例および大阪市男女共同参画基本計画に基づいて大阪市長の名の元に行なってきた事業です。

 大阪市男女共同参画基本計画は「クレオ大阪が今後も重点的な取組みを推進する拠点となり、その機能を今後もいっそう発揮し、本計画を推進する役割を果たしていく」、として、

※就業の場での男女共同参画を推進するために、企業における自主的な取組みを支援するとともに、女性のチャレンジを支援する。

※地域において男女がともに参画し、大阪市の魅力の創出や活性化にもつなげていくまちづくりの活動を支援する。

※女性への暴力の根絶をはじめ、男女の心と体の健康に向けた相談・支援の充実として、男女の心と体の健康のために、男女共同参画の視点を活かして相談と支援する。

などを主な取り組みとして定めています。

 PT試案にあるように、相談事業、情報提供事業及び啓発事業以外の事業が男女共同参画に「寄与しない」とすれば、どのような条例や基本計画のどの条項に反するのかの客観的な指摘が必要です。何も根拠を示さず、恣意的に「寄与しない」と決めつけることは、これまで条例および基本計画に基づいて行なってきた自治体の施策そのものの否定であり、その上位の法である男女共同参画社会基本法に反する違法な行政運営といえます。

 そもそも地方自治体は地方自治法、第一条の二で規定するように「住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担う」ものです。

 住民福祉の増進の基本を担う施設を廃止し、総合的な施策の実施を縮小することは、何よりも福祉の増進を担うべき本来の地方自治体の姿勢とはかけ離れたものになると言わざるをえません。

 クレオ大阪の事業はいずれも男女共同参画に寄与する事業に他ならず、今回の見直しは明らかに施策の後退です。国際的に見ても男女の格差が大きく、女性の貧困問題が深刻化している今、男女共同参画施策の後退はとうてい納得のできるものではありません。

 以上の理由により、大阪市改革プロジェクトチーム「施策・事業案見直し(試案)」「男女共同参画センター管理運営」に関する見直し案に反対します。 

2012年5月1日

大阪の男女共同参画施策をすすめる会
連絡先 556-0005 大阪市浪速区日本橋5-15-2-110
  女性のための街かど相談室 ここ・からサロン内
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/024ac96ea82fbdfeb3956e19ef44809f

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2012年11月17日、来る総選挙をにらんで、太陽の党の石原慎太郎と日本維新の会の橋下徹が合併で合意し、次のような合意文書を発表した。

維新・太陽、TPP・原発・尖閣など8項目で合意文書

 石原慎太郎、橋下徹両氏が17日署名した合意文書の内容は次の通り。
     ◇
 「強くてしたたかな日本をつくる」

 【1】 中央集権体制の打破

 地方交付税廃止=地財制度廃止、地方共有税制度(新たな財政調整制度)の創設、消費税の地方税化、消費税11%を目安(5%固定財源、6%地方共有税《財政調整分》)

 【2】 道州制実現に向けて協議を始める

 【3】 中小・零細企業対策を中心に経済を活性化する

 【4】 社会保障財源は、地方交付税の廃止分+保険料の適正化と給付水準の見直し+所得税捕捉+資産課税で立て直し

 【5】 自由貿易圏に賛同しTPP交渉に参加するが、協議の結果国益に沿わなければ反対。なお農業の競争力強化策を実行する

 【6】 新しいエネルギー需給体制の構築

 原発(1)ルールの構築(ア)安全基準(イ)安全確認体制(規制委員・規制庁、事業主)(ウ)使用済み核燃料(エ)責任の所在(2)電力市場の自由化

 【7】 外交 尖閣は、中国に国際司法裁判所への提訴を促す。提訴されれば応訴する

 【8】 政党も議員も企業・団体献金の禁止

 個人献金制度を拡充

 企業・団体献金の経過措置として党として上限を設ける
http://www.asahi.com/politics/update/1117/OSK201211170054.html

両党の合併について、新聞などのマスコミや民主党・自民党などは、実質的な政策合意の野合と批判している。全体ではそういう印象がある。 TPPについて、原発について、石原・橋下の隔たりは大きい。

しかし、それほど、単純に「野合」のみと決めつけてよいのだろうか。その点で、もう少し、この「合意文書」を内在的に検討してみたい。

この「合意文書」の第一項は「中央集権体制の打破」とされている。しかしながら、中央の官僚機構の改革ではなく、実際にあげていることは「地方交付税廃止=地財制度廃止、地方共有税制度(新たな財政調整制度)の創設、消費税の地方税化、消費税11%を目安(5%固定財源、6%地方共有税《財政調整分》)」である。つまり、地方自治体の財政基盤の一つである地方交付税制度を廃止し、その代わりに消費税を11%として、消費税全体を地方税とし、5%を「固有財源」(消費税課税地の自治体の財源になるということだと思われる)とし、6%を「地方共有税」分として、自治体間の財政調整に使うということである。

そして、このような地方財政制度の「改革」を前提にして第二項の「道州制」を展望しているのである。

他方で、廃止された地方交付税分の収入は、社会保障支出にあてるとされている。もちろん、「保険料の適正化と給付水準の見直し」「所得税捕捉」「資産課税」という、給付水準の減額と負担増も伴うこととされている。

そのことを、現在の国家財政からみておこう。

平成23年度一般会計予算(2次補正後)の概要

平成23年度一般会計予算(2次補正後)の概要


http://www.zaisei.mof.go.jp/num/detail/cd/2/

現状の財政からいえば、地方交付税は一般会計歳出の約18.4%(17兆4300億円)を占めている。この地方交付税を社会保障費(27.9%)にまわす。そして、消費税を11%にあげ、それで得られた税収(現状が10兆1000億円なので、約20~22兆円程度になるだろう)を「地方税」とする。一見帳尻はあうだろう。

しかし、問題は、この合意のように消費税11%を、固有財源5%、調整財源6%とすると、大都市圏と地方の間で、大きな格差が生じてしまうということである。

まず、現状の地方交付税の状況をみてみよう。地方交付税は、全国どこの自治体に居住していても国民として同一の行政サービスを受けることができることを目的として創設された制度であり、その行政サービス総体を税収などの固有財源で賄えない場合、その不足分を財政調整するということになっている。もちろん、財政状態が豊かな自治体の場合は、地方交付税が不交付になることがあるが、そのような自治体の数は少なく、都道府県では東京都だけであり、市町村では、原発立地自治体などや東京・神奈川・愛知などの大都市圏の自治体が中心となっている。

