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Posts Tagged ‘原水爆実験’

福島第一原発事故による放射能汚染の恐怖の原型として、1954年のビキニ環礁水爆実験による第五福竜丸他の日本漁船の被曝とその後の水産物の買い控えについて、かつて「東日本大震災の歴史的位置ー放射能汚染への恐怖の源流としての第五福竜丸における「死の灰」」と題して本ブログで紹介したことがある。そのことについては、下記を参照されたい。

東日本大震災の歴史的位置ー放射能汚染への恐怖の源流としての第五福竜丸における「死の灰」

この記事を書いた頃から、ずっと東京都夢の島公園にある東京都立第五福竜丸展示館を見学したいと思ってきた。昨日ー2011年12月7日、他の用事もあって、ようやく実現することができた。

まず、東京都立第五福竜丸展示館の設立趣旨を同館のサイトから紹介しておこう。

この展示館には、木造のマグロ漁船「第五福竜丸」およびその付属品や関係資料を展示しています。「第五福竜丸」は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。
 木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのです。
 「第五福竜丸」は、昭和22年(1947年)に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、昭和42年(1967年)に廃船になったものです。
 東京都は、遠洋漁業に出ていた木造漁船を実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨事がふたたび起こらないようにという願いをこめて、この展示館を建設しました。
<東京都 昭和51年(1976)6月10日開館>
http://d5f.org/top.htm

あたりまえのことだが、開館は美濃部亮吉が東京都知事に就任していた1976年であることに注目しておこう。
 

行きたい方もあるかもしれないので、ここで、どこにあるかをグーグルの地図で示しておこう。東京都立第五福竜丸展示館は、JR・東京メトロ・東京臨海鉄道の駅である新木場駅から、大体徒歩10分の位置にある。カナリーヤシなど、ちょっと南国的な植栽のある夢の島公園を横断して、マリーナのある海辺にいくと、第五福竜丸展示館が建っている。

これが、第五福竜丸展示館の全景である。基本的には鉄骨・鉄板造りのようだが、ほとんど屋根ばかりが目立つ構造で、塗装もあいまって竪穴式住居のような印象がある。

第五福竜丸展示館全景(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸展示館全景(2011年12月7日撮影)

入口には、まず第五福竜丸の大漁旗が展示されている。ビキニ環礁で被曝した際、漁獲したマグロも被曝し、結局廃棄処分せざるをえなかったことを考えると、いささか複雑な気分になる。

第五福竜丸大漁旗(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸大漁旗(2011年12月7日撮影)

そして、中に入ると、真ん中にスクリューや舵がある第五福竜丸の船尾部分がみえてくる。あまり船底まで船はみないので、なかなか迫力のある光景である。木造船のていねいに作りこまれた美しさがそこにはあるといえる。ただ、もちろんであるが、かなり傷んでいる。

第五福竜丸船尾(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸船尾(2011年12月7日撮影)

船尾部分から船首のほうむかっていく通路に、メイン展示がある。ここには、第五福竜丸にふりそそいだ死の灰、第五福竜丸の航海や被曝に関する同船自体の資料、第五福竜丸被曝を報じた読売新聞の記事、乗組員の被曝とその看護、無線長久保山愛吉の死、水産物の被曝調査と廃棄処分さらには買い控え、原水爆禁止をもとめる署名運動の開始、ビキニ環礁を含む原水爆実験場となったマーシャル群島の被曝状況、核実験などでの全世界における被曝者の状況などが、わかりやすくまとめられている。

第五福竜丸展示館のメイン展示(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸展示館のメイン展示(2011年12月7日撮影)

船首部分も外形は残っている。この船首部分から階段を上って、甲板部分をみることができる。

第五福竜丸船首(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸船首(2011年12月7日撮影)

甲板部分はそれほど広くはない。前部マストには帆が装備されていたようである。1954年3月1日、この甲板に死の灰が降下したのだ。

第五福竜丸前部甲板(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸前部甲板(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸ブリッジ(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸ブリッジ(2011年12月7日撮影)

この第五福竜丸展示館の船尾と船首に近いところに、中学生らが「世界平和」を祈願しておった千羽鶴が多数つるされていた。2007年前後のものらしい。その中に「世界がいつまでも平和でありますように 宮城県石巻市立石巻小学校」というラベルをつけた千羽鶴をみつけた。たぶん、もう中学校は卒業しているだろうが、この子たち自身は無事なのだろうか。この子たちのために千羽鶴を折らざるを得なくなっている状況なのだ。

石巻中学校生徒の折った千羽鶴(2011年12月7日撮影)

石巻中学校生徒の折った千羽鶴(2011年12月7日撮影)

さて、外にも展示物はある。まず、第五福竜丸のエンジン部分が展示されている。このエンジンは、1967年に廃船となった第五福竜丸から取り外されて第三千代川丸という船につけられたのだが、翌年この船が座礁・沈没し、海中に沈んだ。1996年にこのエンジンは引き上げられ、2000年よりこの地に展示するようになったのである。撮影した写真は、色が薄くなっているが、現物はかなり黒っぽいものである。

第五福竜丸のエンジン(2011年12月7日撮影)

第五福竜丸のエンジン(2011年12月7日撮影)

他に、展示館の外には、二つの碑が建っている。一つは、「マグロ塚」の碑である。この「マグロ塚」の碑は、1954年の第五福竜丸の被曝の際、廃棄処分となり、築地市場に埋められたマグロを供養するものである。展示版には築地市場に設置するのがふさわしいが市場が整備中(たぶん築地市場移転計画をさしているのだろう)のため、暫定的に第五福竜丸のそばに設置したと書かれている。なお、このブログでも紹介したが、築地市場にも「マグロ塚」のプレートはある。実際には、ここに設置されていたのだ。

「マグロ塚」(2011年12月7日撮影)

「マグロ塚」(2011年12月7日撮影)

さらに、被曝からほぼ半年後に死んだ久保山愛吉の記念碑もある。この記念碑には、久保山愛吉の「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という遺言が刻まれている。

久保山愛吉記念碑(2011年12月7日撮影)

久保山愛吉記念碑(2011年12月7日撮影)

この第五福竜丸展示館は、まさに第五福竜丸の被曝状況をはだにで実感できるものということができる。もし、機会があれば、一度はみてほしいと思う。展示も、前述したように、要領よくまとめられ、わかりやすい。ただ、結局のところ、原発など原子力の平和利用についての問題性にはほとんど言及されず、核兵器実験の被害と、それを食い止めるための運動が中心的に展示されているような印象がある。もちろん、それはこの館だけの問題ではない。この館の展示は、趣旨からみて、これでよいのだろう。むしろ、原発問題について、将来このような展示館が必要になっていくのではなかろうか。

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