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Archive for the ‘災害’ Category

さて、現在進行形で熊本では大地震が続いている。九州などの西南日本は、関東・東北・北海道などの東北日本と比べ、相対的には地震が少なかったと言われている。しかし、歴史的には、大地震がないというわけではない。国立科学博物館のサイトでは、「熊本地震」と題され、次のように記述されている。

1889(明治22)年7月28日、熊本県西部を強い地震が襲いました。震源は熊本市の西、マグニチュードは6.3と推定されています。死者20名、建物の全潰239棟の被害がありました。この地震は地震学会が1880年に日本で発足してからはじめて都市を襲ったものとして調査が行われ、また、遠くドイツのポツダムの重力計に地震波が記録され、遠い地震の観測のきっかけとなったといわれています。ここに掲げた写真は、わが国の地震の被害を写したもっとも古いものかもしれません。http://www.kahaku.go.jp/research/db/science_engineering/namazu/index.html

このサイトによると、いろいろな意味で熊本地震は科学的地震調査の契機となったとされている。そして、被災した地域の写真も掲載されているが、その中には熊本城の石垣が崩れた写真が何枚かあげられている。このサイトによると、日本で最も古い地震被害の写真なのかもしれないとされている。

この熊本の地震については、ウィキペディアでも紹介されている。特に興味深いのは、この熊本城の被災の記録をあげているところだ。

『防災くまもと資料 恐怖におののいた明治22年の大地震』[2]によると、五野保萬(ごのやすま)は、日記で次のように記している。

7月28日。夜大地震の事。さて、夜11時30分に地震起こり、一時は家も倒れる如く揺れ出し、実に稀なる大地震にて恐怖甚だし。8月4日 今度の大地震の原因は飽田郡金峰山より発せんと、もっぱら風評の談、山噴火の籠り居る由。8月7日、今日も震動一度をなす。今に熊本及近傍の人民は、山鹿町諸方に逃げ、家財を運搬して、身の要心をなす。熊本より山鹿町迄運送する車力人力等の賃銭六円も取り、実に滅法の賃金。(中略)急迫の場合は、やむをえないこと右の如し。(中略)熊本城百閒石垣古より大変ありといえども少しも動くことなし。今度の震動に合う長さ五間余崩落、城内の大なる石垣所々崩れ、依って鎮台兵も城内を出て、山崎練兵場或いは、川尻付近に出張あり。城内には哨兵のみ残しあり。皆28日の震動には鎮台兵死人負傷人多くあり。周章狼狽硝子石垣より落、身を傷くもあり、丁度大砲の音ぞなしずば、又合戦発せしと驚き誤りて死傷せりとぞ。

五野保萬は明治元年(1868年、数え年15歳)から昭和5年(1930年)に77歳で逝去するまで日記を残した。五野家は熊本県菊水町(現:和水町)にある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E9%9C%87_(1889%E5%B9%B4)

熊本城は西南戦争における激戦地の一つであり、その後も軍隊が駐屯していた。この熊本城が地震によって被災したが、単に地震被害だけではなく、戦争の記憶がよみがえり、そのための誤認攻撃もあって、駐屯していた軍隊に死傷者が出たというのである。

今回の地震は、1889年の地震よりもかなり大きい。しかし、100年程度のスパンで考えると、城の石垣が崩れるような地震は熊本ではないことではないのである。

このようなことは、かなり時代をさかのぼっても見ることができる。古代史研究者の保立道久は自著『歴史のなかの大地動乱』(岩波新書)の内容を紹介する「火山地震103熊本地震と中央構造線ーー9世紀地震史からみる」という記事をネットであげている。保立は、いわゆる東日本大震災と同等の規模だったとされる貞観地震(869年)は、大和などの地震と共に、肥後(熊本県)の地震を誘発したとsて、次のように指摘している。

 

より大きな誘発地震は、陸奥沖海溝地震の約二月後の七月一四日、肥後国で発生した地震と津波であった。その史料を下記にかかげる。 

 この日、肥後国、大風雨。瓦を飛ばし、樹を抜く。官舍・民居、顛倒(てんとう)するもの多し。人畜の圧死すること、勝げて計ふべからず。潮水、漲ぎり溢ふれ、六郡を漂沒す。水退ぞくの後、官物を捜り摭(ひろ)ふに、十に五六を失ふ。海より山に至る。其間の田園、数百里、陷ちて海となる。(『三代実録』貞観一一年七月一四日条)

 簡単に現代語訳しておくと、「この日、肥後国では台風が瓦を飛ばし、樹木を抜き折る猛威をふるった。官舎も民屋も倒れたものが多い。それによって人や家畜が圧死することは数え切れないほどであった。海や川が漲り溢れてきて、海よりの六郡(玉名・飽田・宇土・益城・八代・葦北)が水没してしまった。水が引いた後に、官庫の稲を検査したところ、半分以上が失われていた。海から山まで、その間の田園、数百里が沈んで海となった」(数百里の「里」は条里制の里。六町四方の格子状の区画を意味する)ということになろうか。問題は、これまで、この史料には「大風雨」とのみあるため、宇佐美龍夫の『被害地震総覧』が地震であることを疑問とし、同書に依拠した『理科年表』でも被害地震としては数えていないことである。

 しかし、この年の年末にだされた伊勢神宮などへの願文に「肥後国に地震・風水のありて、舍宅、ことごとく仆顛(たおれくつがえれ)り。人民、多く流亡したり。かくのごときの災ひ、古来、いまだ聞かずと、故老なども申と言上したり」とあったことはすでに紹介した通りで、相当の規模の肥後地震があったことは確実である。津波も襲ったに違いない。これまでこの史料が地震学者の目から逃れていたため、マグニチュードはまだ推定されていないが、聖武天皇の時代の七四四年(天平一六)の肥後国地震と同規模とすると、七.〇ほどの大地震となる。ただ、この地震は巨大な台風と重なったもので、台風は海面にかかる気圧を変化させ、高潮をおこすから被害は大きくなる。それ故にこのマグニチュードはあくまでも試論の域をでないが、それにしても、一〇〇年の間をおいて二回も相当規模の地震にやられるというのは、この時代の肥後国はふんだりけったりであった。
http://blogos.com/article/172078/?p=2