都道府県別地方交付税交付額(平成21年度)

都道府県別地方交付税交付額(平成21年度)


http://www.stat.go.jp/data/nihon/zuhyou/n0502000.xlsより作図

小さくて読みにくく、恐縮だが、2009年度(平成21年)の都道府県別地方交付税交付額をあげておいた。この年度の地方交付税交付総額は15兆8200億円だが、もっとも多く交付されているのは北海道であり、道・市町村あわせて1兆5000億円と、交付総額の一割近くを交付されている。過疎などにより税収が少ないところが多くの交付金を得るということは、地方交付税のあり方に適合しているといえよう。このように税収が少なく、独自財源で一般的な行政サービスをまかないえないがゆえに、地方交付税が必要とされたのである。

一方で、東京都は360億円、神奈川県は790億円、愛知県は1004億円と、大都市圏では地方交付税交付額は非常に少ない。ただ、大都市圏といっても、大阪府(5100億円)、兵庫県(6170億円)、福岡県(6250億円)にはかなり多額な地方交付税が交付されている。行政サービスの需要総額算定には人口数ももちろん換算されるが、これらの大都市圏は、人口の割には税収が少ないということになるわけで、相対的に衰退しているといえよう。

もし、地方交付税を廃止し、11%の消費税を地方税として、5%を固有財源、6%を地方共有税としたらどうなるのだろうか。つぎに、しんぶん赤旗が2012年2月15日にネット配信した消費税10%にした場合の都道府県別の消費税負担額の推計をみてみよう。しんぶん赤旗では、次のように説明している。

政府・民主党が狙う「社会保障・税一体改革」で消費税が10%まで引き上げられた場合の47都道府県の負担増額を本紙が試算し、地方ごとの影響が明らかになりました。試算によると、最も負担増となるのは東京で1兆6050億円、2番目となる大阪では8720億円です。

 現行消費税率5%のうち1%は地方消費税として各地方自治体に納められます。試算は、各都道府県に納められた地方消費税額を5倍にして増税額を算出しました。地方消費税は、事業者や本社所在地の都道府県に払い込まれます。実際に消費が行われた都道府県の納税となるように、各都道府県の「消費相当の占有率」に応じて計算します。この占有率は、「小売年間販売(商業統計)」「サービス業対個人事業収入額(サービス業基本統計)」「人口(国勢調査)」「従業員数(事業所・企業統計)」の4統計から算出します。

 ただ、全消費税収を各都道府県に割り振った金額なので、当該地域に在住する個人が負担した額に限りません。観光客や地方自治体が負担した消費税額も含まれることになります。

 日本経済に深刻な影響を与える消費税増税は、人々の暮らしを支える地方経済の疲弊を加速させます。

消費税率を10%に引き上げた際の都道府県別の消費税負担額の推計

消費税率を10%に引き上げた際の都道府県別の消費税負担額の推計


http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-02-15/2012021501_02_1.html

これは消費税を10%にした場合の負担増額(5%増額分)であり、11%とするとやや多くなることになるが、大体の傾向は理解できるだろう。日本維新の会のいう消費税5%分の「固有財源」は、おおまかにいえばこの消費税負担増額分と考えればよいのである。

そうすると、まず、固有財源となるのは全体12兆円程度ということになる。現在最も多く地方交付税を得ている北海道は、5400億円程度しか消費税を固有財源にできないことになり、地方交付税の約三分の一しか得られないことになる。そのほか、多くの府県が現状の地方交付税よりも少ない「固有財源」しか得られないということになるのである。

それにかわって、東京都が約1兆6000億円、神奈川県が約7500億円、愛知県が約7400億円と、もともと富裕で地方交付税交付金が少なかったところが、消費税の地方税化の恩恵を受けることになるのである。

日本維新の会の基盤である大阪府は、消費税の地方税化によって東京府についで二番目に多額の8720億円を得ることになる。地方交付税交付金が5100億円なので、その恩恵を得るということになる。しかし、それは大阪府だけである。兵庫県は6170億円が4820億円に、京都府は3140億円が2640億円に、奈良県は2470億円が1070億円になってしまうのである。その他、福岡県が6250億円が4800億円に、広島県が3840億円が2710億円になってしまうのである。もちろん、北海道などとくらべれば減額は小さいのであるが、これらの都市圏も地方交付税から地方消費税への転換の中で財政に打撃を蒙るのである。今まで多くの地方交付税を得られてこなかった東京都・神奈川県・愛知県がかなり多額の消費税を税収に加えることをかんがみると、大阪維新の会を源流とした日本維新の会は、東京などの大阪のライバル都市に塩を送っていることになる。

これは、基本的に消費税の税収は経済活動の活発さに比例するものであり、それをそのままの形で配分すれば、現在「勝ち組」の地域がより有利になるだけということなのである。この「勝ち組」の代表が東京であり、いわば、地方交付税を廃止し消費税を地方税化する日本維新の会の政策は、「地方」の犠牲によって東京などの大都市への集中を促進したものと評価できるだろう。そして、この「勝ち組」の中に大阪をいれようとしているのである。

もちろん、これではすまないので、地方共有税という形で自治体間の財政調整がはかられることになっている。しかし、11%に増税した消費税の半額程度というと、消費税総額が20〜22兆円程度と考えられるので、10〜14兆円程度であろうと思われる。現在の地方交付税交付金が約17兆円なので、それより多いとは考えられない。どのような形で分配されるのか不明だが、やはり官僚的な統制が行われるであろう。そもそも原資が少なくなるので、各自治体への交付額もより少なくなるだろう。それに、もし、「調整」というのであれば、今まで多額の地方交付税が入ってこなかった東京などの大都市圏も多くの財政資金を得ることになり、それらと競争するということになろう。「地方分権」といっても、消費税の税収が多い東京などの大都市圏だけが財政上のフリーハンドを得るだけで、それ以外の多くの自治体ー都市を含むーでは、「地方共有税」というかたちで官僚統制を受けることになる。そして「地方」の自治体は財源不足にこれまで以上に直面する。しだいに、より広域の自治体ー道州制の方向に導かれて行くことになる。しかし、すでの東日本大震災で白日のもとにさらされたが、広域自治体化は、基本的な行政サービスを低下させるものなのである。

