2011年12月16日、野田首相は「原子炉冷温停止」になったということで、「福島第一原発事故収束」宣言をした。大体、その過程は、新聞・テレビなどで伝えられており、周知のことと思うが、「最近、ニュースをみるのがたまらん」ということで、ニュースを見たくなくなる病気にかかっている方(私のような)もいると思うので、とりあえず、17日に配信された時事通信のネット記事を引用しておこう。
野田首相、事故収束を宣言=「冷温停止状態」達成-避難区域見直しへ-福島原発
東京電力福島第1原発事故で、政府は16日、原子力災害対策本部(本部長・野田佳彦首相)の会議を首相官邸で開き、原子炉が安定した「冷温停止状態」が実現し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了したと確認した。野田首相は「原子炉は冷温停止状態に至った。不測の事態が発生しても敷地境界の被ばく線量は十分に低い状態を維持できる。発電所の事故そのものは収束に至ったと判断した。早く帰還できるよう政府一丸となって取り組む」と宣言した。
同原発では3基の原子炉が炉心溶融(メルトダウン)を起こし、溶けた核燃料の状況が確認できない上、放射性物質の外部放出も完全に止まっていない。避難した住民の帰還のめども立っておらず、反発を呼びそうだ。
宣言を受け、政府は同原発から半径20キロ圏内の警戒区域と、年間放射線量が20ミリシーベルトを超える計画的避難区域を、新たに三つに再編する検討に入った。
近い将来の帰宅が可能な「解除準備区域」(年間線量20ミリシーベルト未満)、数年間居住が難しい「居住制限区域」(同20ミリシーベルト以上~50ミリシーベルト未満)、数十年間帰宅できない可能性がある「帰還困難区域」(同50ミリシーベルト以上)とする方向で調整している。細野豪志原発事故担当相らが18日、福島市を訪れ、県知事や関係市町村長と意見交換する。(2011/12/16-21:27)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2011121600622
この「事故収束宣言」については、いろいろいいたいこともある。しかし、ここでは、主要な東京の新聞が17日の社説でどのように評価したのかみておこう。
まず、かなり高く評価したのは読売新聞である。
「事故収束」宣言 完全封じ込めへ全力を挙げよ(12月17日付・読売社説)
野田首相が、東京電力福島第一原子力発電所の「事故収束」を宣言した。発生から9か月、ようやく応急措置を終えたということだろう。
新段階への移行を国内外に発信する意義は大きい。
壊れた炉心は、冷却水を浄化しながら循環注水し、100度以下の冷温停止の状態に維持している。多量の放射性物質が漏れ出す可能性は小さいという。
だが、首相が「原発事故との戦いがすべて終わったわけではない」と言う通り、課題は多い。
汚染地域の除染、住民の健康管理、賠償の三つを首相が挙げたのも妥当な認識だ。「力こぶを入れて解決を急ぐ」との決意を実行に移してもらいたい。
政府は今後、原発周辺などに設けた住民の避難地域を再編する。住民が安心して故郷へ戻れる体制を早急に築きたい。
原案では、放射能汚染の程度ごとに避難地域を三つに区分する。このうち年間に浴びる放射線量が最大でも20ミリ・シーベルトの地域は、電気や水道などが復旧すれば帰宅できる「解除準備区域」とした。
さらに20~50ミリ・シーベルトは「居住制限区域」、50ミリ・シーベルト超は「長期帰還困難区域」に指定する。
政府は、除染の取り組みと同時に、汚染状況を踏まえ、地元自治体と協議しつつ、区域指定を急がねばならない。
帰宅の可否を「20ミリ・シーベルト」で分けたのは、これを下回れば発がんリスクは十分低い、との判断からだ。他の発がん要因としては、例えば肥満も、200~500ミリ・シーベルトの被ばくリスクに相当する。
細野原発相が設けた「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」の議論で得られた知見を踏まえている。
政府は、この「20ミリ・シーベルト」についても、除染により1~2年で10、さらに5、1ミリ・シーベルト以下へと段階を踏んで軽減させる方針だ。時間をかけて環境を修復するという、現実を踏まえた対応だろう。