この保立の指摘については、いわゆる貞観地震が肥後国地震を誘発したのかなど、まだ検討すべき課題が残っているように思われる。ただ、保立の主張に従うならば、8世紀と9世紀、ほぼ100年間隔で熊本地方は大地震に見舞われたことになる。

よく、地震を引き起こす断層については、少なくとも数百年もしくは数千年単位でしか動かないとされる。多分、断層の一つ一つはそうなのだろう。しかし、断層が多く集中する地域ではどうなのだろうか。熊本地方は、日本最大の断層帯である中央構造線が通っているとされている。個々の断層が別々に地震を引き起こしたとしても、それぞれの断層が地震を発生する周期よりも短い間隔で地震は起きてしまうだろう。さらに、実際、今回の熊本地震がそうであるように、隣接した断層の地震を誘発する場合もあろう。

このように、100年を超えたスパンで考えるならば、熊本での地震はないことではなかったのだ。そして、それは、熊本など中央構造線に限らず、多くの断層帯があり、その断層の活動によっても形成された日本列島に所在している社会にとって、地震は逃れ得ない問題なのである。

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2016年4月18日現在、九州の熊本地方に地震が襲っている。4月14日夜、マグニチュード6.5、最大震度7の地震が起こり、16日未明にはマグニチュード7.3、最大震度6強の地震が発生した。16日以後、震源域は東側の阿蘇地方・大分地方にも拡大しつつ、最大震度6・5クラスの地震が相続いている。最大震度5以上の地震は4月14日に3回、15日に2回、16日に9回発生した。17日に大きな地震はなかったが、4月18日の夜、本記事を書こうとした際、最大震度5強の地震が発生したという報道に接した。

この地震については、地震の専門家である気象庁が「観測上例がない」と困惑を見せている。次の毎日新聞のネット配信記事を見てほしい。

<熊本地震>気象庁課長 観測史上、例がない事象を示唆
毎日新聞 4月16日(土)11時21分配信

<熊本地震>気象庁課長 観測史上、例がない事象を示唆

 ◇熊本、阿蘇、大分へと北東方面に拡大していく地震現象に

 気象庁の青木元(げん)地震津波監視課長は16日午前の記者会見で、熊本、阿蘇、大分へと北東方面に拡大していく地震現象について「広域的に続けて起きるようなことは思い浮かばない」と述べ、観測史上、例がない事象である可能性を示唆。「今後の(地震)活動の推移は、少し分からないことがある」と戸惑いを見せた。

 また、14日の最大震度7の地震を「前震」と捉えられなかったことについて、「ある地震が発生した時に、さらに大きな地震が発生するかどうかを予測するのは、一般的に困難だ」と述べた。

 熊本地方などを含む九州北部一帯は低気圧や前線の影響で、早い所で16日夕方ごろから雨が降り始め、16日夜から17日明け方にかけては広い範囲で大雨が予想されている。青木課長は「揺れが強かった地域は土砂災害の危険が高い。さらに雨で(地盤が)弱くなっている可能性があるので注意をしてほしい」と呼びかけた。【円谷美晶】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160416-00000052-mai-soci

気象庁に言わせれば「観測史上例がないこと」なのだろう。しかし、本当に未曾有のことなのだろうか。熊本地震の報道に接しながら、地震学者石橋克彦著の『大地動乱の時代』(岩波新書、2014年)を想起した。本書の冒頭部分は「幕末ー二つの動乱」と題されている。嘉永6年(1853)にペリーの黒船艦隊が来航し、それ以来、日本は幕末の動乱を迎えていくことになる。石橋によると、この時期は日本列島で地震活動が盛んになった時期でもあった。ペリー来航より少し前の嘉永6年2月2日(1853)、マグニチュード7の「嘉永小田原地震」が発生した。
 
翌嘉永7年(1854)にペリーは再来航し、日米和親条約が締結される。この年の6月15日に、伊賀上野・四日市・笠置山地でマグニチュード7.2、6.7、6.8の地震が相次いで発生し、桑名から京都・大阪までの広い範囲で震度5以上の揺れとなり、1000人以上が死亡したという。11月4日には、駿河ー南海トラフを震源としたマグニチュード8.4の「安政東海地震」が発生した。東海地方の多くの地域が震度6以上の揺れとなり、さらに伊豆半島から熊野灘まで海岸に津波が襲来した。場所によっては津波は10m以上に達したという。
 
 そして、「安政東海地震」発生の約30時間後の11月5日、紀伊半島・四国沖の南海トラフを震源とするマグニチュード8.4の「安政南海地震」が発生した。紀伊半島南部と四国南部は震度6以上の揺れに見舞われ、伊豆半島から九州までの沿岸には津波が襲来した。大阪にも津波は及んだのである。そして、黒船来航、御所焼失とこれらの一連の地震を考慮して、11月27日に年号は「安政」に改元されたのである。

しかし、改元されても、地震は止まなかった。安政2年10月2日(1855)、安政江戸地震が発生した。マグニチュードは6.9であったが、都市直下型地震であったため、江戸市中を中心に震度6以上の揺れになった。火事も発生し、1万人以上が死んだとされている。そして、これらの地震活動は、石橋によると1923年の関東大震災にまで継続していったとされている。

このように、3年あまりの間で、日本列島は5回もの大地震に遭遇したのである。石橋は次のようにいっている。

江戸時代末の嘉永6年(1853)、日本列島の地上と地下で二つの激しい動乱が口火を切った。二つの激動は時間スケールこそ多少ちがっていたが、ともに、そのご十数年から数十年のあいだに日本の歴史を左右することになる。(石橋前掲書p4)