ある意味では、資本蓄積が集中的に行われている大都市圏であるがゆえの政策であるといえる。橋下のスタンスは大都市における巨額な税収を背景に大都市の「納税者」たちが自らのために租税を使うことを主張し、それを「代表」しているとして、それまでの都市ー地方間の財政調整を否定するものであるといえる。このスタンスは、いわゆる「生活保護者」攻撃とそれほど変わらないといえよう。しかも、納税者は、とりあえず富裕者だけには限らない。生活保護ギリギリでも、ある程度の納税は行い、それを負担に思う人びとはいるのである。

しかし、これで、地方において日本維新の会は支持基盤を作れるのかとも思ってしまう。もちろん、地方においても、資本蓄積の増大をめざした新自由主義的地方行政が展開されているが、これほど露骨に地方を犠牲にして大都市圏への集中をはかる政策を支持する人びとが多いとは思えない。特に、保守系とはいえども、地方交付税制度のもとで行財政を展開していた首長や地方議員たちはどれほど支持基盤になるのだろうか。

他方、この政策でもっとも利益を得るのは東京都であるということに注目したい。よく、日本維新の会の橋下徹が太陽の党の石原慎太郎を政策面で屈服させたように報道されているが、今、みてみると逆である。結局、橋下徹は、地方を犠牲にしつつ、資本蓄積の観点から東京などの大都市への集中を促進させ、大阪もその一環にいれようとすることで自らの正当性を獲得しようとしているのである。その意味で、橋下は石原を必要としているのであるといえよう。

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関西研究用原子炉交野町設置案が挫折し、その後も立地に苦労している状況の下、福井県が研究用原子炉設置に乗り出すことになった。以前、本ブログでこの問題にふれたが、あまり十分に検討したとはいえない。ここで、もう一度、この過程をみておこう。

  • 関西研究用原子炉四条畷町設置案の帰趨
  • その前に、交野町設置案挫折後の関西研究用原子炉設置問題の帰趨をみていこう。交野町設置案挫折後、その南にある大阪府四条畷町に設置する案が浮上した。広重徹『戦後日本の科学運動』や門上登史夫『実録原子炉物語』を参考として、この経緯を追ってみることにする。1959年12月7日の大阪府原子力平和利用協議会において、四条畷町を原子炉設置候補地にすることが正式に決定された。そして協議会会長の田中副知事が京大・阪大両学長を伴い、四条畷町及隣接の大東市に協力を申し入れた。そして、12日には四条畷町で説明会が開かれ、その際は中曽根科学技術庁長官や阪大・京大総長も出席したが、表立った反対はなかった。しかし、12月15日には住民が設置反対を叫んで四条畷町役場におしかけ、翌16日には四条畷町議会全員協議会が開かれ、町議会議員全員が大阪府原子力平和利用協議会に反対陳情に行くことが決められ、17日には町議会議員全員が住民200人とともに府庁に赴いた。この日、大阪府庁への陳情後、四条畷町議会が開催され、設置反対が決議された。20日には大東市で説明会が開かれたが、激しい野次で混乱し、流会となった。27日には四条畷町で関西原子炉設置反対期成同盟の決起大会が開かれ、デモ行進が行われた。

    ただ、四条畷町・大東市とも、反対派ばかりではなく賛成派もいて、地域内で対立しあう状態となった。しかし、1960年3月23日にも大東市議会は四条畷町設置案を白紙に戻せとする決議を行い、翌24日には、四条畷町の反対規制同盟400人が府庁に陳情に行くという状態であり、反対意見は根強く主張されていた。そして、四条畷町では、反対意見を表明しなかった町長が6月にリコールされることになったのである。
     

  • 福井県における関西研究用原子炉誘致運動の開始
  •  
    このように、宇治・高槻・交野・四条畷などへの関西研究用原子炉設置案が住民の反対運動で挫折していった中で、関西圏外の福井県より、関西研究用原子炉設置を誘致しようという動きがみられるようになった。美浜町の『美浜町行政史』(1970年)によると、福井県では1957年に「原子力の開発及び平和利用を目的とした福井県原子力懇談会」(会長福井県知事)が設立され、誘致活動を開始したとされている。1957年は、関西研究用原子炉建設計画が具体化した時期であり、かなり早期から、誘致活動に乗り出したといえる。

    そして、1960年には、関西地域における設置が難航していた関西研究用原子炉を福井県に誘致する運動が惹起された。福井新聞朝刊1960年3月16日号には、次のような記事が載せられている。

    研究用原子炉 ぜひ本県へ 県原子力懇が運動 北知事にも協力要請

    県原子力懇談会は十五日福井市人絹会館で幹事会を開き、研究用原子炉を福井県へ誘致するための運動を起こすことを決め、県の方針としてこれを打ち出すよう同日北知事へ申し入れた。

     “立候補せば有力”

    土地の買収でいま問題になっている関西研究用原子炉の建設見通しが行き詰まってきたので、県原子力懇談会ではこの際思い切って福井県へ誘致してはとかねてから準備をすすめていた。実情調査のため京都大学にある関西研究用原子炉設置準備委員会へ派遣した小野寺福井大学助教授(懇談会幹事)の調査結果がこのほどまとまったので、それを検討したうえで誘致運動を起こすことにしたもの。
    小野寺助教授が関西炉設置準備委員の藤本、丹羽両京大教授、川合同大学事務官らにあって聞いたところによると、大阪府下では候補地がなく、最近では淡路島へでもという情勢にあるようで、福井県が候補地として名乗りをあげればかなり有力になるだろうとのこと。さらに放射能の危険度は極めて低く、炉が設置されると産業、観光、教育面でのプラスが大きい点などが明らかにされた。
    具体的な誘致運動については県と原子力懇談会が話し合って決めてゆくが、一部革新勢力、民主団体などの反対も予想されるので、運動するに当っては県民各層の意見を十分聞いたうえで行なうことを申し合わせた。
     中西原子力懇談会副会長の話 知事へ申し入れたところさっそく実情を調べて努力すると約束した。候補地については県内に二、三ヵ所あるが、十分調べて決めたい。これからの産業も文化も原子力をおいて考えられないからぜひ本県へ誘致したいと思っている。
     小野寺福大助教授の話 八月になると政府が出す土地買収収用の補助金千五百万円が失効するので、それまでに決めなければならないわけだ。土地の広さは三十三万平方メートル(十万坪)あれば十分で、よく水の出る井戸一本、それに下流に飲料用の水源地のないことが条件だった。放射能による川水や海水の汚染はほとんど考えられず、そういった心配はないと私は確信している。

    このように、前述の福井県原子力懇談会が中心となって、関西研究用原子炉を福井県に誘致しようという運動が惹起されたのである。特に、この中で、国立大学である福井大学の教員が積極的な役割を演じ、河川や海における放射能汚染はほとんど考えられないと主張していることは注目される。

