ここで、チェルノブイリ事故(1986年)の衝撃を日本社会はどのようにうけとめたのかをみておこう。チェルノブイリ事故においては、原発所在地周辺は住民の居住を許さないほど高濃度の放射性物質による汚染がみられ、その後、周辺住民の中で放射性物質に起因するとみられるガン・白血病が発生したことは、周知の通りである。他方、これは、あまり意識されていないことであるが、チェルノブイリ事故による放射性物質の汚染は、ソ連だけでなく、ヨーロッパを中心に広範囲にみられ(部分的には日本にも及んだ)、放射性物質による汚染に対する恐怖は、ヨーロッパ各国においてもまきおこった。このことについては、以前、本ブログの中でも、田代ヤネス和温の『チェルノブイリの雲の下で』(1987年)に依拠して紹介した。
日本においても、チェルノブイリ事故を契機として、原発の危険性を警戒する声が高まった。このような動きの中心にいたのが、ジャーナリストであった広瀬隆であった。広瀬隆は、チェルノブイリ事故以前から原発や核実験の危険性を警告していた。『東京に原発!』(1981年)においては、過疎地に建設されていた原発を過密地である東京に建設するという想定をしつつ、原発の危険性を訴えた。『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(1982年)では、アメリカ・ネバタ州の原水爆実験場周辺において、ロケにきたハリウッドの俳優や住民においてガンが多発したことをとりあげ、単に核戦争だけではなく、原水爆実験自体も危険性を有していることを主張した。
チェルノブイリ事故直後、広瀬は日本各地で、チェルノブイリ事故にみられる原発の危険性を訴えた講演会活動を精力的に展開した。当時、広瀬隆の講演は広範囲に聞かれており、そのさまは「ヒロセ・タカシ現象」とよばれたとのことである。そして、この講演会活動で話した内容を『危険な話―チェルノブイリと日本の運命』(1987年4月26日、八月書院)という形でまとめた。
ここでは、本書の内容を紹介しながら、本書のもつ原発の危険性への「警告」の意義と、その「警告」を「実証」することの難しさをみていきたい。
本書の最初は、このような形ではじまっている。
御紹介いただきました広瀬です。司会者の方にお言葉を返すようですが、私は作家でも先生でもありません。これは、チェルノブイリの事故についての報道に関係することでもありますので、最初にお断りしておかねばなりません。
私はただ、自分の身を守る、と言うよりむしろ正直に申しあげれば二人の娘の命を守りたいという、父親としての生物本能から、このような所に立っています。ですから、おそらく今日ここに来られた皆さんは、この世ではかなり意識の高い人が集まり、ある人はジャーナリズムに係わり、ある人は環境問題や消費者問題を心配し、ある人は政治的な活動に関係するなど、さまざまな活動をしているのではないかと想像しますが、そのようなことは一切忘れて、今日はすべて過去の知識をいったん白紙に戻して話を聞いてください。
大切なことは運動ではありません。事実を知ることです。たった一人の自分個人に立ち返っていただきたいのです。日本人はすぐに運動をはじめますが、今は、もう運動だとかジャーナリズムだとか、そのような次元を超えた時代、つまり生きるか死ぬかの断崖に人類が立たされているのです。(p8)
ここで、広瀬は、自分を作家でも先生でもなく、二人の娘の命を守りたい父親の立場にたって、この講演を行っているといっているのである。いわば、作家・学者として、聴衆に啓蒙を行うのではなく、放射性物質による汚染を自分の娘のために防がなくてはならないという「当事者」の立場にたっていると宣言しているといえる。そして、聴衆にも、運動の立場なのではなく、「たった一人の自分個人」にたちかえれとよびかけているのである。つまりは、他者のための「運動」ではなく、当事者としての自分個人を自覚せよというのである。
まず、チェルノブイリ事故について、いろんな意味で情報隠蔽がされていると、広瀬は述べている。それは、日本において、もっともはなはだしいと指摘している。
