さて、チェルノブイリ事故の際の西ドイツ社会において、放射能汚染という現状に対し、母親としても父親にしても、次世代に対する責任に直面させられたことを話してきた。
また、母親たちの行動に議論を移そう。チェルノブイリ事故からしばらくたって、このような状況が現出した。田代ヤネス和温は『チェルノブイリの雲の下で』(1987年)で、このように述べている。
しかし、あれから時間が過ぎてゆき、表面は何ごともなかったかのように平穏な日常に復帰した社会の中で、母親たちは孤立する。ある農家の主婦はこう語っている。
「私たちの村ではおどろくほど早くいままで通りの生活が戻ってきました。私の家の前の畑には、草花しか残っていないというのに、隣り近所の畑ではいつものように野菜が育っています。回りの人たちに不安を打ち明けると、きまって『あまり大げさに心配しない方がいいよ』とか、『だって何か食べないわけにはいかんだろう』という答が返ってくるのです。」
熱しやすく冷めやすいマスメディアの影響も見のがすことはできない。放射能の危険についての報道が下火になるにしたがって、人びとはストロンチウムとかセシウムなど、寿命の長い放射性物質が、人体に与える長期的な影響への関心もしだいに失った。誰もがいままでと同じように、平気で何でも食べている。
けれども その中でも、母親たちは行動するようになった。田代は、このように述べている。
それでもチェルブイリの後、原発社会における子どもたちの将来を案じて、「母親の会」や「両親の会」を名のる、数えきれないほどのグループが生まれた。新しい市民グループの参加者は、90パーセント以上が女性である。
それは、これまでよくあった古いタイプの政治運動団体と、まったくちがう体質をもっていた。権力志向に首までつかった古い世界では、海千山千の男や女がたがいにかけひきに熱中し、競争相手の足をひっぱり、自分を目立たせ、高く売りこむことに生きがいを感じていた。新しく生まれてきたグループは、まるで反対の極にあるといえよう。
田代は、いくつか、このような母親たちのグループの活動を紹介している。まずあげられているのが、「原子力に反対する母親の会」ミュンヘン支部である。ミュンヘンのあるバイエルン州は、政治的に保守色が強かったが、放射能汚染の度合いも高かった。このグループは、1986年5月11日の母の日の行動をきっかけに生まれたと田代は述べている。
この日ミュンヘン市では1000人を超える数の母親たちがマリエン広場に集まり、母の日の記念に家族から贈られた花束をもち寄って、放射能のマークの形を作って歩道に並べた。それは、母親としてわが子を守ってやることのできない無力感と怒りを表現したものであり、その静かな行動はあたかも宗教的な儀式のように、祈りのこめられた感動的なものだった。ここにはカソリックの信仰の強い地方性が表わされているのかも知れない。
母親たちの活動は、伝統的な宗教行事とかさなるものであった。田代は、西ドイツ全般の母親たちの運動について、このように伝えている。
かの女たちの活動は伝統行事との接点を保っている。収穫感謝祭の日には、食物の汚染に抗議の気持ちを表し、十一月の死者の霊を慰める日には、放射能のマークの形にローソクの火をともして、チェルノブイリの犠牲者のために祈りをささげた。
その他、さまざまな活動を行っている。「放射能汚染の未来を憂慮する親たちの会」では、自力で放射能汚染測定器を買い込み、学校の校庭などを測定した。1万ベクレルを超えるビーズバーデン市では汚染の強い校庭の除染を強いられることになった。
このブログで紹介した、アニャ・ルゥールは「授乳中の母親の会」の世話役となり、子どもにあらわれるであろう後遺症を追う必要があるとして、子どもたちの統計的調査を行うことを呼びかけた。
もっとも西ドイツで大きな「親の会」になったのは、ドイツ北部のキール市に本部をおく「無汚染食品のための親の会」であると田代は述べている。この会は、政治問題ではなく、食物の問題を前面に押し出しており、1986年6月12日には、母親たちはシュレスヴィヒ・ホルンシュタイン州の社会省に妊婦や成長する幼児たちに汚染されていない特別食を求めて団交し、その直後にハンストに入った。田代は「母親たちはECがストックしている汚染されていない食品を提供させること、そのほかスウェーデンで実行したように、汚染された草を刈り、廃棄することを要求した。ハンストを続ける妻たちのために夫たちは飲物を差入れ、家で子どもらの面倒を見た」と指摘している。
このように、チェルノブイリ事故の際の西ドイツ社会において、母親たちがさまざまな取り組みをしていたことをみてきた。今、脱原発デモに出ると「子どもを守ろう」という声が鳴り響いている。そして、放射能測定をする母親たちは無数にいる。その人びとに、西ドイツでも同様であったことを実感してほしいと思う。
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