  • 第一候補地であった福井県上中町(嶺南)
  • そして、福井県遠敷郡上中町長(現若狭町)が、関西研究用原子炉誘致を当時の中曽根康弘科学技術庁長官に、原発誘致を陳情した。そのことを詳細に伝えている福井新聞朝刊1960年3月18日号の記事をここで紹介しておく。

    研究用原子炉 上中町(膳部)に誘致を 玉井町長がすでに政府と折衝 全町あげて促進 中曽根長官も熱意示す

    玉井上中町長はさきに上京して首相官邸で中曽根科学技術庁長官に会い、研究用原子炉を同町新道地区膳部に誘致する話し合いを行なった。科学技術庁ではいま関西に研究用原子炉の設置を計画、大阪、京都府下に候補地を選定している。しかし各地区で土地買収がうまくゆかず最終候補地である大阪府北河内郡四条畷は地元民の反対にあい難航をきわめている。最近では淡路島九州方面に土地を求めて誘致する気配もみえている。このような情勢から上中町では関西に地の利を得た膳部を選定、中曽根長官に申し入れたもの。

    膳部は上中町中心部から約五キロの地点で滋賀県と県境にあり、国道二十七号線と同京都ー小浜線との中間にはさまれている。ともに約二時間で京都、敦賀に出ることができる。候補地は四方を山で囲まれた盆地で清水がわき出ている。昔は若狭藩主酒井侯の隠し田といわれ、総面積五十万平方メートル、研究用原子炉敷設の条件といわれる、三十二万平方メートルの平たん地、水利の二点では申し分なく、しかも関西に近いという地理的条件にも合致している。中曽根長官は膳部の建設に非常な熱意を示したといわれ、四条畷に建設が不可能な場合、本格的な調査を行うことを伝えた。すでに上中町会でも誘致を了承、また地元膳部では署名で玉井町長あてに誘致促進方を陳情する動きも出ており、今のところ全町あげての熱意を示している。なお同町長は中曽根長官と会見後東海村の原子力研究所の立地条件を視察した。

    玉井町長の話 中曽根長官は関西原子力研究所を九州に誘致しなければならないと心配していたところなので大変喜んでくれた。条件としては申し分ないといっていた。今後は県原子力懇談会と同調してぜひ誘致を実現したい。

    この上中町というところは、いわゆる「嶺南」地域にあった。沿海部というよりも、小浜市より南側の山間部に所在していた。この記事の中で、すでに中曽根康弘科学技術庁長官(当時)に陳情していること、先進地の東海村を視察していることに注目しておきたい。

  • 二番手で手をあげた福井県川西町(嶺北)
  • さらに、福井新聞朝刊3月19日号に、次の記事が掲載された。この記事では、福井県坂井郡川西町(現福井市)も関西研究用原子炉誘致に立候補したこと、そして、福井県の原子力誘致機関である福井県原子力懇談会では、川西町も含め、複数の地点を候補地として、関西研究用原子炉誘致をはかっていこうとする意向があったことが報道されている。

    原子炉の誘致運動 川西町も名乗りあげる

    鷹巣か三里浜に 北会長(県原子力懇談会)に申し入れ

    関西研究用原子炉を誘致しようと上中町では積極的に運動を起こしているが、川西町でも同町鷹巣地区か三里浜砂丘地に誘致するよう働きかけてくれと、十八日同町の小林助役が非公式に県原子力懇談会長の北知事へ申し入れた。

    県懇談会 現地調査始む

    一方北会長は最近県内へ原子炉を誘致しようとする運動が起こっているので、十七日長谷川福井大学長と会い、学術上の意見を聞いた。この結果「たとえ誘致しても付近の人畜に与える危険はない」との見解を得たので同懇談会では県内候補地の現地調査にとりかかった。川西町の候補地へは十八日、県原子力懇談会事務局の係員が山田町長、長谷川産業課長らの案内で下検分し、資料を持ち帰った。

    同候補地は海岸沿いの鷹巣地区糸崎台地区、石橋、白方の三ヵ所。糸崎では糸崎山付近を中心に約三十二万平方メートルの敷地があげられる。海岸線まで約五百メートル離れており、糸崎山から流れる水を十分使用できる。付近には松蔭、蓑浦、糸崎、和布の四区があるが原子炉の中心から三百メートル以上も離れているのでまず危険性がないといわれる。一方三里浜海岸の白方、石橋は必要な水源地確保問題に難色があり糸崎よりは条件が悪い。同町では今後、地元との土地買収に力を入れるが、地元ではいまところ深い関心を示していない。山田同町長は「今後地元との話し合いを進め、ぜひ同町に原子炉を誘致したい。半農半漁地帯なので、設置されれば、地元の繁栄はもちろん本県の文化向上にも大いに役立つので、県に近く正式に陳情書を提出して本格的な誘致運動をしたい」といっている。
    このほか候補地として北潟湖の近くの国有地(芦原ゴルフ場付近)もあげられているので、懇談会では政府や原子炉を建設する京都大の意向を聞いて、もし本県に設置してもよいということになれば、県、県会、有識者などの代表で用地選定委員会をつくりたいようである。

    この川西町は、いわゆる福井県の「嶺北」地方にあたっている。福井市の北西で、沿海部であった。この記事の中でも、福井大学長が危険性がないと明言している。しかし、原子炉の中心から300m以上人家が離れているから危険性がないとしているが、これは、交野町設置案でも推進側が主張した意見である。そして、交野町周辺の住民は1kmも離れていないことを設置反対の理由としていたのである。

    上中町については、『福井県史』通史編6(1996年)で「上中町は住民の合意が得られず誘致運動は進展しなかった」(同書716頁)と述べられている。しかし、福井新聞朝刊3月26日号では、川西町における最有力候補地の糸崎地区の周辺の、松蔭、蓑、糸崎、和布の四区長が建設に同意したことを伝えており、川西町では住民の合意は得られたのである。

  • 原子炉設置反対の声
  • しかし、福島県などとは異なって、福井県では原子炉設置に反対する主張がみられた。福井新聞朝刊1960年3月18日号では「県会で原子爐誘致を追及」という見出しで、17日の福井県議会の総務委員会で社会党の斎藤敬一県議が原子炉誘致方針を追及したことが報道されている。この記事では「斎藤氏の主張によれば『どこの県でも受け入れないものをなぜ県が積極的に誘致しようとするのか』というもの。なお社会党議員団ではもしこの誘致運動が具体化されれば、全組織を動員するといっている。」と述べている。福井県の社会党は、誘致に反対であったといえる。