…いったいソ連でどのような事故が起こったのかということについて、テレビや新聞ではほとんど報道されていない部分があります。実は、重大な事実が秘密にされています。実は、私たちが今食べている食べ物の中に、チェルノブイリからまきちらされました大量の死の灰が現実に入ってきて、それを私たちが食べなければならないという状況が起きております。そのために食べ物を作っている人たちが全世界的に大打撃を受けております。
それで、この事故をなんとか小さく見せようということで、ジャーナリズムもほとんどそれを報道しないできました。しかし、現実にはもっと怖いことが進行しています。特にこの日本ではジャーナリズムが原発問題ではひじょうに遅れていまして、…ですから日本人ほどほとんど何も知らされていない国民は世界でも珍しい、完全に世界から取り残されている、という状況に置かれているわけです。(p9)
特に、広瀬は、1986年にソ連が発表したチェルノブイリ事故の報告書の信憑性に疑問を呈している。例えば、この通りだ。
ソ連はいまだに「炉心溶融は起こらなかった」と言っているが、さきほどのソ連のレポートには、「燃料の一部が下の部屋に溶け落ちている」と自分で書いている。ものは言いようですね。(p25)
この本を、福島第一原発事件以前に読んだことはなかった。しかし、今は…。そう、今にいたってもおこっていることなのである。
ソ連の報告書自体を信用しない広瀬は、むしろ、新聞に出ている情報を、彼なりの分析を行うことで、「事実」を把握しようとする。例えば、北欧で非揮発性のルテニウムなどが検出されたという新聞記事を根拠に、金属であるルテニウムの蒸発温度などを手がかりにして、広瀬は、チェルノブイリ事故で、炉心溶融―メルトダウンが起こっていたと結論づける。
わずかひとつの記事、「北欧でルテニウムなどが大量に検出された」という事実から、これだけの壮大な現実が透視できることを、知っておいてください。(p25)
その上で、彼は、チェルノブイリ事故におけるソ連やIAEAの情報操作について、このように指摘している。
ソ連が八月にIAEAに提出したレポートは、どこから解析しても嘘また嘘ですね。なぜこれほど嘘をつかねばならないか。ここで私の意見をひとこと述べさせていただきますが、報告書を書いたのはソ連でなく、IAEAが書かせたに違いありません。
(中略)
すべて嘘なのです。実はそれまで正常だった原子炉がいきなり異常になると、わずか四秒で爆発してしまった。一、二、三、四、ドカン。これでは全世界のいかなる緊急安全装置も爆発を防ぐことができない。アメリカだろうと日本だろうと、再びチェルノブイリと同じ大爆発を起こすという現実が暴露されてしまった。これは全世界の原子力産業にとってきわめて具合が悪い。そこでとんでもない“実験のシナリオ”を作り、「お前はこう言え」とソ連にレポートを書かせた。(p37~41)
そして、その情報操作の結果について、広瀬隆は、このように主張している。
学者の多くが、このレポートを中心に論争をたたかわせています。IAEAの思う壺ではないですか。(p43)
科学史家の吉岡斉は『新版 原子力の社会史』(2011年)の中で、広瀬の指摘を先見の明のあふれるものとし、現在まで基本的に反証されていないものとしている。ここでは、あまりふれないが、広瀬隆の指摘について、ある意味では「学術的な」ソ連の報告書に依拠しない非科学的なものであり「嘘」なのだという批判がなされたことがある。たぶん、私自身ならば、ソ連による「情報操作」それ自体を「実証」する史料が提示されていないと批判するかもしれない。
しかし、広瀬の主張は、少なくとも、合理的な推論もしくは仮説であり、「嘘」とはいえない。そして、すべての史料がその時点で手に入らないならば、その時点で入手可能な史料に基づいて結論をだし、その結論によって行動するということが必要であろう。そして、彼の推論もしくは仮説をふまえつつ、いわゆる専門的研究者は事後的に分析すればよいのではないだろうか。
たぶんに「学術的な」体裁をもつ報告書に依拠して議論するしかない、いわゆる科学者たちの「存在根拠」を、広瀬は厳しく追及しているともいえるのである。
さて、広瀬は、原発の放射性物質による汚染の深刻さをこのように指摘している。
