さて、フランスに留学している友人が、最近、二本松市の米が暫定基準をこえた話を新聞で読んだフランス人から、次のような質問をされたそうだ。
福島とその周辺は放射能強いのに、何故農業できてその産物食べれるの?
彼は、子どものような素朴な質問だけに、答えに窮したといっていた。彼に子どもはいないが、子どもに質問されたら、とてもクリアな説明はできないと思ったそうだ。
実際、なぜ、そのような地で農業ができ、そこでの生産物を食べることができているのだろう。
ごく、シンプルに答えるならば、日本政府と福島県がそのような土地での生活と農業生産を是認し、さらに、放射性物質の含有量が暫定基準(放射性セシウム含有量500Bq/kg)以下の農産物の流通を許可しているからであると答えるしかないだろう。
福島県の農民としては、強制的退避地区でもない限りは、自主避難しても、現在のところ、補助金や補償金はでない。彼らの生業の資本は、福島県の土地であって、そこから離れたら、生活するすべはない。家や地域社会を維持したいという意欲もあって、放射線管理区域以上の土地であっても、農業を続けるしかないのである。
そして、政府のつくった暫定基準以下であれば、放射性物質が含有されたとしても、出荷するのである。そのことを、福島県は後押しするのである。
それでは、このような日本政府と福島県の対策が信じられるのであろうか。実際、現在の日本の人びとの意識は二つに割れている。
一つは、政府や県の対策を信用せず、可能な限り、放射性物質が含有された食品の摂取をさけようとする人びとだ。極端な場合は、福島第一原発周辺でとれたというだけで、一切忌避することすらありうる。これが、いわゆる福島県産物の買い控えということになるのである
もう一つは、政府や県の施策を、意識的にかもしくは無意識的にか信頼して、とりあえず、市場に出回ったものに多量の放射性物質が含まれることはないと想定して、通常とあまり変わらない消費行動をする人びとだ。
政府や県、さらに大手のマスコミは、暫定基準以下ならば健康に「直ちに」支障がないと喧伝し、放射性物質を含んだ食品をさけて福島県産物の買い控えしていることを「風評被害」とレッテルばりしている。「風評被害」を起こしていると考えられる人びとを、「愚か」で「同情心の欠落した」人たちとするのである。そう、政府や県の責任は不可視化され、福島県の人びとのために放射性物質を含有した食品を食べるようにと「説教」されるのだ。
このような構造を作ることで、政府、県、さらに東電の責任は軽減されていく。放射性物質対策は、極端に高い土地、極端に含有されている物だけに対してだけでよい。東電の補償金も同じである。
このような構造をささえているのは、低線量では、即時に影響はでてこないということである。放射性ヨウ素が子どもの甲状腺がん発病の原因となることは実証されているが、それとても、即時に発病するものではない。年単位はかかるであろう。その数年のうちに、官僚は人事異動し、政権は変わる。社長も変わるだろう。数年後の影響などは「想定外」のことであるということになる。基準だって「暫定」なのだ。
このようなことで、現時点でも、福島県では農業が行われ、そこでの産物が食べられているといえる。私個人は、福島県でも相対的に放射性物質が少ないところもあり、食品の種類によっては、ほとんど放射性セシウムが検出されないか、されてもごく微量しかないようなものは、そのことに確信がもてるならば、食べてもよいと思っている。少しでも、そのようにするために、検査体制や除染体制の確立が急務なのだ。しかし、放射線管理区域やチェルノブイリ事故時の自主避難地域なみの土地で農業生産が継続し、ある程度の放射性セシウムが含有されている食品が消費されていることが現状なのだ。
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