    4月には、福井県レベルの総評系労働組合のセンターであった福井県労働組合評議会(福井県労評)も、原子炉誘致に反対の姿勢をとった。福井新聞朝刊1960年4月5日号には、次のような記事が掲載されている。
     
     

    誘致には反対 県労評、態度を決める 関西原子炉

    県労評は四日福井市の労働会館で執行委員会を開き、研究用の関西原子炉を県内に誘致する問題について協議した結果「いまの段階では自主、民主、公開の三原則が守られない恐れがある」などの理由から誘致には反対の線を打ち出し近く県にこの旨を申し入れることを決めた。
    研究用原子炉の誘致についてはすでに上中町と川西町が名乗りをあげているので、県労評としては何らかの態度をとるよう考えて、総評の大阪地評などと連絡をとって検討していた。
    この結果①研究の成果が軍事的に利用される恐れがある②上中、川西いずれの場合にも近くの川や海が放射能で汚染される恐れがある③誘致は全県民的な問題なのに、誘致運動は議会や理事会などが勝手に進めているなど自主、民主、公開という原子力研究の三原則をおかしているというもの。
    県労評では、こんご強い誘致運動が行なわれる場合は、関西の民主団体とも連絡して全県的な誘致反対運動を始める考えでいる。

    このように、福井県では、社会党・福井県労評などにおいて、関西研究原子炉設置反対の主張がみられた。この前提には、京都府・大阪府の各地で行われた関西研究用原子炉設置反対の住民運動の影響があったと思われる。

  • 福井県における関西研究用原子炉誘致活動の歴史的意味
  • 結局、関西研究用原子炉は、1960年末に大阪府熊取町に建設が決定され、福井県に研究用原子炉が建設されることはなかった。しかし、その後も福井県により原子力施設誘致の運動は継続され、1962年、日本原子力発電株式会社は、東海村に建設されている東海原発の次の商用炉建設の候補地を福井県川西町として調査を行った。川西町は原発建設の前提となる堅固な地盤が存在しないため候補地から外されたが、日本原電は福井県内で調査を続け、敦賀半島の二地点を候補地とすることになった。この二つが、いまの原電敦賀原発と、関西電力美浜原発となった。つまり、関西研究用原子炉誘致運動は、それ自体としては挫折したが、その後、福井県嶺南地方で集中的に原発建設が行われる契機となったのである。

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    ここで、「原子力の平和利用」の歴史的問題に立ち帰ってみよう。このブログで、以前、京都大学・大阪大学の研究者たちが中心となって関西に研究用原子炉設置が進められ、1957年に宇治市に設置されることになったが、宇治市の住民の反対運動で宇治設置案が撤回されていったことを述べた。その次に関西研究用原子炉設置の候補地となったのは高槻市阿武山であったが、これもまた隣接の茨木市を中心とした住民の反対運動が惹起され、理論物理学者武谷三男らも反対運動に協力し、撤回されざるをえなかった。このことについては、別の機会に検討してみたい。関西研究用原子炉高槻設置案の挫折を受けて、新たな設置候補地が検討されることになった。その候補地として検討されたところが、大阪府交野町星田地区(現交野市)であった。まず、どのような場所かをみておこう。

    京都府と大阪府の中間で、淀川の南岸である。生駒山地の北端にあたるといえる。ちなみに、高槻市も京都・大阪の中間であるが、淀川の北岸に位置している。いろいろ調べてみると、この星田地区には星田火薬庫があるようで、そうなると火薬庫などが所在していた宇治と同じような条件である。この交野町設置案については、隣接の水本村議会議員であり、反対運動の中心であった中西清太郎が『廃墟の中からーわが水本村の闘い』(1988年)という回想録の中でとりあげ、さらに「『ヒロシマ』『ナガサキ』は訴えなかったー三十年前の『反原子炉』闘争(『部落解放』1988年11月号)でも回想している。また、樫本善一「初期原子力政策と戦後の地方自治」 『人間社会学研究集録』2006年2号、2007年)でも分析されている。これらに依拠して、交野町設置案の帰趨についてみていこう。

    交野町に原子炉を設置することについて、交野町の隣接自治体である水本村関係者に内々の打診があったのは、1959年2月19日であったと中西清太郎は回想している。交野町などにも同様の打診があったと思われるが、詳細はわからない。ここで大阪府側から説明にあたったのは、大阪府原子力平和利用協議会小委員会委員長であり、大阪府議会副議長(日本社会党所属)であった高橋重夫である。高橋は関西電力の社員でもあった。つまり、関西電力の組合出身の議員であるといえる。高橋は、高槻市阿武山が第一候補としつつ、星田地区にゴルフ場建設計画がもちあがり、ゴルフ場を建設するくらいならば原子炉のほうがいいという声があがって、交野町星田が候補地となったとした。そして、原子炉の安全性を強調しながら、関連産業が集中し、工場誘致になるとして、原子炉設置のリターンをあげた。また、高槻市については設置困難の状況も認めているのである。

    そして、1959年3月26日、大阪府原子力平和利用協議会は、大阪府交野町星田地区(現交野市)を関西研究用原子炉設置の候補地として検討していることを正式発表した。その理由として、毎日新聞は次ぎのように報じている。

    同協議会の話によると、新候補地は阿武山以上に恵まれた立地条件にあるうえ、地元に対し道路網整備、関連産業誘致など有利な条件の提示もしているので新らしい進展が期待されるという…有利な条件とは
    ① 生駒山系の北端に当たり、地盤が強固で洪水の恐れがない。
    ② 原子炉の廃液は地下のパイプを通じて付近を流れている寝屋川に落されるが、宇治、阿武山のように上水道源に関係がない。
    ③ 付近に有力な産業はなくこれをきっかけに発展が期待される。
    などである。(『寝屋川市史』第六巻688〜689頁)

    重要なことは、ここで「有利な条件」として「付近に有力な産業はなくこれをきっかけに発展が期待される」があげられていることである。製茶業のある宇治市、醸造業がさかんだった茨木市と異なって、ここには有力な産業は存在していなかった。ゆえに、原子炉設置と引き換えに行われる「発展」は、この地域にとって切実なものであった。この毎日新聞報道によると、道路網整備、小公園設置、国鉄片町線の複線化などのプランが地元に示され、さらに、関連産業として電器メーカーが研究所を設置する意向があることも伝えられていたという。原子炉というリスクのあるものと引き換えに、地域開発というリターンを提示するという、その後の原発立地で繰り返されていたパターンが、ここで初めて明示的に行われたといえよう。