今後は、原発の廃止という30~40年に及ぶ難事業への取り組みが本格化するが、壊れた原発内に残る使用済み核燃料の取り出し、炉心や施設の解体などには高度な技術が要る。
原子炉内の状況把握も、放射能汚染がひどく難航している。
すでに、炉心の冷却などで出た汚染水の保管場所が来春までに満杯になる、と懸念されている。対策の見通しは立っていない。
政府、東電は、長期の安全維持に一層気を引き締めるべきだ。
(2011年12月17日01時31分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20111216-OYT1T01301.htm
読売新聞の社説では、冒頭から「野田首相が、東京電力福島第一原子力発電所の「事故収束」を宣言した。発生から9か月、ようやく応急措置を終えたということだろう。 新段階への移行を国内外に発信する意義は大きい。」と「事故収束宣言」を評価している。そして、原子炉自体が壊れており、冷温停止状態自体が不明であるということはふれていない。しかし、社説の中身をみると、「課題山積」という状態で、実は、後述する批判的な他紙の社説とはそれほどかわらない。ただ、住民帰宅の可否を20ミリシーベルトとしたことを当面妥当としていることは、本紙の特徴ではある。
読売新聞と同様に評価が高いのは産経新聞である。
冷温停止状態 長期戦への覚悟を新たに
2011.12.17 03:43 (1/2ページ)[主張]
福島第1原子力発電所の事故について、野田佳彦首相は原子炉が「冷温停止状態」に達したとして、事故の収束に向けた工程表の第2ステップの完了を宣言した。大震災で大破した原子炉が、初期の危険な状態から脱したことを意味する大きな節目である。
来年1月を当初の達成目標としていた第2ステップが、現場関係者らの努力で年内に実現したことを評価したい。放射線による犠牲者を1人も出さずに、重大事故後の原発を安定化させたことは、チェルノブイリ事故と比較しても特筆に値する。
ただし、冷温停止状態になったことで事故との戦いが一気に終結に近づくわけではない。廃炉までには最長で40年という長い時間を要する。世界に前例のない複数炉の事故を安全かつ確実に処理することは日本の責務だ。政府や関係自治体、周辺住民と国民がそれぞれの立場で、長期戦に取り組む覚悟を新たにすることが必要だ。
冷温停止は、原子炉圧力容器底部の温度が100度以下に保たれ、放射性物質の新たな放出が抑制・管理されている状態を指す。本来は正常な原子炉の安定状態を指す概念だ。
福島第1原発の場合は、大津波による全電源喪失で炉心溶融を起こし圧力容器の底に穴が開いた。損傷に伴う発熱は抑えられたとはいえ、正確な状態すらまだ把握されていないのが現状だ。冷温停止に「状態」の2文字が付け加えられているのは、このためだ。
野田首相は「廃炉と被災者の生活再建に一丸となって取り組む」としており、政府は事故に伴って設定した警戒区域、計画的避難区域の見直しを本格化させる。
低レベル放射線の健康影響を検討してきた内閣府の作業部会は、避難区域設定基準とした年間20ミリシーベルトを「適切」とする見解をまとめた。避難住民の帰宅や除染作業も年間20ミリシーベルト以下が目安となる。
除染に伴う廃棄物をどこでどう処理するかなど、難しい課題は山積している。原発周辺の沿岸地域は瓦礫(がれき)撤去が他の被災地に比べて大幅に遅れている。住民が元の暮らしを取り戻せるよう、迅速なインフラ整備が必要だ。
風評被害などが被災者の生活再建を妨げることは、今後はあってはならない。政府や東京電力には国内と世界に向けての適正な情報発信が求められる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111217/dst11121703240002-n1.htm
冒頭から「福島第1原子力発電所の事故について、野田佳彦首相は原子炉が「冷温停止状態」に達したとして、事故の収束に向けた工程表の第2ステップの完了を宣言した。大震災で大破した原子炉が、初期の危険な状態から脱したことを意味する大きな節目である。」と高い評価である。チェルノブイリと比べても高い評価を下せると同紙は主張している。そして、やはり、20ミリシーベルトを帰宅の可否としていることにも注目されたい。さらに、「風評被害などが被災者の生活再建を妨げることは、今後はあってはならない。政府や東京電力には国内と世界に向けての適正な情報発信が求められる。」とあり、放射線被曝ではなく「風評被害」を懸念しているのである。ただ、それでも、真に「冷温停止状態」が達成されたのかについては、疑問を抱いているのだが。