確かに、このような短い時期に大地震が集中したのは希有のことだっただろう。しかし、日本列島で、大地震が連続して発生することは未曾有のことではないと歴史的に言える。

石橋は次のように指摘している。

黒船に開国を迫られた幕末の動乱期、関東・東海地方の大地の底では、もう一つの「動乱の時代」が始まっていた。嘉永小田原地震を皮切りに、東海・南海巨大地震がつづき、安政大地震が江戸を直撃する。そして、明治・大正の地震活動期をへて、ついに大正12年の関東巨大地震にいたる。
 それから71年。東京は戦災の焦土の中から不死鳥のごとくに蘇り、日本の高度経済成長と人類史上まれにみる急速な技術革新の波に乗って、超過密の世界都市に変貌した。しかし、この時期は、幸か不幸か、大正関東地震によって必然的にもたらされた首都圏の「大地の平和の時代」(地震活動静穏期)にピタリと一致していた。敗戦による「第二の開国」のあと日本は繁栄を謳歌しているが、首都圏は大地震の洗礼を受けることなく、震災にたいする脆弱性を極限近くまで高めてしまったのである(石橋前掲書p1)

日本の戦後復興・高度経済成長・技術革新の時代は、石橋によれば首都圏の「大地の平和の時代」(地震活動静穏期)でもあった。「技術革新」の中には、地震科学の発展も含まれるであろう。気象庁などによる精緻化された「地震科学」は、「大地の平和の時代」における経験の産物なのであり、幕末のような「大地動乱の時代」にはそのままの形では対応しきれないのではなかろうか。

『大地動乱の時代』出版の翌年である1995年に阪神淡路大震災が発生した。2011年には東日本大震災が起きた。これ以外にも様々な地震が起きている。そして、今回の熊本地震の発生である。「大地動乱の時代」の再来を意識せざるをえない。そして、とにかく確認しなくてはならないことは、日本列島に住むということは、現状の科学で把握できるか否かは別として、このような地震の発生を覚悟しておかねばならないということである。

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昨日、10月13日には、台風19号が九州に上陸し、14日朝にかけて四国・近畿・東海・北関東・東北を抜けていった。私個人は、その日に会議があったので京都におり、会議終了後、18時5分に京都を出発する東海道新幹線のぞみ248号に乗車して東京に帰る予定であった。しかし、12日の夜、JR西日本は、近畿にある在来線の全区間で、13日の14時から16時にかけて順次運休していく方針を発表した。まず、それをみてほしい。

京阪神各線区】 お知らせ2014年10月12日 14時00分更新
大型で強い台風19号が10月13日(月)~14日(火)に近畿地方を直撃する予報となっています。
京阪神地区の在来線各線区では、10月13日(月)の14時頃から順次列車の運転本数を減らし、16時頃から終日、全列車(特急・新快速・快速・普通)の運転を取りやめさせていただきます。
ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、10月13日(月)のお出かけは控えて頂きますようにお願い申し上げます。

また、その後の台風の進路・速度や設備の被害状況によっては10月14日(火)朝についても、運転見合わせや大幅な列車遅れの可能性があります。

今後の台風情報、列車運行情報にご注意下さい。
http://trafficinfo.westjr.co.jp/kinki_history_detail.html?id=00020031&sort=1

この一報によって、状況は激変した。近畿在住の会議参加者から、帰宅時の交通手段が確保できないので参加をとりやめるという連絡があった。私も、より早い便で帰ることにして、13日朝に京都駅の切符売り場に向ったが、1時間近くも並ばざるをえず、会議に遅刻する有り様だった。会議自体も、終了予定時間を1−2時間も繰り上げることになり、13時前に終った。

私自身は、前述したように予約を切り換え、14時35分京都発のぞみ130号に乗車する予定にしており、多少時間があったので、京都駅ビル内の飲食店で昼食をとった。ところが、驚いたことに、13時30分ラストオーダーで、14時に閉店するというのだ。13時30分前に入店したので、とりあえず、昼食をとることができた。駅ビル内の他の飲食店や土産物屋も、多くは14時頃閉店する掲示を出していた。

京都駅ビル内ケーキ屋の閉店掲示(2014年10月13日)

京都駅ビル内ケーキ屋の閉店掲示(2014年10月13日)

ただ、京都滞在中、ほとんど雨に打たれたことはなかった。14時頃、京都駅前のホテルに荷物をとりにもどったが、その際、多少激しい風雨にあった。しかし、それだけだった。激しい風雨といっても、最大級の豪雨ではなかった。

私が乗車したのぞみ130号は広島始発だが、遅れることもなく、14時35分に京都駅を出発した。たぶん、この頃は、JR西日本の近畿地区の在来線は順次運休になっていたはずだ。そして、さして遅れることもなく、17時頃に東京駅に着いた。その時点では首都圏内の交通も特に乱れておらず、自宅最寄り駅の西武池袋線練馬高野台駅に18時頃到着した。少し雨が降っていたが、かさをささずに自宅まで歩いた。自宅のある東京都練馬区が激しい風雨にさらされたのはそれ以降、つまり13日夜から14日未明にかけてである。確かに激しい風雨であったが、雨漏りが発生した前回の台風18号ほどではなく、外にあった植木鉢数個が倒れた程度であった。

確かに、「自然災害」には違いないが、私個人の経験では、「自然災害」それ自体というよりも、災害情報と、それによるJR西日本の台風対策に強く影響を受けたことになった。

このような経験は、私個人だけではないだろう。私とともに京都駅の切符売り場にならんでいた人たちも、同様の経験を体験したはずだ。近畿在住の人びともまたそうだっただろう。産經新聞は、JR難波駅周辺で、終電を逃した人びとや百貨店の退店をせまられた人びとの景況を次のように伝えている。

台風19号 「運休は午後4時からじゃ…」3時45分が最終になったJR難波駅では詰め寄る人も
産経新聞 10月13日(月)18時50分配信

 台風19号が近畿地方に接近した影響で、大阪・ミナミの百貨店や商業施設も、閉店時間を大幅に繰り上げるなどの対応に追われた。

 「間もなく本日の最終電車が出発します!」

 JR難波駅(同市浪速区)では、3時45分の最終電車の出発時刻が近づくと、駅員が駅構内をまわって大声で乗客に呼びかけを行った。それでも、終電を逃してしまった人は多く、中には「運休は4時からじゃないのか」と、駅員に詰め寄る人もいた。

