前回、西ドイツ社会において、1986年のチェルノブイリ事故における西ドイツ社会での意識の分裂について述べてきた。このような意識の分裂は、ある意味でジェンダー的な差異を介して、強く意識されることになった。
田代ヤネス和温の『チェルノブイリの雲の下で』は、このように語っている。
歴史を振り返ってみると、女はしょっちゅう男が引き起こしたことのしりぬぐいをさせられきた。もっぱら男たちが始める戦争がいい例だが……チェルノブイリは女たちの内部に眠っていた古い記憶を呼び起こした。愛する家族にガンのくじを引かせてはならないと、本能の声が呼びかける。けれどもかの女たちが迎えている破局的な状態は、これまで経験してきたものとどこかちがっていた。
男たちが作り上げた原発社会は、破局なぞどこにも起こっていないと言い張っている。だが、女たちは家族に迫ってくる不安を体で感じている。この不安を取り除くには、不安の原因である危険な原発なぞない社会を選びたいと願う。これは女にとってごく自然な心のはたらきである。
これまでも男の負っている役割と女が負っている役割との間には、ときどき摩擦が激しくなり、きしみ声を上げることがあった。男は社会全体に対する責任を優先させ、女は家を守り子どもを養育する役割に重きを置いた。チェルノブイリは両者の対立を、敵対的な矛盾にしてしまったとさえ言える。破局なぞどこにもないと主張する男と、破局を超えて原発のない社会を願う女との間には、埋めることのできない亀裂ができた。そして、その亀裂の底に、将来にむけての起爆剤が仕かけられていることに気がついた人は、まだそれほど多くない。
この「女たちの不安」について、田代は、ベアルホフという人の手記「私は子どもらを犠牲にしたくない」を引用することによって、端的に示している。
地獄は、私たちが地下室にとじこもり、髪の毛を切り、住居をまるで手術室のように簡素にし、規律と清潔を完全に守り、母親たちがヒステリーを起こすことなしには子どもらが水たまりで遊べず、森で走りまわれず、砂場を掘り返せず、木に登れず、野原でかくれんぼ遊びができず、ひざ小僧をすりむいたりできないことに現れている。
地獄は、何も感じないのに、目に見えないのに、常に最悪の場合を考えて暮さねばならないことにある。
地獄は、女たちがあくせく動きまわっているときに、男たちが狂った進歩主義の終着点を見るのをいやがって、勝手に気ばらしをしたり、無力感にひたったりすることにある。
地獄は、子どもたちが放射能の病気になったことについて、、それは母親が十分に清潔にしなかったからだとか、正しい食事をあたえなかったからだとか、責任を負わされることにある。
地獄は、誰も検査なしに妊娠したり、出産したりできなくること。不適当と見なされた女たちに堕胎や不妊が強いられること、遺伝子操作の強要。出産に『適した』女たちが、汚染されていない貴重な精子で人工的に妊娠させられ、産む機械とさせられることにある。
私が地獄を見たあの日、体が反応を始めた。寒気を感じ、体ががたがたふるえ始めた。ふるえているとき、恐怖感が不意に野獣のように私の首にとりつき、体をゆさぶった。それから私はしくしく泣いたり、泣きわめいていたりすることがますます多くなった。食欲がなくなり、しだいにやせ細った。
…地獄を見たときの恐怖感は、しだいに子どもをみるときの心の痛みに変わっていった。私は結構年をとり、自分の人生を生きたじゃないの。私の恐れているのは自分のことじゃない、私のチビ(息子)はまだ四歳にもなっていない。
一方、男は、どのような対応であったか。田代は、『ターゲス・ツァイトゥンク』に投稿されたベーター・タオットフェストの「チェルノブイリが家庭に引き起こしたこと」を引用している。タオットフェストは、ヒロシマの被ばくも知っており、反原発運動には理解があるのだが、それでもこのように言っている。
台所から妻は、どこそこで今日はしかじかのベクレルが測定されたから、明日も子どもたちを外に出さない方がいいのじゃないかと聞いてくる。私たちの間の空気は冷え切っている。私は台所に行って、用心深くことばを選びながら、なぜ私が放射線防護対策を守りたくないかを話した。『新しい生活のルールが私にはヒステリーであるだけでなく、真の危険を過小評価しているように見えるのだ』
……私たちは簡単な対策で被ばくが防げるかのようにだまされているのだ……私たち緊急事態に少しずつ馴らされるつつあるのだ。だから私はサラダを食べなかったり、牛乳を飲まなかったりするかわりに、サラダを食べ牛乳を飲み、それから市役所の前に行って『こういう形では身を守れないぞ』と抗議すべきなのだ。
……夫たちが鈍感なのではない。そうではなくて妻たちの度が過ぎているのだ。危険に際会した反応として、こんなにも男女に差が生じるのはおかしい。危険の度合いについての知識に両性の差はゼロのはずだから。ならばやはりこれは男と女のちがいの問題なのだろうか。一方に冷静で恐怖感を持たない男がいて、他方に心配過多症の女がいる。私にはわからない。知ったかぶりはやめておこう。
ただ気がついたのは、身のまわりに起こった危機は、必ず家庭内で表面化するということだ。五月の私たち夫婦の間に生じたいきちがいやいさかいは、危険が迫ってくると必ず起こる性質のものだ……
田代は、「生活の内部にまでいや応なく侵入してきた放射能は、根の深いところでの男と女の対応の違いをあらわにさせた。夫婦の間にもいさかいが生じ、それが昂じて離婚にいたったという話もまれではない」と述べている。
翻って、現在の状況をみてみよう。東京も含めてなのだが、福島第一原発事故で、かなり多くの放射性物質が降下した地域では、女性たちはベアルホフの手記にあるように感じ、かなり努力をして放射線防護対策をとっている。それは、家族全体を今まで住んでいた地域から移住する計画を企てるほどのものなのだ。他方で、男たちは、第一に職場などの生業の場を変えたくないという意識が強い。一時は、そのことで離婚が増加したと聞いている。今でも、夫などの男たちが放射線の強い福島県などで働き、女性・子どもが他府県に移住するというケースはざらにみかける。
私自身も、ある意味では、ここであげられている「男性」のように考えていたことを告白しなくてはならない。過度に放射線防護対策をとらねばならないということに違和感をもっていた。
しかし、今は多少違ってきた。一つに、田代の著作に出会ったことが大きい。チェルノブイリ事故の際の西ドイツ社会の状況は、今、私たちが目にしているものと同一の様相を示していた。田代の著作を読むことによって、自らの意識が相対化されたといえよう。それは、まさに「歴史」の効用といえるであろう。
そして、もう一度、自分の目で、セシウムなどの汚染状況をチェルノブイリ事故の際と今と比較してみると、愕然とした。専門家でないので、数字自体はよくわからないが、田代の著作にあるようなパニックとなった西ドイツよりも今の日本の状況は深刻であり、福島県にいたっては、チェルノブイリ原発自体が立地していたウクライナ・ベラルーシに匹敵する(もちろん面積などには違いがあるが)ものとして考えた方がよいのではなかろうか。
その意味で、現在、私自身の意識も変化していく最中なのである。
そして、私自身の中にもあった「男性的」な意識の背後には、ここでみてきたジェンダー的な差異があること、これも田代の著作から学んだことの一つである。
昨年の今頃は、私も地獄を見ておりました。
予想よりかなり遅れて、汚染状況がデータで示されるようになり
現在は何とか平衡状態を保っていますが、
片方が地獄へ続く道の、分岐点に立っているような緊張感を常に抱いてます。
私のブログでからリンクさせていただいても良いでしょうか。