    しかし、交野町周辺でも、地域住民の反対運動に直面した。寝屋川市議会が1959年4月2日に、枚方市議会が4月4日に反対決議を出した。最も強固に反対したのは、前述した、交野町星田地区に隣接した水本村(現寝屋川市)の住民たちであった。水本村には被差別部落があり、その団結力は強かった。5月14日、水本村議会は、関西研究用原子炉交野町設置案に反対する決議を行った。この決議では、安全性について前年発表した日本学術会議の意見に依拠して、その理由を述べている。その部分をここで紹介しておこう。

    一、 関西研究用原子炉設置計画に対する日本学術会議の意見として「設置場所の選定にあたっては、人家の密集した市街地、地盤に対する安全性の期し得ない土地、浸水の恐れのある場所は避けるべきである」と述べられているが、交野町設置予定地より半径一粁以内に本村の全住民が居住している。伝えられるところによれば、寝屋川市太秦が候補地として検討されたとき、人家の密集と、地盤の問題で不適格となったとのことである。
    太秦と星田地区は僅か一粁の距離であり、人家の密集状況、地盤問題で大なる相違は考えられず、日本学術会議の意見と反するものである。(樫本善一「初期原子力政策と戦後の地方自治」 『人間社会学研究集録』2006年2号、2007年、91頁)

     
     これに対し、京大・阪大の研究者を中心にして組織されていた原子炉設置準備委員会は、5月26日に反論した。この反論も日本学術会議の意見を正当性の根拠としている。

    1、 関西研究用原子炉設置計画に「設置場所の選定にあたっては、人家の密集した市街地、地盤に対する安全性の期し得ない土地、浸水の恐れがある場所は避けるべきである」と記載されてある意見は、原子力委員会原子炉安全審査専門部会において慎重審議の結果発表され、日本学術会議原子力問題委員会がこれを確認したものである。
    2、 原子力委員会原子炉安全審査専門部会が発表している「人家の密集した市街地」とは、繁華な市街の中心地を指すものであって、そこに原子炉を避くべきである。と述べたもので、現在候補地となっているような環境の所を指しているのではない。
    3、 関西研究用原子炉は、設計上万全の措置を講じ、安全を確保しており、事故が起こらないように装備されている。
    したがって、事故の起こることは実際上予想する必要はないが、念のため、事故が起こったと仮想して、炉体からこれ以上の距たった地点では障害がないと推定されるような距離をとることとしている。
    (中略)
    これらについて、最悪の条件の下で計算した場合でさえ、われわれが設計している関西研究用原子炉の場合では、隔離距離は三百米以内と算定される。
    設置予定地は、住家から三百米以上距たった地点を選んでいる。更に現地のの地形を考えれば、自然の防護措置がなされているため、隔離距離はこれよりなお短くてよいこととなり、貴村に対して危険を及ぼす恐れはない。(樫本善一「初期原子力政策と戦後の地方自治」92頁)

    同じく、日本学術会議の意見に依拠しながら、全く別の結論が導かされているのである。結局、人家の有無ではなく、人家の密集がポイントであると、原子炉設置準備委員会の学者たちは答えたのである。そして、人家からの距離も、住民は1km以上としているのに、学者たちは300mでよいとしたのである。

     しかし、住民らの反対はますます高まっていった。水本村では、関西研究用原子炉設置反対期成同盟が結成され、本部長に村長の木下喜代治が、副本部長に村議会議長の田中周造と村議会議員の中西清太郎が就任し、団体として村議会議員他、河北再生資源取扱業者組合、消防団、青年団、農業協同組合、農事実行組合、部落解放同盟、4 Hクラブ(農業青年クラブ)、婦人会、職員組合、教職員組合、小中学校PTA代表者が参加した。水本村内には「関西研究用原子炉星田地区設置反対」の横幕やビラなどがはられ、枚方、寝屋川、大東、四条畷、交野をはじめとした北河内の各地を宣伝車がまわったと中西清太郎はかきとめている。

    村内に張られたビラの文面について、中西は次のように記録している。

    「危険きわまる原子炉を 安全論で押しつける 甘い言葉に耳かすな」
    「税金を 湯水のごとく費して 危険な原子炉押しつける 金ない吾らは団結だけ」
    「操り人形の学者たち 操る財界ヒモ引けば 口の中から二枚舌」
    「各国の爆発事故を見逃して 安全であると太鼓判 日本の学者も苦しかろ」
    「あちらこちらでいやがられ 行く先定めぬ原子炉も メンツにかけても置くという 学者の口にも舌二枚」
    「貧乏町村につけ込んで 危険な原子炉押しつける 学者の良心鬼になる」
    (中西『廃墟の中から』p153

    6月13日には、関西研究用原子炉設置反対村民決起大会が水本村で開かれ、「水本村の名において、いかなる説得も排除し、われわれの生存権と平和な生活を確立するため、関西研究用原子炉交野町設置案に断固として反対する」(中西前掲書p163)旨の決議がなされた。そして、次のような「宣言」が出された。

       

    宣言
     われわれは関西研究用原子炉の設置が、わが国の原子力平和利用による文化の向上、産業の発展に寄与し、関西経済を振興させる任務を持つことを十分に認識する。さらに研究用原子炉を設置することにより、地元北河内の発展を期待する心境も理解する。
     しかしながら、現段階においては原子炉はまだ完全ではなく、世界の各地では動力用原子炉はもちろん、研究用原子炉においてさえ事故が頻発する状況にある。
     関西研究用原子炉のスイミングプール型では、長期的に空気汚染があることは米国原子力委員会も警告しており、さらに、この原子炉設置には日本学術会議は「人家の密集した市街地を避けること。排水が上水道源に流入しないようにしよう」との意見を付しているが、現在の予定地の半径1キロ以内には村民が居住し、20キロ以内には約1万人が居住している。
     われわれは、宇治案における設置反対理由や阿武山案における学者・地元関係者の反対理由を知るにおよんで原子炉の危険性を深く認識し、なおかつ星田火薬庫の近くに原子炉が設置されることに脅威を抱くものである。
     国会は、現在、わが国の原子力科学技術の低さを認識し、政界は地元居住者の生存に影響する原子炉の危険性を確認している。星田案を撤回して人道主義の立場から科学的、民主的に設置案を基準の討議から再出発さるべきである。
     右宣言する。
      昭和三十四年六月十三日
                                   関西研究用原子炉交野町設置反対村民決起大会