 八尾市の飲食店アルバイト、竹内まゆさん(28)は、JRが全面運休する時間に合わせて仕事を早退したが、終電にはわずかに間に合わず、「もう少し急いで入ればよかった。私鉄とバスを乗り継いで帰るしかないですね」と話し、まだ運行を続けている近鉄の駅に足早に向かった。

 午後2時、岸和田市の会社員、茂永陸さん(24)は、友人と昼食のために「なんばパークス」(大阪市浪速区)を訪れたが、レストラン街はすでに台風の影響で閉店。

 商店街に移動して食事は済ませたものの、商業施設などは店終いを始めており「台風だから仕方がない。あまり遅くならないうちに帰ります」と、諦めた様子で南海電車の駅へ向かった。

 「高島屋大阪店」(同市中央区)では、閉店時間を3時に繰り上げた。台風が接近する中でも店内は多くの買い物客でにぎわっていたが、従業員は3時に合わせて退店の案内を開始。閉店後も知らずに訪れるお客に対し、申し訳なさそうにお客に頭を下げていた。

 腕時計の修理に同店を訪れたが、入店を断られた同市住之江区の看護師の女性(41)は「今日しか来られる日がなかったのに、どうしよう」と困り果てた様子だった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141013-00000548-san-soci

台風19号は、大阪府岸和田市に20時30分頃再上陸した。結果的にみるとJR西日本の対策は功を奏したといえる。

台風19号:大阪・岸和田に再上陸
毎日新聞 2014年10月13日 20時58分(最終更新 10月13日 23時57分)

 大型の台風19号は13日午後8時半ごろ、大阪府岸和田市付近に再上陸した。

 同8時時点では、兵庫県淡路市付近を時速約50キロで北東に進み、中心の気圧は980ヘクトパスカル。最大瞬間風速は40メートル。中心から半径240キロ以内は風速25メートル以上の暴風になっている。

 気象庁によると、今後も同じ速度で北東に進み、14日昼ごろまでに関東・東北地方を通過して太平洋上に抜けるとみられている。
http://mainichi.jp/select/news/20141014k0000m040024000c.html

しかし、個人的な経験でいうと、京都で激しい風雨にさらされたのは14時頃からだった。その直前、雨はやんでいた。家にかえって検索してみると、夕刻において近畿圏の私鉄はさほど運休していなかった。東海道・山陽新幹線も運休はしていなかった。隣接するJR東海愛知・岐阜・三重県の在来線の運休は、朝日新聞のネット配信記事をみると20時頃までだったようである。近畿地区とは4時間のズレがある。

JR東海、全ての在来線運行中止 台風19号接近
2014年10月13日23時05分

 大型で強い台風19号は、東海地方に13日夜にも最接近する見通しだ。交通は大きく乱れている。

 13日の運休や欠航は、午後10時40分までのまとめで次の通り。

 JR東海は午後8時ごろまでに、愛知、岐阜、三重の東海3県のすべての在来線の運行をとりやめた。午後9時ごろには静岡エリアの東海道線の浜松―熱海間も運休し、全ての路線が運転見合わせとなった。

 近畿日本鉄道では午後8時ごろまでに愛知、三重両県内の全路線で運休。名古屋鉄道では特急ミュースカイと空港線、名古屋線の豊橋―伊奈間、豊田線の梅坪―赤池間で運行をとりやめた。あおなみ線や城北線も運休した。

 中部空港では、沖縄や九州、札幌などとの間の国内線92便、国際線23便が欠航した。

 中部空港と三重県の津、松阪両市を結ぶ高速船「津エアポートライン」や、三重県の鳥羽市と愛知県の伊良湖港を結ぶ伊勢湾フェリー、鳥羽市の離島の間を結ぶ鳥羽市定期船は全便欠航した。

 中日本高速道路によると、新名神高速は亀山ジャンクション―甲賀土山インターチェンジ間の下り線が通行止めとなった。

 名古屋みなと振興財団によると、名古屋港水族館、名古屋海洋博物館、南極観測船ふじ、名古屋港ポートビル、ポートハウスはいずれも午後2時で閉館した。

 名古屋市によると、名古屋城、東山動植物園、徳川園、久屋大通庭園「フラリエ」など17施設が午前11時半で閉館となった。
http://www.asahi.com/articles/ASGBF4WNGGBFOIPE22L.html

この、JR西日本の運休方針について、日本経済新聞は次のように報道している。

前回台風の影響を教訓に JR西、13日夕から運休
連休最終日で早めに周知
2014/10/13 2:23

 台風19号の接近に備え、JR西日本が在来線24線で13日夕方以降の運休を決めた。1週間前に浜松市付近に上陸した台風18号では運休などが相次ぎ、京阪神地区の約40万人の足が乱れた。「予想以上の影響が出た」(近畿統括本部)ことを教訓に異例の措置に踏み切る。

 対象となるのは大阪、奈良の全域と滋賀、京都、兵庫、和歌山、三重などの一部地域で運行する特急、新快速、快速、普通列車。同日午後2時ごろから運転本数を減らし、4時ごろに全面運休する。

 特急は「サンダーバード」「はるか」など京阪神発着の計118本が運休する。山陽新幹線は、午後からは速度を落としての運転や一部区間の運転見合わせの可能性もあるという。

 JR西は台風18号の際、京阪神地区では計9線の全区間運休などを上陸前日に決定。東海道線(京都―大阪)では始発から約70%に本数を減らして運行する予定だったが、風が規制値を超えるなどしたため、約30分運転を見合わせるなどし、大幅にダイヤが乱れた。

 また13日が3連休の最終日にあたることもJR西の判断に影響を与えた。行楽などで遠方から関西に戻る乗客も多いとみられ「早めに運休を周知することで、移動手段の変更などの対策をとってもらいたい」という。

