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さてはて、是非はともかく、9月7日に2020年東京オリンピック開催が決定された。しかし、驚いたのは、マスコミなどで流される「祝勝」気分と、自分たちの周辺との反応の落差である。私はオリンピックが開催される予定の東京に住んでいるが、直接に接触しても、フェイスブックで間接的に意見交換しても、東京オリンピック開催を喜ぶ人はほとんどいない。私が資料収集をしていた9日の武蔵野市立中央図書館で、全く知らない図書館利用者が「決まってよかったですね。うれしくて」と別の利用者に話しかけていたが、いわゆる「喜びの声」を「生」で聞いたのは、それだけである。

福島などの被災者が「別の国」のようだと言っていたが、東京に住んでいる私も、まるで別の国に住んでいるようにしか思えなかった。その第一の理由は、もちろん、安倍首相その他の福島第一原発事故についての虚偽とすら思える発言があったことである。しかし、それだけではない。東京に住んでいたとしても、2020年東京オリンピック開催によって、私個人の「生」にどのようなメリットがあるか、わからないからでもある。

本当に心から東京オリンピック開催を喜んでいる人たちはどういう人なんだろう。そういった目で、祝祭気分あふれる(とみえる)朝日新聞を読み直してみた。

新聞休刊日があったため、号外をのぞいて朝日新聞本体では第一報となった2013年9月9日付夕刊には、まず度肝をぬかれた。普通の新聞本体をカバーして、全面色刷の東京の俯瞰写真が掲載され、「お帰り五輪。夢の炎、熱く熱く」と見出しがうたれている(なお、下の一部と裏面は、なぜかBMWの広告である)。その中では、第一に1964年東京オリンピックが開催されたことが回顧され、東日本大震災の復興がはたされたとはまだいえないと指摘した後、

 

が、五輪は間違いなく人々の体に勇気を吹き込む。猫背気味に視線を下に落としていた人たちが上を向くのだ。そこには64年に見た「希望」が形を変えて新たに表れるに違いない。お帰り、五輪。僕たちは元気をもらうよ。

と、東京オリンピック開催決定を祝勝している。そこには、64年五輪を回顧し、五輪が「勇気」を吹き込むという言説があることに注目しておきたい。「勇気」というものを「主体性」という言葉で代置するならば、五輪は人びとの「主体性」を構築するものとして把握されているのである。

そして、2面では、「経済界、高い期待 早速セールも」という見出しのもとに、経済界がオリンピック開催に期待を高めている様子を報道している。これは、まあ当たり前のことである。それでも、オリンピック開催を第一に喜んでいるのは、経済効果を期待する経済界であることは記憶にとどめるべきことであろう。

さらに、スポーツを扱う12面で、「アスリート走り出す」という見出しのもとに、柔道女子57キロ級金の松本薫、ゴールボール金の浦田理恵(パラリンピック)、女子マラソンアテネ五輪金メダルの野口みずき、体操男子ロンドン五輪個人総合金メダルの内村航平、競泳男子平泳ぎ金メダリストの北島康介、車いすテニスの国枝慎吾(パラリンピック)の「喜びの声」を伝えている。一例として、松本薫のそれを紹介しておこう。

夢持つ子が増えれば、柔道女子57キロ級金松本薫

 ロンドン五輪柔道女子57キロ級金メダルの松本薫(フォーリーフジャパン)は2020年の東京五輪に「夢」を感じている。
 「今、夢を持てない子どもたちが多くなっていると聞きます。東京に五輪がくることで、夢を持つ子どもが1人でも増えればいい」
 ロンドンで日本選手第1号の金メダルを獲得。1年の充電期間を経て、ロンドンの記憶は薄れてきている。脳裏に残っているのは、選手村の雰囲気。「緊張感と、ついにここまで来たんだ、という喜びが混じっていた。独特の空気感でした」
 激しい戦いぶりとつかみどころのない素顔とのギャップで人気を集めた彼女も小さい時は明確な夢を持てず、悩んでいたという。「ケーキ屋になりたいとかそういうのはあったけど。いつか路頭に迷うんじゃないか、って思ったときもありました」
 そんなモヤモヤを振り払ったのが、中学生のころに抱いた五輪への憧れだった。ロンドンで「やりつくした」との思いも抱いたが、再び「夢の舞台」に立ちたいという欲求を抑えることは出来なかった。
 25歳。「柔道が天職」という彼女が、2020年まで現役でいられるかは分からない。それでも、「東京五輪で、アスリートの夢を日本のみんなと共有で出来れば、本当にすごいと思います」。(野村周平)