この両紙の社説は、「事故収束宣言」を評価している。そして、住民の帰宅の可否を20ミリシーベルトとしていることを「適切」としている点でも共通性があるといえる。
「福島第一原発事故収束宣言」について、疑問をなげかけているのは、17日の毎日新聞である。
社説:冷温停止宣言 収束の正念場これから
世界に類のない重大事故発生から9カ月。政府が冷温停止状態を宣言したことで東京電力福島第1原発の事故対策が大きな節目を迎えた。
原子炉の安定した制御は人々が待ち望んできたものだ。しかし、その実態は危ういバランスの上に乗ったものであり、本当の収束からはほど遠い。
一方で、周辺住民の生活の立て直しは待ったなしの危機的状況にある。政府は、今回の政治的な宣言を機に、事故の真の収束と地域の復興の両方に、新たな覚悟を持って臨んでもらいたい。
原子炉の状態は事故当初に比べれば確かに落ち着いている。しかし、冷温停止は健全な炉の停止状態を示すものだ。3基の炉心が溶融した重大事故の収束をこの言葉で測ろうとすること自体に大きな疑問がある。
むしろ、今後、爆発現象や再臨界などの恐れがなくなったのかどうかを丁寧に説明すべきではないか。
シミュレーションによると燃料は溶けて格納容器内に落下し床のコンクリートを侵食している。東電は落下した燃料も水で冷やされているとの見方を示しているが、推測に過ぎない。今後、燃料の正確な状態を把握していく努力がいる。
原子炉建屋を覆うカバーもまだ1号機にしか設置されていない。他の原子炉への設置も急ぐべきだ。循環注水冷却系も急ごしらえのままで、汚染水の漏えいには十分な注意を払う必要がある。
汚染水の処理にも不安がある。原子炉建屋には大量の地下水が流れこみ汚染水の増加につながっている。できるだけ早く手を打つべきだ。
原発の安定を保つさまざまな設備について東電は3年程度の安全確保の方策も示している。国もお墨付きを与えているが、二重三重の安全装置が一気に吹き飛んだのが今回の原発事故である。二の舞いとならないよう対策には念を入れてほしい。
今回の宣言を踏まえ、政府は近く警戒区域と計画的避難区域を3区域に再編するとみられる。線量の低い地域でも住民の帰還には除染や健康管理の徹底が大前提となるが、それだけではすまない。
農業を営む人が多い地域だけに、生活基盤の立て直しとセットでなければ帰還は難しい。野田佳彦首相は土地の買い上げにも言及しているが、長期に帰還が困難な地域にどう対処していくかは政治がかつて直面したことの無い難題となる。
政府は来年の通常国会に福島の復興に向けた特別措置法案を提出する。住民の声を最大限に尊重しつつ、福島の復興を長期的視点で具体化する。まだ終わりの見えない事故収束に向けた国の重い責務である。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20111217k0000m070113000c.html
毎日新聞は「政治的宣言」とし、実質的な「冷温停止状態」になったことには疑問を呈している。「今後、爆発現象や再臨界などの恐れがなくなったのかどうかを丁寧に説明すべきではないか」ということが、毎日新聞の主張といえる。ただ、一方的な批判に終わらなかったのは、「一方で、周辺住民の生活の立て直しは待ったなしの危機的状況にある。政府は、今回の政治的な宣言を機に、事故の真の収束と地域の復興の両方に、新たな覚悟を持って臨んでもらいたい。」というためではないかと思われる。なお、ここでは紹介できなかったが、日本経済新聞も収束宣言には疑問をなげかけた社説を掲載している。
一方、朝日新聞は、はっきりと「収束宣言」を批判した。
原発事故―「収束」宣言は早すぎる
野田首相がきのう、記者会見で福島第一原発事故の「収束」を内外に宣言した。
周辺の人々が避難生活を強いられていることや、本格的な除染などの課題が山積していることに触れ、事故炉に絞った「収束」だと強調した。
だが、そうだとしても、この時点で「収束」という言葉を用いたことは早すぎる。
いまは、急ごしらえの装置で水を循環させて炉の温度をなんとか抑えているだけだ。事故炉の中心部は直接、見られない。中のようすは、計測器の数値で推測するしかない。