 JR西は12日午後、各駅で運行取りやめを伝えるポスターを掲示。構内アナウンスも流すなど対応に追われた。在阪の私鉄関係者からは「驚いている。影響が広がりそうだ」といった声が出た。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASHC12H03_S4A011C1AC8000/

JR西日本としては、前回の台風18号の経験に鑑みて、この措置をとったようだ。新幹線の運休がなかったのも、「行楽などで遠方から関西に戻る乗客も多いとみられ「早めに運休を周知することで、移動手段の変更などの対策をとってもらいたい」という」ということがあったのだろう。

ただ、個人個人がリアルに感じている「自然災害」のあり方と、今回の早期の在来線運休方針が体感的にずれがあり、なんとなく「振り回された」感が残ってしまったとも思う。

こういうことは難しい。実際に災害の脅威にさらされてしまえば、何の措置もとれないということもある。9月の御嶽山噴火では、地震などの前兆があったのに、十分登山者に情報がゆきわたらず、警戒レベルもひきあげられなかった。実際の被害に直面する前に対応したJR西日本、十分情報伝達ができなかった気象庁と対照的であるが、それぞれの是非をあげつらうつもりはない。もし、自然災害が予知通りでなかったとしたら、対応策をとったこと自体が批判されるであろうからである。

私自身がここで考えたいのは、自然災害というのは、一つに個人個人の直接の経験でもあるが、もう一つに、その情報・表象としても経験されるということである。そして、自然災害への社会的対策というのは、後者の側面が中心となって立案されるということである。地震・津波・台風などの自然災害は、事前の災害予測にしたがって耐震工事や堤防建設などがなされ、予報・予知にしたがって、避難や交通機関運休などの措置がとられる。

こういう自然災害経験のあり方は、科学技術の発展した近現代に強められたことであるが、原理的には、人類社会のはじまりからあったことであろう。嵐の際、洪水になりやすい川や、崩れやすい山などは、たぶん、伝承を通じて、世代をこえて、情報として伝えられていたことであろう。自らが体験してはいない災害の情報・表象によって、被害を最小限に限定する営為はずっと続けられていたことであろう。

たぶん、古代や中世の社会では、そのような伝承をもとに、呪術や祈祷の体系が作られたのではなかろうか。それは、経験則ではあるだろうが、自然のあり方を「予知」する機能が含まれていたといえる。古代エジプトではシリウスの出現時期でナイル川の増水を予知したという。そして、シリウスは神格化された。日本でも、山肌の残雪の模様(例えば農鳥)で種まき時期を知ったという。そういう意味で、自らの体験ではないことで、「自然」になんらかの対策をとるということはずっとなされていた。現代の科学技術は、その最新の後継者であるといえるだろう。

そして、このような災害経験のあり方は、社会体制の問題に結びつく。直接の被災前に在来線の運休を決めたJR西日本、御嶽山噴火の警戒レベルを引き上げなかった気象庁、これは、それぞれの体制の問題でもある。自然災害と人びとの社会体制は、情報・表象を通じて関係しあっているのである。

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前回のブログでは、2月14〜15日の大雪で被災した住民・ドライバーたちの間で、生存を保障しあう共同性が成立していたことを述べた。幹線国道などで大雪で立ち往生した車両のドライバーたちに、住民や自治体は食料を差し入れたり、避難所を提供した。毎日新聞によると、次のような状況が現出されたという。

大雪:渋滞の国道、助け合い…軽井沢
毎日新聞 2014年02月16日 21時13分(最終更新 02月17日 12時08分)

 長野県軽井沢町の国道18号では、30時間以上立ち往生するドライバーに、沿道の市民が温かい食事や飲み物などを差し入れた。

 同町の喫茶店「鐵音(くろがね)茶房」店主、羽山賢次郎さん(70)は、妻静さん(66)と共に、冬季閉鎖中の店を開放。羽山さんによると、15日午前1時ごろから、店の前の国道の車が動かなくなった。「みんな食べものがないだろう」と思い、15日朝から、うどんやカレー、お雑煮を無料で提供した。軽井沢に住んで約45年。食べた人が16日朝、店の前の雪かきをしてくれた。「一宿一飯の恩義と言ってくれた」と羽山さんは話す。【小田中大】
http://mainichi.jp/select/news/20140217k0000m040066000c.html

さて、政府はどのような対応していたのだろうか。もちろん、知事の要請によって自衛隊が出動し、道路除雪や物資輸送などの営為を15日頃より行っていたことは間違いない。しかし、政府の豪雪対策本部が設置されたのが2月18日になったことに象徴されているように、初動が遅れたことは否めない。そもそも、高速道路の通行止めやチェーン規制の徹底自体が遅れている。また、15日にはそれぞれの地域に駐屯している自衛隊が出動しているが、そもそも豪雪地帯ではないため、装備・人員ともに不十分であったと考えられる。通常は政府よりの報道をしている読売新聞や産經新聞も「初動の遅れ」を指摘せざるえなかったのである。

そんな中、政府・与党より、高速道路・国道などの通行が早期に回復できないのは、立ち往生している「放置車両」のためであり、災害対策基本法の改正が必要だという主張が出された。まず、2月17日の政府・与党協議会についてのFNNの報道をみてみよう。

17日に開かれた政府・与党協議会で、政府は、今回の大雪で多くの車が立ち往生するなどして放置され、自治体の除雪作業が難航しているケースがあると報告した。
これを受けて、政府と与党は、大雪などの災害時に、放置された車両の撤去を可能にする法整備が必要かどうかも含め、対応を検討することを確認した。
菅官房長官は「今回の大雪の災害においてですね、多く立ち往生している車両がありますよね。それに対して、除雪の車両が入ることができない。基本的には、災害対策基本法という法の見直しだというふうに思っています」と述べた。
与党内からは「放置車両を壊してもいいということにしないといけないのではないか」との意見も出ているが、自民党の石破幹事長は、放置車両の撤去は必要だとの認識を示しつつ、「車の所有権はどうなるのか。財産権もからみ、難しい話になる」と指摘した。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00263293.html