チェルノブイリの事故は終った、もうソ連やヨーロッパでは正常な生活に戻っている、と皆さんは思っているでしょう。とんでもない。たった今、ヨーロッパ全土で莫大な数の人たちが、この被害に巻きこまれはじめたところです。食べ物のなかに、たとえば牛肉などにぞくぞくと危険なセシウムが入りはじめ、いよいよ逃げられない所まで大汚染が広がってきたのです。さあ、これから何が起こるでしょう。これについて、過去の悲しい人類の体験から、おそろしい未来を推理することができます。(p10)
彼にとっては、核戦争という「将来の危機」だけでなく、「原発」による放射性物質の汚染という現実的危機に対応しなくてはならないということを「原子炉のなかで静かに核戦争が行われてきた。」という卓抜なレトリックでこのように表現している。
多くの人が反核運動に情熱を燃やし、しかもこの人たちは大部分が原子力発電を放任している。奇妙ですね。核兵器のボタンを押すか押さないか、これについては今後、人類に選択の希望が残されている。ところが原子炉のなかでは、すでに数十年前にボタンを押していたことに、私たちは気づかなかったわけです。原子炉のなかで静かに核戦争が行われてきた。いまやその容れ物が地球の全土でこわれはじめ、爆発の時代に突入しました。爆発して出てくるものが深刻です。(p54~55)
特に、彼は、放射性ヨウ素による甲状腺障害について、ビキニ環礁の事例をあげて説明し、チェルノブイリ事故においても甲状腺がんが多発することを「警告」した。
南太平洋のビキニ海域で核実験がおこなわれ、その一帯に住んでいた人のほとんどが甲状腺に障害を持っている。この住民を追跡してきた写真家の豊崎博光さんと先日会って話を聞いたのですが、この人たちがヨード剤を飲んでいたというのです。危険なヨウ素を体内に取りこむ前に、ヨード剤を飲んで体のなかをヨウ素で一杯にしておけば、危険なものは入りこみにくい、という原理ですね。ところが、それが効かなかった。つまりチェルノブイリやヨーロッパの子どもたちには、間違いなく甲状腺のガンがすさまじい勢いで発生する。もうすでに、兆候は出はじめているでしょう。(p60~61)
これは、いやなことだが、広瀬の「警告」通りとなった。ヨーロッパ全土ではないにせよ、チェルノブイリ周辺で甲状腺ガンが多発したこと、これは、現在は周知のことである。しかし、以前、本ブログで、児玉龍彦『内部被曝の真実』(2011年)において、そのことを実証するのに20年かかり、それから対処していたのでは患者の役に立てないと指摘していたことを紹介した。このように、広瀬のいう「警告」を「実証」するのは、そう簡単なことではないのである。
特に、彼が強調していたことは、放射性物質の摂取による内部被曝の危険性である。
プルトニウムの出す放射線は遠くまで飛びません。ということは逆にいいますと、近くにある細胞だけに全エネルギーを集中し、完全破壊してここに完全なガン細胞をつくる。これがプルトニウムのおそろしさです。そのガン細胞が幾つかできると、それが知らないうちにだんだん増殖してゆき、もちろんすぐに明日にも肺ガンになるわけではありません。何年かたってこのガン細胞が増殖します。そしてある日気がついたときには肺ガンに襲われて息もできない。しかもその因果関係はとうてい実証できないというような形で苦悶するわけです。まさに当局にとっては、何人殺そうが“安全”な基準ではありませんか。(p64~65)
この内部被曝は、現在、日本にいる多くの人たちが懸念していることである。しかし、ここで、広瀬がいっているように、その多くは「実証」されていない。ある意味では、かなり明確にみえた放射性ヨウ素と甲状腺がんの因果関係ですらも、「実証」するのに20年かかったのである。そして「実証」のないことは、それそのものが存在しないことになってしまうのである。結局、「実証」の欠如は対策の欠如を「正当化」する根拠になっていく。
その上で、広瀬隆は、日本の原発の危険性を強く主張する。「メルトダウンが起こってから、すべての事実に気づき、泣き叫ぶでしょう。」-私たちがいま経験していることである。