    この宣言については、原子力の平和利用の必要性や地域開発の重要性を指摘しながらも、現状の科学技術では安全性を保証しえないとしている点に注目すべきであろうと思う。それまで、反対運動総体の基調としては、他に設置すればよいのではないかということが反対理由となっていた。それは武谷三男も変わらない。この宣言では、他に設置すればいいという表現は明示されず、現状においては設置すべきではないということが強調されているといえる。被差別部落をかかえている水本村では、結核療養所が立地されていた。ある意味で、条件の悪い地域に他で引き取り手がない施設が立地される悲哀は水本村民たちは了解していたといえる。それが、他に設置すればいいという表現をさけることにつながったといえる。

    6月18日には、近隣の寝屋川市議会が、同市を貫通する寝屋川の上流水源地域に設置され、最終的には廃液が大阪市の重要河川である堂島川や土佐堀川に注がれることになるとして、設置反対の決議を再度行った。しかし、6月29日には、大阪府原子力平和利用協議会より交野町長に設置協力を依頼する文書が手渡され、近隣の寝屋川市や水本村などにも依頼状が送られた。それでも、住民の反対はおさまらなかった。特に、水本村では、建設予定地の強制測量を阻止するため、「強制立入り調査監視所」を設置した。中西によると、監視所には竹槍が常備され、強制測量調査団が来た場合には小型サイレンと半鐘で水本村民に知らせ、村民が集まって、調査団を追い出すということになっていたそうである。

    水本村民の働きかけで星田地区の住民も原子炉設置反対運動に参加するようになった。8月中旬には、当初設置受け入れに傾いていた交野町・交野町議会も慎重姿勢をとらざるを得なくなった。

    そして、8月15日、前述した大阪府原子力平和利用協議会小委員会委員長であり、大阪府議会副議長(日本社会党所属)であった高橋重夫が交野町と交渉するために交野町役場に入ろうとするが、水本村・交野町星田地区・寝屋川市の住民2000人からなるデモに妨害され、そこで暴力を受けるという傷害事件が発生した。そして、8月17日に、交野町は、大阪府に正式に設置撤回を申し入れた。結果的に、曲折はあったが、10月頃には、交野町設置案の挫折は明白になったのである。

    なお、この傷害事件発生について、水本村側は不本意であるとして、記者会見でも反省の弁を発している。そして、8月17日の交野町からの抗議を受けて、水本村は謝罪している。さらに、最終的に9人が逮捕され、全員有罪となった。中西は「しかし、不覚にも原子炉設置推進派の挑発にひっかかって傷害事件を引き起こしてしまった。これが部落差別の再生産に悪用されるのではないかという点が気がかりでならない。この事件は、『部落であるがために』起こったものでは絶対にない。このことについて、とくに強調し、理解を求めたいものである」(中西前掲書p194 )と主張している。

    中西は、部落に立脚した運動の強味をこのように回想している。

     

    村民が団結して、みんなで村を守ろうということだったのです。よそから入ってきた人たちが原則論を並べて訴えても村の人たちはついてはいかなかったでしょう。やはり、顔を知った者同士が声をかけ合うなかでの反対論というのがよかったのではないでしょうか。やっぱり、村のもん同士の話のほうが納得するんですね。運動の指導者と一般村民という関係ではなく、みんなが同じ場所で語り合ったということです。
     このなかで私たちは、被差別部落独特の強みを発見しました。それは、あの公衆浴場です。わしらの村の人は大部分は銭湯に行った。そこは唯一の交流の場所でもあります。この反対運動の最中に銭湯の風景を見ていると、あっちでもこっちでも原子炉問題の話です。裸になったままやり合っている。着物を着ても帰らずに集まって語り合っている。新しい情報がすぐに伝わる。ステテコ一つで二.三人の人が私の家へ「これ、どういうこっちゃ」と聞きに来る。毎日毎日、公衆浴場で原子炉問題の研究会が開かれているようなもんで、それが団結を固めるのに大きく役立ったように思います。原子力のゲも知らなかった人たちが、そういう話のなかで勉強していったのです。専門家はだれもいませんでした。(中西「『ヒロシマ』『ナガサキ』は訴えなかったー三十年前の『反原子炉』闘争」、『部落解放』1988年11月号、p100)

    このように、被差別部落の共同性に依拠しながら、関西研究用原子炉設置反対運動が展開していったといえる。中西は、被差別部落である水本村の過半数は生活に困窮しており、大阪府の施策で豊かにするいうような切り崩し工作があったということにふれながら、このように述べている。

     

    だが、私たちは、一時的によくなるような交換条件を飲んで自分の住んでるところをダメにするわけにはいかん。わしらは長い間、貧乏に慣らされてきてるから貧乏でもいい。それよりも子孫に安全な、暮らしよい郷土を引き継いでいくのが専決じゃ、と頑張ったわけです。(中西「『ヒロシマ』『ナガサキ』は訴えなかったー三十年前の『反原子炉』闘争」p97)

    このような運動の論理は、1960年代末から1970年代かけてにさかんになる一般的な反公害の住民運動の中でもみることができる。原発建設反対運動も含めた住民運動の課題について、政治学者の高畠通敏は、このように提起している。

    しかし、住民運動の主張が、資本主義的な意味での私権の論理ではなく、生活権としての基本的人権に属するものとしての私権の主張へと向かっていることを了解しておくことは、共同体的シンボルや伝統的心情の動員と重ねて理解する上で重要である。共同体や地域社会における生活権の擁護を、工業化や機械化による所得や便益の全体的上昇より優先させるという思想は、結局、日本社会が経済の低成長を受け入れ、公害の少ない知識集約産業を中心に産業構造を変換し、所得や便益よりも生活の質を重視する方向へ全体として体系的に移行することを前提としている。その移行が起こらないかぎり、住民運動は、結局、孤立的・散発的な抵抗として、今後も生起しつづけるに違いない。住民運動を連合して一つの大衆運動としての力を形成しようという試みは、なされているが、それは数としては、未だ一部に止まっている。個別的問題にこだわる住民運動の性質上、そういう運動の横断的組織化は行われにくいのである。」(高畠通敏「大衆運動の多様化と変質」 『55年体制の形成と崩壊』 1979年)

    まさしく、1959年の関西研究用原子炉交野町設置への被差別部落による反対運動の論理は、1960年代末から1970年代の反公害の住民運動の中にも受け継がれていくといえる。そして、これは、私たちの現状の課題でもあるのだ。