経済界の五輪開催への「期待」が経済効果であり、いってしまえば営利獲得の機会拡大であることと比べてみれば、松本の「夢」は、自分以外のものにも向けられており、純粋な気持ちであるといえよう。その点、「感動的な」記事である。しかし、それが、「アスリートの夢」であり、「非アスリートの夢」ではないことに注目しておかねばならない。それをみんなー都民・国民に「共有」させること、これが松本の東京オリンピック開催なのである。松本個人が出る出ないは別にして、彼女が属しているアスリートの世界全体は、東京オリンピック開催によって利益を享受するとはいえる。いわば、アスリートは総体として「受益者」であり、関係当事者なのだ。その他のアスリートたちも、立場は同じである。彼らが2020年オリンピック開催を喜ぶのは当然だが、一般の人びととは立場が違うと指摘しておかねばならない。

さて、社会面である14・15面は二面見開きで「情熱のち聖火 夢舞台再び」という見出しのついた大きな記事が掲載されている。その中で、第一に「半世紀あせぬ思い 聖火台・ブレザー 磨いた技」として、64年東京オリンピックにおいて聖火台製作に関わった鈴木昭重と、バレーボール日本代表(男女)の公式ブレザーを仕立てた藤崎徳男の発言が紹介されている。第二に、「一枚かみたい64年出場組」という見出しのもとに、64年東京オリンピックにおいて日本選手団主将をつとめた元体操選手の小野喬と、64年の東京オリンピックで議論に初出場し、ロンドンオリンピックにも出場した馬術選手の法華津寛の談話を紹介している。この四人は、まずは64年東京オリンピックの関係者であるということが共通している。彼らは、オリンピック関係者であるという点で、現代のアスリートたちの立場と共通している側面をもつ。他方で、1964年の東京オリンピックを回顧するという点で、独自の面をもっているといえる。

この記事ではさらに、『「東京で勝負」 若手決意』という見出しのもとに、10代のアスリートたちの声として、陸上選手桐生祥秀(17歳)と、卓球選手平野義宇(14歳)の談話が掲載されている。ここでは、桐生の分のみあげておこう。

「東京で勝負」 若手決意

 母国での五輪を担う10代の若者は夢を膨らませる。
 「東京にくるのはうれしいけど、五輪に出たことがないので……」。陸上男子100メートルで9秒台をめざす17歳の桐生祥秀選手(京都・洛南高)は少し戸惑いながら話した。
 陸上を始めて1年目の2008年、北京五輪の陸上男子400メートルリレーで日本が銅メダルを獲得するのをテレビで見た。「その時は、ただ日本が速いな、ジャマイカがすごいなっていう程度。まさか自分が世界で戦う選手になるとは」。今年の世界選手権では400メートルリレーで6位に入賞した。
 20年は24歳。「勝負するのは東京。世界で戦える強さを持って、その舞台に立っていると思う」
(後略)

桐生の発言は純真だ。しかし、彼も、ここでは省略した平野も、広い意味でアスリートに属している。いや、2020年東京オリンピックでは、主力選手になっているかもしれない。その意味で、彼らもまた、東京オリンピック開催による受益者であり、利害関係者であることは留意しなくてはいけない事実である。

そして、やっと、14面の片隅において、一般の人とおぼしき人びとの「喜びの声」があげられている。ただ、東京都内の招致イベント会場で取材した記事なので、一般の人というよりも東京オリンピック招致活動参加者の声とするのが適切かもしれない。それでも、今まであげてきた人びとよりは一般の人に近いといえよう。短い記事であるので、ここで紹介しておこう。