その後、菅官房長官は定例の記者会見で、車両の強制撤去が可能になるように法整備を進めることを述べた。下記のテレビ朝日の報道をみてほしい。

“立ち往生車両は強制撤去”大雪受けて法整備検討(02/17 16:56)

 今回、道路で立ち往生した車のために除雪車や緊急車両が通れなくなったケースが相次いだことを受けて、政府は、車を強制的に撤去できるように法整備を検討する方針です。

 菅官房長官:「(移動車両の)損失補償の問題もあり、今まで手が付けられずにいたが、緊急の場合にどうするかは大きな課題で、これ以上、先送りすべきではない」
 菅長官は、災害などの緊急時に道路をふさぐ車は所有者の許可がなくても破壊・撤去出来るようにし、後で所有者に損失補償が出来るよう災害対策基本法を早急に見直す方針を明らかにしました。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000021617.html

しかし、この対応は、全く当を得ないものである。阪神淡路大震災の教訓をふまえて、1995年においてすでに災害対策基本法は改正され、緊急通行車両の通行の妨害となる車両などについて警察官はその移動を命じることができ、それができない場合は、強制撤去が可能になっているのである。警察官がいない場合は、自衛隊・消防も同様の措置がとれることになっている。まずは、下記の災害対策基本法の条文をみてほしい(なお、自衛隊・消防についての条文は省略した)。

第七十六条の三  警察官は、通行禁止区域等において、車両その他の物件が緊急通行車両の通行の妨害となることにより災害応急対策の実施に著しい支障が生じるおそれがあると認めるときは、当該車両その他の物件の占有者、所有者又は管理者に対し、当該車両その他の物件を付近の道路外の場所へ移動することその他当該通行禁止区域等における緊急通行車両の円滑な通行を確保するため必要な措置をとることを命ずることができる。
2  前項の場合において、同項の規定による措置をとることを命ぜられた者が当該措置をとらないとき又はその命令の相手方が現場にいないために当該措置をとることを命ずることができないときは、警察官は、自ら当該措置をとることができる。この場合において、警察官は、当該措置をとるためやむを得ない限度において、当該措置に係る車両その他の物件を破損することができる。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S36/S36HO223.html#1000000000005000000004000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

この条文をどのようにみても、警官・自衛官・消防吏員による車両の強制撤去が可能であることはあきらかである。法的に車両が強制撤去できないから大雪対策が進まなかったというのは、災害対策基本法を承知していなかったとしたらファンタジーであり、承知していたとしていたら嘘もしくはデマの類である。最近、安倍政権の周辺で、どうみても事実誤認の発言が相次いでいるが、これもその一つであろう。

前回のブログで、立ち往生した車両のドライバーたちに沿線住民・自治体が温かく支援したことを述べた。立ち往生した車両から一時離れて、避難所にいったり、食事のもてなしを受けたり、食料やガソリンの買い出しをしたりすることは、ドライバーからすれば「自助」であり、沿線住民からすれば「共助」である。初動の対応は遅れたとはいえ、警官・自衛隊・消防・県や市町村の職員は、彼らの生存を保障するために除雪や物資輸送などで働いたといえる。いわばこれらの権力機関は「共同性」を保障するために必要とされたといえる。政府はそれを速やかにサポートすることが求められている。にもかかわらず、避難せざるを得なかったドライバーたちの車両を「放置車両」よばわりし、すでに法的に可能になっている車両の強制撤去が必要だとして、やみくもに私権を制限することばかりを政府・与党は提起している。そもそも、彼らにとって、高速道路・国道などの国家的大動脈の通行が「国民」個人の車両のために妨害されていると認識されていたといえるだろう。もちろん、現実には、法的規制のためなどではなく、想定外の大雪のため、初動が遅れたことに起因するのではあるが。政府・与党は、結局のところ、道路の通行止めが長引いたことを、「放置車両」のためだと責任転嫁したと考えられる。それは、いわば、立ち往生した車両をめぐるドライバーたちの「自助」、沿線住民たちの「共助」からなる共同性の世界を否定し、国家的強制を強めることに結果しているのである。

さらに、大雪対策の議論は、憲法改正問題にまで波及した。2月24日にネット配信された毎日新聞の記事をみてほしい。

安倍首相:緊急事態規定を検討 大雪被害受けて
2日前
 安倍晋三首相は24日の衆院予算委員会で、記録的大雪の被害に関連し、大規模災害に備えた緊急事態規定を盛り込むための憲法改正について「大切な課題だ。国民的議論が深まる中で、制度についてしっかりと考えていかなければならない」と述べ、検討を進める考えを示した。自民党は憲法改正草案で緊急事態宣言に基づく首相権限強化などを盛り込んでいる。日本維新の会の小沢鋭仁氏への答弁。

 首相は大雪被害対策について「災害対応は不断の見直しや改善が必要だ。さまざまな指摘に真摯(しんし)に耳を傾け、野党の指摘にも対応していきたい」と強調した。14日の降り始め以降、政府の対応が後手に回ったとの批判をやわらげる狙いもあるとみられる。

 小沢氏は大雪で孤立集落が相次いだ山梨県出身。予算委では小沢氏のほか、被害の出た地元議員が相次ぎ要望した。埼玉県出身の小宮山泰子氏(生活の党)は、体育館の屋根崩落を受けた構造基準見直しの必要性を指摘。太田昭宏国土交通相は「調査結果を踏まえ、見直しが必要かできるだけ早期に見極め検討したい」とした。【影山哲也】
http://sp.mainichi.jp/select/news/20140225k0000m010115000c.html

これは、2012年の自由民主党の日本国憲法改正草案の一節に関連している。この草案では、武力攻撃・内乱・自然災害などの緊急事態において、「緊急事態の制限」を出すことができ、その場合は、法律と同一の効力をもつ「政令」が出せるのである。その場合、「何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」となる。事後に国会の承認が必要となるが、これは、一種の「授権法」といってよいだろう。