日本の技術は世界一、という話が通り相場になっていますが、これは壮大なトリックです。…メルトダウンが起こってから、すべての事実に気づき、泣き叫ぶでしょう。最初に申し上げておきます。日本の原発は、この数年以内に大惨事を起こします。いま最高の技術によって運転されているのではなく、いよいよ部品が寿命に近づき、危険な時代に突入しているのです。私たちが、たまたま生きているにすぎないことを、具体的に証明してみます。(p10~11)
彼は、茨城県にある東海原発が爆発したことを想定して、このように書いている。
レポートに書かれている“最も平均的な風速―毎秒七メートル”で計算すると、この絵で示したように放射能の雲はわずか五時間で都心の上空に姿を現わし、ガンマ線がすべての物を射抜いて私たちに襲いかかります。
こうなると、四百万人どころではない。首都圏だけで三千万人。この人たちが全滅です。全滅と言ってもすぐコロリと死ぬわけではありませんよ。(p182)
その時の死の状況も、想像力豊かな筆致で、このように描き出している。
こうして私たちは、大事故のときにはどこへも逃げられず、政府の出してくれる安全宣言を耳にし、それを内心で疑いながら、食料は全滅と知りながらそれを口に入れます。腹が減れば、人間は何でも食べます。子どもを飢え死にさせるわけにゆかない。目の前には食べ物がある。危険と知りつつ食卓に並べる。ひと口食べてみる。すると意外なことに、体には何の異状も起こらない。大丈夫ではないか。なんだ、危ないという話は嘘だったのではないか。こうして食べ、やがて壮絶な未来が待ち受け、病室のなかでもがき苦しみながらバタバタと倒れてゆく。
皆さんは今、これを空想の物語として聞いていらしゃいます。違うのです。これこそ今、ソ連とヨーロッパで実際に起こりつつある出来事なのです。(p184~185)
本書の最後の部分では、原子力開発をすすめた、世界や日本の財閥について分析している。
最後に、そう、これだけ大変な事実がなぜ隠され、誰がマスコミの口封じをしているのか、その裏の世界を暴露します。これがエネルギー問題や平和利用でないことは、人間と金の流れを追えばすぐに分ります。おそるべき無知な人間が、しかも旧軍閥に直結する人間たちが、われわれを地獄に招こうとしている、そのために欺かれてきた現実が見えてくるでしょう。(p11)
広瀬隆の『危険な話』をどのように評価すべきであろうか。私は、いわば自分自身の問題ではない専門家―非当事者たちの言説ではなく、自身も原発の危険性にさらされているという聴衆―いわば民衆一般と同じ運命をもつ当事者の立場に意識的にたつことを前提にした言説として本書を位置づけておきたい。そして、その観点から、合理的な推論によってソ連の報告書などの欺瞞をあばき、被曝の危険性を「警告」したものといえるだろう。
3.11以降、マスコミの論調でも脱原発の集会・デモにおいても個人的な会話でも、かなり広瀬隆と共通した主張がなされたといえる。政府・東電の情報隠蔽、内部被曝の危険性など、これはすでに広瀬が主張していたものだ。
しかしながら、広瀬の「警告」は、合理的ではあっても、推論・仮説であるといえるのである。ソ連・IAEAの情報隠蔽についても、内部被曝についても、現象的には承知できるのであるが、それを資料的に本書で「実証」しているかといえば、まだ、そうとはいえないように思われる。放射性ヨウ素と甲状腺がんの因果関係についても「実証」するのには20年かかった。広瀬に批判的な人びとからは、単なる不安感の醸成というかもしれない。
しかし、それでは、現実の課題には対処しえないともいえるのである。その意味で、直近の課題に対処するための推論・仮説の重要性を自覚しなくてはならない。現実の民衆がかかえている課題―不安を含めてーを聞き取り、そして、今入手できる資料で推論・仮説をたてながら、とりあえず対処方法を考えていくことの重要性を理解すべきなのだ。その点において、広瀬隆の『危険な話』を評価していかねばならないと思う。
そして、これは、広瀬隆だけの問題ではなく、現に、私たちがかかえている課題なのであることを痛切に自覚していかねばならないだろう。
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