これでは、発生時からの危機的状況を脱したとは言えても、「事故の収束」だと胸を張る根拠は乏しい。
そもそも、今回は炉が「冷温停止状態」になったと発表するとみられていた。首相が、この年内達成に努めることを国際社会に公言していたからだ。
だが、それは事故収束に向けた工程表のステップ2の完了にすぎない。あくまで途中経過であり、過大にみてはいけない。
「冷温停止状態」という見立てそのものにも、さまざまな議論がある。
政府の定義では、圧力容器底部の温度が100度以下になり、大気への放射能漏れも大幅に抑えられたことをいう。
だが、東京電力が先月公表した1号機の解析結果で、圧力容器の底が抜け、ほとんどの燃料が容器外へ落ち、格納容器を傷つけたらしいとわかっている。
いまなお混沌(こんとん)とした炉内で、再臨界の恐れはないのか。巨大な地震に耐えられるのか。こうした懸念をぬぐい去ったとき、初めて「収束」といえる。
敷地内の作業員らが日夜、危険な仕事を続けたことで、事故処理が進んだのは紛れもない事実だ。その結果、安定した冷却が続いているのなら、そのことを過不足なく説明すればよい。そのうえで「少しずつ前へ進もう」というメッセージを発信すれば十分なはずだ。
「収束」という踏み込んだ表現で安全性をアピールし、風評被害の防止につなげたいという判断があったのかもしれない。しかし、問題は実態であり、言葉で取り繕うことは、かえって内外の信を失いかねない。
いま政府がすべきは、原発の状況をにらみながら、きめ細かく周辺地域の除染をしつつ、人々の生活再建策を積極的に進めることだ。
国民を惑わせることなく、厳しい現実をそのまま伝え、国民とともに事態の打開を図る。それが首相の仕事だ。
http://www.asahi.com/paper/editorial20111217.html#Edit1
この時点で「収束宣言」は早すぎるというのが朝日の主張である。まず、この時点で発するのは原子炉が「冷温停止状態」ということを宣言するだけでなかったのかと朝日は主張する。さらに、原子炉が壊れ、内部を直接確認できない状態において「冷温停止状態」といいきることも無理があるというのである。「安定した冷却が続いているのなら、そのことを過不足なく説明すればよい。そのうえで『少しずつ前へ進もう』というメッセージを発信すれば十分なはずだ」と朝日はいうのである。
その上で、「 『収束』という踏み込んだ表現で安全性をアピールし、風評被害の防止につなげたいという判断があったのかもしれない。しかし、問題は実態であり、言葉で取り繕うことは、かえって内外の信を失いかねない。」と述べている。この評価は、実は野田首相の「善意」を強調することになっていることに注目されたい。朝日新聞は、現時点では「事故収束」も「冷温停止状態」も主張できないことを強く批判ししている。しかし、野田首相の政治姿勢まで踏み込んで批判していないことに注目されたい。
東京新聞は、野田首相の政治姿勢にまで踏み込んで批判している。
事故収束宣言 幕引きとはあきれ返る
2011年12月17日
福島第一原発の「事故収束」を野田佳彦首相が宣言した。放射性物質の放出や汚染水の懸念も残り、絶対安全の保証はどこにもない。廃炉までの長き道のりを考えれば、幕引きとはあきれ返る。
「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至った」と述べた野田首相の言葉に誰もが耳を疑ったことだろう。
原発建屋内ではいまだに高い放射線量が計測され、人が立ち入れない場所もある。さっそく現場作業員から「政府はウソばかり」と批判の声が上がったほどだ。
そもそも「冷温停止」という言葉は正常運転する原発で用いられる。「状態」というあいまいな文字を付けて宣言にこだわる姿勢は、幕引きありきの政治的な思惑からだろう。
廃炉へ進める節目とすることや、「いつ戻れるのか」という避難住民を少しでも安心させようという狙いがあろう。全国の原発の再稼働はむろん、世界へ原発輸出を進める底意もうかがえる。
だが、福島第一原発は「収束」どころか、溶け出した核燃料が格納容器内でどうなっているかもつかめず、ただ水を注ぎ込み、冷却しているにすぎない。
循環注水冷却システムが正常に機能すればいいが、大きな地震が襲えば、再び不安定化する心配はつきまとう。綱渡り状態なのが現状ではなかろうか。