第九章 緊急事態

(緊急事態の宣言)
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。

(緊急事態の宣言の効果)
第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
http://www.geocities.jp/le_grand_concierge2/_geo_contents_/JaakuAmerika2/Jiminkenpo2012.htm#2

大雪対策が「授権法」的憲法改正への動きに結果するということが、現在の安倍政権である。今回の大雪対策の問題は、これは安倍政権ばかりではなく、豪雪地ではない自治体や駐屯自衛隊も含めての「初動」の遅れにあるのであって、別に法律や憲法の不備にあるわけではない。しかしながら、安倍政権は、自らの対応の不備をたなにあげ、人びとが「自助」「共助」のなかでとった行為へと責任転嫁し、私権の制限をはかる法律・憲法改正の必要性を主張する。別に、現行法でも車両の強制撤去はできるにもかかわらずである。そもそも、15〜16日と、公表された範囲では、ソチオリンピックで金メダルをとった羽生結弦選手に祝福の電話をかけ、さらに天ぷらを食べることしかしていないようにみえる安倍首相に「緊急事態宣言」を出す権限を与えても、どのような意味があるのか。現行法の中でも、まともな政治的判断がなされれば、より適切な対応がとれたのではないかと思うし、その点を反省することが、責任者としての安倍晋三首相の行うべきことであろう。大雪対策が憲法改正論議に発展する現在の状況は、現行法でも「国家機密」は保護されているにもかかわらず、憲法のかかげる基本的人権に抵触する可能性が高い「特定秘密保護法」が成立した状況と同様の構図をもっているのである。

*なお、災害対策基本法については、以下のサイトを参考にした。
http://matome.naver.jp/odai/2139331899701944301

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さて、また、大雪の話を続けよう。2月14〜15日の「記録的な大雪」により、東日本の広い範囲で東名高速道路他大動脈である各地の道路において多くの車両が立ち往生した。これらの車両のドライバーに対して、沿線住民が支援したことが伝えられている。まず、長野県軽井沢町の国道18号の状況を伝えている毎日新聞のネット配信記事をみてみよう。

<大雪>安否確認なく不安 陸自作業開始 軽井沢・立ち往生
毎日新聞 2月16日(日)11時28分配信

 立ち往生した車の中に多くのドライバーが閉じ込められた長野県軽井沢町の国道18号とその周辺道路では、県の災害派遣要請に基づき陸上自衛隊が出動し、復旧・救出作業にあたった。

【山梨では道路が寸断】

 国道18号を群馬県に向け大型トラックを運転していた茨城県古河市の運転手、落合哲也さん(26)は15日午前3時ごろ、軽井沢町追分の県道・浅間サンラインとの合流付近から渋滞に巻き込まれ、立ち往生。16日朝も動けない状況が続いている。周囲には少なくとも50台程度のトラックや乗用車が止まっているのが確認できたという。「雪が積もりすぎて、トラックが移動できない状況」と話す。

 軽井沢町は16日の最低気温が氷点下3・6度と冷え込んでいるが、ガソリンが残り少なくなっている車も多く、「エンジンを切って車内でしのいでいる人もいる」という。同日午前には体調を崩した人が出て、救急車も到着した。落合さんは「親子で乗用車に乗っている人もいる。このままの状況が続くのは相当厳しいのではないか」と話す。

 近隣住民からカレーなどの食料やカイロが配られたが、町など行政機関が安否確認などには来ていないという。落合さんは「住民の温かさを感じた」とする一方「警察なども一度も安否確認に来ない。情報もないし不安が広がっている」と訴えた。

 一方、陸上自衛隊第13普通科連隊(駐屯地・松本市高宮西)は16日、県知事からの災害派遣要請を受け、軽井沢町で発生した立ち往生車両の救出作業を始めた。

 同連隊によると、車両20両に隊員120人が分乗し、同日午前1時過ぎに先遣隊が駐屯地を出発。午前5時過ぎ、国道18号に接続する浅間サンラインの現場に到着した。

 現場は、大型車両2台が雪により動けなくなり道路をふさいだことから、大型トラックや乗用車など約50台が動けなくなっている。県の除雪車両を中心に出口をふさいでいる大型車両の撤去作業や、立ち往生している車両への飲料水や乾パンなどの配給などを行っている。【小田中大、高橋龍介】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140216-00000016-mai-soci

このように、まず、近隣住民が、自主的に食料などを配ったという。そして、その後、大型車両の撤去作業や、食料・水などの配給が行われるようになったといえるのである。

そして、軽井沢町の住民は公民館を避難場所に開放し、そこに避難するドライバーたちもいた。軽井沢町の住民たちは、彼らに炊き出しをし、さらに、車に残っている住民たちに非常食を届けた。地域自体も雪のため孤立した住民がいたにもかかわらずである。他方、ドライバーたちは、単に避難のためだけではなく、ガソリンを確保するためにも一時車を離れることもあった。スポニチが18日に配信した記事は、その状況を描き出している。

立ち往生ドライバーらに炊き出し 軽井沢町公民館に60人避難
 
長野・群馬県境の国道18号が通行止めとなっている影響で、長野県軽井沢町の追分公民館には17日午前も、立ち往生した車の運転者やバスの乗客ら約60人が避難。公民館は15日から開放され、地区の住民が備蓄用の米で炊き出しをしたり、止まった車まで歩いて非常食を届けたりして、支援に当たった。

 荻原里一区長(69)は「一度にこんなに雪が降ったのは初めて。孤立している住民もおり、物凄い状況になっている」と話した。

 国道18号沿いのガソリンスタンドには立ち往生したトラックの運転手らが、ポリタンクを持って歩いて燃料を買い求めた。男性従業員(21)によると、1時間以上歩いて来た人も。立ち往生した車の運転手からの燃料配達依頼も多いが、雪で出勤できない従業員がいて手が足りず、依頼は全て断っているという。
[ 2014年2月18日 05:30 ]
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2014/02/18/kiji/K20140218007612320.html

