福島第一原発事故が地域社会に与える影響は、どのような重さをもって受け止められているのか。福島第一原発事故の影響は、一時的なものと認識されているのか。それとも、かなり永続的なものなのか。現在、福島第一原発事故のために、根こぎにされた地域社会は、近い将来再建できるのか。それとも、かなり長い間、立ち入ることすら難しいのか。福島第一原発事故の地元住民を含め、このように、二様にわかれているのが現況であるといえる。
例えば、2011年9月5日付の朝日新聞朝刊の投書欄には、次のような記事が記載されている。
帰れるという期待抱かせるな
無職 石井優
(山梨県甲斐市 64)
福島県富岡町にある自宅は警戒区域とされ、自宅に立ち入ることができない。先月菅直人首相(当時)が福島県に出向き、警戒区域は長期間帰宅困難に、また汚染物質の中間貯蔵施設を県内に造りたいと佐藤雄平知事らに告げた。
2千坪の私の敷地には畑、果樹園、山林、深井戸があり、草は背丈まで伸び、もはや汚染どころではなかろう。
そこで提案したい。一つは、警戒区域では地主の希望を聞いて、土地家屋の買い取りか借り上げを進める。二つは、福島第一原発の周辺に汚染物質を貯蔵することだ。
私もこんなことを認めたくない。千葉県で教員生活を送り、定年退職し3年前に引っ越してきた。町への愛着心も強い。でも、もうだめだ。ことここに及んで、国が「帰れる」という期待を抱かせることがごまかしのような気がしてきたのだ。
汚染物質も他の県で受け入れてくれるところはすぐ見つからないだろう。私は、原発に反対の立場だが、原発の作業員の安全を確保しながら近隣で貯蔵し、最終処分先を見つけるしかないと思う。
この投書者は、警戒区域にある富岡町から、かなり離れた山梨県甲斐市に避難していると思われる。現在のところ、有効な除染は難しく、さらに汚染物質の受け入れ先もないとして、現時点で警戒区域内への帰郷を断念し、警戒区域内の土地・家屋の買い上げ、借り上げをすすめ、福島第一原発の周辺に汚染物質の貯蔵所を設けることを提案していることが、この投書の趣旨である。この発言は、8月27日、菅首相が福島で表明した「一部地域『長期間戻れない』」「汚染土壌『県内に中間貯蔵』」(2011年8月28日付朝日新聞朝刊)という方針におおむねそったものといえよう。その際、投書者は「ことここに及んで、国が「帰れる」という期待を抱かせることがごまかしのような気がしてきたのだ」と述べている。
この投書に反論する投書が、くしくも3月11日からちょうど半年後の、2011年9月11日付朝日新聞朝刊の投書欄に掲載された。
「もうだめだ」とは思わない
無職 村田弘
(横浜市旭区 68)
国は警戒区域に帰れるという期待を抱かせるな、という投書(5日)を読み、悔し涙がこぼれました。被災者にここまで言わせるのかと。
投書者は福島県富岡町から避難、草に覆われた自宅を見て「もうだめだ」と思ったそうです。そして①国による土地家屋の買い上げか借り上げ②福島第一原発周辺での汚染物質貯蔵を提案しています。
私も定年退職後、原発から16キロの同県南相馬市小高区に移り、「百姓見習い」をして8年になります。6月末避難先から一時帰宅した時、胸までの雑草に覆われ、鳥の鳴き声の絶えた農園を前に立ちすくみました。でも、私は「もうだめだ」とは思いません。
二つの提案には断じて同調できません。菅政権の最後に発表された「年間推計積算放射線量」「土壌汚染地図」や、菅直人前首相の「長期帰宅困難」発言には「棄民政策」のにおいを感じます。
怖い数字を並べて絶望感を誘うのではなく、きめの細かな汚染調査と科学技術の粋を結集した除染、納得のいく汚染物質処理計画を立てることが先でしょう。警戒区域約7万8千人の大半が帰郷を諦め、美しい故郷を「核のごみ捨て場」にすることを許すとはとても思えません。
この投書は、菅首相の打ち出した方針に反発しつつ、徹底的な除染と、汚染物質の県外移転を主張し、なるべく早期に「帰郷」させることを求めたものである。菅首相の方針に反発した福島県知事他各自治体の首長たちの発言と同様なものといえよう。
除染すれば、福島第一原発周辺の住民は帰郷できるのか。いや、除染すら難しいのか。そして、除染しても、その結果生じる汚染した土壌、瓦礫、植物などは、どこに捨てるのか。県外か、福島第一原発周辺に留め置くのか。
この二つの投書で示したように、地元住民も二つに分かれているといえよう。そして、その先には、重い問いがある。現時点では、福島第一原発周辺における地域社会の再建は諦めるべきか。いや、むしろ、除染などを徹底して、少しでも早期に「帰郷」できるように努力すべきなのか。そもそも、そのような「努力」すら可能なのか。逆に「努力」もしないで「希望」を放棄してよいのだろうか。
この時、ちょうど、福島第一原発周辺の自治体を「死のまち」と発言したことを契機にした、鉢呂吉雄経済産業大臣の辞任劇(9月10日辞任)が永田町で演じられていた。この辞任劇の背景には、このような福島第一原発事故の今後の影響をめぐる、見解の対立があったといえよう。
付記:パソコン修理中のため、多少更新が遅れることがあることをここで記しておきたい。
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