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    以前、本ブログで、1956年に衆議院で表明された物理学者武谷三男の放射線許容量についての議論を紹介した。翌1957年、武谷は京大・阪大などが推進していた関西研究用原子炉を大阪府高槻市阿武山に設置する計画に反対する運動を支援した。その一環で、9月11日に開催された吹田市で開催された説明会に参加し、京大・阪大側の研究者と討論を展開した。この討論の速記録は『武谷三男現代論集』1に収録されている。

    この中で、より明瞭に、武谷は放射線の許容量について論じている。ここで紹介しておこう。

    武谷は、自身が戦後において原子力の平和利用を提唱したことを述べながら、最近は少し薬がききすぎて、今度は、原子力なら何でもいいんだという風潮が生まれたことを嘆き、文明の利器、とりわけ原子力は非常な危険を有しているから、非常に慎重に扱わなくてはならないと主張した。その上で、武谷は、戦前は放射線・放射能はそれほど危ないものと思っていなかったが、「戦後になりまして、人体に及ぼす影響が非常な微量なものまで危険がある。もちろんすぐ死んでしまうというようなそういう危険ではない。そういう危険でないからこそ大変心配なのであります」と述べた。

    その上で、まず、軍事利用というものには許容量というものは許されないとした。例えば、水爆実験の死の灰などでは、どんな微量の放射性物質でも許されず、「警告単位」という考えでなければならないとしている。平和利用に限定して、許容量という考えが許されるとした。

    許容量を原子力の平和利用に限定しつつ、武谷は次のように述べている。

     

    ところがしかし、この平和利用といえども何の意味もなくこの放射線や放射能を受けるということは許してはならないということなんです。それに相当の掛替えがあるときに、許容量という概念が成立つのであります。

    具体的に、武谷は、以上のような議論を展開している。放射線・放射能は量に比例して有害であり、毒物のような致死量が存在しない。「白血病やガンというものの発生も非常に微量に至るまで受けた線量と比例して現れるという問題がはっきりだんだんして参りました」と、ごく微量でも、白血病の発生率を増加させてしまうとしている。

    そして、天然にも放射能があって、原水爆のそれよりも低いと主張されていることについては、このように批判した。

    …白血病だっていろいろ発生するのは、天然の放射線や放射能でかなり沢山の人が死ぬわけです。
     ところが、これがもし相当乱暴な立場で原子炉などが運転されるということになりますと、たとえこれが天然の水準より少ないにしても、ある種の白血病を出すか遺伝障害を生むわけであります。
     したがってそういう点からいって、これは天然より少ないからといって許されるかというと、そうは参らない。

    つまり、天然の放射線・放射能で白血病など発症して死亡することが多いとしても、どれほど少ないとはいえ、それに追加して死亡者を出すべきではないとしているのである。

    そして、許容量については、このように説明している。例えば、レントゲン検査でも白血病を生むことには変わりない。

    しかしながらその場合には白血病で死ぬ人に比べて、このレントゲン検査をやらなかったとすれば、それは100人の人が結核で死ぬとか、1000人の人が結核で死ぬとかということになるわけです。したがってどっちを選ぶかというと、この1人の白血病患者を選ぶということで許容量というものが成立つわけです。

    放射線・放射能許容量とは、いわば、それをあびるリスクと、それを利用して得られるリターンとの差し引きで成立っているといえるのだ。つまり、許容量以下であっても、ガン・白血病などにかかるリスクは少ないまでも存在する。それでも許容されるのは、利用して得られるリターンのためであるといえる。

    ゆえに、許容量といえども、放射線をむやみにあびていいわけではない。武谷は、このように指摘した。

     

    したがって、だからといって何をやってもいいということにはならない。できるだけ慎重に、なるべく防備を完全にして無駄な放射線を照てないということが必要になるわけです。

    そして、武谷は、このように憂いた。

     

    それで、私は大変今後の原子力で心配することは、こうやれば大丈夫、ああやれば大丈夫というふうに言っておいて、それはなるほどそういう設備を整えるかも知れません。また、整えないかも知れません。それは分からない。設備は整えたとしても、結局のところそういうものを流す方が簡単な場合が多いのです。そういたしますとそれが結局文句を誰かが言うと、「こういう乱暴なやり方はいかんじゃないか」ーそう言うと、「これは厚生省の許容量以下である。だからそんなことに文句を言うのはいけない」または「遺伝学的許容量以下である。遺伝学的許容量みたいな厳密な許容量以下なんだから文句を言う方がおかしいではないか」というようなことに決まっているのです。
     こういうことは、今後日本が原子力をどんどんやっていくときに私が最も心配していることであります。

    つまり、リスクとリターンとの関係で設定された「許容量」が一人歩きし、本来は許容量以下でも無駄な放射線をあびることはさけなくてはならないのに、許容量までならばなんでもいいということになってしまうことを武谷は懸念していたのである。

    そして、現在、武谷の懸念はある意味で的中したといえる。許容量が設定されると、それまではよいとされてしまうことは、福島第一原発事故以後、往々みられることである。それは、空間放射線率、除染基準、食品などの規制でみられる。結局、許容量以下でも無駄な放射線をあびる努力が必要なのだが、許容量ならば安全であり、それは無駄なこととする議論がしばしばみられるのである。

    このようなことが一般的なことなのだろうか。前回みた、国際放射線防護委員会( ICRP)は、結果的に平常の20倍の年間20mSvを汚染地帯の基準としてしまっており、そのことは評価できない。しかし、ガン・白血病・遺伝障害をひきおこす細胞レベルでの損傷については、サイト「原子力百科事典」(高度情報科学技術研究機構運営、略称ATOMICA)によると、このように説明している。

    細胞レベルの損傷は、極低線量(あるいは低線量率)の被ばくによって引き起こされるため、障害が発生する確率は、被ばく線量(あるいは線量率)に比例して増加することになる。実質的にほとんど障害が発生しない線量は存在するが、障害発生の確立がゼロとなるしきい線量は存在しないと考えられる。したがって確率的影響は、被ばく線量を合理的に達成できる限り低く制限することによって、その発生確率を容認できるレベルまで制限することになる。
    http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-04-01-08

    基本的には、細胞レベルの損傷は低線量でも生じうるのであり、しきい線量は存在せず、被ばく線量を合理的に達成できる限り低く制限せよとしているのである。その点は、日本政府などの考え方よりも、武谷の考え方に近いということができる。

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