この避難所設置については、軽井沢町役場の関与があったようである。産經新聞が2月17日にネット配信した記事で、次のように語られている。

軽井沢町役場では15日に近くの公民館など計6カ所に避難所を開設。地元住民の協力を得て、おにぎりや豚汁などを提供した。町職員は「ここまでの大雪は初めてで、これほど大規模な避難所運営も初めて」。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140217/dst14021720470027-n2.htm

冒頭の毎日新聞の記事では、町など行政機関は関与していないように語られている。これらの避難所は、町が運営したというよりも、地域住民が主体となって運営したのであろう。軽井沢町のサイトでは、2月20日付で「軽井沢バイパスで立ち往生している方々に対応するための避難所開設にご協力をいただきました区・日赤奉仕団等多くの皆様に、心より感謝申し上げます」と謝意が述べられている。日赤奉仕団も、たぶん、ここの地域組織なのであろう。もちろん、他の地域ではどうかはわからない。自治体が避難所運営の中心だったところもあろう。

なお、群馬県側の安中市では、安中市役所が避難所を中心的に運営していたようである。NHKが2月17日に配信した次の記事をみてほしい。

国道18号線車立往生で避難所
2月17日 20時27分

群馬県安中市の国道18号線では記録的な積雪の影響で多くの車が立ち往生し、地元の安中市は避難所を開設し、対応に当たっています。

国土交通省などによりますと、安中市と長野県軽井沢町を結ぶ国道18号線の碓氷バイパスでは、記録的な積雪の影響で、今月14日の深夜から最大でおよそ270台が車が立ち往生しました。
このため、ドライバーなどは車内で過ごすことを余儀なくされ、安中市では閉校になった中学校や公民館など市内の公共施設6か所を避難所として開設し、食料や水を提供して対応に当たっています。
このうち「旧松井田西中学校」では、16日夜から32人が避難し、市の職員などがおにぎりや卵焼きなどの食料を提供していますが、ドライバーたちは疲れた表情を浮かべて校舎で休息をとっていました。
長野県に向かっていたトラックの運転手の男性は「14日から雪で立往生しているので、商品として積んでいる野沢菜が心配です」と話していました。
現場付近は群馬県方面に向かう上り車線は正午には通行できるようになりましたが、長野県方面の下り車線は除雪が終わらず、国土交通省によりますと、17日午後5時現在で30台余りの車が残っているということです。
国土交通省では、引き続き、除雪を急ぐことにしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140217/k10015312071000.html

このように、大雪で通行できなくなった道路は、関東・甲信に限られるわけではない。東北地方でも、通常あまり雪が降らない地域でも大雪となり、立ち往生した車両が続出した。次の河北新報が2月20日にネット配信した記事をみてほしい。

大雪で車立ち往生 避難の飯舘村民、仮設から命のおにぎり

ドライバーたちにおにぎりの炊き出しをした福島県飯舘村の仮設住民ら=19日午後、福島市
 大雪で多くの車が立ち往生した福島市の国道4号で16日、沿道の仮設住宅に暮らす福島県飯舘村民がおにぎりを炊き出し、飲まず食わずのドライバーたちに次々と差し入れた。持病のため運転席で意識を失いかけていた男性は19日、取材に「命を救われた思いだった」と証言。東京電力福島第1原発事故に伴う避難が続く村の人たちは「国内外から支援を受けた恩返しです」と振り返った。

 福島県三春町のトラック運転手増子徳隆さん(51)は15日、配送を終え、郡山市の会社に戻る途中だった。激しい雪で国道は渋滞。福島市松川町で全く動かなくなった。
 16日昼ごろ、糖尿病の影響で頭がぼーっとしていた。窓をノックする音で気が付くと「おにぎり食べて」と差し出された。
 国道を見下ろす高台にある飯舘村の仮設住宅の人たちだった。前日から同じ車がずらりと止まり続けているのに女性たちが気付き、炊き出しを提案。富山県高岡市の寺から仮設に届いていたコシヒカリを集会所で炊き、のりと梅干しを持ち寄って20人ほどで約300個握った。
 炊きたてが冷めないようにと発泡スチロールの箱に入れ、1メートル近い積雪の中、1人1個ずつ渡して回った。
 増子さんは「温かくて、おいしくて、一生忘れない。仮設で厳しい暮らしだろうに、こうして人助けをしてくれて頭が下がる」と感謝した。
 増子さんの話を伝え聞いた仮設住宅の婦人会長佐藤美喜子さん(62)は「震災からこれまで、数え切れないほど多くの人に助けられてきた。またあしたから頑張ろうと、私たちも励みになりました」と話している。
 飯舘村は福島第1原発から北西に約40キロ。放射線量が高い地域が多く、村民約6600人のほとんどが村の外で避難生活を続けている。

2014年02月20日木曜日
http://www.kahoku.co.jp/news/2014/02/20140220t63014.htm

この場合は、福島市の国道4号であるが、立ち往生を余儀なくされた車両のドライバーに対して、飯館村からその地に避難している人びとが支援したのである。

レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』では、大災害に遭遇した場合、通常は個々の生存を最優先して我勝ちのパニックになると想定されているが、そうではなく、むしろ、災害に直面した人たちが、それまでの社会関係の有無に関わりなく、お互いの生存を保障するため連帯していったことを描き出している。マスコミで報道されたことは上っ面にすぎず、実際にはさまざまな苦難や葛藤があったのだろと思うが、自治体を含めた近隣住民において、立ち往生した車両のドライバーたちを助けようとする「共同性」が立ち上がったということができる。

こういうことは、もちろん、東日本大震災を含めた過去の大災害において無数にあったに違いない。もちろん、このような共同性において、葛藤や矛盾が全くなかったとは思えない。しかし、平時の、国家や資本の管理が災害において断ち切られた時、そこにまず生じてくるのは、それまでの社会関係の有無とは関係ない人びとの共同性であり、それが彼ら自身の生存を保障していたのである。

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