放射能汚染水処理も難題だ。建屋への一日四百トンもの地下水流入は続いており、保管タンクはいずれ満杯になる。むろん海への放出など、漁業者や国際的反発などから安易に考えるべきでない。
廃炉となると、核燃料取り出しに「十年以内」、炉の解体など最終的に「三十年以上」かかる見通しだ。その過程で放射能漏れなどの事故が起きる可能性もある。要するに課題山積なのだ。
原発から半径二十キロ圏内の警戒区域と北西に延びる計画的避難区域を新たに三つの区域に再編する予定だ。年間放射線量が二〇ミリシーベルト未満を「解除準備区域」、二〇ミリシーベルトから五〇ミリシーベルトを「居住制限区域」、五〇ミリシーベルト以上を「長期帰還困難区域」に分ける。
「解除準備区域」では除染とともに住民が戻れるようにするというが、子育て世代が安心して帰還できるだろうか。社会インフラの機能回復も見通せないままだ。
収束宣言の内実は、原発事故の未知領域に足を踏み入れる「幕開け」といった方がいい。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011121702000054.html
社説の最初のほうから、「廃炉までの長き道のりを考えれば、幕引きとはあきれ返る。 『原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至った』と述べた野田首相の言葉に誰もが耳を疑ったことだろう。」とある。そもそも、このような宣言を出したことを批判している。さらに、現場の作業員の言葉をかりて「「政府はウソばかり」とまでいっているのである。
そして、このような宣言について「幕引きありきの政治的思惑だろう」という。加えて、東京新聞では、「廃炉へ進める節目とすることや、『いつ戻れるのか』という避難住民を少しでも安心させようという狙いがあろう。全国の原発の再稼働はむろん、世界へ原発輸出を進める底意もうかがえる。」とあり、原発再稼働や原発輸出を進める上での布石としての「事故収束宣言」であると指摘している。つまりは、野田首相の政治姿勢も含めて、批判しているといえるのだ。
東京新聞では、特に20ミリシーベルトを住民帰宅の可否にすることについて、「除染とともに住民が戻れるようにするというが、子育て世代が安心して帰還できるだろうか。」と疑問をなげかけている。この視点は、20ミリシーベルトを適切とする読売新聞や産経新聞と著しく相違した見解である。そして、この視点は、毎日や朝日にもない視点である。
以上のように、野田首相の「事故収束宣言」に対する東京の主要新聞の対応は、大体三種にわけることができるといえる。「評価」するー実は課題山積なのだがーのが読売新聞・産経新聞、「疑問」とするのが毎日新聞とここでは紹介できなかったが日本経済新聞、批判するのが朝日新聞と東京新聞なのである。読売新聞は正力松太郎以来の原子力推進派であり、産経新聞もある意味では右派的といわれるので、この宣言が、いわゆる「右派的」な新聞に評価される傾向にあることはいなめないと思う。そして、「宣言」を評価するということは、住民帰宅の可否を20ミリシーベルトとすることを認めることにもつながっているのである。
他方で、この宣言に疑問を抱いたり、批判したりする新聞が多かったことにも注目したい。つまり、そもそも「冷温停止状態」といえるのか、「事故収束宣言」といえるのか、それが、読売新聞・産経新聞を除いた、東京の新聞の多数の声であったといえる。
ただ、野田首相の政治姿勢を批判したのが、東京新聞ただ一つであることも忘れてはならないだろう。さらに、東京新聞は住民帰宅の可否を20ミリシーベルトとすることを批判している。最近、脱原発の論調をとることが多い東京新聞ならではの社説といえる。しかし、このような論調が他紙にはー批判している朝日新聞も含めてーみられないことにも注目しなくてはならないと思う。これらのことを注意して、今後の原発に対する論調をみていかねばならないだろうと思う。
[…] 非人道的な兵器、原爆投下後アメリカの調査チームが来て調査をしていったが治療はしなかった。放射能は被曝2世には影響しないと発表し、日本政府もアメリカの調査チームと同じ立場をとりました。福島原発事故の時も、平成23年12月時の内閣総理大臣は、福島原発事故の「収束宣言」をした。驚きだった。 […]