「希望見つけた」

「バンザーイ」「やったー」。半世紀ぶりの五輪開催が決まった8日未明、東京都内の招致イベント会場は喜びに沸いた。
 1964年大会の会場となった世田谷区の駒沢オリンピック公園総合運動場の体育館。大画面に映ったIOCのロゲ会長が「トーキョー」と告げると、大歓声が上がり、金色の紙吹雪が舞った。
 東日本大震災の被災地・福島県南相馬市から来た江本節子さん(66)の目には涙。「ようやく夢や希望が見つかった。復興と五輪が両輪で進んでいくのではないか」と喜んだ。
 五輪代表選手らの練習拠点となる味の素ナショナルトレーニングセンター(北区)に近い「板橋イナリ通り商店街」(板橋区)。8日朝、子どもたちが巨大なくす玉を割り、「祝 東京オリンピック」と書かれた幕が現れた。近くの工場経営、下平信彦さん(30)は長男の和彦ちゃん(1)を連れ、くす玉を割れる様子をビデオ撮影した。7年後、小学生になる息子に感動を伝えるためだ。下平さんは「五輪には夢がある。選手が頑張る姿を見て、何かを目指すきっかけにしてほしい」。
 8日朝、東京・新宿の都庁前では、「THANK YOU ありがとう」と感謝の気持ちを人文字で表すイベントも。杉並区の自営業池田輝夫さん(65)は「64年大会は高校を早退してマラソンのアベベを見に行った」と懐かしみ、「今度は8人の孫に見せられる」と喜んだ。

さて、ここでは3人の人が「喜びの声」を語っている。江本と池田は大体同じくらい(65〜66歳)で、1964年オリンピック経験者であることに着目したい。池田は、明確に、1964年オリンピックと重ね合わせて、今回のオリンピックへの期待を述べている。江本は、産經新聞にも同様なことを語っており、なぜ、被災地でこういうことをいうのかと考えていたが、年齢をみて納得した。彼女は、自分でも体験した1964年オリンピックの残像の上に、復興に寄与するオリンピックというイメージを構築しているのだと考えられる。

年齢的にみて、下平は1964年オリンピックを直に体験したことはないだろう。しかし、彼も、オリンピックに完全に無関係かといえば、そうではない。オリンピック関連施設と考えられる味の素ナショナルトレーニングセンターの近くに住んでいるのである。彼自身は、たぶんオリンピック開催から直接的利益を受けることはないだろうが、地縁はあり、広い意味でオリンピックに関わり合いをもつものといえよう。

さて、全体でいえば、2013年9月9日付朝日新聞夕刊で「喜びの声」を表明している人たちの多くは、オリンピック開催に何らかの関わり合いをもつ人たちといえる。「経済効果」を期待する経済界、よりチャンスを広げたいと考えているアスリートたち、1964年のオリンピックに関与した人びと、オリンピック関連施設と「地縁」を有するものなど、それぞれ多様であるが、全く関連のない人たちはあまりいないといえる。

そして、オリンピックに関わらないで「喜びの声」を挙げている二人は、年齢的にみて1964年オリンピックの体験者であると考えられる。同じようなことは、1964年のオリンピック関係者の四人にも共通している。聖火台製作に関与した鈴木昭重は「64年当時と違い、今の日本は成長が止まっている状態。五輪で気持ちが新たになればいい」と述べている。彼らは、1964年を回顧しつつ、2020年のオリンピックに期待をかけるのだ。

このように、本新聞の紙面で2020年東京オリンピック開催への期待を語っている人びとは、受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちであることが理解されよう。

ただ、昨年、東京オリンピック開催をかかげた猪瀬直樹がかなりの得票率で都知事選に勝利したこと、IOCの調査では東京開催を支持する意見は70%程度はあったと報じられていることをみると、東京開催を「支持」するという人たちはかなり多いのではないかと推測される。しかし、それは、一般的には漠然とした支持であり、明確に言語化して「心から支持する」と主張する人は一般には少ないのではないかと思われる。広い意味での関係者と、1964年の東京オリンピック体験者しか、自分の言葉で東京オリンピックについて語れなかったのではなかろうか。そもそも、オリンピックとはーそのために増税したり、経済危機になったりすることは別としてー、大多数の日本の人びとの「生」には関わらない存在である。ゆえに、普段からオリンピックについて考えている受益者を中心とした広い意味での関係者か、1964年東京オリンピックへのノスタルジーを感じている人たちのみが、ここで発話できたのではなかろうか。

そして、結局のところ、広い意味での関係者の利害と、特定の世代の特殊な意識を、紙面に大きく掲載することによって、「国民意識」を形成し、「主体性」を創出していくことになる。これこそ、国民国家の装置としての新聞の機能なのである。

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